おやぢの部屋2
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カテゴリ:現代音楽( 159 )
LIGETI/Concertos
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Christian Potéra(Vc)
Joonas Ahonen(Pf)
Baldur Brönnimann/
BIT20 Ensemble
BIS/SACD-2209(hybrid SACD)


リゲティの最新アルバム、作曲順に「チェロ協奏曲」、「室内協奏曲」、「メロディエン」、そしてと「ピアノ協奏曲」、という、「協奏曲」の形態をとった作品が演奏されています。リゲティのアルバムは、つい最近こちらのロト盤を聴いたばかりなのに、またまた新録音の登場です。なんで今頃?と思ったら、去年2016年はリゲティ没後10年という記念年だったのでした。どちらのアルバムも確かに去年のうちにリリースされていましたね。
両方のアルバムに共通しているのが、「室内協奏曲」です。「室内」というぐらいですから、編成も室内楽的で、5声部の弦楽器はそれぞれ一人ずつしかいません。ロトたちはそこでは木管五重奏の作品を録音していたので、編成的には全て「室内楽」ということになります。でも、今回は普通に「協奏曲」というタイトルが付けられている作品が2曲演奏されていますから、普通のサイズのオーケストラと独奏楽器、という編成なのかな、と思ってしまいますよね。しかし、それは名ばかりのことで、そんな「協奏曲」でも、弦楽器は5本しか使われてはいないのです。言ってみれば「一つのパートに一人の奏者」となりますね。これって、ちょっと前まで世の中で騒がれていた「OVPP」ではありませんか。ピコ太郎じゃないですよ(それは「PPAP」)。いや、どちらも「一発屋」という点では同じことでしょうか。
いや、考えてみれば、リゲティが世に知られるようになったのは、まだYoutubeなどがなかった時代に、「動画」によってその作品が多くの人の間に広まったからだ、という見方だってできなくはありませんから、「一発屋」という点ではリゲティその人も当てはまるのではないでしょうか。その「動画」というのは、ご存知「2001年宇宙の旅」というスタンリー・キューブリックの映画です。公開されたのは1968年ですから、もう少しで「公開50周年」を迎えることになりますね。この中で、キューブリックは「映画音楽」としてリゲティの作品を何曲も使っていました。それらはまさに、当時の最新の「現代音楽」ばかりでした。なんせ、公開の1年前にミュンヘンで演奏されたばかりの「レクイエム」の音源を、この映画のとても重要な場面でのライトモティーフとして使っているぐらいですから、キューブリックのリゲティに対する嗅覚には驚くほかはありません。この映画のクライマックスともいうべきボウマン船長のトリップのシーンは、「アトモスフェール」を聴いてもらうために作ったのではないか、とさえ思えてきますからね。
今となっては、この映画でリゲティの曲が使われていなければ(当初は、別の作曲家に新曲を作らせるつもりでした)、彼の作品はごく一部のマニア以外にここまで広く知られることはなかったと断言することが出来ます。そんな「2001年~」で使われた曲のようなテイストを色濃く残しているのが、このアルバムの最初の3曲ではないでしょうか。「チェロ協奏曲」などは、まさに「アトモスフェール」の小型版、といった感じです。
しかし、リゲティは次第にこのようなクラスターを主体にした作風を変えていきます。そして、ここで最後に収録されている「ピアノ協奏曲」では、例えばミニマル・ミュージックの影響などを受けたとされる作風を見せていますし、第4楽章では武満徹が使った音列まで登場します。しかし、全体としてはバルトークなど、彼が作曲家としてスタートした時にモデルとした作曲家の影響が見て取れます。それは、「ムジカ・リチェルカータ」という、初期のピアノ曲集にとてもよく似たテイスト。つまり、リゲティは一回りして「過去の自分」に戻っていたとは言えないでしょうか。
キューブリックが1999年公開の「アイズ・ワイド・シャット」で、この「ムジカ・リチェルカータ」からの曲を使ったのも、それで頷けます。彼は、本物の「リゲティおたく」だったのでしょう。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2017-02-28 23:53 | 現代音楽 | Comments(0)
LOHSE/Hieronymus Bosch Triptychon
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Christoph Maria Moosmann(Org)
Robert Hunger-Bühler(Voice)
Aldo Brizzi/
Bamberger Symphoniker
NEOS/11604(hybrid SACD)


