おやぢの部屋2
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カテゴリ:オペラ( 208 )
WEBER/Oberon
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Jonas Kaufmann(Huon), Steve Davislim(Oberon)
Hillevi Martinpelto(Reiza)
John Eliot Gardiner/
Monteverdi Choir
Orchstre Révolutionaire et Romantique
DECCA/478 3488


最近、ウェーバーの「オベロン」序曲についてちょっと調べていたら、全曲盤を聴いてみたくなりました。でも、たとえばNMLあたりでは恐ろしく古い録音のものしかないんですよね。序曲だけは有名だけど、全曲はめったに演奏されることはない、という噂は本当だったのです。NML以外でも、クーベリック盤などは割と最近のものですが、それでも1970年の録音でした。なんせ、ビルギット・ニルソンなんかが歌っていますからね。そうしたら、もっと最近、2002年に録音されたものもあることが分かりました。探して見たら2012年にリイシューになっていたものが、お安く入手できました。
録音のクレジットを見てみるとプロデューサーはイザベラ・デ・サバタですから、この頃は彼女がガーディナーとともに「SDG」を起こす前で、まだDGに籍があったのでしょう。2005年にしっかりDECCAからリリースされましたし、同時に国内盤でも発売されていました。
実は、買ってまでこのCDを聴きたかったのは、カウフマンがこの中で主人公のヒュオンを歌っていたからなのです。確かに、こちらのカウフマンの「自伝」の巻末にあるディスコグラフィーにも載っていましたね。ただ、そこでは録音されたのが「2004年」となっているのが情けないところですよねん
いずれにしても、これが最初にリリースされた時には彼は全くこの業界では無名だったのは、「レコ芸」の広告でこんな表記がされていることからも分かります。
さらにこの雑誌の月評を執筆した國土さんという有名な音楽評論家でさえ、「歌手陣は筆者にとっては未知の名前ばかり」と、正直に述べていますからね。そもそも、このCDを作ったDECCAでさえも、その時のジャケットにはカウフマンの名前は2番目に載せていました。それが、このリイシュー盤では、順序が変わって一番先になっていますし、こんなシールまで貼られてましたよ。
「今を時めくカウフマンが、かつてはこんなアルバムにも参加していました」というノリで売り込もうというレーベルの魂胆がミエミエですね。
このオペラは、元々はロンドンのコヴェント・ガーデンからの委嘱で作られたもので、台本は英語で書かれています。しかし、そのストーリーは支離滅裂の極みです。「オベロン」というのは、シェークスピアの「真夏の夜の夢」に登場する妖精の王で、そこでの狂言回しのパックなども出てきます。さらに、同じ作者の「テンペスト」の要素も加わっていますし、どういうわけかモーツァルトの「魔笛」と「後宮」のプロットまで紛れ込んでいるのですからね。今では、実際に上演する際には、ほとんどの場合英語ではなくドイツ語に直して演奏されています。それを、本来の英語で歌わせているのは、おそらくこのガーディナーの録音が最初なのではないでしょうか。
ただ、このオペラはそれこそ「魔笛」などと同じジンクシュピールですから、物語はセリフで進行し、その間にアリアやアンサンブルが入るという形を取っています。それを、ガーディナーは全てのセリフをカットして、その代わりにあらすじの要約をナレーターが語るように直しました。そのため、本来なら2時間半以上かかる全曲が2時間足らずで終わってしまうほどの長さに切り詰められています。まあ、そのために、ここでは多数出演することになっている「歌わない」セリフだけの出演者は全く出番がなくなるので、ストーリー展開としてはスカスカなものになってしまいますが、そもそもいい加減なプロットなのでなくてもいいだろう、という判断なのでしょう。
2002年のカウフマンといえば、チューリッヒ歌劇場専属の歌手として、世界的にブレイクし始めたころなのでしょう。ここでは、もちろんあの張りのある強固な声も聴けますが、第2幕の12番のアリアでは「抜いた」声も駆使して幅広い表現力を見せています。彼のファンにとっては思いがけない掘り出し物でしょう。

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by jurassic_oyaji | 2017-02-21 23:55 | オペラ | Comments(0)
WAGNER/Die Walküre
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Stuart Skelton(Siegmund), Heidi Melton(Sieglinde)
Falk Struckmann(Hunding), Matthia Goerne(Wotan)
Petra Lang(Brünhilde), Michelle De Young(Fricka)
Jaap van Zweden/
Hong Kong Philharmonic Orchestra
NAXOS/NBD0051(BD-A)




