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カテゴリ:オーケストラ( 471 )
STRAVINSKY/L'Oiseau de feu
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Dennis Russell Davies, 滑川真希(Pf)
Dennis Russell Davies/
Sinfonieorchester Basel
SINFONIEORCHESTER BASEL/SOB 10




ドイツとフランスの国境近くに位置するスイスで3番目に大きな都市バーゼルには、300年近く前から音楽文化が栄え、オーケストラの母体が存在していました。ヨハネス・ブラームスやグスタフ・マーラーが、実際にそのオーケストラの指揮をしたこともあります。そのような流れは最近まではバーゼル交響楽団(Basler Sinfonie-Orchester )とバーゼル放送交響楽団(Radio-Sinfonieorchester Basel)という2つのオーケストラとして形になっていましたが、1989年に、これらを統括する財団が設立されたことにより状況が変わります。最初のうちはそれぞれのオーケストラは独立した活動を行っていたものが、1997年に新しい「バーゼル交響楽団(Sinfonieorchester Basel)」に集約されるという、事実上の合併が行われて、1つのオーケストラとして再出発することになったのです。その時に首席指揮者に就任したのは、マリオ・ヴェンツァーゴでした。
現在の首席指揮者は2009年に就任したデニス・ラッセル・デイヴィス。彼の許で、このオーケストラは2012年に自主レーベルを発足させ、今回のCDが10枚目のアイテムとなっています。しかし、デイヴィスの任期は2015/2016年のシーズンまでで、今年の秋からはアイヴォー・ボルトンが次の首席指揮者、このオーケストラの相棒に就任することが決まっています。
この、「古くて新しい」オーケストラは、ウェブサイトなどもかなり凝った造りになっていて、外部への働きかけに積極的なような印象を受けます。この自主レーベルを飾るオーケストラのシンボル・マークも、なんか斬新な気がしませんか?

これは、オーケストラのメンバーがステージに座っている様子を表わしたものなのでしょう。ただ、これだと実際の並び方には不具合が出てしまうのは、デザインした人がオーケストラのことを良く知らなかったからなのでしょう(あるいは、なにか別の意味が込められている?)。でも、さっきのサイトでは、これをきちんと修正して、メンバー紹介のページに使っていましたね。

2014年にこのレーベルからリリースされたのが、ストラヴィンスキーの「春の祭典」のオーケストラ版と4手ピアノ版とを一緒に収めたアルバムでした。今回はその続編、同じ作曲家の「火の鳥」が取り上げられています。前のアルバムは両方のバージョンが全部1枚のCDに入ってしまいましたが、今回は「火の鳥」が20分程度で終わってしまう組曲版ではなく、50分ほどかかる全曲版ですから、2枚組になってしまいました。もちろん、演奏は全く同じ、ピアノを弾くのは指揮者のデイヴィスと、その妻である現代音楽のスペシャリスト、日本人の滑川真希さんです。
まずは、ほとんど組曲版しか聴いたことのなかったオーケストラの全曲版をじっくり聴いてみます。録音がとても素晴らしく、個々の楽器がきっちり立って聴こえてきますから、組曲版とのオーケストレーションの違いなどもはっきり分かります。そんな録音のせいでしょうか、音楽全体がとても風通しが良くて、爽やかささえ感じられるのですが、この曲の場合もっとなにか泥臭いところがあった方が良いような気がします。これはライブ録音ではないようですが、ピッコロが肝心のところでいまいち冴えないのも気になります。
ピアノ連弾版を作ったのはデイヴィス自身だそうです。「春の祭典」では作曲家が用意したものがあったのでそれを演奏していたようですが、「火の鳥」ではピアノ・ソロの、単にバレエの練習用に作られたものしかなかったので、新たに作る必要がありました。デイヴィスは、オーケストラ版とこのピアノ・ソロ版とを適宜参考にして、編曲を行ったのだそうです。
ふつう、同じ曲を演奏すると、どうしてもオーケストラ版の方がテンポが遅くなりがちなのに、ここではピアノ連弾版の方が時間がかかっています。それは、有名な「カスチェイの仲間たちの地獄の踊り」が、とんでもなくもたついているため。ただでさえ退屈なピアノ版が、これではだめでしょう。

CD Artwork © Sinfonieorchester Basel
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by jurassic_oyaji | 2016-06-28 22:46 | オーケストラ | Comments(0)
DVOŘÁK/Symphonie Nr.8, SUK/Serenade
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Mariss Jansons/
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
BR/900145




