おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
カテゴリ:合唱( 662 )
So Is My Love
c0039487_19264946.jpg




Nina T. Karlsen/
Ensemble 96
2L/2L-140-SABD(hybrid SACD, BD-A)


このレーベルのオーナーでプロデューサーのモーテン・リンドベリの趣味には、時には付いていけないほどマニアックなところがあります。今回のアルバムもタイトルがこんな「So Is My Love」という抽象的なものですし、ジャケットを見ただけではどんな作品が入っているのかも分かりませんから、ちょっと戸惑ったのですが、とにかくアンサンブル96の久しぶりの録音なので、聴いてみることにしました。この室内合唱団は、「Immortal Nystedt」(2004年録音)と「KIND」(2010年録音)という2枚のアルバムがこのレーベルから出ていましたが、今回は2016年の録音なので、きっちり6年ごとにアルバムを作ってきたことになります。そして、その3回ともすべて指揮者が異なっている、というのも興味深いところです。このアルバムが彼らとの初録音となるニーナ・T・カールセンは、1983年生まれの女性指揮者で、2011年にアンサンブル96の指揮者兼芸術監督に就任しています。
そこで、まずはこのタイトルの「意味」を、リンドベリがどのように語っているのか、見てみることにしましょうか。彼はこの「So Is My Love」というフレーズに二重の意味を持たせたのだ、と言っています。一つは「私にとって、愛とはこういうものなのよ」、そしてもう一つは「私の最愛の人って、こんな感じよ」という意味なんですって(別に女言葉とは限りませんが)。いまいちその違いが分かりませんが、なんかロマンチックですね。
そんなコンセプトのもとに選ばれた曲が、全部で10曲収められています。登場する作曲家は全部で5人。その中で最も多い5曲を提供しているのが、こちらでこのレーベルにはおなじみの1974年生まれのノルウェーの作曲家トルビョルン・デュールードです。5曲のうちの3曲が、旧約聖書の「ソロモンの雅歌」の英訳をテキストにした「Lovesongs I-III」です。この作曲家らしい適度にハードなところがあっても聴くのは重労働ではなく、基本的に親しみやすい作風が、その3曲では様々なヴァリエーションとして現れています。その他の2曲は、ノルウェーの詩人のテキストによる、まるでシベリウスの「フィンランディア」のような美しいメロディを持つ「Mad en bukett(花束とともに)」と、ウィリアム・ブレイクのテキストによるとても楽しいマドリガル、「Loughing Song」です。
「雅歌」からは、フランスの作曲家ジャン=イヴ・ダニエル=ルシュールの作品も、こちらはフランス語訳のテキストによる「La Vois du Bien-Aimé(美しい恋人の声)」と「La Sulamite(シュラムの女)」の2曲が歌われていて、このアルバムのモットーとしての役割を果たしています。こちらの方はもろラヴェルのような印象派風の音楽です。
アルバムの冒頭を飾っているのが、1985年生まれのノルウェーの作曲家マッティン・オーデゴールの「Love me」という、トーマス・タリスの曲やブルーグラス風のフィドルまでフィーチャーした、「ごった煮」的な作品です。ノルウェーの作曲家ではもう一人、1969年生まれのフランク・ハーヴロイが作った「Rêve pour l'hiver(冬の夢)」という、プーランク風のテンション・コードが美しい曲も加わります。
さらに、なんとカールハインツ・シュトックハウゼンの作品まで。「Armer junger Hirt(あわれな若い羊飼い)」は、1950年に作られた彼の学生時代の習作で、後に彼の妻となるドリス・アンドレアにささげた「ドリスのための合唱曲集」という3つの小品の中の2曲目、ポール・ヴェルレーヌの詩のドイツ語訳がテキストになっています。もちろん、これは彼の後の作風とは無縁の、単に若いころにはいかに伝統的な技法を学んでいたか、というサンプルに過ぎません。5節から成る詩なのですが、なぜかブックレットの対訳では第3節と第4節が入れ替わっています。
指揮者が代わっても、彼らのサウンドは変わってはいませんでした。前2作同様、オスロのウラニエンベリ教会での録音は、熟れた果実のような瑞々しい声が、豊かな残響とともに迫ってくる素晴らしいものです。

SACD & BD-A Artwork © Lindberg Lyd AS.

