おやぢの部屋2
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カテゴリ:オーケストラ( 473 )
TCHAIKOVSKY/Symphony No.6 Pathétique
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Teodor Currentzis/
MusicAeterna
SONY/88985 40435 2


先日、BSでクレンツィスとムジカ・エテルナが今年のザルツブルク音楽祭でモーツァルトの「レクイエム」を演奏していた映像が放送されていましたね。この曲はCDも出ていますから、どんな表現をしているのかは予想出来ていましたが、やはり実際の姿を見るとそれがとても説得力に富んでいることがよく分かります。一番驚いたのは、彼らはチェロとコントラバス奏者以外は、合唱もオーケストラも立って演奏していたことです。休みのところでも立ったままなんですよ。というか、そもそも椅子が用意されていないのですね。ですから、「Tuba mirum」でのトロンボーン奏者などは、ソロが始まるとステージの前に出てきて暗譜で吹き始めたりします。まるで、ジャズのビッグバンドでソロを取る人が前に出て来て演奏するというノリですね。コンサートマスターも横を向いたり後ろを向いたりと、ほとんど踊りながらヴァイオリンを弾いていました。
そのモーツァルトでは、もちろん全員がピリオド楽器を使っていました。しかし、今回はチャイコフスキーですから、同じ「ピリオド」とは言ってもモーツァルトの時代とはかなり異なる、ほとんどモダン楽器と変わらないものを使っているはずです。ですから、この「ムジカ・エテルナ」という、クレンツィスがオペラハウスのオーケストラのメンバーを集めて作った団体では、そんな、モダンもピリオドも両方の楽器に堪能な人を揃えてるな、と思ったものです。
今回の録音は、2015年の2月にベルリンのフンクハウスで行われました。その時のメンバーがブックレットに載っているので、同じ年の10月から始まった「ドン・ジョヴァンニ」の録音の時のメンバーと比較してみると、やはり木管楽器あたりはほぼ全員他の人に変わっていましたね。確かに、木管では両方の楽器のそれぞれにスペシャリストになるのは大変です。ただ、トランペットやトロンボーンは、大体同じ人が演奏していました。弦楽器でも、何人かは「両刀使い」がいるようで、ここでは、半分ぐらいは別の人のようでした。ですから、やはりこの団体は、曲の時代によって大幅にメンバーを入れ替えて演奏しているのですね。そして、きっと「悲愴」の時は、みんな座っているのではないでしょうか。
それと、そのメンバー表を見ると、弦楽器の人数が16.14.12.14.9と、低弦がやたら充実していることが分かります。しかも、先ほどのモーツァルトは普通にコントラバスが右端に来る配置でしたが、どうやらここでは対向配置をとっているようで、コントラバスが左奥から聴こえてきます。そんなこともあって、第1楽章の序奏での低弦は、巨大な音の塊がのっそりと迫ってくる、というとてつもなく不気味なインパクトがありました。
さらに、続く主部のテーマは、本当はとても美しい女性が、あえて醜さを装って他人との接触を拒んでいる、みたいな不思議な思いが込められたものでした。もうそれだけで、この演奏が従来のイメージを破壊した上に成り立っているものであるのかが分かります。
おそらく、クレンツィスは今までの慣習を完全にリセットしたうえで楽譜を読むという、これまでに見せてきた手法を「悲愴」にも用いただけなのかもしれません。ですから、第2楽章で、ちょっと聴いただけでは軽やかなワルツに聴こえなくもないものを、あえて5拍子という変拍子を強調することで、その中にあるはずの複雑な情念を表に出そうとしていたのでしょう。
とはいっても、ここまでやられるとそもそもこの時代の音楽とはいったいなんだったのか、という根源的な疑問にまで立ち向かわなければいけないのでは、という思いにもかられます。正直、それはとても辛いことのような気がします。
そう思えたのには、なんとも圧迫感の強い、あまり美しくない録音にも責任があるはずです。この録音会場であれば、もっとのびやかな音で録ることはそんなに難しいことではありません。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2017-10-31 23:01 | オーケストラ | Comments(0)
STRAUSS/Also sprach Zarathustra, MAHLER/Totenfeier
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Vladimir Jurowski/
Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin
PENTATONE/PTC 5186 597(hybrid SACD)