15 世紀のオランダの画家、ヒエロニムス・ボッシュの「七つの大罪と四終 」という作品にインスパイアされた曲なのだそうです。その絵の現物はこれ。
真ん中に大きな円が描かれていますが、これは人間の「眼」を描いたものなのでしょう。「瞳孔」中にいるのはイエス・キリスト一人です(同行する弟子はいません)。その周りは7つに分割されていて、それぞれに「大罪」を現す絵が描かれています。さらに、その外側にはもう4つの円があって、それが「四終」と呼ばれる、人間の最後の出来事です。左上は「死」、右上は「最後の審判」、左下は「地獄」、右下は「天国」です。
その「七つの大罪」と「四終」に、もう一つ、さっきのイエス・キリストのすぐ下に書かれている文字も、この音楽のモティーフになっています。そこには「Cave cave Dominus videt」と書かれているのですね。それは「気をつけよ、気をつけよ、神は見たまう」という意味です。だから、「眼」の中に書かれているのですね。
この三つのモティーフを使って「三部作」を完成させたのは、1943年に生まれたドイツの作曲家、ホルスト・ローゼです。作曲をヘルムート・エーダーとベルトルト・フンメルに師事したそうで、その作品は多岐にわたっています。多くの詩人の歌詞による声楽曲を始め、実験的な劇場音楽や舞踊音楽、さらには哲学や神話、絵画などとのとのコラボレーションによるアンサンブルやオーケストラの作品など、膨大なものです。
とりあえず、このアルバムを聴く限りでは、彼の作風は、あくまでドイツの「正統的」な流れを汲むもので、決して聴きやすいとは言えませんが、昨今の軟弱な「現代音楽」に慣らされた耳には、適度の緊張感が与えられるものであるような印象を受けました。
ローゼは、まず1989年に、オルガン独奏のために「七つの大罪」を元に7つの曲から成る作品を完成させます。それは、先ほどのキリストの真下にある「憤怒」から始まって、反時計回りに「虚栄」、「淫欲」、「怠惰」、「大食」、「貪欲」、「嫉妬」の順に曲が並んでいます。それぞれが2分ほどの短いものですが、そこにはとても切りつめられた極限的な表現が見られます。そこでは、オルガンの機能を最大限に発揮させたダイナミック・レンジと、多彩な音色が駆使されています。「怠惰」では、鐘の音の連打が聴こえますが、ここで使われているオルガンには、そのようなストップが備わっているのですね。さらに、この録音が行われたロッテンブルクの大聖堂には、祭壇の向かい側に設置された大オルガンの他に、祭壇の右上の壁面に設置されたクワイヤ・オルガン、さらに、持ち運びできる小さなチェスト・オルガンと、全部で3つのオルガンがあって、この録音ではそれらをすべてシンクロさせて演奏されていますから、その表現力はハンパではありません。
音楽としては、ボッシュの絵の持つニヒルな側面ではなく、もっと暖かい視点を感じることが出来ます。「淫欲」の音楽からは、なにか恍惚感のようなものが感じられてしまいます。
「四終」では、大オーケストラとオルガンの共演が楽しめます。これは、1997年の初演の時のライブ録音、バンベルク交響楽団のホームグラウンド、「ヨーゼフ・カイルベルト・ザール」には、立派なオルガンが備えられていますが、それが大活躍です。この曲では「Sinfonia da Requiemのような」という注釈がついています。最後の「天国」の楽章は、そんな「救い」の音楽になっていて、エンディングのリコーダー・ソロが不思議な魅力を醸し出しています。
最後の2012年に作られた「Cave cave Dominus videt」は、ミヒャエル・ヘルシェルという人が書いたそのイエスの言葉に対する問いかけから始まるテキストが、ナレーターによって朗読され、そのバックにオルガンが流れる、という作品です。
いずれも、これが世界初録音(「四終」以外は初演ではありません)、SACDならではの精緻な音色が堪能できます。

SACD Artwork © NEOS Music GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-02-25 20:44 | 現代音楽 | Comments(0)
KANNO/Symphony No.1 "The Border"
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藤岡幸夫/
関西フィルハーモニー管弦楽団
DENON/COGQ-103(hybrid SACD)


