おやぢの部屋2
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カテゴリ:オペラ( 217 )
MUSSORGSKY/Boris Godunov(excerpts)



George London(Bas)
Thomas Schippers/
Columbia Symphony Orchestra & Chorus
SONY/82876-78747-2



「おやぢ」を始めてから何年も経たないというのに、その間だけでもレコード業界は大きくその版図を変貌させてきました。当初からリストを作るためのレーベル名の表記などは出来るだけ元からのものを使うようにしてきたのですが、ここに来て「SONY BMG」がしっかり一つの企業だとの認識が高まってくると、このままの表記でよいのかどうか、迷わざるを得なくなってしまいます。「BMG」こそまだ「レーベル」とは認識されてはいませんが、「SONY」はれっきとしたレーベル名、しかし、それはもともと「COLUMBIA」と呼ばれていたものなのですから、こんな昔の復刻盤などが出てくると、レーベルは「COLUMBIA」と表記した方が良いような気になってきます。今はまだ「SONY CLASSICAL」という概念だけは健在のようですが、それが使われなくなり、「SONY BMGレーベル」などというものが出現した時こそが、一つの文化がビジネスによって殺された時となるのでしょう。現に、他の巨大レコード産業「WARNER」や「UNIVERSAL」に於いては、ほとんどそれに等しい事が行われたか、あるいは行われようとしているのですから。
そんな、COLUMBIAが、今では同じ企業体になってしまったかつての競争会社RCA(と言うより、VICTORでしょうか)と互いにしのぎを削っていたという「懐かしい」時代の録音が、オリジナルジャケットを前面に出した形で何種類か再発されました。その中で、これは、「ボリス」のハイライトという体裁ですが、ほとんどタイトルロールを歌っているジョージ・ロンドンのソロアルバムのような印象を与えられる物です。
1920年(1919年、あるいは1921年という説も)に生まれたアメリカのバス歌手ジョージ・ロンドンは、今では少なくとも日本のネット上では全く忘れられた存在となっています。すでに1985年には亡くなっていますし、「声帯麻痺」という病気のために1960年代の後半には歌手を引退していたということですから、それも無理のない事なのでしょう。
しかし、彼には「最初にザルツブルクでモーツァルトを歌ったアメリカ人」、「最初にバイロイトに出演したアメリカ人」、そして、「最初にボリショイ劇場で歌ったアメリカ人」という輝かしい経歴が残されています。そして、そのボリショイ劇場で歌った役こそが、この「ボリス・ゴドゥノフ」だったのです。それは、1960年9月のこと、このCDはその「偉業」の半年後、1961年3月にニューヨークで録音されたものです。オーケストラと合唱は「コロムビア交響楽団・合唱団」という覆面団体(ニューヨーク・フィルあたりでしょうか)、そして、指揮者が1977年に47歳の若さで亡くなったアメリカの指揮者、トーマス・シッパーズです。閉め忘れにはご注意を(それは「ジッパー」)。演奏と録音は、いかにもこのレーベルらしいメリハリのきいたものです(プロデューサーはあのジョン・マクルーア)。シッパーズの指揮は非常に分かりやすい表現に終始、リムスキー=コルサコフ版のオーケストレーションと相まって、スペクタクルなサウンドが充満しています。そんな中で、ロンドンは堂々とした声で圧倒的な存在感を示してくれていました。それとともに、とても細やかな感情表現も伴わせるという、深みのあるところも見せてくれています。
元はLP1枚分、40分にも満たないものですから、CDでは余白にオーマンディとフィラデルフィア管弦楽団の「展覧会の絵」が入っています。その「プロムナード」が聞こえてきた時、はたと、これは「ボリス」のプロローグの合唱にそっくりな事に気づきました。
この録音が弾みになったのでしょうか、1963年5月にはモスクワで、ロンドン以外は全てボリショイ劇場のキャストという全曲録音をこのレーベルが敢行します。あの「冷戦」時代にそんな事を可能にしたロンドンの人気と実力が、このことでもうかがい知る事が出来るはずです。こちらでも、「本場」のメンバーに一歩も引けを取らないロンドンの存在感が確認できます。

   SONY/S3K 52571
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by jurassic_oyaji | 2006-06-30 21:11 | オペラ | Comments(0)
WAGNER/Die Walküre


Astrid Varnay, Gré Bouwenstijn(Sop)
Ramón Vinay(Ten), Hans Hotter(Bas)
Joseph Keilberth/
Orchester der Bayreuther Festspiele
TESTAMENT/SBT4 1391



