おやぢの部屋2
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カテゴリ:ピアノ( 54 )
BRAHMS/Piano Concerto No.1
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Hardy Rittner(Pf)
Werner Ehrhardt/
l'arte del mondo
MDG/904 1699-6(hybrid SACD)




ブラームスの交響曲をピリオド楽器で演奏するという試みは、すでにかなり日常化しています。ノリントンやガーディナーの録音によって、モダン・オーケストラで演奏するのとはひと味違った、ちょっと無骨なブラームスの素顔のようなものを味わった方もいらっしゃることでしょう。しかし、なぜかピアノ協奏曲については、今までにピリオド楽器を使おうという人はいなかったようです。そんな、もうとっくに出ていたと思っていたブラームスのピアノ協奏曲第1番の、ピリオド楽器による世界初録音です。
この作品は、ブラームスがまだ20代だった頃に作られています。初演が1859年といいますから、その頃のピアノは当然現代のものとは全く異なったものでした。ここでは、1854年に作られたエラールのピアノが、修復されてそのまま使われています。もう、その音を聴くだけで、今のスタインウェイとは、同じ「ピアノ」と言っても全く別の楽器であることが分かるはずです。ただ、なぜフランス製のエラール?と思われるかもしれません。しかし、ブラームスは、場合によってはドイツやウィーンの楽器よりも、エラールを選択することもあったのだそうですね。
オーケストラは、ここで指揮をしている元コンチェルト・ケルンの指揮者/コンサートマスターのヴェルナー・エールハルトが2004年に設立したピリオド・オケ、「ラルテ・デル・モンド」です。スイーツみたいな名前ですが(それは、「プリン・アラ・モード」)、「世界の芸術」という意味のイタリア語、大きく出たものです。
この協奏曲のために用意された編成は、8人のファースト・ヴァイオリンから3人のコントラバスという、今日一般的に用いられている編成のほぼ半分のサイズです。そんな少ない弦楽器でブラームスの渋い音色が出せるのか、という疑問を抱きながら、まずこのライブ録音を聴いてみましょう。そうすれば、そんな疑問はそもそもなんの意味もなかったことに気づくはずです。まず最初に聴こえてきたオーケストラだけの長い序奏は、「渋さ」とは全く無縁の、いともストレートな力強さにあふれたものだったのですから。そう、これはまさにあごひげをたたえ丸々と太った肖像画のあのブラームスではない、もっと精悍な面持ちをたたえたイケメンの若きブラームスが作ったものであることがはっきり分かる演奏だったのです。
そんな、溌剌としたオーケストラの中にエラールのピアノが登場します。確かにそれは、スタインウェイのコンサートグランドを聴き慣れた耳にはなんとも奇異な印象を与えられるものでした。なんという素朴な音色とエンヴェロープなのでしょう。それと同時に、そこからは確かにブラームスの肉声のようなものが感じられたのです。20世紀以降の洗練された言葉ではなく、まさに19世紀半ばのセピア色の語り口、この頃のピアノには、まだ人と人とがお互いに相手の目を見ながら会話が出来るようなしゃべり方が残っていたのでしょうね。それに比べると、現代のピアノは、なんだか一方的に大勢に向かってがなりたてているような感じがしませんか?相手の意思に関係なく、自分の考えだけを声高に伝える、そんなツールになってしまってはいないでしょうか。
そんな、まるで相手のことを思いやるようなしゃべり方は、第2楽章ではさらにはっきり伝わってくるようになります。とても美しいフレーズは、決してこれ見よがしの華やかさを誇示することはなく、まるで「ありのままの私を知って」と言わんばかりの訴えかけで迫ります。虚飾にまみれた外見よりは、朴訥な誠実さの方が、時には美しく感じられることがあるものです。
フィナーレでは、中ほどでオーケストラに現れるフーガのいかにもな不器用さが、逆に親しみを感じられてしまいます。どこまでも純朴な田舎娘のようなブラームス、とても気に入りました。

SACD Artwork © Musikproduktion Dabringhaus und Grimm
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by jurassic_oyaji | 2011-12-01 20:59 | ピアノ | Comments(0)
Works for Pedal Piano
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Olivier Latry(Pedal Piano)
NAÏVE/V 5278




