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カテゴリ:合唱( 650 )
The Sound of the King's Singers
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The King's Singers
WARNER/0910295764012


「キングズ・シンガーズ」が公式に誕生したのは1968年5月1日ですから、来年には彼らは50周年を迎えることになります。もちろん、創設時から解散までの63年もの間、同じメンバーが半分は居続けたという「デューク・エイセス」のようなコーラスとは違って、長い人で26年、短い人だとほんの数年で後進に道を譲ってきたこのグループでは、この時のメンバー(スタート時は6人編成でした)はもはや誰も残ってはいません。つまり、全てのパートが現在は4代目か5代目に替わっているのですね。こんな感じで、彼らはこれから先も適宜メンバーチェンジを重ねつつ、活動を続けていくのでしょう。ですから、「デューク」の63年というギネスものの記録も、いずれは簡単に破られることでしょう。余談ですが、「デューク」の場合は、交替メンバーの人選を誤りさえしなければ、もっと「長生き」出来たのでは、という気がします。現在のトップテナーは最悪でした。
「キングズ」の場合も、明らかな人選ミスがあったため、その人が在籍した10年ほどの間は、明らかにグループのクオリティが落ちていたな、というのは、あくまで個人的な感想です。
そんな「50周年」がらみなのでしょうか。このグループが最初に所属していたEMIを買収したWARNERから、こんな3枚組のアルバムが出ました。10年近く前のEMI時代にこんなコンピレーションが出ていましたが、今回はオリジナル・アルバムをそのまま復刻したものになっています。ブックレットには最初にEMIに録音した時のメンバーの写真が載っていますし、デジパックではそれぞれのアルバムのオリジナル・ジャケットを見ることが出来ます。
1枚目は「マドリガル・ヒストリー・ツアー」、1984年に2枚組のLPでリリースされたものを1枚のCDに収めたものです。こちらでご紹介したように、同じ年のテレビ番組と連携して録音されたものです。これは、実は初出のCD(1989年)をすでに持っていました。今回はその時のリマスタリング・データをそのまま使っているようでしたね。これはなんたって彼らの魅力がもっとも味わえるレパートリーですから、何も言うことはありません。彼らの歌うマドリガルは、常に現代人にも共感できるエンターテインメントが込められています。それは、彼らが歌っていた曲をさる合唱団が偉い指揮者のもとで演奏している時に、なんてつまらない曲なんだろうと感じてしまうほどでしたからね。
2枚目は、「コメディアン・ハルモニスツへのトリビュート」という1985年のアルバム、先ほどのコンピに何曲かは入っていましたが、アルバム全部を聴くのはこれが初めてです。そもそも「コメディアン・ハルモニスツ」というのも初めて知りました。これは、ドイツの放送局との共同制作で、ドイツで1920年代から1930年代まで活躍したそういう名前の男声コーラスグループが歌っていたものを再現しています(彼らの演奏はSPレコードで残されています)。ドイツの民謡から、アメリカのスタンダード・ナンバーまでをレパートリーにしていたそうですが、キングズ・シンガーズが素晴らしいドイツ語のディクションで聴かせる早口言葉は最高です。
3枚目は、それに対してアメリカのヒットソングを集めた1989年のアルバムです。ここから、デジタル録音に変わっていますし、テナーがビル・アイヴスからボブ・チルコットに変わっているのが、最大の違い。そして、ここではアンドリュー・ロイド=ウェッバーのオーケストレーターとして知られるデイヴィッド・カレンがオーケストラのための編曲を行っています。これは、それこそ「ジーザス・クライスト・スーパースター」を思わせるような可憐、というよりはゴージャスな編曲が聴かせどころなのでしょうが、その分合唱の比重が少なくなっていて、シンガーズのファンには物足りない出来になっています。ですから、ここではチルコットの悪声はそれほど目立ちません。

CD Artwork © Warner Music Group Germany Holding GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-09-19 18:23 | 合唱 | Comments(0)
MARTINI/Requiem pour Louis XVI. et Marie Antoinette
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Corinna Schreiter(Sop), Martin Platz(Ten), Markusu Simon(Bas)
Wolfgang Riedelbauch/
Festivalchor Musica Franconia
La Banda
CHRISTOPHORUS/CHR 77413


