おやぢの部屋2
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カテゴリ:オーケストラ( 457 )
RAVEL/Daphnis & Chloé
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François-Xavier Roth/
Ensemble Aedes
Les Siècles
HARMONIA MUNDI/HMM 905280


ロトとレ・シエクルのアルバムのレーベルが、これまでのActes SudからHarmonia Mundiに変わりました。とは言っても、制作スタッフは以前と同じですし、今までもディストリビューションはHMが行っていたのですから、それほど重要なことではないのでしょう。前回の「レ・ディソナンス」と同様、音源はレーベルではなくアーティストがしっかり管理している、ということなのでしょうね。
ですから、彼らは今までとは何ら変わらない、非常に価値のあるコンサート、そしてそのライブ録音によるアルバムのリリースに邁進することになるのです。最初に耳にした「幻想交響曲」こそ、演奏も録音もいまいちでしたが、その後バレエ・リュスのレパートリーに着手したあたりから、彼らはどんどん進化を始めていますからね。ただ、ジャケットのデザインは確実につまらなくなりましたし、彼らの新しいロゴマーク(右)からも、以前(左)のスタイリッシュな味はなくなっています。
今回のラヴェルの「ダフニスとクロエ」も、ストラヴィンスキーの「春の祭典」が上演される1年前の1912年にバレエ・リュスの公演で初演されています。現在では3部から成る全曲から、部分的に連続して切り取った2種類の「組曲」が用意されていますが、なんと言っても第3部の冒頭を少しカットして最後まで演奏される「第2組曲」がオーケストラの重要なレパートリーとなっていて、頻繁に演奏されます。もうひとつ、やはり全曲からの第1部の最後と第2部の最初の部分を抜き出した「第1組曲」は、古い録音がいくつかあるようですが、現在ではまず演奏されることはありません。コンサートでは「全曲」か「第2組曲」という選択肢しかないようですね。
もちろん、ロトたちは全曲を演奏してくれています。例によって、楽器に対するこだわりはハンパではなく、弦楽器はガット弦、管楽器も極力20世紀初頭にフランスで作られたものが集められています。ちょっと興味深いのが、キーボード・グロッケンシュピールの表記です。ラヴェルの楽譜には「Jeu de Timblesジュ・ド・タンブル」と書いてありますが、このCDの楽器リストでは「Glockenspiel à clavier Mustel」つまり「ミュステル製の鍵盤グロッケンシュピール」となっています。私見ですが、「ジュ・ド・タンブル」といった場合には、普通はトイ・ピアノのような外観の平べったい楽器を指し示すような気がしますが、ミュステルの楽器はそうではなく、チェレスタと同じような縦型なので、そのあたりを正確に記したかったのではないでしょうか。
さらにロトは、楽譜そのものもきっちり検証し、多くの間違いを正しています。さらに、合唱の位置に対する細かい指示(「ステージの後ろで」、「ステージの上で」、「近づいて」といったもの)も、ステージの両翼を使って実現させているのだそうです。ただ、この録音では合唱が「ステージの後ろ」で歌っている部分でも、とてもくっきりと聴こえてきますから、おそらく実際の音響ではなく視覚的な効果によってその位置を表現していたのでしょう。第1部の最後で合唱がア・カペラで歌われる時には、ステージは真っ暗になっていたのだそうです。
おかげで、コンサートホールを埋め尽くした聴衆も、その録音をこのDCで聴いている人たちも、このアンサンブル・エデスという2005年に結成されたばかりの若々しい合唱団の卓越した演奏を存分に味わうことが出来ることでしょう(とてもええですよ)。この曲で、合唱がこれほど重要なパートだということに、初めて気づかされました。
オーケストラでは、管楽器は言うまでもありませんが、弦楽器のなんとも言えないソノリテはやはりこの曲からは初めて味わえるものでした。
フルート・ソロのマリオン・ラリンクールは、いつものルイ・ロットから甘い音を引き出しています。ただ、「パントマイム」の大ソロは、あくまで、アンサンブルの中のフルートという感じで、それほどの存在感はありません。

CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s.

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by jurassic_oyaji | 2017-06-13 23:00 | オーケストラ | Comments(0)
MAHLER/Symphonie Nr.9
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Mariss Jansons/
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
BR/900152(hybrid SACD)


