おやぢの部屋2
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カテゴリ:オペラ( 219 )
VERDI/Aida
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Anja Harteros(Aida)
Jonas Kaufmann(Radamès)
Ekaterina Semenchuk(Amneris)
Antonio Pappano/
Orchestra e Coro dell'Accademia Nazionale di Santa Cecilia
WARNER/0824646106639




新しく録音された「アイーダ」の3枚組CDが、対訳付きの豪華ブックレットに収まって3000円ちょっとで買えるというのですから、うれしいですね。あんこは入っていませんが(それは「たい焼き」)。いろいろ事情もあるのでしょうが、もはやこのレーベルのような大会社が見捨ててしまったと思われていた、セッション録音によるオペラ全曲盤がまだ作られていたことを、素直に喜びたいものです。
「このレーベル」というのも、やはり時代の流れで単純には語れなくなっています。表面上は「WARNER」ですが、ほんの数年前までは「EMI」と言っていたレーベルです。ただ、この、2者の関係も微妙に変化しているようで、当初2013年の時点では何が何でもWARNER、みたいな姿勢だったものが、最近ではEMIのサブレーベルであった「PARLOPHONE」という名前がきちんとクレジットされるようになってきたようで、「かつてはEMIだった」という情報がこのように目に見えるようになったのには、一安心です。

セッション録音とは言っても、そこはこの時代ですからローマでコンサート形式の「アイーダ」を上演するにあたって、そのリハーサルと並行してマイクを立てて録音したものです。その模様がブックレットの写真でうかがえますが、オーケストラの弦楽器は16型と、普通のオペラハウスのピットの陣容よりも潤沢な人数が揃っています。金管の再低音にはバルブ・バス・トロンボーンを縦にひん曲げた「チンバッソ」という楽器の姿も見えますね。さすが、イタリアのオーケストラです。しかし、こちらで述べられているように、ヴェルディがこの作品のために指定した楽器は、この「チンバッソ」ではありませんでした。
それはともかく、この大編成のオーケストラの響きはとても柔軟性に富むものでした。ダイナミック・レンジがとても広いのですよね。前奏曲などほんとに聴こえるか聴こえないかという音で始まりますから、この時点で音量を上げたりするとそのあとでとんでもない大音響になった時にびっくりしてしまうことになります。このあたりは、この3年後に作られた「レクイエム」とよく似た音響設計ですね。ただ、いかんせんこれはただのCDですから、それはただ音が大きくなったり小さくなったりというだけのことで、その結果得られるはずのえも言われぬピアニッシモの肌触りなどは、望むべくもありません。
そんな、ちょっと物足りない録音ではありますが、このオーケストラの魅力はしっかり伝わってきます。このステージではソリストたちはオーケストラの中、トロンボーンと打楽器に挟まれた位置で歌っているので、その息遣いがすぐ近くで感じられるという利点からでしょうか、木管楽器などの演奏はとてもソリストにシンクロしています。というか、フルートがこれほどソリストに寄り添うようなパートだったことに、初めて気づかされました。
もちろん、これを入手したのはカウフマンがラダメスを歌っていたからです。最近はワーグナーをあまり聴く機会がなくなっているのがちょっとさびしいところで、彼がいったいどこへ向かおうとしているのかを確かめたい、という気持ちもありました。実際、彼がイタリア・オペラを歌う時には、ワーグナーとは明らかに歌い方を変えていますし、その結果はそれほど悪いものではありませんでした。しかし、ここで「アイーダ」の全曲を歌っているのを聴いてみると、やはりそこにはちょっとした「無理」が感じられてしまいます。彼は持てる能力を総動員してラダメス歌いになり切ってはいるのですが、その「努力のあと」が見えてしまうのですよね。その象徴的なものが、ソット・ヴォーチェの多用です。確かに、音楽的にはとても効果的で、演奏の品位は高まるものの、そこからはイタリア・オペラには欠かせない「開放感」のようなものがほとんど感じられないのですね。やはり、このジャンルでのカウフマンは、本来の力を出し切ることが出来ないのでは、と思えてしょうがありません。

CD Artwork © Parlophone Records Limited
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by jurassic_oyaji | 2015-10-11 19:29 | オペラ | Comments(0)
MOZART/ Les Mystères d'Isis
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Chantal Santon-Jeffery(Pamina), Marie Lenormand(Mona)
Renata Pokupic(Myrrène), Sébastien Droy(Isménor)
Tassis Christoyannis(Bochoris), Jean Teitgen(Zarastro)
Diago Fasolis/
Flemish Radio Choir, Le Concert Spirituel
GLOSSA/GCD 921630




