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カテゴリ:合唱
  • Bomtempo/Requiem
    [ 2012-05-09 19:47 ]
  • What Is Life?
    [ 2012-05-07 19:55 ]
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    [ 2012-03-30 20:46 ]
  • CHILCOTT/Requiem
    [ 2012-03-26 21:04 ]
Bomtempo/Requiem


Angela Maria Blasi(Sop), Liliana Bizineche-Eisinger(MS)
Reinaldo Macias(Ten), Michel Brodard(Bas)
Michel Corboz/
Gulbenkian Choir and Orchestra
VIRGIN/6 02864 2




ホアオ・ドミンゴス・ボンテンポなどという、仙台藩主みたいな名前(それは「梵天丸」)の作曲家なんて、「レクイエム」を作っていなければまず一生関わることはなかったことでしょう。1775年に生まれたこのポルトガルの作曲家の「レクイエム」は、物の本には1994年にコルボによって録音されたものがあると記されていますが、そんなもはや廃盤扱いになった音源が、突然スッペの「レクイエム」との抱き合わせで、新装発売となりました。スッペは、すでに聴いていたので要らないのですが、ボンテンポはこれを逃したらもう出ることはなさそうなので、入手しておかなければ。
ポンテンポという人は、ポルトガルの宮廷楽師だったイタリア人を父親として、ポルトガルに生まれましたが、なぜかイタリアで音楽の勉強をすることはなく、パリでピアニストとして活躍、その間に多くのピアノ協奏曲などを作曲しました。この「レクイエム」も、パリ時代、1818年の作品です。彼は後にポルトガルへもどり、教育者としても活躍します。
ポルトガルの首都リスボンの団体、グルベンキアン合唱団や管弦楽団と長年関係を持っているコルボだからこそ、あまり知られていないポルトガルの作曲家を取り上げたのだな、と思っていたら、実は彼より先、1980年にすでにハインツ・レーグナーがベルリン放送交響楽団などの「東側」のアーティストと録音していたのですね。思っているより広範な支持を、この曲は受けていたのかもしれません。
ただ、そのレーグナー盤は現在では入手は不可能、しかしIntroit」の一部「Lacrimosa」だけが東独系の得体のしれないレーベルのコンピレーションの中に入っていたので、まずは「予習」の意味でそれを聴いてみます。なかなか表情豊かなオーケストラに乗って、なんだかモーツァルトの同名曲にどことなく似た合唱が聴こえてきたのはご愛嬌。ボンテンポの場合は間違いなくモーツァルトの作品を聴いていたはずですから、何かしらの影響は受けていたことがうかがえます。
そして、コルボ盤です。さっきのレーグナー盤のようにいきなり合唱が始まるのではなく、何やら神秘的な超ピアニシモの低弦によってちょっとパッサカリア風のテーマが聴こえてきたのにはびっくりしました。ただ、この「イントロ」は別に変奏されることはなく、そのまま合唱が、まさに「古典派」そのもののメロディを持った歌を歌い始めたので一安心です。繰り返して聴いてみると、やはりなんだかモーツァルトの影が強く付きまとっているような思いは確信と変わります。特にヴァイオリンの伴奏のフレーズがとてもよく似た情感を与えてくれます。
さっきの「Lacrimosa」は、ここでは「Dies ira」全体が一つのトラックとなっていて、21分半の間、途中の曲を頭出しすることは出来ないようになっていました。やはりどこかで聴いたことがあるような感じが常につきまとう部分が現れるうちに、やっとその曲の前奏が始まります。しかし、その前奏の弦楽器は、レーグナー盤のような起伏に富むものではなく、何とも薄っぺらなのですね。さらに驚いたことには、レーグナー盤では合唱だったところが、ソリストによって歌われているではありませんか。これで、この曲のイメージがガラリと変わってしまいました。コルボの演奏は何とも締まりのないユルいものになっているのですね。
ずっと付きまとっていた「デジャヴ」感は、「Domine Jesu Christe」で最高潮に達します。これはモーツァルトそのものですよね。というよりは、この時代の様式から予想される展開を決して裏切らない、落ち着くべきところに落ち着く音楽が続くという感じですね。
この「レクイエム」からは、特別な緊張感や、悲哀の情などはほとんど感じることはできません。ただ、そのような印象はもしかしたらコルボたちの演奏がもたらしているのでは、という気がしてなりません。

CD Artwork © EMI Records Ltd/Virgin Classics
by jurassic_oyaji | 2012-05-09 19:47 | 合唱 | Comments(0)
What Is Life?




