おやぢの部屋2
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カテゴリ:オーケストラ( 476 )
STRAUSS/Elektra, Der Rosenkavalier(Suites)
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Manfred Honeck/
Pittsburgh Symphony Orchestra
REFERENCE/FR-722SACD(hybrid SACD)



ホーネックとピッツバーグ交響楽団とのこのレーベルでのデビューアルバムが、たしかシュトラウスの交響詩だったのではないでしょうか。それから多くの作曲家の曲を録音してきて、おそらく6枚目となるこのアルバムでまたシュトラウスに帰ってきました。あ、もちろん「ヨハン」ではなく「リヒャルト」の方ですからね。
ただ、今回は交響詩ではなく、オペラの中の曲を集めた「組曲」でした。しかし、「ばらの騎士」の方は普通に使われるアルトゥール・ロジンスキの編曲ですが、「エレクトラ」の方は新たにホーネック自身が構成を考えて、トマーシュ・イレという作曲家が実際に編曲したという、これまでもヤナーチェクの「イェヌーファ」やドヴォルジャークの「ルサルカ」でとったのと同じ手法による組曲です。ですから、これは初めて録音されたものになるのでしょう。
「エレクトラ」についてのホーネックの思い入れは、かなりなものがあるようです。彼が初めてこのオペラを体験したのは、まだウィーン・フィルの団員だった頃にクラウディオ・アバドの指揮で演奏した時のことだったそうです。その時のオーケストラのサウンドには圧倒されてしまい、まるでこのオペラの主人公はオーケストラのようだと感じたのです。そして、なぜ、今までこれをオーケストラの曲に編曲した人がいないのか、とても不思議だったそうです。たしかに、ここでのオーケストラは多くの楽器が加わって人数もかなり多くなっていますから、それはかなり困難を伴うことなのでしょうが、いつかはそれを演奏してみたい、とずっと思っていたのでしょうね。そんな長年の夢が、ここでかなうことになりました。
出来上がったオーケストラ曲は、オリジナルのオペラとは全く異なった様相を見せていました。そもそも、オペラでは冒頭に1度だけ奏される印象的なアガメムノンのテーマ(「ボルガの舟歌」に似てませんか?)は、このホーネック版では2回繰り返されているのですからね。
オペラではどうしても耳に入るのは歌手たちの歌う声、「エレクトラ」の場合、それはあまりリリカルなものではなく、正直聴いて魅力を感じるようなものではありません。でも、それを取り去ってオーケストラだけになると、そこには様々なテーマ有機的に結びついて、なんとも雄弁に物語を綴っていました。ですから、これを聴くと、まるで最初からシュトラウスが「交響詩」として作ったのではないか、と思わせられてしまうほどです。
演奏も、とても緊張感があふれる素晴らしものでした。何よりも聴きごたえがあるのが、本当に小さな音で不気味な雰囲気を醸し出している部分です。これだけやってしまうと、歌がなくても完全に音楽として成立しているのではないでしょうか。いや、もしかしたら、へたに歌を入れるよりこちらの方がコンパクトに「エレクトラ」の世界が味わえるのかもしれません。
「ばらの騎士」の方は、そもそもの音楽の作られ方が「エレクトラ」とは異なっていますから、この組曲からはきっちりとオペラの世界が広がってきます。そうなると、もろにこのオペラに必要なセンスというか、「色気」のようなものが求められるのですが、この演奏ではそれがちょっと欠けているような気がしてなりません。「銀のばらのモティーフ」は録音のバランスもあるのでしょうが、絶対に聴こえて欲しいチェレスタのきらめきが全く感じられません。そして、「オックス男爵のワルツ」も、何とも鈍重なリズム感に支配されています。このあたりが、アメリカのオーケストラの苦手なところなのかもしれませんね。
録音そのものは、いつものようにとても生々しい音で、パワーも繊細さもきちんと感じられるのですから、やはりオーケストラのセンスにちょっと難があった、ということなのでしょう。こればっかりは、いくらホーネックがを折ってもどうなるものではなかったのかもしれません。

SACD Artwork © Reference Recordings

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by jurassic_oyaji | 2017-02-04 20:45 | オーケストラ | Comments(0)
BRUCKNER/Symphony No.8
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Karl Böhm/
Berliner Philharmoniker
TESTAMENT/SBT 1512