辻井伸行をソリストに迎え、首席指揮者を務めるロンドン・フィルを率いての日本ツアーを終えたばかりのユロフスキですが、彼の現在のポストはその他にロシア国立交響楽団(正式な英語表記は「State Academic Symphony Orchestra of Russia ''Evgeny Svetlanov”」)とブカレストのジョルジェ・エネスク音楽祭の芸術監督ですし、少し前まではベルリンのコミッシェ・オーパーとグラインドボーン音楽祭のチーフも務めていたという売れっ子です。そして、今年の9月からは、マレク・ヤノフスキの後任としてベルリン放送交響楽団の首席指揮者兼芸術監督にも就任しました。
ユロフスキは、就任以前にもこのオーケストラとこのレーベルに録音を行っていました。それは2014年7月のシュニトケの「交響曲第3番」のスタジオ録音です。その時の会場がベルリン放送局(RBB)の本部の建物「ハウス・デス・ルントフンクス」の中にある放送用の大ホールだったのですが、ユロフスキはその録音の編集の時に聴いた音をとても気に入ったのだそうです。確かに、このSACDを聴くと、いかにも、シュニトケのこの作品にふさわしいあらゆる音がきっちりと聴こえてくる精緻な録音だという気はします。
そこで、ユロフスキは、普通のレパートリーをこのシュニトケと同じ状態で録音してみたいと、提案したのだそうです。その結果、この「ツァラ」と、カップリングには同じメッセージが込められているマーラーの「葬礼」が選ばれ、2016年6月に同じ場所、同じエンジニア(POLYHYMNIAのジャン・マリー・ヘイセン)による録音セッションがもたれることになったのです。このあたり、単にコンサートのライブ録音だけでお茶を濁している最近のレコーディング状況とは一線を画した、一本芯の通ったポリシーが感じられませんか?
まず、この会場にはオルガンは設置されていないので、オルガンのパートだけは別の教会で後日録音された、という点まで同じようにして作られた「ツァラ」の方は、冒頭のそのオルガンのペダル・トーンのあまりのしょぼさにはがっかりさせられます。ただ、その後のトランペットのファンファーレの後のクライマックスで、トライアングルの音がとてもはっきりと聴こえてきたのには驚きましたね。
というか、確かにスコアにはトライアングルは書かれていますが、改めていくつかの録音にトライしてみても、それは全く聴こえることはありませんでした。こんな、ちょっとお上品ではあるけれど、聴こえるべき音ははっきり聴こえて、音楽全体の構造がはっきり分かってくる、というのが、このホールと録音クルーが作り出したサウンドなのでしょう。おそらく、ユロフスキはこんなところが気に入ったのでしょうね。
ですから、この「ツァラ」は、冒頭を聴いただけで判断されるようなスペクタクルなものではなく、本来はもっと繊細で室内楽的な響きが良く似合う作品であったことも、よく分かります。エンディングの全く無関係な調の掛け合いも、しみじみと味わい深く感じられます。
そして、カップリングが、マーラーの「交響曲第2番」の第1楽章の初稿として知られている交響詩「葬礼」です。ユロフスキは、2011年1月にも、この曲を別のオーケストラと録音していました。そのCDのレビューで、後の改訂版との違いなどを見ることが出来ます。そこでは、今回、UNIVERSALのサイトで、スコアがPDFで提供されていたので、それを参考にしてさらに細かく手直ししてあります。そのスコアでは、交響曲は4管編成ですが、「葬礼」は3管編成だったことも分かります。
こちらの演奏も、丁寧なセッション録音のおかげでしょう、前のものより深いところまで踏み込んだ表現が見られます。
もう1曲、マーラーがブルックナーのもとで学んでいた頃の習作とされる「交響的前奏曲」も演奏されていますが、そこにはマーラーらしさは全く感じられません。それは、こういう録音だから、なおさらくっきりとそのように聴こえたのかもしれません。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.

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by jurassic_oyaji | 2017-10-28 20:19 | オーケストラ | Comments(0)
SHOSTAKOVICH/Symphony No.5
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Manfred Honeck/
Pittsburgh Symphony Orchestra
REFERENCE/FR-724SACD(hybrid SACD)