ヤンソンスとバイエルン放送交響楽団との最新のCDは、今年の初め、1月のコンサートのライブ録音でドヴォルジャークの「交響曲第8番」がメインです。この間のシベリウスではより伸びやかな音を聴くことが出来たガスタイクのフィルハーモニーでの録音ですから、おそらく存分に楽しめることでしょう。
その交響曲は、やはりCDとは思えないほどのすばらしい音で録音されていました。音が良いというのは、もちろん単なるオーディオ的なことではなく、演奏者の気持ちまでがきっちりと伝わってくる音になっている、ということです。ここでのヤンソンスの曲の作り方は、そのシーンで活躍するパートにスポットライトを当てて、思い切り歌ってもらうという、まるでドラマを見ているような気にさせられるものでした。確かに、この曲には至る所にソロやパートで目立つ役者のような楽器がたくさんありますからね。それが、単にメインのテーマを歌っているパートだけではなく、時にはそれを助ける役割のパートの方をクローズアップしているようなところもありますから、この、聴きなれた音楽に新鮮な味わいが加わることになるのです。たとえば、第1楽章のテーマをトランペットが高々と歌い上げているところで、本来は「脇役」であるはずのうねるような弦楽器を立てようとしていますから、これはそういう全体を見据えた演出だな、と気づくことになるのです。
カップリングとして、珍しいことにこのコンサートの数日前に「スタジオ録音」が行われた、スークの「弦楽セレナーデ」が収録されています。やはり、放送局のオーケストラですから、需要に応じて番組用の録音を放送局の「スタジオ」で行ったのでしょうか。だとしたら、ホールで録音されたものよりもデッドな音が聴けるのではないでしょうか。
と思いながら、交響曲の後の盛大な拍手に続いて聴こえてきた弦楽合奏の響きを味わってみると、なんかとてもふんわりとした瑞々しい音がするのでちょっと意外な気がしました。実は、「スタジオ録音」というのは「帯」に「ミュンヘン/スタジオ・レコーディング」と書いてあった情報なのですが、元々のクレジットを確認したら、「Studio Recording/München, Philharmonie im Gasteig」とあるではありませんか。何のことはない、コンサートと同じホールで録音していたのですよ。それなら、このしっとりとした音は納得です。別に「スタジオ」を使わなくても、ホールにお客さんを入れないで録音する「セッション録音」のことを「スタジオ録音」と呼ぶのは、この世界の常識でした。
スークが18歳という、まだドヴォルジャークの指導を受けていた頃に作られた「弦楽セレナーデ」は、師であり、後には義父となるドヴォルジャークの同名の作品をモデルにして作られたことがはっきり分かる、チェコの民族性を大切にした音楽です。しかし、こちらではその「民族性」が、もっと普遍的な西洋音楽の範疇に拡大されているようなスマートさが感じられないでしょうか。それは、ある種の「土臭さ」からは解放された、よりグローバルな聴かれ方にも対応できるもののような気がします。ということは、今の時代に作られている「現代音楽」(もちろん、こちらのような身勝手な定義とは別の次元の音楽)にも通じる情感までもたたえているな、と思えてしまうのは、ヤンソンスがとても良いセンスを発揮させているからなのでしょう。特に、第3楽章の心地よい甘ったるさは、まさに「現代」の受容にも耐えうるものです。
あんまり気に入ったので、この第3楽章だけ、ハイレゾで聴いてみました(@300円)。とは言っても、このファイルのフォーマットは24bit/48kHzというSACDには及ばないものなので(だからSACDは出ていない?)それほどの違いはないだろうと思っていたのですが、聴いてみたらCDとはまるで別物でした。最初に「CDとは思えない」などと書いてしまいましたが、やはりCDはCDでしかありませんでしたね。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-06-09 20:26 | オーケストラ | Comments(0)
SIBELIUS/Symphonie Nr.2
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Mariss Jansons/
Symphonieorchester des Bayerischen Rundfunks
BR/900144




先日、惜しまれて亡くなったニコラウス・アーノンクールを追悼する番組が放映されていました。そこには、この巨匠がオーケストラとともに2006年に来日した時の2種類のライブ映像が押し込まれていましたね。最初はウィーン・フィルとサントリー・ホール、もう一つがウィーン・コンツェントゥス・ムジクスとの、NHKホールでの演奏会です。
それを続けて聴いてみるとびっくりするぐらい音が違っているんですね。もちろん、それぞれに使われている楽器も、そして楽器編成も全く違っているので、そもそもの音が違うのは当たり前のことなのですが、それと同時にやはりホールの音がまるで違っているのが、大きな要因だったのでしょう。
昨年の「シベリウス・イヤー」に、ヤンソンスとバイエルン放送交響楽団がミュンヘンで行った何回かのシベリウスのプログラムによるコンサートの中から、超有名な「フィンランディア」、「カレリア」組曲、そして「交響曲第2番」を収録したこのCDでは、前半はガスタイク・フィルハーモニー、後半はヘルクレスザールと、録音された会場が異なっていますから、やはりホールの響きを比較することができるはずです。
「フィンランディア」では、冒頭の金管のアンサンブルが、たっぷりとした響きを伴って聴こえてきます。それはとても余裕を持って広い空間に響き渡っているような印象を受けます。弦楽器が入ってくると、その音もとてもしっとり聴こえてきて、これがノーマルCDであることを忘れそうになるほどです。ヤンソンスは、ライブならではのノリの良さで、繰り返しの部分では一層のシフト・アップを行ってグイグイ盛り上げるという分かりやすさです。
「カレリア」では、アップテンポの1曲目「間奏曲」と3曲目「行進曲風に」に挟まれた、2曲目のその名も「バラード」という曲が、しっとりとした情感を漂わせていてとても魅力的に仕上がっています。そして、真ん中あたり(スコアの「C」近辺↓)の弦楽器だけのコラールが始まるところで、ヤンソンスはちょっとしたサプライズを用意していました。