往年の名指揮者カール・ベームは、ドイツ・オーストリア系の作曲家の作品を演奏することには定評があり、数多くのレコーディングを残しています。しかし、それはもっぱらかつてのスタンダードであるベートーヴェンやモーツァルトに限られたことであって、ちょっと新し目のファンが喜ぶマーラーやブルックナーあたりはほとんど目に付かないのではないでしょうか。いや、確かに、マーラーに関してはおそらく交響曲のアルバムは全く出してはいないはずですが、ブルックナーに関しては、コンサートではちゃんと取り上げていました。なにしろ、ブルックナーの交響曲第4番を、世界で初めて録音したのは、ほかならぬベームなのですからね。それは、1936年頃にドイツのEMIであるELECTROLAに録音したもので、オーケストラはザクセン・シュターツカペレ(現在のドレスデン・シュターツカペレ)でした。しかも、その頃はブルックナーの弟子によって改竄された楽譜しか出版されていませんでしたから、当時の指揮者、フルトヴェングラーとかクナッパーツブッシュなどは、「改訂版」と呼ばれるそれらの楽譜を使って演奏していたのですが、ベームは新しく出版された原典版(その時はハース版)を使っていたのですからね。
ただ、その後はDECCAやDGといったレーベルはすでに他の指揮者によるブルックナーの交響曲の録音を持っていましたから、レパートリーが重なるためにベームに録音をさせることはありませんでした。それでも、1970年代になって、やっとDECCAで3番と4番、DGで7番と8番を、それぞれウィーン・フィルと録音することが出来ました。
ただ、8番ではそのような正規の「商品」ではない、ラジオ放送用の音源などを使ったブートレグまがいのものは、ウィーン・フィルのものをはじめ、ベルリン・フィル、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団、バイエルン放送響、北ドイツ放送響、ニューヨーク・フィルなどとの録音が残っています。そのベルリン・フィルとの1969年の録音が、今回晴れてTESTAMENTから正規品としてリリースされました。
これには、もう一つポイントがあります。それは、ここで1番フルートを吹いているのは、このコンサートの数か月前に入団したばかりのジェームズ・ゴールウェイだ、ということです。ベームがDGでベルリン・フィルと精力的に録音していたのはゴールウェイが入団する前のことでしたが、1970年にかろうじて「ポストホルン・セレナーデ」で共演出来ていました。そこでのゴールウェイのソロは、とても伸び伸びとした素晴らしいものでした。
ベームという人は、ライブとセッション録音とではだいぶ演奏に対する姿勢が違っているようです。ブルックナーの8番でも、演奏時間を比べるとライブは72分とか74分といった感じですが、DGでのセッション録音は82分ですから、テンポだけでもかなり違っています。それだけ、ライブの方が勢いのある演奏になっているのではないでしょうか。
この1969年のベルリン・フィルとのライブも、かなりサクサクと進むスピード感にあふれるものでした。そこでのゴールウェイは、なんだかちょっと居心地が悪かったのでは、というような気がします。ソロで本当はもっと歌いたいのに、指揮者が先に行ってしまうもどかしさ、みたいなものが何となく感じられてしまいましたね。
実はゴールウェイは、1975年、このオーケストラを去るちょっと前に、この曲をカラヤンの指揮で演奏しています。それは、まさにゴールウェイのやりたかったことがカラヤンによって引き出されたような素晴らしいものでした。特に、カラヤンはハース版を使っていますから、ノヴァーク版で演奏されたベームの時にはカットされていた第4楽章の「O」と「P」の間にあるフルート3本の長大なソリを嬉々として吹いていました。

やはり、フルーティストであれば、この曲はハース版をつかってちょうだい、と言いたくなるのでしょうね。
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by jurassic_oyaji | 2017-01-21 20:51 | オーケストラ | Comments(0)
MAHLER/Das Lied von der Erde
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Dietrich Fischer-Dieskau(Bar)
James King(Ten)
Leonard Bernstein/
Wiener Philharmoniker
TOWER RECORDS/PROC-1991(hybrid SACD)




1966年に録音された、バーンスタインとウィーン・フィルによるマーラーの「大地の歌」がSACDになりました。発売当時からかなりの評判をとっていたレコードですから、CDが流通し始めたかなり早い時期、1989年にはCD化され(左)、さらにその後も「オリジナルス」のような仕様(右)で新たにリマスタリングが施されたものもリリースされていました。

しかし、今に至るまでSACDやBD-Aでのリリースはなかったはずです。それが、この前のコンドラシンの「シェエラザード」で見事なハイレゾ化を見せてくれたタワーレコードの企画によって、めでたくSACDを聴くことが出来るようになりました。
なにしろ、プロデューサーはジョン・カルショー、エンジニアはゴードン・パリーという、あのショルティの「指輪」を完成させたパリパリのDECCAの黄金コンビによる制作、その音の神髄はとてもCDでは再生できるわけはありませんから、これには喜びもひとしおです。
その1966年というのは、バーンスタインが初めてウィーンの国立歌劇場で指揮をした記念すべき年でした。そこで上演された「ファルスタッフ」が人気を集めたので、バーンスタインをアーティストとして抱えていたアメリカのCBSは同じキャストでのレコーディングを企画します。そして、表向きはCBSのジョン・マクルーアがプロデューサーというクレジットで作られたレコードは、実際はエリック・スミス(プロデューサー)、ゴードン・パリーとコリン・モアフット(エンジニア)がウィーンのゾフィエンザールで録音を行ったという、完全にDECCAによる制作だったのです。その時のオーケストラのウィーン・フィルが、DECCAの専属アーティストだったからですね。
ですから、DECCAとしてはそのバーターとして、同じメンバーによってDECCAとしてのレコードを作ることが出来たのです。それが、この「大地の歌」でした。
さらに、バーンスタインは1968年にもこの歌劇場に登場して、シュトラウスの「ばらの騎士」を指揮して、やはり大評判となり、そのプロダクションが1971年に再演された時に、やはりDECCAのチームによって録音されたものがCBSレーベルからリリースされています。その時のプロデューサーは、すでに1967年にはDECCAを去ってBBCで仕事をしていたカルショーでした(エンジニアはゴードン・パリーと、ジェームズ・ロック)。
この「大地の歌」は、確かに今までのCDとは一線を画した、ハイグレードの音になっていました。解像度は明らかに増して、それぞれの楽器や歌手が立体的に聴こえてくる、というのは、今までの「良い」SACDでは必ず味わえたものです。ただ、2種類のCD(初版とオリジナルス)と今回のSACDを比べてみると、なんだかマスターテープそのものが違っているのではないか、という気がしてきました。
今回のブックレットには
本国のオリジナル・アナログ・マスターテープからダイレクトにDSD変換とマスタリングを行い、SACD層用のDSDマスターを制作しています。(略)なおアナログ・マスターテープはその経年劣化と保存状態に応じて、可能な範囲で入念な修復作業を行った後に変換作業を実施しています。