ヤンソンスとバイエルン放送交響楽団が来日したのは去年の11月のことでしたね。あれから半年、世の中ではいろいろなことがありましたが、その時にサントリーホールで聴いたマーラーの「交響曲第9番」の余韻は、まだしっかり残っています。そして、その余韻を確かめることを強要するかのように、その日本公演の1か月前にミュンヘンで録音されていたものが、なんとSACDでリリースされました。なんでも、SACDは日本だけの限定商品なのだそうです。確かに、同時にノーマルCDもリリースされていましたね。
去年の日本公演のプログラムのメインは、このマーラーと、シュトラウスの「アルプス交響曲」でした。その「アルプス」は、ミュンヘンではマーラーの1週間前に演奏されていて、その録音もやはりCDとなり、早々と日本のコンサート会場で即売されていましたね。ただ、それはただのCDでしたし、リリースを急いだ結果編集ミスやトラック表記の間違いなどもありました。そのことを輸入代理店に教えてあげたら、何らかの手を打つような答えがあったのですが、例えばNMLなどを見てみるとそこからリンクされているブックレットやバックインレイは全く訂正されていないようですね。その後、別のレーベルのワーグナーのアルバムでもミスプリントがあったので指摘した時には、こちらにあるようにバックインレイと帯解説を速攻で訂正(あるいは改竄)したというのに。
とはいえ、このところSACDからはほとんど撤退していたようだった(最後にSACDを出したのは2010年)BRレーベルが、日本だけのためにSACD仕様のパッケージを用意してくれたというのは、輸入代理店の働き掛けによるものなのでしょう。まあ、もしかしたら「アルプス」での失態を補おうという殊勝な気持ちがあったのかもしれませんね。そのぐらいの謙虚さを、この国の首相も持ってくれるといいのに。
せっかくのSACDですから、しっかりCDとの違いを聴きとろうと、第1楽章の頭の部分を何度も聴き比べてみました。やはり、その違いは歴然としていて、弦楽器の肌触りやソロ楽器の立体感などは、全然違っていましたね。視覚的な比喩になりますが、CDでは紗幕がかかって輪郭がぼやけていたものが、SACDでは何の邪魔者もなく直接見えてくる、といった感じでしょうか。ところが、音楽が盛り上がってきて、ティンパニなども入ってすべての楽器が鳴り出すと、瞬間的にそのティンパニの音がつぶれて聴こえるところが出てきます。明らかに録音レベルの設定を間違えて入力が飽和してしまった状態ですね。ライブ録音ですから、こういうこともあるのでしょう。ただ、同じ個所をCDで聴くと、そもそも最初から音がぼやけているのでそんなことはほとんど分かりません。せっかくのSACDが、ちょっと皮肉な目に遭ってしまっていました。
会場のざわめきの中から聴こえてくるオーケストラの音は、かなり小さめ、でも、そこであわてて音量を上げてしまうと、そのあとのトゥッティになった時には耳をふさがなければいけなくなってしまいます。それほどのダイナミック・レンジが、ここでは再現できているのですから、まあ多少の歪みは仕方がないのでしょう。そこでは、ソロ楽器もホールで聴いたときと同じようにくっきりと聴こえてきます。確かに、ライブの追体験としてはこれ以上のものはありません。
ですから、あの時にヤンソンスが見せたとてもしなやかで懐の深いマーラーも、ここでははっきりと味わい返すことが出来ます。オーケストラを自在に操り、この曲の多面的な姿を存分に聴かせてくれた末に訪れる最後のピアニシモは、ここでも絶品でした。しかし、そこで一瞬会場全体が静まり返った後に、嵐のように巻き起こる歓声は、このSACDには収録されてはいませんでした。最後の静寂が現実のものであったことを知るために、そのあとの拍手はぜひ残しておいてほしかったものです。

SACD Artwork © BRmedia Service GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-05-30 23:48 | オーケストラ | Comments(0)
RAVEL/Antar
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André Dussollier(Nar)
Isabelle Druet(MS)
Leonard Slatkin/
Orchestre National de Lyon
NAXOS/8.573448