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-11-11 19:28 | 合唱 | Comments(0)
BRITTEN/War Requiem
c0039487_20303264.jpg

Sabina Cvilak(Sop), Ian Bostridge(Ten), Simon Keenlyside(Bar)
Gianandrea Noseda/
London Symphony Chorus(by Joseph Cullen)
Choir of Eltham College(by Alastair Tighe)
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO0719(hybrid SACD)


大分前にリリースされていた、2011年録音のブリテンの「レクイエム」ですが、資料的に面白いものがブックレットに載っていたので、紹介してみることにしました。
それは、こんな、この録音に参加した合唱団のメンバーの一人が持っていた、この曲のヴォーカル・スコアです。たくさんの人数の合唱が必要ですから出版社はうれしいでしょうね(それは「儲かるスコア」)。ここには多くの人のサインが書き込まれていて、この楽譜の持ち主が今までにいかに多くのこの曲の演奏に携わってきたことがよく分かりますが、それはさておいてまず気が付いたのが、このスコアのためのリダクションを行ったのが、イモジェン・ホルストだということです(そこ?)。
ご存知でしょうが、彼女は「惑星」で有名なグスターヴ・ホルストの娘さんです。父親の影響でしょう、音楽学者、指揮者、作曲家として生涯独身で過ごした方で、もちろん父親の作品の編曲や管理なども行っていました。そのイモジェンさんは、ブリテンの親友でもあったのですね。ただ、ブリテンには別の「恋人」がいましたから、それ以上の関係に進むことはなかったのでしょうね(でも、彼女のお墓はブリテンのお墓の脇にあります)。彼女がブリテンの合唱曲にオーケストラの伴奏を付けたのは知っていましたが、こんな形で「戦争レクイエム」にも関わっていたのですね。
サインの話に戻りますが、なにしろ皆さん達筆ですから、写真では誰のものかは分かりません。でも、ちゃんと注釈が付いているので、誰が書いていたかは分かります。その中には、もちろんこの録音の時のソリストの名前もありますが、中にはピーター・ピアーズとかガリーナ・ヴィシネフスカヤなどといった、1963年の初録音の時のメンバーなどもいるので、このスコアの持ち主はそんなころから合唱をやっていたのでしょうね。持ち主の名前も分かるのでメンバー表を見てみたら、確かにベースのパートにいましたね。おそらく、彼はピアーズと共演したころは少年合唱として参加していたのでしょう。
彼が所属しているのはロンドン・シンフォニー・コーラスですから、オーケストラはほとんどロンドン交響楽団だったのでしょう。確かに、ヴィシネフスカが歌ったDECCA盤はロンドン交響楽団でしたからね(指揮はブリテン自身)。ただ、その前に行われた初演では、オーケストラはバーミンガム市交響楽団でした。ですから、その時のソリストだったヘザー・ハーパーのサインもあったので、そちらにも出ていたのかな、と思ったら、その後にロンドン交響楽団がリチャード・ヒコックスの指揮でCHANDOSに録音した時に、彼女は歌っていたので、サインはその時のものだったのでしょう。
ということで、このSACDはこのオーケストラが「戦争レクイエム」を録音した3枚目のアルバムということになります。もちろん、指揮者は全て別の人です。
この曲は、全曲演奏すると80分以上かかります。ですから、普通はCD2枚が必要になっています。先ほどの初録音のDECCA盤も、LPはもちろん2枚組でしたし、1985年にCD化された時も2枚組でした。その頃は、まだ1枚に74分しか入りませんでしたからね。しかし、2013年BD-Aによるハイレゾ音源がリリースされた時は、同梱されていたリマスタリングCDでは全曲が81分22秒が1枚に収まっていましたね。
今回のSACDでは、演奏時間は83分48秒ですから、シングル・レイヤーのSACDでしたら楽々収まるのですが、ハイブリッド盤でCDの規格に合わせると、ギリギリのところで1枚には入りません。仕方がありませんね。
ソリストは、テノールのボストリッジは今までに何度もこの曲を録音していますが、ソプラノのツビラクとバリトンのキーンリーサイドはこれが初めてなのではないでしょうか。二人ともなかなかの好演、特にキーンリーサイドは、とても懐の深い歌い方が印象的で、正直あまり面白味のないアンサンブルのパートを、意外なほど魅力的に感じさせてくれました。それと、少年合唱のレベルの高さにも、驚かされます。

SACD Artwork © London Symphony Orchestra

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-11-04 20:33 | 合唱 | Comments(0)
WOOD/Requiem
c0039487_20201126.jpg


Rebecca Bottone(Sop), Clare McCaldin(Alt)
Ed Lyon(Ten), Nicholas Garrett(Bas)
Paul Brough/
L'inviti Sinfonia & L'invini Singers
ORCHID/ORC 100068


