おやぢの部屋2
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カテゴリ:オーケストラ( 466 )
RAVEL/Orchestra Works・3
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Leonard Slatkin/
Orchestre National de Lyon
NAXOS/8.573124




2011年から、準メルクルの後任としてリヨン国立管弦楽団の音楽監督に就任したレナード・スラトキンは、直ちにNAXOSへのラヴェルの作品集の録音に着手したんだよん。今回の3集目となる管弦楽集は、他の作曲家の作品を編曲したものだけを集めるという、大胆なアルバムです。
ラヴェルが編曲した作品として最も有名なのは、もちろんムソルグスキーの「展覧会の絵」です。とは言っても、この曲を編曲した人はなにもラヴェルだけではなかったわけで、以前スラトキンはこんな全ての曲が「ラヴェル以外」の作曲家によって編曲されたものを集めたアルバムを同じNAXOSで作っていて、そのマニアックさを披露してくれていました。ですから、ラヴェル版を演奏する時でも、いくら1975年に録音されたVOX盤では楽譜通りの「ラヴェル版」を演奏していたとしても、油断はできません。現に、「サミュエル・ゴールデンベルク」と「リモージュ」の間に、ラヴェルはカットしたはずの「プロムナード」が入っていますからね。そしてそのトラックには「スラトキンによるオーケストレーション」というクレジットが加えられています。
さらに、曲を聴いてみると、なんだか普通の「ラヴェル版」とはちょっと違っているように聴こえるところがゾロゾロ出てくるではありませんか。まずは、「小人」で、これこそがラヴェルの編曲の極めつけ、と言えるほど印象的な、元のピアノ版にはなかった弦楽器のグリッサンド(スコアの「9番」あたり)がきれいさっぱりなくなっています。この時点で、もうスラトキンはラヴェル版をそのまま演奏する気はないのだな、と気づくことになるのですが、それ以後の「改変」はまさに衝撃的なものでした。まず、普通はピアニシモで始まり、だんだんクレッシェンドをかけていく「ビドウォ」が、そんなラヴェルのダイナミックスを無視して、いきなりフォルテシモで始まります(①)。さらに、一番ショッキングなのは、「卵の殻をつけた雛の踊り」のエンディング。そこには、リピートする場所を間違えたような「余計な」2小節が入っています(②)。となると、予想通り「サミュエル・ゴールデンベルク」の最後は「ド・レ・ド・シ」ではなく、「ド・レ・シ・シ」になっています(③)。
何のことはない、これは、こちらを見ていただければわかりますが、ラヴェルの編曲で「原典版によるピアノ譜」とは異なっている部分を、その形に変えただけのことなのです。確かにラヴェルは、当時はそれしかなかったリムスキー・コルサコフの改訂版を元にオーケストレーションを行っていますから、その部分を後の原典版の形に変える(①と③)分にはそれほど問題はありませんが、②は改訂版にもあったものをあえてカットしているのですから、こうなるともはや「ラヴェル版」と呼ぶのもはばかれます。確かにジャケットでは作曲年代として「1874/1922/2007」という3つの年代が入っていますから、最後の「2007」は、「スラトキン版」が作られた年、と解釈すべきでしょう。ですからここは、単にプロムナードだけがスラトキンの仕事だという表記だけではなく、この組曲全体が「スラトキン版」なのだ、というクレジットが必要だったはずです。
他の曲が、それぞれディアギレフの委嘱によるシャブリエの「華やかなメヌエット」、そのディアギレフと「破局」したニジンスキーの委嘱によるシューマンの「謝肉祭」、そして、出版社ジョベールの委嘱によるドビュッシーの「サラバンド」と「舞曲」と、いずれもピアノ・ソロだったものにオーケストレーションが施されたとても珍しいものが並んでいる中で、「展覧会」だけがラヴェルのオリジナルのオーケストレーションではないものを収録したというのは、何とも中途半端な印象がぬぐえません。というか、せっかくこんな珍しい「スラトキン版」が聴けるのですから、それをもっと堂々と表記すべきだったのでは。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-05-10 23:22 | オーケストラ | Comments(0)
SCHUBERT/Symphony No.9
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Christoph von Dohnányi/
Philharmonia Orchestra
SIGNUM/SIGCD461




合唱関係でおなじみのこのレーベルですが、ここはロンドンのフィルハーモニア管弦楽団のいわば「自主レーベル」的な役割も果たしています。マゼールの晩年にマーラーの交響曲全集を録音したのも、このレーベルでした。
今回は、このオーケストラの首席指揮者を1997年から2008年まで務め、その後は終身名誉指揮者として関係を保っている長老、クリストフ・フォン・ドホナーニとの共演で、2015年10月に行われたコンサートのライブ録音です。
曲目はシューベルトの「交響曲第9番」、ジャケットにはそれしか書かれてはいませんが、もちろんこの作曲家の最後のハ長調の交響曲のことです。そうなんですよ。おそらく、いまの日本でオーケストラがこの曲を演奏する時には、まず「交響曲第8番」と言うであろう、あの交響曲のことです。それが、いまだにこの曲は「第9番」でないと納得できない人が、特にCDなどを購入するクラシックファンの中には根強く残っているものですから、やむを得ずこんな書き方をされてしまうのですね。なんとも不憫なことです。
というか、このCDのライナーノーツを読んでみると、その辺のあまりの無頓着さにがっかりしてしまいます。このライターさんは
フィナーレは、猛スピードのタランテラで、ヴァイオリンはまるでベートーヴェンの交響曲第9番の最後の楽章「歓喜の歌」のように、延々と三連符を演奏し続ける。おそらくこれは、シューベルトが意識していたかどうかはわからないが、彼自身の「第9交響曲」を作っている頃に、彼にとっての音楽的な英雄であったベートーヴェンが亡くなったことに対する追悼の意味があったのかもしれない。