現在のパリのオペラ座(ガルニエ宮)の前身である「オペラ」が、1801年にモーツァルトの「魔笛」を上演しました。しかし、そもそも「魔笛」はドイツ語のテキストをセリフと歌で綴るという「ジンクシュピール」のスタイルで作られたものです。フランスでも同じスタイルで作られた「オペラ・コミック」というジャンルはありましたが、それは格式の高い「オペラ」では決して上演されることのないものだったのです。ですから、「魔笛」を上演するためには、テキストはもちろんフランス語に変える必要はありますし、さらにセリフの部分をレシタティーヴォに直して、「グランド・オペラ」のスタイルに改めなければいけなかったのです。
そこで、フランス語による台本はエティエンヌ・モレル・ドゥ・シェドヴィルが担当、レシタティーヴォを作ったりする音楽的な面はルートヴィヒ・ヴェンツェル・ラハニトが引き受けるという布陣で「改訂」を行うことになりました。しかし、このラハニトの仕事は、そんなただの「改訂」の範疇を大幅に逸脱した、とんでもないものに仕上がることになるのです。
1746年にボヘミアに生まれ、最初はホルン奏者、後に作曲家となってパリを中心に活躍するようになるラハニトは、作曲家というよりは、様々な作曲家の作品を集めて新しい作品として構成する「パスティーシュ」の作り手として有名な人だったようです。今でいえば、新垣隆のような感じでしょうか(ちょっと違う?)。そもそも、タイトルを「魔笛」ではなく「イシスの神秘」とした時点で、何か胡散臭いものが感じられるはずです。生臭いというか(それは「イワシの神秘」)。登場人物の名前も、オリジナルと同じなのはパミーナとザラストロだけ、タミーノはイスメノール、そして夜の女王はミレーヌ、パパゲーノはボッコリス(この2人の表記が、代理店が作った帯では間違っています)、パパゲーナはモナに変わっています。ですから、それぞれの設定も微妙に変わり、「対」として登場していたまるで小鳥の化身のようだったパパゲーノとパパゲーナも、ごく普通の牧童と侍女になっています。
とりあえず序曲はまっとうに始まります。しかし、「3つのアコード」の少し前になんだかちょっと変わっているような気がしたのも束の間、その「アコード」がなんとも間抜けな音型に変わっていました。そして幕開けは、なんとザラストロの登場です。まずは全く「魔笛」らしくないレシタティーヴォ・アッコンパニャートで、グランド・オペラ版「魔笛」、いや、「イシスの神秘」の物語が始まることになります。
オリジナルをそのまま使った部分は、おそらく半分もないのではないでしょうか。まず肩透かしを食うのが、夜の女王だったミレーヌが歌い始めたアリアが、あの有名なコロラトゥーラ満載の曲ではなく、なんと「ドン・ジョヴァンニ」の中のドンナ・アンナのアリアだったこと。もう少しすると、同じ作品の「シャンパンのアリア」が、三重唱で歌われるのですから、大笑いです。これは、どうやら「オペラ」にはこの難しいアリアを歌える人がいなかったための措置のようですね。ただ、もう1曲の少しやさしい夜の女王のアリアは、今度はパミーナが歌うようになっていましたよ。
他の作品からの転用はまだまだあります。「ティトの慈悲」のヴィッテリアのロンド「Non piú difiori」などという地味な曲もミレーヌのアリアに変わっていますし、ボッコリスとモナのデュエットでは「フィガロの結婚」からの伯爵のナンバーが使われています。
最後はミレーヌもザラストロに許されるという幕切れ、そこで流れているのはオリジナルと同じ合唱でした。最初と最後だけは同じものを使ったというのが、ラハニトのモーツァルトに対するせめてものリスペクトだったなんて、悲しすぎます。そんなものでも、全部で6シーズン、トータルで128回も上演されたんですって。

CD Artwork © Note 1 Music GmbH
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by jurassic_oyaji | 2015-10-09 20:21 | オペラ | Comments(0)
The Puccini Album
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Jonas Kaufmann(Ten)
Antonio Pappano/
Orchestra e Coro dell'Accademia Nationale
di Santa Cecilia
SONY/88875092492




