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カテゴリ:現代音楽( 159 )
BOLCOM/Songs of Innocence and of Experience

Soloists
Choirs
Leonard Slatkin/
University of Michigan School of Music
Symphony Orchestra
NAXOS/8.559216-18



ソリストだけで13人、それに児童合唱を含む5つの合唱団と、リズム・セクションを持つシンフォニー・オーケストラという、総勢450人にもなろうかという、まるでマーラーの「8番」のような巨大な編成の音楽です。この作品は、アメリカの作曲家ウィリアム・ボルコムが、イギリスの詩人ウィリアム・ブレイクの詩集に曲を付けたというものなのですが、そもそもボルコムがこの詩を知ってそれを音楽にしようと思い立ったのが、彼が17歳の時、そして、全曲が完成して初演されたのがそれから30年近くたった1984年だったといいますから、その作曲のスパンは半端ではありません。まるであのヴァーグナーの大作「ニーベルンクの指環」に勝るとも劣らない壮大な創作意欲の継続の賜物と言うべきでしょう。しかも、演奏時間が2時間17分、それだけで聴き通す気力などなくなってしまいそうになります。
しかし、実際のところ、殆ど「折に触れて」といったスタンスで作られた曲の数々は、せいぜい2分から3分程度の長さのコンパクトな仕上がり、聴き始めてみるとそんな身構える必要など全くないことに、すぐ気づくはずです。この曲のタイトルは「無垢と経験の歌」と訳されていますが、実際には「無垢の歌」と「経験の歌」という2つの部分からなっています。そして、それぞれの部分がさらに3つの部分と6つの部分に分かれていて、実際は「無垢~」は、「経験~」の半分ほどの長さしかありません。そこで、それぞれ3つの部分を3枚のCDに分けた結果、おのおのが40分から50分という、聴き通すには手頃な長さになっていますし。
この作曲家の持ち味は、様々なジャンルの音楽を分け隔てなく作品の中に取り込むという貪欲な姿勢です。したがって、この曲でも、最初にネイティブ・アメリカンの伝承歌のようなもので始まったかと思うと、その次に来るのは他人を排斥するような無調の音楽、そして、なんの脈絡もなくカントリー・アンド・ウェスタンが流れるといった節操のなさ。しかし、それも、これだけ開き直られると、有無をいわせぬ力となって迫ってきます。例えば武満徹のように、思い切りシリアスな「現代音楽」から、「死んだ男の残したものは」のようなフォークソング、さらには「燃える秋」などの最初からヒットチャート入りを目指した曲まで書き分けることが出来たような才能が、この人にも備わっていたのでしょう。ただ、ボルコムのユニークなところは、その全ての要素を一つの作品の中に盛り込んだところ。その結果、一見ごった煮のようなこの大作を虚心に聴くことによって、私たちは一人のアメリカ人が自己の中に持っている音楽の様々な側面を、一望の下に知ることとなるのです。彼の場合、最も根底にあるのはカントリーっぽいテイストではなかったのか、などと、勝手に想像できてしましまいます。そんな彼が、一番最後の曲「A Divine Image」では、初演当時に隆盛を極めたレゲエを導入したあたりが、この作曲家の好奇心のスゲエところなのでしょう。ですから、おそらく作曲時にはシェーンベルクの「シュプレッヒ・ゲザンク」を念頭に置いて作ったことは明らかな、メロディを持たない「語り」でまとめられたいくつかの曲も、もし彼が現在もう1度同じアイディアで作ろうとした時には、そこには間違いなく「ラップ」の要素が入ってくることでしょう。
オーケストラは、学生が主体なのでしょうが、この曲に欠かせない無意味に困難なパッセージを楽々と演奏しているのには感心させられます。合唱にも、大人数の割には、大味にならない緻密さがあります。ただ、問題なのがリズムセクション。「○○ポップス」によくあるゆるいビート、特に前のめり気味のベースが妙に「クラシック風」で、カントリーやロックの味が薄まってしまっています。
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by jurassic_oyaji | 2005-07-17 19:10 | 現代音楽 | Comments(1)
MADERNA/Don Perlimplin