マルティーニが作った「ルイ16世とマリー・アントワネットのための」というサブタイトルが付けられた「レクイエム」の、世界初録音です。
「マルティーニ」のいう名前の作曲家は、音楽史には2人ほど登場しますが、こちらはモーツァルトの先生として有名なジョヴァンニ・バッティスタ・マルティーニではなく、ジャン・ポール・エジード・マルティーニという、あのエルヴィス・プレスリーが「好きにならずにいられない」(Can't Help Falling In Love )というタイトルでカバーした「愛の喜び」(Plaisir d'Amour)の作曲家としてのみ知られている人です。
フランス革命でブルボン朝のルイ16世が処刑されたのは1793年1月21日、その妻、マリー・アントワネットも10月16日に、やはりギロチンによって処刑されました。これは「罪人」としての処刑ですから、お葬式などが執り行われることはありませんでした。
しかし、1816年になって、王政復古で即位していたルイ18世によって、ルイ16世の命日にあたる1月21日に、この二人の葬儀が行われました。その時に演奏されたのが、この、マルティーニの「レクイエム」でした。この作曲家は1741年ドイツ生まれ、フランスで活躍したために、フランス風の呼び名に改名しています。1788年にはブルボン朝の宮廷楽長にもなりました。コンクールのために、楽団を鍛えたんですね(それは「ブラバン」)。革命でその職を失いますが、王政復古で「再雇用」されていたのでした。とは言っても、この「レクイエム」を作ったのは彼が74歳の時、この曲が演奏された直後、2月14日には亡くなってしまいますから、これは彼自身のための「レクイエム」でもあったのですね。
そんな「遺作」は、そのような注文があったのか、あるいは、まるで作曲家が生涯の締めくくりとして目いっぱいそれまでの技法をつぎ込んだのかはわかりませんが、なんとも力の入った、死者を悼むにはいささか大げさすぎるような作品になっていました。なんたって、最初の「Requiem aeternam」の冒頭は、ドラの強打で始まるのですからね。まあ、仏教のお葬式では太鼓やシンバルを鳴らしたりする宗派もありますから、そんな意味もあったのかもしれませんが、例えばモーツァルトの作品のような敬虔な趣は全く感じられません。
続く「Sequentia」では、この長大なテキストをモーツァルトとは別のところで区切って、5つの曲が作られています。それぞれの曲の作り方も、テキストに順次曲を付けるのではなく、興に乗って自由に順番を入れ替えたりするという作られ方になっています。ですから、最初の曲の「Dies irae」では4節目(「Mors stupebit」)まで使われていますが、「Tuba mirum」で出てくるとても陽気なトランペットのファンファーレが何度も登場することになります。なぜか、1節目の最後の行、「teste David cum Sibylla」が削除されていますし。
残りの4曲では、ソロ、デュエット、合唱と、ヴァラエティに富んだ編成で、とても雄弁な音楽が聴こえてきます。それらは、まさにこの作曲家が長く携わっていたオペラのスタイルで作られています。そう、マルティーニは、半世紀後にさらにオペラ的な「レクイエム」を作ったジュゼッペ・ヴェルディの、まさに先駆け的な存在だったのです。最後におかれた「Amen」では、ドラに加えてティンパニまで炸裂しますから。
演奏するのに1時間以上かかるこの大作は、そんな、とても中身の濃いものでした。ところが、ここで演奏している合唱団(と、オーケストラ)は、そんな作品のドラマティックな表現を試みているのでしょうが、それを「表現」と感じられるだけのスキルが完全に欠如しているために、なんともおぞましく悲惨な結果を引き起こしています。これがライブ録音だということを差し引いても、そのお粗末さには耳を塞ぎたくなります。出番の多いソプラノのソリストはかなり健闘しているのですが。
一緒に演奏されていたのは、こちらも作曲家のお葬式で演奏されたグルックの「深き淵より」です。

CD Artwork © Note 1 Music GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-09-02 20:42 | 合唱 | Comments(0)
KLEINBERG/Mass for Modern Man
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Mari Eriksmoen(Sop)
Johannes Weisser(Bar)
Eivind Gullberg Jensen/
Trondheim Symphony Orchestra and Choir
2L/2L-136-SABD(hybrid SACD, BD-A)


1958年生まれ、現代ノルウェーを代表する作曲家ストーレ・クライベルグの最新作、「現代人のためのミサ」というタイトルの「ミサ曲」のアルバムがリリースされました。
この作品は、ミュンヘン大聖堂からの委嘱によって作曲されたもので、世界初演は2015年の7月28日に、ノルウェーのトロンハイムでの「聖オーラヴ音楽祭」のオープニングコンサート(会場はニーダロス大聖堂)で行われました。さらに、同じ年の11月15日には、委嘱元のミュンヘン大聖堂でドイツ初演が行われました。世界初演はノルウェーの演奏家たちによるものでしたが、この時は、ソリストも合唱団もオーケストラも別の演奏家でした。
そして、2016年の8月に、トロンハイムのオーラヴホール(先ほどの音楽祭のメイン会場)で、世界初演のメンバーも参加しての2Lへの録音セッションで製作されたのが、このアルバムです。もちろん、これが世界初録音となります。それはこのレーベルのお家芸であるDXDで録音され、それが2.8DSDのSACDと、24/192PCMのBD-Aの2枚のパッケージになっています。今までの経験から、BD-Aの方がSACDよりも元の録音に近いものが体験できていたので、今回も聴いたのはBD-Aのディスクです。
世界初演と同じメンバーなのは指揮者とソリストだけ、初演での合唱はBISの一連の録音でおなじみの「ノルウェー・ソリスト合唱団」でしたし、オーケストラは「トロンハイム・シンフォニエッタ」でした。これは想像ですが、この合唱団が今回の録音で使えなかったのはレーベル間の契約の問題があったからなのかもしれません。さらに、もしかしたら、メンバーはかなりの人が両方の合唱団を兼任しているのではないでしょうか。
このミサ曲は、「現代人のための」という注釈がある通り、伝統的なミサのテキストだけではなく、この作品のために作られた「現代」のテキストも使われています。それは、この作曲家と以前共同作業を行ったことのあるイギリスの作家、ジェシカ・ゴードンによって書かれた、英語のテキストです。ノルウェー語ではなく英語を用いたというところで、この作品がインターナショナルな視点(あるいはマーケット)を目指したものであることがうかがえます。
この「現代」のテキストによる音楽は3曲用意されています。「Kyrie」と「Gloria」の間には、バリトン・ソロによる「祖国の喪失-難民」、「Gloria」と「Credo」の間には、ソプラノとバリトンの二重唱による「子供の喪失」、そして、「Credo」と「Sanctus」の間にはソプラノ・ソロによる「未来への信頼と希望の喪失」という、それぞれ「喪失」をテーマとした内容のテキストが歌われます。それらは、もうこのタイトルのまんま、現代社会が抱える深刻な問題が、やはり深刻な語り口によって演奏されます。
そして、その周りをミサ通常文によるお馴染みのタイトルの曲が、こちらは合唱だけによって歌われます。この対比がこの曲の魅力の一つでしょう。合唱はあくまでピュアな響きで「理想」を歌い上げているのに対して、ソリストのうちでも特にバリトンは深刻極まりない歌い方で「現実」を嘆きます。ただ、もう一人のソプラノのソリストは、とても可憐な歌い方なので、この暗い詩の世界を歌ってもなにか救いが感じられます。それは、全体の終わり、「Dona nobis pacem」のあまりに美しい合唱の響きの中へと終息していくはずのものだったのでしょう。
オーケストラは7.7.5.4.2という弦楽器とフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンがそれぞれ1本ずつにハープというシンプルな編成、それが、サラウンドに対応した11本のマイク・アレイを囲むように2列の同心円状に並んだ間に、16人の合唱が挟まれる、という特殊な並び方をしています。そのためなのか、合唱はア・カペラでは澄んだ響きが聴こえるのに、楽器が入ると途端に音が濁ってしまいます。このレーベルの録音としては、ちょっと期待外れ。もっとクリアな音で聴きたいな。

