おやぢの部屋2
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カテゴリ:オーケストラ( 461 )
MAHLER/Symphony No.5
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Osmo Vänskä
Minnesota Orchestra
BIS/SACD-2226(hybrid SACD)


フィンランドの指揮者、オスモ・ヴァンスカは、今ではアメリカのオーケストラの音楽監督に就任して、インターナショナルな活躍をしています。ただ、このBISレーベルからリリースされているCDでの彼のレパートリーは、お世辞にもインターナショナルとは言えません。やはり、なんと言っても突出しているのはシベリウスでしょう。かつての手兵だったフィンランドのラハティ交響楽団との共演では、シベリウスに関してはかなりマニアックなものまでレコーディングを行っていましたし、交響曲ではラハティ、ミネソタ両方のオーケストラとの全集を完成させていますからね。なんたって、その中には双方に「クッレルヴォ交響曲」まで含まれているのですから、これはそうとう画期的。
ただ、その他の作曲家では、交響曲全集を完成させたのは同じ北欧のニルセン(BBCスコティッシュ管)とベートーヴェン(ミネソタ管)しかなかったような気がします。そんなところに、いきなりマーラーの交響曲のツィクルスを始めたという情報が入ってきました。その第1弾として登場したのがこの「5番」です。
もちろん、オーケストラのコンサートでは今までにマーラーを取り上げたことはあったことでしょうし、1994年には室内楽版(シェーンベルク版)で「大地の歌」を録音していますから、別にマーラーが苦手だったわけではないのでしょうね。
この曲では、冒頭でのインパクトで、どれだけお客さんを引きつけられるかが、最大のポイントなのではないでしょうか。たった1本のトランペットから始まったものが、瞬時にとてつもない音響にまでたどり着くという場面、これは指揮者の腕の見せ所でしょう。そのトランペットのソリストは、素晴らしい音でその「運命のモティーフ」を吹いていました。そこには、どんな奏者でも見せるようなナーバスなところは全く感じられません。それどころか、まるでそれはニニ・ロッソの「夜空のトランペット」のようなリラックス感さえも持っていたのです。いかにもアメリカのオーケストラらしいという気はしますが、もうちょっと緊張感があってもいいような。
そして、すぐに最初のクライマックスがやってきます。この部分は、最近生で何度も聴いているので期待していたのですが、そのあまりのしょぼさには完全に失望させられてしまいました。SACDのダイナミック・レンジだったら、バスドラムの低音などはもっと重量感をもって聴こえてくるはずなのに(そういう音源はたくさん知っています)この、いかにも安全運転然とした録音はいったいなんでしょう。
そのあと、ヴァイオリンとチェロで現れるゆったりとしたテーマも、なんか薄っぺらな音で、ハイレゾならではの質感が全く伝わってきません。最近のBISの録音では、こういう弦楽器がとてもおざなりなものがよくあるのですが、これもそんな傾向が強く出てしまった、あまり感心できない録音なのでしょう。
ヴァンスカの指揮ぶりも、そういう録音のためなのかもしれませんが、なんか受け身に回ってしまった消極性のようなものが感じられてしまいます。あまり自分の主張を出さずに、もっぱらプレーヤーの自主性に任せる、みたいな感じ。
第2楽章も、同じようになんとも気の抜けた、戦闘意識の全く感じられない演奏です。第3楽章も、変に整っていて、マーラー特有の「汚なさ」が見られません。録音のせいもあるのかもしれませんが、クセのあるへんてこなメロディをあっさりと隠してしまっているので、とてもお上品になってしまっています。そして、第4楽章も、陶酔感からは程遠い乾いた音と歌いまわし、第5楽章も、何か居心地がよくありません。正直言って、こういうマーラーは嫌いです。
この後には「6番」と「2番」が控えているのだそうですが、とても購入する気にはなれません。というか、この程度の音だったらSACDでなくても構わないので、NMLで聴くぐらいが相応なのでは。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2017-07-25 23:12 | オーケストラ | Comments(0)
The Venice Concert
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Sergej Krylov(Vn)
Ezio Bosso/
Orchestra Filarmonica della Fenice
SONY/88985439022