Roberto Fabbriciani(Fl)
Mauro Ceccanti/
Contempoartensemble
ARTS/47692-2



ノーノやリゲティと同世代のイタリアの作曲家ブルーノ・マデルナは、あるいは指揮者としての方がよく知られているのかもしれません。53歳という若さで亡くなってしまったのが惜しまれますが、もし存命であればもしかしたらコンポーザー/コンダクターとしては、あのブーレーズ以上のキャリアを築いていたかもしれませんね。そういえば、彼の弟子のシノポリもあっけない生涯でした。
マデルナが1962年に、国営放送RAIのためにラジオ用のオペラとして作った「ドン・ペルリンプリン」という作品を、実際に舞台で上演したもののライブ録音が登場しました。この曲のCDとしては、おそらく2枚目になるのではないでしょうか。原作は、スペインの文豪フェデリコ・ガルシア・ロルカの「ドン・ペルリンプリンがベリサと庭で恋をする話」という戯曲、それをヴィットリオ・ボディーニがイタリア語に直したもので、タイトルも「ドン・ペルリンプリン、あるいは愛と想像力の勝利」と変わっています(「あるいは~」というのが、いかにもオペラ・ブッファっぽくていいですね)。
主人公のドン・ペルリンプリンは、シャイな老人。広い屋敷で本に囲まれ、静かに暮らすことが無上の喜びでした。しかし、女中のマルコルファは、そんな主人を若くて美しいベリサという女性と結婚させようとします。ベリサも、ペルリンプリンの財産に惹かれ、結婚を承諾、お屋敷に住むことになります。ペルリンプリンはベリサの若い肉体に夢中になってしまいますが、ベリサの方はこの老人をペットのようにかわいがるだけ、彼女の愛の対象は、妄想の中に住む赤いマントの若い男だったのです。その事を知ったペルリンプリンは、妄想の男と同じ赤いマントに身を包み、仮面に顔を隠して庭でベリサの前に現れます。そこで彼は、彼女の目の前で自らの命を絶つのです。
まあ、梗概はこんな感じ、なかなか身につまされるお話ではあります。もちろん、この時代の「ゲンダイオンガク」界の先頭を走っていたマデルナのことですから、ここに単なる「オペラ」というイメージを求めるのは正しいことではありません。何しろ、当のペルリンプリンは、ステージに登場してはいるものの、一言も歌を歌ったりセリフをしゃべったりはしてはいないのですから。彼の「音楽」を担当するのはフルートソロの役目。フラッター・タンギングや、いかにも12音丸出しという完璧「60年代」のフレーズが、「Si?」とか「Perché?」といったセリフを表すということになります。それは、次に本物のセリフをしゃべる人が、「そう言ったんだね?」と確認することで、お客さんには分かるという仕組みになっています。このレーベルに多くの現代音楽のアルバムを録音しているファブリチアーニの超絶技巧が、ここでは一つの聞き物でしょう。それと同じように、ベリサの母親の心情も、サックス五重奏で奏でられます。
新婚夫婦の初夜の場面で、2人の妖精が現れてリズミカルな会話でエロティックな雰囲気を盛り上げるというのが、音楽的な一つの見せ場でしょうか。ここでは、テープによる「電子音楽」がバックに流れ、妖精のセリフが、「ヴォコーダー」のようなものを使って(初演当時はどのように処理していたのかは分かりませんが)、一人の人が同時に異なるピッチでしゃべっているような効果を出しています。もっとも、そんな扇情的な場面とは裏腹に、ベリサが寝たふりをしていたために、ペルリンプリンは思いを遂げることが出来なかったのですから、何ともかわいそう。
余白に入っている「衛星のためのセレナータ」も、ある程度の枠を決めて即興演奏を行うという、60年代のテイストにあふれたものです。
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by jurassic_oyaji | 2005-07-06 23:13 | 現代音楽 | Comments(0)
XENAKIS/La légende d'Eer