トータルの演奏時間は3時間56分18秒ですから、CDでは4枚組になってしまって5,602円なのですが、それがBD-Aでは1枚に収まるので2,483円(いずれも税込希望小売価格)で買えるという、ちょっと納得のいかない価格設定です。いや、BD-Aを聴ける環境にある人はうれしいでしょうが、それと全く同じ内容で格段に音が悪いCDが倍以上の価格だというのが問題なわけでして。まあ、NAXOSですから。
そのレーベルのお膝元、香港フィルが毎年1月に行っている、コンサート形式によるワーグナーの「指環」ツィクルス、前回の「ラインの黄金」に続き、2年目となる今年は「ワルキューレ」の登場です。
香港、あるいは中国全土のオーケストラにとっては初めての挑戦となる「指環」全曲の上演を成し遂げようとしているこのオーケストラは、他のアジアのオーケストラ同様、ヨーロッパ系の外国人のメンバーをたくさん抱えています。ソロのパートを任される管楽器セクションではその比率は非常に高く、フルートなどは全員外国人ですし、金管も、ホルンの3人を除いてはすべて外国人です。
ただ、トゥッティとなる弦楽器では、逆に外国人が少なくなっています。ヴァイオリンなどは、全体で2人しかいませんからね。
このような構成員によるオーケストラですから、前回の「ラインの黄金」を聴いたときの全体の印象としては弦楽器は繊細で管楽器はパワフルだ、というものでした。ですから、ワーグナーではやはり、弦楽器がちょっと非力に感じられてしまっていました。しかし、それから1年後のこの録音では、その弦楽器がかなり頑張っています。まだまだドイツあたりのオーケストラには及ばないものの、例えば日本のオーケストラに比べたらはるかに魅力的なサウンドを奏で始めているような気がします。
ヤープ・ヴァン・ズヴェーデンの指揮も、そんなオーケストラの長所を最大限に引き出そうと、決して勢いだけには終わらない緻密な表現を心掛けているのではないでしょうか。中でも、ライトモティーフの扱いがとても巧みなので、リブレット(あいにく、BD-A本体には付いていません)を見なくても物語の進行が手に取るようによく分かります。いつもは、ちょっと冗長なところがあるので退屈してしまう第2幕も、ずっと集中して聴いていられましたよ。
録音も素晴らしく、コンサート形式の利点を存分に生かして、ソリストたちの声がとても明瞭に聴こえてきます。そんな中で最もインパクトを感じたのは、ジークムント役のスケルトンです。今まで、宗教曲では聴いたことはありましたが、オペラでは初めての人、一応は「ヘルデンテノール」というカテゴリーに入っているのだそうですが、もっと大きな可能性を秘めているように思えます。正直、「ヘルデン」にしてはあまりに声がきれいすぎて、それほどの力は感じられないのですが、この役の場合はそれがとてもいい方に作用しています。確かに、ジークムントは「英雄」とは言えませんからね。「Wälse!」という叫びなどは、例えばカウフマンなどに比べるとあまりにおとなしいのでびっくりしてしまいますが、スケルトンだとなぜか許されてしまいます。
ですから、ジークリンデ役のメルトンがあまりに立派過ぎるので、この二人の力関係が変わって感じられますが、まあそれもありでしょう。
ただ、ブリュンヒルデ役の、今年バイロイト・デビューを果たしたというラングは、ちょっと勢いだけで歌っているようながさつなところが気になります。発声も、中音と高音の切り替えがうまく行ってないところもありますから、この先どうなっていくのでしょうか。
次回の「ジークフリート」では、メルトンがブリュンヒルデで、タイトル・ロールはサイモン・オニールですって。楽しみです。常連のフリッカ役のデ・ヤングとヴォータン役のゲルネも出るね
これもぜひBD-Aでリリースしてくださいね。

BD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-12-20 23:10 | オペラ | Comments(0)
PUCCINI/La Bohème
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Mirella Freni(Mimì)
Luciano Pavarotti(Rodolfo)
Nicolai Ghiaurov(Colline)
Herbert von Karajan/
Berliner Philharmoniker
DECCA/483 0930(CD, BD-A)




