おやぢの部屋2
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カテゴリ:合唱( 643 )
FINLAND
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Marcus Creed/
SWR Vokalensemble
SWR/19031CD


どの国の音楽でも、その国の合唱団以上の共感をもって素晴らしい演奏を聴かせてくれているSWRヴォーカルアンサンブルですから、新しいアルバムは聴き逃すわけにはいきません。今回はフィンランドです。
ここで取り上げられている作曲家は、なんと言っても外せないシベリウス以外では、録音セッションが持たれた時点ではすべてご存命だった、まさに「現代作曲家」ばかりです。それは、録音が完了した数日後に亡くなってしまったラウタヴァーラと、サーリアホという重鎮、そして1955年生まれのユッカ・リンコラ、1970年生まれのリイカ・タルヴィティエという名前を聞くのも初めての方々です。
1928年生まれ(↑ブックレットには1925年と)のラウタヴァーラは、1970年代、1990年代、2010年代と、ほぼ20年のインターバルで3つの作品が紹介されています。1978年に作られた「Canticum Mariae virginis」では、まるでリゲティのようなクラスターが流れる上をプレイン・チャントのようなスタイルの聖歌が朗々と歌われる、という二重構造を持ったもの、結果的にそのような手法は絶妙に「ヒーリング」として成立しうるということを感じさせてくれるもので、以降の彼の基本的姿勢が見て取れます。
次の、東京混声合唱団からの委嘱で1993年に作られたという「我が時代の歌」では、その構成はさらに複雑になっていくにもかかわらず、訴えかける力はより強くなっているようです。2曲目の「最初と最後の瞑想」は、キラキラしたオスティナートのなかを、ゆったりとテーマが歌われるという形ですが、そこからラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲の冒頭の夜明けの部分が連想されてしまいました。
それが、まさにこのSWRの委嘱で、この録音の直前に完成した「Orpheus singt」では、テキストがリルケということもあるのでしょうが、まるでロマン派の合唱曲を思わせるようなホモフォニックでシンプルなものに変わっています。
1952年生まれのサーリアホの「Nuits adieux」という作品は、1991年に四重唱とエレクトロニクスのために作られたものを、1996年に4人のソリストと無伴奏混声合唱のために作り直したものです。オリジナルは聴いたことがありませんが、まるで電子音のような効果音を出している合唱と、「無調」のフレーズを歌うソリストという組み合わせはまさに「前衛」音楽です。ただ、合唱は時折しっかりハモっているというのが、「現代的」ですし、後半になってはっきりとリズミカルな部分が登場するのには和みます。
初体験の作曲家、リンコラが2003年の「月の手紙」という作品で見せてくれたのは、まるで合唱コンクールの自由曲にでも使えそうな、適度に難解さを残した手堅さです。そして、タルヴィティエの方は、紛れもない「ジャズ・コーラス」です。ここにヴォイパが入ればそのまんまPENTATONIXになってしまいそうなリズムとテンション・コードの応酬、その中から北欧っぽい抒情性が漂うのですからたまりません。
そして、アルバムの最初と最後を締めているのが、シベリウスです。「恋人」は、彼の代表的な合唱曲、1893年にYL(ヘルシンキ大学男声合唱団)のコンクールで第2位となった作品です。ここでは1898年に改訂された混声バージョンが演奏されています。さらに、1912年には弦楽合奏のバージョンも作られました(↓ブックレットには、なぜかこの弦楽合奏が作られた年代が)。
最後はもちろん「フィンランディア」。無伴奏混声は2種類のバージョンがありますが、ここでは最初に出版されたヘ長調ではなく、変イ長調の方が演奏されています(こちらではなぜか「ヘ長調」となっていますが、もちろんこれはデタラメ)。さらに、アレンジも少し手が入っていて、2番の頭でベースだけ休符なしで拍の頭から入っていたりします。
期待通り、これだけ異なる様式で作られた曲たちを、この合唱団は万遍なく完璧に歌い上げています。極端に遅いテンポで迫る「フィンランディア」などは、まさに絶品です。いや、むしろエロい(それは「インランディア」)。

CD Artwork © Naxos Deutschland Musik & Video Vertriebs-GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-06-22 20:42 | 合唱 | Comments(0)
CM WORKS
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デューク・エイセス
UNIVERSAL/UPCY-7036