ヴァーグナーの「指環」のステレオによる全曲録音といえば、ジョン・カルショーが1958年から1965年にかけてスタジオで行ったものが、「世界初」とされています。しかし、そのカルショー自身もその著書「Ring Resounding」の中で述べているように、これに先だつ1955年に、すでにそのカルショーのレコード会社DECCAが、バイロイト音楽祭の「指環」全曲をステレオでライブ録音していたのです。その時に、この生まれて間もないテクノロジー「ステレオ」の技術担当として、実際にその録音に立ち会ったのが、後に「チーム・カルショー」の一員となるゴードン・パリー、彼がバイロイトで得たノウハウが、後のスタジオ録音の際に大きく寄与している、というのが、カルショーがその著書の中でこの録音に関して触れた記述です。その前の「その録音の商業的発表を妨げるさまざまな契約と直面(黒田恭一訳)」という述懐こそが、まさにこのCDが50年の歳月を経て初めて世に出た録音である事を裏付けるものなのです。
そんな貴重な「お宝」、先日の「ジークフリート」に続いての、「ヴァルキューレ」の登場です。他の2作も順次リリース、今年中には「世界初」のステレオ録音による「指環」が全てCDで揃う事になります。
定評のあるTESTAMENTのマスタリング、そしてもちろん、当時最先端を誇っていたDECCAの録音技術は、この50年前の録音から、信じられないほど生々しい音を届けてくれました。弦楽器の音はあくまで艶やか、もちろん第1ヴァイオリンが上手から聞こえてくるというバイロイト独自のシーティングが、きっちりとした音場となって伝わってきます。管楽器も目の覚めるようなクリアな録られ方、ソロ楽器もはっきりと聞こえます。そして何にも増して素晴らしいのが、ステージ上の歌手の声です。制約の多いライブ録音で、これほど多くのソリストがしっかり「オン」で捉えられているのは、殆ど奇跡に近いものがあります。第3幕の冒頭の、ヴァルキューレたちがお互いを呼び交わす場面など、とてつもないリアリティに溢れています。これで50年前の録音!
そんな素晴らしい録音で、「凄さ」を存分に味わえるのが、ブリュンヒルデ役のアストリッド・ヴァルナイです(そういえば、これはCDだけではなく、ヴァイナル盤も発売されるとか)。第3幕半ばでのヴォータンに対するモノローグの鬼気迫る歌唱には、圧倒されてしまいます。よく響く低音を生かして、完璧に自分の歌として歌わない限り決して生まれないような独特のルバートを交えて奏でられるこの「アリア」は、まさにライブ録音ならではの格段の魅力を持つ事になりました。しかし、それに対するヴォータンのハンス・ホッターは、この10年後にカルショーのセッションに臨む時には、もはやコントロールのきかないビブラートでボロボロになってしまう予兆を感じさせる、うわずった音程が気になってしょうがありません。
カイルベルト指揮のこの劇場のオーケストラは、この録音がまさに「記録」としての価値を持つ事をまざまざと見せつけてくれるものでした。これによって私達は、半世紀前の「ヴァーグナーのメッカ」ではどのような演奏がなされていたかを、まさに今録音されたばかりのようなみずみずしい音によって、手に取るように知る事になるのです。指揮者の趣味もあるのでしょうが、それは煽り立てるエネルギーは有り余るほどあるくせに、繊細さが決定的に欠けているという、「無骨」などという形容詞すら褒めすぎかも知れないと思えるほどのものでした。金管楽器の乱暴なまでの力強さがそれに花を添えます。「ヴァルハラのテーマ」を吹くヴァーグナーチューバほどのおおらかさはありませんが、その音程のアバウトさには、つい微笑みを誘われてしまいます。
カルショーが彼の「指環」を制作した時には、バイロイトが反面教師になったと、先ほどの著書では述べられています。それはもちろんヴィーラント・ヴァーグナーの演出に対するコメントなのですが、もしかしたらその中にはこんなオーケストラの印象も含まれていたのでは、と想像してしまうほど、それは醜いものでした。
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by jurassic_oyaji | 2006-06-14 20:09 | オペラ | Comments(0)
MOZART/Die Zauberflöte
D.Röschmann, E.Miklósa(Sop)
C.Strehl(Ten), H.Müller-Brachmann(Bar)
Claudio Abbado/
Arnold Schönberg Chor, Mahler Chamber Orchestra
DG/00289 477 5789(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック/UCCG-1298/9(国内盤 5月24日発売予定)


