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カテゴリ:現代音楽( 162 )
RZEWSKI/The People United Will Never Be Defeated!
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Igor Levit(Pf)
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ジェフスキの「不屈の民変奏曲」に、また新しいアイテムが加わりました。これで、この作品のアルバムは10種類を超えたことになります。ただ、今までリリースされていたのは、ほとんどがマイナーレーベルからのものでしたし、ピアニストもアムランなどを除けばそれほど広く知られている人ではありませんでした。
しかし、レコーディングまでは行わなくても、リサイタルで取り上げている人はもっとたくさんいることでしょう。2014年の6月にウィーンのムジークフェラインザールで行われる予定だったマウリツィオ・ポリーニのリサイタルが、急なアクシデントのためにキャンセルされた時に、急遽その代役を務めたイゴール・レヴィットもそんな一人です。リサイタル当日にオファーを受けて急遽ウィーンに飛んだ彼は、その時に演奏されるはずだったシューマンやショパンの曲に代わって、ベートーヴェンの後期のソナタ2曲と、この「不屈の民」を演奏したのです。ベートーヴェンはともかく、ポリーニが弾く「名曲」を期待していたお客さんは面食らったことでしょうね(チケット代は払い戻されたのだそうです)。
そんな事件で一躍有名になったレヴィットは、1987年にロシアに生まれた天才少年でした。その音楽の才能を伸ばすため、8歳の時に家族とともにドイツに移って音楽教育を受けています。小さなころから各地のコンクールで入賞、2004年には浜松国際ピアノアカデミーコンクールでも第1位を獲得しています。2012年には、ソニー・クラシカルと専属アーティスト契約を結び、翌年にはベートーヴェンの後期ピアノソナタ集のアルバムでメジャー・デビュー、2014年にはバッハのパルティータ集をリリース、そして、2015年にリリースされたのが、そのいわくつきの「不屈の民」と、バッハの「ゴルトベルク」、ベートーヴェンの「ディアベリ」がカップリングされた「3大変奏曲集」です。
そして、つい最近、その3曲がそれぞれ単売されるようになりました。これで、「不屈の民」のアルバムがソニーという超メジャーからリリースされることになり、単なる「現代音楽」を超えた「名曲」となってしまいました。
まず、今まで出ていたこの曲のCDと決定的に違うのは、音の良さです。やはり「現代音楽」にはなにか先鋭的なイメージがあるようで、妙にギスギスした音のものが多かったような気がします。今回はまず録音された場所が、こちらでも使われていた旧東ドイツのラジオスタジオです。非常にくせのない音響を誇っているようで、とてもふくよかな響きが感じられます。そして、レコーディング・エンジニアが名匠アンドレアス・ノイブロンナー(TRITONUS)ですから、芯のある、それでいて繊細な音を味わうことが出来ます。
なんせ、急に頼まれたリサイタルで演奏したぐらいですから、そもそもレヴィットはこの作品には愛着があったのでしょう。この難しい曲の音符は、隅から隅まできっちり磨き上げられていて、胸のすくような鮮やかさ、しかし、それぞれの音にはとても暖かみがこもっています。そして、時折聴こえるピアニシモの繊細なこと。この曲には、こんな「名曲」たる要素が、すでにしっかり宿っていたことを実感させられるような演奏でした。何しろ、テーマからして「おれたちは負けない!」というようなこけおどしの感じが全くない、いとも爽やかなものでしたからね。
それが、最後のテーマの前に出てくる「Improvisation」になると、足音や楽器を叩く音などを交えた過激なものに変わります。そんな落差も楽しめる素晴らしい演奏です。
蛇足ですが、これは「即興と主題」と表記された最後のトラックではなく、その前の第36変奏のトラックの途中、2分ごろから聴こえてきます。

ごく最近こんなのがあったばかり。CDの黄昏を目前に控えて、こういう「不良品」があふれかえってきたのは、あきれかえった事態です。というか、配信でもそのまま間違えてるし。


CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2016-12-08 20:15 | 現代音楽 | Comments(4)
REICH/Double Sextet, Radio Rewrite
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Brad Lubman/
Ensemble Signal
HARMONIA MUNDI/HMU 907671




