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カテゴリ:オペラ
  • MOZART/Apollo et Hyacinthus
    [ 2012-05-15 20:33 ]
  • LLOID WEBBER/Love Never Dies
    [ 2012-03-16 20:34 ]
  • STRAUS/Die lustigen Niebelungen
    [ 2012-03-08 20:49 ]
  • Helden
    [ 2012-03-04 21:30 ]
  • LLOID WEBBER/The Phantom of the Opera at the Royal Albert Hall
    [ 2012-01-29 22:20 ]
  • Arias
    [ 2011-12-07 20:51 ]
  • VERDI/Il Trovatore
    [ 2011-11-11 19:54 ]
  • WAGNER/Der Fliegende Holländer
    [ 2011-08-21 22:55 ]
  • Beauty of the Baroque
    [ 2011-06-26 23:21 ]
  • ROSSINI/Arias
    [ 2011-06-14 22:58 ]
MOZART/Apollo et Hyacinthus

Andrew Kennedy(Oebalus), Klara Ek(Melia)
Sophie Bevan(Hyacinthus), Lawrecne Zazzo(Apollo)
Christopher Ainslie(Zephyrus)
Ian Page/
The Orchestra of Classical Opera
LINN/CKD 398(hybrid SACD)




スコットランドにある「Linn Products」と言えば、昔から超高級オーディオ・メーカーとしてマニアの間では知られていました。とても手が出そうもない価格の製品を見ながら、「いつかはLinnを」と自虐的に呟いている人はたくさんいることでしょう。最近では、パソコンやインターネットを駆使した「ネット・オーディオ」という新しい分野でも、このメーカーは指導的な立場に立って、次々と魅力的な製品を出しています。彼らが提唱している「DS」(ゲーム機じゃないですよ。「Digital Stream」の略語です)という概念は、いずれはオーディオ界の主流となっていくのでしょうか。
このメーカーの強みは、「Linn Records」というソフト部門を持っていることでしょう。ここで録音された音源は、まさに最高のオーディオ・システムで再生されることを前提としているのですから、その音が素晴らしいのは当たり前の話です。同じようなソフトとハードを両方とも手がけているメーカーは、例えばPHILIPSとかSONYのようなところがありましたが、その両者が手掛けたSACDは、もうこのレーベルから発売されることはありません。その点、Linnの場合は、大メーカーが多くのしがらみの中で必ずしもなしえなかった、「最高」のものを目指して、妥協のないアプローチで臨んでいけるのでしょう。
ネット・オーディオに関しては、まだ何とも言えませんが、パッケージ・オーディオではほとんどすべてのアイテムをSACDで出してくれているのが、そんな「最高」を目指す証でしょうか。今回は、このレーベルにとって2枚目となるオペラ、モーツァルトの「アポロとヒュアキントス」です。
M22」に従えば、モーツァルトにとっては2番目のオペラとなるこの作品は、彼が11歳の時の1767年に、ザルツブルク大学付属のギムナジウムで上演するために委嘱されたものです。この学校では、教育のためにラテン語による演劇やオペラを上演する伝統がありました。この作品の台本は、そこの教師で司祭だったルフィヌス・ヴィドルによって書かれています。ヴィドルは、ギリシャ神話に題材をとって、アポロ、ヒュアキントス、そしてゼフィルスの「三角関係」を描こうとしたのですが、オリジナルのままではあまりにも露骨なホモセクシャルの内容になってしまうので、「教育」にはふさわしくないと、新たに女性のキャラを加え、あくまでストレートの世界であるように改変しています。
その、最もノーマルなキャラのメリア姫を歌っているエクが、とても伸びのある可憐な声で楽しませてくれます。それに対して、3人の「神」は、本来は男性の役なのでしょうが指定は女声パート、アポロはソプラノ、あとの二人はカウンターテノールで歌われています。一番の「悪者」であるゼフィルス役のエインズリーが、とても個性的な声で見事な表現力を見せてくれています。
これはもちろんセッション録音ですが、キャストはこのために集められたものではありません。彼らはすでに1997年から「クラシカル・オペラ」という、指揮者のペイジを中心としたカンパニーを結成していて、様々なオペラハウス(その中には、コヴェント・ガーデンのような高ランクのところも含まれます)で、モーツァルトとその同時代の作曲家たちの多くのオペラを上演してきているのですね。もうすでに完成された形になったものが、LINNのスタッフによって録音されるのですから、悪いものが出来上がるはずがありません。さらに、ここでは録音ならではの工夫も見られます。オペラの中には「雷」や「風」が登場するのですが、それは、まるであのジョン・カルショーのような、効果音にもきちんと出演者としての魂を込めるのだ、といったとした意気込みがビンビン感じられるような、リアリティあふれるものでした。
これからも、彼らの録音からは目が離せません。

SACD Artwork © Linn Records
by jurassic_oyaji | 2012-05-15 20:33 | オペラ | Comments(0)
LLOID WEBBER/Love Never Dies





Ben Lewis(Phantom)
Anna O'Byrne(Christine)
Simon Gleeson(Raoul)
UNIVERSAL/GNXF-1432(BD)




