おやぢの部屋2
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カテゴリ:オーケストラ( 478 )
MAHLER/Symphony No.2
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Chen Reiss, Annette Dasch(Sop), Karen Cargill(MS)
Daniele Gatti/
Netherlands Radio Choir(by Klaas Stok)
Royal Concertgebouw Orchestra Amsterdam
RCO/RCO 17003(hybrid SACD), RCO 17108(BD)


ジャケットの裏を見ると、オーケストラの名前が「Royal Concertgebouw Orchestra Amsterdam」となっていますね。実は、このオーケストラは昨年の11月に来日しているのですが、その時のプログラムにも、ちゃんとその名前が印刷されていました。
昔は「アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団」と呼ばれていたオーケストラが、いつの間にか「ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団」と改名していたのですが、また「アムステルダム」を復活させることになったのでしょうか。
いや、そんなことよりも、このジャケットのクレジットでは、ヤンソンスの後任として華々しく登場したダニエレ・ガッティが、首席指揮者に就任した直後の2016年9月に行った「復活」のコンサートのライブ録音の曲目なのに、SACDとBDとではソプラノ歌手の名前が違っているということに驚いてほしいのですよ。上がSACD、下がBDです。
このように、それぞれのメディアのクレジットを見ると、同じ日に収録されていて全体の演奏時間や各楽章の演奏時間が全く同じなのに、ソプラノだけが別の人という、理解不能なことになっています。これはいったいどういうことなのでしょう。
調べてみると、このコンサートは、同じものが4日間開催されていたことが分かりました。9月の14、15、16、18日の4日です。そこでは、最初の3日間はアンネッテ・ダッシュがソプラノ・ソロとして出演していたのですが、最後の日はそれがチェン・レイスに変わっていたのですよ。オペラやミュージカルではないので、ダブルキャストということはまず考えられませんから、おそらく何らかのアクシデントのためにダッシュがキャンセルしたために、レイスが猛ダッシュで代役のために駆けつけた、というところなのでしょうね。
したがって、ここではBDの録音日のクレジットは明らかな間違いでしょう。そして、演奏時間も、トータル・タイムは88分は軽く超えていましたから、それも間違っているはずです。
そんないい加減なパッケージなのに、使われている楽譜は「キャプラン版」だ、というのはきっちりと表記されています。ということは、合唱は歌い出しの時には座ったままなのでしょう。
実は、最初はSACDだけしか買わないつもりだったのですが、それが分かったので実際に確かめてみようと、BDも購入していたのでした。このレーベルは、以前もヤンソンスの指揮での録音を出していましたが、その時にはSACDと一緒にDVDがオマケで付いていましたね。
ですから、その時もヤンソンスはキャプラン版を使っていて、合唱は最初は座って歌っていることが分かります。ただ、キャプラン版での指示(というか、注釈)は「マーラーは合唱の入りでは座ったままで歌わせた」というだけで、立ち上がるタイミングまでは分からないんですよね。ですから、同じオーケストラと合唱団でも、ヤンソンスとガッティとでは合唱が立ちあがる場所が異なっていることも分かります。今回のガッティの方が遅くて、最後のクライマックス、ホルン群のベルアップに続いてオルガンが初めて登場するところで立ち上がっています。こちらの方が、かっこいいですね。
そう、このガッティの演奏は、そんな「かっこよさ」が随所にみられる、とてもチャーミングなものです。ただ、SACDでのソプラノ、レイスは、BDでのダッシュに比べるとチャーミングという点では完全に負けてます。なぜ、SACDではダッシュのテイクを使わなかったのでしょうか。
今回、この2種類のメディアを、サラウンドで聴き比べてみました。BDはDTS-HD Master Audio 5.0(96/24)というフォーマット、SACDではサラウンドに関しては何の表記もないのですが、2チャンネルと同じ2.8MHzDSDなのでしょうね。2チャンネルでは、今まで聴いてきたどのソースでもBD>SACDだったのですが、サラウンドになるとさらにその傾向が強まっているようで、圧倒的にBDの音の方がクリアで瑞々しく聴こえます。

SACD & BD Artwork © Koninklijk Concertgebouworkest

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by jurassic_oyaji | 2018-01-06 21:10 | オーケストラ | Comments(0)
BEETHOVEN/Symphonies Nos. 6, 7, 8
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Rafael Kubelik/
Orchestre de Paris
Wiener Philharmoniker
The Cleveland Orchestra
PENTATONE/PTC 5186 250(hybrid SACD)


