おやぢの部屋2
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カテゴリ:オーケストラ( 451 )
BEETHOVEN/Symphony No.9
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針生美智子(Sop), 富岡明子(MS)
又吉秀樹(Ten), 小林由樹(Bar)
秋山和慶/
仙台フィルと第九を歌う合唱団他
仙台フィルハーモニー管弦楽団
Onebitious Records/OBXX00004B00Z(2.8MHz DSD)




仙台フィルが、12月23日に行われたに「第9」の演奏を、その5日後にハイレゾで配信を開始させるという離れ業をやってのけました。いつかはこんな日が来るとは思っていましたが。実際にやったのは、SONY系の音源配信サイトの「MORA」。そこの中の、「DSD」専門の配信レーベル「Onebitious Records」です。
アルバムの仕様は、もちろん演奏会で演奏されたすべてのプログラムが2.8MHz/1bitのフォーマットのDSDで録音されたものが収録されているのですが、それが2通りの録音方法で行われています。まずは、ごく普通の録音方式の中でも最もシンプルなやりかた、ステージ上方に吊り下げた2本のマイクだけによるワンポイント録音です。そしてもう一つ、これはおそらくこの配信サイトの顧客に対する配慮なのでしょう、「バイノーラル録音」というやり方です。これは「ダミーヘッド」という言い方もされますが、人間の頭と同じ大きさのマイクスタンドの「耳」に当たるところに小さなマイクを装着して録音を行うシステムです。ここで実際に使われているものには、ちゃんと「耳たぶ」まで付いています。

つまり、これはヘッドフォンを使って音楽を聴く時に、より自然な音場が感じられるように設計されたマイクです。SONYでは、ハイレゾを高級なオーディオシステムだけではなく、いわゆる「ウォークマン」で聴いてもハイレゾを体験できるというスタンスで大々的なプロモーションを行っていますから、当然そのようなユーザーへ向けての最適な録音方法による音源も用意するという「戦略」には抜かりがありません。
この「アルバム」を購入すると、序曲の「エグモント」と、「第9」の4つの楽章のそれぞれがワンポイントとバイノーラルの2つのファイル、合わせて10個のファイルがダウンロードされます。それで価格は1500円。一見お得なようですが、そのようなコンセプトであれば、それぞれのユーザーに向けて2種類の「アルバム」を用意して、価格を半分ずつにすればいいのでは、と思ってしまいます。というのも、せっかくだからとこのバイノーラルのファイルをヘッドフォンで聴いてみたのですが、その音のとてもハイレゾとは思えないあまりのクオリティの低さには驚いてしまったものですから。さらに、売り物のバイノーラルの音場も、おそらくマイクはかなり後ろの客席にセットしたのでしょう、まるでモノラルのような音場にしか聴こえません。これは、型番を見ると最低のグレードの製品、そのワンランク上のプロ仕様できちんとマウントされているマイクまで表示されているものの三分の一以下の価格のものです。よくそんなものを使って「商品」が作れたものです。
ワンポイントの方も、マイクは非常に定評のあるものですが、DSDのレコーダーは実はこれ(↓)。

全くの偶然ですが、個人的にアマチュアオーケストラの演奏会で、この同じレコーダーを使って、同じホールで、同じ位置のマイク(それはホール備え付けのもの)からの入力を直接録音したことがあります。それと聴き比べてみると、演奏の方はなんたってプロとアマチュアですから比べ物になりませんが、音に関してはこれより数段いいものが録れていました。その時のフォーマットは96kHz/24bitのPCMですが、万一の入力オーバーに備えてリミッターを使っていました。これは、通常は作動せず、オーバーした時だけ同時に用意していた低いゲインのものに差し替えるという優れものです。しかし、このアルバムではDSDで録音していますから、ファイルの特性上そのような操作は不可能です。そのために、なかなか思い切った録音レベルを設定できなかったのではないでしょうか。それにもかかわらず、合唱が明らかに飽和しているところもありますし。
演奏は、とても端正で格調高いものでした。ただ、合唱の男声の人数がちょっと少なかったようで、なんだか苦しげなところが見られたのが残念です。

File Artwork © Label Gate Co.,Ltd
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by jurassic_oyaji | 2015-12-29 23:31 | オーケストラ | Comments(0)
STRAWINSKY/Petruschka, MUSSORGSKY/Bilder einer Ausstellung
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Mariss Jansons/
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
BR KLASSIK/900141