スラトキンが国立リヨン管弦楽団と進めているラヴェルの管弦楽作品のシリーズの第5集には、なんと「世界初録音」の作品が収録されていました。ラヴェルの作品などはとても有名ですから、これまでに録音されていなかったものがまだあったことに、まず驚かされます。
ただ、その作品のタイトルが「アンタール」というのに、ちょっと引っかかりました。スラブ舞曲ではありません(それは「アンコール」・・・ニューフィル限定)。これは、リムスキー・コルサコフの「交響曲第2番」のサブタイトルとして、記憶にありました。実はこの曲は実際に演奏したことがあり、その楽譜の改訂についてもかなり詳しく調べたこともあったのです。その成果はこちらです。ついでにこちらの曲目解説も。
そこで改めてこのCDでのタイトルを見てみると、そこには「Antar - Incidental music after works by Rimsky-Korsakof」とあるではありませんか。つまり、これはまさにそのリムスキー・コルサコフの「アンタール」を元にした「劇音楽」だったのです。
1907年に、仲間内のコンサートで友人のピアニストと一緒に「アンタール」のスコアを初見で演奏して以来、この曲の魅力に惹かれたラヴェルは、1910年に、この曲を素材とした4幕の劇音楽を上演していたのですね。しかし、そのスコアは出版社の許に保存はされていましたが、出版されることはありませんでした。さらに、その時のテキストも残っていなかったので、スラトキンが2014年に初めて録音した際には、この音楽はコンサート用に再構築され、そこでは新たに作られたテキストが朗読されています。
なんたって「初録音」ですから、これは今までに誰も聴いたことのない音楽です。それを聴くにあたってまず参考にするのは、基本は英語で書かれたライナーノーツでしょうが、手っ取り早いのは日本の代理店が作った「帯解説」でしょう。これを日夜作成している方々は、まずはこのCDを聴き込み、そしてそのライナーノーツを隅々まで読み込んだ上で、初めて聴く人がその作品に容易にアクセスできるような情報を的確に作成する技を熟知しているはずですからね。それは、こういうものでした。
ところが、これは何とも不可解な文章でした。まずは緑線の「12世紀の物語」。確かに、ライナーノーツには「リムスキー・コルサコフは12世紀に書かれた物語に基づいて作曲」みたいな記述はありますが、同時にその年代はそれまで口伝として語られていたものが文字に定着された年代であり、「物語」自体は6世紀に実在した詩人の話であるということも書いてあります。ですからこれは「6世紀の物語」でなければいけません。
そして、もっとまずいのは、赤線の部分を読むと、まるでラヴェルがベルリオーズのコンセプトを借用したように思ってしまえること。それは完全な間違いです。ライナーノーツには確かにそのような記述はありますが、それはオリジナルのリムスキー・コルサコフの作品に関しての言及なんですからね。
問題なのは、これを読んでこの曲を聴いた人が、最初に聴こえてくるまぎれもないリムスキー・コルサコフの「アンタール」の第1楽章を、ラヴェルの作品、あるいは、ラヴェルが手を加えたものだと思ってしまうことです。ここには、リムスキー・コルサコフの「交響曲第2番『アンタール』」第2稿の全曲がそのまま(第4楽章の冒頭は第1楽章の引用なのでカット)と、同じ作曲家のオペラ「ムラダ」の一部、そして、やはり同じ作曲家のモティーフにラヴェルがオーケストレーションを施したものしか含まれてはいないのです。
残念なことに、この帯解説を書いた人は、まず正確な情報を伝える文章力を学ぶ必要があるようです。
そもそもこういうものをラヴェルの管弦楽作品として録音した時点で、NAXOSそのもののいい加減さも露わになっています。これだったら、ナレーションがかぶっていないオリジナルのリムスキー・コルサコフのCDを聴いた方がよっぽどマシなのでは。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

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by jurassic_oyaji | 2017-04-27 21:25 | オーケストラ | Comments(0)
WAGNER/Symphonies
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Jun Märkl/
MDR Leipzig Radio Symphony Orchestra
NAXOS/8.573413


リヒャルト・ワーグナーは、もちろんオペラの作曲家として広く知られています。しかし、それ以外のジャンルでも多くの作品を残しています。
そんな中には、「交響曲」だってあります。かなり若いころに作られたハ長調とホ長調の2曲です。ただ、完成したのはハ長調の交響曲だけで、ホ長調の方は第2楽章の途中までピアノ譜が作られただけで、オーケストレーションもされていません。
ハ長調の交響曲はワーグナーがまだ作曲の勉強をしていた1832年、彼が19歳の時に作られました。完成したのは6月ですが、その年の11月にはプラハで試演、さらに12月にライプツィヒで公開の演奏が行われます。その時の評判が良かったので、名門ゲヴァントハウス管弦楽団で演奏してもらおうと、ワーグナーはスコアとパート譜を当時の指揮者だったメンデルスゾーンに送ります。しかし、メンデルスゾーンはあまり乗り気ではなく、結局楽譜もどこかに行ってしまうんですよね。ワーグナーは、これはメンデルスゾーンが悪意でやったのでは、と、恨んだのだそうです。
ワーグナーは晩年にこの交響曲の楽譜を探し出そうとしましたが、パート譜だけがかろうじて見つかっただけでした。1878年に彼はそこからスコアを復元するのですが、その際に少し音を変えたりカットを施したりします。その改訂稿が、このCDでは演奏されています。これは、ワーグナーが亡くなる前年、1882年の妻コジマの誕生日にヴェネツィアのフェニーチェ座で、作曲家の指揮によって演奏された後は、出版もされず、演奏されることもありませんでした(出版されたのは1911年)。
ホ長調の交響曲は、1834年に作りはじめられますが、完成されることはなく、未完のピアノスコアはやはりコジマの許に渡され、作曲家の死後フェリックス・モットルの手によって第1楽章のオーケストレーションと、途中までしかなかった第2楽章の最後に何小節かの終結部を加えてオーケストレーションが施されました。というのが、このCDのブックレットの情報です。
実際にこの2曲を聴いてみると、最初に作られたハ長調の交響曲では、一応先人をお手本にしたことはうかがえますが、かなり大胆なチャレンジも見受けられます。例えば、ソナタ形式で作られた第1楽章などは、提示部に入る前の序奏がものすごく長くなっています。14分ほどかかるこの楽章のうちの3分半が序奏に費やされているのです。これはかなりの冒険ではないでしょうか。第4楽章でも、ポリフォニーを多用するなど、それまでの交響曲とはちょっと毛色が変わっています。
しかし、それに続いて作られるはずだったホ長調の交響曲は、もっとまっとうな形が見られます。それこそシューベルトあたりを髣髴とさせる穏健なたたずまいです。これは全くの想像ですが、ワーグナーは「交響曲」という形に縛られてこんなものを作り出したことに耐えられず、これ以上作り続けるのをやめてしまったのではないでしょうか。自身の進む道は交響曲ではなく劇音楽だと、その時はっきり気づいたのです。
ところが、このCDのバックインレイの情報では、こんなことになっていますよ。これだと、ブックレットとは逆で、最初にホ長調(断片)を手掛けてから、フルサイズのハ長調を作った、ということになってしまいますね。もちろんワーグナーの交響曲が作られた年代などはどこでも見つかるので、こちらの方が間違っていることはすぐに分かります。
しかし、代理店の「帯」を書いた人は何の疑いもなくこれを転載、その結果出来上がったのが「ワーグナー21歳の時に書き上げられた『ハ長調交響曲』」というハチャメチャなコメントです。こんな珍しい曲なのですから、とりあえず頼りにするのはジャケットの情報です。それが間違っていたのではシャレになりません。というか、本国のデータを鵜呑みにしている帯原稿をチェックする人は、まわりにはいなかったのでしょうか。最悪です。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