ごく最近までNHKからかたくなに「アッバード」と殴られ続けていた(それは「アッパーカット」)「アバド」の「魔笛」です。モーツァルトの他のオペラはさんざん上演してきたアバドですが、なぜか「魔笛」に関しては慎重な態度をとり続けていて、何と、これが彼の最初の録音だということです。待たされた甲斐があったと言うべきなのでしょうか。
一部で「セッション録音」などという情報が流れていましたが、これはモデナのテアトロ・コムナーレに於ける、息子ダニエレ・アバドの演出によるプロダクションのライブ録音です。滑稽なセリフを受けて観客が笑い声を立てる生々しい情景がそのまま収録されていますし、なによりも一番最後には盛大なブラヴォーと拍手が入っているのですから、まちがいはありません。ただ、頻繁に音のバランスやまわりの雰囲気が変わるのがよく分かりますから、リハーサルなどのテイクも合わせて、かなり大胆に(と言うか、無神経に)編集しているのでしょう。
こんなやり方、今ではオペラのCDを作る時の手順としてすっかり定着してしまった感があります。もはやきちんとセッションを組んで精度の高い演奏を提供するというのはコスト的に不可能になってしまっているのは分かりますが、この、せっかくのアバドの「魔笛」の初物ぐらいは、せめてもう少していねいな作り方が出来なかったのか、という気がしてなりません。というのも、この演奏を少し聴いただけで、アバドがこの曲に寄せる思いには、とてつもなく深いものがあることを感じずにはいられないからなのです。これはまさに、オリジナル楽器の演奏家達のアプローチも視野に入れて、今まで彼が暖めていたアイディアが全てこの中に盛り込まれたのではないかと思える程のプロダクションなのですが、いかんせん、ライブ特有の歯がゆいまでの不完全さが、とてももどかしく感じられてしまうのです。「本当はこうやりたいのだろうな」と考えながら聴き続けるのは、かなり辛いものがありました。
具体的には、ソリスト達とアバドとのグルーヴの違いです。指揮者の求めているものは余計なものは極力そぎ落としたスマートなテンポ感。しかし、タミーノ役のシュトレールあたりは、それとは全く無関係なノリで全体をぶちこわしているのです。これなどは、セッションできちんとリハーサルをして注意深く録音を行えば、もう少し寄り添ったものが出来上がっていたことでしょう。
ですから、そんな中で指揮者の思いを完璧に受け止めたレシュマンの存在によって、この録音はあたかもパミーナが主役であるかのような、当初求めたものとは微妙に異なる形での完成度を見せつけることになりました。彼女は音楽的な面だけではなく、セリフだけで展開される「芝居」の部分でも、驚くべき存在感を主張しています。同様な存在感は、パパゲーノ役のミューラー・ブラッハマンにも見られます。全てのキャストがこの2人程の成熟度を見せていたら、このアバドの「魔笛」はとてつもない世界観を私達に届けてくれたことでしょう。
その一例として垣間見られるのが、この2人によるデュエット(第1幕フィナーレ直前の「第7番」/CD1Track12)のイントロで、クラリネットとホルンによるアコードをまるまる1小節分カットしたという「勇気」です。そもそもこのアコードは自筆稿には書かれてはいなかったもので、その扱いに関してはさまざまな説が主張されていましたが、これも一つの解決策、もちろん、それを実際の演奏で用いたのは、私の知る限りこのアバドのものが最初のはずです。
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by jurassic_oyaji | 2006-04-19 19:59 | オペラ | Comments(2)
WAGNER/Auszüge aus "Der Ring des Nibelungen"



