おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
カテゴリ:合唱( 630 )
BACH/Messe in h-Moll
c0039487_20154171.jpg

Chriatina Landshamer(Sop), Anke Vondung(MS)
Kenneth Tarver(Ten), Andreas Wolf(Bar)
Peter Dijkstra/
Chor des Bayerischen Rundfunks
Concerto Köln
BR/900910


ダイクストラの指揮によるバッハの宗教曲、これまでの「クリスマス・オラトリオ」(2010年)、マタイ受難曲(2013年)、ヨハネ受難曲(2015年)に続いてついに「ロ短調」の登場です。これで、一応「全集」が完成したことになります。というか、すでに昨年のうちにこれらが収められたボックスがリリースされていましたね。ボックスが単品より先に出るというのは、ちょっとビックリしますよね。
2005年にバイエルン放送合唱団の芸術監督に就任したダイクストラは、2007年にはスウェーデン放送合唱団の首席指揮者にも就任、その他のヨーロッパの多くの合唱団とも深い関係を持って、大活躍をしてきました。しかし、2016年には、バイエルン放送合唱団のポストはイギリスの合唱指揮者ハワード・アーマンに譲り、10年以上に渡ったこの合唱団との関係にピリオドを打ちました。この「ロ短調」は、2016年4月に行われたコンサートのライブ録音ですから、彼の芸術監督としてのほとんど最後の録音ということになるのでしょう。
共演は、おなじみコンチェルト・ケルンです。ダイクストラは、この合唱団との初期の録音ではモダン・オーケストラであるバイエルン放送交響楽団との共演で「マタイ」を録音していましたが、最近ではバッハはピリオド・オーケストラで、というスタンスに変わったのでしょうね。かといって、ありがちな少人数での合唱という形は取らず、あくまでフルサイズの合唱で少人数のピリオド・アンサンブルと対峙する、という姿勢は堅持しています。
この「ロ短調」の場合、写真で見る限り、合唱団はほぼフルメンバーの45人ほど、それに対して弦楽器は全部で14人というオーケストラですから、バランス的には合唱がかなり多いという感じです。ピリオド楽器は、それ自体音も小さいですし。ですから、おそらくダイクストラはそのような形での合唱の在り方には、かなりな慎重さをもって演奏に臨んでいたのではないでしょうか。そして、その結論めいたものが、この録音からはしっかり感じられるような気がします。
それは、極限まで磨き抜かれたホモジーニアスな響きとなって現れています。冒頭の「Kyrie」のアコードで聴こえてきたのは、そんなあくまで各パートが均質な塊となったまさに大人数の合唱団としては理想的なサウンドでした。そこからは、「個」としてのメンバーたちの声は全く感じられません。これは、例えば最近聴いたガーディナーのモンテヴェルディ合唱団の姿勢とは対極にあるものなのではないでしょうか。
正直、それはうっとりするような美しさを持ってはいますが、なにか訴えかける力には欠けているような気がしてなりません。おそらく、それはダイクストラがバッハに対して抱いているイメージの反映なのでしょう。これはこれで、一つのすばらしいバッハのあり方です。ですから、この合唱団が「Et resurrexit」でのベースの長大なパートソロをどのように歌うのかとても興味があったのですが、ダイクストラはそこをソリストのアンドレアス・ヴォルフに歌わせていましたね。
他のソリストでは、テノールがケネス・ターヴァーというのが目を引きました。彼はモーツァルトのオペラのロールでは、まさに理想的な声を聴かせてくれていましたから、バッハではどのような姿を見せてくれるのは、期待が高まります。しかし、彼の「Benedictus」は、そんな期待に必ずしも応えてくれたものではありませんでした。まず、フルートのイントロがあまりに雑、というか、そもそもテンポが速すぎて、ターヴァ―はちょっと歌いづらそう。彼自身の歌も、ちょっと甘さが勝っていてバッハには合っていないような気がします。
トランペットの3人は、これもダイクストラのコンテクストに従ってのとても爽やかなアクセントを提供しています。これも、そもそもこの曲にふさわしい振る舞いなのかは、なんとも言えません。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH.

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-04-20 20:18 | 合唱 | Comments(0)
LUTHER Collage
c0039487_23161133.jpg





