おやぢの部屋2
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カテゴリ:オーケストラ( 457 )
BEETHOVEN/Symphonies 4 & 5
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Nikolaus Harnoncourt/
Concentus Musicus Wien
SONY/88875136452




「アーノンクールが新しいベートーヴェンの録音に着手」などと大々的に騒がれ、そのベートーヴェン・ツィクルスの第1弾となるはずだった「4番+5番」です。結局、これがリリースされる前にこの指揮者が引退声明を発表したために、そのプランは立ち消えになってしまったのですが、そうなると今度は「アーノンクール最後の録音」ということでなんだかかなりのセールスを記録しているようですから、まあどうなっても商売にはしっかり結びつくことになるのですね。
ご存知のように、アーノンクールがベートーヴェンの交響曲を録音するのはこれが2回目のこととなります。1回目は1991年、ヨーロッパ室内管弦楽団というモダン・オケを指揮したものです。それが今では、なんとNMLでも全曲聴くことが出来るのですからありがたいことです。そこで、まだ聴いたことのないそちらのバージョンも一緒に聴いてみたのですが、もう予想以上の違いがあったのには驚いてしまいました。もちろん、今回のCDはウィーン・コンツェントゥス・ムジクスというピリオド・オケですから、楽器の奏法自体にも違いはあるのですが、こちらを聴いてしまうと昔の録音はいとも「フツー」の演奏に感じられてしまうから、不思議です。それこそ「借りてきた猫」みたいに聴こえますからね。今回は、自分のオケだからなんだってやれるんだぞ、という意気込みがまざまざと伝わってきますよ。
特にすごいのが「5番」です。まあ、1楽章の冒頭の「ジャジャジャジャーン」の最後の「ジャーン」の音にディミヌエンドをかけるというのは以前にもやっていたことですから、もうこれはルーティンになっているのでしょうが、3楽章のトリオがまさにヘンタイです。これを聴けば、誰でものけぞってしまうのは必至、よくもこんなアイディアを思いついたなあ、と感心するばかりです。それをダ・カーポするのですからね(それは、前にもやっていました)。
4楽章では、普通はピッコロが加わりますが、ここでは「フラジオレット」という楽器が使われています。これは、おそらくソプラニーノ・リコーダーのたぐい、高い音の出る縦笛です。これがもし映像で見られるのだったら、そのフルートパートは横笛2本に縦笛1本という異様な光景になっていよう。音はあまりピッコロと変わりませんが、ちょっと鄙びた味がありますね。それと、やはりこの楽章だけに登場するコントラファゴットが、ものすごい存在感を発揮しています。
その楽章の最後近く、318小節のアウフタクトから入るファゴットの「ソドソミレドソ」という音型を受けてホルンが「ミドソミレドソ」と受ける場面で、ホルンが最初の音を「ミ」ではなく「ソ」で演奏しています。つまり、この2つの楽器が全く同じメロディを繰り返すのですね。これと同じパターンが335小節のアウフタクトから始まりますが、これも全く同じ扱いになっています。これが聴こえた時には、本当に心臓が止まるほどびっくりしたのですが、調べてみるとブライトコプフの新版では、「もしくは」ということでちゃんとこれが表記されていました。

初演の時のパート譜だけが、「ミ」から「ソ」に訂正されていたのですが、スコアには訂正がなかったので、両方の可能性が示されているのでしょう。この楽譜はスタディ・スコアでも1997年に発売されているのに、それをきちんと「音」にしたものは、ここで初めて聴きました。まさにアーノンクールの面目躍如といったところでしょうか。
そして、エンディングのアコードの連続を聴いてみてください。まるで、シベリウスの同じ番号の交響曲のエンディングのような不思議な終わり方が体験できるはずです。あ、もちろん初稿ではなく、現行版の方ですが。
こんな素晴らしい(くだらない)アイディアがいっぱいあふれたベートーヴェンの交響曲全集がもう完成されることはないなんて、残念すぎます(ホッとしました)。

CD Artwork © Sony Music Entetainment
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by jurassic_oyaji | 2016-02-08 21:43 | オーケストラ | Comments(0)
SIBELIUS/Jedermann
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Pia Pajala(Sop), Tuomas Katajala(Ten)
Nicholas Söderlund(Bas)
Mikaela Palmu(Vn)
Leif Segerstam/
Cathedralis Aboensis Choir, Turku Philharmonic Orchestra
NAXOS/8.573340