ホーネックとピッツバーグ交響楽団の最新SACDですが、録音されたのは2013年ですから、「最新録音」ではありません。もちろん、録音機材も、そして録音フォーマット(DSD256=11.2MHzDSD)も現在と全く変わっていませんから、SACDとしてのクオリティにはなんの問題もありません。この頃はホーネックとこのオーケストラとの相性もとても良好なものになっていたはずですから、ホーネックが自らの思いを存分にオーケストラから引き出している様を、最高の音で聴くことが出来ますよ。
このレーベルが作ったブックレットでうれしいのは、オーケストラのメンバーが全て掲載されていることです。もちろん、それは録音された当時のメンバーですから、もっと最近のものと比べるとそこに若干の違いがあったりするのが、とても生々しくて興味深いですね。今回は6月に録音されたショスタコーヴィッチの「交響曲第5番」と、10月に録音されたバーバーの「アダージョ」がカップリングされているのですが、それぞれに実際に演奏したメンバーが分かるようになっていますし、その時のエキストラまでしっかり記載されていますからね。ある意味、一つのオーケストラの資料として、とても貴重なものとなっているのではないでしょうか。
そこで、いつも気になっていることなのですが、アメリカのオーケストラの場合、メンバーの肩書の中に「Principal(首席奏者)」や「Associate Principal(副首席奏者)」といったものとは別に「~Chair」というのが加わっている人がいるんですね。実際にこちらでご覧になってください。管楽器では首席級の人だけのようですが、弦楽器だとトゥッティのかなり末席の人でもこの「Chair」を持っているようですね。
確信はないのですが、おそらくこれはある種の「ネーミング・ライツ」なのではないでしょうか。アメリカのオーケストラの主たる財源は個人や法人からの寄付ですから、こんな風に個々の団員(というか、個々の席次)にまでスポンサーが付くようなシステムが出来上がっているのでしょうか。なんせ、こんな風にインターネットや世界中で販売されているCDのブックレットに自分の名前がでかでかと載るのですから、たまらないでしょう。でも、中には謙虚な人もいて、別のオーケストラですが、自分は匿名で寄付をして、ヴィオラの首席を「パウル・ヒンデミット・チェア」と名付けるような粋な人もいるようですね。
もちろん、席次が下がれば寄付金もお安くなるのでしょうね。もしかしたら、パーティーなどの時には自分の「席」の人と家族みたいに親しくなれたりするのかもしれませんね。親席って。
このSACD、まず録音面で感心したのが、それぞれのパートがとても存在感を持っていることと、楽器の音のヌケが非常に良いことでした。特にホルンのパートがとてもくっきり聴こえてきたのには驚きました。あくまで個人的な感想ですが、このパートは、生で聴く時でも何本かが重なると常に音が濁って感じられるものでして、それが録音となるとさらに混濁が激しくなります。多分、ホールの中で微妙に倍音が干渉し合っているのでしょうね。それが、このアルバムではなんの障害もなくストレートにホルンの音が聴こえてくるのです。ホールの音響のせいか、マイクアレンジのせいかは分かりませんが、これは驚異的なことです。
そんなスッキリとしたサウンドによって、ホーネックのショスタコーヴィチは細かいところまで指揮者の意図が伝わってくるものでした。正直、それはこの作品に対してあまりに楽観的なように感じられるものですが、それはそれで楽しめるものです。こんな、陰の全くないショスタコーヴィチも、たまにはいいものです。
バーバーの「アダージョ」も、完璧に磨き上げられた弦楽器のサウンドは、パート全体が完全に「個」を離れた一つの発音体のように感じられるほどです。それはあたかも、北欧の優れた合唱団によって歌われた「Agnus Dei」のようにさえ聴こえてきます。

SACD Artwork © Reference Recordings

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by jurassic_oyaji | 2017-10-19 20:27 | オーケストラ | Comments(2)
MENDELSSOHN/Symphonien Nr.4, Nr.5
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Ola Rudner/
Württembergische Philharmonie Reutlingen
ARS PRODUKTION/ARS 38 111(hybrid SACD)


メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」と第5番「宗教改革」という、なんの変哲もない名曲アルバムなのですが、いずれの曲も普通に使われているものとは違った楽譜によって演奏されているという興味深いSACDです。ただ、これは2012年頃にリリースされたもので、人に教えられてこれを知った時には、もはや入手困難な商品になっていました。
「4番」の楽譜に関しては、今でこそ1833年に作られた、現在普通に演奏されているものが「第1稿」で、翌1834年にそれの第2楽章から第4楽章まで改訂を行った楽譜が「第2稿」であることがはっきりしていますが、ちょっと前まではかなりの混乱がありました。「第2稿」の自筆稿は、1878年からプロイセンの国立図書館に保存されていたのですが、研究者はほとんど関心を示していませんでした。それを、1960年に、「これは、『交響曲第4番』の初期の楽譜だ」と主張する学者が現れたため、それを真に受けた様々な資料が出回ることになりました(1998年に世界で初めてこの楽譜で録音したガーディナーの国内盤の解説とか)。結局、1997年にファクシミリ、2001年にジョン・マイケル・クーパーの校訂による楽譜が出版されて、それが「未完の『改訂稿』」(=第2稿)だということが明らかになったのです。2010年には、トマス・シュミット=ベステの校訂で、ブライトコプフ&ヘルテルから、新全集のコンテンツとしても出版されています。
第1楽章は改訂されていなかったので、それはそのまま「第1稿」を使って、第2楽章以下が「第2稿」で演奏されるため、これは「1833/34年稿」とも呼ばれます。
「5番」の方は、こちらでご紹介したクリストファー・ホグウッド校訂のベーレンライター版が2009年に出版されています。これは、この1冊で「第1稿」と「第2稿」がともに手に入るというお買い得な編集になっていますし、ホグウッドが修復をあきらめた「第1稿」の第4楽章のソースも、楽譜やファクシミリで掲載されています。こちらは「第2稿」の方が普通に演奏されているものになりますね。
1953年生まれ、パガニーニ・コンクールの入賞者で、ヴァイオリニストとしてソリスト、コンサートマスターと華々しい活躍をしていたスウェーデンの指揮者、オーラ・ルードナーが、2008年から首席指揮者を務めるロイトリンゲン・ヴュルテンベルク・フィルを率いて、メンデルスゾーンのこの2つの交響曲の録音を行ったのは、「4番」が2009年の7月28-29日、「5番」が2009年の4月14-15日のことでした。ブックレットによれば、「4番」は「1833/34 version」、「5番」は「The Bärenreiter Urtext edition by Christopher Hogwood, published in February 2009, was used instead. Ola Rudner decided to use the 1830 facsimile of the very first ending of the symphony for this recording.」によって演奏されたとなっています。「instead」というのは、別の原典版がこの時点ではまだ完成していなかったため、代わりにこのような措置を取った、ということです。
したがって、これは「5番」の「第1稿」の世界初録音(リンクにあるCOVIELLO盤は2009年4月21日以降の録音)、さらに「4番」の「第2稿」とカップリングされたものとしても世界初になるはずです。
その上、「5番」で「ファクシミリによる最初のエンディング」を商用メディアとしてリリースしたものもこれが初めてのものだったのではないでしょうか。最後の「神はわがやぐら」のコラールがなくなってしまっているのですから、初めて聴いた人はびっくりしてしまうことでしょう。ホームレスの歌はどこに?(それは「カフェはわがねぐら」)。
もう一つの相違点は、そのコラールで始まる終楽章に入る前に、フルート・ソロによる長大なカデンツァが入っていることです。ここでのフルート奏者は、そのソロは立派に吹いているものの、「4番」も含めてトゥッティになると、もっとフルートが聴こえてもいいのに、と思ってしまうような人でした。そのように感じたのは、DSDだった音源をNMLのAACというしょぼい音で聴いたからなのかもしれません。でも、ティンパニのモヤモヤとした音は、元々のものなのでしょう。

