おやぢの部屋2
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カテゴリ:オーケストラ( 476 )
RIMSKY-KORSAKOV/Scheherazade, TCHAIKOVSKY/Piano Concerto No.1
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Martha Argerich(Pf)
Kirill Kondrashin/
Royal Concertgebouw Orchestra
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
TOWER RECORDS/PROC-1978(hybrid SACD)




タワーレコードの復刻盤SACDシリーズで、初めてユニバーサル系のレーベルが登場しましたわー。ユニバーサルでもSACD化は頻繁に行われているのですが、そちらはシングル・レイヤー、こちらはハイブリッド盤です。
音源に関しては、ユニバーサルと全く同じ手順でマスターが作られているようです。DECCAとPHILIPSは、イギリスのClassic Soundによってオリジナル・アナログ・マスターテープからDSD64に変換されたマスターが使われているそうです。ところが、なぜかDGの場合には、Emil Berliner StudiosからDSDではなく24/192のPCMのマスターが提供されているのだとか。ユニバーサルでのリリースの時にはこちらもDSDだったはずなのに、なぜなのでしょう。それより、この「Classic Sound」というのは、おそらくかつてのDECCAのエンジニアが関係しているスタジオなのでしょうが、ネットで調べるとなぜかその情報が全く見つかりません。不思議ですね。
今回、その中にこのコンドラシンのアルバムがあったので、聴いてみたくなりました。実は、さるオーディオ・ショップの展示会で、試聴用のサンプルとしてこの「シェエラザード」のLPが置いてあったのですよ。それを実際に、最高級のオーディオ機器によって再生するという、なかなか興味深いデモンストレーション、一体どんなすごい音が聴けるのか、と期待したのですが、聴こえてきた音には完全に失望させられました。それは、なんとも薄っぺらで冴えない音だったのです。世の「オーディオ・マニア」は、こんな音で満足しているのでしょうか。お店の人は、おそらく名録音と信じてそのLPを用意したのでしょうが、どうやらその時の何百万円ものシステムからは、それを引き出すことが出来なかったのでしょう。ですから、それがSACDになって目の前にあれば、いったいあのデモはなんだったのか、という検証も含めて聴いてみたくなるじゃないですか。
いやあ、それは、その時に聴いた音とはまるで違っていて、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の美点を余すところなく引き出したというとても素晴らしいものでしたよ。デモの音は全体にのっぺりしていて起伏に乏しいものだったのですが、ここではそれぞれの楽器が輝いています。しかも、それは全体としてはとても繊細な響きとしてのまとまりを見せているのです。弦楽器はあくまで柔らか、コンサートマスターのソロはよく聴くほとんどコンチェルトのソリストのような押し出しの強いものではなく、きっちりオーケストラの中で弾いているという雰囲気が伝わってくるバランスです。もちろん、他の管楽器のソロもでしゃばったところは全くありません。さらに、ホールトーンの美しいこと。
そして、コンドラシンの指揮も、例えばストコフスキーのような脂ぎった演奏になじんだ耳にはちょっと物足りないものの、逆にこのいかにもロシア的な重心の低さからは、この作品の本来の姿がしっかり伝わってくるように思えてきます。とても上品な味わい、おそらく、こういうものは何度聴いても飽きが来るということはないはずです。
カップリングのアルゲリッチとのチャイコフスキーのピアノ協奏曲のジャケットも、ブックレットに忠実に再現されていました。

タイトルは「Hommage à Kirill Kondrashin」、録音された時には生きていた(当たり前!)コンドラシンですが、LPが出たのは急死した後だったので「追悼盤」という意味合いが込められていたのですね。そんな、まさに「一期一会」的な売られ方だったので、ものすごいセールスを記録したといういわくつきのライブ録音です。しかし、これはそのようなあくまで「記念」として聴かれるべき音源なのでしょう。指揮者がコンドラシンというだけで、こちらはバイエルン放送交響楽団、会場もヘルクレス・ザール、しかも弦楽器の並び方は対向配置ですから、「シェエラザード」との共通項は殆ど見つけらません。というより、あちらが「繊細」ならば、こちらは「がさつ」の極みです。

SACD Artwork c Decca Music Group
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by jurassic_oyaji | 2016-09-22 20:54 | オーケストラ | Comments(0)
TCHAIKOVSKY/Symphony No.6"Pathétique"
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Manfred Honeck/
Pittsburgh Symphony Orchestra
REFERENCE/FR-720SACD(hybrid SACD)




