おやぢの部屋2
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カテゴリ:現代音楽( 159 )
実験工房
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園田高弘(Pf)ほか
NAXOS/NYNG-013




先日の立花隆の著作「武満徹・音楽創造への旅」の中では、武満の事実上のデビュー作品と言える「二つのレント」に関して、とても興味深い事実が明らかにされていました。
それは、
「いま出ている『二つのレント』は、友人の福島和夫が保存していたスケッチから復元したもので、オリジナルとはちょっと違うんです」(43ページ)

とか、
「(この曲のいろんなバージョンが)何十とあります。だけどいずれにしてもそのころ書いたものは、みんな無くなってしまったんです。かろうじてひとつだけ、福島の家のピアノの裏に捨ててあったものが残っていた」

といった武満自身の言葉を受けて、
「『二つのレント』の楽譜もいつのまにかなくなってしまった。今ある譜面は、福島和夫のところに残っていたスケッチから、武満が再現したもので、『リタニ』とタイトルが変えられている」(91ページ)
という立花の記述によって語られている事実です。


それは、1989年(資料によっては1990年)に作られ1990年にショット・ミュージックから出版されたその楽譜の冒頭に記されている
「この作品は、1950年に作曲された《二つのレント》―その原譜は紛失された― を、作曲家の記憶をたよりに再作曲されたものである」

というコメントからも裏付けられます。
となると、ここで一つの疑問が浮かびます。現在ではその「原譜が紛失された」とされる「二つのレント」の、間違いなく「紛失後」に録音されたものがいくつか存在しているのですが、それはいったいどんな楽譜を使って演奏されていたのでしょう。
その疑問は、1982年にその最初のものをFONTECに録音した藤井一興自身のこちらの話によって氷解します。彼は「福島和夫が保存していたスケッチ」をコピーしたものを使って録音していたのですね。さらに、この時点で武満はこの曲の存在も忘れていたのですから、そのコピーに対して改訂を行うことなどはあり得ません。付け加えれば、この曲の録音はその時に限って許可を与えた、と。
そして彼の没後の2000年の高橋アキ(EMI)と2006年の福間洸太朗(NAXOS)の録音などへと続くことになるのですが、リンクでの藤井の話にある通り、高橋は間違いなくこの楽譜を使って録音したのでしょうし、聴き比べた限りでは福間も同じものを使ったように思えます。
そんなことを調べている中で見つかったのが、この2013年にリリースされたCDです。これは、このレーベルの「NHK『現代の音楽』アーカイブシリーズ」の最後に「特別篇」としてリリースされたもので、メインはNHKでこの番組が始まった1957年に録音された園田高弘による音源なのですが、なんとその中に「二つのレント」の二曲目が収録されているのです。初演から7年しか経っていない頃なので、おそらく、まだ「紛失」されてはいなかったオリジナルの楽譜を使っての演奏のはずですから、これはとても貴重な「記録」です。
そこで、オリジナルとは大きく変わっている(最初のテーマから「F#-D-C#」の音型が「F#-C#-A」に!)「リタニ」の2曲目の楽譜を頼りにこの1957年の録音と、さっきの1982年以降の録音を比べてみると、それらはほぼ同じものであることが分かりました。ただ、聴いただけで明らかに異なっていると分かる部分が、とりあえず2か所見つかりました。それは、

  • 8小節目の最後、1982年以降のものにはフェルマータのあとに「G-D」という単音のフレーズが入っていますが、1957年の楽譜ではそれがありません。
  • 14小節目の後半、「リタニ」とは異なり早い下降音型は中断しないで一気に最後まで続いていますが、この長さが双方では少し異なっています。

ですから、この2種類の演奏の楽譜が別のものであることは間違いありません。それが、初演に使われた楽譜と、そのスケッチ(あるいは別バージョン)、という位置づけになるのでしょう。
これで、「二つのレント」の様々なバージョンの正体が、まるでレントゲンで見たようにはっきりしたのではないでしょうか。

CD Artwork © Naxos Japan, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-03-16 00:20 | 現代音楽 | Comments(0)
RZEWSKY/The People United Will Never Be Defeated!
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Ursula Oppens(Pf)
Jerome Lawrenthal(Pf)
CEDILLE/CDR 90000 158




