おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
カテゴリ:現代音楽( 163 )
Anatomy of Sound
c0039487_21032453.jpg




Song Circus
2L/2L-117-SABD(hybrid SACD, BD-A)




このジャケットの不気味なこと。一見、最近はやりの「羽根のない扇風機」のようですが、これは女性の顔の表皮を切り取ったら、その先は漆黒の闇だったという、まるでダリのようなシュールな世界ですね。あんなにしつこくはありませんが。このジャケットにだけ魅せられて、全く未知の演奏家と作曲家にもかかわらず、注文したものの、発売日は何度となく延期されてなかなか入手できないでいたアイテムです。それにしても、「サウンドの解剖学」などというタイトルも、とてもそそられるものですね。
やっと手元に届いて、その全貌が分かった時には、何ともとらえどころのない気がしました。演奏している「ソング・サーカス」というのは、リヴ・ルーネスダッテルという人が芸術監督を務め、彼女自身もメンバーであるノルウェーの女声アンサンブルの名前です。一応メンバーとして6人の名前がクレジットされています。演奏されている作品は、どちらもこれが初録音となるノルウェーの2人の作曲家による2つの作品、ルーベン・スヴェッレ・イェットセンの「Landscape with Figures」と、オーレ=ヘンリク・モーの「Persefone」です。そして、それぞれの曲には、「ソング・サーカス」とは別の人が「バトニスト」というクレジットで指揮を担当していることも分かります。「バトニスト」などという言葉は初めて聞きましたが、要は「棒振り」ですね。このように言うと、ただ棒を振って指示をしているだけのような、なにか機械的な作業のような感じがしてしまいます。そのような演奏家の布陣、そして曲目についてのかなり抽象的なコメントと、それだけの情報ではいったいどんな音楽がここから聴けるのかは全く想像できません。
イェットセンの作品のタイトルは、「Landscape with Figures(形のある風景)」という、全部で12の部分から成る45分ほどの大曲です。ここでは、「ソング・サーカス」のメンバーと一緒に、作曲者のイェットセン自身がエレクトロニクスで演奏に参加しています。具体的には電子音源や、録音された自然の音源などを適宜流すということ、それと、もしかしたらシンガーたちの声の変調にも関わっているのかもしれません。
ここでの「声」の扱いは、今となっては懐かしいかつての「前衛音楽」でよく見られたようなものでした。例えばリゲティの「アヴァンチュール」やべリオの「セクエンツァ」のように、それは決してメロディを歌い上げることはなく、単なる「音」として扱われているのです。それでも、これらの前世紀の作品にはまだかろうじて残っていた声帯を通して出てくる音(つまり「声」)をメインに使うという姿勢さえも、ここではきっぱり放棄され、口のまわりのあらゆる器官を総動員して出されるさまざまなパーカッシブな音の方を重視するというスタンスがとられます。これは、リゲティやべリオの時代には存在していなかった「ヴォイス・パーカッション」の影響もあるのかもしれません。
一応テキストらしいものは用意されているそうですが、それはおそらくあまり深く考える必要はないのではないでしょうか。聴く者は、あくまで「風景」と化した音の中を、バックに流れる具体音とともにさまよっていれば、これらの全く「意味」を剥奪された「声」の中から、逆に「声」にとって「言葉」、あるいは「意味」がいかに不可分のものであったかを悟るはずです。
この曲の終わりには、叩きつけるような雨音が聴こえてきます。それも、これまでにあった具体音と同じものか、と思っていると、全く切れ目なしに次の曲が始まっていました。その、モーの「Persefone」という作品は、5人の女声と、この前エシェンヴァルズの曲を聴いたときにも登場していた「ワイングラス」のために作られています(ということは、メンバーは1人外れる?)。こちらは、前の曲よりはもう少し「声」を大切にした作られ方がされていると感じるのは、おそらくそのワイングラスのピュアな響きのせいでしょう。

SACD & BD-A Artwork © Lindberg Lyd AS
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-06-14 21:06 | 現代音楽 | Comments(0)
PASQUINI/La Sete di Christo
c0039487_21193329.jpg
Francesca Aspromonte(Sop)
Francisco Fernández-Rueda(Ten)
Luca Cervoni(Ten)
Mauro Borgioni(Bar)
Alessandro Quarta/Concerto Romano
CHRISTOPHORUS/CHR 77398




