おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
カテゴリ:オーケストラ( 451 )
Respighi/Antiche Danze ed Arie ・ Gli Uccelli
c0039487_20322503.jpg



Henry Raudales/
Münchner Rundfunkorchester
CPO/777 233-2(hybrid SACD)




このレーベルでは思い出したようにSACDでのアイテムがリリースされるので、油断が出来ません。基本的に個々の録音はクオリティが高く、ノーマルCDでもほとんど不満は感じられないのですが、やはりSACDは別格です。値段もほんの少し高いだけですから、出来るなら全部SACDにしてほしいものです。
このSACDも、音の良さを期待して入手しました。なんたってオットリーノ・レスピーギですから音のいいのは間違いありませんからね。そして、ここでミュンヘン放送管弦楽団の指揮をしている人が、全く聞いたことのない名前なのにとてもセンスの良い音楽を聴かせてくれていたので、俄然興味が湧いてきました。
ヘンリー・ラウダレスという人は、名前もラテン系ですし、写真で見ると顔立ちもそんな感じですが、確かにグァテマラで生まれた方でした。小さいころから父親(ジノ・フランチェスカッティ、ヘンリク・シェリング、エーリッヒ・クライバーなどに師事したヴァイオリニスト、ピアニスト、指揮者)にヴァイオリンの手ほどきを受け、7歳でパガニーニを演奏してコンサート・デビューしたという「神童」です。それが、あのメニューインの目に留まり、ロンドンに留学、さらにベルギーのアントワープなどでも学んで、ヴァイオリニストとして世界中で活躍するようになります(現在はベルギー国籍)。
ソリストであると同時に、彼は多くのオーケストラのコンサートマスターを務め、今までにベルギー、オランダ、イタリア、ドイツの12のオーケストラのコンサートマスターを歴任しているそうです。2001年にはミュンヘン放送管弦楽団のコンサートマスターに就任、現在もそのポストにあります。さらに、彼は指揮者としてのキャリアも築き上げつつあって、このミュンヘン放送管とは年に2回指揮台に立つようになっています。
彼が指揮するレスピーギは、まず「リュートのための古風な舞曲とアリア」の全3曲です。この中では弦楽器だけで演奏される「第3番」の人気が突出していますが、「第1番」と「第2番」には管楽器も加わって、レスピーギの色彩的なオーケストレーションを楽しむことが出来ます。さらに、この2曲にはチェンバロまでが入っていて、原曲とされる17世紀の音楽の雰囲気も伝えてくれています。ただ、レスピーギがこれらの曲を作ったころは、それらの「原曲」に対するアプローチは今とはかなり異なっていたはずですから、今の時代にそのスコアをそのまま再現すると妙にグロテスクなものになりかねません。もちろん、チェンバロだって当時は今のような楽器は存在していませんでしたから、あくまで念頭にあったのはモダンチェンバロの響きだったはずですし。
そのような、ちょっと重苦しいオーケストレーションのはずなのに、ここで聴くラウダレスの演奏はとても軽やかに感じられます。おそらく、彼や、演奏しているオーケストラのメンバーの中では、確実に「原曲」の本来のテイストを感じられる人が増えて、その感覚をもとにレスピーギの響きを修正するような意識が働いているのではないでしょうか。この素晴らしい録音で聴く限り、使われているチェンバロはヒストリカルのような気がします。
「第3番」の中でもとくに有名な3曲目の「シチリアーナ」は、かつてはゆったりとした重々しい演奏が幅をきかせていましたが、元のリュート・ソロの演奏が浸透してくるともっとサラッとしたものに変わっていきます。これもそんな、とても軽やかでリュートの感じが良く伝わってくる今の時代ならではの演奏です。
もう一つの組曲は「鳥」です。こちらではチェンバロは使われていないため、それほど昔の曲を意識しないで自由に編曲を行ったような趣があります。なんと言っても4曲目の「夜鶯」の静謐な佇まいには惹かれますが、このフルート・ソロはあまりに及び腰で魅力が感じられません。録音も、前の2つの組曲とは時期が違うようで、ほんの少し精彩を欠いています。

SACD Artwork © Classic Produktion Osnabrück
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-03-11 20:36 | オーケストラ | Comments(0)
SIBELIUS/Swanwhite
c0039487_00053423.jpg


