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カテゴリ:フルート
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PLEYEL/Symphonies and Flute Concerto




Patrick Gallois(Fl, Cond)
Sinfonia Finlandia Jyväskylä
NAXOS/8.572550




「プレイエル」と言えば、ほとんど反射的に「ピアノ」という答えが返ってくるぐらい、その名前は歴史的なフランスのピアノ・メーカーとしてあまりにも有名です。あのショパンが愛用したピアノを作り、最近のことでは忘れられていた楽器、チェンバロを現代によみがえらせるために、ワンダ・ランドフスカの要請でピアノのフレームに弦を張ったいわゆる「モダン・チェンバロ」という、それまでの歴史の中では存在していなかった「新しい」楽器を開発したメーカーとして、間違いなくこれからも末永く語り伝えられていくはずの名前です。
ところが、その会社を設立したイニャス・プレイエルという人が、もともとは作曲家だったことを知っている人は、それほど多くはありません。このプレイエルさんはピアノ・メーカーを作る前には音楽出版社も経営していたという辣腕のビジネスマンでありながら、あのヨーゼフ・ハイドンに師事して多くの作品を残した、当時は「大作曲家」だったのですね。そういえば、ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」のもとになったディヴェルティメント(Hob.II:46)も、実はハイドンの作品ではなく、このプレイエルさんが作ったものなのだそうですね。
オーストリアで生まれたプレイエルは、最初は「イグナツ・プライエル」と名乗っていましたが、ハイドンのもとでの修業が終わり、活動の場所をフランスに移すとともに、名前もフランス風に「イニャス・プレイエル」と発音するようになりました。このCDで演奏されている3曲のうち、2曲の交響曲は1780年代、彼がまだ「専業」の作曲家だった時代の作品ですが、フルート協奏曲は1797年と、すでに「メゾン・プレイエル」という名前の音楽出版社を作って、ビジネスマンとして精力的に働いていた時期のものなのだそうです。つまり、このころはまさに「2足のわらじ」を履いていたのですね。
まず、変ロ長調の交響曲を聴いてみましょうか。古典的な4楽章形式ですが、最初のアレグロの楽章が、よくある快活な感じではなく、3拍子のミディアム・テンポなのが、いかにもフランス風でしゃれています。ただ、それに続くアンダンティーノの楽章も、メヌエットの楽章も似通ったテンポなので、ちょっとメリハリがきかなく退屈に感じられてしまいます。おそらくそう感じてしまうのは、何事にも刺激を求めたい現代人としての感覚なのでしょう。曲が作られた当時のフランスでは、こんなユルさが多くのファンを呼んでいたに違いありません。
ですから、おそらく、そのあたりが、彼が「現代」では作曲家としてはほとんど忘れられている大きな原因なのでしょうね。ここには、時代を超えて訴えかけてくるようなものは、何も感じることはできません。あるいは、ガロワの指揮するシンフォニア・ユヴァスキュラがもっとこの曲の「楽しさ」を伝えるような「何か」を付け加えてくれればいいのでしょうが、彼らはひたすら愚直な作品を愚直に演奏するだけです。
もう一つのト長調の交響曲では、いくらかおもしろさが感じられるでしょうか。アンダンテ楽章が短調の変奏曲というのが、ちょっとした新鮮さを呼んでいます。ただ、これももう少し演奏でメリハリをつけてもらわないと、退屈に感じてしまうだけでしょう。
そして、ガロワの「吹き振り」で、ハ長調のフルート協奏曲です。ここでは、あのジャン・ピエール・ランパルが校訂した楽譜を使っているのだそうです。辛口じゃありませんよ(それは「ジンジャーエール」)。確かに、この協奏曲は、まさにランパル好みの名人芸満載、息もつかせず(実際、ほとんどブレスをとっていません)細かい音符を紡ぎだすのはとても爽快です。ランパルは、こんな時に、わざと早めに演奏して「どうだ、すごいだろう」と言っているように思えるような演奏をしたものですが、そんなところまでガロワが受け継いでいるのが、ちょっとかわいいですね。

CD Artwork © Naxos Rights International Ltd.
by jurassic_oyaji | 2012-05-13 22:19 | フルート | Comments(0)
British Flute Concertos



Emily Beynon(Fl)
Bramwell Tovey/
BBC National Orchestra of Wales
CHANDOSS/CHAN 10718