Calmus Ensemble
CARUS/83.478


ドイツの5人組コーラス・グループ、「カルムス・アンサンブル」のニューアルバムです。同じ人数のグループと言えばイギリスの「キングズ・シンガーズ」が有名ですが、こちらはドイツのグループ、かつてバッハが勤務していたライプツィヒの聖トマス教会聖歌隊のOBが集まって1999年に作られました。
デビュー当時は男声5人だけだったのですが、そこに女声が一人加わって6人編成となります。その後、男声が一人減って、現在では女声1、男声4という5人編成になりました。女声が一人いることでサウンド的には無理なく高音まで音域が広がって、とてもソフトな音色が得られるようになっています。このあたりが、「キングズ・シンガーズ」との違いでしょうか。
今回のアルバムのジャケット写真を見て、いつの間にかみんな年を取ったな、という思いに駆られました。最初に買った、まだQUERSTANDからリリースされていたアルバムの写真(左)と比べると、ほとんど別人のようになっている人もいますね。昔は左端、今は真ん中のカウンターテナーのクラウゼとか(昔は頭が黒いぜ)。
さらに、本当に「別人」になってしまったパートもあります。ベースのパートが、2015年にレスラーからヘルメケという人に替わっています。どちらも右から2番目、今は一番背の高いメガネの人ですね。
ただ、他の4人も、創設メンバーはクラウゼとバリトンのベーメ(右端)の2人だけ、テナーのペッヒェは2006年に加入しています。彼はソプラノのアニャ・リプフェルトと「団内結婚」(どちらの写真も並んでいます)、2010年と2016年にはお子さんも生まれています。その間彼女は産休を取り、別のソプラノがメンバーとなってアンサンブルの活動は続けていました。どんなグループでも、いろいろと出入りがあるものですね。
毎回、ユニークな企画で楽しませてくれているカルムス・アンサンブルですが、今回は「ルター・コラージュ」というタイトルのアルバムです。「ルター」というのは、宗教改革でおなじみのマルティン・ルターのことですが、今年はその宗教改革から500年という記念の年なのだそうです。音楽史の上では、彼は多くのコラールを作ったことで知られています。そのコラールは、プロテスタントの作曲家の素材として用いられ、「ルター」という名前は知らなくてもそのコラール自体のメロディは多くの人に親しまれています。バッハのオルガン曲や、教会カンタータ、受難曲には頻繁に登場していますね。
このアルバムのコンセプトは、そのようなルターの元のコラール、あるいはもっとさかのぼってルターが引用したグレゴリア聖歌から始まり、その後の作曲家がそれを用いて作った曲を一緒に演奏するという、まさに「コラージュ」の手法によって、その時代を超えた広がりを体験する、というものなのでしょう。
1曲目は、まさに宗教改革のシンボルともいえる、有名な「Ein feste Burg ist unser Gott」が、ルターが出版したそのメロディだけがソロで歌われます。そのオープニングのソロを任されたのが新加入のバス、ヘルメケだというのも、なんか思いやりのようなものが感じられませんか?コーラスではなかなか聴くことのできないこのパート、彼の声はとてもやわらかですね。それに続いて、同じ時代のハプスブルク家に仕えていたカトリックの作曲家ステファン・マフの合唱バージョンが歌われます。
そんな正攻法ではなく、それ以降の選曲には、それぞれユニークな工夫が加えられています。次の「Nun komm, der Heiden Heiland」では、まずルターの200年後に生まれたバッハのオルガンのためのコラール前奏曲が、ヴォカリーズで歌われます。それが、別のコラール前奏曲では、まるでスゥイングル・シンガーズのように、軽快なベースラインに乗ってスキャットでコラールの変奏が歌われます。このコーナーにはまだご存命のグンナー・エリクソンという人の、ちょっとニューステッドの「Immortal Bach」のようなテイストの曲も入っています。
そんな感じで、どのコーナーも驚きの連続、最後にはペルトなども登場しますから、油断はできませんよ。

CD Artwork © Carus-Verlag
[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-04-18 23:19 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Johannes-Passion
c0039487_21021821.jpg


Lothar Odinius(Ev)
Christian Immler(Je)
Marc Minkowski/
Les Musiciens du Louvre
ERATO/0190295854058


ミンコフスキのオーケストラである「レ・ミュジシアン・デュ・ルーヴル」は、グルノーブル市からの援助を受けられなくなって、解散の危機に瀕していましたね。
この「ヨハネ」のCDも、最初はNAÏVEからリリース(↓)されていたものが、その販売権がWARNERに移って、こんな形でやっとERATOからリリースされるようになりました。
NAÏVEの方は、完全に倒産したという報道がありましたが、一部のカタログは手放したのちに細々と制作は行っているようです。どうなることでしょう。こんな欠陥商品を出していながら何の対応もしなかった時点で、このレーベルはすでに終わっていたのでしょう。
そんなわけで、このCDに関しては、それぞれのタイミングで発表された2種類の代理店のインフォが出回ることになりました。そのいずれにも「1724年版」という表記があるのですが、ジャケットにはそんなことは全く書かれていません。特に、NAÏVEの方のインフォはあのキングインターナショナルが作っていますから、またいい加減なことを、と思ったのですが、ブックレットを読んでみると「For the recording itself he has chosen to adhere strictly to the original text of 1724...(そもそも彼はしっかりオリジナルの1724年のテキストにこだわって録音を行った)」と書いてあるのですね。この文脈では「テキスト」というのは「楽譜」という広い意味を持つこともありますから、この文章から「インフォ・ライター」は「1724年版」と判断したのでしょうか。しかし、最後のクレジットで「使用楽譜:ベーレンライターの新バッハ全集」とあるので、普通だったら「1739/1749年版」だと思いますよね。でも、この楽譜には最後に「おまけ」として、すべての稿のヴァリアントが印刷されていますから、そこから「1724年版」を持ってきたと考えられないこともありません。
などとごちゃごちゃ言う前に現物を聴いてみればはっきりするのでしょうが、インフォを書く時点では「音」を聴くことが出来ないこともありますから、つい憶測でこのようなことを書いてしまうのでしょう。そして、ほとんどの場合、その憶測は間違っているものですが、今回も見事に「ハズレ」でしたね。ミンコフスキがここで演奏していたのは、まぎれもない「1739/1749年版」だったのですから。ただ、このCDのためのセッション録音はその楽譜の通りなのですが、それに先立ってコンサートで演奏した時に歌われていた、1725年に再演された時に書き加えられた2つのアリアのライブ録音が1枚目のCDのボーナス・トラックとして収録されています。先ほどのブックレットの文章は、そのことに関するコメントの前半だったのです。ですから、「the original text of 1724」というのは、単に「初演の時と同じ構成の楽譜」程度の意味だったのでしょう。
そもそも、ミンコフスキはそんなチマチマとした楽譜の違いなどにはあまりこだわってはいなかったことは、1749年の演奏のための楽譜(第4稿)で加えられたとされるコントラ・ファゴットが使われていることからも分かります(その時バッハは「今度は加えよう」と思ったのでしょう)。
彼は、この作品には何が必要だったのか、ということだけを真剣に考えているのでしょう。事実、このコントラ・ファゴットが加わった効果は絶大で、冒頭の合唱で聴こえてくる低音の迫力からは、真の悲しみが伝わってくるようです。
そして、歌手は全部で9人、全員がソリストとしてアリアを歌い、エヴァンゲリストのオディニウス以外の8人で合唱の部分を演奏しています。各パート2人ずつとなっているので、コーラスとしての質感は十分、時折ソリになったりして立体的な表情が付けられています。エヴァンゲリストとイエス(イムラー)はとてもドラマティックな歌い方、そして、合唱が、とてつもなく速いテンポで一糸乱れずポリフォニーを歌うさまは痛快そのものです。
最後のコラールでは、始まった時には低音だけのほとんどア・カペラだったものが、次第に楽器が増えて盛り上がっていくというアイディア、これは、とても心に残ります。