先ごろ「25周年」を迎え、その記念公演も華々しく行われたアンドリュー・ロイド=ウェッバーの「オペラ座の怪人」の「続編」が出来たのだそうです。「オペラ座の怪人2」ではあまりに芸がないのか、「ラヴ・ネバー・ダイズ」という、納豆みたいな(それは「ネバネバ大豆」)タイトルになりました。
ロンドンで初演されたのは2010年、その時にはラミン・カリムルーとシエラ・ボッゲスという、その「25周年」の時の最強コンビがキャスティングされていました。しかし、今回収録されたのは、その翌年、オーストラリアで行われた公演の模様だったのには、ちょっとがっかりです。
いや、失望したのはキャストだけではありませんでした。それは、物語の設定から音楽まで、すべてに於いてあの名作には到底及ばないお粗末なものだったのです。
時代は、前作の10年後、「あの事件」の後、ラウルと結婚したクリスティーヌには、一人の男の子がいました。しかし、彼女の結婚生活は必ずしも幸せなものではありませんでした。ラウルはギャンブルで多額の借金を抱えていますし、なによりも息子があまり自分になついていないことにいら立ちを覚えています。そんな時、クリスティーヌにニューヨークのオペラハウスから、高額のギャラでの出演依頼が舞い込みます。破産を免れるためには他に道はないと、3人はニューヨークへ向かうのでした。
ところが、それは愛する人をラウルに奪われてしまったファントムの罠だったのです。ファントムは前作では死んではおらず、密かにマダム・ジリー親子の手引きでアメリカに渡り、今では見せ物小屋の館主として大成功を収めていたのでした。しかし、彼の創作の源はクリスティーヌ、なんとか、一目彼女に会ってその歌を聴きたい、という切ない思いを持ち続けていたのです。
しかし、彼はクリスティーヌの息子のグスタフに会うと、その音楽的な才能に驚くとともに、ある疑惑が頭をもたげます。それに答えるクリスティーヌの衝撃の告白、グスタフこそは、ファントムと交わった一夜(そんなこと、ありましたっけ?)に授かった子供だったのです。
とまあ、なんとも低次元の話が進んでいくわけです。しかし、これで驚いていてはいけません。この先にはさらに衝撃のエンディングが待っているのですからね。
もちろん、例えば「マンマ・ミーア!」のように、本当にどうしようもないストーリーのミュージカルはいくらでもありますし、オペラに至っては「魔笛」にしても、あの超大作「指環」にしても、とても普通の感覚ではついていけないものばかりですから、それほど気にすることはありません。
ただ、物語の背景となる部分の設定が、前作とは極端に異なっていることに関しては、ミュージカルとしての楽しみがかなり損なわれているのでは、という危惧があります。これは、ボーナス・トラックのインタビューで作曲者自身が「敢えて前作とは全く違う設定にした」と語っていますから、しっかりとしたコンセプトに基づくものではあったのですが、それにしても「オペラ座」から「見せ物小屋」への没落は、あまりにも落差が大き過ぎます。というより、正直このあたりのグロテスクな趣味(もちろん、キャスティングも含めて)に付いていくにはかなりの忍耐が必要になってきます。
そして、決定的なのが、音楽のつまらなさです。ロイド=ウェッバーの魅力はキャッチーなメロディ、どんな作品にでも、一度聴いただけで虜になってしまうとびっきりのナンバーがあったはずなのに、ここではそれが見あたらないのです。確かに、そこそこ盛り上がる部分はありますが、それはなにか「二番煎じ」としか感じられないものでした。
本編を凌ぐ「2」が作られることは極めて希です。ロイド=ウェッバーの才能を持ってしても、それは成し遂げられることはありませんでした。いや、そもそも才能の「枯渇」?

BD Artwork © Really Useful Group Limited
by jurassic_oyaji | 2012-03-16 20:34 | オペラ | Comments(0)
STRAUS/Die lustigen Niebelungen

Michael Nowak(Siegfried)
Gudrun Volkert(Brunhilde)
Martin Gantner(Gunther)
Siegfried Köhler/
WDR Rundfunkchor und Orchester Köln
CAPRICCIO/C5088