このカラヤンの「ボエーム」は、1972年に、なんとDECCAの録音チームがベルリンのイエス・キリスト教会でベルリン・フィルとのセッション録音を行ったという、後にも先にもこれしかない、まさに「伝説」とも言うべき「記録」です。ここでの録音エンジニアのクレジットでは、ゴードン・パリー、ジェームズ・ロック、コリン・モアフットの3人の名前がありますが、もちろんチーフはゴードン・パリーだったのでしょう。彼らが、それまではDGがカラヤンとベルリン・フィルとのおびただしいセッションを行っていた、いわばDGの牙城に「デッカ・ツリー」を持ち込んだのですから、それだけで大事件です。それが、ついに24bit/96kHzのBD-Aで登場しました。
もちろん、キャストは最高。フレーニのミミにパヴァロッティのロドルフォなのですから、何も言うことはありません。かくして、これは「ベルリン・フィルの最も優秀な録音」(クラシック名録音106究極ガイド)とまでたたえられるようになっていたのです。
さらに、ここではそのベルリン・フィルの当時の首席奏者だったジェームズ・ゴールウェイのフルートまでが堪能できるのですから、なんという素晴らしさでしょう。実は、ゴールウェイ自身が日本で行われた何回かのマスタークラスの中で、ここで共演していたパヴァロッティについて語っていたことがあったのです。その公開レッスンでは、普通にフルートの演奏についての助言などが聴けると思っていたところが、まず彼が開口一番に言ったのが「パヴァロッティ」だったのですよ。要は、フルートを演奏する時には、パヴァロッティのように歌いなさい、ということなのでしょう。そこで受講していたフルーティストたちは、フレーズの歌い方が不十分なときには必ず何度も何度も「パヴァロッティ!」と叫ばれていましたね。
ちょっと記憶が曖昧なのですが、多分その時にゴールウェイが言っていたことで、この「ボエーム」の録音セッションでは、パヴァロッティは自分の出番を1回だけ歌うとそのまま帰ってしまったというのですね。それほど、自分の歌には自信があったのでしょう。
ただ、このエピソードは、今回のパッケージのブックレットの中にある、もう一人のエンジニア、ジェームズ・ロックの証言によって、別の意味を持つことになります。カラヤンはオーケストラだけのリハーサルは入念に行っていましたが、ソリストたちはその間は別室でピアノ・リハーサルをしていたというのですね。そして、役の歌を完璧に自分のものにした時点でカラヤンとの録音に臨み(そこでは楽譜を見ることも許されません)、カラヤンはワンシーンを途中で全く止めないで録音してしまった、というのですね。パヴァロッティだけではなく、全ての歌手が、そこでは「1回」しか歌っていなかったのです。そうやって、カラヤンは劇場音楽としての激情の高まりを大切にしていたのでしょう。ちょっと意外ですね。
そんな細かいことを観察していたゴールウェイのフルートは、もうその一吹きだけで音楽に命を与えてしまっているという、驚くべき存在感を随所で主張していました。パヴァロッティのアリアのバックで同じメロディを重ねているところなどは、まさにパヴァロッティをしのぐほど「歌って」いますよ。そして、ミミの有名なアリア「Si. Mi chiamano Mimì」でのトリルのついたオブリガートなども絶品です。これは、さっきのマスタークラスでは、別の人の録音を聴かせて、「普通は、オペラの伴奏というとみんなこんな風につまらなく吹くんだ」と言っていましたね。それを、ゴールウェイは、フレーニの歌に酔いしれている時でも思わず耳をそばだててしまうような見事なトリルを聴かせてくれているのです。
ただ、ハイレゾの音は確かに素晴らしいのですが、ヴァイオリンのトゥッティあたりでは明らかにマスターテープの劣化と思えるような歪みが認められるのが、残念です。

CD, BD Artwork © Decca Music Group Limited
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by jurassic_oyaji | 2016-12-10 20:02 | オペラ | Comments(0)
MOZART/Don Giovanni
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Dimitris Tiliakos(DG), Vito Priante(Leporello)
Myrtò Papatanasiu(DA), Kenneth Tarver(DO)
Karina Gauvin(DE), Mika Kare(Commendatore)
Guido Loconsolo(Masetto), Christina Gansch(Zerlina)
Teodor Currentzis/Musicaeterna
SONY/88985316032




今、最も過激な音楽を提供してくれているギリシャ出身の指揮者クレンツィスによる「ダ・ポンテ・ツィクルス」の完結編です。
彼のモーツァルトに対するスタンスは前2作と全く変わりません。使われている楽器はピリオド楽器ですが、中には実際にモーツァルトが使ったとは思えないようなものまで混じっているのは、なかなか楽しいものです。ただ、今回は今まで使っていた「ハーディ・ガーディ」に代って「ヴィオラ・ダ・ガンバ」が頑張っています。さらに、この作品では他の2作にはないトロンボーンがオーケストラに加わって、あの「石像」のシーンを盛り上げることになっていますが、そこではトロンボーンではなく、その前身の「サックバット」が使われているのですね。
例によって、早めのテンポ、レガートは殆ど存在しないクールな演奏で序曲が始まります。レポレッロから歌い始める劇的なイントロダクションに続いてドン・ジョヴァンニとレポレッロのレシタティーヴォ・セッコが始まったとたん、一瞬これはジンクシュピールだったのか、と思ってしまいました。その二人は、完全に「セリフ」として言葉をしゃべっていたのですからね。しばらくすると普通のセッコに変わりますが、それでも低音の即興性には目を見張らさずにはいられません。フォルテピアノは縦横に自由なフレーズを繰り広げていますし、そこにリュートなども加わってそれだけでもうおなかがいっぱいになってしまうほどですよ。
アリアになると、今度は繰り返しでの装飾が常に行われていて、聴きなれたメロディがさらに面白く聴けるようになっていました。その装飾、おそらくそれぞれの歌手の裁量に任されていたのでしょう、もう自分こそはここで目立ってやるのだ、という意気込みがストレートに伝わってくるほどに気合が感じられます。面白かったのは、ドン・オッターヴィオが、高音のロングトーンでトリルを入れていたこと。楽器ではよく使われる技ですが、それを歌で使うのはかなりの難易度でしょうに、そこまでやるか、という感じです。
もちろん、オーケストラも負けてはいません。ところどころに楽譜には無いフレーズが出てきてびっくりします。ドン・ジョヴァンニのカンツォネッタ(いわゆる「セレナーデ」)では、なんとオブリガートのマンドリン(リュートで演奏?)が2本使われてハモってますよ。さらに、本来楽譜にあったのに今まで全く気付かなかった隠れたパートの動きなども、見事に聴こえてきます。トゥッティのヴァイオリンが、こんな技巧的なことをやっていたなんて、と気づかされたところは数知れず。
歌手の顔触れは、まずドン・オッターヴィオがケネス・ターヴァーだったのには感激です。おそらくこの人は現在では世界最高のモーツァルト・テノールなのではないでしょうか。先ほどのトリルなども完璧にこなしていますし、なんと言ってもその透明な声がとことん魅力的です。
あとは、こちらで「マタイ」を歌っていたカリーナ・ゴーヴァンのドンナ・エルヴィラが素敵でした。エルヴィラというのはほとんどストーカーと化したある種の危なさを持ったキャストですが、彼女はその危なさ、というか、狂気を見事に体現していたのではないでしょうか。
他のキャストも粒ぞろい、それぞれが与えられたキャラクターを存分に表現してくれています。ツェルリーナのクリスティーナ・ガンシュが歌う「Là ci darem la mano」では、男の甘い言葉にメロメロになっている様子が手に取るように分かります。そして、それはドン・ジョヴァンニのディミトリス・ティリアコスの口説き方があまりにも素晴らしいからなのです。
ここでは、モーツァルトとダ・ポンテが作り上げたブッファ(諧謔)の世界が見事に眼前に広がります。こんな楽しいことを、せっかくですから「魔笛」あたりでもぜひ聴かせてほしいものです。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2016-12-01 21:35 | オペラ | Comments(0)
MOZART/Zaide
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Sophie Bevan(Zaide), Allan Clayton(Gometz)
Jacques Imbrailo(Allazim), Darren Jeffery(Osmin)
Stuart Jackson(Sultan Soliman)
Ian Page/
The Orchestra of Classical Opera
SIGNUM/SIGCD473