「ペダル・ピアノ」という楽器をご存じでしょうか。1位になった時にもらえるピアノじゃないですよ(それは「メダル・ピアノ」)。その名の通り、「足鍵盤(ペダル)」がついたピアノのことです。オルガンと同じように、右手と左手、そして足によってそれぞれ鍵盤を操作して音楽を奏でるという楽器ですね。バッハの時代あたりでも「ペダル・チェンバロ」とか「ペダル・クラヴィコード」という、やはりペダルを付け足した鍵盤楽器はあったそうです。さらに、モーツァルトの時代でも、ピアノのアクションを用いた同じような「ペダル付き」は存在していたそうなのです。ただ、これらの楽器は、あくまでオルガンの練習用としての用途がメインだったようですね。確かに、教会にしかない大きなオルガンはそうそう練習に使うわけにはいきませんから、その様な「代用品」は必要だったのでしょう。
しかし、19世紀の中頃に、この楽器を特定して作曲を行った作曲家が現れます。同時に、ピアノ制作者も、きちんとした楽器を製造するようになりました。しかし、そんな「ブーム」は長続きすることはなく、いつしかこの楽器は忘れ去られて博物館の棚の中に眠ってしまうことになります。そんなペダル・ピアノの一つ、1853年にエラールによって作られ、作曲家のアルカンが愛用したシリアル・ナンバーが24598という楽器が2009年に修復されて、この録音に使われました。
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ご覧のように、ペダル専用の弦が入ったユニットが取りつけられた楽器ですが、オルガンのペダルのように手鍵盤の1オクターブ下の音が出せるわけではなく、最低音は普通のピアノの最低音と同じです。そこから2オクターブ半の音域をカバーしています。
この楽器のための曲を、積極的に作ろうとした最初の人が、アレクサンドル・ピエール・フランソワ・ボエリという、フランスの作曲家です。全く聞いたことのない作曲家ですが、ここで演奏されている5曲の中では、「ファンタジーとフーガ」が、まさにこの楽器ならではの対位法の扱いで、新鮮な驚きを与えてくれます。ただ、その他の曲は、曲そのものが凡庸で、特に魅力は感じられません。
ブラームスの若いころの作品、ト短調の「プレリュードとフーガ」は、この作曲家のバッハへの思いがまざまざと感じられる、とてもロマン派とは思えないような曲です。というか、もはや殆どバッハのパクリにしか聴こえません。フーガの最後もピカルディ終止になってますし。ただ、そのフーガのテーマが、途中で「2音3連」になっているあたりが、いかにもブラームスらしい個性の表れでしょうか。
シューマンの「4つのスケッチ」という曲も、ペダル・ピアノのためのオリジナルの作品です。特にペダルを強調したという使い方ではなく、同時に広い音域を使うという、いわば「連弾」を一人でやっているようなメリットが感じられます。
この楽器の持ち主だったアルカンの曲は、もっとペダルの効果を派手に見せつけるものでした。カプラーのようなものが付いているのか、手鍵盤の左手の音域とのユニゾンが、とてつもない迫力で、まさにこの楽器のアイデンティティを主張しているものでした。
リストの2つの作品は、それぞれ対照的なアプローチで、この楽器の魅力を引き出しています。「システィナ礼拝堂の祈り」というしっとりとした曲では、この場所にゆかりのアレグリの「ミセレレ」がサンプリングされているそうなのですが、それは言われなければ分からないほどの使い方でした。もう1曲の引用、この場所でその曲を「聴音」してしまったというモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は、恥かしいほどそのまんまですが。そして、オルガン曲としてはさんざん聴いたことのある「B-A-C-Hによるプレリュードとフーガ」は、ピアノならではの激しいアタックで、決してオルガンでは表現できないような世界を見せてくれています。きっと、リストがラトリーに憑依して、この曲の本来の魅力を伝えてくれたのでしょう。

CD Artwork c Naïve
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by jurassic_oyaji | 2011-09-18 22:58 | ピアノ | Comments(0)
BRAHMS/Piano Concerto No.3
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Dejan Lazic(Pf)
Robert Spano/
Atlanta Symphony Orchestra
CHANNEL/CCS SA 29410(hybrid SACD)