キリストの受難をモティーフにした音楽作品はたくさんありますが(「トゥーランドット」とか・・・それは「女難」)、最も有名なものはバッハの「マタイ受難曲」のように聖書の福音書で語られた受難のシーンをそのままテキストにしたものでしょう。
それとは別に、新たに台本作家が作ったテキストによって受難を描いたというものも、別の流れとして重要な作品がたくさん残されています。その代表的なものはオペラの台本作家として有名なピエトロ・メタスタージオが1730年に書いた「La Passione di Nostro Signore Gesu Cristo(我らが主イエスと・キリストの受難)」をテキストにした多くの作品群です。この台本は元々はアントニオ・カルダーラのために書かれたものですが、その後も多くの作曲家によって18世紀のみならず、19世紀になっても使われるという大ヒット作となりました。
今回の「La Sete di Christo(キリストの渇き)」というタイトルの受難オラトリオは、そのメタスタージオの台本よりも前、1689年に、ヘンデルのオペラ「セルセ」の台本の元になったものを作ったことで知られているニコロ・ミナートによって作られた台本に、ローマで活躍したイタリア・バロックの作曲家、ベルナルド・パスクィーニが作曲したものです。
ミナートの台本では登場人物は、ヴィルジネ(聖母マリア/ソプラノ)、ジョヴァンニ(聖ヨハネ/テノール)、ジュゼッペ(アリマテアのヨゼフ/テノール)、ニコデモ(バリトン)の4人のソリストですが、ニコデモ役の人はイエスとの「二役」を演じます。シチュエーションは、さっきのメタスタージオの場合の少し前、まさにキリストが亡くなる前後のシーンです。言ってみれば、有名な「スターバト・マーテル」のシーンの少し前になるのでしょう。
楽器編成は、ヴァイオリン2本とヴィオラに通奏低音というシンプルなものです。ただ、ここで演奏しているアレッサンドロ・クァルタ指揮のコンチェルト・ロナーノは、通奏低音に多くの楽器を使って、多彩な音色を追求しています。
曲は2つの部分に分かれていて、それぞれの最初には楽器だけでシンフォニアが演奏されます。第1部のシンフォニアは、本当に涙を誘うようなヴァイオリンのフレーズで始まり、それにカノン風に他の弦楽器が追いかけるというもの、これから起こる悲しい出来事を暗示しつつ、それぞれがそれから目をそらすことなく、一緒に悲しさに耐えていこうよ、といった感じでしょうか。
話の口火を切るのは聖母マリア、彼女たちはまさに処刑されようとしている十字架の下にいて、悲しみにくれています。そんな彼女の歌は、しかし、それを歌うソプラノのアスプロモンテの堂々たる歌い方によって、ある種の意志の強さが感じられるものでした。他の3人もそれに合いの手を入れます。
やがて、それぞれの出演者のソロ・アリアが始まると、各々の性格が音楽によって見事に際立つように作られていることが分かります。ヨハネとヨゼフは同じテノールですが、その声の質からして全然違います。ヨハネは少しやんちゃ、それに対してヨゼフはあくまでナイーヴ、ここでのチェルヴォーニはまさにうってつけのリリカルな歌を聴かせてくれます。ボルジォーニが歌うニコデモは、ちょっとにぎやかなキャラ、アリアもメリスマを多用した派手な音楽です。
曲のクライマックスは、なんと言っても第2部の最初、やはり悲しげなシンフォニアの後に無伴奏で歌われるイエスの「Sitio!(喉が渇いた!)」というレシタティーヴォでしょう。ここでのボルジォーネの一声には、皆が凍りつきます。そして、最後、聖母マリアの堂々たるダ・カーポ・アリア、「Piangi, Maria(マリアよ、泣きなさい)」の後奏で、最後のアコードが奏される直前の空白の時間の、なんと長かったことでしょう。そのパウゼは、この1時間を超える悲しみの物語を締めくくるための必然だと、クァルタは思ったのでしょうね。

CD Artwork © note 1 music GmbH
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-05-07 21:23 | 現代音楽 | Comments(0)
MORAVEC/ Violin Concerto, Shakuhachi Quintet
c0039487_20155416.jpg

Maria Backmann(Vn), James Nyoraku Schlefer(Sh)
Stephen Gosling(Pf), Voxare String Quartet
Rossen Milanov/
Symphony in C
NAXOS/8.559797