常に何か新鮮な驚きを与えてくれる、このレーベルのホーネックとピッツバーグ交響楽団との録音による新譜です。音を聴く前にライナーや録音データなどを一通りチェックするのは、いつものこと、そこで目を引いたのがここで録音を担当している「Soundmirror」というボストンの録音プロダクションによる「この録音とポスト・プロダクションは、DSD256によって行われている」というコメントでした。DSD256というは、サンプリング周波数がCDの256倍、SACDのフォーマットが64倍ですから、それのちょうど4倍になるという、デジタル録音としては非常に解像度の高いフォーマットです(「4倍の」という意味で、「クワドDSD」とも呼ばれます)。録音の際にこれを使っているものは、実際には数えるほどしかありません。ついに、このレーベルも、ここまでのクオリティを持つことになったのだな、という感慨にふけるには十分な数値です。もっとも、世の中には「DSD512」という、さらに上位のフォーマットもあるそうです。SACDの8倍で「オクタDSD」でしょうから、もはやオタクの領域です。
そこで、この前に出たSACD、品番では2番しか違わない昨年リリースのアルバムのデータを見てみると、そこにはまだ「DSD64」だということが明記されていました。ということは、ごく最近、このフォーマットに変更されたということなのでしょうね。
そうなってくると、確かクワドDSDに対応していたはずのこちらのサイトでも、その元の録音を入手できるかもしれません。いまのところ、クワドDSDが聴ける環境にはないのですが、その半分のDSD128(ダブルDSD)なら聴けますので、それだったらSACDよりも良い音を体験できるはずです。思った通り、こちらにあるように、ここでは普通のDSDの他に、「ダブル」と「クワド」も販売されていました。さっそくダウンロードして聴き比べてみようと思ったのですが、その価格が、2チャンネルステレオの場合、すべて20.65ユーロであることに気づきました。以前こちらで買った時には、「DSD」は24.79ユーロでしたが、「ダブルDSD」では28.09ユーロと、フォーマットによって価格が異なっていました。これが当たり前の姿、ということは、このアルバムの場合は、価格から言ってもレーベルから供給されたものは単なる「DSD」で、「ダブル」と「クワド」はただのアップサンプリングではないのか、という疑問が湧いてきます。オリジナルが「DSD」だった先ほどのベートーヴェンも、やはり「クワド」まで揃っていましたが、すべて価格は同じでしたから、これは間違いなくアップサンプリングのはずです。しかし、ちゃんと「クワド」で録音された今回のアルバムも、すべて「DSD」並みの音になっているというのは(いや、単に価格からの推測ですが)、いったいどういうことなのでしょうね。
いずれにしても、ただのDSDであるSACDで聴いただけでも、この録音のすごさは十分に伝わってきます。その端的な例が、とても自然な音場感でしょうか。いつものように、このオーケストラはファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンが左右に分かれた配置を取っていますが、それがまさに作曲家の意図したとおりに、お互いに主張している部分などではきっちりと聴こえてきます。そして、これには本当に驚いたのですが、「悲愴」の第4楽章の冒頭の、テーマの1音ごとにパートが変わっているという不思議なオーケストレーションの部分では、そのテーマがパン・ポットで聴こえてくるのではなく、しっかり弦楽器全体の中で包み込まれて一体化しているように聴こえていたのです。
カップリングは、ホーネックがコンセプトを決めてトマーシュ・イレがその指示に従って仕上げた、ドヴォルジャークのオペラ「ルサルカ」による幻想曲でした。聴きものは、最後の方に登場する、有名なルサルカのアリア「月に寄せる歌」をヴァイオリン・ソロに仕立てたところでしょうか。ここでソロを弾いていたコンサートマスターのノア・ベンディックス=バルグリーは、この録音を最後にピッツバーグを去り、ベルリン・フィルの第1コンサートマスター(樫本大進と同じポスト)に就任したそうです。

SACD Artwork © Reference Recordings
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by jurassic_oyaji | 2016-08-27 20:03 | オーケストラ | Comments(0)
SIBELIUS/Symphonies Nos 3・6・7
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Osmo Vänskä/
Minnesota Orchestra
BIS/SACD-2006(hybrid SACD)




ヴァンスカによるシベリウスの交響曲ツィクルスは、かつて音楽監督を務めていたフィンランドのラハティ交響楽団とのものが、今でも好評を博しています。それは1995年から1997年にかけて録音されたもので、その新鮮な演奏とともに、「第5番」では通常の改訂版の他に改訂前の初稿の形での演奏が録音されていました。商業的なCDとしては、これが現在までで唯一の録音で、とても貴重なものです。最近、アマチュアのオーケストラであるアイノラ交響楽団が、指揮者の新田ユリ氏が特別に楽譜を手配してこの初稿版を演奏していますから、そのライブ録音などもぜひ聴いてみたいものですね。
ヴァンスカは2003年にはラハティを去り、ミネソタ管弦楽団のシェフとなりました。新たな任地での録音も今まで通りBISの元で行われ、ベートーヴェンの交響曲ツィクルスなどを完成させ、2011年からは新たにシベリウスのツィクルス作りに着手することになります。同じ指揮者が同じレーベルで別のオーケストラによって2度シベリウスの交響曲を全曲録音するというのは、今回のヴァンスカが初めてのことなのではないでしょうか。
しかし、今回の録音には、とんでもない障害が立ちふさがることになりました。2011年に「2番」と「5番」、2012年には「1番」と「4番」が録音され、そのまま順調に進むかに見えたものが、なんと労使交渉のもつれから、オーケストラ自体が存亡の危機を迎えるという事態になってしまったのです。その結果、ヴァンスカは2013年に音楽監督を辞任してしまいます。当然、残りの「3番」、「6番」、「7番」はまだ録音されていませんでしたから、この2度目のツィクルスはあわや空中分解、という状況だったのです。
しかし、奇跡的に労使間の和解が成立し、ヴァンスカは再度音楽監督に就任、2015年の5月と6月には晴れてこれらの交響曲の録音セッションがもたれることとなりました。
この3曲は、演奏時間を合わせると全部で82分ちょうどかかります。これは、SACDであれば何の問題もありませんが、CDと共用されているハイブリッド盤では、普通のCDの容量をはるかにオーバーしているのですが、なんせこのレーベルは過去にこんな、なんと82分26秒も入れてしまったCDを作っているのですから、これは軽いものでしょう。参考までに、旧録音でもこの3曲のトータルは82分1秒でした。ただ、曲ごとの時間の差はあって、「6番」は遅くなっていますが「3番」と「7番」は速くなっています。

