おやぢの部屋2
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カテゴリ:オペラ( 217 )
Du bist die Welt für mich
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Jonas Kaufmann(Ten)
Julia Kleiter(Sop)
Jochen Rieder/
Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin
SONY/88883 75741 2




カウフマンの新しいアルバムのジャケットは、彼がNEUMANNの「CMV 3」という、1928年に作られた真空管コンデンサー・マイクの前に立って歌っている図柄です。ここで彼が取り上げているのが、両大戦間に作られたオペレッタや映画の中で歌われていた音楽だということですから、これほどその「時代」を物語っているマイクもありません。なんせ、このマイクはこんな使われ方もされていたのですからね。

もちろん、このマイクはまだ現役でも使われてはいるのでしょうが、今回のCDに関しては単なる「小道具」としての役割しかなく、実際のレコーディングには同じNEUMANNでも有名なU87あたりが使われていたのは、このCDPVを見ても分かります。



そうなんです。今ではクラシックの世界でも、このように大きなセールスが期待できるアイテムではしっかりこんなPVまでが作られて、その宣伝には多額の費用をかけるようになっているのですね。しかし、ここで見るカウフマンのお茶目なこと、ちょっとおどけた表情などは、ハリウッド俳優のブラッドリー・クーパーに似てたりしませんか?
このPVの最後には、お客さんがいっぱい写っています。これは、このレコーディングが行なわれた最後の日に、その会場であるかつての東ドイツの中央放送局の建物(「フンクハウス」と呼ばれていますが、公衆トイレではありません・・・それは「糞ハウス」)の中の、今ではその優れた音響によって、録音スタジオとしてよく使われているホールで「公開録音」が行われている様子なのです。

たまたま手元に、この同じ場所で録音されたSACDがあって、そのブックレットにホール内の写真があったので、見比べてみてください。ちゃんと椅子が設置された客席がありますね。



実は、今回のCDのコンセプトは、2011年にベルリンの「ヴァルトビューネ」という、有名な野外施設で行われたコンサートがきっかけになっているのだそうです。それを聴いてこんなCDが作られるのを楽しみにしていたベルリンの市民が、この、決して交通の便が良いとは言えない会場に、凍った冬の道(ちょうど「大寒」の日でした)を歩きながら集まってきたのだそうです。
もちろん、これはそのような単なる「ファン・サービス」ではなく、その一部始終はしっかり録画されて、DVDとしてリリースされています。ただ、そのDVDは、今回入手したドイツ語版のCDの他に、英語やフランス語で歌っているバージョンのCDと、このDVDとがセットになった、普通に買えば10,000円近くするデラックス・バージョンとしてしか入手はできません。なんという「商売」なのでしょう。さらに、さっきのPVのサイトには、LPもリリースされているような情報がありますが、それはどこでも入手することはできません。
ここでカウフマンが歌っているのは、まさに「古き良き時代」の音楽でした。それは、当時のオペレッタ業界に君臨していたレハールとカールマンという「2大巨頭」だけでなく、名前も知らないような作曲家の、しかし、おそらくドイツの人たちには懐かしくてたまらないようなメロディにあふれた佳曲なのでしょう。さらに、ロベルト・シュトルツという、今ではもっぱら往年の大指揮者として知られる人が作ったオペレッタの中の曲などは、レコードにもなってまさに「ヒット曲」として聴かれていました(シュトルツの友人であったマレーネ・ディートリッヒは、このアルバムのタイトル曲である「君は我が心のすべて」を、よくコンサートで歌っていたそうです)が、それを、そのレコードの完コピのアレンジで聴かせられたりしたら、ノスタルジアもさぞや募ることでしょう。
ただ、それをほとんど共有できない私たちにとっては、ちょっとしたいらだちも感じなくはないかもしれません。これは、この間ケント・ナガノが行わせた日本の唱歌のグローバルなアレンジとは、全く逆の発想です。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2014-10-17 21:14 | オペラ | Comments(0)
WAGNER/Der Fliegende Holländer
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Samuel Youn(Holländer)
Ricarda Merbeth(Senta)
Franz-Josef Selig(Daland)
Benjamin Bruns(Steuermann)
Jan Philipp Gloger(Dir)
Christian Thielemann, Eberhard Friedrich(Cho)/
Chor und Orchester der Bayreuther Festspiele
OPUS ARTE/OA 1140 D(DVD)




