おやぢの部屋2
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カテゴリ:オーケストラ( 451 )
MOZART/Posthorn Serenade, Eine kleine Nachtmusik
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Michael Alexander Willens/
Die Kölner Akademie
BIS/SACD-2244(hybrid SACD)


このBISレーベルではブラウティハムとのフォルテピアノの共演で録音されたモーツァルトのピアノ協奏曲集が人気を博しているウィレンス指揮のケルン・アカデミーですが、彼らはその他のレーベル、CPOやCARUSでも宗教曲など珍しい作品を数多く録音しています。
今回はこのアンサンブルがメインのアルバムで、モーツァルトの有名なセレナーデが2曲演奏されています。それぞれ「ポストホルン」と「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」という愛称で親しまれている作品です。「アイネ~」の方は、例えばベートーヴェンの「運命」のように他人が勝手につけたものではなく、モーツァルト自身が付けた名前なので堂々と口にしても恥ずかしいことはありません。というか、このドイツ語のタイトルを丸暗記して他人に伝えるのは、いかにも「私はクラシックに詳しい人間です」と宣言しているようなもので、そういう意味ではやはり「恥ずかしい」ものです。そういう人に限って、「ナハトムジーク」を「ナハトム」と「ジーク」に分けて発音したりしますから、恥ずかしさは一層募ります。
現在ではアレグロ/アンダンテ/メヌエット/アレグロという4つの楽章の形で親しまれていますが、本来は2曲目にもう一つのメヌエットが入っていたのだそうで。なぜかそれだけ楽譜がなくなってしまって今ではこの形で何の疑いもなく演奏されるようになっています。この方が、普通の交響曲と同じ構成になっているので、聴いていておさまりが良いのかもしれませんね。しかし、このCDではそこにわざわざ弦楽四重奏からのメヌエットを付け加えていました。
このアンサンブルはピリオド楽器を使っていますから、ピッチも半音ほど低いものでした。表現もいかにもピリオドっぽい素っ気ないもの、速めのテンポでサクサクと迫ります。ただ、アンダンテの楽章でもそれを貫いて、潔いほどのインテンポで進められると、ちょっと居心地が悪くなってしまいます。呼吸をしないで歌を歌っているような気になってくるのですね。この辺はいろいろな主張があるのでしょうが、同じモーツァルトでゆったりとしたアリアをこんな風に歌われたりしたら、誰でも「ありゃ?」と感じるのではないでしょうか。
終楽章は予想に反してかなりゆったりとした、というか、野暮ったいテンポ、しかも律儀にすべての繰り返しを行っていますから、とても退屈です。
「ポストホルン」という名前は、単にそういう楽器が使われているということで呼ばれているだけで、モーツァルト自身は関与していません。その楽器は、6曲目のメヌエットの第2トリオで登場するだけなんですけどね。それよりも、この曲ではフルートが3曲目と4曲目に加わり、大活躍しているのに注目です。モダン楽器での演奏はさんざん聴いてきたのですが、ピリオド楽器はこれが初体験、期待というよりは不安が先立ちます。残念なことに、モーツァルトでモダンを超えるトラヴェルソなんて聴いたことがありませんから。
しかし、ここでのフルートは、2番はちょっと、でしたが1番の人はピッチに関してはとても素晴らしいものを聴かせてくれていました。これだったらモダンと比べても何の遜色もありません。逆に、オーボエのピッチの悪さが目立ってしまいますけどね。ただ、指揮者は相変わらずインテンポで音楽を進めているので、フレージングがいかにも窮屈なのがもったいないですね。実は、ポストホルンが登場する6曲目でも、最初のトリオではピッコロがユニゾンで加わっています。
ここでは、このセレナーデと一緒に演奏されたとされる2曲の序曲が、前後に演奏されています。「前」の方は最初の楽章のモティーフがちょっと現れますし、「後」ではなぜか「アイネ・クライネ」のアンダンテ楽章、というよりは、フルートとハープのための協奏曲の第3楽章とよく似たテーマが聴こえてきます。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2017-03-23 21:46 | オーケストラ | Comments(0)
MENDELSSOHN/Symphonies Nos. 1&3
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Andrew Manze/
NDR Radiophilharmonie
PENTATONE/PTC 5186 595(hybrid SACD)