「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス・ジュニアの家系とは全く関係のないオスカー・シュトラウス(最後の「s」が一つだけのシュトラウス)は、しかし、「s」が2つのシュトラウスたちが作り上げたウィーンのオペレッタの伝統を、しっかりと守り続けることに貢献していました。「ワルツ王」が亡くなってから5年後の1904年に、この「愉快なニーベルンゲン」が上演された時には、評論家たちはこぞって新しいオペレッタの誕生を褒め称えたのです。
今となっては知る人もいなくなったと思われがちなこの作品ですが、実は2008年にはウィーンで久しぶりの上演が行われ、改めてその魅力が広く知られるようになっています。それに先立つ1995年に録音され、リリースされたのが、このCDです。今回、それが装いも新たに再発されました。
題名から想像できるように、これはあのワーグナーの大作、「ニーベルングの指環」を元ネタにした「パロディ」です。ただ、タイトルにある「lusutigen」という言葉は、シュトラウスと同じ年に生まれたやはりオペレッタ作曲家として有名なフランツ・レハールの代表作「Die lustigen Witwe」(「The Merry Widow」という英語表記の方が、お馴染み)とは、やはりなにか関係がありそうですが、こちらは1905年の初演ですから、パクったとすればレハールの方でしょうね。
出演者の名前などにはワーグナーのものとは若干異なるところもありますが、ジークフリートとブリュンヒルデはしっかり登場します。ただ、一応「主演」の扱いを受けているのが、元ネタではかなり地味な役だったグンターだというのが、面白いところです。主に「神々の黄昏」が軸にはなっていますが、ブリュンヒルデの設定が「自分に求婚してきた人と闘って、負けたら結婚するが、勝ったときには殺してしまうお姫様」というのは、まさに「トゥーランドット」ですね。ただ、プッチーニがこのオペラを作った(途中まで)のは1926年ですから、これも「逆パクリ」?まさかね。でも、「暗闇で抱き合っているところに、急に人が集まってくる」というのは、「トリスタン」ですよね。
音楽は、ワーグナーとは全く関係のない、唐突にワルツを踊りだすわ、早口言葉は出てくるわ、華やかなオーケストラがひたすら盛り上げるわ、といった、オペレッタそのものの軽やかなものが続きます。ジークフリートがお風呂に入っているときの歌「Ich hab' ein Bad genommen(いい湯だな)」のユルさと言ったら、爆笑ものですよ。ただ一箇所だけ、クリームヒルトという、ワーグナーの場合のグートルーネに相当する人の歌うロマンス「Einst träumte Kriemhilden(クリームヒルトの夢)」が、「ローエングリン」の「エルザの夢」によく似ています。
もちろん、ワーグナーのテーマである「黄金」も登場しますよ。ただし、ここでジークフリートが持っているのは指環ではなく袋いっぱいの金貨なんだそうです。それも、ライン川の川底に埋めてあるのではなく、しっかり「ライン銀行」に預けてあって、金利が6%なんですって。いつの時代の話なのでしょう。結局、愛情はそっちのけで「お金さえあれば、みんな幸せ」と丸く収まる、情けないお話となるのでしょうね。そんな金銭のやりとりを歌うときに、元の「ラインの黄金(Rheingold)」に引っかけて「俺の金(mein Gold)」だの「おまえの金(dein Gold)」といった、まさにオペレッタならではの言葉遊び(おやぢギャグとも言う)が飛び交うのが笑えます。
ただ、このCDには、ドイツ語と英語の「梗概」は付いていますが、リブレットなどはどこにもありません。そんな時には、よくネットでダウンロード出来るような措置が施されているものなのですが、それもありません。ですから、本当のおかしさなどは伝わってきようもありませんね。もちろん、かなりマイナーな出演者の経歴なども知ることは出来ません。ブリュンヒルデを歌っている人は、どうも男性のような気がするのですが、それすら確かめようがありませんし(実際は女性でしたが)。

CD Artwork © Capriccio
by jurassic_oyaji | 2012-03-08 20:49 | オペラ | Comments(0)
Helden



Klaus Florian Vogt(Ten)
Peter Schneider/
Orchester der Deutschen Oper Berlin
SONY/88697988642




リヒャルト・ワーグナーの曾孫であるカタリーナ・ワーグナーが、30歳になったばかりという若さでバイロイト音楽祭のトップに座ったことで、この音楽祭もずいぶん変わったものになりました。それまでは、タキシードやイブニング・ドレスに身を包んだ人たちが、まさに「聖地」に「詣でる」といった、ある種特権階級のためのもののようなイメージがあったものですが、今ではなんと街中の広場に巨大モニターが設置され、この「聖堂」の模様が短パンやタンクトップ(もしかしたらトップレス)姿で誰でも見られるようになっているのですからね。
さらに、インターネットや衛星中継でHD映像を同時生中継などという、まさに夢のようなことまで行われるようになりました。昨年のその「生中継」の演目は、奇しくもその44年前の「世界初衛星生中継」の時と同じ「ローエングリン」でした。しかし、もちろん演出はヴォルフガング・ワーグナーのものから、鬼才、ハンス・ノイエンフェルスのものへと変わっていました。その、ネズミの大群やら胎児などが登場するグロテスクなプロダクションでタイトル・ロールを務めていたのが、クラウス・フローリアン・フォークトです。彼は、そんな刺激的な舞台の中で、全世界に向けて刺激とは無縁の甘い歌声をノーテンキに垂れ流していたのです。いや、その声は別にノイエンフェルスの舞台でなくとも、そもそもワーグナーを歌うテノールには必ず求められるキャラクターを、完璧に欠いていたのです。
フォークトの声を初めて聴いたのは数年前、「大地の歌」のCDでした。それは、まさに衝撃的な出会いでした。いえ、別にその声の素晴らしさに驚いたわけではなく、こんな声の人がワーグナーの「ヘルデン・テノール」として、高い評価を受けていることを知ってしまったからです。その時は、本気で冗談ではないかと思ったものです。この人の声には、これまで聴いて来た「ヘルデン」とされている他のテノール、たとえば往年のジェス・トーマスやヴォルフガング・ヴィントガッセン、最近だとサイモン・オニールやヨナス・カウフマンなどに共通している「力強さ」がまるでないのですね。共鳴のポイントがもっと高いところにあって、半分ファルセットが混じっているような、声の質としてはワーグナーで言えばローゲやダーヴィッドのような「軽さ」が全面に出ているものなのです。そんな役を得意としていたペーター・シュライヤーを、さらにナヨナヨにした声、いや、もっと似た声を探すとすれば、あのアンドレア・ボチェッリあたりかもしれませんよ。あのぽっちゃりしたボチェッリがローエングリンを歌う姿なんて、想像できますか?そんなおぞましいことを実現してしまったのが、フォークトなのですよ。絶対、なにかが間違っています。
ただ、世の中にはこんなローエングリンを絶賛する人も、なぜか存在するのですね。そして、ついに「ヘルデン」などという恐ろしいタイトルのこんなソロアルバムまで出てしまいました。まさに「怖いもの見たさ」で聴いてみましたよ。
確かに、ここにはとても「美しい」ワーグナーがありました。大好きな「Winterstürme wichen dem Wonnenmond」などは、そのとろけるような甘さについ心が奪われてしまいそうになります。しかし、その美しさの中には、同時にはかなさも感じられてしまいました。確かにワーグナーの作品に「はかなさ」は欠かせませんが、ここにあったのはそれとは微妙に異なる、なんとも薄っぺらな「はかなさ」だったのですね。それは、同じアルバムの中のコルンゴルトの「死の都」あたりではかろうじて通用するものかもしれませんが、ワーグナーでは決して通用することのないものであることを、このアルバムは見事に証明してくれています。
フォークトのことを「ヘルデン」だなどと思いこんでいる人たちが、いつかは目が覚めることはあるのでしょうか。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
by jurassic_oyaji | 2012-03-04 21:30 | オペラ | Comments(1)
LLOID WEBBER/The Phantom of the Opera at the Royal Albert Hall