Ben Heppner(Ten)
Peter Schneider/
Staatskapelle Dresden
DG/00289 477 6003



ベン・ヘップナーの声を初めて聴いたときのことは、今でも忘れません。それは、「ヴァルトビューネ1999」、毎年、ベルリン・フィルがシーズンの締めくくりとしてベルリン郊外の野外音楽堂に何万人というお客さんを集めて行われるコンサートでした。毎年様々な趣向を凝らして開催されるそのコンサート、ジェームズ・レヴァインの指揮による1999年のテーマは「リヒャルト・シュトラウスとヴァーグナー」、そこで、ヴァーグナーの作品からローエングリンやヴァルター・フォン・シュトルツィンクのナンバーを歌っていたのが、ヘップナーだったのです。このような役を歌う歌手は力強くドラマティックな歌い方が要求され、特に「ヘルデン・テノール(英雄のテノール)」と呼ばれています(ちなみに、「メサイア」を歌うのは「ヘンデル・テノール」)。その当時、この呼び名にふさわしい歌手は殆どいなくなってしまっていた、というのが、私の抱いていた認識でした。ヴォルフガンク・ヴィントガッセンやジェームズ・キングはもはや過去の人、最も期待されていたルネ・コロも、すでに最盛期を過ぎた情けない声に変わってしまっていました。そこに現れたのが、このヘップナーです。大きな体からやすやすと発せられた輝きに満ちた声、待望久しい、真のヘルデン・テノールに出会えた事が実感できた瞬間でした。
ヘップナーは、1956年にカナダに生まれたといいますから、今年で50歳、歌手としてはまさに円熟の域を迎える年齢となっています。しかし、「トリスタン」や「マイスタージンガー」ではステージの経験もありDVDも出ているというのに、なぜか「リング」でのヘルデン・テノールのキャラ、ジークムントやジークフリートを演じた録音は今までありませんでした。そこへリリースされたのが、このヴァーグナーの「リング」からのハイライトです。まさに待望のアルバムと言えるでしょう。
ここでのヘップナーは、単にこの2つの役を演じ分けるだけの次元ではなく、その場に応じた的確な表現を見せるという、極めてクレバーな歌を聴かせてくれています。まず、「ヴァルキューレ」(もちろん、「リング」の中でも、「ラインの黄金」にはヘルデン・テノールの出番はありません)での、いかにも若く逞しい若者といったジークムントの姿はどうでしょう。彼の内に秘めた力強さが、ストレートに伝わってきます。そして、「リング」の中でも最も美しいナンバー「冬の嵐は去り」が、いささかの甘さもない毅然とした歌い方をされるのを聴く時、私達はこの歌の本質を知る事になるのです。このラブソングは、禁断の思いを実の妹に寄せる愛の歌、しかも、その愛が成就された末に生まれた子は、悲劇的な生涯をたどる事になるという、救いようのないものなのですから。
「ジークフリート」は、タイトル・ロールである「その子」の、言ってみれば成長の物語です。ミーメの許でノートゥンクを鍛えているのは、ただの乱暴者でしかない世間知らず、それが、ファフナーが姿を変えた大蛇を退治する事によって知恵を授かり、さらにブリュンヒルデに出会い愛に目覚めるという、まさに「変態」の課程が描かれていると言ってもいいでしょう。これをヘップナーは、粗野な音色と表現から始めて、次第に深みを加えていくという歌い方の変化によって、見事に表現しているのです。「神々の黄昏」での臨終のシーンも、息をのむ程の美しさです。
ヴェテラン、ペーター・シュナイダーが率いるドレスデン・シュターツカペレは、ヘップナーが演じきったこの壮大な悲劇を、まさに職人的な緻密さで支えています。その重心の低いサウンドは、華やかさを用心深く排斥し、深みを極める事に全てを捧げているかに見えます。
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by jurassic_oyaji | 2006-04-10 20:49 | オペラ | Comments(0)
Vienna State Opera Gala





Baltsa, Gruberova, Kirchschlager,
Domingo, Hampson, Terfel, Botha and more
Ozawa, Mehta, Thielemann, Gatti, Welser-Möst/
Chorus and Orchestra of the Vienna State Opera
EUROARTS/2054928(DVD)



昨年2005年は、戦災にあったウィーン国立歌劇場が再建され、オペラの上演が再開されてから50年が経ったという記念すべき年だったのだそうです。そこで、それを祝ってガラ・コンサートが開かれることになりました。もちろん、会場は満席、「ガラガラ」になることはありませんでした。11月の5日に開催されたそのコンサートの模様が完全収録されたのが、このDVDです。3時間に及ぶその豪華な催しを、存分にお楽しみ下さい。残念なのは、これがNTSCという普通のテレビの規格だということです。もっとも、現在国内で出ているDVDは全てこの方式によるものなのですが、元々のソースの制作はオーストリア放送協会とNHKが共同で行ったもので、しっかりハイビジョンで収録されています。そして、これは先日NHKBSのハイビジョンチャンネルで放送されましたから、それなりの装置を持っている人であれば無料で(もちろん、システムに費やした資金は無視します)見ることが出来るだけでなく、HDに保存しておけば、将来市場に出回るであろう次世代ヴィデオディスクとして残すことも可能なわけです。ですから、それよりもはるかに画質の劣る(あくまでも、それなりの装置を持っている人に限りますが)ディスクをわざわざお金を出して買うことにどれほどの意味があるのか、という点については納得のいかない部分が残りますが。
しかし、この夢のようなステージを眼前にしては、そんな些細なことはどこかへ吹っ飛んでしまうはずです。指揮者だけで、現音楽監督の小澤征爾を始めとしてメータ、ティーレマン、ガッティ、ウェルザー=メストという超豪華メンバーが5人、歌手に至ってはドミンゴ、ターフェル、バルツァ、グルベローヴァ、ハンプソン等々、数えきれないほどの人達が出演しているのですからね。
コンサートの流れとしては、この歌劇場が再開された時に上演された6つの演目の一部を、5人の指揮者にそれぞれ指揮をさせる、というものです。ただ、小澤だけは特別扱い、まずオープニングで「序曲レオノーレ第3番」を演奏したあと、大トリとして「フィデリオ」の大詰めを指揮する、という、まさに「ホスト」の貫禄です。2番手のメータは「ドン・ジョヴァンニ」、ティーレマンだけ2曲で「薔薇の騎士」と「マイスタージンガー」、ガッティは「アイーダ」、ウェルザー=メストは「影のない女」という演目があてがわれています。
演奏はもちろんこの歌劇場のオーケストラ、別の場所では「ウィーン・フィル」と呼ばれている団体です。このようなトップクラスのオーケストラと歌手が一堂に会した場で最も重要になってくるのは指揮者の手腕でしょう。私が最も素晴らしいと思ったのは、映像を見るのはこれが初めてのガッティでした。担当の「アイーダ」で、オーケストラにも、そして歌手にも十分の自由さを与え、それでなおかつ全体を自分の音楽でまとめ上げるという力は凄いものです。自分の主張が空回りしていたティーレマンとは、まさに好対照でした。われらが小澤も、全体のまとまりにまでは気が回らないのがありあり、このつまらないオペラに聴き手の耳をそばだてさせられることは、ついに叶いませんでした。
歌手陣での最大の収穫はヨハン・ボータです。風貌に似合わぬ繊細この上ない歌唱は、まさに絶品でした。オクタヴィアンを歌ったキルヒシュラーガーの、ボーイッシュなのにセクシーというファッションも素敵ですね。
ステージの上には、それこそ1955年の舞台を踏んだ歌手たちが、「来賓」として座っていました。そんな殆ど伝説上の人達、誰も知っているわけはないと思っていたら、一人だけ、上手の出入り口のすぐ前に座って、出演者たちとオーバーアクションで握手を交わしているクリスタ・ルートヴィヒの姿が目に付きました。バーンスタインの指揮で、このオペラハウスでマルシャリンを歌っていたのはついこの間だと思っていたのに、彼女はもう引退していたのですね。
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by jurassic_oyaji | 2006-03-24 19:52 | オペラ | Comments(0)
VERDI/La Traviata
Anna Netrebko(Sop)
Rolando Villazon(Ten)
Thomas Hampson(Bar)
Carlo Rizzi/Wiener Philharmoniker
DG/477 5936
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCG-1274/5(国内盤 12月7日発売定予定)


