おやぢの部屋2
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カテゴリ:合唱( 672 )
REGER, BRAHMS/Requiem
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Jana Reiner(Sop), Marie Henriette Reinhold(Alt)
Tobias Berndt(Bar), Denny Wilke(Org)
Michael Schönheit/
Ukrainischer Nationalchor DUMKA
Merseburger Hofmusik
QUERSTAND/VKJK 1717


マックス・レーガーとヨハネス・ブラームスの「レクイエム」がカップリングされた最新のCDです。有名なブラームスの方は「ドイツ・レクイエム」というタイトルで、テキストはドイツ語の典礼文を自由に組み合わせたものですね。一方のレーガーは「ヘッベル・レクイエム」と呼ばれることもある、シューマンのオペラ「ゲノフェーファ」の原作を作ったことでも知られる19世紀ドイツの詩人フリードリヒ・ヘッベルが書いたドイツ語のテキストが使われています。
このCDは、2016年9月16日にミュールハウゼンの聖マリア教会で行われたコンサートのライブ録音です。2枚のCDに当日の演奏が全て収録されています。まずレーガーの「レクイエム」、続いてその教会のオルガンによってレーガーとブラームスのコラール前奏曲が演奏された後、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」というプログラミングです。
このコンサートの主役は、ウクライナから参加した「ウクライナ国立合唱団『ドゥムカ』」です。その発端は2013年にこの合唱団がドイツのミュールハウゼンとメルゼブルクでラフマニノフの「晩祷」を演奏した時に、オルガニストのデニー・ヴィルケがそれを聴いたことでした。この合唱団の演奏にいたく感動したヴィルケは、彼らと共演したい旨を申し入れ、2014年にキエフでマルセル・デュプレの「フランスの受難」という、4人のソリストと混声合唱とオルガンによる1時間を超える長大なオラトリオを演奏することになります。
その後もヴィルケとこの合唱団との交流は続き、ウクライナ、ドイツの両国で様々なコンサートを実現させてきました。そこに、ヴィルケがキエフで行った自身のコンサートの時に知り合ったドイツ人のオルガニストで指揮者、ミヒャエル・シェーンハイトとの共演も加わり、2015年にはウクライナで、シェーンハイトがこの合唱団とウクライナ国立管弦楽団を指揮したブラームスの「ドイツ・レクイエム」のコンサートが開催されます。
そして、このコンサートをドイツでも実現したいということで2016年に開催されたのが、このCDに収録されているコンサートなのです。
このコンサートでは、さらに注目すべきポイントが加わります。ここで演奏に加わっているのが、シェーンハイトが1998年に、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーや、フリーランスの音楽家を集めて設立した「メルゼブルガー・ホーフムジーク」というピリオド・オーケストラなのですが、彼らはレーガーやブラームスの時代の楽器を使って演奏しているのです。具体的には、フルートなどはテオバルト・ベームが現在の形の楽器を作る前に制作していた円錐管(現在は円柱管)の楽器のコピーが使われています。もちろん、弦楽器はガット弦です。
最初の曲、レーガーの「レクイエム」は初めて聴く曲です。ほんの15分ほどで終わってしまう小品ですが、起伏に富んでなかなか魅力的な作品ですね。オーケストラの渋い響きに乗って出てくるアルトのソロで、まず敬虔な思いにさせられます。そこに合唱が加わると、それはオーケストラの渋さと見事にマッチした音色であることに驚かされます。音楽はその後嵐の描写に変わって盛り上がるのですが、そこでもその渋さは貫き通されています。
そして、ヴィルケのオルガン・ソロに続いて、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」が始まります。ここでも、合唱の渋さは変わりません。冒頭の「Selig」のなんという静謐。これを聴いただけで、この演奏がとてつもない深みを持っていることが予感できてしまいます。
その予感通り、これは恐ろしいまでに心の琴線に触れるものでした。お金には代えられません(それは「金銭」)。ハープやフルートといった、普段は華やかさを演出する楽器が、きっちりと愁いのある音色を提供している中で、この合唱団が放ついぶし銀のようなオーラ。これはまさにこの作品の神髄に接することが出来る演奏とは言えないでしょうか。

CD Artwork © QUERSTAND

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by jurassic_oyaji | 2018-01-20 19:59 | 合唱 | Comments(0)
SCHNITTKE/Psalms of Repentance, PÄRT/Magnificat, Nunc Domittis
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Kaspars Putninš/
Estonian Philharmonic Chamber Choir
BIS/SACD-2292(hybrid SACD)