以前、このレーベルで新譜CDを買ったら、同じ内容のハイレゾ音源が無料でダウンロードできるヴァウチャー券が付いてきました。これが、フィジカルなパッケージと配信音源が共存するためのあるべき姿なのでは、と思っていたので、今回の同じレーベルの新譜でもそのような「おまけ」が付いていることを期待して購入しました。しかし、そこには何もなかったので、ちょっとがっかりです。ただ、よく見てみるとこれは同じHARMONIA MUNDIでもアメリカで制作されたものでした。ご存知のように、このレーベルは同じアートワークで主にフランス制作のものとアメリカ制作のものの2種類が存在します(スペイン盤などもあります)。それは、品番の最初が「HMC」の場合はフランス盤、「HMU」の場合はアメリカ盤とわかるようになっています。それ以外にも、廉価盤やシリーズものでは、別のアルファベットが使われています。
ということで、今回のアメリカ盤では、そのようなサービスは行っていないということが分かりました。なんか、納得できませんが仕方がありません。
今年は10月3日にライヒが80歳を迎えた記念の年ということで、新しいアルバムが続々リリースされているようですが、これもそのうちの一つ。2007年の「Double Sextet」と、2013年の「Radio Rewrite」のカップリングです。トータルで40分しか収録されていませんが、本当はそのぐらいが1枚のアルバムとしてはちょうど良いサイズなのかもしれませんね。いずれも、今回が初録音というわけではなく、どちらもライヒの作品では定評のあるNONESUCHレーベルですでに録音されていました。「Double Sextet」は2009年に、この作品を委嘱し、初演を行ったeighth blackbirdによって、「Radio Rewrite」は、初演者とは別の団体によって、2014年に録音されています。
このレーベルでは、以前同じ演奏家によるライヒの「Music for 18 Musicians」も聴いていますが、これはその第2弾、というか、「Double Sextet」の方はその時と同じ2011年3月のセッションで録音されていたものでした。「Radio Rewrite」だけが、今年の1月に録音されています。
「Double Sextet」を委嘱された時には、ライヒはそのeighth blackbirdというアンサンブルのメンバーの編成(フルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、打楽器)に忠実に合わせて、6つの楽器のための曲を作りましたが、それを演奏する際には、前もって自分たちが演奏した音源に合わせてライブで別のパートを演奏するというやり方で、12の楽器のための作品に仕上げてありました。今回は、それを実際に12人のメンバーを使って全てのパートを「生」で演奏するという形になっています。eighth blackbirdの「6人バージョン」もNMLで聴けますから、比較してみるのも一興でしょう。おそらく、「第2部」の、ちょっとできそこないのタンゴ、といった趣の曲では、同じ楽器でも音色や微妙な個性の違いぐらいは確認できるのではないでしょうか。
「Radio Rewrite」は、2013年に、委嘱を行ったロンドン・シンフォニエッタによって初演されておったのですが、その時に指揮をしたのが、このアルバムでの「アンサンブル・シグナル」の創設者で指揮者、ブラッド・ラブマンでした。これも、先ほどのNONESUCH盤との比較が可能です。こちらは、「元ネタ」のRadioheadからの引用に対するシンパシーが、微妙に異なって聴こえてくることがあるかもしれません。それは、初演者が必ずしも満足のいく結果を出せない場合もある、ということにもつながるのでしょうか。しかし、それは本質的な差異ではありません。
幸運にも、異なる演奏家による録音が多数存在するライヒの作品ですが、それらを比較してみても際立った違いが感じられないのは、そもそもライヒの作品には「表現」という要素が非常に希薄だからなのでしょう。というより、ある意味「表現」からは遠く離れたところから出発したのがライヒの音楽だったわけですが、それは同時に彼と、そして彼の技法の限界にもなっていたのかもしれません。

CD Artwork © harmonia mundi usa
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by jurassic_oyaji | 2016-10-25 23:53 | 現代音楽 | Comments(0)
RILEY/In C, Sunrise of the Planetary Dream Collector
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Ragazza Quartet
Slagwerk Den Haag(Perc)
Kapok(Jazz Trio)
CHANNEL/CCS 37816




まず、このパッケージが秀逸。インフォの写真では文字情報も入っているようになっていますが、現物はこれだけ、写真では何のことか全然分からないでしょうが、これを実際に手に取ってみるとその意味が分かります。



CD本体が入ったデジパックがさらに筒状のカバーの中に入っているのですが、そのカバーには斜めに細いスリットが無数に入っています。その中でこのデジパックを動かすと、こんな風に「モアレ効果」で大きな波が動き出すのですね。