英語だとテイラー・スウィフトのヒット曲「We Are Never Ever Getting Back Together」のような感じのこの曲のタイトルは、直訳すると「団結した人民は決して敗れることはない!」なのですが、普通は「不屈の民」という邦題で呼ばれています。やはり「私たちは絶対に絶対にヨリを戻したりしない」という直訳型のタイトルは、これが日本に広まった1970年代には抵抗があったのでしょうかね。この邦題は、高橋悠治が1977年に日本初演を行った時にはすでに付いていたものですから、おそらく彼が命名者なのでしょう。もちろん、彼が1978年に録音したLPでも、1979年に出版された楽譜でもその日本語タイトルは使われていましたから、もはやそれ以外はないということでこれがすっかり定着することになります。そう言えば、かつてラジオのクラシック番組でこの曲を「ジェフスキ作曲『流浪の民』」と紹介していた音楽評論家がいたことを思い出しました。これも原題は「Zigeunerleben」ですから、直訳すれば「ジプシーの生活」とでもなるのでしょうが、今では「流浪の民」以外の呼び名など考えられません。
日本初演は悠治ですが、この曲を委嘱して世界初演を行ったのはアメリカのピアニスト、アーシュラ・オッペンスでした。そもそもは1976年のアメリカ建国200周年記念リサイタルで、ベートーヴェンの「ディアベリ変奏曲」と一緒に演奏するためにジェフスキに委嘱したものでした。しかし、1975年に完成された曲はあまりに長く、そして難しかったため、結局彼女は「ディアベリ」はあきらめ、これ1曲だけでリサイタルを行ったのだそうです。そして、彼女は今に至るまで、その2曲によるリサイタルを行ってはいません。
というのは、クセナキスの作品のCDで一躍有名になった日本のピアニスト、大井浩明さんからの情報です。そこで大井さんは、アメリカ建国240周年となる今年、その因縁のカップリングによるコンサートを開催するのだそうです。さらに、この曲の最後にテーマが再現される直前には即興演奏によるカデンツァを挿入するという指示がありますが、そこに上野耕路さんが作ったカデンツァが演奏されることになっています。3月27日(日)15時から、会場は原宿の「カーサ・モーツァルト」です(以上、情報提供とのバーターで宣伝させていただきました)。
一方のオッペンスは、やはり悠治と同じ年にこの曲を録音していましたが(録音したのは悠治の方が先)、それはこちらにも書いたように、数あるこの曲の録音の中でも最も演奏時間の短いものでした。
そのオッペンスが、なんと初演から40年経ったということで、この難曲をもういっぺん録音したというではありませんか。彼女は1944年の生まれ、最初の録音の時こそまだ30代でしたが、今回録音した2014年にはもう70歳という「古希」を迎えていたのですから、いったいどんな演奏なのかはとても気になります。確かに、この年代になればピアニストには独特の「枯れた」味が出てくるものですが、それはこの曲にとっては決してプラスに働くものではありませんからね。
しかし、それは全くの杞憂でした。今回は前回には演奏していなかったカデンツァをしっかり入れてますから、トータルの演奏時間は50分43秒ですが、カデンツァの分2分38秒を引くと48分5秒となって、自身の持つ世界最速記録49分17秒を48秒も縮めて、記録を更新していたではありませんか。これは恐るべきことです。
しかも、その演奏にはそんな「速さ」を感じさせない余裕のようなものすら加わっていました。テーマの歌わせ方がとてもたっぷりしているんですね。凄い演奏です。
カップリングで、ジェローム・ローウェンタールとの連弾で、この録音のためにジェフスキが書き下ろした「Four Hands」という新作が演奏されています。4つの楽章から成る、やはり衰えを知らない作曲家の筆致が冴えた曲ですが、第2楽章の「拍子なしで」という指示の曲が、年相応の枯れた味を出しています。

CD Artwork © Cedille Records
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by jurassic_oyaji | 2016-03-13 23:35 | 現代音楽 | Comments(0)
Birds of Paradise
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Bart Van Reyn/
Octopus Chamber Choir
Et'CETRA/KTC 1529




「オクトパス室内合唱団」というベルギーの合唱団の新しいアルバムです。全く聞いたことのない名前の合唱団ですが、2000年にここでも指揮をしているバルト・ファン・レインによって作られた、まだ新しい団体です。なんでも、この合唱団は100人程度の「大きな」合唱から、24人ぐらいの「室内」合唱まで、さまざまな需要に対応できるような形をとっているのだそうです。名前も、今回のように小編成の時には「オクトパス室内合唱団」ですが、大編成になると「オクトパス・シンフォニー・コーラス」という名前になって、オーケストラとの共演なども行っているということです。メンバーはプロとセミプロが半々、さらには、プロを目指す学生たちがキャリアを積むための場としても提供されているのだそうです。もちろん、レパートリーはバロックから現代までをカバーしています。それにしても、「オクトパス」というのはユニークなネーミングですね。そのような多方面の活動を、「8本足」の軟体動物に喩えているのでしょうか。
指揮者のファン・レインは、かつてはフリーダー・ベルニウス指揮のシュトゥットガルト室内合唱団のメンバーだったこともあるまだ若い指揮者ですが、この世代の注目株、合唱団だけではなく、2012年にはピリオド・オーケストラも設立していますし、オペラの分野でも活躍していて、それこそ「蛸」のような多岐にわたる仕事で注目を集めています。
この合唱団のサイトではいくつかの音源が聴けるようにはなっていました。その中に、大好きなマーラーの「Ich bin der Welt abhanden gekommen」をクリトゥス・ゴットヴァルトが無伴奏の合唱に編曲したものがあったので聴いてみたら、なぜか聴こえてきたのは同じ編曲者による「Die zwei blauen Augen」という、「交響曲第1番」の中にも使われている歌の方でした。何とアバウトなサイト運営、と思ったのですが、その演奏はかなりショッキングなものでした。ゴットヴァルトの編曲というのは、あのリゲティの「Lux aeterna」という、16の独立した声部を持つ作品のようなクラスター風のサウンドを再現しようというコンセプトで作られていて、普通はかなり大人数で歌われています。それを、この音源ではそれぞれのパートを一人ずつで歌っていたのです。そんなことが可能だったんですね。とてつもない合唱団が出てきたものです。ここでの合唱団のクレジットは「オクトパス・ゾリステン」でした。「室内合唱団」より小さなユニットもあったのですね。
2015年の2月に録音されたばかりのこのCDでは、「鳥と楽園」というタイトルで、ジャケットには15人の作曲家の名前が書いてありました。その一番上にはモーリス・ラヴェルの名前がありますから、このタイトルはここで歌われている彼の「Trois chansons」の2曲目「Trois beaux oiseaux du Paradis」から取られていることが分かります。そのような、「鳥」に関係のある小さな合唱曲が15曲、この中では演奏されているということです(インレイでは16人の名前がありました。ジャケットで抜けていたのはジェラルド・フィンジ、ウェブサイト同様、このスタッフにはちょっと抜けたところがあります)。
最初に聴こえてきたその「3羽の楽園の美しい鳥たち」も、さっきのマーラーのような衝撃が与えられるものでした。まずは、録音が非常に素晴らしく、そのピュアなサウンドはSACDだと言われても信じてしまうほどのものでした。合唱はとても磨き抜かれた響きで各パートがきっちりと際立って聴こえてきます。そこに入っているソリストが、やはり芯のある、それでいて合唱ともよく調和しているクオリティの高さで迫ります。この曲の持つメッセージが、そこからは的確に伝わってくるという、とても強靭な「力」を感じる演奏です。
そんな、それぞれに確実にインパクトが感じられる曲があと15曲も続きます。たとえばメンデルスゾーンの「森の小鳥」でさえ、そのインパクトは際立っています。