(BIS/CD-862)

実は、最近「3番」を実際に演奏する機会があって、非常に親密な関係になれたので、この曲について新旧の録音の比較をしてみましょう。まず、新録音で大きく変わっているのが、オーケストラの配置です。弦楽器の並び方が、以前は普通の左側に高音楽器、右側に低音楽器というもので、チェロが前に出てきています。それが、今回は対向配置で、ファースト・ヴァイオリンは左、セカンド・ヴァイオリンは右に来て、チェロとコントラバスも左側になっています。これは、ベートーヴェンを録音していた時からこの配置でしたね。ですから、この曲の最初に低弦で出てくるテーマがちょっと左に寄った中央付近の奥から聴こえてくる、というのが、何か神秘的な感じがしていいですね。
ヴァンスカの演奏では、曲全体は旧録音より速くなっているのですが、実際に速くなっているのは第2楽章だけ、ここでははっきり曲のとらえ方が異なって感じられます。旧録音はまさにゆったりとした「子守歌」ですが、新録音ではもっと切実な、それこそ息子の死を悼む情感のようなものまで漂っているのではないでしょうか。
管楽器セクションのアンサンブルにも、違いが感じられます。ベートーヴェンを聴いたときにはこのオーケストラの木管は良く溶け合っているという印象があったのですが、今回シベリウスでフィンランドのオケと比べるとやはり個人芸が勝っているように聴こえます。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2016-08-25 21:43 | オーケストラ | Comments(0)
MELARTIN/Traumgesicht, Marjatta, The Blue Pearl
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Soile Isokoski(Sop)
Hannu Lintu/
Finnish Radio Symphony Orchestra
ONDINE/ODE 1283-2




シベリウスが生まれてから10年後の1875年に、現在はロシア領となっているカレリア地方のカキサルミで生まれたのが、エルッキ・メラルティンです。正直、このあたりの北欧の作曲家にはそれほどなじみがありませんから、この人の名前も今まで全く知りませんでした。それが、CDを出せば必ずチェックしていたハンヌ・リントゥとフィンランド放送交響楽団とのONDINE盤でこの人が取り上げられていたのと、さらに、その曲目の中に「マルヤッタ」というタイトルがあったので、俄然興味が湧いてきました。
実は、最近シベリウスの「交響曲第3番」に関していろいろ調べる機会があったのですが、その時に、同時に作曲を進行していた「マルヤッタ」というタイトルのオラトリオのことを知りました。結局それは完成には至らなかったものの、そこで用いられていたモティーフがこの交響曲の中で「再利用」されているということで、同じ素材がこのメラルティンの作品ではどのように扱われているのかを知りたくなったのですね。
「マルヤッタ」というのは、フィンランドの長編叙事詩「カレヴァラ」の最後に登場するエピソードです。なんでもマルヤッタという名前の少女が野に生えていたベリーの実を食べたことで男の子を出産し、その子がそれまでの王だったヴァイナミョイネンに替わって王となる、というような話なのだそうです。もちろん、それはキリスト教の要素がこの民話にも影響を及ぼした結果なのだ、と説明されています。
シベリウスの場合はその物語の中の「救世主の誕生」や「受難と死」、そして「復活」といったモティーフが、交響曲第3番の中に反映されているのだ、とされています。
それがメラルティンの場合は、ソプラノ・ソロとオーケストラのための、15分にも満たない曲に仕上がっていました。それは、まるでアニメのサントラのような、情景描写に主眼を置いた音楽のように思えます。冒頭からカッコーの鳴き声の模倣が聴こえるのは、確かにマルヤッタがカッコーと語り合うシーンと呼応しています。テキストはもちろんフィンランド語ですが、対訳の英語でそのあらましは理解できます。それによると、ここでは先ほどの「受難」や「復活」といった場面は登場せず、いきなりヴァイナミョイネンが現れて、カンテレを男の子に手渡して去っていく、といった情景で曲が終わっているようでした。シベリウスの場合は3つの部分から成る大オラトリオだったと言われていますが、それに比べるとずいぶんコンパクトな感じがしてしまいます。音楽も常に明るく、耳にすんなり馴染むものでした。
アルバムには、もう2曲収録されています。まずは、「マルヤッタ」の少し前に作られた「Traumgesicht」というドイツ語のタイトルが付いたオーケストラのための作品です。「夜の情景」といった意味でしょうか。サンクト・ペテルブルクでの、アレクサンドル・ジローティの指揮するコンサートのために作られたものです。これは、ヨーロッパ音楽の伝統をそのまま受け継いで、あえて民族的な要素は取り入れていないような作風です。オーケストレーションもとても色彩的な響きを重視していて、ほとんど映画音楽のような派手な作りになっています。そんな中で、それぞれのエピソードが何の準備もなしに唐突に登場するというあたりが、サプライズとしての面白さになっています。時々聴こえてくるドビュッシーのようなモーダルなテーマが、隠し味。初演後に何度か演奏された後はすっかり忘れ去られていたものが、2013年にリントゥとフィンランド放送交響楽団によって81年ぶりに甦演されたのだそうです(もう疎遠ではありません)。
もう1曲のバレエ曲「青い真珠」は、海を舞台にしたおとぎ話。作曲家の晩年の作品で、まるでチャイコフスキーのバレエ曲のようなキャッチーな作品です。最後から2番目の「ヴェールをかぶった魚」というナンバーが、ファンタスティックで素敵です。

