おやぢの部屋2
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カテゴリ:オペラ( 211 )
James Rutherford sings Wagner
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James Rutherford(Bar)
Andrew Litton/
Bergen Philharmonic Orchestra
BIS/SACD-2080(hybrid SACD)




The Office」でおなじみのイギリスのコメディアン、リッキー・ジャーヴェイスによく似た、なんともダサいデニムパンツのこのおじさんは、当年とって41歳のイギリスの新進ワーグナー歌手、ジェームズ・ラザフォードです。2010年には、例のカタリーナ・ワーグナーのスキャンダラスな演出で話題になった「マイスタージンガー」でのハンス・ザックスでバイロイト・デビューを果たし、次々にワーグナーのロールをものにしているバリトンが、昨年の今頃、まだオペラハウスでは実際に歌っていないものも含めて、ワーグナーのナンバーばかりを集めて録音したのが、このSACDです。
ラザフォードは、学生時代には女の先生から「ヘルデンテノールになったらお金持ちになれるわよ」とからかわれていたそうですが、とてもそんな声ではないと思っていたそうなのです。それが今では、ヘルデンでこそありませんが、押しも押されもせぬ立派なワーグナー歌手になったのですから、その先生はただからかっていただけではなかったのでしょうね。
バックのオーケストラが、リットン指揮のベルゲン・フィルというのが、ちょっとした期待を誘います。もしかしたら、かなり毛色の変わったワーグナーが聴けるかもしれません。確かに、最初に聴こえて来た「オランダ人」序曲は、一風変わった味を持っていました。ちょっと普通の演奏では見られないような、細かいところにまで神経が行き届いたものだったのですね。ただ、それで音楽としての情報量はかなり増えているのですが、ワーグナーの場合はもっぱらそんな些細なことよりも力技によるドライブ感の方が重要だと考える人の方が多いはずですから、これは万人から納得されるようなものではないのかもしれません。個人的にはとても気に入りましたが。
そして、その「オランダ人」の中から、タイトル・ロールによる「モノローグ」が始まります。これも、最初の声を聴いただけでこの歌手がまさに非凡なものを持っていることが瞬時に分かるような、何か特別な魅力で迫ってきます。低い音はよく響いていても、決して重苦しいものではありませんし、その中にはある種の華やかささえ感じられます。さらに、曲の様式を的確に表現する力も秀でているような気がします。このモノローグの場合、短調で重苦しく展開されていたものが最後に長調になるという分かりやすい構造があるわけですが、それは聴いているとかなり唐突に思える演奏が多い中で、ラザフォードはしっかりその必然性が理解できるような周到なやり方でその結末を仕上げています。具体的には、最後のEナチュラルの音に入る前のちょっとしたポルタメント、ワーグナーでこんなことをやるのは反則ですが、それが見事に決まっています。
「タンホイザー」の「夕星の歌」では、高音でとても繊細なソット・ヴォーチェを聴かせてくれます。これが、とろけるようにソフトな味わい、たちまち心の中にさざ波が立ちます。でも、「ローエングリン」のクルヴェナールのような悪役には、この声はちょっと合わないかもしれませんね。同じように、アンフォルタス王もちょっと軽すぎる感は否めません。ハンス・ザックスは、おそらく演出を選んでしまうかも。
そして、最後は、「『指環』全曲のヴォータンを歌うのが目標」と言っている彼の持ち味がよく出た、「ワルキューレ」の「ヴォータンの別れ」です。そのソフトさの中には、威圧的な神々の長ではない、等身大の父親の姿が感じられることでしょう。
オーケストラも、そんなキャラを支える、とことん風通しの良いバランスで迫ります。それは、粗野な金管には少し遠慮していただいて、華麗な弦楽器に頑張ってもらおうという、普通のワーグナー業界ではあり得ないまるでカラヤンみたいな「室内楽的」な姿です。でも、こういうのが、おそらくこれからは主流になって行く予感すら感じられる、それは自信に満ちたスタンスです。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2014-04-12 20:43 | オペラ | Comments(0)
WAGNER/Parsifal
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Jonas Kaufmann(Parsifal), René Pape(Gurnemanz)
Katarina Dalayman(Kundry), Peter Mattei(Amfortas)
Evgeny Nikitin(Klingsor), François Girard(Dir)
Daniele Gatti/
The Metropolitan Opera Orchestra, Chorus, Ballet
SONY/88883725729(BD)