昨年、2013年のバイロイト音楽祭での「オランダ人」がパッケージでリリースされました。これはNHKとの共同制作で、その年の8月末にBSで放送されていました。その時はちゃんと日本語の字幕が出ていたはずですが、なぜかこのDVDBDも)には日本語の字幕はありません。それではNHKが制作に加わった意味がないじゃないですか。
このプロダクションは2012年のプレミアでしたが、その演出についてはかなりの抵抗があったそうですね。そのせいかどうか、この2年目の舞台では、だいぶ手直しが施されているようでした。ネットにある2012年の画像と比較すると、オランダ人とゼンタの衣装が変わっていました。これはかなり重要なポイントです。
1981年生まれという、超若い演出家ジャン・フィリップ・グローガーのプランは、確かにかなりぶっ飛んでいます。時代は現代に置き換えられていて、なんと言っても「船」や「海」が一切登場しない(ちんけなボートは出てきますが)というのがすごいところです。ただ、彼の言葉によれば、「海」というのは象徴的なメタファーとして組み込まれているのだそうです。ですから、オランダ人が登場するのはICチップに埋め尽くされた基板の中という、不思議な設定です。しかし、ワーグナーが作り上げたこの幽霊船の船長というキャラクターは、もともと「あの世」に属するキャストなのですから、こういう設定もありでしょう。現代社会における「あの世」とは、こんなバーチャルな世界なのです。年寄しかいません(それは「バーチャン」)。
対する「現世」、あるいは「俗世」に属するダーラントたちは、かなり「リアル」な扇風機メーカーの社長と社員ということになっています。ここはもうお金がすべてという世界、社員旅行帰りの「船員」ではなくて「社員」たちは、女たちに高価なドレスを買って来て歓心を引くことしか考えていないのでしょう。ダーラントは、オランダ人に札束を見せられれば、何のためらいもなく娘を売り払いますし。
実は、このような2つの世界は、ワーグナーがしっかり音楽の中で描いていたものでした。この作品の中でのダーラントやエリックのとことんロマンティックな音楽と、オランダ人のまわりのまるで未来を見据えたような音楽とのギャップはものすごいものがあります。それを、グローガーはそのまま2つの世界に置き換えただけなのですね。それがワーグナーの意図だったとは限りませんが、ここで出来上がったステージでは演出と音楽が見事にシンクロしています。
そのような聴き方をすると、オランダ人が「あの世」から「俗世」に近づいてくる過程が、音楽と演出の両面からはっきりと感じられるようになります。腕にナイフをあてても決して血が流れることはなかったゾンビ体質は、ゼンタに出会ったことで「改善」され、デュエットの中では堂々と真っ赤な血潮を流しています。同時に、その場の音楽はいともロマンティックに聴こえてくるのです。
エンディングでのちょっとした「小技」が、なかなか効いてます。オランダ人とゼンタがともにナイフで自刃した場面を、社員である「舵取り」が写真に撮ります。そこで一旦幕が下りるのですが、再度幕が開いたときには、扇風機の工場だったところでは、さっき撮った二人の姿をあしらったフィギュアが生産されています。そんなものまで「商品」にしてしまう「俗世」への、嘲笑なのでしょうね。
ティーレマンが、これほど劇的な指揮を出来るとは思っていませんでした。それに乗って、水夫の合唱から始まる長い合唱のシーンでは、エバーハルト・フリードリヒに鍛えられた合唱団が、素晴らしい演奏を繰り広げています。
カーテンコールで演出家が登場した時には、ものすごいブーイングが飛び交っていました。今年も、この「オランダ人」は上演されていましたが、その時はどうだったのでしょう。

DVD Artwork © Opus Arte
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by jurassic_oyaji | 2014-10-09 20:41 | オペラ | Comments(0)
PUCCINI/Madama Butterfly
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Alexia Voulgaridou(Cio-Cio San)
Teodor Ilincai(Pinkerton)
Cristina Damian(Suzuki)
Lauri Vasar(Sharpless)
Vincent Boussard(Dir)
Alexander Joel/
Philharmoniker Hamburg
ARTHAUS/108 106(BD)