カウフマンは、おそらく今のオペラ界では間違いなく最も成功したテノールなのではないでしょうか。何故に「成功」というかはさまざまなご意見があることでしょうが、まずはそのファンの多さです。なんせ、日本の音楽雑誌には「今月のヨナス・カウフマン」という連載が掲載されていたほどですからね。そして、そのような「心情的」な尺度ではなく、もっと納得できるものが、レパートリーの幅広さです。スタート時はモーツァルトあたりだったものが、見る見るうちにワーグナーまで歌うようになって、「ドイツ・オペラ」の新しい星、と思われていたものが、いつの間にかヴェルディやさらにはビゼー、マスネといったイタリアやフランス物でも成功を収めるようになってしまいました。
それだけではありません。あまりご存知ないかもしれませんが、デビュー・アルバムがR.シュトラウスの歌曲集だったように、彼はオペラだけではなくリートの世界でも大活躍しているのです。ヴェルディとワーグナーを同時に歌える人ではプラシド・ドミンゴがいましたが、彼がリートを歌うのは聴いたことがありません。カウフマンに望むのは、間違っても指揮者への道を歩もうなどとはせず、ずっとこの素晴らしい声を聴かせ続けてくれることに尽きます。
今回のニューアルバムは、2014年9月にローマでのセッションで録音されたもの、全曲プッチーニのオペラからのナンバーというとんでもないものでした。彼がデビューしたころには、こんな「オール・プッチーニ・アルバム」が出来上がるなどと予想した人などいたでしょうか。それも、プッチーニの12曲あるオペラの中から11曲が取り上げられているのですからね。唯一欠けている「修道女アンジェリカ」にしても、これが含まれる「三部作」の他の2つ、「外套」と「ジャンニ・スキッキ」はちゃんとあるのですから、こうなると「ほぼ全作」と言っても全然構いませんし。なんせ、「妖精ヴィッリ」とか「エドガール」といった、今まで耳にしたことのない初期の作品の一部が聴けるのですから、かなりマニアック。
もっとメジャーな「トスカ」のカヴァラドッシあたりは、かなり前からステージで歌っていたようですし、2013年にウィーン国立歌劇場ではそれほど有名ではない「西武の娘」のジョンソン、2014年にはロンドンのコヴェント・ガーデンで「マノン・レスコー」のデ・グリューで大評判をとったというほど、最近はプッチーニづいているようですね。「西部」と「マノン」は近々その時の映像もリリースされるようですし。
実は、今回のアルバムの中では、カウフマンだけではなく、ほかの歌手も参加してアンサンブルも披露されています。そこでソプラノのロールを担当しているのが、リトアニア出身のクリスティーネ・オポライスというおいしそうな名前の人(それは「オムライス」)なのですが、彼女とは数か月前のコヴェント・ガーデンで共演していたばかり。しかも、その時の「マノン」は本来歌うはずだったアンナ・ネトレプコのキャンセルによる代役でした。その時の指揮者、パッパーノとともに、めでたくアルバムの最初は「マノン」からの4曲で飾られています。
オポライスは他にも「ボエーム」のミミと、「トゥーランドット」のリューも歌っています。このCDで音を聴く限りでは、彼女の声は「マノン」よりこちらの方がより魅力的に思えます。
カウフマンも確かに魅力たっぷりのロドルフォやカラフを聴かせてくれていますが、彼の持ち味であるストレートで強靭な声は、プッチーニの音楽とはほんの少し融けあわないな、と感じられるのも確かです。いや、しかしこれはこれでいいんです。プッチーニで変な軟弱さに染まったりしてしまったら、彼はもうワーグナーなんか歌えなくなってしまうではありませんか。そんなことになったら、世の「ヘルデン・ファン」たちが黙ってはいませんよ。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2015-09-27 20:45 | オペラ | Comments(0)
VERDI/Macbeth
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Giuseppe Altomare(Macbeth)
Giorgio Giuseppini(Banco)
Dmitra Theodossiou(Lady Macbeth)
Dario Di Vietri(Macduff)
Dario Argento(Dir)
Giuseppe Sabbatini/
Schola Cantorum San Gregorio Magno
Orchestra Filarmonica del Piemonte
DYNAMIC/57689(BD)



イタリア北東部、ピエモンテ州のノヴァーラ市にある歴史あるオペラハウス、テアトル・コッチャで2013年に上演されたヴェルディの「マクベス」のライブ映像です。このオペラの原作はもちろんシェイクスピアによる英語の戯曲です。同じシェイクスピアの作品のオペラ化でも、「オセロ」はきちんとイタリア語読みに「オテロ」と呼ばれているのに、こちらは英語読みの「マクベス」が定着しているのはなぜでしょう。実際に、歌っている人たちはみんな「マクベット」と発音しているというのに。
魔女の予言を真に受けて、自らの野望のために先王を殺害して国王と王妃の地位を獲得したマクベス夫妻、しかし、妻は良心の呵責から狂死、夫も先王の家臣に首をはねられてしまうという、これはなんともやりきれないお話です。いや、ちょっと先走りました。確かに、マクベスは最後には殺されますが、別に「首をはねられる」というわけではありません。それは、ここで演出を担当した、ホラー映画の世界ではとても有名な映画監督、ダリオ・アルジェントのアイディアだったのです。反乱兵たちに囲まれ、椅子に座らわされたマクベスの首を切り落とし、その生首を高々と差し上げる、マクベスに追放された貴族のマクダフ、首のなくなったマクベスの肩口からは、まるで噴水のように血が噴き出すという、なんともグロテスクなシーンは、完全にB級ホラー映画の手法を取り入れたものです(ほら、よくあるでしょ?)。この「全身から血が噴き出す」という陳腐な演出は、同僚のバンコーが殺された時にすでに使われているので、なんの新鮮味もないのですがね。
第1幕と第3幕に登場する「魔女」も、今まで見た映像ではそれぞれにアイディアが凝らされているものでした。ここでこの映画監督がとったのは、「3人の全裸の女性」を登場させるというやり方でした。幕開けにいきなりこんなものが出てくるのですから、インパクトから言ったらこれはかなりのものがあります。しかし、BDのボーナストラックでのインタビューでこの件について語っている時の映画監督の目には、ただのエロジジイのいやらしさしかありませんでしたよ。これは、その程度の底の浅い演出です。しかも、「全裸」と言いながらしっかり前貼りがあるのですからね。何より腹が立つのは、カーテンコールで彼女らが出てきた時には、みんなワンピースを羽織っていたということです(え?)。
もう一つ、彼が誇らしげに自画自賛していたのが、マクベス夫妻の愛の深さを描くために設けたという第2幕のセックス・シーンです。妻が夫の上に馬乗りになり、腰を使うと夫は白目をむいて悶えるという、ここでもエロオヤジ度全開の意味のない演出です。そもそも、時代を現代に置き換えたのは戦争の悲惨さを伝えたかったからなんですって。そんなもん、このエロの猛攻の中では、どこかにすっ飛んでしまっています。
そもそも、この監督は舞台での演出というものにはそれほどのスキルがないようで、合唱などはいったい何をしたらいいのかわからずにうろうろしているだけ、バンコーの亡霊が出てくるシーンなどは、まるで学芸会でしたね。極めつけは、その合唱団の歌のあまりのヘタさ。そしてオーケストラも、最初のチューニングでとんでもない集団であることが分かってしまい、もうはらはらのしっぱなし、大詰めのフーガの部分などは完全に崩壊していましたね。サッバティーニって、いつの間に指揮者に転向していたのでしょう。譜面台をあんなに立てて指揮をする指揮者なんて、初めて見ました。
それでも、ソリストたちがきちんと自分の仕事をしていれば何とかなるというのが、オペラの面白いところです。テオドッシュウもアルトマーレも、とても楽しめました。
あ、ちゃんと日本語字幕も付いてます。でも、それを選択するときには「日本人」というところを選ばなければいけません。