Riko Eklundh(Narr)
Leif Segerstam/
Turku Philharmonic Orchestra
NAXOS/8.873341




セーゲルスタムのシベリウス劇音楽全集、今回は「白鳥姫」を中心としたアルバムです。
これはスウェーデンの作家アウグスト・ストリンドベリが1901年に、30歳年下の婚約者、女優のハリエット・ボッセのために作ったおとぎ話風の戯曲です。なかなか粋なことをするな、と思うかもしれませんが実はこれがストリンドベリの3度目の結婚で、それも3年後には破局を迎えるのですから、複雑です。もっとも、ボッセの方もそれからさらに2度他の男と結婚するのですから、まあいいんじゃないですか。
しかし、そんな彼女がこのシベリウスの劇音楽を産むきっかけとなっていたのですから、面白いものです。ボッセは、1905年にシベリウスが音楽を担当して上演されたメーテルランクの「ペレアスとメリザンド」で、メリザンドを演じていたのです。彼女は公演の間中、「メリザンドの死」の場面で流れる音楽の素晴らしさに、ベッドに横たわって涙にくれていたといいます。そこで彼女は、もう別れていたストリンドベリに、先ほどの、まだ実際にステージで上演されたことのない「白鳥姫」でもシベリウスに音楽を付けてもらったらいいんじゃない?と進言しました。
それはすんなり実現することはありませんでしたが、最終的にスウェーデン劇場の委嘱という形で、1908年の4月に上演が行われます。その後、1909年には、演奏会用の組曲もシベリウス自身の手で作られます。
劇の主人公「白鳥姫」は、侯爵の娘ですが、母親は実は白鳥だったという、不思議な設定、その侯爵の後妻は3人の連れ子がいるというのは、なんだか「シンデレラ」に似ていますね。姫は遠くの若い国王との婚約が決まっているものの、その国王がよこした家庭教師である王子と恋に落ちます。そこに待っていたのは悲しい結末、しかし、愛の力ですべては救われるというお話です。
このCDで聴けるのは、組曲版ではなく、最初の劇場音楽のバージョンです。この頃の演劇の「劇伴」は、もちろん今のように録音したものを使うわけではなく、「生」のオーケストラが演奏していたのですが(指揮はシベリウス自身)、オペラではないのですからそんなに大編成のオーケストラを使うわけにはいかないでしょうね。これを聴いてみても、弦楽器はかなり少ない人数のような気がしますし、それ以外の楽器もフルートとクラリネットとホルンが1本ずつ、それにティンパニという、非常にシンプルな編成です。「ハープを弾きましょう」というタイトルのナンバーでも、そこで実際に演奏されているのは「ハープ」ではなく、ハープを模倣した弦楽器のピチカートだったりします。
音楽は、そのような「おとぎ話」にふさわしい、とても親しみやすいもので、何かグリーグのようなテイストも見られます。例えば第2幕の「継母:花嫁はどこに行ったの?」というナンバーなどは、「ソルベーグの歌」を思わせるようなメロディとエンディングの味付けです。デミグラスソースで(それは「ハンバーグ」)。そして、第3幕の終わりに演奏される大団円の音楽は、弦楽器の朗々たるコラールが愛の力を高らかに歌い上げる壮大な音楽です。
ところで、第3幕の初めに演奏される「白鳥姫」というナンバーは、弦楽器のピチカートとフルートのスタッカートが印象的ですが、これはのちに交響曲第5番の第2楽章(現行版)に転用されることになります。
これをコンサート用の組曲版に直した時には、シベリウスはオーケストラを普通の2管編成に拡大し、打楽器もカスタネットやトライアングルを加えました。それによってオーケストレーションは全く別のものに変わりましたが、それ以上に曲の構成自体が大幅に変更されています。このジャケットの写真は孔雀ですが、それは7曲から成る組曲版の最初の曲のタイトルの「孔雀」に由来しているのでしょう。しかし、こちらのタイトルは「鳩」、それはフルートとクラリネットのユニゾンで執拗に繰り返されている「E」の音で表現されているのでしょう。組曲版では、姫のペットの孔雀がついばむ音が弦楽器のピチカートとともにカスタネットで描写されていますが、劇音楽版ではもちろんカスタネットはありませんし。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-02-21 00:08 | オーケストラ | Comments(0)
SCHUBERT/Operatic Overtures
c0039487_23064710.jpg