クーベリックが1970年代にDGに録音したベートーヴェンの交響曲全集は、元々はその頃のオーディオ界の最新技術であった「4(フォー)チャンネル(Quadraphonic)」で録音されていたのだそうです。確かに、あのころは誰もが「これからは4チャンネルだ」と思い込んでいたのではないでしょうか。包み込まれるようなサウンドに、父親はぐっすり(それは「とうちゃん寝る」)。ただ、結局はその何種類かの再生方式を巡っての醜い覇権争いの末、消費者にはそっぽを向かれ、一過性のブームで終わってしまっていたのでした。
レーベルでも、時代の流れに乗り遅れまいと、しっかりと4チャンネルでの録音の体制を作り上げ、全てその方式で録音を行っていた時期があったのでしょうね。ただ、実際にそれらが4チャンネルのソースとして市場に出回ることはほとんどありませんでした。もちろん、このクーベリックのベートーヴェンも、普通の2チャンネルステレオのLPでしかリリースされてはいなかったはずです。
例えばあのカラヤンは、1970年から1978年にかけてEMIから20枚以上の4チャンネルのLPをリリースしていますが、DGからのものは1枚もありません。
2002年から活動を始めたこのPENTATONEというレーベルは、PHILIPSというオランダのレーベルが新録音をやめることになり、そのために解雇された人材が集まって作ったSACDに特化したレーベルです。それ以前、1998年に、やはり元PHILIPSのエンジニアが作ったPOLYHYMNIAという録音チームとは密接な関係にあり、当初はこの時代に録音されたPHILIPSの4チャンネルの録音を、サラウンドSACDとしてリリースしていました。後に新録音も開始、さらに今では同じ系列となったDGの4チャンネルの音源も、同じようにSACD化するようになっています。つまり、かつて録音されても日の目を見ることのなかった数多くの4チャンネルの音源が、四半世紀を経てSACDという媒体で初めて世の中に出ることになったのですね。
個人的には、今まではSACDはもっぱらピュア・オーディオの対象でしたから、サラウンドには全く興味はありませんでした。ところが、ひょんなことからSACDのサラウンド・トラックを聴ける環境が整ってしまったので、そんな「4チャンネル」を実際に体験出来ることになりました。そして、そこにはピュア・オーディオとは別の面での魅力が潜んでいることが分かりました。
この、PENTATONEのリマスターとしては3番目のアルバムでは、2枚組で6番、7番、8番が収録されていました。そのうちの6番ではユニヴァーサルからシングル・レイヤーで2チャンネルだけのSACDが出ていたのでまず「ステレオ」でそれを比較してみると、やはりDGのサウンドは見事にPHILIPS寄りの繊細なものに変わっていました。もう、ここのエンジニアは体の芯までPHILIPSの音がしみ込んでいるのでしょうね。
それはそれで楽しめるとして、肝心のサラウンドでの再生を試してみると、ステレオではあまりよく分からなかった、録音会場の違いがとてもはっきり分かるようになっていました。6番はパリ管の演奏なのですが、録音はサル・ワグラムというだだっ広い空間で、余計な残響がないので録音スタジオとしてよく使われていたところです。ですから、ここではホールトーンのようなものはほとんど感じられません。ところが、ムジークフェライン・ザールでのウィーン・フィル(7番)と、セヴランス・ホールでのクリーヴランド管(8番)の場合は、もうビンビンと客席からの反響がリアスピーカーから聴こえてくるのですね。特に、8番の第2楽章では、木管楽器のパルスがそのままエコーとして半拍近く遅れてはっきり聴こえてくるのですよ。
この部分をステレオで聴いてみたら、そんなディレイ感は全くありませんでしたから、2チャンネルのマスターではリアの成分をきっちりカットしてあるのでしょう。確かに、これはサラウンドで聴かないと単に邪魔になるだけのものですからね。でも、元の録音にはそれがしっかり入っていて、ここで初めて聴けるようになったというのは、ちょっとした感動でした。

SACD Artwork © Pentatone Musik B.V.

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by jurassic_oyaji | 2017-12-19 23:11 | オーケストラ | Comments(0)
SCHUBERT/Symphony No.8
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Peter Gülke/
Brandenburger Symphoniker
MDG/901 2053-6(hybrid SACD)