エストニア・フィルハーモニック室内合唱団は、かつてはECMで1981年にこの合唱団を創設したエストニア人のトヌ・カリユステの指揮によるトルミスやペルトといった自国の作曲家の作品を幅広く録音していましたね。
それから20年経って、2001年になると、指揮者がイギリス人のポール・ヒリヤーに替わります。レーベルもHARMONIA MUNDIが中心となり、「Baltic Voices」のようなユニークなアルバムを数多く作りました。さらに、2008年になると、今度はドイツ人のダニエル・ロイスが指揮者になります。
そんな、「中央ヨーロッパ」の指揮者の時代を経て、2014年には、エストニアとはバルト三国として近しい関係にあるラトヴィア人のカスパルス・プトニンシュという聴きなれない指揮者に替わっていました。覆面はしていません(それは「ニンジャ」)。
ただ、この1966年生まれのプトニンシュは、1994年からラトヴィア放送合唱団の指揮者を務めていて、今ではそこの「終身指揮者」という称号を得ているほどの実力者、合唱界に於いてはすでに「聴きなれた」人物だったのです。これは2017年1月に録音されたもので、彼がエストニア・フィルハーモニック室内合唱団を指揮した初めてのアルバムとなります。
ここで取り上げられているのは、アルフレート・シュニトケとアルヴォ・ペルトという、ともに、「ソヴィエト連邦」の時代から活動を始め、その国家体制の崩壊も体験しているほぼ同じ世代の2人の作曲家の作品です。
1934年に生まれ、1998年に亡くなっているシュニトケの作品は、1988年に作られたレント(四旬節)と言われる復活祭前に行われる 40日の悔悛の聖節のための16世紀の詩(作者は不詳)をテキストにした、「悔悛の詩篇」です。
ペルトは1935年生まれですが、まだご存命、少し前に生誕80周年ということでかなり盛り上がったことがありましたね。ここでは、1989年の「Magnificat」と、2001年の「Nunc dimittis」という、いずれもルカ福音書の中のテキストが用いられている作品が歌われています。
今回は、せっかくですので、SACDのマルチチャンネルレイヤーを、サラウンドで再生して聴いてみました。もはや、SACDによるこのフォーマットは再生機器のサイドからはほとんど見捨てられているような状況にありますが、サラウンドそのものはまだまだ可能性を秘めた録音手法として、真剣に追及しているエンジニアがいますからね。
まずは、シュニトケの「悔悛の詩篇」から。12の部分から出来ていて、演奏時間は45分という大曲ですが、それぞれの曲がヴァラエティに富んでいるので、退屈とは無縁です。まずは、男声だけでとても深みのある響きが味わえるのが、1曲目の冒頭です。録音会場は非常に豊かな響きを持つ教会ですから、その残響がまるでドローンのように常に持続して、リスニング空間を埋め尽くしています。これは、おそらくこの作品ではかなり重要なファクターとなって聴き手には迫ってくるはずです。この、「響きにとり囲まれる」という体験は、2チャンネルステレオでは味わうことはできません。
そのようなサウンド空間の中で、時にはテノール・ソロのピュアな声とか、とても力のある女声パートのエネルギッシュな叫びなどが、それぞれにしっかりとした存在感をもって聴き分けることができます。
さらに、それらがホモフォニックにまとまって聴かせてくれるハーモニーにも、立体的な音場の中では、とてつもない重さが感じられるようになります。それがクラスターになろうものなら、もう、その圧倒的な力にはひれ伏すしかありません。
そして、最後の12曲目では、全てがハミングで歌われるこの上なく澄み切った世界が広がります。これは、合唱音楽の可能性をとことんまで追求した傑作ではないでしょうか。
ペルトの作品になると、その様相はガラリと変わります。同じ合唱団が歌っているとは思えないほど、こちらからは、もう最初からクリアでピュアな響きが満載。無条件で至福の時が過ぎていきます。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2018-01-16 23:05 | 合唱 | Comments(0)
HAMILTON/Requiem
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Ilona Domnich(Sop), Jennifer Johnston(MS)
Nicky Spence(Ten), David Stout(Bar)
Ian Tindale(Org)
Timothy Hamilton/
Cantoribus, Rosenau Sinfonia
NAXOS/8.573849