Gerard Pape(Remix)
MODE/MODE 148



クセナキスが1978年にパリのポンピドゥー・センターのオープニングのために作ったテープ作品、「エールの伝説」が、新しいリミックスで登場しました。以前にもこの作品はCDで出ていたそうなのですが、あいにく私は聴いたことがありません。ですから、これが初めての「エール体験」となるので、以前のミックスと比較は出来ませんが、各チャンネルの分離が明確で、ヒスノイズのないクリアな音は、かなり高いクオリティのものであることはよく分かります。ただ、この作品のオリジナルは7チャンネルのテープを11個のスピーカーで再生するもの、しかも、演奏の際は作曲家自身がコンソールを操作したのでしょうから、それを他の人が2チャンネルにトラックダウンした時には、自ずと別のものが生まれることになります。機会があれば、別ミックスのCDも聴いてみたいものです。
建築家(ル・コルビュジュの弟子)でもあったクセナキスは、「建築と音楽のコラボレーション」という、とてつもないコンセプトを打ち立て、1958年のブリュッセル万博での「フィリップス館」で、それを実現させました。パヴィリオンの設計はもちろんクセナキス自身が行い、その中では光とシンクロさせたテープ音楽「コンクレPH」が演奏されます。そして、その音楽の中には、建築設計の時の数学的なデータが変換されて入っているという、ちょっと人間の知覚の限界を超えるような「仕掛け」が施されているのです。これが後に「ポリトープ」と呼ばれるようになり、1967年のモントリオール万博のフランス館では、テープではなく4つのオーケストラの生音が、パヴィリオンの中に響き渡ったのでした。
このポンピドゥー・センターで行われたものも、その「ポリトープ」の系譜に属するものですが、ここでは「ディアトープ」と、ビールを飲ませるフーゾク(それは「ビアソープ」)みたいに呼ばれています。連続する、全部で6つの部分から成る50分弱のテープ音楽、その中には、もちろん数学的な意味を持つ電子音も含まれていますが、多くは実際の楽器や「モノ」から出る音をサンプリングして、それに様々な加工を施すという、いわゆる「ミュージック・コンクレート」の手法が使われています。
最初の「第1部」では、およそクセナキスらしからぬ静謐な世界が広がっているのに、まず驚かされます。ここでは、虫の音のような非常に高い周波数の音が、微細音程で重なり合って、まるで脳の中枢に直接働きかけられるような、ちょっとアブない体験を味わえるかもしれません。「宇宙の始まり」といった趣でしょうか。それに続く部分は、徐々に音のスペクトルが低周波へシフト、水の音や石を擦り合わせる音といった「具体音」のクラスターが所狭しとスピーカーの間を踊り廻る生命力あふれるパートとなります。「第4部」あたりは、まるでディストーションのかかったギターのような暴力的な電子音が登場、殆どヘビメタの領域に入っていく感じすら。そして「第5部」は、かなりソフィストケートされた、まるでスティーヴ・ライヒのようなテイストに支配されます。最後の「第6部」は、「第1部」の再現、鳥のさえずりのようなリズムの単音が果てしなく繰り返され、全ては闇の中へと収束していきます。
本来は、もちろんおびただしい数のレーザー光やフラッシュライトが醸し出すイメージの中で聴かれる音楽、しかし、それはデータが残っていないために永遠に再現不能なものですから、逆に想像を働かせて音の海に身を任せるのも、ちょっと素敵な体験かもしれません。
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by jurassic_oyaji | 2005-06-01 19:52 | 現代音楽 | Comments(0)
Live 1977