ストラヴィンスキーとムソルグスキーという二人の「スキー」の曲が入ったCDです。余談ですが、この苗字は女性だとストラヴィンスカヤとムソルグスカヤになるのだそうです。本当すかや?(東北地方限定おやぢ)
指揮をしているヤンソンスは、ついこの間までバイエルン放送交響楽団とロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団というともに世界で1、2を争うオーケストラの首席指揮者を兼任していましたが、今ではこのCDのバイエルン放響に専念です。さらに、以前からも関係のあったオーケストラはたくさんありましたから、今までに作られたCDは膨大なものになります。ですから、ここで演奏している「ペトルーシュカ」も「展覧会の絵」も、ともにこれが3度目の録音ということになるのですよ。それぞれ1回目はオスロ・フィル、2回目はロイヤル・コンセルトヘボウ管というところも共通しています。それぞれのオーケストラとの、それぞれの時期の演奏には、同じ指揮者でも細かいところで違っているところはあるはずですから、そんな比較も興味があります。さいわい、そのすべての録音を聴くことが出来ましたので、そのあたりを中心に。
「ペトルーシュカ」の場合は、オスロが1992年(EMI)、コンセルトヘボウが2004年(RCO)、そして今回のバイエルンが2015年に録音されています。この曲で注目したいのがフルート奏者です。そのフルートがヘンリク・ヴィーゼだったのです。2006年にこのオーケストラの首席奏者になったばかりのヴィーゼは、古株のフィリップ・ブクリーよりは録音の機会が少ないような気がしていましたから、これもてっきりブクリーだと思って聴いていたらあまりにもその演奏が新鮮だったので確かめたらヴィーゼだったのですね。というのも、今回のCDでは、どちらの曲でも重要なソリストの名前がきちんと表記されているのです。この曲だと、フルート、トランペット、そしてピアノのクレジットがありました。彼のソロには、すべてのフレーズに今まで聴いたことのないようなファンタジーが宿っていました。素晴らしいの一言に尽きます。
コンセルトヘボウのフルートは、おそらくエミリー・バイノンでしょう。彼女もとても繊細な演奏を聴かせてくれていますが、ヴィーゼを聴いた後ではちょっと当たり前すぎるような気になってしまいます。そして、オスロはもっと平凡な人でした。
「展覧会の絵」はオスロが1988年、コンセルトヘボウが2008年、今回が2014年です。ここでは、使っている楽譜に違いがありました。ヤンソンスはオリジナルのラヴェルのスコアに手を加えて演奏しているのですが、1回目と2回目以降とではその改変の場所が全然違っているのですよ。オスロでは、せいぜいティンパニのロールを少し加えて盛り上がりを作る程度。そして重要なのは「キエフの大門」の最後の部分で、このページでは再三ご紹介している(たとえばこちら)バスドラムを叩くタイミングが、新しい楽譜に見られるようなごくまっとうなビートになっていることです。
これが、2回目以降の録音では、まずこのバスドラムが古い楽譜のミスプリント通りに、とてもイレギュラーなタイミングで叩かれているのです。さらに、後半にはやたらと銅鑼や他の打楽器が楽譜の指定以外のところで盛大に鳴らされています。それと「バーバ・ヤーガ」の中間部でのフルート2本が交代で吹く三連符が、もっと細かいほとんど「トリル」に近い吹き方に変わっています。
そんな、ちょっとワイルドに変貌した楽譜を、コンセルトヘボウでは十分に生かし切ってとても力強い演奏を聴かせてくれていたものが、今回のバイエルンでは何ともお上品な演奏に終始しているものですから、なにかとても居心地の悪いものになってしまっています。両方とも最後に拍手が入っていますが、心なしかコンセルトヘボウのお客さんの方が熱狂しているな、と感じたのは、偶然ではないはずです。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH
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by jurassic_oyaji | 2015-12-13 20:04 | オーケストラ | Comments(0)
BEETHOVEN/Symphony No.9
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渡辺洋子(Sop), 長野洋奈子(Alt)
藤沼昭彦(Ten), 栗林義信(Bar)
近衛秀磨/
二期会合唱団
読売日本交響楽団
NAXOS/NYCC-27295