1973年生まれのイギリスの作曲家/指揮者、ティモシー・ハミルトンが作った「レクイエム」の世界初録音です。これは、第一次世界大戦の勃発から1世紀となる2014年に、その犠牲者の追悼のためのセレモニーが行われるにあたって、2012年にロンドンのセント・ジョンズ・ウッド教会から委嘱されました。
初演は2014年にその教会の音楽監督のマイケル・ケイトン指揮で教会の聖歌隊が歌って行われましたが、その時には全12曲の中の7曲だけしか演奏されませんでした。
全曲が初演されたのは2015年の11月12日のこと、その時には作曲者自身が指揮をしました。彼が創設した合唱団「カントリブス」(田舎の醜女)など、その時のメンバーがそのまま2週間後に再集結して録音されたのが、このCDです。
編成は、4人のソリストと混声合唱に、オルガンと小編成のオーケストラ、テキストは、基本的にラテン語の典礼文ですが、それは例えばフォーレの作品のように、「Dies irae」の部分は全てカットされていますし、その後の「Donime Jesu Christe」も、前半はカットして後半の「Hosteas」から始まっています。そのカットされた部分に挿入されているのが、「戦士の詩篇」と呼ばれている第91篇の英訳のテキストです。
さらに「Prelude」と名付けられた第1曲目では、アイザック・ウォッツの有名な讃美歌「Give us the wings of faith」のテキストが使われています。そこの冒頭にはホルンによってB♭-Fという5度跳躍の音型が現れます。それは、まるでマーラーの交響曲第2番の終楽章の、合唱が始まるちょっと前の神秘的な部分のよう。あの曲のような深淵を味わわせてくれることを期待してもいいのでしょうか。
ただ、その後に「モア」という有名な映画音楽とよく似たメロディで讃美歌がア・カペラの合唱によって歌われると、俄然音楽は俗っぽいものに変わります。これがこの作曲家の持ち味なのでしょうが、なにか小手先だけで感動を引き出そうというあざとさが、チラチラと垣間見られます。
それは、この合唱団の資質によるものなのかもしれません。確かに、歌が上手な人たちが集められてはいるのですが、ピアニシモで歌っている時にはハーモニーもとてもきれいなのに、盛り上がってくるとそれぞれのソリスティックな声がだんだん目立ってきて、結果的に合唱としての重みのある盛り上がりを作ることが出来なくなっているのですよ。
2曲目の「Introit」では、「Requiem aeternam」のメロディには、酔いしれるものがあります。それが「exaudi」からは一転して激しい音楽に変わるのですが、最後にもう一度「Requiem aeternam」が繰り返されるところが、フォーレの作品の冒頭そっくりなのにはがっかりさせられます。
「Kyrie」を経て4曲目が、「戦士の詩篇」です。かなり長大なテキストなのですが、ここで作曲家は、もはやそれに美しいメロディを付けることをあきらめてしまったのでしょう。まるでラップのような、陳腐な抑揚の中にたくさんの言葉を詰め込んだ、全く魅力を感じることのできない音楽です。
「Sanctus」と「Benedictus」の後には、型通り「Hosanna」が続きます。それがなんとも大げさでハイテンションなんですね。さらに、後半にはフーガまで作られています。それがこの合唱団によって歌われると、なんともおぞましいものに変わります。
「Pie Jesu」と言えば、フォーレでもデュリュフレでもラッターでもロイド=ウェッバーでも、ソリストは女声(もしくは少年)と相場が決まっていますが、ここではなんとバリトンで歌われています。まるで女湯に飛び込んだじじい、みたい。
ハミルトンは、この「レクイエム」が委嘱された背景を考慮したのでしょうか、曲の中にさまざまな「戦争」に関するモティーフを取り入れているように思えます。1曲目の冒頭の5度跳躍は軍隊の就寝ラッパなんですって。さらに、後の曲で音楽が盛り上がる時に決まって現れるのがスネア・ドラムのロールです。気持ちは分かりますが、なんか低次元という気がしませんか?

CD Artwork © Naxos Rights Europe Ltd

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by jurassic_oyaji | 2018-01-09 21:50 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Goldberg Variations
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Maria van Nieukerken/
PA'dam
Collegium Delft
COBRA/COBRA 0050


バッハの「ゴルトベルク変奏曲」には、「印刷」された楽譜が残っています。バッハの時代には、作曲家が書いた楽譜を写譜屋さんが手書きで書き写すという「写筆譜」の形が、流通させるメインの手立てでした。もちろん、これは大量に作り出すわけにはいかないので、ごく限られた人しか手に入れることはできません。
しかし、この頃はすでに銅版画の技術を応用した楽譜の印刷技術は確立されていました。そして、バッハも晩年に4巻の「クラヴィーア練習曲集」というものを印刷させて出版します。1731年には第1巻として「6つのパルティータ」、1735年には第2巻として「イタリア風協奏曲」と「フランス風序曲」、1739年には第3巻として「ドイツ・オルガン・ミサ」が出版されました。そして1741年に出版された「第4巻」がこの「ゴルトベルク変奏曲」です。
その、印刷された楽譜はIMSLPで現物を見ることが出来ます。表紙はこんな感じ
そして、肝心の楽譜はこんな感じです。
職人技、ですね。いったいどのぐらい出版されたのでしょう。
タイトルには「vors Clavicimbal mit 2 Manualen」とあるように、2段鍵盤を持つチェンバロ(クラヴィチェンバロ)のために作られていますが、もちろん現代ではチェンバロだけではなくピアノで演奏されることもありますね。なんたって、この曲のレコード(CD)で最もたくさん売れたのはグレン・グールドがピアノで演奏した録音ですからね。
その他にも、オルガンとか、さらには弦楽合奏などへの編曲も広く演奏されています。となれば、今度は声楽による編曲だってあっても構わないはずです。おそらく、そんなノリで製作されたのが、この「16人の合唱とバロック・アンサンブル」のためのバージョンだったのでしょう。
バッハの器楽曲を合唱で演奏するというアイディアは、古くはあの「スウィングル・シンガーズ」あたりでも見られました。そこで問題になるのは「歌詞」です。オリジナルにはもちろんテキストは付いていませんから、彼らはそれを「ダバダバ」というスキャットでごまかしていました(いや、「解決」していました)。
ですから、今回のCDでも同じような解決法を採るのだろうと思っていたら、この編曲を作ったグスタヴォ・トルヒーリョという人は、しっかり歌詞を「でっちあげ」ていましたよ。例えば第13変奏は「Ruhe sanfte, sanfte Ruh!」という歌詞、なんだか受難曲みたいですね。
最初のテーマでは、耳慣れた旋律はなかなか出てきません。まずは半音低いピッチで(バロック・アンサンブルですから)チェロが低音だけを演奏しています。そこにハミングの合唱が静かに入って和声を重ね、リコーダーがソロを加えたりします。そんなことがしばらく続いた後におもむろに合唱でテーマが始まります。何回か繰り返すたびに他の楽器も加わる、という構成です。ただ、バロック・アンサンブルとは言っても通奏低音としてのチェンバロなどは入っていません。
変奏に入ると、余計な前置きはなく楽譜通りに音楽が始まります。時折、合唱などに新たな旋律線が加わってゴージャスな響きとなったりして、かなり柔軟な編曲の方針が取られているようですね。中には、合唱は全く参加しないで、楽器だけで演奏するという変奏も、全部で7曲ほどあります。
なかなか変化にも富んでいて、編曲自体はとても楽しめるものになっているのですが、聴きはじめてしばらく経つと、合唱の人たちがかなりいい加減に歌っているのが耳についてきます。発声はほとんどアマチュアのレベルで、それだけで引いてしまうのですが、なんせバッハですからあちこちで出てくるメリスマの早いパッセージが、まるで歌えていないのですよ。第11変奏などは、楽器が入らずア・カペラでフーガを歌っているのですが、これは最悪。
この合唱団は、一応「プロ」が集まって様々なジャンルで活躍しているのだそうですが、「バッハ」に関する「プロ」でないことだけは確かなようです。