「モアレ」というのは、30過ぎではなく(それは「ハダアレ」)「ミニマル・ミュージック」を語るときによく使われる言葉、それを、このパッケージで実際に体験できるということなのです。こればっかりは音源配信では全く伝わらないでしょう。
これは、その「ミニマル・ミュージック」の代表的な作曲家テリー・ライリーの、まさに代表的な作品「In C」が収められたアルバムです。1964年に作られたこの作品の楽譜には、53個のメロディの断片が書きつけられているだけ、それぞれは、最も短いもので半拍(十六分音符2つ)、最も長いものは休符も含めて32拍もあります。それを、任意の楽器を演奏する任意の人数のメンバーが、それぞれ最初から順番に、あるいは途中を飛ばしたりしてそれぞれの断片を好きなだけ繰り返す、というのが「ルール」です。この「楽譜」はIMSLPでも公開されていますから、探してみてください。
今回のCDのアーティストは、オランダの巨乳の女性ばかりの弦楽カルテット「ラガッツァ・カルテット」。これまでにこのレーベルから2枚のアルバムをリリースしていますが、それぞれにとてもユニークなアプローチが評判を呼んでいたようです。今回はライリーの作品が2曲取り上げられていて、そこに他の団体も参加しているというのが、やはりユニークさを際立たせています。その「他の団体」というのは、「デン・ハーグの打楽器奏者たち」という4人のメンバーによる打楽器アンサンブルと、「カポック」という名前のジャズ・トリオです。「トリオ」とは言っても、オーソドックスな編成ではなく、なんとホルンとギターとドラムスという、こちらもユニークなメンバーが集まった団体です。ですから、このアルバムの本当のタイトルは「Four Four Three」という、それぞれの団体の人数を羅列しただけというとてもシンプルなものでした。
「In C」では、「Four」と「Four」、つまり、弦楽四重奏に打楽器が加わった編成で演奏されています。そもそもライリーが指定した「音」は、その楽譜にあるフレーズだけですが、もちろん打楽器の中にはマリンバなども含まれていて、そこではきちんとそのフレーズが演奏されているものの、ここでは「リズム」としての参加が目立っています。もちろん、それは単なるメトロノーム的なパルスではなく、それ自身がライリーの指定を超えた自由なフレーズを作り上げているという、とても積極的な関わり方です。
ラガッツァ・カルテットのメンバーも、彼女たちの楽器だけでなく、「声」まで動員して、フレーズに彩りを添えています。それが、とても正確なソルフェージュなのには、感心させられます。こんなのを聴くと、合唱だけで「In C」を演奏したくなってきますね。
久しぶりにこの「古典」(実は、初演から半世紀経っています)で、「モアレ効果」を体験してみると、同じ「ミニマル」とは言っても、もう一方の雄、スティーヴ・ライヒとは根本的なところで音楽の意味が異なっていることに気づきます。そもそも、あちらは楽器も、そして楽譜も厳格に指定されていますし。
もう1曲は、1980年にクロノス・カルテットのために作られた「Sunrise of the Planetary Dream Collector」。この頃になるとライリーの作風もだいぶ変わってきて、これは北インドの民族音楽が素材となっています。これも、ホルンやコルネットが入ったジャズ・トリオとのコラボで、クロノスのものとは全く別の世界が繰り広げられています。

CD Artwork © Channel Classics Records bv
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by jurassic_oyaji | 2016-10-18 20:58 | 現代音楽 | Comments(0)
DURUFLÉ/Requiem
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Patricia Bardon(MS), Ashley Riches(Bar)
Tom Etheridge, Richard Gowers(Org)
Sstephen Cleobury/
The Choir of King's College, Cambridge
Orchestra of the Age of Enlightenment
CHOIR OF KING'S COLLEGE/KGS0016(hybrid SACD)




まさに、デュリュフレの没後30年にあたる、2016年の1月に録音された、「レクイエム」と、その他の合唱曲を集めたアルバムです。
今回のアルバムでの「売り」は、「ピリオド楽器による録音」だったのではないでしょうか。これは「世界初」の試みです。最近では例えばストラヴィンスキーなどの20世紀の作品までもその時代の楽器で演奏されることがありますから、いつかはこういうものが出てくるとは思っていました。確かにストラヴィンスキー同様、この「レクイエム」が作られた1940年代のオーケストラでは、現在とはかなり異なる楽器が使われていました。それが、第二次世界大戦を境にしてオーケストラの楽器は大幅に変わってしまっていたのです。弦楽器では、それまではガット弦を使った楽器だったものが、このあたりから徐々にスチール弦の楽器に変わります。そして、特にフランスのオーケストラに関して顕著だったことが、管楽器の変更です。つまり、戦前までは国ごとにオーケストラで使われる管楽器は細かいところで異なっていたものが、次第に全世界共通のものに変わっていったのです。例えば、木管パートの最低音を担う「ファゴット」という楽器は、フランスでは奏法も音色も全く異なる「バッソン」という楽器が使われていました。おそらく、初演当時のフランスのオーケストラでは、間違いなくこの「バッソン」が使われていたことでしょう。ですから、この初演の時の形で今回ピリオド楽器による録音が行われたのであれば、これは非常に画期的な試みということになります。
ところが、ここで使われているのは、1961年になって作曲家が改訂したオルガンと小オーケストラのためのバージョン(第3稿)だったのですよ。この頃になると、世界中のオーケストラの楽器は現在のものとほとんど変わらないものに変わってしまっています。フランスでは「バッソン」がまだ使われていたオーケストラもありましたが、この編成では木管楽器のパートは全てオルガンに置き換わっているのですから、何の意味もありません。つまり、この第3稿を使う限りは、ピリオド楽器を使ったとしてもそこからは「演奏された当時の様子を再現する」という意味は全く存在しなくなっているのです。
クロウベリーとキングズ・カレッジ合唱団は、「レクイエム」を1988年にもEMIに録音していて、その時も同じ第3稿を使っていましたから、彼らにしてはそれがベスト・チョイスなのでしょう。ただ、今回弦楽器にピリオド楽器(ガット弦でモダンピッチ)が使われていることで、このバージョンの欠陥はさらにはっきり表れてきたような気がします。ハイレゾ録音のせいもあるのでしょうが、その弦楽器とオルガンとがあまり溶け合っていないのですね。やはり、せっかくエンライトゥンメント管弦楽団を使ったのですから、ここはオリジナルの第1稿で演奏してほしかったと、切に思います。
ただ、そのガット弦によって得られる独特の音色感は、作曲家が望んだものであるかどうか、という点ではかなり疑問が残るものの、そういう本来の「ピリオド」という意味ではなく、ある種「特殊な音色」を求めたのであれば、それはなかなかの効果を上げていたのではないでしょうか。「Pie Jesu」でのガット弦のチェロのソロは、今まで聴いたことのない独特の雰囲気を醸し出していましたし、トゥッティでのトレモロも、とれもろ(とても)やわらかい響きになっていました。
合唱は、前回の録音同様、成人とトレブルとの間の音色の違いがとても気になります。その成人男声が、かなりレベルが落ちているのも残念です。前回は楽譜通りバリトン・ソロが入っていた部分は、今回はパート・ソロになっていました。
もう一つ、せっかくオーケストラが入ったのですから、「クム・ユビロ」もオリジナルのオーケストラ版で録音してくれればよかったのに。

