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カテゴリ:ピアノ( 53 )
BACH/The Complete Keyboard Works
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Zuzana Růžičková(Cem)
Josef Suk(Vn)
Pierre Fournier(Vc)
Jean-Pierre Rampal(Fl)
ERATO/0190295930448




ズザナ・ルージッチコヴァーというチェコのチェンバロ奏者の名前を懐かしく思い浮かべられるのは、ある年代より上の人だけのはずです。1927年生まれでまだご存命ですが、今では演奏活動からは全く遠ざかっていますから、もはや完全に「過去の人」になっています。
とは言っても、現役で活躍していたころには、FMの音楽番組ではかなり頻繁にその名前を聞くことが出来ました。なんせ「ルージッチコヴァー」などという、一度聞いたら忘れられない(いや、正確には「一度聞いても覚えられない」)不思議な名前ですからね。ラジオで彼女の名前を告げるアナウンサー(たとえば後藤美代子さん)や音楽評論家(たとえば大木正興さん)の口調には、この難しい名前を流暢に発音できることに対するなにか自慢げなニュアンスが感じられましたね。
彼女がそのようなメディアで紹介され始めた頃は、チェンバロ奏者と言えばヘルムート・ヴァルヒャかカール・リヒターといった重厚な演奏家が人気を博していたようですが、そんな中にちょっと「傍系」といった感じで、彼女は紹介されていたのでは、というぼけっとした印象があります。
チェコのミュージシャンですから、やはり当時の国営レーベルだったSUPRAPHONEへの録音がメインだったのでしょうが、なぜかフランスのERATOレーベルのプロデューサー、ミシェル・ガルサンは、彼女を使ってバッハのチェンバロ作品の全集を作ることを考えました。そして、1965年から1973年にかけて録音が行われ、1975年から22枚(品番はERA 9030からERA 9051)のLPとしてリリースされました。手元には1975年に発行されたERATOのカタログがありますが、そこにはマリー=クレール・アランが最初に作ったLP24枚組のオルガン曲全集と並んで、このルージッチコヴァーのチェンバロ全集が大々的に紹介されています。当時としては、それほど画期的な偉業だったのですね。確か、同じような全集では、DG(ARCHIV)のカークパトリック、EMIのヴァルヒャに次ぐ3番目のものだったのではないでしょうか。

今回のCDボックスでは、その22枚が17枚のCDに収まっています。さらに、同じ時期にやはりERATOに録音したヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ(チェロで演奏)とヴァイオリン・ソナタの全曲、そして、トリプル・コンチェルトとブランデンブルク協奏曲第5番のアルバムも、3枚のCDになっていて、ちょうど20枚組のボックスとなっています。協奏曲に登場するフルーティストはランパル、彼はすでに1962年にロベール・ヴェイロン=ラクロワとのフルート・ソナタのアルバムを作っているので、ルージッチコヴァーとの共演はこれだけです。
彼女がこの録音を始めた頃は、世の中はモダン・チェンバロ一辺倒の時代でした。もちろん彼女も、ドイツのメーカー、アンマー、ノイペルト、そしてシュペアハーケという3種類の楽器を使っています。しかし、次第に訪れるヒストリカル・チェンバロの波にも敏感だった彼女は、このツィクルスのセッションの終わりごろ、1973年(資料によっては1972年)には「小さなプレリュード」(ERA 9049)と「組曲」(ERA 9050)のLP2枚分を、1754年と1761年に作られた2台のジャン=アンリ・エムシュの復元楽器を使って録音しています。
スリーブには録音年代と使用楽器が詳細に記載されていますから、モダンとヒストリカルの違いをはっきり確かめることが出来ます。最近ではほとんど聴くことのできないモダン・チェンバロの音はどういうものだったのか、これではっきり知ることが出来ることでしょう。こういう時代もあったのです。しかし、それに対してヒストリカル・チェンバロだとされている録音を聴いても、音色は確かに別物であるにもかかわらず、そのあまりにも非現実的な録音レベルの高さに驚かされます。モダンに慣れ親しんだエンジニアが、ヒストリカルの音を聴いて取った行動は、こういうものだったという、まさに「歴史的」な記録がここには残されているのです。

CD Artwork © Parlophone Records Limited
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by jurassic_oyaji | 2016-10-27 20:51 | ピアノ | Comments(0)
British Music for Harpsichord
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Christopher D. Lewis(Cem)
NAXOS/8.573668