1968年に録音が行われた「学研・世界の名曲」シリーズも、これが最後となりました。こちらは9月の録音、会場は、今は無き新宿の厚生年金会館です。すでに解体されていて、後世には残りませんでした。この当時はまだ音楽専用のコンサートホールなどは日本にはありませんでしたから、この前の録音に使われた世田谷区民会館や杉並公会堂(改修前)といった多目的ホールでオーケストラのコンサートや録音が普通に行われていました。その点では、今では状況は格段に向上しています。
そんなわけですから、この頃の録音ではホール内の豊かな響きを取り込むといった、今は普通に行われていることはできず、マイクで直接音を拾ってそこに人工的な残響を加えるような操作も行われていました。このシリーズの一連の録音もまさにそんなやり方で作られたものですから、なんとも余裕のないギスギスとした音を聴かされることになるのですが、これが当時の日本の精一杯の技術の成果だったのでしょう。そんな時代があったのだ、というサンプルとして聴くほかはありません。
ただ、いかに録音のクオリティが低かったとしても、曲の最後の音がまだ残っているうちにカットして終わらせてしまうというマスタリングのやり方は、許せません。あるがままの姿をそのまま聴かせるというのが基本なのではないでしょうか。それとも、マスターテープがすでにそのようなカットアウトが施されているものだったのでしょうか。
ということで、ついに「第9」の「近衛版」が聴けるようになりました。元の学研のCDにプログラム・ノーツを執筆なさっていた宇野先生が、「リタルダンドをしなくてもいいように4分の3拍子に変えている」とお書きになっているということは、このスコアが出版されているということなのでしょうか。ぜひ見てみたいものですが、とりあえずは耳で聴いて判断するしかありません。しかし、楽譜など見なくても、ただ聴いただけでもはっきり分かる違いがいくらでも見つかりますから、ちょっと普通と違うな、というところがあったら「普通の」スコアを見て確認すればいいだけの話です。特に金管楽器やティンパニは、隙があれば入り込もうと狙っていますから、至る所でほかのパートの補強が聴こえてきます。
それと、ベートーヴェンの時代の管楽器は音域が限られていたので、それに合わせるためにやむなく音型を変えた、というところがこの曲には山ほどあります。例えば、第2楽章の139小節目からは、4つの木管楽器(オーボエだけは2小節目から)のソロで「ソラシドレミファミファソラシド」というスケールを吹くのですが、最後の「シド」だけは当時のフルートでは出せないので1オクターブ下に折り返されています。もちろん、現代の楽器ではこの音自体は出せますが、それをレガートで吹くのはかなりの難易度、そこで近衛はここをピッコロに吹かせています。ピッコロにとってはこんなスケールは楽勝、それで完璧に求められている音が得られるのです。なんでも、近衛自身は「ヘタなオケでもちゃんと鳴るように」改訂を行ったのだとか、こんなところがそんな好例ですね。
このピッコロは、そんな使い方だけではなく同じスケルツォのフォルテの部分ではほとんど出ずっぱりという状態で活躍しています。音楽全体の輪郭が、これでくっきり描かれて、とてもきりっとしたベートーヴェンの姿が浮かび上がってきますね。ただ、「本業」の4楽章のマーチの部分で、高音のFを派手に出しそこなっているのに修正されていないのは、セッション録音とはいってもかなり時間が限られていてそんな細かいところまで録り直している余裕がなかったからでしょうね。
そんな劣悪なセッションでも、近衛は妥協せずに精一杯自分の音楽を後世に残しました。最後の「うちのごはん」でこんな大見得を切れるのは、近衛しかいません。

CD Artwork c Naxos Japan, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-12-11 20:17 | オーケストラ | Comments(0)
Dvořák/Symphony No.9
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近衛秀麿/
読売日本交響楽団
NAXOS/NYCC-27294




近衛秀麿と読響による学研への録音シリーズ、第3弾はやはり1968年の、これは6月に行われたセッションです。会場が、それまでの杉並公会堂から世田谷区民会館に変わっていますが、そのことによる音の変化はほとんど感じられません。それどころか、前回の「田園」で気になった残響成分が反対側からはっきり聴こえてくるという不思議な処理は今回も同じようになされています。
毎回、ブックレットに掲載されている菅野冬樹氏の書き下ろしエッセイは読みごたえのあるものですが、今回は近衛とストコフスキーとの関係に焦点を当てたなかなか興味深いものでした。ストコフスキーの伝手でアメリカでの活動基盤も出来、これからという時に奇しくも兄の文麿の内閣が日中戦争を始めてしまったために、近衛はもはやアメリカから去るしかなかったというのは、なんとも皮肉なことですね。逆に、彼がアメリカで大成功を収めていたとしたら、こんな「鑑賞教材」の録音のようなチンケな仕事をすることもなく、したがってこのCDが出ることもなかったのでしょうが、それが「歴史」というものなのでしょう。
今回は、前回までの独墺の古典派の作品とはがらりと変わって、チェコのドヴォルジャークの作品です。カップリングとしてスメタナの「モルダウ」まで入っていますよ。その、ドヴォルジャークの「新世界」では、ベートーヴェン同様に近衛自身が楽譜を改変していますが、そのやり方はどうもベートーヴェンの場合とは一味違っているように思えます。もしかしたら、アメリカでストコフスキーと親しくなったことで、なにかエンターテインメントの要素が近衛の編曲や演奏に加わってきたのではないでしょうか。
そんな「新世界」、改変で気になるのが、第1楽章の316小節から始まる2番フルートのソロです。ここでは、チェコのダンスのようなテーマが最初に2番フルートで演奏された後、それを1番フルートが引き継いで1オクターブ上で繰り返す、という部分なのですが、低音で始まる2番フルートのソロを2人で吹かせているのですよ。確かに音が低くあまり聴こえないのを目立たせようという気持ちは分かりますが、ここでの読響のフルーティストは2番の方もとても優秀ですから、1人でも十分に「鳴る」はず、しかも、この録音では管楽器のソロが異様に目立つようなミキシングがされていますから、2人で吹くとびっくりするほどでっかい音になってしまいます。これは近衛の本意ではなかったはず、おそらくこの録音の現場では指揮者がプレイバックを聴いてバランスを修正するというような機会は設けられてはいなかったのでしょう。
もう1か所、目立って聴こえてくるのが、同じ楽章のエンディングのクライマックス、練習番号13(400小節)。本来ならそこからティンパニが入ってくるのが、近衛はその2小節前から叩かせています。これは13へ向けての盛り上がりを演出するとても痛快な処理なのではないでしょうか。
おなじような盛り上がりを演奏の上で企てているのが終楽章です。まず、序奏の最後、トランペットのファンファーレが入る直前で「タメ」というにはあまりにも激しい急ブレーキがかけられます。これこそが、まさにストコフスキーが頻繁に行ったテンポ・ルバートではありませんか。もうこの楽章はそんなルバートをまじえつつ、明るすぎるどんちゃん騒ぎが繰り広げられていますよ。
「モルダウ」では、後半になるにつれてなんだかテンションが下がっていくのはなぜでしょう。そんな中で「聖ヨハネの急流」でのピッコロの高音だけが、やはり異様に強調されています。ですから、最後に長調に変わる「ヴルタヴァのゆったりとした流れ」の部分でもそれこそストコフスキーっぽくピッコロを1オクターブ上げたりすればかっこよかったのでしょうが、近衛はこのへんではそこまではやっていませんでした。