この間の「60TH ANNIVERSARY」の時に一緒に購入した、やはり「60周年」がらみのアルバムで、デューク・エイセスが歌ったCMを集めたものです。今までこういう企画はありませんでしたから、この中のものは初めてCDになった曲が殆ど、とても貴重な記録です。今までずっと聴きたいと思い続けていたものが、やっと聴けるようになりました。
録音年代を見てみると、1964年以前、まだ谷口さんが加入していない、おそらく小保方さんがトップ・テナーを務めていたころのものもありました。それは、いかにも和やかな、まるで「ダーク・ダックス」のような端正な味わいを持ったコーラスに聴こえます。それが、谷口さんに替わってからのものになると、ガラッとそのテンションが別物になっていることが感じられます。さらに年代を経て、谷口さんから飯野さんに替わっていると思われる時期のものが2曲ほどありますが、ここでは確かに別の人が歌っていることは分かりますが、コーラス自体の音色やベクトルはほとんど変わっていないことも気づかされます。ここでも、飯野さんが必死の思いでデュークの黄金期のサウンドを守り続けようとしていたことがはっきりと伝わってきます。
今でこそ、CMに使われる音楽は最初からタイアップを前提に制作されたり、既存のヒット曲そのままだったりするので、音質的には単独で聴いても何の問題もありませんが、この頃はまさに「使い捨て」のノリで作られ、録音されていたのでしょう。しかも、このCDに使われているのはそもそもオリジナルのテープではなく、何度かのダビングを経たり、場合によってはエアチェックされた物だったりしますから、音質から言ったらひどいものです。しかし、そんな劣悪な音で聴いても、デュークのハーモニーは完璧に聴こえてきます。それはまさに、今まで聴けなかった「宝の山」です。だから、こんなところでもデュークのしっかりとした足跡が聴けるのはとても幸せです。
そして、そんな現場で作られた曲たちは、もちろん後世に残ることなどは全く考えられずに作られていたはずなのに、「作品」としてもしっかりしたレベルに達していることにも、驚かされます。それだけの才能をもった作曲家が、この頃はいたのでしょうね。
前田憲男などという大御所は、服部時計店のCMではルロイ・アンダーソンの「タイプライター」を下敷きにしたユニークな曲を作っていましたね。小林亜星も、本田技研のCMなどは、よく知られているキャッチーで親しみやすい作風ではなくもっと尖ったジャズっぽいテイスト満載の曲でした。彼は、普通に考えられているよりはるかに優れた作曲家だったのでしょう。
同じように、CM界で大活躍していたのがいずみたくです。この人の場合はまさに予定調和の積み重ねで曲を作るというタイプなのでしょうが、その中に時折キラリと光るようなものを発見できる瞬間があります。デュークにとっては、いずみたくとのCMの仕事と、「にほんのうた」シリーズとは、まったく同等の価値をもって取り組むことが出来た対象だったのではないでしょうか。日本生命保険の「♪ニッセイのおばちゃん~」というCMは、そのまま「にほんのうた」の中の曲になっていてもおかしくないほどです。
実際、彼らはコンサートではこれらのCMもきちんとレパートリーにしていましたからね。その片鱗は、このCDの最後のトラックの、コンサートのライブアルバムからのメドレーでうかがうことが出来ます。
ただ、ぜひ聴きたかった「♪光る光る東芝~」という、「東芝日曜劇場」のオープニングテーマが入っていなかったのは残念でした。これは、最初はダーク・ダックスが歌っていたということで、遠慮したのでしょうか。
それと、ジャケットで和田誠による最新のメンバーの似顔絵が使われているのは、全く理解できません。トップとセカンドは、このアルバムの中では1曲も歌っていない人たちなのですからね。

CD Artwork © Universal Music LLC

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by jurassic_oyaji | 2017-06-20 21:39 | 合唱 | Comments(0)
SIBELIUS/Kullervo, KORTEKANGAS/Migrations
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Lilli Paasikivi(MS), Tommi Hakala(Bar)
Osmo Vänskä/
Ylioppilaskunnan Laulajat(by Pasi Hyökki)
Minnesota Orchestra
BIS/SACD-9048(hybrid SACD)