菅野祐悟さんといえば、映画やドラマの音楽ではおそらく今一番良い仕事をしている作曲家だとゆうごとが出来るのではないでしょうか。「MOZU」の音楽を聴いたときには、圧倒されてしまいました。そんなに大げさなしぐさではないのに、一瞬ですべての世界を変えられるような力を持っている人だな、と思いましたね。それと同時に、決して音楽がでしゃばらないという点を非常にわきまえているのだ、とも感じました。ですから、おそらく最新作であろう「東京タラレバ娘」の音楽を彼が担当しているのは知っていたのに、最初の数回分はそれが全く聴こえてきませんでした。最近ではやっと聴こえてくるようになりましたが、それ自体は非常にシンプルなのに、それだけで全体の雰囲気を作り出しているんですよね。たしか、武満徹もそんな映画音楽を作りたい、みたいなことを言っていたのではないでしょうか。
そんな菅野さんの初めての「交響曲」、全体は古典的な「交響曲」そのままのフォルムを持っていました。そしてその4つの楽章も、かっちりと作り上げられた堂々たる第1楽章、少し軽妙な第2楽章、ゆったりとして抒情的な第3楽章、そして圧倒的な迫力で締めくくるフィナーレいう、まさに「交響曲」のパーツとしての性格を持っています。しかも、第1楽章などは紛れもない「ソナタ形式」で作られていますから、これは次第にその本来の枠を超えて肥大化してしまい、最近ではペンデレツキのようにいったいどこが「交響曲」なんだ、と思えるようなものまでが作られるようになってしまった「交響曲」の世界では、きっちりとそのあるべきフォーマットを押さえているという、まさに「交響曲」の原点に帰ったものとなっているのです。
そのように外枠を決めてしまえば、あとは稀代のメロディ・メーカーでもあり、卓越したオーケストレーターでもある菅野さんにとっては、現代人の耳にとっても十分なインパクトを与える「交響曲」を作り上げることなど、たやすいことだったのではないでしょうか。
ドラマ音楽のクライアントは様々なことを要求してきますから、それに応えるための引き出しを菅野さんはたくさん持っていることは容易に想像できます。その中には、単に美しく響く曲調だけではなく、今では見捨てられてしまった前衛的な作曲技法とか、もちろん、ジャズやラテン音楽といった「非クラシック」のジャンルの音楽も含まれていることでしょう。この「交響曲」を作るにあたっては、菅野さんはそんな「素材」を惜しげもなくひっぱり出してきて、作品全体に深みを持たせています。
菅野さん自身は、タイトルの「Border」の意味を「意識と無意識の境界線」という難解な言葉で語っていますが、もしかしたら音楽的にはクラシック的な要素と、それ以外、例えば頻出する「無調」や「ジャジー」、あるいは「ミニマル」といった要素との境界を意味しているのでは、とも思えるのですが、どうでしょう?いずれにしても、これは、まさにそんなさまざまな要素が混在している「現代」でなければ作ることのできない、紛れもないマスターワークです。
ブックレットでは、あの前島秀国さんが、詳細な「楽曲解説」を著しています(ここでも、先ほどいくつかのタームをその中から引用させていただいています)。その的確な解説は、間違いなくこの作品を正当に鑑賞する際の指針となることでしょう。今ではあまり見ることのなくなった「〇小節からの第1主題は・・・」みたいな表現も、なにか懐かしさを感じます。ただ、ここまで書くのなら、音楽の時系列を「小節」ではなく「〇分○秒」で表示してほしかったように思います。これはマンフレート・ホーネックなども、自分の録音を解説する時に使っている手法。なんせ、聴いている人はスコアは持っていないのですからね。これだと、単に「おれはスコアも読めるんだぞ」という自慢に見えてしまいますし(笑)。

SACD Artwork © Nippon Columbia Co., Ltd.

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by jurassic_oyaji | 2017-02-11 20:51 | 現代音楽 | Comments(0)
LIGETI/Chamber Music
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François-Xavier Roth/
Les Siècles
ACTES SUD/ASM 26



ロトの指揮する「レ・シエクル」のメンバーが集まって室内楽を演奏しえくれたアルバムです。しかし、それが全てリゲティの作品ばかり、というのが不思議ですね。今まで、このオーケストラは作曲された当時の楽器を使ってその頃の音楽を再現する、というのが基本的な姿勢だったはずなのに。
それについては、ロト自身がブックレットの中のインタビューで、答えを述べているようです。ロト自身はこれまでに多くのリゲティのオーケストラ作品を、別のオーケストラで演奏していて、リゲティ本人とも交流がありました。そこで、リゲティが人を魅了するものが、その色彩感のあり方だと気づき、そこに自分のオーケストラで演奏することの意義を見出した、というのですね。このあたりはあまりに抽象的で、いまいち、よく分かりませんが、彼は「レ・シエクル」の方法論をリゲティに応用することに、大きな魅力を感じたことは確かなようです。
ですから、今回は今まであったようなそれぞれの使用楽器についてのクレジットは一切ありません。ただ、ブックレットの中のメンバーがそれぞれの楽器を持っている写真によると、ファゴットはフランス風のバソン、ホルンも今では珍しいフランス式のピストンのついた楽器であることだけはかろうじて分かります。ですから、めざとくそれを見つけた日本の代理店は、サイトのコメントで、管楽器の奏者がフランス風の楽器を使って「今や絶滅寸前の19世紀的なフレンチ・サウンドを聴かせ」ていることに驚いているようですね。しかし、それはさっきのロトの話からは全くの見当はずれの指摘であることが分かります。さらにロトは話の続きで、この、管楽器を多用したレパートリーを演奏するにあたって、「20世紀の音楽は、管楽器によって情感を強烈に表現できるようになった」と言い切っていますからね。
そもそも、ここで演奏されている「6つのバガテル」はハンガリー、「10の小品」はスウェーデン、そして「室内協奏曲」はウィーンでそれぞれ初演されていて、「フレンチ・サウンド」とは無縁のもの、ロトはもっと深いところでこのオーケストラの可能性を信じ、新しい挑戦を企てたのではないでしょうか。
ということで、ここで取り上げられたリゲティの作品は、まずは管楽器ばかりが使われている木管五重奏(フルート、オーボエ、クラリネット、バソン、ホルン)のための曲が2つです。その、1953年に作られた「6つのバガテル」と、1968年に作られた「木管五重奏のための10の小品」とでは、作曲家の作風がまるで別人のように異なっていることには、誰しも驚かされるでしょう。「バガテル」はもちろんピアノ曲の「ムジカ・リチェルカータ」の中の曲を編曲したもの、音の選び方こそ先鋭的ですが、音楽自体は民族色の濃い、まさにバルトークの亜流です。そして、「10の小品」は、ウィーンに亡命後、当時の最先端の「現代音楽」に接してからの作品です。「10の小品」ではその偶数番号の曲で木管五重奏のそれぞれのメンバーがソリスティックに活躍するように作られていますが、そこでのメンバーのうまさには舌を巻きます。
「室内協奏曲」は1970年の作品。木管五重奏からファゴットが抜けてバス・クラリネットが加わった5人の管楽器に、トロンボーンと弦楽5部、さらにキーボードが2人(ピアノとチェンバロ)入った13人で演奏されます(さらに、ロトが指揮をしています)。この曲も技巧的なパッセージは数知れず、4曲目などはとても人間業とは思えません。チェンバロ奏者はハルモニウムかハモンド・オルガンも弾くように指定されていますが、ここではハモンド・オルガンが使われています。この曲の中で唯一和みが感じられる2曲目の静かな音楽のバックに流れるその楽器の音は、いかにも未来的、ここで19世紀のハルモニウムではなく20世紀のハモンドを選んだロトが目指したものは、やはりただの懐古趣味ではありませんでした。

