おやぢの部屋2
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カテゴリ:オペラ( 219 )
MOZART/Don Giovanni
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Jean-Sébastien Bou(D. Giovanni), Robert Gleadow(Leporello)
Myrtó Papatanasiu(D. Anna), Julie Boulianne(D. Elvira)
Julien Behr(D. Ottavio), Anna Grevelius(Zerlina)
Marc Scoffoni(Masetto), Steven Mumes(Commendatore)
Jérémie Rhorer/
Choeur de Radio France, Le Cercle de L'armonie
ALPHA/ALPHA 379


ジェレミー・ロレが毎年パリのシャンゼリゼ劇場で上演しているモーツァルトのオペラは、そのライブ録音が順次CDとなっているようです。第1弾は2015年9月に上演されたこちらの「後宮」でしたが、次にリリースされたのは、それ以前、2014年12月に上演されていた「ティトゥス」でした。そして、この2016年12月に上演された「ドン・ジョヴァンニ」が3番目のリリースとなっています。
「後宮」ではそれほどの魅力は感じられなかったので、「ティトゥス」はスルーしてしまったのですが、今回は大好きな演目ですからロレの復調を信じて聴いてみることにしました。それにしても、歌手の皆さんは全員聴いたことのない人だというのには驚きました。逆に、先入観抜きでそれぞれの歌を味わうことはできることにはなるのですが。
「後宮」にはなかったことですが、今回のブックレットにはこの公演のステージ写真がたくさん掲載されています。それもカラーで。それによると、演出は良くある現代への読み替えが行われたもので、キャストは普通のスーツやジャケットを着ています。ただ、なぜかドンナ・エルヴィラはランジェリー姿になっていました。彼女は、小さな手帳を熱心に見ているので、それは「カタログの歌」のあとでレポレッロから奪った手帳なのでしょうが、このシーンで下着姿というのはどういうシチュエーションが設定されていたのか、ちょっと気になってしまいます。
もっと興味深いのは、第1幕のフィナーレです。ここではドン・オッターヴィオ、ドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィラの3人だけが仮面をつけて現れる、というのが普通の演出なのですが、この写真ではなぜかパーティーの客全員がマスクをつけているのですね。いったいどんな演出プランだったのでしょう。
そのシーンには、花嫁姿のツェルリーナもいるのですが、彼女とドン・ジョヴァンニがアップになった写真で見ると、ツェルリーナを歌っているアンナ・グレヴェリウスがまるで年増女のように写っています。彼女はこれがツェルリーナでのデビューなのだそうで、実年齢はずっと若いはずなのに、ちょっと損をしていますね。
いや、彼女の声は、ツェルリーナにしてはかなり太めの声なので、そんなイメージもあってなおさら老けて見えたのでしょう。でも、それは決してミスキャストではなく、逆にこの役に芯の強さを与えていてとても心地よく聴くことが出来ましたよ。マゼットを介抱するアリアなどでは、ひょっとして姉さん女房、なんて思ってしまいます。
そこで一緒に写っているドン・ジョヴァンニ役のジャン=セバスティアン・ブは、真っ白なジャケットといういかにもプレイボーイ然とした衣装姿ですが、このツェルリーナとのデュエットなどは本当に甘ったるい声で迫ります。彼は基本的にそんな歌い方で通しているようで、そういうとても分かりやすいキャラクターに徹しているのでしょう。つまり、レポレッロ約のロバート・グリードウの方が、思いっきりドスの利いた声だということですね。
ドン・オッターヴィオ役のジュリアン・ベールは、最大の収穫でした。パリでデビューした時には「魔笛」のタミーノを歌っていたのだそうですが、あのカウフマンのような力のある、それでいてもっとソフトな声は、理想的なモーツァルト・テノールなのではないでしょうか。
ドンナ・アンナとドンナ・エルヴィラ役の人はちょっといまいち、騎士団長も、写真では貫録があるのに声はへなちょこでした。
おそらく編集なしのライブ収録のようで、ロレの指揮はそれぞれの幕のフィナーレなどはたまに歌手が付いていけないほどの煽り方を見せていました。でも、お客さんはその熱気をしっかり受け止めていたみたいですね。なんせ、最後近くの「地獄落ち」が終わったところで盛大な拍手が起こるぐらいですから。

CD Artwork © Alpha Classics

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by jurassic_oyaji | 2017-10-07 21:12 | オペラ | Comments(0)
Leuchtende Liebe
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Elisabet Strid(Sop)
Ivan Anguélov/
Bulgarian National Radio Mixed Choir
Bulgarian National Radio Symphony Orchestra
OEHMS/OC 1882