最近、センセーショナルなほどの注目を集めている音楽家、エツィオ・ボッソは、1971年にイタリアのトリノに生まれ、最初はバンドのベーシストとして音楽活動を始めます。その後、クラシックの音楽家を目指して、ウィーンで学び、現在では指揮者、作曲家、ピアニストとして大活躍、映画音楽でも、2003年に公開された「ぼくは怖くない」などで高い評価を得ています。
初期のアルバムでは、ベーシストとしてボッテシーニの室内楽を集めたものが1995年にSTRADIVARIUSからリリースされていますし、映画音楽のサントラ盤もありました。ピアニストとしては、2015年にリリースされた「The 12th Room」という、自作を含む多くの作曲家の名曲を集めたアルバムでデビューしています。さらに2016年には、SONYから2004年から現在までの音源を集めた2枚組のアンソロジーが、最新の映像のDVDと一緒にリリースされています。
今回のアルバムは、2016年10月17日にヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場で、そこのオーケストラを指揮したコンサートのライブ録音です。1曲目のバッハの「ブランデンブルク協奏曲第3番」では、自らチェンバロを弾きながら指揮をしています。2曲目は2006年の彼の作品「ヴァイオリン協奏曲第1番」を、初演者であるセルゲイ・クリロフのヴァイオリンで、そして最後はメンデルスゾーンの「交響曲第4番(イタリア)」という、ヴァラエティに富んだプログラムです。
最初のバッハは、ドイツ風の厳格なものではなく、まさにバッハがお手本にしたイタリアの協奏曲のような明るく自由な雰囲気に満ちていました。彼はクラウディオ・アバドとも親密な関係にあったそうで、彼のスタイルには心酔していたようですから、このあたりの演奏家の自発性をとことん重視するという姿勢が現れることになるのでしょう。ただ、アバドの場合はこの「ブランデンブルク」もソリスト級の人が集まっていてアンサンブルも完璧でしたが、このイタリアのオーケストラではそこまでのスキルはないようです。第3楽章になるとテンポもかなり速くなり、ちょっと収拾がつかなくなるところも出てきますが、ノリの良さでカバー、でしょうか。楽章間のカデンツァは、アレッサンドロ・マルチェッロの「オーボエ協奏曲」をバッハがクラヴィーア用に編曲した「協奏曲BWV974」の第2楽章を、そのまま移調して演奏していました。このあたりが、ボッソの作曲家としての立ち位置を象徴しているように感じられます。
次に演奏される彼の「ヴァイオリン協奏曲」は、全3楽章、演奏時間は30分という大作です。とは言っても、時間的な長さに比べて、そこに用いられている素材があまりにも少ないのには、ちょっとひるんでしまいます。言ってみれば「ミニマル・ミュージック」の世界、そうなると、聴く者としては身を構えて音に込められた作曲家の思いを受け止めるというよりは、ひたすら意識を殺した音の流れの中に身を任せる、という姿勢が求められるはずです。中でも、真ん中に置かれたゆっくりした楽章はそれだけでほぼ半分の時間を費やしていますから、これはもうほとんど極上の「ヒーリング」の世界です。途中でトイレに行きたくなるかもしれません(それは「ご不浄」)。いつの間にか無意識のかなたに連れて行かれそうになると、突然元気のよい第3楽章が始まって、目を覚ます、という体験が待っています。
メンデルスゾーンの「イタリア」も、良く聴くことが出来る引き締まったスマートな演奏には程遠い、まるで晩年のチェリビダッケのような持って回った表現です。おそらく、もっと上手なオーケストラだったら、この気まぐれな指揮に順応して素晴らしいものが生まれていたのでは、という感慨だけが残ります。
彼は、2011年に筋萎縮性側索硬化症(ASL)を発症したのだそうです。現在ではピアノを弾く時にはとても高い椅子に座って、ほとんど立った状態で演奏していますし、指揮もやはり椅子に座ったまま、指揮台には車椅子のためのスロープが設けられています。

CD Artwork © Sony Music Entertainment Italy SpA

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by jurassic_oyaji | 2017-07-20 22:50 | オーケストラ | Comments(0)
BACH/Ich ruf' zu Dir, Herr Jesu Christ
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Stephan Genz(Bar)
Alya Vodovozova(Fl)
Hilarion Alfeyev/
Russian National Orchestra
PENTATONE/PTC 5196 593(hybrid SACD)