CD Artwork © Parlophone records Ltd.

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-04-09 21:04 | 合唱 | Comments(2)
BACH/St Matthew Passion
c0039487_20393466.jpg

James Gilchrist(Ev)
Stephan Loges(Je)
John Eliot Gardiner/
English Baroque Soloists
Monteverdi Choir, Trinity Boys Choir
SDG/SDG725


あの大震災からちょうど6年経った先週の土曜日には、マスメディアの世界は異様なことになっていますた。テレビでは普段は絶対に放送されないような地味なドキュメンタリー番組がのべつ放送されていましたし、ラジオではいつもならパーソナリティの男性アーティストは終始おちゃらけているものが、オープニングではくそまじめな口調で「被災地」からの手紙を朗読していたりします。そういう日なので、何か特別なことをやりたい、という気持ちは分かりますが、それが「その日だけ」に終わっているのが、とても情けないな、と思ってしまいます。その男性アーティストの場合は、曲が1曲かかった後には、何事もなかったようにいつもの調子に戻っていましたからね。大震災を「ネタ」にするのは、もうやめてほしいものです。
とか言って、実はその6年前にはガーディナーの「ヨハネ」を聴いて、大きな衝撃を受けていたと書いていたのでした。その時は、よもやそのちょうど6年後に今度は「マタイ」で同じような衝撃を受けるなんて思ってもみませんでした。
ガーディナーが手兵のモンテヴェルディ合唱団と、イングリッシュ・バロック・ソロイスツで「マタイ」を最初に録音したのは1988年のことでした。その頃はDGのサブレーベルARCHIVで進められていた、それまであったカール・リヒターによるモダン楽器、アナログ録音のバッハの宗教曲全集(選集)を、ピリオド楽器とデジタル録音で新たに作り直すというプロジェクトに邁進していたガーディナーでした。
それからレーベルも替わり、2016年にほぼ30年ぶりに録音されたのが、このCDです。この年には、ガーディナーたちは3月から9月までの間にヨーロッパの各都市を巡って「マタイ」のコンサートを16回行うというツアーを敢行していました。その途中ではもちろんバッハゆかりのライプツィヒのトマス教会でもコンサートは行われ、その2日後にはオールドバラ音楽祭で、DGのためにこの曲を録音した場所、「スネイプ・モルティングス」でのコンサートもありました。そして、そのツアーの最後を飾ったピサの斜塔で有名なピサ大聖堂での録音がここには収録されています。
衝撃は、やはり合唱によってもたらされました。今回の合唱は、DGの時の36人から28人に減っています。もちろん、30年前に歌っていた人は誰もいません。そういうことで演奏の質が変わることはあり得ますが、これはあまりにも変わり過ぎ、最初は、かつての端正さがほとんど失われていたことにちょっとした失望感があったのですが、聴きすすむうちにそれはガーディナーの表現が根本から変わっていたことによるものだとの確信に変わります。彼は、合唱には欠かせないパート内のまとまりやハーモニーの美しさを磨き上げる、ということにはもはや興味はなく、もっとそれぞれのメンバーの「心」を大切にして、それを表に出させようとしているのではないでしょうか。
その結果、まずはエヴァンゲリストのレシタティーヴォに挟まれた合唱が、その歌詞の歌い方のあまりのリアルさに、ほとんど「歌」ではなく「語り」に近いものに聴こえてきます。それは、コラールでも同じこと、こんなシンプルなメロディのどこにこれだけの情感を盛ることができるのかという切迫感、そこには驚愕以外のなにものもありません。
ここで聴ける「マタイ」は、まさに濃密な「ドラマ」、それが端的に表れているのが、イエスがこと切れた直後からのシーンです。最後のコラールとなる62番の「Wenn ich einmal soll scheiden」が、これ以上の緊張感はないというピアニシモで歌われ、あたりは静謐さに支配されます。そして突然の天変地異を受けての「Wahlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen」という真に迫った合唱のあとは、再び平静が訪れ、アリアを経ての最後の大合唱「Wir setzen uns mit Tränen nieder」からは、すすり泣きさえ聴こえては来ないでしょうか。その曲のエンディングで現れる奇跡には、聴く者は言葉さえ失います。