SACD Artwork © The Choir of King's College, Cambridge
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by jurassic_oyaji | 2016-10-06 21:20 | 現代音楽 | Comments(0)
BACH/Markus-Passion
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Ulrike Eidinger(Sop), Ulrich Weller(CT)
Samir Bouadjadja(Ten), Lars Eidinger(Nar)
Peter Uehling/
Ensemble Wunderkammer
COVIELLO/COV 91605




バッハの「マルコ受難曲」の新しい録音が出ました。ある意味、この作品は単なる「素材」のようなものですから、それをどのように扱ってきちんとした曲にまとめるかというのは演奏家の裁量に任されているようなところがあります。ですから、新しい録音であれば、まずそのあたりの、この作品を演奏するにあたってのコンセプトが問われることになるのです。
今回の演奏者は「アンサンブル・ヴンダーカンマー」という名前の団体です。全く聞いたことのない名前ですがそれもそのはず、結成されたのは2014年という、つい最近のことなのだそうです。ただ、その時の形はこのような受難曲を演奏できるほどの規模の大きな(合唱も、このアンサンブルに含まれています)ものではなく、たった4人で集まって作られたごく小さなアンサンブルでした。その4人のピリオド楽器の演奏家たちの名前の中で、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者が「サラ・パール」という名前だったのに、ちょっと反応してしまいました。同じような名前のガンバ奏者がいたはずなのに、と記憶をたどってみると、それは「ヒレ・パール」というかなり有名な人でした。調べてみると、「サラ」はこの「ヒレ」の娘さんなのだそうです。以前やはりヒレが娘さんと共演していたアルバムでは、「マルテ」という子だったようですから、ヒレの娘さんでガンバ奏者になった人は2人いるということですね。「サラ」と「マルテ」は姉妹なのでしょう。
その他のメンバーは、チェンバロのミラ・ランゲ、チェロのマルティン・ゼーマン、そして指揮者でオルガニストのペーター・ユーリングです。このアンサンブルとして17世紀や18世紀の音楽、さらには現代の音楽まで幅広く演奏するとともに、今回のような編成にまで拡大してこのような曲に挑むこともあります。ここでは、ユーリングは中華料理(それは「ユーリンチ」)ではなく指揮に専念、残りの3人で通奏低音をきっちり固めたうえで、弦楽器は各パートそれぞれ1人という、最小限の編成になっています。もちろん、合唱が必要な時には、そのためのメンバーも集まってきます。ただ、彼らはプロではなく、アマチュアで日常的に活動を行っている人たちなのだそうです。
この「マルコ」の演奏では、おそらくディートハルト・ヘルマンによる修復稿を使って演奏されているのでしょう。エヴァンゲリストによる聖書朗読の部分は、レシタティーヴォで歌われるのではなく、ナレーターによって「朗読」されています。しかし、その部分で彼らが行っていることは、かなり衝撃的でした。ナレーターのバックでは、低音楽器たちが即興的に「音」を加えていたのですよ。最初のうちは単音のドローンのようなものだったのが、次第にその自由度はエスカレートしてきて、それは殆ど「20世紀音楽」的な刺激的な「音響」に変わっていきます。
確かに、これはこれで単に朗読だけを聴いているのよりははるかにイマジネーションが掻き立てられるものには仕上がっています。ただ、そこからは当然のことながらバッハの音楽は全く感じられません。事実、このような「朗読」のあとにコラールが歌われると、その二つの世界の間にはとても越えられない隔たりが存在していることがまざまざと感じられてしまいます。
しかも、そのコラールにしても、いかにもアマチュアの集まりだと思えるような、あまりに主体性のない歌い方には、当惑させられます。もし、これはそんな朗読のバックに合わせた恣意的な表現だとしたら、それは本末転倒というべきでしょう。
ソリストたちも、不思議な挙動に終始しています。ソプラノはかなりロマンティックな演奏で臨んでいるのに、カウンター・テナーの人は、まさに「前衛的」というよりははっきり言ってピッチも発声もかなり怪しげな歌い方だったりしますからね。
着眼点は面白いのですが、それが全体に浸透しなかったのが敗因でしょう。

CD Artwork © Coviello Classics
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by jurassic_oyaji | 2016-08-02 23:58 | 現代音楽 | Comments(0)
REICH/Sextet, Clapping Music
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LSO Percussion Ensemble
LSO LIVE/LSO5073(hybrid SACD)