最初はケンブリッジ大学で古典学を学んでいたのが、その後ヴァイオリンを学び始め、瞬く間に「古楽のスペシャリスト」になってしまったのがアンドルー・マンゼです。
以前はリチャード・エガーとこんなアルバムを作って、ヴァイオリニストと鍵盤奏者として活躍していましたが、最近はそれぞれ指揮者としても大活躍、しっかりしたポストも獲得するようになっています。エガーの方は、クリストファー・ホグウッド亡き後のアカデミー・オブ・エインシェント・ミュージックの指揮者という、これまでの実績の延長線上のフィールドですが、マンゼの場合は指揮者としてのキャリアのスタートこそは、1996年に就任したその同じ団体の副指揮者、2003年から2007年まではイングリッシュ・コンサートの芸術監督という「エインシェント・ミュージック」の世界でしたが、その後は普通のシンフォニー・オーケストラを相手に仕事を進めていっているようです。2006年からはヘルシングボリ交響楽団の首席指揮者、そして2014年からはかつては大植英次も首席指揮者だったこともあるこのNDR放送フィル(ハノーファー北ドイツ放送フィル)の首席指揮者に就任します。
このオーケストラは北ドイツ放送(NDR)が持っている2つのオーケストラのうちのハノーファーにある方です。もう一つはハンブルクにある、最近「NDRアルプフィルハーモニー管弦楽団」と改名した、ヘンゲルブロックがシェフを務めるオーケストラです。
ただ、彼の「指揮者」としての力量は、2007年に録音された殆どデビュー盤とも言えるヘルシングボリ交響楽団との「エロイカ」を聴いた限りでは、それほど際立ったものとは思えませんでした。それから10年、今のオーケストラとの初めてのPENTATONEへの録音では、どのような姿を見せてくれているのでしょうか。というか、実はこの間のエルガーのチェロ協奏曲のアルバムで、彼はスイス・ロマンド管弦楽団を指揮していたのですけどね。その時はあくまで的確なサポートに徹していた、という印象でした。
このメンデルスゾーンの交響曲集では、「1番」と「3番」が取り上げられています。お判りでしょうが、これは彼の「大きな」交響曲の最初と最後の作品ということになります。その「1番」が始まると、まずその音がいつものこのレーベルの音ではないことに気づきます。クレジットを見るとどうやらこれは北ドイツ放送のスタッフが録音したもののようですね。それは、POLYHYMNIAの音に慣れた耳には、いかにもどんくさいものに感じられます。特に弦楽器が全く輝きを欠いているのですね。人数も少ないようで、バランス的にもちょっと不満が残ります。
ただ、良く聴いてみると、もしかしたらここではマンゼの意向でガット弦を使って演奏していたのかとも思えてきます。ビブラートも全くかけないというわけではありませんが、かなり控えめになっていますから、そのようなピリオド的なアプローチを、このオーケストラではやろうとしていたのでしょうか。ただ、木管管楽器あたりはごく普通の吹き方で朗々と歌っていますから、全体的にはなんだか中途半端なスタイルになっている感は否めません。それは、かつてノリントンが指揮をしたSWRのシュトゥットガルト放送交響楽団の演奏で味わっていた違和感と同じ種類のものです。
とは言っても、このメンデルスゾーンはなかなか新鮮な味わいをもっていました。特に早い楽章でのきびきびとしたテンポ感と、かなり鋭角的なリズム処理はなかなかのインパクトです。緩徐楽章でも、あまり思い入れを加えずにあっさり仕上げているあたりは好感が持てます。一番感心したのは、「3番」の終楽章のコーダの部分。これ見よがしに堂々と演奏する指揮者が多い中にあって、マンゼはほとんど冗談のような「軽さ」で迫っています。そんな彼の持ち味が、今後のこのオーケストラとの共演の中でどう生かされていくのか、まんず見守っていきたいものです。

SACD Artwork © Norddeutscher Rundfunk

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by jurassic_oyaji | 2017-03-21 20:27 | オーケストラ | Comments(0)
ELGAR/Cello Concerto, TCHAIKOVSKY/Rococo Variations
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Johannes Moser(Vc)
Andrew Manze/
Orchestre de la Suisse Romande
PENTATONE/PTC5186 570(hybrid SACD)