ブラームスのピアノ協奏曲「第3番」ですって。確か、ブラームスのピアノ協奏曲というのは2曲しかなかったはず、とは言っても、別に新しく楽譜が発見されたとかいうわけではなく、これは有名な「ヴァイオリン協奏曲」を、ピアノ協奏曲に作り直したものなのですよ。たしか、ベートーヴェンも自らそのようなトランスクリプションを行っていましたね。しかし、これはブラームス自身ではなく、ごく最近、クロアチア生まれの若手ピアニスト、デヤン・ラツィック(代理店による表記)が、なんと完成まで5年の歳月をかけて作り上げたバージョンなのだそうです。そのラツィックくん自らのピアノ独奏によって、200910月にアメリカのアトランタで行われた「世界初演」の模様が、ここでは聴くことが出来るのです。当然のことながら、これが「世界初録音」ですね。そのような「初物」には弱いものですから、つい手が伸びてしまいました。
ここで、ラツィックくんがお手本にしたのが、さっきのベートーヴェンと、そしてバッハの「ピアノ協奏曲」なのだそうです。バッハの場合は元々作曲の際に特定の楽器にこだわっていたわけではありませんから、そもそもお手本にするのは問題のような気がします。ベートーヴェンの場合には、未だにピアノ版の持つ違和感には馴染めませんし。
とにかく、お手並み拝見、あれこれ考えずに聴いてみることにしましょうか。しかし、第1楽章でピアノ・ソロが登場するところで、すでにヴァイオリンの時とは全く別の世界が広がっていたのは、まさに予想通りのことでした。オーケストラの間をかいくぐってソリストが低音からのスケールを披露するという場面、ヴァイオリンが1本の時には堂々とした中にも、なにか孤高さを秘めたストイックなイメージがあったものが、分厚い和音で飾られたピアノでは、それがやたら華やかでけばけばしいものに変わっていたのです。当然、単旋律の楽器であるヴァイオリンをピアノに置き換える時には、それなりの「加工」が必要になってくるのですが、それはあくまでブラームスのピアニズムに合致したものでなければ、成功したとは言えません。この登場のシーンは、まるでラフマニノフかなんかのよう、ちょっと引いてしまいます。そして、この楽章の間中、ピアノからはまるでベートーヴェンのような語法が漂って来ているのですね。いや、それは「お手本」ではないだろう、と言いたくなるほどの勘違いです。
第2楽章では、ピアノよりもオーボエ・ソロに耳が行ってしまいます。それほどのピアノの存在感のなさ、それはヴァイオリンならではのリリシズムが決定的に欠けているせいなのかもしれません。ちなみに、ここでオーボエを吹いているアトランタ響の首席奏者は、きちんと「エリザベス・コッホ」とクレジットが与えられています。このラストネームを見て、あのローター・コッホの親族なのでは、と思ってしまいましたが、全くの赤の他人のようですね。候補ですらありません。いや、その元ベルリン・フィルのトップ奏者のような繊細な音色だったものですから、つい。
そして、第3楽章では、あのロンドのテーマがピアノによって演奏されると、なんとも不思議なテンポ感になってしまうことに気付かされます。あのフレーズは、ヴァイオリンでは軽快に聴こえますが、ピアノではあまりに遅すぎます。
ブラームスに限らず、後期ロマン派などと称されるこの時代の作曲家は、楽器の選択にはこだわりがあったはずです。例えば、彼のクラリネット・ソナタは、自身の編曲によるヴィオラ版ではかろうじて原曲のテイストを保てますが、それをフルートで演奏したりすると悲惨な結果が待っています。まして、表現パターンの全く異なるヴァイオリンからピアノへの変更などは、そもそも無理な話だったのでしょう。そうでなければ、130年以上も手を付けられなかったはずがありません。

SACD Artwork © Channel Classics Records bv
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by jurassic_oyaji | 2011-04-23 19:49 | ピアノ | Comments(0)
それは、懐かしい時の始まり。
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田原さえ(Pf)
MHK'S MUSIC/LLCM-1003



こういう、日本語のタイトル、いいですね。最近のCDのタイトルといったら、「Smile」だの「Tears」だのと、一見ファッショナブルでも中身は空っぽというわけの分からない英語もどきが氾濫していますから、こういうのを見ると何かほっとさせられる思いです。
アルバムのリーダー田原さんという方は、仙台市を中心に活躍されているピアニストですが、ピアノだけではなくチェンバロも演奏されるなど、多彩な方面での演奏を行っています。さすがに馬に乗ったりはしませんが(それは「ジンガロ」)。さらに、美術館のロビーで、バロックダンスとのコラボレーションを行うなど、ユニークな活動もなさっています。特にバッハの演奏には定評があり、ご自身でも「仙台バッハゼミナール」というものを主宰して、後進の指導にも尽力されています。
以前、最も尊敬に値する世界的なフルーティスト、ペーター・ルーカス・グラーフとの共演を聴いたことがありますが、この巨匠の作り出す堅牢な音楽を、しっかりと支えていたのは印象的でした。多少気紛れなところもある巨匠は、興が乗ると即興的な「仕掛け」を繰り出してくるのですが、そんなアド・リブにも的確に対応していたのを見るに付け、この方のアンサンブルに対する鋭いセンスを感じたものです。
最近でも、チェロや弦楽四重奏とのアンサンブルを聴く機会がありましたが、他のプレーヤーが伸び伸びと演奏できるような心配りが至るところで見られ、とても気持ちのよい一時を過ごすことが出来ました。
今回のCDは、田原さんにとっては初めてとなる、録音のためのセッションを設けて、制作されたものです。そのために用意された楽器とロケーションは、田原さんの思いがとことん反映されたものとなっています。まず、録音された場所は、仙台市から少し北に離れた町、黒川郡大和町にある「仙台ピアノ工房」というところの木造のドーム型をしたホールです。ここは、まるで天文台のような形をした十角形の建物、収容人員は60名ほどですが、木造ならではのとても暖かい響きを持っています。そして、楽器はそこの備え付けの、1960年に作られたというD型スタインウェイです。生まれてから半世紀も経った名器が、ホールの主である伊藤さんという調律師の手によって最良のコンディションに調整され、それをとてもナチュラルな響きのホールの中で演奏するという、何かとてもうらやましくなるような環境で録音されたものが、ここには収められています。
そんな良心的な心遣いは、1曲目のバッハの「プレリュードとフーガ嬰ヘ短調」(BWV883)で、まずはっきり聴き取ることが出来ます。それはまさに、タイトルにあるような「懐かしい」思いがこみ上げてくるようなものでした。それは、最近ありがちな鋭角的なバッハではなく、あくまで流れるような心地よさを持ったもの、そして、ピアノの音はなんともまろやかで、潤いに満ちています。そのまわりを囲む木製の空間がまるで眼前に広がるような、爽やかな空気感までも、確かに聴き取ることが出来ることでしょう。
次の、ショパンの「24のプレリュード」では、ショパンならではの技巧的なパッセージを誇示することはなく、もっぱらしっとりとした、ピアノによる「歌」を伝えているように感じられます。。そこからこみ上げてくる田原さんの息づかいは、まさに「懐かしさ」を誘うものでした。
最後は、曲自体がとても懐かしい、シューマンの「子供の情景」です。幼いころラジオから流れてきた、あるいは、たどたどしい指づかいで実際に弾いてみたかもしれないあのかわいらしい曲たちが、まるで包み込むような暖かい音色で聴こえてきた時、思わずウルウルしたとしても、何も恥ずかしがることはありませんよ。
リリースはプライベート・レーベルからですが、こちらこちらなどでも容易に入手できます。