いつまでも美しいフルーティスト、エミリー・バイノンは、オランダのオーケストラの首席奏者をやっていても、生まれたのはイギリスのウェールズ、そんな彼女がウェールズのオーケストラをバックにイギリスの作曲家のフルート協奏曲を録音してくれました。タイトルにはそんな意味の単語が並びますが、ここに収められている4曲のうちの1曲だけは、「イギリス」でも「協奏曲」でもない、「フランス」の作曲家フランシス・プーランクが作った「ソナタ」なんですけどね。とは言っても、これは、ここでちゃんとした協奏曲を提供しているイギリスの作曲家、レノックス・バークリーがオーケストレーションを行ったバージョンなのですから、許してあげましょう。
この「オケ版プーランク」は、「イギリス」とは言っても「北アイルランド」出身のフルーティスト、ジェームズ・ゴールウェイに頼まれて、1976年にバークリーが編曲したものです。同じ年にシャルル・デュトワ指揮のロイヤル・フィルをバックに録音、次の年に同じメンバーで初演されています。この録音はもちろんLPで出たもので、CD化もされているようですがCDの現物を見たことはありません。単にピアノ伴奏をオーケストラに移し替えただけではなく、もっと自由に新しいフレーズなどを加えたにぎやかな編曲に仕上がっています。ですから、まさに「協奏曲」と言っても構わないほどの雄弁なオーケストラと、フルートが対峙することになるのですね。ゴールウェイの演奏では、そんな丁丁発止のパフォーマンスがまず楽しめたものでしたが、今回のバイノンは律儀にソナタ版の表現を踏襲していて、ちょっと面白さには欠けてしまいます。いや、この場合はソリストよりもオーケストラの方に問題がありそう、何とも重苦しい演奏で、ゴールウェイの時のようなソリストに自由に遊んでもらえるような余裕が全くないのですからね。「ソナタ」として聴く分には、バイノンのフルートは陰影に富んでいてとても美しいのですがね。
そのバークリー自身のフルート協奏曲も、何とも鈍重なオーケストラのために正直この曲の魅力が全く感じられないような演奏になっていました。こんなはずはないと、ゴールウェイのLP(これは、CD化はされていないようですね)を引っ張り出して聴いてみると、オケもソリストもノリがぜ~んぜん違います。こうなると、もう全く別の曲を聴いているみたいでしたよ。指揮者はトヴェイっていうんですか。いくらアメリカで学んだといっても(それは「渡米」)これではちょっと。
ウィリアム・オルウィンという、バークリーと同世代のフルーティスト/作曲家のフルート協奏曲は、もともとはソロ・フルートと8つの管楽器(2Ob, 2Cl, 2Fg, 2Hr)という編成だったものを、自身もフルート協奏曲を作っている(バイノンが録音していましたね)ジョン・マッケイブがオーケストラ用に編曲したものです。変拍子によるリズムのおもしろさや、しっとりとしたシーンなど、そこそこ変化には富んでいるものの、何か生真面目さが邪魔をしてあまり魅力は感じられない作品でした。
一番楽しめたのは、この中で唯一ご存命(いや、まだ50代)のジョナサン・ダヴの新作、これが初録音となる「The Magic Flute Dances」です。タイトル通り、モーツァルトの「魔笛」の中の曲を素材にしてコラージュのように構成された、とても楽しい曲です。もちろん、ただのメドレーのようなありきたりのものではなく、かなり手の込んだ「加工」が施されていますから、常に「確かに聴いたことのあるフレーズなのに、なんだったのか思い出せない」という感じが付きまとうちょっと意地悪な仕掛けが満載です。そんな残尿感を解消するためなのか、タミーノの「絵姿」アリアの大げさな登場には、思わず大爆笑。
そうそう、ブックレットには、バイノンの愛機、「Altus」の広告が掲載されていましたね。

CD Artwork © Chandos Records Ltd.
by jurassic_oyaji | 2012-04-21 18:58 | フルート | Comments(0)
VIVALDI/Le Quattro Stagioni, Concerti per Flauto