2012年にハンブルク州立歌劇場で上演されたプッチーニの「蝶々夫人」のライブ映像です。タイトル・ロールはギリシャの若手、アレクシア・ヴルガリドゥ。彼女は、今年の1月末から2月にかけての新国立劇場で、この同じ役を歌っていたそうですね。ただ、初日だけは「体調不良」のために、代役の日本人歌手が歌ったのだとか、オペラの公演というのは、何が起こるのかわかりませんが、こんな不測の事態にすぐに対応できる「シャドー」がきちんと控えている、というのも、すごいですね。
その時のネット記事などを見てみると、彼女はミミやトスカはレパートリーに入っていても、蝶々さんを歌い始めたのは「2012年から」だということですから、もしかしたらこのプロダクションが彼女にとってのこの役の初舞台だったのかもしれませんね。それにしては、この演出はかなりアブノーマルな設定ですから、ちょっと「初体験」には辛いのでは、という気がしますが、逆に、もしかしたら彼女を想定してプランが立てられたのではないのか、と思えるほどの見事なハマり方でした。
常々、オペラという舞台芸術は西洋人が作ったものをずっと西洋人が演じてきたものですから、そこに日本人などの東洋系の顔をした人たちが加わるのには、少なからぬ違和感があったものでした。なんたって見た目が第一のオペラでは、日本人が西洋人のフリをして演じているのが、とても滑稽に見えてしまうことがあるのですよね。
「蝶々夫人」に関しては、主役が日本人という設定なのだから構わないだろう、という見方もあるかもしれませんが、これはこれで西洋人が全く似合っていない扮装やメークで開き直っている方が、むしろ自然に思えるから不思議です。なんたって、音楽は純然たる西洋音楽ですからね。引用されている日本の旋律の断片は、単なるオリエンタリズムの色付けに過ぎませんし。余談ですが、日本人の大切な大切な財産で、決して貶めてはならないとされている「キミガヨ」という楽曲がこんな風な使い方をされていることに対して、アベさんなどは激怒することはないのでしょうか。「茶渋をちゃんと取れ!」とか(それは「ミガキコ」)。あ、あの人はコイズミさんとは違って、軍歌は歌ってもオペラなんか見ることはないのかも。
とは言っても、やはり不自然さは隠せないと思う演出家は多いのでしょうね。ここでの演出を担当したブッサールは、とても面白いやり方で、見事にそこに解決の糸口を見出しました。まず、第1幕では、これまでの「へんてこな日本」をさらにデフォルメしたような、完全にハチャメチャな舞台で迫ります。これはある意味爽快、プッチーニのほとんど勘違いとも思える異国趣味を見事に具現化したものです。何しろ、十二単みたいな着物の人が、デコレーション・ケーキみたいな帽子をかぶっているのですからね。
ところが、第2幕になったら、なんと蝶々さんはジーンズにスウェットという服装に変身していました。スズキも、ドテラみたいのは着てますが、下はやはりジーンズですし、インテリアも大きな革張りのソファーがあるリビングになっています。これは別に突飛なことではなく、蝶々さんは「アメリカ人の妻」になったのだ、という、彼女自身の強い気持ちの表れになるわけです。こういう設定になれば、もうあとは普通のオペラとなんら変わらない表現が出来るのですから、ヴルガリドゥは伸び伸びと素晴らしい演技を披露してくれますよ。「ある晴れた日に」だって、こんなにすっきりと味わえたのは初めてです。
もう一つの演出家の企みは、蝶々さんの子供。普通は子役が登場するのでしょうが、ここではそれが人形に代わっています。そして、人形であることによって可能となった大詰めの演出、これはショッキングです。「蝶々夫人」というのは、蝶々さんのピンカートンに対する復讐劇だったのです。それは見事に成就されました。

BD Artwork © Arthaus Musik GmbH
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by jurassic_oyaji | 2014-08-02 21:20 | オペラ | Comments(0)
BERNSTEIN/West Side Story
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Alexandra Silber(Maria)
Cheyenne Jackson(Tony)
Micheal Tilson Thomas/
San Francisco Symphony
SFS/821936-0059-2(hybrid SACD)




レナード・バーンスタインとは縁のあったマイケル・ティルソン・トーマスが、サンフランシスコ交響楽団を率いてコンサート形式でそのバーンスタインの「ウェストサイド・ストーリー」を上演しました。そのライブ録音が、SACDでリリースされたのですが、それが2枚組、しかも「コンプリート・ブロードウェイ・スコア版/世界初録音」などという日本の代理店のコピーが踊ってたりすれば、もう買わないわけにはいきません。でも、今頃「世界初録音」なんてありえませんが。
案の定、この、厚さが2センチもある貴重な写真が満載の豪華なパッケージには、どこを探してもそんなことは書いてありませんでした。こんなコピー、いったい、どこからでっち上げたのでしょう。
その「コンプリート・ブロードウェイ・スコア」なるものをMMTが抱えている写真もここには載っていますが、それは見慣れたBoosey & Hawks版、確か1994年に出版されたものです。それは、そもそもバーンスタイン自身が1984年に初めてこの「自作」を録音した時に用意した楽譜を元に校訂されたもののはず、ですから、そのバーンスタインの録音こそが、「世界初録音」になるのではないでしょうかね。確かに、バーンスタインはスコアにある曲のうちの場面転換の音楽などをカットしていますから「コンプリート」ではないのかもしれませんが、今回のMMT盤でも、そこはやはりカットされているのですよ。
さらに、このスコアは「ブロードウェイ・スコア」と言うだけあって(いや、スコアそのものにはそんな表記はどこにもありません)、実際にミュージカルのピットでの演奏を想定しての楽器編成になっています。楽譜にある編成は、こんな感じ。

このオケにはヴィオラがないんですね。弦楽器はヴァイオリンが7人、チェロが4人、コントラバスが1人だけ、さらに木管楽器はマルチリードで、「リードIII」などは一人で8種類の楽器を持ち替えなければいけません。でも、クラシックのオーケストラでこんなことが出来る人なんかいませんから、こんな編成表を忠実に守ることなんて出来るわけがありません。5人で済むはずのところがここでは11人に増えています。弦楽器も、それぞれ倍以上に増員しています。ですから、この演奏は「コンプリート」でも「ブロードウェイ」でも、ましてや決して「世界初録音」でもないのですね。いくらCDが売れないと言っても、こんな「不当表示」の山盛りは、自分の首を絞めるだけだという大事なことに、代理店は気づかないのでしょうか。
写真を見ると、サンフランシスコ響の本拠地のデイヴィス・シンフォニー・ホールのステージは、後方が一段高くなっていて、そこでソリストたちが演技をしながら歌っています。もちろん「ミュージカル」ですから、みんなハンズフリーのワイヤレス・マイクを付けています。SACDにはスコア通りに、ナンバーの中で語られるセリフしか入っていませんが、もしかしたら普通のセリフの部分の演技もあったのかもしれませんね。
キャストの中では、トニー役のシャイアン・ジャクソンが、伸びのある声でなかなか魅力的。「グリー」で、ボーカル・アドレナリンのコーチ役だったということですが、全く記憶にありません。マリア役のアレクサンドラ・シルバーは、ミュージカルのキャリアはまだ駆け出しのようで、まだまだこれから、という気がします。「アメリカ」のアンサンブルでコンスエロのパートを歌っていたLouise Marie Cornillezという人が、ミュージカルにはもったいないようないい声だったので経歴を見てみたら、オペラで活躍している人でした。
客席には映画版でアニタ役を演じたリタ・モレノなども座っていたようですから、さぞや盛り上がったことでしょう。ただ、「プロローグ」からして、なんともかったるいリズム感で、とてもミュージカルを聴いている気はしませんでした。さっきの「アメリカ」などは、リズム的には最悪。