こちらこちらで、チェンバロという楽器についての様々な問題を投げかけてくれたクリストファー・D・ルイスの、NAXOSへの3枚目のアルバムです。1枚目では「ヒストリカル」、2枚目では「モダン」の楽器を演奏していたルイスですが、ここではなんとその2種類の楽器を同じアルバムの中で弾き分けています。おそらく、今までにそんなことをやった人はほとんどいないのではないでしょうか。ということは「ヒストリカル・チェンバロ」で演奏されていた曲に続いて、「モダン・チェンバロ」で演奏された曲が弾かれているのですから、その違いはどんな人にでもはっきり分かるということです。なにしろ、この楽器は非常にデリケートですから、会場の響きやマイクのセットの仕方で音が全く違って聴こえてしまいます。その点、このアルバムでは、おそらく全く同じ条件でその2種類の楽器を聴き比べることができるはずですからね。
ここで使われている楽器は、「ヒストリカル」は1638年に作られたリュッカースのフレミッシュ・モデルのコピー、「モダン」は1930年代に作られたプレイエルです。さらに「おまけ」として、1曲だけヴァージナル(1604年に作られたリュッカースのミュゼラー)で演奏されたトラックも加わっています。
まずは、レノックス・バークリーの2つの作品がモダン・チェンバロで演奏されます。彼がチェンバロのための曲を作るきっかけとなったのが、オクスフォード大学時代に同室だったヴェレ・ピルキントンというおせち料理のような名前(それは「クリキントン」)の友人でした。彼はアマチュアの音楽家で、みずからチェンバロを弾いていましたから、彼のために何曲かのチェンバロ曲を作ったのです。「ピルキンソン氏のトイ」というのは、バロック時代のチェンバロ曲のタイトルとして使われた「トイ」をそのままタイトルにした、いかにもバロッキーな舞曲、「ヴェレのために」は、もう少しモダンなフランス風のテイストを持った作品です。これらが作られたのは1930年ごろ、まさに伝説の楽器チェンバロが、モダン・チェンバロという形をとって復活したころですね。バークリーはこの楽器にいにしえの時代を感じながら、「モダン」な曲を作ったのでしょう。その楽器の音は、まさに「新しい」、言ってみれば「文明的」な音がしていました。
それに続いて、ヒストリカル・チェンバロによるハーバート・ハウエルズの「ハウエルのクラヴィコード」という曲が聴こえてきた時には、誰しもが「これが同じチェンバロか?」と思うはずです。その繊細な音の立ち上がり、鄙びた音色、まさにこれこそが昔からあったチェンバロそのものの響きです。ただ、ちょっと気になるのが、マイクアレンジ、あるいは録音レベルの設定、まるで楽器の中に頭を突っ込んで聴いているようなあまりに近接的な音場です。ですから、これでも明らかにモダン・チェンバロとは異なる音であることはしっかり分かりますが、もっと適切な録音方法であったならば、その違いはさらに決定的なものになっていたことでしょう。
この作品は、20年以上にも渡って書き溜められた20曲から成る曲集ですが、ここではその中から13曲が抜粋されて演奏されています。それぞれには、まるでエルガーの「エニグマ変奏曲」のように作曲者の友人などの名前が実名(エルガーの場合は匿名)でタイトルになっています。サーストン・ダートとか、ジュリアン・ブリームといった、我々にもなじみのある名前も登場するのには親しみが感じられますが、作風はとても生真面目でとっつきにくい面がありますね。全体のタイトルにあるように、この曲集は本来クラヴィコードのために作られたものです。ですから、その雰囲気をと、最後のトラックでは1曲目だけヴァージナルで演奏されています。しかし、これもやはりマイクが近すぎるために、この楽器の本当の味が分からなくなっているのが残念です。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-08-23 23:14 | ピアノ | Comments(0)
20th Century Harpsichord Music
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Christopher D. Lewis(Cem)
NAXOS/8.573364