今年8月のザルツブルク音楽祭でのライブ録音が、早くもCDになって登場です。「ニューイヤーコンサート」などとは異なり、オペラの場合は編集などに相当な時間がかかるはずなのに、こんな素早いリリース、らいぶ、無理をしたのではないでしょうか。
この公演は、日本のテレビなどでも大々的に紹介されていましたから、現地での評判はものすごいものだったことでしょう。なんと言っても、その評判の立役者はヴィオレッタ役のアンナ・ネトレプコ、人気に於いては、完全に彼女1人が独占したということは、多くの人が言及していましたね。指揮者が、予定されていたマルチェロ・ヴィオッティの急逝にともなってカルロ・リッツィに変わったのも、一つの話題でした。
ネトレプコとともに話題を呼んだのが、アルフレード役のヴィラゾンです。まさに美男美女と言い切って構わないこの組み合わせ、新しい世代のスーパースターの登場と、マスコミはこぞって煽り立てたのでした。初日の模様はORFによってテレビで生中継されたと言いますから、これをそのままDVDなどの映像で堪能できれば、ヴィジュアル的な醍醐味を味わうことができるのでしょうが、歌手の契約上の問題から、当分発売されることはないだろうというのは、CDショップのお兄さんの話、まあ、とりあえず音だけで、この公演の模様を楽しむことにしましょう。とは言っても、レコード会社の「スタジオ録音に近いものを提供したい」という良心のあらわれなのでしょうか、「ライブ」では当然あるはずのアリアの後の拍手などが、きれいさっぱりカットされているのには、ちょっと驚いてしまいました。前奏曲が始まるのと同時にステージの足音などが派手に聞こえてくるのですから、そんな小細工は殆ど意味のないものになってしまうのですがね。実際、これだけの会場の雰囲気がたっぷり入った録音から拍手だけが消えていると、逆にものすごく不自然なものに感じられてしまうから、不思議です。
その若い2人、ネトレプコの方にはもはやカリスマ的な風格さえ漂っているのはさすがです。なによりすごいのは、このオペラを彼女1人の力で仕切ってしまっているということです。「乾杯の歌」など、ちょっと軽めのテンポで始まったものを、彼女はものの見事に自分のテンポに持って行ってしまっているのですから、すでに指揮者すらも自分の支配下に置いているのが分かります。その突き抜けるような高音の力で、最後まで、まさにプリマドンナの貫禄を示し続けてくれました。ただ、相手役のヴィラゾンがちょっと「格」が違うのでは、と思わざるを得ないような出来だったのは、残念でした。独特の甘い声は魅力的ではあるのですが、いかんせん音楽的な「力」が決定的に不足しています。ネトレプコとのデュエットでは、とうとう最後までかみ合うことなく、情けなさだけが露呈してしまっていました。
私にとっては、この公演の最大の収穫はジェルモン役のハンプソンでした。今まで聴いてきたジェルモンとは全く異なる明るい声のバリトンは、ここで、思っても見なかったような強烈な存在感を示してくれたのです。圧巻は第2幕のヴィオレッタとの二重唱。本来は田舎ものの親父が無理難題をふっかけるというシチュエーションなのでしょうが、これをハンプソンの美声でやられると、とても優しく諭されているように思えてしまいます。この優しさがあったからこそ、ネトレプコのちょっとヒステリー気味の演技がきちんと意味を持つことが出来たのではないでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2005-11-14 20:50 | オペラ | Comments(0)
MENDELSSOHN/Der Onkel aus Boston