CD Artwork © Actes Sud

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by jurassic_oyaji | 2017-01-26 20:39 | 現代音楽 | Comments(0)
BERIO:Sinfonia, MAHLER/BERIO:10 Frühe Lieder
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Matthias Goerne(Bar)
The Synagy Vocals
Josep Pons/
BBC Symphony Orchestra
HARMONIA MUNDI/HMC 902180



2003年に亡くなったイタリアの「現代」作曲家、ルチアーノ・べリオの、マーラーがらみの2つの作品です。メインは1968年に作られた(1969年に改作)「シンフォニア」、そして、前プロとして、マーラーの歌曲集「若き日の歌」を、ベリオがオーケストラ伴奏に編曲したバージョンから10曲が演奏されています。
その「若き日の歌」は、マーラーが3巻に分けて出版した14曲から成るピアノ伴奏の歌曲集です。ただ、第1巻と、2、3巻との間には作曲の時期が少し空いています。その後半の2、3巻では、テキストはすべてドイツの民謡詩集「子供の不思議な角笛」から採られています。ベリオはそれらから全くランダムな曲順で選んで1986年に5曲、1987年に6曲のオーケストラ編曲版を作りました。ただ、オリジナルの第1巻の2曲目「思い出」だけは、2度編曲を行っていますから、実際に編曲されたマーラーの曲は10曲となります。このCDでは、その「思い出」は1986年版が使われています。
ただ、6番目に演奏されているオリジナルでは第1巻の3曲目「ハンスとグレーテ」のテキストが、ブックレットのクレジットでは「子供の不思議な角笛から」となっていますが、これは誤りです。この曲はもっと早い時期に作られたものを改作したもので、マーラー自身が歌詞を書いています。もちろん、日本の代理店ごときがそのことに気づくはずもありません。この曲、実は彼の「交響曲第1番」の第2楽章の元ネタとなっていますね。
ベリオの編曲は、もちろん「現代」作曲家とは言っても例えばハンス・ツェンダーがシューベルトの「冬の旅」に対して施したような過激な改変は全くなく、至ってまっとうなものでした。ただ、やはり随所にベリオならではの味が見出せます。そんなオーケストラをバックに、ゲルネは多彩な音色を駆使してとてもドラマティックな歌を聴かせてくれています。
そして、今ではほとんどベリオの代表作となっている「シンフォニア」です。考えてみれば、もう作られてから半世紀も経っているんですね。そんな歴史の「篩(ふるい)」にかけられて、いまだに色褪せない魅力を誇っている名作です。オーケストラの中に8人の歌手が混ざるというユニークな編成が取られていますが、そもそもは「スウィングル・シンガーズ」がそのパートを歌うことを想定して作られたものでした。この団体、今でもイギリスで同じ名前で活躍していますが、この曲が作られた頃のグループはまだ創設されたフランスが本拠地でした。バッハの曲を「ダバダバ」と歌っていた頃ですね。
もちろん、ニューヨーク・フィルが行った初演にも彼らが参加していますし、それ以後もこのグループ、あるいはイギリスでリーダーのウォード・スウィングルが新たに作った別の「スウィングル」という名前の入った団体が、この作品には必ず出演していたのではないでしょうか。
しかし、その後は全く別のアンサンブルでも、この曲のこのパートを任されるようになっていました。そして、今回のアルバムで起用されているのが「ザ・シナジー・ヴォーカルズ」という、花輪クンの執事(それは「ヒデジー」)みたいな名前の団体でした。このグループは、1996年にロンドン交響楽団がスティーヴ・ライヒの「テヒリーム」(1981)を演奏する時に設立されたそうですが、その中心メンバーは当時の「スウィングル・シンガーズ」のメンバーだったミカエラ・ハスラムでした。時代が巡って、また同じ遺伝子を持つ団体にお鉢が回ってきた、ということでしょうか。
この曲の聴きどころは、なんと言っても第3楽章の、マーラーの交響曲第2番の第3楽章をベースにした壮大なコラージュのシーンでしょう。何度も聴いていますが、そこに引用されている曲にはいまだに「なんだったかな~」と思ってしまって、しばらく頭から離れないものがありますね。それが、ベリオがこの曲に仕掛けた罠なのでしょう。

CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s.