このLSO LIVEというレーベルは、かなり初期の段階からハイレゾPCMやDSDで録音を行っていました。もちろん、その頃はSACDと同じフォーマットのDSD、つまり「DSD64」を採用していました。
今回の、2015年10月に録音された新しいアルバムでは、入手したものでは初めて、その録音フォーマットが「DSD128」と明記されていました。同じ年の1月に録音されたものではまだ「DSD」という表記しかありませんでしたから、その頃はまだ「DSD64」だったのでしょうね。いよいよこのレーベルもSACDを超える「ハイ・サンプリング・レート」を採用するようになったのでしょう。
そうなると、ハイレゾ音源の配信サイトでは、そのDSD128の音源が入手できるのではないか、という期待が高まるのですが、DSDを専門に扱っているサイトでも、DSD64しか扱っていませんでした。残念(もちろん、日本のサイトではDSDそのものがリリースされていません)。
スティーヴ・ライヒの初期の作品がLSO LIVEのようなレーベルから出るなんてちょっと意外な気がしますが、このオーケストラではマイケル・ティルソン・トーマスが首席指揮者だった時代(1990年代)から、ライヒの作品は良く演奏していたのだそうです。という情報は、このライナーノーツに掲載されている、首席打楽器奏者のニール・パーシーからのもの、その中で彼は、この、彼が中心になって打楽器パートだけで録音されたこのアルバムは、ライヒの80歳の誕生日のためのオマージュだと述べています。紅白ですね(それは「おまんじゅう」)。
そうですか、もう80歳になるのですか。ということは、この前のペンデレツキとは3つしか違わないということになるんですね。とてもそんな風には見えません。しかし、それぞれにジャンルの異なるアーティストからのリスペクトを受けている、という共通点はあります。ただ、ペンデレツキに関しては、それはかつての「前衛音楽」時代の作品のみに対するものなのですが、ライヒの方はすべての時代のもの、さらに、もしかしたらクラシックの人よりはロック、さらにはヒップ・ホップ系の人の方がよりシンパシーを持っているのではないか、というほど、境界を超えたところでの人気を誇っているような気がします。というより、彼の作品ははたして「クラシック」なのか、というもっと掘り下げたところでの問いかけも必要なのでしょう。
そう、ライヒの場合は、「クラシック」とか「現代音楽」といった枠にはめて議論されること自体が、あまりふさわしくはないのですよ。そこにとどまっているうちは、たとえばこちらのような見当違いの評価にさらされてしまうことは避けられません。
このアルバムで演奏されているのは、まずは有名な「Clapping Music」です。ライヒの出発点は最初期の「「ピアノ・フェイズ」に見られるような、2人の演奏家が全く同じ繰り返しの音型を同時に始めて、それを片方がほんの少しテンポを速めるために生じるズレを体験するという「フェイズ・シフト」の技法だったわけですが、この頃になると、その「ズレ」を生じさせる遷移的で不確定な部分がなくなって、いきなり音符一つ分シフトする、というやり方に変わっています。おそらく、この時点でライヒは「現代音楽作曲家」から「ジャンルを超えた作曲家」に変わったのではないでしょうか。
そんな、リズム感さえ良ければ、面倒くさいクラシックの音楽教育(「教育とは偏見を植え付けること」と高橋悠治が言ってました)を受けなくても演奏できる作品のあとに、もう少し複雑になった「Music
for Pieces of Wood」を経て、「Sextet」を聴きはじめる頃には、ライヒがこの1985年あたりにたどり着いた豊かなハーモニーを持つ一つの確かな成果を味わうことが出来ることでしょう。
期待していた録音は、ライブということでマイクのセットに問題があったのでしょう、「Music for Pieces of Wood」あたりでは変な干渉が起こっていてちょっとノイズっぽい音になってしまっています。これだったら、別にDSD128で聴く必要はありません。

SACD Artwork © London Symphony Orchestra
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by jurassic_oyaji | 2016-07-16 21:11 | 現代音楽 | Comments(0)
Sämtliche Lieder für gemischten Chor a cappella
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Matthias Jung/
Sächsisches Vocalensemble
TACET/B 142(BD-A)




