おやぢの部屋2
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カテゴリ:フルート( 212 )
MOZART/Flute Quartets
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Karl-Heinz Schütz(Fl)
Albena Danailova(Vn)
Tobias Lea(Va)
Tamás Varga(Vc)
CAMERATA/CMBD-80008(BD-A)




「カメラータはもうBD-Aからは撤退した」と教えてくれたのは誰だったでしょうか。こんな新譜が出たのですから、どうやらそれは誤った情報だったようですね。そんな、このメーカーに対しても失礼なデマを流した人には、しっかり謝ってほしいものです。
とは言っても、品番からも分かるようにこれは「8枚目」のBD-Aです。「1枚目」が出たのが2012年の12月ですから、2年半近く経ってもそれしか出せていないというのでは、やはり「辞めてしまった」と思われても仕方がないかもしれませんね。そんな、言ってみれば「貴重」なフォーマットで、大好きなシュッツの演奏が聴けるのですから、これはラッキー。
シュッツと言えば、彼の前任者としてウィーン・フィルの首席奏者を務めていたのがヴォルフガング・シュルツという人だったので、何かと混乱してしまうかもしれません。「カール=ハインツ・シュルツ」とかね。実際、シュッツはシュルツたちが創設したアンサンブル「アンサンブル・ウィーン・ベルリン」にも、シュルツの後釜としてメンバーになっていますから、何かと「シュルツの後継者のシュッツ」みたいな、とても紛らわしい言い方が、今回のBD-Aのライナーノーツにも登場しています。そこでは、今回録音したモーツァルトの四重奏曲は、このレーベルとしてはシュルツで録音したかったものが、様々な事情で結局シュッツによってなされることになった、みたいな書き方をされていますからね。確かにシュルツは偉大なフルーティストであったことに疑いはありませんが、個人的にはあまり好きではありませんでしたし、彼の音はウィーン・フィルのサウンドの中ではちょっと異質なのでは、と感じていました。もっとも、逆にそんな音だからこそ、この「保守的」なオーケストラからもっと斬新なサウンドを発信することが期待されていたのかもしれませんが。
シュッツは、しかし、そんな「期待」とは全く別の姿でウィーン・フィルのサウンドのクオリティをワンランク上げることに貢献していました。彼の音はシュルツのようにしゃかりきに自己主張するものではなく、いともしなやかにオーケストラの中に融け込んだ上で、サウンドにきらめきを与えるというものだったのです。
このモーツァルトで共演しているのは、もちろんウィーン・フィルのメンバーたちです。その中で、ヴァイオリンにこのオーケストラ初の女性コンサートマスターとして注目を集めたアルベナ・ダナイローヴァが参加しているのにまず注目です。まさに、これからのウィーン・フィルを担う新星の共演ですね。ヴィオラのトビアス・リー、チェロのタマーシュ・ヴァルガともども、伝統にあぐらをかかない未来志向のモーツァルトが体験できます。それは、音色はとてもまろやかで心地よいものなのに、今モーツァルトを演奏することの意味がきっちりと伝わってくるものなのですから。彼らは、かなり早めのテンポで、余計な「タメ」で音楽を停滞させることなく進めていきます。それでいて、必要な情感は的確に表現されています。それは、ピリオド楽器の登場によって表現の根底が崩れ去ったモダン楽器奏者たちが出した、一つの回答のようにも思えてきます。さらに、この4人のつかず離れずのアンサンブルの妙味には感嘆させられます。録音のせいもあるのでしょうが、それぞれの楽器がとても雄弁に歌っていることもとてもよくわかります。
もちろん、彼らが使っている楽譜は最新のヘンレ版です。こちらで指摘したハ長調の四重奏曲の第2楽章の第4変奏の後半で、新全集とはヴァイオリンとヴィオラのパートが入れ替わっている部分などは、そんな録音ですからはっきり聴き取ることができます。
例によって、オリジナルの4曲以外に、オーボエ四重奏曲をフルートで演奏したものも収録されています。この曲の第2楽章でのシュッツのピアニシモは絶品です。

BD-A Artwork © Camerata Tokyo, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-04-29 20:32 | フルート | Comments(0)
Mozart (Re)inventions
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Paladino Music
Eric Lamb(Fl)
Martin Rummel(Vc)
PALADINO/PMR 0050