モーツァルトには未完の作品がいくつかありますが、この「ツァイーデ」もその一つです。ただ、例えば、あの「レクイエム」とは違って、こちらは単に制作上の問題である程度作ったところでもうそれ以上の作業は必要がなくなり、別の作品に取り掛かることになったので、そのまま放っておかれた、というものです。
世間では、このオペラはのちに別の人の脚本によって作られる「後宮からの逃走」のプロトタイプという位置づけがなされています。確かに脚本の骨組みはどちらも全く同じですが、音楽的には、例えば「ツァイーデ」で使ったアリアを「後宮」に使いまわす、と言ったようなことは全く行われていません。モーツァルトにとっては、そんなせこいことをしなくても、台本が変わればそれに対応して別の曲を即座に作り出すことは、いとも簡単なことだったのでしょう。
もちろん、「後宮」同様、「ツァイーデ」もドイツ語によるジンクシュピール、つまり、音楽の間をセリフでつなぐという形式がとられています。モーツァルトの死後、1838年に楽譜が出版された際には、タイトルも付けられていなかったこのオペラに、主人公の女性の名前から「ツァイーデ」というタイトルが与えられました。現在の新モーツァルト全集では、モーツァルトが実際に作った部分だけが印刷されていますが、そこではタイトルは「ツァイーデ(後宮)」となっています。曲は全部で16のナンバーが残されていますが、序曲はなく、それぞれの頭には、歌い出しのきっかけとしてその前に語られていたセリフの最後の部分が書かれています。しかし、元のセリフそのものは、もうなくなってしまっているのですね。ですから、これを実際に上演する時には、それらしい措置がとられますが、そもそも3幕物として構想されたうちの第2幕までの音楽しか作られていませんから、合理的にオペラを完結させることは不可能です。ですから、いっそこれを全く別のオペラの「素材」にしてしまおうという企て(2006年のザルツブルク音楽祭で上演された「アダマ」)なども出てくるようになります。
2012年にLINNからリリースされた「アポロとヒュアキントス」から始まったイアン・ペイジが主宰する「クラシカル・オペラ」によるモーツァルトのオペラ全曲録音のプロジェクトですが、今はレーベルがSIGNUMに変わったようですね。これらは新モーツァルト全集を使って演奏されていますから、5作目となるこの「ツァイーデ」でも、しっかり「ベーレンライター版を使用」と書いてあります。したがって、アリアや重唱しか演奏されないバージョンです。ただ、序曲だけは同じ時期に作曲された劇音楽「エジプト王タモス」の間奏曲が流用されています。「皇帝」ではなく「高低差」(それはタモリ)。
このジンクシュピールでは、「メロローゴ」というちょっと変わった様式のナンバーが2曲作られていました。それは、オペラ・セリアでは「アッコンパニャート」に相当する、オーケストラで奏でられる音楽をバックに物語を述べるというものです。それが、メロディを付けられたレシタティーヴォではなく、単なるセリフで語られています。こういうやり方は後の「後宮」では見ることはできませんから、モーツァルトは一度作ってはみたけど、気に入らなかったのか、あるいはそれは単なる流行ですぐに世の中では廃れてしまっていたのか、そんなことに考えをめぐらすのも楽しいことです。
この中の曲では、単独でも頻繁に演奏されるツァイーデの最初のアリア「Ruhe sanft, mein holdes Leben」が、まさにモーツァルトのエキスが満載のとても魅力的なナンバーです。ただ、ここで歌っているソフィー・ビーヴァンはあまり調子が良くなかったのか、なにかピッチが不安定で心から楽しむわけにはいきませんでした。その他のキャストはそんなことはなかったのに。