Ramin Karimloo(Phantom)
Sierra Bogges(Christine)
Hadley Fraser(Raoul)
Anthony Inglis(Cond)
UNIVERSAL/GNXF-1418(BD)




1986年に初演されたアンドリュー・ロイド・ウェッバーのミュージカル「オペラ座の怪人」は、昨年25周年を迎えました。それを記念して201110月1日と2日に開催されたのが、この「25周年記念公演」です。ただし、それは単に今まで世界中の劇場で延々と続けられていた公演とは一線を画す、とてつもないスケールを持ったものでした。まず、会場には、普通のミュージカル用の劇場ではなく、ロイヤル・アルバート・ホールという、あのBBCの「プロムス」でおなじみの巨大なコンサートホールが使われています。スタッフは学生ばかり(それは「アルバイト・ホール」)。収容人員7000人という比類のないキャパ、もともとコンサートのためのステージしかなかったものを逆手にとって、ホール全体を使っての演出が取り入れられ、出演者も通常の3倍に増やされています。さらに、すでにオペラの世界では日常的に用いられるようになった「ライブ・ビューイング」の手法によって、リアルタイムにヨーロッパやアメリカの劇場や映画館でスクリーン上に公演の模様を再現していたのです。
もちろん、この映像素材は、日本の映画館でも昨年末から大都市での上映が始まり、今でも地方都市での上演が続いています。その素材がついにBD化、この画期的なステージの模様が「お茶の間」で楽しめるようになりました。なんでも、映画館で使われたデータはコマ数を変換する時のトラブルで、音声に欠陥があったそうですが、BDではそんなことはありませんから、もしかしたら映画館よりも「良い音」で楽しめるようになっているのかもしれません。
とは言っても、やはり映像はいくら大画面モニターであっても、映画館のスクリーンとはスケールが違うのでしょうね。最初の頃は、ホール全体のアングルでは細かいところが分からず、いったい、そこで何が行われているのか的確には把握できない状態が、しばらく続いてしまいました。しかし、次第にカメラワークに慣れてくれば、その仕組みは次第にはっきりとしてきて、そこに注がれているエネルギーがいかにハンパではないことを思い知ることになるのです。
まずは、オーケストラ。このホールにはオーケストラ・ピットはありませんから、ステージの後の一段高くなったところに配置されています。出演者は、ステージの前にあるモニターで、指揮者を見ることになります。総勢45人ほどの小ぶりの編成(弦のプルト数は4-2.5-2-2-1.5)ですが、劇場のピットでのしょぼいオケに比べたら、格段に深い響きです。弦楽器はいかにもしっとりと聴こえてきますし、なによりも「序曲」などではこのホールに備え付けのオルガンが加わるのですから、そのサウンドはまさに「本物」の重厚さを持つものでした。
そして、コンサートホールを劇場に変えてしまうマジックをかなえたのが、ロック・コンサートなどでおなじみのLEDスクリーンでした。クリスティーヌがファントムに連れられてやってくる地下の湖のシーンでは、劇場と同じように床から燭台がせり出してくるのを、このスクリーンによって体験することが出来ます。背景を瞬時に変えられるのですから、場面転換も極めてスムーズに運んでいました。
そんなお膳立ての上での、劇場と同じ繊細さを持った演技や歌は、感動的でした。キャストたちはすべてハイレベルの人たちばかり、中でもファントム役のカリムルーの声の多彩さには、圧倒されてしまいます。
一応「お祭り」ですので、アンコールでは25年前のオリジナル・キャストが登場して歌うというオマケがついていました。なんとも皮肉なことですが、彼(彼女)らの「芸」によって、この作品は25年をかけてまさに「オペラ」を超えるほどのとてつもないクオリティを築き上げていたことが実証されていたのです。ほんと、OCCDを聴き直してみると、マイケル・クロフォードのファントムなどはまるでシロートです。