アルバムタイトルの「(リ)インヴェンションズ」という言葉につい惹かれて買ってしまいました。「再び発明する」という意味ですから、これはかなりのインパクト、しかもその対象が「モーツァルト」ですからね。モーツァルトのどの辺を「発明」してくれるのか、かなり楽しみです。ジャケットもなにやらシュールな演出が施されていますし。
しかし、聴きはじめると、それは別に何の目新しいものもない、単なる「モーツァルトの作品をフルートとチェロのために編曲」しただけのものだとわかりました。これにはがっかりですね。一応、その「編曲」は、ここで演奏しているフルートのエリック・ラムとチェロのマルティン・ルンメルが行っているということなのですが、最初に聴こえてきた「魔笛」からの二重奏は、すでに編曲者不詳として多くの楽譜が出回っているヴァイオリンまたはフルートのためのデュエットと全く同じものでしたし。辞書で調べてみたら、「インヴェンション」には「捏造」という意味もあるのだそうです。
そう言えば、このレーベルで以前、こんなとんでもないアルバムを聴いていました。ウィーンで音楽出版を手掛けている会社が作ったレーベルですが、何か肝心なものが抜けているような気がしませんか?
今回のアルバム、どうやらモーツァルトの「最初」と「最後」、さらに「真ん中あたり」の作品を並べて、彼の生涯を俯瞰しようというコンセプトのもとに作られているようです。その「最後」として、彼の最晩年の作品である「魔笛」を選んだのはなかなかのチョイスなのですが、それが、そのオペラからいくつかのナンバーを2つの楽器のために編曲した、いわば「ハルモニームジーク」あたりでお茶を濁そうとするやり方だったのには、なんとも言えない寂しさが募ります。
「最初」では、それこそ「k 1」から「k 33b」あたりまでの、5歳から10歳までの間に作られたクラヴィーアのための作品を、二重奏に直したものが演奏されています。そして「真ん中」としては、1783年に作られたヴァイオリンとヴィオラのための2曲の二重奏曲(k 423, 424)が選ばれています。これは、ザルツブルクのコロレド大司教がミヒャエル・ハイドンにこの編成による6曲のセットを委嘱した時に、彼が病気になって4曲しか作れなくなってしまったためにモーツァルトが手助けをして作ったものですね。
この2曲が、一応このアルバムの中ではメインと考えられている作品なのでしょう。それぞれ3つの楽章から出来ている20分程度のものですからね。当然ここは、この2人の演奏家は、他の曲のようなお手軽な対応ではなく、しっかりとした演奏を心掛けるところでしょう。ということで、もしかしたら過度のプレッシャーがこの2人、とりわけチェリストのルンメルにかかったのでしょうか、何かアンサンブルが成立していないもどかしさが感じられてしまいます。2人で音楽を進めていこうという気持ちが、彼にはほとんど見られないような気がするのですよ。フルートが作っている時間軸にまるで関係のないところで勝手に彼だけの時間の感覚で演奏を行っているとしか思えないような「合ってない」ところだらけなんですね。音程も、プロとは思えないようなひどさですし。
唯一の救いは、フルーティストのラムのすばらしい演奏です。彼はデトロイトに生まれたというアフリカ系のアメリカ人ですが、ドイツとイタリアでフルートを学んでいます。先生の中にはミシェル・デボストの名前なども見られますが、彼のとてもしなやかな音楽性と、伸びやかな音色は、そのあたりの経歴が反映されているのでしょう。目がくらむような派手さはないものの、低音から高音まで磨き抜かれた音は、とても魅力的です。彼の楽器は、日本のALTUSなのだそうです。

CD Artwork © Paladino Media GmbH
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by jurassic_oyaji | 2015-04-22 20:14 | フルート | Comments(0)
MOZART/Concerto for Fl and Hp, Sinfonia Concertante for 4 Winds
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Per Flemström(Fl), Birgitte Volan Håvik(Hp)
Pavel Sokolov(Ob), Leif Arne Pedersen(Cl)
Per Hannisdal(Fg), Inger Besserudhagen(Hr)
Alan Buribayev, Arvid Engegård/
Oslo Philharmonic Orchestra
LAWO/LWC1071(hybrid SACD)




LAWOという、今まで手にしたことのなかったレーベルがSACDを出していたので、ちょっと気になって3点ほど買ってみました。そもそも、この名前がちょっと謎めいていますね。これはいったいどんな意味を持った言葉なのでしょう。まさか、インスタントラーメンでは(それは「ラ王」)。
これはノルウェーのレーベルで、サックス奏者でもあるプロデューサーのVegard Landaasと、エンジニアのThomas Woldenの二人によって運営されています。レーベル名はそれぞれのラストネームの「La」と「Wo」をつなげたもの、2008年に最初のCDをリリースしていたようですね。
SACDを出すようになったのは最近のことのようですが、やはり録音には自信があったのでしょう。公式サイトではハイレゾ・データもダウンロードできるようになっています。このアルバムでは24/96しかありませんが、別のものではなんと128DSD(SACDでも64DSD)や、DXD(24/352.8)などという、大半のDACでは対応できないほどの「超ハイレゾ」のスペックのデータまで用意されています。
まあ、そんな数値はどうでもいいことで、要は聴いてよい音がするかどうかだけです。このアルバムは、ご当地オケ、オスロ・フィルをフィーチャーしたシリーズとしてスタートしたもののようですが、そのオーケストラの管楽器の首席奏者をソリストとして、モーツァルトの作品が2曲(正確には1曲)収められています。しかし、指揮をしているのは現在のこのオーケストラのシェフであるヴァレリー・ペトレンコではなく、アラン・ブリバエフとアルヴィド・エンゲゴールという2人が1曲ごとに指揮をするという、ちょっと変則的なブッキングです。録音時期に2か月の隔たりがあるので、その時に都合の良い指揮者が使われた、というだけのことなのでしょうが。
1曲目の「フルートとハープのための協奏曲」では、それほど精緻とは言えないものの、かなり落ち着いた渋い音が聴こえてきました。おそらく、全体の音をバランスよくまとめるというのが、エンジニアのポリシーなのでしょう。ここでソロを吹いているペール・フレムストレムという首席フルート奏者は、1986年に副首席奏者としてこのオーケストラに入ったそうですから、もう30年近くここで働いていることになります。まさに「レジェンド」という貫禄を誇っていて、手堅い演奏を聴かせてくれますが、やはりあちこちすり減っていて、ハッとさせられるようなスリリングな部分はまず見当たりません。というより、一応モーツァルトということでところどころに軽い装飾を入れているのですが、それをちょっと見当はずれの個所でやっているものですから、別の意味でハッとさせられてしまいます。
もう一つの曲は、有名な「4本の管楽器のための協奏交響曲」ですが、モーツァルトが作ったフルート、オーボエ、ファゴット、ホルンというソリストたちのために作られた曲の楽譜はなくなってしまっているのは、ご存知の通りです。これには「K.297B/Anh.9」という番号が付けられ、「紛失したもの」として扱われていますが、ロバート・レヴィンによって「復元」された楽譜は存在します。昔から演奏されていたものは、それを誰かがソロ管楽器のフルートをクラリネットに変更して「捏造」した「偽作」ということで、それをあらわす「Anh.C14.01」という番号が付けられています。それまでは「K.297b」と呼ばれていました。