ワーグナー・イヤーの2013年2月に、ニューヨークのMETで上演された「パルジファル」の映像です。例によって、ライブ・ビューイングの素材をそのまま商品化したという「2度おいしい」商売の産物です。しかも、おそらくこのBDと全く同じものがWOWOWでも放送されていますから、そちらで楽しむこともできます。とは言っても、放送されたものの音のクオリティはセルBDと比べたらひどいものですから、本当に良い音で聴きたい時には、きちんと商品のBDを買って聴かなければいけません。
それで、本来の姿のライブ・ビューイングの場合はどうなのかを知るために、先日初めて映画館に行ってその映像と音を体験してみました。音に関しては、これはもうひとえにその映画館の設備の良否にかかっているわけですから、一概には言えないでしょうが、その仙台市の映画館の場合は、セルBDにははるかに及ばないものでした。なにしろ、一番期待していたサラウンドに、全く対応できていないのですからね。
ただ、やはり大画面の迫力は、お茶の間の小さなモニターでは決して得られないものでしたから、音にはそれほど期待せずに見に行けば、なかなか楽しめるのではないでしょうか。しかも、映画館の場合は休憩時間も生中継の時と同じようにそのままステージの設営の模様や、客席の様子などを映していますから、まさにリアルタイムで実際に劇場にいる時と同じ時間を共有できますよ。BDでは、インタビューが終わったあとはカットされていますからね。
ライブ・ビューイングを商品化するにあたってのレーベルは、特にMET独自のものではなく、それぞれの演目のメインのアーティストとの契約の関係あたりが基準になって、既存のところに割り振っているのでしょうか。今回は、なんと言ってもカウフマンが目玉ですから、彼が「所属」しているSONYからのリリースとなります。
そんな扱いでも分かる通り、このプロダクションの最大の魅力は、カウフマンの歌うタイトル・ロールでしょう。第1幕の、まだ「愚か者」だった時点での登場場面でも、彼の声が聴こえてくるなりステージ全体がピリッと引き締まるのが分かります。第2幕はもう圧倒的、クンドリー役のダライマンを相手に、思いっきりのフル・ヴォイスの魅力に浸れます。そして、もはや「賢者」となった第3幕では、ソット・ヴォーチェまでも交えての、とても深みのある歌を聴くことが出来ます。
ただ、この演出ではパルジファルがセミヌードになるシーンがあるのですが、そこをカメラがアップでとらえると、思いのほかお腹のあたりたるみがたっぷりあったのには、ちょっとがっかりしてしまいました。ルックス同様、体もしっかり引き締まっていると思っていたのに・・・

でも、おそらくこの演出はカウフマンを想定してのものだったのでしょうから、もっとブヨブヨの、たとえばボータあたりだったら、別のプランに変更するのかもしれませんね。
そんな、鳴り物入りで起用されたジラールの演出は、さすがに映画監督だけあって、映像の使い方が堂に入ってました。ただ、「指環」のルパージュのような合成されたものではなく、おそらく実写の映像がステージのバックに映し出されるという手法で、確かに美しいものではあるのですが、オペラのステージでこれをやってしまうのはちょっと反則っぽいのでは、と感じてしまいます。それより気になったのは、合唱団やらバレエ団でおそらく100人以上にはなっている群衆の扱いです。かなり細かい演技、というか「振り」を要求しているのですが、その出来がイマイチなんですよね。「一生懸命覚えました」という切迫感がミエミエですからね。しかも、その合唱の歌が最悪。
それと、バイロイトでの実績もあるガッティの指揮も、ちょっとオケが付いていけてないようで(前奏曲が、ボロボロでしたから)素直には入りきれないところがありました。

BD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2014-03-17 20:48 | オペラ | Comments(1)
MOZART/Le Nozze di Figaro
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Andrei Bondarenko(Conte), Simone Kermes(Contessa)
Fanie Antenelou(Susanna), Christian Van Horn(Figaro)
Mary-Ellen Nesi(Cherubino), Maria Forsström(Marcellina)
Teodor Currentzis/
Musicaeterna
SONY/88843014172(BA)




こちらでとても素晴らしい「レクイエム」を聴かせてくれたギリシャ出身の指揮者クレンツィスが、今度はレーベルをSONYに変えて「フィガロ」全曲を録音してくれました。「レクイエム」のときと同じ、ロシアの歌劇場付きのオーケストラ「ムジカ・エテルナ」が演奏しているので、あの時(2010年)と同じシベリアのノヴォシビルスクの歌劇場での録音かな、と思っていたら、こちらはなんとウラル山脈の麓の都市、ペルミの国立歌劇場ではありませんか。実は、クレンツィスは2011年にノヴォシビルスクを去って、こちらの歌劇場の音楽監督に就任していたのですね。言っといて下さいよ(テルミー!)。しかも、その時にオーケストラも一緒に連れていくことを要求、それがかなって前任地と同じハイレベルの仕事が出来ているのだそうです。
そんな、まさにクレンツィスの「手兵」であるムジカ・エテルナと、彼が選んだソリストたちは、ライブ録音ではなく、なんと11日間にわたってほぼフルタイムでのセッション録音に臨み、この録音を成し遂げたのだそうです。今時、SONYのようなメジャー・レーベルがそんな贅沢なことを許すだけの価値を、この若い指揮者に見出したというのがすごいところですが、彼は見事にその期待にこたえていました。ここには、彼の求める究極の「フィガロ」の姿が、見事に記録されています。
彼らが使っている楽器はピリオド楽器ですが、クレンツィスはオーセンティックなアプローチを試みるというよりは、このスタイルの方がよりモーツァルトの音楽を的確に表現できると考えていたようですね。実際、ここではモダン楽器のお上品な表現は姿を消し、ピリオド楽器ならではの幅広い表現力を最大限に引き出して、モーツァルトとダ・ポンテが作り上げたエネルギッシュなドラマを、信じられないほどの迫力で具現化しているさまを体験することが出来ます。ピッチがA=430Hzという、バロック・ピッチよりもはるかに高いものであることも、彼らの目指すところが単なる懐古趣味でないことの表れなのでしょう。
まず、序曲からして、度肝を抜かれるような衝撃的なものでした。そこでは、陰に回るべき声部までも、はっきりと自己を主張しているのがはっきり分かります。さらに、表現に必要とあらば、楽譜を改変する事も厭いません。たとえば、再現部で第2主題のモチーフが2回繰り返される時に、その2度目の前にこんな上向スケール(赤い音符)がフルートによって加えられています(T228/03:01付近)。