シベリウスには7曲の交響曲がありますが、「交響曲第1番」が作られる7年ほど前に完成した「クッレルヴォ」というタイトルの2人のソリストと男声合唱とオーケストラのための作品も、時には「クッレルヴォ交響曲」と呼ばれて交響曲の仲間として扱われることもあります。
「クッレルヴォ」というのは、おなじみ、北欧叙事詩の「カレヴァラ」に登場する人物の名前です。その悲劇の主人公が描かれた部分をテキストに使っていますが、そのお話は主人公が鍛冶屋に奉公に出されるとか、死んだはずの妹が実は生きていて、それとは知らずに関係を持ってしまうとか、なんだかワーグナーの「指環」とよく似たエピソードが登場します。このあたりのルーツは一緒なのでしょうね。そんなテキストの中のクッレルヴォのセリフをバリトンが歌い、クッレルヴォがナンパする女性3人のセリフをメゾ・ソプラノが歌います。3人目の女性が、実は妹だったんですね。そして、それ以外の情景や感情の描写が、男声合唱で歌われます。ですから、基本的にこの作品は劇音楽としての性格を持っています。ただ、全く声楽の入らない楽章もあって、それぞれがソナタ形式をとっていたり、スケルツォ的な性格を持っていることから、交響曲としての要素もあります。ここには、後のシベリウスの音楽のエキスが、数多くちりばめられています。ちょっと辻褄があわないところはあるにしてもこの涙を誘う物語は、まるで大河ドラマのような(@新田さん)壮大な音楽に彩られて、深い感動を誘います。
この作品は完成直後の1892年4月に作曲家自身の指揮によって初演され、大好評を博しました。しかし、彼の生前には出版もされず、全曲の演奏も長い間行なわれませんでした。ブライトコプフから楽譜が出版されたのは、1966年のことです。日本で初演されたのは1974年、渡邉暁雄指揮の東京都交響楽団による演奏でした。余談ですが、今年はフィンランド独立100周年ということで、同じ東京都交響楽団が11月にハンヌ・リントゥの指揮でこの作品を演奏するのだそうです。もちろん、2015年には新田ユリさん指揮のアイノラ交響楽団も演奏していたのは、ご存知の方も多いことでしょう。いずれにしても、演奏される機会は非常に少なく、録音でも北欧系の指揮者以外でこの曲を取り上げているのはコリン・デイヴィスとロバート・スパノぐらいしかいないのではないでしょうか。
そんな珍しい曲を、2度録音してくれた人がいます。それは、フィンランドの指揮者オスモ・ヴァンスカ。1回目は2000年のラハティ交響楽団との録音、そして今回2016年のミネソタ管弦楽団との録音です。どちらもレーベルは同じ、さらに、合唱団(YL=ヘルシンキ大学男声合唱団)とメゾ・ソプラノのソリストまで同じです。演奏時間もほぼ同じ、第5楽章だけ、今回の方が1分ほど早くなっていますが、別に聴いた感じそんなに違いはありません。ただ、録音は今回の方がワンランク上がっています。それに伴って、合唱の表情などがより生々しく伝わってきているでしょうか。
これが演奏されたのは、フィンランドから北アメリカへの移住が始まってから150年を記念するコンサートでした。そこでは、ミネソタ管弦楽団とヴァンスカが1955年生まれのフィンランドの作曲家オッリ・コルテカンガスに委嘱した「移住者たち」という作品が初演されています。どこかの国の大統領や総理大臣ではありませんよ(それは「異常者たち」)。この作品では、その「移住150周年記念」というテーマの他に、このシベリウスの「クッレルヴォ」との相似性も追及されていると、作曲家は言っています。ここでも、男声合唱は大活躍、ア・カペラの合唱だけで演奏される楽章もあります。
そして、最後にもう1曲、シベリウスの「フィンランディア」でもこの男声合唱団があのテーマを高らかに歌い上げています。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2017-06-08 20:38 | 合唱 | Comments(0)
60TH ANNIVERSARY
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Duke Aces
UNIVERSAL/UPCY-7060


先日、「デューク・エイセス解散!」というニュースが日本中を駆け巡りましたね。いや、それほど大袈裟なものではありませんでしたが、この、結成されてから60年以上経っているコーラスグループがなくなってしまうことは、一部の人にはかなりの衝撃だったはずです。
結成されたのは1955年ですが、その時のメンバーで今日まで歌い続けているのはバリトンの谷道夫さんだけです。ただ、1958年までにセカンドテナーの吉田一彦さんとベースの槇野義孝さんが加入した後は、この3人は2014年までの57年間変わることはありませんでした。これは驚異的なことです。イギリスの「キングズ・シンガーズ」などは、やはり50年近くの歴史を誇っていますが、メンバーの中で最も長く在籍したデイヴィッド・ハーレイ(カウンターテナー)の在籍期間は「たった」26年ですからね。
何度も代わっていたのはトップテナーのパート。初代(最初はセカンドでした)の和田昭治さんは1960年に小保方淳さんに代わり、さらに1964年には谷口安正さんに代わって、ここからこのグループの黄金期を迎えます。永六輔といずみたくのチームが作った「にほんのうた」シリーズが次々にリリースされたのはまさにこの時代ですね。この中からは、「女一人」とか「いい湯だな」といった、今にまで伝えられる名曲も生まれています。「筑波山麓合唱団」も、ある意味男声合唱の定番ですね。
さらに、トップテナーの人事異動は続きます。1991年からは谷口さんの急逝を受けて飯野知彦さん、そして2010年からは大須賀ひできさんに代わっています。
2015年に60周年、つまり「還暦」を迎えるにあたって、デューク・エイセスはその前年に「感謝還暦」というアルバムをリリースします(「還暦」が「感激」もじりだということは説明の必要はないでしょう)。ここでは、彼らの鉄板のレパートリーであるニグロ・スピリチュアルズやジャズ・コーラスのスタンダードの他に、かつて永六輔が作詞、中村八大が作曲をし、永自身が歌った「生きるものの歌」の、永のセリフ入りバージョンと、新曲の「友よさらば」が加わっていました。それを引っさげてのツアーが、同じ年の10月から始まるのですが、そのステージにはセカンドテナーの吉田さんの姿はありませんでした。彼は体調を崩して療養中だったので、代役の岩田元さんがそのパートを務めていたのです。翌年の3月には吉田さんの引退が発表され、岩田さんが後任となることが決まりました。
そして、それから2年後に、デューク・エイセスの解散が告げられました。今年の末には、この男声カルテットは62年の歴史に幕を下ろすのです。決して19(ジューク)年で終わることはありませんでした。
岩田さんが加入してから最初の、そしておそらく最後となるアルバムが、この「60周年記念盤」です。5年前にも55周年記念アルバムhttp://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/oyaji2/oyaji_84.htm#dukeを出していましたが、これも同じような内容のベストアルバムです。何曲か、55周年盤と同じ曲が収録されていますが、「おさななじみ」の続編と続々編、そして「ここはどこだ」を除いては全て別テイク、オリジナルではなく、1992年にリリースされた「新世界」というタイトルのセルフカバーアルバムのために録音されたものです。ただ、それはいろいろ調べて分かったことで、このアルバムにも55周年盤同様録音データは一切記載されてはいません。
そして、新録音として、2015年の3月の、最後のメンバーによるライブ音源が2曲入っています。これを聴いて、デュークはトップテナーが大須賀さんに代った時点ですでに終わっていたことを強く感じました。先ほどのセルフカバーでは、飯野さんは極力谷口さんのコピーに徹しようとしていましたが、この人は最初からそんな努力とは無縁だったようです。そこに素直な声の岩田さんが加入して、この異質な声はより際立って聴こえます。なぜこんな人を入れたのか、理解に苦しみます。悔やまれてなりません。