ですから、このアルバムのジャケットや、サイトに「K.297B」とあれば、これは当然フルートが入っている編成の「レヴィン版」だと思ってしまうじゃないですか。しかし同時に、なぜクラリネット奏者の名前があるのか、という疑問もわいてきます。もちろん、聴こえてきたのは偽作である「297b」の方でした。
こちらの方、ソリストたちのアンサンブルも確かでなかなか楽しめますが、肝心の録音が、特にホルンの妙な共鳴が抑えられていなくて、完全に破綻しています。

SACD Artwork © LAWO Classics
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by jurassic_oyaji | 2015-03-05 21:14 | フルート | Comments(0)
ANDERSON/Flute Music
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Andrew Bolotowsky(Flutes)
Gregory Bynum(Rec), David Bakamjian(Vc)
Rebecca Pechefsky(Cem)
Beth Anderson(Pf)
MSR/MS 1434




1950年生まれのアメリカの作曲家、べス・アンダーソンのフルートのための作品を集めたアルバムです。サブタイトルが「カマキリと青い鳥」、それをそのまんまジャケットにあしらったとてもかわいいデザインに惹かれて、その作曲家のことも、演奏しているフルーティストのことも全然知らないのに聴いてみる気になりました。
そのタイトル・チューンは最初に演奏されていました。これは最も若いころ、1979年に友人であり、仲間でもあった、ここで演奏しているフルーティスト、アンドルー・ボロトウスキーのために作った曲で、フルートが「青い鳥」、ピアノ伴奏が「カマキリ」なのだそうです。と言われても、別にフルートが「ピーターと狼」や「動物の謝肉祭」に出てくる「鳥」のように羽ばたいたりさえずったりする様子を描写しているわけでは全然ありませんし、ピアノがオトコを食い殺そうとするようなおどろおどろしい音型を奏でているわけでもありません。ここでは、淡々としたピアノのアルペジオに乗って、フルートは至極素朴なフレーズをだらだらと吹き続けているにすぎません。時折讃美歌の「主よ御許に近づかん」の断片が聴こえてくるのは、なんの冗談なのでしょう。
という感じで、大体この作曲家の作風が分かってきます。彼女の作曲家へのスタート地点はジョン・ケージとテリー・ライリーだったそうですが、まさにそんな経歴を裏切らない瞑想的なミニマルの世界が、このアルバムには漂っています。ただ、「ミニマル」とは言ってもスティーヴ・ライヒのような精密さ、緻密さとは全く別の、もっとずっとユルいテイストに支配されているのは、やはりケージへの傾倒がかなり強いことの表れなのでしょうか。
その「ユルさ」が、ここでは作品よりも演奏家のキャラクターによって表に出てきているのではないか、という気がとてもします。「青い鳥」での、まるでプロであることを忘れたようなフルートを聴くにつけ、はたしてこれは意図したものなのかどうなのか、分からなくなってしまうのですよ。
彼はここでは、多くの楽器を持ち替えて演奏しています。その中に「バロック・フルート」という楽器もあるのですが、これはおそらくトラヴェルソのことなのでしょう。そして、ほかにやはりピリオド楽器のリコーダー、チェロ、チェンバロを従えての室内楽も披露されています。その「スケート組曲」というのは、ダンスのために作られたもので、いかにもバロック時代の組曲を模倣したようなスタイルをとってはいますが、全体的な雰囲気は師のケージが盟友マース・カニングハムのために作った一連の作品のようなまったりとしたものです。1979年に作られた時にはヴァイオリン、チェロ、エレキ・ベース、声、テープという編成だったものを、何度か楽器を変えたり曲を削ったりという改訂が加えられて、録音時の2012年には、こういう編成で演奏されています。
ボロトウスキーは、ここではオカリナも演奏しています。その「属和音への準備」というおかしなタイトルの作品は、これもケージっぽい、あらかじめ約束事だけを決めておいて演奏者自身が音楽を作るという、これが作られた20世紀後半にはまだよく見られた技法によったものです。ここで注目したいのは、そんなプロセスで生まれた音列ではなく、まるでアナログ・シンセのように聴こえてしまうオカリナの音の方です。何の変哲もないこのプリミティブな楽器からは、まるでアープ・オデュッセイのようなポルタメントが聴こえてはこないでしょうか。
そして、もう一つの彼の挑戦が「尺八」です。その名も「Shakuhachi Run」というソロ・ピースでは、この楽器に固有の音階だけをたどたどしく吹くだけで、それらしい音楽が出来ることを見せつけてくれています。その成果はチープ極まりないものですが。