CD Artwork © Monteverdi Productions Ltd

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-03-18 20:41 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Johannes-Passion
c0039487_19522626.jpg

Verokika Winter(Sop), Franz Vitzhum(CT)
Andreas Post(Ten), Christoph Schweizer, Thomas Laske(Bar)
Rainer Johannes Homburg/
Stuttgarter Hymnus-Chorknaben
Handel's Company
MDG/902 1985-6(hybrid SACD)


全く聞いたことのない指揮者と合唱団、アンサンブルが演奏している「ヨハネ」ですが、どんなサプライズが潜んでいるかわかりませんから一応聴いてみました。とりあえず、ソプラノのヴェロニカ・ヴィンターだけは、例えばシューマン版の「ヨハネ」で知っていましたから。でも、よく見たらアンサンブルの中にヒレ・パールがヴィオラ・ダ・ガンバで参加していましたね。これはもうけもの、さらに、彼女のパートナーのリー・サンタナまで、リュートで加わっていました。ヒレの方はちゃんと写真入りのプロフィールが紹介されているのに、リーはその中にちょっと登場するだけ、というのがかわいそう。
そのほかに、なにか珍しい楽器がないかと録音の時の写真を見てみると、そこには「コントラ・ファゴット」の姿がありました。バロック時代の楽器ですから、長さが3メートル近くもあるので、すぐに分かります。ということは、もしかしたらこのあたりの楽器が補強されている「第4稿」を使って演奏しているのでしょうか。
その件に関しては、指揮者のホムブルク自身が書いたライナーノーツに、明確な説明がありました。
1749年に、バッハはこの曲の4度目の演奏を行った。そこで彼は、それまでの演奏の中で行った改訂をすべて捨て去って、25年前のオリジナル・バージョンに立ち戻った。ただ、楽器編成だけは少し大きくした。特に、通奏低音はコントラ・ファゴットまで加えて拡大されている。ここで録音されているのは、そのバージョンだ。
これだけ読むとその「1749年」に演奏された「第4稿」がここでは使われている、と普通は思いますよね。でも、この演奏で使われている楽譜はごく一般的な「新バッハ全集」であることがすぐ分かります。もちろん、それは1749年に使われた楽譜ではありません。先ほどの指揮者のコメントで楽器編成のことが述べられていましたが、それに関してはただコントラ・ファゴットを加えただけで、「第4稿」で行われたその他のもっと重要な楽器の変更(たとえば20番、35番などのアリアのオブリガート)は全くありませんでした(このあたりの詳細はこちらで)。
そんなわけで、ここではまた一つ「1749年に使われた楽譜」についての誤解が生んだ悲劇が誕生していました。
でも、確かに実際にコントラ・ファゴットを加えた演奏は非常に珍しいものですから、そのサウンドにはインパクトがあります。ポジティーフ・オルガンでは出せない低音が、ビンビン聴こえてきますからね。
さらに、合唱が「少年合唱」というのも、ちょっとユニーク。本当はこれがバッハ時代のサウンドなのでしょうが、最近ではなかなか聴く機会がありません。というか、このアルバムはこの少年合唱をメインとしたものなのでしょう。「シュトゥットガルト少年聖歌隊」というこの団体は、なんでも1900年までその起源が遡れる長い歴史を持っているのだそうです。そこの6代目の指揮者に2010年に就任したのが、ここでの指揮者ホムベルクです。そして、彼が1999年に設立した「ヘンデルズ・カンパニー」というピリオド楽器のアンサンブルが共演しています。
この合唱、もちろんテナーとベースのパートは「青年」が担当していますが、それもかなり「若い」音色なので、少年たちともよく調和して、全体としてはとてもまろやかなサウンドを聴かせてくれます。その、あまり芯のないフワフワとした感じがなんとも言えない「癒し感」を与えてくれますし、そんな声とはちょっとミスマッチに思える、群衆の合唱のポリフォニーもなかなかのもので、不思議な充足感を味わえます。
同じような軽い声でアリアも歌っているエヴァンゲリストのポストも、そんな流れとはぴったり合っています。とても心地よい「ヨハネ」を聴くことが出来ました。こんなデタラメな楽譜ではなく、ちゃんとした「第4稿」だっタラレバ

SACD Artwork © Musikproduktion Dabringhaus und Grimm

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-03-02 19:53 | 合唱 | Comments(0)
UR
c0039487_20260917.jpg



Eva Holm Foosnæs/
Kammerkoret Aurum(hybrid SACD)
2L/2L-129-SACD(hybrid SACD)