CD Artwork © MHK'S MUSIC
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by jurassic_oyaji | 2010-12-13 22:24 | ピアノ | Comments(0)
RAVEL/Boléro, HONEGGER/Pacific 231, R.-KORSAKOV/Scheherazade
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Piano Duo Trenkner-Speidel
MDG/330 1616-2




エヴェリンデ・トレンクナーとゾントラウト・シュパイデルという、ドイツの女性二人によるピアノ・デュオのアルバムです。言ってみれば、ドイツ版ラベック姉妹のようなものでしょうか。ただ、あちらはいくつになっても美しいままなのに、こちらのお二人はかなり崩れた容姿、ビジュアル的な訴求はちょっと難しいお年頃です。
ですから、彼女たちはレパートリーである意味勝負に出ているのでしょう。もうすでにこのレーベルから出ているアルバムはかなりの数に上っていますが、それらは他ではなかなか聴くことのできない堅実、というかマニアックなもので占められています。なんたって、バッハの「ブランデンブルク協奏曲」や、いわゆる「管弦楽組曲」までもピアノ2台(あるいは4手)で弾こうというのですからね。さらに、マーラー(6番と7番、メンバーが一人別の人)やブルックナー(3番)の交響曲ですよ。すごすぎます。というか、こういう、いわば「試奏」のバージョンを、ふつうのコンサートで取り上げるという姿勢自体が、なんともユニークです。
今回取り上げているのも、リムスキー・コルサコフの「シェエラザード」とオネゲルの「パシフィック231」、そしてラヴェルの「ボレロ」という、すべてフル編成のオーケストラで演奏してこその曲ばかり、はたして、4本の腕だけによるピアノの演奏で、どこまで魅力を引き出せることでしょう。
実は、「シェエラザード」については、以前も同じ楽譜で演奏されたものを取り上げていました。その時には、演奏者のスキルが作曲者自身の編曲の能力を超えてしまっていることが如実に分かってしまうような印象を持ってしまったものでした。リムスキー・コルサコフのこの曲は、オーケストレーションを施されないことには、なんとも魅力に乏しいことに、その時には思い知らされたのです。しかも、彼はピアノの演奏ではそれほどのものを持ってはいませんでしたし。しかし、今回の二人は、そんなスカスカな楽譜から、なんとも言えない味を出しているではありませんか。正直、この人達は年も年ですしそれほどキレの良いテクニックや、精密なアンサンブル能力があるわけでもありません。その代わり、楽譜の裏側に込められた情感を表現することにかけては、まさに年の功、非常に長けたものがあるのでしょう。ここからは、とても懐の深い味わい深さが感じられるのです。さすがに、最後の楽章などは細かい音符で指がまわらなくなっていたりしますが、それでもなにかそこからはひたむきさが伝わってくるのですから、面白いものです。
オネゲルの「パシフィック231」は、1923年に作られた、オーケストラによって蒸気機関車の動きを模倣するという痛快な曲ですが、彼自身によって翌年作られたこのピアノ・デュオバージョンでは、「シェエラザード」とは逆に、オーケストラの色彩感が抜け落ちた分、作品自身の音楽的なしたたかさがより明確になっています。次々と飛び出してくる不思議な和声と旋法をもつ刺激的なフレーズの応酬は、オケ版を聴いているときにはほとんど感じられないものでした。しかも、彼女たちの演奏が持っているリズム的なユルさが、ここでは(おそらく意図したものではないのでしょうが)なんとも言えないポリリズムの雰囲気を生み出しているのです。これは、かなり強烈なインパクトとして迫ってくるものでした。
しかし、「ボレロ」では、そんな面白さなどは、見つけられるはずもありません。この単純なリズムと、陳腐なメロディの繰り返しだけで成り立っている音楽は、ピアノだけで演奏されるとまさに出来の悪いミニマル・ミュージックのような姿をもろにさらけ出すだけのものに成り下がってしまいます。なんとイジワルな。

CD Arwork © Musikproduktion Dabringhaus und Grimm
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by jurassic_oyaji | 2010-05-12 20:44 | ピアノ | Comments(0)
Shape of My Heart
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Katia Labéque
KML/KML 2119