シューベルトの「交響曲第8番」という珍しいタイトルのアルバムです。いや、その曲であれば、「ザ・グレイト」というサブタイトルのついた、シューベルトの最後のハ長調の交響曲のことなのではないかと普通は誰でもが思いますよね。しかし、ことレコード業界においては、「交響曲第8番」はその前に作られた前半の2つの楽章しか完成されていない、いわゆる「未完成交響曲」を指し示すものだと決まっているのですよ。これはもちろん、かつてはそれが「常識」だった時代の名残です。レコード業界が誕生した時点ではまだ「未完成=8番、グレイト=9番」だったのですが、その後の研究によってこの2曲はそれぞれ1つずつ番号が繰り上がってしまいました。それに合わせて、演奏家たちはしっかり呼び名を変えたのに、レコード業界は決してそれに従うことはなく、大昔の呼び名にしがみついていたのです。
そのような大きな力の元では、良心を持った人たちは不本意でもそれに従うしか、道はありません。許されたのは、「第8(9)番」というみっともない表記だけだったのですからね。
ところが、このアルバムはどうでしょう。そこにはしっかり「Symphony No.8 C major(The Great)」という文字が躍っているではありませんか。もしかしたら、こんなタトルが付けられたCDにお目にかかったのは初めての体験だったかも。これは「画期的」と言っても差し支えないほどの出来事です。
同じジャケットで指揮者の名前を見て、そんな「快挙」の訳が分かりました。ここでは、あのペーター・ギュルケが指揮をしていたのですよ。「あの」と言われても何のことかわからないかもしれませんが、このギュルケさんは指揮者というよりも、音楽学者として有名な方でした。つまり、彼は「ベートーヴェンの交響曲第5番の第3楽章に、ダ・カーポを入れた人」として、世界中で有名になったことがあったのです。
そんな、大作曲家の楽譜に手を入れることなんてできるのか、と思われるかもしれませんが、そもそも印刷されている楽譜は作曲家が書いたものとは同じではない場合の方が多いのです。そこで、自筆稿や初演の時に使われたパート譜などを丁寧に調べて、最も作曲家の意図を反映した「原典版(クリティカル・エディション)」が作られるようになりました。ベートーヴェンの交響曲について、最も初期に全曲完成した原典版がかつてのドイツ民主共和国(東ドイツ)のペータース社が刊行した「ペータース版」ですが、その校訂に携わったのが、このギュルケさんたちなのです。ギュルケさんはご自分が担当した交響曲第5番で、先ほどのような、斬新な見解が反映された楽譜を作ったのです。普通は第3楽章はスケルツォ-トリオ-小さなスケルツォという構成で、そのままアタッカで第4楽章につながっているような楽譜であったかと思うのですが、ギュルケさんはそのトリオが終わったところで、もう1度楽章の頭までもどって演奏するように指定していたのです。それ以前にもそういうことをやっていた指揮者はいましたが、それが実際に楽譜として出版されたのはこれが初めてでしたから、大きな話題になりましたね。
ギュルケさんはその後ブライトコプフ社でのシューベルトの原典版の校訂にも携わります。「交響曲第7番」がその成果です(「8番」の方は、ペータース版のベートーヴェンの共同校訂者、ペーター・ハウシルトが校訂したものが出版されています)。
1934年生まれ、83歳になるギュルケさんは、指揮者としてはもはや「巨匠」と呼ばれるような年齢に達しています。しかし、2015年から首席指揮者を務めている1810年に劇場付属の楽団として創設されたという由緒あるオーケストラ、ブランデンブルク交響楽団を指揮している時には、なんとも軽いフットワークを発揮して、余計なものをそぎ落としたすっきりとしたシューベルト像を再現していました。このオーケストラは弦楽器も少なめなようで、管楽器との程よいバランスも聴きものです。

SACD Artwork ©c Musikproduktion Dabringhaus und Grimm

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by jurassic_oyaji | 2017-12-06 00:16 | オーケストラ | Comments(0)
VIRTAPERKO/Three Concertos
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Perttu Kivilaakso(Amplified Vc)
Joonatan Rautiola(Baritone Sax)
Jonte Knif(Knifonium)
Ville Matvejeff/
Jyväskylä Sinfonia
ONDINE/ODE 1305-2


1973年生まれのフィンランドの若手作曲家、オッリ・ヴィルタペルコがごく最近作った3つの協奏曲が収められているアルバムです。それぞれに、ちょっと変わった楽器がソロを務めるという、なかなかユニークなラインナップに、つい手が伸びてしまいました。
この中で最も新しいものが、2016年の作品「Romer's Gap」です。タイトルの「ローマーのギャップ」というのは、古生物学の用語で、なんでも今から3億6千年前から1400万年間続いた、生物の化石が極端に少ない時期のことなのだそうです。なんか、とりとめのないタイトルですね。ここでソリストとして登場するペルットゥ・キヴィラークソというチェリストは、かつてはヘルシンキ・フィルのメンバーとしてクラシックのチェロ奏者でしたが、今ではヘビメタ・チェロ・バンド「アポカリプティカ」の中心的なメンバーになっています。このバンドはチェロ4人、ドラムス1人という変わった編成で、チェリストの一人は、ラハティ交響楽団の現役の団員です。
そんなキヴィラークソが演奏している楽器も、ただのチェロではなく「Amplified Cello」なのだそうです。「アンプリファイ」とは「増幅する」という意味ですが、この場合は「アンプにつないだ」というぐらいの意味になるのではないでしょうか。ただ、ロック・ミュージシャンたちはその「アンプ」に表現手段を持たせるために、楽器とアンプの間に「エフェクター」をつなぎました。それは音の干渉を作り出す「フランジャー」とか、歪みを与える「ディストーション」などといった様々なものがあって、楽器の音をとても幅広いものに変えることができます。
ですから、まずこの「アンプリファイド・チェロ協奏曲」を聴く時には、そんなエフェクターによって変えられたヘビーな音響こそを味わってみたいものです。「カデンツァ」と、クラシックっぽい呼び名が付けられている部分も、ほとんどギンギンのギター・ソロを聴いているように思えることでしょう。
しかし、そんな大音響とともに、とても繊細でしっとりとした味わいも、この「楽器」では表現できることも、この協奏曲の第2楽章では知ることも出来るはずです。
2曲目は、2014年に作られた「Multikolor」というバリトン・サックスのための協奏曲です。タイトルはおそらく「Multi Color」のことでしょうから、ここでは、ソリストのヨーナタン・ラウティオラは、この、吹奏楽ではサックス・パートの最低音を担当する楽器から、「多彩な音色」を引き出しているはずです。ダメな不倫相手ではありませんよ(それは「セックス・パートナーの最低男」)。
まずは、そんな低音楽器から、いきなりハイ・ノートが聴こえてくるあたりから、バリトン・サックスの一味違う魅力に浸っていただきましょう。やがて、本来の低音でブイブイと盛り上がる時には、なぜかホッとすることでしょう。
そして、最後の2013年に作られた、「Ambrosian Delights」に登場するのは、「クニフォニウム」という、おそらく誰も聴いたことのない名前の楽器です。これは、ここで演奏しているヨンテ・クニフが製作して、自らの名前を付けた楽器です。その正体は真空管が使われているモノフォニック・シンセサイザーです。
外観は、その世界では有名な「ミニモーグ」とよく似ていて、鍵盤の上には多くのツマミがついたボードがあり、奏者はそこで瞬時に音色、エンヴェロープを変えたり変調したりできます。出てくる音もモーグのシンセサイザーにとてもよく似ています。
元々はバロックのアンサンブルのために作られたもので、チェンバロが大活躍していますが、これもおそらくクニフが作った楽器なのでしょう(彼は楽器を作るだけではなく、音響システムの構築も行っていて、ハリウッドの大作曲家ハンス・ジンマーはそれを使っているのだそうです)。後半はリズミカルなビートに乗って、とてもポップでダンサブルな音楽が展開されていますよ。