今年も、「グラミー賞」の発表が行われ、受賞作を巡って悲喜こもごもの報道が世間をにぎわせていますね。あの賞は基本的にポップスのアルバムに対するものなのでしょうが、一応クラシックにも義理立てをして、最後の方に申し訳程度にクラシック関係の部門が設けられています。そんな「付け足し」に対して、業界はことさら大袈裟に騒ぎ立てていますが、それはなんとも無益なことのように思えてしまいます。
とは言っても、実際に自分で買って聴いたアルバムがそんな賞は取らないまでも、ノミネートでもされていたりすれば、なんか得をしたような気分にはなりますね。
この2Lレーベルなどは、そんな賞とは全く無縁なところでコアなファンを相手に勝負をしているように思っていたのですが、昨年リリースされた3枚のそれぞれソロ・ボーカル、合唱、室内楽のアルバムがノミネートされていたことに気づきました。録音関係の部門がほとんどですが、そのうちのこちらの合唱のアルバムは「Best Choral Performance」という演奏部門でのノミネートです。
今回のアルバムは、来年ノミネートされることはあるのでしょうか。タイトルの「ur」とは、ノルウェー語で「ウル」と発音します。意味は「時間」とか「起源」とか「野生」といった様々な内容が含まれているようです。ジャケットに使われている北欧の針葉樹林の写真が、それをイメージとして伝えているのでしょう。勝手な想像ですが、原初のころからの自然の持つ野生のエネルギーが、時間を超えて現代の音楽家の創造の源となり、その結果出来上がった作品がこのアルバムには収められている、といったほどの意味合いなのではないでしょうか。
ここでこのアルバムのために新しい作品を提供しているのは、現代ノルウェーの5人の作曲家です。それらは、ここで演奏している2006年に創設されたというアウルム室内合唱団の指揮者を2012年から務めているエヴァ・ホルム・フースネスを始め、オイヴィン・ヨハン・アイクスン、マッティン・アイケセット・コーレン、ガイル・ドーレ・イェルショーといったほぼ30代の若手の作曲家たちと、彼らの一世代上のオッド・ヨハン・オーヴェロイという、完璧に知名度の低い人たちです。
ラテン語で「金」をあらわす言葉を名前に持つこの合唱団は、24人編成の室内混声合唱団、との説明がありますが、ブックレットのメンバー表を見ると30人以上の名前がありました。実はこのアルバムのための録音セッションは、2015年の2月と2016年の3月との2回に分けて行われています。それぞれのセッションでメンバーが各パートで2~3人別の人に替わっているのですね。1年の間にメンバーが辞めて別の人が加わったのか、あるいは常時30人以上のメンバーがプールされていて、コンサートやレコーディングはその時に適宜ピックアップされたメンバーで行っているのか、いずれにしてもこの国の合唱人の底辺はたいへん広いことが分かります。どの曲がどのメンバーで歌われているかはちゃんと分かるようになっていますが、もちろんそこで違いを見出すことなどできません。いずれも、「金」というよりは「いぶし銀」に近い、深みのある輝きを持った音色の合唱が、いつもながらの卓越した録音で圧倒的に迫ってきます。
作品は、古典的な和声を逸脱しない程度の、ほんの少しの「現代的」な響きが混じった中で、民族的なイディオムも垣間見られる、という心地よいものばかりです。中でも、野生動物をテーマにした、最年長のオーヴェロイの3つの作品がかなりのインパクトを与えてくれます。「マッコウクジラ」では、クジラの鳴き声の合成音、「アンコウ」では低音のドラムが加わります。それまでずっとア・カペラだったものが、最後のトラックでそのドラムの音が聴こえてきた時には、心底びっくりしてしまいました。それは恐ろしいほどのリアリティをもって、一瞬でまわりの風景を変えてしまいました。

SACD Artwork © Lindberg Lyd AS

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-02-18 20:31 | 合唱 | Comments(0)
Polska/Choral Works by Penderecki, Szymanowski, Górecki, Lutosławski, Haubenstock-Ramati
c0039487_20121967.jpg