CD Artwork © Cobra Records

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by jurassic_oyaji | 2018-01-04 20:29 | 合唱 | Comments(0)
DURUFLÉ, HOWELLS/Requiems
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Kirsten Sollek(MS), Richard Lippold(Bar)
Frederick teardo(Org), Myron Lutzke(Vc)
John Scott/
Saint Thomas Choir of Men & Boys, Fifth Avenue, New York
RESONUS/RES10200


「ニューヨーク五番街の聖トーマス教会男声と少年の合唱団」という長ったらしい名前の、文字通りアメリカの団体のアルバムです。彼らはこのレーベルからはフォーレの「レクイエム」など何枚かのCDを出していますが、実際に聴いたのはこれが初めてです。そもそも、この「Resonus」という2011年に発足したばかりのイギリスのレーベルのものを聴くのも初めてですし。
名前の通り、この教会の聖歌隊である合唱団は、少年と成人男声だけによる編成という、よくある形のものです。そして、たとえばイギリスのキングズ・カレッジ聖歌隊と同じように、少年、つまり「トレブル」のパートの人数が非常に多いのが特徴になっています。あまり多いと、問題も多いのでしょうね(それは「トラブル)」。ブックレットのメンバー表では、トレブルが24人に対して、他の3パートはアルト(もちろん成人のカウンターテナー)6人、テナーとベースは5人ずつですからね。成人のパートのメンバーは、すべてプロフェッショナルな歌手たちなのだそうです。
この合唱団の少年団員は、1919年に創設された聖歌隊養成のための学校(そういう学校は、ここを含めて全世界で3つしかないのだそうです)の生徒の中から選抜されています。そして、このような混声合唱の編成としての活動だけではなく、少年合唱団としてもコンサートや演奏旅行を行っているのだそうです。
指揮をしているジョン・スコットという人は、イギリス出身のオルガニスト、小さいころは聖歌隊で歌っていました。オルガニストとしては世界中でコンサートを開いていて、バッハやメシアンでは、全ての作品を演奏していますし、ブクステフーデ、フランク、ヴィドール、ヴィエルヌといった、全ての時代の有名な作曲家のオルガン曲も、ほぼ全曲レパートリーとしているという、ものすごい人です。2004年にこのニューヨークの聖トーマス教会の音楽監督に就任しましたが、2015年に59歳の若さでこの世を去ってしまいました。このCDには、2011年に録音されたハウエルズとデュリュフレの「レクイエム」が収録されています。
ハーバート・ハウエルズが1936年に作った「レクイエム」は、通常の典礼文ではなく、「Requiem aeternam」という冒頭のテキストだけはそのままラテン語で2回使われるほかは、詩編などの英訳が使われている無伴奏の作品です。これまでにも多くの録音がリリースされていますが、今回のものはおそらくそれらの中でもかなり高い順位にランキングされる演奏なのではないでしょうか。なによりも、この合唱団の少年たちによるトレブル・パートが、少年合唱にありがちな「はかない」ところが全く感じられない、とても強靭な声として聴こえてくる点が、最大の魅力です。
デュリュフレの「レクイエム」は、オルガン伴奏と、チェロのソロが入る第2稿による演奏です。これは、オリジナルのフル・オーケストラのバージョンよりも合唱の実力がもろに問われる形態ですが、ここでもこの合唱団はその魅力をいかんなく発揮してくれていました。トレブルだけでなく、他のパートも充実した響きで、この作品に相応の重みを与えています。
ちょっと面白いのが、トレブルの扱い方。普通のところは全員がソプラノのパートを歌っているのですが、例えば2曲目の「Kyrie eleison」では、「Christe eleison」という歌詞の部分のように、ソプラノとアルトだけで歌われるところではトレブルが2つのパートに分かれて歌っているのです。「Sanctus」や「Agnus Dei」でも、やはり女声パートだけになるところではトレブルだけで歌われています。同じ個所を先ほどのキングズ・カレッジ聖歌隊のようにアルトのパートを成人アルト(カウンターテナー)が歌うと、どうしても音質がまとまらないものですが、ここでは見事にピュアなハーモニーが生まれています。
正直、アメリカの聖歌隊でこれほどのクオリティの高さが味わえるとは思っていませんでした。とても素晴らしい録音とあわせて、脱帽です。