CD Artwork © Uninversal Music LLC

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by jurassic_oyaji | 2017-06-06 22:57 | 合唱 | Comments(0)
FJELLHEIM/Northern Lights
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Frode Fjellheim(Vo)
Tove Ramlo-Ystad/
Cantus
DECCA/481 4814


ノルウェーの女声合唱団「カントゥス」のアルバムで、ノルウェーの2Lレーベルから2015年にリリースされた「SPES」については、以前にご紹介していました。その後、このアルバムはグラミー賞の録音部門にノミネートされていましたね。受賞は逃したようですが。そのアルバムは、この合唱団にとっては7枚目となるものでした。ただ、それ以前の6枚はすべてインディーズ・レーベルのもので、インターナショナルに流通されるCDとしてはその2L盤が最初となっていたはずです。
1986年に、現在の指揮者トーヴェ・ラムロ=ユースタによって創設されたこの合唱団のメンバーは、全員がアマチュアですが、それぞれの音楽に対する真摯な姿勢は、とても熱いものがあるのだそうです。世界各地で行われた合唱コンクールでも堂々たる成績を収めていて、その実力は折り紙つきです。もちろん、それだけでは単なる「上手な合唱団」で終わってしまい、全世界でリリースされているレーベルからアルバムがリリースされるほどの「商品価値」はありません。彼女たちは、先ほどのレビューにもあったように、ディズニーのアニメのサントラに起用された、という幸運によって、一夜にして世界を相手に出来る合唱団になっていたのです。
その、「Frozen」のオープニングで、まるでミュージカルのオーバチャーのような扱いで登場するのが、彼女たちによって歌われた「ヴェリイ(Vuelie)=歌」というア・カペラの曲でした。この曲を作ったのが、指揮者のラムロ=ユースタとは音楽大学時代からの知り合いで、自身も サーミ人でノルウェーの民族音楽の伝承者である作曲家のフローデ・フェルハイムです。彼は、この合唱団とは創団時からなにかと相談を受けていたそうで、1996年に彼女らの2枚目のCDとなるクリスマス・アルバムのために「Eatnemen Vuelie(大地の歌)」という曲を作りました。これは、サーミ人独特の民族的な唱法である「ヨイク」のフレーズと、ヨーロッパ全土で親しまれている讃美歌が一緒に歌われるものです。これを聴いたディズニーの制作者から、「Frozen」のバックボーンであるスカンジナビアの世界を現すものとして、この曲を使わせてほしいというオファーが届いたのです。最終的に、その曲は少し手直しされて彼女たちによって歌われ、「Vuelie」というタイトルでサントラに流れることになったのです。冒頭ではア・カペラだったものが、最後に呪いが解ける部分でリプリーズとして再現されるときには華やかなオーケストラがバックに流れ、見るものに感動を与えるという重要な役割を果たしています。
元々力のあったこの合唱団は、この曲で大ブレイク、2LからはSACDとBD-Aというハイレゾメディアがリリースされますし、アメリカへのツアーも行われるようになりました。そして、さらにワンランクのアップが、このDECCAというメジャー・レーベルからのアルバムのリリースです。もちろん、メインタイトルは「Vuelie」、さらに、全ての曲がそれを作ったフェルハイムの作品(1曲だけは彼の編曲のみ)となっています。
「Vuelie」では、2L盤では入っていたフェルハイムのダミ声はなくなっています。さらに、編曲もキーボードとパーカッションというシンプルなものではなく、もっと大規模なオーケストレーションが施されています。その他にも何曲か同じ曲が歌われていますが、一番変わったと思えたのが、元々はヨイクだったものがベースになった「Njoktje(白鳥)」という曲です。2L盤とは歌い方も違っていて、民族的な味わいがすっかり消え去っていました。
もしかしたら、今回のアルバムも2Lのリンドベリによる録音では、と思ったのですが、そうではありませんでした。まずは、音圧が異常に高いポップス仕様のものでした。もちろんハイレゾではありませんからその音は2Lとは比較にもなりません。明らかに、そのような需要を狙ったものなのでしょう。メジャー・デビューというのは、そういうことなのです。