Steve Reich and Musicians
ORANGE MOUNTAIN MUSIC/OMM 0018



1971年に、ニューヨークのマンハッタンに設立された「ザ・キッチン」というアートセンターがあります。ビデオ・アートを中心に様々な芸術家に活動の場を提供するというものでしたが、スティーヴ・ライヒのような当時の最先端の音楽家もここの常連でした。ここで行われたコンサートの多くは、録音されて残っていたのですが、実はそのテープは倉庫にしまわれたままで、殆ど忘れ去られた状態にありました。それが3年前に「発見」され、この、70年代の生々しい息吹を伝える貴重な記録が、日の目を見ることになったのです。そんな、「フロム・ザ・キッチン・アーカイブス」の第2弾が、このCDです(「台所の、赤い顔をした美しくない女性」ではありませんよ)。
4日間にわたる「スティーヴ・ライヒと音楽家たち」のコンサートからピックアップされた5つの作品が、ここには収められています。「Six Pianos」(1973)、「Pendulum Music(振り子の音楽)」(1968)、「Violin Phase」(1968)、「Music for Pieces of Wood」(1973)そして「Drumming」(1971)のパート4という、いずれも彼の初期の作品ばかり、コンサートがあった1977年当時には、確かな評価を得ていたものなのでしょう。
いずれも、他のスタジオ録音ですでに聴くことが出来るものなのですが、私にとっては「Pendulum Music」が初体験でした。この作品は、他のものとは異なり、小さなパターンの正確な繰り返しというライヒ独自の手法を使っていない、ちょっとユニークなものです。ここで使われる「楽器」は、マイクとアンプとスピーカー。つまり、ケーブルで高いところからつるしたいくつかのマイクを「振り子」のように揺らし、床に設置してあるスピーカーの前を通過する時に発生するハウリングを再生するというものなのです。これは、まさにジョン・ケージの「偶然音楽」そのものではないですか。さらに、マイクが振れ始めた時が音楽の始まりで、それが自然に止まるのが音楽の終わり、という発想は、100台のメトロノームを、ゼンマイが切れるまで鳴らし続けるという、リゲティの「ポエム・シンフォニック」(1962)にインスパイアされたものであることは、容易に想像が付きます。もちろん、演奏するごとに異なるバージョンが披露されるというもの、楽譜にしたがって、ひたすら機械のように脇目もふらず演奏するものというライヒのイメージからはちょっと離れた、少し力の抜けた体験がもたらされることでしょう。
その、「ライヒらしい」曲でも、やはりライブとなるとそれなりのグルーヴが見えてくるのも面白いところです。「Drumming」のパート4は、実は全部ではなく後半から始まるのですが、DGにある1974年のスタジオ録音と比べてみると、各楽器のキャラの立ち方が全く違っています。特に、ボンゴの乗りまくったビートは、聴きものですよ。
この会場は、おそらく防音が不十分なのでしょう。外を走る車の音などのノイズがかなりやかましく聞こえてきます。しかし、これも、それこそジョン・ケージではありませんが、環境の自然音まで含めた上での音楽として味わうのも一興では。「Violin Phase」が、そんな環境音と一体化した世界を見せてくれています。
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by jurassic_oyaji | 2005-05-26 19:23 | 現代音楽 | Comments(0)
SALONEN/Wing on Wing



Esa-Pekka Salonen/
Finnish Radio Symphony Orchestra
DG/477 5375
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCG-1241(国内盤)


ロス・アンジェルス。フィルの音楽監督を務めるエサ・ペッカ・サロネンは、指揮者としてはもちろん高いレベルにランクされていますが、「作曲家」としてもかなりの実績を持っています。以前はSONYから自作自演盤がリリースされていましたが、他のアーティスト同様、彼もこのレーベルに見切りを付けた(付けられた?)ため、今回は移籍先のDGからのリリースです。2001年以降に作られた、オーケストラのための20分程度の長さの曲が3曲収録されています。
アルバムタイトルとなった「ウィング・オン・ウィング」という曲は、ロス・フィルの新しい演奏会場として作られた「ウォルト・ディズニー・コンサート・ホール」のこけら落としのために作られた曲、このホールの「ヨットの帆が最大限に風をはらんだ」ような外観にちなんだ曲名が付けられているということです。決して、2人組のアイドルにちなんだものではありません(それは「ウィンク」)。その写真はジャケットにもありますが、ちょっとわかりにくいのでこちらでも用意してみました。
  

確かに、奇才フランク・ゲーリーの設計によるこの建物は、ひときわ異彩を放っています。通り一本隔てているのが、今までの演奏会場であった「ドロシー・チャンドラー・パヴィリオン」、こんな近くに引っ越せるのですから、これほど定期会員に配慮した会場変更もないでしょう。ここで、もう1枚、このホールの内部の写真(模型)をご紹介。