シベリウスは生涯にわたって多くの劇音楽を作っていますが、それらを聴く機会はあまりないのではないでしょうか。NAXOSから「シベリウス・イヤー」がらみで集中的にリリースされた、セーゲルスタムとトゥルク・フィルによる劇音楽のシリーズは、そういう意味でとても価値のあるものです。その中で、「イェーダーマン」の音楽を中心にしたアルバムを聴いてみました。
この戯曲のタイトルは、「イェーダーマン」ですっかり通っているのだと思っていたら、このアルバムでは「誰もかれも」という訳になっていました。これは、NMLでそのように表記されているので、それに準拠したものなのでしょう。ただ、この「イェーダーマン」(英語では「Everyman」)という中世に起源をもつ道徳寓話では、他の登場人物、例えば「善行」とか「信仰」と同じように、このタイトルはある種の概念を属性に持つ人物の「役名」なのですから、この日本語訳はちょっとヘンですね。やはり、今までの慣例通りに「イェーダーマン」と呼ぶことにしましょう。壁に貼りついたりはしませんが(それは「スパイダーマン」)。
「イェーダーマン」は、リヒャルト・シュトラウスとのチームで多くのオペラの台本を作ったフーゴー・フォン・ホフマンスタールが、ちょうど「ばらの騎士」を作ったころの1911年に書き上げた戯曲です。1916年にフィンランド国立劇場がこれを上演するために、シベリウスに音楽を委嘱します。その時には、このホフマンスタールの戯曲を元にフーゴ・ヤルカネンが書いた台本が用いられました。
「劇音楽」というのは、「オペラ」とは違いますから、セリフに音楽が付けられることはなくあくまで劇の進行を助けるための雰囲気づくりのようなものになってきます。そういう意味で、音楽だけを聴いていたのでは何のことかわからないようなところがあるのは当たり前なのでしょう。テレビドラマのように、音楽がでしゃばって肝心のドラマが台無しになってしまうというようなことは、本当の意味での作曲家であれば、起こりえないのです。
シベリウスがこの物語のクライマックスとも言うべきシーンに付けた音楽は、何ともとらえようのない「雰囲気」を醸し出すものでした。それまでは、「イェーダーマン」が催していた華やかな舞踏会で、その中で歌われる歌も披露されていたりしてにぎやかだったものが、トラック12の「Largo, sempre misterioso」に入ったとたんにそこに広がるのはまさに「ミステリオーソ」な世界。それを演出しているのが弱音器を付けた弦楽器。最初のころはほとんどソロかソリで、不思議な半音階の上下を繰り返しています。時折静かに入ってくるティンパニは、まるで歌舞伎などで幽霊が出てくるときのお約束の太鼓のロールさながらに、不気味さを募らせます。
このいつ果てるとも知れない音楽は延々13分も続きます。これがバックに流れるているのはおそらく「イェーダーマン」が「死神」に連れて行かれるあたりなのでしょう。ステージではどんなお芝居が演じられ、どんなことが語られているのか、ぜひ見てみたい気にさせられます。
この繊細な弦楽器の音といい、曲の始まりに「ツカミ」として鳴り響く金管楽器のアンサンブルといい、ちょっとCDばなれしたヌケの良い音であるのに驚かされます。これはかなりのクオリティの録音なのではないでしょうか。実際、24bit/96kHzのハイレゾ音源も、このシリーズのものはしっかりリリースされていました。それで、それを聴いて元の音を確かめたいと思ったのですが、この弦楽器の部分はアルバム全体(2500円)を買わないと聴けないようになっていました。冒頭の金管は短いので「切り売り」はされていましたが、たった11秒しかないものが300円ですし、そのあたりの連続した音楽が4つのトラックに分けられているので、やはり「たった」3分30秒だけを聴くためには、1200円も払わなければいけないなんて、ハイレゾの価格設定は絶対間違ってます。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-02-06 20:50 | オーケストラ | Comments(0)
BACH/Harpsichord Concertos Vol.3
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Trever Pinnock, Marieke Spaans, Marcus Mohlin(Cem)
Katy Bircher(Fl)
Lars Ulrik Mortensen/
Concerto Copenhagen
CPO/777 681-2