CD Artwork © Ondine Oy

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by jurassic_oyaji | 2017-11-28 23:02 | オーケストラ | Comments(0)
GERSHWIN
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Claron McFadden(Sop)
Bart van Caenegem(Pf)
Jos van Immerseel/
Anima Eterna Brugge
ALPHA/ALPHA 289


1987年にベルギーのフォルテピアノ奏者のインマゼールによって創設されたバロック・オーケストラ「アニマ・エレルナ」は、ピリオド楽器によるアンサンブルとしてモーツァルトの全ピアノ協奏曲を録音(CHANNEL)するなどして、広く注目されるようになりました。後にインマゼールは指揮者としてこのアンサンブルを指揮して、20世紀初頭の音楽までもピリオド楽器で演奏して、さらに別の意味での注目を集めることになります。2010年には、本拠地をブリュッヘ(ブリュージュ)に移して、名称も「アニマ・エレルナ・ブリュッヘ」と変え、現在では、この街にある「コンセルトヘボウ・ブリュッヘ」のオーケストラ・イン・レジデンスとして、このホールで定期的にコンサートを行っています。そして、それをライブ録音したものをアルバムとしてリリースしています。
今回も、もちろんこのホールでのライブ録音ですが、ここではなんとアメリカの作曲家ガーシュウィンが取り上げてられていましたよ。たしかに、ガーシュウィンといえばラヴェルあたりと同じ時代を生きた作曲家ですから、もはや「ピリオド」の領域には入っていますが、なんかジャンル的にインマゼールの立ち位置とはちょっと距離があるような気がするんですけど、どんなものでしょう。
プログラムは、まさに「名曲」のオンパレードでした。オーケストラ曲はオペラ「ポーギーとべス」からのナンバーを組曲にした「キャトフィッシュ・ロー(なまず横丁)」、「パリのアメリカ人」、そして「ラプソディ・イン・ブルー」の3曲、そこにソプラノのクラロン・マクファーディンが歌うミュージカル・ナンバーが、加わります。
そのコンサートの写真がブックレットに載っていますが、そのマクファーデンのステージでは弦楽器は下手からファースト・ヴァイオリン、セカンド・ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラという並びなのですが、コントラバスだけ下手と上手の両端に半分ずつ分かれて配置されています。その上手のコントラバスの前にはサックスが3人います。さらに特徴的なのが、チューバのパートでは「スーザホン」が使われていることです。歌のうまいデブのおばちゃん(それは「スーザンボイル」)ではなく、例のマーチ王のスーザが考案したとされる、チューバの朝顔を前に向け、奏者は楽器を体に巻きつけて演奏するような不思議な形の楽器です。今ではほとんどプラスティック製になっていますが、ここで使われているのはオリジナルの真鍮製、これも「ピリオド」楽器なのでしょう。
これが「ラプソディ・イン・ブルー」になると、サックスが指揮者のすぐ前に座っていて、弦楽器は下手だけになっています。ですからこれは、現在のフル・オーケストラ・バージョンではなく、1924年に初演された時の「ジャズ・バンド・バージョン」なのです。ご存知のように、ガーシュウィンが作ったのは2台のピアノのための楽譜だけで、それを初演者のポール・ホワイトマンのバンドの編成に合わせて編曲したのはファーディ・グローフェです。その後、グローフェはフル・オーケストラのための編曲も行っています。
なんでも、現在はミシガン大学でガーシュウィンのクリティカル・エディションの編纂が進行中なのだそうですが、インマゼールたちもそこと共同作業を行っていて、このコンサートでは「ラプソディ」と「パリのアメリカ人」は、2017年に出来たばかりの新しい校訂版が使われているのです。さすがインマゼール、ここでしっかり彼なりのこだわりを見せてくれました。
ですから、もちろんその楽譜を使ったものとしては世界初録音になるわけです。とは言っても、この初演稿による演奏自体は昔から何種類もリリースされています。直近では2006年に録音されたものなどでしょうか。でも、ここでピアニストのバルト・ファン・クラーネヘムが弾いている1906年に作られたというスタインウェイのまろやかな音は、一聴の価値はあります。