CD Artwork © Ondyne Oy
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by jurassic_oyaji | 2016-08-13 20:27 | オーケストラ | Comments(0)
Nilsson/Celibidache
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Birgit Nilsson(Sop)
Sergiu Celibidache/
Swedish Radio Symphony Orchestra
WEITBLICK/SSS0186-2




ワーグナー歌いとして一つの時代を築いたビルギット・二ルソンが、そのキャリアの絶頂期、まさに脂ぎっていた頃に母国のスウェーデン放送交響楽団の演奏会に出演した時のライブ録音です。その時の指揮者がセルジウ・チェリビダッケだったという、今考えればとてつもなく貴重な顔合わせです。
これは、1967年の9月にストックホルムで行われたコンサートでのワーグナーと、翌年のやはり9月に同じ会場でのコンサートで歌われたヴェルディのアリアを収めたCDです。
ワーグナーは「トリスタンとイゾルデ」の「前奏曲」と「愛の死」、それに「ヴェーゼンドンクの5つの歌」のオーケストラ伴奏版(フェリックス・モットル編曲)からの3曲が演奏されています。二ルソンのイゾルデといえば、その年の前年、1966年のバイロイト音楽祭で録音されたカール・ベーム指揮の全曲盤が有名ですね。DGから出たLPに使われたヴィーラント・ワーグナーのステージの写真がとてもインパクトのあるものでした。その年の10月にヴィーラントは亡くなってしまったので、このLPのボックスには、追悼文が同梱されていました。二ルソン自身はそのヴィーラントの演出には心酔していたことが、彼女の自伝では述べられています。


今回のCDでのコンサートが録音された1967年には、バイロイトでは「トリスタン」の上演はありませんでした。しかし、この年の4月にはなんと大阪でバイロイトの引っ越し公演があり、二ルソンがイゾルデを歌っていたのですね。信じられないでしょうが、本当にそんなことがあったのですよ。もっとも、「引っ越し」とは言っても、やってきたのは指揮者とソリストと、そして舞台装置だけ、オーケストラ(N響)と合唱は現地調達というしょぼさでした。もちろん、演出家のヴィーラントも来られるわけはありません。
ただ、あの薄暗いバイロイトのステージが、実際に大阪で再現されていたのは感動的だったことでしょう。そして、この時の指揮者がピエール・ブーレーズという、1966年に「パルジファル」でバイロイト(本場)にデビューしてはいても、当時の日本ではワーグナーに関しては全くの未知数の人だったのも、すごいことでした。
一方のチェリビダッケがワーグナーを演奏した録音などというものも、かなり珍しいのではないでしょうか。まず聴こえてくる「トリスタン」の前奏曲は、まさにそんな「初物」を味わうには十分な、いかにも彼でなければなしえないようなワーグナーでした。それは、彼のブルックナーにも通じる、とことん細部を磨き込んだ、奥の深いものだったのです。ただ、そのような演奏にはとてつもない緊張感が要求されるのでしょう、管楽器のプレーヤーなどはもうコチコチなっているのがはっきり分かるほどの切羽詰まった演奏ぶり、アインザッツさえまともに揃えられないという恐ろしさです。
そのような中でのニルソンも、やはりいつもとは違って、ほんの少しいつもの伸びやかさが見られないな、というところがありましたね。でも、「ヴェーゼンドンク」の方は、もう少し楽に歌っているような気はします。こちらでも、オーケストラは委縮の極み、「Schmerzen」の最後でのトランペット奏者は、かわいそうなぐらいの失態を演じていました。
ところが、翌1968年のヴェルディでは、この指揮者はそれほどの締め付けは行わなかったのかもしれません。二ルソンはとても伸び伸びと、ちょっと普通のソプラノとは格の違うヴェルディを聴かせてくれています。
最後にはボーナストラックとして、「トリスタン」のリハーサルが収録されています。なぜか、これはモノーラル、こちらの二ルソンの方がコンディションが良かったように感じられるので、これも本体と同じステレオで録音されていればよかったのに。そういえば、先ほどのバイロイトの「トリスタン」のLPには、リハーサルももちろんステレオで録音されたものがおまけで入っていましたね。