スウェーデンのオペラ歌手、エリーザベト・シュトリッドのデビュー・アルバムです。しゅとりで(一人で)ベートーヴェンとワーグナーのオペラの中の曲を歌っています。しかし、写真を見る限り、彼女はとてもオペラ歌手とは思えない、まるでモデルか女優さんのような美貌の持ち主ですね。どことなくシャロン・ストーンのような顔立ちだとは思いませんか。彼女がスウェーデンのマルモに生まれたのは1976年ですから、もう40歳は超えているのに、とてもそうは見えませんね。
彼女がオペラ界で世界的なデビューを果たしたのは2010年ですから、やはりもはや若くはない年齢(34歳)の時でした。そもそも、ストックホルムの音楽大学に入ったのは24歳の時でしたからね。その前からオペラの勉強は始めていましたが、それまではなんと看護婦さん(死語)だったのだとか。人生経験は豊かだったようですね。
現在では、バイロイトにも2013年に「ラインの黄金」のフライアでデビュー、さらに2015年にはライプツィヒ歌劇場で「ジークフリート」のブリュンヒルデを歌うなど、ワーグナーのロールも次々にレパートリーになりつつあります。シュトラウスも、2016年には「エレクトラ」のクリソテミス、2017年には「サロメ」のタイトルロールと、着実に実績を重ねています。ただ、彼女が最も数多く歌っているのは、ドヴォルジャークの「ルサルカ」のタイトルロールなのだそうです。
まずは、曲順(作曲順に並んでいます)に従って、「フィデリオ」でレオノーレが第1幕で歌うレシタティーヴォ「極悪人め!どこに急ぐの!」と、それに続くアリア「来て 希望よ 最後の星の輝きを」です。バックのオーケストラはそれほどの重量感はありませんが、プレーヤーの腕は確かで、木管のアンサンブルなどはとても美しく響きます。しかし、ここでの彼女の声にはなにか精彩がありません。
そんな感じは、続くワーグナーの曲でもついて回ります。まずは、なかなか聴くことのできない初期のオペラ「妖精」第1幕からアーダのカヴァティーナ「いったいどうして悲しまなければならないの」ですが、曲自体にも魅力がないことも手伝って、やはりちょっと、という感じです。
「さまよえるオランダ人」からの「ゼンタのバラード」では、ブルガリア国立混声合唱団の女声が加わります。その合唱はとても素晴らしいのですが・・・。
そして、「タンホイザー」からは第2幕の「殿堂のアリア」と、第3幕の「エリザベートの祈り」です。後者では、まずさっきの合唱団の男声による「巡礼の合唱」が入りますが、とてもきれいな声とハーモニーなのに、あまりに人数が少ないので、かなりしょぼく聴こえます。次の「ローエングリン」第1幕の「エルザの夢」ともども、やはりシュトリッドの声にはなにか中には入っていけないもどかしさを感じないわけにはいきません。
ところが、「トリスタンとイゾルデ」第3幕の「イゾルデの愛の死」になったとたん、彼女の声はガラリと変わってしまいました。それまで、同じスウェーデンの歌手、ビルギット・ニルソンにちょっと似た感じはあったのですが、それがここでは全開、まさにニルソンの再来のような張りのある声が聴こえてきたのですよ。そのあとの「ワルキューレ」第1幕のジークリンデとジークムントのデュエットから、ジークリンデだけのパートを抜き出した、「身の上語り」と、「あなたこそ春」、さらに「ジークフリート」第3幕でブリュンヒルデが歌う「愛の幸福」と、それはもう至福の時間が待っていました。
前半は、本当にもう聴くのをやめてしまおうかな、と思っていたのに、最後までちゃんと聴いてよかったですね。
あ、アルバムタイトルの「Leuchtende Liebe(輝く愛)」というのは、このブリュンヒルデ(とジークフリート)のナンバーの最後の歌詞ですが、途中で終わっているので、彼女は歌ってはいません。そもそも、このCDには歌詞がどこにもありません。

CD Artwork © OehmsClassics Musikproduktion GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-09-30 23:15 | オペラ | Comments(0)
STRAUSS/Salome
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Birgit Nilsson(Salome), Eberhard Wächter(Jochanaan)
Gerhard Stolze(Herodes), Grace Hoffman(Herodias)
Waldemar Kmentt(Narraboth)
Georg Solti/
Wiener Philharmoniker
DECCA/483 1498(BD-A)


このところ立て続けに1960年代に録音されたオペラがハイレゾのパッケージとしてリリースされています。嬉しくなってほとんどのものを入手して、あの頃LPで聴いた音の追体験をしているところです。ただ、かつて聴いたものがさらにクリアさを増して聴こえてくるものがあった半面、なんとも雑な音になっていて期待外れのものがあったりと、その音のクオリティはそれぞれに違いがありました。
その違いの最大の要因は、マスターテープの劣化なのでしょう。アナログ録音の宿命で、どうしても経年変化は避けられないもののようですね。ただ、その劣化の度合いは保存のコンディションによって様々ですから、一概に古い録音でははっきり聴いて分かるほどの音質上の変化があるとは言い切れません。デジタル・トランスポートの際に使われていたマスターテープのコンディションがどんなものであったのかは実際に聴いてみるまでは全く分かりませんから、まるで「博打」ですね。こんなものを喜んで食べる人の気がしれません(それは「パクチー」)。結局、今回の一連のBD-AやSACDでは、クナッパーツブッシュの「パルジファル」やカラヤンの「トスカ」などはまさに「ハズレ」でしたが、ベームの「トリスタン」は「大当たり」でしたから。
今回の「サロメ」は1961年に録音されています。ですから、年代的にはかなりの劣化が起きていると考えられますから、それほど期待はしていませんでした。しかし、結果はそれほど悪いものではありませんでした。「トスカ」あたりではバリトンの声で派手に歪んでいたのですが、ここではエバーハルト・ヴェヒターのヨカナーンの声はクリアそのものでしたから、まずは合格です。
ただ、「7つのヴェールの踊り」のあたりではかなり目立つドロップアウトが何箇所もあったので、さすがに剥離は避けられない、と思いましたね。しかし、手元には1985年頃に最初にCD化されたものがあったので聴いてみたら、それとまったくおなじ個所でドロップアウトが聴こえましたから、マスターテープを作る際の編集(手貼り)の時点で、かなりいい加減な仕事が行われていたということになるのでしょうね。
もちろん、可能性としては、この1985年の時点でのデジタル・データを今回使ったということも考えられなくはありません。今回のクレジットからは、24/96でリマスタリングが行われたのが2017年ということしか分からず、その元になったデータがいつトランスファーされたものなのかはどこにも明記されていませんからね。もしそうだとすれば、この頃にはまだハイレゾのレコーダーはなかったはずですから、それは16/44.1または16/48程度のもので、それを今回24/96にアップサンプリングしたのでは、という疑惑は捨てきれません。DECCAほどのレーベルがそんなことを、と思うかもしれませんが、実際に「指環」全曲がBD-Aになった時には、1997年にトランスファーが行われた24/44.1のデジタル・データが使われていましたからね。この業界、疑い出したらきりがありません。
ところで、このBD-Aでは、24/96のリニアPCMと、DOLBY TRUE HDの両方のデータが入っていて、それをトップメニューで選択できるようになっています。