エルガーのチェロ協奏曲の2016年の6月に録音されたばかりのSACDがリリースされました。おそらく今現在では最も新しいものと言えるがー
今回の録音でのソリストは、1979年に、ドイツ人とカナダ人の音楽家同士の家族に生まれたヨハネス・モーザーです。2002年のチャイコフスキー・コンクールのチェロ部門では1位なしの2位という最高位を獲得しています。それ以降、世界中の有名オーケストラ、大指揮者との共演を果たしている、人気チェリストです。
このアルバムでは、エルガーの他にチャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」と、あと3曲、チェロとオーケストラのための作品が演奏されています。そのうちのオリジナルは「カプリッチョ風小品」だけですが、「夜想曲」と「アンダンテ・カンタービレ」はチャイコフスキー自身が自作を編曲したものです。
つまり、チャイコフスキーには最初からこの編成で作られた作品が2曲ある、ということになります。しかし、その最も代表的な「ロココ」にしても、現在普通に演奏されているのは実際はチャイコフスキーのオリジナルではありません。いや、正直言って、このSACDでわざわざ「オリジナル版」と書いてあったので、初めてそのことを知ったのですけどね。
例えばあのロストロポーヴィチあたりが使っていたのは「フィッツェンハーゲン版」と呼ばれている楽譜でした。これは、この作品を献呈され、初演も行ったチェリスト、ヴィルヘルム・フィッツェンハーゲンが「改訂」した楽譜です。彼が行った改訂では、チャイコフスキーのオリジナルの曲順が大幅に変更されています。その結果、本来あった8つ目の変奏がカットされて、主題と7つの変奏の形になっています。主題では、前半と後半をそれぞれリピートさせて、テーマをより強く印象付ける工夫がなされましたし、変奏も派手なものを最後に持ってきて、とても分かりやすいクライマックスが味わえるようなものになっていました。
出版も、フィッツェンハーゲンが主導権を取って行ったため、彼の改訂が反映されたものしか、世の中には出回りませんでした。かくして、この作品はこの改訂版の形態がほぼ確定されてしまって、これで多くの人の耳に届くことになってしまいました。1950年代になって、やっとオリジナルの楽譜も出版されるようになりますが、やはり今までの慣習には逆らえなかったのと、その出版の際にはスコアだけでオーケストラのパート譜などはなかったために、このオリジナル版はなかなか実際に演奏されることはありませんでした。それが、この作品を課題曲としているチャイコフスキー・コンクールで、2002年からは「オリジナル版に限る」という指定がなされたのです。
2002年といえば、このアルバムのソリスト、モーザーが最高位を取った年ですよね。ですから、彼はここでもその「オリジナル版」を演奏しています。調べてみたら、すでにジュリアン・ロイド・ウェッバーやスティーヴン・イッサーリスなど、多くのチェリストがこの版での録音を行っていました。
初めて聴いたこのオリジナル版、確かに今まで聴きなれたものとは全然異なる印象を与えられるものでした。それは、フィッツェンハーゲン版では最後に置かれていたとても派手な「第7変奏」は、オリジナルではもっと前に置かれていた「第4変奏」だったというあたりで、かなりはっきりしてきます。そして、オリジナルでの終わり方は、フィッツェンハーゲン版では3つ目に置かれていた、ゆったりとした変奏曲のあとに、カットされていた軽やかな「第8変奏」を経て、コーダになだれ込むという形、こうすることで、より中身が深くなったように感じられます。もはや、「改訂版」を演奏し続ける理由は何もないことが確信できるのではないでしょうか。
肝心のエルガーは、デュプレを聴いてしまうとあまりにあっさりしているように感じられます。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.

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by jurassic_oyaji | 2017-03-15 00:15 | オーケストラ | Comments(0)
SHOSTAKOVICH/Cello Concerto No.1, Symphony No.5
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Xavier Phillips(Vc)
David Grimal/
Les Dissonances
DISSONANCES/LD 009



最近、あちこちで話題になっているフランスのアンサンブル「レ・ディソナンス」がショスタコーヴィチを録音したというので、思わず触手が伸びてしまったざんす。ヴァイオリニストのダヴィド・グリマルが2004年に結成した、この「不協和音」という名前のオーケストラは、指揮者は置かずにグリマルを中心に演奏を行うという、あのアメリカの「オルフェウス室内管弦楽団」のようなスタイルをとっている団体です。最初はNAIVEなどに録音を行っていたようですが、2013年に自主レーベルを発足させ、ベートーヴェン、ブラームス、モーツァルトなどの有名どころのライブ録音をどんどん行なってきました。
今回はショスタコーヴィチということで、本当に指揮者なしでも大丈夫なのか気になってしまいますが、彼らはすでにコンサートではラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲や、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」などもすでに演奏(もちろん指揮者なしで)しているそうですから、こんなのだったら楽勝なのでしょう。
この団体は、演奏する曲によってメンバーも増減させています。メンバーでもあるチェリストのグザビエ・フィリップスがソロを担当した「チェロ協奏曲第1番」では、かなり小さな編成、弦楽器は8.6.5.5.3のようですね。演奏している写真を見ると、木管楽器の最前列(フルートとオーボエ)の前には弦楽器は配置しないで、コンサートマスターであるグリマルとの距離を最小にしています。これで、弦楽器と管楽器とのコンタクトは密になるのでしょう。これは、もっと弦楽器が増えている「交響曲第5番」でも同じこと、フルートとオーボエは、もろにお客さんの前に全身をさらしています。
「チェロ協奏曲」の演奏は、なにかとても和やかな雰囲気が漂っているものでした。ソロもオーケストラもあまり声高にしゃべることはなく、しっかりお互いのやることを聴き合いながら合奏を楽しんでいる、という感じでしょうか。大活躍するホルンのソリストも、とても伸び伸びと吹いているようです。
「交響曲」では、それだけでは済まされない、かなり周到なリハーサルで方向性を決めてきたような形跡がうかがえます。第1楽章などは、弦楽器はほとんどビブラートをかけていません。これはかなり効果的、この曲の性格を的確に伝えるのには十分なものがあります。もちろん、管楽器も極力ノン・ビブラートを心掛けているようです。ソロ・フルートなどは、間違いなく木管の楽器を使っているのでしょうが、とても暗い音色でアタックも全くつけないで吹いていますから、暗澹たる情景を演出するにはもってこいです。
おそらく、管楽器のソロは基本的に奏者の自由に任せているのでしょう。ここではそれぞれのソリストの個性がはっきり伝わってきます。彼らは、それらを大切にしつつ、全体としては大きな流れを設定する、といった姿勢なのでしょうか。
第2楽章では、アンサンブルは完璧、とても軽快なグルーヴ感が味わえます。
第3楽章では、それまでのノン・ビブラートからはガラッと変わって、弦楽器はとてもねちっこく迫る「熱い」音楽に変わります。それに対してフルート・ソロはとても冷静にそれを見渡している、という感じ、そこからは、何か醒めた視線すら感じることが出来ます。
フィナーレでは、オープニングのテンポの変化などはそれほど劇的なものではありません。あくまで、表面的な効果を狙うよりは、内面的なもので訴えようという姿勢でしょうか。それが恐ろしいほど伝わってくるのが、最後の盛り上がりの前のとても美しい弦楽器の部分(練習番号119から)です。楽譜ではずっとピアニシモのまま淡々と演奏するような指示ですが、そこで彼らはほんの少しのダイナミックスの変化を付けています。それが絶妙の極み、まるでその後に続くバカ騒ぎをあざ笑っているかのように感じられたのは、ただの思い過ごしでしょうか。