CD Artwork © Resonus Limited

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by jurassic_oyaji | 2017-12-21 21:32 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Motets
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Grete Pedersen
Nowegian Soloists' Choir
Ensemble Allegria
BIS/SACD-2251(hybrid SACD)


ほぼ毎年ニューアルバムをリリースしているペーデシェンとノルウェー・ソリスト合唱団の今年の新譜は、ちょっと今までとは様子が違っていました。これまでは、何かしらのテーマを中心にして、多くの作曲家の作品を集めたという「コンセプト・アルバム」が主体だったのですが、今回はバッハのモテット集という、ベタな選曲でした。しかも、前々作の中にあった音源をそのまま使いまわすという「手抜き」まで行われているのですから、ちょっと心配でご飯も食べれなくなってしまいます(それは「ら抜き」)。
つまり、ここでは収録曲をまとめて一度に録音したのではなく、一昨年、昨年、今年と3回に分けて録音しているのです。その一昨年の分が、すでにこちらのアルバムに含まれていたのです。
と、現象的には許しがたいことをやってはいても、このアルバムではそれがしっかり全体の中に納まっている、という結果にはなっているので、それはそれで許せるというのが面白いところです。つまり、同じ音源でも、コンテクストが変わると全くその役割が変わってくる、ということを、現実に体験できたものですから。
バッハの「モテット」に関しては、いったい何曲あるのかという問題はありますが、ここでは普通に「モテット」と言われているBWV225からBWV230までの6曲に、BWVではそのあとに記載されているBWV118を加えて7曲が演奏されています。さらに、伴奏の編成もはっきりしてはいないので、ここでのペーデシェンは、3回のセッションでそれぞれ異なった編成のアンサンブルを協演させていました。
アルバムの曲順では、まず2016年のセッションで録音された「Komm, Jesu, komm(来ませ、イエスよ、来ませ) BWV229」、「Fürchte dich nicht, ich bin bei dir(恐るるなかれ、われ汝とともにあり) BWV228」、「Der Geist hilft unser Schwachheit auf(み霊はわれらの弱きをたすけたもう) BWV226」の3曲が演奏されます。これらは全てソプラノ、アルト、テナー、ベースの4パートの合唱が2つ向かい合って歌う二重合唱の形で作られたものですが、その伴奏はオルガンにチェロとヴィオローネという編成の通奏低音だけになっていて、さらにピッチがほぼ半音低くなっています(A=415)。ですから、ここではほぼ合唱の裸の姿が披露されることになります。
それに続いては、2015年のセッションと2017年のセッション(これはモダンピッチ)のものが交互に演奏されますが、その前半の「Jesu, meine Freude (イエス、わが喜びよ)BWV227」と「Lobet den Herrn, alle Heiden(主よ讃えよ、もろもろの異邦人よ) BWV230」では、通奏低音の他にコラ・パルテ(合唱のパートと同じメロディを重ねること)で弦楽器が加わっています。そうなると、合唱は弦楽器に覆われることになり、豊かな音色が醸し出されるようになります。
そして、最後の2曲、「O, Jesu Christ, meins Lebens Licht(おお、イエス・キリスト、わが生命の光) BWV118」と「Singet dem Herrn ein neues Lied(主に向かいて新しき歌をうたえ) BWV225」では、弦楽器の他にオーボエやファゴットが加わって、さらに華やかなサウンドとなっています。BWV118などは、前奏や間奏など、合唱が入っていない部分までありますから、さらに充実したサウンドになります(お葬式の音楽なんですけどね)。
そんな感じで、以前はニューステットの作品との対比として使われていたものが、ここでは見事に同じ合唱が伴奏の形態が変わることによって、どれだけの違いが出てくるかということを見せてくれていました。
ただ、「同じ合唱」とは言っても、この合唱団のことですからメンバーは3年の間には大幅に変わっているはずです。それなのに、ブックレットではそれらを区別せずに、「1度でもこれらのセッションに参加したことのある人」を全員並べています。これはちょっと不親切。
でも、なんと言ってもこの合唱のメンバーはそれぞれにレベルが高く、ちょっと「普通の」合唱団が歌っているバッハのモテットとは次元の違う素晴らしい演奏を繰り広げてくれていますから、ぐだぐだと文句を言う必要なんか全然ないのですけどね。

SACD Artwork © BIS Records AB

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by jurassic_oyaji | 2017-12-14 20:13 | 合唱 | Comments(0)
Silence & Music
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Paul McCreesh/
Gabrieli Consort
SIGNUM/SIGCD 490