これは、聴いている途中で切り替えられるので、簡単に比較できるのですが、DOLBYでは明らかにワンランク精度が落ちていることがはっきり分かるのです。BDプレーヤーではどんなものでもリニアPCMはきっちり24/192までサポートされているのですから、なぜ、こんな選択肢が設けられているのか、全く分かりません。ついうっかりして、音の悪いDOLBYで聴き続けてしまうことだってあるのですから、これは即刻やめてもらいたいものです。
以前、カラヤンの「指環」もBD-Aになりましたが、これはDOLBYのデータしか入っていませんでしたから、選択肢はありませんでした。
これは、DOLBYにしないと1枚に収まらないからです。2枚組になっても構わないので、ちゃんとリニアPCMで出してほしいと、切に願いたいですね

BD Artwork © Decca Music Group Limited

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by jurassic_oyaji | 2017-08-08 23:29 | オペラ | Comments(0)
STRAUSS/Electra
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Birgit Nilsson(Elektra), Regina Resnik(Klytämnestra)
Marie Collier(Chrysothemis), Tom Krause(Orest)
Georg Solti/
Wiener Philharmonker
DECCA/483 1494(BD-A)


このところ立て続けに往年の名録音がBD-A化されているので、なんかとても幸せな気持ちになれます。まあ、中にはマスターテープそのものが劣化していたものが使われていて、いくらなんでもこれを商品にするのはまずいだろう、というようなものもありましたが、それもある意味「歴史の証言」的な見地からだったら許してもいいかな、という気持ちにさえなってきます。というのも、中には本当にマスターテープそのものの音が味わえるものがあったりしますからね。
最近では1966年に録音されたDGの「トリスタン」が、そんなぶっ飛ぶようなものすごい音が体験できるものでした。そして今回はやはり1966年に、こちらはDECCAで、あのゴードン・パリー(とジェームズ・ブラウン)によって録音された「エレクトラ」ですから、期待は高まります。こちらもやはりSPEAKERS CORNERのLPで聴いていますから、その録音の凄さは十分に確認済み。
「エレクトラ」というオペラは、2時間にも満たない長さですから、続けて聴いてもそれほど負担にはなりません。というか、音楽的にはワーグナーのような「無駄な」ところは全くなくて、最初から最後までとても美しいオーケストラとリリカルな歌で満たされていますから、退屈さとはおよそ無縁な体験を味わうことができるはずです。しかも、この、ジョン・カルショーがプロデュースした録音では、単に音楽を聴かせるだけではなく、それらが上演されている時の歌手たちの動きや、さらにはその場の情景までが音によって再現されるように作られている、とされていますから、耳で聴くだけであたかもステージが眼前に広がっているように感じられるはずです。それは、「ソニック・ステージ」と命名されて、大々的にLPのジャケットにもそのロゴマークが掲載されていましたし、今回それを忠実に再現したこのジャケットでも、それは見ることが出来ます。
もっとも、そういう特別の録音方法が使われている、と、メディアに向かって宣言した当のカルショーが、後年「あれはただのデマだった」と証言していますから、実際はそれほどのものではありませんでした。それでも、当時の音楽評論家は見事にこのデマ(フェイク)に騙されて、結果的にDECCAの売り上げに貢献するような発言をあちこちでしてくれたのですから、カルショーは「してやったり」と思っていたのでしょうね。そんな悲しい評論家は日本にもいて、実際FMラジオでLPをかけながら「ここでは、あたかも映画のズーム・インのような効果が出ている」と語っていたことがありましたからね。先入観というのは、恐ろしいものです。
ただ、そこまでの「真実」が分かっていても、改めてこの録音を聴いてみるとその大胆な音響操作には驚かされます。なんせ、この話に登場する人たちはみんなどこか「狂って」いますから、その「狂い」の描写の音楽はそれだけでかなりの異様さを持っているところに、さらにサウンド・エフェクトを駆使してオーバー・アクションに仕上げられています。例えば、クリテムネストラが「狂ったように」笑いながら遠くへ去っていくシーンなどは、耳をふさぎたくなるほどの迫力です。ほんと、やっていることはアナログでとても幼稚なことなのですが、それに大真面目に取り組んでいる歌手や録音チームの努力には、圧倒されます。というか、あっとおどろかされます。
このBD-Aには、もちろんマルチ・チャンネルではなく2チャンネルで、LPCMとDolby True HDの2種類のフォーマットのデータが収められています。ですから、それを切り替えて瞬時に聴き比べることが出来るのですが、そうすると明らかのDolbyの音がワンランク低いものであることがはっきり分かります。繊細さがわずかになくなっているのですよね。2チャンネルであればLPCMのままでも伝送には問題がないはずなのに、なぜわざわざDolbyで音質を劣化させているのかが、理解できません。マスターテープの劣化はほとんど感じられないのに。