バッハのチェンバロ協奏曲のうち、2003年ごろに第1集、2005年に第2集として、ソロ・コンチェルトを録音していたモーテンセンとコンチェルト・コペンハーゲンが、2011年と2013年に残りの2台、3台、4台のチェンバロのための協奏曲を録音した2枚組CDがリリースされました。チェンバロを弾いているのはもちろん指揮者のモーテンセンですが、今回はそこに彼のロンドン時代の師、トレヴァー・ピノックというビッグ・ネームが加わっています。
これらのチェンバロ協奏曲は、すべてライプツィヒ時代に作られたもので、ほとんどのものは1730年代の作品です。つまり、かつては「宗教曲の時代」とされていたライプツィヒ時代では、聖トマス教会のカントルとしての「本業」には、バッハ自身は必ずしも満足してはおらず、責務であった毎週のカンタータの演奏でも1730年代になるともはや新作はほとんど作らず、他人の作品を使ったり過去に演奏したものの再演でお茶を濁すようになってきます。
そして、このころから彼が熱心に取り組んでいたのが、「カントル」ではなく「楽長」としての活動です。ライプツィヒにはテレマンが創設した「コレギウム・ムジクム」という、プロの音楽家や学生などが集まった演奏グループがあり、ゴットフリート・ツィンマーマンという人が店主を務めるコーヒー店で毎週コンサートを開いていましたが、バッハは1729年にそこの「楽長」に就任するのです。このコンサートはツィンマーマンガ亡くなる1741年ごろまで続けられました。
そこでバッハが演奏したのが、いわゆる「コーヒー・カンタータ」として知られるBWV211や、「フェーブスとパンの争い」というサブタイトルのBWV201といった世俗カンタータや、ケーテン時代に作りためた多くの作品と、それらを含めた以前の作品を装いも新たに作り直した作品群です。このCDで演奏されているのも、そのようにして生まれた複数のチェンバロのための協奏曲です。2つのヴァイオリンのための協奏曲BWVBWV1043を作り直したBWV1062や、元のオーボエとヴァイオリンのための協奏曲の形に復元(オリジナルの楽譜は消失しています)されて演奏されることも多いBWV1060などは、オリジナルの形とともに有名になっていますね。
中には、4台のチェンバロのための協奏曲BWW1065のように、ヴィヴァルディの4つのヴァイオリンのための協奏曲を作り直したものなどもありました。これらの協奏曲では、もちろんバッハ自身と、彼の息子たち、さらに弟子たちが加わって和気あいあいとした中で演奏が繰り広げられていたのでしょう。このCDでも、ピノックを始めとしたソリスト同士の丁々発止のやり取りは、そんな雰囲気が伝わってくるような楽しげなものでした。
その他に、フルート、ヴァイオリン、チェンバロのための協奏曲BWV1044も演奏されています。これも、第1楽章と第3楽章はクラヴィーアのための「プレリュードとフーガ」BWV894、第2楽章はオルガンのためのトリオソナタBWV527の第2楽章が編曲されたものです。ここでフルートを吹いているのが、この間の「ロ短調」でも素晴らしいソロを聴かせてくれたイギリスのフルーティスト、ケイティ・バーチャーです。なんでも彼女はあのジェームズ・ゴールウェイから大きな影響を受けて、最初はモダンフルートを勉強していましたが、大学を卒業するころにバロック・フルートに目覚めたのだそうです。
彼女の演奏からは、この楽器の演奏家にありがちなストイックなところは全く見当たらず、もっと開放的なパッションを感じるのは、そんな経歴のせいかもしれませんね。現在はこのコンチェルト・コペンハーゲンの正規メンバーですが、以前はマクリーシュのガブリエリ・コンソートの首席奏者も務めていました。たしかに、「マタイ」でもソロを吹いていいましたね。この協奏曲でも、3つのソロ楽器だけで演奏される第2楽章は絶品です。ブックレットの写真を見ると、彼女は別嬪です。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück
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by jurassic_oyaji | 2016-02-02 23:37 | オーケストラ | Comments(0)
LES AUTOGRAPHES VOCAUX
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V. d'Indi, C.-M. Widor, J.-G. Ropartz,
H. Büsser, F. Schmitt, G, Hüe,
A. Roussel, D. É. Ingheobrecht/
l'Orchestre des Concerts Pasdeloup
TIMPANI/1C1201




フランスのマイナーな作曲家のマニアックな曲を専門に録音しているレーベルが、TIMPANIです。ひところクセナキスの作品のCDが大きな話題になったことがありますが、ギリシャ生まれのクセナキスはフランスに帰化しているので堂々と「フランス人」としてここに登場しているのです。
それを日本国内で扱う代理店はかつては東京エムプラスでしたが、2012年の末頃にはナクソス・ジャパンに替わっています。そんなわけですから、交替のゴタゴタでその頃リリースされたアイテムが販売ルートに乗らずに倉庫に眠っているという状況が起きているため、それらを改めて新しい代理店がきちんとインフォを付けて売りさばこうとしているようです。
そんな「在庫処分品」の中に、こんな珍しいものがありました。1930年から1931年にかけて録音された、その当時まだ元気に活躍していた作曲家が自作のオーケストラ曲を指揮した録音を集めたものですが、何よりも貴重なのが、それぞれの演奏の後にその作曲家自身がその曲について語っている声が録音されているということです。
もちろん、その頃はTIMPANIはまだ出来ていませんでしたから、その録音を行ったのはフランスの「パテ」というレーベルです。そもそもは1896年にエミール・パテという人がエディソンのシリンダー式蓄音機をフランスで販売するために作った会社で、そのソフトであるシリンダーの録音も幅広く行っていました。ほどなく、シリンダー式の蓄音機は平板式の蓄音機にとってかわられるようになり、パテも平板、いわゆる「SPレコード」を生産するようになります。ただ、その前にベルリナーが発明していたSPレコードは音の振動を溝に対して「水平方向」に記録するという、その後LPにも引き継がれる方式を取っていたのに対し、パテはあえて、それまでのシリンダーで採用されていた「垂直方向」のカッティングにこだわりました。これは、エディソンが平板方式に転換した時に採用したもので、音信号を上下動に変えてカッティングを行うという方式です。このレコードの再生にはサファイアが先端に付いた針を使用したので、これは「サファイア・ディスク」と呼ばれていました。さらに、このサファイア・ディスクでは、音溝は内周から外周に向かって切られていました。
1927年にはフランスでもそれまでの「アコースティック録音」に替わって「電気録音」が採用されることになります。パテは、この時点では「垂直方向」と「水平方向」を並行して使用していました。
このCDに収録されているのは、パテもすでに世界基準であった「水平方向」のディスクのみを生産するようになったころの音源です。「オーケストラと、声によるサイン」というシリーズのSPの現物から、「板起こし」でトランスファーされたものです。浅草名物ですね(それは「雷おこし」)。ブックレットにはカタログナンバーと、マトリックスナンバーが記されています。ダンディ、ヴィドール、ロパルツ、ビュッセル、シュミット、ユー、ルーセル、アンゲルブレシュトといった錚々たる作曲家たちが指揮をするのは、何も表記はありませんが、当時アンゲルブレシュトが指揮者を務めていたフランス最古のオーケストラ、コンセール・パドルーに間違いないということです。
その、今から85年も前に録音されたものは、サーフェス・ノイズこそうるさいものの、演奏の内容はしっかり味わうことのできるとても素晴らしい音でした。なにより、これらは編集のきかない「一発録り」なので、現場の緊張感まで伝わってくるようです。そして、自作の演奏を終えた直後のそれぞれの作曲家の肉声が、また個性的でうれしくなります。高齢の方が多いのでぼそぼそとしゃべる人が多い中で、ロパルツはとてもはっきりした大きな声、ルーセルは早口でキンキンした声でとても目立ちます。アンゲルブレシュトがまるでオカマのようなしゃべり方だったのも印象的です。