なんだか、サントリーホールによく似た感じだとは思いませんか?そう、この新しいホールの音響設計を担当したのは、サントリーホールとか、札幌の「キタラ」を手がけた豊田泰久さんなのです。このホールの音響は、各方面で絶賛を博していますが、それが日本人の手になるものだというのは、ちょっと嬉しいことですね。ホールが完成したのは200310月のこと、12月には、当時アシスタント・コンダクターを務めていた日本人指揮者、篠崎靖雄さんがここで定期演奏会を指揮されたという、やはり私たちにとっては嬉しい出来事があったわけですが、どういう事情があったのかは分かりませんが、こけら落としのために作られたはずのこの曲が演奏されたのは2004年の6月のことでした。
サロネンの曲には、本質的にはとても厳しい意志が内包されています。それは、とても切りつめられたモチーフの反復という、かなり「ミニマル」の要素が強いものであり、決して甘いメロディーに流されるようなことはありません。ただ、それが「音」として聴かれる時には、彼の卓越したオーケストレーションのスキルによって、殆ど映画音楽のような華麗なインパクトを与えるものに変わるというのが、彼の「手」なのでしょう。その結果、私たちは、ちょっと「どこかで聴いたことがある」という既視感に陥ることになります。この曲の場合は、それは武満でしょうか、ラヴェルでしょうか、はたまたメシアンでしょうか。2人のソプラノの装飾的なヴォカリーズは、華麗なサウンドの味付としての役割を担うもの、そして、一瞬アヴァン・ギャルドな印象を受ける男の声(設計者のF・ゲーリー)のサンプリングすらも、このサウンドに貢献するものでしかありません。
他の2曲の場合は、もっと直接的にサウンドの渦に飲み込まれるだけの迫力があります。それは、作曲家のメッセージを受け取るにはあまりに饒舌すぎると感じるのは、私だけでしょうか。あ、念のため、オーケストラはロス・フィルではなくフィンランド放送響です。
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by jurassic_oyaji | 2005-05-18 19:56 | 現代音楽 | Comments(0)
BRUBECK/The Gate of Justice

Dave Brubeck Trio
Kevin Deas(Bas)
Alberto Mizrahi(Can)
Russel Gloyd/
Baltimore Choral Art Society
NAXOS/8.559414



デイヴ・ブルーベックというジャズ・ピアニスト、かなり有名な人だと思っていたのですが、クラシック・ファンの間では殆ど知られていないという事実を発見して、ちょっと驚いているところです。彼の代表作とも言える5拍子という変拍子を用いた「テイク・ファイブ」という曲は、ジャズ・インストとしては初めて100万枚を突破する売り上げを記録した大ヒット曲、現在ではブラスバンドあたりのレパートリーにもなっているというのに(ちなみに、1959年に作られたこの曲は、ブルーベックではなく、カルテットのメンバー、サックス奏者のポール・デスモンドが書いたものです)。この曲を含む「Time Out」というアルバムは、ジャンルを超えた永遠の名盤として、歴史に残るものです。