CD Artwork © Weitblick
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by jurassic_oyaji | 2016-07-07 21:08 | オーケストラ | Comments(0)
STRAVINSKY/L'Oiseau de feu
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Dennis Russell Davies, 滑川真希(Pf)
Dennis Russell Davies/
Sinfonieorchester Basel
SINFONIEORCHESTER BASEL/SOB 10




ドイツとフランスの国境近くに位置するスイスで3番目に大きな都市バーゼルには、300年近く前から音楽文化が栄え、オーケストラの母体が存在していました。ヨハネス・ブラームスやグスタフ・マーラーが、実際にそのオーケストラの指揮をしたこともあります。そのような流れは最近まではバーゼル交響楽団(Basler Sinfonie-Orchester )とバーゼル放送交響楽団(Radio-Sinfonieorchester Basel)という2つのオーケストラとして形になっていましたが、1989年に、これらを統括する財団が設立されたことにより状況が変わります。最初のうちはそれぞれのオーケストラは独立した活動を行っていたものが、1997年に新しい「バーゼル交響楽団(Sinfonieorchester Basel)」に集約されるという、事実上の合併が行われて、1つのオーケストラとして再出発することになったのです。その時に首席指揮者に就任したのは、マリオ・ヴェンツァーゴでした。
現在の首席指揮者は2009年に就任したデニス・ラッセル・デイヴィス。彼の許で、このオーケストラは2012年に自主レーベルを発足させ、今回のCDが10枚目のアイテムとなっています。しかし、デイヴィスの任期は2015/2016年のシーズンまでで、今年の秋からはアイヴォー・ボルトンが次の首席指揮者、このオーケストラの相棒に就任することが決まっています。
この、「古くて新しい」オーケストラは、ウェブサイトなどもかなり凝った造りになっていて、外部への働きかけに積極的なような印象を受けます。この自主レーベルを飾るオーケストラのシンボル・マークも、なんか斬新な気がしませんか?

これは、オーケストラのメンバーがステージに座っている様子を表わしたものなのでしょう。ただ、これだと実際の並び方には不具合が出てしまうのは、デザインした人がオーケストラのことを良く知らなかったからなのでしょう(あるいは、なにか別の意味が込められている?)。でも、さっきのサイトでは、これをきちんと修正して、メンバー紹介のページに使っていましたね。

2014年にこのレーベルからリリースされたのが、ストラヴィンスキーの「春の祭典」のオーケストラ版と4手ピアノ版とを一緒に収めたアルバムでした。今回はその続編、同じ作曲家の「火の鳥」が取り上げられています。前のアルバムは両方のバージョンが全部1枚のCDに入ってしまいましたが、今回は「火の鳥」が20分程度で終わってしまう組曲版ではなく、50分ほどかかる全曲版ですから、2枚組になってしまいました。もちろん、演奏は全く同じ、ピアノを弾くのは指揮者のデイヴィスと、その妻である現代音楽のスペシャリスト、日本人の滑川真希さんです。
まずは、ほとんど組曲版しか聴いたことのなかったオーケストラの全曲版をじっくり聴いてみます。録音がとても素晴らしく、個々の楽器がきっちり立って聴こえてきますから、組曲版とのオーケストレーションの違いなどもはっきり分かります。そんな録音のせいでしょうか、音楽全体がとても風通しが良くて、爽やかささえ感じられるのですが、この曲の場合もっとなにか泥臭いところがあった方が良いような気がします。これはライブ録音ではないようですが、ピッコロが肝心のところでいまいち冴えないのも気になります。
ピアノ連弾版を作ったのはデイヴィス自身だそうです。「春の祭典」では作曲家が用意したものがあったのでそれを演奏していたようですが、「火の鳥」ではピアノ・ソロの、単にバレエの練習用に作られたものしかなかったので、新たに作る必要がありました。デイヴィスは、オーケストラ版とこのピアノ・ソロ版とを適宜参考にして、編曲を行ったのだそうです。
ふつう、同じ曲を演奏すると、どうしてもオーケストラ版の方がテンポが遅くなりがちなのに、ここではピアノ連弾版の方が時間がかかっています。それは、有名な「カスチェイの仲間たちの地獄の踊り」が、とんでもなくもたついているため。ただでさえ退屈なピアノ版が、これではだめでしょう。

CD Artwork © Sinfonieorchester Basel
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by jurassic_oyaji | 2016-06-28 22:46 | オーケストラ | Comments(0)
DVOŘÁK/Symphonie Nr.8, SUK/Serenade
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Mariss Jansons/
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
BR/900145