Manfred Huss/
Haydn Sinfonietta Wien
BIS/CD-1862




このCDのジャケットには「Original recordings by Koch/Schwann, remastered by BIS Records」というクレジットがありました。「Koch/Schwann」というのはLP時代から有名だったレーベルで、もちろんCDになってもなかなかマニアックなものを出していたような気がしますが、いつの間にか見かけなくなっていたな、と思っていたらこんなことになっていたのですね。どうやら、1962年に設立されたこのレーベルは、2002年にUNIVERSALに買収されてしまったようですね。その時点で、もはや新しい録音は行わなくなっていたのでしょうし、このようにUNIVERSAL以外のレーベルからも「切り売り」されるようになっていたのでしょう。なかなか厳しいものがありますね。この業界も。
このマンフレート・フスが指揮するハイドン・シンフォニエッタ・ウィーンによる「シューベルトのオペラ序曲集」は、KOCH/SCHWANNによって1997年に録音され、CDもリリースされていましたが、長らく廃盤状態にありました。なんでも、これらのフスの録音はマニアの間では非常に評判が高買ったのだそうです。中古市場では高値で取引されていたかね?それが2012年に晴れて再リリースされたということです。確かに聴いてみると、BISで録音されたものとはかなり違う、ちょっとどんくさい音でした。特に低音のヌケが悪く、なにかもっさりしている感じです。それでも、BISのエンジニアによってリマスタリングが施されていますから、かなり修正されてBISのサウンドに近づけるような努力はされているのでしょうね。元の音をぜひ聴いてみたい気がします。この再リリースに際しては、フスによって新たに書き下ろされたライナーノーツが掲載されています。
シューベルトはオペラや劇音楽にも精力的に挑戦していて、20曲以上の作品を残していますが、そのうち完成したのは11曲だけでした。しかし、その中の「ヴィラ・ベッラのクラウディーネ」というオペラは、友人に預けた自筆稿が、その妻によって誤って暖炉にくべられてしまったため、一部しか残っていないのだそうです。何とももったいない話ですが、バッハの作品なども、そのようにしてこの世からなくなってしまったものがたくさんあるのだそうですね。
ここでは、そんなオペラのために作られた10曲の序曲が演奏されています。それらは、シューベルトの生涯にわたって作られたものでした。最初の「水オルガンを弾く悪魔」は、彼が14歳から15歳、あのサリエリの個人レッスンを受けるようになり、コンヴィクトに入学した頃の作品ですし、最後の「フィエラブラス」は26歳になって、「未完成交響曲」が作られた頃のものです。
演奏しているハイドン・シンフォニエッタ・ウィーンは、1984年にフスによって設立されました。1991年からはピリオド楽器による演奏を行なうようになり、これまでにハイドンやシューベルトを始めとするバロックから19世紀初頭の作品を演奏しています。学究肌のフスによって初めて録音された珍しいものも、その中にはあります。
このシューベルトの序曲集も、なかなか珍しいレパートリーなのではないでしょうか。もちろん、ほとんど初めて聴いたような気がするものばかりですが、それがさらにピリオド楽器による演奏なのですから、興味は尽きません。特にフルートは、モダン楽器で吹いても大変だな、と思えるようなフレーズがあちこちに出てくるのには、ちょっと驚かされます。さらにホルンも、滑らかに歌うような本来はとても美しいはずのコラール風のパッセージが、ゲシュトップでなかなかコミカルな味に変わっているのも、ちょっと不思議、シューベルトはこの楽器が将来バルブやピストンを持つことを予測していたのでしょうか。
演奏自体もとてもアグレッシブなもの、ティンパニの強打に煽られて、とてもハイテンションな音楽が味わえます。これがシューベルトの本来の姿なのかどうかは、ちょっと判断の付かない「ヘタウマ」の世界が、ここには広がっています。

CD Artwork © BIS Records AB
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-02-18 23:09 | オーケストラ | Comments(0)
TCHAIKOVSKY/Violin Concerto, STRAVINSKY/Les Noces
c0039487_20574496.jpg
Patricia Kopatchinskaja(Vn)
Nadiene Koutcher(Sop), Natalya Buklaga(MS)
Stanislav Leontieff(Ten), Vasiliy Korostelev(Bas)
Teodor Currentzis/
MusicAeterna
SONY/88875165122




前回の「春の祭典」の時にはなんともシンプルな文字だけのジャケットだったのに、今回はとても手の込んだアートワークになっているという、相変わらず意表を突くことにかけては天才的なクレンツィスです。曲目の一つの「結婚」にひっかけての「田舎の結婚式」といったコンセプトなのでしょうが、このジャケット写真の真に迫った「田舎っぽさ」は感動ものです。そして、その花嫁と花婿が指揮者とヴァイオリンのソリストの「カメオ出演」なのですから、すごすぎます。
ただ、この写真の持つ雰囲気は、「結婚」だけではなく、メインのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の演奏ぶりまでしっかり反映されたものになっているのです。そう、この「チャイコン」は、今まで散々味わってきたあのゴージャスなイメージを抱いて聴きはじめると、とんでもないしっぺ返しを食らうことになってしまうような代物ですから、注意が必要です。まさに「ロシアの田舎」風の泥臭いチャイコフスキーがここにはあるのですから。
まずは、使っている楽器が違います。ソリストを始めとして、弦楽器はガット弦を使用しています。さらに、オーケストラの木管楽器も、モダン楽器ではなくピリオド楽器が使われています。そもそもこの「ムジカエテルナ」という、ペルムのオペラハウスのオーケストラは、モダンにもピリオドにも対応できる柔軟性を持っていて、今までにも驚かされてきましたから、それは意外でも何でもないのですが、チャイコフスキーでのピリオドというのはなかなか珍しいものなのではないでしょうか。ピロシキなら分かりますが。
楽器が違えば、当然奏法も違い、表現の仕方も変わります。コパチンスカヤは、それを茶目っ気たっぷりに披露してくれるのですね。彼女は、ヴァイオリンという楽器から、洗練された超絶技巧や甘くとろけるようなメロディを奏でるものだというイメージを見事に打ち砕いて、そのような洗練さを達成させる過程で否定されていった粗野な表現方法を大胆に前面に押し出しています。
第1楽章のカデンツァなどは、そんな「粗野」さのオンパレード、確かに楽譜通りに弾いてはいるのですが、そこに込められたアイディアの数々はとても新鮮に聴こえます。ヴァイオリンにはこんな表現だって出来たんだ、という驚きですね。というか、それは今までは禁じられていたものが何の屈託もなく公衆の面前に姿を現した、という新鮮さです。こういうものが真に心に響く「アイディア」、前回のアーノンクールのような「こけおどし」との根本的な違いです。こういう人が出てきてしまっていたのですから、すでにあの老人の出番はなくなっていたのです。
第2楽章では、メランコリックに涙を誘うべきあの美しいメロディが、とてもハスキーなしわがれ声で歌われます。そして、オーケストラもフルートなどはモダンとは全然違う素朴な音色と歌いまわしで、ソリストをサポートです。もう全員で今までのチャイコフスキー像を崩そうと手ぐすねを引いている、という感じですね。
そして、最後の楽章ではにぎやかなロシアの農民ダンスが始まります。コサック・ダンスってやつですか。腕を前に組んで腰を低くし、足を交互に前に出すというあの激しい踊り、それが眼前に広がります。オーケストラのノリの良さもすごいもの、勢い余って、379小節あたりのピチカートがとんでもないことになってます。
カップリングの、ストラヴィンスキーの「結婚」は、ピアノ4台と打楽器というシンプルな編成で、まるでカール・オルフを思わせるような音楽です。いや、オルフはマジでこれをパクッたのではないか、という気がするほど、よく似てますね。ここで合唱が登場しますが、それが民族的な歌い方とクラシカルな歌い方を見事に歌い分けていました。ここはオーケストラだけでなく、合唱団も油断が出来ません。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-02-10 21:03 | オーケストラ | Comments(0)
BEETHOVEN/Symphonies 4 & 5
c0039487_21402469.jpg