SACD, BD Artwork © Lindberg Lyd AS

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by jurassic_oyaji | 2017-08-22 22:56 | 合唱 | Comments(0)
ELGAR/The Dream of Gerontius
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Catherine Wyn-Rogers(Sop)
Andrew Staples(Ten), Thomas Hampson(Bar)
Daniel Barenboim/
Staatsopernchor Berlin, RIAS Kammerchor
Staatskapelle Berlin
DECCA/483 1585


最近、DECCAからダニエル・バレンボイムが指揮をしたエルガーの作品が継続してリリースされています。オーケストラは彼の現在の手兵、ベルリン・シュターツカペレです。ちょっと意外なレパートリーのような気がしますが、実はバレンボイムは、過去には集中的にエルガーの作品を録音していた時期がありました。
それは1970年代のこと、CBSのために、主だったオーケストラの作品をLPで8枚分ほど録音していたのです。この時代、イギリス人の指揮者以外がこれほど熱心にエルガーに取り込んだのは、極めて異例のことだったのではないでしょうか。彼はかねてよりの筋金入りのエルガー・ファンだったのです。
これらの録音はほとんどロンドン・フィルを指揮してのものですが、一部はイギリス室内管弦楽団、そして、ジャクリーヌ・デュプレとの共演での「チェロ協奏曲」は、フィラデルフィア管弦楽団とのアメリカでのライブ録音でした。これらの録音は、その「チェロ協奏曲」以外はおそらくCD化もされずに入手困難な状態でした。
それが、ごく最近、SONYからバレンボイムのこのレーベルへの全録音がボックスでリリースされた際に、エルガーの選集もオリジナル紙ジャケットでCD化され、容易に入手できるようになりました。
それを予言していたかのように、バレンボイムはまず2012年に、アリサ・ワイラースタインのソロで「チェロ協奏曲」を録音、2013年には「交響曲第2番」、2015年には「交響曲第1番」も録音しました。そして、それに続いて今回初めて録音したのが、この「ゲロンティアスの夢」です。ただ、CDとしては初めてですが、ライブ映像としては、2012年にベルリン・フィルと演奏したものがDCHのアーカイヴには収められています。これは、オーケストラだけでなく、ソリストや合唱団も全て今回のCDとは異なっています。
「ゲロンティアスの夢」は、それまではアマチュアの作曲家程度の扱いしか受けていなかったエルガーが、1899年に発表した「エニグマ変奏曲」によって一躍一流作曲家として認められることになった直後の1900年に、バーミンガム音楽祭で初演され、その初演こそ不評だったものの、やがて各地での再演では大好評を博してその名声を確固たるものにしたという、いわばエルガーを「ブレイク」させることになった作品です。
そもそもは、1898年にこの音楽祭から、大規模のオラトリオを作ってほしいという委嘱を受けて作ることになったものです。そこでエルガーが選んだテキストが、1865年にカトリックの枢機卿、ジョン・ヘンリー・ニューマンによって作られた長編宗教詩「ゲロンティアスの夢」です。エルガーは若いころにこの詩に出会い、長いことこれに音楽を付けるための構想を練っていたのでした。
その詩は、ゲロンティアスという男が今まさに死に瀕している場面から始まり、やがて死が訪れるとその魂だけが天上でさまよい、様々な試練を受けた末に救済される、といったような、「死後の世界」が描かれています。なんちゃって(それは「死語の世界」)。
ソリストは、ゲロンティアス役のテノール、天使役のソプラノ、そして、司祭と苦悩の天使役のバリトンの3人、そこに、様々な設定(天使から悪魔まで)を演じる混声合唱が加わります。まるで、ワーグナーの「パルジファル」を思い浮かべるような前奏曲から、最後の感動的な天使の合唱までの1時間半、何も身構えなくても心の中から共感できるような音楽が続きます。特に、ベルリン州立歌劇場の合唱団とRIAS室内合唱団の混成チームが、バレンボイムの重みのある指揮に応えて、とても豊かな表現力で、物語を雄弁に伝えてくれています。
それに対して、テノール・ソロの声が軽すぎるのが、ちょっとした瑕でしょうか。ソプラノ・ソロももう少し可憐さがあってもよかったかもしれません。合唱団の席で歌っているバリトンのハンプソンは、さすがの貫録です。