1957年にアメリカで生まれた作曲家、ポール・モラヴェックの作品集です。チェコ語だと「モラヴェッツ」になるラストネームでもわかる通り、父親がチェコ系、そして母親がイギリス系という出自なのだそうです。
彼は幼少のころから聖歌隊のトレブル・パ-トを歌うことで、音楽と親しんでいましたが、そのころ衝撃を受けたのがテレビの「エド・サリヴァン・ショー」で見たビートルズだというのが、面白いですね。その後バッハ、ベートーヴェン、ワーグナー、ブラームスといった「普通の」音楽との出会いもあり、ピアノのレッスンを受けるようになって、13歳で作曲を始めます。
現在では、アメリカを代表する作曲家として大活躍、オーケストラ作品や室内楽だけではなく、歌曲やオペラなど、あらゆるジャンルで膨大な作品を産み出しています。最新作はスティーヴン・キングの「シャイニング」を元にしたオペラで、今年の5月7日にミネソタのオペラハウスで初演されます。
今回のアルバムでは、彼の作品の中でも最も完成度の高いものとされている「ヴァイオリン協奏曲」がまず演奏されています。彼の場合、演奏家との出会いによって作品のインスピレーションがわいてくるケースが多いそうですが、この作品も、長年にわたって創造の源となってきたヴァイオリニストのマリア・バックマンのために作られています。黄色くはありません(それは「パックマン」)。もちろん、ここでも彼女がソロを担当しています。彼女の卓越した演奏技巧を前提として作られたこの協奏曲は、確かに高度のテクニックを必要とするものですが、彼女のよどみのないヴァイオリンによってとても魅力的に迫ってきます。モラヴェックの作風は、ごくオーソドックスで分かりやすい和声とメロディが基本、そこにジャズや、ほんの少しの「前衛的」なかけらを加えたような感じではないでしょうか。特にこのヴァイオリン協奏曲では、ブラームスあたりの重厚なテイストもいたるところに見られます。長大なカデンツァを挟んで、圧倒的な盛り上がりを見せるフィナーレは聴きごたえがあります。ここで共演している「Symphony in C」というのは、アメリカに3つしかないという「教育オーケストラ」、ここで学んだ才能が、各地のオーケストラの団員として活躍しています。
もう一人の、彼の作曲の源となった人物が、尺八奏者のジェームズ
如楽(にょらく) シュレファーです。彼はあの横山勝也氏などに師事、日本人以外ではほんの少しの人しか許されていない「大師範」の免状を与えられているのだそうです。また、彼は「虚心庵アーツ」という団体をアメリカに設立して、日本の楽器、ひいては日本の文化を世界中に広める活動を行っています。この「尺八五重奏曲」も、その「虚心庵アーツ」からの委嘱によって作られました。
ここでは、その如楽さんと「ヴォクサー弦楽四重奏団」(と読むのだと思います。少なくとも、このCDの帯やNMLで表記されている「ヴォザール」でないことだけは間違いありません)との共演です。曲の最初ではカルテットだけでいともロマンティックな音楽が演奏されますが、そこに尺八が加わるとガラッと曲想が変わる、というのが、モラヴェックならではのこの楽器との対峙の仕方だったのでしょう。あたかも「共演」していると見せかけて、音楽的には全く異質なものが最後まで互いに譲らない姿勢がありありと見て取れます。結局はやっぱり西洋楽器、あるいは西洋音楽の軍門に尺八は下ってしまう、という、まさに西洋人が見た和楽器という構図がミエミエの作品です。
あと2曲、ヴァイオリンとピアノのための小品が演奏されています。最後の「Everymore」という曲は、バックマンの結婚祝いに作ったものなのだそうです。これは1度聴いたら忘れられないこてこての「ポップ・チューン」、ビートルズがアイドルだった作曲家のルーツを見る思いです。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-04-21 20:18 | 現代音楽 | Comments(0)
周/陳/Symphony 'Humen 1839'
c0039487_23251479.jpg



Darrell Ang/
New Zealand Symphony Orchestra
NAXOS/8.570611




1953年生まれの中国の作曲家周龍(ジョウ・ロン)の作品は、こちらで1回聴いたことがありました。西洋音楽に媚びることなく、中国人のアイデンティティを前面に押し出した立派な作品だったような気がします。今回は、その周の作品集です。ただ、タイトルの交響曲はもう一人、やはり1953年に生まれた妻である作曲家陳怡(チェン・イ)との共作です。この二人の共作というのは、これが唯一のものなのだそうです。
このタイトルにある「Humen」とは、「虎門」という広東省東莞市にある地区の名前です。下半身の名前ではありません(それは「肛門」)。そこで「1839年」に起きたのが、「アヘン戦争」という歴史の教科書には必ず出てくる中国(当時は「清」)とイギリスとの戦争の発端となった「アヘン焼却事件」です。イギリスが清に持ち込んだ大量のアヘンを、当時の大臣林則徐がすべて没収して虎門で焼却したという事件です。
この史実をモティーフにして、広東州の広州市出身である陳怡が、広東に伝わる民謡などを素材にして第1楽章を構成します。これが、いわばこの事件の背景となる街の雰囲気を提示する、という楽章になるのでしょう。しかし、それらのテーマは安直に民族性に訴えかけるようなものではなく、独特の作曲技法によってとても厳しい音楽となって、深いところで聴く者への心へ届くような形に仕上がっています。
第2楽章は、この事件のヒーローとして登場する林則徐のキャラクターを表現したものなのだそうです。まるでストラヴィンスキーの「春の祭典」のような複雑なリズムと厚ぼったいオーケストレーションに支配された前半は、彼の力強さの反映なのでしょう。しかし、後半はうって変わって透明性あふれるオーケストレーションによる、とてもリリカルな音楽が繰り広げられます。ここでは、それまでは決して表には出てこなかった「中国風」の情緒がたっぷり味わえます。
第3楽章に流れるのは、とても悲しげなテーマ。それは、この戦争に打ちひしがれた中国の人たちの悲しみが表現されたものなのでしょう。しかし、やはり後半になるとそれに打ち勝つ力のようなたくましさが現れます。そして、最後の楽章では、ご想像通り、戦争を乗り越えて力強く突き進む人たちを高らかに歌い上げる「感動的」な音楽となります。正直、それまでの音楽と比べてあまりに明るすぎるこの楽章には引いてしまいますが、確かに聴いていてとても心が湧きあがるのは事実です。もしかしたら、これはショスタコーヴィチの交響曲第7番(いわゆる「レニングラード」)から何らかの影響を受けているのではないか、と、全く根拠のないことを思い浮かべてしまいました。
この交響曲は広州交響楽団からの委嘱で作られ、2009年に初演されました。
周龍が単独で作曲に携わったあとの2曲は、もう少し抽象的なテーマが元になっています。シンガポール交響楽団からの委嘱によって作られ、この交響楽団によって2003年に初演された「The Rhyme of Taigu」は50歳のバースデイ・プレゼントとして妻陳怡に献呈されたのだそうです。「Taigu」というのは日本の太鼓のこと、実は、この作品は以前作られたクラリネット、ヴァイオリン、チェロと3人の日本の太鼓奏者のために作られた「Taigu Rhyme」という作品のコンセプトを継承しているもので、ここでは日本の太鼓ではなく、中国の古代の太鼓と、それによってもたらされたエネルギーと精神とを、西洋のオーケストラを使って再現したものなのだそうです。3つの部分に分けられる曲の中間部ではクラリネットやオーボエがあくまで中国風の奏法でしっとりとその「精神」を歌い上げますが、その前後では圧倒的なエネルギーが、リズミカルに表現されています。
もう一つの、カンザスシティ交響楽団からの委嘱によって作られ、2005年に初演された「The Enlightend」では、フルートの中国風奏法が聴きものです。いずれもこれが世界初録音、とても素晴らしい録音で、中国の「今」の音楽を伝えてくれています。