BD Artwork © Dynamic Srl
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by jurassic_oyaji | 2015-07-31 21:22 | オペラ | Comments(0)
PROKOVIEV/The Fiery Angel
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Galina Gorchakova(Renata)
Sergei Leiferkus(Ruprecht)
The St. Petersburg Mariinsky Acrobatic Troupe
David Freeman(Dir)
Valéry Gergiev/
Chorus and Orchestra of the Mariinsky Theatre
ARTHAUS/100 391(DVD)




プロコフィエフの亡命時代に作られた「炎の天使」は、ヴァレリー・ブリューソフのオカルト小説をもとにプロコフィエフ自身が台本を書いた、何ともアヴァン・ギャルドなオペラです。後に彼はソ連に戻ることになるのですが、当時の国家体制化では当然こんなオペラが上演されるはずもなく、結局全曲が初めてヴェネツィアのフェニーチェ劇場で舞台上演されたのは彼の死後、1955年のことでした。
晴れて作曲家の祖国(とは言っても、彼は厳密にはウクライナの生まれですが)での上演が敢行されたのは、ソ連が崩壊した後の1992年のことでした。それは、サンクト・ペテルブルクのキーロフ・オペラと、ロンドンのロイヤル・オペラ(コヴェントガーデン)との共同制作、デヴィッド・フリーマンの演出、ヴァレリー・ゲルギエフの指揮での上演です。翌1993年のキーロフ・オペラの来日公演の際には、この「炎の天使」がレパートリーに入っており、もちろんそれが舞台上演としては日本初演となりました(その数か月前に、大野和士指揮の東京フィルが、コンサート形式の上演を行っています)。
翌1993年に、あの伝説的な映像監督ブライアン・ラージによってマリインスキー劇場で収録されたものが、このDVDの元となった映像です。それは、かつてバイロイトで行われたように、客席には観客がいない状態で撮影が行われていて、ラージならではの緻密なカットが存分に味わえるものでした。当初はPHILIPSからCDとレーザー・ディスクでリリースされ、その刺激的な映像には多くの人が衝撃を受けていました。当時のジャケットでは、なんとヤバそうな部分に「ぼかし」が入っていますね。

おそらく、このオペラの映像ソフトはこれしかないはずです。もちろんレーザー・ディスクなどはもはや廃盤になっていますから、DVDあるいはBDによるリイシューは長く待たれていたはずです。そんな愛好家の願いが、ARTHAUSからDVDという形でリリースされたことによって叶う日が来ました。オリジナルが画面比4:3の非HDですからBDにする意味はないので、これで十分です。ただ、日本語の字幕がないのはちょっと辛いかもしれませんね。
ジャケットもこんなにおとなしいものに変わっています。もしかしたら、タイトルの「天使」という言葉から、これが天使なのかな、なんと初々しい(あったかいんだからぁ)、とか思ってしまうかもしれませんが、とんでもありません。そもそも「天使」とか「エンジェル」という言葉からは何かかわいらしいものを連想しがち(「天使すぎる」という、変な言葉もありますし)ですが、ここに登場する、いや、正確には単なる妄想で実体のないものが人間に憑依したとされるのは、屈強な男子なのですからね。
ですから、何も知らないでこのジャケットだけを頼りに見た人はびっくりするかもしれませんね。それを牽制するためでしょう、日本語の「帯」には「全体に裸体が多く出現します」という、なんとも無機質なコメントが見られます。仙台七夕ではありません(それは「屋台」)。
演出家のデヴィッド・フリーマンは、とことんその「裸体」にこだわりました。まずは、原作では主人公レナータの妄想とされているものが、数多くの白塗りの裸体として登場します。ま、それは「全裸」ではなく、適宜白いTバックで覆っている男子ですから、単に気持ち悪いだけですが、最後のクライマックス、修道女たちが次々と錯乱して、ついには「全裸」になっていくシーンは扇情的ですよ。もちろん、映像ではぼかしなんかは入っていませんから。
と、単にいやらしい眼で見ていただけだとしても、最後の火あぶりのシーンには思わずハッとさせられるはずです。そこでは、確実に何かが成就された様を見ることが出来ることでしょう。そこまで、ほとんど一人で歌い続けていたゴルチャコーヴァの熱演に拍手です。そして、この究極のエロティシズムをオーケストラから引き出したゲルギエフの逞しさにも。