CD Artwork © Naxos Japan, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-12-07 20:56 | オーケストラ | Comments(0)
SIBELIUS/The Seven Symphonies
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Lorin Maazel/
Wiener Philharmoniker
DECCA/478 8541(CD, BD-A)




前回のリントゥとフィンランド放送交響楽団のシベリウスの交響曲全集は、全てが2015年に収録が行われたという、現時点で最新のものでした。そのフォーマットもHDの映像とハイレゾの音声という、やはり最新の技術が使われていましたね。
そんな最先端の全集に行きつくまでには、やはりさまざまな歴史がありました。調べてみると、シベリウスの交響曲をすべて録音した最初の指揮者は、アンソニー・コリンズだったようですね。彼がロンドン交響楽団とDECCAに録音を行ったのは1952年から1955年にかけてですから、当然モノラルでした。そして、世界で最初にステレオ録音を行ったのが、なんと渡邉暁雄と日本フィルという日本人のチームだったというのですから、少し意外な気がしませんか。それは1962年のこと、実際に録音を手掛けたのはレコード会社のスタッフではなく、当時の日本フィルの母体だった放送局だというのも、ちょっと意外です。ここではアメリカで、ブルーノ・ワルターとコロムビア交響楽団との録音セッションなどを見学してきた若林駿介がエンジニアを務めていました。制作したのは日本コロムビアで、提携先のアメリカのコロムビア(つまり、今のSONY)のサブレーベルであったEPICから全世界に向けて リリースされることになりました。
実は、そのアメリカコロムビアも、それに先立つ1960年からバーンスタインとニューヨーク・フィルによって全集の録音を始めていました。しかし、それが完成したのは1967年でしたから、「世界最初」とはならなかったのでしょう。そして、おなじころ、1963年から1968年にかけて録音されたのが、このマゼールとウィーン・フィルによるDECCAの全集です。さらに、1966年から1970年にかけてはバルビローリとハレ管弦楽団がEMIに録音を行い、メジャー・レーベルによる全集が出揃います。これらは、現在でもCDでのリイシューが繰り返されていますね。
それからは、メジャー、マイナーを含めて、多くのレーベルから全集が登場、様々なアプローチの演奏に触れることが可能となりました。そして、今年の「当たり年」には、さらに力の入った全集が何種類も誕生することになるのです。まずは、2013年にピエタリ・インキネンと、さっきの「ステレオ初録音」を行った(とは言っても、メンバーは全員替わっているはず)日本フィルとのライブ録音を集めたもの(NAXOS)、オッコ・カムが、ラハティ交響楽団と行なった、このオーケストラの2度目となる録音によるSACD(2012-2014 BIS)、サイモン・ラトルとベルリン・フィルとの2014年から2015年にかけてのライブのCD、BD-A、BD(映像)のセット、そして前回のリントゥのBDです。
そこに加わるのが、旧録音の別フォーマットによるリリースです。モノラル時代のコリンズ盤はLPに、そして、マゼールのDECCA盤はBD-Aとなって、装いも新たに登場しました。いずれも、最高の音質を求める姿勢が、アナログとハイレゾのデジタルという正反対のヴェクトルで達成された結果というのが面白いところです。
このマゼールの録音は、それこそLPの時代から良く聴いていたものでした。それが、CDになった時には、そのあまりにもLPとはかけ離れた音に失望したものですが、BD-Aは違います。そこでは、まさに待ちに待ったDECCAの録音の黄金期を作ったあのゴードン・パリーの素晴らしいサウンドが鳴り響いていました。やっぱりー彼の録音は最高です。有名なのはあの「指環」でしょうが、これはその少しあとに手がけたもの。プロデューサーも最初に録音された「1番」は、「指環」のジョン・カルショーです。それ以降は彼がDECCAを退職したのでエリック・スミスになっていますが、もちろん音が変わることはありません。
ここに漂っているのは、弦楽器から沸き立つ得も言われぬ馥郁たる香りです。それが前回のフィンランド放送交響楽団の最新録音では全く感じられなかったのは、オーケストラの違いのせいだけではないはずです。