Lone Larsen/
Voces Nordicae
FOOTPRINT/FRCD 045




スウェーデンのFOOTPRINTレーベルで、初めて聞いた名前の合唱団のCDを見つけました。1999年に出来たばかりという新しいその合唱団は、ローネ・ラーセンという女性指揮者に率いられた「ヴォーチェス・ノルディケ」です。17人編成と、ライナーには書かれていますが、写真を見ると19人いるのはなぜでしょう。まだ若い人ばかり、そのうち団内カップルも出来て、自慢し合ったりするのでしょう(それは、「ヴォーチェス・オノロケ」)。
北欧のこのぐらいの少人数の合唱団、そして女性指揮者とくれば、誰でも透き通るような音色と、繊細な表現を兼ね備えたピュアなサウンドを期待してしまうことでしょう。その上に、ここにはボー・ホルテンやエイノユハニ・ラウタヴァーラといった演奏が難しそうな「現代作曲家」の名前なども見られますし、何よりもタイトル曲などはこの合唱団のために作られたのだというのでは、その期待はさらに高まります。
何しろ、最初の曲がエリック・ウィテカーの「Leonardo Dreams of His Flying Machine」という、超有名曲なのですからね。まずは、すでに多くのCDが出ていて、さらには、今年はおそらく何度も「生」で聴けそうなこの曲で、この合唱団の「アタリ」をつけてみることにしましょうか。
まさに「現代によみがえったマドリガル」と言えそうなこのキャッチーな曲は、だからと言って軽々しく挑戦してみても作曲家の求めたおもしろさが出てくるわけではありません。特に重要なのが合唱団の持つソノリテなのですが、その点ではどうもあまりいい結果を出しているとは思えないような仕上がりでした。ソプラノがちょっと雑な感じで、とても「ピュア」な音色とは言えないのですね。後半に出てくるリズミカルな部分では、シンコペーションがかなりアバウト、何かノリの悪いユルさが目に付いてしまいます。もしかしたら期待外れ?
次のボー・ホルテンの「Regn og Rusk og Rosenbusk」という曲は、不協和音も多用した、なかなか手ごたえのある感じなのですが、ここでもソプラノの荒れた感じはちょっと違和感があります。続くウーラ・ヤイロという1978年生まれのノルウェーのピアニスト/作曲家のラテン語のテキストによる「Ubi caritas」と「Deus in adiutorium」は、なんとも静謐な、ヒーリング・ピース、とても「現代曲」とは思えない素直さです。
そして、タイトルにもなっているのが、アン=ソフィ・セーデルクヴィストの「What Is Life?」です。この合唱団のために作られた曲だということで少し身構えますが、聴こえてきたのはまるでノラ・ジョーンズのような、ちょっとハスキーな声とアバウトなピッチのアルト・ソロでした。ジャズ・ミュージシャンでもある彼女がこの合唱団に贈ったのは、ほとんど「ブルース」と言っていいような曲だったのです。なんか、方向が見えてきません。しかも、それに続く1983年生まれの、大学ではジャズを学んだというサラ・ニクラソンの「Frame and Content」は、和やかなフォーク・ギターの伴奏に乗った、もろ、モダン・フォークではありませんか。ここにもソプラノやテナーのソロがフィーチャーされていますが、いずれも合唱人にはあるまじきアバウトな歌を披露しています。そういう曲なのかもしれませんが、なにか、肩透かしを食らったような気がしてしまいます。
そんな歌を聴かされたあとに、ウッレ・リンドベリの「Sanctus」と「Agnus Dei」という、直球勝負のミサ曲が来ます。こうなると、もはやこの合唱団のユルさではとても太刀打ちできない、まさに限界のようなものを感じないわけにはいきません。
最後に控えるラウタヴァーラの「Die erste Elegie」も、健闘はしているのですが、もはや細かいコントロールなどは全く期待できません。クライマックスで派手にビブラートがかかったソプラノを聴かされる頃には、北欧にも上手ではない合唱団はたくさんあるのだな、というごく当たり前のことが理解できるようになっていたのでした。

CD Artwork © Footprint Records AB
by jurassic_oyaji | 2012-05-07 19:55 | 合唱 | Comments(0)
WHITACRE/Water Night

Hilla Plitmann(Sop)
Julian Lloyd Webber(Vc)
Eric Whitacre/
Eric Whitacre Singers
London Symohony Orchestra
DECCA/B0016636-02