SACD Artwork © San Francisco Symphony
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by jurassic_oyaji | 2014-06-15 20:28 | オペラ | Comments(0)
MOZART/Die Entführung aus dem Serail
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Desirée Rancatore(Konstanze)
Javier Camarena(Belmonte)
Rebecca Nelson(Blonde)
Thomas Ebenstein(Pedrillo)
Kurt Rydl(Osmin)
Hans Graf/
Salzburger Bachchor, Camerata Salzburg
ARTHAUS/108 102(BD)




お馴染み、モーツァルトの「後宮よりの逃走」は、悪者だったはずの太守セリムが寛大な心でみんなを許して解放するというあり得ないエンディングですが、それゆえに演出家にとっては様々な「読み替え」の可能性を秘めているという魅力いっぱいの作品なのでしょう。2013年のザルツブルク音楽祭でこのオペラが上演された時には、その舞台はトルコではなく、なんとザルツブルクのさるお金持ち(「レッドブル」の社長)が作った飛行場になっていました。そこに2つある格納庫のうちの一つ、ハンガー8(アハト)ではオーケストラが演奏、そしてもう一つの、ハンガー7(ジーベン)で物語が進みます。ここは、その社長さんが自分の趣味で集めた飛行機やレーシング・カーのコレクションが展示されている博物館なのですが、そこを華やかなオート・クチュールと見立てての演出なのです。つまり、コンスタンツェはモデル、ブロンデはお針子として捕らわれていたというのがその設定のベース。ところが、この「舞台」には、客席がありません。それは、このプロダクションがテレビで生中継されるためのものだったから。ハンガー7の中にも、カメラの邪魔にならないように歩き回っている相当数の観客がいますが、本当の観客は、テレビの前にいる何百万人という視聴者たちなのです。歌手たちはまるで野外フェスのようにハンズフリーのマイクとイヤモニターを装着、ステディカムやカムキャットを含めた無数のカメラが彼らを追いかけ、その映像がヨーロッパ中にリアルタイムで流されたのですからね。
それがいかに大変なことであったのかは、このBDに収められているメイキング映像を見れば良く分かります。歌手たちは、ステージで歌うのとは全然異なるシチュエーションで、カメラの位置を的確に知りながら演技を行わなければなりません。なによりも、これは「オペラ」なのですから、オーケストラに合わせて「歌わ」なければいけないのですが、その頼りになるのはイヤモニターから聴こえてくる音声と、指揮者の姿を映したモニターを見ながら、カメラに入らない位置で指揮をしている副指揮者の動きだけ、それに慣れるためには、かなり長期にわたるリハーサルが必要だったはずです。
ところが、本番直前になって、すでにリハーサルを始めていたコンスタンツェ役のディアナ・ダムラウが突然キャンセルになったので、現場は大混乱。代役としてイタリアから直行したランカトーレには、なんと12時間の準備期間しかありまへん。これはあきまへん。とりあえず、太守役のトビアス・モレッティなどのサポートもあって、ランカトーレは演技に関してはそつなくこなしていますが、それで精いっぱい、歌の方はかなりいい加減になってしまっているのは、仕方のないことでしょう。
でも、他の歌手たち、中でもオスミンのリドルあたりの好演もあって、ハラハラさせられながらも無事に「生中継」は終わったようでした。
実は、この演出には飛行場ならではのサプライズが用意されていました。というのも、この生中継の時の映像をYouTubeで見ると、最後には4人がヘリコプターに乗って飛び立つ、という映像が確かにありました。ところが、このBDではその最も重要なシーンが丸ごとカットされていました。その訳は、カーテンコールのシーンで、ハンガー8からオーケストラの団員がハンガー7まで歩いてくるときに分かります。そこには、まだ地上に残っているヘリコプターがしっかり写っているではありませんか。「生」の時のヘリコプターが飛び立つシーンは、前もって用意してあった映像を差し込んでいたのですね。あとでここを見直して、この痛恨のミスに気づき、せっかくのシーンを泣く泣くカットしたのでしょう。結局、飛んでったはずの4人もカーテンコールに加わっているのですから、そんなことはどうだっていいのに。