Nikolaus Harnoncourt/
Concentus Musicus Wien
SONY/88875136452




「アーノンクールが新しいベートーヴェンの録音に着手」などと大々的に騒がれ、そのベートーヴェン・ツィクルスの第1弾となるはずだった「4番+5番」です。結局、これがリリースされる前にこの指揮者が引退声明を発表したために、そのプランは立ち消えになってしまったのですが、そうなると今度は「アーノンクール最後の録音」ということでなんだかかなりのセールスを記録しているようですから、まあどうなっても商売にはしっかり結びつくことになるのですね。
ご存知のように、アーノンクールがベートーヴェンの交響曲を録音するのはこれが2回目のこととなります。1回目は1991年、ヨーロッパ室内管弦楽団というモダン・オケを指揮したものです。それが今では、なんとNMLでも全曲聴くことが出来るのですからありがたいことです。そこで、まだ聴いたことのないそちらのバージョンも一緒に聴いてみたのですが、もう予想以上の違いがあったのには驚いてしまいました。もちろん、今回のCDはウィーン・コンツェントゥス・ムジクスというピリオド・オケですから、楽器の奏法自体にも違いはあるのですが、こちらを聴いてしまうと昔の録音はいとも「フツー」の演奏に感じられてしまうから、不思議です。それこそ「借りてきた猫」みたいに聴こえますからね。今回は、自分のオケだからなんだってやれるんだぞ、という意気込みがまざまざと伝わってきますよ。
特にすごいのが「5番」です。まあ、1楽章の冒頭の「ジャジャジャジャーン」の最後の「ジャーン」の音にディミヌエンドをかけるというのは以前にもやっていたことですから、もうこれはルーティンになっているのでしょうが、3楽章のトリオがまさにヘンタイです。これを聴けば、誰でものけぞってしまうのは必至、よくもこんなアイディアを思いついたなあ、と感心するばかりです。それをダ・カーポするのですからね(それは、前にもやっていました)。
4楽章では、普通はピッコロが加わりますが、ここでは「フラジオレット」という楽器が使われています。これは、おそらくソプラニーノ・リコーダーのたぐい、高い音の出る縦笛です。これがもし映像で見られるのだったら、そのフルートパートは横笛2本に縦笛1本という異様な光景になっていよう。音はあまりピッコロと変わりませんが、ちょっと鄙びた味がありますね。それと、やはりこの楽章だけに登場するコントラファゴットが、ものすごい存在感を発揮しています。
その楽章の最後近く、318小節のアウフタクトから入るファゴットの「ソドソミレドソ」という音型を受けてホルンが「ミドソミレドソ」と受ける場面で、ホルンが最初の音を「ミ」ではなく「ソ」で演奏しています。つまり、この2つの楽器が全く同じメロディを繰り返すのですね。これと同じパターンが335小節のアウフタクトから始まりますが、これも全く同じ扱いになっています。これが聴こえた時には、本当に心臓が止まるほどびっくりしたのですが、調べてみるとブライトコプフの新版では、「もしくは」ということでちゃんとこれが表記されていました。

初演の時のパート譜だけが、「ミ」から「ソ」に訂正されていたのですが、スコアには訂正がなかったので、両方の可能性が示されているのでしょう。この楽譜はスタディ・スコアでも1997年に発売されているのに、それをきちんと「音」にしたものは、ここで初めて聴きました。まさにアーノンクールの面目躍如といったところでしょうか。
そして、エンディングのアコードの連続を聴いてみてください。まるで、シベリウスの同じ番号の交響曲のエンディングのような不思議な終わり方が体験できるはずです。あ、もちろん初稿ではなく、現行版の方ですが。
こんな素晴らしい(くだらない)アイディアがいっぱいあふれたベートーヴェンの交響曲全集がもう完成されることはないなんて、残念すぎます(ホッとしました)。