CD Artwork © Timpani
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by jurassic_oyaji | 2016-01-31 19:39 | オーケストラ | Comments(0)
ALBERTO GINASTERA
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Karl-Heinz Steffens
Deutsche Staatsphilharmonie Rheinland-Pfalz
CAPRICCIO/C5244




2001年から2007年までベルリン・フィルの首席奏者を務めたクラリネット奏者のカール=ハインツ・シュテフェンスは、在籍中から指揮者としての活動を行っていました。現在のポストは、このCDで指揮をしているラインラント=プファルツ州立フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者です。
シュテファンスと彼のオーケストラは、このCAPRICCIOレーベルに、ドイツランドラジオとの共同制作で「Modern Times」というシリーズのCDを録音しています。今までにツィンマーマン、ダラピッコラ、デュティユーとリリースしてきて、今回はヒナステラです。
アルベルト・ヒナステラは、アルゼンチンのクラシック作曲家としては、ほとんど唯一広く名前が知られている人なのではないでしょうか。もっと有名なのがアストル・ピアソラですが、こちらは「クラシック」というよりは「タンゴ」という単語で語られる方が多いでしょうし。
このCDでは彼の様々な時期の作品が万遍なくちりばめられていますから、ヒナステラ未体験の方にもとても役に立つはずです。なんでも、彼の作品は、作曲された時期によってかなりスタイルが違っているそうなのですね。それは3つの時期に分かれていて、1934年から1947年が「客観的ナショナリズム」、1948年から1957年が「主観的ナショナリズム」、そして、1958年から始まるのが「ネオ表現主義」の時代なのだそうです。
ですから、まず1943年に作られた「クリオールのファウストのための序曲」が、そのような、民族音楽の素材をそのまま音楽の中に用いるという「客観的ナショナリズム」のスタイルによる作品ということになります。これは、アルゼンチンの作家スタニスラオ・デル・カンポが、ブエノス・アイレスのテアトロ・コロンでグノーの「ファウスト」を見た時の様子を方言で書いた「クリオールのファウスト」に、作曲家がインスパイヤされて作られた作品です。この中には、グノーの「元ネタ」と、アルゼンチンの民族音楽が素材として用いられています。
同じ時期、1947年に作られたのが、太陽の息子オランタイについてのインカの伝承を元にした「交響的三部作『オランタイ』」、こちらも、民族的な響きとリズムに支配された作品です。
それが、「主観的ナショナリズム」の時代になると、作風がガラリと変わります。ここでは、民族的な素材は表に出ることはなく、作曲家の中で昇華されて純粋に音楽的なものに変えられているのだそうです。そんな時代、1953年に作られた「協奏的変奏曲」は、テーマもあまり民族色は感じられないものですし、それぞれの変奏で様々な楽器が技巧的なソロを披露するというのも、とてもスマートです。ただ、やはり基本となっているのは「リズム」ですから、根本的にはそんな違いはないような気はします。
ところが、最後の、これが世界初録音となる「歌劇『ボーマルソ』組曲」となると、完全に作風が変わっていることが分かります。完成したのが1967年ですから、もろ「ネオ表現主義」の時代ということになりますが、それはまさにその時代を席巻した「現代音楽」の波に影響された作品に仕上がっているのです。もちろん、シェーンベルク風の無調のテイストも満載ですし、なんと言ってもリゲティやクセナキスなどにも見られるようなトーンクラスターやグリッサンドが、表現の重要なファクターになっていることに驚かされます。ただ、技法的にはそのような「新しい」ものに支配されてはいますが、途中でグレゴリア聖歌の「Dies irae」が聴こえてきたり、オーケストラの中にチェンバロ(モダンチェンバロでしょう)を加えて斬新なサウンドを追求したり、さらに何よりも「リズム」が健在なのが、やはりこの作曲家の根っこが何であるかを気付かせてくれます。
おそらく、シュテファンスの指揮だからそのような違いがより際立って聴こえたのでしょう。さらに、とてもエッジのきいた録音も、聴きごたえがあります。