そして、幕開きのデュエットに続いてレシタティーヴォ・セッコが始まると、そこでの低音を演奏しているフォルテピアノの見事さに耳を奪われてしまいます。ありきたりの数字付きの低音ではなく、なんとイマジネーションが豊かなのでしょう。そんな伴奏に乗って、歌手たちも、存分にそこで「ドラマ」を演じています。なんせ、ドモリの裁判官のドン・クルツィオが登場する前では、フォルテピアノまでどもっているんですからね。パーソネルを見ると、低音にはその他にリュートとハーディ・ガーディのクレジットがあります。リュートはケルビーノの「Voi che sapete」のバックで聴こえましたが、ハーディ・ガーディは一体どこで・・・
最後の「Contessa, perdono!」という伯爵の「歌」が、およそ「オペラ的」ではない弱々しさで、リアルに究極の情けなさを表現していたことが、このオペラ全体のコンセプトを象徴しています。これほど生々しく物語が感じられる「フィガロ」は、今まで聴いたことがありません。
すでに、「コジ」は録音が終わっていて、今年の秋にはリリース、さらに「ドン・ジョヴァンニ」も来年の秋にはリリースになるそうです。それがどんなものになるのか、今から楽しみです。唯一の気懸りは、今回同様24bit/192kHzという最上位のハイレゾによるBAも出るのか、ということです。これを聴いてしまうと、もはや普通のCDのしょぼい音など、聴く気にもなれませんから。

BA Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2014-02-23 20:16 | オペラ | Comments(0)
BIZET/Docteur Miracle
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Marie-Bénédicte Souquet, Isabelle Druet(Sop)
Jérôme Billy(Ten), Pierre-Yves Pruvot(Bar)
Samuel Jean/
Orchestre Lyrique de Re()gion Avignon Provance
TIMPANI/1C1204




クセナキスのオーケストラ作品の全集はなかなか先に進まないで立ち消えになりそうな気配のTIMPANIレーベルですが、本来の役割であるフランスの隠れた作品の紹介ではまだまだ頑張っているようです。しばらく新譜を見かけないなと思っていたら、どうやら日本の代理店が替わったみたいですね。そのためにリリースが滞っていたのでしょう。
そこで、新しく代理店になったのが、ナクソス・ジャパンなのだそうです。ここは、自社製品でなくてもしっかり帯解説を付けてくれたりしていますから、これにも期待したのですが、あいにくなにもありませんでした。そこまでは手が回らなかったのでしょうか。
この「ミラクル博士」というのは、ビゼーが18歳の時に作ったという「オペレッタ」、あるいはフランスですので「オペラ・コミーク」と言われるジャンルの作品です。まあ、ビゼー晩年(といっても36歳)の有名な「オペラ」である「カルメン」も実は「オペラ・コミーク」なのですが、物語の内容も音楽のスケールも、大きく異なっています。すでに録音もありますし、実際に日本で上演されたこともありますが、おそらく今まで普通に聴かれたことはまずない、極めて珍しい作品です。
そんな珍しいものですから、この代理店が誇る「帯職人」の手によってせめてあらすじだけでも読めるようにしてほしかったなと、切に思います。
とりあえず、出演者は女性二人、男性二人の4人だけです。それは、地方の司法官(名前は明らかにされていません)とその妻ヴェロニク、その娘のロレット、そして、彼女が愛している兵士のシルヴィオ。ただ、ヴェロニクは今までに4人の夫と死別していて、現在の夫に対しても死んでくれることを望んでいるという、ちょっとアブナい人。ロレットも、義父からは別の男との結婚を迫られているという、問題を抱えた家族構成です。そこで、シルヴィオは醜いコックに変装して毒入りのオムレツを作って司法官に食べさせ、今度はどんな病気でも治せる「ミラクル博士」という、ラテン語しかしゃべれない医者に変装して現れ、最後はめでたくロレットと結婚するという、ドタバタ喜劇なのでしょう。
音楽は、その前の年に作られたハ長調の交響曲のような、古典的なテイストに包まれています。全体的になんか「小さくまとまっている」という感じがしますね。序曲からして、ある意味荒唐無稽な物語にしてはきっちりと作られていますし、途中で短調に変わるなど「深み」を演出する意図は感じられます。その中で、のべつトライアングルのにぎやかなロールを鳴らし続けているのは、「喜劇」としての軽さを演出したいという気持ちの表れなのでしょうが、変に浮き上がって全体の方向性が散漫になってしまっています。
地のセリフを入れても、全体で1時間ちょっとという非常にコンパクトな作品ですので、気軽に楽しむことはできるでしょう。「アリア」とは言えないほどの素朴なソロ・ナンバーもありますが、メインはアンサンブル、軽妙なやり取りが、とてもあっさりした音楽によってすんなり入ってきます。最後あたりの、オムレツを食べるシーンでの「オムレツの四重唱」などは、笑いのツボをしっかり押さえていてほほえましく感じられます。
4人の歌手はそれぞれに魅力的ですが、シルヴィオ役のテノールの人は、もっと伸びやかな歌い方だとさらに魅力が増したのではないでしょうか。その人の演じているニセ医者がタイトルになっているのですが、これを「ミラクル博士」と訳してしまうと、なんだか近未来のマッド・サイエンティストの物語のように思えてしまいませんか?これからは、そのまま「ドクター・ミラクル」と呼んだ方がいいと思いま~す!
幕開けの三重唱の中で、一瞬「ハバネラ」の断片が聴こえてきたのにはびっくりしました。こんなところに「カルメン」の萌芽があったなんて。