DVD Artwork © Arthaus Music GmbH
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by jurassic_oyaji | 2015-07-10 19:43 | オペラ | Comments(0)
JOPLIN/Treemonisha
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Carmen Balthrop(Treemonisha), Betty Allen(Monisha)
Curtis Rayam(Remus), Willard White(Ned)
Gunther Schuler/
The Houston Grand Opera
Pentatone/PTC 5186 221(hybrid SACD)




ジョシュア・リフキンの尽力により、スコット・ジョプリンの「ラグタイム」は、今ではクラシックのサイドからも正当に評価されるようになっています。しかし、彼が「オペラ」までを作っていたということを知っている人など、ほとんどいなかったはずです。そもそも「ラグタイム」と「オペラ」を同じ次元で語ることなど不可能、その両者の間には「日本国憲法」と「安倍晋三」と同じほどのミスマッチが横たわっています。
48歳で亡くなったジョプリンが43歳の時、1911年頃に完成したオペラが「トゥリーモニシャ」です(彼がオペラを作ったのはこれが最初ではなく、それまでにも手掛けていました)。台本もジョプリン自身が書いています。その年にはヴォーカル・スコアを自費出版、さらに1915年には彼自身のピアノによるピアノ版での初演が行われています。しかしそれ以降上演されることはなく、完全に世の中から忘れ去れてしまいます。さらに、彼はこの作品にオーケストレーションも施していて、その楽譜もかつては存在していましたが、1962年にその楽譜を管理していた者によってスコアは破棄されてしまいました。
1970年にヴィーカル・スコアが発見されたことにより、この「オペラ」を再演しようという動きが高まり、1972年にロバート・ショー指揮のアトランタ交響楽団によって「オペラ」の甦演が行われました。もちろん、オーケストラ譜はもはやこの世にはなく、ジョプリンの当初のプランは誰にも分からなくなっていますが、この時にはトーマス・J・アンダーソンのオーケストレーションによって上演されています。
さらに1975年には、ガンサー・シュラーのオーケストレーション、彼自身の指揮で、ヒューストン・グランド・オペラで上演されました。その時のキャストによってスタジオ録音が行われたものが、このSACDです。さらに、最近では、もっと「アメリカ的」な、小さな編成のオーケストレーション(by リック・ベンジャミン)による上演も行われているのだそうです。
全3幕、全曲演奏しても1時間半しかかからないコンパクトな「オペラ」です。それぞれの幕には「朝」、「午後」、「夕方」というタイトルが付けられ、物語は1日のうちに終了するというのは、伝統的な「オペラ・ブッファ」のお約束を引き継いでいるのでしょうか。オペラのタイトル「トゥリーモニシャ」という女の子が主人公、その名前は、ネッドとモニシャという夫婦が、大きな木の根元に置き去りにされていた赤ん坊を自分たちの子供として育てたことに由来したもにしゃ。彼女は地域のプランテーションの黒人たちとは違って、縁があって小さいころから白人からしっかりとした教育を受けていました。そんなところにインチキ魔術師たちに騙されそうになる両親を諭したことから、そのインチキ集団に拉致されてしまいますが、見事救出され、そのインチキ野郎たちも巻き込んだコミュニティのリーダーになるという、ある意味寓話的なストーリーです。
音楽的には、まさに「ラグタイム・オペラ」でした。「ラグタイム」の中にはよく聴かれる2拍子の元気のよい曲以外にも、たとえば「ベシーナ」のような美しいメロディをしっとりと聴かせる3拍子の曲もありますが、それらのすべての要素を動員して、バラエティあふれる多くのナンバーが歌われます。モニシャが赤ん坊を見つけたときのことを歌う「The Sacred Tree」などは、シンプルでありながらとても心にしみる曲ですね。さらに、ゴスペル的な「コール・アンド・レスポンス」のナンバーなどもあり、とても楽しめます。
ただ、歌手の歌い方もオーケストレーションも、あまりにヨーロッパ的な「オペラ」を目指しているのが、ちょっと引っかかります。おそらくそのあたりの方向性が少し修正されているであろうベンジャミン版も、機会があればぜひ聴いてみたいものです。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.
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by jurassic_oyaji | 2015-05-25 20:24 | オペラ | Comments(0)
BIZET/Carmen
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Marilyn Horne(Carmen), James McCracken(DJ)
Tom Krause(Escamillo), Adriana Maliponte(Micaëla)
Leonard Bernstein/
Manhattan Chorus(by John Mauceri)
Metropolitan Opera Orchestra & Children's Chorus
PENTATONE/PTC 5186216(hybrid SACD)