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by jurassic_oyaji | 2017-01-24 23:30 | 現代音楽 | Comments(0)
ADAMS/Scheherazade.2
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Leila Josefowicz(Vn)
David Robertson/
St. Louis Symphony
NONESUCH/7559-79435-1




アメリカの作曲家ジョン・クーリッジ・アダムズ(今までは「ジョン・アダムズ」だけでよかったのですが、最近「ジョン・ルーサー・アダムズ」という、似たような名前で似たような作風の作曲家も活躍しているので、ミドルネームが必要です)の最新作です。ニューヨーク・フィル、ロイヤル・コンセルトヘボウ管、シドニー響の3つのオーケストラからの共同委嘱によって作られ、2015年の3月26日にアラン・ギルバート指揮のニューヨーク・フィルによって初演されたばかりの曲が、もうCDになってしまいました。ヴァイオリン・ソロは、初演と同じリーラ・ジョゼフォビッツです。彼女はアダムズの曲を数多く演奏しているパートナーで、この作品でもお互いに意見を出し合って作曲を進めるという共同作業が行われていたそうです。
アダムズが取り上げたモティーフはアラビアン・ナイトの世界です。同じくアラビアン・ナイトを題材とした有名なリムスキー・コルサコフの「シェエラザード」を意識していたことは間違いないのでしょうが、もちろんその作品のコピーでもなければパロディでもありません。全く新しい視点で、現代的な問題意識までも盛り込んで作り上げたのだ、という意志を明確にするために、タイトルは「シェエラザード・バージョン2」。元ネタから大きくアップデートされていることを強調しているのでしょうね。
サブタイトルも付いていて、それは「Dramatic Symphony for Violin and Orchestra」というものです。「交響曲」ということで、全体は4つの楽章から出来ています。そして、その中には「ドラマティック」の要素があるのだぞ、ということを分からせるために、それぞれの楽章には「賢く若い女性のお話-信じていた人たちから追いかけられる」、「宿望(ラブシーン)」、「シェエラザードと髭面の男たち」、「脱走、戦い、聖域」というタイトルが付けられています。これを見ただけで、安直なテレビドラマのシーンが浮かんでくるようですね。もちろん、作曲家としてはこれはあくまで解釈への一つの可能性としての指針を示してるのだ、と思いたいものです。
ヴァイオリンが常にシェエラザード役で登場するのは、リムスキー・コルサコフと同じアイディアですが、アダムズはそれに加えてアラブ世界を想起させるアイコンとして、「ツィンバロン」をフィーチャーしました。「真田丸」に出てくる衣装(それは「陣羽織」)ではなく、ハンガリーが起源で、中東方面で広くそのヴァリエーションを見ることが出来る、言ってみればグランドピアノの弦を叩いて音を出す楽器です。ハンガリーの作曲家コダーイがオペラ「ハーリ・ヤーノシュ」の中で使って、広く知られるようになりましたね。
ここでツィンバロンを演奏しているのは、アメリカの打楽器奏者のチェスター・イングランダー。彼は普通のオーケストラの中の打楽器だけではなく、ツィンバロンのスペシャリストとして知られていて、アメリカ中のオーケストラが、この楽器が必要な時には彼を呼んでいます。
そんな、いかにもアラブっぽいサウンドに導かれて、「交響曲」は始まります。作曲家自身のコメントによるとここではシベリウス、プロコフィエフ、バルトーク、そしてベルクなどの先人の技法が見られるそうですが、確かにヴァイオリン・ソロの書法はベルクのヴァイオリン協奏曲を思わせるものがあります。そして、第1楽章の混沌とした気配はシベリウスでしょうか。第3楽章や第4楽章のバーバリズムや変拍子はバルトークなのかもしれません。しかし、第2楽章の甘い雰囲気を醸し出す和声はもしかしたらメシアンあたりが起源なのかもしれませんし、全体になんとなくラヴェルの「ダフニスとクロエ」のモティーフが顔を出しているような気がしないでもありません。
いずれにしても、他の「現代作品」と同様、この曲が広く世界中のオーケストラで頻繁に演奏されるということは、きっとないでしょうね。

CD Artwork © Nonesuch Records Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-12-17 20:39 | 現代音楽 | Comments(0)
NIIGAKI/Symphony -Litany-
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新垣隆/
東京室内管弦楽団
DECCA/UCCD1443