BD Artwork © Arthaus Musik GmbH
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by jurassic_oyaji | 2014-06-03 22:57 | オペラ | Comments(0)
BARTÓK/Duke Bluebeard's Castle
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John Tomlinson(Bluebeard)
Michelle DeYoung(Judith)
Juliet Stevenson(Narr.)
Esa-Pekka Salonen/
Philharmonia Orchestra & Voices
SIGNUM/SIGCD372




最近では、このSIGNUMレーベルがほとんど自主レーベルのような形でフィルハーモニア管弦楽団の録音をリリースしているようですね。今まで聴いたことはなかったのですが、今回初めて手にしてクレジットを見てみたら、録音担当はLSO Liveなどと同じ「クラシック・サウンド」でした。エンジニアは、おなじみのジョナサン・ストークスです。もちろん、録音はハイレゾで行われているのでしょうが、SACDにはなってはいませんでした。過去に1度だけ、サロネンの指揮による「グレの歌」がSACDで出ていたような気がしますが、それっきりだったのでしょう。今回も、なかなか素晴らしい録音なので、これがSACDだったらさぞやいい音なのだろうな~という、まさに「隔靴掻痒」状態でしたね(そうよ)。
この録音は、2011年にウィーンのコンツェルトハウスで行われたコンサートのライブなのだそうです。ソリストのほかに合唱団のクレジットも入っています。確かに、この作品の途中には「ハ~」というため息が何度か入っていますから、それをしっかりした合唱団が「歌って」いるのでしょうが、このように実際に合唱団の名前までが載っているアルバムは初めて見ました。
ソリストは、青ひげのトムリンソンはともかく、ユディットのデヤングに一抹の不安を抱いてしまいます。この人はいつ聴いてもピッチが許容範囲を超えて高いため、常に違和感を味わった記憶しかないものですから。
最近の上演では慣例になりつつあるように、まず、最初に「前口上」が述べられます。もちろんペーター・バルトークの英訳が使われていますが、それが女性によって語られていたのが、ちょっと珍しいもの、実際この形で聴いたのはこれが初めてです。ちょっとこれは意表を突かれた感じで、この曲を聴くためにちょっと身構えていたものが、見事に肩透かしを食らったような気がします。
そのあとにトムリンソンが重苦しい声で歌い始めるものですから、その対比はかなりなものです。しかし、次にデヤングの声が聴こえてくると、それは確かにさっきの女性の声とのシンパシーが感じられるものでした。彼女の歌い方はやはりいつものように高いピッチの、ドラマティックで高圧的なものですから、そこからはあまり暗さが感じられないのですね。つまり、このあたりのユディットは、完全に青ひげを制圧しているような立場にあるように聴こえてくるのです。
サロネンのオーケストラのドライブは、素晴らしいものでした。ことさら大げさな身振りではなく、しっかり楽譜通りのことをていねいに重ねていく、というのが彼のバルトークへのアプローチのように感じられますが、プレーヤーはそれにしっかり従っているのですね。録音の良さも相まって、その場面に必要な音、たとえば宝石の音色を際立たせるチェレスタなどが過不足なく聴こえてきます。最大の盛り上がりを見せるはずの「第5の扉」のシーンでも、三和音の派手な響きを聴かせるのではなく、それが横につながった時のメロディをくっきりと浮かびあげているやり方をとっています。そうすることによって、ここからはハリウッド映画のようなスペクタクルな光景ではなく、そのテーマの由来するところのハンガリーあたりの風景が浮かびあがってはこないでしょうか。
このあたりを分岐点にして、青ひげとユディットの力関係が変わってくるさまが、デヤングの歌い方の変化によってもたらされている、と感じられるのは、単なる偶然なのでしょうか。いや、心なしか音程も落ち着き、ひたすら自分を責め始めるテキストが現実味を帯びてくるのは、間違いなく彼女の意志によるものなのではないでしょうか。彼女は、本当は相当にクレバーな歌手だったのかもしれません。
なんでも、サロネンはこの時期にバルトークを集中的にコンサートで取り上げていたのだそうです。それが順次CDになって行くのだとか。ちょっと楽しみですね。

CD Artwork © Signum Records Ltd
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by jurassic_oyaji | 2014-04-20 20:25 | オペラ | Comments(0)
James Rutherford sings Wagner
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James Rutherford(Bar)
Andrew Litton/
Bergen Philharmonic Orchestra
BIS/SACD-2080(hybrid SACD)