BD Artwork © Decca Music Group Limited

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by jurassic_oyaji | 2017-07-15 21:03 | オペラ | Comments(0)
WAGNER/Comment Siegfried Tua le Dragon et cetera
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Ensemble Le Piano Ambulant
PARATY/185144


この間もカラヤン盤をご紹介したばかりの「ニーベルングの指環」ですが、あの時は全曲の演奏時間は15時間でした。そんな長いものを、普通のハイレゾのフォーマットで1枚のBDに入れるのは不可能なので、Dolby True HDというマルチチャンネル用に大幅に圧縮された音源に変換されていましたね。
つまり、音を犠牲にしてそんなせこいことをしないと、1枚には収まらないほどの長さを持った作品だ、ということです。
ですから、実際にこちらのように、余計なものを取り除いて全体を半分以下、6時間15分のスリムなものにして上演するような試みも行われていました。まあ、これだったら普通に「オペラ」として鑑賞するには充分の内容を持っています。
今回のCDでは、それがさらに削られ、なんと51分39秒ですって。編成も、オリジナルは100人を超えるオーケストラに、主だったところでも20人は下らないソリストに合唱を加えると200人近くは必要な演奏家が、たったの6人で済んでいます。正確には、それにナレーターが1人と、プログラマーとミキサーが加わりますが、それでも総勢9人ですからね。なんという軽さでしょう
タイトルも、ですから「ニーベルングの指環」みたいな重苦しいものではなく、フランス語で(演奏家はフランス人)「ジークフリートはどのようにして竜を殺したのか、その他」という軽さ、こんなタイトルの曲が全部で17曲あります。そしてサブタイトルは「ポケットに入る4部作」ですって。粋ですね。
ただ、なんと言っても1時間弱に物語を収めるには、大幅なカットが必要で、「4部作」のなかの「ワルキューレ」は丸ごと削除されていましたね。まあ、ここでのプロットはアルベリッヒがラインの乙女から黄金を奪って作った指環が、アルベリッヒ→ヴォータン→ファフナー(竜)→ジークフリートとめぐって、最後はラインの乙女に返されるというものですから、ジークムントやジークリンデの出場所はなくなってしまいます。
ただ、それではあんまりだというので、「ワルキューレの騎行」だけは、そのモティーフが現れる「神々の黄昏」の第1幕第3場に相当する部分で演奏されています。ある意味「反則」ですが、有名な曲はあった方が良いので、許しましょう。
演奏家の内訳はキーボード、フルート、オーボエ、ヴァイオリン、チェロ、エレキ・ベースの6人ですが、それぞれ別の楽器も持ち替えますし、なんと「セリフ」も喋ります。もちろん、フランス語で。
なんたって、ワーグナーには絶対に必要な金管楽器が全く欠けているというのが、この編成の特徴です。しかし、それは2台のシンセサイザーと、専門のライブ・エレクトリックスの担当によって、壮大な音響(さらには自然音のサンプリング)が提供されていますから、ダイナミックスから言ったらフル・オーケストラよりもすごいものがあります。オリジナルを知っている人であれば、「良くやったね」と思ってしまう個所が続々と現れてくるのを楽しめるはずです。
セリフだって、かなり変調されているので、へたくそな歌を聴かされるよりはよっぽどインパクトがありますよ。
こんなにコンパクトになっていても、ワーグナーの音響と、ストーリーに託した思想は存分に伝わってくるというのがすごいところ、というか、「指環」の世界は、実はこの程度に収まってしまうぐらいの矮小なものだったのか、と気づかされるのが、ちょっと怖いというか。
ただ、フルート奏者はフルートにピッコロ、そしてアルトフルートも演奏していますが、なにかピッチが微妙なのが気になります。「ジークフリートの葬送行進曲」ではトランペットの代わりにピッコロがジークフリートのモティーフを吹いているのですが、これがとてもチープに聴こえます(チープフリート)。
最後にきゃりーぱみゅぱみゅの「もったいないとらんど」が聴こえてくるのが、ほほえましいですね。

CD Artwork © Paraty Productions

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by jurassic_oyaji | 2017-07-13 21:04 | オペラ | Comments(0)
WAGNER/Der Ring des Nibelungen
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Many Soloists
Herbert von Karajan/
Chor der Deutschen Oper Berlin(by Walter Hagen-Groll)
Berliner Philharmoniker
DG/479 7354(BD-A)