SACD Artwork © Arte Produktion

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by jurassic_oyaji | 2017-09-12 22:48 | オーケストラ | Comments(0)
SHOSTAKOVICH/Syphony No.7 "Leningrad"
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Andris Nelsons/
City of Birmingham Symphony Orchestra
ORFEO/C 852 121 A(hybrid SACD)


我々消費者が入手する輸入CDの中には、ストアが直接輸入しているアイテムもなくはありませんが、ほとんどのものは専門のCD輸入業者というものがいて、そういうストアは、そこを通して品物を入手しています。ですから、どんなストアの店頭にも、同じような新譜が並んでいるはずです。
最近では、そういうリアル・ストアではなく、ほとんどネット通販で購入するようになっていますから、新譜に関しては、そういう輸入業者がストア向けに送っているアイテムの情報がネットには掲載されますから、それを頼りに目星をつけて購入することになります。
ただ、レーベルによってはそのような輸入業者が、ある日突然に別の業者に変わってしまうことがあります。ふしだらな女性が離婚してすぐ再婚するようなものですね。もちろん、そんな恥ずかしいことはあまり大っぴらにはしないものですから、そんな業者の変更も消費者には知らされることはなく、買ってみたらいつの間にか別のパートナーになっていた、と気づくだけのことです。
今回のORFEOレーベルもそんな感じで、ごく最近輸入業者が変わっています。この、ネルソンスが指揮をした「レニングラード」は、その「前のパートナー」の時、2012年にリリースされたものでした。それを引き継いだ「新しいパートナー」は、ネルソンスがもうすぐボストン交響楽団と来日することに目を付けて、それに絡んでひと儲けしようと、こんな昔のアイテムをもう1度リリースしようとしました。ただ、それだけでは何のインパクトもないので、SACDで発売するために、わざわざ日本での販売だけのためにレーベルに新たにハイブリッドSACDを作ってもらったのだそうです。そんなに売れる見込みがあるのでしょうか。まあ、日本のファンは音にうるさい人が多いので、それなりの需要があるのでしょう。
ただ、それが「本物」のSACDであるかどうかというチェックは必要です。実際に、かなりの大レーベルでも、オリジナルの録音はCDのフォーマットだったものを、見かけだけハイレゾ風にアップ・サンプリングを行って、平気でSACDとして販売しているところがありますからね。
そこで、前のCDは持ってなかったので、今回のSACDのCD層とSACD層を聴き比べてみました。確かに、弦楽器のトゥッティの音は、SACDの方がよりテクスチャーがはっきり感じられるものになっていますし、高音も無理なく伸びていますから、CDとははっきり異なっていることが分かります。ひとまず、きちんとしたハイレゾ音源が提供されていることだけは確かなのではないでしょうか。少なくとも、これを聴いてCD特有の余裕のない音にストレスを感じることはありません。ただ、これはあくまで個人的な感想ですから、ブックレットに正確な録音フォーマットが記載されていない限り、真実は闇の中であることに変わりはありません。
現在ではボストン交響楽団とライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団という、2つの超Aクラスのオーケストラのシェフとなって、いわば指揮者としての頂点を極めた感のあるネルソンスですが、これが録音された2011年当時は、サイモン・ラトルという超大物が去ったあとのバーミンガム市交響楽団を引き継いだ2人目の無名の指揮者(1人目はサカリ・オラモ)という程度の認識しかなかったのではないでしょうか。そんな時に彼が見せたショスタコーヴィチの解釈は、なんとしても自己の存在を強烈に印象付けたいという若者の気負いがこもったものでした。彼は、第1楽章の延々と続く同じテーマの繰り返しを、すでにその時点で「おふざけ」として聴かせようとしています。それは、バルトークが行った挑発(それこそが、ショスタコーヴィチが仕掛けた挑発だったはず)を真に受けた、愚かな行動です。
輸入業者の思惑とは違って、この新装なったSACDは、よりクリアな音でそんな「若気の至り」の傷口に擦り込まれた塩のようなものになっていました(どうでしお?)。