前作Light & Goldが、今年のグラミー賞で「Best Choral Performance Award」を受賞したエリック・ウィテカーの、DECCAでの2枚目のアルバムです。今回もやはりイギリスの合唱団のピックアップ・メンバーからなる「エリック・ウィテカー・シンガーズ」が、曲に応じて28人編成と36人編成で控えていて、ほとんどが世界初録音となる新作を歌っています。それだけではなく、このアルバムではウィテカーの「合唱曲」以外のオーケストラのための作品も聴くことができます。確かに今となっては合唱曲作曲家としてのイメージが定着していますが、彼は吹奏楽の分野でもかなり知られている人なのですからね。
そんな、初めて聴くフル編成のオーケストラのための作品は「Equus」です。ラテン語で「馬」という意味のタイトルを持つこの曲は、そもそもは吹奏楽のために作られたものを、2011年にこの編成に書き直したものです。そんなタイトル通り、まるで疾走する馬のようなパルスに乗って音楽は進んでいきます。これは、まさにスティーヴ・ライヒの「ミニマル」そのものではありませんか。今ではライヒ自身はもう用いなくなったかなり昔のシンプルなスタイルを、まさか今の時代に聴けるとは。ただ、そんなパルスの中で登場するフレーズは、確かにライヒとは違ったエンタテインメントの要素を強く持っているものでした。そんな中で、いきなり渚ゆう子の「京都の恋」が聴こえてきたのにはびっくりしましたね。確かにこれは「ザ・ベンチャーズ」のメンバー、ドン・ウィルソンが作った曲ですから、言ってみれば「アメリカの作曲家へのオマージュ」なのかもしれませんね。金管は派手に鳴り響き、いとも爽快に仕上がった作品です。
もう一つのインスト物は、チェロのジュリアン・ロイド・ウェッバーをフィーチャーした、チェロと弦楽合奏のための「The River Cam」です。これはガラリとイメージが変わって、ほとんどアルヴォ・ペルトの世界をそのまま再現したような、まさに「癒し」にどっぷり浸たれるような音楽ですね。
そして、前作では歌詞だけを提供していたソプラノ歌手のウィテカー夫人、ヒラ・プリットマンのソロも聴くことができます。それは「Goodnight Moon」という、彼らが息子を寝かしつけるときに読んであげた絵本をテキストにした、とてもかわいらしい曲です。それを歌う、確かに胸のあたりがプリッとしているプリットマンは、とてもピュアな声で和ませてくれます。どことなくサラ・ブライトマンにも似たイノセントな声は、もしかしたら、サラのパートナーであったアンドリューと同じく、エリックの作曲のモチベーションとなっているのかもしれませんね。
超売れっ子のウィテカーですから、様々な団体からの委嘱はひきも切らないのでしょう。ここで初録音となったのはそんな新作のごく一部なのでしょうが、「Alleluja」にしても「Oculi Omnium」にしても「Sleep My Child」にしても、完璧な合唱団の演奏もあって全く期待を裏切られることのない、まさに円熟の極みを見せてくれています。包み込むようなハーモニーは自然に心の中に沁みてきますし、録音会場いっぱいに響き渡るフル・ヴォイスは、何よりの爽快感を与えてくれます。しかし、それらが何か予定調和に陥っているようなところが、少し気になってしまいます。初期の作品にはみられたはずの刺激的な要素が、少し希薄になっているのが心配です。
When David Heard」という、「前世紀」に作られた曲もここでは歌われています。それを、2005年に録音されたレイトンの演奏と比べてみたら、なんだかずいぶん「丸く」感じられてしまいました。もしかしたら、作曲家自身のスタンスが、年を経て微妙に変わってきているのかもしれません。
そういえば、このCDの録音は、耳あたりはいいのですが、ちょっと何かが欠けていて薄っぺらな感じがします。あ、タイトル曲は、合唱曲ではなく弦楽合奏バージョンです。念のため。

CD Artwork © Decca, a division of Universal Music Operations, Ltd.
by jurassic_oyaji | 2012-04-29 20:49 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Johhannes-Passion

Jan Kobow(Ev), Stephan MacLeod(Jes)
Matthew White(Alt)
Alexander Weimann/
Les Voix Baroques
Arion Orchestre Baroque
ATMA/ACD2 2611




先日のハジェット盤でも歌っていたカナダの男声アルト、マシュー・ホワイトが中心になったソリストのアンサンブル「レ・ヴォワ・バロック」と、ケベック州唯一のピリオド楽器のオーケストラ「アリオン・オルケストル・バロック」の共演による「ヨハネ」です。オーケストラの弦楽器は複数、合唱は1パート3人という、今では「標準的」なサイズで演奏されています。アリアのソロも、合唱の中の人が交代で担当するというのも、「標準的」。
もちろん、新バッハ全集の楽譜を使うというのも至極「標準的」なアプローチなのでしょう。なぜかライナーの詳細なタイトルの後に「1724年4月7日ライプツィヒ」などと、初演の日と場所が書いてあったとしても、それをもってこの演奏が初演の時と同じ楽譜(つまり「第1稿」)で演奏されていると思ったりしてはいけません。そんな誤解を与えないように、紛らわしいことは書かないでほしいものです。というか、この曲に関してはそのような誤解を招いてしまうような表記があまりに多いものですから、こちらの一覧表を、そんなものも含めてリニューアルしてみましたよ。
指揮者でオルガンも弾いているヴァイマンがこの曲に目指したプランは、まるでガーディナー盤のような攻撃的なもののように、まず思えました。第1曲目はまるで追い立てられるようなテンポで、いかにもこれから恐ろしいことが行われるのだ、みたいな雰囲気を盛り上げています。そんな情景の立役者が、異常に大きな音で録音されているチェンバロと、いかにもソリストが集まったという、個人個人の主張がとても強烈な合唱でした。決してパートとしてまとまろうとはしていない、はっきり言って「汚い」合唱なのですが、そこから生まれるインパクトはすごいものがあります。コラールも、やはり表現重視の密度の高さ、というより、何か常にとげとげしさが感じられてしまうのがちょっときつく感じられてしまいます。
エヴァンゲリストのコボウも、かなりのハイテンション、突き抜けるような高音で、やはりドラマティックに迫ります。この人だけ合唱に加わっていないのも、これだけの「重労働」を担当しているのでは納得です。土の中から掘り出すのは、やはり大変?(それは「ゴボウ」)
ライナーには誰がどのアリアをうたっているのかきちんと書いてありますから、それぞれのソロを聴くと、同じパートの中でかなり異なったキャラクターがいることがよくわかります。これでは「合唱」としてまとまることはかなり難しいでしょうね。テノールでは、13番を歌っているジェレミー・バッドはかなり張りのある声ですが、20番を歌っているローレンス・ウィルフォードはもっと軽くてソフトな声といった具合、確かにそれぞれのアリアのキャラクターにはピッタリな声なのですがね。難しいところです。
アルトのホワイトは最初のアリア、7番を歌っていますが、発音がとってもユニーク、例えば「von」だったら「フォンヌ」みたいに単語の語尾をやたらと強調しているので、とっても不自然に聴こえます。もう一人、30番の方を歌っているのは女声のメグ・ブレイグルですが、このアリアを歌う人にありがちな深刻さがまるでなくサッパリしているのには好感が持てます。それでいて、表情が豊かなのですからね。
こんな個性的な集団が、後半になるにしたがって次第に声が溶け合って、「合唱」らしくなっていくのですからおもしろいものです。27番のレシタティーヴォの中に出てくるポリフォニックな合唱などは、全く隙のない完璧さでびっくりさせられてしまいました。
終わってみれば、とても引き締まった演奏に、息つく暇もなかったという印象が残ります。最初からそれを狙ったのだとすれば、ちょっとすごいことです。