CD Artwork © Deutschlandradio, Capriccio
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by jurassic_oyaji | 2016-01-19 23:07 | オーケストラ | Comments(0)
BEETHOVEN/Symphonies Nos.5 & 7
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Manfred Honeck/
Pittsburgh Symphony Orchestra
REFERENCE/FR-718SACD(hybrid SACD)




ホーネックとピッツバーグ交響楽団による新しいアルバムが出れば聴かないわけにはいかなくなるという、ほとんど依存症状態に陥っています。今回はクラシック界の超定番、ベートーヴェンの交響曲第5番と第7番です。
かつては「運命」とも呼ばれていた「5番」ですが、最近ではこのニックネームはまず見られないようになりました。
というか、よく考えてみると、日本語では「運命」という文字を見たことはありますが、果たして今までLPやCDのジャケットに、この「交響曲第5番『運命』」に相当する「Symphonie Nr.5 "Schicksal"」などという表記があったのかな、という気になってしまいました。これはドイツ語ですが、英語でも「Symphony No.5 "Fate"(もしくは"Destiny")」のように書いてあるジャケットをもし見たことがあるという方がいらっしゃったら、ぜひご一報ください。
そもそも、「Schicksal」などという珍しい単語を知ったのも、このSACDのホーネック自身のライナーノーツを読んだからでした。そこには、これが「運命」と呼ばれるようになった大元の極悪仕掛け人、アントン・シントラーがこの作品の冒頭のモティーフについて書いた「運命が扉を叩く」というフレーズのオリジナルのドイツ語「Das Schicksal klopf an die Tür」が、そのまま引用されていました。
この、指揮者自身のライナーノーツはもはや彼のアルバムの「名物」となった感がありますが、そこでまず述べられているのが、この、とても有名な2つの交響曲を自分自身で演奏するためのハードルの高さについてでした。そのためのいわば「理論武装」なのでしょうか、彼のライナーノーツはこの20ページのブックレットの半分以上を占めています。さらにその中で、大部分が「5番」のために費やされています。そこで彼は、この作品の演奏史を、1910年のフリードリッヒ・カルクとオデオン交響楽団の世界初の録音までさかのぼって検証していきます。さらには、ホーネックがウィーン・フィルの団員だった時に指揮台に立っていた多くの現代の巨匠についての実体験も加わり、そこから自らの演奏をどのように組み立てたかの詳細な「説明」がなされているのです。
もちろん、そんな長ったらしい英文は、邪魔にこそなれ、何の役にも立たないことは明らかです。実際に聴いてみさえすれば、彼が何をやりたいのかは瞬時に分かるのですからね。
まずは、その、とても有名な冒頭のモティーフの扱いです。これはかなり意外なものでした。おそらく今の指揮者だったら怖くてできないような、それこそ往年の巨匠然としたとても「堂々とした」テンポでの始まりだったのです。しかし、これは実は彼の周到な演出、あるいは、もしかしたらとてもいたずらっぽい冗談だったのかもしれないことが分かります。このモティーフが2回繰り返された後は、いとも軽快なテンポに変わってしまったのですからね。まんまとしてやられたと思っているうちに、音楽の中にはどんどん新鮮なアイディアが登場してきて、リスナーはもうひと時も聴き逃せないような状況に陥ってしまうことは間違いありません。楽器のバランスも、必要なものはぜひ聴かせようという意志が強く働いているようです。ホルンなど、こんなフレーズがあったのかと思わずスコアを見直してしまったぐらいですからね。
もちろん、基本的に楽譜通りに演奏するという姿勢は崩してはいませんが、1か所だけ、第4楽章の134小節目からのピッコロを、1オクターブ高く演奏させています。ここは、非常に重要な部分なのに楽譜通りに吹いたのではまず聴こえてきませんから、これがとてもはっきり聴こえてきたときには小躍りしてしまいましたよ。
「7番」でも、同じように新鮮なアイディアが満載。これはぜひ実際に聴いて確かめてみてください。録音も、「これぞ、ハイレゾ」というとても瑞々しい音に仕上がっていますから、存分に大編成のベートーヴェンのサウンドを楽しむことが出来ますよ。

SACD Artwork © Reference Recordings
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by jurassic_oyaji | 2016-01-10 20:37 | オーケストラ | Comments(2)
BEETHOVEN/Symphony No.9
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針生美智子(Sop), 富岡明子(MS)
又吉秀樹(Ten), 小林由樹(Bar)
秋山和慶/
仙台フィルと第九を歌う合唱団他
仙台フィルハーモニー管弦楽団
Onebitious Records/OBXX00004B00Z(2.8MHz DSD)