BD Artwork © Universal Studios
by jurassic_oyaji | 2012-01-29 22:20 | オペラ | Comments(0)
Arias



Christine Schäfer(Sop)
Julien Salemkour/
Symphonie-Orchester Berlin
SONY/88697914002




クリスティーネ・シェーファーのアルバムは、最近はもうほとんど「アート」と化しています。別にカミソリのオブジェが登場するわけではありませんが(それは「シェーバー」)、なにしろ、このジャケットには全然字がないのですからね。この写真で全てを語る、というコンセプトなのでしょうが、こんなどぎついメークにソフトクリームのような鬘では、この人がシェーファーだなんて、分かりませんよ。ブックレットの中にも、やはりこんなお人形さんみたいなコスプレの写真がてんこ盛りですが、どれを見ても「こんなの、シェーファーじゃないやいっ!」と言いたくなるようなけばけばしさです。「アート」もほどほどにして欲しいものです。
字がなければ、アルバムのタイトルも分かりません。一応背中に書いてあるのが「Arias」という単語、とりあえず「オペラアリア集」でしょうか。確かに、このアルバムは「オペラアリア」を集めたものには違いありませんが、ふつうその様に呼ばれている、いわば「名曲集」といった趣は、ここには全くありません。そもそも、「トリ」として最後に演奏されているのがメシアンの「アッシジの聖フランチェスコ」という、「オペラ」と呼ぶにはあまりに型破りな作品なのですからね。
そう、そんな「型破り」こそが、シェーファーの真骨頂なのでしょう。そんじょそこらの甘ったるい「オペラアリア集」とはまるで違った、これ自体が彼女の「作品」であるかのようなぶっとんだ「アリア集」を楽しんでみようではありませんか。
最初に登場するのが、リヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」からの、「作曲家」のナンバー「Sein wir wieder gut」です。これはまず、オーケストラの華麗な響きによってなにか別の世界へ引き込まれてしまいます。シュトラウスならではの仕掛けが満載のオーケストレーション、そこからはまさに退廃的な香りがぷんぷんと漂ってきます。おそらく、このあたりの感触を、ジャケットの写真は表現しているのでしょう。しかし、彼女の声はあくまでクールです。退廃の海の中にあっても、決してそれに溺れることなく自らを律すると言う芯の強さこそが、彼女の持ち味に違いありません。
次は一転してバロック・エラに突入です。ヘンデルの「セメレ」から「O sleep, why dost thou leave me?」。彼女のクールさは、バロックゆえにさらに磨きがかかります。
かと思うと、その直後に今度はベッリーニの「夢遊病の女」からの「Ah! non credea mirarti」といったベル・カントを披露です。バロックとは正反対の表現力を必要とされるものですが、そのコロラトゥーラは彼女にとってはいとも御しやすいものなのでしょう。ただのテクニックに終わることのない確かな華麗さが光ります。
その様な流れの中では、アルバム中最もベタなナンバー、ヴェルディの「オテロ」からの「Canzone del salice」と「Ave Maria」でさえも、いとも新鮮な味で迫ってきます。シェーファーがヴェルディを歌うと、過剰な感情を排した分、リアリティが増すのでしょうね。
このアルバムでは、時折「箸休め」といった感じでオーケストラだけの演奏が挟まります。ビゼーの「アルルの女」の「アダージェット」などは、見事にシェーファーのコンセプトを反映したクールなものでしたし、シェーンベルクの「Farben」などは、逆に暖かさに包まれていて、興味深いものでした。
そのシェーンベルクに導かれて、メシアンの登場です。天使がタイトル・ロールに向けて語る「Ah! Dieu nous éblouit par excès de Vérité」は、例えばナガノ盤でのアップショーなどとは微妙に異なるアプローチ、メシアン独特の音列から「凄み」のようなものが発散しています。そして、バックのオケはまさに完璧でした。ピッコロによる鳥の声の模倣は背筋が寒くなるほどのインパクトがあります。エンディングでの、オンド・マルトノの絶妙なモレンドとともに完結するシェーファーの世界、見事です。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
by jurassic_oyaji | 2011-12-07 20:51 | オペラ | Comments(0)
VERDI/Il Trovatore

Simone Kermes(Leonora), Herbert Lippert(Manrico)
Miljenko Turk(Il Conte), Yvonne Naef(Azucena)
Michael Hofstetter/
Chor der Ludwigsburger Schlossfestspiele
Orchester der Ludwigsburger Schlossfestspiele
OEHMS/OC 951