CD Artwork © Sony Music Entetainment
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-02-08 21:43 | オーケストラ | Comments(0)
SIBELIUS/Jedermann
c0039487_20463297.jpg
Pia Pajala(Sop), Tuomas Katajala(Ten)
Nicholas Söderlund(Bas)
Mikaela Palmu(Vn)
Leif Segerstam/
Cathedralis Aboensis Choir, Turku Philharmonic Orchestra
NAXOS/8.573340




シベリウスは生涯にわたって多くの劇音楽を作っていますが、それらを聴く機会はあまりないのではないでしょうか。NAXOSから「シベリウス・イヤー」がらみで集中的にリリースされた、セーゲルスタムとトゥルク・フィルによる劇音楽のシリーズは、そういう意味でとても価値のあるものです。その中で、「イェーダーマン」の音楽を中心にしたアルバムを聴いてみました。
この戯曲のタイトルは、「イェーダーマン」ですっかり通っているのだと思っていたら、このアルバムでは「誰もかれも」という訳になっていました。これは、NMLでそのように表記されているので、それに準拠したものなのでしょう。ただ、この「イェーダーマン」(英語では「Everyman」)という中世に起源をもつ道徳寓話では、他の登場人物、例えば「善行」とか「信仰」と同じように、このタイトルはある種の概念を属性に持つ人物の「役名」なのですから、この日本語訳はちょっとヘンですね。やはり、今までの慣例通りに「イェーダーマン」と呼ぶことにしましょう。壁に貼りついたりはしませんが(それは「スパイダーマン」)。
「イェーダーマン」は、リヒャルト・シュトラウスとのチームで多くのオペラの台本を作ったフーゴー・フォン・ホフマンスタールが、ちょうど「ばらの騎士」を作ったころの1911年に書き上げた戯曲です。1916年にフィンランド国立劇場がこれを上演するために、シベリウスに音楽を委嘱します。その時には、このホフマンスタールの戯曲を元にフーゴ・ヤルカネンが書いた台本が用いられました。
「劇音楽」というのは、「オペラ」とは違いますから、セリフに音楽が付けられることはなくあくまで劇の進行を助けるための雰囲気づくりのようなものになってきます。そういう意味で、音楽だけを聴いていたのでは何のことかわからないようなところがあるのは当たり前なのでしょう。テレビドラマのように、音楽がでしゃばって肝心のドラマが台無しになってしまうというようなことは、本当の意味での作曲家であれば、起こりえないのです。
シベリウスがこの物語のクライマックスとも言うべきシーンに付けた音楽は、何ともとらえようのない「雰囲気」を醸し出すものでした。それまでは、「イェーダーマン」が催していた華やかな舞踏会で、その中で歌われる歌も披露されていたりしてにぎやかだったものが、トラック12の「Largo, sempre misterioso」に入ったとたんにそこに広がるのはまさに「ミステリオーソ」な世界。それを演出しているのが弱音器を付けた弦楽器。最初のころはほとんどソロかソリで、不思議な半音階の上下を繰り返しています。時折静かに入ってくるティンパニは、まるで歌舞伎などで幽霊が出てくるときのお約束の太鼓のロールさながらに、不気味さを募らせます。
このいつ果てるとも知れない音楽は延々13分も続きます。これがバックに流れるているのはおそらく「イェーダーマン」が「死神」に連れて行かれるあたりなのでしょう。ステージではどんなお芝居が演じられ、どんなことが語られているのか、ぜひ見てみたい気にさせられます。
この繊細な弦楽器の音といい、曲の始まりに「ツカミ」として鳴り響く金管楽器のアンサンブルといい、ちょっとCDばなれしたヌケの良い音であるのに驚かされます。これはかなりのクオリティの録音なのではないでしょうか。実際、24bit/96kHzのハイレゾ音源も、このシリーズのものはしっかりリリースされていました。それで、それを聴いて元の音を確かめたいと思ったのですが、この弦楽器の部分はアルバム全体(2500円)を買わないと聴けないようになっていました。冒頭の金管は短いので「切り売り」はされていましたが、たった11秒しかないものが300円ですし、そのあたりの連続した音楽が4つのトラックに分けられているので、やはり「たった」3分30秒だけを聴くためには、1200円も払わなければいけないなんて、ハイレゾの価格設定は絶対間違ってます。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-02-06 20:50 | オーケストラ | Comments(0)
BACH/Harpsichord Concertos Vol.3
c0039487_23343363.jpg

Trever Pinnock, Marieke Spaans, Marcus Mohlin(Cem)
Katy Bircher(Fl)
Lars Ulrik Mortensen/
Concerto Copenhagen
CPO/777 681-2