CD Artwork © Quintessence BVBA
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by jurassic_oyaji | 2016-03-03 23:16 | 現代音楽 | Comments(0)
World of Percussion
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Thierry Miroglio(Perc)
NAXOS/8.573520




毎月膨大な数の新譜をリリースしているこのレーベルですが、そのほとんどのものが全く聴いたことのない作曲家の作品だ、というのは驚くべきことです。CDが売れなくなってきていると言われて久しい昨今ですが、このようにこれまで全く顧みられることがなかった作曲家の紹介を続けるうちには、きっととんでもないヒットを呼ぶ宝物を探し当てることができるかもしれませんね。ま、できないかもしれませんが。
この「パーカッションの世界」というCDに収められている6人の作曲家の、それぞれこれが世界初録音となる作品を聴いていくと、もしかしたら次第にそういうものでも聴いていて楽しい気持ちにさせられるものがあることに、気づくことがあるかもしれません。もしそうだとしたら、まずここで演奏されている曲の半分には打楽器だけではなく「エレクトロニクス」も加わっていることに、その要因があることを否定するわけにはいかないのではないでしょうか。実際には、ここでの表記は「electronics」だったり「chamber electronics」だったり、あるいはそっけなく「computer」というものですが、それらは全く同じ「コンピューターで作った電子音」のことです。ですから、このアルバムのタイトルからはちょっと「反則」気味のところがあるのですが、まあそれは我慢していただくしかありません。
しかし、そうは言っても、1曲目のブルーノ・マントヴァーニの作品「Le Grand Jeu」は、聴いていてあまり気持ちがいいものではありませんでした。タイトルにある「Grand Jeu」というのは、フランスのオルガンのパイプ(ストップ)の名前で、リード管の一種、これをタイトルにして、そのストップで演奏することを指定している曲がバロック時代にはたくさんありました。しかし、これは「エレクトロニクス」の何とも刺激的な音色とフレーズがやかましすぎて、眼前にはゾンビや食虫植物のようなものがクローズアップで現れてきますから、気持ち悪いのなんのって。
しかし、2曲目のマルコ・ストロッパの「Auras」という曲は、うってかわって繊細な世界が広がるものでした。こちらはいたずらに「チェンバー・エレクトロニクス」に頼ることはなく、例えばヴィブラフォンの鍵盤を弓でこすったりして、まるでグラス・ハーモニカのような音を出すような、とてもしっとりとした味わいを楽しめます。この作曲家と、そしてそれを演奏しているティエリー・ミログリユは、打楽器には暴力的な面があると同時に、しっとりとした抒情性までも表現できるほどの幅広さもそなえているのだ、ということを身をもって知らしめているのかもしれません。
3曲目は、指揮者としても有名なハンガリーの作曲家、ペーテル・エトヴェシュの「Thunder」です。これは、ティンパニだけによって演奏されている作品です。この楽器はペダルを使うことによって連続的にピッチを変えることが出来ますから、そんな機能を縦横に使って、ただの「雷鳴」だけではない、もっと多彩な表現を追求しています。
4曲目は、今度はヴィブラフォンだけによる演奏でやはり往年の指揮者として有名だったこの中では最年長、もちろん物故者のルネ・レイボヴィッツの「3つのカプリース」です。1966年に作られた作品で、当時はクラシックとしてはとても珍しいこの楽器のソロのための曲でした。ここでは、「打楽器」というよりは、単に「鍵盤楽器」として、今では死に絶えた「12音」による無調の世界が堪能できます。
5曲目、フィリップ・エルサンの「3つの小さなエチュード」もティンパニのためのもの。なんでも、ゲーテの「ファウスト」を素材にしたベルリオーズとシューベルト、そしてグノーの3つの作品を「元ネタ」にしているというものです。グノーの「兵士の合唱」だけはとても平易な引用で、よく分かりました。
最後のジャン=クロード・リセの「Nature contre Nature」は、やはり「コンピューター」が加わっていますが、遊び心にあふれた機知に富む作品でした。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-02-28 22:43 | 現代音楽 | Comments(0)
上野耕路/NHK土曜ドラマ「逃げる女」オリジナルサウンドトラック
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大井浩明(Pf, OM, Keyboards)
NHK/NGCS-1063