とありますが、その「修復」というのは具体的にはどういうものなのでしょう。SACDではヒスノイズが少なくなっていますし、ヴォーカルの音像が少し引っ込んだ感じになっています。さらに、2曲目の「Der Einsame im Herbst」で、初版では派手あちこちで認められたドロップアウトが、SACDでは全くなくなっています。あるいは、初版とSACDにはなかったドロップアウトが、オリジナルスにだけ存在していたりします。ですから、DSDにトランスファーする以前に、かなり大々的な修復作業(正確には、デジタル・エディティング)が行われていたのではないでしょうか(DSDでは、そのような精密な編集作業は不可能です)。それは「オリジナル・アナログ・マスターテープからダイレクトにDSD変換」というものには程遠い作業のような気がするのですが。

SACD Artwork © Decca Music Group Limited
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by jurassic_oyaji | 2016-12-06 23:08 | オーケストラ | Comments(0)
BERLIOZ/LAVANDIER/Symphonie fantastique
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You Jung Han(Vn)
Maxime Pascal/
Le Balcon
Académie de musique de rue Tonton a faim
ALPHA/ALPHA539




フランスの若い作曲家アルテュール・ラヴァンディエが、やはり若い指揮者マキシム・パスカルと一緒にアイディアを出し合って編曲を行い、パスカルのバンド、「ル・バルコン」が演奏したベルリオーズの「幻想交響曲」です。このバージョンは2013年の「ベルリオーズ音楽祭」で初演されましたが、その時ラヴァンディエは26歳、パスカルは28歳でした。さらに、ベルリオーズがこの曲を作ったのは27歳の時だったのだそうです。どうでもいいことですが。
それを、2016年の7月にスタジオで録音したものが、このCDです。その際に、普通のステレオ・ミックスと、バイノーラル・ミックスの2種類のバージョンが作られていますが、CDに収録されているのはステレオ・バージョン、そして、バイノーラル・バージョンはネットからダウンロードして入手できるように、個別のパスコードが同封されています。ただ、それはZIPファイルになっているのですが、何種類かの解凍ソフトを使って試みても、ジャケット画像とブックレットのPDFしか解凍されず、肝心の音声ファイルはエラーが出て開けませんでした。これも、どうでもいいことです。別に必要ありませんし(それは「バイアグラ」)。
パッケージのアートワークもとてもユニーク。ボックスには白い表紙のブックレットと、白い紙ジャケに入ったCD本体の他に、ジャケットサイズの5枚の紙が入っていて、それぞれに楽章ごとのイメージのイラストが載っています。正直、そのイラストはあまりに説明的過ぎて陳腐の極みです。もちろん、そんなのもどうでもいいことですね

オーケストラの編成は、オリジナルの編成の楽器がそれぞれ1人ずつ(ヴァイオリンとヴィオラは2人ずつ)と、オリジナルにない楽器としてアルペン・ホルンとエレキギター、そしてピアノとキーボードが加わります。さらに、第2楽章と第4楽章にはブラスバンドも加わっているようです。
第1楽章は、いきなりヴァイオリンのソロで始まります。それはまるでカデンツァのようですが、次第に「幻想」の頭の部分を元にしたインプロヴィゼーションのような気がしてきます。そのうちに、オリジナルをきちんと少ない楽器で演奏したものも聴こえてきます。どうやら、この編曲のプランはそんな風に思いっきり崩す部分と、そのままほぼ忠実に演奏する部分とを交互に提供する、というようなものなのでしょう。
とは言っても、第2楽章ではまずエレキギターのリズムから始まって、まるでチンドン屋みたいな安っぽいワルツになったと思うと、それがさらにブラスバンドによる「スウィング」に変わります。この楽章は、ほとんどがそんなビッグバンド風のスウィングに支配されている感じ、あまりに明るすぎるそのノリノリのグルーヴには、かなりの違和感が付いてまわります。
第3楽章では、オリジナルではイングリッシュ・ホルンの物憂げな「呼びかけ」がとても印象的ですが、ここではなんとそのパートを「アルペン・ホルン」に吹かせています。なんとも雄大なその響きは、この楽章が本来持っている情感とは全くかけ離れたもの、いったい何を考えているのでしょうか。しかも、それは何とも不思議なメロディに変わっているので(応えるオーボエは普通のメロディなのに)、聴いていて気持ち悪くなってしまうほどです。
第4楽章は、「断頭台への行進」というタイトルを真に受けて、ブラスバンドが本当の「行進曲」を演奏していますよ。これから殺されるというのに、どうしてそこまで元気でいられるんでしょう。不思議です。
終楽章では、安っぽいコンピューター・プログラミングが大活躍、「Dies irae」のテーマも重々しさが全然ない間抜けな音源で、笑ってしまいますよ。
この、才能のなさをテクノロジーでしかカバーできない三文作曲家の仕事によって、ベルリオーズのオーケストレーションがいかに素晴らしいものであったか、ということに誰しもが気づいたことでしょう。