Andrea Griminelli(Fl)
I Solisti Filarmonici Italiani
DECCA/476 4670




ヴィヴァルディの「ヴァイオリン協奏曲『四季』」をフルートで吹こうなどという無謀なことを考えたのはジェームズ・ゴールウェイでした。しかし、彼が1976年に録音した「フルート協奏曲『四季』」は、それは見事な演奏だったので、世のフルーティストたちはこぞって同じように演奏することを試みました。
そのゴールウェイにも教えを請うたこともあるイタリアの名手グリミネッリもその一人、しかし、時代の波は「四季」の演奏様式にも押し寄せてきていて、この曲に対するアプローチは35年も前のものとは全く変わってしまっていますから、ゴールウェイとは又違った曲の姿が楽しめるかもしれませんね。なにしろ、このジャケットですよ。セミヌードでフルートを吹くなんて、とてもゴールウェイには出来ない芸当です。セレナーデぐらいなら吹けるでしょうがね。
ここでグリミネッリのパートナーを務めるのは「新イタリア合奏団」、こちらも、かつての「イ・ムジチ」のようなお行儀のよい演奏に終始するようなことはありません。なにしろ、低音にはチェンバロの他にテオルボまでが加わって、とても新鮮な即興演奏を繰り広げているのですからね。
「四季」の4曲は、お決まりのイタリア風協奏曲の形ですが、その両端の早い楽章では、グリミネッリの目の覚めるような技巧にまず酔っていただきましょう。なんせ、ヴァイオリンの音形をフルートで吹くのですから、その難しさは群を抜いています。詳しくは分からないのですが、一見難しそうなフレーズも、ヴァイオリンでたくさんの弦を使って演奏する分にはそれほど大変ではないような気がします。左手などはほんの少し動かすだけで済みそうですし。同じことをフルートでやろうとすると、9本の指(右手の親指は演奏には関与しません)をすべて動員しなければなりませんからね。そして、ヴァイオリンの右手に相当することは息を使って行います。その時に使うのが「ダブルタンギング」という必殺技なのですね。グリミネッリの場合、これがものすごいパワーで迫ってきます。まさに「息つく暇もない」名人芸で、華やかなヴィヴァルディの世界を存分に堪能できますよ。
それに対して、真ん中の楽章は技巧ではなくしっとりと歌い上げるような曲想です。ここでグリミネッリは、意表をついてなんとノン・ビブラートに近いいともあっさりとした表現を使っています。これは最近モダン・フルートでバロックを演奏するときの常套手段、なにか、当時の楽器を思わせるような情緒が漂います。もちろん、この楽章はその時代は即興的な演奏が許されていたという「故事」にならって、思いっきり大胆なパフォーマンスも披露されます。「秋」の第2楽章などは、チェンバロがまるでバッハを思わせるような格調高いレアリゼーションを聴かせてくれますよ。ただ、フルートが、意図したことなのかどうか、ピッチがかなり低く聴こえるのがとても気になります。
このアルバムでは「四季」の外にさらに4曲のタイトルが付いたフルート協奏曲が演奏されています。そのうちの3曲は作品10の中にある有名な「海の嵐」、「夜」、「ごしきひわ」です。これは元々フルートのために作られたものですから、一層伸びやかなフルートが楽しめます。「ごしきひわ」の第2楽章はパストラーレ風のメロディアスな曲ですが、そこにテオルボがまるで「PPM」みたいなフォークソング調のイントロを加えているのがなかなかです。
そして、もう1曲、「ムガール皇帝」というのは、ごく最近発見されて出版されたばかりのフルート協奏曲なのだそうです。短調でちょっとメランコリックなテイストを持っていますが、別にタイトルから想像されるようなインド趣味などはありません。
いや、もしかしたらジャケットの写真がその暑い国の「皇帝」なのでは。

CD Artwork © Universal Music Italia srl
by jurassic_oyaji | 2012-04-13 20:03 | フルート | Comments(0)
Dedicated to Piccolo




Günter Voglmayr(Pic)
Stefan Mendl(Pf)
CAMERATA/CMCD-28248




毎年元日にウィーンから生中継されるウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートでは、誰が指揮をするのかという興味とともに、フルート・パートを誰が吹くのかも気になるところです。指揮者は前もって分かっていますが、木管楽器のメンバーが誰なのかなどということは、当日放送を見るまでは分からないのですからね。特にフルートはソロが沢山出てきますし、ウィンナ・ワルツではピッコロも大活躍しますから、4人から、時には6人ぐらいいる持ち味がそれぞれに異なるメンバーの中のだれがそのパートを担当するかによって、コンサート全体の雰囲気も変わってきますからね。
今年は、ワルター・アウアーとヴォルフガング・ブラインシュミットという、それぞれわりと最近正式の団員になったばかりの人たちがフルートとピッコロを吹いていました。顔の大きなブラインシュミットがちっこいピッコロを操っているのは、ちょっとユーモラスな図柄でしたね。ピッコロ・パートは、その他にギュンター・フェダセルと、ギュンター・フォーグルマイヤーが控えていて、オーバーアクションのフェダセル、知的なフォーグルマイヤーみたいなイメージで、それぞれの年に楽しませてくれていました。個人的には、カエルみたいな醜男のブラインシュミットよりは、イケメンのフォーグルマイヤーが見たかったな、と思いましたが。なんせ、お正月ですから。
ところが、それからちょっとしたら、ネットでそのフォーグルマイヤーの訃報が飛び込んできたではありませんか。一瞬信じられない思いでした。とてもそんな年齢ではなかったはずですから。実際は享年43歳、あまりにも早すぎる死でした。ウィーン・フィルのメンバーとしてだけではなく、ソロ・リサイタルのためにも何度も日本を訪れたことがあり、ファンも多かったはずです。
このCDは、2011年6月にソロで来日するタイミングに合わせてリリースするために、2010年の5月にウィーンで録音されたものです。しかし、その来日は病気のためキャンセルとなってしまいました。次の来日に備えて準備していたものが、はからずも追悼盤となってしまったのですね。同じレーベルには、フォーグルマイヤーの師であるヴォルフガング・シュルツとの多くの録音があったため、レパートリーが重ならないようにあえてピッコロだけのプログラムを用意したのだそうです。
しかし、その曲目は驚くべきものでした。ここでは、全ての曲が、元々フルートのために作られたものがピッコロで演奏されていたのです(厳密には1曲だけはピッコロのオリジナル)。例えば、「学習者」の定番、タファネルの「アンダンテ・パストラールとスケルツェッティーノ」などという、フルート以外の楽器で演奏することは考えられないようなものまで吹いてしまっているのですね。
しかし、実際に聴いてみると、そんな違和感はちっともありませんでした。ワン・ポイントのマイクを使って、かなり残響をたっぷり取り込んだ柔らかな響きの中から聴こえてきたピッコロは、フルートに負けないぐらいのたっぷりとした音色で存分に楽しめました。逆に、細かいパッセージの技巧的な部分などは、より華やかさが増して、その曲の別な魅力に触れることさえ出来てしまいます。ジョプリンのラグタイム、「オリジナル・ラグ」などは、元々ピアノの曲ですから、ピッコロではとことん陽気な音楽を楽しめますよ。
いや、そんな「派手」な面だけではなく、ピッコロでは難しいはずの「小さな音」を要求されるような場面でも、フォーグルマイヤーの技は冴えています。プロコフィエフの「束の間の幻影」などという、繊細極まりないピアニシモを要求される曲での確かなコントロールは絶品です。
この次はフルートでこんな繊細さを聴きたいと思っても、それはもはや叶わない願いになってしまいました。ご冥福をお祈りします。