CD Artwork © Decca Music Group Limited

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by jurassic_oyaji | 2017-08-19 20:27 | 合唱 | Comments(3)
GLANERT/Requiem for Hieronymus Bosch
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David Wilson-Johnson(Voice), Aga Mikolaj(Sop)
Ursula Hasse von den Steinen(MS), Gerhard Siegal(Ten)
Christof Fischedder(Bas), Leo van Doeselaar(Org)
Markus Stenz/
Netherlands Radio Choir(by Edward Caswell)
Royal Concertgebouw Orchestra
RCO/RCO 17005(hybrid SACD)


1450年に生まれて1516年に亡くなったネーデルラント(オランダ)の画家、ヒエロニムス・ボス(「ボッシュ」とも表記)は、昨年没後500年を迎えました。それに合わせて、オランダでは財団が設立され、この画家の業績を広く知らしめるイベントが盛大に行われているのだそうです。その一環として、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団との共同委嘱で、こんな作品が出来上がりました。タイトルは「ヒエロニムス・ボスのためのレクイエム」です。亡くなってから500年も経ってから「レクイエム」でその死を悼む、という発想がすごいですね。
委嘱を受けたのは、1960年生まれのドイツの作曲家で、これまでに10曲以上のオペラを作っているデトレフ・グラナートです。コーヒーには欠かせません(それは「グラニュー糖」)。
彼が作った「レクイエム」は、2016年11月5日に、コンセルトヘボウで初演を迎えました。このアルバムは、その世界初演の録音です。演奏時間は83分と、かなり長大な作品ですが、それがなんとハイブリッドSACD1枚に収まっているのですから、すごいですね。CDレイヤーにそんなに収録されているのですからね。これで、こちらを抜いて、今まで聴いたCDでは最長記録となりました。
そんなに長くなったのは、この作品の構成のせいです。ここでは、通常のレクイエムの典礼文の間に、ボスにちなんで、こちらにも登場した彼の代表作である「七つの大罪と四終 」の「七つの大罪」からインスパイアされた曲が7曲(「大食」、「憤怒」、「嫉妬」、「怠惰」、「虚栄」、「淫欲」、「貪欲」)挿入されているのです。そのテキストは、なんと「カルミナ・ブラーナ」、カール・オルフの作品で有名な写本ですが、もちろん、オルフが使ったものは避けて、歌詞が選ばれています。
編成も巨大です。4人の歌手と、もう一人歌わないバリトンのナレーターのソリスト、2つの混声合唱、オルガン、そして多くの打楽器が入ったフル編成のオーケストラです。空間的な配置にも工夫があって、ナレーターは「高いところ」から語り、合唱はステージの上と客席のバルコニーの2か所に配置されています。
第1曲目はやはりカルミナ・ブラーナのテキストによる「De Demonibus(悪魔の)」というタイトルの曲。まず、バリトン歌手デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソンの「声」で始まります。それは「ヒエロニムス・ボス!」という叫び声(彼は、常に叫ぶだけす)。それに続いて、ボスの名前を音名に変換したモティーフがチューブラー・ベルで現れます。かなりのこじつけですが、それは「HERSBCH」で「H,E,D(=Re),Es,B,C,H」というドイツ音名の音列になり、この曲のいたるところに顔を出しています。そして、合唱が始まると、それはまさにオルフの「カルミナ・ブラーナ」とそっくりな音楽が展開されます。それはそれで、キャッチーな「ツカミ」としての役割は十分に果たすものでした。
次の「Requiem Aeternam」は、ガラリと雰囲気が変わって、バルコニーの合唱とオルガンだけで、しっとりと歌われます。そんな感じで、まるで「聖」と「俗」が交互に現れるようななんとも感情の起伏が激しい音楽は続きます。
「7つの大罪」は、決まりきったパターンで、最初に叫び声、その後は合唱は入らずソリストとオーケストラだけで演奏されます。ソリストはローテーションで、重唱も含めて同じ回数だけ登場しています。ここでも、やはりオルフの作品の影が見え隠れしてしまいます。
典礼文の部分も、時折無調のテイストが感じられるところもありますが、大半は派手なオーケストレーションで、ショスタコーヴィチやジョン・ウィリアムスを思わせるような迫り方の曲も。
でも、最後の「In Paradisum」は、とても安らかで美しい曲でした。それまで何度となく怒鳴られ続けていたボスも、ここでやっと安息の地を見つけられたことでしょう。