CD & BD-A Artwork © Decca Music Group Limited
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by jurassic_oyaji | 2015-12-03 20:37 | オーケストラ | Comments(0)
SIBELIUS/7 Symphonies
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Hannu Lintu/
Finnish Radio Symphony Orchestra
ARTHAUS/101797(BD)




シベリウス・イヤーの2015年を締めくくるかのように、ここに来てまたまた新しいシベリウスの交響曲全集が何種類かリリースされています。BISから出たSACD(オッコ・カム/ラハティ響)にも興味は尽きませんが(ラトルのいかにもなセットはスルー)、今までシベリウスにはそれほど熱心ではなかったはずのハンズ、いやハンヌ・リントゥとフィンランド放送交響楽団が、いきなりなんと全集の映像を出してしまったので、ちょっと高価ではありますが、こちらを入手してみました。
ただ、いざ購入しようと思って通販サイトを見てみたら、不思議なことを発見。全く同じ商品なのに価格差があるものが2種類存在しているのですよ。「通常定価」だと、片方は9,277円でもう片方は12,419円と、3,000円以上の違いがあります。どちらもちゃんと日本語字幕も入っていて、その違いと言えば「日本語帯」があるかないかだけです。確かに、その「帯」は一読の価値がある労作ではありますが、それだけで文庫本4冊分の価格が上乗せされているというのは、ちょっと納得がいきません。
これは、要は正規に国内での販売を任されている代理店を通して販売されたものと、そのサイトが別のルートで直接メーカーから輸入して販売(並行輸入)していたものとの価格差なのです。はっきり言って、きちんとした販売店がこんなことをやるのは商道徳を完全に無視した薄汚いやり方なのですが、元々この「H」という販売店はまっとうなところではありませんから仕方がありません。もちろん、ここではしっかり帯の付いた代理店経由の商品を購入していますよ。
その帯に書いてある収録時間を見てみると、全部で584分とあります。ほぼ10時間、相当な時間ですが、そのうちの実際の交響曲の演奏時間は254分だけです。残りの330分は、リントゥ自身の解説によってそれぞれの交響曲が作られた時代背景や作曲家のその時の状況などが語られたものと、彼とフィンランドの作曲家との対談による交響曲のアナリーゼです。それは、リハーサルを行っている時の映像と楽譜によって、とても分かりやすく解説されています。ここだけ見ただけでも、シベリウスの作曲の秘密が分かるという素敵な「おまけ」ですよ。
そして、肝心の演奏は、このオーケストラの本拠地、2011年の9月に出来たばかりのヘルシンキのミュージック・センターの中にあるコンサートホールでのライブ映像です。ご存知、豊田泰久さんが音響設計を担当したホールですね。客席の全景が見られるカットがほとんどないのが残念ですが、例えば同じ豊田さんの手になるミューザ川崎とよく似たアシンメトリーの客席のレイアウトの、美しいホールです。ステージの床が白い色に塗装されているのが素敵ですね。
そのホールで録音された音は、最高です。音声はCDのフォーマット以上のハイレゾで再生されますから、このオーケストラの底光りのする弦楽器の音は、背筋が寒くなるような響きとなって聴こえてきました。
個人的な興味としては、昨年末に首席奏者として正式に採用された日本人のフルーティスト小山裕幾さんの姿が見れるのでは、ということでした。ただ、実際に小山さんが吹いていたのは「5番」だけ、あとは、「1、6,7」はブロンド、「2,3,4」は栗色の髪の、それぞれ公式サイトには載っていない若い女性がトップを吹いていました。サイト上でのもう一人の首席奏者は、リハーサルの映像でしか吹いていませんでしたね。一応「2015年に収録」とはありますが、詳細なデータがないのでそのあたりの事情は全く分かりません。
その小山さんの音は、前任者のペトリ・アランコのようなシャープなものではなく、暖かみはあるのだけれどちょっとこのオーケストラのサウンドには合わないような印象を受けてしまいました。偶然、彼らが来日した時の映像をテレビで見ることが出来ましたが、その時の小山さんの音の印象も、全く同じものでした。

BD Artwork © Arthaus Musik GmbH
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by jurassic_oyaji | 2015-12-01 23:08 | オーケストラ | Comments(0)
PROKOFIEV/Symphony No.5, Scythian Suite
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Andrew Litton/
Bergen Philharmonic Orchestra
BIS/SACD-2124(hybrid SACD)