CD Artwork © Camerata Tokyo Inc.
by jurassic_oyaji | 2012-04-01 20:11 | フルート | Comments(2)
Fantaisie




Mathieu Defour(Fl)
Kuang-Hao Huang
CEDILLE/CDR 90000 121




シカゴのレーベル、CEDILLEから出た、シカゴ交響楽団の首席フルート奏者、マチュー・デュフォー(本当は「デュフー」と発音するようですが)の2枚目のアルバムです。1枚目は、こちらのモリックの協奏曲でしたね。録音されたのは2009年ですが、今頃国内の市場に出回っています。翌年に日本で録音された日本のレーベルのCDの方が先に出てしまいました。
その国内盤と同じように、ここでもフルートが好きな人なら誰でも知っている曲が並んでいます。タイトルの通り、全てに「ファンタジー」という名前が付けられたものばかりです。日本語では「幻想曲」と訳されているこのジャンルは、別に夢や幻に題材を求めた曲、というわけではなく、19世紀の終わりから20世紀の始めにかけて花開いた、華麗な技巧によって彩られたショーピース、といったぐらいの意味を持ったものなのでしょう。モダン・フルートのあらゆる技法が網羅され、フルーティストにとって、日々の鍛錬には欠かすことのできない曲ばかりです。したがって、万が一、それを人前(その中には同業者もたくさんいるはずです)で演奏するような時には、とんでもないプレッシャーに見舞われることでしょう。曲のことを隅々までよく知っている人たちが目(耳)を皿のようにして聴いているのですから、どんな些細な失敗も許されることはありません。そんな緊張感を乗り越えて、これらの曲からテクニックを超えた真の愉悦感を引き出すことができれば、彼は本当の意味での「ヴィルトゥオーソ」と呼ばれることになるのです。食中毒じゃないですよ(それは「下痢と嘔吐」)。
そういう意味で、デュフォーはアルバムの至るところで「ヴィルトゥオーソ」であることを証明しています。もはや、細かい音符を目にもとまらぬ速さで演奏するなどという「低次元」の驚きを越えたところで、彼は作品のさまざまな魅力を気づかせてくれているのですからね。
まず、フォーレの「ファンタジー」から始めるあたりが、渋いところです。一見朴訥なようで、なかなか一筋縄ではいかない仕掛けを秘めた曲ですが、デュフォーはそこから繊細極まりない味わいを拾い出してくれています。音色はあくまで華美には走らず、常に穏やかな情感を醸し出しています。曲の最後なども、決して盛り上げずにサラッと仕上げるあたりがさすが、です。
次のゴーベールやユーの同名曲になると、作曲家の個性がキラキラと輝いて現れてきます。デュフォーのアプローチはなにも変わっていないのに、作風の違いがこれほど明瞭に感じられるのは、ひとえに彼のスタイルの柔軟性を物語るものなのでしょう。
ドップラーの「ハンガリー田園幻想曲」などという、まさに手あかにまみれきった「名曲」でも、そのあくまで謙虚に楽譜に立ち向かう姿勢によって、見違えるような新鮮さが感じられるようになります。「コブシ」のきかせかたの中にも、良くある「東洋風」のものではない、いわばハプルブルク帝国の一部としてのハンガリーの風情を感じられるのではないでしょうか。途中で出てくるハーモニクスが、これほど効果的に聞こえてくる演奏も希です。
最後の2曲は、オペラの中のアリアなどを組み合わせてメドレーにしたもの、タファネルの作品は「魔弾の射手」がモチーフになっていますし、ボルヌの作品はお馴染み「カルメン」です。シカゴ響の前任地がパリのオペラ座だったデュフォーにとって、これはもしかしたら普通のフルーティストとはひと味違うアイディアがわいてくるものだったのではないでしょうか。確かに、タファネルからはドイツの暗い森の情景が、そしてボルヌからはジプシーの喧噪が感じられる瞬間があったような気がします。「闘牛士」での朗々たるアリアのあとで、一気に目も覚めるようなフィナーレに流れ込む場面は、まさに息をのむ思いです。
卓越したピアニスト、ホアン・コアンハオのサポートも見事です。

CD Artwork © Cedille Records
by jurassic_oyaji | 2012-02-18 21:18 | フルート | Comments(0)
Greek Flute Music of the 20th and 21st Centuries