CD Artwork © Signum Records
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by jurassic_oyaji | 2016-11-08 23:00 | オペラ | Comments(0)
WAGNER/Die Walküre:Act 1
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René Kollo(Siegmund)
Eva-Maria Bundschuh(Sieglinde)
John Tomlinson(Hunding)
Klaus Tennstedt/
London Philharmonic Orchestra
LPO/LPO-0092




毎回ジャケット写真の中に「★」を探すのが楽しいロンドン・フィルの自主レーベル、今回は四半世紀前、1991年に録音されていたアーカイヴです。これがこんな形で世に出たのはおそらく初めてのことでしょう。なんと、テンシュテットによるコンサート形式の「ワルキューレ」第1幕のライブ録音です。
この幕は、出演者が3人しかいませんから、こんな風に手軽に演奏することはとても簡単です。もちろん、そのコンサートが成功するか否かは、ひとえにその3人の人選にかかっていることは言うまでもありません。ここでのソリストは、その当時のまさにドリーム・キャストですからとても楽しみです。指揮のテンシュテットも、キャリアの初めのころにはオペラハウスでの指揮も行っていて、ワーグナーも得意にしていましたが、実際のオペラの録音はほとんどありませんから(全曲録音は皆無)これはとても貴重な記録です。
まずは、そのテンシュテットの指揮ぶりを、前奏曲(日本語の帯には「序曲」とありますが、これは何かの間違いでしょう)から聴いてみましょう。録音状態もとてもよかったようで、低弦のエネルギーはものすごいもの、さらに金管の輝きが迫真の力で迫ってきます。ワーグナーはこうでなくっちゃ。さらに、普段はあまり聴こえてこない木管も、ここぞというところで顔を出してきますから、それはとても色彩的。そして、そのようなダイナミックなシーンと、もっと物語が進んでしっとり歌い上げるシーンとの切り替えがとても巧みです。ジークムントとジークリンデのデュエットのバックのオーケストラの柔軟さには、うっとりさせられます。
歌手では、やはりそのジークムント役のルネ・コロに注目でしょう。1969年に「オランダ人」のかじ取り役でバイロイトにデビューしてからは、ワーグナーのテノールのロールには無くてはならない歌手として世界中で活躍した人です。いわゆる「ヘルデン・テノール」として、オペラハウスに出演、もちろん多くの録音も残しています。さすがに晩年は声も衰えて往年の輝きはなくなっていましたが、このCDのコンサートが行われたはまだまだ現役として通用していたはずです。
ただ、ここで聴ける彼の声は、ちょっと「ヘルデン」というには力強さに欠けるような感じがしてしまいました。それこそカウフマンあたりが最近そのハイテンションぶりを見せつけてくれた「Wälse! Wälse!」という叫びが、あまりに弱々しいのですね。その代わりに、「Winterstürme wichen dem Wonnemond」からの甘いシーンでは、テンシュテットの指揮とも相まってまさに禁断の甘美さをおなか一杯味わうことが出来ました。これはこれで、幸福な体験です。
ちょっと気になったので、コロのデビュー頃の録音で、1970年の「マイスタージンガー」を聴いてみたら、大詰めのワルターのアリアは、カラヤンの指揮のせいもあるのでしょうが、ワーグナーの楽劇というよりは、ほとんどフランツ・レハールのオペレッタの世界でしたね。そう言えば、コロはオペレッタでも定評のある歌手でした。ということは、彼はまさに今や大人気の「えせヘルデン」、クラウス・フローリアン・フォークトの先駆けだったのですね。
他の二人、ジークリンデのブントシューとフンディンクのトムリンソンもワーグナー歌いとしては定評のある歌手でしたから、ツボを押さえた歌が聴けます。考えてみたら、ジークムントはまだ「英雄」ではないのですから、コロも適役だったのでしょう。
彼がノートゥンクを引き抜いた後は、テンシュテットは一気にシフト・アップしてエンディングへと向かいます。圧倒的な高揚感とともにこの幕の最後、トロンボーンのペダルトーンが響き渡る中、終止の直前に現れる何とも浮遊感が漂うCm6のコードの味わいは絶品です。G-durのアコードが打ち鳴らされた直後、瞬時に起こる拍手と叫び声、お客さんも大満足だったことでしょう。

CD Artwork © London Philharmonic Orchestra Ltd
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by jurassic_oyaji | 2016-11-01 23:02 | オペラ | Comments(0)
AKSEL!/Arias by Bach, Handel & Mozart
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Aksel Rykkvin(Tre)
Nigel Short/
Orchestra of the Enlightenment
SIGNUM/SIGCD435