CD Artwork © Le Balcon
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by jurassic_oyaji | 2016-12-03 21:57 | オーケストラ | Comments(0)
STRAUSS/Eine Alpensinfonie, Tod und Verklärung
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Mariss Jansons/
Syphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
BR/900148




きのうまで来日していて、西宮、名古屋、川崎、そして東京(2日間)でコンサートを行っていたヤンソンス指揮のバイエルン放送交響楽団の、最も新しいCDです。シュトラウスの「アルプス交響曲」と「死と変容」のカップリングですが、「アルプス交響曲」は先月のミュンヘンでのコンサートのライブ録音ですから、それこそ、あのウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート」並みのスピードでのリリースですね。店頭に並ぶのは12月になってからになってしまうのですが、たまたまおとといのサントリーホールでのコンサート(曲はマーラーの9番)に行ったら、そこで先行発売されていました。
何しろ、生でこのオーケストラの圧倒的なサウンドを体験してしまった直後ですから、はたしてCDで同じような体験が味わえるのかが、とても心配でした。しかし、ガスタイクで録音された「アルプス交響曲」は、しっかりとまだ耳に残っているあのサウンドを届けてくれていました。もちろんCDですから限界はあります。たとえば、弦楽器の瑞々しさなどは、聴きはじめたあたりでは「なかなかやるじゃん」とは思ってみても、長く聴いているとやっぱりCDの音だな、という気にはなってきます。でも、それはほんのちょっと頭の中で修正を加えれば、コンサートで聴いた音とほぼ同等なものに変わります。
一方の管楽器や打楽器は、マイクのセッティングのせいでしょうか、ひょっとしたらコンサートよりも明晰な音が聴こえていたかもしれません。
サントリーホールでこのオーケストラを聴いた時に気が付いたのが、ティンパニの何とも言えぬ存在感です。それは、単にアクセントを付けるだけではなく、他の楽器が音を伸ばしている間でもその和音の中にピッタリはまりこんで、まるでオルガンの低音のような持続音としての役割まで担うという、打楽器とは思えないような不思議な雰囲気を醸し出していたのです。
そんな印象が、この「アルプス交響曲」からも伝わってきました。言ってみれば「物静かなティンパニ」といった佇まいでしょうか。これはとても魅力的なことだったのですが、さらにすごいのは、本来の「リズム楽器」という特性もきっちりと主張していた、ということです。この曲では何度も何度もオーケストラ全体がクライマックスを迎える場面が登場します。そこでのティンパニは、その盛り上がりを支えると同時に、そのエクスタシーがたどり着く頂点を明確に知らしめる役割も持っていました。そして、特にライブでは興に任せるあまりその頂点がいくらか鈍くなりがちなのですが、このティンパニだけは冷静に、まさにあるべきポイントで正確にパルスを入れていたのです。
「死と変容」は2014年の録音。これは会場がヘルクレス・ザールですし、エンジニアも別の人なので、なんともインパクトに欠ける録音になっていました。弦楽器の音などはしょぼすぎます。
リリースを急いだせいでしょうか、CD制作時のミスが結構見られます。まず、トラックナンバーの表記が間違っています。ブックレットでは「18 Gewitter und Sturm, Abstieg」とありますが、これは「19」の間違い、

そして、ジャケット裏では「死と変容」のトラックが「22」となっていますが、これも「23」の間違いです。

さらに、これはライブとは言っても複数のテイクをつなぎ合わせているので、正しくはトラック「19」の3分12秒付近で、つなげた際のクロスフェードがうまく行かなかった跡がはっきり分かります。
トラックナンバーの件をFacebookページ経由で代理店に教えてあげたら、それなりの措置を講じるようなコメントが返ってきましたが、以前こんなひどい対応に終始した代理店ですから、どうなることやら。そこが作った帯では「死と変容」の録音会場がこんなことなっていましたし。

発売前に「フライングゲット」出来たのはうれしいのですが、代理店にとっては泣きたくなるような結末でしたね(それは「クライングゲット」)。


CD Artwork © BRmedia Service GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-11-29 23:29 | オーケストラ | Comments(0)
TCHAIKOVSKY/The Nutcracker, Symphony No.4
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Valery Gergiev/
Mariinsky Orchestra
MARIINSKY/
MAR0593(hybrid SACD)