SACD Artwork © Koninklijk Concertgebouworkest

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by jurassic_oyaji | 2017-08-03 20:45 | 合唱 | Comments(0)
MOZART/Requiem, BRUCKNER/Motets
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Max Emanuel Cencic, Derek Lee Ragin(CT)
Michael Knapp(Ten), Gotthold Schwarz(Bas)
Peter Marschik/
Wiener Sängerknaben, Chorus Viennensis
Symphonieorchester dere Wiener Volksoper
CAPRICCIO/C8018


1994年に録音されて、1995年にリリースされたCDが、このカプリッチョ・レーベルの「ENCORE(もういっちょ)」シリーズとしてリイシューされました。ウィーン少年合唱団など、ウィーンの演奏家によるモーツァルトの「レクイエム」です。
ウィーン少年合唱団はおなじみの合唱団ですが、少年合唱ですから変声期を迎えて「少年」でなくなれば退団しなければなりません。このあたりの悲哀を描いた映画なども数多く作られています。ただ、「少年合唱」は辞めても「合唱」まで辞めることはないわけで、そんなウィーン少年合唱団の「卒業生」たちを集めて1952年に作られた合唱団が、ここで少年たちと一緒に歌っている「コルス・ヴィエネンシス」という男声合唱団です。ウィーン少年合唱団は基本的に児童合唱、つまり女声合唱のパートを歌う合唱団ですが、混声の曲を歌う時には、このコルス・ヴィエネンシスが男声パートを担当することになります。
さらに、「大人」になっても「少年」の声を残せた人もこの合唱団にはいました。そんな、奇跡とも言えるソリストが、カウンターテナーのマックス・エマニュエル・ツェンチッチです。彼は、ソプラノの音域まで歌うことのできるカウンターテナーとして、世界中で活躍していますが、ここでも「レクイエム」のソプラノ・ソロを歌っています。
普通に、大人の声の歌手として大成した人ももちろんいます。ここでのテノール・ソロ、ミヒャル・クナップは、やはりウィーン少年合唱団の元団員、そしてバスのソリスト、ゴットホルト・シュヴァルツは、ライプツィヒのトマス教会合唱団の元団員です。
アルト・ソロも、アメリカのカウンターテナー、デレク・リー・レイギンが歌っています。つまり、この「レクイエム」は、声楽パートは全てオトコによって演奏されているという、かなりユニークな陣容なのです。
もちろん、指揮をしているのは当時のウィーン少年合唱団の指揮者、ペーター・マルシクです(彼は1991年から1996年までこのポストにありました)。そんなラインナップだと、ちょっとユル目のいかにもウィーン風(それがどういうものかはよく分かりませんが)の演奏を思い浮かべてしまいますが、実際は予想を全く裏切られた、とても締まりのある演奏だったのには、ちょっとびっくりしてしまいます。確かに少年合唱のパートは、「大人」の合唱のパートに比べるとちょっと消極的な歌い方と表現ですが、何か「大人」たちがしっかりバックを固めて励ましているような感じがして、とてもまとまりよく聴こえます。
指揮者が目指している音楽も、とてもメリハリがきいていて新鮮です。使っている楽譜はジュスマイヤー版ですが、その中に指揮者の主張もしっかりと織り込んでいます。たとえば、「Rex tremendae」の6小節目で合唱と管楽器だけが付点音符で書かれているところは、その前の弦楽器のリズムと合わせて複付点音符で演奏していますし、「Confutatis」の11小節目では、テナーの「付点四分音符+八分音符」というリズムを、ベースと一緒になるように「複付点四分音符+十六分音符」にしています。
ただ、ソリストはツェンチッチだけが、ちょっと異様なビブラートとオーバーアクションで一人だけ浮いてしまっています。
うれしいことに、このアルバムではブルックナーのモテットが3曲カップリングされています。これは、今回のリイシューでのコンパイルではなく、初出のアルバムがすでにそういうカップリングで、同じ時期に同じ場所で録音されています(モーツァルトの「Ave verum corpus」まで入っています)。ブルックナーはア・カペラですから、合唱がもろに聴こえてきますが、ここでも少年のパートを支える大人のパートが素晴らしい演奏を聴かせてくれています。7声の「Ave Maria」では、3声の少年がピアノで始まってフォルテまで盛り上がった後、そこにピアニシモで4声の大人が入ってくる部分などは、ゾクゾクするほどの美しさです。

CD Artwork © Capriccio

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by jurassic_oyaji | 2017-07-04 23:15 | 合唱 | Comments(0)
MOZART/Requiem
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Stephanie Culica(Sop), Lindsey Adams(Alt)
Rev. Michael Magiera(Ten), David Govertsen(Bas)
Rev. Scot A. Haynes/
Saint Cecilia Choir and Orchestra
SONY/88985424062