そんな風に、ブルーベックは、彼のカルテットを率いてジャズシーンで「クール・ジャズ」の大御所として名をなしたわけですが、同時に、ダリウス・ミヨーにも師事したという彼は、クラシックの分野でも作曲を行ってみようとしました。実際にバレエやミュージカルを含む数多くの作品が今までに完成しているのですが、そんな、彼の別の面を明らかにしてくれるのが、このアルバムです。1969年に作られた「ゲイト・オブ・ジャスティス」という曲、ユダヤ教の聖書だけではなく、前の年に暗殺されたキング牧師の言葉などをテキストに用いた一種のオラトリオです。そこには、クラシックだけではなく、ジャズ、ゴスペル、そしてポップスなどの要素も渾然一体となって取り入れられています。と聞くと、最近新録音の出た、あのバーンスタインの「ミサ」を思い起こす人がいるかもしれません。あの曲も、作られたのは1971年、そんな時代だったのでしょうね。
曲の規模も、楽器編成も、バーンスタインほど大規模なものではありませんが、この曲の場合ももちろん普通の「オラトリオ」とはかなり異なった様相を見せています。中心になるのは、混声合唱と2人のソリスト、そのうちの一人はテノールの音域をカバーするものですが、ここで歌っているのは「カントール」という肩書きの付いた、ある種の「司祭」のようなもの、ちょっと独特のだみ声を聞かせてくれています。もう一人のソリストはバス・バリトン、テキストの内容に即して、黒人によって歌われます。そして、バックにはこのアルバムにはなぜかなんのクレジットもないのですが、おそらくはホルンやチューバなども含んだビッグ・バンドが用いられています。そして、そこにブルーベック自身が参加するトリオ編成のコンボが加わります。
作品の構成はかなりヴァラエティに富むものになっています。始まりは例の「カントール」のソロによる、ちょっとヘブライ風のコブシのきいた曲。そこにいかにもクラシカルな合唱が入ってきますが、次第にリズミカルな要素が多いものになってきたかと思うと、かなり唐突に「もろジャズ」のピアノトリオが入ってくるといった具合です。しかし、全体的には「平和」とか「自由」といったメッセージを素直に受け取ることが出来るだけの高揚感を伴ったもの、不自然な押しつけがましさなどは皆無です。真ん中辺で歌われる、「Lord, Lord」という、ブルーベック夫人のアイオラの歌詞によるナンバーが、とてもキャッチーで心にしみます。「カントール」が、アンサンブルの中では完全に浮いているのと、合唱の特に女声パートに拙さが残るというわずかな欠点も、ジャズとクラシックとの融合が放つ、時を経ても充分に色あせない魅力を、決して妨げるものではありません。それにしても、録音当時すでに80歳を超えていたブルーベックのプレイの若々しいこと。
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by jurassic_oyaji | 2005-05-14 21:31 | 現代音楽 | Comments(0)
SCHNITTKE/Symphony No.8 etc.




Lü Jia/
Norrköping Symphony Orchestra
BIS/CD-1217



80年代から進行していたBISによるシュニトケ全集、20巻目にあたる交響曲6、7番を最後にしばらくリリースがなかったので、てっきりそれで完結していたと思っていたら、久しぶりに21巻が登場です。この全集、ジャケットのデザインがアルフレート・シュニトケの頭文字「AS」を音名で表すという、ユニークなものでした。そもそも、このシリーズのロゴマークがその「A」つまり「ラ」と「S」つまり「Es=ミ・フラット」をかたどった(下のジャケットの右上)、あまりセンスの良くないものなのですが、ジャケット自体も、音符と五線紙を黒字に赤や緑の原色を使って配するという、ちょっと安っぽいものだったのです。