かつては「ARCHIV(アルヒーフ)」のアーティストだったポール・マクリーシュのCDを初めて聴いたのは、20年近く前のある日でした。すでにその頃は「アーリー・ミュージックの先駆的なレーベル」ではなく、単なるDGのサブレーベルという扱いになっていたこのレーベルですが、そこではマクリーシュは、当時は「これこそがバッハ演奏の本来の姿だ」ともてはやされていた「1パートは一人で演奏する」というジョシュア・リフキンの主張の実践者として邁進していたはずです。
最近になってSIGUNUMからCDを出すようになると、いつの間にか彼はやたらと大人数の合唱での録音に邁進するようになっていました。ベルリオーズの「レクイエム」では、なんと400人の合唱ですからね。なんか、極端から極端に走る指揮者だな、という印象がありましたね。
そんなマクリーシュの最新のアルバムでは、さらに意表をつくように、「普通の」合唱団としてのレパートリーで勝負してきましたよ。つまり、ここで取りあげられている作品は、全部ではありませんが基本的にアマチュアの合唱団が歌うことを前提にして作られています。ほとんどがソプラノ、アルト、テナー、ベースという4つのパートが伴奏なしで歌われるというシンプルな編成のものです。「パートソング」という言い方をされることもありますね。
とは言っても、ここで取り上げられているのは、エルガー、ヴォーン・ウィリアムズなどのイギリスの大作曲家が作ったものばかりです。マクリーシュはブックレットの中でのインタビューに答えて、「合唱専門の指揮者としてではなく、あくまで交響曲などの指揮もする一般的な指揮者として曲に対峙した」と語っています。さらに、この中で歌われているエドワード・エルガーの2つの合唱曲を引き合いに出して「私のようにエルガーの交響曲や『ゲロンティアスの夢』のような大曲を指揮したことがあれば、必然的にこれらの4分前後の作品に対して別の視野が開けてくるだろう」とも言っています。
なんか、それこそ「合唱指揮者」が聴いたら確実に「やなやつ」と思ってしまうような、高慢な発言ですね。でも、彼の場合はそれをきちんと演奏面で実践しているのですから、何も言えなくなるのではないでしょうか。確かに、このアルバムの中の「小さな」曲たちは、ただのパートソングには終わらない広がりと深みを持っていました。
最初に歌われているのは、エルガーと同世代の作曲家、スタンフォードが作った「The Blue Bird」という曲です。偶然にも、つい最近聴いたキングズ・シンガーズのニューアルバムでも、この曲が取り上げられていましたね。あちらの演奏は、少人数ならではの小気味よくハモるという楽しさが十分に伝わってきて、それはそれで完成されているものでしたが、そのあとにこのマクリーシュの演奏を聴くと、ほとんど別の曲ではないかと思えるほど、広がる世界が異なっていました。
なによりも素晴らしいのが、そのダイナミック・レンジの広さでしょうか。20人ほどの編成なので、特に大きな音で迫ることはありませんが、反対に弱音までの幅がかなり広く感じられるのですよ。超ピアニシモでのエンディングだけで、そのスキルの高さは存分に伝わってきます。
大半は、20世紀の前半に作られた曲で、もちろん作曲家は物故者なのですが、このなかに2曲だけ、ジェイムズ・マクミランとジョナサン・ダヴという、ともに1959年に生まれた、バリバリの「現代作曲家」の曲も歌われています。スコットランドの素材をクラスター風に重ねたマクミランの「the Gallant Weaver」、ミニマル風の細かいフレーズの繰り返しを多用したダヴの「Who Killed Cock Robin?」と、イギリス音楽の伝統を受け継ぎつつ、新しい時代のイディオムもふんだんに盛り込んだこれらの作品にも、たしかな命が吹き込まれています。
男声だけで歌われるヴォーン・ウィリアムズの「Bushes and Briars」と「The Winter is Gone」がちょっと大味なのは、見過ごしましよう。

CD Artwork © Signum Records

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by jurassic_oyaji | 2017-12-12 22:20 | 合唱 | Comments(0)
GOLD
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The King's Singers
SIGNUM/SIGCD 500