SACD Artwork © ORFEO International Music GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-09-09 22:19 | オーケストラ | Comments(0)
WAGNER/Der Ring ohne Worte
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Hansjörg Albrecht/
Staatskaoelle Weimar
OEHMS/OC1872


かつてはこのレーベルからバッハのオルガン曲や、オルガンのために編曲されたさまざまな作曲家の曲をリリースしていたオルガニストのハンスイェルク・アルブレヒトは、いつの間にかミュンヘン・バッハ管弦楽団の指揮者になっていましたが、さらに最近では普通のシンフォニー・オーケストラも指揮する、「普通の」指揮者にもなっていましたね。なんでも、今ではモーツァルトのオペラの指揮まで行っているそうですから、その才能はもはやオルガンにはとどまらない広範なジャンルへと及んでいるのでしょうね。
ですから、今回ワーグナーの「指環」の全曲を収録したアルバムが出ても、別に意外な感じはありませんでした。まあ、なるべくしてなった当然の帰結だ、と思いましたね。ただ、「指環」のアルバムなのに1枚しか入ってなかったので、変だと思ってタイトルをよく見てみたら、「Der Ring des Nibelungen」ではなく「Der Ring ohne Worte」、「Der Ring」までは同じですが、そのあとが違ってます。そう、これは前にも聴いたことのある、「言葉のない『指環』」という、指揮者のロリン・マゼールが作った「ハイライト版」でした。これはマゼールが自分で演奏するために作った版なのでしょうから、よもや他の指揮者が指揮をするというケースなどありえないと思っていたのですが、それをアルブレヒトがやってしまったんですね。
ですから、本来だとCDでは14枚ぐらい必要なものが、たった1枚に圧縮されてしまいました。ところが、なぜか日本の代理店が貼付したバーコードでは「2枚組」となっていますね。
確か、マゼールのBDでは演奏時間は「83分」もありましたから、これを作った人は、まさか、この曲がCD1枚に収まるとは思っていなかったのかもしれませんが、現物はそれより10分も短くなっていましたから、楽々1枚に収まっていたのでした。別にマゼール版をカットしたような形跡は見られませんでしたから、これは単に全体のテンポが速かったからなのでしょう。
ただ、部分的に比較してみると、中にはマゼールの方が速いところもありました。しかし、「ワルキューレ」の「ヴォータンの別れ」のシーンや、「神々の黄昏」の「ジークフリートの葬送行進曲」といったゆったりしたところでは、アルブレヒトがかなりあっさり目に演奏しています。おそらく、マゼールの演奏では、テンポの変化を際立たせるように、速いところはより速く、遅いところはより遅くと、大きな起伏を作っていたのでしょう。
ですから、マゼールを聴いた後にこのアルブレヒトの演奏を聴くと、なんかのっぺりとしていて、その中に入って興奮したり、しっとりした情感を味わったり、ということが出来にくくなっているのではないでしょうか。それと、どちらもライブ録音なのですが、今回のワイマール・シュターツカペレの場合は、金管楽器が終わりごろになると明らかにばてているような感じになっています。彼らは通常はオペラのピットに入っているオーケストラですから、それこそ「指環」全曲を演奏したことだってあるのでしょうが、やはりオペラの中で休み休み吹いているのと、このマゼール版のように最初から最後まで全力で吹きっぱなしというのでは、スタミナの配分が違うのでしょうね。その点、BDのベルリン・フィルは決して途中で力がなくなることはありませんでした。
なんせ、超短縮版ですから、この曲だけで物語のあらすじをたどろうというのは無理な話です。今回改めてその「編曲」の実態を調べてみると、最後の「神々の黄昏」だけで半分近くの時間を費やしていることが分かりました。ですから、「ワルキューレ」などは15分しか時間がもらえてませんし、その中でも第1幕はたった4分で終わってしまいます。ジークムントとジークリンデは1分ちょっと経って出会うのですから、彼らは愛の語らいもそこそこに、その3分後にはベッドインしているということになりますね。なんという早さ。丸亀製麺みたい(それは「イートイン」)。

CD Artwork © Deutschelandradio/OehmsClassics Musikproduktion GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-09-07 21:18 | オーケストラ | Comments(0)
IRELAND/Music for String Orchestra
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Raphael Wallfisch(Vc)
David Curtis/
Orchestra of the Swan
NAXOS/8.571372