メンデルスゾーンの合唱曲は、オーケストラと一緒に演奏するものとか宗教曲など、多くの曲が知られています。なんと言っても合唱の付いた「交響曲」まであるのですから、彼の作品の中では合唱が持つ比重はかなり高いものになっています。でも、普通は「交響曲第2番」と呼ばれている「賛歌」は「交響曲」と「カンタータ」が合体したような作品ですから、本当は交響曲の中に参加させるのは反則のような気がします。たしかに、それまでに「合唱の入る交響曲」はありましたが、あちらとはだいぶ様子が違いますからね。
メンデルスゾーンが作った無伴奏の混声合唱のための合唱曲、いわゆる「パートソング」は、CD1枚に収まるぐらいの、せいぜい30曲程度しかありません。そんなアルバムが、かつてラーデマン指揮のRIAS室内合唱団が2007年に録音した超名演でリリースされていました。
その中に入っていたのはop.41の6曲、op.48の6曲、op.59の6曲、op.88の6曲、そしてop.100の4曲という、全28曲でした。演奏も素晴らしいし録音もよかったのですが、あいにく普通のCDでしたね。そこに、ほぼ同じ曲目で、さらにWoO(作品番号の付いていない=出版されていない作品)の2曲が加わった新しいアルバムが、なんとBD-Aでリリースされました。これは、一応サラウンドを前面に押し出した仕様になっていますが、このレーベルだったら録音はかなりのクオリティが期待できます。
しかし、これが実際に録音されたのは2005年だったことが、クレジットから分かりました。その時に普通のCDも出ていたんですね。つまり、ラーデマンより前に「全曲」のCDを出していたのでした。しかも、この時点ではWoOの2曲は「初録音」でした。今回は、新たにサラウンド・ミックスを行って、BD-Aでリイシュー、という形だったのですね。
まあ、そんな成り行きは、どうでもいいことで、実際にその音を聴いてみたら、とてもナチュラルで素晴らしいものだったので、まずは一安心でした。いや、そんな言い方では申し訳ないほどの、それこそ「2L」の録音にも匹敵するほどのクオリティの高さでした。ただ、その音の傾向は少し違っていて、あちらはとても瑞々しい、ある意味生々しい感じがしますが、こちらはもっと乾いて落ち着いたサウンドが聴けるようです。
そして、ここで歌っている合唱団が、そんな録音とぴったりマッチした落ち着きぶりを見せているのですよ。1996年に、ここでも指揮をしているマティアス・ユングによって創設された「ザクソン・ヴォーカル・アンサンブル」というのは、コアとなる21人のメンバーがいて、レパートリーによって柔軟にメンバーを増減させるという形をとっている合唱団なのだそうです(ここではメンバーは22人クレジットされています)。そして、彼らが最も力を入れているのがシュッツとバッハなのだそうです。すでにその2人の作曲家のCDも出しているそうです。
そんな彼らがメンデルスゾーンを歌うと、とても折り目正しい、まずは楽譜に忠実に歌おうという姿勢がはっきり感じられます。そして、その歌い方の端正なこと。特に男声が、あくまでアンサンブルに溶け込もうというフレキシブルな音色を持っているのが素敵です。テノールの高音はまるで女声のアルトのようですし、ベースも低音はしっかり出している上に、高音はしっかりテノールと溶け合っているという感じで、もう完全に彼らの声は合唱の中の本当の意味での「パート」になりきっているのです。
最後に収録されている「初録音」の2曲のうちの1曲は、メンデルスゾーンの先生のツェルターの70歳の誕生日のお祝いのために、あのゲーテが捧げた詩に作曲されたものです。ここでは、最初に重唱で合唱団の4人のメンバーによって歌われるのですが、それぞれの声はとても立派、芯があってピッチも正確です。そんな人たちが集まっているのですから、こんなすごい合唱が出来上がるのも当然ですね。

BD-A Artwork © TACET
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by jurassic_oyaji | 2016-07-05 23:13 | 現代音楽 | Comments(0)
Folk Songs of the World
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Cathy Berberian(MS)
Harold Lester(Pf)
SWR/SWR19010CD




20世紀半ばの「現代音楽」シーンで確かな輝きを放っていた歌手、キャシー・バーベリアンの、こんな貴重な放送音源がリリースされました。1978年にシュトゥットガルトのSWRのスタジオで録音された「Folk Songs of the World(世界の民謡)」というタイトルでまとめられた曲集です。
このCDのブックレットに寄せられているエッセイの最後に、キャシー・バーベリアンの公式サイトらしきもののURLがあったので覗いてみたら、その中のディスコグラフィーにはこの録音はなかったので、おそらくこれが初めて公にCDになったものなのでしょう。ついでに、同じサイトのバイオグラフィーを見てみると、彼女の生年月日まできちんと書いてありました。それによると、彼女が生まれたのは1925年7月4日なのだそうです。巷では1928年生まれという情報も見られますが、それは完全に否定されているようですね。
同時に、彼女が1950年に結婚したルチアーノ・ベリオと離婚したのは、1964年だったということも、ここで分かります。これも、1965年とか1966年といった紛らわしい情報を払拭するためには有益なデータでしょう。というのも、この1964年という年にベリオはキャシーが演奏することを前提とした「Folk Songs」という曲を作っているのですよね。これは、ほとんど知られていない世界中の民族音楽を集めて、ソリストはそれをそのまま歌い、そこにベリオがちょっと複雑な伴奏を付けたというものです。プライベートではパートナーシップを断ち切っても、仕事の上ではしっかり共同作業は行っていたという、二人の微妙な関係の表れということになりますね。実際に、11曲から成るこの曲集の中には、キャシーの先祖のアルメニアの歌や、彼女がSPレコードで知ったアゼルバイジャンの歌なども含まれていますから。
今回の1978年の「Folk Songs」は、タイトルこそ1964年のものと同じですが、その内容はずいぶん違っています。というか、別にこれは「作品」ではなく、彼女が集めた、主にクラシックの作曲家が編曲した世界中の「民謡」が22曲歌われているというだけの話です。そして、ここで彼女は16の国の言葉を駆使しているのです。その中には、ヨーロッパの言語だけではなく、中国語なども入っています。あいにく日本語はありませんが。
ただ、この中で、きちんと作曲家によって「編曲」された「作品」は、それほど面白くありません。バルトークとかラヴェル、さらにはハイドンとかベートーヴェンなどが手をかけた曲は、どうしてもその作曲家のテイストが前面に出てきて、キャシーの持ち味がなかなか生かされていないのでは、という気になってしまいます。中でもコープランドが採譜した子供の歌の「I Bought Me a Cat」などは、「猫を買った」から始まって「アヒル」、「ガチョウ」と続く中でだんだん動物が増えていき、最後には「女房」まで登場するというナンセンスな歌で、その時の動物たちの鳴き声がやはりだんだん増えていくというところが聴かせどころなのでしょうが、その鳴き声の部分が全然面白くないんですね。キャシーだったらありきたりの擬音ではなく、もっと高度なことをやってくれてもいいのに、という、まさに期待はずれの出来でした。
ですから、やはりおもしろかったのは、特に編曲者のクレジットが入っていない、クロアチアやブルガリアの民謡です。ここでは地声丸出しの発声で歌われていますから、普通には「民族唱法」と言うべきなのでしょうが、彼女がそれをやると俄然「現代音楽」の味が出てくるから不思議です。最後のトラックのアルメニアの歌「私の歌」では、さらに力が抜けた共感のようなものが感じられます。
でも、「ホルディリ・ディア」みたいなタイトルで知られるスイスのヨーデル「ルツェルンへの道」は、彼女だったらさぞやファルセットが決まると思っていたら、全然冴えないのが意外でした。なんでも歌えそうでも、こんなところに弱点があったようでる