こちらで、20世紀のチェンバロのための協奏曲を演奏していた、ウェールズで生まれアメリカで活躍しているチェンバロ奏者のクリストファー・D・ルイスの、NAXOSへの2枚目のアルバムです。前回はオーケストラをバックにした演奏でしたが今回は彼だけによるソロ、さらに、大きく異なるのは使っている楽器です。前回の楽器は「ヒストリカル・チェンバロ」と呼ばれている、現在世界中でほぼ100%使われているバロック時代の楽器を復元したタイプのものでしたが、今回は「モダン・チェンバロ」が使われています。このアルバムに登場するプーランクやフランセが「チェンバロ」のための曲を作った時にはこの世には「モダン・チェンバロ」しかありませんでしたから、それは当たり前のことなのですが、今ではこの楽器自体が非常に貴重なものになっています。
ここでルイスが使っているのは、そんな「モダン・チェンバロ」の代表とも言える、プレイエルのランドフスカ・モデルです。おそらく、このジャケットの写真と同じものなのでしょう、2弾鍵盤ですがストップは16フィート、8フィート×2、4フィートという4種類、さらに、音色を変える「リュートストップ」やカプラーなども加わっているので、それを操作するには、足元にある7つのペダルが必要です。このペダルの中には、ピアノの右ペダルと同じ「ダンパー・ペダル」も含まれています。なんせ、ピアノに負けない音をチェンバロで出そうとして開発された楽器ですから、ダンパーがないと音を切ることが出来ないほどの大きな音が出るのですね。
そんな楽器の音を、まずプーランクの「フランス組曲」で味わっていただきましょう。オリジナルはブラスバンドにチェンバロという編成ですが、それをチェンバロだけで演奏しています。バロック時代の宮廷舞曲をモデルにした7つの曲から成っていますが、ここでのストップの切り替えによる音色やテクスチャーの変化には驚かされます。そこに、朗々と響き渡る残響が加わるのですから、これはまさに「ピアノを超えた」新しい楽器という印象を与えるには十分なものがあります。
次の、これが世界初録音となるフランセの「クラヴサンのための2つの小品」になると、その音色に対するチャレンジには更なる驚きが待っています。1曲目の「Grave」という指示のある曲は、まるで葬送行進曲のような重々しい歩みで進んでいきますが、もっぱら使われるのが16フィートのストップを駆使した超低音です。それも、ヒストリカルでは絶対に出すことのできない分厚い音ですから、その「ビョン・ビョン」というお腹に響くビートは、例えば最近のダンスミュージックにも通じるものを感じさせます。クラヴサンによるクラブサウンドですね。
チェコの作曲家マルティヌーの作品も、ここには3曲収められています。その中で最も初期に作られた「クラヴサンのための2つの小品」では、やはり「モダン・チェンバロ」ならではの鋭い打鍵を駆使した音楽が聴かれます。
もう一人、「6人組」のメンバーの中では最も知名度の低いルイ・デュレが、様々な2つの楽器のために作った「10のインヴェンション」をピアノソロに編曲したものをが、チェンバロで演奏されています。タイトル通りのバッハを意識したポリフォニックな2声の曲ですが、中には半音階を駆使した無調を思わせるようなものも有り、それが妙にこの楽器とマッチしています。
かつて、「モダン・チェンバロ」が「ヒストリカル・チェンバロ」の代わりを務めることが出来なかったように、「ヒストリカル」では「モダン」のために作られた曲を演奏することはできません。これは全く別の楽器として共存すべきものなのに、今では「モダン」はすっかり衰退してしまい、絶滅の一歩手前です。こんなCDを聴くにつけ、このまま博物館の中でしか見られない楽器になってしまうのは、あまりにもったいないような気がします。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-11-29 19:58 | ピアノ | Comments(0)
Music in Life
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Umi Garrett(Pf)
NAXOS/NYCC-10004




「8歳でオーケストラと共演」とか、「9歳でアルバムをリリース」といった騒がれ方をされているまさに「天才少女」、ウミ・ギャレットが、「12歳」の時に録音したセカンド・アルバムです。もともとは2013年に録音されて、アメリカのインディーズ・レーベルからリリースされたものですが、それが2年も経ってからナクソス・ジャパンからリリースされた時には、彼女はもう「14歳」になっていましたね。ちょっと「天才少女」として売り出すには、微妙な年齢です。

このアルバムのジャケットは、インディーズ時代のデザイン(↑)がそのまま使われています。ただ、その時にはあった作曲家の文字が、今回はなくなっていました。ショパンから始まってベートーヴェン、ドビュッシー、ガーシュウィン、モーツァルト、そして最後にもう一度ショパンで締めくくるというラインナップです。ここには、おそらく今回のリリースに合わせて書かれたであろう、アーティスト自身のライナーノーツを読むことが出来ます。ここで演奏している曲への思いとともに、2013年に来日した際に訪れた東日本大震災の被災地のことなどが、そこには語られています。
彼女はアメリカ在住のピアニストですが、写真を見ればわかるようにアジア系の顔立ち、もしかしたら岩手県民なのかもしれませんが(それは、「ウニ・ギャレット」)、そのあたりのことはプロフィールでは全く触れられていません。でも、確実に日本人にとっては親近感のわくルックスであることは間違いありません。
こういう「天才」の演奏を聴くときには、その人が将来どんなピアニストになるのかということを考えないわけにはいきません。単に「若い」というだけでもてはやされて終わってしまうのか、真の巨匠へと成長するのか、というのをこの「原石」から予想するのは、とても楽しみなことです。
正直、最初にとても豊かな残響の伴った音でショパンのエチュードが聴こえてきたときには、なにか真綿にくるまれたようなふわふわとした印象を受けてしまいました。その「黒鍵」というニックネームの付いた曲は、刺激的なところが全くない、つるつるしたものだったのです。続くノクターンも、あまりにあっさり演奏されているので、そこからはショパン特有の「いやらしさ」がほとんど感じられません。
次のベートーヴェンの「月光ソナタ」でも、やはり薄味の印象は免れません。そつなくまとめてはいるのだけれど、そこから一歩踏み込んだ表現がほとんど見られないようなのですね。例えば最後の激しい楽章で、最初のテーマが終わって次のちょっとイメージが変わる優美なテーマに移るときに、彼女は何もしていないように感じられてしまうのですよ。聴いているものにとっては、これだけ楽想が変わるシーンなので、それがはっきり分かるような方向付けが欲しいところなのに、そのまんまの状態で連れて行かれるような、とてもちぐはぐな感じを受けてしまいます。そのあとで聴こえてきてほしいトリルも、ほかの声部とのバランスのとらえ方の違いでしょうか、ほとんど聴こえなくなっていたので、別な楽譜を使っているのでは、と思ってしまったほどです。
そのあとに、唐突にドビュッシーの「月の光」が演奏されています。まあ、そういう「名曲集」なのでしょうから別にいいのですが、それが「ドビュッシー」である必然性が感じられない、ほとんどベートーヴェンの流れの中の音楽だったのには、ちょっと失望させられます。メロディラインだけが聴こえてきて、ハーモニー感がとても稀薄なんですよね。次のガーシュウィンの「前奏曲」も、ブルースっぽい感じは皆無ですし。
ただ、最後に演奏されているもう1曲のショパン、「スケルツォ第1番」は、今までのものとはちょっと別格、そこからは確実に迷いのない彼女自身の音楽が聴こえてきました。これが彼女のポテンシャルだとしたら、いいピアニストに育つかもしれませんね。