上野耕路さんという作曲家の名前は、映画やドラマの音楽でよく目にしていました。最近では「MIRACLE デビクロくんの恋と魔法」とか「マエストロ!」の音楽を担当されていましたね。
そんな上野さんが担当したテレビドラマの音楽に、ピアニストの大井浩明さんが参加しているという情報を、ご本人からの情報メールによって知ることが出来ました。大井さんと言えば、かつてクセナキスの難曲「シナファイ」を見事に弾ききったピアニストとしてほとんどアイドル的な存在でしたが、最近では例えば一柳彗のピアノ曲全曲演奏とか、やはり精力的に「秘曲」の発掘など精力的な活動をなさっているようです。
その大井さんのメールによれば、そのドラマの音楽ではオンド・マルトノも弾いていたというのですね。かつてN響でデュトワがメシアンの「神の降臨のための3つの小典礼」を演奏した時にオンド・マルトノを演奏されていたので、こんな楽器まで演奏しているんだ、と思ったものです。
ですから、大井さんの最近の演奏、中でもオンド・マルトノによるものを聴いてみたかったので、そのドラマのサントラ盤を入手してみました。まずクレジットをチェックして驚いたのが、そのオンド・マルトノが日本で作られていたということです。それは、「浅草電子楽器製作所」という、まるで「下町ロケット」にでも登場するような社名の会社でした。モーリス・マルトノが作ったこの楽器は、彼のアトリエでずっと作られ続けていたのですが、最近はもはや新しい楽器を作ることが出来なくなっていたということで、そんな日本の会社に背中を借りるようになっていたのでしょうか(それは、「オンブ・マルトノ」)。
サントラを作っている上野さんというのは、かつては「ゲルニカ」というバンドをやっていたそうです。戸川純という、今だと椎名林檎みたいな悪趣味なヴォーカルが参加してましたね。歌は大っ嫌いでしたが、音楽そのものは適度に尖がっていてなんか気になるバンドでした。その上野さんが、今では映画音楽になくてはならない人となっているようで、こんな形でその音楽を面と向かって聴くのはとても楽しみでした。
演奏しているメンバーは、木管五重奏プラス弦楽五重奏という、基本クラシックのユニットと、ドラムスやパーカッションのリズム隊、そこに、大井さんのピアノやキーボードがほとんどの曲で加わるという編成です。想像していた通り、サティとかメシアンを思わせるようなテイストがプンプン感じられるような音楽が、まずベースになっているような気がします。メイン・テーマとかエンディング・テーマのような、はっきりとしたコンセプトを示す必要のある曲では、そういう感じのメロディアスな作り方がされているようでしたね。そのエンディング・テーマで登場するのが、オンド・マルトノです。6/8の拍子に乗って、美しいのだけれどどこか醒めたところのあるメロディが、最初にオンド・マルトノのソロで歌われます
その他にも、それとは全くテイストの異なる曲も用意されているというのは、ドラマのシーンによってさまざまに使われるような「需要」を満たすものなのでしょう。中には、ゴングやスティールパンなどのパーカッションだけで演奏されているものもあって、音だけで聴くとそれがほとんどメシアンのように聴こえるのが面白いところです。
実は、このドラマは見てはいなかったのですが、これを聴いてあわててまだ放送されていた最終回だけを見てみました。そうなると、音楽が見事に主張をかくしてドラマに奉仕し始めているのがよく分かります。これはなかなかのセンスではないでしょうか。ただ、これはある意味サービス精神の表れなのでしょうが、トラック13の「絶望」というタイトルの曲は、あまりにいかにもな甘ったるさで、ちょっとがっかりさせられます。

CD Artwork © NHK Publishing Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-02-22 21:57 | 現代音楽 | Comments(0)
HILLBORG/Sirens
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Ida Falk Winland, Hannah Hlgersson(Sop)
Eric Ericson Chamber Choir, Sweden Radio Choir
Sakari Oramo, David Zinman, Esa-Pekka Salonen/
Royal Stockholm Philharmonic Orchestra
BIS/SACD-2114(hybrid SACD)