The Office」でおなじみのイギリスのコメディアン、リッキー・ジャーヴェイスによく似た、なんともダサいデニムパンツのこのおじさんは、当年とって41歳のイギリスの新進ワーグナー歌手、ジェームズ・ラザフォードです。2010年には、例のカタリーナ・ワーグナーのスキャンダラスな演出で話題になった「マイスタージンガー」でのハンス・ザックスでバイロイト・デビューを果たし、次々にワーグナーのロールをものにしているバリトンが、昨年の今頃、まだオペラハウスでは実際に歌っていないものも含めて、ワーグナーのナンバーばかりを集めて録音したのが、このSACDです。
ラザフォードは、学生時代には女の先生から「ヘルデンテノールになったらお金持ちになれるわよ」とからかわれていたそうですが、とてもそんな声ではないと思っていたそうなのです。それが今では、ヘルデンでこそありませんが、押しも押されもせぬ立派なワーグナー歌手になったのですから、その先生はただからかっていただけではなかったのでしょうね。
バックのオーケストラが、リットン指揮のベルゲン・フィルというのが、ちょっとした期待を誘います。もしかしたら、かなり毛色の変わったワーグナーが聴けるかもしれません。確かに、最初に聴こえて来た「オランダ人」序曲は、一風変わった味を持っていました。ちょっと普通の演奏では見られないような、細かいところにまで神経が行き届いたものだったのですね。ただ、それで音楽としての情報量はかなり増えているのですが、ワーグナーの場合はもっぱらそんな些細なことよりも力技によるドライブ感の方が重要だと考える人の方が多いはずですから、これは万人から納得されるようなものではないのかもしれません。個人的にはとても気に入りましたが。
そして、その「オランダ人」の中から、タイトル・ロールによる「モノローグ」が始まります。これも、最初の声を聴いただけでこの歌手がまさに非凡なものを持っていることが瞬時に分かるような、何か特別な魅力で迫ってきます。低い音はよく響いていても、決して重苦しいものではありませんし、その中にはある種の華やかささえ感じられます。さらに、曲の様式を的確に表現する力も秀でているような気がします。このモノローグの場合、短調で重苦しく展開されていたものが最後に長調になるという分かりやすい構造があるわけですが、それは聴いているとかなり唐突に思える演奏が多い中で、ラザフォードはしっかりその必然性が理解できるような周到なやり方でその結末を仕上げています。具体的には、最後のEナチュラルの音に入る前のちょっとしたポルタメント、ワーグナーでこんなことをやるのは反則ですが、それが見事に決まっています。
「タンホイザー」の「夕星の歌」では、高音でとても繊細なソット・ヴォーチェを聴かせてくれます。これが、とろけるようにソフトな味わい、たちまち心の中にさざ波が立ちます。でも、「ローエングリン」のクルヴェナールのような悪役には、この声はちょっと合わないかもしれませんね。同じように、アンフォルタス王もちょっと軽すぎる感は否めません。ハンス・ザックスは、おそらく演出を選んでしまうかも。
そして、最後は、「『指環』全曲のヴォータンを歌うのが目標」と言っている彼の持ち味がよく出た、「ワルキューレ」の「ヴォータンの別れ」です。そのソフトさの中には、威圧的な神々の長ではない、等身大の父親の姿が感じられることでしょう。
オーケストラも、そんなキャラを支える、とことん風通しの良いバランスで迫ります。それは、粗野な金管には少し遠慮していただいて、華麗な弦楽器に頑張ってもらおうという、普通のワーグナー業界ではあり得ないまるでカラヤンみたいな「室内楽的」な姿です。でも、こういうのが、おそらくこれからは主流になって行く予感すら感じられる、それは自信に満ちたスタンスです。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2014-04-12 20:43 | オペラ | Comments(0)
WAGNER/Parsifal
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Jonas Kaufmann(Parsifal), René Pape(Gurnemanz)
Katarina Dalayman(Kundry), Peter Mattei(Amfortas)
Evgeny Nikitin(Klingsor), François Girard(Dir)
Daniele Gatti/
The Metropolitan Opera Orchestra, Chorus, Ballet
SONY/88883725729(BD)




ワーグナー・イヤーの2013年2月に、ニューヨークのMETで上演された「パルジファル」の映像です。例によって、ライブ・ビューイングの素材をそのまま商品化したという「2度おいしい」商売の産物です。しかも、おそらくこのBDと全く同じものがWOWOWでも放送されていますから、そちらで楽しむこともできます。とは言っても、放送されたものの音のクオリティはセルBDと比べたらひどいものですから、本当に良い音で聴きたい時には、きちんと商品のBDを買って聴かなければいけません。
それで、本来の姿のライブ・ビューイングの場合はどうなのかを知るために、先日初めて映画館に行ってその映像と音を体験してみました。音に関しては、これはもうひとえにその映画館の設備の良否にかかっているわけですから、一概には言えないでしょうが、その仙台市の映画館の場合は、セルBDにははるかに及ばないものでした。なにしろ、一番期待していたサラウンドに、全く対応できていないのですからね。
ただ、やはり大画面の迫力は、お茶の間の小さなモニターでは決して得られないものでしたから、音にはそれほど期待せずに見に行けば、なかなか楽しめるのではないでしょうか。しかも、映画館の場合は休憩時間も生中継の時と同じようにそのままステージの設営の模様や、客席の様子などを映していますから、まさにリアルタイムで実際に劇場にいる時と同じ時間を共有できますよ。BDでは、インタビューが終わったあとはカットされていますからね。
ライブ・ビューイングを商品化するにあたってのレーベルは、特にMET独自のものではなく、それぞれの演目のメインのアーティストとの契約の関係あたりが基準になって、既存のところに割り振っているのでしょうか。今回は、なんと言ってもカウフマンが目玉ですから、彼が「所属」しているSONYからのリリースとなります。
そんな扱いでも分かる通り、このプロダクションの最大の魅力は、カウフマンの歌うタイトル・ロールでしょう。第1幕の、まだ「愚か者」だった時点での登場場面でも、彼の声が聴こえてくるなりステージ全体がピリッと引き締まるのが分かります。第2幕はもう圧倒的、クンドリー役のダライマンを相手に、思いっきりのフル・ヴォイスの魅力に浸れます。そして、もはや「賢者」となった第3幕では、ソット・ヴォーチェまでも交えての、とても深みのある歌を聴くことが出来ます。
ただ、この演出ではパルジファルがセミヌードになるシーンがあるのですが、そこをカメラがアップでとらえると、思いのほかお腹のあたりたるみがたっぷりあったのには、ちょっとがっかりしてしまいました。ルックス同様、体もしっかり引き締まっていると思っていたのに・・・