1972年にヴォルフガング・ゲンネンヴァインによって、南ドイツのシュトゥットガルトの北方15㎞ほどのところにある風光明媚な街ルートヴィヒスブルクで始められた「ルートヴィヒスブルク城音楽祭」は、毎年夏にシュトゥットガルトなど、州内にあるオーケストラのメンバーや大学の先生、学生によってオーケストラが結成され、オペラなどが演奏されてきました。
2005年からは、ミヒャエル・ホーフシュテッターが首席指揮者となって、そのオーケストラに「古楽」のフィールドで活躍している演奏家を迎え、新しい方向性を持った活動を始めることになりました。それは、いわゆるピリオド楽器、ピリオド奏法を用いた演奏によって、さまざまな時代のオペラを上演しようという試みです。もちろん、バロック時代のオペラについては、その様なアプローチはすでに日常的に行われていますが、これは、さらにその範囲を近代まで広げて展開しようというものなのでしょう。
そこで登場したのが、2009年の音楽祭での公演のライブ録音、ヴェルディの「トロヴァトーレ」です。同じ時代のワーグナーのオペラをピリオド楽器で演奏したものはありましたが、ヴェルディに関しては、これはほとんど初めてのことなのではないでしょうか。
確かに、このオペラが作られたのは1852年ですから、使われていた楽器は現代とはかなり異なっていました。フルートなどは、ベーム管がやっと発明された頃ですから、イタリアのオペラハウスではまだ使われていたはずはありません。さらに、注目しなければいけないのが、「チューバ」のパートに用いられていた楽器です。こちらの本で詳しく述べられているように、ヴェルディは時代によって3種類の楽器を指定しています。初期には「バスホルン」、中期には「オフィクレイド」、そして後期には「チンバッソ」と呼ばれているバルブ式のバス・トロンボーンです。
さらに、弦楽器では現代のようなスチール弦ではなく、ガット弦が使われていましたし、トゥッティではほとんどビブラートをかけないで演奏されていたはずです。
この録音を聴いてみると、まずその弦楽器の響きがとても「ピュア」に響いていることが感じられます。それは某ノリントンが、すぐそばのオーケストラで行ったちょっと無理のある「ピュア」さではなく、もっとナチュラルで心地よいものでした。それだけで、今まで聴いてきた脂ぎったヴェルディのイメージが一掃されてしまいます。最初にアズチェーナが歌った「ジプシー(ピー!)のテーマ」を、後に弦楽器がピアニシモで演奏するところなどは、鳥肌が立つほどのゾクゾク感が味わえます。
フルートだけではなく、木管セクションはそれぞれ鄙びた音色の楽器を使っているようで、木管だけのアンサンブルもとてもしっとりとした響きになっています。あいにく、低音の金管楽器が何なのかまでは、音だけでは確認できませんでした。
せっかく、「オリジナルの響きの楽器」を売り物にしているのですから、本当はメンバー表か、せめて演奏している写真ぐらいは付けて欲しかったものです。というより、このブックレットは対訳すら載っていないというお粗末なものなのですね。そんな薄っぺらなものが、なぜか今ではほとんど見かけない厚ぼったいケースに入っているものですから、日本の代理店が作った「帯」も、最初にあった普通サイズのケースのためのミシン目とはぜんぜん別のところで折られている、というみっともないことになっていました。
歌手の中で「これだ」と思ったのは、その「帯解説」では触れられていないルーナ伯爵役のトゥルクでした。この人は、2006年のモーツァルト祭の時のDVDでも、ホーフシュテッターの指揮で歌っていたのですね。その伸びやかでソフトなバリトンは、さらに磨きがかかっとるくようでした。

CD Artwork © OehmsClassics Musikproduktion GmbH
by jurassic_oyaji | 2011-11-11 19:54 | オペラ | Comments(0)
WAGNER/Der Fliegende Holländer

Albert Dohmen(Der Holländer), Ricarda Merbeth(Senta)
Robert Dean Smith(Erik), Matti Salminen(Daland)
Rundfunkchor Berlin(by Eberhard Friedrich)
Marek Janowski/
Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin
PENTATONE/PTC 5186 400(hybrid SACD)