それが、今度のアルバムでは、見違えるようにあか抜けたデザインに生まれ変わっていて、いかにも「新生」シュニトケ全集という感じがひしひしと伝わってきます。
シュニトケという人も、様々な作風の変遷をたどった作曲家ですが、この生涯の終わりに近い時期の作品では、かつて見られたこれ見よがしなジャズなど他ジャンルとの「融合」は影を潜めているかのように見えます。しかし、「交響的前奏曲」(1993)の冒頭で朗々と鳴り響くなんの変哲もない、ただカッコいいだけの金管楽器のコラールが、次の瞬間にはへんてこな打楽器にサポートされてなにやらエスニックな雰囲気を漂わせるのを聴いてしまうと、やはりこの人は変わっていないことを認識させられてしまいます。そのコラールが、何回か繰り返されていくうちに次第に「壊れて」行くのも、聞き物でしょう。
5楽章構成の「交響曲第8番」(1994)では、最初の楽章が人を食っています。テーマは8分の6拍子で8小節という恐ろしくきっちりしたものなのですが、まずホルンのソロでとんでもない跳躍を含んだ形に変形されたものが提示され、そのあと延々と同じテーマが少しずつ形を変えて繰り返されるという、現代版「パッサカリア」あるいは「ボレロ」といった世界が展開されます(もしかしたら、「ミニマル」と言うべきなのかもしれません)。2楽章と4楽章はセリエルっぽいアレグロ、そして、それらに挟まれた形の第3楽章には、まるでショスタコーヴィチを思わせるような長大で深みのあるレントが横たわります。最後、ほんの1分足らずの「楽章」は、ロングトーンを細かい音程で重ねていくという「クラスター」、20世紀の末期にこの技法を使うことは、郷愁以外のなにものでもないことが実感されることでしょう。
「リバプールのために」(1994)は、そのタイトル通り、ロイヤル・リバプール・フィルからの委嘱作品。まるで映画音楽のようなある意味開き直ったサウンドは、この作曲家のたどり着いた境地なのか、あるいは次のステップのための助走なのかは、この4年後に亡くなる時点でも明らかではなかったことでしょう。
ノールショピング響は、上海出身の首席指揮者ジャ・リューの許で、この楽天的なスコアを見事に音にしています。まるで、屈託のない商業施設(ショッピング・モール?)のよう、そこからは、斜に構えたアイロニーのようなものは、ほとんど感じ取ることは出来ません。
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by jurassic_oyaji | 2005-05-01 19:53 | 現代音楽 | Comments(0)
MATHIAS/Orchestral and Vocal Music


Jeremy Huw Williams(Bar)
David Pyatt(Hr)
Anthony Hose/
Welsh Chamber Orchestra
METRONOME/MET CD 1066



ウィリアム・マティアスという、1934年に生まれて、1992年に亡くなったウェールズの作曲家のことをご存じでしょうか。「ザ・スパイダーズ」のメンバーではありません(それは「マチャアキ」)。もちろん、私は全く聞いたことはありませんでしたが、「ちょっと聴いて見ませんか?」と友人が貸してくれたこのCDを聴いて、すっかりこの人が好きになってしまいました。現在は「UK」の一部となっていますが、本来はいわゆる「イングランド」とは異なる民族であるケルト人の国であったウェールズ、ライナーでは英語とともにケルト語も併記されている通り、とことんウェールズにこだわったこのアルバムからは、何とも心やすらぐ彼の地の「匂い」のようなものが、ふんだんに漂ってきたのです(実際に行ったこともないのに、そんなものがなぜ分かるのか、不思議ですが)。
1986年にアンソニー・ホースによって創設されたウェールズ室内管弦楽団のデビューアルバムとなるこのCD(録音は2003年)、そこから聞こえてきた弦楽器の響きが、決して他の団体の録音からは聴くことが出来ないような心安らぐものであったことも、決定的な魅力になっています。この柔らかな、決して他人に怒鳴り散らすようには聞こえないこの穏やかさは、とびきりの包容力をもって迫ってきます。
最初の曲は、建物のオープニングセレモニーのために書かれた「イントラーダ」という短い作品です。オーボエ、ホルンがそれぞれ2本と弦楽合奏という軽い編成、その管楽器も、見事に弦楽器に溶け合っている様が素敵。曲調も、決して派手ではないのにしっとり祝福のメッセージが伝わるという渋いものです。次の「ウィリアム・ブレイクの詩による歌曲」では、バリトン独唱にチェレスタ、ハープ、ピアノと弦楽合奏という編成が、さらに透明感あふれるサウンドを提供してくれます。全部で12曲からなる曲集ですが、特に最後の2曲は、まるでサン・サーンスの「水族館」(「動物の謝肉祭」ですね)を思わせるような浮遊感に、惹かれるものがあります。これで、バリトン独唱のウィリアムズから重苦しさが抜けていれば、もっと爽やかな味わいが出ていたのでしょうが。もう1曲、ウェールズの伝承歌を編曲したものも収録されていますが、やはりもっと軽さが欲しいものです。
しかし、かつて、尾高忠明指揮のBBCウェールズ・ナショナル響のツアーでのソリストとして日本を訪れたこともある、ロンドン響の首席ホルン奏者パイアットのまろやかな音色は、このオーケストラとは見事に融合しています。穏健な中にも確かな歌心を伝えてくれている、古典的な4楽章形式のこのホルン協奏曲、最後の楽章の変拍子は、ちょっとしたアクセントでしょうか。時たま聞こえてくるコントラバスのピチカートの深みのあること。
そして最後に、弦楽器だけで演奏される「トレノス」という、内に秘めた情感を控えめに伝えるすべを見事に発揮した晩年の佳曲を聴けば、この作曲家の魅力にどっぷり浸かることが出来ることでしょう。もちろん、ここでの弦楽器の響きもまさに絶品です。
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by jurassic_oyaji | 2005-04-27 19:50 | 現代音楽 | Comments(0)
MAYUZUMI/Bugaku, Mandala Symphony etc.