ヤンソンスとバイエルン放送交響楽団との最新のCDは、今年の初め、1月のコンサートのライブ録音でドヴォルジャークの「交響曲第8番」がメインです。この間のシベリウスではより伸びやかな音を聴くことが出来たガスタイクのフィルハーモニーでの録音ですから、おそらく存分に楽しめることでしょう。
その交響曲は、やはりCDとは思えないほどのすばらしい音で録音されていました。音が良いというのは、もちろん単なるオーディオ的なことではなく、演奏者の気持ちまでがきっちりと伝わってくる音になっている、ということです。ここでのヤンソンスの曲の作り方は、そのシーンで活躍するパートにスポットライトを当てて、思い切り歌ってもらうという、まるでドラマを見ているような気にさせられるものでした。確かに、この曲には至る所にソロやパートで目立つ役者のような楽器がたくさんありますからね。それが、単にメインのテーマを歌っているパートだけではなく、時にはそれを助ける役割のパートの方をクローズアップしているようなところもありますから、この、聴きなれた音楽に新鮮な味わいが加わることになるのです。たとえば、第1楽章のテーマをトランペットが高々と歌い上げているところで、本来は「脇役」であるはずのうねるような弦楽器を立てようとしていますから、これはそういう全体を見据えた演出だな、と気づくことになるのです。
カップリングとして、珍しいことにこのコンサートの数日前に「スタジオ録音」が行われた、スークの「弦楽セレナーデ」が収録されています。やはり、放送局のオーケストラですから、需要に応じて番組用の録音を放送局の「スタジオ」で行ったのでしょうか。だとしたら、ホールで録音されたものよりもデッドな音が聴けるのではないでしょうか。
と思いながら、交響曲の後の盛大な拍手に続いて聴こえてきた弦楽合奏の響きを味わってみると、なんかとてもふんわりとした瑞々しい音がするのでちょっと意外な気がしました。実は、「スタジオ録音」というのは「帯」に「ミュンヘン/スタジオ・レコーディング」と書いてあった情報なのですが、元々のクレジットを確認したら、「Studio Recording/München, Philharmonie im Gasteig」とあるではありませんか。何のことはない、コンサートと同じホールで録音していたのですよ。それなら、このしっとりとした音は納得です。別に「スタジオ」を使わなくても、ホールにお客さんを入れないで録音する「セッション録音」のことを「スタジオ録音」と呼ぶのは、この世界の常識でした。
スークが18歳という、まだドヴォルジャークの指導を受けていた頃に作られた「弦楽セレナーデ」は、師であり、後には義父となるドヴォルジャークの同名の作品をモデルにして作られたことがはっきり分かる、チェコの民族性を大切にした音楽です。しかし、こちらではその「民族性」が、もっと普遍的な西洋音楽の範疇に拡大されているようなスマートさが感じられないでしょうか。それは、ある種の「土臭さ」からは解放された、よりグローバルな聴かれ方にも対応できるもののような気がします。ということは、今の時代に作られている「現代音楽」(もちろん、こちらのような身勝手な定義とは別の次元の音楽)にも通じる情感までもたたえているな、と思えてしまうのは、ヤンソンスがとても良いセンスを発揮させているからなのでしょう。特に、第3楽章の心地よい甘ったるさは、まさに「現代」の受容にも耐えうるものです。
あんまり気に入ったので、この第3楽章だけ、ハイレゾで聴いてみました(@300円)。とは言っても、このファイルのフォーマットは24bit/48kHzというSACDには及ばないものなので(だからSACDは出ていない?)それほどの違いはないだろうと思っていたのですが、聴いてみたらCDとはまるで別物でした。最初に「CDとは思えない」などと書いてしまいましたが、やはりCDはCDでしかありませんでしたね。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-06-09 20:26 | オーケストラ | Comments(0)
SIBELIUS/Symphonie Nr.2
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Mariss Jansons/
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
BR/900144




先日、惜しまれて亡くなったニコラウス・アーノンクールを追悼する番組が放映されていました。そこには、この巨匠がオーケストラとともに2006年に来日した時の2種類のライブ映像が押し込まれていましたね。最初はウィーン・フィルとサントリー・ホール、もう一つがウィーン・コンツェントゥス・ムジクスとの、NHKホールでの演奏会です。
それを続けて聴いてみるとびっくりするぐらい音が違っているんですね。もちろん、それぞれに使われている楽器も、そして楽器編成も全く違っているので、そもそもの音が違うのは当たり前のことなのですが、それと同時にやはりホールの音がまるで違っているのが、大きな要因だったのでしょう。
昨年の「シベリウス・イヤー」に、ヤンソンスとバイエルン放送交響楽団がミュンヘンで行った何回かのシベリウスのプログラムによるコンサートの中から、超有名な「フィンランディア」、「カレリア」組曲、そして「交響曲第2番」を収録したこのCDでは、前半はガスタイク・フィルハーモニー、後半はヘルクレスザールと、録音された会場が異なっていますから、やはりホールの響きを比較することができるはずです。
「フィンランディア」では、冒頭の金管のアンサンブルが、たっぷりとした響きを伴って聴こえてきます。それはとても余裕を持って広い空間に響き渡っているような印象を受けます。弦楽器が入ってくると、その音もとてもしっとり聴こえてきて、これがノーマルCDであることを忘れそうになるほどです。ヤンソンスは、ライブならではのノリの良さで、繰り返しの部分では一層のシフト・アップを行ってグイグイ盛り上げるという分かりやすさです。
「カレリア」では、アップテンポの1曲目「間奏曲」と3曲目「行進曲風に」に挟まれた、2曲目のその名も「バラード」という曲が、しっとりとした情感を漂わせていてとても魅力的に仕上がっています。そして、真ん中あたり(スコアの「C」近辺↓)の弦楽器だけのコラールが始まるところで、ヤンソンスはちょっとしたサプライズを用意していました。