アンドリュー・リットンとベルゲン・フィルのSACDは、以前からとても楽しませてもらっていましたが、最近リリースされたこのプロコフィエフでもやはり、まずその卓越した録音が健在だったのがうれしいですね。フォーマットも以前の24bit/44.1kHzから24bit/96kHzになり、さらに余裕を持ったハイレゾが楽しめるようになっています。弦楽器は、まさにオーケストラでしか味わえない「マス」としてのえも言われぬテクスチャーで迫ってきますし、木管はそれぞれの奏者の個性までもが感じられるほどの立体感があります。金管の抜けるように鮮やかな響きや、打楽器のエネルギーは体全体で感じることが出来るほどです。
録音に使われているのはいつもの彼らの本拠地、ベルゲンにある「グリーグ・ホール」です。このホールは写真で見ると扇形のだだっ広いワンフロアなので、あまり音は良くなさそうな気がするのですが、ライブではなく、お客さんの入っていないところでのセッション録音なので、適度の残響によってとても豊かな響きが加わっています。
リットンとベルゲン・フィルとのプロコフィエフは、2005年に録音された「ロメオとジュリエット」と2012年に録音された「交響曲第6番」(それに、フレディ・ケンプのバックでピアノ協奏曲の2番と3番)がありましたが、今回は2014年に録音された「交響曲第5番」と「スキタイ組曲」という有名曲のカップリングです。
「交響曲第5番」が作られたのは1944年、第2次世界大戦の末期です。それ以前にドイツ軍がロシアに侵入したことに対する抗議の意味が込められているのだ、とされている作品ですが、同じころに同じようなモティヴェーションで作られたショスタコーヴィチの「交響曲第7番」ほどの深刻さはほとんど感じられないのは、同じ「ソ連」の作曲家でありながら、この二人が本質的に異なるキャラクターをもっているからなのでしょう。
さらに、今回のリットンは、このプロコフィエフの「明るさ」をより際立たせるような演奏を行っているせいか、そのショスタコーヴィチが1時間近くの時間をかけた末に達した歓喜の境地に、プロコフィエフはすでに第1楽章で達してしまっているように感じられてしまいます。冒頭に現れる民謡風のモティーフは、その楽章の最後にはまさに華々しいクライマックスを迎えて、勝利の喜びを歌い上げています。その陰で、時折聴こえてくるちょこまかしたせわしないモティーフが、おそらく逃げ惑うドイツ兵なのでは、などという分かりやすいイメージが、彼のタクトからは伝わってきます。
続く第2楽章、そして最後の第4楽章も、まさにエンターテインメントとしての浮き立つような気分が満載、そのため、その間に挟まる第3楽章のちょっとダークな側面までも際立たせています。この楽章だけは、それこそショスタコーヴィチを思わせるような不思議なテイストが漂っていますね。それは、チャイコフスキーの「眠りの森の美女」やベートーヴェンの「月光ソナタ」の引用のせいでしょう。
カップリングの「スキタイ」も、このころ(作られたのは1916年)の作曲家のとんがった作風を前面に押し出した、見事な演奏と、そして録音です。おいどん、好きたい。一部の人たちの間では有名な2曲目の「邪神チェジボーグと魔界の悪鬼の踊り」などは、かつてNAXOSのハイレゾ・コンピのデモとして使われていたオールソップのBD-Aなどは裸足で逃げ出すほどのぶっ飛んだ録音です。三連符が続く箇所で不規則にアクセントが付けられている部分からは、まるでストラヴィンスキーのような荒々しさも聴こえてきます。
ただ、最近フルートの首席奏者が変わったのでしょうか、このオーケストラのサウンドとは微妙に齟齬のあるきついビブラートには、ちょっとなじめません。12年間リットンが務めた首席指揮者のポストも、2015/16年のシーズンからはエドワード・ガードナーが引き継いでいますから、もうこれ以後の録音もないのかも。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2015-11-23 22:45 | オーケストラ | Comments(0)
STRAVINSKY/Le Sacre du printemps
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Teodor Currentzis/
MusicAeterna
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テオドール・クレンツィスとムジカエテルナのアルバムとしては、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の新録音が待たれるところですが、それは来年にならないと入手できません。その代わりと言ってはなんですが、2013年に録音されていた「春の祭典」がリリースされました。
彼らの本拠地はロシアのペルミのオペラハウスですが、これが録音されたのはドイツのケルンでした。この年に彼らは「ルール・トリエンナーレ」という、ドイツのルール地方(「ルール工業地帯」って、むかし習いましたね)のボーフム、エッセンを中心に毎年行われている芸術イベントに参加していたのだそうです。「トリエンナーレ」というと、普通は「3年おき」という感じですが、ここでは3年ごとにテーマというかコンセプトが変わるというような意味合いです。
2013年の10月5日と6日に、かつては工場だったような建物で、ストラヴィンスキーの「春の祭典(Rite of Spring)」が演奏された後に、ドミトリー・クルリャンツキーという、クレンツィスと同世代の作曲家が作った(?)「春の騒動(Riot of Spring)」という曲が「演奏」されていました。この「騒動」の模様をネットで見ることが出来ますが、それはほとんど「フラッシュ・モブ」のノリで、指揮者のクレンツィスがヴァイオリンをかき鳴らすのを合図に、オケのメンバーがそれぞれの楽器を勝手に鳴らし始めるというものです。そのうち、メンバーがステージから客席に降りてきて、お客さんの前で音を出すだけではなく、中には自分の楽器をお客さんに貸してあげて弾いてもらうようなシーンも見られるようになります。そんな、15分ほどの「作品」です。
タイトルからも分かるように、これはもろ「春の祭典」のパロディ、メインの「祭典」の精神のようなものを別の形のパフォーマンスとして表現していたのでしょう。
これを含めて、このコンサートのライブ録音をそのまま出しても面白かったのでしょうが、商品としてのCDではそこまでやるのは憚られたのでしょう、ここに収録されているのは、このコンサートの次の日の7日から9日までの間に、近くのケルンで行われたセッションによって録音された「春の祭典」だけです。お客さんがいないところでは「騒動」は成立しませんから、必然的にコンテンツは「祭典」だけの35分というコンパクトなものになりました。
これを聴いて、彼らによるモーツァルトのオペラを聴いた時と同じような、とても自発的で伸び伸びとしたものを感じることが出来ました。それぞれの楽器が、まるでオペラの登場人物のようにそれぞれの個性をとことん主張しているのですね。それは、冒頭のファゴットのソロに続くバスクラリネット、コールアングレ、Esクラリネット、アルトフルートといった、普段はあまり目立たない楽器たちがそれぞれにしっかり「歌」を聴かせてくれていることからも分かります。例えば、これとは全く逆のアプローチでひたすら淡々と演奏させている同じレーベルのブーレーズ盤あたりと比べてみると、まるで別の曲かと思うほどの違いが感じられることでしょう。かれはぶれずに指揮をしていました。
もう1ヵ所、今まではどの演奏でも気づかされることのなかったのに、今回初めて意識した、「春のロンド」の最初に現れて、そのパートの最後を締めくくるフレーズの持つ、抒情性です。1回目はEsクラとバスクラ、2回目はEsクラとアルトフルートによる平行15度(2オクターブ)進行によるこの単純なメロディが、こんなに哀愁に満ちていたなんて。
そして、何よりも圧巻なのが、トゥッティで盛り上がるところのとてつもないドライブ感です。それはまるで、ヘビメタのように重心の低いエネルギーですべてのものをなぎ倒すほどの力を持ったものです。うっとりするようなリリシズムと、頭をからっぽにして浸れるヴァイオレンス、そのどちらもてんこ盛りの爽快感が、ここにはあります。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2015-10-21 21:10 | オーケストラ | Comments(0)
STRAVINSKY/Le Sacre du Printemps, Petrouchka, L'Oiseau
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François-Xavier Roth/
Les Siècles
ACTES SUD/ASMSA-01/02(single layer SACD)