「ラベック姉妹」という、文字通り2才違いの姉妹によるピアノ・デュオがデビューしたのは、もうかなり昔のことになります。難曲を軽々と演奏する高度なテクニックと、何よりもその美しすぎる容姿によって、たちまち人気者になってしまいましたね。最近はさすがに寄る年波には勝てず(姉のカティアは、確か今年還暦を迎えるはず)第一線からは退いたのかな、と思っていたら、どうしてどうして、なんとこんな彼女たちのレーベル「KML」(もちろん、カティァ&マリエル・ラベックの頭文字)を立ち上げて、今まで以上に精力的に活動していたではありませんか。なんだか懐かしくなってしまい、とりあえず、お姉さんのカティアがクラシック以外のジャンルのミュージシャンと行ったコラボレーションが集められているこのアルバムを買ってみました。
ジャケット写真を見ると、とても「還暦」とは思えない若々しさ、ちょっと驚いてしまいます。しかし、そんなことに驚いていてはいけません。このジャケットは両側に見開きになっていて、それを開くと、なんとカティアの全身のポートレートが現れるのです。ノーブラの上に羽織ったシャツのボタンは外され、その豊かな胸が露わに・・・かな、まあ、実際に見てみるのが一番、それは何も知らないで見たらピチピチギャルの写真集にあるようなショットなのですからね。
この姉妹、派手で積極的なカティアと、少しおしとやか風のマリエルという、一見対照的な性格のように言われていませんでした?私生活でも、マリエルの方は確か堅実にビシュコフあたりと結婚していたはずですが、カティアときたら一時ギタリストのジョン・マクラフリンと親密な関係にあったものの(「を並べて不倫」)、今はどうなってしまっているのでしょう。このアルバムで共同プロデュースを手がけているやはりギタリストのダヴィッド・シャルマンあたりが、最近のボーイフレンドなのでしょうか。まさかスティングでは。
そのスティングをはじめ、さまざまな人との共演が収録されているこのアルバム、やはり、最も期待していたのは、チック・コリアとかハービー・ハンコックといった偉大なピアニストとのデュオでした。この人たちとなら、かなりエキサイティングなセッションを繰り広げてくれるのではないか、と。しかし、聴いてみるとそれはなんとも生ぬるい、焦点のぼやけたものでしかありませんでした。そもそもこのアルバム全体を支配しているのが、いかにもゴージャスに迫ってくる「ユルさ」なのですね。それは、彼女のソロでサティの「グノシエンヌ」が演奏されたときに、なんともベタベタな甘ったるいテイストが産み出されていたあたりで気づくべきでした。しかも、このデュオでは、チックなりハービーがいったいどちらから聞こえてくるのかが表記されていないものですから(おそらく、右にいるのがカティアなのでしょうが)、この退屈さを作っているのがどちらの責任なのかが、良く分からないのですよね。ただ、もう一人のピアニスト、ゴンサロ・ルバルカバとの演奏では、「ベサメ・ムーチョ」をアグレッシブに解体してくれて、そこそこ満足は出来ましたが。
最悪だったのは、シャルマンくんとの「ビコーズ」。ご存じ、「アビー・ロード」B面2曲目の名曲のカバーですが、なにしろシャルマンくんのボーカルがヘタ、それにからむカティアのピアノも、変に難しいことをやっていて、オリジナルの味をぶっ壊しています。そして、シャルマンくんのオリジナル、「パープル・ダイアモンド」の陳腐なこと。
結局、アルバム中最も面白かったのは、カティアとパーカッション(?)とのユニット「カティア・ラベック・バンド」のインプロヴィゼーションでした。大昔に聴いた彼女たちとシルヴィオ・グァルダによるエキサイティングなバルトークの残渣を、そこからは確かに感じることが出来ましたよ。

CD Artwork © KML Sonic Invaders
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by jurassic_oyaji | 2010-03-16 23:07 | ピアノ | Comments(0)
The Piano at the Carnival
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Anthony Goldstone(Pf)
DIVINE ART/DDA 25076