このレーベルは、元々はなくなってしまったPHILIPSのアーカイヴの中でも、「4チャンネル」で録音されていたものをサラウンドのSACDでよみがえらせようという目的のために設立されていました(たぶん)。それがしばらくリリースされていないようになっていたと思っていたら、こんどはDGの、やはり4チャンネルの音源によるSACDを出し始めました。その時には、ジャケットのアートワークは、花の中にタイトルが埋め込まれているというぶっ飛んだデザインのものに変わっていましたね。
そんな中で注目したのが、バーンスタインが指揮をした「カルメン」です。でも、バーンスタインというと、オーケストラの指揮者としてあまりにも有名ですから、オペラなんかは演奏していないような気にはなりませんか?確かに、録音されたものは、よく比較されるカラヤンなどに比べるとはるかに少ししかありません。
とは言っても、オペラハウスでの実績はきちんとありました。たとえば、「地元」のメトロポリタン歌劇場では1964年にヴェルディの「ファルスタッフ」でデビューを飾ります。この演目は、バーンスタインはウィーン国立歌劇場でも1966年に演奏し、その時のメンバーでスタジオ録音されたものは彼の最初のオペラ録音として知られています。その後のMETでは、1970年には、なんと「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」の二本立てという、ちょっとバーンスタイらしくない演目での指揮も行っています。
そして、1972年には、「カルメン」を指揮することになりました。これは、9月19日から10月20日までの間に6回上演されていますから、「中5日」というスケジュールだったのでしょう。その上演と並行して、オフの日にほかの場所でセッション録音されたものが、このSACDのもとになったアナログ音源です。
ここでバーンスタイが使っている楽譜は、ビゼーのオリジナルの形に近い、セリフが間に入る「アルコア版」です。この楽譜が出版されたのが1965年ですから、それまでの伝統(ギローによって改変された「グランド・オペラ版」)を破ってこの時期にMETが新しい楽譜を選択していたのにはちょっと驚きます。
バーンスタインの演奏は、まず前奏曲でそのあまりのテンポの遅さに驚かされます。おそらく彼は、このような重々しい演奏によって「カルメン」の悲劇性を強調しようとでもしたのでしょうね。ただ、この中で出てくる「闘牛士の歌」が第2幕で歌われる時にも、同じようなテンポをとられると、歌っているエスカミーリョ(トム・クラウゼ)がとても間抜けに感じられてしまいます。
同じようにそんな気まぐれに付き合わされて悲しい思いをしているのが、「第3幕への間奏曲」を吹いているフルーティストでしょうか。ハーピストがおそらく指揮者の指示に従って、かなりゆったりとしたテンポで弾き始めたのですが、それはおそらくフルーティストの感性の下限を超えていたのでしょう。そのハープとは全く無関係なテンポで演奏を始めました。結局最後までその二人は全く別のテンポ感で貫き通すのです。ここで指揮者はいったい何をやっていたというのでしょうか。
ここで録音を担当しているのは、DGのトーンマイスター、ギュンター・ヘルマンスです。しかし、ここで聴く音は彼のいつものカラヤンとベルリン・フィルとの音とはずいぶん違っているようです。録音場所の違いもあるでしょうが、最大の理由は「4チャンネル」を意識して間接音をかなり強調した音作りが行われていることでしょう。それをサラウンドではなく2チャンネルステレオで聴いていると、なんか地に足がついていない浮遊感のようなものに悩まされて、不愉快になってきます。歌手たちの声は何とも大げさな動き方を見せて(聴かせて)います。なにか、4チャンネルというものに振り回されて、肝心の音がちょっとお粗末になっている感じがしてなりません。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.
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by jurassic_oyaji | 2015-04-15 22:35 | オペラ | Comments(0)
SCHÖNBERG/Moses und Aron
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Franz Grundheber(Moses)
Andreas Conrad(Aron)
Sylvain Cambreling/
EuropaChorAkademie(also by Joshard Daus)
SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg
HÄNSSLER/SACD 93.314(hybrid SACD)




なんたってシェーンベルクに関しては門外漢というか興味の対象外ですから、彼の「モーゼとアロン」を最初に録音したのはだれかなんて知っているわけはありません。とりあえず現行のカタログでは1966年のヘルマン・シェルヘンあたりが最も初期のものでしょうか。そして、1974年(SONY)と、1995年(DG)のブーレーズ盤が続くのでしょう。その間には、ケーゲル盤(1976/BERLIN)も録音されていましたし、なんとショルティ盤(1984/DECCA)などという信じられないようなものまで見つかりました。最近では、2006年のライブ録音のNAXOS盤も出ています(指揮はローランド・クルティヒ)。
そして、今回久しぶりの新録音として2012年に録音されたカンブルラン盤が登場した時には、CDではなくハイブリッドSACDとなっていました。つまり、世界初のハイレゾによる「モーゼとアロン」がリリースされたということになります。
これは2012年の9月2日から21日にかけてベルリン、ルツェルン、フライブルク、ストラスブールで行われた4回の公演をライブ録音したものです。会場は普通のコンサートホールですから、舞台上演ではなくコンサート形式だったのでしょう。しかし、合唱の音像などはまるでステージ上で群衆が演じながら歌っているようなリアルさが伝わってきます。全体の音が1幕と2幕とではすこしテイストが変わっているのは、メインとなった音源の収録場所の違いなのでしょう。
なにしろ、ドイツ語の台本も作曲家が書いたという途方もないものですから、まずは手元に日本語の対訳はないか、探してみました。そうしたら、CDの黎明期にSONYがそれまでのオペラのレパートリーをまとめて15本「初CD化(当たり前ですが)」した時に、CD本体には対訳は付けずに、そのシリーズを何点か購入した人だけが特典として入手できた、それらのオペラの対訳が全部載っている分厚い本が見つかりました。その中に、「モーゼとアロン」も入っていたのですよ。それはもちろん、ブーレーズの1回目の録音のためのものでした。