CD Artwork © Dissonances Records

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by jurassic_oyaji | 2017-03-09 20:10 | オーケストラ | Comments(0)
SMETANA/Má Vlast
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Jakub Hrůša/
Bamberger Symphoniker
TUDOR/7196(hybrid SACD)



このレーベルから、ジョナサン・ノットの指揮で数多くのSACDをリリースしてきたバンベルク交響楽団ですが、ここではノットではなく(not Nott)ヤクブ・フルシャという人が指揮をしています。2000年からこのオーケストラの首席指揮者・芸術監督を続けていたノットは、2015/2016年のシーズンを最後に、このオーケストラを去りました。現代曲が得意な指揮者という印象があったので最初はミスマッチだと思っていましたが、ちょっと田舎っぽかったこのオーケストラのイメージを一新してくれました。これで、フルシャは創設時の指揮者ヨーゼフ・カイルベルトから、ジェームス・ロッホラン、ホルスト・シュタイン、ジョナサン・ノットを経て5人目の首席指揮者に就任したことになります。
新任のフルシャは、このジャケット写真ではおっさんに見えますが、実際は1981年生まれ、まだ30代半ばですから、指揮者の世界では「若造」です。名前からわかるように、生まれたのはチェコのブルノ、チェコに起源を持つこのオーケストラが、初めてチェコのシェフを迎えたことになります。フルシャは最初はピアノとトロンボーンを学んでいましたが、やがて指揮者に転向、22歳の時にはクロアチアのザグレブで行われた「ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮者コンクール」で入賞します。それからは、彼の支援者であった指揮者のビエロフラーヴェクの後押しもあって、チェコ国内のほとんどすべてのオーケストラを指揮する機会を得ることが出来ました。
その後は、イギリスでも活躍、フィルハーモニア管弦楽団やグラインドボーン音楽祭の指揮者を務めます。さらに、ヨーロッパとアメリカの数多くのメジャーなオーケストラと共演しています。日本でも、東京都交響楽団の首席客演指揮者を、2010年から現在まで務めています。
2010年の「プラハの春」のオープニングで演奏を任されたということで、フルシャにとって、スメタナの「我が祖国」は特別な存在となりました。彼がこれを演奏する時にはあるこだわりがあって、コンサートの時のプログラムはこの曲だけで、決してほかの曲と一緒には演奏しないとか、普通は3曲目が終わったあとで休憩が入るものですが、彼は全曲を休まずに一気に演奏するようにしているのだそうです。
今までのノットとの録音同様、これはこのオーケストラの本拠地、コンツェルトハウス・バンベルクのヨーゼフ・カイルベルト・ザールでのセッション録音です。弦楽器の並び方も、ノットの時と同じ対向配置になっていました。この間ブロムシュテットと来日した時にもこの並び方でしたね。1曲目の「ヴィシェフラド」には2台のハープが彩りを添えますが、それがお互いに離れた位置で演奏しているので、スペクタクルな音場が楽しめます。オーケストラの音色はあくまでクリア、SACDで聴くとちょっと線が細くなりますが、繊細の限りを尽くす弦楽器のトィウッティは、やはりノットによって磨き上げられたものなのでしょう。
ですから、今まで聴いてきた「わが祖国」の、いわゆる民族的な泥臭さは、ここからはほとんど漂っては来ません。それよりも、フルシャが一気に最後まで演奏することを主張していたことを裏付けるように、単なる6つの交響詩の集まりではなく、堅固な構成力によって結びつけられた大きな作品としての姿がまざまざと浮かび上がってきます。
この録音は、前半と後半で2度に分けて行われています。1曲目から3曲目まではそれほど求心力は感じられなかったものの、4曲目から最後までの切迫感はかなり激しいものがありました。正直、続けて聴いているとこのあたりで退屈してしまうものが、ここまで魅力的に迫ってくるのを感じたのは、多分初めての体験です。
ブックレットには最新のベーレンライター・プラハ版の楽譜を使用したとありますが、その版で特徴的な「ヴルタヴァ」での1オクターブ高いピッコロは、ここでは演奏されていないようでした。