バンクーバー・オリンピックでさまざまな「感動」に浸れる人は幸せです。先日の女子フィギュアスケートなども、全国津々浦々でそんなドラマに「感動」のコメントを寄せられた人は数知らず、美しいことです。
ご存じのように、金メダルの期待を一身に背負ったあの選手が選んだ曲は、ショート・プログラムではハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」からの「ワルツ」、フリーではラフマニノフの「鐘」でしたね。「ワルツ」はともかく、「鐘」と聞いて一瞬あの合唱曲かな、と思ってしまいましたが、聞こえてきたのは有名なピアノのための前奏曲(op.3-2)をオーケストラ用に編曲したものでしたね。「ワルツ」の場合はもともとオーケストラ曲ですから、これがオリジナル、と思いきや、別の意味での「編曲」があったのは笑えます。
今回のCDは、フツーの「編曲」、「ワルツ」だけではなく「仮面舞踏会」全5曲をアレクサンドル・ドルハニャンという人がピアノ・ソロの曲に直したものです。本来は色彩豊かなオーケストラが演奏する曲ですから、それをピアノ1台だけで演奏するのではさぞや物足りないだろうな、とは、誰しもが考えることでしょう。しかし、ここではまさにピアノならではの魅力が生まれていたのですから、面白いものです。
もちろん、ソロ・ヴァイオリンが切々と哀愁に満ちたメロディを奏でる「ノクターン」や、やはりトランペットがソロで朗々と歌い上げる「ロマンス」のように、その息の長い旋律をピアノだけで表現するのは、ちょっと辛いな、と感じられる曲はあります。しかし、「ワルツ」などは、オーケストラではたくさんの楽器でやや重々しく聞こえてしまうものが、ここではいとも軽やかなフットワークに変わっています。
そして圧巻は、最後の「ギャロップ」です。いともひょうきんな曲想、なんと、最初のテーマはすべての音が半音でぶつかるというケッタイなものなのですが、実はこれをオーケストラで演奏するのは意外と難しいのです。実際には、フルート、オーボエ、クラリネットの、それぞれ2番奏者が本来の旋律を吹いて、1番奏者のその半音上の調で同じ旋律を吹いています。つまり、6人の奏者が、この微妙な音程をまさにアクロバットのように操って演奏するのですから、ピッタリ揃えることなどまず不可能なのですよ。それが、ピアノだったらどうでしょう。もう、しゃくにさわるぐらい完璧に、その音符を音にしていますよ。それもいとも軽やかなテンポで。
さらに、終わり近くに出てくるクラリネットのカデンツァも、指がもつれるぐらいの苦労をして吹いているものが、なんともすんなりと弾けてしまうのですからとても勝ち目はありません。そう、このピアノ版「仮面舞踏会」は、まさにオーケストラの奏者をあざ笑うためにあるのでは、とさえ思えてくる、小憎らしい編曲と、そして演奏なのです。
ところが、同じくオーケストラ曲をピアノ独奏用に編曲したものでも、ドボルジャークの「謝肉祭」(編曲はパウル・クレンゲル)となると全く様相が変わってしまうのですからまたまた面白いものです。先ほどまでの軽やかさはどこへ行ってしまったのか、いかにもモタモタした演奏でオケの持つ疾走感などは全く感じられないものになってしまっています。これなどは、多くの声部をコントロール出来なくなっている編曲上の問題なのかもしれませんね。
その他には、おそらくこのアルバムのメインであるシューマンの「謝肉祭」などとともに、ピアニスティックな名人芸が堪能できるものが揃っています。中でもシドニー・スミスという、19世紀後半に活躍した人の「ヴェルディの「仮面舞踏会」による華麗な幻想曲」が、聴き応えのあるパラフレーズでした。イチゴのスイーツではありませんよ(それは「パルフェ・ア・ラ・フレーズ」)。

CD Artwork © Divine Art Ltd
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by jurassic_oyaji | 2010-03-06 23:57 | ピアノ | Comments(0)
MOZART/Piano Concertos Nos.23 & 24
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内田光子(Pf)/
The Cleveland Orchestra
DECCA/478 1524



ピアニストの名前のあとにスラッシュが入っているのは、ここでは内田さんがオーケストラの指揮もしているのだ、という意味です。いわゆる「弾き振り」という、納豆みたいな(それは「挽き割り」)演奏スタイルですね。以前モーツァルトのピアノ協奏曲を全曲録音したときには、ジェフリー・テイトに指揮を任せていましたから、それから20年程の年月を経て新たなアプローチを展開してくれているのでしょうか。
この録音は、クリーヴランド管弦楽団の本拠地、セヴェランス・ホールで行われています。おそらく、コンサートとリハーサルのテイクをつなぎ合わせた「ほぼライブ」の録音なのでしょう。ピアノの音がオフ気味で、オケの中にとけ込んでいます。ブックレットの写真を見ると、内田さんは客席に背中を向けてオケの木管セクションあたりを正面にした座り方、これは弾き振りの標準的な配置ですね。ただ、同じ写真ではピアノの左手にヴァイオリンとチェロが座っていますから、おそらく右手にはヴァイオリンとヴィオラが来て、ファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンが向かい合うという「対向型」の弦楽器配置になっているのでしょう。同じブックレットには、ウェルザー・メストが指揮台に立っている今のこのオケの集合写真が載っていますが、それは普通のファーストとセカンドがくっついている形ですから、この録音では内田さんの意向で対向型をとったのでしょうね。確かに、音を聴いてもセカンドが右側から聞こえてきます。
タイトルが上記のようになっていますから、当然イ長調の23番が先に演奏されているのだと思って最初から再生を始めたら、いきなりハ短調の暗い響きが聞こえてきたので一瞬何事かと思ってしまいました。なぜか、ジャケットの表示とは逆の順番で入っていたのですね。別にそんな気はなかったのでしょうが、何かびっくりさせられる思いです。
そんなある種の驚きは、そのハ短調の協奏曲のオケの導入の部分でも味わうことが出来ます。ここで、内田さんはなんと雄弁にオケに語らせていることでしょう。彼女は多少遅めのテンポ設定をとった上で、それは細かい表情を引き出そうとしています。短調ならではの、ちょっと濃すぎるほどの味付け、こちらの曲を頭に持ってきたのは、そんな、より思いの丈を込めた演奏を、まず聴いて欲しかったからだったのかもしれませんね。
第2楽章は明るい変ホ長調、しかし、ねっとり感は変わりません。ここではピアノが休んでいる間の木管楽器によるアンサンブルを存分に楽しむことにしましょうか。モーツァルトにしては珍しい、4種類の木管楽器が、さまざまの組み合わせで醸し出すゴージャスなサウンドは、シンフォニー・オーケストラの木管セクションならではの魅力です。
これが第3楽章になると、その粘り具合はさらに増します(やっぱり納豆だ)。停滞するギリギリの、いや、正直これではあまりにも遅すぎてフレーズが細切れになってしまっていると感じられなくもないテンポで、曲は重苦しく進みます。と、突然平行調の長調に転調して現れる木管のアンサンブルが、なんとも言えない開放感を与えてくれます。そして、その後がまたサプライズ。ここで内田さんは、バックの弦楽器を(おそらく)1本ずつにしてしまったのです。ピアノと5つの弦楽器だけの「ピアノ六重奏」、その透明なアンサンブルは、なんとも言えない爽やかさを放っていました。
イ長調の協奏曲も、アプローチは基本的に同じ、隅々までに内田さんのこだわりが反映された重厚なものでした。
でも、朝ご飯は塩鮭と焼き海苔があれば充分、その上に納豆なんてとても、という人には、ちょっと辛いかもしれませんね。