CD Artwork © Naxos Japan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-08-08 21:19 | ピアノ | Comments(0)
GRIEG, EVJU/Piano Concertos
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Cars Petersson(Pf)
Kerry Stratton/
Prague Radio Symphony Orchestra
GRAND PIANO/GP689




このレーベルのジャケットは、なんだか意味不明のものが多いような気がしますが、これは全くの例外、このアルバムの作曲家の似顔絵という、意表をつくものでした。手前の髭の人は誰でも知っているノルウェーの大作曲家エドヴァルト・グリーグ、その後ろは、おそらく誰も知らないヘルゲ・エヴユという、やはりノルウェーの作曲家です。グリーグは1843年生まれですが、このエヴユさんはそのほぼ100年後、1942年に生まれています。
実は、このアルバムでは、もう一人の作曲家が登場しています。それは、1882年にオーストラリアに生まれたピアニスト/作曲家のパーシー・グレインジャーです。グレインジャーとグリーグとは1906年にロンドンで会った時からすっかり「いい友達」になり、グリーグの指揮、グレインジャーのピアノで、グリーグのピアノ協奏曲を引っさげてコンサート・ツアーを行う計画を立てたのだそうです。しかし、翌年にはグリーグは没してしまい、それは実現されませんでした。ただ、そこで残されたのが、グレインジャーが校訂を行ったピアノ協奏曲の楽譜です。そこには、若いころに作った出世作であるこの作品に、晩年のグリーグがその時点での思いを込めたものになっていたと言われています。
日本語の「帯」には、「オーケストレーションやリズム処理など、至る所に斬新さが感じ取れる」とあったので、スコアを見ながら聴いてみたのですが、特段そのようなところはありませんでした。もしかしたら、見逃したのかもしれませんが、全体的な印象でも特に「斬新」とは思えませんでしたし。ただ、演奏自体は非常にキビキビした、余分な情感を廃したようなものだったので、そのような指示が楽譜に加えられていたのかもしれません。確かに、カデンツァなどでは、演奏家に任せてちょっとだれてしまうようなところがきっちりとしたリズムで書き直されているのでは、と思われるようなところがあったような気はします。
それだけではない、2つ目のサプライズが、このアルバムには込められています。お待たせしました。やっとさっきのエヴユさんの登場です。グリーグは、生前に2つ目のピアノ協奏曲の構想を練っていたそうで、そのためのスケッチの断片や、大まかな楽章構成などを書いたものが残されています。それに関しては、こちらをご覧ください。そこで取り上げた、1996年にリリースされたCDでは、最後のトラックにこの「断片」が収録されていました。それと全く同じものが、今回のCDにも収められていますが、エヴユさんは、この断片を元に、きちんとしたフルサイズのピアノ協奏曲を作ってしまったのだそうです。その「ヘルゲ・エヴユ作曲:グリーグの断片によるピアノ協奏曲ロ短調」という作品は、ですから幻の「グリーグ作曲:ピアノ協奏曲第2番ロ短調」を、グリーグが残したわずかな断片から、その全体像を修復したものなのかもしれません。なんだか興奮しますね。
しかし、実際に聴いてみると、これはやはり「グリーグ作曲」と明示しなかったのがまさに正解だった、と言わざるを得ないようながっかりさせられるものでした。この曲は全部で5つの楽章で出来ていて、モデラート・トランクィロ-スケルツォ-アダージョと来た後にカデンツァが第4楽章とされ、そのあとにフィナーレが置かれるという構成です。しかし、さっきのグリーグ自身のスケッチは、このカデンツァのなかにそのまんまの形で「断片的」に出てくるだけで、他の部分でそのテーマが展開されているという形跡は見られません。かろうじて、カデンツァの最後を飾る3番目の断片のタランテラ風のリズムがフィナーレに受け継がれている、というだけのようですね。それだけでは、ちょっと足らんてら
ですから、これは「グリーグ」という名前を外しさえすれば、なんかとても盛り上がる作品として愛されることもあるのではないでしょうか。エンディングなどはチャイコフスキーそっくりですし。
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by jurassic_oyaji | 2015-08-02 20:11 | ピアノ | Comments(0)
HOFMANN/Piano Works
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Artem Yasynskyy(Pf)
GRAND PIANO/GP675