2012年に初演と同時に録音された、新しい「レクイエム」です。正確には2012年12月12日というゾロ目の日に録音セッションがもたれ、その日の夕方に同じ場所でお客さんの前で初めてのコンサートが行われました。
この曲を作ったのは、1945年生まれのクリストファー・ウッドというイギリスの「作曲家」です。いや、この方は決してプロフェッショナルな作曲家ではありません。「本職」は腕のいい外科医、さらには癌の新薬を開発する製薬会社の社員として、世の中のため働いている人なのです。
そんな人が2002年に仕事でアメリカに行った時にテレビで報道されていたエリザベス王太后の崩御を伝えるニュースを見て、何千人という人たちが悲しみにくれている情景に心を打たれ、こういう時に歌うものとして自らの手で「レクイエム」を作ろうと思い立ったのです。
それはあくまで彼自身が満たされるための作業でしたから、いつまでに作り上げる、といったような期限もありません。一日の仕事が終わった夜中にピアノに向かって心から湧き出てきたメロディを奏でて楽譜に書き起こすという時間は、まさに至福の時だったのでしょう。結局、彼は8年かかって「レクイエム」の全てのテキストにメロディをつけ終わりました。
もちろん、そんなものは世間に公表するつもりはさらさらなく、単に作曲上の誤りを指摘してもらってこれをさらに良いものに仕上げるために、知り合った音楽コーディネーターのデイヴィッド・ゲストという人にこの楽譜を見せました。ゲストは、自分で「こうでないといけないよ」というような助言はせず、彼に作曲家でオーケストレーションの仕事をしているジョナサン・ラスボーンという人を紹介してくれました。ところが、ラスボーンはこの楽譜を見るなり、いきなりオーケストレーションのプランを語り始めたのです。彼はこのメロディの中に、しっかりとした可能性を見出したのですね。
それから2年かかって、オーケストレーションは完成しました。ここでゲストが実際のレコーディングを仕切りはじめます。BBCシンガーズの首席客演指揮者のポール・ブローを指揮者に招き、この曲を録音するだけのために、イギリス国内からオーケストラと合唱団のメンバーを集めてしまったのです。
全曲を演奏すると1時間ほどかかるこの「ウッド・レクイエム」は、通常の典礼文のテキストをもれなく使って、全部で10の曲によって構成されていました。混声合唱に4人のソリストと、フル編成のオーケストラが加わります。
何よりも魅力的なのが、その、1度聴いただけで心の底に響いてくる豊かなメロディです。それを彩るハーモニーも、まさに古典的、5度圏や平行調の範囲を超えることはまずない、予定調和の響きが続きます。唯一、「Sanctus」と「Libera me」で出現するのがエンハーモニック転調ですが、それはフォーレのレクイエムの中で印象的に聴こえるものですから、おそらく作曲者はそのあたりを参考にしていたのでしょう。
全体の印象は、もちろんそのフォーレの雰囲気もありますが、ジョン・ラッターの作品にもとても似通ったセンスを感じることが出来ます。何よりも、そのオーケストレーションの甘美なこと。時折金管楽器のファンファーレで華やかになるところもありますが、基本のサウンドはハープと弦楽器が織りなす繊細なサウンドです。さらに、そんなオーケストラや合唱をシルキーにまとめた録音も手伝って、そこにはまさに天上の音楽が鳴り響きます。
ただ一つの欠点は、普通の「レクイエム」ではちょっとありえないほどのスペクタクルなサウンドで盛り上がって終わるというエンディングです。ただ、ウッドはしっとりと消え入るように終わるエンディングも考えていたのですが、その両方を彼の妻に聴かせたところ、即座に「賑やかな方!」という答えが返ってきたので、この形になったのだそうです。
その時、コンスタンツェやアルマと並ぶ「悪妻」が誕生しました。

CD Artwork © Orchid Music Limited

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-11-02 20:22 | 合唱 | Comments(0)
MENDELSSOHN/Symphony No..2 'Lobgesang'
c0039487_22371547.jpg

Lucy Crowe(Sop), Jurgita Adamonyte[](MS)
Michael Spyres(Ten)
John Eliot Gardiner/
Monteverdi Choir
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO0803(hybrid SACD, BD-A)