CD Artwork © Decca Music Group Limited
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by jurassic_oyaji | 2009-09-02 20:52 | ピアノ | Comments(0)
ANDERSON/25 Great Melodies as Originally Composed for Piano Solo
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白石光隆(Pf)
TAMAYURA/KKCC 3024



昨年はルロイ・アンダーソンの「100周年」、NAXOSあたりは全集をリリースしてボロイ儲けがあったことでしょう。今年になってもその余波はまだ続いていて、こんな「珍盤」の登場です。これは、アンダーソン自身が、数々の名曲をピアノ独奏用に「作曲」した25曲をすべて録音したものです。このCDと同じタイトルの楽譜が出版されたのは1978年のことでしたが、なぜか、だれもそれを録音しようとはしなかったのでしょう、これが「世界初録音」だ、と、帯には書かれています。この楽譜はこちらで簡単に手に入るようですから、実際に弾いてみるのも一興でしょう。
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オーケストラの演奏によるオリジナルを聴き慣れている耳には、このピアノ版はなかなか新鮮に感じられます。その一つの要因は、リズムの滑らかさでしょうか。これは実際に楽譜がそうなっているのか、あるいは演奏している白石さんの表現なのかは分かりませんが、例えば「シンコペイテッド・クロック」などではほんの少しスウィングが入っていて、ちょっとびっくりさせられるほどです。それは、テーマが始まって2小節目のことですが、2拍目がオーケストラ版ではアンダーソン自身の演奏も含めて均等に八分音符二つになっているのに、ここでは前の音符が少し長目になっているのですよね。ただ4小節目の、ウッドブロックのリズムが本当に「シンコペイト」しているところでは、なぜかきっちり8ビートになっているあたりが、アバウトいえばアバウトなのですが。
もう一つ、「ブルー・タンゴ」という、まさにタンゴそのもののリズムを持った曲でも、ここではまるでバルカローレのような優雅なたたずまいを見せています。とてもステップを踏んで元気よく踊ることは出来そうもない、それはまるで子守唄のようなしっとりとした味わい深いものです。そんな中から、彼ならではのメロディ・ラインの美しさが浮かび上がってきます。
しかし、やはりアンダーソンの曲ではオーケストラの楽器や、普通はオーケストラでは使われないような楽器の特徴的な使い方によって強烈な印象が与えられる、というのが最大の楽しみです。そうなってくるとこのピアノ版のあまりにストイックな生真面目さからは、軽い失望が生まれるのも事実です。3本のトランペット(コルネット)が活躍する「ラッパ吹きの休日」あたりは、それがもっとも顕著にあらわれたものではないでしょうか。「ソ・ド・ミ・ソ」とか「ソ・シ・レ・ファ」といった和音を、ある時は3人が同時に鳴らしたり、ある時は前の奏者が吹いた上に順次音を積み重ねて作っていくという面白さが、ピアノでは全く同じ形になってしまって、面白くも何ともありません。しかも、2回目にはダブルタンギングで1つの音符を4つに割って吹いているのも、ピアノ版には全く反映されていませんし。
また、「フィドル・ファドル」は「常動曲」のパロディ、大人数のヴァイオリンが一糸乱れず細かい音符を弾くのが魅力なのですが、ピアノではあまりにも簡単すぎてなんだか・・・。
「サンドペーパー・バレエ」での紙ヤスリをこする音や、「タイプライター」のキーボードをたたく音などは、これらの曲にはもはや欠かせない要因であることには誰しもが気づくに違いありません。このピアノ版は、自分で演奏しながらそんな本来の音を想像して楽しむ、そんな使われ方が最も分相応なのではないでしょうか。
ですから、CDで楽しむのだったら本来のオーケストラ版を聴く方がずっと楽しいに決まってます。その音を知っているからこそ、ピアノ版でもそれなりに楽しめることになるわけで、最初からこんな不完全なものを聴く必要などはさらさらないのではないでしょうか。「世界初録音」と言ってはいますが、これがこんなに長い間録音されなかったのには、至極当然な理由があったのですよね。