ロシア正教会の要職にある音楽家、イラリオン・アルフェイエフ様は、ごく最近行なわれ、世間の注目を集めたバチカンのローマ法王とロシア正教会の総主教との会談の「陰の立役者」なんだそうですね。そんな偉いお方が下々の民のためにこんなアルバムを作ってくださいました。かつては、このお方が作曲なさった「マタイ受難曲」などもご紹介させていただきましたが、今回はバッハの作品を指揮なさっておられるアルバムです。中には、御自らオーケストラのために編曲なさっておられる曲もございます。
まずは、オルガンのためのコラール「Ich ruf' zu Dir, Herr Jesu Christ」BWV639です。これは1972年、ソ連時代に作られたアンドレイ・タルコフスキー監督の映画「惑星ソラリス」の中で使われて有名になった曲ですね。映画の中ではシンセサイザーのような音で聴こえてきますが、当時のソ連にはまだシンセサイザーはなく、電子音を使って作られていたのだそうです。それを、アルフェイエフ様はオーケストラのために編曲なさいましたが、テーマは最初にトランペット、続いてオーボエで歌われるように作られておりました。その最初のトランペット・ソロの感じが、日本の下々の作曲家、富田勲が作ったNHK-BSの「プレミアム・シアター」のオープニング・テーマととてもよく似たテイストのように感じられるのはただの偶然なのでしょうか。もちろん、下賤な富田の曲はとてもだらしのない、何の魅力も感じられないものですが、アルフェイエフ様の編曲は一本芯が通っているようで、崇高さまで感じられてしまいます。
それに続いて、バッハのオリジナルの作品が演奏されます。まずはカンタータ「Ich habe genug」BWV82です。このカンタータは、何回か再演されて、そのたびにソリストがソプラノやメゾソプラノに替えられて、それに伴い調性も変わるのですが、ここでアルフェイエフ様が選んだのは初演のハ短調、ソリストがバスのバージョンです。これは、昨今良く聴かれるようなピリオド楽器系のちょっととんがった演奏とは対極をなす、なんとも伸びやかで安らぎが与えられるような演奏でした。バリトンのシュテファン・ゲンツは、とてもやわらかい声でしっとりとアリアやレシタティーヴォを歌っています。最初のアリアは、マタイ受難曲の39番のソプラノのアリア「Erbarme dich」とよく似ていますね。これだけ丁寧に歌われていると、メリスマの持つ意味が全く変わって感じられますし、レシタティーヴォさえもとても抒情的に思えてきます。
次は、フルートに若手のアリヤ・ヴォドヴォゾワを迎えて、「組曲第2番」BWV1067です。これは冒頭の序曲から、なんとも懐かしい、今では絶えて聴かれることのなくなったスケールの大きな音楽が現れていました。これは、おそらくバッハが現代に生きていたらこんな演奏をしていたのではないか、というアルフェイエフ様の「忖度」が反映されたものなのではないでしょうか。ひたすら「原典」を追い求めてやまない現代人の視野の狭さに対する、これはアルフェイエフ様の痛烈な皮肉なのかもしれませんね。もう、ただひれ伏すしかない、崇高な演奏です。
最後は、やはり原曲はオルガン・ソロだった「パッサカリアとフーガ」BWV582のオーケストラへの編曲です。これは、下々の指揮者、レオポルド・ストコフスキーが行った編曲も有名ですが、アルフェイエフ様は金管楽器だけのユニゾンでバス声部を提示するという、まるでこれ自体が教会の中の典礼のようなやり方で曲を始めていました。しかし、それから先の展開は、ありえないほどにぶっ飛びまくられているのには、思わずおののいてしまいました。ストコフスキーでさえも使うことをためらったチューブラー・ベルやタムタムの応酬、我々日本の田舎、奥州に住む下々のものには到底予想もできないような世界が、そこには広がっていたのです。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.

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by jurassic_oyaji | 2017-07-18 22:27 | オーケストラ | Comments(0)
SCHUBERT/Symphony No.8 "Unfinished"
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Mario Venzago/
Kammerorchester Basel
SONY/88985431382


いろいろ突っ込みどころ満載のジャケットです。まず、曲のタイトルとして最初に「The Finished "Unfinished"」、つまり「完成された『未完成』」という、不思議なセンテンスが掲げられています。いわゆる「未完成」というニックネームで広く親しまれている、シューベルトのあのロ短調の交響曲は、その名の通り本来なら4つの楽章があるはずなのに前半の2つの楽章しか作曲されていないという作品なのですが、それを「完成」させてしまったというのですね。完成すればもう「未完成」ではなくなるのに、ちゃんと「交響曲第8番『未完成』」と、理不尽なタイトルなのが、まず笑えます。
ジャケットの写真の方も、普通に見ると重苦しく漂う雲を撮ったものだと思ってしまいますが、ブックレットを裏返すと、そこにはまだつながっていない工事中の橋が。これで「未完成」を表現しているのでしょう。でも、曲の方はもう「開通」しているのに。
「未完成」を「完成」させたのは、何も今回が初めてのことではありません。1981年から1984年にかけて、ネヴィル・マリナーがPHILIPSにシューベルトの交響曲全集を録音した時には、イギリスの音楽学者ブライアン・ニューボールドによって、多くの交響曲が「復元」されていましたが、1983年に録音されたこのロ短調の交響曲でもしっかり4楽章までの「フルサイズ」のものになっています。ご存知のように、この曲のスケルツォ楽章は最初の20小節はオーケストレーションが完了していますし、そのあともトリオの断片までがピアノ譜で残されていますから、ニューボールドは一応シューベルトが望んだであろう形に復元することは可能でした。ただ、フィナーレの楽章はそのような下書きめいたものは残されてはいませんから、ほぼ同じ時期に作られた劇音楽「ロザムンデ」の間奏曲第1番をそのまま使っています。
今回は、指揮者のヴェンツァーゴが自らの仮説をもとにこの2つの楽章を復元したものが演奏されています。ただ、「ヴェンツァーゴ版」はここで初めて披露されているわけではなく、すでに2007年に録音されたジョアン・ファレッタ指揮のバッファロー・フィルの録音(NAXOS)でも使われていました。ここでは第3楽章がニューボールド版、第4楽章がヴェンツァーゴ版によって演奏されています。ただ、同じヴェンツァーゴ版と言っても、今回自らが指揮をして演奏しているものとは少し異なっている部分がありますから、この10年の間に「改訂」が行われているのでしょう。
ヴェンツァーゴの説によれば、シューベルトは最初からこの交響曲は4つの楽章まで作っていたそうなのです。そして、「ロザムンデ」の注文を受けて急いで仕上げなければいけなかった時に、この交響曲の第3、第4楽章からモティーフを転用したのですが、その際に交響曲の楽譜が散逸してしまった、というのです。ですから、その逆の手順、つまり「ロザムンデ」の中の何曲かの素材を組み合わせることによって新たに復元された第3、第4楽章が、ここでは演奏されています。
今まで首席客演指揮者のジョヴァンニ・アントニーニとの演奏でベートーヴェンの交響曲などを聴いてきたこのバーゼル室内管弦楽団は、ここでも7.6.5.4.3という編成の弦楽器と、木管楽器以外はかなりピリオドに近い楽器を用いるというやりかたによって演奏を行っていました。特にユニークなのは、第1楽章をきちんと楽譜通りの「アレグロ」のテンポにしていることでしょう。確かに、これによってこの曲の新たな姿は浮かび上がってきます。ただ、それを受ける「新しい」楽章たちからは、逆に冗長な印象を与えられてしまいます。第3楽章で、第2トリオを新たに「ロザムンデ」の素材で付け加えていますが、それを間にスケルツォを挟まず第1トリオのすぐ後に置いているのはあまりに風変りですし、第4楽章もコーダで第1楽章のテーマが再現されているのには、違和感が募るだけです。だれも、原曲がこうだとは思わないでしょう。