それを読んでみたら、かなり難解なカビの生えたような訳文ではありましたが、ト書きの部分がかなり刺激的であることが分かります。この台本の元になったのは旧約聖書の「出エジプト記」ですが、それをベースにシェーンベルクはかなりぶっ飛んだ「脚色」を行っているのですね。第2幕の第3場あたりが、おそらくそれが最もよく表れた場所なのではないでしょうか。その、多分シェーンベルクのオリジナルであろうト書きの異様な描写には、一瞬たじろいでしまいます。「4人の全裸の処女」が、「祭司にレイプ」され、「ナイフで切り裂かれ血まみれ」になる、なんてシーンは、オペラではぜんらいみもん(前代未聞)のものだったはずです。
しかし、音楽そのものはそんなシーンを具体的なイメージではなくもっと根源的な「意識」として見事に伝えるものでした。「4人の処女」が登場するところでの弦楽器のフレーズには、思わず背筋が凍りつくようなインパクトがありました。それは、これから行われることを「予言」しているのでは、とまで思わされるものだったのです。
シェーンベルクは、このような情感を調性音楽で表現するのは不可能だと感じたからこそ、「12音」などというアブノーマルな技法をでっちあげたのでは、と、その時に思いました。この技法自体は現在ではもはや誰の目にも破綻していると思われていますが、これが残した特殊な情感の表現方法としての可能性だけは、評価に値します。いや、そもそも「シュプレッヒ・ゲザンク」というような表現手段は、厳密に理論づけされるべき「12音技法」とは相容れないものなのでは、という気がするのですがね。それも含めて、彼の技法は「現代」のあらゆるジャンルで、別な形で見事に結実しているのでは、とは思えませんか?

SACD Artwork © SWR Media Services GmbH
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by jurassic_oyaji | 2015-01-20 23:10 | オペラ | Comments(0)
WAGNER/Der fliegende Holländer
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Terje Stensvold(Holländer), Anja Kampe(Senta)
Kwangchul Youn(Daland), Christopher Vntris(Erik)
Andris Nelsons/
Chor der Bayerischen R., NDR Chor, WDR R. Chor
Royal Concertgebouw Orchestra
RCO/RCO 14004




ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の自主レーベルRCOは、他の多くのオーケストラの自主レーベルと同様、音にこだわった商品を提供するために、新録音に関してはすべてSACDで発売してきたはずです。録音スタッフも、PHILIPSを解雇されたエンジニアたちによって作られたPOLYHYMNIAという録音チームのメンバーが参加していて、PHILIPSの流れをくむ「最高の音」を届けてくれていました。ライブ録音の会場であるこのオーケストラのホームグラウンド、コンセルトヘボウには、彼らが常駐してこのレーベルのための録音だけではなく、放送用の音源の制作にもかかわっていたようです。
ですから、今回の「オランダ人」の新譜も当然SACDだと思ってパッケージを開けてみたら、それは普通のCDだったのには本当に驚いてしまいました。録音のクレジットを見ると、そこからはPOLYHYMNIAの名前も消えています。さらに、録音スペックも「48kHz recording」とありますよ。今まではDSDか、PCMでも最低で88.2kHzでしたから、これではとてもSACDにはできないようなしょぼいスペックです(まあ、世の中には16/44.1の音源を平気でSACDにしているような図々しいレーベルもありますが)。
いったいRCOに何が起こったのかは知る由もありませんが、そのように録音の体制が変わって、出てきたものはただのCDなのに、それを扱っている日本の代理店キングインターナショナルがそれを「SACD」として売っていたのは、明らかな「偽装」だったことだけは間違いありません。その多方面に拡散されたたくさんのコメントの中には、ご丁寧にサラウンドのフォーマットまで入っているものもあったのですから、笑うほかはありません(今はもう直ってます)。というか、これで、こういうインフォは実物も見ないで作られていることがはからずも露呈されたことになります。まあでも、発送直後に非を認め、返品に応じるとの連絡があったので、許しましょう。
いきなりこんなことをやったから、というわけでもありませんが、常々このレーベルのブックレットの素っ気なさにはがっかりさせられていました。今回はコンサート形式での「オランダ人」ということで、いったいどんなステージ構成で演奏されているのかが非常に気になったのですが、ここには演奏家の写真以外には、なにもありませんでした。というのも、どうも音を聴いていると普通にステージの前にソリストが並んで歌っているのではないような感じがするのですね。幕開けのかじ取りの声は、えらくオフマイクですし、ゼンタのバラードではコーラスの間に足音が聴こえて定位が変わったりしていますからね。せっかく、オペラハウスでの上演ではなくコンサートホールでの録音なのですから、ソリストの声を普通に録音するのには何の障害もない環境のはずなのに、なぜこんなことが起こっているのか、なんてことも、「商品」を買ったものとしては知りたくなりませんか?
そんな、様々な不条理さにもかかわらず、この演奏はとても魅力のあるものでした。まず、ネルソンスの音楽の運びが、とても軽やか。ベタベタしたところの全くない、この時代のワーグナーだったらこのぐらいがふさわしいのではないか、と思えるほどの風通しの良さがあります。そして、オランダ人役の、資料によればこの録音時には69歳だったというステンスヴォルトの信じられないほどコントロールのきいた歌い方は、まさに感動的です。全く力んでいないのに、ここで求められる「重さ」をしっかり表現しているのですからね。
ゼンタ役のカンペも、あくまで冷静な歌い方が光ります。さっきの「バラード」では思い切り遅いテンポで、ゆるぎない歌を聴かせてくれていました。また、かじ取りを歌っているラッセル・トーマスというアフリカ系の人は、この役にはもったいないほどの存在感を示しています。さらに、3つの放送合唱団のユニットである合唱の底光りのするような迫力は、音楽的にはこの作品の準主役はまさに合唱であることを教えてくれているようです。