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by jurassic_oyaji | 2017-04-13 22:36 | オーケストラ | Comments(0)
MAHLER/Das Lied von der Erde
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Roberto Saccà(Ten), Stephen Gadd(Bar)
Jonathan Nott/
Bamberger Symphoniker
TUDOR/7202(hybrid SACD)




Jonas Kaufmann(Ten)
Jonathan Nott/
Wiener Philharmoniker
SONY/88985389832


一人の指揮者が別のソリストとオーケストラで同じ年に別のレーベルにマーラーの「大地の歌」をレコーディングするという、ありえない「事件」が起こりました。その指揮者はジョナサン・ノット。2016年の2月に、まだ首席指揮者のポストにあったバンベルク交響楽団と、そして6月にはウィーン・フィルと録音を行ったのです。さらに、ウィーン・フィルとの時にはソリストはカウフマン一人、本来は2人の歌手が必要なのに、それを一人で歌ったというのも、やはり「事件」です。
バンベルクとの録音でも、2人のソリストはテノールとバリトンという、ちょっと珍しい組み合わせです。全集版で表記されているこの曲のタイトルは、「Das Lied von der Erde/Eine Symphonie für eine Tenor- und eine Alt-(oder Bariton-) Stimme und Orchester」ですから、歌手は「テノールとアルト又はバリトン」なのですが、ほとんどの演奏では、バリトンではなく女声のアルトが歌っていますからね。初めてではないにしても、そんな「男声だけ」の可能性を世に知らしめたバーンスタイン盤では、フィッシャー・ディースカウがそのバリトンのパートを歌っていましたね。ここでのバリトン、スティーヴン・ガッドが、まるでそのフィッシャー・ディースカウのような歌い方をしていたのには、ちょっと引いてしまいました。初めて聴いた人ですが、この人は普段でもこんな歌い方なのでしょうか。もちろん、ドラムを叩いたりはしません(それは「スティーヴ・ガッド」)。
それよりも、ちょっと違和感があったのはテノールのサッカの方です。以前モーツァルトで聴いたときにもあまり良い印象はなかったのですが、ここでのなんとも甘ったるい歌い方にもがっかりさせられてしまいます。
ノットがこのオーケストラと進めていたマーラー・ツィクルスの録音は2011年に完了し、2016年には全9曲入りのボックス・セットもリリースされていました。ですから、「大地の歌」はもはや録音はしないのだろうと思っていたのですが、やはりノットはこのオーケストラへの「置き土産」として、録音していたのですね。
それまでの交響曲同様、たっぷり時間を取って入念に作られたセッション録音、クリアな音でそれぞれの楽器がくっきり浮かび上がってくるため、ノットの意図はとてもよく伝わってきます。
そして、その4か月後に録音されたのが、ウィーン・フィルとの演奏です。ただ、情報ではこのコンサートとレコーディングはダニエレ・ガッティが指揮をすることが決まっていたものが、彼のアクシデントで急遽ノットが代役を務めた、ということのようですね。
もちろん、カウフマンの方は、もう一人の歌手がキャンセルしたので二人分歌ってしまった、というわけではなく、最初からこの大胆な企画に照準を合わせて準備を進めていたのでした。
当然、これはカウフマンがメインのアルバム、ブックレットにはいつものように彼の伝記作家のトーマス・フォークトとの対談が掲載されています。彼が「大地の歌」に初めて接したのは20代のころ、クレンペラー指揮のアルバムでのヴンダーリッヒの声に魅了され、すぐにスコアを入手してテノールのパートの勉強を始めたのだそうです。
そして、実際にこのパートをコンサートでも歌うようになるのですが、その時にもう一人の歌手たちには嫉妬感を抱くようになりました。特に最後の長大な「告別」の楽章は、ぜひ自分でも歌いたくなったのでした。彼の声は、元々バリトンのような音色を持っていますから、それはいとも容易に実現できたのではないでしょうか。その結果がどうなのかは、この素晴らしいアルバムを聴けば分かるはずです。
この楽章のフルート・ソロは、バンベルク盤はあまりにもオフ過ぎて、ほとんど聴こえません。これがノットのバランスだったのかもしれませんが、ウィーン・フィルは聴こえすぎ。普通のライブ録音だとディーター・フルーリーの音はこんなに目立ちませんけどね。