最近、例えばビートルズが来日してから半世紀とか、先日のベームのバイロイトでの録音から半世紀とか、なにかと「半世紀」ネタが世の中にはあふれているような気がします。そこに来て、今年2017年は、「ザルツブルク・イースター音楽祭」が始まってからやはり「半世紀」なのだそうです。夏に開催される「ザルツブルク音楽祭」は戦前からあったものですが、「イースター」の方は文字通り復活祭の時期に、カラヤンが自らの理念を実現させるために1967年3月19日にスタートさせた音楽祭です。オープニングを飾ったのはワーグナーの「ワルキューレ」、それは3回上演され、その間にはバッハの「ブランデンブルク協奏曲(1、2、3番)」と「組曲第2番」、ブルックナーの「交響曲第8番」、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の3種類のコンサートが2回ずつ開かれました。もちろん指揮は全てカラヤン、それだけではなく、なんと「ワルキューレ」では演出まで自ら手掛けていたのですから、もうこれはカラヤン一色のイベントでした。お赤飯はありません(それは「おべんとう」@朝ドラ)。
さらに、この「ワルキューレ」はその前の年に同じキャストによってベルリンで録音されていたのです。つまり、ニューアルバムをレコーディングして、それをプレイリストにしたツアーを行うという、まるでポップス界のアーティストのようなことを、カラヤンはやっていたのですね。そんなことを4年間繰り返して、あっさり史上2回目となる「指環」全曲のスタジオ・レコーディングを完成させてしまいました。
1989年にカラヤンが亡くなったのちも、この音楽祭はベルリン・フィルとその時の指揮者によって継続されました。しかし、2013年からは、ティーレマン指揮のドレスデン・シュターツカペレという新しいホストによる体制に変わっています。今年の音楽祭では、「半世紀」の記念としてこのメンバーによってカラヤンが使った舞台装置や衣装を復元した「ワルキューレ」が上演されました。いまだにカラヤンの亡霊は消えることはありません。
そして、その「半世紀」の記念グッズとして登場したのが、このBD-Aによる「指環」の全曲盤です。ワーグナーの「指環」が、1枚のBD-Aに収まったものとしては、その最初のスタジオ・レコーディングであるショルティとウィーン・フィルのものがありました。ただ、それはトランスファーが行われたのが1997年で、その頃のフォーマット、つまり24bit/44.1kHzによるものでしたから容量25GBのBD1枚に楽々収まっていました。しかし、カラヤンの場合、全曲の演奏時間は「899分5秒」なのでほぼ15時間、それを24bit/96kHzのPCMで録音するとメモリーは30GB以上必要になってBD1枚では足りませんね。ただ、どうやら最近のBD-Aでは「DOLBY TRUE HD」でロスレス圧縮されているので、サイズはかなり小さくなって、これだけのものでも1枚に収まるようになっているのでしょう。
ただ、手元には1998年頃にリマスターが行われた「オリジナルス」のCDがありますが、それと比較すると明らかに元のマスターテープのコンディションが違っています。音に影響が出るほどの磁性体の劣化はほとんど感じられないのですが、明らかにテープを編集した時につないだ跡がはっきり聴こえる個所が、今回のBD-Aでは無数に見つかりました。おそらく、その部分はスプライシング・テープが剥がれてしまっていたのでしょう。
音そのものは、劣化こそないものの、CDと比較すると前回の「トリスタン」ほどの目覚ましい違いはありません。そこで、「神々の黄昏」の「ジークフリートのラインの旅」のトラックだけ24/96のFLACデータを購入して比較してみたのですが、BD-Aの音とは明らかに違っていました。それがDOLBYのためなのかどうかは、分かりません。
「神々」の冒頭の木管のアコードで、フルートの音がとても主張を持って聴こえてきました。これが録音されたのは1969年。もうゴールウェイはベルリン・フィルのメンバーになっていました。

BD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-07-08 21:03 | オペラ | Comments(0)
WAGNER/Tristan und Isolde
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Birgit Nilsson(Isolde), Wolfgang Windgassen(Tristan)
Chrisra Ludwig(Brangäne), Eberhard Waechter(Kurwenal)
Martti Talvelr(Marke), Peter Schreier(Ein junger Seemann)
Karl Böhm/
Chor und Orchester der Bayreuther Festspiele
DG/479 7291(BD-A)