CD Artwork © Naxos Rights Us, Inc.
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-03-29 23:28 | 現代音楽 | Comments(0)
実験工房
c0039487_00175246.jpg




園田高弘(Pf)ほか
NAXOS/NYNG-013




先日の立花隆の著作「武満徹・音楽創造への旅」の中では、武満の事実上のデビュー作品と言える「二つのレント」に関して、とても興味深い事実が明らかにされていました。
それは、
「いま出ている『二つのレント』は、友人の福島和夫が保存していたスケッチから復元したもので、オリジナルとはちょっと違うんです」(43ページ)

とか、
「(この曲のいろんなバージョンが)何十とあります。だけどいずれにしてもそのころ書いたものは、みんな無くなってしまったんです。かろうじてひとつだけ、福島の家のピアノの裏に捨ててあったものが残っていた」

といった武満自身の言葉を受けて、
「『二つのレント』の楽譜もいつのまにかなくなってしまった。今ある譜面は、福島和夫のところに残っていたスケッチから、武満が再現したもので、『リタニ』とタイトルが変えられている」(91ページ)
という立花の記述によって語られている事実です。


それは、1989年(資料によっては1990年)に作られ1990年にショット・ミュージックから出版されたその楽譜の冒頭に記されている
「この作品は、1950年に作曲された《二つのレント》―その原譜は紛失された― を、作曲家の記憶をたよりに再作曲されたものである」

というコメントからも裏付けられます。
となると、ここで一つの疑問が浮かびます。現在ではその「原譜が紛失された」とされる「二つのレント」の、間違いなく「紛失後」に録音されたものがいくつか存在しているのですが、それはいったいどんな楽譜を使って演奏されていたのでしょう。
その疑問は、1982年にその最初のものをFONTECに録音した藤井一興自身のこちらの話によって氷解します。彼は「福島和夫が保存していたスケッチ」をコピーしたものを使って録音していたのですね。さらに、この時点で武満はこの曲の存在も忘れていたのですから、そのコピーに対して改訂を行うことなどはあり得ません。付け加えれば、この曲の録音はその時に限って許可を与えた、と。
そして彼の没後の2000年の高橋アキ(EMI)と2006年の福間洸太朗(NAXOS)の録音などへと続くことになるのですが、リンクでの藤井の話にある通り、高橋は間違いなくこの楽譜を使って録音したのでしょうし、聴き比べた限りでは福間も同じものを使ったように思えます。
そんなことを調べている中で見つかったのが、この2013年にリリースされたCDです。これは、このレーベルの「NHK『現代の音楽』アーカイブシリーズ」の最後に「特別篇」としてリリースされたもので、メインはNHKでこの番組が始まった1957年に録音された園田高弘による音源なのですが、なんとその中に「二つのレント」の二曲目が収録されているのです。初演から7年しか経っていない頃なので、おそらく、まだ「紛失」されてはいなかったオリジナルの楽譜を使っての演奏のはずですから、これはとても貴重な「記録」です。
そこで、オリジナルとは大きく変わっている(最初のテーマから「F#-D-C#」の音型が「F#-C#-A」に!)「リタニ」の2曲目の楽譜を頼りにこの1957年の録音と、さっきの1982年以降の録音を比べてみると、それらはほぼ同じものであることが分かりました。ただ、聴いただけで明らかに異なっていると分かる部分が、とりあえず2か所見つかりました。それは、

  • 8小節目の最後、1982年以降のものにはフェルマータのあとに「G-D」という単音のフレーズが入っていますが、1957年の楽譜ではそれがありません。
  • 14小節目の後半、「リタニ」とは異なり早い下降音型は中断しないで一気に最後まで続いていますが、この長さが双方では少し異なっています。

ですから、この2種類の演奏の楽譜が別のものであることは間違いありません。それが、初演に使われた楽譜と、そのスケッチ(あるいは別バージョン)、という位置づけになるのでしょう。
これで、「二つのレント」の様々なバージョンの正体が、まるでレントゲンで見たようにはっきりしたのではないでしょうか。