CD Artwork © Tuder Recording AG, Sony Music Entertainment

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by jurassic_oyaji | 2017-04-11 23:12 | オーケストラ | Comments(0)
MENDELSSOHN/A Midsummer Night's Dream
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John Eliot Gardiner/
Monteverdi Choir
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO 0795(hybrid SACD, BD-A)


このレーベルでのガーディナーとロンドン交響楽団とのメンデルスゾーンの交響曲のツィクルスは一応完結したようですが、今回はそれに関連して「真夏の夜の夢」のライブ録音です。この録音が行われたコンサートでは、最初に「交響曲第1番」が演奏され、後半にこのアルバムの中の曲が演奏されています。その「交響曲第1番」の方はすでにこちらで「第4番」とのカップリングでリリースされていましたね。
この交響曲ツィクルス、第1弾が「3番」とシューマンのピアノ協奏曲というカップリングで出た時には、BD-Aのディスクの中にそのコンサートの全曲の映像がボーナス・トラックとして入っていました。しかし、その後のリリースではBD-Aは付いていますが、そこに映像が入ることはありませんでした。やはり、こんな過剰なサービスは無理があるのかな、と思っていたら、今回はその映像がしっかり復活していましたよ。これはうれしいことですね。ここでの映像は、やはりコンサート全体を収録したもので、先ほどの「第1番」も入っています。
せっかくですから、その映像からまず見てみることにしました。こういうライブではいろいろな情報がその中には込められていますからね。まず、前半の交響曲では、さっきの「3番」と同じようにチェロ以外の弦楽器奏者は全員立って演奏していました。それと、演奏が始まる前に、この曲(交響曲第1番)ではロンドンでの公演のために差し替えられた第3楽章と、通常の第3楽章とを並べて演奏する旨を伝えたガーディナーのスピーチの実物を聴くことが出来ます。前のアルバムでは、ブックレットにテキストだけが載っていたんですよね。
そして、「真夏の夜の夢」が始まる時には、弦楽器奏者は普通に座っていましたが、ステージは照明が落とされ、譜面灯が点けられたなかで、前の方にはカウチなどのセットも用意されています。それよりも、序曲が始まった時に木管楽器の配置が交響曲と違っていることに気づきました。前列は下手からフルート、オーボエと普通に並んでいるのですが、後列ではフルートの後ろにファゴット、オーボエの後ろにクラリネットが座っています。つまり、クラリネットとファゴットの位置が入れ替わっているのですね。これは、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団でとっている形で、これ自体は珍しくはないのですが、なぜこの曲だけでこの並びにしたのかは分かりません。
序曲が終わると、オーケストラの後ろにスポットライトを浴びてパック役の俳優が現れ、セリフを語りはじめます。なんでも、このコンサートはシェイクスピアの没後400年記念に関連したイベントだったようで、ここではガーディナーによって付随音楽だけではなく、シェイクスピアのセリフも一緒に楽しんでもらう、という構成がとられていました。3人の役者は、それぞれステージ上のいろいろな場所に現れて、7人分の配役を演じ分けていましたね。妖精の女王は、さっきのカウチに横たわって眠ったりしていますし。これは映像ならではの楽しみ、字幕は出ませんが、ブックレットにテキストは載っていますから、心配しなくてもええぞう
そして、モンテヴェルディ合唱団の女声パートが12人、オーケストラの前に座っています。彼女たちは出番になると立ち上がって、合唱と、そしてソロも歌っていましたね。もちろん暗譜で。この前の「マタイ」の時もそうでしたが、この合唱団はそれぞれがソリストとしても独り立ちできるような力を持った人がメンバーになっていて、しっかりとしたトレーニングを積んでいますから、安心して聴いていられます。
オーケストラの弦楽器は、いつものようにガーディナーの元ではピリオド奏法に徹しています。有名な「結婚行進曲」などでも、普通は長く伸ばす音の最後をあっさり切っていますから、とても新鮮な味わいです。

SACD & BD Artwork © London Symphony Orchestra

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by jurassic_oyaji | 2017-04-01 20:29 | オーケストラ | Comments(0)
MOZART/Posthorn Serenade, Eine kleine Nachtmusik
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Michael Alexander Willens/
Die Kölner Akademie
BIS/SACD-2244(hybrid SACD)