CD Artwork © Sony Music Entertainment Switzerland GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-07-11 22:32 | オーケストラ | Comments(0)
RAVEL/Daphnis & Chloé
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François-Xavier Roth/
Ensemble Aedes
Les Siècles
HARMONIA MUNDI/HMM 905280


ロトとレ・シエクルのアルバムのレーベルが、これまでのActes SudからHarmonia Mundiに変わりました。とは言っても、制作スタッフは以前と同じですし、今までもディストリビューションはHMが行っていたのですから、それほど重要なことではないのでしょう。前回の「レ・ディソナンス」と同様、音源はレーベルではなくアーティストがしっかり管理している、ということなのでしょうね。
ですから、彼らは今までとは何ら変わらない、非常に価値のあるコンサート、そしてそのライブ録音によるアルバムのリリースに邁進することになるのです。最初に耳にした「幻想交響曲」こそ、演奏も録音もいまいちでしたが、その後バレエ・リュスのレパートリーに着手したあたりから、彼らはどんどん進化を始めていますからね。ただ、ジャケットのデザインは確実につまらなくなりましたし、彼らの新しいロゴマーク(右)からも、以前(左)のスタイリッシュな味はなくなっています。
今回のラヴェルの「ダフニスとクロエ」も、ストラヴィンスキーの「春の祭典」が上演される1年前の1912年にバレエ・リュスの公演で初演されています。現在では3部から成る全曲から、部分的に連続して切り取った2種類の「組曲」が用意されていますが、なんと言っても第3部の冒頭を少しカットして最後まで演奏される「第2組曲」がオーケストラの重要なレパートリーとなっていて、頻繁に演奏されます。もうひとつ、やはり全曲からの第1部の最後と第2部の最初の部分を抜き出した「第1組曲」は、古い録音がいくつかあるようですが、現在ではまず演奏されることはありません。コンサートでは「全曲」か「第2組曲」という選択肢しかないようですね。
もちろん、ロトたちは全曲を演奏してくれています。例によって、楽器に対するこだわりはハンパではなく、弦楽器はガット弦、管楽器も極力20世紀初頭にフランスで作られたものが集められています。ちょっと興味深いのが、キーボード・グロッケンシュピールの表記です。ラヴェルの楽譜には「Jeu de Timblesジュ・ド・タンブル」と書いてありますが、このCDの楽器リストでは「Glockenspiel à clavier Mustel」つまり「ミュステル製の鍵盤グロッケンシュピール」となっています。私見ですが、「ジュ・ド・タンブル」といった場合には、普通はトイ・ピアノのような外観の平べったい楽器を指し示すような気がしますが、ミュステルの楽器はそうではなく、チェレスタと同じような縦型なので、そのあたりを正確に記したかったのではないでしょうか。
さらにロトは、楽譜そのものもきっちり検証し、多くの間違いを正しています。さらに、合唱の位置に対する細かい指示(「ステージの後ろで」、「ステージの上で」、「近づいて」といったもの)も、ステージの両翼を使って実現させているのだそうです。ただ、この録音では合唱が「ステージの後ろ」で歌っている部分でも、とてもくっきりと聴こえてきますから、おそらく実際の音響ではなく視覚的な効果によってその位置を表現していたのでしょう。第1部の最後で合唱がア・カペラで歌われる時には、ステージは真っ暗になっていたのだそうです。
おかげで、コンサートホールを埋め尽くした聴衆も、その録音をこのDCで聴いている人たちも、このアンサンブル・エデスという2005年に結成されたばかりの若々しい合唱団の卓越した演奏を存分に味わうことが出来ることでしょう(とてもええですよ)。この曲で、合唱がこれほど重要なパートだということに、初めて気づかされました。
オーケストラでは、管楽器は言うまでもありませんが、弦楽器のなんとも言えないソノリテはやはりこの曲からは初めて味わえるものでした。
フルート・ソロのマリオン・ラリンクールは、いつものルイ・ロットから甘い音を引き出しています。ただ、「パントマイム」の大ソロは、あくまで、アンサンブルの中のフルートという感じで、それほどの存在感はありません。

CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s.