Katrin Zenz(Fl)
Chara Iacovidou(Cem)
Angelica Cathariou(MS)
NAXOS/8.572369




「ないものはない」と豪語しつつ、あらゆる国の作曲家を網羅しているNAXOSですが、「ギリシャのクラシック」などというシリーズもあったんですね。ただ、ギリシャの作曲家として最も有名なクセナキスの作品がカタログにはないのは、意外な盲点、というか、これではまるでカキノタネを置いてないスーパーみたいなものではありませんか。ペンデレツキはあれほど厚遇しているというのに、なんという片手落ち、ここは一つレーベルの威信にかけても「ギリシャ」シリーズでクセナキスのアンソロジーを揃えて欲しいものです。それにしても、「ないものはない」とはよく言ったものですね。確かに「ないもの」はありません。
そんなわけで、ギリシャの作曲家によって20世紀と21世紀に作られたフルートのための作品を集めたこのアルバムには、聞いたことのある作曲家の名前は全く見あたりませんでした。そこは、ドイツで生まれ、ギリシャで活躍しているフルーティスト、カトリン・ゼンツが、個人的にもつながりのある現代ギリシャの作曲家の作品を世に広めようという大いなる意気込みに、だまされたと思ってつきあってやろうではありませんか。
ここでは、ほとんどの曲がフルート、あるいはアルトフルート1本で演奏されています。したがって、そこからはかなりストイックな、まるで日本の虚無僧がひたすら自身の修行のために奏でるような「重たい」テイストが漂うことになります。テオドラ・アントニオウという1935年生まれの方が1988年に作った「Lament for Michelle」が、まさにそんな「無常観」とでもいうような「深さ」を、まず聴かせてくれています。そこで登場するのは、我々日本人にとっては、極めて親近感を抱けるようなフルートの奏法でした。ほとんど「雑音」にしか聴こえないような「ムラ息」や、平均律からは微妙にずれている音程などは、まさに「尺八」の世界です。日本には福島和夫が作った「冥」というフルート・ソロのための名曲がありますが、これは根元的なところでそれと同じモチベーションによって作られたのでは、と思えるほどの馴染み良さです。その中に、時折「別世界」が感じられることがありますが、それがおそらく「ギリシャ」のアイデンティティなのでしょうね。
アネスティス・ロゴテティスという、1920年に生まれてすでに鬼籍に入られている方の1978年の作品「Globus」は、一人で演奏したものを録音して、それを流しながらライブ演奏をするという、ライヒの「カウンターポイント」みたいなアイディアを持ったものです。ライヒと違うのは、ここではその頃大流行だった「特殊技法」が満載だということでしょう。いきなり「ジェット・ホイッスル」の嵐で聴くものを「現代音楽」の世界へ誘うという手法は、今聴くとなんとも懐かしく、言い換えれば「古くさく」感じられてしまいます。アルバムの中で、この頃に作られた他の作品は、おしなべてそんな「当時の新しさ」を「ホイッスル」や「重音」で主張しているものばかり、世界中どこでも、同じような「試み」は行われていたのだなあ、という感慨に浸れることでしょう。
後半に入っている「21世紀」に作られたものになると、そんな前世紀のしがらみから解き放たれた軽やかさが見られるようになるのも、やはり全世界に共通したものなのでしょう。その中で、1974年生まれの若手、ミナス・ボルボウダキスの「Aeolian Elegy」などは、タイトルの通り「風」をストレートに感じられる爽やかさがありました。これを聴けば、特殊技法はあくまで表現の手段であるという初歩的なテーゼが、今世紀になってやっと浸透してきたな、と納得されることでしょう。
1959年生まれのギオルゴス・コウメンダキスが作った「Forget me」あたりは、1929年生まれのミカエル・アダミスの作品で、フォルクローレ風のヴォーカルが入った「Melisma」とともに、民謡を素材にした、心から「ギリシャ」を楽しめる作品なのではないでしょうか。

CD Artwork © Naxos Rights International Ltd.
by jurassic_oyaji | 2012-02-12 20:09 | フルート | Comments(0)
Brilliant Flute