2年以上も前に勃発したあの「佐村河内事件」のようなことは、クラシック音楽の歴史の中ではそれほど珍しいことではありません。クライスラーやベルリオーズが、日頃自分たちの作品に否定的な評論家たちを欺くために、別人の名前で作品を発表し、それがその評論家たちに絶賛されるさまを見てひそかにほくそ笑んでいた、というのは、よく知られたエピソードです。
あの「交響曲」の場合は、佐村河内氏は完全に社会から抹殺されてしまいましたが、実際にそれを作った作曲家は、「ある意味被害者」的な扱いを受けて何の咎も受けなかったばかりではなく、それがきっかけとなって瞬く間に「人気作曲家」の地位を獲得してしまいました。その背景には、件の「交響曲」が、作品としては感動を呼びうるすぐれたものだった、という受け取られ方があったからかもしれません。そのような評価は、偽作の事実を見抜けず、その「交響曲」をべた褒めして赤っ恥をかいた「評論家」たちの格好の言い訳になったのです(そんなんでいいわけ?)。
その作曲家が、このたび他人から強要されてではなく、自分の意志で新たな交響曲を作ったのだそうです。そのタイトルは「連祷」。そこに、かつてその作曲家が作らされた「交響曲」の当初のタイトル「現代典礼」との関連性を感じるのは、単なる錯覚でしょうか。
作曲家が自ら綴ったものによると、この新しい交響曲「連祷」は、「前作」同様、広島(さらに長崎)の原爆がモティーフとなっている上に、同じ原子力による惨禍である原発への思いも込められているのだそうです。従って、その作品はまず広島で初演され、その後東京で再演された後、福島でも演奏されました。その、福島でのコンサートのライブ録音が、このCDです。
この新しい交響曲を作るように強く勧めたのが、広島のさるアマチュア・オーケストラなのだそうです。このオーケストラは以前の「交響曲」も演奏していて、贋作に関しても好意的な見解を持っていたのでしょう。「今度こそ、あなたの手でぜひ同じような『感動』を与えてください」とでも言ったのでしょうか。
しかし、作曲家は、以前その著書の中で、「私が行ったことのいちばんの罪は、人々を陶酔させ、感覚を麻痺させるいわば音楽のもつ魔力をうかうかと使ってしまったことです」とまで言っているのですよ。そこまで言われても、そのような作られ方をされた「交響曲」を崇めていた人たちが実際にいたことに驚いてしまいますが、そんな言葉を真に受けてまた「罪」を重ねてしまった作曲家の方が、その何倍も悪質であることは明白でしょう。
いや、もしかしたら、作曲家はその「罪」に真摯に向き合い、まっさらな気持ちで新たな創作に邁進していたのかもしれません。それがまっとうな人間の行いですよね。ですから、まずはきちんとその「成果」に対峙するのが、やはりリスナーとしての道でしょう。
しかし、そんな思いとは裏腹に、作曲家は全然懲りていなかったようですね。いや、逆にその「魔力」こそが自分の最大の武器だと悟ったのでしょうか、そこには聴いていて恥ずかしくなるような「陶酔感」がてんこ盛りだったのですよ。実は、前の「交響曲」は全く聴いたことはないのですが、聴いた人の話ではどうやら過去の作曲家のいいとこ取りみたいな感じのようでした。「連祷」でも、聴こえてくるのはシューマンだったりブラームスだったり、ちょっとひねったところではシベリウスだったり、「元ネタ」がはっきり分かるものばかり、さらに、先ほどの作曲家の言葉の中にあったのが、「大木正夫の交響曲第5番『HIROSHIMA』」へのオマージュですが、それは「オマージュ」などという可愛げのあるものではなく、ほとんど「借用」に等しいものなのではないでしょうか。
やはり、作曲家として一度味わってしまった快感は、なかなか断ち切ることはできないものなのでしょうか。悲しいことです。

CD Artwork © Universal Music LLC
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by jurassic_oyaji | 2016-12-13 23:01 | 現代音楽 | Comments(0)
RZEWSKI/The People United Will Never Be Defeated!
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Igor Levit(Pf)
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ジェフスキの「不屈の民変奏曲」に、また新しいアイテムが加わりました。これで、この作品のアルバムは10種類を超えたことになります。ただ、今までリリースされていたのは、ほとんどがマイナーレーベルからのものでしたし、ピアニストもアムランなどを除けばそれほど広く知られている人ではありませんでした。
しかし、レコーディングまでは行わなくても、リサイタルで取り上げている人はもっとたくさんいることでしょう。2014年の6月にウィーンのムジークフェラインザールで行われる予定だったマウリツィオ・ポリーニのリサイタルが、急なアクシデントのためにキャンセルされた時に、急遽その代役を務めたイゴール・レヴィットもそんな一人です。リサイタル当日にオファーを受けて急遽ウィーンに飛んだ彼は、その時に演奏されるはずだったシューマンやショパンの曲に代わって、ベートーヴェンの後期のソナタ2曲と、この「不屈の民」を演奏したのです。ベートーヴェンはともかく、ポリーニが弾く「名曲」を期待していたお客さんは面食らったことでしょうね(チケット代は払い戻されたのだそうです)。
そんな事件で一躍有名になったレヴィットは、1987年にロシアに生まれた天才少年でした。その音楽の才能を伸ばすため、8歳の時に家族とともにドイツに移って音楽教育を受けています。小さなころから各地のコンクールで入賞、2004年には浜松国際ピアノアカデミーコンクールでも第1位を獲得しています。2012年には、ソニー・クラシカルと専属アーティスト契約を結び、翌年にはベートーヴェンの後期ピアノソナタ集のアルバムでメジャー・デビュー、2014年にはバッハのパルティータ集をリリース、そして、2015年にリリースされたのが、そのいわくつきの「不屈の民」と、バッハの「ゴルトベルク」、ベートーヴェンの「ディアベリ」がカップリングされた「3大変奏曲集」です。
そして、つい最近、その3曲がそれぞれ単売されるようになりました。これで、「不屈の民」のアルバムがソニーという超メジャーからリリースされることになり、単なる「現代音楽」を超えた「名曲」となってしまいました。
まず、今まで出ていたこの曲のCDと決定的に違うのは、音の良さです。やはり「現代音楽」にはなにか先鋭的なイメージがあるようで、妙にギスギスした音のものが多かったような気がします。今回はまず録音された場所が、こちらでも使われていた旧東ドイツのラジオスタジオです。非常にくせのない音響を誇っているようで、とてもふくよかな響きが感じられます。そして、レコーディング・エンジニアが名匠アンドレアス・ノイブロンナー(TRITONUS)ですから、芯のある、それでいて繊細な音を味わうことが出来ます。
なんせ、急に頼まれたリサイタルで演奏したぐらいですから、そもそもレヴィットはこの作品には愛着があったのでしょう。この難しい曲の音符は、隅から隅まできっちり磨き上げられていて、胸のすくような鮮やかさ、しかし、それぞれの音にはとても暖かみがこもっています。そして、時折聴こえるピアニシモの繊細なこと。この曲には、こんな「名曲」たる要素が、すでにしっかり宿っていたことを実感させられるような演奏でした。何しろ、テーマからして「おれたちは負けない!」というようなこけおどしの感じが全くない、いとも爽やかなものでしたからね。
それが、最後のテーマの前に出てくる「Improvisation」になると、足音や楽器を叩く音などを交えた過激なものに変わります。そんな落差も楽しめる素晴らしい演奏です。
蛇足ですが、これは「即興と主題」と表記された最後のトラックではなく、その前の第36変奏のトラックの途中、2分ごろから聴こえてきます。