などと書いているのですからね。お分かりでしょうが、この文章には事実誤認が2つもあります。まず、この曲に「第9番」という番号(それも今では「第8番」に変わっています)を付けたのは後世の人で、シューベルト自身ではありませんから、「彼自身の『第9交響曲』」というのはあり得ないということ。さらに、この曲が作られたのは、かつてはシューベルトの最晩年、1828年ごろだと考えられていたものが、最近の研究ではもっと前、1825年ごろだとされているのですから、シューベルトがこの「第4楽章」を作っていた時にはまだベートーヴェンはご存命だったんですよ(亡くなったのは1827年)。したがって、この曲に追悼の意味を込めることもあり得ません。このようなデタラメなライナーを平気で書くなんて、まるで日本の音楽評論家みたいですね。
現在86歳と、いわば「巨匠」と呼ばれてもおかしくない年齢に達しているにもかかわらず、ドホナーニという人にはそれほどのカリスマ性を感じることが出来ないのはなぜでしょう。知名度も低いし(それなーに?)。この曲は最近、実際に演奏する機会があったので、この最新録音で「今」のこの曲の一つの提案を感じてみたかったのですが、特にこれといったインパクトはありませんでした。
第1楽章は、冒頭のホルン・ソロで全体の印象が決まってしまうという恐ろしいものですが、ここでのホルンは変に小細工が施されていて何か軟弱な感じがします。楽章全体は割と締まったテンポでサクサクと進んではいくのですが、やや素っ気ないところもあって、シューベルトらしい抒情性はあまり味わえません。
第2楽章は、これもオーボエ・ソロ頼み。幸い、このオーボエはとても暖かい音色でたっぷり歌ってくれていますし、途中で加わるクラリネットともとてもよく溶け合って、至福の時が味わえます。ただ、フレーズのつなぎの部分でちょっと音楽が停滞して流れが止まってしまうのが残念です。
第3楽章は中間のトリオがちょっと重苦しいリズムに支配されているのが、気になります。
そして、フィナーレでは、さっきの「タランテラ」というイメージとは程遠いもたつきが、ただでさえ長すぎるこの楽章をより退屈なものにしています。この楽章、全部で1154小節もあるって、知ってました?

CD Artwork © Signum Records
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by jurassic_oyaji | 2016-04-28 21:26 | オーケストラ | Comments(0)
RUSSIAN DANCES
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山田和樹/
Orchetre de la Suisse Romande
PENTATONE/PTC 5186 557(hybrid SACD)