SACD Artwork © Tudor Recording AG

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by jurassic_oyaji | 2017-02-14 22:16 | オーケストラ | Comments(0)
STRAUSS/Elektra, Der Rosenkavalier(Suites)
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Manfred Honeck/
Pittsburgh Symphony Orchestra
REFERENCE/FR-722SACD(hybrid SACD)



ホーネックとピッツバーグ交響楽団とのこのレーベルでのデビューアルバムが、たしかシュトラウスの交響詩だったのではないでしょうか。それから多くの作曲家の曲を録音してきて、おそらく6枚目となるこのアルバムでまたシュトラウスに帰ってきました。あ、もちろん「ヨハン」ではなく「リヒャルト」の方ですからね。
ただ、今回は交響詩ではなく、オペラの中の曲を集めた「組曲」でした。しかし、「ばらの騎士」の方は普通に使われるアルトゥール・ロジンスキの編曲ですが、「エレクトラ」の方は新たにホーネック自身が構成を考えて、トマーシュ・イレという作曲家が実際に編曲したという、これまでもヤナーチェクの「イェヌーファ」やドヴォルジャークの「ルサルカ」でとったのと同じ手法による組曲です。ですから、これは初めて録音されたものになるのでしょう。
「エレクトラ」についてのホーネックの思い入れは、かなりなものがあるようです。彼が初めてこのオペラを体験したのは、まだウィーン・フィルの団員だった頃にクラウディオ・アバドの指揮で演奏した時のことだったそうです。その時のオーケストラのサウンドには圧倒されてしまい、まるでこのオペラの主人公はオーケストラのようだと感じたのです。そして、なぜ、今までこれをオーケストラの曲に編曲した人がいないのか、とても不思議だったそうです。たしかに、ここでのオーケストラは多くの楽器が加わって人数もかなり多くなっていますから、それはかなり困難を伴うことなのでしょうが、いつかはそれを演奏してみたい、とずっと思っていたのでしょうね。そんな長年の夢が、ここでかなうことになりました。
出来上がったオーケストラ曲は、オリジナルのオペラとは全く異なった様相を見せていました。そもそも、オペラでは冒頭に1度だけ奏される印象的なアガメムノンのテーマ(「ボルガの舟歌」に似てませんか?)は、このホーネック版では2回繰り返されているのですからね。
オペラではどうしても耳に入るのは歌手たちの歌う声、「エレクトラ」の場合、それはあまりリリカルなものではなく、正直聴いて魅力を感じるようなものではありません。でも、それを取り去ってオーケストラだけになると、そこには様々なテーマ有機的に結びついて、なんとも雄弁に物語を綴っていました。ですから、これを聴くと、まるで最初からシュトラウスが「交響詩」として作ったのではないか、と思わせられてしまうほどです。
演奏も、とても緊張感があふれる素晴らしものでした。何よりも聴きごたえがあるのが、本当に小さな音で不気味な雰囲気を醸し出している部分です。これだけやってしまうと、歌がなくても完全に音楽として成立しているのではないでしょうか。いや、もしかしたら、へたに歌を入れるよりこちらの方がコンパクトに「エレクトラ」の世界が味わえるのかもしれません。
「ばらの騎士」の方は、そもそもの音楽の作られ方が「エレクトラ」とは異なっていますから、この組曲からはきっちりとオペラの世界が広がってきます。そうなると、もろにこのオペラに必要なセンスというか、「色気」のようなものが求められるのですが、この演奏ではそれがちょっと欠けているような気がしてなりません。「銀のばらのモティーフ」は録音のバランスもあるのでしょうが、絶対に聴こえて欲しいチェレスタのきらめきが全く感じられません。そして、「オックス男爵のワルツ」も、何とも鈍重なリズム感に支配されています。このあたりが、アメリカのオーケストラの苦手なところなのかもしれませんね。
録音そのものは、いつものようにとても生々しい音で、パワーも繊細さもきちんと感じられるのですから、やはりオーケストラのセンスにちょっと難があった、ということなのでしょう。こればっかりは、いくらホーネックがを折ってもどうなるものではなかったのかもしれません。

SACD Artwork © Reference Recordings

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by jurassic_oyaji | 2017-02-04 20:45 | オーケストラ | Comments(0)
BRUCKNER/Symphony No.8
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Karl Böhm/
Berliner Philharmoniker
TESTAMENT/SBT 1512