仙台フィルが、12月23日に行われたに「第9」の演奏を、その5日後にハイレゾで配信を開始させるという離れ業をやってのけました。いつかはこんな日が来るとは思っていましたが。実際にやったのは、SONY系の音源配信サイトの「MORA」。そこの中の、「DSD」専門の配信レーベル「Onebitious Records」です。
アルバムの仕様は、もちろん演奏会で演奏されたすべてのプログラムが2.8MHz/1bitのフォーマットのDSDで録音されたものが収録されているのですが、それが2通りの録音方法で行われています。まずは、ごく普通の録音方式の中でも最もシンプルなやりかた、ステージ上方に吊り下げた2本のマイクだけによるワンポイント録音です。そしてもう一つ、これはおそらくこの配信サイトの顧客に対する配慮なのでしょう、「バイノーラル録音」というやり方です。これは「ダミーヘッド」という言い方もされますが、人間の頭と同じ大きさのマイクスタンドの「耳」に当たるところに小さなマイクを装着して録音を行うシステムです。ここで実際に使われているものには、ちゃんと「耳たぶ」まで付いています。

つまり、これはヘッドフォンを使って音楽を聴く時に、より自然な音場が感じられるように設計されたマイクです。SONYでは、ハイレゾを高級なオーディオシステムだけではなく、いわゆる「ウォークマン」で聴いてもハイレゾを体験できるというスタンスで大々的なプロモーションを行っていますから、当然そのようなユーザーへ向けての最適な録音方法による音源も用意するという「戦略」には抜かりがありません。
この「アルバム」を購入すると、序曲の「エグモント」と、「第9」の4つの楽章のそれぞれがワンポイントとバイノーラルの2つのファイル、合わせて10個のファイルがダウンロードされます。それで価格は1500円。一見お得なようですが、そのようなコンセプトであれば、それぞれのユーザーに向けて2種類の「アルバム」を用意して、価格を半分ずつにすればいいのでは、と思ってしまいます。というのも、せっかくだからとこのバイノーラルのファイルをヘッドフォンで聴いてみたのですが、その音のとてもハイレゾとは思えないあまりのクオリティの低さには驚いてしまったものですから。さらに、売り物のバイノーラルの音場も、おそらくマイクはかなり後ろの客席にセットしたのでしょう、まるでモノラルのような音場にしか聴こえません。これは、型番を見ると最低のグレードの製品、そのワンランク上のプロ仕様できちんとマウントされているマイクまで表示されているものの三分の一以下の価格のものです。よくそんなものを使って「商品」が作れたものです。
ワンポイントの方も、マイクは非常に定評のあるものですが、DSDのレコーダーは実はこれ(↓)。

全くの偶然ですが、個人的にアマチュアオーケストラの演奏会で、この同じレコーダーを使って、同じホールで、同じ位置のマイク(それはホール備え付けのもの)からの入力を直接録音したことがあります。それと聴き比べてみると、演奏の方はなんたってプロとアマチュアですから比べ物になりませんが、音に関してはこれより数段いいものが録れていました。その時のフォーマットは96kHz/24bitのPCMですが、万一の入力オーバーに備えてリミッターを使っていました。これは、通常は作動せず、オーバーした時だけ同時に用意していた低いゲインのものに差し替えるという優れものです。しかし、このアルバムではDSDで録音していますから、ファイルの特性上そのような操作は不可能です。そのために、なかなか思い切った録音レベルを設定できなかったのではないでしょうか。それにもかかわらず、合唱が明らかに飽和しているところもありますし。
演奏は、とても端正で格調高いものでした。ただ、合唱の男声の人数がちょっと少なかったようで、なんだか苦しげなところが見られたのが残念です。

File Artwork © Label Gate Co.,Ltd
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by jurassic_oyaji | 2015-12-29 23:31 | オーケストラ | Comments(0)
STRAWINSKY/Petruschka, MUSSORGSKY/Bilder einer Ausstellung
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Mariss Jansons/
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
BR KLASSIK/900141