すでに日本を代表する指揮者となっている山田和樹さんの現在のポストはというと、スイス・ロマンド管弦楽団首席客演指揮者、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団首席客演指揮者(2016年9月からは音楽監督兼芸術監督)、日本フィルハーモニー交響楽団正指揮者、横浜シンフォニエッタ音楽監督、仙台フィルハーモニー管弦楽団ミュージック・パートナー、オーケストラ・アンサンブル金沢ミュージック・パートナー、東京混声合唱団音楽監督兼理事長という膨大なものになっています。やはり小澤征爾から続く「ブザンソン・ウィナー」という経歴は、間違いなく大指揮者への切符となっているのでしょう。
中でも、オーケストラと並んでプロの合唱団の指揮者としても活躍している、というあたりが目を引きます。そう言えば、デビューしたばかりの小澤征爾も、この合唱団を指揮していましたね。ミュージック・パートナーを務める仙台フィルとのプログラムでも、今年の定期演奏会と特別演奏会ではいずれも「エリア(メンデルスゾーン)」と「カルミナ・ブラーナ(オルフ)」という、大規模な合唱を伴う曲目が選ばれています。
さらに、やはり仙台フィルと昨年行われたコンサート形式の「椿姫」を皮切りに、オペラのレパートリーにも手を広げようとしていますから、これからのさらなる躍進には期待しないわけにはいきません。
CDも、日本のEXTONレーベルから多くのアルバムがリリースされていますし、スイス・ロマンド管弦楽団とはオランダのレーベルPENTATONEからこれまで2枚のSACDが出ていました。それぞれに「フランス」、「ドイツ」というキーワードが秘められたダンス音楽が集められていた、かなり凝った選曲のアルバムでしたが、今回はその「ロシア編」となります。
まずは、この華麗にポーズをとるバレリーナをあしらったジャケットに注目です。このレーベルは最近ジャケットのデザインを一新して、さらにクオリティが上がっていますが、これもレタリングと写真との絶妙なコンビネーションにはうならされます。ただ、この写真と、最初を飾るのがチャイコフスキーの「白鳥の湖」(このタイトルを「はくちょうこ」と短縮するのだけはやめましょうね)だということで、アルバム全体のイメージが固まってしまうような気にさせられるのは、もしかしたら山田さんが仕掛けた巧妙な罠だったと気づくには、それほど時間は必要ではありません。
まず、その「白鳥の湖」の、「華麗」さとは全く縁のない武骨な演奏を聴けば、これが単なる「名曲アルバム」を目指したものではないことはすぐに分かります。最初の「情景」のオーボエ・ソロは、なにか喘いでいるような息苦しさを伴っています。「ワルツ」の低音の重っ苦しさは、とてもフランス語圏のオーケストラとは思えません。「白鳥の踊り」のシンコペーションの、なんと野暮ったいるいことでしょう。そして2番目の「情景」でのハープ、ヴァイオリン、チェロのそれぞれのソリストの持って回った歌い口には、ただの「甘さ」ではない何かを感じないわけにはいきません。
続く、グラズノフの2つの「コンサート・ワルツ」も、単に表面的な流麗さをなぞるだけではない、もっと深いものを引き出そうとしている意志を感じてしまいます。結局、それはこの作品の底の浅さを露呈することにしかならないのですが。
そんな、ちょっとした物足りなさを感じつつ、後半のショスタコーヴィチの「黄金時代」と、ストラヴィンスキーの「サーカス・ポルカ」を聴くと、そんなモヤモヤは一掃されてしまいます。この不健全なアイロニーの塊のような2つの作品にこそは、心の底から共鳴できる音楽が満ち溢れていたのです。もしかしたら、単純にこれだけを聴いたのではそれほどの感銘はなかったのかもしれません。その前にあえて「つまらない」ものを持ってきたからこそ味わえるこの充足感、そんな腹黒い魂胆によって、このアルバムはとびきりの価値を持つことになりました。指揮者の勝ちです。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.
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by jurassic_oyaji | 2016-04-07 23:14 | オーケストラ | Comments(0)
TCHAIKOVSKY/Nutcracker Suite etc
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Leopold Stokowski/
London Philharmonic Orchestra
PENTATONE/PTC 5186 229(hybrid SACD)




生涯に渡って、多くのレーベルに録音を行っていたストコフスキーですが、PHILIPSに関しては1973年と1974年にそれぞれ1枚ずつLPを作っただけでした。そんな貴重なもののうちの1973年の分、ロンドン・フィルとのチャイコフスキー集がSACDでリリースされました。もう一つの1974年の録音はロンドン交響楽団とのチャイコフスキーですから、ストコフスキー/PHILIPS/ロンドン・フィルという組み合わせのアルバムはこれ1枚しかありません。さらに、ロンドン・フィルとのそれ以外の録音も、1969年のDECCAへの「運命」+「未完成」しかないのだそうです。
アメリカを拠点として活躍してきたストコフスキーも、1972年に自ら創設したアメリカ交響楽団の常任指揮者を辞任してからは、故国であるイギリスに戻り、そこで亡くなるまでイギリスのオーケストラとの録音活動を行うことになるのでした。このPHILIPSへの録音の後、1976年には米コロムビアと「6年間」の録音契約を結ぶのですから、それが誠実に履行されていればやがて来るデジタル録音の時代をも体験することが出来たでしょうに。
このPHILIPSへの2枚のLPは、少し前に2枚組のCDがDECCA名義でリリースされていましたが、今回はDECCAからのライセンスで、PHILIPSの血を引くPOLYHYMNIAのエンジニアによってハイブリッドSACDに復刻されたものです。オリジナルは「4チャンネル」のソースでしたから、マルチチャンネルで聴くこともできます。
このアルバムのメインはやはり「くるみ割り人形」でしょう。有名な1940年公開のディズニー・アニメ「ファンタジア」でもフィーチャーされていた「ストコフスキー節」満載のあの怪演が、ここでも味わえるのでしょうか。
「小さな序曲」では、いともまっとうに音楽が始まりました。とても軽やかで、そこからは爽やかささえも感じられます。しかし、次の「行進曲」になったら、なんという速いテンポ、これでは「行進」ではなく「駆けっこ」ですね。おかげで、途中で現れるフルートのダブル・タンギングは、とんでもないことになってしまっています。これは、オーケストラがストコフスキーに馴れていなかったために練習を怠っていたせいでしょう。録音現場でこんなテンポだったことを知らされ、焦ってみても後の祭です。
そして、「金平糖の踊り」こそはストコフスキーの真骨頂、まずは楽譜に手を入れて、最初の弦楽器のピチカートに、ファースト・ヴァイオリンと同じ音でアルコのトレモロを加えています。されに、続くチェレスタのソロも和音をすべてアルペジオで演奏するという形に変えています。そして、とどめは「ファンタジア」でおなじみ、その後のバス・クラリネットの「ミレドシシ♭~」(固定ド)という合いの手のフレーズの最初の「ミ」を、思いっきりテヌートです。いや、それはもはや「テヌート」とは言えないほどの、とても拍の中には納まりきらない長さになっていました。つまり、「ファンタジア」の時点では異様ではあってもかろうじて拍には収まっていたものが、ここではその前のトレモロとアルペジオという荒技を加えることによって、そんな無茶も可能にした、ということでしょう。その結果、この曲からはある種妖艶な雰囲気が漂うことになり、決してほかの指揮者ではなしえない音楽が誕生しました。「ファンタジア」からの30余年、それはまさに、一人の指揮者が芸風を完成させる長い道程だったのです。
これに比べると、他の「イタリア奇想曲」や「エイゲニ・オネーギン」の「ポロネーズ」と「ワルツ」などは、まだまだ「芸なかば」と感じられてしまいます。薔薇族ではありません(それは「ゲイ仲間」)。あるいは、「イタリア奇想曲」でのファンファーレがこんなにしょぼいのは、単にオーケストラとの相性が悪かっただけなのでしょうか。
録音は、PHILIPSにしては珍しい管楽器がかなりオンとなったバランス、こちらの分野では、ストコフスキーはしっかり自分を主張していたようです。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.
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by jurassic_oyaji | 2016-04-02 20:48 | オーケストラ | Comments(0)
STRAUSS/Heldenleben, Rosenkavalier-Suite
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佐渡裕/
Tonkünstler Orchester
TONKÜNSTLER ORCHESTER/TON 1001