このBISレーベルではブラウティハムとのフォルテピアノの共演で録音されたモーツァルトのピアノ協奏曲集が人気を博しているウィレンス指揮のケルン・アカデミーですが、彼らはその他のレーベル、CPOやCARUSでも宗教曲など珍しい作品を数多く録音しています。
今回はこのアンサンブルがメインのアルバムで、モーツァルトの有名なセレナーデが2曲演奏されています。それぞれ「ポストホルン」と「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」という愛称で親しまれている作品です。「アイネ~」の方は、例えばベートーヴェンの「運命」のように他人が勝手につけたものではなく、モーツァルト自身が付けた名前なので堂々と口にしても恥ずかしいことはありません。というか、このドイツ語のタイトルを丸暗記して他人に伝えるのは、いかにも「私はクラシックに詳しい人間です」と宣言しているようなもので、そういう意味ではやはり「恥ずかしい」ものです。そういう人に限って、「ナハトムジーク」を「ナハトム」と「ジーク」に分けて発音したりしますから、恥ずかしさは一層募ります。
現在ではアレグロ/アンダンテ/メヌエット/アレグロという4つの楽章の形で親しまれていますが、本来は2曲目にもう一つのメヌエットが入っていたのだそうで。なぜかそれだけ楽譜がなくなってしまって今ではこの形で何の疑いもなく演奏されるようになっています。この方が、普通の交響曲と同じ構成になっているので、聴いていておさまりが良いのかもしれませんね。しかし、このCDではそこにわざわざ弦楽四重奏からのメヌエットを付け加えていました。
このアンサンブルはピリオド楽器を使っていますから、ピッチも半音ほど低いものでした。表現もいかにもピリオドっぽい素っ気ないもの、速めのテンポでサクサクと迫ります。ただ、アンダンテの楽章でもそれを貫いて、潔いほどのインテンポで進められると、ちょっと居心地が悪くなってしまいます。呼吸をしないで歌を歌っているような気になってくるのですね。この辺はいろいろな主張があるのでしょうが、同じモーツァルトでゆったりとしたアリアをこんな風に歌われたりしたら、誰でも「ありゃ?」と感じるのではないでしょうか。
終楽章は予想に反してかなりゆったりとした、というか、野暮ったいテンポ、しかも律儀にすべての繰り返しを行っていますから、とても退屈です。
「ポストホルン」という名前は、単にそういう楽器が使われているということで呼ばれているだけで、モーツァルト自身は関与していません。その楽器は、6曲目のメヌエットの第2トリオで登場するだけなんですけどね。それよりも、この曲ではフルートが3曲目と4曲目に加わり、大活躍しているのに注目です。モダン楽器での演奏はさんざん聴いてきたのですが、ピリオド楽器はこれが初体験、期待というよりは不安が先立ちます。残念なことに、モーツァルトでモダンを超えるトラヴェルソなんて聴いたことがありませんから。
しかし、ここでのフルートは、2番はちょっと、でしたが1番の人はピッチに関してはとても素晴らしいものを聴かせてくれていました。これだったらモダンと比べても何の遜色もありません。逆に、オーボエのピッチの悪さが目立ってしまいますけどね。ただ、指揮者は相変わらずインテンポで音楽を進めているので、フレージングがいかにも窮屈なのがもったいないですね。実は、ポストホルンが登場する6曲目でも、最初のトリオではピッコロがユニゾンで加わっています。
ここでは、このセレナーデと一緒に演奏されたとされる2曲の序曲が、前後に演奏されています。「前」の方は最初の楽章のモティーフがちょっと現れますし、「後」ではなぜか「アイネ・クライネ」のアンダンテ楽章、というよりは、フルートとハープのための協奏曲の第3楽章とよく似たテーマが聴こえてきます。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2017-03-23 21:46 | オーケストラ | Comments(0)
MENDELSSOHN/Symphonies Nos. 1&3
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Andrew Manze/
NDR Radiophilharmonie
PENTATONE/PTC 5186 595(hybrid SACD)