公式には1968年に結成されたイギリスの6人組のヴォーカル・グループ「キングズ・シンガーズ」は、来年の2018年には創立50周年を迎えることになります。その記念に2016年10月から2017年2月にかけて録音されたのが、この3枚組のアルバムです。「金婚式」という意味合いでしょう、そのタイトルは「ゴールド」、さらに品番が「500」というのですから、もうすべてがお祝いモードですね。あんまりはしゃぎ過ぎて、メンバーの間柄が冷たくなってしまうことはないのでしょうか(それは「コールド)。
50年の間には何度も何度もメンバーが変わっているこのグループですが、2016年の9月にカウンター・テナーがデイヴィッド・ハーレーからパトリック・ダナキーに替わった時点で、全メンバーが21世紀になってからの加入者となりました。そういう意味で、「長い結婚生活」ではなく、「新しいパートナーとの再出発」的な意味も、このアルバムには込められているのではないでしょうか。
3枚のCDにはそれぞれ「Close Harmony」、「Spiritual」、「Secular」というタイトルが付けられており、このグループのレパートリーの根幹をなす3つのジャンルの曲が演奏されています。「Close Harmony」は、元々は「密集和音」という音楽用語ですが(対義語は「開離和音(Open Harmony」)、ここでは音域が狭いのでそのようなハーモニーを使わざるを得ない無伴奏男声合唱のことを示す言葉として使われています。もっとも、このグループはカウンター・テナーで女声のパートを歌うことができるので、やっていることは「Open Harmony」なのですが。
ここでは、彼らのライブでの定番の、ポップスや民謡などを編曲したものが歌われています。今回新たに編曲されたものもありますが、この中の2曲のビートルズ・ナンバーは、1986年に録音された全曲ビートルズのカバーのアルバムで使われたものと同じ編曲で歌われていました。「And I Love Her」は、その録音時にテナーのメンバーだったボブ・チルコット、「I'll Follow the Sun」は、その前任者のビル・アイヴズの編曲です。30年前に録音されたこの2曲を、まさに「セルフ・カバー」である今回の新録音と比べてみると、その表現には全くブレがないことに驚かされます。彼らの伝統がしっかり演奏上の細かいところまで受け継がれつつ、メンバーチェンジが行われていたことに、改めて気づかされます。
とは言っても、ソロのパートではそれぞれのメンバーの個性の違いはしっかりと分かります。特に、30年前のテノールだったチルコットの悪声は、現メンバーの日系人、ジュリアン・グレゴリーでは完全に払拭されていました。
「Spiritual」では、広い意味での宗教曲が歌われています。その中に、男声合唱の定番、プーランクの「アッシジの聖フランチェスコの4つの小さな祈り」がありました。これは、テナー、バリトン1、バリトン2、ベースという4つの声部の曲ですから、彼らの場合はカウンター・テナーのパートを除くと残りの4人だけで完璧に歌える曲ですね。ということは、テナーを歌っているグレゴリーくんの声がはっきり聴こえてくるということになります。6人で歌っている時にはちょっと目立たない声でしたが、ここではとても芯のある声のように聴こえました。歴代のメンバーの中では最高のテナーだと思っているビル・アイヴズには及びませんが、それに次ぐ人材なのではないでしょうか。
3枚目の「Secular」は、文字通り世俗曲ですが、宗教曲以外の合唱曲のレパートリーということでしょう。お得意のマドリガルなどに交じって、1987年に武満徹に委嘱した「Handmade Proverbs(手づくり諺)」が入っていたのには驚きました。同じ年に日本で初演された曲ですが、もしかしたらこれが初録音なのでしょうか。いかにも武満らしいハーモニーが素敵です。
このアルバムを携えてのワールド・ツアーがすでに始まっています。丸1年以上をかけて行う大規模なツアーですが、あいにく日本でのコンサートはないようですね。

CD Artwork © Signum Records

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by jurassic_oyaji | 2017-12-07 20:10 | 合唱 | Comments(0)
MOZART/Requiem(ed. Dutron)
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Sophie Karthaüser(Sop), Marie-Claude Chappuis(Alt)
Maximillian Schmitt(ten), Johannes Weisser(Bar)
René Jacobs/
RIAS Kammerchor
Freiburger Barockorchester
HARMONIA MUNDI/HMM 902291


今までモーツァルトの多くのオペラを録音してきたルネ・ヤーコブスが、満を持して「レクイエム」の録音を行いました。この作品の場合、どんな楽譜を使うのかが気になるところですが、ここではフランスの若い作曲家ピエール=アンリ・デュトロンというヒノノニトンみたいな名前の人(それは「デュトロ」)の懇願を受けて、2016年に作られたばかりの彼の修復稿が使われています。それはヤーコブスによって2016年11月25日(ちょうど1年前!)に、パリで初演されました。それを、2017年7月にベルリンのテルデック・スタジオで録音したものが、このCDです。当然のことですが、この楽譜による世界初録音ですね。
この「デュトロン版」は、まだ出版はされていません。というか、出版する意思はないのではないでしょうか。スコアは作曲家のウェブサイトからだれでも直接ダウンロードできるようになっています。それは、彼のコメントによると「この新しいバージョンは、個人的、芸術的な興味から作ったもので、なんの報酬も得てはいない」からなのだそうです。
そんなわけで、居ながらにして145ページに渡るスコアを入手することが出来ました。タイトルには「Requiem/Süssmayer Remade, 2016」とあります。そして、「前半はモーツァルトの自筆稿、後半はジュスマイヤーが作ったものに基づいている」、ともあります。ということは、あくまでもジュスマイヤー版をベースにして、それに少し手を加えたものなのでは、という印象は持つことでしょう。実際、代理店のインフォにも「ここでのデュトロンによる補完は(中略)ジュスマイヤーが残した版に敬意を払って行われたもので(中略)あくまでもジュスマイヤーの版を尊重しながら、彼が犯したオーケストレーション上の作法の間違いなどを修正し改善する、というところにあります。」と書かれていますからね。
これだけ読むと、それこそこのような新たな修復版の先鞭を切った「バイヤー版」(1971年)と同じようなコンセプトですね。確かに、バイヤー版ではジュスマイヤー版の尺はほとんど変わっておらず、オーケストレーションだけが変更されていました。しかし、このデュトロン版は、そんな穏やかなものではなく、ジュスマイヤーの仕事を完膚なきまでに改変してしまっていました。
一番かわいそうなのは、ジュスマイヤーが作ったとされる「Benedictus」です。これまでに作られていたどんな修復稿でも、この曲のイントロと、歌い出しがアルトのソロという部分は変えられることはなかったのに、ここではイントロはなんとも陳腐なフレーズに変わっていますし、歌い出しもソプラノとテノールのデュエットになっていますからね。それ以後の構成もガラリと変わっています。
個人的には、この「Benedictus」はジュスマイヤーの最高傑作、もしかしたらモーツァルトをしのぐほどの美しさが込められているのではないか、とさえ思っていますから、こんな風に無残に改竄されてしまったことに怒りさえ覚えます。ここには「ジュスマイヤー版に対する敬意」などというものは全く存在していません。先ほどの「Süssmayer Remade, 2016」というクレジットは、「2016年に、ジュスマイヤーに成り代わってこれからのスタンダードを作り上げた」という、不遜極まりない決意が込められてものなのだ、とは言えないでしょうか。それならそれで、「ジュスマイヤー」などという言葉は使わず、ストレートに「デュトロン版」と宣言すればいいものを。
ヤーコブスともあろう人が、なぜこんな「ヤクザ」な仕事に加担したのかは知る由もありませんが、彼がここで演奏しているものでは、さらにこのスコアから「改訂」されている部分も見受けられます。決定稿を完成させるには、演奏家とのうるわしい共同作業も欠かせませんね。その結果、これは「v3.09」ですから、アップデートされた「v3.10」も、いずれはネットで公開されることになるのでしょう。便利な世の中になったものです。