「アクセル!」というタイトルのアルバムですが、歌っているのはアクセル・ローズではなく、アクセル・リクヴィンという、2003年生まれのノルウェーの男の子です。なんでも、「天才ボーイ・ソプラノ」として、今ブレイク中なのだそうです。録音が行われたのは今年の1月ですから、アクセルくんは12歳でしょうか。
ここで取り上げたのは、バッハとヘンデル、そしてモーツァルトのアリアなどです。いずれも、ただ声が美しいだけでは人を感動させることはできない、かなり高度なスキルが要求される曲ばかりです。それを、アクセルくんは難なくクリアしていきます。前半に置かれたバッハとヘンデルはとても見事、すごいのは、メリスマがただの音の羅列にはならずに、そこできっちりと「意味」が感じられるように歌われている、ということです。こんなことは、普通の大人では、いや、大人だからこそ、とてつもなく難しいことなのではないでしょうか。それをこともなげに成し遂げているアクセルくんは、確かに輝いています。
でも、そのあまりにも緻密なテクニックが、時として退屈さを呼ぶのはなぜでしょう。そんなことを思いながら、最後のコーナーのモーツァルト、ケルビーノのアリアが聴こえてきたときには、そんな気持ちはどこかに行ってしまいましたよ。大人の女声では絶対に表現できないようなはかなさが、そこからはあふれ出ていました。これこそは、「男の子」としてのケルビーノの理想の姿なのではないでしょうか。そして、最後の「アレルヤ」で聴かせてくれたメリスマは、バッハやヘンデルとは全く異なる次元のものでした。音の一つ一つから、喜びがあふれ出ていますよ。なんという美しさでしょう。
それは、こんな素晴らしい歌を聴けるのは、いや、歌えるのはあと2,3年だ、ということが分かっているからの、まさに最後の輝きだったのかもしれません。
しかし、オーケストラはこの間の「後宮」の時と同じなのに、その音が全然違います。弦楽器には潤いというものが全くなく、薄っぺらで安っぽい音です。これはCDではよくあることなので、一応ハイレゾが出ていたらそれを聴いてみてあらぬ疑いを晴らしてあげようと思ったのですが、あいにく「e-onkyo」でSIGNUMのレーベルを探してみても、まだこれは配信されていないようでした。
そこで、これは全くの余談なのですが、その中に今年の6月に配信が開始された、キングズ・シンガーズの「Postcards」というアルバムがありました。なんでも世界の民謡を集めたもののようなのですが、こんなのをCDで見たことはなかったので、配信だけのリリースかな、と思ってしまいましたね。
というのも、そこにはライナーノーツのようなものが付いていたのですが、その中のメンバー表にはテナーのジュリアン・グレゴリーの名前があったのですよ。さらに、そのライナーには「長い歴史を誇るグループだけあって、オリジナルメンバーはすでに残っていないが、最古参のデイヴィッド・ハーリーと2014年に加入したジュリアン・グレゴリーでは、グループ内活動歴は24年の違いがある」とまで書いてあります。これだけのデータがあれば、ここでは当然ジュリアンくんが歌っているのだ、と思ってしまいますよね。
ですから、この間のアルバムの他にも、すでにジュリアンくんが参加している録音があったのか、と思いましたね。ところが、実はこのCDはちゃんと2014年にリリースされており、そのインフォでは、テナーはまだポール・フェニックスになっていましたよ。これが録音されたのが2014年の3月ですから、それは当然のこと、ジュリアン君が加入したのは同じ年の9月なんですからね。
ということで、「e-onkyo」のライナーは、とんでもないデタラメだということになりますね。この会社は、いつまで「アカバネ電器製造」みたいなことを続けるつもりなのでしょう。
「余談」の方が長くなるなんてことも、あるのだよん

CD Artwork © Signum Records Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2016-09-10 20:24 | オペラ | Comments(2)
MOZART/Die Entführung aus dem Serail
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Sally Matthews(Konstanze), Edgaras Montvidas(Belmonte)
Tobias Kehrer(Osmin), Brenden Gunnell(Pedrillo)
Mari Eriksmoen(Blonde), Franck Saurel(Selim)
David McVicar(Dir)
Robin Ticciati/
The Glyndebourne Chorus(by Jeremy Bines)
Orchestra of the Age of Enleightenment
OPUS ARTE/OA BD7204 D(BD)