往年の名指揮者カール・ベームは、ドイツ・オーストリア系の作曲家の作品を演奏することには定評があり、数多くのレコーディングを残しています。しかし、それはもっぱらかつてのスタンダードであるベートーヴェンやモーツァルトに限られたことであって、ちょっと新し目のファンが喜ぶマーラーやブルックナーあたりはほとんど目に付かないのではないでしょうか。いや、確かに、マーラーに関してはおそらく交響曲のアルバムは全く出してはいないはずですが、ブルックナーに関しては、コンサートではちゃんと取り上げていました。なにしろ、ブルックナーの交響曲第4番を、世界で初めて録音したのは、ほかならぬベームなのですからね。それは、1936年頃にドイツのEMIであるELECTROLAに録音したもので、オーケストラはザクセン・シュターツカペレ(現在のドレスデン・シュターツカペレ)でした。しかも、その頃はブルックナーの弟子によって改竄された楽譜しか出版されていませんでしたから、当時の指揮者、フルトヴェングラーとかクナッパーツブッシュなどは、「改訂版」と呼ばれるそれらの楽譜を使って演奏していたのですが、ベームは新しく出版された原典版(その時はハース版)を使っていたのですからね。
ただ、その後はDECCAやDGといったレーベルはすでに他の指揮者によるブルックナーの交響曲の録音を持っていましたから、レパートリーが重なるためにベームに録音をさせることはありませんでした。それでも、1970年代になって、やっとDECCAで3番と4番、DGで7番と8番を、それぞれウィーン・フィルと録音することが出来ました。
ただ、8番ではそのような正規の「商品」ではない、ラジオ放送用の音源などを使ったブートレグまがいのものは、ウィーン・フィルのものをはじめ、ベルリン・フィル、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団、バイエルン放送響、北ドイツ放送響、ニューヨーク・フィルなどとの録音が残っています。そのベルリン・フィルとの1969年の録音が、今回晴れてTESTAMENTから正規品としてリリースされました。
これには、もう一つポイントがあります。それは、ここで1番フルートを吹いているのは、このコンサートの数か月前に入団したばかりのジェームズ・ゴールウェイだ、ということです。ベームがDGでベルリン・フィルと精力的に録音していたのはゴールウェイが入団する前のことでしたが、1970年にかろうじて「ポストホルン・セレナーデ」で共演出来ていました。そこでのゴールウェイのソロは、とても伸び伸びとした素晴らしいものでした。
ベームという人は、ライブとセッション録音とではだいぶ演奏に対する姿勢が違っているようです。ブルックナーの8番でも、演奏時間を比べるとライブは72分とか74分といった感じですが、DGでのセッション録音は82分ですから、テンポだけでもかなり違っています。それだけ、ライブの方が勢いのある演奏になっているのではないでしょうか。
この1969年のベルリン・フィルとのライブも、かなりサクサクと進むスピード感にあふれるものでした。そこでのゴールウェイは、なんだかちょっと居心地が悪かったのでは、というような気がします。ソロで本当はもっと歌いたいのに、指揮者が先に行ってしまうもどかしさ、みたいなものが何となく感じられてしまいましたね。
実はゴールウェイは、1975年、このオーケストラを去るちょっと前に、この曲をカラヤンの指揮で演奏しています。それは、まさにゴールウェイのやりたかったことがカラヤンによって引き出されたような素晴らしいものでした。特に、カラヤンはハース版を使っていますから、ノヴァーク版で演奏されたベームの時にはカットされていた第4楽章の「O」と「P」の間にあるフルート3本の長大なソリを嬉々として吹いていました。

やはり、フルーティストであれば、この曲はハース版をつかってちょうだい、と言いたくなるのでしょうね。
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by jurassic_oyaji | 2017-01-21 20:51 | オーケストラ | Comments(0)
MAHLER/Das Lied von der Erde
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Dietrich Fischer-Dieskau(Bar)
James King(Ten)
Leonard Bernstein/
Wiener Philharmoniker
TOWER RECORDS/PROC-1991(hybrid SACD)




1966年に録音された、バーンスタインとウィーン・フィルによるマーラーの「大地の歌」がSACDになりました。発売当時からかなりの評判をとっていたレコードですから、CDが流通し始めたかなり早い時期、1989年にはCD化され(左)、さらにその後も「オリジナルス」のような仕様(右)で新たにリマスタリングが施されたものもリリースされていました。

しかし、今に至るまでSACDやBD-Aでのリリースはなかったはずです。それが、この前のコンドラシンの「シェエラザード」で見事なハイレゾ化を見せてくれたタワーレコードの企画によって、めでたくSACDを聴くことが出来るようになりました。
なにしろ、プロデューサーはジョン・カルショー、エンジニアはゴードン・パリーという、あのショルティの「指輪」を完成させたパリパリのDECCAの黄金コンビによる制作、その音の神髄はとてもCDでは再生できるわけはありませんから、これには喜びもひとしおです。
その1966年というのは、バーンスタインが初めてウィーンの国立歌劇場で指揮をした記念すべき年でした。そこで上演された「ファルスタッフ」が人気を集めたので、バーンスタインをアーティストとして抱えていたアメリカのCBSは同じキャストでのレコーディングを企画します。そして、表向きはCBSのジョン・マクルーアがプロデューサーというクレジットで作られたレコードは、実際はエリック・スミス(プロデューサー)、ゴードン・パリーとコリン・モアフット(エンジニア)がウィーンのゾフィエンザールで録音を行ったという、完全にDECCAによる制作だったのです。その時のオーケストラのウィーン・フィルが、DECCAの専属アーティストだったからですね。
ですから、DECCAとしてはそのバーターとして、同じメンバーによってDECCAとしてのレコードを作ることが出来たのです。それが、この「大地の歌」でした。
さらに、バーンスタインは1968年にもこの歌劇場に登場して、シュトラウスの「ばらの騎士」を指揮して、やはり大評判となり、そのプロダクションが1971年に再演された時に、やはりDECCAのチームによって録音されたものがCBSレーベルからリリースされています。その時のプロデューサーは、すでに1967年にはDECCAを去ってBBCで仕事をしていたカルショーでした(エンジニアはゴードン・パリーと、ジェームズ・ロック)。
この「大地の歌」は、確かに今までのCDとは一線を画した、ハイグレードの音になっていました。解像度は明らかに増して、それぞれの楽器や歌手が立体的に聴こえてくる、というのは、今までの「良い」SACDでは必ず味わえたものです。ただ、2種類のCD(初版とオリジナルス)と今回のSACDを比べてみると、なんだかマスターテープそのものが違っているのではないか、という気がしてきました。
今回のブックレットには
本国のオリジナル・アナログ・マスターテープからダイレクトにDSD変換とマスタリングを行い、SACD層用のDSDマスターを制作しています。(略)なおアナログ・マスターテープはその経年劣化と保存状態に応じて、可能な範囲で入念な修復作業を行った後に変換作業を実施しています。