CD Artwork © Harmonia Mundi Musique S.A.S.

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by jurassic_oyaji | 2017-11-25 20:31 | 合唱 | Comments(0)
FAURÉ/Requiem & other sacred music
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David Hill/
Yale Schola Cantorum
HYPERION/CDA 68209


イギリスの合唱界で名声を博した指揮者、デイヴィッド・ヒルは、現在はアメリカのイェール大学の合唱団「イェール・スコラ・カントルム」の首席指揮者を務めています。イェール大学と言えば、アメリカでは1.2を争うランキングを誇っていますから、政界、実業界、そして芸能界にも多くの人材を輩出していますね。
この合唱団は、2003年にかつてのキングズ・シンガーズのメンバー(バリトン)、サイモン・キャリントンによって創設され、その後多くの有名な指揮者と共演を果たしています。その中にはサイモン・ハルジー、ポール・ヒリアー、スティーヴン・レイトン、ジェイムズ・オドネルなどといったそうそうたるメンバーの名前が躍っているのを見ることが出来ます。バッハ・コレギウム・ジャパンの鈴木雅明も、首席客演指揮者として参加していますし。宴会にも出るんでしょうね(それは「酒席客宴指揮者」)。
そんなエリートぞろいの学生の中からオーディションによって選ばれた人たちが、これだけの指揮者によって鍛えられるのですから、その実力はかなり高いことが期待できるはずですね。
ただ、キャリントンが指揮者だった時代、2006年に録音されたこの合唱団たちの演奏によるバッハの「ヨハネ受難曲」を、こちらで聴いたことがありましたが、その時には、そんなに心を動かされるような合唱ではなかったような気がします。
今回、このHYPERIONという、ヒルが数多くの名演を残しているレーベルに、この合唱団のアルバムが初めて登場しました。ここで演奏されているのはフォーレの「レクイエム」を始めとする宗教曲です。合唱曲だけではなく、オルガン・ソロの曲なども入っているというユニークな選曲になっています。いや、もっとユニークなのが、その「レクイエム」でヒル自身が小アンサンブルのために編曲したバージョンが使われているということでしょう。この曲では、オリジナルでも何種類かの楽譜がありますが、ここでヒルは合唱パートはフル・オーケストラ・バージョンをそのまま使い、そこにヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスがそれぞれ2人ずつに、ハープとオルガンが加わった10人の編成による伴奏を付けているのです。
この編曲に対する違和感は、1曲目の「Introït et Kyrie」から気づかされます。「Requiem aeternam」と歌う時の、本来静かに漂うように流れてほしい合唱が、拍の頭でブツブツ切れて聴こえてくるのです。その原因は、その部分にオリジナルにはないハープのアコードが入っているためです。本来、この作品でのこの楽器の役割は「Sanctus」のようにアルペジオで曲を優雅に彩ることです。それを、こんな乱暴な使い方をすれば変なアクセントが付いてしまい、そこで音楽が区切られてしまうのは分かりきったことです。ヒルほどの人がなぜこんな愚かなことをやったのか、全く理解できません。
ここではソリストも全員合唱団のメンバーが担当しているように、その個々の技術的なレベルは非常に高いことは十分にうかがえます。ピッチは正確ですしユニゾンでのまとまりも素晴らしいものがあります。ただ、そのダイナミックスの変化は、まるでまるで前もってプログラミングされているかのように、なんとも機械的に推移しています。そしてテンポも、きっちりクロックに従って均一に刻まれているだけです。その中には、普通は「表情」と呼ばれている、心の中から湧き出てくる情感の反映が、感じられないのです。つまり、そこからは全く「歌」が聴こえてこないのです。
これが、単にこのエリート集団の合唱団員の責任だけではないのでは、と思えるのは、「Agnus Dei」の途中の「Lux aeterna」に移るところです。ここの素敵な転調はいつ聴いてもワクワクさせられるものなのですが、ヒルのこの演奏ではなんともあっさりと素通りしているのにはがっかりさせられます。この部分は、彼が1996年に録音したウィンチェスター大聖堂聖歌隊との録音(ラッター版/VIRGINE)でも、同じような感じでしたね。

CD Artwork © Hyperion Records Limited

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by jurassic_oyaji | 2017-11-18 20:13 | 合唱 | Comments(0)