ストラヴィンスキーとムソルグスキーという二人の「スキー」の曲が入ったCDです。余談ですが、この苗字は女性だとストラヴィンスカヤとムソルグスカヤになるのだそうです。本当すかや?(東北地方限定おやぢ)
指揮をしているヤンソンスは、ついこの間までバイエルン放送交響楽団とロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団というともに世界で1、2を争うオーケストラの首席指揮者を兼任していましたが、今ではこのCDのバイエルン放響に専念です。さらに、以前からも関係のあったオーケストラはたくさんありましたから、今までに作られたCDは膨大なものになります。ですから、ここで演奏している「ペトルーシュカ」も「展覧会の絵」も、ともにこれが3度目の録音ということになるのですよ。それぞれ1回目はオスロ・フィル、2回目はロイヤル・コンセルトヘボウ管というところも共通しています。それぞれのオーケストラとの、それぞれの時期の演奏には、同じ指揮者でも細かいところで違っているところはあるはずですから、そんな比較も興味があります。さいわい、そのすべての録音を聴くことが出来ましたので、そのあたりを中心に。
「ペトルーシュカ」の場合は、オスロが1992年(EMI)、コンセルトヘボウが2004年(RCO)、そして今回のバイエルンが2015年に録音されています。この曲で注目したいのがフルート奏者です。そのフルートがヘンリク・ヴィーゼだったのです。2006年にこのオーケストラの首席奏者になったばかりのヴィーゼは、古株のフィリップ・ブクリーよりは録音の機会が少ないような気がしていましたから、これもてっきりブクリーだと思って聴いていたらあまりにもその演奏が新鮮だったので確かめたらヴィーゼだったのですね。というのも、今回のCDでは、どちらの曲でも重要なソリストの名前がきちんと表記されているのです。この曲だと、フルート、トランペット、そしてピアノのクレジットがありました。彼のソロには、すべてのフレーズに今まで聴いたことのないようなファンタジーが宿っていました。素晴らしいの一言に尽きます。
コンセルトヘボウのフルートは、おそらくエミリー・バイノンでしょう。彼女もとても繊細な演奏を聴かせてくれていますが、ヴィーゼを聴いた後ではちょっと当たり前すぎるような気になってしまいます。そして、オスロはもっと平凡な人でした。
「展覧会の絵」はオスロが1988年、コンセルトヘボウが2008年、今回が2014年です。ここでは、使っている楽譜に違いがありました。ヤンソンスはオリジナルのラヴェルのスコアに手を加えて演奏しているのですが、1回目と2回目以降とではその改変の場所が全然違っているのですよ。オスロでは、せいぜいティンパニのロールを少し加えて盛り上がりを作る程度。そして重要なのは「キエフの大門」の最後の部分で、このページでは再三ご紹介している(たとえばこちら)バスドラムを叩くタイミングが、新しい楽譜に見られるようなごくまっとうなビートになっていることです。
これが、2回目以降の録音では、まずこのバスドラムが古い楽譜のミスプリント通りに、とてもイレギュラーなタイミングで叩かれているのです。さらに、後半にはやたらと銅鑼や他の打楽器が楽譜の指定以外のところで盛大に鳴らされています。それと「バーバ・ヤーガ」の中間部でのフルート2本が交代で吹く三連符が、もっと細かいほとんど「トリル」に近い吹き方に変わっています。
そんな、ちょっとワイルドに変貌した楽譜を、コンセルトヘボウでは十分に生かし切ってとても力強い演奏を聴かせてくれていたものが、今回のバイエルンでは何ともお上品な演奏に終始しているものですから、なにかとても居心地の悪いものになってしまっています。両方とも最後に拍手が入っていますが、心なしかコンセルトヘボウのお客さんの方が熱狂しているな、と感じたのは、偶然ではないはずです。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH
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by jurassic_oyaji | 2015-12-13 20:04 | オーケストラ | Comments(0)
BEETHOVEN/Symphony No.9
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渡辺洋子(Sop), 長野洋奈子(Alt)
藤沼昭彦(Ten), 栗林義信(Bar)
近衛秀磨/
二期会合唱団
読売日本交響楽団
NAXOS/NYCC-27295




1968年に録音が行われた「学研・世界の名曲」シリーズも、これが最後となりました。こちらは9月の録音、会場は、今は無き新宿の厚生年金会館です。すでに解体されていて、後世には残りませんでした。この当時はまだ音楽専用のコンサートホールなどは日本にはありませんでしたから、この前の録音に使われた世田谷区民会館や杉並公会堂(改修前)といった多目的ホールでオーケストラのコンサートや録音が普通に行われていました。その点では、今では状況は格段に向上しています。
そんなわけですから、この頃の録音ではホール内の豊かな響きを取り込むといった、今は普通に行われていることはできず、マイクで直接音を拾ってそこに人工的な残響を加えるような操作も行われていました。このシリーズの一連の録音もまさにそんなやり方で作られたものですから、なんとも余裕のないギスギスとした音を聴かされることになるのですが、これが当時の日本の精一杯の技術の成果だったのでしょう。そんな時代があったのだ、というサンプルとして聴くほかはありません。
ただ、いかに録音のクオリティが低かったとしても、曲の最後の音がまだ残っているうちにカットして終わらせてしまうというマスタリングのやり方は、許せません。あるがままの姿をそのまま聴かせるというのが基本なのではないでしょうか。それとも、マスターテープがすでにそのようなカットアウトが施されているものだったのでしょうか。
ということで、ついに「第9」の「近衛版」が聴けるようになりました。元の学研のCDにプログラム・ノーツを執筆なさっていた宇野先生が、「リタルダンドをしなくてもいいように4分の3拍子に変えている」とお書きになっているということは、このスコアが出版されているということなのでしょうか。ぜひ見てみたいものですが、とりあえずは耳で聴いて判断するしかありません。しかし、楽譜など見なくても、ただ聴いただけでもはっきり分かる違いがいくらでも見つかりますから、ちょっと普通と違うな、というところがあったら「普通の」スコアを見て確認すればいいだけの話です。特に金管楽器やティンパニは、隙があれば入り込もうと狙っていますから、至る所でほかのパートの補強が聴こえてきます。
それと、ベートーヴェンの時代の管楽器は音域が限られていたので、それに合わせるためにやむなく音型を変えた、というところがこの曲には山ほどあります。例えば、第2楽章の139小節目からは、4つの木管楽器(オーボエだけは2小節目から)のソロで「ソラシドレミファミファソラシド」というスケールを吹くのですが、最後の「シド」だけは当時のフルートでは出せないので1オクターブ下に折り返されています。もちろん、現代の楽器ではこの音自体は出せますが、それをレガートで吹くのはかなりの難易度、そこで近衛はここをピッコロに吹かせています。ピッコロにとってはこんなスケールは楽勝、それで完璧に求められている音が得られるのです。なんでも、近衛自身は「ヘタなオケでもちゃんと鳴るように」改訂を行ったのだとか、こんなところがそんな好例ですね。
このピッコロは、そんな使い方だけではなく同じスケルツォのフォルテの部分ではほとんど出ずっぱりという状態で活躍しています。音楽全体の輪郭が、これでくっきり描かれて、とてもきりっとしたベートーヴェンの姿が浮かび上がってきますね。ただ、「本業」の4楽章のマーチの部分で、高音のFを派手に出しそこなっているのに修正されていないのは、セッション録音とはいってもかなり時間が限られていてそんな細かいところまで録り直している余裕がなかったからでしょうね。
そんな劣悪なセッションでも、近衛は妥協せずに精一杯自分の音楽を後世に残しました。最後の「うちのごはん」でこんな大見得を切れるのは、近衛しかいません。