CD Artwork © MSR Music LLC
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by jurassic_oyaji | 2015-02-05 20:21 | フルート | Comments(0)
MOSCHELES/Music for Flute and Piano
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瀬尾和紀(Fl)
上野真(Pf)
NAXOS/8.573175




モーツァルトが亡くなった3年後に生まれ、シェーンベルクが生まれる4年前に亡くなったイグナツ・モシェレスは、今ではピアノ関係者以外にはほとんどその名前は知られていないようですが、生前はピアニスト、作曲家、そして指揮者としてヨーロッパ中の音楽家から尊敬された存在でした。特にメンデルスゾーンとは、最初は音楽教師として出会い、生涯変わらぬ友情で結ばれていました。晩年は、メンデルスゾーンが作ったライプツィヒ音楽院の院長も務めています。グリーグの若いころのライプツィヒ留学の際の教師が、モシェレスです。
彼の作品は、彼の楽器であるピアノのためのものが圧倒的に多くなっていますが、フルートが加わった協奏曲や室内楽も少し残しています。そんな、フルートとピアノのための作品の大多数を収めたものが、このアルバムです。おそらく、これだけまとまってモシェレスのフルートのためのレパートリーを集めたCDは今までにはなかったのではないでしょうか。さすがはそういうものにかけてはお得意のNAXOSです。
ここでフルートを演奏しているのは、瀬尾和紀さん。瀬尾さんと言えば、デビュー・アルバムがやはりNAXOSからリリースされたホフマンのフルート協奏曲全集という、こちらもそれまでにはなかった珍しいレパートリーのアルバムでしたね。それは2000年ですから、ずいぶん昔のことになってしまいました。
このアルバムは、一昨年に三重県のホールで録音されたものです。ピアニストは上野真さんですし、エンジニアは日本人、そして瀬尾さんがプロデューサーも務めているので「純国産」なのですが、なぜか日本盤ではなく、いつものNaxosと同じアメリカ盤でした。もちろんライナーも英語のものしか読めません。まあ、世界の市場を目指したものなのでしょうから、それは仕方がありませんが、それを補う意味でつけられた「帯解説」ではまたまたこんな面白いことをやらかしているのですから、困ったものです。

これは原題は「Die Schweizerfamilie」ですから「スイスの家族」が正解、何よりライナーには「The
Swiss Family」という英訳が載っているというのに。
その曲が入っている作品のタイトルが「ディヴェルティスマン」とあるように、ここにはただの「フルート・ソナタ」というシンプルなものは全くなく、「協奏的ソナタ」とか「協奏的変奏曲」といった大仰な名前が並んでいます。おそらく、モシェレスにとってはピアノがソロ楽器を「伴奏」するような形の「ソナタ」などは彼にとっては「その他」で、どんな曲でもピアノが堂々とソロ楽器と張りあうほどの存在感を主張しているものを作ってやろうという意気込みが常にあったのではないでしょうか。
それが単なる「憶測」ではないことは、ここで演奏されている全ての作品で、ピアノがどんな時にでも大活躍しているのを見れば明らかです。ほんと、このピアノは、隙あらばソロ楽器を食ってやろうという魂胆がミエミエ、常に最高の手技を繰り出して暴れまわっているのですからね。すごいのはOp.21の「6つの協奏的変奏曲」です。型どおりの変奏曲に違いはないのですが、終わり近くの変奏ではフルートの出番はなく、ピアノだけで華麗な演奏を聴かせるというのですからね。どこが「協奏的」なのでしょう。
そんな曲ばかりですから、つい耳はピアノの方に行ってしまいます。そうすると、ここでのピアニスト上野さんの、まさに水を得た魚のような生き生きとした演奏に心底ほれ込んでしまうことになります。それに比べると、フルートの瀬尾さんはなんとも精彩を欠いた演奏に終始しています。ここでは、かつての瀬尾さんには確かにあったはずの煌めくほどの輝きが全く感じられません。それが、常に低めで不安定なピッチと、振幅の大きなビブラートばかりが強調され、フルートの美しさが全く捕えられていない最悪の録音(小島幸雄)のせいだけであればいいのですが。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-01-16 21:06 | フルート | Comments(0)
DEVIENNE/Flute Concertos Nos. 1-4
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Patrick Gallois(Fl)
Swedish Chamber Orchestra
NAXOS/8.573230