Kate Royal(Sop)
Carsten Süß(Ten)
Helmuth Rilling/
Gächinger Kantorei Stuttgart
Bach-Collegium Stuttgart
HÄNSSLER/CD 98.221



ヘルムート・リリンクは1933年生まれだそうですから、もうすでに70歳を超えていたのですね。今でこそ、バッハのカンタータを全曲録音しようとしている人はたくさん出てきましたが、彼が世界初のカンタータ全集を録音した時には、まさに「偉業」と讃えられたものです。もちろん、この偉大な業績は、それ以後にどんな全集が現れようが、バッハ演奏史においては永遠に語り継がれていくことでしょう。最近のオリジナル楽器による演奏家の活躍なども視野に入れて、彼自身の演奏スタイルも柔軟に変えていくという、フットワークの自在さも見逃せません。
「シュトゥットガルト・バッハ・アカデミー」の主宰者としてのリリンクは、最近ではバッハに限らない、幅広い作曲家の作品を取り上げ、その事によってバッハの裾野の広さを世に知らしめているような活動を展開しているように見えます。その、最も新しい成果が、この、メンデルスゾーンの知られざるオペラ「ボストンからの叔父」の蘇演です。最近何かと話題のモーツァルト同様、小さい頃から音楽の才能を発揮した早熟な(「ぼく、十(とお)からのおやぢ」)メンデルスゾーンが、これは14歳の時に作ったオペラということになります。当時の彼は、ベルリンの「ジンクアカデミー」で、有名なツェルターに作曲の指導を受けていたわけですが、この時期に3つの1幕もののオペラと、この3幕の作品を作っているのです。これらのオペラは、メンデルスゾーン家の内輪のコンサート(といっても、聴衆にはツェルターなどそうそうたるメンバーが名を連ねているのですが)で上演されただけで、その後は全く演奏されることはありませんでした。
この録音は、その、まさに180年ぶりの「再演」ということになります。ただ、この時期のドイツオペラに本来はあったはずの「セリフ」は一切カットされて、音楽のみが演奏されています。ブックレットの写真を見ると、ステージ上にオーケストラと合唱団、そして配役の扮装をしたソリストたちが並んでおり、舞台装置などは一切ない「コンサート形式」の上演であったことが分かります。トータルで1時間40分、まあ手頃な長さでしょう。
作品としての魅力は、なかなか捨てがたいものがあります。序曲の冒頭でホルンのコラールが聞こえてくるあたりは、まさに「ドイツオペラ」としての特色を出そうと意図したものなのかもしれません。幕の中で聴かれるバレエ音楽も、なかなか素敵なものです。特に、第2幕にある「大きなバレエ」では、木管楽器のソリスティックなアンサンブルが耳を楽しませてくれます。最近の「バッハ・コレギウム・シュトゥットガルト」でのフルートのトップはヘンリク・ヴィーゼ、彼の伸びやかで輝かしい音色はとても魅力的です。
ただ、基本的には作曲の勉強の成果、といった趣をぬぐい去ることは出来ません。そこにあるのは、オリジナリティよりは、少し前の作曲様式の模倣、この作品の中にモーツァルトの「後宮」や「魔笛」と非常によく似たテイストを感じたとしても、それは致し方のないことなのでしょう。時折見え隠れするロマンティックな翳りが、メンデルスゾーン自身のものとしてきちんとした形になるには、もう少し時間が必要になってくるのです。
このオペラを完成させた年のクリスマスに、メンデルスゾーンは後に100年ぶりの蘇演を行うことになるバッハの「マタイ受難曲」の楽譜をプレゼントされます。その時点では、彼はこのオペラが180年後に初めて再演されることになろうとは、夢にも思っていなかったことでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2005-10-30 19:20 | オペラ | Comments(0)
Mozart The Supreme Decorator



D.Montague, E.Futral, M.Cullagh(Sop)
Charles Mackerras/
The Hanover Band
OPERA RARA/ORR 232