CD Artwork © Timpani
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by jurassic_oyaji | 2014-01-27 00:18 | オペラ | Comments(0)
WAGNER/Der Fliegende Holländer, DIETSCH/Le Vaisseau Fantôme
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Evgeny Nikitin(Hol), Russel Braun(Troïl)
Ingela Brimberg(Senta), Sally Matthews(Minna)
Eric Cutler(Georg), Bernard Richter(Magnus)
Marc Minkowski/
Les Musiciens du Louvre Grenoble
NAïVE/V 5349




ワーグナー・イヤーの幕切れになって、こんなすごいものがリリースされました。まずは、「さまよえるオランダ人」の初稿版です。これは、2004年に世界で初めて録音されたブルーノ・ワイル盤(DHM/82876 64071 2)に続くものになるのでしょう。
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この初稿は、自筆稿が残っているだけで、出版はされていません。1843年にドレスデンで初演された時には、すでに改訂されていて、「ゼンタのバラード」(世良公則ではありません・・・それは「アンタのバラード」)のキーが歌手の都合に合わせてイ短調からト短調に下げられたり、登場人物の名前や設定が変わったりしていました。
そしてもう一つ、ここにはそのワーグナーの作品とともに、ワーグナーが最初にこれをパリのオペラ座で上演したいと思った時に、支配人のレオン・ピレーに提出したフランス語の台本のスケッチをもとに、ポール・フーシェとベネディクト=アンリ・レヴォワルが作った台本に、オペラ座の合唱指揮者ピエール=ルイ・ディエチュが作曲、1842年にオペラ座で初演された、その名も「幽霊船」というオペラの世界初録音がカップリングされているのです。ワーグナーはこのスケッチに対する報酬500フランをもらっただけで、作曲を依頼されることはありませんでした。頭にきたワーグナーは、わずか10日間で彼の「オランダ人」の台本を完成させてしまいました。そして、1842年にはスコアも完成するのですが、当然パリで上演されることはなかったのです。
同じスケッチを使っていながら、この二つの作品は音楽も、そして物語も全く異なる様相を呈しています。ディエチュという人は、今でこそ完璧に忘れ去られていますが、なんせオペラ座から作曲の依頼を受けたというのですから、「オペラ座」向けの作曲のノウハウは熟知していたはずです。序曲なども、同じ嵐の描写でもワーグナーみたいに空虚5度などという「前衛的」なものは使わず、ごくごくまっとうな波しぶきを表現していますしね。そして最後にはなんともノーテンキなドンチャン騒ぎで幕開けを用意するという分かりやすさです。
物語は、ワーグナー版の「ゼンタのバラード」に相当する「ミンナのバラード」で始まりますが、あちらのような深刻なものではない素朴な民謡調、ミンナにはもちろんアリアもありますが、それはコロラトゥーラを多用したとことん技巧的なものです。そういう派手なことが、オランダ人(こちらは「トロイル」)のアリアにも使われているのですから、いかにお客さんを楽しませることに腐心しているかがわかります。そう、これはまさにそういうエンターテインメント(もちろん上流階級向けの)なのです。
と、音楽的には聴衆の好みに合わせたとことんコンサバなものなのですが、その分ストーリーとしてはワーグナーの台本よりも納得のいくものに仕上がっているな、という気がします。その最大の理由は、エリック(この初稿では「ゲオルク」)のキャラ設定の違いでしょうか。ディエチュ版では「マグヌス」という名前になっていますが、彼は婚約者であるミンナ(ゼンタ)がトロイル(オランダ人)になびいてしまっても、エリックのようにしつこく「ストーカー行為」をすることはなく、黙って身を引くという「大人」として描かれているのですからね。やはり「女は奪うものだ」というワーグナー自身の性癖からは、こういう人物像は出てこないのでしょうか。それは晩年のハンス・ザックスまで待たなければいけません。
この2つの作品を並べて聴いてみると、ミンコフスキはなんだかディエチュ版の方にシンパシーを感じているのではないか、と思えるようなところがあります。というか、ワーグナーにも少なからず登場するコンサバな音楽(ダーラント、いや、ドナルドが絡んだ部分など)の扱いが、何かぎこちないのですよね。そういうところをディエチュのようにあけっぴろげになれないあたりが、ワーグナーの難しさなのでしょう。