アルテョム・ヤスィンスキイさんは、1988年にウクライナで生まれた若いピアニストです。これまでに多くの国際コンクールで入賞された経歴を持っていますが、2013年に開催された第5回仙台国際音楽コンクールのピアノ部門で第3位に入賞されたという点で、仙台市民にはおなじみの方です。このコンクールでは、上位入賞者に対して演奏の場を提供するというアフターケアを行っていますが、その中にはアマチュアのオーケストラとの共演という素晴らしいプロジェクトも含まれています。世界的なレベルにあるピアニストやヴァイオリニストとの共演を、ギャラや滞在費をすべて負担してくれた上で実現してくれるのですから、これはアマチュア・オーケストラにとってはとっても得難い機会となります。
そのプロジェクトの一環として、ヤスィンスキイさんは2014年10月に、仙台ニューフィルハーモニー管弦楽団との共演のために来仙しました。本番の1週間前にオーケストラとのリハーサルを行ったほかに、市内の小学校を巡ってミニ・リサイタルを行うなど、精力的に演奏を披露しています。小学校の校歌をヤスィンスキイさんの伴奏で生徒全員が歌う、といったようなサービスもあったそうですね。
仙台ニューフィルと演奏したのは、ラフマニノフの「パガニーニの主題によるラプソディ」でした。この難曲を、彼は軽々と弾ききっていましたね。その模様は、こちらで見ることが出来ます。オーケストラがそのグルーヴにちょっとついていけてなくて足を引っ張っているところがありますが、彼のピアノの素晴らしさは伝わってくることでしょう。
この演奏の後に、アンコールとしてドビュッシーの「エチュード第11番」が演奏され、さらに盛大な拍手で呼び戻されてピアノに座ったヤスィンスキイさんは、お客さんに向かって、「20世紀の偉大なピアニストではあるが、誰もその作品を聴いたことが無いというヨゼフ・ホフマンの『マズルカ』を演奏します」と言って、「マズルカ Op.16-1」を弾きはじめました。実は、彼はこのコンサートの半年前に、ポーランドのスタジオでその「ホフマン」のピアノ曲をアルバム1枚分録音していたのです。それは、世界初録音を含む、とてもレアなアルバムとなりました。仙台で演奏されていた「マズルカ」は、おそらく日本初演だったはずです。
ポーランドのクラクフ(当時はオーストリア=ハンガリー帝国クラクフ大公国)の近郊に1876年に生まれたヨゼフ・カシミール・ホフマンは、まさに「神童」として、幼少のころからピアニストとして活躍していました。同時に彼は作曲にも天才ぶりを発揮し、なんと4歳の時に最初の作品「マズルカ」を作曲しているのです。そしてその6年後には、このアルバムにも入っているロ短調とニ短調の「マズルカ」を作曲しています。この楽譜は、もう1曲ニ長調の「マズルカ」とともに、当時彼が演奏していた他の作曲家の作品と一緒にまとめられてアメリカで出版されました。その表紙を飾っていたのは、ピーター・パンのような衣装の、かわいらしいホフマン少年のグラビアです。先ほどの作品番号のついた「マズルカ」は、それからさらに5年ほど経ってから作られています。
これらは、いずれも同郷のショパンの影響を色濃く受けた仕上がりになっています。さらに、1893年に出版された4楽章から成る「ソナタ」では、あちこちにシューマンのピアノ協奏曲のモティーフのようなものが顔を出しています。しかし、1903年に出版され、レオポルド・ゴドフスキーに献呈された「4つの性格的スケッチ Op.40」では、ほのかに印象派風の半音階なども見え隠れする、彼独自の個性を感じることが出来ます。
ヤスィンスキイさんは、一音たりともおろそかにしないテクニックと溢れるほどの歌心をもって、これらの作品に命を吹き込んでいます。

CD Artwork © HNH International Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2015-06-12 19:58 | ピアノ | Comments(0)
TCHAIKOVSKY/Piano Concerto No.1, PROKOFIEV/Piano Concerto No.2
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Kirill Gerstein(Pf)
James Gaffigan/
Deutsches Symphonie-Orchester Berlin
MYRIOS/MYR016(hybrid SACD)




以前、その音の良さに衝撃を受けたMYRIOSレーベルのゲルシュタインのアルバムの続編は、チャイコフスキーとプロコフィエフのピアノ協奏曲でした。今までこのレーベルからリリースされたアルバムはほとんどソロか室内楽、オーケストラが加わったとしても小編成のものでしたから、フル編成の大オーケストラの録音は、これが初めてのものとなります。シュテファン・コーエンがオーケストラを録るとどうなるのか、聴きものです。
今まではオリジナルはDSDで録音されたという表記があったのに、今回は「24/192」というスペックになっていました。やはり、オーケストラでは編集が必要なので、PCMで録音を行ったのでしょうか。
これは、さっきのソロ・アルバムと同じ、ベルリンのスタジオで録音されています。聴こえてきた音は、ソロの時と同じようなとても緻密なものでした。ただ、相対的にピアノの音像は小さくまとまって、全体の中の一つの楽器、という扱いです。オーケストラのソロ楽器も、それほど浮き上がって聴こえるようなことはなく、全体としてまとめられた音作りのようでした。
このアルバムの「目玉」は、チャイコフスキーで新しい楽譜が使われている、ということでしょう。その件については、ゲルシュタイン自身が詳細にライナーノーツで述べてくれています。それによると、チャイコフスキーがこの作品を完成させたのは1875年ですが(第1稿)、何度か演奏する中で音楽の形は全く変えずにピアノ・パートにだけ少し手を加えます。そして、この改訂が反映されたものが、1879年にユルゲンソンから出版された「第2稿」です。チャイコフスキー自身が関わった楽譜は、この2つの稿のみなのです。しかし、彼の死後、1894年以降に出版されたとされる「第3稿」には、かなり大きな改訂が加えられています。聴いてすぐ分かるのが冒頭のピアノソロが出てくるところ。