ワーグナーの「指環」全曲を世界で最初にステレオでスタジオ録音したのは、1950年代の終わりから1960年代にかけての、ご存じジョン・カルショーのひきいるDECCAのチームでした(指揮はショルティ)。1980年代に入ると、レコードは「デジタル録音」で作られるのが普通になってきます。そこで最初にデジタル録音の「指環」全曲を作ったのが、ヤノフスキでした。これは、東ドイツ、西ドイツ、そして日本のレーベルが共同制作したものでしたね。
そんなワーグナー録音の歴史の中でエポック・メイキングな仕事を残しているヤノフスキが、今回は、なんと2013年のワーグナー生誕200年を見据えて、今年から3年計画でワーグナーの「オランダ人」以降の全10作品を、PENTATONEからハイレゾ録音によるSACDでリリースするというプロジェクトを開始しました。もちろん、それは世界最初のSACDによるワーグナー・ツィクルスとなるはずです。またもや、ヤノフスキは「歴史」を作ることになります。
その最初を飾るのが、この「オランダ人」です。今の世の中、スペックはSACDになったとしても、もはやスタジオ録音は望めませんから、コンサート形式による全曲演奏のライブ録音なのは、仕方のないことでしょう。そんな贅沢は言いませんから、きちんと計画通りにリリースが運ぶように、各方面には頑張ってほしいところです。なにしろ、最後となる「神々の黄昏」は、2013年の11月にリリースするのだ、と言いきっていますからね。それで、その前の9曲のSACDに同梱されているヴァウチャー券を全部集めると、その「黄昏」が半額で買えるのだそうです。ちょっとせこいですね。日本のユニバーサルでさえ、SACDを4枚買えば、1枚タダでもらえたというのに。
このコンサートが行われたのは、ベルリンのフィルハーモニーです。この、非常に音場のくっきりしているSACDでは、ソリストや合唱はステージの後で、左右に別れて歌っているように聴こえます。ですから、まずオーケストラの楽器が非常に明晰に聴こえてきます。そして、ヤノフスキは、あたかも主役はオーケストラだ、と言わんばかりに、序曲からとてつもなく早いテンポでイケイケの音楽を作ってきます。その勢いは、最後まで止まることなく続き、もうあっという間に全曲が終わってしまうという感じです。トータルの演奏時間は2時間6分ですって。別にカットも行っていないようなので、これはものすごい速さであることが分かります。
特に盛り上がるのは、第3幕(幕間は開けずに、続けて演奏される形、もちろん、慣用版です)に入ってから、ノルウェーの水夫たちの合唱からゼンタの救済まで、もう息つく暇もありません。それを支えるのが、2000年からノルベルト・バラッチュの後任としてバイロイトの合唱指揮を任されているエーベルハルト・フリードリッヒに率いられたベルリン放送合唱団です。言葉がとても明瞭な上に、1音たりとも手を抜いていない完璧な歌唱、こんなすごい合唱はまずオペラハウスで聴くことはできません。オランダ船の水夫たちの合唱が出てくるところの表情などは、まさにショッキング。これを聴くだけで、買いたくなることでしょう(それは「ショッピング」)。
それに比べると、メインのキャストは、高音系はなんかピリッとしたところがありません。ゼンタのメルベスは、ヤンソンスのマーラーの2番の時にもあまり心地よい音程ではなかったのですが、ここではさらにひどい音程になっています。エリックのスミスも、ドイツ語のディクションの悪さもあって、声に酔うというまでにはいきません。そこへ行くと、オランダ人のドーメンは、真にコントロールの行き届いた、細やかな表情を聴かせてくれていたのではないでしょうか。ダーラントのサルミネンも、まさに至芸です。
この先、はたして何枚のヴァウチャー券が手に入ることでしょう、次回の「パルジファル」は、このテンションでやられるのはちょっときついので、パスしたっていいかも。

SACD Artwork © PentaTone Music b.v.
by jurassic_oyaji | 2011-08-21 22:55 | オペラ | Comments(0)
Beauty of the Baroque


Danielle de Niese(Sop)
Andreas Scholl(CT)
Harry Bicket/
The English Concert
DECCA/478 2260




今や、世界中のオペラハウスから引っ張り凧となっているダニエル・デ・ニースの、3枚目となるDECCAからのソロアルバムです。これまではヘンデル、モーツァルトときていましたが、ここでは「バロックの美しさ」というタイトルで、ダウランドからバッハまでをカバーしている幅広い選曲となりました。バックを支えるのも、クリスティ、マッケラスのあとは、やはりこの時代の音楽のスペシャリスト、ハリー・ビケット率いるイングリッシュ・コンサートです。イギリスのティータイムには欠かせません(それは「ビスケット」)。
とは言っても、最初はバンドではなくリュート1本の伴奏で、ダウランドのリュート歌曲が始まります。有名な「Come again」など、カークビーあたりのしっとりとした歌い方に慣れてしまっていると、ちょっとした戸惑いを覚えるほど、それはエスプレッシーヴォに満ちたものでした。なによりも、彼女の最大の特徴である豊かな色彩感が、とてもインパクトを持って迫ってきます。歌われている英語も、なんとリアリティを持って届くことでしょう。これは、別に深刻ぶって歌うような曲ではなかったのですね。そう、これはまさに彼女ならではの、個性あふれるダウランド、なんだか目から鱗が落ちるような思いです。
続いて、ヘンデルの定番、「Ombra mai fu」が歌われます。キャスリーン・バトルによってべったりと手垢が付けられてしまったこの曲、デ・ニースは基本的にはそんな路線に沿っているかに見えますが、その歌の中にはもっと直接的に訴えるものが込められていると感じられるのはなぜなのでしょう。それは、おそらくヘンデルの様式感をしっかり踏まえた上での自由な表現がもたらすものなのかも知れません。このアルバムではヘンデルが5曲も歌われていますが、そのどれもがコロラトゥーラのスキルも含めて、しっかりとヘンデルらしさを、情感たっぷりに聴かせてくれるものでした。
パーセルの「ディドの死」なども、彼女が歌うとその悲しみが等身大のものに思えてくるから不思議です。息づかい一つとってみても、そこには間違いなく共感を呼ばずにはおかない心情が表現されています。
今回はゲストとして、カウンター・テノールのアンドレアス・ショルが加わっています。彼とのデュエットが聴かれるのは、まずモンテヴェルディの「ポッペアの戴冠」から「Pur ti miro」。ショルの芸風はそんなに堅苦しいものではないと思っていたのですが、こうしてデ・ニースと一緒に歌っていると、やはり弾け方が違うな、という気になってきます。もう1曲、ペルゴレージの「スターバト・マーテル」でも、その印象は変わりません。この二人は同じフィールドの歌い手としてとらえるべきなのでしょうが、デ・ニースが時折見せる肉感的な表情には、やはりショルとは違う世界が感じられてしまいます。
最後には、バッハが登場します。「結婚カンタータBWV202」と「狩りのカンタータBWV208」という有名な世俗カンタータから2曲のアリアです。ここで彼女が、同じバッハでも宗教曲や教会カンタータを選ばなかったのは、賢明なことでした。確かに彼女はバロックの様式はしっかり身につけているのですが、それは主にオペラにおける表現様式、オペラとは無縁のバッハの音楽では、ギリギリの所で逸脱しかねない危なさを秘めています。ですから、ここで演奏されているものあたりが、かろうじて彼女の資質で歌える限界のような気がします。ヘンデルとバッハは並んで語られることの多い作曲家同士ですが、実は根本は全く別のものを目指していたことが、デ・ニースの歌を聴くことによってはからずも明らかになっているのではないでしょうか。
SACDを聴き慣れていると、この録音はなにか平板なものに感じられてしまいます。ソプラノ・ソロや、特にトランペット・ソロなどは、SACDであればもっと浮き出して聴こえてくるはずです。