フルーティストのパトリック・ガロワは、フィンランドの室内オーケストラ「シンフォニア・フィンランディア・ユヴァスキュラ」の指揮者(音楽監督)としても活躍していました。もちろん、彼がこのオケとフルート協奏曲を演奏する時には、自らフルートを吹きながら指揮をしていたのですね。ところが、今回ドヴィエンヌのフルート協奏曲の全集の録音が進められているというニュースを聞いて、その第1巻となるこのCDを購入してみたら、そこではなぜかオーケストラは「ユヴァスキュラ」ではなく、「スウェーデン室内管弦楽団」になっていましたよ。いったい何が起こったのかと思ってライナーを読んでみると、どうやらガロワは音楽監督をクビにな・・・いや、退任したようですね。でもなあ、その部分を読んでみると、ちょっと不思議なことになっているんですよね。

なんと、ガロワは「2102」まで音楽監督を務めたことになっていますよ。まだ辞めてないじゃん。
フルートにおけるフレンチ・スクールの祖師とも言われているフランソワ・ドヴィエンヌは、多くのフルート協奏曲を作っています。ドヴィエンヌの楽譜の出版譜はかなりいい加減なようですが、ここではNaxosではおなじみのアラン・バッドリーの校訂による楽譜が用意されているようですから、そのあたりはきちんとリサーチが行われているのでしょう。たとえば、「第2番」を、手元にあるランパル校訂の大昔のIMC版と比べてみるとかなりの部分で違いが見つかりますからね。ただ、バッドリーが書いたライナーによるとフルート協奏曲の総数は13曲なのですが、ガロワは「12曲」の全集を録音しているところなのだそうです。
これを録音するにあたってのガロワの「心構え」のようなものを、同じライナーで読むことが出来ます。それによると、彼は今までのフルート界でのドヴィエンヌに対するアプローチはちょっと違っているのではないか、と言ってます。そこで彼は、まっさらな状態からこの作曲家に向き合い、今までとは一味違ったドヴィエンヌ像を描き出すことに務めたのだそうです。要は、「帯コピー」でも使われている「フランスのモーツァルト」という先入観をまずは取っ払って頂こう、ということなのでしょう。なんたって、彼自身はまさに「フランス人」だったのですから、後のフランスの作曲家(プーランク、ミヨー、イベールを挙げています)との類似性までをも考慮しなければいけないという、グローバルな視点ですね。
そして、やはり重要なのは時代様式へのアプローチでしょうか。彼のフルートは限りなくその時代を反映した音色に似せられているようで、時には「フィンガー・ビブラート」のようなものまで織り込んで、聴くものを驚かせてくれます。そして、なによりも装飾的なフレーズの見事なことには舌を巻くしかありません。このあたりが、「フランス人」であるガロワ自身のバランスの表れなのでしょう。
ここで演奏されている「1番」から「4番」までの4曲の協奏曲の中では、「2番」が最も有名なものでしょう。ここでのアクセントは真ん中の短調で作られた「アダージョ」楽章かもしれません。これはその前に作られた「1番」と同じコンセプトで、両端が長調の楽章に挟まれた中で、メランコリックな情緒を目いっぱい披露してくれています。
これが、次の「3番」と「4番」になると、その楽章は短調に変わることはなくタイトルも「ロマンス」となってもっと瀟洒な音楽に仕上がります。ただ、そのモティーフが、「3番」は「後宮」のベルモントのアリア、「4番」はニ長調のフルート協奏曲(あるいはハ長調のオーボエ協奏曲)のロンドという、いずれもモーツァルトの作品に酷似しているのはなぜでしょう。やっぱり、彼の本質は「フランスのモーツァルト」だったのかもしれませんね。たかが「帯コピー」だからって、侮ってはいけません。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-01-10 22:18 | フルート | Comments(0)
PLEYEL/Flute Quartets
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Pál Németh(Fl)
Piroska Vitárius(Vn)
Gergely Balázs(Va)
Dénes Karasszon(Vc)
HUNGAROTON/HCD 32727