でも、おそらくこの演出はカウフマンを想定してのものだったのでしょうから、もっとブヨブヨの、たとえばボータあたりだったら、別のプランに変更するのかもしれませんね。
そんな、鳴り物入りで起用されたジラールの演出は、さすがに映画監督だけあって、映像の使い方が堂に入ってました。ただ、「指環」のルパージュのような合成されたものではなく、おそらく実写の映像がステージのバックに映し出されるという手法で、確かに美しいものではあるのですが、オペラのステージでこれをやってしまうのはちょっと反則っぽいのでは、と感じてしまいます。それより気になったのは、合唱団やらバレエ団でおそらく100人以上にはなっている群衆の扱いです。かなり細かい演技、というか「振り」を要求しているのですが、その出来がイマイチなんですよね。「一生懸命覚えました」という切迫感がミエミエですからね。しかも、その合唱の歌が最悪。
それと、バイロイトでの実績もあるガッティの指揮も、ちょっとオケが付いていけてないようで(前奏曲が、ボロボロでしたから)素直には入りきれないところがありました。

BD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2014-03-17 20:48 | オペラ | Comments(1)
MOZART/Le Nozze di Figaro
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Andrei Bondarenko(Conte), Simone Kermes(Contessa)
Fanie Antenelou(Susanna), Christian Van Horn(Figaro)
Mary-Ellen Nesi(Cherubino), Maria Forsström(Marcellina)
Teodor Currentzis/
Musicaeterna
SONY/88843014172(BA)




こちらでとても素晴らしい「レクイエム」を聴かせてくれたギリシャ出身の指揮者クレンツィスが、今度はレーベルをSONYに変えて「フィガロ」全曲を録音してくれました。「レクイエム」のときと同じ、ロシアの歌劇場付きのオーケストラ「ムジカ・エテルナ」が演奏しているので、あの時(2010年)と同じシベリアのノヴォシビルスクの歌劇場での録音かな、と思っていたら、こちらはなんとウラル山脈の麓の都市、ペルミの国立歌劇場ではありませんか。実は、クレンツィスは2011年にノヴォシビルスクを去って、こちらの歌劇場の音楽監督に就任していたのですね。言っといて下さいよ(テルミー!)。しかも、その時にオーケストラも一緒に連れていくことを要求、それがかなって前任地と同じハイレベルの仕事が出来ているのだそうです。
そんな、まさにクレンツィスの「手兵」であるムジカ・エテルナと、彼が選んだソリストたちは、ライブ録音ではなく、なんと11日間にわたってほぼフルタイムでのセッション録音に臨み、この録音を成し遂げたのだそうです。今時、SONYのようなメジャー・レーベルがそんな贅沢なことを許すだけの価値を、この若い指揮者に見出したというのがすごいところですが、彼は見事にその期待にこたえていました。ここには、彼の求める究極の「フィガロ」の姿が、見事に記録されています。
彼らが使っている楽器はピリオド楽器ですが、クレンツィスはオーセンティックなアプローチを試みるというよりは、このスタイルの方がよりモーツァルトの音楽を的確に表現できると考えていたようですね。実際、ここではモダン楽器のお上品な表現は姿を消し、ピリオド楽器ならではの幅広い表現力を最大限に引き出して、モーツァルトとダ・ポンテが作り上げたエネルギッシュなドラマを、信じられないほどの迫力で具現化しているさまを体験することが出来ます。ピッチがA=430Hzという、バロック・ピッチよりもはるかに高いものであることも、彼らの目指すところが単なる懐古趣味でないことの表れなのでしょう。
まず、序曲からして、度肝を抜かれるような衝撃的なものでした。そこでは、陰に回るべき声部までも、はっきりと自己を主張しているのがはっきり分かります。さらに、表現に必要とあらば、楽譜を改変する事も厭いません。たとえば、再現部で第2主題のモチーフが2回繰り返される時に、その2度目の前にこんな上向スケール(赤い音符)がフルートによって加えられています(T228/03:01付近)。