CD Artwork © Decca, a division of Universal Music Operateion Limited

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by jurassic_oyaji | 2017-06-03 20:19 | 合唱 | Comments(0)
BACH/St. John Passion
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James Gilchrist(Ev), Neal Davies(Jes), Sophie Bevan(Sop)
Iestyn Davies(CT), Ed Lyon(Ten), Roderick Williams(Bas)
Stephen Dleobury/
The Choir of King's College
Academy of Ancient Music
CHOIR OF KING'S COLLEGE/KGS0018(hybrid SACD)


ケンブリッジのキングズ・カレッジ合唱団の起源は15世紀までさかのぼるのだそうです。それが、レコードなどによって広く知られるようになったのは、1957年から1974年まで音楽監督を務めた故デイヴィッド・ウィルコックスの時代あたりからでしょうか。ウィルコックスの引退後にそのポストを譲り受けたフィリップ・レッジャーの後任として、1982年に音楽監督に就任したのが、現在のスティーヴン・クリーブリです。このDleoburyという方の日本語表記は「クレオベリー」や「クロウベリー」など何種類かあるようですが、どうやら「クリーブリ」というのが最も近い発音のようですね。コーヒーには入れません(それは「クリープ」)。例によって、こういう「正しい」表記が今までのものと置き換わることはめったにありませんが。
今回の「ヨハネ」は、キングズ・カレッジの2016年のイースターでのライブ録音です。クリーブリとキングズ・カレッジ合唱隊が演奏したバッハの受難曲は、「マタイ」が1994年、「ヨハネ」が1996年のそれぞれやはりイースターでライブ録音されたCDが、BRILLIANTのバッハ全集としてリリースされていました。さらに、こちらにあるように、「ヨハネ」ではCDとは別テイクのDVDも、別のレーベルから出ていました。ここで興味を引いたのは、CDでは普通の新バッハ全集の演奏の後に、1725年の第2稿で新たに作られた曲が演奏されていたことでした。それだけではなく、DVDでは最初からその第2稿で演奏されていたのです(厳密には、第2稿そのものではありませんでしたが)。クリーブリは、ちょっと詰めが甘いところはありますが、「ヨハネ」の異稿についても彼なりのアプローチを行っていたのでした。
ですから、今回彼らのレーベルで初めてバッハの作品を取り上げた時に、その「ヨハネ」のバックインレイにこんなことが書いてあれば、ちょっと期待をしてしまいます。
ここには、確かに「1724年稿」、つまり「第1稿」によって演奏されている、と書かれていますね。しかし、その次の行には「ベーレンライター社の新バッハ全集」とも書いてあります。この2つの言葉は、全く異なる別の楽譜を指し示すはずなのですが、それが並べられているというのはいったいどういうことなのでしょう。
一つの可能性として、「新バッハ全集」の「付録」が関与しているのではないか、という考え方があります。この楽譜の後半には「新バッハ全集」では採用しなかった「初期稿」と「第2稿」と「第4稿」などの情報が収められているのですよ。ですから、それを使えば、「1724年稿」で演奏することも不可能ではありません。同じようにクリーブリがこの「付録」を見ながら演奏していたのが、先ほどのDVDでの「第2稿」だったのですからね。
ところが、このSACDを聴いてみると、最初の10曲は「1724年稿」ではなく「新バッハ全集」でした。もちろん、「付録」ではなく本体を使っての演奏です。つまり、「1724年稿」という表示は全く事実無根、もっと言えば、「1724年稿」が聴きたくてこのアルバムを買った人にとっては、「偽装表示」という「犯罪行為」にほかなりません。
ここで演奏しているアカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックのメンバーとエヴァンゲリストのギルクリストは、2013年に「1724年稿」のようなものを実際に演奏しているのに、この間違いには気づかなかったのでしょうか。
この合唱団の場合、メンバーの入れ替えが激しいので時期によっての出来不出来の差が大きいのですが、今回はどうなのでしょう。とりあえず1996年の録音と比較してみると、こちらの方は限りなく「不出来」に近いようでした。トレブルは仕方がないとして、アルトのパートがかなり悲惨なんですね。それは、コラールなどではごまかすことは出来ても、「Wir haben ein Gesetz」とか「Lasset uns den nicht zerteilen」といったポリフォニーで各パートがソロになると、隠しおおせなくなくなってしまいます。

SACD Artwork © The Choir of King's College, Cambridge

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by jurassic_oyaji | 2017-05-27 20:22 | 合唱 | Comments(0)
PENTATONIX/Vol.IV Classics
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Pentatonix
Dolly Parton
RCA/88985423412