CD Artwork © ATMA Classique
by jurassic_oyaji | 2012-04-27 20:41 | 合唱 | Comments(0)
POULENC/Choeurs a capella




Stephen Layton/
Danish National Vocal Ensemble
OUR RECORDINGS/8.226906




イギリスの合唱指揮者スティーヴン・レイトンは、自身が作った「ポリフォニー」以外にも多くのイギリスの合唱団の指揮を手がけているのは当然の話ですが、オランダやデンマークの合唱団とまで深い仲になっているのですから、大したものです。デンマークでは1999年からデンマークの公共放送「DR」(NHKみたいなものなのでしょう)の合唱団、デンマーク国立合唱団の首席客演指揮者を務めていますし、その合唱団を母体として2007年に発足したデンマーク国立ヴォーカル・アンサンブルの指揮も、創設時から2011年まで行っていました。もう、地元の指揮者は出る幕がないですね。
そんな、新しい合唱団と2008年から2009年にかけて録音されたプーランクの曲集が、リリースされました。レーベルはデンマークの「OUR RECORDINGS」という、あまり聞いたことのないところ(実は、リコーダーのミカラ・ペトリの録音がたくさんあるそうです)ですが、実体はNAXOS傘下のDACAPOと同じみたいですね。実際、DACAPOで「アルス・ノヴァ・コペンハーゲン」を手掛けているエンジニアの名前が見られますから、録音に関しても期待できそうです。なかなかセンスの良いジャケットを作るところのようで、タイトルも本当は「Half Monk | Half Rascal」というちょっとしゃれたものです。プーランクの合唱曲には宗教曲と世俗曲の2つの側面がありますが、そんな意味を端的に込めたタイトルなのでしょう。写真も、ジャケットに映っているシトロエンのミニカーは、同じ写真の裏焼きが使われているブックレットでは消えてしまっていますし。
レイトンのプーランクと言えば、2007年に「ポリフォニー」と録音したものがありました。今回のCDには、その時の曲目とは決して重複しないものが選ばれているのが、見事というか、親切な配慮です。その結果、男声合唱による「アッシジの聖フランシスコの4つの小さな祈り」と、「パドヴァの聖アントニオの讃歌」が両方とも含まれることになったのは、うれしいことです。しかも、「酒飲みの歌」まで。
もしかしたら、この合唱団の聴きものは男声パートだから、男声合唱を多くしたのでは、と思ってしまうほど、これらは素晴らしい演奏でした。何よりも、プーランクだからと言ってこぎれいにまとめる、ということは一切行っていないのが、とてもすがすがしく感じられます。これはレイトンの持ち味なのでしょうが、宗教曲でここまでのハイテンションはないだろうというところまで「吠え」させているんですね。そこでの合唱は、もう崩壊する一歩手前、まさに「男声合唱」らしさを目いっぱいふるまってくれます。と、ある瞬間に、それがガラッととても繊細で柔らかい表情に変わってしまうのですよ。この落差はかなりショッキング、というか、そんな対比の中で生まれたこの柔らかさは、まさに「神々しさ」すらも秘めた格別の味となっているのです。
ですから、最後に入っている「酒飲み」も、いくらハメを外そうが安心して聴いていられます。そして、期待通り、最後にはとても澄み切ったニ短調の和音が響き渡るのですからね。
女声パートは、男声に比べると、ほんの少しですが、そのあたりのコントロールが苦手なのかもしれません。レイトンの煽りで、かなり粗野な表現(これが、「Rascal」なんでしょうね)が要求されている「7つの歌」や「8つのフランスの歌」では、今一つなりきれていないもどかしさが残ってしまいます。もちろん、水準以上の演奏には違いありませんが。その点、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」や、「ある雪の夕暮れ」などは、しっとりとした味が素敵です。
録音は、さすがDACAPOと思えるような素晴らしさでした。教会のたっぷりとした残響がとても美しく感じられます。DACAPOのようにSACDにしてくれなかったのが、唯一の不満点です。

CD Artwork © Naxos Global Logistics GmbH
by jurassic_oyaji | 2012-04-25 20:25 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Missa in h-moll

Drothee Mields, Hana Blaziková(Sop)
Damien Guillon(CT), Thomas Hobbs(Ten)
Peter Kooij(Bas)
Philippe Herreweghe/
Collegium Vocale Gent
PHI/LPH 004