1966年のバイロイトのライブ録音、カール・ベーム指揮の「トリスタン」全曲がBD-Aになりました。もちろんワーグナーのオペラで、西部劇ではありません(それは「ウエスタン」)。とは言っても、必ずしも全面的に歓迎できる出来ではなくなっているのが最近のこういう古いアナログ録音のハイレゾ化ですから、現物を確かめるまでは油断が出来ません。
まずは、ジャケットがオリジナル通りだったのにひと安心。いや、こちらにあるように、決してオリジナルが「正しい」ものではないのですが、半世紀前に入手したLPと同じジャケットに出会えたことには喜びを隠せません。
CD化された時には、ジャケットの写真が反転されてしまった(そちらが本来の写真なのですが)のと同時に、LPでは5枚組の最後の1面が余っていたので、そこに「おまけ」で収録されていた第3幕の冒頭からのリハーサルの録音もなくなっていました。まあ、CDだとちょうど3枚に収まってしまいますからそんな「余計なもの」は必要なかったのでしょう。それが、今回のBD-Aでは最後のトラックに全く同じものが入っていました。これでやっと、LPの正確な追体験が可能になりました。
というのも、このLPを買った時に、まずは全曲、何度も裏返しながら聴き通しましたが、そのあと何か聴き直すときにもっぱら聴いていたのが、この最後の1面だったのですよ。あまり頻繁に聴いたものですから、そこでベームがしゃべっていたことまで、一緒に刷り込まれてしまっていました。いわば、「トリスタン・リミックス・フィーチャリング・カール・ベーム」といった感じで、それだけで成立している音楽になっていたのですよ。これはすごいですよ。オーケストラへの細かい指示とともに、そこで歌い始める、後のウィーン国立歌劇場の総支配人、エーベルハルト・ヴェヒターと一緒にデュエットまで始めますからね。
そのLPは輸入盤に日本語の対訳などを加えたものだったのですが、何しろ当時のDGの輸入盤は盤質が悪かった、というか、高温多湿の日本の気候には合わない素材だったために、しばらく経つとコンパウンドの中の添加剤が表面に移行したのか、明らかに音が劣化してきました。あれほど美しかったニルソンの声も、醜く歪むようになっていたのです。その時点で手放してしまったので、そのLPはもはや手元にはありません。ですから、これは本当に久しぶりに再会できたリハーサル、ベームの声が聴こえてくると、そのころの身の周りのことまでがしっかり蘇ってきましたね。
同時に、そのリハーサルから見えてくる「そのころ」のベームの音楽も、まざまざと蘇ってきます。ベームといえば、すっかり枯れてしまった晩年の演奏ばかりが語られている、という印象がありますが、ここではとてもきびきびとした仕草で音楽を作っている姿がはっきり分かります。そして本番の演奏でも、常にドライブ感を絶やさずに突進している爽快感が伝わってきます。例えば、第2幕でイゾルデが待っているところにトリスタンが現れる場面とか、第3幕で、イゾルデに会えると分かった時のトリスタンの大はしゃぎする時のバックのオーケストラなどは、まるで踊りだすようなテンションにあふれています。その分、この作品では欠かせないと言われている耽美性のようなものはやや希薄になっているのでしょうが、それが「そのころ」のベームだったのですよ。
そんな、最初にまっさらなLPに針を落とした時に聴こえてきた音が、今回のBD-Aではしっかり再現されていました。そして、懸念されたマスターテープの歪みは、全くありませんでした。これは驚くべきこと、いつ、どのようなコンディションでハイレゾ・デジタル・トランスファーが行われたのかは全く分かりませんが、ここで聴ける音は間違いなく劣化していないマスターテープそのものの音です。この弦楽器の繊細な肌触りやソリストの立体的な存在感は、CDでは決して味わえません。

BD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-07-06 20:50 | オペラ | Comments(0)
WAGNER/Parsifal
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Jess Thomas(Parsifal), George London(Amfortas)
Hans Hotter(Gurnemanz), Iren Dalis(Kundry)
Gustav Neidlinger(Klingsor), Martti Talvela(Titurel)
Hans Knappertsbusch/
Chor und Orchester der Bayreuther Festspiele
DECCA/UCGD-9055/7(single layer SACD)