湯浅卓雄/
New Zealand Symphony Orchestra
NAXOS/8.557693J



1966年、テレビ朝日がまだNET(日本エンタメテレビ、ではなく、日本教育テレビ!・・・本当ですよ)と言っていた頃に始まった「題名のない音楽会」は、作曲家の黛敏郎が司会を担当するだけではなく、企画の段階から彼自身、あるいは彼のブレーンが制作にタッチしていた、非常に高いレベルを持った音楽番組でした。黛といえば、政界、財界には幅広い人脈を誇っていたちょっと右寄りの論客、その影響力で、視聴率など気にすることなく、良質の企画を送り出すことが出来たのでしょう(黛の没後も現在まで続いている「題名のない音楽会21」、確かによく似た体裁を持ってはいますが、ほとんどアーティストのプロモーションの場に堕してしまっているこの番組は、当初のものとは全く別の姿に変貌してしまった、巷にあふれるバラエティと何ら変わらないものなのです)。
残念ながら、私たちが黛について知っているのは、この番組の司会者としての顔がほとんどで、本来の作曲家としての側面は、「涅槃交響曲」とか「『天地創造』の映画音楽」以外にはほとんど伝わっては来ません。事実、1970年以降は「右翼であることが災いとなって(黛)」ほとんど作曲の依頼がなく、必然的に寡作となってしまったのだと言われています。
予想以上の大ヒットとなっているNAXOSの「日本作曲家選輯」、今回は、そんな黛の初録音2曲(しかも、そのうちの1曲はこれが初演)を含む4曲が収録されています。その、今まで実際に音になったことすらなかったという、作曲家がまだ10代の時の作品「ルンバ・ラプソディ」を聴けば、彼が若くしてすでにオーケストラから芳醇な響きを導き出す技術に精通していたことが分かります。ほとんど天才的と言っていいそのセンスは、テレビで見られるとおりの「カッコ良さ」、ラヴェル、ストラヴィンスキーあたりの語法を完璧に手中にしたダイナミックはサウンドは、時代を超えた普遍性をもって迫ってきます。
「涅槃交響曲」で確立された彼独特の「日本的」な語り口、しかし、それ以後に作られた「舞楽」と「曼荼羅交響曲」をここで聴くことにより、彼の音楽の本質はやはり「カッコ良さ」にあるのではないかとの印象は強まります。「舞楽」で聴かれるのは雅楽の模倣、しかし、それは「春の祭典」を彷彿とさせる本編への導入にすぎないのです。「曼荼羅」でも、仏教的なテイストはちりばめられてはいるものの、圧倒的に印象を支配されるものと言えば、彼が留学したフランスのボキャブラリーです。そう、第2部にあたる「胎蔵界曼荼羅」の後半などは、何も知らずに聴いたらメシアンの未発表の曲だと思ってしまうほど、この、鳥の声を偏愛したフランスの作曲家の語彙に充ち満ちています。
黛の音楽の持つ感覚的な魅力を前面に押し出してくれた湯浅卓雄の指揮するニュージーランド交響楽団、その、しなやかでリッチなサウンドを聴いてしまえば、黛が後半生にほとんど曲を産まなかったことが、日本の作曲界にとって大きな損失であったという事実を、受け入れないわけにはいかなくなってしまうことでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2005-03-28 19:52 | 現代音楽 | Comments(0)