CD Artwork © NAÏVE
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by jurassic_oyaji | 2013-12-21 21:51 | オペラ | Comments(0)
MOZART/Die Zauberflöte
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Pavol Breslik(Tamino), Kate Royal(Pamina)
Dimitry Ivashchenko(Sarastro), Ana Durlovski(KdN)
Michael Nagy(Papageno), Regula Mühlemann(Papagena)
Robert Carsen(Dir)
Simon Rattlee/
Rundfunkchor Berlin(by Simon Halsey)
Berliner Philharmoniker
BERLINER PHILHARMONIKER/BPH130012(BD)




1967年にカラヤンによって創設されたザルツブルク・イースター音楽祭は、カラヤンの手兵ベルリン・フィルがオペラを演奏するというコンセプトで、今日までベルリン・フィルの音楽監督の指揮によって継続されてきました。しかし、昨年、様々な問題があって、ベルリン・フィルはこの音楽祭から完全に撤退することになったのだそうです。そして新たに、今年、2013年からバーデン・バーデンで、同じくイースターの期間に音楽祭を開催することになりました。そのオープニングを飾ったのが、サイモン・ラトルとベルリン・フィルによる「魔笛」の、新演出による公演です。それは期間中に4回上演されましたが、その最後の2回分を収録、編集した映像が、発売になりました。実はこの映像にはNHKも共同制作として加わっていたために、これ自体はすでにBSで全曲放送されていたのですが、それは千秋楽、4月1日だけのライブ映像でした。
このBDのボーナス・トラックにはベルリン・フィルのライブ映像の配信サイト「デジタル・コンサートホール」でインタヴュアーとして登場しているホルンの団員のサラ・ウィリスが、演出家やバックステージのスタッフにインタヴューしている映像が入っていますから、これもBSでは決して見られないものです。そして、これはきのうの「禁断」に書いたことですが、このBDはBSよりもはるかにいい音で聴くことが出来ます。
ラトルにとっては、これがこのオペラの初体験だということですが、そんな「初めて」ならではの恐れを知らない果敢なアプローチが随所に見られます。まずは、かなり自由な装飾の挿入、最初の3人の侍女のトリオで、最後に長々とカデンツァが入っていたのにはびっくりしましたね。それに続いて出てくるパパゲーノは、パンパイプではなくて「鍵盤ハーモニカ」を吹いています。きちんと「G」の鍵盤にテープを貼って、間違えないようにしているのがご愛嬌。もちろん、彼が渡される「グロッケンシュピール」は、チェレスタではなくキーボードグロッケンシュピールが使われています。先ほどのバックステージ紹介で、ピットの中にシードマイヤーの現物が確認できました。フルートと共にこの作品では重要な意味を持っている楽器だということでしょう、最後の大団円の時には、この楽器が華々しくフィーチャーされていましたね。
そして、ラトルの音楽は、テンポの大胆な変化で、今まで聴き慣れたモーツァルトとは一味違うものを見せてくれています。先ほどの3人の侍女のトリオでは、始まりがやたらと遅いテンポだと思っていると、次第にアッチェレランドをかけてダイナミックに畳みこむような表現に変わっていったりしています。モノスタトスのアリアの途中でも、いきなりブレーキがかかって驚かされたりします。それらの「小技」は、確かにこの作品の新たな一面を知らせてくれるものではありますが、「そこまでするの?」という場面もなくはありませんね。
ロバート・カーセンの演出も、やはりある種の「読み替え」なのでしょう。ただ、夜の女王や侍女たちの位置づけは、いまいち納得がいかないものでした。気持ちは分かりますが、どうにも整合性が取れないのですね。まあ、基本的にすべての人が仲良くなるというノーテンキなプロットだ、ということで、無理やり理解するしかありません。
部分的には、なかなか秀逸なところも見られます。3人の童子の扱いもその一つ。パミーナとパパゲーノがそれぞれ自殺を図ろうという場面で3人が現れる時には、その時の歌い手と同じ衣装、という意匠は気がきいてます。そのあとの方の場面で、パパゲーナの姿を見つけた時の一人の少年の表情はなんとも言えません。それに続くパパゲーノとパパゲーナのデュエットのアイディアは、涙が出るほど素敵でした。

BD Artwork © Berlin Phil Media GmbH
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by jurassic_oyaji | 2013-12-11 20:18 | オペラ | Comments(0)
FOREVER/Unforgettable Songs from Vienna, Broadway and Hollywood
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Diana Damrau(Sop)
David Charles Abell/
Royao Liverpool Philharmonic Orchestra
ERATO/6026662 0