昨年にはロンドン交響楽団からミュンヘン・フィルへと「転職」したように、ゲルギエフは世界中のオーケストラとの共演を果たしています。しかし、それらはあくまで「側室」としての位置づけ、「本妻」であるマリインスキー劇場の芸術監督のポストは、1988年以来30年近く続いています。もうすぐ真珠婚式ですね。今の時代にこれだけ長期の在任なんて、しんじゅられません(信じられません)。
ですから、やはりこのオーケストラとは、格別の親密度で接しているのでしょう。この最新アルバムでのチャイコフスキーも、とても素晴らしい演奏が期待できるはずです。
ところが、まずはSACDということですし、以前のこのレーベルでは元DECCAのエンジニアが作った「Classic Sound」が録音を担当していたので、音に関してはまず間違いはないだろうと聴きはじめると、なんかとても物足りない気分にさせられてしまいました。実は最近、ここの録音でウラジミール・リアベンコ(?)という人がエンジニアとしてクレジットされるようになってから、それまでと全く音が変わってしまっていました。具体的には、弦楽器の音がとてもまろやか、というか、完全にエッジがなくなった甘ったるい音になっているために、パートとしての主張が全く感じられなくなっています。金管楽器が鳴り響いている間でも、前の録音ではしっかり聴こえてきたものが、ここでは完全に埋もれてしまっています。チャイコフスキーでは、こういう場面でこそ弦楽器の芳醇な響きを味わいたいのに、それが全然叶わないしょぼいサウンドになっているんですよね。
このエンジニアに最初に接したのが「ワルキューレ」のSACDを聴いた時。その時に抱いた違和感が、ここに来てまた頭をもたげてきたという感じです。
「くるみ割り人形」は、組曲版で満足している人がほとんどでしょうから、いまさら全曲版を聴くのもかったるいな、と思ってしまうかもしれませんが、今回のSACDを聴くと、やはり一度は全曲を通して聴いてみたいものだ、と痛切に感じてしまいます。組曲には入っていないナンバーが、全体のテーマとして重要な意味を持っていることがよく分かりますし、組曲版のそれぞれの曲の役割もきちんとわかります。
一つ、面白いのは、チェレスタの扱いです。チャイコフスキーは、この新しい楽器を他の作曲家に先駆けてこの作品の中で初めて披露しているのですが、それがメインでフィーチャーされている「金平糖の踊り」は殆ど終わり近くになって登場します。しかし、彼はあたかも「伏線」のように、もっと前の曲(第2幕の1曲目)の中で使っているのですね。これはかなり印象的に聴こえますから、ここで「この楽器は何だろう」と思った聴衆が、「金平糖」で初めてソロを聴いたら、その美しい音色に必ず酔いしれるはずだ、というしたたかな計算を、チャイコフスキーだったらやりかねないな、とは思いませんか?
「くるみ割り」全曲はハイブリッドSACD1枚にはちょっと収まらないので、これは2枚組、そのカップリングで「交響曲第4番」が入っています。これが、とっても柔軟な、自由度の高い演奏です。ゲルギエフは2002年にウィーン・フィルと同じ曲を録音していますが、その時のものとはとても同じ指揮者とは思えないような、細やかで思いの丈を存分に込めた演奏に仕上がっているのです。特に第2楽章では、演奏時間がウィーン・フィルでは9分35秒だったものが今回は11分28秒ですから、全く別のテンポでとても濃厚な音楽を味わうことが出来ます。
第4楽章は、演奏時間はそれほど違っていないのに、こちらの方が表情は豊か、フルートが難しいオブリガートを付ける部分では、まるで指揮者とフルート奏者がお互いの出方をうかがっているような絶妙のコンタクトが感じられます。こんなことをやられたら、フルート奏者はとても吹きやすかったことでしょう。録音のことを考えなければ、これは超名演。

SACD Artwork © State Academic Mariinsky Theatre
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by jurassic_oyaji | 2016-10-22 20:35 | オーケストラ | Comments(0)
BEETHOVEN/Complete Symphonies
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Ricarda Merbeth(Sop), Daniela Sindram(MS)
Robert Dean Smith(Ten), Günther Groissböck(Bas)
Philippe Jordan/
Chœrs de l'Opéra National de Paris(by José Luis Basso)
Orchestre de l'Opéra National de Paris
ARTHAUS/109 249(BD)