ロトと、レ・シエクルのヒットCD、「春の祭典、ペトルーシュカ」「火の鳥、オリエンタル」の2枚をシングルレイヤーSACDにして一つのパッケージに収めたものが国内制作でリリースされました。レーベルから提供されたオリジナルのマスター(フォーマットは明記されてはいません)をDSDに変換してマスタリングを行ったのは、そのレーベルの国内代理店キングインターナショナルの関連施設、キング関口台スタジオのマスタリング・エンジニア辻裕行氏です。
キングインターナショナルでは、最近ではCDでリリースされていたHARMONIA MUNDIのアイテムを国内盤でシングルレイヤーSACDとして出しているようですから、その流れでACTES SUDのアルバムも出されることになったのでしょう。なんたって、「春の祭典」は「名盤」と採点されたからこそレコードアカデミー賞の大賞をいただけたのでしょうからね。
アルバムの体裁は、既発の2枚のCDをそのまま2枚のシングルレイヤーSACDにして、デジパックに収めたというものです。アートワーク的には、ジャケットは「春の祭典」、ブックレットは「火の鳥」のそれぞれのオリジナルのジャケットを使い、曲目だけは全部表記するという形になっています。そのブックレットも、オリジナルのブックレットに掲載されているロトのインタビューと、オーケストラのメンバーと使用されている楽器のリストをそのまま忠実に翻訳したものが載っています。そこに、独自の企画として、管楽器の歴史に詳しいライターの佐伯茂樹氏の、とことんマニアックなエッセイと、曲目紹介が加えられています。オリジナルの「春の祭典」のCDにあったミスプリントも見事に直っていましたね。
シングルレイヤーSACDの音も、とても素晴らしいもの、最初にCDを聴いたときの物足りなさが、ことごとくクリアされているという爽快感がありました。ストラヴィンスキーではありませんが、「火の鳥」の余白に入っている「オリエンタル」というディアギレフの異国趣味コンピレーションの中で聴こえてくるタンバリンの存在感はまるで別物です。「火の鳥」の最後の高揚感も、CDでは明らかにリミッターがかかったように聴こえたものが、何のストレスもなくフォルテシモまで歪みなく聴こえてきます。そして、なんと言っても弦楽器の肌触りはCDでは絶対に味わえないもの、改めて、これだけの音がCDという規格のために無残に劣化している現状に腹を立てずにはいられません。
と、油断していると、ブックレットや帯では例えば「時代楽器」というようなわけのわからない言葉が出てくるのですから、「やっぱりな」という感じ、普通に「ピリオド楽器」とすれば、はるかに理解度は深まるものを。さらに、さっきの楽器のリストでは、楽器の製作者まできちんと表記されているのですが、その中のフルートについて「ボンヴィル製吹き口」などという訳が出てくると、ちょっと引いてしまいます。原文の「embouchure」は確かに「吹き口」という意味ですが、フルートで「吹き口」と言えば、唇を当てる部分のこと、その部分だけを簡単に取り換えることなどできませんから、これは「頭部管」と訳すのが正解でしょう。
マスタリングに関してもちょっとした疑問が。おそらく録音の新しい「春の祭典」の方はトラックの位置などもそのままトランスファー出来たのでしょうが、「火の鳥」ではキングの辻氏が新たにトラックを付けたような形跡があって、オリジナルとは微妙に異なったタイミングになっています。その中のトラック17「イワン王子の不意な登場」では、位置が大幅にずれていて、オリジナルは楽譜通り弦楽器のトレモロの部分ですが、キング盤ではそのあとのホルン・ソロが出てくるところになっています。これは明らかなミス、やっぱりキングインターナショナル、せっかくいい仕事をしているのに、どっかちぐはぐなところが出てきてしまうという体質は、変わらないのでしょう。