その前までは、音楽は「morendo」という表情記号に従って消え入るように音を小さくしていくのですが、「C」以降には音量の指定が何もありません。ですから、その指定に忠実に、ここからを本当に小さく演奏している指揮者(オスモ・ヴァンスカなど)もいますが、大抵の場合は指揮者の裁量でここではいくらか大きな音でたっぷりと演奏しています。ところが、ヤンソンスは最初は大きな音で堂々と演奏したのち、繰り返しになったら今度は超ピアニシモになっているのです。
「交響曲第2番」からヘルクレスザールになると、やはりかなり音が変わっていました。このシューボックス・タイプのホールならではの豊かな残響のために、オケの音がほんの少し甘くなってしまっているんですね。その結果、弦楽器からは輝きが失われてしまっています。ただ、これはおそらくSACDで聴けばもっと繊細な音として聴こえるはずなのですけどね。
第2楽章などは本当にたっぷりとした演奏、これこそはぜひともSACDで聴いて豊かなサウンドを味わいたかったものです。第3楽章は落ち着いたテンポでとても丁寧な演奏、よくある技巧だけを競うようなものとは無縁です。そして、そこから終楽章になだれ込む瞬間は、まさに大家の貫録、たっぷりと「泣き」を入れて興奮を誘います。久しぶりに、スカッとさせられる演奏を聴いた思いです。
全ての曲で、終わってからの拍手までがカットされずにそのまま収録されています。それを聴いていると、日本のようなまるで一番乗りを競争しているような子供じみたみっともない拍手では全然なくて、あくまで一旦音がなくなってからの控えめの拍手に続いて、それが次第に盛り上がってくる、という「大人の」拍手が沸き起こっているのが分かります。もしかしたら、この拍手が最も感動的だったかもしれません。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-06-04 20:43 | オーケストラ | Comments(0)
HAYDN/Symphony No.101
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Robin Ticciati/
Scottish Chamber Orchestra
LINN/CKH 600(45rpm LP)




去年の8月に入手したこちらのSACDは、同時にLPもリリースされていました。それがただのLPではなく「45回転」でカットされたものでしたから、迷わず買っと、いや、買ってしまいました。
普通LPと言えば、33回転のアナログレコードのことです。45回転というのは、LPと同じころに誕生した「EP」という規格のアナログレコードの回転数です。アメリカのコロムビア(CBS)が開発したLPに対抗して、競争相手のヴィクター(RCA)が提案した方式で、LPは直径が12インチと大きかったものを7インチというサイズにしてコンパクトさを主張、そのままでは音質が劣るので、回転数を45回転に上げて「小さくても、良い音」を主張していました。その二つは、うまい具合にLPはアルバム、EPはシングルというように用途によって棲み分けがなされ、共倒れすることなくそれぞれに現在まで生き延びているのです。
LPは、確かに最外周ではEPよりも良い音ですが、内周に行くにしたがって冴えなくなってきます。

このように、LPの溝の内周部は、EP全体のゾーンにすっぽり入ってしまいますから、このあたりではEPの音の方がLPよりもずっと良くなっているはずです。そこで、LPの音質向上のために考えられたのが、この「45回転LP」です。

このように、どのレコードプレーヤーでもLPとEPが再生できるように、必ず回転数を選択できるようになっていますから、「互換性」に関しては何の問題もありません。そこで、まずフランスの「Quarante-cinq(45)」というレーベルが1962年ごろに世界で初めて45回転LPを発売し、それを追うようにして、オーディオ・ファンの間では有名な「Connoisseur Society」もこれを出しています。このあたりは、岡俊雄さんの著書「マイクログルーヴからデジタルへ(1981年ラジオ技術者)」を参照していますが、それによると、1966年になってやっとこのコニサー盤を入手した岡さんの許に、日本コロムビアの人が遊びに来てこのレコードを聴いたそうなのです。そして、数か月後の1967年の5月には、コロムビアから日本で初めて45回転LPが発売されることになります。その時の雑誌広告がこれです(クリックすると、PDFが見れます)。

これを見て、当然他の国内メーカーも45回転LPを発売するのですが、それは単なる一過性のブームで終わってしまったようですね。その後も散発的に音が売り物のレコードとして出ることはありましたが、やがてCDが現れると、LPそのものが作られなくなってしまいますから。
しかし、そのCDに凋落の影が見えるころになって、このフォーマットは新たなハイレゾ・ツールとして甦りました。ただ、すでにジャズではかなりの数の「45回転」がリリースされていますが、クラシックに関してはまだ数はきわめて少ないのが現状です。そのうちの貴重な1枚が、これだったのです。さっそく今のレコードプレーヤーにとっては初めてとなる「45回転」モードにして再生を行ってみると、これはとてつもない音でした。ノン・ビブラートのヴァイオリンの生々しさ、ピリオド楽器による金管やティンパニの深みのある肌触り、さらには低音の豊かさ、それらが一体となって、それこそ一人一人の奏者の息遣いまでわかるほどのリアルさで迫ってくるのです。これは、先ほどのSACDを聴き比べるまでもなく、格の違う音です。そのあとで聴いたSACDの音の、なんとしょぼかったこと。
つまり、2.8DSD というSACDのフォーマット自体が物足りないものであることが明らかになってしまったのではないか、と思えるほどの、この45回転LPの音のすごさでした。
しかし、このフォーマットにも難点はあります。それは、収録時間が短いこと、そして、価格が高すぎるということです。SACDでは3曲聴けた交響曲が、ここには1曲しか入っていないのに価格はSACDの約2倍、つまり、1曲あたりの価格は6倍になっているのですからね。それともう一つ、「45回転LP」で検索するとたぶん最初に出てくるこんな間抜けなことが起こる危険性もありますから、ご注意ください。