半世紀以上前から「名盤」の誉れが高かったクナッパーツブッシュの「パルジファル」が、ついにSACD化されました。第二次世界大戦後に再開されたバイロイト音楽祭は、運営と演出はヴィーラントとヴォルフガングのワーグナー兄弟によって支えられていたとされていますが、演奏面で支えたのは紛れもなくクナッパーツブッシュでした。ですから、1951年から1964年まで、ほぼ毎年この音楽祭の象徴である「パルジファル」の指揮を行っていました。それらの音源は怪しげな海賊盤を含めて無数にリリースされていますが、1962年にPHILIPSによってステレオで録音されたものは、それらの中では抜きんでたクオリティの音で、各方面で絶賛され続けています。
もちろん、すでにCDにはなっていますし、2010年頃にはSPEAKERS CORNERによってマスターテープから新たにカッティングとプレスが行われ、ブックレットまで完全に復刻されたLPもリリースされています。
今回、国内盤限定でリリースされたのはシングル・レイヤーSACD、例によって3枚組で税込1万円超という、とてつもない価格設定です。すでに同じ音源のデータ配信も始まっていますが、それだと全曲が税込3680円(2,8MHz DSF、24/192 FLACとも)で購入できることを考えたら、その異常さは際立ちます。ただ、CDでは4枚組、第1幕の途中でディスクを交換しなければいけませんが、シングル・レイヤーSACDでは第1幕全体107分を1枚に収めることができるので、3枚組になっています。
確かに、ワーグナーの作品はどれも1つの幕の間中音楽は続いていますから、出来れば途中で切れ目を入れずに聴きたいものです。そういう意味ではこの「3枚組」のSACDは画期的です。もっとも、BD-Aやファイル再生だったら幕間までも止めずに聴けますけどね。
この音源は元々はPHILIPSのエンジニア、ハンス・ロウテルスレイガーの手によって録音されたもので、この劇場のライブ録音としては奇跡的なバランスと透明性を持っていました。しかし、このレーベルは今ではDECCAに吸収されているので、今回のハイレゾ・マスタリングは元DECCAのエンジニア集団のCLASSIC SOUNDによって行われています。その結果、先ほどの、PHILIPSのマスターを忠実にカッティングしたLPでは確かに感じられたPHILIPSの音が、完璧にDECCAの音に変わってしまっていました。まるで、絹のように繊細だった弦楽器の音は、かなり生々しい、あえて言えば「どぎつい」音になっていたのです。これは、以前小澤征爾の「くるみ割り人形」を聴いた時にも感じたことです。念のため、FLACのファイルを4分だけ買ってSACDと比較してみたのですが、それは全く同じ音でした。
このLPは、SPEAKERS CORNERにしてはとても良い盤質で、サーフェス・ノイズがほとんどありません。そこで聴こえてきたバイロイトのちょっとくすんだ、それでいて透明感のある音には心底圧倒されていたので、この、かなり「無神経」なSACDの音には完全に失望させられてしまいました。
もちろん、LPの音はそれだけでSACDとは全く異なっていますが、これも念のためやはりSPEAKERS CORNERのDECCA盤(ショルティの「エレクトラ」)を聴いてみると、そこからは、まぎれもないDECCAサウンドが聴こえてきますからね。
さらに、LPと比較すると、各所で「修正」された個所を見つけることが出来ます。場内のノイズがかなり「消されて」いて、特に、聴衆の咳払いはほとんどの場所で「消えて」います。もちろん、細かい演奏のミスなどは変わりませんから別テイクではありません。
そんな「些細」なことよりも、マスターテープそのものの劣化の方が気になります。この前のカラヤンの「トスカ」ほどではありませんが、このSACDのためにトランスファーされた時には、明らかにLPのカッティングの時よりも劣化は進んでいたようです。なにしろ、LPにはなかったドロップアウトが聴こえたりしますからね。
そんなものをこの値段で売りつけるのは、はっきり言って「詐欺」です。烈火のごとく怒りましょう。

SACD Artwork © Decca Music Group Limited

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by jurassic_oyaji | 2017-06-29 20:42 | オペラ | Comments(0)
JOHAN BOTHA
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小澤, Welser-Möst, Young, Runnicles,
Sinopoli, Bychkov, Thielemann/
Orchester der Wiener Staatsoper
ORFEO/C 906 171 B


1965年8月に南アフリカに生まれ、1998年にはオーストリアに帰化したオペラ歌手、ヨハン・ボータは、ウィーン国立歌劇場の宮廷歌手という称号も与えられ、数少ない「ヘルデン・テノール」として世界中のオペラハウスで活躍していました。しかし、51歳になったばかりという2016年9月に、ガンを患って亡くなってしまいます。同じ年の10月に来日公演を行うウィーン国立歌劇場に同行して、シュトラウスの「ナクソク島のアリアドネ」でバッカスを歌う予定でしたが、急遽ステファン・グールドが代役を務めることになりましたね。
そこで、ウィーン国立歌劇場のライブ録音を行っているオーストリア放送協会の音源を多数CDでリリースしてきたORFEOから、彼の追悼の意味が込められたアルバムがリリースされました。1996年2月にこのオペラハウスにデビューしたボータは、2015年の4月にここでの最後の公演を迎えるまで、全部で222回もの出演回数を誇っています。そこで歌った役も、全部で21種類にのぼっています。そんな膨大なアーカイヴの中から、1997年の「ローエングリン」に始まって、2014年の「ナクソス島のアリアドネ」に至るまでの8つのシーンが、ここには集められています。
曲順は年代とは関係なく収録されていますが、録音された年代を意識しながら聴いていくと、ボータの歌の変遷がよく分かります。というか、この人は年齢を重ねていく中で、こんなに変わっていってしまったのかと、驚かされます。最も若い時の「ローエングリン」とか、1999年に録音されたシュトラウスの「影のない女」のカイザーなどでは、本当に若くて伸びのある声を聴くことが出来ます。そこにはほのかな甘さがありますから、音だけ聴いているとどんなにスマートなイケメンが歌っているのだろう、と思ってしまうほどです(彼は、外見ではだいぶ損をしていました)。ただ、幾分線が細く、あまり力強さは感じられません。
それが、2004年のベートーヴェンの「フィデリオ」のフロレスタンやシュトラウスの「ダフネ」のアポロ、そしてパルジファルになると、その声に俄然張りが出てきます。表現力もさらに高まってきて、おそらくこのあたりがボータの最も輝いた時期なのではないか、と思えてしまいます。これは間違いなく当時の「世界一のヘルデン・テノール」でした。
余談ですが、この「フィデリオ」は、2002年から2010年まで音楽監督を務めていた小澤征爾の指揮で歌っています。ボータが小澤と共演したのは、この年の「フィデリオ」が5回と、翌2005年の「さまよえるオランダ人」のエリックの3回しかないのだそうです。「オランダ人」はあいにく録音が残っていないので、この「フィデリオ」の2004年の録音が唯一の記録となりました。ただ、この演奏はボータの声には圧倒されるものの、バックの小澤がなんとも緊張感の薄い音楽に終始しているのがとても気になります。ワーグナーなどは途中で拍手が入る隙はありませんが、ベートーヴェンはジンクシュピールですから、アリアの切れ目がちゃんとあります。そこで、ボータが歌い終わるやいなや、まだ後奏が演奏されているというのに盛大な拍手が起こります。お客さんは、小澤ではなくボータを聴きに来ていたのでしょうね。
ところが、2010年の「タンホイザー」や2012年の「マイスタージンガー」(ヴァルター)、そして2014年の「ナクソス」あたりになると、声がかなり重たくなってきます。明らかにペース配分を考えて力を抜いているところも見られますし、ちょっと歌うのが辛いのでは、と思えるようなところまで出てきます。それは、2008年に別のところで録音された「ローエングリン」を聴いた時にも感じていたこと、どうやら、このあたりで彼のピークは終わっていたのでしょう。
ルネ・コロのように、長生きをして醜態をさらすことなく、コロッと亡くなったのは、彼にとって幸せなことだったのかもしれません。