↑第2稿


↑第3稿


それまでの稿では2拍目と3拍目が「アルペジオ」だったものが、「第3稿」では「アコード」になっています。しかも、1拍目と3拍目はそれぞれ1オクターブ上下に移動しています。もう1ヵ所、第3楽章の108小節のあとの12小節がカットされています。ゲルシュタインは、このような「改竄」を行ったのは、アレクサンドル・ジローティだろうと言っています。ジローティはピアノ協奏曲第2番でも同じようなことをやっていましたね。しかし、この、必ずしもチャイコフスキーの意志が反映されたとは言えない「第3稿」は、「決定稿」として世界中で使われるようになってしまいました。
実は、今年2015年は、チャイコフスキーの生誕175周年であると同時にこのピアノ協奏曲の初演140周年でもあります。それに向けて、ロシアではチャイコフスキーの原典版の刊行が進められていますが、そこではチャイコフスキー自身が演奏で使い、多くの書き込みをした1879年版の出版譜が重要な資料として採用されています。この録音時にはまだそれは出版されてはいませんでしたが、それを特別に提供してもらって「世界で初めて」音にしたのが、このSACDなのです。
ただ、ずっと気になっていた第2楽章のフルート・ソロは、現行版のままでしたね。自筆稿ではしっかり訂正されているというのに。

このレーベルを販売しているのはナクソス・ジャパン、これには「帯」は付いていませんが、それに相当するものを公式サイトで見ることが出来ます。そこには「チャイコフスキーも1879年と1888年の2回に渡ってこの作品を改訂しています。現在広く演奏されているのは、実は1888年に改訂された最終稿であり、実はチャイコフスキーの最初の構想とは違うものなのです。」という「解説」が載っています。これは、ゲルシュタインのライナーとは全然事実関係が違っていますね。自社製品の最大の目玉も分からない人に解説を書かせるなんて、この会社は大切なことを忘れています。
それにしても、この文章のひどいこと。

SACD Artwork © Myrios Classics & Deutschlandradio Kultur
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by jurassic_oyaji | 2015-05-11 20:59 | ピアノ | Comments(0)
RAVEL, LASSER/Piano Concertos GERSHWIN/Rhapsody in Blue
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Simone Dinnerstein(Pf)
Kristjan Ja()rvi/
MDR Leipzig Radio Symphony Orchestra
SONY/88875032452