イギリスの作曲家、ジョン・アイアランドって知ってますか?スーパーヒーローじゃないですよ(それは「アイアンマン」)。先日、さるアマチュア・オーケストラの飲み会でその名前が出た時に、彼のことを知っていた人は20人ほどの出席者の中に3人ぐらいしかいませんでしたね。
ジョン・ニコルソン・アイアランドは、1879年に生まれて、1962年に亡くなっています。ですから、年代的にはヴォーン・ウィリアムズ(1872年生まれ)やホルスト(1874年生まれ)といった作曲家と近い世代になります。王立音楽院(RCM)で学びますが、のちに母校で教鞭を執ることになり、ベンジャミン・ブリテンが彼の生徒となっていたりします。
ただ、彼の作風は、いわゆる「イギリス風」というものとは少し違っているのだそうです。彼は、フランスの印象派やバルトーク、ストラヴィンスキーといった作曲家にも興味を示していて、その影響は作品の中に見られると言われています。それでいて、なにかとても洗練された味わいが感じられるのが、彼のアイデンティティなのだとか。
そんな作曲家の作品ばかりを集めたアルバムが、なぜか手元にありました。1年以上前にリリース(録音は2015年)されたものですが、おそらく誰かから譲り受けたものなのかもしれません。その存在自体、すっかり忘れていたものが、それが、もうすぐ、所属する団体がこの中にある曲を演奏することになったとたん、未聴CDの山の中から顔を出したのですから、何か不思議な力が働いているような気がしてなりません。
このジャケットにある作曲家のイラストは、彼の写真を元に描かれたものなのでしょうが、その、日本の作曲家Nさんにとてもよく似た顔立ちは、そのNさんと同じように、なにか育ちの良さと、それとは裏腹に何かびっくりさせれられるような「秘密」を抱えているように見えてしまいます。
このアルバムは、アイアランドの弦楽オーケストラのための作品を集めたものです。ただ、ここで演奏されているものは、すべてオリジナルは別の形だったものが、弦楽合奏、あるいは弦楽合奏とチェロ独奏のために編曲されているのです。ですから、ほとんどはこれが世界初録音となります。ただ、最後の「牧草地組曲」だけは、何種類かの録音が出ています。でも、それらはすべてイギリスの演奏家によるものですから、レアな曲目であることに変わりはありません。
最初に演奏されているのは、1923年に作られた「チェロとピアノのためのソナタ」をチェロと弦楽合奏のために編曲したものです。3楽章から成る堂々たるソナタで、かなり骨太なダイナミックさが感じられる作品です。その中に、フランス風のテンション・コードや、哀愁を帯びたテーマが現れます。
そのあとには小品が6曲続きますが、後半の3曲はヴァイオリンとピアノのための作品だったものを、チェロと弦楽合奏に編曲したものです。これらはかなり若いころ、1902年から1911年にかけて作られていますが、軽快なたたずまいはまるでルロイ・アンダーソンの一連の作品のようなテイストを持っています。中には、それこそイギリスの作曲家エルガーの代表作、「愛のあいさつ」を思い起こされるようなものもありました。
そして、最後が4つの曲から成る「牧草地組曲」です。そもそもは1932年に、ブラスバンドのコンテストのための課題曲として作られたものですが、そのうちの2曲目の「エレジー」と3曲目「メヌエット」が、作曲家自身の手によって弦楽合奏に編曲され、残りの2曲が彼の死後、弟子のジェフリー・ブッシュによって同じ編成の曲に仕上げられています。「エレジー」は、まるでマーラーの「アダージェット」のような息の長い美しいメロディを持つ、情感深い作品です。これが吹奏楽のために作られたものだとは、信じられないほどです。「メヌエット」は、とても都会的で上品な佳曲、オーケストラのアンコール・ピースなどには最適なのではないでしょうか。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

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by jurassic_oyaji | 2017-08-29 22:29 | オーケストラ | Comments(0)
GADE/Symphonies Nos. 3 & 4
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新田ユリ/
愛知室内オーケストラ
AICHI CHAMBER ORCHESTRA/ACO-001, 002