フィリップ・ヘレヴェッヘと言えば、ながらくHARMONIA MUNDIのアーティストとしてお馴染みでした。なんでも、かれこれ30年来のおつきあいなのだそうです。ケンカばっかりしていたのでしょうね(それは「ド突き合い」)。まあ、それだけ長く務めればあとは独立して好きなようにしたいな、と思ったのかどうかは知りませんが、彼は2010年に自らのレーベル「PHI」を立ち上げます。ロゴマークで分かるように、ギリシャ文字の「ファイ」ですね。発音的にはフランス風に「フィ」というのだそうですが。「OUTHERE」という、「ZIG-ZAG」なども扱っているディストリビューターの下で、2010年3月に録音したマーラーの交響曲第4番を皮切りに、毎年4~5枚のペースで新譜をリリースする予定なのだとか。その4枚目のアイテムとなったのが、今回の「ロ短調」です。
ヘレヴェッヘの「ロ短調」は、もちろんHARMONIA MUNDI時代にも1996年に録音されたものがありましたし、その前にも1988年にはVIRGINに録音していますから、これが3回目なのでしょう。
VIRGIN盤は聴いたことがありませんが、HMでの一連のものに比べると、まず録音がより厚みのあるものになっていることに気づきます。録音を担当したのは「TRITONUS」、しかも、録音会場が、昔カラヤンとベルリン・フィルが愛用していたベルリンのイエス・キリスト教会ですから、確かに骨太の音に仕上がっているのも納得です。澄みきった残響も、心地よく感じられます。
さらにうれしいことに、このCDには日本の代理店によって、ブックレットの全文が日本語に訳されたものが、「おまけ」でついています。そのメインのライナーノーツを執筆しているのが、まさに「ロ短調」の世界的な権威であるクリストフ・ヴォルフであるのもうれしいこと、これだけの「濃い」最新情報を日本語で読めるだけでも価値があります。
ところが、この日本語訳にはきちんと合唱とオーケストラのメンバーが載っているのに、その元になった本来のブックレット(英・仏・独・蘭)には、どこを探してもそれが見当たらないのはどうしてなのでしょう。というか、日本の代理店は、このメンバー表をいったいどこから持ってきたのでしょうか。いずれにしても、すっかり知らない人ばかりになってしまったメンバーの中に、オーボエのマルセル・ポンセールの名前を見つけたり出来るのは、ありがたいことです。
演奏に関しては、合唱もオーケストラも、ますます磨きがかかった響きを届けてくれるようになっているのではないでしょうか。もともとヘレヴェッヘの作りだすものは、他のピリオド系の演奏家のような見かけだけのサプライズはほとんど感じられないものでしたが、ここにきてさらにまろやかさが増してきたような印象があります。なによりも、ソリストたちもそれぞれのパートに参加している合唱のピュアなサウンドは、曲の始まりから、穏やかな安らぎを与えてくれます。ただ、それは響きの中に身をゆだねるといった、かなり感覚的な魅力が勝っていることは否定できません。例えばブリュッヘンなどが見せつけてくれたような、思わずひれ伏したくなるほどの精神的な包容力のようなものまでを、この演奏に求めるのはお門違いのような気がします。
ですから、「Credo」の中にあるいくつかの合唱のための曲のように、場合によってはかなり深刻な表現を求めたくなるような局面でも、あえて「ないものねだり」はせずに、その淡白さの中にこそ平穏な日常性を見出さなければいけないのかもしれません。そうすれば、いかに「Benedictus」のテンポが速すぎたとしても、トーマス・ホッブズが表現を求め過ぎるあまりにそのテンポに乗れなくなってしまうようなことはなくなるのです。
そんな「さらっと系」ロ短調、もし、さらにクリアなSACDだったりしたら、もはやバッハとしての刺激すらもなくなっていたことでしょう。

CD Artwork © Outhere
by jurassic_oyaji | 2012-04-09 21:32 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Johannes-Passion


Gerlinde Sämann(Sop), Petra Noskaiová(Alt)
Christoph Genz(Ten), Jans Hamann(Bas)
Sigiswald Kuijken/
La Pettite Bande
CHALLENGE/CC72545(hybrid SACD)