いちおう、モーツァルトの「レクイエム」だったら新しい録音はすべてチェックしようと思っているところに、SONYからこんなCDがリリースされました。
現物を手にしてみると、確かにSONYのロゴは入っていますが、なんか様子が違います。コピーライトのクレジットも、制作はDe Monfort Musicという聞いたこともない名前のところで、そこからのライセンスでSONYからリリースされた、みたいな書き方でした。調べてみたら、そのDe Monfort Musicというのは2012年に創設されたばかりの、主にローマ・カトリックの合唱音楽を録音するためのアメリカの新しいレーベルででした。当初のディストリビューションはUNIVERSALでしたが、2017年の1月からそれががSONYに変わったのだそうです。分かった
そのDe Monfort Musicは、シカゴのセント・ジョン・カンティウス教会と密接な関係にあり、そこで演奏されている典礼音楽をリリースしてきているのだそうです。このモーツァルトでは、この教会で活躍しているセント・セシリア合唱団とセント・セシリア管弦楽団が演奏しています。
ブックレットにはこの二つの団体に関する説明は、一切ありません。ただ、なぜかメンバーの名前だけはすべて載っています。オーケストラの場合は、彼らの「本職」まで記載されています。それで、このオーケストラは、シカゴ・リリック・オペラとかエルジン交響楽団といった、他の団体にポストがある人たちが、一時的に集まって演奏しているものだと分かります。
さらに、ブックレットにあるのは、「レクイエム」のテキストの「対訳」ではなく、「英訳」だけです。こんなのも珍しいですね。
珍しいと言えば、ここでの指揮者のスコット・A・ヘインズという人は、名前の前に「Rev.」という「神父」を意味する敬称が入っています。つまり、神父さんが指揮をしているのですね。聖職者を目指していた人が指揮の勉強もしたのか、その逆なのかは、やはりブックレットには何の情報もないのでわかりません。さらに、テノールのソリストのマイケル・マギエラという方も神父さんなのですね。
そして、ブックレットには録音のスタッフの名前はありますが、録音場所と時期はありません。まあ、場所はこの教会なので、あえて書くことはなかったのでしょう。ただ、代理店の情報によれば、これは2016年にライブ録音されたものだということです。
確かに、ライブっぽいグラウンド・ノイズたっぷりの中で演奏は始まります。ただ、なぜか聴衆の気配が全く感じられないのが不気味です。オーケストラはかなりたくさんのマイクを使っているようで、対向配置の弦楽器がはっきりと左右に分かれて聴こえます。そして合唱が登場すると、それはオーケストラとは対照的にぼやけた音像なのには戸惑ってしまいます。ただ、定位だけははっきりしていて、左からベース、テナー、アルト、ソプラノという、ふつう見かけるのと正反対の配置になっています。さらにソリストはというと、これも一人一人にマイクが付いているような生々しい音で、なぜか右チャンネルに全員固まって定位しています。なんか、とても落ち着けないマイクアレンジとチャンネル設定、まるでステレオ初期の左、中央、右だけに楽器をおいた録音のように聴こえてしまいます。さらに、ライブ録音のせいなのでしょうか、合唱は明らかにゲイン過多で、盛大に音が歪んでいます。
ソリストは、4人とも素晴らしい声ですし、合唱もかなりの名手が集まっているように聴こえます。もちろん、オーケストラも完璧な演奏です。ところが、音楽はどうしようもなくつまらないんですね。ひたすら良い声を響かせているだけで、そこには「陰」というものが全く感じられないのです。モーツァルトは、至る所で「問いかけ」と「答」を用意していたはずなのに、ここではそれが完璧に無視されているのですね。録音、演奏とも、まっとうな商品としての体をなしていませんでした。

CD Artwork © De Monfort Music LLC

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by jurassic_oyaji | 2017-06-24 21:06 | 合唱 | Comments(0)
FINLAND
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Marcus Creed/
SWR Vokalensemble
SWR/19031CD