CD Artwork © Naxos Deutschland Musik & Video Vertriebs-GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-06-30 20:32 | 現代音楽 | Comments(0)
BAUKHOLT/Ich muß mit Dir reden
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CIKADA
2L/2L-116-SABD(hybrid SACD, BD-A)




このアルバムで演奏されているのは、ドイツの作曲家、カロラ・バウクホルトという人の作品です。タイトルは曲名ではなく、アルバム全体のコンセプトなのでしょう。二人称の代名詞である「du」の3格の「dir」の頭文字が大文字なのはネイティヴの人にとってはすこし古臭く感じられるはずですから、「そなたと話さねばならぬ」でしょうか。べつにソナタが演奏されているわけではありませんが。
演奏しているのは、「チカーダ」という10人のメンバーが集まって1989年に作られたノルウェーのアンサンブルです。その内訳はフルート、クラリネット、弦楽四重奏、コントラバス、ピアノ、打楽器、そして指揮者です。「現代音楽」に特化したレパートリーで継続して演奏活動を行っていて、創設以来、メンバーは全く変わっていないのだそうです。
彼らとバウクホルトとの出会いは、2007年にケルンで行われたコンサート。実は、彼らはその2年ほど前からバウクホルトの作品を演奏していたのですが、そこで彼女の「Keil(くさび)」という2000年に作られた曲が演奏された時には、作曲者自身も含めてその周りの人たちは、この曲のことすらもほとんど忘れかけていたそうです。しかし、その演奏を聴いて、今までになかった新しい息吹が作品の中あることにに気づいて驚いてしまったのだそうです。
そして、2009年にはチカーダからバウクホルトに正式な委嘱のオファーが届きます。それに応えて2011年に作られた「Laufwerk(運転機関)」と、2013年に作られた「Sog(引き波)」、さらに、先ほどの「Keil」と、1995年の作品「Treibstoff (燃料)」の4つの作品が、ここでは演奏されています。委嘱作の2つは彼らの本来の編成で作られていますが、それ以前の作品ではヴァイオリンが1人少ない9人編成になっています。
いずれの作品も、ピアノはプリペアされていますし、管楽器も弦楽器も特殊な奏法が使われていて、サウンド自体がとても刺激的ですが、おそらく弦楽器奏者あたりが、「声」で参加しているシーンが時折現れます。それが、先日の「Song Circus」とは全く別の個性を発揮していて、何か温かさのようなものを感じさせてくれています。決して「聴きやすい」作品ではありませんが、この素晴らしい録音でそのような未知のサウンドに包まれているうちには、なにかとても新鮮な感情が心の中に湧き起ってくるはずです。騙されたと思って、そんな体験に身を委ねてみて下さい。
このパッケージには、いつもの通りSACDとBD-A(24/192)の両方が入っています。もちろん、今までの経験ではBD-Aの方がはるかに優れた音が聴けることが分かっているので、SACDはまず聴くことはなかったのですが、最近5.6MHzのDSDが聴ける環境が整ったので、比較の意味で2.8MHzのDSDであるSACDも聴いてみました。
聴き比べたのは、「Treibstoff」の冒頭部分、まるでタンゴのようなリズムを産み出すコントラバスに乗ってミニマルっぽいパルスが続くという音楽ですが、そこに先ほどの「声」によって「ツッツクツッ、ツッツクツッ」というヴォイパが加わっています。それが、BD-Aと5.6DSD(ダウンロード)でははっきり人の声と認識できるのですが、SACDではそれがよく分からないのですよ。この部分だけで、SACDはオリジナルの情報からの欠落がかなりあることが分かります。
それをさらに確認するために、同じレーベルのアイテムでもリリースされたのが2005年という、まだ24bit/48kHzのフォーマットで録音されていた音源をSACDにしたものの中の「Immortal Bach」のトラックを、ネットにサンプルがあった5.6DSDのファイルと比較してみたら、全然別物の音でした。つまり、24/48のPCMでさえ、DSDにトランスファーした際に5.6では受け継がれた情報が、2.8では欠損していた、ということになります。2.8DSDは24/48PCMよりも劣っていたのです。そしてそれは、ショルティの「指環」が、24/44.1のBD-Aの方がSACDよりいい音だったという事実と見事に合致するのです(あくまで、個人的な感想です)。