CD Artwork © Naxos Japan, Inc.
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-03-16 00:20 | 現代音楽 | Comments(0)
RZEWSKY/The People United Will Never Be Defeated!
c0039487_23312593.jpg


Ursula Oppens(Pf)
Jerome Lawrenthal(Pf)
CEDILLE/CDR 90000 158




英語だとテイラー・スウィフトのヒット曲「We Are Never Ever Getting Back Together」のような感じのこの曲のタイトルは、直訳すると「団結した人民は決して敗れることはない!」なのですが、普通は「不屈の民」という邦題で呼ばれています。やはり「私たちは絶対に絶対にヨリを戻したりしない」という直訳型のタイトルは、これが日本に広まった1970年代には抵抗があったのでしょうかね。この邦題は、高橋悠治が1977年に日本初演を行った時にはすでに付いていたものですから、おそらく彼が命名者なのでしょう。もちろん、彼が1978年に録音したLPでも、1979年に出版された楽譜でもその日本語タイトルは使われていましたから、もはやそれ以外はないということでこれがすっかり定着することになります。そう言えば、かつてラジオのクラシック番組でこの曲を「ジェフスキ作曲『流浪の民』」と紹介していた音楽評論家がいたことを思い出しました。これも原題は「Zigeunerleben」ですから、直訳すれば「ジプシーの生活」とでもなるのでしょうが、今では「流浪の民」以外の呼び名など考えられません。
日本初演は悠治ですが、この曲を委嘱して世界初演を行ったのはアメリカのピアニスト、アーシュラ・オッペンスでした。そもそもは1976年のアメリカ建国200周年記念リサイタルで、ベートーヴェンの「ディアベリ変奏曲」と一緒に演奏するためにジェフスキに委嘱したものでした。しかし、1975年に完成された曲はあまりに長く、そして難しかったため、結局彼女は「ディアベリ」はあきらめ、これ1曲だけでリサイタルを行ったのだそうです。そして、彼女は今に至るまで、その2曲によるリサイタルを行ってはいません。
というのは、クセナキスの作品のCDで一躍有名になった日本のピアニスト、大井浩明さんからの情報です。そこで大井さんは、アメリカ建国240周年となる今年、その因縁のカップリングによるコンサートを開催するのだそうです。さらに、この曲の最後にテーマが再現される直前には即興演奏によるカデンツァを挿入するという指示がありますが、そこに上野耕路さんが作ったカデンツァが演奏されることになっています。3月27日(日)15時から、会場は原宿の「カーサ・モーツァルト」です(以上、情報提供とのバーターで宣伝させていただきました)。
一方のオッペンスは、やはり悠治と同じ年にこの曲を録音していましたが(録音したのは悠治の方が先)、それはこちらにも書いたように、数あるこの曲の録音の中でも最も演奏時間の短いものでした。
そのオッペンスが、なんと初演から40年経ったということで、この難曲をもういっぺん録音したというではありませんか。彼女は1944年の生まれ、最初の録音の時こそまだ30代でしたが、今回録音した2014年にはもう70歳という「古希」を迎えていたのですから、いったいどんな演奏なのかはとても気になります。確かに、この年代になればピアニストには独特の「枯れた」味が出てくるものですが、それはこの曲にとっては決してプラスに働くものではありませんからね。
しかし、それは全くの杞憂でした。今回は前回には演奏していなかったカデンツァをしっかり入れてますから、トータルの演奏時間は50分43秒ですが、カデンツァの分2分38秒を引くと48分5秒となって、自身の持つ世界最速記録49分17秒を48秒も縮めて、記録を更新していたではありませんか。これは恐るべきことです。
しかも、その演奏にはそんな「速さ」を感じさせない余裕のようなものすら加わっていました。テーマの歌わせ方がとてもたっぷりしているんですね。凄い演奏です。
カップリングで、ジェローム・ローウェンタールとの連弾で、この録音のためにジェフスキが書き下ろした「Four Hands」という新作が演奏されています。4つの楽章から成る、やはり衰えを知らない作曲家の筆致が冴えた曲ですが、第2楽章の「拍子なしで」という指示の曲が、年相応の枯れた味を出しています。

CD Artwork © Cedille Records
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-03-13 23:35 | 現代音楽 | Comments(0)
Birds of Paradise
c0039487_23141759.jpg