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by jurassic_oyaji | 2017-06-13 23:00 | オーケストラ | Comments(0)
MAHLER/Symphonie Nr.9
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Mariss Jansons/
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
BR/900152(hybrid SACD)


ヤンソンスとバイエルン放送交響楽団が来日したのは去年の11月のことでしたね。あれから半年、世の中ではいろいろなことがありましたが、その時にサントリーホールで聴いたマーラーの「交響曲第9番」の余韻は、まだしっかり残っています。そして、その余韻を確かめることを強要するかのように、その日本公演の1か月前にミュンヘンで録音されていたものが、なんとSACDでリリースされました。なんでも、SACDは日本だけの限定商品なのだそうです。確かに、同時にノーマルCDもリリースされていましたね。
去年の日本公演のプログラムのメインは、このマーラーと、シュトラウスの「アルプス交響曲」でした。その「アルプス」は、ミュンヘンではマーラーの1週間前に演奏されていて、その録音もやはりCDとなり、早々と日本のコンサート会場で即売されていましたね。ただ、それはただのCDでしたし、リリースを急いだ結果編集ミスやトラック表記の間違いなどもありました。そのことを輸入代理店に教えてあげたら、何らかの手を打つような答えがあったのですが、例えばNMLなどを見てみるとそこからリンクされているブックレットやバックインレイは全く訂正されていないようですね。その後、別のレーベルのワーグナーのアルバムでもミスプリントがあったので指摘した時には、こちらにあるようにバックインレイと帯解説を速攻で訂正(あるいは改竄)したというのに。
とはいえ、このところSACDからはほとんど撤退していたようだった(最後にSACDを出したのは2010年)BRレーベルが、日本だけのためにSACD仕様のパッケージを用意してくれたというのは、輸入代理店の働き掛けによるものなのでしょう。まあ、もしかしたら「アルプス」での失態を補おうという殊勝な気持ちがあったのかもしれませんね。そのぐらいの謙虚さを、この国の首相も持ってくれるといいのに。
せっかくのSACDですから、しっかりCDとの違いを聴きとろうと、第1楽章の頭の部分を何度も聴き比べてみました。やはり、その違いは歴然としていて、弦楽器の肌触りやソロ楽器の立体感などは、全然違っていましたね。視覚的な比喩になりますが、CDでは紗幕がかかって輪郭がぼやけていたものが、SACDでは何の邪魔者もなく直接見えてくる、といった感じでしょうか。ところが、音楽が盛り上がってきて、ティンパニなども入ってすべての楽器が鳴り出すと、瞬間的にそのティンパニの音がつぶれて聴こえるところが出てきます。明らかに録音レベルの設定を間違えて入力が飽和してしまった状態ですね。ライブ録音ですから、こういうこともあるのでしょう。ただ、同じ個所をCDで聴くと、そもそも最初から音がぼやけているのでそんなことはほとんど分かりません。せっかくのSACDが、ちょっと皮肉な目に遭ってしまっていました。
会場のざわめきの中から聴こえてくるオーケストラの音は、かなり小さめ、でも、そこであわてて音量を上げてしまうと、そのあとのトゥッティになった時には耳をふさがなければいけなくなってしまいます。それほどのダイナミック・レンジが、ここでは再現できているのですから、まあ多少の歪みは仕方がないのでしょう。そこでは、ソロ楽器もホールで聴いたときと同じようにくっきりと聴こえてきます。確かに、ライブの追体験としてはこれ以上のものはありません。
ですから、あの時にヤンソンスが見せたとてもしなやかで懐の深いマーラーも、ここでははっきりと味わい返すことが出来ます。オーケストラを自在に操り、この曲の多面的な姿を存分に聴かせてくれた末に訪れる最後のピアニシモは、ここでも絶品でした。しかし、そこで一瞬会場全体が静まり返った後に、嵐のように巻き起こる歓声は、このSACDには収録されてはいませんでした。最後の静寂が現実のものであったことを知るために、そのあとの拍手はぜひ残しておいてほしかったものです。

SACD Artwork © BRmedia Service GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-05-30 23:48 | オーケストラ | Comments(0)
RAVEL/Antar
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André Dussollier(Nar)
Isabelle Druet(MS)
Leonard Slatkin/
Orchestre National de Lyon
NAXOS/8.573448