2009年からパリの国立オペラ座の音楽監督のポストにあるフィリップ・ジョルダンが、このオペラハウスのオーケストラを指揮してベートーヴェンの交響曲の全集を作りました。2014年の9月から2015年の7月にかけてのコンサートの映像を収録した、3枚組のBDです。演奏以外に、指揮者のジョルダンのインタビューがスペシャル・フィーチャーとして加わっています。
そのインタビューでは、彼が若いころにウルム歌劇場でコレペティトゥールを勤めていた時の映像が挿入されていますが、そこではベルクの「ヴォツェック」のオーケストラパートをピアノで弾きながら歌唱指導をしている様子を見ることが出来ます。それは、はた目にはものすごいスキルを要求されるもののように見えます。このような実直な「下積み」の経験が、フランス最高のオペラハウスのシェフを長く務められるポテンシャルとなっていたのでしょうね。
ご存知のように、このカンパニーは主に2つの劇場を使って連日オペラやバレエの公演を行っています。それは、1875年に作られた「ガルニエ宮」と、1989年に作られた「オペラ・バスティーユ」です。したがって、付属のオーケストラも2セット必要になりますから、普通のコンサート・オーケストラのほぼ2倍の団員を抱えています。
このベートーヴェン・ツィクルスの場合、5回のコンサートが収録されていますが、そのうちの4回はバスティーユ、1回はガルニエ宮で行われたものです。
最近ではベートーヴェンはほとんど室内オケ程度の人数で演奏されることが多くなっていますが、ジョルダンとオペラ座のオーケストラはまずは普通のコンサート・オーケストラがとっている編成を採用していました。1番だけはちょっと少なめの12型(12-10-8-6-4と、30人の弦楽器)ですが、2番から8番までは14型(40人)、そして9番ではフル編成の16型(50人)になっています。
さらに、弦楽器の配置も、1番から8番までは下手からファースト・ヴァイオリン、セカンド・ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラと並び、上手の奥にコントラバスという標準的なものですが、9番だけはセカンド・ヴァイオリンが上手に来て、チェロとコントラバスは下手という「対向型」を取っています。もちろん、コントラバスの弓は全員「フレンチ・ボウ」ですね。
管楽器でも、今ではフランスのオーケストラでもなかなかその姿を見ることが出来なくなった「バソン」というフランス式のファゴットを使っている人が、ここにはまだいることが分かります。ただ、収録された5回のコンサートの中で、バソン奏者だけが参加していたのは2回だけ、そして2回はファゴットだけですが、残りの1回では、なんと1番がファゴット、2番がバソンという変則的なシーティングでした。
ジョルダンが使った楽譜は、おそらくベーレンライター版でしょう。9番の第4楽章でヴィオラがテーマを弾き始める時のバックでのファゴット(いや、バソン)のオブリガートのリズムが、ベーレンライター版以外にはない形でしたから。ですから、慣用版にあった明らかなミスプリントはすべて正しくなっています。さらに、ブライトコプフ新版にある5番の第3楽章のダ・カーポも、採用されています。これにはちょっとびっくり。
そのような楽譜によって、快速なテンポで運ばれていく演奏は、まず現代では最も標準的で受け入れやすいスタイルなのではないでしょうか。フォルテピアノからクレッシェンドという「臭い」表現が随所で頻発しているのは、我慢していただきましょう。それよりも、演奏者の中にまでカメラを入れて作り上げられた躍動的な映像には、興奮させられます。1、3、4、5、9番では、40年間首席フルート奏者を務めているカトリーヌ・カンタンの姿も、簡単に見られますよ。3番の大ソロで音をはずしているのは、ご愛嬌。

BD Artwork © Arthaus Musik GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-10-20 20:30 | オーケストラ | Comments(0)
MOZART/Le Nozze di Figara
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Luca Pisaroni(Figaro), Christiane Karg(Susanna)
Sonya Yoncheva(Contessa), Thomas Hampton(Conte)
Angela Brower(Cherubino), Roland VIllazón(Bartolo)
Yannikc Nézet-Séguin/
Chamber Orchestra of Europe
DG/00289 479 5945




DGのモーツァルト・オペラのセミ・ツィクルス、順調に回を重ねて4作目となりました。全7作の予定ですから、ちょうど折り返し点ということで、これから場踏ん張りどころ、何か問題があれば今のうちに修正しておいた方が良いという時期ですね。
このプロジェクトが始まった時の告知では、指揮者がネゼ=セガンだということ以外は決まっていないような感じでしたが、今回のブックレットを読むと、「ネゼ=セガンとヴィリャゾンのプロジェクトだ」と書いてありました。これには驚いてしまいましたね。確かに、これまではキャストはほとんど重なることはなかったのに、なぜかヴィリャゾンだけが全ての演目で歌っていたので変だとは思っていたのですが、そういうことだったとは。
幸いなことに、今回の「フィガロ」ではテノールはあまり活躍しません。一応第4幕にアリアがあるのですが、実際のステージではその前のマルチェリーナのアリアとセットでカットされることが多くなっています。さる指揮者のご意見では、この2曲は「ほんとうにつまらない」からなのだそうです。とは言っても、やはり最近の原典主義の流れの中では、きちんと全曲演奏されるようになっていますから、このCDでもヴィリャゾンは歌っていますが、そんなものは慣例に従ってスキップしてしまいましょうね。
ただ、それ以外のアンサンブルでは何か所かの出番がありますから、そこではもう彼の異質なキャラの歌がはっきり聴こえてしまいます。困ったものです。ヴェルディやプッチーニだったら少しは我慢できるのかもしれませんが、モーツァルトでこういうことをやられると、どうしようもありません。
ですから、このシリーズの残りの3つの作品では彼がイドメネオとタミーノとティトゥスを歌うことなのでしょうが、それはいくらなんでもちょっとヤバいのでは。今ならまだ間に合います。どうか、そんな無茶なことはやめてください。というか、せっかくだから最後まで付き合ってやろうと思っていましたが、そういうことだったら、もうこれでお別れにしてもいいかな、と思い始めていますから。
メインキャストでは、ハンプソン以外の人はここで初めて声を聴きました。最近は、どんどんフレッシュな人が活躍を始めていますから、付いていくのが大変です。特に、伯爵夫人のソーニャ・ヨンチェヴァはいい感じでしたね。ありがちなちょっと重ためな声ではなく、とても若々しいすがすがしさに惹かれます。スザンナのクリスティアーネ・カルクと、ケルビーノのアンジェラ・ブラウアーも、やはり素直で軽快な歌い方が心地よく感じられます。こんな素晴らしい人がいくらでもいるのに、なぜヴィリャゾンなんかにこだわっているのか、本当に不思議です。
そして、オペラ全体を支えていたのが、いつものように思いっきりピリオド感を前面に押し出したネゼ=セガン指揮のヨーロッパ室内管です。もちろん、やはりいつものようにジョリー・ヴィニクールのフォルテピアノによる通奏低音が奏でる即興的なパッセージが、ここそこに新鮮な味を演出していました。
それと、合唱が素晴らしかったですね。これは、コンサート形式のメリットでもあるのでしょうが、芝居をしたりせずにオーケストラの後ろにきちんと並んで歌っていますから、本来の力が更にしっかり発揮できています。
そんな中で、アンネ・ゾフィー・フォン・オッターがマルチェリーナというのも、やはり時代の流れなのでしょうか。写真で見ると、まるで魔女のようになってしまった彼女にとっては、もはや第4幕のアリアは荷が重いものになっていたのでしょう。
いつものことですが、これはコンサートのライブなので、お客さんの笑い声などはしっかり入っているのに、最後の拍手だけはきれいにカットされています。それがとても唐突に思えます。