1954年生まれのスウェーデンの作曲家、アンデシュ・ヒルボリの最新のオーケストラ曲を集めたアルバムです。全4曲、これが世界初録音となります。
1曲だけ2013年の11月に録音されていますが、残りの3曲の録音は2014年の11月です。その時の指揮者がこのオーケストラの首席指揮者のサカリ・オラモなのはわかりますが、さらにエサ=ペッカ・とサロネンという大スターも加わっているというので、ただの録音にしてはなんとずいぶんぜいたくなことでしょう。その前の年に録音された時にはデイヴィッド・ジンマンという、やはり大物も指揮をしていましたし。実はこれは録音場所であるストックホルム・コンサートホールで1986年から開催されている「ストックホルム国際作曲家フェスティバル」というイベントで、2014年にはヒルボリの作品が集中的に演奏されたからです。その時には5つのコンサートで彼の25の作品が紹介されていたのですが、その時に、3曲だけお客さんのいないホールでのセッションによって録音されていたのです。ジンマンもサロネンもオラモも、それぞれが指揮をしている作品の初演を担当した人たちでした。
そんな、言ってみれば「人気」作曲家の作品は、以前こちらで1曲だけ聴いたことがありました。「Mouyayoum」という1985年頃に作られた無伴奏の合唱曲ですが、これがもろスティーヴ・ライヒの作品のモティーフをそのまま流用したものであるのに驚いたことがあります。どうせパクるならもっとうまくやったらいいのに、と。
ですから、今回のアルバムのメインタイトルにもなっている、2011年に作られた演奏時間33分という最も大きな作品「Sirens」の中に、やはり同じライヒの、例えば「Music for 18 Musicians」の基本的な要素である細かいパルスが登場していたのを聴いたときにも、「まだこんなことをやってるなんて」という正直な気持ちが沸き起こったのは当然のことです。
LAフィルとシカゴ交響楽団からの共同委嘱で作られ、サロネンによって初演されたというこの作品は、編成も大規模、大オーケストラにソプラノ歌手二人と混声合唱が加わります。弦楽器のとても繊細なクラスターに乗って合唱が歌い出した時には、それはまるで20世紀半ばの「シュプレッヒ・ゲザンク」のような雰囲気を持っていました。子音だけでささやかれるひそひそ声は、なにかとても懐かしい、往時の「現代音楽」をしのばせるものでした。しかし、その合唱は次第に柔らかさを増し、何か癒されるような穏やかなものに変わります。そこにソプラノのソリストが2人、お互いに右と左のかなたから呼び交わすというシーンが始まり、そこにはまるで21世紀のアルヴォ・ペルトの世界が広がります。
ライヒの模倣が始まるのは、12分ほど経ったあたり。それは確かにそれまでの音楽との対比を見せるものでした。おそらく、この作曲家の中では、もはやこの様式はほとんど自分の中に同化しているのでしょうね。
彼の中に「同化」しているのは、ライヒだけではありません。ここで演奏しているロイヤル・ストックホルム・フィルとイエテボーリ交響楽団、さらには北ドイツ放送交響楽団という3者からの委嘱で作られ、おそらく先ほどの作曲家フェスティバルで初演されたであろう2014年の作品「Beast Sampler」では、なんとクセナキスやリゲティのまさに「野獣的」なサウンドがそのまま「サンプリング」されているではありませんか。正直、それらはオリジナルの表面的な過激さだけを模倣したに過ぎない、「換骨奪胎」そのものの仕上がりです。
ここでは、SACDならではのとても澄み切った弦楽器の響きの中で、かつては「前衛」と言われていたイディオムたちが、「ネオ・ロマンティック」とでも言えるなんともくすぐったいテイストに丸め込まれてしまう様を味わうことができます。この時代の、ある意味最先端の「現代音楽」がこんなものだなんて、どうかしています。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2016-02-04 23:18 | 現代音楽 | Comments(0)
TARNOW/Theremin Sonatas
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Carolinea Eyck(Th)
Christopher Tarnow(Pf)
GENUIN/GEN 15363