LP Artwork © Linn Records
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by jurassic_oyaji | 2016-06-02 20:56 | オーケストラ | Comments(0)
BERLIOZ/Symphonie fantastique, Lério
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Gilles Ragon(Ten), 宮本益光(Bar)
渡部ギュウ(Narr)
Pascal Verro/
仙台フィル第300回定期記念合唱団(by佐藤淳一)
仙台フィルハーモニー管弦楽団
Onebitious Records/OBXX00009B00Z(2.8MHz DSD)




仙台フィルのライブ音源によるハイレゾ配信を聴くのは、こちらの「第9」に次いで2回目、今回は収録されたホールも違いますし、おそらく何度も経験してそれなりのノウハウも蓄積されてきたのでしょう、見違えるように素晴らしい音で録音されていました。FLACとDSF(DSD)の両方がリリースされていますが、一応オリジナルということでDSDを購入です。
これは、4月15日と16日に行われた第300回という記念すべき定期演奏会の録音です。常任指揮者のパスカル・ヴェロの指揮で、ベロリオーズ、いや、ベルリオーズの「幻想交響曲」と、本来はそれとセットで演奏されるために構想された「レリオ、または『生への回帰』」というオラトリオが演奏されていました。「レリオ」の方はほとんど忘れ去られた存在になっていて、何種類かの録音は存在しますが実際にコンサートで演奏される機会は非常に稀です。
まずは、最初に演奏された「幻想」を聴いてみます。マイクはステージ上方に吊った2本だけですが、特に管楽器の粒立ちがくっきりと聴こえてきます。ホルンなどは、普通はほとんど聴こえてこないようなフレーズがはっきり聴こえます。こうなると、ソロのほんの少しのミスもしっかりわかってしまいますから、怖いですね。ホルンなどは、最後までちょっとピッチが不安定なのもとても気になってしまいます。
しかし、曲の運びはとてもきびきびしていて、メリハリのはっきりした音楽が伝わってきます。かと思うと、第2楽章の最後での突然のアッチェレランドのような、意表を突く表現が見られることもありました。3楽章はまさに絶品でしたね。とても深みのある響きに包まれて、ゾクゾクするほどの寂莫感が迫ってきます。特に、クラリネット・ソロのピアニシモは、心を奪われます。それに対して、第4楽章のなんと華麗なこと。ここでは金管楽器が、とことんゴージャスな音楽を仕掛けてきます。これは、普通とはかなり違うアプローチ。ところが、最後の、やはりクラリネット・ソロのひと吹きで、それが狂気に変わります。これは見事、これをきっかけに曲の目指すものがガラリと変わってしまうんですからね。
それを受けた終楽章も、Esクラリネットが出てくるあたりでギアがさらに狂気にシフトします。ここで、一瞬ファゴットが乗り遅れるというスリリングな場面も、いやあ、これは生で聴いてみたかったですね。
「レリオ」は、長いナレーションの間に音楽が挟まるという、ちょっと珍しい作り方、というか、そのために音楽としての価値がほとんど認められてはいないという不幸な目に遭っている作品なのでしょう。しかし、ここではそのナレーションを日本語に直してとても上手な役者さんが演技を交えながらほとんどお芝居のノリで語っていますから、それだけでまず引き込まれ、そこでの音楽の役割もとてもよく理解できるようになっています。一見すると脈絡のない小品の羅列のようでもありますが、それらはしっかり有機的に関係づけられているのですね。
それは、合唱が最初に出てくる「亡霊の合唱」で、しっかり印象付けられます。この演奏では合唱は客席の中で歌っていたはずですが、その2オクターブに渡る平行ユニゾンによる不気味な歌は、マイクから少しオフになっている部分も含めた広がりとなって圧倒的な力で伝わってきます。
男声合唱の「山賊の歌」の無駄な明るさも、前後の語りからその意味がはっきり分かりますし、最後の長大な「『テンペスト』による幻想曲」でも、ベースを欠いた軽やかな混声合唱のサウンドは、ベルリオーズのオーケストレーションの一部として異彩を放っています。
その前の「エオリアン・ハープの思い出」でのクラリネット・ソロの素晴らしいこと、仙台フィルって、いつの間にこんなすごいオーケストラになっていたのでしょう。

File Artwork © Label Gate Co.,Ltd
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by jurassic_oyaji | 2016-05-17 23:46 | オーケストラ | Comments(0)
RAVEL/Orchestra Works・3
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Leonard Slatkin/
Orchestre National de Lyon
NAXOS/8.573124