その前までは、音楽は「morendo」という表情記号に従って消え入るように音を小さくしていくのですが、「C」以降には音量の指定が何もありません。ですから、その指定に忠実に、ここからを本当に小さく演奏している指揮者(オスモ・ヴァンスカなど)もいますが、大抵の場合は指揮者の裁量でここではいくらか大きな音でたっぷりと演奏しています。ところが、ヤンソンスは最初は大きな音で堂々と演奏したのち、繰り返しになったら今度は超ピアニシモになっているのです。
「交響曲第2番」からヘルクレスザールになると、やはりかなり音が変わっていました。このシューボックス・タイプのホールならではの豊かな残響のために、オケの音がほんの少し甘くなってしまっているんですね。その結果、弦楽器からは輝きが失われてしまっています。ただ、これはおそらくSACDで聴けばもっと繊細な音として聴こえるはずなのですけどね。
第2楽章などは本当にたっぷりとした演奏、これこそはぜひともSACDで聴いて豊かなサウンドを味わいたかったものです。第3楽章は落ち着いたテンポでとても丁寧な演奏、よくある技巧だけを競うようなものとは無縁です。そして、そこから終楽章になだれ込む瞬間は、まさに大家の貫録、たっぷりと「泣き」を入れて興奮を誘います。久しぶりに、スカッとさせられる演奏を聴いた思いです。
全ての曲で、終わってからの拍手までがカットされずにそのまま収録されています。それを聴いていると、日本のようなまるで一番乗りを競争しているような子供じみたみっともない拍手では全然なくて、あくまで一旦音がなくなってからの控えめの拍手に続いて、それが次第に盛り上がってくる、という「大人の」拍手が沸き起こっているのが分かります。もしかしたら、この拍手が最も感動的だったかもしれません。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-06-04 20:43 | オーケストラ | Comments(0)
HAYDN/Symphony No.101
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Robin Ticciati/
Scottish Chamber Orchestra
LINN/CKH 600(45rpm LP)




去年の8月に入手したこちらのSACDは、同時にLPもリリースされていました。それがただのLPではなく「45回転」でカットされたものでしたから、迷わず買っと、いや、買ってしまいました。
普通LPと言えば、33回転のアナログレコードのことです。45回転というのは、LPと同じころに誕生した「EP」という規格のアナログレコードの回転数です。アメリカのコロムビア(CBS)が開発したLPに対抗して、競争相手のヴィクター(RCA)が提案した方式で、LPは直径が12インチと大きかったものを7インチというサイズにしてコンパクトさを主張、そのままでは音質が劣るので、回転数を45回転に上げて「小さくても、良い音」を主張していました。その二つは、うまい具合にLPはアルバム、EPはシングルというように用途によって棲み分けがなされ、共倒れすることなくそれぞれに現在まで生き延びているのです。
LPは、確かに最外周ではEPよりも良い音ですが、内周に行くにしたがって冴えなくなってきます。

このように、LPの溝の内周部は、EP全体のゾーンにすっぽり入ってしまいますから、このあたりではEPの音の方がLPよりもずっと良くなっているはずです。そこで、LPの音質向上のために考えられたのが、この「45回転LP」です。

このように、どのレコードプレーヤーでもLPとEPが再生できるように、必ず回転数を選択できるようになっていますから、「互換性」に関しては何の問題もありません。そこで、まずフランスの「Quarante-cinq(45)」というレーベルが1962年ごろに世界で初めて45回転LPを発売し、それを追うようにして、オーディオ・ファンの間では有名な「Connoisseur Society」もこれを出しています。このあたりは、岡俊雄さんの著書「マイクログルーヴからデジタルへ(1981年ラジオ技術者)」を参照していますが、それによると、1966年になってやっとこのコニサー盤を入手した岡さんの許に、日本コロムビアの人が遊びに来てこのレコードを聴いたそうなのです。そして、数か月後の1967年の5月には、コロムビアから日本で初めて45回転LPが発売されることになります。その時の雑誌広告がこれです(クリックすると、PDFが見れます)。

これを見て、当然他の国内メーカーも45回転LPを発売するのですが、それは単なる一過性のブームで終わってしまったようですね。その後も散発的に音が売り物のレコードとして出ることはありましたが、やがてCDが現れると、LPそのものが作られなくなってしまいますから。
しかし、そのCDに凋落の影が見えるころになって、このフォーマットは新たなハイレゾ・ツールとして甦りました。ただ、すでにジャズではかなりの数の「45回転」がリリースされていますが、クラシックに関してはまだ数はきわめて少ないのが現状です。そのうちの貴重な1枚が、これだったのです。さっそく今のレコードプレーヤーにとっては初めてとなる「45回転」モードにして再生を行ってみると、これはとてつもない音でした。ノン・ビブラートのヴァイオリンの生々しさ、ピリオド楽器による金管やティンパニの深みのある肌触り、さらには低音の豊かさ、それらが一体となって、それこそ一人一人の奏者の息遣いまでわかるほどのリアルさで迫ってくるのです。これは、先ほどのSACDを聴き比べるまでもなく、格の違う音です。そのあとで聴いたSACDの音の、なんとしょぼかったこと。
つまり、2.8DSD というSACDのフォーマット自体が物足りないものであることが明らかになってしまったのではないか、と思えるほどの、この45回転LPの音のすごさでした。
しかし、このフォーマットにも難点はあります。それは、収録時間が短いこと、そして、価格が高すぎるということです。SACDでは3曲聴けた交響曲が、ここには1曲しか入っていないのに価格はSACDの約2倍、つまり、1曲あたりの価格は6倍になっているのですからね。それともう一つ、「45回転LP」で検索するとたぶん最初に出てくるこんな間抜けなことが起こる危険性もありますから、ご注意ください。