ごく最近こんなのがあったばかり。CDの黄昏を目前に控えて、こういう「不良品」があふれかえってきたのは、あきれかえった事態です。というか、配信でもそのまま間違えてるし。


CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2016-12-08 20:15 | 現代音楽 | Comments(4)
REICH/Double Sextet, Radio Rewrite
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Brad Lubman/
Ensemble Signal
HARMONIA MUNDI/HMU 907671




以前、このレーベルで新譜CDを買ったら、同じ内容のハイレゾ音源が無料でダウンロードできるヴァウチャー券が付いてきました。これが、フィジカルなパッケージと配信音源が共存するためのあるべき姿なのでは、と思っていたので、今回の同じレーベルの新譜でもそのような「おまけ」が付いていることを期待して購入しました。しかし、そこには何もなかったので、ちょっとがっかりです。ただ、よく見てみるとこれは同じHARMONIA MUNDIでもアメリカで制作されたものでした。ご存知のように、このレーベルは同じアートワークで主にフランス制作のものとアメリカ制作のものの2種類が存在します(スペイン盤などもあります)。それは、品番の最初が「HMC」の場合はフランス盤、「HMU」の場合はアメリカ盤とわかるようになっています。それ以外にも、廉価盤やシリーズものでは、別のアルファベットが使われています。
ということで、今回のアメリカ盤では、そのようなサービスは行っていないということが分かりました。なんか、納得できませんが仕方がありません。
今年は10月3日にライヒが80歳を迎えた記念の年ということで、新しいアルバムが続々リリースされているようですが、これもそのうちの一つ。2007年の「Double Sextet」と、2013年の「Radio Rewrite」のカップリングです。トータルで40分しか収録されていませんが、本当はそのぐらいが1枚のアルバムとしてはちょうど良いサイズなのかもしれませんね。いずれも、今回が初録音というわけではなく、どちらもライヒの作品では定評のあるNONESUCHレーベルですでに録音されていました。「Double Sextet」は2009年に、この作品を委嘱し、初演を行ったeighth blackbirdによって、「Radio Rewrite」は、初演者とは別の団体によって、2014年に録音されています。
このレーベルでは、以前同じ演奏家によるライヒの「Music for 18 Musicians」も聴いていますが、これはその第2弾、というか、「Double Sextet」の方はその時と同じ2011年3月のセッションで録音されていたものでした。「Radio Rewrite」だけが、今年の1月に録音されています。
「Double Sextet」を委嘱された時には、ライヒはそのeighth blackbirdというアンサンブルのメンバーの編成(フルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、打楽器)に忠実に合わせて、6つの楽器のための曲を作りましたが、それを演奏する際には、前もって自分たちが演奏した音源に合わせてライブで別のパートを演奏するというやり方で、12の楽器のための作品に仕上げてありました。今回は、それを実際に12人のメンバーを使って全てのパートを「生」で演奏するという形になっています。eighth blackbirdの「6人バージョン」もNMLで聴けますから、比較してみるのも一興でしょう。おそらく、「第2部」の、ちょっとできそこないのタンゴ、といった趣の曲では、同じ楽器でも音色や微妙な個性の違いぐらいは確認できるのではないでしょうか。
「Radio Rewrite」は、2013年に、委嘱を行ったロンドン・シンフォニエッタによって初演されておったのですが、その時に指揮をしたのが、このアルバムでの「アンサンブル・シグナル」の創設者で指揮者、ブラッド・ラブマンでした。これも、先ほどのNONESUCH盤との比較が可能です。こちらは、「元ネタ」のRadioheadからの引用に対するシンパシーが、微妙に異なって聴こえてくることがあるかもしれません。それは、初演者が必ずしも満足のいく結果を出せない場合もある、ということにもつながるのでしょうか。しかし、それは本質的な差異ではありません。
幸運にも、異なる演奏家による録音が多数存在するライヒの作品ですが、それらを比較してみても際立った違いが感じられないのは、そもそもライヒの作品には「表現」という要素が非常に希薄だからなのでしょう。というより、ある意味「表現」からは遠く離れたところから出発したのがライヒの音楽だったわけですが、それは同時に彼と、そして彼の技法の限界にもなっていたのかもしれません。