佐渡裕が昨年「トーンキュンストラー管弦楽団」の音楽監督に就任したというニュースは、かなりあちこちで取り上げられていましたね。その時にみんなが一様に思ったのは、「『トーンキュンストラー』ってなに?」という疑問でした。「ウィーン・フィル」とか「ベルリン・フィル」というような分かりやすい名前のオーケストラではありませんでしたから、一般の人がそのような疑問を抱くのは当然のことです。たまに「ウィーン・トーンキュンストラー」みたいな呼び方もされることがあって、「そんなオーケストラ、ウィーンにあったかな?」と首を傾げた人も多かったのではないでしょうか。
しかし、このオーケストラは、そんなヤバいオーケストラではありませんでした。創立されたのは1907年、あのウィーンの楽友協会大ホールで、「ウィーン・トーンキュンストラー」という名のもとにデビューを飾っています。後にはフルトヴェングラー、ブルーノ・ワルター、クレンペラーなどの超有名指揮者も指揮台に登っています。1945年からは、オーストリアのウィーンを取り囲むような位置にあるニーダーエストライヒ州のオーケストラとして州都のザンクト・ペルテンを本拠地に活動を始めます。さらに、同じ州にあるグラフェネックでも、毎年音楽祭を開催しているという、活動拠点が3つもあるオーケストラなのです。この頃には、正式名称は「トーンキュンストラー管弦楽団」となっていました。
最近の音楽監督では、佐渡の前がオロスコ=エステラーダ、その前がクリスティアン・ヤルヴィで、それぞれの指揮者によって録音されたCDも多数リリースされています。オロスコ=エステラーダはOEHMS、ヤルヴィはSONY、CHANDOS、PREISERあたりのレーベルから出ていますね。
さらに、PREISERの場合は、ライブ演奏を録音したものはこのオーケストラ仕様の「TONKÜNSTLER LIVE」というサブレーベルが設けられていて、これが事実上の自主レーベルのようになっていました。しかし、今回は佐渡の就任に合わせたように、オーケストラの名前をそのまま使った正真正銘の自主レーベルが発足していました。品番からも分かるように、これはその自主レーベルの「1番目」となるアイテムです。
しかも、このCDの作られ方は、見事に佐渡の本国である「日本」を意識したものになっていました。オーストリアで制作されたインレイには、なんと日本語の曲目表記があるのですよ。ですから、当然ブックレットもドイツ語、英語と並んで日本語に翻訳されたライナーノーツが載っています(訳文はかなりひどい日本語ですが)。日本人がシェフとなったオーケストラの自主レーベルというのは、こういうことになるのですね。
録音のやり方も至れり尽くせり、コンサートのライブを録音するようなお手軽なものではなく、彼らの一つの本拠地であるグラフェネックのコンサートホールを使って、5日間に渡るセッションが設けられました。録音スタッフは、オロスコ=エステラーダのブラームスの交響曲全集を手掛けたPegasus Musikproduktionです。これが素晴らしい音に仕上がっています。全体の響きはとてもすっきりしているのに、個々の楽器はとても芯のある音がしています。おそらくハイレゾ・データでもリリースされるのでしょうから、それだと間違いなくさらに極上のサウンドが楽しめることでしょう。
それだけの器が揃って、これで演奏も極上であれば何も言うことはないのでしょうが、これを聴いても心が動かされるところが全くなかったのは、どういうわけなのでしょう。「英雄の生涯」では、最初のテーマからしてワクワクするようなことがありませんし、いったいどこへ向かって音楽を作っているのか、という意志が全く見えてきません。「ばらの騎士」はもっと悲惨、この曲に絶対あってほしい「色気」が全く感じられません。本当は夢見るように美しいはずの「銀のバラのモティーフ」がこんなに鈍重だなんて。まるで「牛(ぎゅう)のバラ」。