バッハのチェンバロ協奏曲のうち、2003年ごろに第1集、2005年に第2集として、ソロ・コンチェルトを録音していたモーテンセンとコンチェルト・コペンハーゲンが、2011年と2013年に残りの2台、3台、4台のチェンバロのための協奏曲を録音した2枚組CDがリリースされました。チェンバロを弾いているのはもちろん指揮者のモーテンセンですが、今回はそこに彼のロンドン時代の師、トレヴァー・ピノックというビッグ・ネームが加わっています。
これらのチェンバロ協奏曲は、すべてライプツィヒ時代に作られたもので、ほとんどのものは1730年代の作品です。つまり、かつては「宗教曲の時代」とされていたライプツィヒ時代では、聖トマス教会のカントルとしての「本業」には、バッハ自身は必ずしも満足してはおらず、責務であった毎週のカンタータの演奏でも1730年代になるともはや新作はほとんど作らず、他人の作品を使ったり過去に演奏したものの再演でお茶を濁すようになってきます。
そして、このころから彼が熱心に取り組んでいたのが、「カントル」ではなく「楽長」としての活動です。ライプツィヒにはテレマンが創設した「コレギウム・ムジクム」という、プロの音楽家や学生などが集まった演奏グループがあり、ゴットフリート・ツィンマーマンという人が店主を務めるコーヒー店で毎週コンサートを開いていましたが、バッハは1729年にそこの「楽長」に就任するのです。このコンサートはツィンマーマンガ亡くなる1741年ごろまで続けられました。
そこでバッハが演奏したのが、いわゆる「コーヒー・カンタータ」として知られるBWV211や、「フェーブスとパンの争い」というサブタイトルのBWV201といった世俗カンタータや、ケーテン時代に作りためた多くの作品と、それらを含めた以前の作品を装いも新たに作り直した作品群です。このCDで演奏されているのも、そのようにして生まれた複数のチェンバロのための協奏曲です。2つのヴァイオリンのための協奏曲BWVBWV1043を作り直したBWV1062や、元のオーボエとヴァイオリンのための協奏曲の形に復元(オリジナルの楽譜は消失しています)されて演奏されることも多いBWV1060などは、オリジナルの形とともに有名になっていますね。
中には、4台のチェンバロのための協奏曲BWW1065のように、ヴィヴァルディの4つのヴァイオリンのための協奏曲を作り直したものなどもありました。これらの協奏曲では、もちろんバッハ自身と、彼の息子たち、さらに弟子たちが加わって和気あいあいとした中で演奏が繰り広げられていたのでしょう。このCDでも、ピノックを始めとしたソリスト同士の丁々発止のやり取りは、そんな雰囲気が伝わってくるような楽しげなものでした。
その他に、フルート、ヴァイオリン、チェンバロのための協奏曲BWV1044も演奏されています。これも、第1楽章と第3楽章はクラヴィーアのための「プレリュードとフーガ」BWV894、第2楽章はオルガンのためのトリオソナタBWV527の第2楽章が編曲されたものです。ここでフルートを吹いているのが、この間の「ロ短調」でも素晴らしいソロを聴かせてくれたイギリスのフルーティスト、ケイティ・バーチャーです。なんでも彼女はあのジェームズ・ゴールウェイから大きな影響を受けて、最初はモダンフルートを勉強していましたが、大学を卒業するころにバロック・フルートに目覚めたのだそうです。
彼女の演奏からは、この楽器の演奏家にありがちなストイックなところは全く見当たらず、もっと開放的なパッションを感じるのは、そんな経歴のせいかもしれませんね。現在はこのコンチェルト・コペンハーゲンの正規メンバーですが、以前はマクリーシュのガブリエリ・コンソートの首席奏者も務めていました。たしかに、「マタイ」でもソロを吹いていいましたね。この協奏曲でも、3つのソロ楽器だけで演奏される第2楽章は絶品です。ブックレットの写真を見ると、彼女は別嬪です。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-02-02 23:37 | オーケストラ | Comments(0)
LES AUTOGRAPHES VOCAUX
c0039487_19351464.jpg

V. d'Indi, C.-M. Widor, J.-G. Ropartz,
H. Büsser, F. Schmitt, G, Hüe,
A. Roussel, D. É. Ingheobrecht/
l'Orchestre des Concerts Pasdeloup
TIMPANI/1C1201