2014年からユロフスキの後任としてグラインドボーン音楽祭の音楽監督を務めているティチアーティが、2015年7月19日に上演された「後宮」の指揮をした映像です。このカンパニーではモダン・オーケストラのロンドン・フィルと、ピリオド・オーケストラのエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団の2団体がピットに入っていますが、バロック・オペラだけではなくこの音楽祭の看板であるモーツァルトのオペラも最近ではこのピリオド・オーケストラによって演奏されるようになっています。
映像の始まりは、開演前の客席、ドレスコードにはうるさいこの音楽祭ですから、タキシードやイブニング・ドレスに身を飾った紳士淑女がホール内をうずめています。初夏に行われた公演ですから、白いタキシードも目立ちますね。そこに、久しぶりに見る「動く」ティツアーティの登場です。なんだか恥ずかしそうにピットの隅から現れた指揮者は、とても物腰の柔らかい印象を与えてくれました。往年のマエストロのような威圧的にオーケストラと、そして音楽を支配しようとする姿は、ここからは全く見ることはできません。前に見た2006年のザルツブルク音楽祭の時にはちょっと緊張気味、その時は指揮棒をもっていましたが、今回は指揮棒はなし、とてもリラックスして軽やかな動きでした。
彼の作り出す音楽は、透明感があふれ、オーケストラの各パートの「歌」がまさに透けて見えるような心地よいものです。演出の方では「トルコ」という場所を強調していたようですが、音楽ではよくあるような「異国趣味」を変に強調するような見え透いたことはせずに、あくまでモーツァルトを前面に出し、その中にほんの少し「異国のテイスト」を持ち込むというクレバーなスタンスを取っていたのではないでしょうか。打楽器群がアホみたいに騒ぎ立てるようなことはしないで、ピッコロあたりのほんのちょっとしたトリルだけでシーンを飾るというようなスマートさですね。
デイヴィッド・マクヴィガーの演出は、デザイナーのヴィッキー・モーティマーとともにとてもリアリティにあふれたステージを作り上げていました。最近の「読み替え」の演出に慣れた目には、この、とことんトルコの後宮の現物に迫ろうというマニアックなほどにリアルで高級感あふれるセットには驚かされます。
そこでは、普段はカットされたり改変されたりしているセリフを、かなりオリジナル通りに使っているのだそうです。ですから、この前のCDでちょっとご紹介した、第3幕の最初だけに登場する「クラース」という人の姿をここでは実際に見ることができるようになっています。楽譜には一応「船乗り」という肩書でセリフ役としてこの名前があるのですが、彼が出てくるのは第3幕の第1場だけ、それも、いったいどこから現れたのか、という正体不明の人物なので、たいていの上演ではこの部分がカットされてしまうという情けないロールです。演出家のマクヴィガーは、きちんとその人を紹介するために、オープニングから登場させています。普通はベルモンテだけが登場するこのシーンに彼もいて、ベルモンテの世話を焼いているのですね。おそらくここまで彼を運んできた船の関係者なのでしょう。
もう一人、これは楽譜にもなく、もちろんセリフも全くないのですが、常にどこかに登場していて、それをカメラがとても意味ありげにアップで撮っている人がいるのですよ。セリムの側近という感じの女性でしょうか。これも、おそらく、最後のどんでん返しのあまりの唐突さを解消するための役割を持たせているのでしょうね。このように、あまりにリアリティを追求しすぎると、却って煩わしいことになってしまう、ということがよく分かる演出でした。
それにしても、オスミンだけがやたらファッショナブルなのは、なぜなのでしょう。

BD Artwork © Royal Opera House Enterprises Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2016-09-03 20:41 | オペラ | Comments(0)
MOZART/Die Entführung aus dem Serail
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Jane Archibald(Konstanze), Norman Reinhardt(Belmonte)
Misha Schelomianski(Osmin), David Portillo(Pedrillo)
Rachele Gilmore(Blonde), Christoph Quest(Selim)
Jérémie Rhorer/
Le Cercle de L'harmonie
ALPHA/ALPHA 242




以前、モーツァルトの交響曲のアルバムなどで、とてもセンスの良いピリオド楽器の演奏を聴かせてくれていたジェレミー・ロレルとル・セルクル・ド・ラルモニーという黄金コンビが、ついにモーツァルトのオペラを録音してくれました。とは言っても、これはその交響曲のようなセッション録音ではなく、2015年の9月にパリのシャンゼリゼ劇場で上演されたもののライブ録音です。それも、レーベルによる録音ではなく、放送局が録音した音源がそのまま使われています。おそらく、本番だけのテイクで、編集もされていない、本当の「ライブ」なのでしょうね。同じピリオド楽器のスターたち、ヤーコブスやクレンツィスはきちんとセッションで納得のいくまで手をかけているというのに。
もう一つ気になったのは、このオーケストラをロレルとともに創設したコンサートマスターのジュリアン・ショヴァンの名前が、オケのメンバーからは消えていることです。彼は2015年の1月に「ル・コンセール・ド・ラ・ロージュ」というアンサンブルを新たに作ったために、このオーケストラから去っていってしまったのです。
そんなことを知ったのは、全曲を聴き終わってからでした。今までのアルバムが本当に素晴らしかったので、とても期待してこれを聴きはじめたのですが、なにかが違います。序曲からして、なんのサプライズもないどこにでもあるような平凡な演奏です。別に平凡が悪いというわけではありませんが、今までの彼らの演奏には確かな「意志」が感じられる瞬間が必ずあったものが、ここではそれが全く見当たらなかったのですね。そんなはずはない、と、あちこち検索してみたら、そんな事実が分かったということです。この「脱退」と演奏の間にはなんの因果関係もなかったんだったい、と思いたいものですが・・・。
さらに、この録音を聴いていまいちノレなかったのは、ベルモンテ役のテノールのせいです。このノーマン・ラインハートというアメリカ人は、テノールというよりはバリトンのような、低いところで共鳴させているような声ですから、かなり重めの音色、さらに歌い方もかなり重々しいのでこの役を歌った時に大方のリスナーを満足させることはできないのではないでしょうか。なんせ、序曲が終わって最初に声を出すのがこの役ですから、それで自ずとこのオペラ全体のテイストが決まってしまいます。そこにこの声が出てくるのは、ちょっと辛いものがあります。「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のアンダンテ楽章に酷似した15番のアリア「Wenn der Freude Tränen fließen」なども、とても繊細なオーケストラの前奏に続いて、この力の入り過ぎた歌が出てくると、がっかりしてしまいます。あくまで、個人的な感想ですが。
コンスタンツェ役のソプラノも、やはりちょっと重めでコロラトゥーラなどは悲惨ですが、その他のキャストは善戦しているのではないでしょうか。ブロンデ役のギルモアも、ペドリッロ役のポルティロもなかなかいい味を出していますし、オスミン役のシェロミャンスキーも、この役にはもったいないほどの知的な歌い方で、なおかつ粗野さを表現するというすごいことをやっていました。冴えないと思われていたオーケストラも、彼のナンバーのバックでは見違えるような生き生きとした姿を見せていたような気がします。セリム役の語りの人は、ちょっと甲高い声で、ほとんど威厳が感じられません。ルックス的にはかなり堂々としているのでしょうが。
対訳を見ていて、第3幕が第3場から始まっていることに気づきました。楽譜では第1場と第2場としてセリフだけのシーンがあるのですが、ここはカットされるのが慣習なのでしょう。他の録音や映像でも、ほとんどカットされていました。ここだけセリフがある「クラース」という人(セリムの家来?)の唯一の出番なのに。