CD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-10-13 22:02 | オーケストラ | Comments(0)
BERLIOZ/Symphonie fantastique
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Daniele Gatti/
Royal Concertgebouw Orchestra
RCO/16006(hybrid SACD)




前にも書きましたが、このレーベルの品番は、最初の2ケタがリリースの年、そのあとの3ケタがその年のアイテムの番号となっているはずです。ですから、これは2016にリリースされた6番目のアルバム、ということになります。このレーベルが年間にリリースするものはせいぜい多くて2ケタでしょうから、見栄を張って3ケタも用意しているのかな、と思ったら、最初の1ケタには映像ソフトの時には「1」が入るようでした。それだったら十分に間に合いますね。まあ、1年に多くても10タイトルというのは、作る方にしてもちょうどいいペースなのではないでしょうか。
そんな厳選されたリリースを貫いているRCOレーベルのジャケットデザインが、「地味に」リニューアルしたようです。今までは全体を水平に横切る何本かの帯に演奏情報が記入されていたものが、ここではセンターの正方形の中にまとめられています。これは、このオーケストラの首席指揮者が変わったことを強烈に印象付ける意図が込められたデザイン変更なのではないでしょうか。
これまで11年に渡って首席指揮者を務めてきたマリス・ヤンソンスの後を受けて2016/2017年のシーズンからロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のシェフとなったのは、ダニエレ・ガッティでした。これは、この新しいチームによる最初のSACD、まだ正式に就任する前の2016年3月と4月に渡って行われた3日間の同じプログラムによるコンサートでのライブ録音です。
この、新しい門出を象徴するようなアルバムのリリースでは、SACDだけではなく、DVDとBDという映像ソフト、さらにはLPまでも動員するという力の入れようです。ただ、映像ではコンサートでのすべての演奏曲目が入っていますが、SACDとLPでは「幻想」だけです。LPではそれが2枚組になっていて、かつてのLPには必ずあった。第3楽章の途中で再生を一旦中断してA面からB面に裏返さなければいけないという「欠点」を解消しています。もちろん、外周だけでカッティングを行っていますから、SACDに匹敵する音質も確保されているのでしょう。ついでですが、このアルバムのあたりから、録音フォーマットもそれまでの96kHzからDXD(おそらく384kHz)へとグレードアップしているようですね。
ガッティの演奏は、前任オケであるフランス国立管弦楽団と同時に音楽監督を務めていたロイヤル・フィルとの録音で何種類か聴いたことがあります。最初に聴いたのはマーラーの5番だったのですが、その、聴く者をいつの間にか音楽の中に引きこんでしまう、まるで魔法のような語り口にはとても感心した記憶があります。ただ、その後、一連のチャイコフスキーの交響曲を聴いた時は、曲によってはちょっと疑問を感じるようなところもありました。
今回の「幻想」の演奏も、そんな語り口のうまさが裏目に出てしまっていて、なんとも居心地の悪いもののように感じられます。特に、第1楽章の前半「夢」の部分が、あまりにも作為的過ぎるんですね。気持ちはわかるけど、そこまでやることはないだろう、という感じ、おそらくオーケストラもちょっと嫌気がさしていたのではないか、と思えるほど、全員の気持ちが一つにはなっていないようなアンサンブル上の齟齬を感じる場所が多々ありました。実は、このあたりの演奏について、ブックレットの中のインタビューでガッティはその意図を「詳細に」語ってしまっているのですね。いわば「確信犯」なのですが、結果がこんなものでは興ざめです。
同じインタビューで、第3楽章の冒頭のコールアングレとバンダのオーボエの掛け合いの部分を、ビブラートをかけて演奏していたプレーヤーに指示をしてもっと「ナチュラル」なノン・ビブラートにしてもらった、というようなくだりも、わざわざ他人に話すようなことではないように思えるのですが。というか、最近のオーケストラでは、どこでも同じようなことをやっているのではないでしょうか。