シモーヌ・ディナースタインというアメリカのピアニストは、写真で見る限りほとんど「アイドル」という感じがしていました。しかし、実際は1972年9月の生まれといいますから、もう40を超えた「おばさん」だったのですね。調べてみるものです。もちろんご結婚もされていて、お子さんもいらっしゃるようです。とてもそうは見えませんね。このジャケット写真でベルボトムのジーンズの裾をなびかせながら歩いている姿は、どう見ても20代のギャルですよ。
この写真は、ニューヨークの地下鉄のブロードウェイ・ラファイエット通り駅で撮影されたそうですが、上にある駅名表示板がひと工夫されています。「マルS」というのが、東京の地下鉄のように、路線ごとにアルファベット表示されているマークとシモーヌの頭文字をかけているのでしょう。でも、出来ることなら、もっと「本物」らしく見えるように「汚して」欲しかったものです。
その下の、いわばアルバムタイトルにあたる「Broadway~Lafayette」という駅名が、このアルバムのコンセプトも表しています。ブロードウェイと、ニューヨークの通りの名前にまでなっている、フランス人でありながらアメリカ独立戦争の英雄となったラファイエットの名前によって、アメリカとフランスの音楽の橋渡しをしようという意味が込められているのでしょう。そこで取り上げられたのが、ラヴェルのピアノ協奏曲とガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」、そして、フィリップ・ラッサ―というアメリカ人の父親とフランス人の母親を持つアメリカの現代作曲家(育ちは青森…それは「ラッセー」)のピアノ協奏曲(世界初録音)です。
2007年に、自ら制作したバッハの「ゴルトベルク変奏曲」がTELARCレーベルからリリースされ、それがビルボードのクラシック・チャートで1位を獲得するというまさに大ブレイクを果たしたディナースタインは、TELARCからは3枚、その後2010年にSONYに移籍して、さらに5枚のアルバムをリリースしました。これまでの彼女は、ソロか、デュエット、あるいは室内オーケストラとの共演だけで、フル・オーケストラを従えての録音というのはこれが初めてとなります。
そして、ラヴェル、ガーシュウィンというのも、彼女が録音するのは初めてのはずです。そのラヴェル、なんか、とても力が入っている演奏だな、という気がしたのは、まずはピアノの音がかなり目立って録音されていたせいだったのかもしれません。コンチェルトですからピアノが目立つのは当たり前かもしれませんが、この作品の場合、適度に「抜いた」ところがないと、なんだかフランスの音楽には聴こえてこないのですから不思議です。もしかしたら、それはアルバムのコンセプトを前面に出して、「アメリカ風ラヴェル」を演出したからだったのでしょうか。
ところが、ガーシュウィンの方も、今度は「アメリカ」があまり感じられません。いや、「アメリカ」というよりは「ジャズ」、でしょうか。これは、バックのオーケストラの資質なのかもしれませんが、冒頭のクラリネットソロからしていかにもどんくさいテイストで、肩に力が入りすぎているように思えてしまいます。オーケストラ全体も、低音があまりにも立派なものですから、まるでヨーロッパの「クラシック音楽」のように聴こえてしまうのは、明らかにこの曲にとってはマイナスにしか働かないはずです。ピアノ・ソロも、とても生真面目に弾いている感じ、そこからはヨーロッパ大陸のとりすましたピアニズムは聴こえても、ティン・パン・アレイの猥雑さは全く感じられません。
その間を取り持つというコンセプトで演奏されているラッサーの協奏曲には、バッハへの共感が込められているそうですが、その「コラールの引用」というのがいまいちピンと来ないので(コラールは短調なのに、モティーフは長調、とか)、何か肩透かしを食らったような気になってしまいます。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2015-02-27 20:57 | ピアノ | Comments(0)
ZOFORBIT/A Space Odyssey
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ZOFO(Eva-Maria Zimmermann, 中越啓介)
SONO LUMINUS/DSL-92178(BD-A)




なんか、いろんな文字がごちゃごちゃになっているジャケットですが、「ZOFO」というのが演奏家の名前です。「ゾフォ」とでも読むのでしょうが、もちろん團伊玖磨とは無関係(それは「ぞふぉさん」)。それに、惑星なんかの軌道を意味する「orbit」とを組み合わせて作った言葉が、アルバムタイトルになっています。これだけで8文字ですから、太陽系の「惑星」をすべて置き換えられるぞ、という悲しくなってしまうほどの陳腐なデザインですね(ご丁寧に、ちょっと外れた軌道に「冥王星」までが)。
その「ZOFO」という略語の正体も、いろいろ考えるのもばからしいほどのくだらないものでした。正解は「20-finger orchestra」ですって。「20」を「ZO」に置き換えるというのは、べリオの「Opus No. ZOO」からの影響でしょうかね。疲れることをやってくれたものです。
その名前にもあるように、これは「20本の指」、つまり4本の腕でピアノを弾くという、ピアノ連弾の形、スイス人のツィンマーマンと日本人の中越啓介という男女が2009年に結成したペアチームです。写真を見ると、別に美男美女というわけではないのに、何かファッショナブルなセンスが光っていて、ビジュアル的にもなかなかのものですし、もちろん演奏もそんな外観を裏切らない華やかな名人芸が光っています。
ジャケットでも分かる通り、このアルバムのメインは、ホルストの「惑星」です。ホルスト自身が作った楽譜としては「2台ピアノ版」→「オーケストラ版」→「ピアノ連弾版」という3つの形が知られていますが、ここではそれらをすべて参考にして新たにこの二人が編曲を行った「ZOFO版」が使われています。今まで2台ピアノ版も含めて多くのピアノ・デュオの演奏を聴いてきましたが、これはその中でも最高位に置かれる素晴らしいものに仕上がっています。変拍子、ヘミオレといった、この曲独特のリズム感に、目の覚めるような鮮やかなスキルで切り込んでくるところなどは、まさに現代ならではの「惑星」という爽快感があります。「木星」なども、有名な聖歌の部分をこともなげにあっさりと処理しているあたりが、とても潔くていい感じ。このテーマを演歌調でこってりと歌い上げている某シンガーのいやらしさが耳についていた人にとっては、これは格好の「口直し」になるのでは。
テンポもかなり速めなので、オーケストラ版とは全然イメージが変わって聴こえてきます。というより、100人のメンバーによるオーケストラでは絶対に出来るはずのない精密な表現が成し遂げられていることに、おそらくオーケストラの奏者などは嫉妬感を抱くことでしょう。もちろん、そこまで感じさせることのできるピアノ・デュオは、なかなかいません。
この「惑星」を挟む形で、エストニアのシサスクの「The Milky Way」と、アメリカのクラムの「Celestial Mechanics」という、同じ編成のやはり宇宙がらみの作品が演奏されています。ただ、編成は同じでも、ここで彼らが行っているのはピアノの弦に異物を挟んで音を変えるという「プリペア」という操作です。世代の異なるこの2人の作曲家の、それぞれの「プリペア」の妙を、楽しめますよ。若いシサスクは、あくまでサウンドとしての面白さの追求、ケージに近い世代のクラムは、そこにもっと別の世界を込めている、といった違いでしょうか。余談ですが、最近さる自称「現代音楽演奏家」が、このようにピアノに手を加えることを「プリペアドする」と言っているのをネットで見つけてしまいました。なんと恥ずかしい。
そして、最後にはやはりアメリカの若い世代のデイヴィッド・ラングの「Gravity」という、まさに宇宙ならではのタイトルの、下降スケールが「重力」をあらわしている穏やかなピースで、「宇宙の旅@キューブリック」の幕が下ろされます。
BD-AとCDが同梱されていますが、もちろんBD-Aで聴きました。そのディスプレイで録音スペックが間違って表記されていたのが、ちょっと目障りでしたね。