最近ではテレビCMにも出演して、「お茶の間デビュー」を果たしたペンタトニックスの最新アルバムです。タイトルが「第4巻」というのは、4番目のEPということですね。それぞれ6,7曲しか入っていないアルバムなので、かつての7インチ径、45回転のレコードの名前を転用してそのように呼ばれています。でも、この言い方は「EP=シングル盤」という認識が刷り込まれている人にとっては馴染めないでしょうね。
それはともかく、きちんと10曲以上が収録された彼らの2015年の「フル・レングス」のアルバムの冒頭を飾っている「NA NA NA」というオリジナル曲までが、日本ではビールのCMの中で使われていますね。ですから、このEPの国内盤には、この曲がボーナス・トラックとして収録されています。もちろん、アルバムを持っている人にはこんなものは要りませんから、輸入盤で十分です。
このEPは、全曲カバーということで「クラシックス」と、今まで彼らのCDにはクリスマス・アルバム以外には付いていなかったサブタイトルが付けられています。もちろん、これは「クラシック音楽」とは全く別の意味の言葉で、「ポップス界の名曲」といったぐらいの意味です。まあ、「クラシック音楽」は全てカバー曲なので、完全に「別」とは言えないのかもしれませんが。
ここでカバーされている名曲は、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」、ジョン・レノンの「イマジン」、アンドリュー・シスターズの「ブギ・ウギ・ビューグル・ボーイ」、ジュディ・ガーランドの「オーバー・ザ・レインボウ」、A-haの「テイク・オン・ミー」、エルヴィス・プレスリーの「好きにならずにいられない」の6曲と、輸入盤ではボーナス・トラックになっているドリー・パートンの「ジョリーン」の、計7曲です。「好きにならずにいられない(Can’t Falling in Love)」はそれ自体がカバーですね。
彼らは、もちろん今までも数多くのカバーを手掛けてきましたが(Perfumeまで!)、多くの場合、オリジナルを大切にしたアレンジを施す、という姿勢がとられているのではないでしょうか。彼らを一躍有名にした「ダフト・パンク」にしても、それぞれの曲はかなりオリジナルに近いもの、それをいかにア・カペラで再現するかというところが聴きどころだったはずです。
ですから、最初の「ボヘミアン・ラプソディ」では、オリジナルの複雑な構成とサウンドがそのまま5人だけのアンサンブルで再現されていることに驚かされてしまいます。そこでは、フレディがピアノの弾き語りで左腕を交差させて高音フレーズを弾いている映像までが眼前に広がってくるようでした。
「イマジン」では、オリジナルは正直あまり良い曲だとは思っていませんでした。構成があまりにシンプルすぎて嘘くさいんですね。忙しい人が強いて聴くほどのものではない、と(「暇人」だったらいいのかも)。ところが、今回のバージョンでは、そんなシンプルさを逆手にとってとても細かいところで心に突き刺さってくるような憎いアレンジになっています。何より、コーラスで歌い上げられた時のメッセージの強さと言ったらジョンの貧弱なボーカルの比ではありません。まさにオリジナルを超えたカバー、聴きながら涙がこらえられないほどのすばらしさです。
最後の曲は、オリヴイア・ニュートン・ジョンのカバーも有名ですが、作ったのはドリー・パートン、ここではなんと彼女自身がフィーチャーされているというサプライズ付きです。ご存知でしょうが、このトラックは2016年9月にYouTubeにアップされたもので、今年のグラミー賞を受賞しています。カテゴリーは「最優秀カントリー・デュオ/グループ・パフォーマンス」ですね。これで、ペンタトニックスは3年連続グラミーを受賞なのだとか、「カントリー」まで制覇して彼らはますます凄さを増しています。
ただ、1日1回は目にする「パズドラ」のCMからは、おそらく、この凄さは伝わってくることはないでしょう。あれはオリジナルがひどすぎます。

CD Artwork © RCA Records

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by jurassic_oyaji | 2017-05-25 20:19 | 合唱 | Comments(0)
MANSURIAN/Requiem
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Anja Petersen(Sop)
Andrew Redmond(Sop)
Alexander Liebreich/
RIAS Kammerchor
Münchener Kammerorchester
ECM/481 4101