CD Artwork ©c Niederösterreische Tonkünstler Betriebsgesellschaft m.b.H.
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by jurassic_oyaji | 2016-03-21 20:32 | オーケストラ | Comments(0)
Respighi/Antiche Danze ed Arie ・ Gli Uccelli
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Henry Raudales/
Münchner Rundfunkorchester
CPO/777 233-2(hybrid SACD)




このレーベルでは思い出したようにSACDでのアイテムがリリースされるので、油断が出来ません。基本的に個々の録音はクオリティが高く、ノーマルCDでもほとんど不満は感じられないのですが、やはりSACDは別格です。値段もほんの少し高いだけですから、出来るなら全部SACDにしてほしいものです。
このSACDも、音の良さを期待して入手しました。なんたってオットリーノ・レスピーギですから音のいいのは間違いありませんからね。そして、ここでミュンヘン放送管弦楽団の指揮をしている人が、全く聞いたことのない名前なのにとてもセンスの良い音楽を聴かせてくれていたので、俄然興味が湧いてきました。
ヘンリー・ラウダレスという人は、名前もラテン系ですし、写真で見ると顔立ちもそんな感じですが、確かにグァテマラで生まれた方でした。小さいころから父親(ジノ・フランチェスカッティ、ヘンリク・シェリング、エーリッヒ・クライバーなどに師事したヴァイオリニスト、ピアニスト、指揮者)にヴァイオリンの手ほどきを受け、7歳でパガニーニを演奏してコンサート・デビューしたという「神童」です。それが、あのメニューインの目に留まり、ロンドンに留学、さらにベルギーのアントワープなどでも学んで、ヴァイオリニストとして世界中で活躍するようになります(現在はベルギー国籍)。
ソリストであると同時に、彼は多くのオーケストラのコンサートマスターを務め、今までにベルギー、オランダ、イタリア、ドイツの12のオーケストラのコンサートマスターを歴任しているそうです。2001年にはミュンヘン放送管弦楽団のコンサートマスターに就任、現在もそのポストにあります。さらに、彼は指揮者としてのキャリアも築き上げつつあって、このミュンヘン放送管とは年に2回指揮台に立つようになっています。
彼が指揮するレスピーギは、まず「リュートのための古風な舞曲とアリア」の全3曲です。この中では弦楽器だけで演奏される「第3番」の人気が突出していますが、「第1番」と「第2番」には管楽器も加わって、レスピーギの色彩的なオーケストレーションを楽しむことが出来ます。さらに、この2曲にはチェンバロまでが入っていて、原曲とされる17世紀の音楽の雰囲気も伝えてくれています。ただ、レスピーギがこれらの曲を作ったころは、それらの「原曲」に対するアプローチは今とはかなり異なっていたはずですから、今の時代にそのスコアをそのまま再現すると妙にグロテスクなものになりかねません。もちろん、チェンバロだって当時は今のような楽器は存在していませんでしたから、あくまで念頭にあったのはモダンチェンバロの響きだったはずですし。
そのような、ちょっと重苦しいオーケストレーションのはずなのに、ここで聴くラウダレスの演奏はとても軽やかに感じられます。おそらく、彼や、演奏しているオーケストラのメンバーの中では、確実に「原曲」の本来のテイストを感じられる人が増えて、その感覚をもとにレスピーギの響きを修正するような意識が働いているのではないでしょうか。この素晴らしい録音で聴く限り、使われているチェンバロはヒストリカルのような気がします。
「第3番」の中でもとくに有名な3曲目の「シチリアーナ」は、かつてはゆったりとした重々しい演奏が幅をきかせていましたが、元のリュート・ソロの演奏が浸透してくるともっとサラッとしたものに変わっていきます。これもそんな、とても軽やかでリュートの感じが良く伝わってくる今の時代ならではの演奏です。
もう一つの組曲は「鳥」です。こちらではチェンバロは使われていないため、それほど昔の曲を意識しないで自由に編曲を行ったような趣があります。なんと言っても4曲目の「夜鶯」の静謐な佇まいには惹かれますが、このフルート・ソロはあまりに及び腰で魅力が感じられません。録音も、前の2つの組曲とは時期が違うようで、ほんの少し精彩を欠いています。

SACD Artwork © Classic Produktion Osnabrück
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by jurassic_oyaji | 2016-03-11 20:36 | オーケストラ | Comments(0)
SIBELIUS/Swanwhite
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Riko Eklundh(Narr)
Leif Segerstam/
Turku Philharmonic Orchestra
NAXOS/8.873341