スラトキンが国立リヨン管弦楽団と進めているラヴェルの管弦楽作品のシリーズの第5集には、なんと「世界初録音」の作品が収録されていました。ラヴェルの作品などはとても有名ですから、これまでに録音されていなかったものがまだあったことに、まず驚かされます。
ただ、その作品のタイトルが「アンタール」というのに、ちょっと引っかかりました。スラブ舞曲ではありません(それは「アンコール」・・・ニューフィル限定)。これは、リムスキー・コルサコフの「交響曲第2番」のサブタイトルとして、記憶にありました。実はこの曲は実際に演奏したことがあり、その楽譜の改訂についてもかなり詳しく調べたこともあったのです。その成果はこちらです。ついでにこちらの曲目解説も。
そこで改めてこのCDでのタイトルを見てみると、そこには「Antar - Incidental music after works by Rimsky-Korsakof」とあるではありませんか。つまり、これはまさにそのリムスキー・コルサコフの「アンタール」を元にした「劇音楽」だったのです。
1907年に、仲間内のコンサートで友人のピアニストと一緒に「アンタール」のスコアを初見で演奏して以来、この曲の魅力に惹かれたラヴェルは、1910年に、この曲を素材とした4幕の劇音楽を上演していたのですね。しかし、そのスコアは出版社の許に保存はされていましたが、出版されることはありませんでした。さらに、その時のテキストも残っていなかったので、スラトキンが2014年に初めて録音した際には、この音楽はコンサート用に再構築され、そこでは新たに作られたテキストが朗読されています。
なんたって「初録音」ですから、これは今までに誰も聴いたことのない音楽です。それを聴くにあたってまず参考にするのは、基本は英語で書かれたライナーノーツでしょうが、手っ取り早いのは日本の代理店が作った「帯解説」でしょう。これを日夜作成している方々は、まずはこのCDを聴き込み、そしてそのライナーノーツを隅々まで読み込んだ上で、初めて聴く人がその作品に容易にアクセスできるような情報を的確に作成する技を熟知しているはずですからね。それは、こういうものでした。
ところが、これは何とも不可解な文章でした。まずは緑線の「12世紀の物語」。確かに、ライナーノーツには「リムスキー・コルサコフは12世紀に書かれた物語に基づいて作曲」みたいな記述はありますが、同時にその年代はそれまで口伝として語られていたものが文字に定着された年代であり、「物語」自体は6世紀に実在した詩人の話であるということも書いてあります。ですからこれは「6世紀の物語」でなければいけません。
そして、もっとまずいのは、赤線の部分を読むと、まるでラヴェルがベルリオーズのコンセプトを借用したように思ってしまえること。それは完全な間違いです。ライナーノーツには確かにそのような記述はありますが、それはオリジナルのリムスキー・コルサコフの作品に関しての言及なんですからね。
問題なのは、これを読んでこの曲を聴いた人が、最初に聴こえてくるまぎれもないリムスキー・コルサコフの「アンタール」の第1楽章を、ラヴェルの作品、あるいは、ラヴェルが手を加えたものだと思ってしまうことです。ここには、リムスキー・コルサコフの「交響曲第2番『アンタール』」第2稿の全曲がそのまま(第4楽章の冒頭は第1楽章の引用なのでカット)と、同じ作曲家のオペラ「ムラダ」の一部、そして、やはり同じ作曲家のモティーフにラヴェルがオーケストレーションを施したものしか含まれてはいないのです。
残念なことに、この帯解説を書いた人は、まず正確な情報を伝える文章力を学ぶ必要があるようです。
そもそもこういうものをラヴェルの管弦楽作品として録音した時点で、NAXOSそのもののいい加減さも露わになっています。これだったら、ナレーションがかぶっていないオリジナルのリムスキー・コルサコフのCDを聴いた方がよっぽどマシなのでは。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

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by jurassic_oyaji | 2017-04-27 21:25 | オーケストラ | Comments(0)
WAGNER/Symphonies
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Jun Märkl/
MDR Leipzig Radio Symphony Orchestra
NAXOS/8.573413


リヒャルト・ワーグナーは、もちろんオペラの作曲家として広く知られています。しかし、それ以外のジャンルでも多くの作品を残しています。
そんな中には、「交響曲」だってあります。かなり若いころに作られたハ長調とホ長調の2曲です。ただ、完成したのはハ長調の交響曲だけで、ホ長調の方は第2楽章の途中までピアノ譜が作られただけで、オーケストレーションもされていません。
ハ長調の交響曲はワーグナーがまだ作曲の勉強をしていた1832年、彼が19歳の時に作られました。完成したのは6月ですが、その年の11月にはプラハで試演、さらに12月にライプツィヒで公開の演奏が行われます。その時の評判が良かったので、名門ゲヴァントハウス管弦楽団で演奏してもらおうと、ワーグナーはスコアとパート譜を当時の指揮者だったメンデルスゾーンに送ります。しかし、メンデルスゾーンはあまり乗り気ではなく、結局楽譜もどこかに行ってしまうんですよね。ワーグナーは、これはメンデルスゾーンが悪意でやったのでは、と、恨んだのだそうです。
ワーグナーは晩年にこの交響曲の楽譜を探し出そうとしましたが、パート譜だけがかろうじて見つかっただけでした。1878年に彼はそこからスコアを復元するのですが、その際に少し音を変えたりカットを施したりします。その改訂稿が、このCDでは演奏されています。これは、ワーグナーが亡くなる前年、1882年の妻コジマの誕生日にヴェネツィアのフェニーチェ座で、作曲家の指揮によって演奏された後は、出版もされず、演奏されることもありませんでした(出版されたのは1911年)。
ホ長調の交響曲は、1834年に作りはじめられますが、完成されることはなく、未完のピアノスコアはやはりコジマの許に渡され、作曲家の死後フェリックス・モットルの手によって第1楽章のオーケストレーションと、途中までしかなかった第2楽章の最後に何小節かの終結部を加えてオーケストレーションが施されました。というのが、このCDのブックレットの情報です。
実際にこの2曲を聴いてみると、最初に作られたハ長調の交響曲では、一応先人をお手本にしたことはうかがえますが、かなり大胆なチャレンジも見受けられます。例えば、ソナタ形式で作られた第1楽章などは、提示部に入る前の序奏がものすごく長くなっています。14分ほどかかるこの楽章のうちの3分半が序奏に費やされているのです。これはかなりの冒険ではないでしょうか。第4楽章でも、ポリフォニーを多用するなど、それまでの交響曲とはちょっと毛色が変わっています。
しかし、それに続いて作られるはずだったホ長調の交響曲は、もっとまっとうな形が見られます。それこそシューベルトあたりを髣髴とさせる穏健なたたずまいです。これは全くの想像ですが、ワーグナーは「交響曲」という形に縛られてこんなものを作り出したことに耐えられず、これ以上作り続けるのをやめてしまったのではないでしょうか。自身の進む道は交響曲ではなく劇音楽だと、その時はっきり気づいたのです。
ところが、このCDのバックインレイの情報では、こんなことになっていますよ。これだと、ブックレットとは逆で、最初にホ長調(断片)を手掛けてから、フルサイズのハ長調を作った、ということになってしまいますね。もちろんワーグナーの交響曲が作られた年代などはどこでも見つかるので、こちらの方が間違っていることはすぐに分かります。
しかし、代理店の「帯」を書いた人は何の疑いもなくこれを転載、その結果出来上がったのが「ワーグナー21歳の時に書き上げられた『ハ長調交響曲』」というハチャメチャなコメントです。こんな珍しい曲なのですから、とりあえず頼りにするのはジャケットの情報です。それが間違っていたのではシャレになりません。というか、本国のデータを鵜呑みにしている帯原稿をチェックする人は、まわりにはいなかったのでしょうか。最悪です。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