クイケンがバッハの宗教曲を演奏したものは、かつてはDHMとかACCENTから断片的に出ていたような気がしていましたが、最近ではACCENTでは全集を目指してのカンタータ、CHALLENGEでは受難曲などの大作、みたいな感じで精力的にリリースが展開されているようです。いずれにしても、ジャケットはなかなか「アート」っぽいもので貫かれていたはずだったものが、この「ヨハネ」では「アート」からは対極にあるはずのクイケン自身の「アー写」とは。ま、デ・フリエントみたいに、これが最近のこのレーベルの「方針」なのかもしれませんが。
ジャケット同様、最近の一連のバッハとは違った面を見せているのが、合唱のサイズです。「クイケン=各パート一人ずつ(『OVPP』という略号は、『3・11』同様、馴染めません)」という、このところ彼が頑なにとっていたフォーメーションが見事に崩れて、ここでは4人のソリストが合唱パートも歌う以外に、4人のリピエーノが加わっているのです。聴いてみると、「各パート1人」と「各パート2人」を適宜使い分けて、演奏に幅を持たせているようですね。コラールなどは「2人」体制で臨んで、音色的に落ち着きのある感じを出していますし、ポリフォニックな群衆の合唱では「1人」で、パートの線をくっきり出す、といったメリハリの付け方なのでしょう。
実は、クイケンの指揮による「ヨハネ」には、1987年にDHMに行った録音がありました。これと比較してみたら、そんな「1人」が「2人」に変わった程度の違いでは済まされない、ものすごい落差があるのですから、ちょっと驚いてしまいました。そもそも「ラ・プティット・バンド」とか言ってますが、今回の2011年録音盤と同じメンバーは、ジギスヴァルト・クイケン一人だけなのですからね。そして、合唱はなんと総勢18人、各パート4人から5人という「大人数」です。さらに客観的な数字を挙げると、前回は12219秒だった演奏時間が、10514秒と、とても同じ指揮者とは思えないほどの速さになっています。ここまでテンポが違うと、もう「解釈」そのものが全く別物のように感じられてしまいます。前回は合唱の柔らかな音色もあって、全体に慈しみ深い情感があふれていましたが、今回はなんとも攻撃的な「攻め」の表現が強く感じられてしまいます。まあ、レシタティーヴォの合唱あたりでそういう強い音楽を聴かせるのは良いとしても、それがコラールにまで及んでしまうと、ちょっと息苦しくなってしまいます。正直、今回のコラールは「呼吸」が出来ないほどのなにか即物的な薄っぺらさが漂っているような気がしてしまいます。
今回のSACDがリリースされる時のインフォメーションには、「独自のバージョン」といった、興味をそそられる文言が踊っていました。ただ、そこで紹介されたクイケンのコメント(こちらの翻訳)では、実際にどんな稿の選択を行っていたのかまでは語られてはいませんでした。現物を手にしてブックレットを見ると、このコメントと同じものが、クイケンへのインタビューで「まず、どのバージョンで録音したのか、聞かせてください」という質問に対する答えとして掲載されていました。ただ、こちらには最後にインフォの原文にも翻訳にもなかった「とにかく、みんなが演奏している『第1稿』にしたよ」という発言があるのですね。これが、質問に対する本当の答えなのでしょう。これだけ見ると、クイケンは「第1稿」で演奏しているように思えますが、実際に音を聴いてみると、それは確かに「みんなが演奏している」ものと同じでした。しかし、それは決して「第1稿」ではなく、「新バッハ全集」なんですよね。
つまり、クイケンともあろう人が「第1稿=新バッハ全集」というデマを信じているのですよ。そういえば、DHM盤でも、「Vollständige Fassung(1724)」と、「Neue Ausgabe sämtlicher Werke」という全く別物のクレジットが併記されていましたね。

SACD Artwork © Challenge Records Int.
by jurassic_oyaji | 2012-04-07 23:48 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Matthäus-Passion
Mark Padmore(Ev), Christian Gerhaher(Jes)
Camilla Tilling(Sop), Magdalena Kozená(Alt)
Topi Lehtipuu(Ten), Thomas Quasthoff(Bas)
Peter Sellars(Ritualisation)
Simon Rattle/
Rundfunkchor Berlin(by Simon Halsey)
Knaben des Staats-und Domchors Berlin(by Kai-Uwe Jirka)
Berliner Philharmoniker
BERLINER PHILHARMONIKER/BPH120012(BD)