とありますが、その「修復」というのは具体的にはどういうものなのでしょう。SACDではヒスノイズが少なくなっていますし、ヴォーカルの音像が少し引っ込んだ感じになっています。さらに、2曲目の「Der Einsame im Herbst」で、初版では派手あちこちで認められたドロップアウトが、SACDでは全くなくなっています。あるいは、初版とSACDにはなかったドロップアウトが、オリジナルスにだけ存在していたりします。ですから、DSDにトランスファーする以前に、かなり大々的な修復作業(正確には、デジタル・エディティング)が行われていたのではないでしょうか(DSDでは、そのような精密な編集作業は不可能です)。それは「オリジナル・アナログ・マスターテープからダイレクトにDSD変換」というものには程遠い作業のような気がするのですが。

SACD Artwork © Decca Music Group Limited
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by jurassic_oyaji | 2016-12-06 23:08 | オーケストラ | Comments(0)
BERLIOZ/LAVANDIER/Symphonie fantastique
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You Jung Han(Vn)
Maxime Pascal/
Le Balcon
Académie de musique de rue Tonton a faim
ALPHA/ALPHA539




フランスの若い作曲家アルテュール・ラヴァンディエが、やはり若い指揮者マキシム・パスカルと一緒にアイディアを出し合って編曲を行い、パスカルのバンド、「ル・バルコン」が演奏したベルリオーズの「幻想交響曲」です。このバージョンは2013年の「ベルリオーズ音楽祭」で初演されましたが、その時ラヴァンディエは26歳、パスカルは28歳でした。さらに、ベルリオーズがこの曲を作ったのは27歳の時だったのだそうです。どうでもいいことですが。
それを、2016年の7月にスタジオで録音したものが、このCDです。その際に、普通のステレオ・ミックスと、バイノーラル・ミックスの2種類のバージョンが作られていますが、CDに収録されているのはステレオ・バージョン、そして、バイノーラル・バージョンはネットからダウンロードして入手できるように、個別のパスコードが同封されています。ただ、それはZIPファイルになっているのですが、何種類かの解凍ソフトを使って試みても、ジャケット画像とブックレットのPDFしか解凍されず、肝心の音声ファイルはエラーが出て開けませんでした。これも、どうでもいいことです。別に必要ありませんし(それは「バイアグラ」)。
パッケージのアートワークもとてもユニーク。ボックスには白い表紙のブックレットと、白い紙ジャケに入ったCD本体の他に、ジャケットサイズの5枚の紙が入っていて、それぞれに楽章ごとのイメージのイラストが載っています。正直、そのイラストはあまりに説明的過ぎて陳腐の極みです。もちろん、そんなのもどうでもいいことですね

オーケストラの編成は、オリジナルの編成の楽器がそれぞれ1人ずつ(ヴァイオリンとヴィオラは2人ずつ)と、オリジナルにない楽器としてアルペン・ホルンとエレキギター、そしてピアノとキーボードが加わります。さらに、第2楽章と第4楽章にはブラスバンドも加わっているようです。
第1楽章は、いきなりヴァイオリンのソロで始まります。それはまるでカデンツァのようですが、次第に「幻想」の頭の部分を元にしたインプロヴィゼーションのような気がしてきます。そのうちに、オリジナルをきちんと少ない楽器で演奏したものも聴こえてきます。どうやら、この編曲のプランはそんな風に思いっきり崩す部分と、そのままほぼ忠実に演奏する部分とを交互に提供する、というようなものなのでしょう。
とは言っても、第2楽章ではまずエレキギターのリズムから始まって、まるでチンドン屋みたいな安っぽいワルツになったと思うと、それがさらにブラスバンドによる「スウィング」に変わります。この楽章は、ほとんどがそんなビッグバンド風のスウィングに支配されている感じ、あまりに明るすぎるそのノリノリのグルーヴには、かなりの違和感が付いてまわります。
第3楽章では、オリジナルではイングリッシュ・ホルンの物憂げな「呼びかけ」がとても印象的ですが、ここではなんとそのパートを「アルペン・ホルン」に吹かせています。なんとも雄大なその響きは、この楽章が本来持っている情感とは全くかけ離れたもの、いったい何を考えているのでしょうか。しかも、それは何とも不思議なメロディに変わっているので(応えるオーボエは普通のメロディなのに)、聴いていて気持ち悪くなってしまうほどです。
第4楽章は、「断頭台への行進」というタイトルを真に受けて、ブラスバンドが本当の「行進曲」を演奏していますよ。これから殺されるというのに、どうしてそこまで元気でいられるんでしょう。不思議です。
終楽章では、安っぽいコンピューター・プログラミングが大活躍、「Dies irae」のテーマも重々しさが全然ない間抜けな音源で、笑ってしまいますよ。
この、才能のなさをテクノロジーでしかカバーできない三文作曲家の仕事によって、ベルリオーズのオーケストレーションがいかに素晴らしいものであったか、ということに誰しもが気づいたことでしょう。