LP Artwork © Linn Records
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by jurassic_oyaji | 2016-06-02 20:56 | オーケストラ | Comments(0)
BERLIOZ/Symphonie fantastique, Lério
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Gilles Ragon(Ten), 宮本益光(Bar)
渡部ギュウ(Narr)
Pascal Verro/
仙台フィル第300回定期記念合唱団(by佐藤淳一)
仙台フィルハーモニー管弦楽団
Onebitious Records/OBXX00009B00Z(2.8MHz DSD)




仙台フィルのライブ音源によるハイレゾ配信を聴くのは、こちらの「第9」に次いで2回目、今回は収録されたホールも違いますし、おそらく何度も経験してそれなりのノウハウも蓄積されてきたのでしょう、見違えるように素晴らしい音で録音されていました。FLACとDSF(DSD)の両方がリリースされていますが、一応オリジナルということでDSDを購入です。
これは、4月15日と16日に行われた第300回という記念すべき定期演奏会の録音です。常任指揮者のパスカル・ヴェロの指揮で、ベロリオーズ、いや、ベルリオーズの「幻想交響曲」と、本来はそれとセットで演奏されるために構想された「レリオ、または『生への回帰』」というオラトリオが演奏されていました。「レリオ」の方はほとんど忘れ去られた存在になっていて、何種類かの録音は存在しますが実際にコンサートで演奏される機会は非常に稀です。
まずは、最初に演奏された「幻想」を聴いてみます。マイクはステージ上方に吊った2本だけですが、特に管楽器の粒立ちがくっきりと聴こえてきます。ホルンなどは、普通はほとんど聴こえてこないようなフレーズがはっきり聴こえます。こうなると、ソロのほんの少しのミスもしっかりわかってしまいますから、怖いですね。ホルンなどは、最後までちょっとピッチが不安定なのもとても気になってしまいます。
しかし、曲の運びはとてもきびきびしていて、メリハリのはっきりした音楽が伝わってきます。かと思うと、第2楽章の最後での突然のアッチェレランドのような、意表を突く表現が見られることもありました。3楽章はまさに絶品でしたね。とても深みのある響きに包まれて、ゾクゾクするほどの寂莫感が迫ってきます。特に、クラリネット・ソロのピアニシモは、心を奪われます。それに対して、第4楽章のなんと華麗なこと。ここでは金管楽器が、とことんゴージャスな音楽を仕掛けてきます。これは、普通とはかなり違うアプローチ。ところが、最後の、やはりクラリネット・ソロのひと吹きで、それが狂気に変わります。これは見事、これをきっかけに曲の目指すものがガラリと変わってしまうんですからね。
それを受けた終楽章も、Esクラリネットが出てくるあたりでギアがさらに狂気にシフトします。ここで、一瞬ファゴットが乗り遅れるというスリリングな場面も、いやあ、これは生で聴いてみたかったですね。
「レリオ」は、長いナレーションの間に音楽が挟まるという、ちょっと珍しい作り方、というか、そのために音楽としての価値がほとんど認められてはいないという不幸な目に遭っている作品なのでしょう。しかし、ここではそのナレーションを日本語に直してとても上手な役者さんが演技を交えながらほとんどお芝居のノリで語っていますから、それだけでまず引き込まれ、そこでの音楽の役割もとてもよく理解できるようになっています。一見すると脈絡のない小品の羅列のようでもありますが、それらはしっかり有機的に関係づけられているのですね。
それは、合唱が最初に出てくる「亡霊の合唱」で、しっかり印象付けられます。この演奏では合唱は客席の中で歌っていたはずですが、その2オクターブに渡る平行ユニゾンによる不気味な歌は、マイクから少しオフになっている部分も含めた広がりとなって圧倒的な力で伝わってきます。
男声合唱の「山賊の歌」の無駄な明るさも、前後の語りからその意味がはっきり分かりますし、最後の長大な「『テンペスト』による幻想曲」でも、ベースを欠いた軽やかな混声合唱のサウンドは、ベルリオーズのオーケストレーションの一部として異彩を放っています。
その前の「エオリアン・ハープの思い出」でのクラリネット・ソロの素晴らしいこと、仙台フィルって、いつの間にこんなすごいオーケストラになっていたのでしょう。

File Artwork © Label Gate Co.,Ltd
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by jurassic_oyaji | 2016-05-17 23:46 | オーケストラ | Comments(0)