CD Artwork © Outhere Music France

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by jurassic_oyaji | 2017-11-23 20:39 | オーケストラ | Comments(0)
TCHAIKOVSKY/Symphony No.6 Pathétique
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Teodor Currentzis/
MusicAeterna
SONY/88985 40435 2


先日、BSでクレンツィスとムジカ・エテルナが今年のザルツブルク音楽祭でモーツァルトの「レクイエム」を演奏していた映像が放送されていましたね。この曲はCDも出ていますから、どんな表現をしているのかは予想出来ていましたが、やはり実際の姿を見るとそれがとても説得力に富んでいることがよく分かります。一番驚いたのは、彼らはチェロとコントラバス奏者以外は、合唱もオーケストラも立って演奏していたことです。休みのところでも立ったままなんですよ。というか、そもそも椅子が用意されていないのですね。ですから、「Tuba mirum」でのトロンボーン奏者などは、ソロが始まるとステージの前に出てきて暗譜で吹き始めたりします。まるで、ジャズのビッグバンドでソロを取る人が前に出て来て演奏するというノリですね。コンサートマスターも横を向いたり後ろを向いたりと、ほとんど踊りながらヴァイオリンを弾いていました。
そのモーツァルトでは、もちろん全員がピリオド楽器を使っていました。しかし、今回はチャイコフスキーですから、同じ「ピリオド」とは言ってもモーツァルトの時代とはかなり異なる、ほとんどモダン楽器と変わらないものを使っているはずです。ですから、この「ムジカ・エテルナ」という、クレンツィスがオペラハウスのオーケストラのメンバーを集めて作った団体では、そんな、モダンもピリオドも両方の楽器に堪能な人を揃えてるな、と思ったものです。
今回の録音は、2015年の2月にベルリンのフンクハウスで行われました。その時のメンバーがブックレットに載っているので、同じ年の10月から始まった「ドン・ジョヴァンニ」の録音の時のメンバーと比較してみると、やはり木管楽器あたりはほぼ全員他の人に変わっていましたね。確かに、木管では両方の楽器のそれぞれにスペシャリストになるのは大変です。ただ、トランペットやトロンボーンは、大体同じ人が演奏していました。弦楽器でも、何人かは「両刀使い」がいるようで、ここでは、半分ぐらいは別の人のようでした。ですから、やはりこの団体は、曲の時代によって大幅にメンバーを入れ替えて演奏しているのですね。そして、きっと「悲愴」の時は、みんな座っているのではないでしょうか。
それと、そのメンバー表を見ると、弦楽器の人数が16.14.12.14.9と、低弦がやたら充実していることが分かります。しかも、先ほどのモーツァルトは普通にコントラバスが右端に来る配置でしたが、どうやらここでは対向配置をとっているようで、コントラバスが左奥から聴こえてきます。そんなこともあって、第1楽章の序奏での低弦は、巨大な音の塊がのっそりと迫ってくる、というとてつもなく不気味なインパクトがありました。
さらに、続く主部のテーマは、本当はとても美しい女性が、あえて醜さを装って他人との接触を拒んでいる、みたいな不思議な思いが込められたものでした。もうそれだけで、この演奏が従来のイメージを破壊した上に成り立っているものであるのかが分かります。
おそらく、クレンツィスは今までの慣習を完全にリセットしたうえで楽譜を読むという、これまでに見せてきた手法を「悲愴」にも用いただけなのかもしれません。ですから、第2楽章で、ちょっと聴いただけでは軽やかなワルツに聴こえなくもないものを、あえて5拍子という変拍子を強調することで、その中にあるはずの複雑な情念を表に出そうとしていたのでしょう。
とはいっても、ここまでやられるとそもそもこの時代の音楽とはいったいなんだったのか、という根源的な疑問にまで立ち向かわなければいけないのでは、という思いにもかられます。正直、それはとても辛いことのような気がします。
そう思えたのには、なんとも圧迫感の強い、あまり美しくない録音にも責任があるはずです。この録音会場であれば、もっとのびやかな音で録ることはそんなに難しいことではありません。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2017-10-31 23:01 | オーケストラ | Comments(0)
STRAUSS/Also sprach Zarathustra, MAHLER/Totenfeier
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Vladimir Jurowski/
Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin
PENTATONE/PTC 5186 597(hybrid SACD)