2011年から、準メルクルの後任としてリヨン国立管弦楽団の音楽監督に就任したレナード・スラトキンは、直ちにNAXOSへのラヴェルの作品集の録音に着手したんだよん。今回の3集目となる管弦楽集は、他の作曲家の作品を編曲したものだけを集めるという、大胆なアルバムです。
ラヴェルが編曲した作品として最も有名なのは、もちろんムソルグスキーの「展覧会の絵」です。とは言っても、この曲を編曲した人はなにもラヴェルだけではなかったわけで、以前スラトキンはこんな全ての曲が「ラヴェル以外」の作曲家によって編曲されたものを集めたアルバムを同じNAXOSで作っていて、そのマニアックさを披露してくれていました。ですから、ラヴェル版を演奏する時でも、いくら1975年に録音されたVOX盤では楽譜通りの「ラヴェル版」を演奏していたとしても、油断はできません。現に、「サミュエル・ゴールデンベルク」と「リモージュ」の間に、ラヴェルはカットしたはずの「プロムナード」が入っていますからね。そしてそのトラックには「スラトキンによるオーケストレーション」というクレジットが加えられています。
さらに、曲を聴いてみると、なんだか普通の「ラヴェル版」とはちょっと違っているように聴こえるところがゾロゾロ出てくるではありませんか。まずは、「小人」で、これこそがラヴェルの編曲の極めつけ、と言えるほど印象的な、元のピアノ版にはなかった弦楽器のグリッサンド(スコアの「9番」あたり)がきれいさっぱりなくなっています。この時点で、もうスラトキンはラヴェル版をそのまま演奏する気はないのだな、と気づくことになるのですが、それ以後の「改変」はまさに衝撃的なものでした。まず、普通はピアニシモで始まり、だんだんクレッシェンドをかけていく「ビドウォ」が、そんなラヴェルのダイナミックスを無視して、いきなりフォルテシモで始まります(①)。さらに、一番ショッキングなのは、「卵の殻をつけた雛の踊り」のエンディング。そこには、リピートする場所を間違えたような「余計な」2小節が入っています(②)。となると、予想通り「サミュエル・ゴールデンベルク」の最後は「ド・レ・ド・シ」ではなく、「ド・レ・シ・シ」になっています(③)。
何のことはない、これは、こちらを見ていただければわかりますが、ラヴェルの編曲で「原典版によるピアノ譜」とは異なっている部分を、その形に変えただけのことなのです。確かにラヴェルは、当時はそれしかなかったリムスキー・コルサコフの改訂版を元にオーケストレーションを行っていますから、その部分を後の原典版の形に変える(①と③)分にはそれほど問題はありませんが、②は改訂版にもあったものをあえてカットしているのですから、こうなるともはや「ラヴェル版」と呼ぶのもはばかれます。確かにジャケットでは作曲年代として「1874/1922/2007」という3つの年代が入っていますから、最後の「2007」は、「スラトキン版」が作られた年、と解釈すべきでしょう。ですからここは、単にプロムナードだけがスラトキンの仕事だという表記だけではなく、この組曲全体が「スラトキン版」なのだ、というクレジットが必要だったはずです。
他の曲が、それぞれディアギレフの委嘱によるシャブリエの「華やかなメヌエット」、そのディアギレフと「破局」したニジンスキーの委嘱によるシューマンの「謝肉祭」、そして、出版社ジョベールの委嘱によるドビュッシーの「サラバンド」と「舞曲」と、いずれもピアノ・ソロだったものにオーケストレーションが施されたとても珍しいものが並んでいる中で、「展覧会」だけがラヴェルのオリジナルのオーケストレーションではないものを収録したというのは、何とも中途半端な印象がぬぐえません。というか、せっかくこんな珍しい「スラトキン版」が聴けるのですから、それをもっと堂々と表記すべきだったのでは。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-05-10 23:22 | オーケストラ | Comments(0)
SCHUBERT/Symphony No.9
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Christoph von Dohnányi/
Philharmonia Orchestra
SIGNUM/SIGCD461




合唱関係でおなじみのこのレーベルですが、ここはロンドンのフィルハーモニア管弦楽団のいわば「自主レーベル」的な役割も果たしています。マゼールの晩年にマーラーの交響曲全集を録音したのも、このレーベルでした。
今回は、このオーケストラの首席指揮者を1997年から2008年まで務め、その後は終身名誉指揮者として関係を保っている長老、クリストフ・フォン・ドホナーニとの共演で、2015年10月に行われたコンサートのライブ録音です。
曲目はシューベルトの「交響曲第9番」、ジャケットにはそれしか書かれてはいませんが、もちろんこの作曲家の最後のハ長調の交響曲のことです。そうなんですよ。おそらく、いまの日本でオーケストラがこの曲を演奏する時には、まず「交響曲第8番」と言うであろう、あの交響曲のことです。それが、いまだにこの曲は「第9番」でないと納得できない人が、特にCDなどを購入するクラシックファンの中には根強く残っているものですから、やむを得ずこんな書き方をされてしまうのですね。なんとも不憫なことです。
というか、このCDのライナーノーツを読んでみると、その辺のあまりの無頓着さにがっかりしてしまいます。このライターさんは
フィナーレは、猛スピードのタランテラで、ヴァイオリンはまるでベートーヴェンの交響曲第9番の最後の楽章「歓喜の歌」のように、延々と三連符を演奏し続ける。おそらくこれは、シューベルトが意識していたかどうかはわからないが、彼自身の「第9交響曲」を作っている頃に、彼にとっての音楽的な英雄であったベートーヴェンが亡くなったことに対する追悼の意味があったのかもしれない。