ダムラウの最新のソロアルバムは、当然のことながらERATOレーベルからリリースされました。何しろ、VIRGIN時代と品番の付け方が同じですから、彼女には「移籍した」というような意識は全くないに違いありません。今までのアルバム同様、グレードの高いものが、また出来上がりました。
今回の彼女のレパートリーは、タイトルのコピー通りウィーン(オペレッタ)、ブロードウェイ(ミュージカル)、そしてハリウッド(映画音楽)という3つの街がテーマです。オペレッタはともかく、「映画音楽」がクラシックの歌手にとっては必ずしも相性の良いものでないことが、この前のデセイで露呈されてしまったばかりですから、ここでのダムラウにも少なからぬ不安の念がよぎります。
しかし、それは全くの杞憂でした。彼女はデセイのように曲に媚びて歌い方を変えるようなさもしいことはせずに、自身の武器であるベル・カントを前面に出して、果敢に曲に立ち向かっていたのです。
まずは、オペレッタのセクションです。カールマンやレハール、そしてヨハン・シュトラウス二世などのよく知られたナンバーを、ダムラウは時にユーモラスなしぐさを交えながら、堂々たる歌いぶりでこれらの「王道」を格調高く制覇します。それはまさに彼女にしてみれば余裕の世界でしょう。声はもちろん、なんたって、ドイツ語のディクションが違いますからね。1曲だけ、レハールの「メリー・ウィドー」からの有名な「Lippen schweigen」では相手役としてローランド・ヴィリャゾンが加わりますが、この人のとんでもないドイツ語に比べたら、なおさらです。
そして、「ミュージカル」が始まります。まずは、「マイ・フェア・レディ」から、「Would't It Be Lovely」はドイツ語で、「I Could Have Danced All Night」は英語で歌われます。ドイツ語で歌うと、まるでオペレッタのように聴こえますし、もちろん英語では微妙にそれからは離れたミュージカルっぽい感じが漂います。同じ作品から、そんな二通りの味わい、というよりは「可能性」を、ダムラウは見事に引き出してくれています。
続いては、ソンドハイムの「スウィニー・トッド」から、ジョアンナが歌う「Green Finch and Linnet Bird」を、これもドイツ語で歌います。ガーシュウィンの「Summertime」は英語でとてもドラマティックに、そして圧巻はロイド・ウェッバーの「Wishing You Were Somehow Here Again」。ご存知、「オペラ座の怪人」の中の、クリスティーヌのアリアですね。そう、ダムラウによって、それはまさに「ナンバー」あるいは「ショーストップ」というよりは、「アリア」と呼ぶにふさわしい、オペレッタ、いや文字通り「オペラ」として歌われるに値するだけの「芸術性」を持ったものであることがはっきりわかります。
そんな、ひょっとしたら作曲した人でさえ予想しなかったほどのとても含蓄の深い歌い方は、「映画音楽」のセクションに入っても満載でした。「オズの魔法使い」からの「Over the Rainbow」は、あまたのカバーを超えるものとして強烈に迫ってきます。そのエンディングでのsotto voceの繊細さにも、圧倒されるはずです。そして、「スノーマン」からの「Walking in the Air」こそは、最大の収穫でした。この曲からこんなダイナミックなドラマを引き出す可能性があったなんて、思ってもみませんでした。
アルバムの最初と最後を、「ヴォカリーズ」でくくるというのも卓越したアイディアです。ちなみに、エンディングのフレデリク・シャスランの、2008年に作られたオペラ「嵐が丘」からのヴォカリーズは、これが世界初録音だそうです。
ここで歌われているミュージカルや映画音楽は、よくある、クラシック歌手がほんの片手間に演奏してみました、みたいなものとは完全に別物です。クラシックと全く同じ、作曲家の思いを最高に表現するすべを小手先に頼らず真剣に追求した成果が、ここにはありました。それが感動を呼ばないわけがありません。

CD Artwork © Erato/Warner Classics, Warner Music UK Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2013-11-27 20:01 | オペラ | Comments(0)
WAGNER/The Colón Ring
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Jukka Rasilainen(Wotan)
Linda Watson(Brünhilde)
Stig Andersen(Siegmund)
Daniel Sumegi(Fasolt, Hunding, Hagen)
Valentina Carrrasco(Dir)
Roberto Paternostro/
Teatto Colón Orchestra and Chorus
C MAJOR/713104(BD)