Walter Auer(Fl)
長尾洋史(Pf)
LIVE NOTES/WWCC-7665




毎年お正月にウィーンからの生中継で放送されるウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートは、もはや日本のお茶の間には欠かせない催しとなっているようです。以前はちょっとマニアックなBSで放送されていたものが、最近は地デジ、しかも時間帯はゴールデン・タイムですから、普段「クラシック」などには無関心の人でも、これだけは「年に一度のぜいたく」として見ているのかも知れません。
そんな晴れがましいコンサートで、今年フルートのトップを吹いていたのが、ウィーン・フィルのフルートパートの中ではもっとも若いこのワルター・アウアーでした(その次に若かったギュンター・フォーグルマイヤーは、1月11日に亡くなってしまいました。ご冥福をお祈りします)。ついに重鎮のヴォルフガング・シュルツも引退しましたから、これからは彼の時代になっていくでしょうか。確かに、オケの中で聴くともう一人の「首席」ディーター・フルーリーよりはずっと輝かしい音のようでした。
そんな、オーケストラの中では着実に実績を上げているアウアーの、これはソリストとしてのデビュー・アルバムとなります。制作したのは日本のレーベルというあたりが、最近の録音事情を物語っているようですが、さらに今回の場合は、実際にプロデュースを行ったのは彼が使っている楽器のメーカー、そんな「付加価値」でもないことには、こんな「大物」でもCDを作るのが難しいような時代なのでしょうか。録音されたのは2008年、なぜリリースまでにこんなに時間がかかったのかも、それなりの「事情」があったのでしょうね。
曲目は、モダン・フルーティストとしての意気込みを前面に出したものでした。それは、フルートの技巧を極限まで駆使して、まさに「ブリリアント」な世界を築き上げるという、正直「音楽」よりは「テクニック」を、もっぱらフルートを学ぶ人たちに対してアピールする、といったようなものばかりのように感じられます。ただ、最初と最後に、それぞれワーグナーとビゼーのオペラをモチーフにした作品を持ってきたあたりが、オペラハウスでの演奏が本業のオーケストラのメンバーとしての彼の「こだわり」だったのかもしれません。
冒頭を飾る、そのワーグナーの「ローエングリン」を、ブリッチャルディが華麗な「ファンタジー」に仕立てたものは、初めて聴きました。ヴェルディなどではこの手のものは良くありますが、まさかワーグナーでもこんなパラフレーズが出来るとは、思ってもみませんでしたよ。確かに「結婚行進曲」や「エルザの夢」などは、当時はキャッチーに思えたのでしょう。そのテーマをグロテスクなまでにフルートの細かい音符で飾り立てたという、ただそれだけの曲です。
彼の曲ではもう一つ、「ヴェニスの謝肉祭」も聴くことが出来ます。なんといってもゴールウェイのイメージが拭いきれないものにとっては、技巧はともかく高音のほんのちょっとした「逃げ」が物足りなく感じられてしまいます。それは、あるいは、残響が少し邪魔をしている鈍い録音のせいなのかもしれませんが。
クーラウの「ファンタジー」という無伴奏の曲は、フルートを吹く人の間だけでは有名な割には、録音はほとんどありませんでしたから、「参考演奏」として何よりの贈り物です。いや、技巧の影からさりげなく顔を出すちょっと小粋なフレージングなどは、ただ「参考」にするだけでは惜しいものがあります。
最後のボルヌの「カルメン幻想曲」まで嬉々として聴き通せたとしたら、それはとてもフルートが好きなことの証しになることでしょう。でも、ふつうの「クラシック」ファンにとっては、ちょっと退屈してしまうアルバムなのかもしれません。

CD Artwork © Nami Records Co., Ltd.
by jurassic_oyaji | 2012-01-17 23:36 | フルート | Comments(0)
BOCCHERINI/Chamber Music with Flute & Oboe

Gergely Ittzés(Fl)
László Hadady(Ob)
Márta Ábrahm(Vn)
Péter Bársony(Va)
Ditta Rohmann(Vc)
HUNGAROTON/HCD 32695




ハンガリーの若いフルーティスト、ゲルゲイ・イッツェーシュの新しいアルバムです。日本酒が好きなんでしょうね(それは「一級酒」)。「若い」とは言っても、1969年生まれですから、もうすでに40代前半、どちらかというともはや「中堅」の域に達しているのでしょう。イシュトヴァン・マトゥスと、オーレル・ニコレから多くのものを学んだということですから、その演奏に対する姿勢はなんだか想像できてしまいます。あくまで音楽に真摯に立ち向かい、フルート以外のレパートリーも貪欲に演奏、そして現代作品なども積極的に取り上げる、といった感じなのでしょうか。さらに、マトゥスなどは自作も演奏していましたが、イッツェーシュの10枚ほどのディスコグラフィーにも、彼自身の作品を演奏したものがありました。
今回取り上げていたのは、ボッケリーニです。例の「メヌエット」だけが突出して有名な作曲家ですが、その他の何百曲もある作品はあまり演奏されることはありません。フルートが加わった作品もいくつかありますが、実際に手元には1枚のCDしかありませんでした。