などと書いているのですからね。お分かりでしょうが、この文章には事実誤認が2つもあります。まず、この曲に「第9番」という番号(それも今では「第8番」に変わっています)を付けたのは後世の人で、シューベルト自身ではありませんから、「彼自身の『第9交響曲』」というのはあり得ないということ。さらに、この曲が作られたのは、かつてはシューベルトの最晩年、1828年ごろだと考えられていたものが、最近の研究ではもっと前、1825年ごろだとされているのですから、シューベルトがこの「第4楽章」を作っていた時にはまだベートーヴェンはご存命だったんですよ(亡くなったのは1827年)。したがって、この曲に追悼の意味を込めることもあり得ません。このようなデタラメなライナーを平気で書くなんて、まるで日本の音楽評論家みたいですね。
現在86歳と、いわば「巨匠」と呼ばれてもおかしくない年齢に達しているにもかかわらず、ドホナーニという人にはそれほどのカリスマ性を感じることが出来ないのはなぜでしょう。知名度も低いし(それなーに?)。この曲は最近、実際に演奏する機会があったので、この最新録音で「今」のこの曲の一つの提案を感じてみたかったのですが、特にこれといったインパクトはありませんでした。
第1楽章は、冒頭のホルン・ソロで全体の印象が決まってしまうという恐ろしいものですが、ここでのホルンは変に小細工が施されていて何か軟弱な感じがします。楽章全体は割と締まったテンポでサクサクと進んではいくのですが、やや素っ気ないところもあって、シューベルトらしい抒情性はあまり味わえません。
第2楽章は、これもオーボエ・ソロ頼み。幸い、このオーボエはとても暖かい音色でたっぷり歌ってくれていますし、途中で加わるクラリネットともとてもよく溶け合って、至福の時が味わえます。ただ、フレーズのつなぎの部分でちょっと音楽が停滞して流れが止まってしまうのが残念です。
第3楽章は中間のトリオがちょっと重苦しいリズムに支配されているのが、気になります。
そして、フィナーレでは、さっきの「タランテラ」というイメージとは程遠いもたつきが、ただでさえ長すぎるこの楽章をより退屈なものにしています。この楽章、全部で1154小節もあるって、知ってました?

CD Artwork © Signum Records
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by jurassic_oyaji | 2016-04-28 21:26 | オーケストラ | Comments(0)
RUSSIAN DANCES
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山田和樹/
Orchetre de la Suisse Romande
PENTATONE/PTC 5186 557(hybrid SACD)




すでに日本を代表する指揮者となっている山田和樹さんの現在のポストはというと、スイス・ロマンド管弦楽団首席客演指揮者、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団首席客演指揮者(2016年9月からは音楽監督兼芸術監督)、日本フィルハーモニー交響楽団正指揮者、横浜シンフォニエッタ音楽監督、仙台フィルハーモニー管弦楽団ミュージック・パートナー、オーケストラ・アンサンブル金沢ミュージック・パートナー、東京混声合唱団音楽監督兼理事長という膨大なものになっています。やはり小澤征爾から続く「ブザンソン・ウィナー」という経歴は、間違いなく大指揮者への切符となっているのでしょう。
中でも、オーケストラと並んでプロの合唱団の指揮者としても活躍している、というあたりが目を引きます。そう言えば、デビューしたばかりの小澤征爾も、この合唱団を指揮していましたね。ミュージック・パートナーを務める仙台フィルとのプログラムでも、今年の定期演奏会と特別演奏会ではいずれも「エリア(メンデルスゾーン)」と「カルミナ・ブラーナ(オルフ)」という、大規模な合唱を伴う曲目が選ばれています。
さらに、やはり仙台フィルと昨年行われたコンサート形式の「椿姫」を皮切りに、オペラのレパートリーにも手を広げようとしていますから、これからのさらなる躍進には期待しないわけにはいきません。
CDも、日本のEXTONレーベルから多くのアルバムがリリースされていますし、スイス・ロマンド管弦楽団とはオランダのレーベルPENTATONEからこれまで2枚のSACDが出ていました。それぞれに「フランス」、「ドイツ」というキーワードが秘められたダンス音楽が集められていた、かなり凝った選曲のアルバムでしたが、今回はその「ロシア編」となります。
まずは、この華麗にポーズをとるバレリーナをあしらったジャケットに注目です。このレーベルは最近ジャケットのデザインを一新して、さらにクオリティが上がっていますが、これもレタリングと写真との絶妙なコンビネーションにはうならされます。ただ、この写真と、最初を飾るのがチャイコフスキーの「白鳥の湖」(このタイトルを「はくちょうこ」と短縮するのだけはやめましょうね)だということで、アルバム全体のイメージが固まってしまうような気にさせられるのは、もしかしたら山田さんが仕掛けた巧妙な罠だったと気づくには、それほど時間は必要ではありません。
まず、その「白鳥の湖」の、「華麗」さとは全く縁のない武骨な演奏を聴けば、これが単なる「名曲アルバム」を目指したものではないことはすぐに分かります。最初の「情景」のオーボエ・ソロは、なにか喘いでいるような息苦しさを伴っています。「ワルツ」の低音の重っ苦しさは、とてもフランス語圏のオーケストラとは思えません。「白鳥の踊り」のシンコペーションの、なんと野暮ったいるいことでしょう。そして2番目の「情景」でのハープ、ヴァイオリン、チェロのそれぞれのソリストの持って回った歌い口には、ただの「甘さ」ではない何かを感じないわけにはいきません。
続く、グラズノフの2つの「コンサート・ワルツ」も、単に表面的な流麗さをなぞるだけではない、もっと深いものを引き出そうとしている意志を感じてしまいます。結局、それはこの作品の底の浅さを露呈することにしかならないのですが。
そんな、ちょっとした物足りなさを感じつつ、後半のショスタコーヴィチの「黄金時代」と、ストラヴィンスキーの「サーカス・ポルカ」を聴くと、そんなモヤモヤは一掃されてしまいます。この不健全なアイロニーの塊のような2つの作品にこそは、心の底から共鳴できる音楽が満ち溢れていたのです。もしかしたら、単純にこれだけを聴いたのではそれほどの感銘はなかったのかもしれません。その前にあえて「つまらない」ものを持ってきたからこそ味わえるこの充足感、そんな腹黒い魂胆によって、このアルバムはとびきりの価値を持つことになりました。指揮者の勝ちです。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.
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by jurassic_oyaji | 2016-04-07 23:14 | オーケストラ | Comments(0)
TCHAIKOVSKY/Nutcracker Suite etc
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Leopold Stokowski/
London Philharmonic Orchestra
PENTATONE/PTC 5186 229(hybrid SACD)