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by jurassic_oyaji | 2017-04-13 22:36 | オーケストラ | Comments(0)
MAHLER/Das Lied von der Erde
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Roberto Saccà(Ten), Stephen Gadd(Bar)
Jonathan Nott/
Bamberger Symphoniker
TUDOR/7202(hybrid SACD)




Jonas Kaufmann(Ten)
Jonathan Nott/
Wiener Philharmoniker
SONY/88985389832


一人の指揮者が別のソリストとオーケストラで同じ年に別のレーベルにマーラーの「大地の歌」をレコーディングするという、ありえない「事件」が起こりました。その指揮者はジョナサン・ノット。2016年の2月に、まだ首席指揮者のポストにあったバンベルク交響楽団と、そして6月にはウィーン・フィルと録音を行ったのです。さらに、ウィーン・フィルとの時にはソリストはカウフマン一人、本来は2人の歌手が必要なのに、それを一人で歌ったというのも、やはり「事件」です。
バンベルクとの録音でも、2人のソリストはテノールとバリトンという、ちょっと珍しい組み合わせです。全集版で表記されているこの曲のタイトルは、「Das Lied von der Erde/Eine Symphonie für eine Tenor- und eine Alt-(oder Bariton-) Stimme und Orchester」ですから、歌手は「テノールとアルト又はバリトン」なのですが、ほとんどの演奏では、バリトンではなく女声のアルトが歌っていますからね。初めてではないにしても、そんな「男声だけ」の可能性を世に知らしめたバーンスタイン盤では、フィッシャー・ディースカウがそのバリトンのパートを歌っていましたね。ここでのバリトン、スティーヴン・ガッドが、まるでそのフィッシャー・ディースカウのような歌い方をしていたのには、ちょっと引いてしまいました。初めて聴いた人ですが、この人は普段でもこんな歌い方なのでしょうか。もちろん、ドラムを叩いたりはしません(それは「スティーヴ・ガッド」)。
それよりも、ちょっと違和感があったのはテノールのサッカの方です。以前モーツァルトで聴いたときにもあまり良い印象はなかったのですが、ここでのなんとも甘ったるい歌い方にもがっかりさせられてしまいます。
ノットがこのオーケストラと進めていたマーラー・ツィクルスの録音は2011年に完了し、2016年には全9曲入りのボックス・セットもリリースされていました。ですから、「大地の歌」はもはや録音はしないのだろうと思っていたのですが、やはりノットはこのオーケストラへの「置き土産」として、録音していたのですね。
それまでの交響曲同様、たっぷり時間を取って入念に作られたセッション録音、クリアな音でそれぞれの楽器がくっきり浮かび上がってくるため、ノットの意図はとてもよく伝わってきます。
そして、その4か月後に録音されたのが、ウィーン・フィルとの演奏です。ただ、情報ではこのコンサートとレコーディングはダニエレ・ガッティが指揮をすることが決まっていたものが、彼のアクシデントで急遽ノットが代役を務めた、ということのようですね。
もちろん、カウフマンの方は、もう一人の歌手がキャンセルしたので二人分歌ってしまった、というわけではなく、最初からこの大胆な企画に照準を合わせて準備を進めていたのでした。
当然、これはカウフマンがメインのアルバム、ブックレットにはいつものように彼の伝記作家のトーマス・フォークトとの対談が掲載されています。彼が「大地の歌」に初めて接したのは20代のころ、クレンペラー指揮のアルバムでのヴンダーリッヒの声に魅了され、すぐにスコアを入手してテノールのパートの勉強を始めたのだそうです。
そして、実際にこのパートをコンサートでも歌うようになるのですが、その時にもう一人の歌手たちには嫉妬感を抱くようになりました。特に最後の長大な「告別」の楽章は、ぜひ自分でも歌いたくなったのでした。彼の声は、元々バリトンのような音色を持っていますから、それはいとも容易に実現できたのではないでしょうか。その結果がどうなのかは、この素晴らしいアルバムを聴けば分かるはずです。
この楽章のフルート・ソロは、バンベルク盤はあまりにもオフ過ぎて、ほとんど聴こえません。これがノットのバランスだったのかもしれませんが、ウィーン・フィルは聴こえすぎ。普通のライブ録音だとディーター・フルーリーの音はこんなに目立ちませんけどね。