CD Artwork © ORFEO International Music GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-06-15 20:23 | オペラ | Comments(0)
GLUCK, MOZART/Arias
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Camilla Tilling(Sop)
Philipp von Steinaecker/
Musica Saeculorum
BIS/SACD-2234(hybrid SACD)


1971年生まれのスウェーデンのソプラノ、カミラ・ティリングは、国内でのオペラ・デビューは1997年、イェテボリでのオリンピア役(オッフェンバックの「ホフマン物語」)でした。国際的なデビューとしては、1999年のニューヨーク・シティ・オペラでのコリンナ役(ロッシーニの「ランスへの旅」)、そこを皮切りに、世界中のオペラハウスに登場することになります。レパートリーもモーツァルトからR.シュトラウス、さらには2008年のメシアンの「アシジの聖フランチェスコ」と多岐にわたっています。
宗教曲でも大活躍、ラトル/ベルリンフィルと共演した「マタイ」「ヨハネ」にも参加していましたね。
ソロ・アルバムとしては、このBISレーベルにR.シュトラウス(2008年)、シューベルト(2010年)、北欧の作曲家(2014年)と、3枚のリート集を録音していました。ほぼ2年のインターバルでそれらに続いてリリースされたのが、この2015年10月に録音された、グルックとモーツァルトのオペラ・アリア集です。もちろん、ピアノ伴奏ではなく、バックにはオーケストラが付きます。
そのオーケストラは、「ムジカ・セクロルム」という、初めて名前を聞いた団体です。「セクロルム」というのは麻酔薬ではなく(それは「クロロホルム」)、ラテン語で「100年」、転じて「とこしえに」みたいな意味を持つ言葉です。オーケストラとともに合唱も併設されていて、宗教曲などにも対応できるフォーマットを持っている、ピリオド楽器のアンサンブルです。設立したのは、このCDでの指揮者、フィリップ・フォン・シュタインエッカーですが、その時に共に設立にあたったのが、彼の妻でフルーティストのキアラ・トネッリです。シュタインエッカーはかつてはチェリストとしてマーラー室内管弦楽団の首席奏者を務めていましたが、トネッリもやはりそこの首席フルート奏者、もちろん、ムジカ・セクロルムでも一番フルートを吹いています。
イタリアの南チロルを本拠地とするこのアンサンブルは、そんな、ヨーロッパ中の若くて実力のある演奏家が集まっていて、ピリオド楽器だけでなくモダン楽器での演奏も行っています(2013年には、ケルンのフィルハーモニーでブルックナーの「交響曲第1番」を演奏しています)。
まずは、このアルバムの幕開けということで、モーツァルトの「イドメネオ」序曲が、このオーケストラだけで演奏されます。それには、なにかとても新鮮な印象が与えられました。それは、かつてアーノンクールやノリントンといったちょっと前のピリオド系の指揮者の演奏を聴いたときの「新鮮さ」とはまるで異なる、「驚きを伴わない新鮮さ」でした。注目のトネッリのフルートも、少し明るめのピッチで吹いているのでしょう、ピリオド系のオケを聴いた時にいつも感じる、この楽器が全体の中に埋もれてしまうということは全くなく、とても目立って聴こえてきます。
このCDでは単なる「アリア集」とは違って、オペラの中ではそのアリアの前に演奏されるレシタティーヴォがまず歌われています。これは、特に「イドメネオ」のようなオペラ・セリアの場合はオーケストラの伴奏もしっかり書かれているパーツですから、そこでもこのオーケストラの豊かな表現力がしっかり味わえることになります。もちろん、アリアでのオブリガートも素晴らしいものばかり、「コジ・ファン・トゥッテ」第2幕のフィオルディリージのアリア「Per pietà ben mio perdona」でのホルンなどは格別ですね。
そして、ティリングの歌は完璧でした。とてもナチュラルで伸びのある声は、まるで砂漠のオアシスのように素直に心の中に沁みこんできます。コロラトゥーラも全く破綻のない鮮やかさ、なんの不自然さも感じることなく楽しめます。グルックではフランス語で歌われているものも有りますが、その発音もとてもかわいらしく響きます。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2017-05-02 20:40 | オペラ | Comments(0)