「モーツァルト、最高の装飾家」という、まさに来年のモーツァルト・イヤーに向けてのもろ企画アルバムです。もちろん、これはこういうことが大好きな指揮者のマッケラスが自ら監修にあたっており、これからうんざりするほど出てくるであろうどこぞの国の「○○に良く効くモーツァルト」などという便乗企画とは根本的に異なる次元の志を持ったものであることは、言うまでもありません。
モーツァルトが他の作曲家の作品をどのように「装飾」したか、という様子を実際に音で体験してもらおうという企画、しかしここで実現されているのは、単に曲を並べただけという安直なものではありませんでした。マッケラスは、ライナーノーツの中で、そのような曲、あるいは装飾が出来上がる課程でモーツァルトと関わりがあった人物たちのことを細かく述べてくれています。それによって、モーツァルトの素顔が自ずと浮き出てくる、という巧妙な仕掛けが、ここには施されているのです。その人物の1人が、当時ロンドンで活躍していた大バッハの末子、ヨハン・クリスティアン・バッハ、21歳年上のこの作曲家は、モーツァルトが唯一尊敬した同業者として、彼の手紙にはたびたび登場しています。そのバッハの「シリアのアドリアーノ」というオペラからのソプラノのためのアリアが、まずこのアルバムに登場します。最初にダイアナ・モンタギューによって歌われるのがオリジナルのバッハ・バージョン、そして、そのあとに続くのがマジェラ・カラフとエリザベス・フラトルによって歌われれう2通りのモーツァルト・バージョンです。ここでモーツァルトは、元からあったゆったりとした前奏をバッサリカットして、全く別の快活な部分を新たに挿入、それを導入として本来のアリアに入るという、実にかっこいい編曲を行っています。もちろん、フレーズの至るところにはセンスの良い「装飾」が施され、目の覚めるようなカデンツァが彩りを添えます。
そして、このようなバージョンを作るきっかけを与えたのが、もう1人の登場人物、その当時の恋人アロイジア・ウェーバーでした。健康食品も時としてお肌に悪いもの(それは「アロエじわ」)。やがてはこのアロイジアの妹であるコンスタンツェと結婚することになるのですが、この頃はオペラ歌手であった彼女に夢中だったモーツァルトの、「バッハさんのこんな曲があるんだけど、歌ってみない?君が歌えばもっと素敵になるように、ぼくがちょっと手を入れてみたんだ」みたいな、幸せそうな様子が目に浮かんではきませんか?
実は、このアルバムのコンセプトはもう一つあって、それは「パクリ屋としてのモーツァルト」。先ほどのクリスティアン・バッハの曲からアイディアを借りて、それを彼なりに展開させたという実例が2つほど紹介されています。そのうちの一つが、フルート、オーボエ、ヴァイオリン、チェロを独奏楽器としたコンチェルタンテの形を持つ「後宮」の中のコンスタンツェのアリアですが、確かにその前に聴かれるバッハの「シピオーネの慈悲」というオペラの中の曲とそっくりのアイディアが見られます。もちろん、これは敬愛する作曲家の良いところを積極的に自らの語法の中に取り入れるという、ポジティブな意味での「パクリ」ととらえるべきでしょう。
3人のソプラノは、いずれも清楚な歌い方で好感が持てます。私としては芯のある響きで一歩ぬきんでているフトラルの声がベストでしょうか。久しぶりに聴いたハノーヴァー・バンドの柔らかい響きともども、ホールの空気感まで見事に収めることに成功した録音の素晴らしさも光っています。
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by jurassic_oyaji | 2005-10-10 19:35 | オペラ | Comments(0)
MOZART/Don Giovanni








Charles Mackerras/
Orchestra of the Prague National Theatre
YONSEI/YDS-D1006(DVD)