Bart Van Reyn/
Octopus Chamber Choir
Et'CETRA/KTC 1529




「オクトパス室内合唱団」というベルギーの合唱団の新しいアルバムです。全く聞いたことのない名前の合唱団ですが、2000年にここでも指揮をしているバルト・ファン・レインによって作られた、まだ新しい団体です。なんでも、この合唱団は100人程度の「大きな」合唱から、24人ぐらいの「室内」合唱まで、さまざまな需要に対応できるような形をとっているのだそうです。名前も、今回のように小編成の時には「オクトパス室内合唱団」ですが、大編成になると「オクトパス・シンフォニー・コーラス」という名前になって、オーケストラとの共演なども行っているということです。メンバーはプロとセミプロが半々、さらには、プロを目指す学生たちがキャリアを積むための場としても提供されているのだそうです。もちろん、レパートリーはバロックから現代までをカバーしています。それにしても、「オクトパス」というのはユニークなネーミングですね。そのような多方面の活動を、「8本足」の軟体動物に喩えているのでしょうか。
指揮者のファン・レインは、かつてはフリーダー・ベルニウス指揮のシュトゥットガルト室内合唱団のメンバーだったこともあるまだ若い指揮者ですが、この世代の注目株、合唱団だけではなく、2012年にはピリオド・オーケストラも設立していますし、オペラの分野でも活躍していて、それこそ「蛸」のような多岐にわたる仕事で注目を集めています。
この合唱団のサイトではいくつかの音源が聴けるようにはなっていました。その中に、大好きなマーラーの「Ich bin der Welt abhanden gekommen」をクリトゥス・ゴットヴァルトが無伴奏の合唱に編曲したものがあったので聴いてみたら、なぜか聴こえてきたのは同じ編曲者による「Die zwei blauen Augen」という、「交響曲第1番」の中にも使われている歌の方でした。何とアバウトなサイト運営、と思ったのですが、その演奏はかなりショッキングなものでした。ゴットヴァルトの編曲というのは、あのリゲティの「Lux aeterna」という、16の独立した声部を持つ作品のようなクラスター風のサウンドを再現しようというコンセプトで作られていて、普通はかなり大人数で歌われています。それを、この音源ではそれぞれのパートを一人ずつで歌っていたのです。そんなことが可能だったんですね。とてつもない合唱団が出てきたものです。ここでの合唱団のクレジットは「オクトパス・ゾリステン」でした。「室内合唱団」より小さなユニットもあったのですね。
2015年の2月に録音されたばかりのこのCDでは、「鳥と楽園」というタイトルで、ジャケットには15人の作曲家の名前が書いてありました。その一番上にはモーリス・ラヴェルの名前がありますから、このタイトルはここで歌われている彼の「Trois chansons」の2曲目「Trois beaux oiseaux du Paradis」から取られていることが分かります。そのような、「鳥」に関係のある小さな合唱曲が15曲、この中では演奏されているということです(インレイでは16人の名前がありました。ジャケットで抜けていたのはジェラルド・フィンジ、ウェブサイト同様、このスタッフにはちょっと抜けたところがあります)。
最初に聴こえてきたその「3羽の楽園の美しい鳥たち」も、さっきのマーラーのような衝撃が与えられるものでした。まずは、録音が非常に素晴らしく、そのピュアなサウンドはSACDだと言われても信じてしまうほどのものでした。合唱はとても磨き抜かれた響きで各パートがきっちりと際立って聴こえてきます。そこに入っているソリストが、やはり芯のある、それでいて合唱ともよく調和しているクオリティの高さで迫ります。この曲の持つメッセージが、そこからは的確に伝わってくるという、とても強靭な「力」を感じる演奏です。
そんな、それぞれに確実にインパクトが感じられる曲があと15曲も続きます。たとえばメンデルスゾーンの「森の小鳥」でさえ、そのインパクトは際立っています。

CD Artwork © Quintessence BVBA
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-03-03 23:16 | 現代音楽 | Comments(0)
World of Percussion
c0039487_22404033.jpg