セーゲルスタムのシベリウス劇音楽全集、今回は「白鳥姫」を中心としたアルバムです。
これはスウェーデンの作家アウグスト・ストリンドベリが1901年に、30歳年下の婚約者、女優のハリエット・ボッセのために作ったおとぎ話風の戯曲です。なかなか粋なことをするな、と思うかもしれませんが実はこれがストリンドベリの3度目の結婚で、それも3年後には破局を迎えるのですから、複雑です。もっとも、ボッセの方もそれからさらに2度他の男と結婚するのですから、まあいいんじゃないですか。
しかし、そんな彼女がこのシベリウスの劇音楽を産むきっかけとなっていたのですから、面白いものです。ボッセは、1905年にシベリウスが音楽を担当して上演されたメーテルランクの「ペレアスとメリザンド」で、メリザンドを演じていたのです。彼女は公演の間中、「メリザンドの死」の場面で流れる音楽の素晴らしさに、ベッドに横たわって涙にくれていたといいます。そこで彼女は、もう別れていたストリンドベリに、先ほどの、まだ実際にステージで上演されたことのない「白鳥姫」でもシベリウスに音楽を付けてもらったらいいんじゃない?と進言しました。
それはすんなり実現することはありませんでしたが、最終的にスウェーデン劇場の委嘱という形で、1908年の4月に上演が行われます。その後、1909年には、演奏会用の組曲もシベリウス自身の手で作られます。
劇の主人公「白鳥姫」は、侯爵の娘ですが、母親は実は白鳥だったという、不思議な設定、その侯爵の後妻は3人の連れ子がいるというのは、なんだか「シンデレラ」に似ていますね。姫は遠くの若い国王との婚約が決まっているものの、その国王がよこした家庭教師である王子と恋に落ちます。そこに待っていたのは悲しい結末、しかし、愛の力ですべては救われるというお話です。
このCDで聴けるのは、組曲版ではなく、最初の劇場音楽のバージョンです。この頃の演劇の「劇伴」は、もちろん今のように録音したものを使うわけではなく、「生」のオーケストラが演奏していたのですが(指揮はシベリウス自身)、オペラではないのですからそんなに大編成のオーケストラを使うわけにはいかないでしょうね。これを聴いてみても、弦楽器はかなり少ない人数のような気がしますし、それ以外の楽器もフルートとクラリネットとホルンが1本ずつ、それにティンパニという、非常にシンプルな編成です。「ハープを弾きましょう」というタイトルのナンバーでも、そこで実際に演奏されているのは「ハープ」ではなく、ハープを模倣した弦楽器のピチカートだったりします。
音楽は、そのような「おとぎ話」にふさわしい、とても親しみやすいもので、何かグリーグのようなテイストも見られます。例えば第2幕の「継母:花嫁はどこに行ったの?」というナンバーなどは、「ソルベーグの歌」を思わせるようなメロディとエンディングの味付けです。デミグラスソースで(それは「ハンバーグ」)。そして、第3幕の終わりに演奏される大団円の音楽は、弦楽器の朗々たるコラールが愛の力を高らかに歌い上げる壮大な音楽です。
ところで、第3幕の初めに演奏される「白鳥姫」というナンバーは、弦楽器のピチカートとフルートのスタッカートが印象的ですが、これはのちに交響曲第5番の第2楽章(現行版)に転用されることになります。
これをコンサート用の組曲版に直した時には、シベリウスはオーケストラを普通の2管編成に拡大し、打楽器もカスタネットやトライアングルを加えました。それによってオーケストレーションは全く別のものに変わりましたが、それ以上に曲の構成自体が大幅に変更されています。このジャケットの写真は孔雀ですが、それは7曲から成る組曲版の最初の曲のタイトルの「孔雀」に由来しているのでしょう。しかし、こちらのタイトルは「鳩」、それはフルートとクラリネットのユニゾンで執拗に繰り返されている「E」の音で表現されているのでしょう。組曲版では、姫のペットの孔雀がついばむ音が弦楽器のピチカートとともにカスタネットで描写されていますが、劇音楽版ではもちろんカスタネットはありませんし。
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by jurassic_oyaji | 2016-02-21 00:08 | オーケストラ | Comments(0)
SCHUBERT/Operatic Overtures
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Manfred Huss/
Haydn Sinfonietta Wien
BIS/CD-1862