辻井伸行をソリストに迎え、首席指揮者を務めるロンドン・フィルを率いての日本ツアーを終えたばかりのユロフスキですが、彼の現在のポストはその他にロシア国立交響楽団(正式な英語表記は「State Academic Symphony Orchestra of Russia ''Evgeny Svetlanov”」)とブカレストのジョルジェ・エネスク音楽祭の芸術監督ですし、少し前まではベルリンのコミッシェ・オーパーとグラインドボーン音楽祭のチーフも務めていたという売れっ子です。そして、今年の9月からは、マレク・ヤノフスキの後任としてベルリン放送交響楽団の首席指揮者兼芸術監督にも就任しました。
ユロフスキは、就任以前にもこのオーケストラとこのレーベルに録音を行っていました。それは2014年7月のシュニトケの「交響曲第3番」のスタジオ録音です。その時の会場がベルリン放送局(RBB)の本部の建物「ハウス・デス・ルントフンクス」の中にある放送用の大ホールだったのですが、ユロフスキはその録音の編集の時に聴いた音をとても気に入ったのだそうです。確かに、このSACDを聴くと、いかにも、シュニトケのこの作品にふさわしいあらゆる音がきっちりと聴こえてくる精緻な録音だという気はします。
そこで、ユロフスキは、普通のレパートリーをこのシュニトケと同じ状態で録音してみたいと、提案したのだそうです。その結果、この「ツァラ」と、カップリングには同じメッセージが込められているマーラーの「葬礼」が選ばれ、2016年6月に同じ場所、同じエンジニア(POLYHYMNIAのジャン・マリー・ヘイセン)による録音セッションがもたれることになったのです。このあたり、単にコンサートのライブ録音だけでお茶を濁している最近のレコーディング状況とは一線を画した、一本芯の通ったポリシーが感じられませんか?
まず、この会場にはオルガンは設置されていないので、オルガンのパートだけは別の教会で後日録音された、という点まで同じようにして作られた「ツァラ」の方は、冒頭のそのオルガンのペダル・トーンのあまりのしょぼさにはがっかりさせられます。ただ、その後のトランペットのファンファーレの後のクライマックスで、トライアングルの音がとてもはっきりと聴こえてきたのには驚きましたね。
というか、確かにスコアにはトライアングルは書かれていますが、改めていくつかの録音にトライしてみても、それは全く聴こえることはありませんでした。こんな、ちょっとお上品ではあるけれど、聴こえるべき音ははっきり聴こえて、音楽全体の構造がはっきり分かってくる、というのが、このホールと録音クルーが作り出したサウンドなのでしょう。おそらく、ユロフスキはこんなところが気に入ったのでしょうね。
ですから、この「ツァラ」は、冒頭を聴いただけで判断されるようなスペクタクルなものではなく、本来はもっと繊細で室内楽的な響きが良く似合う作品であったことも、よく分かります。エンディングの全く無関係な調の掛け合いも、しみじみと味わい深く感じられます。
そして、カップリングが、マーラーの「交響曲第2番」の第1楽章の初稿として知られている交響詩「葬礼」です。ユロフスキは、2011年1月にも、この曲を別のオーケストラと録音していました。そのCDのレビューで、後の改訂版との違いなどを見ることが出来ます。そこでは、今回、UNIVERSALのサイトで、スコアがPDFで提供されていたので、それを参考にしてさらに細かく手直ししてあります。そのスコアでは、交響曲は4管編成ですが、「葬礼」は3管編成だったことも分かります。
こちらの演奏も、丁寧なセッション録音のおかげでしょう、前のものより深いところまで踏み込んだ表現が見られます。
もう1曲、マーラーがブルックナーのもとで学んでいた頃の習作とされる「交響的前奏曲」も演奏されていますが、そこにはマーラーらしさは全く感じられません。それは、こういう録音だから、なおさらくっきりとそのように聴こえたのかもしれません。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.

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by jurassic_oyaji | 2017-10-28 20:19 | オーケストラ | Comments(0)
SHOSTAKOVICH/Symphony No.5
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Manfred Honeck/
Pittsburgh Symphony Orchestra
REFERENCE/FR-724SACD(hybrid SACD)