201111月に、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにあるオペラハウス「テアトロ・コロン」で上演された、ワーグナーの「リング」の映像です。これは、普通に演奏すれば4日間、正味14時間かかる作品を、たったの6時間15分に縮めて一晩で上演したというものなのです。「そんなものは『リング』ではない」というワグネリアンの声が聞こえてきそうですが、そもそもこのアイディアは、ワーグナー教の総本山、バイロイト音楽祭の総帥カタリーナ・ワーグナーが提案したものなのです。
実際のところ、この作品はあまりに長すぎるというのは、作曲者自身も分かっていたのでしょう。初めて聴く人にとっては4日目にもなってくると、1日目にどんなことがあったのか、普通は憶えていないはずでしょうから、ワーグナーはそういう人のために、物語の中で「前回までのあらすじ」をやっているのですよ。例えば、「神々の黄昏」序幕の3人のノルンのシーンなどは、まさにそんな部分、一回で上演するのだったらこんなものは全く必要ありません。
実際にこの「短縮」作業を行ったのはコルト・ガルベンという人です。そこでは、ガルベン自身が冗長だと感じた部分も容赦なくカットされ、めでたく半分以下にカットされた「短縮版」が出来上がりました。さらに、ダニエル・スメギが一人で3役を演じているように、キャストの使い回しも可能になり、大幅な経費節減も。
その結果、神々族の中でもどうでもいいキャスト、ドンナーやフローの出番は丸ごとなくなっています。もちろんノルンたちも。ただ、エルダまでカットしたのは、ちょっと問題。そんな風に「ちょっとそれはないだろう」というところもたくさんありますが、それでも極力流れを損なわず、ストーリーの勘所は押さえていたのではないでしょうか。
そんなことよりも、ヴァレンティーナ・カラスコの演出には、先日亡くなったパトリス・シェローが30年以上前にバイロイトで行ったこの作品の「読み替え」に匹敵するほどの衝撃を受けました。彼女が設定した舞台は1970年代の軍事政権下の「アルゼンチン」、その暗黒時代に横行していた幼児誘拐事件を盛り込んで、この作品の最大のモチーフである「黄金」を、「こども」に置き換えたのですね。アルベリヒがラインの乙女(というか、ここでは「おばさん」)から奪ったものは生まれて間もない赤ん坊、ニーベルハイムで行われていることは、幼児の誘拐と母親の拷問という設定です。当然、巨人族が略奪したのは小さな子どもたち、彼らはファフナーの洞窟のそばの檻に入れられています(これが、みんなすごくかわいいんですよね)。そして、大詰めでは、その子たちはみんな両親のもとに帰ってくるのです。時系列はデタラメですが、これは感動ものですよ。
実は、この演出家はカタリーナがキャンセルしたために急遽呼ばれた人、そんなゴタゴタ(短縮版のパート譜は手作業で作成、それが間違いだらけだったので、指揮者が怒って帰ってしまうシーンとか)をつぶさに記録したメイキング映像のほうが、もしかしたらもっと感動を呼ぶかもしれません。ジークムント役の歌手が病気で出演出来なくなったので、もしかしたら自分が出られるのではないかと思った控え(シャドー、ですね)の歌手が、結局別の代役(この人、ハナ肇そっくり)が来ることになって願いはかなわなかったというような「悲哀」あふれる裏話も満載です。
ちなみに、ヴォータンとフリッカは、ちょっと時代が違いますが、ペロン大統領とエヴィータがモデルになっています。これはすぐに分かったのですが、このメイキングでそのことがしっかり確認できました。ということは、このヴォータンを「ビデラ将軍」としたレビューを音楽雑誌に執筆した「音楽学者」は、せっかくのこのメイキング映像を見ていなかったのでしょうね。これは恥かしいミステイク

BD Artwork © C Major Entertainment GmbH
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by jurassic_oyaji | 2013-10-14 22:18 | オペラ | Comments(0)
The Verdi Album
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Jonas Kaufmann(Ten)
Pier Giorgio Morandi/
Orchestra dell'Opera di Parma
SONY/88765492002




今まではDECCAというか、UNIVERSALの専属アーティストだったカウフマンは、SONYに「移籍」したようですね。シュリーマンではありません(それは「遺跡」)。せっかく、今まではかつてのDECCAの血を引くエンジニアによる素晴らしい音を楽しめたというのに、レーベルが変わってしまったら音まで変わってしまうのかもしれないと、ちょっと不安になりました。ところが、クレジットを見てみるとエンジニアのフィリップ・サイニーだけではなく、エグゼキュティブ・プロデューサーやレコーディング・プロデューサーまで、DECCA時代とほとんど同じ人が名を連ねているではありませんか。そういうことだったのですね。レーベル、つまりレコード会社が自前の録音スタッフを抱えて独自のサウンドを聴かせていたという時代は、とっくの昔に終わっていたのですよ。今ではそのような「現場」の仕事は外部のスタッフに任せて、レーベルは単にそれを販売する「権利」を有するだけという、文字通り「レーベル=ラベル」という意味しかなくなっているのですね。あ、これはあくまでUNIVERSALとかSONYといった「メジャー・レーベル」での話ですが。
というわけで、もちろん「ヴェルディ・イヤー」がらみでリリースされた(「Verdi200」というロゴが見えますね)カウフマンのニューアルバムでは、2008年にDECCAからリリースされたアルバムの中で歌われていたヴェルディのナンバーとは、同じオペラでもしっかり別の曲が収録されているという、理にかなった心配りがなされていました。
今回取り上げられているオペラは11作、その中には前のアルバムでは歌われていた「ラ・トラヴィアータ」は含まれていませんから、カウフマンのCDでのレパートリーはヴェルディのオペラ全26作中12作ということになります。モーツァルトやワーグナーで彼の歌に接していた人は、この数字に少し驚いてしまうことでしょう。あのカウフマンが、いつの間にかイタリア・オペラのスターにもなっていたのですからね。「ルイーザ・ミラー」や「群盗」といった、かなりコアな作品までクリアしてますし。
そこでまず、「名刺代わり」といった感じで始まるのが、ヴェルディのテノールのナンバーでは一番有名な「リゴレット」からのマントヴァ侯爵のカンツォーネ「La donna è mobile」です。これが、全然ヴェルディらしくありません。正確には、この時期のヴェルディらしくありません。「ズンチャッチャ」というノーテンキなリズムに乗って歌われる陽気な歌は、パヴァロッティあたりのとびきり明るい声にこそ映えるもので、カウフマンのくそまじめなキャラとは相容れないものです。
続く、こちらも定番、「アイーダ」からのラダメスのロマンツァ「Celeste Aida」などでも、イタリアオペラのファンにとっては最後のハイB♭では思い切り張った声で大見得を切ってほしいところでしょうが、それは聴衆に対するサービスではあっても、必ずしも作品の求めるものではないと考えているカウフマンは、その音をsotto voceで終わらせています。
カウフマンは、この中で「ヴェルディらしさ」を表現するために、ちょっとしたテクニックを使っています。それは、ピッチをほんの少し高めにとると同時に、要所に「泣き」を入れることです。ワーグナーなどでは決して使うことのないこの「小技」、しかしそれは、何かよそよそしさが感じられるものです。仕方なく相手に合わせた、という感じでしょうか。
ですから、彼がそのままの姿で妥協をせずに歌えるのは、後期の「オテッロ」あたりなのでしょう。ヴェルディが初めてそれまでの「番号オペラ」からの決別を成し遂げた、真にドラマティックなこの作品の中でこそ、カウフマンは彼自身のドラマを演じることが出来たのではないでしょうか。
相変わらず期待を裏切らない素晴らしい録音ですが、時折オーケストラが無神経な演奏をしているのが鼻に付きます。日頃オペラの伴奏をしているオケのはずなのに。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2013-09-28 20:57 | オペラ | Comments(0)
LLOID WEBBER/Jesus Christ Superstar
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Tim Minchin(Juda)
Melanie C(Maria)
Ben Forster(Jesus)
Laurence Connor(Dir)
UNIVERSAL/61126570(BD)