このCDのジャケットには「Original recordings by Koch/Schwann, remastered by BIS Records」というクレジットがありました。「Koch/Schwann」というのはLP時代から有名だったレーベルで、もちろんCDになってもなかなかマニアックなものを出していたような気がしますが、いつの間にか見かけなくなっていたな、と思っていたらこんなことになっていたのですね。どうやら、1962年に設立されたこのレーベルは、2002年にUNIVERSALに買収されてしまったようですね。その時点で、もはや新しい録音は行わなくなっていたのでしょうし、このようにUNIVERSAL以外のレーベルからも「切り売り」されるようになっていたのでしょう。なかなか厳しいものがありますね。この業界も。
このマンフレート・フスが指揮するハイドン・シンフォニエッタ・ウィーンによる「シューベルトのオペラ序曲集」は、KOCH/SCHWANNによって1997年に録音され、CDもリリースされていましたが、長らく廃盤状態にありました。なんでも、これらのフスの録音はマニアの間では非常に評判が高買ったのだそうです。中古市場では高値で取引されていたかね?それが2012年に晴れて再リリースされたということです。確かに聴いてみると、BISで録音されたものとはかなり違う、ちょっとどんくさい音でした。特に低音のヌケが悪く、なにかもっさりしている感じです。それでも、BISのエンジニアによってリマスタリングが施されていますから、かなり修正されてBISのサウンドに近づけるような努力はされているのでしょうね。元の音をぜひ聴いてみたい気がします。この再リリースに際しては、フスによって新たに書き下ろされたライナーノーツが掲載されています。
シューベルトはオペラや劇音楽にも精力的に挑戦していて、20曲以上の作品を残していますが、そのうち完成したのは11曲だけでした。しかし、その中の「ヴィラ・ベッラのクラウディーネ」というオペラは、友人に預けた自筆稿が、その妻によって誤って暖炉にくべられてしまったため、一部しか残っていないのだそうです。何とももったいない話ですが、バッハの作品なども、そのようにしてこの世からなくなってしまったものがたくさんあるのだそうですね。
ここでは、そんなオペラのために作られた10曲の序曲が演奏されています。それらは、シューベルトの生涯にわたって作られたものでした。最初の「水オルガンを弾く悪魔」は、彼が14歳から15歳、あのサリエリの個人レッスンを受けるようになり、コンヴィクトに入学した頃の作品ですし、最後の「フィエラブラス」は26歳になって、「未完成交響曲」が作られた頃のものです。
演奏しているハイドン・シンフォニエッタ・ウィーンは、1984年にフスによって設立されました。1991年からはピリオド楽器による演奏を行なうようになり、これまでにハイドンやシューベルトを始めとするバロックから19世紀初頭の作品を演奏しています。学究肌のフスによって初めて録音された珍しいものも、その中にはあります。
このシューベルトの序曲集も、なかなか珍しいレパートリーなのではないでしょうか。もちろん、ほとんど初めて聴いたような気がするものばかりですが、それがさらにピリオド楽器による演奏なのですから、興味は尽きません。特にフルートは、モダン楽器で吹いても大変だな、と思えるようなフレーズがあちこちに出てくるのには、ちょっと驚かされます。さらにホルンも、滑らかに歌うような本来はとても美しいはずのコラール風のパッセージが、ゲシュトップでなかなかコミカルな味に変わっているのも、ちょっと不思議、シューベルトはこの楽器が将来バルブやピストンを持つことを予測していたのでしょうか。
演奏自体もとてもアグレッシブなもの、ティンパニの強打に煽られて、とてもハイテンションな音楽が味わえます。これがシューベルトの本来の姿なのかどうかは、ちょっと判断の付かない「ヘタウマ」の世界が、ここには広がっています。

CD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2016-02-18 23:09 | オーケストラ | Comments(0)
TCHAIKOVSKY/Violin Concerto, STRAVINSKY/Les Noces
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Patricia Kopatchinskaja(Vn)
Nadiene Koutcher(Sop), Natalya Buklaga(MS)
Stanislav Leontieff(Ten), Vasiliy Korostelev(Bas)
Teodor Currentzis/
MusicAeterna
SONY/88875165122




前回の「春の祭典」の時にはなんともシンプルな文字だけのジャケットだったのに、今回はとても手の込んだアートワークになっているという、相変わらず意表を突くことにかけては天才的なクレンツィスです。曲目の一つの「結婚」にひっかけての「田舎の結婚式」といったコンセプトなのでしょうが、このジャケット写真の真に迫った「田舎っぽさ」は感動ものです。そして、その花嫁と花婿が指揮者とヴァイオリンのソリストの「カメオ出演」なのですから、すごすぎます。
ただ、この写真の持つ雰囲気は、「結婚」だけではなく、メインのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の演奏ぶりまでしっかり反映されたものになっているのです。そう、この「チャイコン」は、今まで散々味わってきたあのゴージャスなイメージを抱いて聴きはじめると、とんでもないしっぺ返しを食らうことになってしまうような代物ですから、注意が必要です。まさに「ロシアの田舎」風の泥臭いチャイコフスキーがここにはあるのですから。
まずは、使っている楽器が違います。ソリストを始めとして、弦楽器はガット弦を使用しています。さらに、オーケストラの木管楽器も、モダン楽器ではなくピリオド楽器が使われています。そもそもこの「ムジカエテルナ」という、ペルムのオペラハウスのオーケストラは、モダンにもピリオドにも対応できる柔軟性を持っていて、今までにも驚かされてきましたから、それは意外でも何でもないのですが、チャイコフスキーでのピリオドというのはなかなか珍しいものなのではないでしょうか。ピロシキなら分かりますが。
楽器が違えば、当然奏法も違い、表現の仕方も変わります。コパチンスカヤは、それを茶目っ気たっぷりに披露してくれるのですね。彼女は、ヴァイオリンという楽器から、洗練された超絶技巧や甘くとろけるようなメロディを奏でるものだというイメージを見事に打ち砕いて、そのような洗練さを達成させる過程で否定されていった粗野な表現方法を大胆に前面に押し出しています。
第1楽章のカデンツァなどは、そんな「粗野」さのオンパレード、確かに楽譜通りに弾いてはいるのですが、そこに込められたアイディアの数々はとても新鮮に聴こえます。ヴァイオリンにはこんな表現だって出来たんだ、という驚きですね。というか、それは今までは禁じられていたものが何の屈託もなく公衆の面前に姿を現した、という新鮮さです。こういうものが真に心に響く「アイディア」、前回のアーノンクールのような「こけおどし」との根本的な違いです。こういう人が出てきてしまっていたのですから、すでにあの老人の出番はなくなっていたのです。
第2楽章では、メランコリックに涙を誘うべきあの美しいメロディが、とてもハスキーなしわがれ声で歌われます。そして、オーケストラもフルートなどはモダンとは全然違う素朴な音色と歌いまわしで、ソリストをサポートです。もう全員で今までのチャイコフスキー像を崩そうと手ぐすねを引いている、という感じですね。
そして、最後の楽章ではにぎやかなロシアの農民ダンスが始まります。コサック・ダンスってやつですか。腕を前に組んで腰を低くし、足を交互に前に出すというあの激しい踊り、それが眼前に広がります。オーケストラのノリの良さもすごいもの、勢い余って、379小節あたりのピチカートがとんでもないことになってます。
カップリングの、ストラヴィンスキーの「結婚」は、ピアノ4台と打楽器というシンプルな編成で、まるでカール・オルフを思わせるような音楽です。いや、オルフはマジでこれをパクッたのではないか、という気がするほど、よく似てますね。ここで合唱が登場しますが、それが民族的な歌い方とクラシカルな歌い方を見事に歌い分けていました。ここはオーケストラだけでなく、合唱団も油断が出来ません。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2016-02-10 21:03 | オーケストラ | Comments(0)
BEETHOVEN/Symphonies 4 & 5
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Nikolaus Harnoncourt/
Concentus Musicus Wien
SONY/88875136452