CD Artwork © harmonia mundi usa
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by jurassic_oyaji | 2016-10-25 23:53 | 現代音楽 | Comments(0)
RILEY/In C, Sunrise of the Planetary Dream Collector
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Ragazza Quartet
Slagwerk Den Haag(Perc)
Kapok(Jazz Trio)
CHANNEL/CCS 37816




まず、このパッケージが秀逸。インフォの写真では文字情報も入っているようになっていますが、現物はこれだけ、写真では何のことか全然分からないでしょうが、これを実際に手に取ってみるとその意味が分かります。



CD本体が入ったデジパックがさらに筒状のカバーの中に入っているのですが、そのカバーには斜めに細いスリットが無数に入っています。その中でこのデジパックを動かすと、こんな風に「モアレ効果」で大きな波が動き出すのですね。

「モアレ」というのは、30過ぎではなく(それは「ハダアレ」)「ミニマル・ミュージック」を語るときによく使われる言葉、それを、このパッケージで実際に体験できるということなのです。こればっかりは音源配信では全く伝わらないでしょう。
これは、その「ミニマル・ミュージック」の代表的な作曲家テリー・ライリーの、まさに代表的な作品「In C」が収められたアルバムです。1964年に作られたこの作品の楽譜には、53個のメロディの断片が書きつけられているだけ、それぞれは、最も短いもので半拍(十六分音符2つ)、最も長いものは休符も含めて32拍もあります。それを、任意の楽器を演奏する任意の人数のメンバーが、それぞれ最初から順番に、あるいは途中を飛ばしたりしてそれぞれの断片を好きなだけ繰り返す、というのが「ルール」です。この「楽譜」はIMSLPでも公開されていますから、探してみてください。
今回のCDのアーティストは、オランダの巨乳の女性ばかりの弦楽カルテット「ラガッツァ・カルテット」。これまでにこのレーベルから2枚のアルバムをリリースしていますが、それぞれにとてもユニークなアプローチが評判を呼んでいたようです。今回はライリーの作品が2曲取り上げられていて、そこに他の団体も参加しているというのが、やはりユニークさを際立たせています。その「他の団体」というのは、「デン・ハーグの打楽器奏者たち」という4人のメンバーによる打楽器アンサンブルと、「カポック」という名前のジャズ・トリオです。「トリオ」とは言っても、オーソドックスな編成ではなく、なんとホルンとギターとドラムスという、こちらもユニークなメンバーが集まった団体です。ですから、このアルバムの本当のタイトルは「Four Four Three」という、それぞれの団体の人数を羅列しただけというとてもシンプルなものでした。
「In C」では、「Four」と「Four」、つまり、弦楽四重奏に打楽器が加わった編成で演奏されています。そもそもライリーが指定した「音」は、その楽譜にあるフレーズだけですが、もちろん打楽器の中にはマリンバなども含まれていて、そこではきちんとそのフレーズが演奏されているものの、ここでは「リズム」としての参加が目立っています。もちろん、それは単なるメトロノーム的なパルスではなく、それ自身がライリーの指定を超えた自由なフレーズを作り上げているという、とても積極的な関わり方です。
ラガッツァ・カルテットのメンバーも、彼女たちの楽器だけでなく、「声」まで動員して、フレーズに彩りを添えています。それが、とても正確なソルフェージュなのには、感心させられます。こんなのを聴くと、合唱だけで「In C」を演奏したくなってきますね。
久しぶりにこの「古典」(実は、初演から半世紀経っています)で、「モアレ効果」を体験してみると、同じ「ミニマル」とは言っても、もう一方の雄、スティーヴ・ライヒとは根本的なところで音楽の意味が異なっていることに気づきます。そもそも、あちらは楽器も、そして楽譜も厳格に指定されていますし。
もう1曲は、1980年にクロノス・カルテットのために作られた「Sunrise of the Planetary Dream Collector」。この頃になるとライリーの作風もだいぶ変わってきて、これは北インドの民族音楽が素材となっています。これも、ホルンやコルネットが入ったジャズ・トリオとのコラボで、クロノスのものとは全く別の世界が繰り広げられています。

CD Artwork © Channel Classics Records bv
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by jurassic_oyaji | 2016-10-18 20:58 | 現代音楽 | Comments(0)