どの国の音楽でも、その国の合唱団以上の共感をもって素晴らしい演奏を聴かせてくれているSWRヴォーカルアンサンブルですから、新しいアルバムは聴き逃すわけにはいきません。今回はフィンランドです。
ここで取り上げられている作曲家は、なんと言っても外せないシベリウス以外では、録音セッションが持たれた時点ではすべてご存命だった、まさに「現代作曲家」ばかりです。それは、録音が完了した数日後に亡くなってしまったラウタヴァーラと、サーリアホという重鎮、そして1955年生まれのユッカ・リンコラ、1970年生まれのリイカ・タルヴィティエという名前を聞くのも初めての方々です。
1928年生まれ(↑ブックレットには1925年と)のラウタヴァーラは、1970年代、1990年代、2010年代と、ほぼ20年のインターバルで3つの作品が紹介されています。1978年に作られた「Canticum Mariae virginis」では、まるでリゲティのようなクラスターが流れる上をプレイン・チャントのようなスタイルの聖歌が朗々と歌われる、という二重構造を持ったもの、結果的にそのような手法は絶妙に「ヒーリング」として成立しうるということを感じさせてくれるもので、以降の彼の基本的姿勢が見て取れます。
次の、東京混声合唱団からの委嘱で1993年に作られたという「我が時代の歌」では、その構成はさらに複雑になっていくにもかかわらず、訴えかける力はより強くなっているようです。2曲目の「最初と最後の瞑想」は、キラキラしたオスティナートのなかを、ゆったりとテーマが歌われるという形ですが、そこからラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲の冒頭の夜明けの部分が連想されてしまいました。
それが、まさにこのSWRの委嘱で、この録音の直前に完成した「Orpheus singt」では、テキストがリルケということもあるのでしょうが、まるでロマン派の合唱曲を思わせるようなホモフォニックでシンプルなものに変わっています。
1952年生まれのサーリアホの「Nuits adieux」という作品は、1991年に四重唱とエレクトロニクスのために作られたものを、1996年に4人のソリストと無伴奏混声合唱のために作り直したものです。オリジナルは聴いたことがありませんが、まるで電子音のような効果音を出している合唱と、「無調」のフレーズを歌うソリストという組み合わせはまさに「前衛」音楽です。ただ、合唱は時折しっかりハモっているというのが、「現代的」ですし、後半になってはっきりとリズミカルな部分が登場するのには和みます。
初体験の作曲家、リンコラが2003年の「月の手紙」という作品で見せてくれたのは、まるで合唱コンクールの自由曲にでも使えそうな、適度に難解さを残した手堅さです。そして、タルヴィティエの方は、紛れもない「ジャズ・コーラス」です。ここにヴォイパが入ればそのまんまPENTATONIXになってしまいそうなリズムとテンション・コードの応酬、その中から北欧っぽい抒情性が漂うのですからたまりません。
そして、アルバムの最初と最後を締めているのが、シベリウスです。「恋人」は、彼の代表的な合唱曲、1893年にYL(ヘルシンキ大学男声合唱団)のコンクールで第2位となった作品です。ここでは1898年に改訂された混声バージョンが演奏されています。さらに、1912年には弦楽合奏のバージョンも作られました(↓ブックレットには、なぜかこの弦楽合奏が作られた年代が)。
最後はもちろん「フィンランディア」。無伴奏混声は2種類のバージョンがありますが、ここでは最初に出版されたヘ長調ではなく、変イ長調の方が演奏されています(こちらではなぜか「ヘ長調」となっていますが、もちろんこれはデタラメ)。さらに、アレンジも少し手が入っていて、2番の頭でベースだけ休符なしで拍の頭から入っていたりします。
期待通り、これだけ異なる様式で作られた曲たちを、この合唱団は万遍なく完璧に歌い上げています。極端に遅いテンポで迫る「フィンランディア」などは、まさに絶品です。いや、むしろエロい(それは「インランディア」)。

CD Artwork © Naxos Deutschland Musik & Video Vertriebs-GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-06-22 20:42 | 合唱 | Comments(0)
CM WORKS
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デューク・エイセス
UNIVERSAL/UPCY-7036


この間の「60TH ANNIVERSARY」の時に一緒に購入した、やはり「60周年」がらみのアルバムで、デューク・エイセスが歌ったCMを集めたものです。今までこういう企画はありませんでしたから、この中のものは初めてCDになった曲が殆ど、とても貴重な記録です。今までずっと聴きたいと思い続けていたものが、やっと聴けるようになりました。
録音年代を見てみると、1964年以前、まだ谷口さんが加入していない、おそらく小保方さんがトップ・テナーを務めていたころのものもありました。それは、いかにも和やかな、まるで「ダーク・ダックス」のような端正な味わいを持ったコーラスに聴こえます。それが、谷口さんに替わってからのものになると、ガラッとそのテンションが別物になっていることが感じられます。さらに年代を経て、谷口さんから飯野さんに替わっていると思われる時期のものが2曲ほどありますが、ここでは確かに別の人が歌っていることは分かりますが、コーラス自体の音色やベクトルはほとんど変わっていないことも気づかされます。ここでも、飯野さんが必死の思いでデュークの黄金期のサウンドを守り続けようとしていたことがはっきりと伝わってきます。
今でこそ、CMに使われる音楽は最初からタイアップを前提に制作されたり、既存のヒット曲そのままだったりするので、音質的には単独で聴いても何の問題もありませんが、この頃はまさに「使い捨て」のノリで作られ、録音されていたのでしょう。しかも、このCDに使われているのはそもそもオリジナルのテープではなく、何度かのダビングを経たり、場合によってはエアチェックされた物だったりしますから、音質から言ったらひどいものです。しかし、そんな劣悪な音で聴いても、デュークのハーモニーは完璧に聴こえてきます。それはまさに、今まで聴けなかった「宝の山」です。だから、こんなところでもデュークのしっかりとした足跡が聴けるのはとても幸せです。
そして、そんな現場で作られた曲たちは、もちろん後世に残ることなどは全く考えられずに作られていたはずなのに、「作品」としてもしっかりしたレベルに達していることにも、驚かされます。それだけの才能をもった作曲家が、この頃はいたのでしょうね。
前田憲男などという大御所は、服部時計店のCMではルロイ・アンダーソンの「タイプライター」を下敷きにしたユニークな曲を作っていましたね。小林亜星も、本田技研のCMなどは、よく知られているキャッチーで親しみやすい作風ではなくもっと尖ったジャズっぽいテイスト満載の曲でした。彼は、普通に考えられているよりはるかに優れた作曲家だったのでしょう。
同じように、CM界で大活躍していたのがいずみたくです。この人の場合はまさに予定調和の積み重ねで曲を作るというタイプなのでしょうが、その中に時折キラリと光るようなものを発見できる瞬間があります。デュークにとっては、いずみたくとのCMの仕事と、「にほんのうた」シリーズとは、まったく同等の価値をもって取り組むことが出来た対象だったのではないでしょうか。日本生命保険の「♪ニッセイのおばちゃん~」というCMは、そのまま「にほんのうた」の中の曲になっていてもおかしくないほどです。
実際、彼らはコンサートではこれらのCMもきちんとレパートリーにしていましたからね。その片鱗は、このCDの最後のトラックの、コンサートのライブアルバムからのメドレーでうかがうことが出来ます。
ただ、ぜひ聴きたかった「♪光る光る東芝~」という、「東芝日曜劇場」のオープニングテーマが入っていなかったのは残念でした。これは、最初はダーク・ダックスが歌っていたということで、遠慮したのでしょうか。
それと、ジャケットで和田誠による最新のメンバーの似顔絵が使われているのは、全く理解できません。トップとセカンドは、このアルバムの中では1曲も歌っていない人たちなのですからね。