フランスのマイナーな作曲家のマニアックな曲を専門に録音しているレーベルが、TIMPANIです。ひところクセナキスの作品のCDが大きな話題になったことがありますが、ギリシャ生まれのクセナキスはフランスに帰化しているので堂々と「フランス人」としてここに登場しているのです。
それを日本国内で扱う代理店はかつては東京エムプラスでしたが、2012年の末頃にはナクソス・ジャパンに替わっています。そんなわけですから、交替のゴタゴタでその頃リリースされたアイテムが販売ルートに乗らずに倉庫に眠っているという状況が起きているため、それらを改めて新しい代理店がきちんとインフォを付けて売りさばこうとしているようです。
そんな「在庫処分品」の中に、こんな珍しいものがありました。1930年から1931年にかけて録音された、その当時まだ元気に活躍していた作曲家が自作のオーケストラ曲を指揮した録音を集めたものですが、何よりも貴重なのが、それぞれの演奏の後にその作曲家自身がその曲について語っている声が録音されているということです。
もちろん、その頃はTIMPANIはまだ出来ていませんでしたから、その録音を行ったのはフランスの「パテ」というレーベルです。そもそもは1896年にエミール・パテという人がエディソンのシリンダー式蓄音機をフランスで販売するために作った会社で、そのソフトであるシリンダーの録音も幅広く行っていました。ほどなく、シリンダー式の蓄音機は平板式の蓄音機にとってかわられるようになり、パテも平板、いわゆる「SPレコード」を生産するようになります。ただ、その前にベルリナーが発明していたSPレコードは音の振動を溝に対して「水平方向」に記録するという、その後LPにも引き継がれる方式を取っていたのに対し、パテはあえて、それまでのシリンダーで採用されていた「垂直方向」のカッティングにこだわりました。これは、エディソンが平板方式に転換した時に採用したもので、音信号を上下動に変えてカッティングを行うという方式です。このレコードの再生にはサファイアが先端に付いた針を使用したので、これは「サファイア・ディスク」と呼ばれていました。さらに、このサファイア・ディスクでは、音溝は内周から外周に向かって切られていました。
1927年にはフランスでもそれまでの「アコースティック録音」に替わって「電気録音」が採用されることになります。パテは、この時点では「垂直方向」と「水平方向」を並行して使用していました。
このCDに収録されているのは、パテもすでに世界基準であった「水平方向」のディスクのみを生産するようになったころの音源です。「オーケストラと、声によるサイン」というシリーズのSPの現物から、「板起こし」でトランスファーされたものです。浅草名物ですね(それは「雷おこし」)。ブックレットにはカタログナンバーと、マトリックスナンバーが記されています。ダンディ、ヴィドール、ロパルツ、ビュッセル、シュミット、ユー、ルーセル、アンゲルブレシュトといった錚々たる作曲家たちが指揮をするのは、何も表記はありませんが、当時アンゲルブレシュトが指揮者を務めていたフランス最古のオーケストラ、コンセール・パドルーに間違いないということです。
その、今から85年も前に録音されたものは、サーフェス・ノイズこそうるさいものの、演奏の内容はしっかり味わうことのできるとても素晴らしい音でした。なにより、これらは編集のきかない「一発録り」なので、現場の緊張感まで伝わってくるようです。そして、自作の演奏を終えた直後のそれぞれの作曲家の肉声が、また個性的でうれしくなります。高齢の方が多いのでぼそぼそとしゃべる人が多い中で、ロパルツはとてもはっきりした大きな声、ルーセルは早口でキンキンした声でとても目立ちます。アンゲルブレシュトがまるでオカマのようなしゃべり方だったのも印象的です。

CD Artwork © Timpani
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-01-31 19:39 | オーケストラ | Comments(0)
ALBERTO GINASTERA
c0039487_23053142.jpg


Karl-Heinz Steffens
Deutsche Staatsphilharmonie Rheinland-Pfalz
CAPRICCIO/C5244




2001年から2007年までベルリン・フィルの首席奏者を務めたクラリネット奏者のカール=ハインツ・シュテフェンスは、在籍中から指揮者としての活動を行っていました。現在のポストは、このCDで指揮をしているラインラント=プファルツ州立フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者です。
シュテファンスと彼のオーケストラは、このCAPRICCIOレーベルに、ドイツランドラジオとの共同制作で「Modern Times」というシリーズのCDを録音しています。今までにツィンマーマン、ダラピッコラ、デュティユーとリリースしてきて、今回はヒナステラです。
アルベルト・ヒナステラは、アルゼンチンのクラシック作曲家としては、ほとんど唯一広く名前が知られている人なのではないでしょうか。もっと有名なのがアストル・ピアソラですが、こちらは「クラシック」というよりは「タンゴ」という単語で語られる方が多いでしょうし。
このCDでは彼の様々な時期の作品が万遍なくちりばめられていますから、ヒナステラ未体験の方にもとても役に立つはずです。なんでも、彼の作品は、作曲された時期によってかなりスタイルが違っているそうなのですね。それは3つの時期に分かれていて、1934年から1947年が「客観的ナショナリズム」、1948年から1957年が「主観的ナショナリズム」、そして、1958年から始まるのが「ネオ表現主義」の時代なのだそうです。
ですから、まず1943年に作られた「クリオールのファウストのための序曲」が、そのような、民族音楽の素材をそのまま音楽の中に用いるという「客観的ナショナリズム」のスタイルによる作品ということになります。これは、アルゼンチンの作家スタニスラオ・デル・カンポが、ブエノス・アイレスのテアトロ・コロンでグノーの「ファウスト」を見た時の様子を方言で書いた「クリオールのファウスト」に、作曲家がインスパイヤされて作られた作品です。この中には、グノーの「元ネタ」と、アルゼンチンの民族音楽が素材として用いられています。
同じ時期、1947年に作られたのが、太陽の息子オランタイについてのインカの伝承を元にした「交響的三部作『オランタイ』」、こちらも、民族的な響きとリズムに支配された作品です。
それが、「主観的ナショナリズム」の時代になると、作風がガラリと変わります。ここでは、民族的な素材は表に出ることはなく、作曲家の中で昇華されて純粋に音楽的なものに変えられているのだそうです。そんな時代、1953年に作られた「協奏的変奏曲」は、テーマもあまり民族色は感じられないものですし、それぞれの変奏で様々な楽器が技巧的なソロを披露するというのも、とてもスマートです。ただ、やはり基本となっているのは「リズム」ですから、根本的にはそんな違いはないような気はします。
ところが、最後の、これが世界初録音となる「歌劇『ボーマルソ』組曲」となると、完全に作風が変わっていることが分かります。完成したのが1967年ですから、もろ「ネオ表現主義」の時代ということになりますが、それはまさにその時代を席巻した「現代音楽」の波に影響された作品に仕上がっているのです。もちろん、シェーンベルク風の無調のテイストも満載ですし、なんと言ってもリゲティやクセナキスなどにも見られるようなトーンクラスターやグリッサンドが、表現の重要なファクターになっていることに驚かされます。ただ、技法的にはそのような「新しい」ものに支配されてはいますが、途中でグレゴリア聖歌の「Dies irae」が聴こえてきたり、オーケストラの中にチェンバロ(モダンチェンバロでしょう)を加えて斬新なサウンドを追求したり、さらに何よりも「リズム」が健在なのが、やはりこの作曲家の根っこが何であるかを気付かせてくれます。
おそらく、シュテファンスの指揮だからそのような違いがより際立って聴こえたのでしょう。さらに、とてもエッジのきいた録音も、聴きごたえがあります。