1757年に生まれたイニャス・プレイエルは、モーツァルトとは1歳しか年の違わない、いわば「弟分」にあたりにゃす。とは言っても実際に師弟関係にあったわけではありませんが、お互いに同時代の作曲家として注目し合っていたことは間違いありません。プレイエルはモーツァルトのピアノ・ソナタやヴァイオリン・ソナタを弦楽四重奏に編曲して出版していますし、モーツァルトが父に送った手紙の中でプレイエルのことを褒めているくだりは有名です。その1784年の手紙では、「最近、プレイエルとかいうハイドンの弟子の弦楽四重奏曲が出版されましたが、もしまだご存知なければ、ぜひ入手することをお勧めします。ちょっと苦労するかもしれませんが、それだけの価値はありますよ。それは、とてもよく書けていて、心地よい音楽です」と、なかなか同業者を褒めることのないモーツァルトにしては異例の持ち上げようです。
プレイエルの作品については、1977年に出版された、リタ・ベントンという人が作った作品目録によって付けられた作品番号が、最近では広く使われています。普通は「Ben」という略語であらわされます。これは、ケッヒェルのような年代順の通し番号ではなく、ジャンル別につけられたもので、スタートは101番ですが、別のジャンルに移る時には途中を飛ばして次の10番台になるという形を取っています。つまり、101番からの「単一楽器のための協奏曲」は8曲しかないので、次の「協奏交響曲」は111番から始まる、という具合です。おそらく、新しい作品が発見されても間に入れられるようにとの配慮なのでしょう。
モーツァルトが褒めた「弦楽四重奏曲」は、301番から始まって、370番まで続きます。そのあと、381番からは、その他の楽器による「四重奏曲」が始まります。今回のCDでは「フルート四重奏曲」が6曲演奏されていますから、その中の曲なのでは、と思ってしまいますが、そのベントン番号は319番から324番まででした。つまり、もともとは1786年頃に作られた弦楽四重奏曲だったものを、フルート四重奏曲に作り直したものなのですね。
当時はなんと言ってもアマチュアの市民が家庭やサロンで演奏するという需要が多かったでしょうから、同じパートをヴァイオリンでもフルートでも演奏できるような配慮は欠かせなかったのでしょう。先ほどの「四重奏曲」の中には「フルートまたはヴァイオリン」というパート指定のものも見られます。ただ、この曲の場合は、一応弦楽四重奏のために作られていますから、重音を単音にしたり、フルートでは出ない音域を1オクターブ上げたり、伴奏にまわった部分ではセカンド・ヴァイオリンのパートと差し替えたりといった細かい手直しがあちこちに加えられています。
ここで演奏しているのは、指揮者としても幅広く活動しているフルーティストのパール・ネーメトを中心にしたハンガリーの音楽家たちです。ネーメトが使っているのは明らかにベーム・システムではない木管のマルチ・キーの楽器、ただ、ピッチはモダンのA=440Hzあたりになっています。おそらく、弦楽器もピリオドではないまでもガット弦あたりにはなっているのではないでしょうか、素朴なフルートの音色によく溶け合う響きが作られています。
全く初めて聴いた曲ばかりですが、その中にはまさにモーツァルトの時代の雰囲気が存分に漂っていて、とても懐かしい思いにさせられるものでした。いや、正直、モーツァルトそのもののフレーズなども耳をよぎり、この作曲家の作風があくまで時代の様式を超えていない穏健なスタイルであることがうかがえます。ただ、展開部でいきなり短調に変わるといったような、それなりの「個性」もなくはありません。
ネーメトのフルートは、そんな様式を、ピッチのあいまいさまで含めて再現しているようでした。和みます。

CD Artwork © Fotexnet Kft.
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by jurassic_oyaji | 2015-01-04 20:00 | フルート | Comments(0)
HAYDN/The Sonatas for Flute and Piano
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Nicola Guidetti(Fl)
Massimiliano Damerini(Pf)
DYNAMIC/CDS 7698