今年、2017年は、デンマークの作曲家ニルス・ウィルヘルム・ゲーゼが生まれてから200年という記念の年です。しかし、例えばバッハやモーツァルトの記念年のように盛大にお祝いされるということが無いのは、ひとえにこの作曲家が一般の人にはほとんど知られていないからです。なんせ、名前すら最近でこそきちんと「ゲーゼ」と呼ばれるようになっていますが、少し前までは「ガーデ」とか、もっとひどいのは「ガーゼ」でしたからね。お前は救急箱か。
つまり、ゲーゼさんは1817年に生まれたことになります。時代的にはメンデルスゾーン(1809年)やシューマン(1810年)といった有名なロマン派の作曲家と同時代、ということですね。
実際、ゲーゼはメンデルスゾーンとは深い関係にあって、1842年に作られた彼の「交響曲第1番」をライプツィヒで初演してくれたのは、ほかならぬメンデルスゾーンだったのです。ゲーゼはそのままライプツィヒへ赴いてメンデルスゾーンの弟子となり、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の副指揮者として1845年には、メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」の初演の指揮を任されるほどになります(この時、本来指揮をするはずだったメンデルスゾーンは、体調不良でした)。さらに1847年にメンデルスゾーンが亡くなると、その首席指揮者のポストを引き継ぎました。しかし、1848年にデンマークとプロイセンとの戦争が勃発したために、ゲーゼはデンマークに戻ります。それ以後は、故国の音楽発展に寄与、さらにニルセン、ノルウェーのグリーグといった、多くの北欧の作曲家を育て、「北欧音楽の父」とも呼ばれています。
彼の交響曲は、全部で8曲あります。いずれも演奏時間は20分から30分のもので、古典的な4楽章形式をとっていますが、「5番」だけにはソロ・ピアノが加わっているのがちょっとユニークなところでしょうか。
今までに、その8曲全部が録音されたセットは、おそらく3種類あります。それは、1980年代のネーメ・ヤルヴィ指揮のストックホルム・シンフォニエッタ(BIS)、1990年代のミハエル・シェンヴァント指揮のコペンハーゲン・コレギウム・ムジクム(DACAPO)、そして2000年代のクリストファー・ホグウッド指揮のデンマーク国立放送交響楽団(CHANDOS)です。
そこに、史上4番目の交響曲ツィクルスを目指して、新田ユリさんと愛知室内オーケストラとの録音のリリースがスタートしました。新田さんは、かつてフィンランドでオスモ・ヴァンスカの薫陶を受け、現在は日本シベリウス協会の会長を務められているというまさにシベリウスのスペシャリストですが、シベリウスだけには限らない、北欧音楽全般に対する広範な視野をお持ちになっている方です。その一端はこちらの著書に反映されています。
新田さんは2015年にこのオーケストラの常任指揮者に就任されましたが、その就任記念演奏会として2月27日に開催された第14回定期演奏会で演奏されたのが、「交響曲第3番」(ACO-001)です。さらに、就任前の2012年9月28日の第11回定期演奏会で演奏されたのが「交響曲第4番」(ACO-002)です。
先ほどの書籍の中では、新田さんは「正直なところ『第1番』と『第8番』の間に、大きな変化は見られない...8曲とも同じような色合いに聞こえてしまう」と書かれていますが、どうしてどうして、「3番」の持つまるでチャイコフスキーのような哀愁、そして「4番」が醸し出すとても甘美で上品なテイスト、それらはこの録音ではそれぞれに印象深く伝わってきます。
ただ、これはCDではなく、NML、Spotify、iTunesなどでの配信によるリリースで、品番もそれらのアートワークのものです。ですから、音源はAACレベルで、ちょっと物足りないところはあります。ハイレゾでの配信は期待出来るのでしょうか。それとも、裏切られる?(それは「背信」)。
今年3月の第18回定期演奏会では、「交響曲第1番」が演奏されました。この堅実な歩みが続きますように。

AAC Artwork © Aichi Chamber Orchestra

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by jurassic_oyaji | 2017-08-17 20:54 | オーケストラ | Comments(0)
DVOŘÁK/Symphony No.9
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Kevin John Edusei/
Chineke! Orchestra
SIGNUM/SIGCD515


「チネケ! オーケストラ」という、聴きなれない名前のオーケストラのデビュー・アルバムです。熱血漢が集まっているのでしょうか(それは「血の気」)。
最初、このジャケットを見た時には、この10人ぐらいのメンバーだけで「新世界」などを演奏しているのかな、と思ってしまいました。実は普通の編成のシンフォニー・オーケストラだったんですね。ブックレットにはメンバー表もありますが、きっちり14型、2管編成で、総勢71人です。
「チネケ」は、英語では「Chineke」という表記、これは、ナイジェリアあたりで使われている言語「イボ語」で、「神」という意味の言葉なのだそうです。「神!」なんですね。そもそもは、2015年にイギリスで設立された「チネケ!財団」というNPOが母体になっていて、そこにはこの「チネケ! オーケストラ」と、「チネケ! ジュニア・オーケストラ」の2つの団体が所属しています。
そして、最も重要なのは、ここに属するのは全て「黒人と少数民族」だということです。そのような人たちがイギリスのみならず、ヨーロッパ全土から集まって、これらのオーケストラのメンバーになっています。最近では、有名なオーケストラでこのようなマイノリティの奏者を見かけることは良くありますから、以前は確かにあった「壁」というか「差別」は少なくなっているのでは、と思っていたのですが、実情はそんなに甘いものではないのでしょうね。なんとしてもマイノリティだけによるオーケストラを、という切実な思いがあったのでしょう。
この財団の創設者は、ナイジェリア人とアイルランド人のハーフ、チチ・ンワノクというコントラバス奏者です。なんでも幼少のころはスプリンターとして世界大会にも出場したこともあるアスリートだったのだそうです。彼女は、エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団の創設メンバーの一人でもありました。もちろん「チネケ! オーケストラ」でも首席コントラバス奏者を務めています。
指揮者のケヴィン・ジョン・エドゥセイも、もちろんマイノリティの方。ミュンヘン交響楽団と、ベルン市立劇場オーケストラの首席指揮者のポストにあります。
このCDは、彼らが2016年9月4日にロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールで行ったコンサートのライブ録音、収録されている「フィンランディア」と「新世界」には、それぞれ彼らのルーツに寄せる思いと共鳴するところがあるのでしょうか。
1曲目は、そのシベリウスの「フィンランディア」です。まずは、録音がなんとも乾いた音になっていて、弦楽器の響きがとても薄っぺらなのが気になります。それと、全体の演奏が盛り上がっても、なにか方向性がバラバラで音としても、音楽としても目指すものが良く見えてこないようなところがあります。ですから、この曲でよく見られる熱い思いのたぎるさまは、まず感じることはできません。
メインとなるドヴォルジャークの「交響曲第9番(新世界より)」も、なにか全体のアンサンブルがちぐはぐなような感じが付いて回ります。というより、この曲を演奏する時に絶対に外せないようなポイントで、ことごとく予想外の歌い方やパート間のバランスのとり方が出現しているのですね。たとえば、第1楽章でのフルートのソロなども、普通のヨーロッパのオーケストラだったら絶対にやらないような、ちょっとした「いい加減」なところがあったりします。
たとえば、われわれ日本人は、西洋音楽に関しては紛れもない「マイノリティ」です。そんな人が集まったオーケストラは、見事に「西洋風」の演奏を聴かせてくれます。ところが、同じ「マイノリティ」でも、この「チネケ!」はおよそ「西洋」のしきたりとはかけ離れた音楽を聴かせてくれました。「マイノリティ」の進むべき道は、本当はどちらが「正しい」のか、そんなことを考えさせられるという意味で、これは興味深いCDです。