CD Artwork © Deutschlandradio, Capriccio
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-01-19 23:07 | オーケストラ | Comments(0)
BEETHOVEN/Symphonies Nos.5 & 7
c0039487_20305173.jpg



Manfred Honeck/
Pittsburgh Symphony Orchestra
REFERENCE/FR-718SACD(hybrid SACD)




ホーネックとピッツバーグ交響楽団による新しいアルバムが出れば聴かないわけにはいかなくなるという、ほとんど依存症状態に陥っています。今回はクラシック界の超定番、ベートーヴェンの交響曲第5番と第7番です。
かつては「運命」とも呼ばれていた「5番」ですが、最近ではこのニックネームはまず見られないようになりました。
というか、よく考えてみると、日本語では「運命」という文字を見たことはありますが、果たして今までLPやCDのジャケットに、この「交響曲第5番『運命』」に相当する「Symphonie Nr.5 "Schicksal"」などという表記があったのかな、という気になってしまいました。これはドイツ語ですが、英語でも「Symphony No.5 "Fate"(もしくは"Destiny")」のように書いてあるジャケットをもし見たことがあるという方がいらっしゃったら、ぜひご一報ください。
そもそも、「Schicksal」などという珍しい単語を知ったのも、このSACDのホーネック自身のライナーノーツを読んだからでした。そこには、これが「運命」と呼ばれるようになった大元の極悪仕掛け人、アントン・シントラーがこの作品の冒頭のモティーフについて書いた「運命が扉を叩く」というフレーズのオリジナルのドイツ語「Das Schicksal klopf an die Tür」が、そのまま引用されていました。
この、指揮者自身のライナーノーツはもはや彼のアルバムの「名物」となった感がありますが、そこでまず述べられているのが、この、とても有名な2つの交響曲を自分自身で演奏するためのハードルの高さについてでした。そのためのいわば「理論武装」なのでしょうか、彼のライナーノーツはこの20ページのブックレットの半分以上を占めています。さらにその中で、大部分が「5番」のために費やされています。そこで彼は、この作品の演奏史を、1910年のフリードリッヒ・カルクとオデオン交響楽団の世界初の録音までさかのぼって検証していきます。さらには、ホーネックがウィーン・フィルの団員だった時に指揮台に立っていた多くの現代の巨匠についての実体験も加わり、そこから自らの演奏をどのように組み立てたかの詳細な「説明」がなされているのです。
もちろん、そんな長ったらしい英文は、邪魔にこそなれ、何の役にも立たないことは明らかです。実際に聴いてみさえすれば、彼が何をやりたいのかは瞬時に分かるのですからね。
まずは、その、とても有名な冒頭のモティーフの扱いです。これはかなり意外なものでした。おそらく今の指揮者だったら怖くてできないような、それこそ往年の巨匠然としたとても「堂々とした」テンポでの始まりだったのです。しかし、これは実は彼の周到な演出、あるいは、もしかしたらとてもいたずらっぽい冗談だったのかもしれないことが分かります。このモティーフが2回繰り返された後は、いとも軽快なテンポに変わってしまったのですからね。まんまとしてやられたと思っているうちに、音楽の中にはどんどん新鮮なアイディアが登場してきて、リスナーはもうひと時も聴き逃せないような状況に陥ってしまうことは間違いありません。楽器のバランスも、必要なものはぜひ聴かせようという意志が強く働いているようです。ホルンなど、こんなフレーズがあったのかと思わずスコアを見直してしまったぐらいですからね。
もちろん、基本的に楽譜通りに演奏するという姿勢は崩してはいませんが、1か所だけ、第4楽章の134小節目からのピッコロを、1オクターブ高く演奏させています。ここは、非常に重要な部分なのに楽譜通りに吹いたのではまず聴こえてきませんから、これがとてもはっきり聴こえてきたときには小躍りしてしまいましたよ。
「7番」でも、同じように新鮮なアイディアが満載。これはぜひ実際に聴いて確かめてみてください。録音も、「これぞ、ハイレゾ」というとても瑞々しい音に仕上がっていますから、存分に大編成のベートーヴェンのサウンドを楽しむことが出来ますよ。

SACD Artwork © Reference Recordings
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-01-10 20:37 | オーケストラ | Comments(2)