「ハイドンのフルート・ソナタは、ありまぁす!」と記者会見で明言した人がいるように、確かにそういうものは存在していますし、もちろん出版もされていますから、実際に演奏したことのある人だっているはずです。しかし、かつて「ハイドンのフルート協奏曲」と言われていたものが、実際はハイドンと同じ時代にウィーンで活躍していたレオポルド・ホフマンの作品だったというように、この頃の作曲家のクレジットに関してはかなりいい加減なところがあります。そもそも、当時は「著作権」などという概念はありませんでしたから、名の知れた作曲家の名前で他の作曲家の曲を出版するというのは日常茶飯事だったのです。あるいは、人気作曲家の曲を勝手に編曲して出版したところで、なんの罪に問われることもありませんでした。
そして、この「フルート・ソナタ」も、そんなたぐいの限りなく「贋作」に近い代物です。ただ、贋作者には贋作者なりのプライドがあったとみえて、ハイドンの「真作」を素材にする、というところで最低限のモラルは果たしたつもりにはなっているところが、かわいいというか、図太いというか。
その「贋作者」の名前はアウグスト・エバーハルト・ミュラー。ライプツィヒの聖トマス教会のカントールを務めたという立派な音楽家ですが、有名な音楽出版社、ブライトコプフ・ウント・ヘルテルの顧問としての「仕事」も数多く手がけていました。そのひとつが、この「ハイドンのフルート・ソナタ」と言われるものです。
ハイドンのウィーンでの晩年は、まさに「人気作曲家」で、弦楽四重奏曲の楽譜などはとてもよく売れたそうです。ですから、出版社としてはさらに「新作」でウハウハ儲けたいところなのですが、もはや作曲家は多作には耐えられないような健康状態だったために、なかなか思い通りの「原稿」は手に入りません。そこで、出版社は「顧問」の力を借りて、作曲家のすでに出版されていた弦楽四重奏曲の中から3曲を選んで、それをフルートとピアノのためのソナタに編曲した楽譜をでっちあげ、それを「ハイドン作曲」ということにして出版したのです。もちろん、その際には今まで付けてきた作品番号に続けて、「ハイドンの新作」としての作品番号を付けたことはいうまでもありません。それぞれの「元ネタ」は、1797年に出版したハ長調のソナタ「Op.87」は、1793年に出版されたOp.74-1(Hob.III:72)、1803年に出版した変ホ長調のソナタ「Op.90-1」とト長調のソナタ「OP.90-2」は、それぞれ1797年のOp.76-6(Hob.III:80)と1799年のOp.77-1(Hob.III:81)という弦楽四重奏曲です。
ミュラーの作った「フルート・ソナタ」は、元の弦楽四重奏曲をほぼ忠実にフルートとピアノに編曲したもので、それぞれの楽器がほど良く活躍するようになっている、なかなかの「職人技」が感じられるものです。ただ、その際にオリジナルの第3楽章のメヌエットをカットして、4楽章形式だったものを3楽章形式にしてあります。
そんないわくつきの作品の全曲をこのイタリアのレーベルに録音したのは、イタリア国内では確固たる名声を誇っているフルーティストのニコラ・グイデッティと、自身も作曲家で現代曲の初演なども手掛けているピアニストのマッシミリアーノ・ダメリーニです。このピアニストの名前を見ただけで、なんだか力が抜けてしまいますが、フルーティストのもはやピークは過ぎたテクニックと音楽性は、いかにもこのレーベルらしい薄っぺらな音と相まって、これらの「贋作」を聴くも無残な姿にさらけ出していました。
ちなみに先ほどのホーボーケン番号にも反映されている83番まである弦楽四重奏曲の番号は、もはや現在では偽作があったり作曲順ではなかったりと、正しい番号とは言えなくなっていますが、それがきちんと直された68番までの番号が広く使われるようになることは、まずあり得ないでしょう。だから、別に「贋作」だからと言って騒ぎ立てることもないんですよ。

CD Artwork © DYNAMIC S.r.l.
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by jurassic_oyaji | 2014-12-20 21:12 | フルート | Comments(0)
PROKOFIEV, HINDEMITH, LAUBER, MARTIN/Flute Sonatas
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Karl-Heinz Schütz(Fl)
赤堀絵里子(Pf)
CAMERATA/CMCD-99081




来年のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートはメータが指揮をするのだそうですが、さるレコード会社のFacebookを見ていたら「2015年ニューイヤー・コンサート・プログラム(指揮:メータ)」などというタイトルでNMLのプレイリストがリンクされていました。普通こういうタイトルだとメータがウィーン・フィルを「指揮」した今度のニューイヤー・コンサートの音源が聴けると思ってしまうじゃないですか。でもそこで聴ける音源は、全てNMLで提供されている別の録音ばかりでしたよ。当たり前の話ですね。でもここで、「指揮:ナータ」ぐらいのことをやってくれれば、笑って済ませられたのに。
そのニューイヤー・コンサートの中継の楽しみの一つが、管楽器のトップが誰なのか、というものではないでしょうか。例えばウィーン・フィルのフルートには現在はフルーリー、アウアー、シュッツという3人の首席奏者がいますが、それが毎年変わるので、それだけでオーケストラの音色まで変わってしまうのですよね。今度は、誰が「出番」なのでしょうか。
ここに書いた3人の順序は、ウィーン・フィルの公式サイトのメンバー表と同じで、おそらくこのポストの在任期間が長い順なのでしょう。ただ、これはあくまで私見ですが、今の時点では「腕」の順番はちょうどこの逆になっているような気がします。
そんな、今までのアンサンブルのCDを聴いた限りでは間違いなくウィーン・フィルの中では最高の演奏を聴かせてくれていたカール=ハインツ・シュッツのソロ・アルバムが登場しました。ただ、これは2011年と2012年に録音されたもので、おそらくシュッツ自身がプロデュースしてリリースしたCDの音源を日本のメーカーが買い取って、自社製品として再リリースしたものです。4人の作曲家の代表作が収められています。
まずは、プロコフィエフのソナタです。ヴァイオリン・ソナタとしても知られていますが、こちらの方がオリジナルです。第1楽章のテーマがずいぶんとおとなしい感じだったので、ちょっと意外だったのですが、しばらく聴いているとそれは意図的に抑えた表現であることが分かります。続く展開部になったとたん、フルートの音色がまるで変っていたのですよね。特に低音が、それまではほんのりとした柔らかい音だったものが、とても鋭角的でエネルギッシュなものに瞬時に変わってしまったのですよ。こんな見事な使い分けができる人なんて、なかなかいませんよ。しっとりとした第3楽章も素敵。特に三連符だけのフレーズでの低音のピアニシモなどは、この世のものとは思えないほどの美しさです。そして、その演奏は決して感情に溺れることはなく、冷静に自分自身を見つめてコントロールしているもう一人の自分の姿がはっきり感じられるという、とても次元の高いものなのですから、すごいです。
ヒンデミットのソナタも、これまで聴いてきた演奏で与えられた「なんてつまらない音楽なんだ」という印象を根本から覆すような鮮やかなものでした。
ところが、次のヨゼフ・ラウバーという初めて聴くスイスの作曲家のソナタになったら、音がガラリと変わっていました。アルバムの中でこれだけ2011年の録音で、会場もエンジニアも他の曲とは異なっているせいなのですが、これがあまりにもひどい音なのですよ。ピアノはまるでおもちゃみたいな安っぽい音ですし、フルートも妙にキンキンしていて、さっきまでの繊細さなどは全く伝わらない乱暴な音に録れていたのです。曲自体は後期ロマン派の音楽にフランス印象派の要素が少し加わっている、とても技巧的なものですから、これからはリサイタルなどでは需要が出てくるのではないでしょうか。
最後のマルタン(実は、ラウバーの弟子)の「バラード」も、多くの凡庸な演奏とは一線を画した、考え抜かれた表現と、それを音にできるスキルが融合した素晴らしいものでした。