BD-A Artwork © Sono Luminus LLC
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by jurassic_oyaji | 2015-02-25 21:32 | ピアノ | Comments(0)
IMAGINARY PICTURES
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Kirill Gerstein(Pf)
MYRIOS/MYR013(hybrid SACD)




このMYRIOSというのは、2009年に創設されたというまだ出来立てほやほやのレーベルです。これを作ったのは当時35歳の若者、シュテファン・カーエン。

彼はエンジニアにしてプロデューサー、さらにはジャケットのデザインまで手掛けるという、まさにこのレーベルを一人で切り盛りしている人物です。同じようにすべて自分一人でやらなければ気が済まなかったのは、ノルウェーの「2L」レーベルの創設者、モーテン・リンドベリでしょうか。
2L同様、このレーベルが打ち出しているのが「よい録音」です。あちらは「DXD」という超ハイレゾのPCMが売り物ですが、こちらはもっぱらDSDにこだわっているようですね。ご存知のように、DSDというのは編集が簡単にはできないというフォーマットですから、なかなか最初からDSDで録音するエンジニアは少なく、まずPCMで録音、それを編集してからDSDにしたものが、普通はSACDのマスターになっています。ですから、最初からのDSDということは、編集することをあまり考えないで、ライブ感を大切にした録音を行うということにつながるのではないでしょうか。まあ、中にはDSDで録音したものを一旦PCMにして編集、再度DSDに戻す、というやり方をする人もいるかもしれませんが、それだったら最初からPCMで録ればいいのですからね。
最初の数アイテムはCDでのリリースでしたが、最近ではすべてSACDとなって、カーエンのこだわりはそのまま聴く者に伝わるようになっています。しかし、そんな、まさに「手作り」によるアルバムですから、5年目に入っても、品番で分かるように今回で13枚しか出ていません。このレーベルを扱っているのが、あのNAXOS。毎月何十枚と新譜を出している会社が、こんなゆったりとした歩みのレーベルの面倒を見ているというのも、なんか救われる思いです。
今回のアーティストは、このレーベルの常連、ロシア出身のピアニスト、キリル・ゲルシュタインです。なんか辛そうな名前ですね(それは「キリキリ、下痢したいん」)。いや、彼は1979年生まれの若手、かつてバークリー音楽院でジャズ・ピアニストを目指していたこともあるというユニークな経歴の持ち主です。今回は「想像上の絵画」というタイトルを掲げて、ムソルグスキーの「展覧会の絵」と、シューマンの「謝肉祭」を披露してくれています。いずれの曲も絵画的なイマジネーションが元になって作られている、ということなのでしょうか。
まずは、「展覧会」から。もう冒頭の単音から、この録音のすばらしさがはっきりと伝わってきます。細やかなタッチや、ペダルによる音色の変化が、まさに手に取るようにくっきりと聴こえてくるのですからね。それでいて、まわりの残響も過不足なく取り入れられていて、ほんのりとした存在感が味わえます。
この「プロムナード」でゲルシュタインがおそらく意識して取り入れているテンポ・ルバートは、この曲のオーケストラ版を聴きなれた人にとってはちょっとした違和感を誘うかもしれませんが、そもそもあのラヴェル版のようなきっちりとしたパルスの中で語られる音楽ではないのだ、ということが、ここからは分かるのではないでしょうか。これは、あくまでもロシア風の「歩き方」なのでしょう。もしかしたら、少しお酒が入っている人なのかもしれません。
そんなルバートの妙は、「テュイルリー」あたりではさらにいい味になってきます。細かい十六分音符のパッセージは、オーケストラではオーボエ奏者とフルート奏者がくそ真面目に書かれた通りのリズムで演奏しますが、ピアノではもっと自由に、「ちょこまかと動く子供」をリアルに表現できるはずです。リズム通りに走り回る子供なんていませんからね。そんな、久しぶりに聴くピアノ版の楽しさを、存分に味わいました。
それがシューマンになったら、ピアノの音色が全く別物のように変わってしまったのにはびっくりです。これも、カーエンのマジックなのでしょう。

SACD Artwork © Myrios Classics
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by jurassic_oyaji | 2014-07-23 20:54 | ピアノ | Comments(0)