Auser Musiciという団体が演奏しているそのCDHYPERION/CDA67646)では、「作品19」という6曲のフルート五重奏曲を聴くことが出来ます。これは、弦楽四重奏にフルートが加わったという編成になっていて、そこでのフルートはもっぱらアンサンブルの一員としてのあまり目立たないような役割しか与えられてはいないような印象がありました。この編成の作品は、その他にも何セット(当時は、6曲まとめて出版される習慣がありました)かあるようですね。
しかし、ここでイッツェーシュたちが演奏しているのは、ボッケリーニの作品表では見つけることの出来ない、「フルート四重奏曲」という、モーツァルトでお馴染みの弦楽四重奏のファースト・ヴァイオリンがフルートに置き換わった編成のものです。一応この曲に付けられている「G.260」という、イヴ・ジェラールによる作品番号を頼りに探してみると、それは「弦楽四重奏」であることが分かりました。しかも、これはボッケリーニ以外の人が彼の名前で出版したもののようでした(「作品5」となっていますが、これはボッケリーニの場合はヴァイオリン・ソナタです)。つまり、ここでは「偽作」を「編曲」したものが演奏されているのですね。
このCDには「世界初録音」という表記があります。確かに、その様なものであれば、ここで演奏されたものは初めての録音になるのでしょう。それならそれできちんと表記すればいいものを、なんだかフェアではないような気がしてしまいます。というか、イッツェーシュ自身のライナーノーツは、これがボッケリーニの作品であるという前提で書かれているようですので、そもそも偽作や編曲という認識がないようなのですね。こういうことは、ニコレの教えに背くのでは。
でもまあ、ここは言葉通りに受け取って、「初めて」録音されたというフルートと弦楽器のための四重奏曲と、フルート、オーボエと弦楽器のための五重奏曲(これも、おそらく偽作)を楽しむことにしましょうか。
ここでフルーティストは、彼のサンキョウの銀製のフルートに、いつも使っている金製の頭部管ではなく、木製の頭部管をつないでいます。そこから生まれる柔らかい響きは、確かにこの時代の雰囲気を存分に再現しています。特に、はかなげな低音と、彼の他の演奏を聴いたことがないので確証はないのですが、バロック風の「表現のため」のビブラートが、なんとも言えない味を出しています。なかでも、ゆっくりとした楽章での彼のフルートは、ほとんど涙を誘うほどの強烈な情感が伝わってくるものでした。もちろん、早い楽章での目の覚めるような鮮やかなパッセージも素晴らしいものです。それは、「真作」と信じていたからこそ生まれたテンションなのでしょう。

CD Artwork © Hungaroton Records Ltd.
by jurassic_oyaji | 2012-01-13 21:41 | フルート | Comments(0)
The Flute King/Music from the Court of Frederick the Great


Emmanuel Pahud(Fl)
Trever Pinnock(Cem)
Matthew Truscott(Vn), Jonathan Manson(Vc)
Kammerakademie Potsdam
EMI/0 84220 2




ベルリン・フィルという「世界一」のオーケストラの首席奏者なのですから、パユのことを「世界一」のフルーティストと言ってもおかしくはないのかもしれません(「ブラウはどうなのか」と突っ込まれると微妙ですが)。だから、このジャケットを見て下さい。本人は図に乗ってとうとう「フルートの王様」になってしまいましたよ。というわけではありませんが、本物の「王様」で、フルートを吹くばかりではなく、自らもフルート曲を作ってしまったという人がいましたから、そのコスプレ、ですね。
その「王様」とは、18世紀プロイセンの啓蒙専制君主フィリードリッヒ・ヴィルヘルム二世、いわゆる「フリードリッヒ大王」です。宴会では飲み放題(それは「フリードリンク」)。この「大王」が生まれたのが1712年ですから、今年は生誕300年という記念すべき年になります。このCDのリリースは去年のことでしたが、もちろん、今年に向けてのお祝いの意味が込められているのでしょう。もっとも、服装はこんな感じでも、使っている楽器はこんなに長い金製のものではなく、もうちょっと小振りの木製ですがね。
なにしろ、その頃の大王の宮殿(サン・スーシー)には、クヴァンツやエマニュエル・バッハなど、そうそうたる音楽家が集まっていましたから、「大王」ゆかりの作品を集めてアルバムを作ることなど造作もありません。ここでは、とうとうお祝いの気持ちが昂じて2枚組になってしまいました。1枚は協奏曲、そしてもう1枚は室内楽とソロという、とても充実した内容です。装丁も、ずっしり重いフォトアルバム仕様、中には50ページにも及ぶ解説本が収められています。
とは言っても、それは同じことを英独仏の三カ国語で書いたからそんなに厚くなってしまっただけで、実質はその三分の一しかありません。パユの書き下ろしによる気合いの入った原稿は読み応えがありますが、ふつうのブックレットには必ず載るはずの演奏家のプロフィールが一切ないというのが、ちょっと物足りない、というか、無駄に分厚いものを作ってしまったな、という気がします。
なにしろ、1枚目の協奏曲で登場する「ポツダム・カンマーアカデミー」に関する情報が、ここからは全く得られないものですから、困ってしまいます。そもそも、この団体の公式サイトでのディスコグラフィーでは、しっかり「指揮:トレヴァー・ピノック」となっているのに、ここではチェンバロ奏者としてのクレジットしかないのですからね。というのも、この協奏曲を聴いてみると、とても指揮者なしで演奏しているとは思えないような恣意的な表現だらけなものですから、とてもピノックはチェンバロだけで収まっているわけはないと思えてしまうのですよ。
そんな、ちょっと「やかましい」オケをバックに、パユは、いつものこの時代の曲を演奏する時の彼のスタイル(ビブラートを抑えて音を伸ばさない)でいともあっさり吹いていますから、なんとも居心地が良くありません。さらに、このオケはもちろんモダン楽器の団体ですが、その音がとてもモダンとは思えないような雑な音色なのですね。エンジニアが悪いのか、あえてそんな乱暴な音を要求したのかは分かりませんが、正直、これを聴き通すにはかなりの忍耐が必要です。
もう1枚の方にはそんな乱暴なオケは入っていませんから、気楽にこの時代の音楽に浸ることが出来ます。「大王」が与えたテーマを元に「大バッハ」が作ったトリオ・ソナタなどは、まさに極上の「癒し」を与えてくれるものでした。「大王」自身が作ったロ短調のフルート・ソナタも、技巧的なパッセージを軽々とクリアして華やかな世界を見せてくれています。
そんな中で、フルートだけで演奏されるエマニュエル・バッハのイ短調のソナタは、サロン的な軽さを全く見せない、ある意味「深さ」を追求した演奏に仕上がっています。