最初はケンブリッジ大学で古典学を学んでいたのが、その後ヴァイオリンを学び始め、瞬く間に「古楽のスペシャリスト」になってしまったのがアンドルー・マンゼです。
以前はリチャード・エガーとこんなアルバムを作って、ヴァイオリニストと鍵盤奏者として活躍していましたが、最近はそれぞれ指揮者としても大活躍、しっかりしたポストも獲得するようになっています。エガーの方は、クリストファー・ホグウッド亡き後のアカデミー・オブ・エインシェント・ミュージックの指揮者という、これまでの実績の延長線上のフィールドですが、マンゼの場合は指揮者としてのキャリアのスタートこそは、1996年に就任したその同じ団体の副指揮者、2003年から2007年まではイングリッシュ・コンサートの芸術監督という「エインシェント・ミュージック」の世界でしたが、その後は普通のシンフォニー・オーケストラを相手に仕事を進めていっているようです。2006年からはヘルシングボリ交響楽団の首席指揮者、そして2014年からはかつては大植英次も首席指揮者だったこともあるこのNDR放送フィル(ハノーファー北ドイツ放送フィル)の首席指揮者に就任します。
このオーケストラは北ドイツ放送(NDR)が持っている2つのオーケストラのうちのハノーファーにある方です。もう一つはハンブルクにある、最近「NDRアルプフィルハーモニー管弦楽団」と改名した、ヘンゲルブロックがシェフを務めるオーケストラです。
ただ、彼の「指揮者」としての力量は、2007年に録音された殆どデビュー盤とも言えるヘルシングボリ交響楽団との「エロイカ」を聴いた限りでは、それほど際立ったものとは思えませんでした。それから10年、今のオーケストラとの初めてのPENTATONEへの録音では、どのような姿を見せてくれているのでしょうか。というか、実はこの間のエルガーのチェロ協奏曲のアルバムで、彼はスイス・ロマンド管弦楽団を指揮していたのですけどね。その時はあくまで的確なサポートに徹していた、という印象でした。
このメンデルスゾーンの交響曲集では、「1番」と「3番」が取り上げられています。お判りでしょうが、これは彼の「大きな」交響曲の最初と最後の作品ということになります。その「1番」が始まると、まずその音がいつものこのレーベルの音ではないことに気づきます。クレジットを見るとどうやらこれは北ドイツ放送のスタッフが録音したもののようですね。それは、POLYHYMNIAの音に慣れた耳には、いかにもどんくさいものに感じられます。特に弦楽器が全く輝きを欠いているのですね。人数も少ないようで、バランス的にもちょっと不満が残ります。
ただ、良く聴いてみると、もしかしたらここではマンゼの意向でガット弦を使って演奏していたのかとも思えてきます。ビブラートも全くかけないというわけではありませんが、かなり控えめになっていますから、そのようなピリオド的なアプローチを、このオーケストラではやろうとしていたのでしょうか。ただ、木管管楽器あたりはごく普通の吹き方で朗々と歌っていますから、全体的にはなんだか中途半端なスタイルになっている感は否めません。それは、かつてノリントンが指揮をしたSWRのシュトゥットガルト放送交響楽団の演奏で味わっていた違和感と同じ種類のものです。
とは言っても、このメンデルスゾーンはなかなか新鮮な味わいをもっていました。特に早い楽章でのきびきびとしたテンポ感と、かなり鋭角的なリズム処理はなかなかのインパクトです。緩徐楽章でも、あまり思い入れを加えずにあっさり仕上げているあたりは好感が持てます。一番感心したのは、「3番」の終楽章のコーダの部分。これ見よがしに堂々と演奏する指揮者が多い中にあって、マンゼはほとんど冗談のような「軽さ」で迫っています。そんな彼の持ち味が、今後のこのオーケストラとの共演の中でどう生かされていくのか、まんず見守っていきたいものです。

SACD Artwork © Norddeutscher Rundfunk

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by jurassic_oyaji | 2017-03-21 20:27 | オーケストラ | Comments(0)
ELGAR/Cello Concerto, TCHAIKOVSKY/Rococo Variations
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Johannes Moser(Vc)
Andrew Manze/
Orchestre de la Suisse Romande
PENTATONE/PTC5186 570(hybrid SACD)


エルガーのチェロ協奏曲の2016年の6月に録音されたばかりのSACDがリリースされました。おそらく今現在では最も新しいものと言えるがー
今回の録音でのソリストは、1979年に、ドイツ人とカナダ人の音楽家同士の家族に生まれたヨハネス・モーザーです。2002年のチャイコフスキー・コンクールのチェロ部門では1位なしの2位という最高位を獲得しています。それ以降、世界中の有名オーケストラ、大指揮者との共演を果たしている、人気チェリストです。
このアルバムでは、エルガーの他にチャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」と、あと3曲、チェロとオーケストラのための作品が演奏されています。そのうちのオリジナルは「カプリッチョ風小品」だけですが、「夜想曲」と「アンダンテ・カンタービレ」はチャイコフスキー自身が自作を編曲したものです。
つまり、チャイコフスキーには最初からこの編成で作られた作品が2曲ある、ということになります。しかし、その最も代表的な「ロココ」にしても、現在普通に演奏されているのは実際はチャイコフスキーのオリジナルではありません。いや、正直言って、このSACDでわざわざ「オリジナル版」と書いてあったので、初めてそのことを知ったのですけどね。
例えばあのロストロポーヴィチあたりが使っていたのは「フィッツェンハーゲン版」と呼ばれている楽譜でした。これは、この作品を献呈され、初演も行ったチェリスト、ヴィルヘルム・フィッツェンハーゲンが「改訂」した楽譜です。彼が行った改訂では、チャイコフスキーのオリジナルの曲順が大幅に変更されています。その結果、本来あった8つ目の変奏がカットされて、主題と7つの変奏の形になっています。主題では、前半と後半をそれぞれリピートさせて、テーマをより強く印象付ける工夫がなされましたし、変奏も派手なものを最後に持ってきて、とても分かりやすいクライマックスが味わえるようなものになっていました。
出版も、フィッツェンハーゲンが主導権を取って行ったため、彼の改訂が反映されたものしか、世の中には出回りませんでした。かくして、この作品はこの改訂版の形態がほぼ確定されてしまって、これで多くの人の耳に届くことになってしまいました。1950年代になって、やっとオリジナルの楽譜も出版されるようになりますが、やはり今までの慣習には逆らえなかったのと、その出版の際にはスコアだけでオーケストラのパート譜などはなかったために、このオリジナル版はなかなか実際に演奏されることはありませんでした。それが、この作品を課題曲としているチャイコフスキー・コンクールで、2002年からは「オリジナル版に限る」という指定がなされたのです。
2002年といえば、このアルバムのソリスト、モーザーが最高位を取った年ですよね。ですから、彼はここでもその「オリジナル版」を演奏しています。調べてみたら、すでにジュリアン・ロイド・ウェッバーやスティーヴン・イッサーリスなど、多くのチェリストがこの版での録音を行っていました。
初めて聴いたこのオリジナル版、確かに今まで聴きなれたものとは全然異なる印象を与えられるものでした。それは、フィッツェンハーゲン版では最後に置かれていたとても派手な「第7変奏」は、オリジナルではもっと前に置かれていた「第4変奏」だったというあたりで、かなりはっきりしてきます。そして、オリジナルでの終わり方は、フィッツェンハーゲン版では3つ目に置かれていた、ゆったりとした変奏曲のあとに、カットされていた軽やかな「第8変奏」を経て、コーダになだれ込むという形、こうすることで、より中身が深くなったように感じられます。もはや、「改訂版」を演奏し続ける理由は何もないことが確信できるのではないでしょうか。
肝心のエルガーは、デュプレを聴いてしまうとあまりにあっさりしているように感じられます。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.