そして、幕開きのデュエットに続いてレシタティーヴォ・セッコが始まると、そこでの低音を演奏しているフォルテピアノの見事さに耳を奪われてしまいます。ありきたりの数字付きの低音ではなく、なんとイマジネーションが豊かなのでしょう。そんな伴奏に乗って、歌手たちも、存分にそこで「ドラマ」を演じています。なんせ、ドモリの裁判官のドン・クルツィオが登場する前では、フォルテピアノまでどもっているんですからね。パーソネルを見ると、低音にはその他にリュートとハーディ・ガーディのクレジットがあります。リュートはケルビーノの「Voi che sapete」のバックで聴こえましたが、ハーディ・ガーディは一体どこで・・・
最後の「Contessa, perdono!」という伯爵の「歌」が、およそ「オペラ的」ではない弱々しさで、リアルに究極の情けなさを表現していたことが、このオペラ全体のコンセプトを象徴しています。これほど生々しく物語が感じられる「フィガロ」は、今まで聴いたことがありません。
すでに、「コジ」は録音が終わっていて、今年の秋にはリリース、さらに「ドン・ジョヴァンニ」も来年の秋にはリリースになるそうです。それがどんなものになるのか、今から楽しみです。唯一の気懸りは、今回同様24bit/192kHzという最上位のハイレゾによるBAも出るのか、ということです。これを聴いてしまうと、もはや普通のCDのしょぼい音など、聴く気にもなれませんから。

BA Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2014-02-23 20:16 | オペラ | Comments(0)
BIZET/Docteur Miracle
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Marie-Bénédicte Souquet, Isabelle Druet(Sop)
Jérôme Billy(Ten), Pierre-Yves Pruvot(Bar)
Samuel Jean/
Orchestre Lyrique de Re()gion Avignon Provance
TIMPANI/1C1204




クセナキスのオーケストラ作品の全集はなかなか先に進まないで立ち消えになりそうな気配のTIMPANIレーベルですが、本来の役割であるフランスの隠れた作品の紹介ではまだまだ頑張っているようです。しばらく新譜を見かけないなと思っていたら、どうやら日本の代理店が替わったみたいですね。そのためにリリースが滞っていたのでしょう。
そこで、新しく代理店になったのが、ナクソス・ジャパンなのだそうです。ここは、自社製品でなくてもしっかり帯解説を付けてくれたりしていますから、これにも期待したのですが、あいにくなにもありませんでした。そこまでは手が回らなかったのでしょうか。
この「ミラクル博士」というのは、ビゼーが18歳の時に作ったという「オペレッタ」、あるいはフランスですので「オペラ・コミーク」と言われるジャンルの作品です。まあ、ビゼー晩年(といっても36歳)の有名な「オペラ」である「カルメン」も実は「オペラ・コミーク」なのですが、物語の内容も音楽のスケールも、大きく異なっています。すでに録音もありますし、実際に日本で上演されたこともありますが、おそらく今まで普通に聴かれたことはまずない、極めて珍しい作品です。
そんな珍しいものですから、この代理店が誇る「帯職人」の手によってせめてあらすじだけでも読めるようにしてほしかったなと、切に思います。
とりあえず、出演者は女性二人、男性二人の4人だけです。それは、地方の司法官(名前は明らかにされていません)とその妻ヴェロニク、その娘のロレット、そして、彼女が愛している兵士のシルヴィオ。ただ、ヴェロニクは今までに4人の夫と死別していて、現在の夫に対しても死んでくれることを望んでいるという、ちょっとアブナい人。ロレットも、義父からは別の男との結婚を迫られているという、問題を抱えた家族構成です。そこで、シルヴィオは醜いコックに変装して毒入りのオムレツを作って司法官に食べさせ、今度はどんな病気でも治せる「ミラクル博士」という、ラテン語しかしゃべれない医者に変装して現れ、最後はめでたくロレットと結婚するという、ドタバタ喜劇なのでしょう。
音楽は、その前の年に作られたハ長調の交響曲のような、古典的なテイストに包まれています。全体的になんか「小さくまとまっている」という感じがしますね。序曲からして、ある意味荒唐無稽な物語にしてはきっちりと作られていますし、途中で短調に変わるなど「深み」を演出する意図は感じられます。その中で、のべつトライアングルのにぎやかなロールを鳴らし続けているのは、「喜劇」としての軽さを演出したいという気持ちの表れなのでしょうが、変に浮き上がって全体の方向性が散漫になってしまっています。
地のセリフを入れても、全体で1時間ちょっとという非常にコンパクトな作品ですので、気軽に楽しむことはできるでしょう。「アリア」とは言えないほどの素朴なソロ・ナンバーもありますが、メインはアンサンブル、軽妙なやり取りが、とてもあっさりした音楽によってすんなり入ってきます。最後あたりの、オムレツを食べるシーンでの「オムレツの四重唱」などは、笑いのツボをしっかり押さえていてほほえましく感じられます。
4人の歌手はそれぞれに魅力的ですが、シルヴィオ役のテノールの人は、もっと伸びやかな歌い方だとさらに魅力が増したのではないでしょうか。その人の演じているニセ医者がタイトルになっているのですが、これを「ミラクル博士」と訳してしまうと、なんだか近未来のマッド・サイエンティストの物語のように思えてしまいませんか?これからは、そのまま「ドクター・ミラクル」と呼んだ方がいいと思いま~す!
幕開けの三重唱の中で、一瞬「ハバネラ」の断片が聴こえてきたのにはびっくりしました。こんなところに「カルメン」の萌芽があったなんて。


CD Artwork © Timpani
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by jurassic_oyaji | 2014-01-27 00:18 | オペラ | Comments(0)