CD Artwork © Tuder Recording AG, Sony Music Entertainment

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by jurassic_oyaji | 2017-04-11 23:12 | オーケストラ | Comments(0)
MENDELSSOHN/A Midsummer Night's Dream
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John Eliot Gardiner/
Monteverdi Choir
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO 0795(hybrid SACD, BD-A)


このレーベルでのガーディナーとロンドン交響楽団とのメンデルスゾーンの交響曲のツィクルスは一応完結したようですが、今回はそれに関連して「真夏の夜の夢」のライブ録音です。この録音が行われたコンサートでは、最初に「交響曲第1番」が演奏され、後半にこのアルバムの中の曲が演奏されています。その「交響曲第1番」の方はすでにこちらで「第4番」とのカップリングでリリースされていましたね。
この交響曲ツィクルス、第1弾が「3番」とシューマンのピアノ協奏曲というカップリングで出た時には、BD-Aのディスクの中にそのコンサートの全曲の映像がボーナス・トラックとして入っていました。しかし、その後のリリースではBD-Aは付いていますが、そこに映像が入ることはありませんでした。やはり、こんな過剰なサービスは無理があるのかな、と思っていたら、今回はその映像がしっかり復活していましたよ。これはうれしいことですね。ここでの映像は、やはりコンサート全体を収録したもので、先ほどの「第1番」も入っています。
せっかくですから、その映像からまず見てみることにしました。こういうライブではいろいろな情報がその中には込められていますからね。まず、前半の交響曲では、さっきの「3番」と同じようにチェロ以外の弦楽器奏者は全員立って演奏していました。それと、演奏が始まる前に、この曲(交響曲第1番)ではロンドンでの公演のために差し替えられた第3楽章と、通常の第3楽章とを並べて演奏する旨を伝えたガーディナーのスピーチの実物を聴くことが出来ます。前のアルバムでは、ブックレットにテキストだけが載っていたんですよね。
そして、「真夏の夜の夢」が始まる時には、弦楽器奏者は普通に座っていましたが、ステージは照明が落とされ、譜面灯が点けられたなかで、前の方にはカウチなどのセットも用意されています。それよりも、序曲が始まった時に木管楽器の配置が交響曲と違っていることに気づきました。前列は下手からフルート、オーボエと普通に並んでいるのですが、後列ではフルートの後ろにファゴット、オーボエの後ろにクラリネットが座っています。つまり、クラリネットとファゴットの位置が入れ替わっているのですね。これは、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団でとっている形で、これ自体は珍しくはないのですが、なぜこの曲だけでこの並びにしたのかは分かりません。
序曲が終わると、オーケストラの後ろにスポットライトを浴びてパック役の俳優が現れ、セリフを語りはじめます。なんでも、このコンサートはシェイクスピアの没後400年記念に関連したイベントだったようで、ここではガーディナーによって付随音楽だけではなく、シェイクスピアのセリフも一緒に楽しんでもらう、という構成がとられていました。3人の役者は、それぞれステージ上のいろいろな場所に現れて、7人分の配役を演じ分けていましたね。妖精の女王は、さっきのカウチに横たわって眠ったりしていますし。これは映像ならではの楽しみ、字幕は出ませんが、ブックレットにテキストは載っていますから、心配しなくてもええぞう
そして、モンテヴェルディ合唱団の女声パートが12人、オーケストラの前に座っています。彼女たちは出番になると立ち上がって、合唱と、そしてソロも歌っていましたね。もちろん暗譜で。この前の「マタイ」の時もそうでしたが、この合唱団はそれぞれがソリストとしても独り立ちできるような力を持った人がメンバーになっていて、しっかりとしたトレーニングを積んでいますから、安心して聴いていられます。
オーケストラの弦楽器は、いつものようにガーディナーの元ではピリオド奏法に徹しています。有名な「結婚行進曲」などでも、普通は長く伸ばす音の最後をあっさり切っていますから、とても新鮮な味わいです。

SACD & BD Artwork © London Symphony Orchestra

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by jurassic_oyaji | 2017-04-01 20:29 | オーケストラ | Comments(0)