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by jurassic_oyaji | 2017-03-15 00:15 | オーケストラ | Comments(0)
SHOSTAKOVICH/Cello Concerto No.1, Symphony No.5
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Xavier Phillips(Vc)
David Grimal/
Les Dissonances
DISSONANCES/LD 009



最近、あちこちで話題になっているフランスのアンサンブル「レ・ディソナンス」がショスタコーヴィチを録音したというので、思わず触手が伸びてしまったざんす。ヴァイオリニストのダヴィド・グリマルが2004年に結成した、この「不協和音」という名前のオーケストラは、指揮者は置かずにグリマルを中心に演奏を行うという、あのアメリカの「オルフェウス室内管弦楽団」のようなスタイルをとっている団体です。最初はNAIVEなどに録音を行っていたようですが、2013年に自主レーベルを発足させ、ベートーヴェン、ブラームス、モーツァルトなどの有名どころのライブ録音をどんどん行なってきました。
今回はショスタコーヴィチということで、本当に指揮者なしでも大丈夫なのか気になってしまいますが、彼らはすでにコンサートではラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲や、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」などもすでに演奏(もちろん指揮者なしで)しているそうですから、こんなのだったら楽勝なのでしょう。
この団体は、演奏する曲によってメンバーも増減させています。メンバーでもあるチェリストのグザビエ・フィリップスがソロを担当した「チェロ協奏曲第1番」では、かなり小さな編成、弦楽器は8.6.5.5.3のようですね。演奏している写真を見ると、木管楽器の最前列(フルートとオーボエ)の前には弦楽器は配置しないで、コンサートマスターであるグリマルとの距離を最小にしています。これで、弦楽器と管楽器とのコンタクトは密になるのでしょう。これは、もっと弦楽器が増えている「交響曲第5番」でも同じこと、フルートとオーボエは、もろにお客さんの前に全身をさらしています。
「チェロ協奏曲」の演奏は、なにかとても和やかな雰囲気が漂っているものでした。ソロもオーケストラもあまり声高にしゃべることはなく、しっかりお互いのやることを聴き合いながら合奏を楽しんでいる、という感じでしょうか。大活躍するホルンのソリストも、とても伸び伸びと吹いているようです。
「交響曲」では、それだけでは済まされない、かなり周到なリハーサルで方向性を決めてきたような形跡がうかがえます。第1楽章などは、弦楽器はほとんどビブラートをかけていません。これはかなり効果的、この曲の性格を的確に伝えるのには十分なものがあります。もちろん、管楽器も極力ノン・ビブラートを心掛けているようです。ソロ・フルートなどは、間違いなく木管の楽器を使っているのでしょうが、とても暗い音色でアタックも全くつけないで吹いていますから、暗澹たる情景を演出するにはもってこいです。
おそらく、管楽器のソロは基本的に奏者の自由に任せているのでしょう。ここではそれぞれのソリストの個性がはっきり伝わってきます。彼らは、それらを大切にしつつ、全体としては大きな流れを設定する、といった姿勢なのでしょうか。
第2楽章では、アンサンブルは完璧、とても軽快なグルーヴ感が味わえます。
第3楽章では、それまでのノン・ビブラートからはガラッと変わって、弦楽器はとてもねちっこく迫る「熱い」音楽に変わります。それに対してフルート・ソロはとても冷静にそれを見渡している、という感じ、そこからは、何か醒めた視線すら感じることが出来ます。
フィナーレでは、オープニングのテンポの変化などはそれほど劇的なものではありません。あくまで、表面的な効果を狙うよりは、内面的なもので訴えようという姿勢でしょうか。それが恐ろしいほど伝わってくるのが、最後の盛り上がりの前のとても美しい弦楽器の部分(練習番号119から)です。楽譜ではずっとピアニシモのまま淡々と演奏するような指示ですが、そこで彼らはほんの少しのダイナミックスの変化を付けています。それが絶妙の極み、まるでその後に続くバカ騒ぎをあざ笑っているかのように感じられたのは、ただの思い過ごしでしょうか。

CD Artwork © Dissonances Records

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by jurassic_oyaji | 2017-03-09 20:10 | オーケストラ | Comments(0)