Thierry Miroglio(Perc)
NAXOS/8.573520




毎月膨大な数の新譜をリリースしているこのレーベルですが、そのほとんどのものが全く聴いたことのない作曲家の作品だ、というのは驚くべきことです。CDが売れなくなってきていると言われて久しい昨今ですが、このようにこれまで全く顧みられることがなかった作曲家の紹介を続けるうちには、きっととんでもないヒットを呼ぶ宝物を探し当てることができるかもしれませんね。ま、できないかもしれませんが。
この「パーカッションの世界」というCDに収められている6人の作曲家の、それぞれこれが世界初録音となる作品を聴いていくと、もしかしたら次第にそういうものでも聴いていて楽しい気持ちにさせられるものがあることに、気づくことがあるかもしれません。もしそうだとしたら、まずここで演奏されている曲の半分には打楽器だけではなく「エレクトロニクス」も加わっていることに、その要因があることを否定するわけにはいかないのではないでしょうか。実際には、ここでの表記は「electronics」だったり「chamber electronics」だったり、あるいはそっけなく「computer」というものですが、それらは全く同じ「コンピューターで作った電子音」のことです。ですから、このアルバムのタイトルからはちょっと「反則」気味のところがあるのですが、まあそれは我慢していただくしかありません。
しかし、そうは言っても、1曲目のブルーノ・マントヴァーニの作品「Le Grand Jeu」は、聴いていてあまり気持ちがいいものではありませんでした。タイトルにある「Grand Jeu」というのは、フランスのオルガンのパイプ(ストップ)の名前で、リード管の一種、これをタイトルにして、そのストップで演奏することを指定している曲がバロック時代にはたくさんありました。しかし、これは「エレクトロニクス」の何とも刺激的な音色とフレーズがやかましすぎて、眼前にはゾンビや食虫植物のようなものがクローズアップで現れてきますから、気持ち悪いのなんのって。
しかし、2曲目のマルコ・ストロッパの「Auras」という曲は、うってかわって繊細な世界が広がるものでした。こちらはいたずらに「チェンバー・エレクトロニクス」に頼ることはなく、例えばヴィブラフォンの鍵盤を弓でこすったりして、まるでグラス・ハーモニカのような音を出すような、とてもしっとりとした味わいを楽しめます。この作曲家と、そしてそれを演奏しているティエリー・ミログリユは、打楽器には暴力的な面があると同時に、しっとりとした抒情性までも表現できるほどの幅広さもそなえているのだ、ということを身をもって知らしめているのかもしれません。
3曲目は、指揮者としても有名なハンガリーの作曲家、ペーテル・エトヴェシュの「Thunder」です。これは、ティンパニだけによって演奏されている作品です。この楽器はペダルを使うことによって連続的にピッチを変えることが出来ますから、そんな機能を縦横に使って、ただの「雷鳴」だけではない、もっと多彩な表現を追求しています。
4曲目は、今度はヴィブラフォンだけによる演奏でやはり往年の指揮者として有名だったこの中では最年長、もちろん物故者のルネ・レイボヴィッツの「3つのカプリース」です。1966年に作られた作品で、当時はクラシックとしてはとても珍しいこの楽器のソロのための曲でした。ここでは、「打楽器」というよりは、単に「鍵盤楽器」として、今では死に絶えた「12音」による無調の世界が堪能できます。
5曲目、フィリップ・エルサンの「3つの小さなエチュード」もティンパニのためのもの。なんでも、ゲーテの「ファウスト」を素材にしたベルリオーズとシューベルト、そしてグノーの3つの作品を「元ネタ」にしているというものです。グノーの「兵士の合唱」だけはとても平易な引用で、よく分かりました。
最後のジャン=クロード・リセの「Nature contre Nature」は、やはり「コンピューター」が加わっていますが、遊び心にあふれた機知に富む作品でした。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-02-28 22:43 | 現代音楽 | Comments(0)
上野耕路/NHK土曜ドラマ「逃げる女」オリジナルサウンドトラック
c0039487_21540711.jpg




大井浩明(Pf, OM, Keyboards)
NHK/NGCS-1063




上野耕路さんという作曲家の名前は、映画やドラマの音楽でよく目にしていました。最近では「MIRACLE デビクロくんの恋と魔法」とか「マエストロ!」の音楽を担当されていましたね。
そんな上野さんが担当したテレビドラマの音楽に、ピアニストの大井浩明さんが参加しているという情報を、ご本人からの情報メールによって知ることが出来ました。大井さんと言えば、かつてクセナキスの難曲「シナファイ」を見事に弾ききったピアニストとしてほとんどアイドル的な存在でしたが、最近では例えば一柳彗のピアノ曲全曲演奏とか、やはり精力的に「秘曲」の発掘など精力的な活動をなさっているようです。
その大井さんのメールによれば、そのドラマの音楽ではオンド・マルトノも弾いていたというのですね。かつてN響でデュトワがメシアンの「神の降臨のための3つの小典礼」を演奏した時にオンド・マルトノを演奏されていたので、こんな楽器まで演奏しているんだ、と思ったものです。
ですから、大井さんの最近の演奏、中でもオンド・マルトノによるものを聴いてみたかったので、そのドラマのサントラ盤を入手してみました。まずクレジットをチェックして驚いたのが、そのオンド・マルトノが日本で作られていたということです。それは、「浅草電子楽器製作所」という、まるで「下町ロケット」にでも登場するような社名の会社でした。モーリス・マルトノが作ったこの楽器は、彼のアトリエでずっと作られ続けていたのですが、最近はもはや新しい楽器を作ることが出来なくなっていたということで、そんな日本の会社に背中を借りるようになっていたのでしょうか(それは、「オンブ・マルトノ」)。
サントラを作っている上野さんというのは、かつては「ゲルニカ」というバンドをやっていたそうです。戸川純という、今だと椎名林檎みたいな悪趣味なヴォーカルが参加してましたね。歌は大っ嫌いでしたが、音楽そのものは適度に尖がっていてなんか気になるバンドでした。その上野さんが、今では映画音楽になくてはならない人となっているようで、こんな形でその音楽を面と向かって聴くのはとても楽しみでした。
演奏しているメンバーは、木管五重奏プラス弦楽五重奏という、基本クラシックのユニットと、ドラムスやパーカッションのリズム隊、そこに、大井さんのピアノやキーボードがほとんどの曲で加わるという編成です。想像していた通り、サティとかメシアンを思わせるようなテイストがプンプン感じられるような音楽が、まずベースになっているような気がします。メイン・テーマとかエンディング・テーマのような、はっきりとしたコンセプトを示す必要のある曲では、そういう感じのメロディアスな作り方がされているようでしたね。そのエンディング・テーマで登場するのが、オンド・マルトノです。6/8の拍子に乗って、美しいのだけれどどこか醒めたところのあるメロディが、最初にオンド・マルトノのソロで歌われます
その他にも、それとは全くテイストの異なる曲も用意されているというのは、ドラマのシーンによってさまざまに使われるような「需要」を満たすものなのでしょう。中には、ゴングやスティールパンなどのパーカッションだけで演奏されているものもあって、音だけで聴くとそれがほとんどメシアンのように聴こえるのが面白いところです。
実は、このドラマは見てはいなかったのですが、これを聴いてあわててまだ放送されていた最終回だけを見てみました。そうなると、音楽が見事に主張をかくしてドラマに奉仕し始めているのがよく分かります。これはなかなかのセンスではないでしょうか。ただ、これはある意味サービス精神の表れなのでしょうが、トラック13の「絶望」というタイトルの曲は、あまりにいかにもな甘ったるさで、ちょっとがっかりさせられます。