ホーネックとピッツバーグ交響楽団の最新SACDですが、録音されたのは2013年ですから、「最新録音」ではありません。もちろん、録音機材も、そして録音フォーマット(DSD256=11.2MHzDSD)も現在と全く変わっていませんから、SACDとしてのクオリティにはなんの問題もありません。この頃はホーネックとこのオーケストラとの相性もとても良好なものになっていたはずですから、ホーネックが自らの思いを存分にオーケストラから引き出している様を、最高の音で聴くことが出来ますよ。
このレーベルが作ったブックレットでうれしいのは、オーケストラのメンバーが全て掲載されていることです。もちろん、それは録音された当時のメンバーですから、もっと最近のものと比べるとそこに若干の違いがあったりするのが、とても生々しくて興味深いですね。今回は6月に録音されたショスタコーヴィッチの「交響曲第5番」と、10月に録音されたバーバーの「アダージョ」がカップリングされているのですが、それぞれに実際に演奏したメンバーが分かるようになっていますし、その時のエキストラまでしっかり記載されていますからね。ある意味、一つのオーケストラの資料として、とても貴重なものとなっているのではないでしょうか。
そこで、いつも気になっていることなのですが、アメリカのオーケストラの場合、メンバーの肩書の中に「Principal(首席奏者)」や「Associate Principal(副首席奏者)」といったものとは別に「~Chair」というのが加わっている人がいるんですね。実際にこちらでご覧になってください。管楽器では首席級の人だけのようですが、弦楽器だとトゥッティのかなり末席の人でもこの「Chair」を持っているようですね。
確信はないのですが、おそらくこれはある種の「ネーミング・ライツ」なのではないでしょうか。アメリカのオーケストラの主たる財源は個人や法人からの寄付ですから、こんな風に個々の団員(というか、個々の席次)にまでスポンサーが付くようなシステムが出来上がっているのでしょうか。なんせ、こんな風にインターネットや世界中で販売されているCDのブックレットに自分の名前がでかでかと載るのですから、たまらないでしょう。でも、中には謙虚な人もいて、別のオーケストラですが、自分は匿名で寄付をして、ヴィオラの首席を「パウル・ヒンデミット・チェア」と名付けるような粋な人もいるようですね。
もちろん、席次が下がれば寄付金もお安くなるのでしょうね。もしかしたら、パーティーなどの時には自分の「席」の人と家族みたいに親しくなれたりするのかもしれませんね。親席って。
このSACD、まず録音面で感心したのが、それぞれのパートがとても存在感を持っていることと、楽器の音のヌケが非常に良いことでした。特にホルンのパートがとてもくっきり聴こえてきたのには驚きました。あくまで個人的な感想ですが、このパートは、生で聴く時でも何本かが重なると常に音が濁って感じられるものでして、それが録音となるとさらに混濁が激しくなります。多分、ホールの中で微妙に倍音が干渉し合っているのでしょうね。それが、このアルバムではなんの障害もなくストレートにホルンの音が聴こえてくるのです。ホールの音響のせいか、マイクアレンジのせいかは分かりませんが、これは驚異的なことです。
そんなスッキリとしたサウンドによって、ホーネックのショスタコーヴィチは細かいところまで指揮者の意図が伝わってくるものでした。正直、それはこの作品に対してあまりに楽観的なように感じられるものですが、それはそれで楽しめるものです。こんな、陰の全くないショスタコーヴィチも、たまにはいいものです。
バーバーの「アダージョ」も、完璧に磨き上げられた弦楽器のサウンドは、パート全体が完全に「個」を離れた一つの発音体のように感じられるほどです。それはあたかも、北欧の優れた合唱団によって歌われた「Agnus Dei」のようにさえ聴こえてきます。

SACD Artwork © Reference Recordings

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by jurassic_oyaji | 2017-10-19 20:27 | オーケストラ | Comments(2)
MENDELSSOHN/Symphonien Nr.4, Nr.5
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Ola Rudner/
Württembergische Philharmonie Reutlingen
ARS PRODUKTION/ARS 38 111(hybrid SACD)


メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」と第5番「宗教改革」という、なんの変哲もない名曲アルバムなのですが、いずれの曲も普通に使われているものとは違った楽譜によって演奏されているという興味深いSACDです。ただ、これは2012年頃にリリースされたもので、人に教えられてこれを知った時には、もはや入手困難な商品になっていました。
「4番」の楽譜に関しては、今でこそ1833年に作られた、現在普通に演奏されているものが「第1稿」で、翌1834年にそれの第2楽章から第4楽章まで改訂を行った楽譜が「第2稿」であることがはっきりしていますが、ちょっと前まではかなりの混乱がありました。「第2稿」の自筆稿は、1878年からプロイセンの国立図書館に保存されていたのですが、研究者はほとんど関心を示していませんでした。それを、1960年に、「これは、『交響曲第4番』の初期の楽譜だ」と主張する学者が現れたため、それを真に受けた様々な資料が出回ることになりました(1998年に世界で初めてこの楽譜で録音したガーディナーの国内盤の解説とか)。結局、1997年にファクシミリ、2001年にジョン・マイケル・クーパーの校訂による楽譜が出版されて、それが「未完の『改訂稿』」(=第2稿)だということが明らかになったのです。2010年には、トマス・シュミット=ベステの校訂で、ブライトコプフ&ヘルテルから、新全集のコンテンツとしても出版されています。
第1楽章は改訂されていなかったので、それはそのまま「第1稿」を使って、第2楽章以下が「第2稿」で演奏されるため、これは「1833/34年稿」とも呼ばれます。
「5番」の方は、こちらでご紹介したクリストファー・ホグウッド校訂のベーレンライター版が2009年に出版されています。これは、この1冊で「第1稿」と「第2稿」がともに手に入るというお買い得な編集になっていますし、ホグウッドが修復をあきらめた「第1稿」の第4楽章のソースも、楽譜やファクシミリで掲載されています。こちらは「第2稿」の方が普通に演奏されているものになりますね。
1953年生まれ、パガニーニ・コンクールの入賞者で、ヴァイオリニストとしてソリスト、コンサートマスターと華々しい活躍をしていたスウェーデンの指揮者、オーラ・ルードナーが、2008年から首席指揮者を務めるロイトリンゲン・ヴュルテンベルク・フィルを率いて、メンデルスゾーンのこの2つの交響曲の録音を行ったのは、「4番」が2009年の7月28-29日、「5番」が2009年の4月14-15日のことでした。ブックレットによれば、「4番」は「1833/34 version」、「5番」は「The Bärenreiter Urtext edition by Christopher Hogwood, published in February 2009, was used instead. Ola Rudner decided to use the 1830 facsimile of the very first ending of the symphony for this recording.」によって演奏されたとなっています。「instead」というのは、別の原典版がこの時点ではまだ完成していなかったため、代わりにこのような措置を取った、ということです。
したがって、これは「5番」の「第1稿」の世界初録音(リンクにあるCOVIELLO盤は2009年4月21日以降の録音)、さらに「4番」の「第2稿」とカップリングされたものとしても世界初になるはずです。
その上、「5番」で「ファクシミリによる最初のエンディング」を商用メディアとしてリリースしたものもこれが初めてのものだったのではないでしょうか。最後の「神はわがやぐら」のコラールがなくなってしまっているのですから、初めて聴いた人はびっくりしてしまうことでしょう。ホームレスの歌はどこに?(それは「カフェはわがねぐら」)。
もう一つの相違点は、そのコラールで始まる終楽章に入る前に、フルート・ソロによる長大なカデンツァが入っていることです。ここでのフルート奏者は、そのソロは立派に吹いているものの、「4番」も含めてトゥッティになると、もっとフルートが聴こえてもいいのに、と思ってしまうような人でした。そのように感じたのは、DSDだった音源をNMLのAACというしょぼい音で聴いたからなのかもしれません。でも、ティンパニのモヤモヤとした音は、元々のものなのでしょう。