Marcus Creed/
SWR Vokalensemble
SWR/19017CD



HÄNSSLERからNAXOSに移行したSWRレーベルは、最初のうちは以前と同じ品番をそのままつけていましたが、最近になって独自の番号の付け方に変わっていますね。パートナーが変われば、身も心もオトコの流儀に変わる女心、みたいなものなのでしょうね。
そんな環境の変化にもかかわらず、このクリードとSWRヴォーカルアンサンブルの国別対抗アルバムは好調にリリースを重ねています。その最新盤はポーランドです。とは言ってもショパンの合唱曲が紹介されているわけではなく(そんなのあったっけ?)登場する作曲家はシマノフスキ、ルトスワフスキ、ハウベンシュトック=ラマティ、ペンデレツキ、グレツキという、「現代」作曲家たちです。ハウベンシュトック=ラマティなんて名前、久しぶりに聞きました。
今、作曲家の名前を挙げた時には、おそらく有名な順番に従って並べたであろうタイトルには逆らって、あえて生年順にしました。ペンデレツキだけはまだご存命ですが、他の方は全てお亡くなりになっていますから「現代(modern)」作曲家ではあっても、もはや「同時代(contemporary)」作曲家ではないというところがミソ、ちょっと前の音楽を歴史的な視点で俯瞰する、といったスタンスのアルバムなのでしょう。
そういう意味で、シマノフスキあたりはまさにポーランドの「現代」音楽の始祖、的な存在になってきます。ここで演奏されているのは「6つのクルピエ地方の歌」。クルピエというのはポーランドの北東部に位置する独自の文化を持った地域ですが、そこに伝わる歌が書物として残っています。その歌詞の中から、結婚式の一連の流れを歌ったものを抜き出し、オリジナルのメロディを付けて出来上がったのがこの作品です。その音楽は、あくまで民族的な素材に忠実なものとなっていて、奇しくも同じ年(1882年)に生まれたハンガリーのコダーイとの類似点を見出すことは容易です。
これが、1933年生まれのグレツキになると、同じクルピエの歌を素材としていても、その音楽はガラリと様相を変えることになります。1999年に作られた彼の「5つのクルピエ地方の歌」では、題材も愛の歌(別れの歌も含む)から取られ、音楽はあくまで流れるようなこの頃のグレツキの作風に沿ったものになっています。メロディは洗練され、同じパターンが幾度となく波のように押し寄せる、という、いわば「ヒーリング」的な音楽ですね。
ペンデレツキの場合も、この中の「ケルブ賛歌」(1987年)や「Veni, creator spiritus」(1989年)を作ったころには、どっぷりとこの「ヒーリング」の作風に浸かっていました。「ケルブ」はロシア正教の聖歌、「Veni」では、かつての「Stabat mater」(1962)の厳しいイディオムが、なんとも軟弱に引用されています。
この作曲家がこのような「変節」を完了したのは1973年のことですが、彼の先輩のハウベンシュトック=ラマティの場合は、1970年に「Madrigal」を作った時点では、若き日のペンデレツキをもたじろがせるほどの尖がった音楽をやっていました。この、メロディもハーモニーもない、今聴くととても新鮮に感じられる曲の前後に、ペンデレツキの甘ったるい2つの作品が演奏されているというのは、ある意味快挙です。
最後に演奏されているのは、ルトスワフスキが1951年にポーランド軍からの委嘱によって作った「兵士のテーマによる民謡集」からの抜粋です。元々は男声合唱のための曲でしたが、それを1968年生まれの、まぎれもない「現代」作曲家、パヴェウ・ウカシェフスキが混声合唱用に編曲したバージョンで歌われています。
SWVヴォーカルアンサンブルの、それぞれの曲に応じた適応性には驚くべきものがあります。それだからこそ、同じ「ポーランド」とは言ってもさまざまな作曲家が登場していたことが如実に分かるのでしょう。というか、グレツキとハウベンシュトック=ラマティを、同時にこれだけの共感をもって歌えるなんて、すごすぎます。

CD Artwork © Naxos Deutschland Musik & Video Vertriebs-GmbH

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-02-02 20:16 | 合唱 | Comments(0)
HIMMELRAND
c0039487_20243843.jpg


Ingel-Lise Ulsrud(Org)
Elisabeth Holte/
Uranienborg Vokalensemble
2L/2L-126-SABD(hybrid SACD, BD-A)




オスロにあるウラニエンボルグ教会には立派なオルガンもあり、定期的にコンサートが開催されています。大雪が降っても、お客さんはやってきます(それは「ウラニホン」)。
2002年にこの教会の音楽監督に就任した合唱指揮者のエリサベト・ホルテは、付属の合唱団「ウラニエンボルグ・ヴォーカルアンサンブル」を設立しました。この合唱団は、教会の行事やコンサートの他に単独のコンサートやツアーも行い、アルバムも今までに2枚リリースしています。3枚目となるアルバムが、この「HIMMELRAND」です。ここでは、この教会のカントール(オルガニスト)、インゲル=リーセ・ウルスルードも参加して、伴奏やソロの即興演奏を披露しています。
このアルバムのコンセプトは、ノルウェーに古くから伝わる聖歌や最近作られた聖歌、さらには、ここで委嘱されて新たに作られた聖歌という3つの成り立ちを持つものたちを、同じ地平に並べてそれぞれの魅力を伝える、ということなのではないでしょうか。聴いている者は、とてもシンプルな讃美歌にどっぷり浸かって癒されることと、現代作曲家のある意味挑戦的ともいえる尖がった音楽に真剣に立ち向かうことの双方を交互に体験する中から、「聖歌」の持つ意味を深いところで知ることができるようになるのです。
タイトルにある「HIMMELRAND」というのは、「地平線」という意味なのだそうです。それは、今回の委嘱作の中の一つ、1979年に生まれたオルヤン・マトレの「日の光が『地平線』に沿って広がるところ」という、5世紀のテキストに12世紀のメロディが付けられた聖歌を元にした作品に由来しています。その聖歌のメロディ・ラインは、まさにプレイン・チャントといった趣があるとても鄙びたものですが、音楽の方はクラスターを多用してとても聴きごたえのあるものに仕上がっています。
さらに、合唱団のソプラノのメンバーでもあるマリアンネ・ライダシュダッテル・エーリクセン(1971年生まれ)に委嘱したのは、「雨よ来い、平和よ来い、慰めよ来い」という作品、それぞれの歌い出しで始まる3つのテキストが使われています。曲は、フライリングハウゼンという18世紀の作曲家が作った12声部の合唱曲のモティーフの断片と、エーリクセン自身が作ったモティーフが絡み合って、とても刺激的な音楽となっています。ソプラノのソロは、作曲者自身が歌っています。
もう一人、こちらは有名な作曲家オーラ・ヤイロに委嘱したのは「日の出への賛美」という聖歌です。これは、他の2曲に比べるといともまっとうでシンプルな編曲ですから、安心して聴いていられます。この曲の前には、オルガンによって同じ聖歌のモティーフによる即興演奏が聴かれます。
もう一つ、マグナム・オールによってかなりぶっ飛んだ編曲が披露されているのが「おおイエスよ、あなたは溢れるほどに満たしてくれるお方」という、19世紀に作られた聖歌です。ここではソリストが2人登場します。少し低めの声で、オリジナルのメロディを歌っているのが、この合唱団のかつてのメンバーだったソプラノのマティルダ・ステルビュー。そして、それに絡み付くように、甲高い声でまるで無調のような全く融けあわないメロディを歌うのが、先ほどのエーリクセンです。面白いのは、3度繰り返されるオリジナルのメロディが、3回目になるとあのニューステットの「イモータル・バッハ」のように微妙に不思議な音程に変わってしまうことです。
ステルビューのソロはもう1曲あって、デンマークの作曲家カール・ニルセンが作った「イエスよ、私の心を受け止めてください」という聖歌が、別の「年の終わりは深まる」というノルウェー語のテキストで歌われています。このメロディは、ニルセンの木管五重奏曲の最後の変奏曲の楽章のテーマになっていますね。
録音は、いつものDXDで、それがSACDとBD-Aになっています。繊細なSACD、コクのあるBD-Aと、全く異なる音が聴けます。