CD Artwork © Camerata Tokyo, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2014-12-18 20:41 | フルート | Comments(0)
TRE VOCI/Works by Takemitsu, Debussy, Gbaidulina
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Kim Kashkashian(Va)
Sivan Magen(Hp)
Marina Piccinini(Fl)
ECM/481 0880




いかにもECMらしい、「3つの声」という謎めいたタイトルのアルバムです。もちろんこれは、ここで演奏されている作品がすべてヴィオラ、ハープ、フルートという3つの「声部」で出来ているものだ、という意味なのでしょう。さらにもう少し勘ぐれば、そのような作品が「3つ」集まった、という意味も含まれるのでしょうね。
この中で最も先に出来ていたのが、1915年に作られたドビュッシーの「ソナタ」です。古典的な「三重奏」とは全く無縁の、なんともユニークな楽器編成は、まさに「印象派」ならではの音色を醸し出すものでした。そして、1980年に、この編成を受け継いで作られたのが、グバイドゥーリナの「喜びと悲しみの庭」です。もちろん、ここではドビュッシーの作品と同じ編成ではあっても、彼女の目指すところとはかなりの隔たりがありました。そして、1992年になって武満徹が作ったのが、まるでドビュッシーの作品の精神をストレートに受け継いだかのような「そして、それが風であることを知った」です。実は、このアルバムを手にしたときには、武満の方がグバイドゥーリナより先に作っていたような気がしていたのですが、正確に作曲年代を調べてみたらこんなことになっていたことが分かったということです。このように、時間軸と継承の度合いが必ずしもパラレルではないというのは、「現代音楽」の流れが常に同じ向きではありえないことをよく物語っています。ある時から、「現代音楽」はやみくもに「進歩」することをやめ、決して悪い意味ではない「退行」への道を歩み出していたのかもしれません。
ここで最初に演奏されている武満の作品は、まさにそのドビュッシーからの「継承」をストレートに感じられるものでした。まず、フルートが何と伸び伸びと歌っていることでしょう。このマリーナ・ピッチニーニという人は初めて聴きましたが、イタリア人とブラジル人を父母に持つという彼女の音楽は、あくまで伸びやかですし、ベイカーやバックストレッサーに師事したという経歴を裏切らないテクニックの冴えも見事です。実は彼女はニコレにも師事しているということですが、そのニコレによって1993年に初めて録音されたPHILIPS盤と聴き比べてみると、そのテイストの違いは明確に分かります。ニコレたちの演奏は、まるで「現代音楽がこんなに楽しいものであっていいのか」とでも言わんばかりのストイシズムに支配されているようです。その結果、なんの呪縛も感じない中での今回の演奏は、かつては13分弱の長さだったものが2分以上も長くなっています。
「御本家」ドビュッシーの「ソナタ」こそは、そんな演奏家たちによって目いっぱい音楽の喜びに浸れるものでした。ここでは、ヴィオラのカシュカシアンはドビュッシーのフレーズにポルタメントまでかけて、なにか妖艶さのようなものまで漂わせてはいないでしょうか。もちろん、フルートはあらん限りのパッションをふりまいています。
ここではそのとっつきにくい語法で孤高の存在感を見せつけているグバイドゥーリナでさえも、この3人にかかればいとも魅力的な作品に変わります。冒頭で現れるのは、ハープによるチョーキングという超レアな奏法、これをイスラエルの俊英シヴァン・マゲンはそれこそギターのチョーキングのノリで楽しませてくれます。いっそフラジオレットだけやらされてフラストレーションがたまっているカシュカシアンも、最後の最後にメロディアスなカデンツァが与えられた時には、とても分かりやすく発散してくれていますし。この作品、ほとんどが楽器同士は独自に主張を展開するというシーンが多いのですが、唯一、終わり近くにホモフォニックなアンサンブルを見せるところがあります。そこでは、3人とも意地でもピッタリ合わせてやろうじゃないか、というような「気合」を見せたりするのですから、かわいいじゃないですか。

CD Artwork © ECM Records GmbH
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by jurassic_oyaji | 2014-11-22 20:40 | フルート | Comments(0)