来年2006年は、モーツァルトの生誕250年とかで、またまた大騒ぎの予感、と言うか、もうすでにその前哨戦は始まっています。それに便乗したのでもないのでしょうが、ほんの少し前、1991年のモーツァルトの没後200年(そんなのがありましたね)にちなんだイベントのDVDが、韓国の正体不明のレーベルからリリースされました。マッケラス指揮の「ドン・ジョヴァンニ」が2000円以下という値段で見られるのですからこれはお買い得「待ってました」とばかりに、つい手を出してしまいましたよ。
これは、このオペラが初演されたプラハ国立歌劇場での、記念すべき上演の模様が収録されたものです。プラハには3つほどオペラ劇場がありますが、いわゆる「スタヴォフスケー」と呼ばれるこの劇場は、この催しに合わせて8年間にわたる修復工事を行って、モーツァルト当時の美しい姿に再建されました。作曲者の没後200年にあたるこの年、チェコの大統領ヴァツラフ・ハヴェル臨席の下に行われたこの公演、指揮者のマッケラスがピットに現れてすぐ演奏されたのが、序曲ではなくチェコ国歌だったのには、ちょっと驚かされます。逆に、何の疑いもなくこのようなことが出来るこの国の人たちをちょっと羨ましくも思ったものです。ロイヤルボックスに立つだけで敬意を払えるような元首も、そこで演奏されるべき国歌も持たない私達の国は、何と精神的に貧しいのでしょう。
この歌劇場にとって、「ドン・ジョヴァンニ」は特別な演目であるに違いありません。ですから、ここでマッケラスが用いていたのは、かつてこの地で初演された形、「プラハ版」であることには重要な意味があります。したがって、第1幕でドン・オッターヴィオのアリアが歌われなくても、それで失望するのはお門違いというものです。もっとも、失望という点では、この由緒あるオペラハウスのオーケストラのあまりの酷さを体験してしまえば、他のことには寛容にならざるを得ないのでしょうが。録音の酷さも相まって、このオーケストラの音からはこのような晴れがましい席にふさわしい響きは全く聞こえては来ません。しかし、レポレッロ役のルジュク・ヴェレと、ドンナ・アンナ役のナジェジュダ・ペトレンコについては、そんな我慢をする必要がないほどの完成度の高さを見ることが出来るのは、せめてもの救いでしょうか。「カタログの歌」の引き締まった表現はちょっと聞きものです。ツェルリーナ役のアリス・ランドヴァーも、その美しい容姿はとことん魅力的です。
演出については多くを語りますまい。ドン・ジョヴァンニ役のアンドレイ・ベスチャスニーが、ジャージ姿でリンゴをかじりながら登場することに、何の意味があるというのでしょう。ドンナ・アンナの強姦のシーンが、まるで合意の下での行為のように見えてしまったり、騎士長との決闘でドン・ジョヴァンニ自身も傷を負うというちょっと変わった設定だったとしても、そこで抱く期待感はその後の平凡極まりない進行によって、見事に裏切られてしまうのですから。「地獄落ち」のシーンで意味もなく回転する回り舞台の醜悪なこと。
最も我慢できないのは、その演出をした人が誰なのかを全く知ることが出来ないDVDのパッケージの不親切さです。それだけではなく、音と映像は最初から最後までずれているという編集のお粗末さ、さらに時折見られるドロップアウトと、商品としての欠陥は目を覆うばかり。もう二度と、韓国製のDVDは買うものか、と、堅く心に誓う私でした。
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by jurassic_oyaji | 2005-10-06 19:39 | オペラ | Comments(0)
The Phantom of the Opera










STYLEJAM/ZMBY-2301(DVD)


先日公開されたばかりの映画が、もうDVDになりました。すでにサウンドトラック盤はご紹介済み、もちろん、音楽的な内容はその時のものと変わる事はありません。あの時に、オペラの「ハイライト盤」と「全曲盤」について書きましたが、今回は言ってみれば映像も付いたオペラのDVDのようなものでしょうか。
ミュージカルとしての「オペラ座の怪人」は、もちろん音楽として非常に完成度の高いものです。これでもかというほどに贅沢に登場する極上のメロディ、それらが有機的に絡み合って、実際、下手なオペラをしのぐほどの感動を与えてくれるものです。しかし、ここで描かれているファントム、クリスティーヌ、そしてラウルを巡る愛という、ある意味完結した世界は、ガストン・ルルーの原作が持つ暗く猥雑な世界からは少し距離を置いたものでした。
この映画で監督のシュマッカーが最もこだわったのは、その原作の持つ世界観を取り戻す事だったのではないでしょうか。ミュージカルでは舞台作品という制約上、ある程度部分的に切り取った形でしか再現できなかったものを、映画の特性を最大限に使い切って、その細々とした設定をしっかり見せてくれている、というのが、今回の映画化の最大の功績だと思えるのです。それが最も良く現れているのが、オーバチュアの部分。ミュージカルでは、シャンデリアが上がっていく間に薄汚れたオークションの会場が豪華なオペラハウスに変わる、という、もちろんかなりインパクトのある場面転換があるのですが、この映画では、その上に、多くの人々でごった返す舞台裏の喧噪を事細かに描写してくれています。そこで私達が目にするのは、観客の目に触れないところで広がっている、まるで一つの独立した「町」ででもあるかのようなオペラ座の裏方。その入り組んだ迷路のような空間は、確かにファントムが誰の目に触れる事もなく出没できるという原作の描写が納得できるものになっています。
この作品、もちろんすでに劇場で何度も体験したものですから、今回、映像はパソコンのディスプレイで見、音はヘッドフォンで聴く、という究極のパーソナルな味わい方を試みてみました。そうすると、大画面とはまた違った魅力を発見する事になりました。最大の収穫は、映像のディーテイルが、劇場よりも鮮明に理解できたことです。意外かもしれませんが、劇場では時としてスクリーンの全体ではなく、ごく一部分しか見ていなかった事がはっきりしてしまったのです。今回は全体を見据えた上での細部という見方が出来、先ほどのような感想も生まれたのでしょう。
もう1点、音の面で、劇場のスピーカーは、特にサラウンド用のサブスピーカーのクオリティが意外に低い事がよく分かりました。ヘッドフォンで初めて聴けた生々しいSE、例えばファントムがバラの花びらをバラバラとちぎる音に込められた怨念などは、劇場のスピーカーからは決して聞き取る事が出来なかったものでした。
こんなすごい体験がご家庭で味わえるなんて、これは絶対お買い得。
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by jurassic_oyaji | 2005-08-29 20:17 | オペラ | Comments(0)