先日の映画版に続いて、やはり最近BDが発売になった「ライブ・アリーナ・ツアー」版のBDです。このプロダクションは、この作品がミュージカルとしてイギリスで上演されてから40年経ったことを記念して、イギリス全土のアリーナで上演されたものです。ここでは、201210月5日に、バーミンガム・ナショナル・インドア・アリーナで行われたライブが収録されています。
この作品は、そもそもは「ロック・アルバム」として、音楽的にも、ストーリー的にも完結しているものでした。ですから、最初は「ライブ」として、アメリカのアリーナで公演を行っていたものが、ついには「ミュージカル」としてブロードウェイにまで進出することになったという「過去」を持っています。したがって、この「ライブ・アリーナ・ツアー」は、まさにこの作品の原点に返ったものだと言えるのでしょう。とは言っても、いまさらただの「ライブ」を行っても、ミュージカルや映画をすでに体験してしまった観客には物足りませんから、例のロイヤル・アルバート・ホールでの「オペラ座の怪人」を手掛けたローレンス・コナーなどのスタッフによって、アリーナを使った限りなくミュージカルに近いライブが実現する事になりました。
「オペラ座」同様、セットなどは組まない代わりに、やはり巨大なLEDスクリーンを後ろに設置して、視覚的な演出に備えます。ただ、それは単に背景を映す、といったような使い方ではなく、もろロック・コンサートのような、様々なメッセージを持った映像が映し出されることになります。そのスクリーン、そしてステージ上で描かれているのは、まさに現代、インターネットや携帯電話がさりげなく登場する社会で、イエスはやはり格差社会の中での、底辺階級のカリスマとして描かれます。ピラトなどは分別ある裁判所の判事といった役回りになっていますね。そうなると、ヘロデ王の位置づけが気になるところですが、これはテレビの人気番組の司会者でした。真っ赤なタキシードに身を包んだ、いかにも「業界人」という読み替えは見事なもんだ。みのもんた
実は、映画を含めて、今までに何度となくこの作品に接してきた中で、演奏が「ライブ」だったことは一度もありませんでした。「生」のミュージカルでも、歌以外のパートはすべて「カラオケ」でしたからね。今回は、演奏メンバーがステージの上にいる、というのが、その「ライブ」という意味を具現化しているものでしょう。上手と下手に組まれたヤグラの中に、10人のバンドのメンバーが並び、「生」で演奏している姿を見ているだけで、確かに「ライブ」ならではのグルーヴを感じることが出来ます。時にはギターがステージまで出てきてユダとセッションをするなどということもあったりしますから、もう最高。
ですから、この公演に関してはミュージカル的な意味での「演出」は、それほど重要なことではなくなってきます。音楽がすべてを語っている中では、どんなぶっ飛んだ設定でもそのメッセージは間違いなく伝わってくる、というのが、そもそものこの作品の最大のメリットだったのですからね。
そんな、ある意味「演出」の呪縛から解放されたキャストたちは、最大限に「アーティスト」としての音楽的な主張を届けているように見えます。そんなキャストの中に、スパイス・ガールズのメラニー・Cがマリア役で登場していたのには驚きました。彼女の歌は変に「芝居」がかっていない分、ストレートな感情が伝わってきます。タトゥーに十字架があったので、この公演用のメークだと思ったら、そうではなく本物でした。「女力」などという漢字のタトゥーも、ミュージカルでは許されないでしょうが、「ライブ」では逆に威力を発揮しています。
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BD Artwork © Universal Studios Home Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2013-09-22 21:36 | オペラ | Comments(0)