SACD & BD Artwork © Lindberg Lyd AS
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by jurassic_oyaji | 2016-06-16 20:44 | 現代音楽 | Comments(0)
Anatomy of Sound
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Song Circus
2L/2L-117-SABD(hybrid SACD, BD-A)




このジャケットの不気味なこと。一見、最近はやりの「羽根のない扇風機」のようですが、これは女性の顔の表皮を切り取ったら、その先は漆黒の闇だったという、まるでダリのようなシュールな世界ですね。あんなにしつこくはありませんが。このジャケットにだけ魅せられて、全く未知の演奏家と作曲家にもかかわらず、注文したものの、発売日は何度となく延期されてなかなか入手できないでいたアイテムです。それにしても、「サウンドの解剖学」などというタイトルも、とてもそそられるものですね。
やっと手元に届いて、その全貌が分かった時には、何ともとらえどころのない気がしました。演奏している「ソング・サーカス」というのは、リヴ・ルーネスダッテルという人が芸術監督を務め、彼女自身もメンバーであるノルウェーの女声アンサンブルの名前です。一応メンバーとして6人の名前がクレジットされています。演奏されている作品は、どちらもこれが初録音となるノルウェーの2人の作曲家による2つの作品、ルーベン・スヴェッレ・イェットセンの「Landscape with Figures」と、オーレ=ヘンリク・モーの「Persefone」です。そして、それぞれの曲には、「ソング・サーカス」とは別の人が「バトニスト」というクレジットで指揮を担当していることも分かります。「バトニスト」などという言葉は初めて聞きましたが、要は「棒振り」ですね。このように言うと、ただ棒を振って指示をしているだけのような、なにか機械的な作業のような感じがしてしまいます。そのような演奏家の布陣、そして曲目についてのかなり抽象的なコメントと、それだけの情報ではいったいどんな音楽がここから聴けるのかは全く想像できません。
イェットセンの作品のタイトルは、「Landscape with Figures(形のある風景)」という、全部で12の部分から成る45分ほどの大曲です。ここでは、「ソング・サーカス」のメンバーと一緒に、作曲者のイェットセン自身がエレクトロニクスで演奏に参加しています。具体的には電子音源や、録音された自然の音源などを適宜流すということ、それと、もしかしたらシンガーたちの声の変調にも関わっているのかもしれません。
ここでの「声」の扱いは、今となっては懐かしいかつての「前衛音楽」でよく見られたようなものでした。例えばリゲティの「アヴァンチュール」やべリオの「セクエンツァ」のように、それは決してメロディを歌い上げることはなく、単なる「音」として扱われているのです。それでも、これらの前世紀の作品にはまだかろうじて残っていた声帯を通して出てくる音(つまり「声」)をメインに使うという姿勢さえも、ここではきっぱり放棄され、口のまわりのあらゆる器官を総動員して出されるさまざまなパーカッシブな音の方を重視するというスタンスがとられます。これは、リゲティやべリオの時代には存在していなかった「ヴォイス・パーカッション」の影響もあるのかもしれません。
一応テキストらしいものは用意されているそうですが、それはおそらくあまり深く考える必要はないのではないでしょうか。聴く者は、あくまで「風景」と化した音の中を、バックに流れる具体音とともにさまよっていれば、これらの全く「意味」を剥奪された「声」の中から、逆に「声」にとって「言葉」、あるいは「意味」がいかに不可分のものであったかを悟るはずです。
この曲の終わりには、叩きつけるような雨音が聴こえてきます。それも、これまでにあった具体音と同じものか、と思っていると、全く切れ目なしに次の曲が始まっていました。その、モーの「Persefone」という作品は、5人の女声と、この前エシェンヴァルズの曲を聴いたときにも登場していた「ワイングラス」のために作られています(ということは、メンバーは1人外れる?)。こちらは、前の曲よりはもう少し「声」を大切にした作られ方がされていると感じるのは、おそらくそのワイングラスのピュアな響きのせいでしょう。

SACD & BD-A Artwork © Lindberg Lyd AS
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by jurassic_oyaji | 2016-06-14 21:06 | 現代音楽 | Comments(0)