ベルリン・フィルのネット配信サイト「デジタル・コンサートホール」から、「マタイ」がパッケージとしてリリースされました。
これはただのコンサートではなく、鬼才ピーター・セラーズの「演出」が加えられたもの、2010年3月に、まずザルツブルク・イースター音楽祭、さらに1ヶ月後にベルリンのフィルハーモニーで行われた最終日の模様が収録されています。
いや、確かにクレジットでは「演出」ではなく「Ritualisation 儀式化」とありますが、これはどう見てもちょっとクサめの「お芝居」、「儀式」と言われるほどの宗教性は、ここには存在してはいません。
ここでセラーズが行ったのは、「マタイ」に登場する福音書のテキストや、ピカンダーが書いたアリアの歌詞、さらにはコラールの歌詞までをも、誰にでも分かるように目に見えるものにすることでした。このBDには日本語の字幕も入っていますから、そのあたりはつぶさに分かります。第1部の終わりのレシタティーヴォで「弟子たちはみな逃げてしまった」と言えば、本当にステージから合唱団員がいなくなるのですからね。そして29番のコラールが、ホールの客席内に散らばった合唱によって歌われるのです。こういう、聴衆まで巻き込んだパフォーマンスのことは、普通は「シアターピース」と呼ぶのですが、セラーズにとってはこれが「儀式」だったのかもしれません。
ただ、登場人物の扱いでは、この作品を良く知っている人にとっては、最初は少し不可解な部分があるかもしれません。なんせ、エヴァンゲリストのパドモアが、やたらと演技のテンションが高いのですよね。実は、彼はただのナレーターではなく、「イエス」の役をも兼ねていたのです。本物のイエスであるゲルハーエルは、バルコニーから歌うだけという、ある種超越した人格、生身の演技は、パドモアが一身に引き受けているという構造だったのですね。ソリストのコジェナーに濃密にすり寄られたり、ユダ役の歌手と本当にキスをしたり(唇にですよ。舌も入れてました)、最後は実際に涙を流したりと、まさに迫真の演技です。同じように、やたら深刻ぶってアリアを歌っているコジェナーは、実は「マグダラのマリア」だったことが、しばらく見ていると分かります。いくら「マグダレーナ・コジェナー」だからって、これは出来過ぎですね。
さらに、楽器のオブリガートまでがその「お芝居」に参加します。なんと言ってもすごかったのが、クヴァストホフが歌った42番の「私にイエスを返してくれ!」というアリアでのソロ、樫本大進です。もちろん暗譜で、あの難しいパッセージを、クヴァストホフの目を睨みつけながら完璧に弾いていたのですからね。これは第2コーラスのアリアですが、第1コーラスでソロをしたスタブラヴァを差し置いて最初に名前がクレジットされているのも納得です。
とてもピリオド楽器とは思えないほどの強靭な音を聴かせてくれたヴィオラ・ダ・ガンバのヒレ・パールなどは、最後の合唱を楽器を演奏しながら一緒に歌っていましたね。
合唱も、もちろん全曲暗譜するだけではなく(後ろの方で楽譜を見てる人もいましたが、目をつぶりましょう)、全曲にわたってしっかり重要な「お芝居」を、誰一人として無駄な動きを見せないで真剣に演じているのですから、これは驚異的です。これだけのことを習得するには、いったいどのぐらいのリハーサルが必要だったのでしょうか。まさに「プロ」の仕事です。それだけのことをやりながら、本来の合唱がとても細やかな表情を見せた素晴らしいものだったのが、彼らの最大の功績だったのではないでしょうか。
いや、もしかしたら、これだけ音楽が雄弁に語っている時には、「芝居」がいかに邪魔なものになってしまうかを知らしめたことの方が、もっと大きな功績だったのかもしれません。

BD Artwork © Berlin Phil Media GmbH
by jurassic_oyaji | 2012-04-05 20:10 | 合唱 | Comments(9)
ORFF/Carmina Burana






Sheila Armstrong(Sop), Gerald English(Ten)
Thomas Allen(Bar)
André Previn/
St. Clement Danes Grammar School Boys Choir
London Symphony Orchestra and Chorus
HI-Q/HIQLP008(LP)




Hi-Q」という、行列を作ってお米などをもらう制度(それは「配給」、いつの時代だ!)のようなレーベルが最近出来ました。これは、アナログ録音時代のEMIの音源を、最高のカッティング技術によってLPとして復刻するという、今の時代には逆行するようなことを本気で行っている、殊勝なレーベルです。いや、とかく最近はSACDDSD)やBlu-lay Audio24bit/192kHzLPCM)といったハイスペックのデジタル録音に目が行きがちですが、それほどまでに膨大なデータ量を必要とするメディアよりも、音声信号を直接ラッカー板に刻みつけるアナログ・ディスク(LP)の方がはるかにいい音を聴かせてくれる場合もあるのですから、あながち「逆行」などとは言えないのかも知れません。なにしろ、最近出されるLPときたら、最初から最高の音を目指して作られていますから、盤質はいいしマスタリング(カッティング)も素晴らしいものばかり、これを聴いてしまうととてもただのCDなどは聴く気がしなくなってしまうような代物が目白押しなのですからね。
このレーベルがEMIとどういう関係にあるのかは分かりませんが、ロンドンにあるEMIのスタジオ(いわゆる「アビーロード・スタジオ」)に保存してあるマスターテープを使って、同じスタジオでカッティングを行っているというのですから、カッティング・エンジニアもEMIの関係者なのでしょうね(クレジットはありません)。今までに20枚以上の「新譜」がリリースされているようで、今回の「カルミナ」は、2011年の3月にカッティングが行われたという最新盤です。
これは、プレヴィンがロンドン交響楽団に在任中、1974年に録音されたものです。エンジニアは、他にも素晴らしい録音を残しているクリストファー・パーカーです。同じ時期のロバート・グーチの録音より、こちらの方がよりナチュラルな音が聴けるはずです。CDの音と比較するために、1997年にアラン・ラムゼイによって作られたマスターによるものを用意してみました(6 31802 2)。

このリマスター盤は、かなり良質な音には仕上がっています。特に声楽の音像がくっきり浮き上がって聴こえてくるので、ちょっと見にはLPよりも優れているように思えてしまいますが、よくよく聴いてみると、その輪郭がかなりぼやけていて、ただふくらんでいるだけのことに気づきます。LPの音像はきっちりまとまっていて、それだけ密度が高いのですね。
この演奏の特徴は、合唱がとても性格的な歌い方をしていることではないでしょうか。プレヴィンはこのあと1993年にもDGにウィーン・フィルと録音していますが、その時の合唱団、アルノルト・シェーンベルク合唱団は、このロンドン交響楽団の合唱団とは対照的に、なんとも「すました」演奏に終始しているのは、プレヴィンの「円熟」のせいなのでしょうか。いずれにせよ、その合唱の、ちょっとハメを外した暴走ぶりが、LPではきっちり伝わってくるのに、CDでは全く別の合唱団みたいにおとなしくなって聴こえてくるのですから、いかにCDでは情報が欠落しているかが分かるのではないでしょうか。
ソリストの声も、全く違って聴こえます。録音当時は30代だったアレンの「若さ」は、LPでなければそれほど分かりませんし、アームストロングのクリアな声もCDではぼやけてしか聴こえません。
そんな細々した聴き方をしなくても、全体に漲る瑞々しさは、LPならではの魅力です。マスターテープ自体にかなりノイズが入っているのが分かるぐらい、サーフェス・ノイズも少なくなっているのは、最新のカッティングの賜物でしょう。スクラッチ・ノイズまでなくすことは出来なかったようですが、この程度であれば殆ど気になりません。もしかしたら、レコード業界は1980年頃に、進むべき道を間違えたのでは、と、真剣に悩んでしまうほどの、これは素晴らしいLPです。まさに期待通りでした。