SACD Artwork © Arte Produktion

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by jurassic_oyaji | 2017-09-12 22:48 | オーケストラ | Comments(0)
SHOSTAKOVICH/Syphony No.7 "Leningrad"
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Andris Nelsons/
City of Birmingham Symphony Orchestra
ORFEO/C 852 121 A(hybrid SACD)


我々消費者が入手する輸入CDの中には、ストアが直接輸入しているアイテムもなくはありませんが、ほとんどのものは専門のCD輸入業者というものがいて、そういうストアは、そこを通して品物を入手しています。ですから、どんなストアの店頭にも、同じような新譜が並んでいるはずです。
最近では、そういうリアル・ストアではなく、ほとんどネット通販で購入するようになっていますから、新譜に関しては、そういう輸入業者がストア向けに送っているアイテムの情報がネットには掲載されますから、それを頼りに目星をつけて購入することになります。
ただ、レーベルによってはそのような輸入業者が、ある日突然に別の業者に変わってしまうことがあります。ふしだらな女性が離婚してすぐ再婚するようなものですね。もちろん、そんな恥ずかしいことはあまり大っぴらにはしないものですから、そんな業者の変更も消費者には知らされることはなく、買ってみたらいつの間にか別のパートナーになっていた、と気づくだけのことです。
今回のORFEOレーベルもそんな感じで、ごく最近輸入業者が変わっています。この、ネルソンスが指揮をした「レニングラード」は、その「前のパートナー」の時、2012年にリリースされたものでした。それを引き継いだ「新しいパートナー」は、ネルソンスがもうすぐボストン交響楽団と来日することに目を付けて、それに絡んでひと儲けしようと、こんな昔のアイテムをもう1度リリースしようとしました。ただ、それだけでは何のインパクトもないので、SACDで発売するために、わざわざ日本での販売だけのためにレーベルに新たにハイブリッドSACDを作ってもらったのだそうです。そんなに売れる見込みがあるのでしょうか。まあ、日本のファンは音にうるさい人が多いので、それなりの需要があるのでしょう。
ただ、それが「本物」のSACDであるかどうかというチェックは必要です。実際に、かなりの大レーベルでも、オリジナルの録音はCDのフォーマットだったものを、見かけだけハイレゾ風にアップ・サンプリングを行って、平気でSACDとして販売しているところがありますからね。
そこで、前のCDは持ってなかったので、今回のSACDのCD層とSACD層を聴き比べてみました。確かに、弦楽器のトゥッティの音は、SACDの方がよりテクスチャーがはっきり感じられるものになっていますし、高音も無理なく伸びていますから、CDとははっきり異なっていることが分かります。ひとまず、きちんとしたハイレゾ音源が提供されていることだけは確かなのではないでしょうか。少なくとも、これを聴いてCD特有の余裕のない音にストレスを感じることはありません。ただ、これはあくまで個人的な感想ですから、ブックレットに正確な録音フォーマットが記載されていない限り、真実は闇の中であることに変わりはありません。
現在ではボストン交響楽団とライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団という、2つの超Aクラスのオーケストラのシェフとなって、いわば指揮者としての頂点を極めた感のあるネルソンスですが、これが録音された2011年当時は、サイモン・ラトルという超大物が去ったあとのバーミンガム市交響楽団を引き継いだ2人目の無名の指揮者(1人目はサカリ・オラモ)という程度の認識しかなかったのではないでしょうか。そんな時に彼が見せたショスタコーヴィチの解釈は、なんとしても自己の存在を強烈に印象付けたいという若者の気負いがこもったものでした。彼は、第1楽章の延々と続く同じテーマの繰り返しを、すでにその時点で「おふざけ」として聴かせようとしています。それは、バルトークが行った挑発(それこそが、ショスタコーヴィチが仕掛けた挑発だったはず)を真に受けた、愚かな行動です。
輸入業者の思惑とは違って、この新装なったSACDは、よりクリアな音でそんな「若気の至り」の傷口に擦り込まれた塩のようなものになっていました(どうでしお?)。

SACD Artwork © ORFEO International Music GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-09-09 22:19 | オーケストラ | Comments(0)