生涯に渡って、多くのレーベルに録音を行っていたストコフスキーですが、PHILIPSに関しては1973年と1974年にそれぞれ1枚ずつLPを作っただけでした。そんな貴重なもののうちの1973年の分、ロンドン・フィルとのチャイコフスキー集がSACDでリリースされました。もう一つの1974年の録音はロンドン交響楽団とのチャイコフスキーですから、ストコフスキー/PHILIPS/ロンドン・フィルという組み合わせのアルバムはこれ1枚しかありません。さらに、ロンドン・フィルとのそれ以外の録音も、1969年のDECCAへの「運命」+「未完成」しかないのだそうです。
アメリカを拠点として活躍してきたストコフスキーも、1972年に自ら創設したアメリカ交響楽団の常任指揮者を辞任してからは、故国であるイギリスに戻り、そこで亡くなるまでイギリスのオーケストラとの録音活動を行うことになるのでした。このPHILIPSへの録音の後、1976年には米コロムビアと「6年間」の録音契約を結ぶのですから、それが誠実に履行されていればやがて来るデジタル録音の時代をも体験することが出来たでしょうに。
このPHILIPSへの2枚のLPは、少し前に2枚組のCDがDECCA名義でリリースされていましたが、今回はDECCAからのライセンスで、PHILIPSの血を引くPOLYHYMNIAのエンジニアによってハイブリッドSACDに復刻されたものです。オリジナルは「4チャンネル」のソースでしたから、マルチチャンネルで聴くこともできます。
このアルバムのメインはやはり「くるみ割り人形」でしょう。有名な1940年公開のディズニー・アニメ「ファンタジア」でもフィーチャーされていた「ストコフスキー節」満載のあの怪演が、ここでも味わえるのでしょうか。
「小さな序曲」では、いともまっとうに音楽が始まりました。とても軽やかで、そこからは爽やかささえも感じられます。しかし、次の「行進曲」になったら、なんという速いテンポ、これでは「行進」ではなく「駆けっこ」ですね。おかげで、途中で現れるフルートのダブル・タンギングは、とんでもないことになってしまっています。これは、オーケストラがストコフスキーに馴れていなかったために練習を怠っていたせいでしょう。録音現場でこんなテンポだったことを知らされ、焦ってみても後の祭です。
そして、「金平糖の踊り」こそはストコフスキーの真骨頂、まずは楽譜に手を入れて、最初の弦楽器のピチカートに、ファースト・ヴァイオリンと同じ音でアルコのトレモロを加えています。されに、続くチェレスタのソロも和音をすべてアルペジオで演奏するという形に変えています。そして、とどめは「ファンタジア」でおなじみ、その後のバス・クラリネットの「ミレドシシ♭~」(固定ド)という合いの手のフレーズの最初の「ミ」を、思いっきりテヌートです。いや、それはもはや「テヌート」とは言えないほどの、とても拍の中には納まりきらない長さになっていました。つまり、「ファンタジア」の時点では異様ではあってもかろうじて拍には収まっていたものが、ここではその前のトレモロとアルペジオという荒技を加えることによって、そんな無茶も可能にした、ということでしょう。その結果、この曲からはある種妖艶な雰囲気が漂うことになり、決してほかの指揮者ではなしえない音楽が誕生しました。「ファンタジア」からの30余年、それはまさに、一人の指揮者が芸風を完成させる長い道程だったのです。
これに比べると、他の「イタリア奇想曲」や「エイゲニ・オネーギン」の「ポロネーズ」と「ワルツ」などは、まだまだ「芸なかば」と感じられてしまいます。薔薇族ではありません(それは「ゲイ仲間」)。あるいは、「イタリア奇想曲」でのファンファーレがこんなにしょぼいのは、単にオーケストラとの相性が悪かっただけなのでしょうか。
録音は、PHILIPSにしては珍しい管楽器がかなりオンとなったバランス、こちらの分野では、ストコフスキーはしっかり自分を主張していたようです。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.
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by jurassic_oyaji | 2016-04-02 20:48 | オーケストラ | Comments(0)
STRAUSS/Heldenleben, Rosenkavalier-Suite
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佐渡裕/
Tonkünstler Orchester
TONKÜNSTLER ORCHESTER/TON 1001