LP Artwork © Resonance Recordings Limited
by jurassic_oyaji | 2012-03-30 20:46 | 合唱 | Comments(0)
CHILCOTT/Requiem

Laurie Ashworth(Sop), Andrew Staples(Ten)
Johathan Vaughn(Org)
The Nash Ensemble
Matthew Owens/
Wells Cathedral Choir
HYPERION/CDA67650




いまや世界中で引っ張り凧の人気作曲家となったボブ・チルコットにとって、その将来を決めることになった幼い日の音楽体験は、いまでも大切な思い出となっていることでしょう。なかでも、1967年に、所属していたケンブリッジ・キングズカレッジ聖歌隊が、ウィルコックスという、ゴキブリみたいな名前(それは、「コックローチ」)の人の指揮でフォーレの「レクイエム」をEMIに録音した時のことは、一生忘れることは出来ないはずです。なにしろ、チルコット少年はそこで「Pie Jesu」のソロを歌ったのですからね。その5年前に同じEMIに録音され、名演と讃えられたクリュイタンス盤とは対照的なアプローチのこのレコードも、やはりもう一つの「名盤」として今に至るまで市場を賑わせています。
そんなフォーレの作品や、やはり同じ聖歌隊で歌ったデュリュフレの「レクイエム」は、しっかりチルコット少年にとっての「レクイエム」の理想像として、心の中に刻まれていたに違いありません。2010年に作られた彼の最初の「レクイエム」は、至る所にその2つの名曲の影が落ちていました。ただ、編成の中にオーケストラが入ることはありません。なんと言っても、アマチュアを含めて多くの団体に演奏してもらい、沢山の楽譜が売れて欲しいと願うのは、現代の作曲家にとっては当然の指向ですから、ここではオルガンをメインに、ティンパニと4つの管楽器(Fl, Ob, Cl, Hr)が加わるという手軽な編成となっています。しかし、チルコットの技を持ってすれば、こんなシンプルな編成からもとても色彩的な響きを導き出すことはわけもないことです。
曲の構成は、フォーレ、デュリュフレと同じように、ドラマティックな「Sequenz」の部分が省かれています。ただ、チルコットの場合は、そこに英語のテキストによる「Thou knowest, Lord」という曲が加わっています。これなどは、同世代のイギリスの作曲家、ジョン・ラッターなどと同じアイディアですね。いや、ラッターとはそれだけではなく、一度聴いただけで惹きつけられずにはいられないようなキャッチーな曲想なども共通したファクターとなっています。もっと言えば、やはり同世代の別のジャンルの作曲家、アンドリュー・ロイド=ウェッバーの「レクイエム」とも通じるものさえ、ここには確かに見ることができるのです。
そんな、「ラッター+ロイド=ウェッバー」のテイストが色濃く表れているのが、おそらくチルコットがもっとも力を入れたであろう「Pie Jesu」です。ここで、先ほどの木管楽器の加わったサウンドが非常に効果的に使われます。オルガンだけではなかなか表現できない「息づかい」の伴った柔らかなアンサンブルに乗って、ソプラノによって歌われるこの曲の、なんと美しいことでしょう。ここで歌っているアッシュワースという人は、他の部分ではかなりオペラティックな歌い方をしているのに、ここだけはしっかりビブラートを抑えてピュアな味わいを出しています。ソプラノよりは「ボーイソプラノ」のような響き、それは、もちろん作曲者自身がこの曲に求めたキャラクターに違いありません。
作品の冒頭を飾る「Introit & Kyrie」などは、「フォーレ+デュリュフレ」テイストのしっとりとした「短調」の音楽で始まります。そこには、確かな「悲しみ」が宿っているのを感じないわけにはいかないのは、この曲を作っている最中に、作曲者の姪御さんが23才の若さでこの世を去ったということと無関係ではないのでしょうね。
しかし、「Sanctus & Benedictus」あたりは、チルコットの得意技、シンコペーションと変拍子の嵐で、全く別の情感も沸き立たせてくれます。もう一人のソリストとして、バリトンではなくテノールが選ばれているのも、曲全体の爽やかさを演出しているようです。
合唱は、トレブルの少年少女合唱があくまで主役、成年男声はちょっと居心地が悪そうな感じです。正直、自分でこの曲を歌いたいとは思いません。

CD Artwork © Hyperion Records Ltd
by jurassic_oyaji | 2012-03-26 21:04 | 合唱 | Comments(0)