CD Artwork © NHK Publishing Inc.
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-02-22 21:57 | 現代音楽 | Comments(0)
HILLBORG/Sirens
c0039487_23140651.jpg

Ida Falk Winland, Hannah Hlgersson(Sop)
Eric Ericson Chamber Choir, Sweden Radio Choir
Sakari Oramo, David Zinman, Esa-Pekka Salonen/
Royal Stockholm Philharmonic Orchestra
BIS/SACD-2114(hybrid SACD)




1954年生まれのスウェーデンの作曲家、アンデシュ・ヒルボリの最新のオーケストラ曲を集めたアルバムです。全4曲、これが世界初録音となります。
1曲だけ2013年の11月に録音されていますが、残りの3曲の録音は2014年の11月です。その時の指揮者がこのオーケストラの首席指揮者のサカリ・オラモなのはわかりますが、さらにエサ=ペッカ・とサロネンという大スターも加わっているというので、ただの録音にしてはなんとずいぶんぜいたくなことでしょう。その前の年に録音された時にはデイヴィッド・ジンマンという、やはり大物も指揮をしていましたし。実はこれは録音場所であるストックホルム・コンサートホールで1986年から開催されている「ストックホルム国際作曲家フェスティバル」というイベントで、2014年にはヒルボリの作品が集中的に演奏されたからです。その時には5つのコンサートで彼の25の作品が紹介されていたのですが、その時に、3曲だけお客さんのいないホールでのセッションによって録音されていたのです。ジンマンもサロネンもオラモも、それぞれが指揮をしている作品の初演を担当した人たちでした。
そんな、言ってみれば「人気」作曲家の作品は、以前こちらで1曲だけ聴いたことがありました。「Mouyayoum」という1985年頃に作られた無伴奏の合唱曲ですが、これがもろスティーヴ・ライヒの作品のモティーフをそのまま流用したものであるのに驚いたことがあります。どうせパクるならもっとうまくやったらいいのに、と。
ですから、今回のアルバムのメインタイトルにもなっている、2011年に作られた演奏時間33分という最も大きな作品「Sirens」の中に、やはり同じライヒの、例えば「Music for 18 Musicians」の基本的な要素である細かいパルスが登場していたのを聴いたときにも、「まだこんなことをやってるなんて」という正直な気持ちが沸き起こったのは当然のことです。
LAフィルとシカゴ交響楽団からの共同委嘱で作られ、サロネンによって初演されたというこの作品は、編成も大規模、大オーケストラにソプラノ歌手二人と混声合唱が加わります。弦楽器のとても繊細なクラスターに乗って合唱が歌い出した時には、それはまるで20世紀半ばの「シュプレッヒ・ゲザンク」のような雰囲気を持っていました。子音だけでささやかれるひそひそ声は、なにかとても懐かしい、往時の「現代音楽」をしのばせるものでした。しかし、その合唱は次第に柔らかさを増し、何か癒されるような穏やかなものに変わります。そこにソプラノのソリストが2人、お互いに右と左のかなたから呼び交わすというシーンが始まり、そこにはまるで21世紀のアルヴォ・ペルトの世界が広がります。
ライヒの模倣が始まるのは、12分ほど経ったあたり。それは確かにそれまでの音楽との対比を見せるものでした。おそらく、この作曲家の中では、もはやこの様式はほとんど自分の中に同化しているのでしょうね。
彼の中に「同化」しているのは、ライヒだけではありません。ここで演奏しているロイヤル・ストックホルム・フィルとイエテボーリ交響楽団、さらには北ドイツ放送交響楽団という3者からの委嘱で作られ、おそらく先ほどの作曲家フェスティバルで初演されたであろう2014年の作品「Beast Sampler」では、なんとクセナキスやリゲティのまさに「野獣的」なサウンドがそのまま「サンプリング」されているではありませんか。正直、それらはオリジナルの表面的な過激さだけを模倣したに過ぎない、「換骨奪胎」そのものの仕上がりです。
ここでは、SACDならではのとても澄み切った弦楽器の響きの中で、かつては「前衛」と言われていたイディオムたちが、「ネオ・ロマンティック」とでも言えるなんともくすぐったいテイストに丸め込まれてしまう様を味わうことができます。この時代の、ある意味最先端の「現代音楽」がこんなものだなんて、どうかしています。

SACD Artwork © BIS Records AB
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-02-04 23:18 | 現代音楽 | Comments(0)