アルメニアの作曲家、ティグラン・マンスーリアンは、毎月新作を発表していますが(それは「マンスリー」)、2011年には「レクイエム」も作っています。
この年号を見て「もしや」とも思ったのですが、この年に日本で勃発した大災害とは何も関係はないようです。というより、作り始めたのは2010年ですから、まだあの悲劇は起こってはいませんでした。作曲家によれば、ほぼ1世紀前、1915年から1917年にかけての、トルコによるアルメニア人の虐殺の被害者の想い出のために作られたのだそうです。それは、彼自身の家族へもおよんだ事件だったのです。
委嘱は、このCDで演奏しているRIAS室内合唱団とミュンヘン室内管弦楽団からのものでした。初演はもちろんリープライヒの指揮するこの団体によって、2011年11月19日に、ベルリンのフィルハーモニーの室内楽ホールで行われました。それに続いて、23、24、25の3日間ドイツ国内で演奏が行われ、2013年1月16日には同じメンバーによるアルメニア初演も行われました。
それ以降、今日までに韓国、アメリカ、ポーランド、メキシコ、オーストリア、エストニア、スイスなど、世界中で演奏されています。
今回の録音は、作曲家の立会いのもと、献呈者、つまり初演メンバーによって2016年1月に行われました。会場はかつてカラヤンとベルリン・フィルが使っていたベルリンのイエス・キリスト教会です。ブックレットに写真がありますが、オーケストラは弦楽器だけが6.5.4.4.2で、左からVnI、Va、Vc、VnIIと並び、Vcの後ろにCbが来るという、変則的な対向配置になっています。合唱も、左からベース、アルト、テナー、ソプラノというやはりちょっと珍しい並び方です。楽譜には特に配置に関しての指定はないようなので、これは演奏家のアイディアなのでしょうか。特にオーケストラでヴァイオリンが左右に分かれているのは、同じ音のロングトーンを受け渡すようなシーンでとても効果的です。
まずは、その会場の響きを熟知し、完璧な音を記録した「トリトヌス」のペーター・レンガーとシュテファン・シェルマンの2人のエンジニアの仕事ぶりに圧倒されました。全体はしっとりと落ち着いたモノトーンに支配され、豊かな残響に包まれています。オーケストラはそれほどの人数ではありませんが、とても充実したサウンドが広々とした音場で広がっています。そして、合唱は40人ほどですが、全く歪のない透き通った音は驚異的です。
この「レクイエム」は、伝統的なラテン語のテキストによって作られています。ただ、作品は演奏時間が45分程度とちょっと短め。それは、テキストのうちの長大なSequentiaからは、「Dies iras」、「Tuba mirum」、「Lacrimosa」の3つの部分しか使われていないからです。
なんでも、アルメニアというのは、世界で初めてキリスト教を「国教」と定めた国なのだそうです。作曲家によれば、全く同じテキストでも、ローマ・カトリックの教会での受け止め方とはかなり異なっているということです。おそらく、それはこの曲を聴いたときにはっきりと聴衆には伝わってくるはずです。時折ユニゾンで聴こえてくる聖歌のメロディは、カトリックでの音楽がベースとしたグレゴリア聖歌とは、微妙なところで雰囲気が別物です。
とは言っても、やはり死者を悼む気持ちを表現する時には、そのような些細なことはあまり問題にならなくなってきます。「Reqiem aeternam」の冒頭の和声は、まるでメシアンのように響きますし、次の「Kyrie」でのリズミカルな変拍子の応酬は、まるでバーンスタインの音楽かと思ってしまうほどです。そして、全体の雰囲気が、大好きなデュリュフレの作品とどこかでつながっているような気がしてなりません。またお気に入りの「レクイエム」が増えました。
中でも、ヴァイオリンのソリストのグリッサンドによる下降音から始まる「Lacrimosa」は、直接的に「悲しみ」が伝わってくる感動的な曲です。心の震えを抑えることが出来ません。

CD Artwork © ECM Records GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-05-23 22:57 | 合唱 | Comments(0)
ARIAS FOR ALL
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Julian Reynolds/
Ave Sol Choir
Latvian Opera Orchestra
SONY/88985370282


「アヴェ・ソル」というなんともなつかしい名前がSONYの新譜の中にあったので、思わずチェックしてしまいました。総理大臣が威張っていたわけではありません(それは「安倍、反る」)。正式な名前は「リガ室内合唱団『アヴェ・ソル』」。ラトヴィアの首都リガで1969年にこの国の合唱界のリーダーだったイマンツ・コカーシュによって創設されたプロの合唱団です。ラトヴィアは近隣のエストニア、リトアニアとともに「バルト三国」と呼ばれていて、それぞれに合唱音楽のレベルの高さで広く知られています。「アヴェ・ソル」は、そんな中でも「ラトヴィアでは最高峰の合唱団」と言われていました。
2003年にはビクター・エンタテインメントから「バルト三国の合唱音楽選集」という5枚のCDのシリーズがリリースされましたが、その中の2枚をこの「アヴェ・ソル」の演奏が占めていたということが、この合唱団の実力を端的に物語っています。このうちの男声合唱と混声合唱を収めたCDを聴いてみると、その素晴らしさには言葉を失います。男声はあくまでソフトな音色でとても繊細な響きを出していますし、女声はとことんピュアな声で迫ります。もちろん全曲ア・カペラで歌われていて、混じりけのない極上のサウンドが堪能できました。
そんな合唱団がオペラ・アリアを「合唱」で歌う、という触れ込みのCDを作りました。一瞬、これはオペラ・アリアをア・カペラの合唱で歌っているのだな、と思ってしまいました。あの澄んだハーモニーで、有名なオペラ・アリアを歌えば、そこにはまた新たな魅力が加わることでしょう。というか、普通にオーケストラをバックに合唱でアリアを歌ったって、なんにも面白くないじゃないですか。
ところが、そんな期待は完全に裏切られてしまいました。ここではまさにその「な~んにも面白くない」事をやっていたのですよ。バックインレイを見てみると、そこには12曲の非常に有名なオペラ・アリアのリストとともに、「ジュリアン・レイノルズの指揮によるラトヴィア・オペラ管弦楽団」という文字があったではありませんか。
ジュリアン・レイノルズは、世界中のオペラハウスで指揮をしているオペラのスペシャリストです。ネーデルランド・オペラとかモネ劇場といった渋いところで活躍しています。そして、このオーケストラはリガにあるラトヴィア国立歌劇場のオーケストラのピックアップ・メンバーによってこの録音のために用意されたものなのでしょう。ブックレットの写真ではフルートには首席奏者ミクス・ヴィルソンスの顔も見られますが、弦楽器はおそらく8型程度の少人数のようですね。
最初の、「トゥーランドット」の「Nessun dorma」あたりは、なかなかのもののように思えました。この曲にはもともと合唱も入っていますが、それとソロとの歌いわけも納得できるような編曲で、それほど抵抗なく聴くことが出来ます。しかし、合唱のサウンドは、先ほどのア・カペラのCDとは雲泥の差でした。それぞれのメンバーがとても立派な声を持っているのはよく分かるのですが、合唱としてのまとまりがほとんど感じられないのです。創設者のイマンツ・コカーシュはもう亡くなっていて、今では息子のウルディスが指揮をしているそうですが、そのせいなのか、あるいはこんな適当なセッションなのでろくすっぽリハーサルもしていなかったのか、それは分かりません。
いや、これは決して「適当」なものではなく、それぞれの曲は合唱が映えるように指揮者のレイノルズによってかなり手が加えられているのですが、それはどうやら逆効果だったようです。「カルメン」の「ハバネラ」でティンパニが堂々と鳴り響くアレンジなどは、あまり聴きたくはありません。そして、弦楽器があまりにしょぼすぎます。
不思議なのは、写真とは反対の定位で合唱が聴こえてくること。オーケストラでも、弦楽器はそのままの定位ですが、ティンパニだけ写真とは反対側から聴こえてきます。なんか、いい加減。