SACD Artwork © Actes Sud
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by jurassic_oyaji | 2015-10-15 19:51 | オーケストラ | Comments(0)
BEETHOVEN/Symphony No.6, Overture"Egmont"
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近衛秀磨
読売日本交響楽団
NAXOS/NYCC-27293




近衛秀磨と読響が1968年に録音した音源のマスターテープから、ナクソス・ジャパンによってハイレゾ・デジタルリマスターが施されたCDの第2弾です。以前ご紹介した第1弾は2月21日の録音でしたが、今回のものはその1か月後、3月20日と21日の2日間にわたって、同じく杉並公会堂で録音されたものです。いずれもエンジニアなど、スタッフのクレジットは一切ありませんが、おそらく同じチームによって行われたものなのでしょう。
とは言っても、この2枚の音を比べてみるとだいぶ違っていることが分かります。今回の方がよりくっきりとした音のように感じられますし、テープの保存状態も、いくらか良好なようです(それでも、1ヵ所、かなり目立つ劣化のあとが確認できました)。ただ、今回気になったのがちょっと不思議なエコー成分の処理です。オーケストラの弦楽器の並び方は向かって左からファースト・ヴァイオリン、セカンド・ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、そしてチェロの奥にコントラバスという標準的なものですが、ファースト・ヴァイオリンのエコーがなぜか反対側から聴こえてくるのですね。それはエコーとは言えないほどのかなりはっきりした音なので、まるでファースト・ヴァイオリンが左右に分かれているかのように聴こえてしまいます。これに気づいてしまうと、かなり煩わしいものです。
演奏されているのは、ベートーヴェンの「田園」と「エグモント」序曲です。「田園」については、菅野冬樹氏による下ろしのライナーノーツの中で、近衛が初めてヨーロッパに行った時に体験したフランスの田園風景が、この曲の演奏に反映されているのではないか、と述べられています。それが本当なのかどうかは知る由もありませんが、確かに今回の「田園」の演奏では、前回の「運命」よりははるかに充実した指揮者とオーケストラの姿が見えてきます。特に管楽器セクションは、1ヶ月前とは見違えるようなレベルの高い演奏を聴かせてくれています。
ここでの近衛は、音楽を恣意的に捻じ曲げることはせずに、あくまで自然の流れに任せているように思えます。第1楽章のとても心地よいアンサンブルからは、まさに至福の時が体験できます。この楽章の460小節目から(9:48付近)、楽譜にはないホルンが聴こえてくるのは、「近衛版」だからなのでしょう。
第2楽章になると、この時代の指揮者にしては珍しい、とてもサラッとしたインテンポの音楽になったので、逆に少し戸惑ってしまいます。フレーズの終わりでタメを作る、といったありがちな表現は全く見られず、あくまで淡々と流れるような情景の描写に徹しているのは、少し物足りない思いもしますが、演奏の格調はとても高いものに仕上がっています。
第3楽章はちょっと重たいテンポで、あまり羽目を外さないような音楽、指定された繰り返しも行っていません。続く第4楽章ではコントラバスがかなり気合を入れて華々しく暴れまわります。そして、ピッコロの一瞬の叫びも、とても明確に録音されています。このあたりを近衛だったらかなりいじるのではないか、という予想は見事に外れ、ピッコロのパートに関してはオリジナル通りだったのも、ちょっと意外でした。バーンスタインあたりでもかなり手を加えていたはずなのに。
ですから、最後の楽章もいともまっとうな、アゴーギグではなくあくまでダイナミックスによって語ろうとするとても大きな音楽に聴こえます。「近衛版」がこの楽章で確認できたのは、49小節目(1:43付近)、木管をヴァイオリンと同じリズムにして、フレーズの終止感をはっきり出しているところでしょうか。
「エグモント」では、なにかオーケストラのアンサンブルが決まらないところが気になります。終わり近くでは金管だけが暴走していますし、「田園」ほどの完成度は見られません。
この曲の最後では、まだ残響が消えていないところで音がスッパリ切れています。このリマスタリング・エンジニアのお粗末な仕事には唖然。

CD Artwork © Naxos Japan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-10-13 20:32 | オーケストラ | Comments(0)