以前こちらで聴いていた、いまや世界一のテルミン奏者として大活躍している1987年生まれのドイツの美人テルミニスト、キャロリナ・アイク(エイクとも表記)のソロアルバムです。クラシックのみならず、幅広いジャンルの音楽家とのコラボレーションを展開している彼女ですが、今回はいともまっとうなピアノとテルミンのために作られた「テルミン・ソナタ」です。
その曲を作り、ピアノで彼女と共演しているのが、1984年生まれのピアニスト、作曲家のクリストファー・タルノフです。これは、彼がキャロリナとの共同作業の中で作り上げた2曲の「ソナタ」と、2曲の「インテルメッツォ」の世界初録音のCDです。
それぞれの曲の正式なタイトルには、「テルミンとピアノのための」という言葉が入っています。ここでのピアノ(もちろん、タルノフ自身が演奏しています)は、単なる伴奏ではなく、どちらかというと「主役」を演じているのではというほどの存在感があります。「ソナタ」では、まずはピアノだけの演奏が延々と続き、そこにおもむろにテルミンが入ってくるという感じ、それからは、それぞれの楽器がお互いに目いっぱい主張しあうバトルが展開されています。
いずれの曲も、作風はドビュッシーやメシアンを思い起こさせるようなテイストの和声、というか、モードに支配されたもので、決して古典的な味わいではないものの、いわゆる「現代音楽」と言われていたような日常の音楽体験から遠く離れた要素は皆無で、安心して音に身を任せられる音楽です。それにしても、ピアノの音の多さには、それだけである種の快感が味わえます。
一方のテルミンは、もはやメソッドも、そして楽器そのものも、この楽器が世に出た時代のものからは大幅に様変わりしていることがはっきりわかります。世界初のテルミニストだったはずのクララ・ロックモアの演奏は非常に良い音で録音されたものが残っていますが、それを聴く限りでは例えば普通の弦楽器や管楽器と同じフレーズを演奏している時には「こんなプリミティブな楽器で、よくここまでやれるね」という、ほとんど憐憫の情しか感じられないものが、彼女から2世代ほど経たアイクの場合はもうそんなことは当たり前という境地にまで達するようになっているのですからね。
さらに、ここでは「単音」しか出せないはずのこの楽器から、なんと「2つの音」を同時に出しているという信じられないことを、彼女は「ソナタ」の中で行っています。これについては、CDの中にボーナストラックとして収録されている「Carolina Eyck on Composing for Theremin」という20分程度の映像が、その「謎」を解き明かしてくれています。
彼女は、SNSを多用して、このような映像を日常的に発信しており、これはその中の一つなのですが、ここでは彼女が実際に彼女の楽器「イーサーウェーヴ・プロ」を操りながら、様々な「企業秘密」を惜しげもなく公開しています(別に秘密にしなくてもいーさ)。そこで明らかにされているのが、「エフェクター」の存在です。彼女の足元には、ロック・ミュージシャンさながらのエフェクターがズラリと並び、テルミンの音をさらに豊かで多彩なものに変えているのですね。そんなエフェクターの中に「ハーモナイザー」もありました。これがあれば、単音に音程の異なる音を重ねることができるのです。さっきの「2つの音」は、これで4度や5度上の音を加えていたのですね。
そもそも、テルミンの原理を応用して、そこにキーボードを付けた楽器が「オンド・マルトノ」なのですが、彼女の演奏を聴いているとまるでそのオンド・マルトノとそっくりな音が聴こえてきます。彼女だったら、メシアンの「トゥランガリーラ交響曲」のオンド・マルトノのパートでも、彼女の楽器でやすやすと弾ききってしまえるのではないか、という気がしてきました。もしかしたら、そう遠くない将来に、そんな面白いことをやってくれる日が来るかもしれませんね。

CD Artwork © Genuin Classics
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by jurassic_oyaji | 2016-01-02 20:39 | 現代音楽 | Comments(0)
HOSOKAWA/The Raven
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Charlotte Hellekant(MS)
川瀬賢太郎/
United Instruments of Lucilin
NAXOS/NYCC-27298




本来なら「日本作曲家選輯」シリーズの一環としてリリースされるはずの細川俊夫の作品がこんな体裁でリリースされたのは、このシリーズがついに終焉を迎えたのだという意味に受け取っていいのでしょうか。これでまた一つ、レコード業界の「良心」が潰え去りました。
今回は、日本語では「大鴉(おおがらす)」というタイトルになっている、2011年から2012年にかけて作曲された作品が収録されたアルバムです。うどんに一振り(それは「とおがらし」)。委嘱したのは現代音楽を専門に手掛けるルクセンブルクのアンサンブル「ユナイテッド・インストゥルメンツ・オブ・ルシリン」。2012年の3月17日に作曲家自身の指揮によりベルギーのブリュッセルで初演が行われました。その後、同年の10月25日にアムステルダムで行われた公演で指揮を任された川瀬賢太郎とこのアンサンブル、そして、初演の際のソリストでこの作品を献呈されているメゾ・ソプラノのシャルロッテ・ヘレカントは、2014年に東京の津田ホール(10月27日)と広島のアステールプラザ(10月30日)での日本公演を行いました。このCDは、広島での公演の前日と翌日、同じホールでのセッションで録音されたものです。
「大鴉」というのは、有名なエドガー・アラン・ポーの詩です。ある寒い夜、恋人を失って悲嘆にくれている男のもとに、一羽の大鴉が舞い込んできますが、それはただ一言「Nevermore」という言葉を発するだけ。そんな大鴉と対峙して、男は次第に妄想の世界に入っていく、という多くの示唆に富んだ内容を持っています。細川は、それをテキストにして、女声のソリストと12人の楽器奏者による「モノドラマ」を作り上げました。
元の詩が全部で18のスタンザ(連)で出来ていることから、メゾ・ソプラノが歌う部分も18に分かれています。そしてその間には、前奏あるいは間奏と位置付けられる楽器だけで演奏される部分が入ります。このパートは、その場の情景や心象を極めて雄弁に語っています。それは、もちろんテレビドラマに付けられるような底の浅いありきたりな音楽ではなく、もっと根源的に直接感覚に訴えてくるような種類の音楽です。もし、真の意味での「現代音楽」というものがまだ存在しているのであれば、それが持っている非調和の世界の行きついた最も幸福な帰結と言えるものでしょう。
曲全体の中で常に漂っているのは、もしかしたら風の音なのではないでしょうか。それは、最初は文字通り具体的な「ウィンド・マシーン」によってもたらされるものですが、やがてヴァイオリンのハーモニクスや、バスフルートのムラ息などに形を変えて同じような情景描写が担われます。その「風」が男の心の動きとともに振幅を増す時には、バスドラムや金管楽器が強烈にサポートしてくれます。
その、本来「男」が語っている詩を「歌って」いるメゾ・ソプラノは、最初のスタンザでは完全な「語り」として登場します。その最後の行で、それは「歌」としてのピッチとビブラートを持った声に変わります。しかし、続くスタンザではやはり「語り」に戻ってしまいます。そして、もう一度「歌」が現れるときには、それは紛れもない「能」の形を模倣したものになっていました。やがて、それは「能」のテイストもちつつも、ベル・カントとしてのクライマックスに達します。それが17番目のスタンザ。そのあとにアルトフルートで奏されるほとんど尺八のような音楽には、確かな落ち着きがありました。そして最後のスタンザの最後のシラブルが完全に「ささやき」となると、残るのはかすかな風の音だけ、最後に聴こえてくるのは南部鉄器で作られた風鈴でしょうか。
それにしても、全曲45分間が一つのトラックというのは、ちょっとありえません。これが、途中をトラックで切ると音が止まってしまうNMLのバグを配慮してのことだとしたら、本末転倒も甚だしいのでは。それと、曲の前にあるポーの詩の朗読は、全くの蛇足です。