CD Artwork © Koninklijk Concertgebouworkest
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by jurassic_oyaji | 2015-01-14 21:16 | オペラ | Comments(0)
MOZART/Così fan tutte
c0039487_19562674.jpgSimone Kermes(Fiordiligi), Malena Ernman(Dorabella)
Christopher Maltman(Guglielmo), Kenneth Tarver(Ferrando)
Anna Kasyan(Despina), Konstantin Wolff(D. Alfonso)
Teodor Currentzis/
Musicaeterna
SONY/88765466162




「フィガロ」に続く、クレンツィスのダ・ポンテ三部作の第2弾がリリースされました。残りの「ドン・ジョヴァンニ」も来年秋には出来上がるとか、なかなか順調にことが運んでいるようです。やはり、あの「フィガロ」を聴いてしまっては、いくらCDが売れない時代とは言っても、出さざるを得なくなってしまうのでしょう。いいものさえ作れば、きっちり評価されるという風潮がまだ残っているのはうれしいことです。別のメジャー・レーベルでやはりモーツァルトのオペラの全集(選集)が進行中だったはずですが、2作目の「コシ」以来、とんと音沙汰なしなのとは対照的です。
今回の、やはり「コシ」も、前作と同じく、殆ど対訳で出来ている分厚いブックレットの中にCDが入っているという装丁、デザインも色違いで同じものが使われています。きっと、「ドン・ジョヴァンニ」も間違いなく同じデザインで別の色でしょう。こちらはなんたって色気違いの話ですからね。
と、お揃いのパッケージではあるのですが、何かが足りません。そう、「フィガロ」ではおまけとして同封されていたBAがここには入っていなかったのですよ。これは、まさに予想通りのことでした。あの頃のSONYのBAに対する盛り上がりは、いったい何だったのでしょう。仕方がないので、ノーマルCDで聴いてみましたが、やはりそのショボさにはガッカリさせられてしまいます。
とは言っても、このチームの演奏のテンションの高さは、そんなレーベルの気まぐれに左右されるようなことはなく、全く変わってはいませんでした。とにかく序曲のテンポの速いこと、「ミソファミレドシド」という管楽器の掛け合いなどは、もう崩壊する一歩手前、顔を真っ赤にして吹いているさまが見えるようです。しかし、レシタティーヴォが始まると、そこは雄弁な通奏低音に乗っての生き生きとしたドラマが展開されることになります。ただ、今回もハーディ・ガーディがクレジットされていますが、いったいどういう使われ方をされているのか、ちょっと分かりませんでした。
そして、なによりも素晴らしいのが今回のキャスティングです。よくもこれほど粒ぞろいのソリストを揃えたものだと、驚いてしまいます。もちろんそれぞれに上手なのは当たり前なのですが、それが適材適所なのがうれしいところです。よく、2人の姉妹の声が似ていて、いったい今歌っているのはどちらなのか分からなくなってしまうという状態に陥ることがありますが、ケルメスとエルンマンは、見事にタイプの違う声ですからそんなことはありません。その上、それが二重唱になると見事に融け合っているのですからね。このケルメスという人、最初に聴こえて来た時にはなんと頼りない声、と思ってしまったのですが、どうしてどうして、曲が進んでいくとびっくりするような表現力の広さでした。要は、「ちょっと奥手な姉が、次第に大胆になっていく」というドラマの過程を見事に演じていたのですよ。エルンマンの方は、最初からちょっとあばずれ、でしょうか。
もう一人、感服してしまったのが唯一のテノールのロールを歌っているケネス・ターヴァーです。この人はこちらのドン・オッターヴィオを聴いてとても感心したことがありますが、ここではまさに打ちのめされた感じ、彼は理想的なモーツァルト・テノールですね。特に、「Un'aura amorosa」での完全にコントロールされたソット・ヴォーチェは、言いようのない感動を与えてくれます。やっと、ペーター・シュライヤーを超える人が出てきました。
それにつけても、このフェランドはBAだったら、もっともっと素晴らしく聴こえるはずなのに、と思いながら聴き続けているのは、並大抵のストレスではありません。ハイレゾ配信もないようですし、困ったものです。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2014-12-10 19:59 | オペラ | Comments(0)