CD Artwork © EMI Records Ltd.
by jurassic_oyaji | 2012-01-09 20:07 | フルート | Comments(1)
Across the Sea


Chinese-American Flute Concertos
Sharon Bezaly(Fl)
Lan Shui/
Singapore Symphony Orchestra
BIS/CD-1739




アメリカで活躍している3人の中国系作曲家のフルートとオーケストラのための作品を集めたアルバムです。もちろん、フルートを演奏しているのはシャロン・ベザリーです。これは一応新譜ではあるのですが、収録されている4曲のうちの2曲はすでにリリースされていたもの、そして今回の「新曲」も録音されたのは2008年という「大昔」ですから、あまり気合いが入っていないように思えてしまいます。何よりも、最近の彼女のアルバムはほとんどSACDだったのに、これはふつうのCDです。もしかしたら、この中で一番古い録音が2000年のものですから、それがSACDの「ハイレゾ」に対応できなかったせいかな、とも思ったのですが、録音機材はGENEXGX8000、今ではもう見かけないMOレコーダーですが、しっかり24bit/96kHzのスペックを持ったものでした。ですから、その音源をDSDに変換しても問題はないはずです。となると、もはや彼女がこのレーベルで「特別扱い」されることがなくなった、ということなのでしょうか。
実際に、以前SeascapesというタイトルのSACDに入っていたジョウ・ロン(周龍)の「The Deep, Deep Sea」という2004年の作品を、今回のCDと聴き比べてみると、その違いは歴然としています。ピッコロやヴァイオリンの質感が全く別物なのですね。
そういえば、最近のBISのクレジットには、ロベルト・フォン・バールの名前は見あたらなくなっています。そのことと、今回の扱いとは、なにか関係があるのでしょうか。彼女の「ファン」としては、とても気になるところです。
ジョウ・ロンの作品はもう一つ、2008年に作られた「Five Elements」。「木火土金水」という、中国の五行思想に登場する5つの元素を、演奏効果を上げるために「金、木、水、火、土」と並び替えて、それぞれを音で描写するという分かりやすい曲です。間に入っている「木」と「火」が激しい曲想として対比を作っています。「金」では、文字通りさまざまな金属打楽器が煌びやかな世界を演出していますが、これをSACDで聴いたらな、さぞや「金!」という感じがしたことでしょう。CDではブリキのおもちゃみたいにしか聴こえませんから。ここでベザリーは、フルート、ピッコロ、アルトフルートと3種の楽器を使い分けてそれぞれの情景を描ききっています。こういう音楽だったら、彼女の変なクセも全く気になりません。まさに、彼女の超絶技巧に酔いしれるばかりです。「水」のカデンツァなどは、圧巻ですよ。
2000年に録音され、作曲家の名前のタイトルのアルバム(CD-1122)に収められていたのは、その前年に作られたブライト・シェン(盛宗亮)の「Flute Moon」でという2つの部分に分かれた作品です。最初の部分はピッコロがフィーチャーされ、まるで「ゴジラ」のテーマのようなバーバリズム満載の音楽になっています。ごじらは、タイトルが「Chi-Lin's Dance」、中国の架空の怪獣「麒麟」がモチーフになっています。なんでも、「麒」は雄で「麟」は雌なんだそうですね。ですから、ここではオーケストラが「雄」、ピッコロが「雌」を演じているのだそうです。
それとは対照的にフルートとオーケストラによるリリカルな後半が「Flute Moon」。これは、12世紀頃の中国の詩人が作ったメロディが元になっているそうで、いかにもなチャイニーズ趣味がふんだんに味わえます。
最後の曲、チェン・イ(陳怡)の「The Golden Flute」は、アルバムの中では最も聴き応えのある作品なのではないでしょうか。そもそも、作曲家はフルートに中国古来の管楽器のような音色や奏法を要求したということですから、フルーティストにとっても真剣勝負、とても高い次元での「融合」が実現しています。しかし、やはり求められるテクニックはハンパではありませんでした。さすがのベザリーでも明らかにてこずっているな、と思えるところがあちこちに。それが言いようのないインパクトを生んでいるのですから、作曲家の目論見はまんまと成功したことになります。

CD Artwork © BIS Records AB
by jurassic_oyaji | 2012-01-05 20:35 | フルート | Comments(0)