SACD & BD Artwork © Lindberg Lyd AS
[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-01-19 20:28 | 合唱 | Comments(0)
TYBERG/Messes
c0039487_22423252.jpg


Christopher Jacobson(Org)
Brian A. Schmidt/
South Dakota Chorale
PENTATONE/PTC 5186 584(hybrid SACD)




1893年にポーランド系のヴァイオリニストの父親とピアニストの母親との間にウィーンで生まれたマルセル・ティーベルグ(これが、ブックレットにある表記、日本の代理店による表記とは微妙に違います)は、簡単にお茶が飲めるようにした(それは「ティーバッグ」)のではなく、作曲家、指揮者、ピアニストとして活躍し、多くの作品を残しました。1927年に作られた彼の「交響曲第2番」は、友人だったラファエル・クーベリック指揮のチェコ・フィルによって1930年代に初演されています。
しかし、彼の4代前の高祖父がユダヤ人だったということから、第二次世界大戦が勃発して身の危険を感じたティーベルグは、親しい友人だったイタリア人医師のミラン・ミークに、全ての作品の自筆稿を託します。案の定、ティーベルグはナチスによってアウシュヴィッツに送られ、1944年に処刑されてしまいます。ミラン・ミークは1948年に亡くなりますが、彼が預かった楽譜は息子でやはり医師となったエンリコ・ミーク(彼は、ティーベルグその人に和声学を学びました)に受け継がれ、1957年に彼がバッファローの癌研究所の所長となって渡米した際にも、一緒にかの地へ運ばれていったのです。
エンリコ・ミークは、1980年代になって、アメリカでティーベルグの作品を演奏してもらおうと、活動を始めます。1990年代の中ごろには、ヨーロッパに戻ってラファエル・クーベリックの元を訪れ、ティーベルグの楽譜が無事に残っていることを伝え、演奏を打診しています。しかし、クーベリックは楽譜がきちんと保管されていたことを非常に喜んだものの、しばらくして亡くなってしまったので、彼が演奏する機会はありませんでした。
最近になって、そのプロジェクトはやっと実を結びました。現在のバッファロー・フィルの音楽監督、ジョアン・ファレッタが、ティーベルグの作品を演奏して録音する価値を見出し、その成果が、NAXOSから2枚のアルバム(8.5722368.572822)となってリリースされたのです。
2008年5月に行われたそのアルバムのための最初のセッションでは「交響曲第3番」が録音されましたが、その時のレコーディング・プロデューサーが、サウスダコタ・コラールのこれまでのアルバムを手掛けてきたブラントン・アルスポーでした。そこで、アルスポーはミークの保存していた楽譜の中から、ティーベルグが残した(残せた)すべての宗教曲である2曲のミサ曲を、この合唱団によって録音したのです。
それは、1934年に作られたト長調のミサ曲と、1941年に作られた「簡単なミサ」という表記のあるヘ長調のミサ曲で、いずれもオルガンと混声合唱のための作品です。一部でソリストが出てくるところがありますが、それはこの合唱団のメンバーによって歌われています。作品はどちらもフル・ミサの6つの楽章から出来ていて、「ト長調」は演奏時間が40分ほどの大曲ですが、「へ長調」は25分しかかかりません。それが「簡単な」といわれる所以なのでしょう。実際、「ト長調」はフーガなども出てくる複雑な形をとっていますが、「へ長調」はすべてホモフォニーで作られていて、とてもシンプルです。いずれからも、ブルックナーの宗教曲にとてもよく似たメロディとハーモニーが聴こえてきます。例えば、「へ長調」の最初の「Kyrie」のテーマは、へ長調→変ホ長調→変ニ長調という全音ずつ下がるコード進行ののち、さらに半音下のハ長調となって解決するという、まさにブルックナーそのものの和声ですからね。とはいえ、この「へ長調」に漂う何とも言えない安らぎ感には、なにか安心して身を任せられる空気が漂っています。「Agnus Dei」での、涙が出そうになる美しさには、胸が締め付けられます。
この合唱団、今までのアルバムほどの精度はありませんが、初めて音となる作品の魅力を伝えられるだけのしっかりとしたスキルは確かに持っていました。さらに、スウェルを多用して表現力を最大限に発揮しているオルガンも、とても素敵です。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.
[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-01-14 22:47 | 合唱 | Comments(0)
DURUFLÉ, TAVENER, ELGAR etc/Remembrance
c0039487_23165803.jpg