「アーノンクールが新しいベートーヴェンの録音に着手」などと大々的に騒がれ、そのベートーヴェン・ツィクルスの第1弾となるはずだった「4番+5番」です。結局、これがリリースされる前にこの指揮者が引退声明を発表したために、そのプランは立ち消えになってしまったのですが、そうなると今度は「アーノンクール最後の録音」ということでなんだかかなりのセールスを記録しているようですから、まあどうなっても商売にはしっかり結びつくことになるのですね。
ご存知のように、アーノンクールがベートーヴェンの交響曲を録音するのはこれが2回目のこととなります。1回目は1991年、ヨーロッパ室内管弦楽団というモダン・オケを指揮したものです。それが今では、なんとNMLでも全曲聴くことが出来るのですからありがたいことです。そこで、まだ聴いたことのないそちらのバージョンも一緒に聴いてみたのですが、もう予想以上の違いがあったのには驚いてしまいました。もちろん、今回のCDはウィーン・コンツェントゥス・ムジクスというピリオド・オケですから、楽器の奏法自体にも違いはあるのですが、こちらを聴いてしまうと昔の録音はいとも「フツー」の演奏に感じられてしまうから、不思議です。それこそ「借りてきた猫」みたいに聴こえますからね。今回は、自分のオケだからなんだってやれるんだぞ、という意気込みがまざまざと伝わってきますよ。
特にすごいのが「5番」です。まあ、1楽章の冒頭の「ジャジャジャジャーン」の最後の「ジャーン」の音にディミヌエンドをかけるというのは以前にもやっていたことですから、もうこれはルーティンになっているのでしょうが、3楽章のトリオがまさにヘンタイです。これを聴けば、誰でものけぞってしまうのは必至、よくもこんなアイディアを思いついたなあ、と感心するばかりです。それをダ・カーポするのですからね(それは、前にもやっていました)。
4楽章では、普通はピッコロが加わりますが、ここでは「フラジオレット」という楽器が使われています。これは、おそらくソプラニーノ・リコーダーのたぐい、高い音の出る縦笛です。これがもし映像で見られるのだったら、そのフルートパートは横笛2本に縦笛1本という異様な光景になっていよう。音はあまりピッコロと変わりませんが、ちょっと鄙びた味がありますね。それと、やはりこの楽章だけに登場するコントラファゴットが、ものすごい存在感を発揮しています。
その楽章の最後近く、318小節のアウフタクトから入るファゴットの「ソドソミレドソ」という音型を受けてホルンが「ミドソミレドソ」と受ける場面で、ホルンが最初の音を「ミ」ではなく「ソ」で演奏しています。つまり、この2つの楽器が全く同じメロディを繰り返すのですね。これと同じパターンが335小節のアウフタクトから始まりますが、これも全く同じ扱いになっています。これが聴こえた時には、本当に心臓が止まるほどびっくりしたのですが、調べてみるとブライトコプフの新版では、「もしくは」ということでちゃんとこれが表記されていました。

初演の時のパート譜だけが、「ミ」から「ソ」に訂正されていたのですが、スコアには訂正がなかったので、両方の可能性が示されているのでしょう。この楽譜はスタディ・スコアでも1997年に発売されているのに、それをきちんと「音」にしたものは、ここで初めて聴きました。まさにアーノンクールの面目躍如といったところでしょうか。
そして、エンディングのアコードの連続を聴いてみてください。まるで、シベリウスの同じ番号の交響曲のエンディングのような不思議な終わり方が体験できるはずです。あ、もちろん初稿ではなく、現行版の方ですが。
こんな素晴らしい(くだらない)アイディアがいっぱいあふれたベートーヴェンの交響曲全集がもう完成されることはないなんて、残念すぎます(ホッとしました)。

CD Artwork © Sony Music Entetainment
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by jurassic_oyaji | 2016-02-08 21:43 | オーケストラ | Comments(0)