CD Artwork © Decca Music Group Limited
by jurassic_oyaji | 2011-06-26 23:21 | オペラ | Comments(0)
ROSSINI/Arias



Julia Lezhneva(Sop)
Marc Minkowski/
Sinfonia Varsovia
NAÏVE/V 5221




ユリア・レージネヴァという、ロシア出身のソプラノのデビュー・ソロアルバムです。一瞬「デビュー?!こんなおばさんが!」と思ってしまうぐらい、見方によってはとんでもない高齢者にも思えてしまうようなジャケットの写真ですね。でも、本当は彼女は1989年の生まれ。ですから、この録音が行われた2010年の1月には、おそらくまだ20歳になったばかりだったのでしょう。まぎれもなく「デビュー」にふさわしい年齢ですね。もっとも、彼女が「プロ」としてデビューしたのは16歳の時にモーツァルトの「レクイエム」のソロを歌ったコンサートだといいますから、それでも遅すぎたのかもしれません。
ただ、リーダー・アルバムこそ今回が初めてですが、すでにこのレーベルでは2枚のアルバムに参加していました。そのうちの1枚が、今回の指揮者ミンコフスキが振った「ロ短調ミサ」だったのです。ここでは、ソリストがそのまま合唱のパートも歌うというプランだったので、アンサンブルとしての合唱の役目がメインでしたが、「Gloria」の中の「Laudamus te」ではソロを担当していました。今回改めて聴き直してみると、この時のヴァイオリン・ソロのとことん弾けたオブリガートに見事に乗って、小気味よく装飾音をコロコロ転がしていましたね。
そんな人が、ロッシーニに合わないはずがありません。バッハの時にはあまり分かりませんでしたが、今回のアルバムを聴くと彼女の声はかなり低め、「メゾ」というよりは「アルト」に近い質のようです。そんな声でロッシーニのコロラトゥーラ(「アジリタ」というべきなのでしょうか)を軽々とさばく人、と言えば、バルトリとかカサロヴァが有名でしたが、その業界にこんな若い人が「参入」です。
レージネヴァの場合、そのアジリタはとても自然なものに感じられました。他の二人はいかにも「すごいなぁ」という、まるでフィギュア・スケートの3回転とか4回転といった超絶技巧を味わっている気にさせられるものが、彼女の場合は回転数などは関係なく、「回っている」ということ自体に美しさがある、といった感じでしょうか。
それだけではなく、彼女は伸ばした声自体にとてつもない力があります。この前のエルトマンとはまさに正反対、ただのロングトーンを聴いただけで、そこにはまぎれもない「主張」を感じられるのですね。そういえば、彼女、なんだかアメリカ先住民のリーダーみたいな雰囲気がありませんか(それは「酋長」)?いや、その落ち着いた声はとても貫禄のあるものです。
これだけのものを持っていれば、もう怖いものなしです。しかし、彼女はさらに、ハッとさせられるような細やかな表情を見せたりできるのですね。そんな、彼女のすべての魅力を味わえるのが「チェネレントーラ」からの有名なレシタティーヴォとアリア「Della fortuna istabile...Nacqui all'affanno」です。
かと思うと、「ギョーム・テル」の中の「Ils s'éloignent enfin」や「コリントの包囲」の「L'ora fatal s'apressa」といったしっとりと歌い上げるスローバラードも心にしみる、というのですから、もう脱帽です。「L'ora fatal ...」のエンディングのピアニシモなど、ゾクゾクしてしまいますよ。ここでは、バックのオケも実に見事なサポートを展開しています。おそらく、このアルバムを作るにあたっては、ミンコフスキのバックアップが大きく働いていたのでしょう。そんな、温かい思いやりのようなものも加わって、極上のCDが出来上がりました。オーケストラだけで演奏される「チェネレントーラ」の序曲なども、軽やかな仕上がりは絶品です。
何曲かの中で加わっているワルシャワの少人数の合唱団が、全く合唱の体をなしていないお粗末な出来であるのと、時たま彼女のピッチが上ずって聴こえてくることなどは、ほんの些細な傷に過ぎません。

CD Artwork c Naïve
by jurassic_oyaji | 2011-06-14 22:58 | オペラ | Comments(0)