CD Artwork © Naxos Japan, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-12-19 22:17 | 現代音楽 | Comments(0)
PENDERECKI/A sea of dream breathe on me...
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Olga Pasichnyk(Sop)
Ewa Marciniec(Alt)
Jarosław Bręk(Bar)
Antoni Wit/
Warsaw Philharmonic Choir and Orchestra
NAXOS/8.573062




ペンデレツキは、オーケストラや室内楽のための作品の他にも、多くの声楽を伴う作品を作ってきました。ア・カペラの合唱曲もありますね。それらは、初期の作品「スターバト・マーテル」や「ルカ受難曲」のように、ほとんどがラテン語をテキストに用いているか、と思えるものでしたが、ごく最近になってそれ以外の言語でも曲を作るようになっています。そのターニング・ポイントと言えるのが、2005年に作られた「交響曲第8番」だったのでしょう。そこでは、ドイツ・ロマン派の詩人によるドイツ語によるテキストが使われていたのです。
おそらく、それは単にテキストの問題だけではなく、彼の音楽的な転換のポイントにもなっていたのではないでしょうか。それまでの、いわば「死語」であるラテン語で、ある意味日常生活からは超越していた世界にあったものが、日常の言葉を使うことによってその作品にある種の「具体性」が生じることは当然の成り行きです。実際、その「交響曲第8番」からは、例えばマーラーが持っていたようなまぎれもない直接的な感情が溢れ出ていました。それまでに信じられないほどの方向転換を行っていたこの作曲家は、晩年になってさらにその作風に対する舵を大きく切ったのです。
その流れに沿った新たな作品が、この、やはりオーケストラに独唱や合唱が加わった「夢の海は私に息吹を送った...」というタイトルの歌曲集です。ショパンの生誕200周年の記念行事のためにポーランドの国立フレデリック・ショパン協会の委嘱によって作られ、2011年の1月14日にワルシャワで初演されました。その時にはゲルギエフ指揮のシンフォニア・ヴァルソヴィアが演奏を行っています。
今回のCDは、2012年10月に録音されたものです。もちろん、演奏は常連のヴィット指揮のワルシャワ・フィル、ソリストは初演の時とは全員入れ替わっていますが、合唱は初演と同じヘンリク・ヴォイナロフスキ指揮のワルシャワ・フィル合唱団です。
ここでペンデレツキが用いたテキストは、彼の母国語ポーランド語でした。ポーランドの詩人の作品が全部で22篇使われています。それが6曲、5曲、11曲がセットになって、3つの部分を形成しています。そうなると、音楽の中にも「8番」でのドイツ語とは別の、もっと「東ヨーロッパ」風の雰囲気が漂い始めます。いや、もはや「ヨーロッパ」も通り越した「東洋」までもが、その範疇には入っていることを見逃すことはできないはずです。確かに、ここにはハンガリーのバルトークや、さらには日本の武満、細川といった作曲家のエキスのようなものがふんだんに散らばっています。
第1部の冒頭曲が、まさにそんな「異国情緒」たっぷりのものでした。そこにあったのは武満の後期に見られる甘いフルート・ソロ、その武満や細川が得意とする雅楽のような倍音を持つ弦楽器、そして、バルトーク風のメロディ・ラインです。4曲目と5曲目でソプラノとバリトンのソロが入ってくると、そこにはまるでバルトークの「青ひげ」のような世界が広がってはいないでしょうか。
第2部になると、まるでウェーベルンのような静謐なサウンドの中に、無調的なソロが聴こえてきます。これも、今となっては何かノスタルジーを感じないわけにはいきません。このパートを締めくくる曲での合唱は、さらに強い郷愁をそそられるものでした。
第3部では、興味深いタイトルの「詩」が目に付きます。それは「レクイエム:ショパンのピアノ」という、ショパンへのオマージュが語られている4篇の詩です。もちろん、この作品全体の趣旨に沿ったテキストですが、音楽的にもショパンに対する回帰の情が反映されているのは間違いのないことでしょう。
ソリストも情感深い歌を聴かせてくれていますが、何よりも合唱の存在感が、この作品の魅力を作っています。最後にはなぜかラフマニノフの「晩祷」のような東方教会の響きが。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2015-12-05 21:44 | 現代音楽 | Comments(0)
PÄRT/Passacaglia
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Anne Akiko Meyers(Vn)
Elena Kashdan(Pf)
Kristjan Järvi/
MDR Leipzig Radio Symphony Orchestra & Chorus
NAïVE/V5425