CD Artwork c Naxos Japan, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-12-11 20:17 | オーケストラ | Comments(0)
Dvořák/Symphony No.9
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近衛秀麿/
読売日本交響楽団
NAXOS/NYCC-27294




近衛秀麿と読響による学研への録音シリーズ、第3弾はやはり1968年の、これは6月に行われたセッションです。会場が、それまでの杉並公会堂から世田谷区民会館に変わっていますが、そのことによる音の変化はほとんど感じられません。それどころか、前回の「田園」で気になった残響成分が反対側からはっきり聴こえてくるという不思議な処理は今回も同じようになされています。
毎回、ブックレットに掲載されている菅野冬樹氏の書き下ろしエッセイは読みごたえのあるものですが、今回は近衛とストコフスキーとの関係に焦点を当てたなかなか興味深いものでした。ストコフスキーの伝手でアメリカでの活動基盤も出来、これからという時に奇しくも兄の文麿の内閣が日中戦争を始めてしまったために、近衛はもはやアメリカから去るしかなかったというのは、なんとも皮肉なことですね。逆に、彼がアメリカで大成功を収めていたとしたら、こんな「鑑賞教材」の録音のようなチンケな仕事をすることもなく、したがってこのCDが出ることもなかったのでしょうが、それが「歴史」というものなのでしょう。
今回は、前回までの独墺の古典派の作品とはがらりと変わって、チェコのドヴォルジャークの作品です。カップリングとしてスメタナの「モルダウ」まで入っていますよ。その、ドヴォルジャークの「新世界」では、ベートーヴェン同様に近衛自身が楽譜を改変していますが、そのやり方はどうもベートーヴェンの場合とは一味違っているように思えます。もしかしたら、アメリカでストコフスキーと親しくなったことで、なにかエンターテインメントの要素が近衛の編曲や演奏に加わってきたのではないでしょうか。
そんな「新世界」、改変で気になるのが、第1楽章の316小節から始まる2番フルートのソロです。ここでは、チェコのダンスのようなテーマが最初に2番フルートで演奏された後、それを1番フルートが引き継いで1オクターブ上で繰り返す、という部分なのですが、低音で始まる2番フルートのソロを2人で吹かせているのですよ。確かに音が低くあまり聴こえないのを目立たせようという気持ちは分かりますが、ここでの読響のフルーティストは2番の方もとても優秀ですから、1人でも十分に「鳴る」はず、しかも、この録音では管楽器のソロが異様に目立つようなミキシングがされていますから、2人で吹くとびっくりするほどでっかい音になってしまいます。これは近衛の本意ではなかったはず、おそらくこの録音の現場では指揮者がプレイバックを聴いてバランスを修正するというような機会は設けられてはいなかったのでしょう。
もう1か所、目立って聴こえてくるのが、同じ楽章のエンディングのクライマックス、練習番号13(400小節)。本来ならそこからティンパニが入ってくるのが、近衛はその2小節前から叩かせています。これは13へ向けての盛り上がりを演出するとても痛快な処理なのではないでしょうか。
おなじような盛り上がりを演奏の上で企てているのが終楽章です。まず、序奏の最後、トランペットのファンファーレが入る直前で「タメ」というにはあまりにも激しい急ブレーキがかけられます。これこそが、まさにストコフスキーが頻繁に行ったテンポ・ルバートではありませんか。もうこの楽章はそんなルバートをまじえつつ、明るすぎるどんちゃん騒ぎが繰り広げられていますよ。
「モルダウ」では、後半になるにつれてなんだかテンションが下がっていくのはなぜでしょう。そんな中で「聖ヨハネの急流」でのピッコロの高音だけが、やはり異様に強調されています。ですから、最後に長調に変わる「ヴルタヴァのゆったりとした流れ」の部分でもそれこそストコフスキーっぽくピッコロを1オクターブ上げたりすればかっこよかったのでしょうが、近衛はこのへんではそこまではやっていませんでした。

CD Artwork © Naxos Japan, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-12-07 20:56 | オーケストラ | Comments(0)