CD Artwork © Universal Music LLC

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by jurassic_oyaji | 2017-06-20 21:39 | 合唱 | Comments(0)
SIBELIUS/Kullervo, KORTEKANGAS/Migrations
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Lilli Paasikivi(MS), Tommi Hakala(Bar)
Osmo Vänskä/
Ylioppilaskunnan Laulajat(by Pasi Hyökki)
Minnesota Orchestra
BIS/SACD-9048(hybrid SACD)


シベリウスには7曲の交響曲がありますが、「交響曲第1番」が作られる7年ほど前に完成した「クッレルヴォ」というタイトルの2人のソリストと男声合唱とオーケストラのための作品も、時には「クッレルヴォ交響曲」と呼ばれて交響曲の仲間として扱われることもあります。
「クッレルヴォ」というのは、おなじみ、北欧叙事詩の「カレヴァラ」に登場する人物の名前です。その悲劇の主人公が描かれた部分をテキストに使っていますが、そのお話は主人公が鍛冶屋に奉公に出されるとか、死んだはずの妹が実は生きていて、それとは知らずに関係を持ってしまうとか、なんだかワーグナーの「指環」とよく似たエピソードが登場します。このあたりのルーツは一緒なのでしょうね。そんなテキストの中のクッレルヴォのセリフをバリトンが歌い、クッレルヴォがナンパする女性3人のセリフをメゾ・ソプラノが歌います。3人目の女性が、実は妹だったんですね。そして、それ以外の情景や感情の描写が、男声合唱で歌われます。ですから、基本的にこの作品は劇音楽としての性格を持っています。ただ、全く声楽の入らない楽章もあって、それぞれがソナタ形式をとっていたり、スケルツォ的な性格を持っていることから、交響曲としての要素もあります。ここには、後のシベリウスの音楽のエキスが、数多くちりばめられています。ちょっと辻褄があわないところはあるにしてもこの涙を誘う物語は、まるで大河ドラマのような(@新田さん)壮大な音楽に彩られて、深い感動を誘います。
この作品は完成直後の1892年4月に作曲家自身の指揮によって初演され、大好評を博しました。しかし、彼の生前には出版もされず、全曲の演奏も長い間行なわれませんでした。ブライトコプフから楽譜が出版されたのは、1966年のことです。日本で初演されたのは1974年、渡邉暁雄指揮の東京都交響楽団による演奏でした。余談ですが、今年はフィンランド独立100周年ということで、同じ東京都交響楽団が11月にハンヌ・リントゥの指揮でこの作品を演奏するのだそうです。もちろん、2015年には新田ユリさん指揮のアイノラ交響楽団も演奏していたのは、ご存知の方も多いことでしょう。いずれにしても、演奏される機会は非常に少なく、録音でも北欧系の指揮者以外でこの曲を取り上げているのはコリン・デイヴィスとロバート・スパノぐらいしかいないのではないでしょうか。
そんな珍しい曲を、2度録音してくれた人がいます。それは、フィンランドの指揮者オスモ・ヴァンスカ。1回目は2000年のラハティ交響楽団との録音、そして今回2016年のミネソタ管弦楽団との録音です。どちらもレーベルは同じ、さらに、合唱団(YL=ヘルシンキ大学男声合唱団)とメゾ・ソプラノのソリストまで同じです。演奏時間もほぼ同じ、第5楽章だけ、今回の方が1分ほど早くなっていますが、別に聴いた感じそんなに違いはありません。ただ、録音は今回の方がワンランク上がっています。それに伴って、合唱の表情などがより生々しく伝わってきているでしょうか。
これが演奏されたのは、フィンランドから北アメリカへの移住が始まってから150年を記念するコンサートでした。そこでは、ミネソタ管弦楽団とヴァンスカが1955年生まれのフィンランドの作曲家オッリ・コルテカンガスに委嘱した「移住者たち」という作品が初演されています。どこかの国の大統領や総理大臣ではありませんよ(それは「異常者たち」)。この作品では、その「移住150周年記念」というテーマの他に、このシベリウスの「クッレルヴォ」との相似性も追及されていると、作曲家は言っています。ここでも、男声合唱は大活躍、ア・カペラの合唱だけで演奏される楽章もあります。
そして、最後にもう1曲、シベリウスの「フィンランディア」でもこの男声合唱団があのテーマを高らかに歌い上げています。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2017-06-08 20:38 | 合唱 | Comments(0)