Jennifer Johnston(MS), Neal Davies(Bar)
Guy Johnston(Vc), Matthew Jorysz(Org)
Graham Ross/
Choir of Clare College, Cambridge
HARMONIA MUNDI/HMU 907654




以前こちらでやはり「Remembrance」というタイトルのアルバムをご紹介したことがありました。その時とまったく同じコンセプトによって作られたのが、今回のアルバムです。
指揮者のグラハム・ロスは、ライナーノーツの中でこの「Remembrance」というタイトルに込められた意味をまず語っています。「Remembrance Day」と言えば、ヨーロッパ諸国では第一次世界大戦を終結させる調印が行われた1918年11月11日(+午前11時)を記念して、現在では第二次世界大戦までも含めた戦争での犠牲者を偲む日のことを指します。そこで、ロスは、さらに普遍的な意味をこの言葉に込めて、音楽によって死者や犠牲者に対する気持ちを表現しようとしていました。そのために、世紀を超えて歌われている、追悼の意味を込めた英語の歌詞の作品を導入部として、第二次世界大戦の最中に作られたデュリュフレの「レクイエム」を演奏しているのです。
ただ、このアルバムのタイトルはあくまで「Remembrance」ですから、その記念日に特定しているわけではなく、例えば最初に歌われる16世紀の聖歌「Call to remembrance」のように、大戦とは無関係な詩編のテキストの作品も含まれているのです。
その記念日は、なぜか日本語では「英霊記念日」という、靖国神社的な世界観に立った言葉に置き換わっています。それで、日本の代理店はこのアルバムに「英霊記念日のための音楽」という「邦題」を付けました。これは、このアルバムのコンセプトを全く理解していない愚かな誤訳としか言いようがないのでは(そんなこと、どうでもいいよう)。
まず、無伴奏で歌われるのが、16世紀ごろに作られたものから現代の作曲家のものまで、すべて英語の歌詞による聖歌です。この合唱団は少年ではなく大人の女声が入っていますが、それぞれの歌詞に込められた深い情感が、とてもよく分かるような歌い方がされています。たとえば、「When David Heard」というトマス・トムキンスの曲で「O my son」と歌う時の女声は、まさに死んだ我が子に対する胸が張り裂けるほどの思いがこもったものでした。
これらの曲の中では最も新しく作られたジョン・タヴナーの「Song for Athene」では、中世を思わせるような平穏なたたずまいの中にふと現れるちょっと刺激的な和声への対応が、とても的確に感じられます。エドワード・エルガーが作った「They are at rest」という曲は初めて聴きましたが、あの「威風堂々」や「愛のあいさつ」のようなノーテンキなところは全く見られない、ほとんど凍りつくような情感は、もしかしたらこの合唱団だからしっかり伝わってきたのかもしれません。
そして、メインの「レクイエム」は第2稿のオルガン版、「Pie Jesu」にはチェロのソロが入るバージョンです。よくあるような、バリトンとメゾ・ソプラノ独唱のパートを団員が一人、あるいはパート全体で歌うことはなく、それぞれにとてもキャラの立ったソリストが起用されています。「Pie Jesu」のジェニファー・ジョンストンは強靭な声で最高音のF♯を朗々と歌い、この作品全体がただの追悼ではないもっと「力」のこもったものであることを強く印象付けてくれます。「Domine Jesu Christe」と「Libera me」でのニール・デイヴィースは、別な意味での雄弁さ、つまり、表情の豊かさを最大限に発揮して、ほとんど「世俗的」ともいえる身近さを感じさせてくれます。
もちろん、最大の功労者は合唱でしょう。それぞれのパートは深みのあるテクスチャーで曲全体を立体的なものに仕上げ、やはり安住しがちな優しさよりは、もっと意志の勝った厳しさを伝えてくれています。時折見せる、パートの人数を減らしてより厳しい表現を持たせているやり方も効果的、「Agnus Dei」の途中でソプラノとアルトが半数ずつ現れるところでは、さらに距離的な演出も含めて驚かせてくれました。だからこそ、最後の最後、「Requiem」というテキストの超ピアニシモが、信じられないほどのインパクトを与えてくれるのです。

CD Artwork © harmonia mundi usa
[PR]
by jurassic_oyaji | 2016-12-27 23:20 | 合唱 | Comments(0)