CD Artwork © Signum Records

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by jurassic_oyaji | 2017-08-10 21:31 | オーケストラ | Comments(0)
CALANDRELLI, FREIBERG, BEAL/Concerto for Clarinet & Orchestra
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Andy Miles(Cl)
Wayne Marshall, Rasmus Baumann/
WDR Funkhausorchester Köln
CPO/555 154-2



このアルバムのタイトルは、「Symphonic Jazz with Andy Miles」です。「シンフォニック・ジャズ」という言葉は、あのガーシュウィンに「ラプソディ・イン・ブルー」を作らせ、それを演奏したポール・ホワイトマンが目指したコンセプトなのでしょうが、それは、今回のアルバムのコンセプトとは微妙に異なっているようです。「元祖」の方はあくまで主体はジャズバンド、それにストリングスを少し加えて「シンフォニック」に迫ろうというものですが、こちらはクラシックの伝統的な編成による「シンフォニック・オーケストラ」を使って、ジャズのイディオムをふんだんに使った曲を作ろう、というものなのでしょうから。
そして、今の時代は最初からジャズとクラシックの垣根がないところからキャリアをスタートさせている音楽家がたくさんいます。ここで聴くことのできる3つの「クラリネット協奏曲」を作ったり演奏しているのも、それぞれに日常的にジャンルを超えた活動を行っている人ばかりですからね。
ここで演奏しているオーケストラはWDR(西ドイツ放送)に所属している2つのオーケストラの一つ、WDRケルン放送管弦楽団。もう一つの「ケルン放送交響楽団」の方はクラシック専門ですが、こちらはもっと幅広い音楽をいつも演奏しています。それで儲けるんですね。そして、その首席クラリネット奏者であるアンディ・マイルズが、このアルバムの主人公です。
ジャケットの写真で、彼がクラリネットを演奏していますが、その楽器を見ると「エーラー管」であることが分かります。これは、世界中でメインに使われている楽器(ベーム管)とは全く別のタイプの楽器で、主にドイツのオーケストラ奏者だけによって使われているものです。その渋い音色は、まさにドイツ・オーストリア古典派の音楽には最も適した楽器だと言われています。そんな楽器で演奏されるジャズ、ちょっと気になりますね。
最初に演奏されている協奏曲は、1939年生まれの、アメリカの編曲の世界では名前を知らない人はいないという大御所、ホルヘ・カランドレリの作品です。いかにもクラシック的なアレグロ-アダージョ-プレストという典型的な楽章配置になっていて、第1楽章あたりは近代の例えばイベールあたりの作品とよく似た、技巧的なパッセージと色彩的なオーケストレーションが魅力的なものに仕上がっています。しかし、途中からそれがガラリと変わって、小粋なジャズ風のリズムに乗った軽快なものになります。そして最後には「カデンツァ」が用意されていますがおそらくそれは演奏者に即興演奏が任されている「ソロ」のパートなのでしょう。
第2楽章は、まさにスタンダード・ナンバーのジャズ・ヴォーカルの世界が広がります。まるでムード・ミュージック(死語)のようなサウンドが、ジャジーに迫ります。しかし、最後の楽章あたりでは、弦楽器に打楽器のような演奏をさせる「現代的」な奏法まで繰り出して、ハードさも主張しています。
2曲目はこのオーケストラの委嘱によって、特にマイルズのために作られた、1957年生まれ、映画やテレビの世界で活躍しているダニエル・フライバーグの「ラテン・アメリカン・クロニクルス」という、スペイン風のテイストを持った作品です。ここでは、クラリネットのソロがオーケストラのフルート奏者と掛け合いをするシーンもありますが、そのフルートもしっかりジャズっぽいビブラートで応戦しています。
3曲目はトランペット奏者から作曲家に転身した1963年生まれのジェフ・ビールの「Riches to Rags」と「Famines to Feasts」という2つの部分から成る作品。シンコペーションのリズムが各所で大活躍です。
マイルズは、胸のすくようなテクニックで、見事にソロのパッセージを吹きまくっています。エーラー管ならではの落ち着いた音色と、控えめなビブラートが、ジャズの中にもしっかりクラシックのセンスを感じさせてくれています。
 
CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück

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by jurassic_oyaji | 2017-08-05 20:34 | オーケストラ | Comments(0)