CD Artwork © King International Inc.
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by jurassic_oyaji | 2009-08-31 21:59 | ピアノ | Comments(0)
MUSSORGSKY/Pictures at an Exhibition
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Oleg Marshev(Pf)
Jan Wagner/
Odense Symphony Orchestra
DANACORD/DACOCD656



ムソルグスキーの「展覧会の絵」は、オリジナルのピアノ曲としてよりは、モーリス・ラヴェルが編曲を行ったオーケストラの曲として聴かれることの方がはるかに多いのではないでしょうか。ただ、ラヴェルは、決してムソルグスキーが書いたピアノの楽譜に、そのままオーケストレーションを施したわけではありません。
ムソルグスキーが、友人の画家ガルトマン(「ハルトマン」という表記は誤り)の遺作の展覧会に触発されてピアノ独奏のための組曲を作ったのは1874年のことでした。しかし、楽譜が出版されたのは彼の死後、1886年だったのです。遺品の中からこの曲の楽譜を探し出して出版に尽力したのは、友人のリムスキー・コルサコフでした。ただ、彼はアカデミックな見地から、作曲家の自筆稿をよりノーマルな形に変えて出版してしまったのです。自筆稿にほぼ忠実な、いわゆる「原典版」が出版されるには、パーヴェル・ラムによる校訂(1931年)を待たなければなりませんでした。ラヴェルがクーセヴィツキーの委嘱によってボストン交響楽団のために編曲を行った1922年には、ですから、彼はリムスキー・コルサコフによる改訂版を元にする以外の選択肢はなかったのです。
リムスキー・コルサコフの改訂で最も目に付くのは、「ビドウォBydlo(ポーランド語で、『l』は『エル』ではなくひげが付いた『エウ』です」の冒頭の「pp poco a poco cresc.」という表記でしょう。自筆稿ではここは「ff」、最初からガンガン弾きまくれ、という指示になっています。ですから、「牛車が遠くから近づいてくる」というオーケストラ版で植えつけられているイメージは、作曲家のあずかり知らぬものだったのですね。もう1点、よく分かるのは「サミュエル・ゴールデンベルク」の最後の音、自筆稿は「ド・レ♭・シ♭・シ♭」ですが、リムスキー・コルサコフは「ド・レ♭・ド・シ♭」と変えてしまいました。ただ、この部分は指揮者の裁量で自筆稿の形に直して演奏するのが、最近の潮流のようです。
ただし、ラヴェルにしてもリムスキー・コルサコフ版を忠実にオーケストラ用に移し替えたわけではありません。「サミュエル・ゴールデンベルク」と「リモージュ」の間にあった「プロムナード」をカットしただけではなく、「古い城」の18小節目のあとに1小節加えたり、「殻を付けた雛」のコーダの前の2小節をカットしたりしています。
ピアノ版に関しても、ラムによる「原典版」は、決して自筆稿そのものではありませんでした。1975年に自筆稿のファクシミリが出版されると、それにしたがったさらに精緻な「原典版」も出版されることになります。その最も分かりやすい違いは、「古い城」の15小節目の右手の最後の「ソ♯」の音の長さ、ラム版は八分音符ですが、自筆稿は四分音符です(面白いことに、リムスキー・コルサコフ版は八分音符なのに、ラヴェル版でコール・アングレによって奏されるそのフレーズの頭は、四分音符になっています)。
現在では、この曲を演奏するときにリムスキー・コルサコフ版を使うピアニストはまずいません。例えば1955年のVOXへの録音で、リムスキー・コルサコフ版を使っていたブレンデルは、1987年のPHILIPS盤では原典版を使っています。もちろん、2009年に録音を行ったこのCDのオレグ・マルシェフも原典版。しかし、彼はラム版に準拠した演奏を行っています。キーシンなどは、2001年の録音でも自筆稿に準拠しているというのに。
ピアノ版と一緒にラヴェル版が入っているのがこのCDの特徴ですが、ここで演奏しているジャン・ワグネル指揮のデンマークのオーケストラ、オーデンセ交響楽団は、なんと、ラヴェルがカットした「殻を付けた雛」のコーダ前の2小節を復活しているのです。ストコフスキーの編曲などでは見られるこの形、ラヴェル版で実際に録音しているは、極めてレアなサンプルです。これあ、貴重。

CD Artwork © Donacord
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by jurassic_oyaji | 2009-07-18 20:56 | ピアノ | Comments(2)