CD Artwork © Sony Music Entertainment

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by jurassic_oyaji | 2017-05-16 22:56 | 合唱 | Comments(0)
ジャズっぽい曲もありました
 RADIKOの「タイムフリー」はとても役に立つ機能ですが、いつでも聴けると思っていると、つい聴き逃してしまうことがままあったりします。「フリー」といっても、その期限は1週間しかないので、それを過ぎるともう聴けなくなってしまうんですよね。先週の日曜日に放送された仙台フィルの番組も、今週は何かと忙しくてまとまった時間がとれなくて(なんせ、3時間という時間制限があって、それを過ぎると聴けなくなりますから、一気に1時間とか聴かないといけません)聴けないでいたら、もう日曜日になってしまったではありませんか。今日中に聴かないことには、もう一生この回は聴くことが出来ませんよ。
 それで、最後の手段、車での移動の時にiPhoneをカーオーディオにつないで聴くことにしました。今日はちょっと遠いところ(市内ですが)まで知り合いの知り合いの合唱団のコンサートを聴きに行くことになっていましたが、駐車場が混んでて入れないことも見越して、かなり早い時間に出発しましたから、これを聴く時間は十分にあるはずです。
 新年度になってMさんが出演することになってこれが2回目になるのですが、もうすっかりMさんはDJ稼業が板についたようですね。前回はちょっと硬いところがあったものが、今回は普段通りのノリの良さで、とても面白い話を聴かせてくれていましたよ。次回も楽しみです。相方のアナウンサーがなんとも間抜けな受け答えしかできないのが、ちょっと痛いところですがね。一番ウケたのは、「鉄腕アトム」のイントロに全音音階が使われている、という指摘。これは、前から私も気が付いていましたが、そこから「未来に向けてのメッセージ」みたいな意味を感じるのは、さすがMさんです。これがスティーヴィー・ワンダーの「You are the Sunshine of my Life」だとどうなるのでしょうね。
 コンサートの会場にはすぐ着いてしまったので、そのまま駐車場で最後まで聴いてから、ホールに向かいます。この合唱の今回のプログラムは、全部仙台の女子大の先生で作曲家のA先生の作品だけを取り上げていました。さらに、後半のステージではA先生自身がピアノ伴奏も担当していました。そして、最後のステージではこの合唱団が委嘱した新作の初演もありました。なんと贅沢な。
 この方の作品は合唱界では全国的に有名で、色んなところで聴いたことがあります。とてもキャッチーなメロディで、親しみやすい曲なのですが、その親しみやすさとは裏腹にピアノ伴奏がとても難しそう、という印象がありました。以前も別の合唱団で先生がピアノ伴奏を弾いていたことがありましたが、それはさすがに自分の作品ということで、とても伸び伸びとかっこよく弾いていましたね。ですから、普通の伴奏者がこれをそのまま弾いたのでは、とても大変だろうなあ、という気にはなりました。
 今日の前半のステージでは、伴奏はそんな「普通の」人。まさにそんな危惧が現実のものとなっていました。最初の曲でピアノ伴奏が聴こえてきた瞬間から、これはどうしようもないな、と思ってしまいましたよ。音は外すし、リズムは合わないし、変なところでアクセントを付けるし、そして一番いけないのは、合唱と全く合っていないんですね。いや、合わせる以前の問題、ピアニストはAさんの書いた難しい音符と格闘するのに精いっぱいで、とても他人の演奏なんか聴いている余裕はなかったのでしょう。
 それが、後半にAさんの伴奏になったら、もう別物、まさに余裕で、その曲の味が最も美しく出てくるような絶妙のピアノが聴けました。軽々と弾いているので、合唱の声もよく聴こえるようになりました。これはもう至福の瞬間ですね。初演の曲はいつもと同じ親しみやすい作風ですが、最後の曲ではなんと「パッサカリア」が使われていたりして、とても楽しめました。
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by jurassic_oyaji | 2017-05-14 21:15 | 合唱 | Comments(0)