CD Artwork © Alpha Classics/Outhere Music France
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by jurassic_oyaji | 2016-08-16 22:39 | オペラ | Comments(0)
MOZART/Die Zaubeuflöte
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Franz Crass(Sarastro), Roberta Peters(K. d N.)
Fritz Wunderlich(Tamino), Evelyn Lear(Pamina)
Dietrich Fischer-Dieskau(Papageno), Lisa Otto(Papagena)
Karl Böhm/
RIAS Kammerchor, Berliner Philharmoniker
DG/UCGG-9089/90(single layer SACD)




1964年に録音されたカール・ベームの指揮による「魔笛」が、シングル・レイヤーSACDになってリリースされました。今まで幾度となく形を変えてリリースされていたヒット作ですが、SACDになったのはこれが初めてなのではないでしょうか。まだ、ハイレゾ音源も配信はされていないようですし。
個人的には、これは生涯で初めて自分のお金で買ったオペラ全曲盤という、記念すべきアイテムです。おそらく、国内盤が最初にリリースされた時に購入したのでしょう。ただ、その頃はまだきちんとした再生装置までそろえるほどの余裕はありませんでしたから、回転式のサファイヤ針のカートリッジが付いた安物のプレーヤーにラジオをつないで聴いていましたね。しばらくして何とかまともな「ステレオ」一式がそろったので、ちゃんとしたダイヤ針のMMカートリッジで聴けるようになった頃には、そのLPはさんざん高針圧にさらされて聴くも無残な音に変わっていたのでした。しかも、30㎝Φのターンテーブルに乗せてみると、それはいい加減なプレスでお椀状に反り返った盤だったことも分かりました。
そんなわけで、このレコードからは音自体もなんだか安っぽいもののような印象を、最初から受けていましたね。CD化された時はすぐに入手したのですが、やはりそんな印象はぬぐえませんでしたから、全曲を聴きとおすこともありませんでした。
ですから、このシングル・レイヤーSACDは、久しぶりに、まともに向き合ってしっかり聴く機会を与えてくれたものとなりました。まずは、今まで入手していた2種類のCDとの音の比較になります。元々はLP3枚、6面に収録されていたものですが、最初に買った時には、それが3枚組のCDになっていました。つまり、第2幕が77分以上かかっていたので、当時ではCD1枚にすることが出来なかったのですね。ただ、それではあまりにも余白が多くなってしまうので、同じモーツァルトのたった5曲の音楽しかないジンクシュピール「劇場支配人」全曲がカップリングされていました。
そのCDはジャケットもオリジナルとは違っていたので、それこそ「オリジナルス」で1997年に、今度は2枚組で出たものも買ってありました。それらを今回のSACDと比べてみると、意外にも初回のCDがかなり健闘していたことが分かります。当時のクレジットでは録音エンジニアのギュンター・ヘルマンス自身が「デジタル・リミックス」を行ったとありますから、そのあたりが原因なのでしょうか。オリジナルスの方は変に音を作っている感じがして、なじめません。そして、SACDは最初のヒス・ノイズからしっかり入っていて、とてもナチュラルな雰囲気が漂っています。それは、今まで抱いていた悪印象を払拭するには十分なものでした。

ただ、今回のジャケットは、なぜかLP(↑)のものとは微妙に異なっています(特に出演者のフォント、もちろん、チューリップの下は2行)。

さらに、パッケージのどこを探しても録音スタッフの名前が見当たりません。これはどうしたことでしょう。ふぉんとにこの会社の仕事ときたら。
演奏自体は、今まで多くの人によって語られてきたものですから、いまさら付け加えることはありません。ヴンダーリヒは最高のタミーノを聴かせてくれますし、フィッシャー=ディースカウのパパゲーノという超豪華なキャスティングもうれしいところ、ただ女声陣はちょっと弱体、特にピータースの夜の女王は間違いなくミスキャストでしょう。それと、やはり「3人の童子」は少年に歌ってほしかった。
この録音の特徴は、グスタフ・ルドルフ・ゼルナーという、当時ベルリン・ドイツ・オペラの総監督だった演出家の手によって、セリフの部分がきっちり演出されているということです。そこまでやっているレコードなんて、ありませんよ。ここでは、おそらくゼルナーによってコンパクトに切り詰められたセリフが、歌手たちによってとても生き生きと語られています。

SACD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-07-21 23:12 | オペラ | Comments(0)