SACD Artwork © Koninklijk Concertgebouworkest
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by jurassic_oyaji | 2016-10-08 21:35 | オーケストラ | Comments(0)
MENDELSSOHN/Symphony No.1, No.4'Italian'
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John Eliot Gardiner/
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO0769(hybrid SACD, BD-A)




ロンドン交響楽団の自主レーベル「LSO LIVE」では、DECCAを離れて独立したニール・ハッチンソンやジョナサン・ストークスなどがエンジニアを務めていて、ハイレベルの録音を行っていることが売りになっています。しかも、かなり早い段階から録音フォーマットのクレジットが「DSD」と明記されていました。それが、2015年の録音分からは「DSD128fs」と、ひと品多い表記になりました。つまり、それまではSACDと同じフォーマットである「DSD64fs」だったものが、サンプリング周波数(fs)が倍の、より解像度を増したフォーマットを採用することになった、ということです。
今回のガーディナーとロンドン交響楽団のメンデルスゾーン・ツィクルスの3枚目、交響曲第1番と第4番「イタリア」では、それぞれ録音時期が違っていたために、2014年の「4番」は「DSD64fs」、2016年の「1番」は「DSD128fs」によって録音されていました。もちろん、SACDではどちらも64fsになってしまうので違いは分かりませんが、同梱のBD-Aは24/192というフォーマットですから、間違いなくSACDよりもハイスペックのはず、もしかしたらそこにトランスファーされたDSD128fs(5.6MHzDSDとも言う)とDSD64fs(2.8MHzDSD)との違いを実際に体験できるかもしれませんよ。
確かに、DSD64fsの「4番」では、SACDとBD-Aの違いはほとんどありませんでした。しかし、DSD128fs「1番」では聴いてすぐに分かってしまうほどの違いがあったのには、逆に驚いてしまいましたよ。ここでは、おそらくガット弦をノン・ビブラートで演奏しているのでしょうが、その生々しさがSACDとは全然違うんですよ。それと、やはり木管楽器の存在感ですね。最近の体験から、DSDは128fsになって初めて真価が発揮できるのでは、と思うようになっていましたが、やはり64fsと128fsの間には、このぐらいはっきり分かる違いがあったのでした。ですから、やはりSACDのフォーマットも最初から128fsにしておけばよかったんですよね。というより、SACDが出来た時には、CDと同じことでこれが最高のフォーマットだと思われていたのですから、仕方がないのかもしれませんが。
この演奏では、ガーディナーはどちらの交響曲にも普通に使われている楽譜以外のものを使っていると、輸入元のキング・インターナショナルのインフォにははっきり書いてありました。確かに、「1番」の第3楽章については、1829年にイギリスで演奏した時に、1824年に作っていた第3楽章の「メヌエット」の代わりに、1825年に作った「弦楽八重奏曲」からの「スケルツォ」にオーケストレーションを施したものを使ったという史実に則って、二通りの「第3楽章」を演奏しています(実際にライブで並べて演奏したのだそうです)。
しかし、「4番」に関しては、なんの変哲もない「現行版」、つまり「1833年版」で演奏しているのに、それがさっきのインフォではあたかも現行版とは別のものであるかのように書かれているのには絶句です。少なくとも、音を聴いた時点でその間違いに気づくはずですよ。なんと恥ずかしい。これは、ガーディナーが1998年にウィーン・フィルと録音したDG盤で、初出の国内盤に「茂木一衞」という人が書いたデタラメなライナーノーツを、2011年のリイシュー盤でもそのまま使いまわしているユニバーサルと同様の恥ずかしさです。
その、1998年に鳴り物入りで「改訂版」(もちろん、1833年以降に作られたもの)を「世界初録音」したガーディナーですが、それは単なる物珍しさで終わったようで、もはや何の関心もなくなっているのでしょう。
そんな些細なことではなく、少なめの弦楽器(ファースト・ヴァイオリンもセカンド・ヴァイオリンも10人)を対向配置にして、それをノン・ビブラートで弾かせるという、もう少し本質的な点に目を向けるようになったガーディナーの「成長」ぶりこそを、ここでは味わうべきでしょう。キング・インターナショナルのインフォは、それを削ぐことにしかなりません。すぐ、直しましょうね。

SACD & BD-A Artwork © London Symphony Orchestra

(11/8追記)
どうやら、キングインターナショナルはインフォを訂正したようですね。元の文はこちらのHMVのインフォに残っていますから、比較してみて下さい。

現時点でのインフォは、

キング
なお、ガーディナーは、ウィーン・フィルと、1997年に1833年版、そして98年には1834年版の第2楽章から第4楽章をセッション録音しましたが、今回は1833年版を採用しての演奏となっています。

HMV
なお、ガーディナーは、ウィーン・フィルと、1997年に現行版、そして98年には1833年版の第2楽章から第4楽章をセッション録音しましたが、今回は1833年版を採用しての演奏となっています。
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by jurassic_oyaji | 2016-10-01 23:02 | オーケストラ | Comments(0)