CD Artwork © Le Balcon
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by jurassic_oyaji | 2016-12-03 21:57 | オーケストラ | Comments(0)
STRAUSS/Eine Alpensinfonie, Tod und Verklärung
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Mariss Jansons/
Syphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
BR/900148




きのうまで来日していて、西宮、名古屋、川崎、そして東京(2日間)でコンサートを行っていたヤンソンス指揮のバイエルン放送交響楽団の、最も新しいCDです。シュトラウスの「アルプス交響曲」と「死と変容」のカップリングですが、「アルプス交響曲」は先月のミュンヘンでのコンサートのライブ録音ですから、それこそ、あのウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート」並みのスピードでのリリースですね。店頭に並ぶのは12月になってからになってしまうのですが、たまたまおとといのサントリーホールでのコンサート(曲はマーラーの9番)に行ったら、そこで先行発売されていました。
何しろ、生でこのオーケストラの圧倒的なサウンドを体験してしまった直後ですから、はたしてCDで同じような体験が味わえるのかが、とても心配でした。しかし、ガスタイクで録音された「アルプス交響曲」は、しっかりとまだ耳に残っているあのサウンドを届けてくれていました。もちろんCDですから限界はあります。たとえば、弦楽器の瑞々しさなどは、聴きはじめたあたりでは「なかなかやるじゃん」とは思ってみても、長く聴いているとやっぱりCDの音だな、という気にはなってきます。でも、それはほんのちょっと頭の中で修正を加えれば、コンサートで聴いた音とほぼ同等なものに変わります。
一方の管楽器や打楽器は、マイクのセッティングのせいでしょうか、ひょっとしたらコンサートよりも明晰な音が聴こえていたかもしれません。
サントリーホールでこのオーケストラを聴いた時に気が付いたのが、ティンパニの何とも言えぬ存在感です。それは、単にアクセントを付けるだけではなく、他の楽器が音を伸ばしている間でもその和音の中にピッタリはまりこんで、まるでオルガンの低音のような持続音としての役割まで担うという、打楽器とは思えないような不思議な雰囲気を醸し出していたのです。
そんな印象が、この「アルプス交響曲」からも伝わってきました。言ってみれば「物静かなティンパニ」といった佇まいでしょうか。これはとても魅力的なことだったのですが、さらにすごいのは、本来の「リズム楽器」という特性もきっちりと主張していた、ということです。この曲では何度も何度もオーケストラ全体がクライマックスを迎える場面が登場します。そこでのティンパニは、その盛り上がりを支えると同時に、そのエクスタシーがたどり着く頂点を明確に知らしめる役割も持っていました。そして、特にライブでは興に任せるあまりその頂点がいくらか鈍くなりがちなのですが、このティンパニだけは冷静に、まさにあるべきポイントで正確にパルスを入れていたのです。
「死と変容」は2014年の録音。これは会場がヘルクレス・ザールですし、エンジニアも別の人なので、なんともインパクトに欠ける録音になっていました。弦楽器の音などはしょぼすぎます。
リリースを急いだせいでしょうか、CD制作時のミスが結構見られます。まず、トラックナンバーの表記が間違っています。ブックレットでは「18 Gewitter und Sturm, Abstieg」とありますが、これは「19」の間違い、

そして、ジャケット裏では「死と変容」のトラックが「22」となっていますが、これも「23」の間違いです。

さらに、これはライブとは言っても複数のテイクをつなぎ合わせているので、正しくはトラック「19」の3分12秒付近で、つなげた際のクロスフェードがうまく行かなかった跡がはっきり分かります。
トラックナンバーの件をFacebookページ経由で代理店に教えてあげたら、それなりの措置を講じるようなコメントが返ってきましたが、以前こんなひどい対応に終始した代理店ですから、どうなることやら。そこが作った帯では「死と変容」の録音会場がこんなことなっていましたし。

発売前に「フライングゲット」出来たのはうれしいのですが、代理店にとっては泣きたくなるような結末でしたね(それは「クライングゲット」)。


CD Artwork © BRmedia Service GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-11-29 23:29 | オーケストラ | Comments(0)