佐渡裕が昨年「トーンキュンストラー管弦楽団」の音楽監督に就任したというニュースは、かなりあちこちで取り上げられていましたね。その時にみんなが一様に思ったのは、「『トーンキュンストラー』ってなに?」という疑問でした。「ウィーン・フィル」とか「ベルリン・フィル」というような分かりやすい名前のオーケストラではありませんでしたから、一般の人がそのような疑問を抱くのは当然のことです。たまに「ウィーン・トーンキュンストラー」みたいな呼び方もされることがあって、「そんなオーケストラ、ウィーンにあったかな?」と首を傾げた人も多かったのではないでしょうか。
しかし、このオーケストラは、そんなヤバいオーケストラではありませんでした。創立されたのは1907年、あのウィーンの楽友協会大ホールで、「ウィーン・トーンキュンストラー」という名のもとにデビューを飾っています。後にはフルトヴェングラー、ブルーノ・ワルター、クレンペラーなどの超有名指揮者も指揮台に登っています。1945年からは、オーストリアのウィーンを取り囲むような位置にあるニーダーエストライヒ州のオーケストラとして州都のザンクト・ペルテンを本拠地に活動を始めます。さらに、同じ州にあるグラフェネックでも、毎年音楽祭を開催しているという、活動拠点が3つもあるオーケストラなのです。この頃には、正式名称は「トーンキュンストラー管弦楽団」となっていました。
最近の音楽監督では、佐渡の前がオロスコ=エステラーダ、その前がクリスティアン・ヤルヴィで、それぞれの指揮者によって録音されたCDも多数リリースされています。オロスコ=エステラーダはOEHMS、ヤルヴィはSONY、CHANDOS、PREISERあたりのレーベルから出ていますね。
さらに、PREISERの場合は、ライブ演奏を録音したものはこのオーケストラ仕様の「TONKÜNSTLER LIVE」というサブレーベルが設けられていて、これが事実上の自主レーベルのようになっていました。しかし、今回は佐渡の就任に合わせたように、オーケストラの名前をそのまま使った正真正銘の自主レーベルが発足していました。品番からも分かるように、これはその自主レーベルの「1番目」となるアイテムです。
しかも、このCDの作られ方は、見事に佐渡の本国である「日本」を意識したものになっていました。オーストリアで制作されたインレイには、なんと日本語の曲目表記があるのですよ。ですから、当然ブックレットもドイツ語、英語と並んで日本語に翻訳されたライナーノーツが載っています(訳文はかなりひどい日本語ですが)。日本人がシェフとなったオーケストラの自主レーベルというのは、こういうことになるのですね。
録音のやり方も至れり尽くせり、コンサートのライブを録音するようなお手軽なものではなく、彼らの一つの本拠地であるグラフェネックのコンサートホールを使って、5日間に渡るセッションが設けられました。録音スタッフは、オロスコ=エステラーダのブラームスの交響曲全集を手掛けたPegasus Musikproduktionです。これが素晴らしい音に仕上がっています。全体の響きはとてもすっきりしているのに、個々の楽器はとても芯のある音がしています。おそらくハイレゾ・データでもリリースされるのでしょうから、それだと間違いなくさらに極上のサウンドが楽しめることでしょう。
それだけの器が揃って、これで演奏も極上であれば何も言うことはないのでしょうが、これを聴いても心が動かされるところが全くなかったのは、どういうわけなのでしょう。「英雄の生涯」では、最初のテーマからしてワクワクするようなことがありませんし、いったいどこへ向かって音楽を作っているのか、という意志が全く見えてきません。「ばらの騎士」はもっと悲惨、この曲に絶対あってほしい「色気」が全く感じられません。本当は夢見るように美しいはずの「銀のバラのモティーフ」がこんなに鈍重だなんて。まるで「牛(ぎゅう)のバラ」。

CD Artwork ©c Niederösterreische Tonkünstler Betriebsgesellschaft m.b.H.
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by jurassic_oyaji | 2016-03-21 20:32 | オーケストラ | Comments(0)