クリスティアン・ヤルヴィとMDRライプツィヒ放送交響楽団による「サウンド・プロジェクト」の第4弾なのだそうです。前作では、ひどい編集ミスやクレジットの印刷ミスがあったのであらゆる手を使ってそれを関係者に知らせたのですが、完全に無視されてしまいました。そのような重大な「お客様の声」を全く重視していないのは、今回も性懲りもなくミスプリントを繰り返していることでも分かります。もうこのレーベルは終わっています。
間違っているのは、ソリストのアン・アキコ・マイヤースが参加している曲目のクレジットが、本当は「4曲目から6曲目」のはずなのに、「5曲目から7曲目」になっているのと、その「6曲目」の「フラトレス」のヴァイオリン・ソロが入ったバージョンが作られた年代です。曲目のリストでは(1977/1992)となっているのに、ライナーには「1977年のヴァイオリン・ソロと弦楽合奏のバージョン」と書いてあるのですから、いったいどちらを信じたらいいのでしょう。
ふつう、こういう間違いがあった物が市場に出た時には、こちらのようにひと言「お詫び」を入れるというのが社会常識なのですが、このレーベルと代理店はそれを怠っているか、あるいは、信じられないことですがこれらのミスに気が付かないのですから、最悪です。
ただ、そんな劣悪な会社ではなく、ごく普通の人でも、ペルトが作った「フラトレス」という曲のバージョンの多さには、様々な混乱を抱いてしまうはずです。最近はバーサンもいますし(それは「ウェイトレス」)。そもそも、ものの本ではオリジナル・バージョンとされる「弦楽五重奏と木管五重奏」という編成のものが、ペルトの楽譜を一手に扱っているウニフェルザールのカタログには見当たらないのですからね。そのカタログには、この曲のなんと17種類ものバージョンが載っているというのに。それ以外にも加藤訓子のマリンバ・バージョンもありますし。
指揮者のヤルヴィ一家は、ペルトとは家族ぐるみで親しく交際しているのだそうです。なんたって、このアルバムの中では唯一の「ティンティナブリ以前」の作品である「クレド」を1968年に初演したのがネーメ・ヤルヴィなのですからね。1992年に録音されたネーメ・ヤルヴィとフィルハーモニア管弦楽団とのCHANDOS盤(CHAN9134)では、ここでの息子のアルバムと同じ曲をその「クレド」を含めて4曲演奏しています。
しかし、その演奏と今回のアルバムの息子の演奏を比べてみると、ペルトの音楽に対する姿勢が全く異なっていることに驚かされます。いや、別に親子だからと言って同じような演奏をする必要などさらさらないのですけどね。というよりも、やはり息子としては親とは違うことをやって認めてもらいたい、あるいは長男のパーヴォと同等に扱ってもらいたいと思っているのかもしれませんね。頭髪に関してはこの二人に勝っているのですからいいのではないかとも思うのですが。
その違いは、演奏時間という分かりやすい数字ではっきりと示されています。つまり、どの曲でもクリスティアンの方がパーヴォに比べると極端にテンポが遅いのですよね。それに伴って、表現がかなり粘っこくなっています。言ってみればパーヴォの演奏は「現代風」、クリスティアンの演奏は「ロマンティック」でしょうか。正直、ただでさえ退屈なペルトの音楽でこんなことをやられると、聴いているうちに必要以上の安寧感に襲われてしまうのではないでしょうか。ちょっと寝不足気味の人だったら、確実に眠り込んでしまうことでしょう。
ここでは、「フラトレス」は2つのバージョンが演奏されています。ヴァイオリンのソロが入るものは、最初に長大なソロが加わっているので尺は長くなっているはずなのに、ソロの入らない弦楽合奏+打楽器のバージョンよりも演奏時間が短いのは、やはりソロが入ると相手に気を使ってそんなにテンポを遅く出来なかったせいなのでしょう。なんか、「小物」って感じがしません?

CD Artwork © Naïve
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by jurassic_oyaji | 2015-11-19 20:09 | 現代音楽 | Comments(0)