ガーディナーとロンドン交響楽団によるメンデルスゾーンの交響曲ツィクルスは、声楽が入っていないものだけで完結していたと思っていたら、ちゃんと「賛歌」も出してくれました。もはやこの曲は最新の目録では「交響曲」のカテゴリーには参加を許されなくなっているのですから、原典志向を貫くのなら「出してはいけない」ものになるのですが、やはり今のガーディナーにそこまでの偏屈さはありません。
とは言っても、この曲のタイトルは「Sinfonie-Kantate Lobgesang」、普通は「交響的カンタータ」などと訳していますから、あくまで「カンタータ」の仲間だと思ってしまいますが、「Sinfonie」と「Kantate」の間にハイフンがあることを考えれば、「交響曲とカンタータが合体したもの」と解釈することもできます。実際、これは前半は紛れもなく交響曲の第1楽章から第3楽章までの形をとっていて、その後に9曲から成る「カンタータ」をくっつけたものなのですから、これを「交響曲」から外してしまったMWVはちょっと荒っぽいやり方をとったな、という印象はありますね。ですから、この曲を聴く時には、「交響曲」と「カンタータ」の両方の魅力を一度に味わえるものとして接する方が、より楽しみが広がるのではないでしょうか。
メンデルスゾーンは、この曲を1840年に初演を行った後にすぐ改訂しています。1841年に出版された時は、もちろんこの改訂稿が印刷されているので、この曲の場合その「第1稿」はほとんど話題にはなりませんが、そういうゲテモノが大好きなリッカルド・シャイーが2005年にそれを録音してくれていました。しかも、NMLで簡単に聴くことが出来るようになっているので、どんなものなのか聴いてみましたよ。
そうしたら、なんとすでに第1楽章の5小節目でトロンボーンのテーマが変わっていて「交響曲」の部分でもかなりの改訂個所が見つかりましたが、とりあえず「カンタータ」の部分の方がより大きな改訂がなされているようですから、しっかり比較してみました。その結果、この部分の改訂箇所はどうやら5箇所ほどあるようでした。
3曲目:テノールのレシタティーヴォとアリアですが、第1稿にはアリアがありません。
6曲目:これもテノールのアリア。全く別の音楽です。最後のソプラノの一言も第1稿にはありません。
8曲目:最初のア・カペラのコラールは、第1稿にはオーケストラが加わっています。
9曲目:テノールのソロの後ソプラノのソロになりますが、第1稿ではテノールの部分だけで終わっています。
10曲目:終曲の合唱ですが、後半のフーガが第1稿ではちょっと違います。
もちろん、この改訂に関するWIKIの記述は、かなり不正確です。
メンデルスゾーンの場合、改訂を行うと元のものよりつまらなくなってしまう、という、他の交響曲における真理は、この曲の場合は全く通用しないことが分かりました。シャイーの録音の場合、合唱があまりにひどいということもあるのですが、特に6曲目のテノールのソロによるナンバーが、現行の改訂稿に比べると全く魅力が欠けているのですよね。
と、長々と改訂稿について語ってみたのは、もちろん改訂稿で演奏されている今回のガーディナー版では、この6曲目からのインパクトがとてつもないものだったからです。ここでのマイケル・スパイアーズのソロの素晴らしいこと。カンタータというよりはまるでオペラのような豊かな表現力です。そして、それに続く合唱は、たとえばさっきのシャイー盤の合唱に比べたら全く別の次元のものでした。こちらもほとんどオペラかと思えるほどのドラマティックな歌い方、8曲目のコラールでもその生々しい表現はこの曲全体のイメージまで一新させてしまうほどのものでした。
そんな合唱の豊潤さは、SACDよりもBD-A(24bit/192kHz)の方がより顕著に味わうことが出来ます。やはりこれは、SACD(DSD 64fs)では元の録音のDSD128fsは完全には再現できないからでしょう。

SACD & BD Artwork © London Symphony Orchestra

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-10-21 22:39 | 合唱 | Comments(0)
EŠENVALDS/The Doors of Heaven
c0039487_20564723.jpg




Ethan Sperry/
Portland State Chamber Choir
NAXOS/8.579008


エリクス・エシェンヴァルズは、1977年にラトヴィアに生まれた作曲家です。ラトヴィアは、エストニア、リトアニアとともに「バルト三国」と呼ばれ、合唱が盛んな国として知られています。このエシェンヴァルズもおもに合唱のための作品をたくさん作っているまさに「売れっ子」の作曲家です。
手元には、2010年に録音されたレイトン指揮のポリフォニー盤(HYPERION)と、2015年に録音されたクリャーヴァ指揮のラトヴィア放送合唱団盤(ONDINE)がありました。それらを聴いて、この作曲家の作品には、かなり惹かれていました。もはや「アヴァン・ギャルド」と呼ばれるような音楽とは無縁になっている世代ですから、技法的にはとてもオーソドックスなものなのですが、ハーモニーの表現ツールとしてかなり細分化された音の塊を扱う、まるでリゲティのようなところがあるのが魅力的でした。
ただ、それを歌う合唱団はかなりのポテンシャルを要求されるのではないか、という気はしました。この2枚のCDで歌っている団体は、どちらも非常に高水準のテクニックと音楽性を備えていましたから、そんなエシェンヴァルズの音楽を、それぞれに方向性は異なるものの、しっかりと聴く者に使えることに成功していました。と同時に、これはアマチュアが手を出したりするのはかなり危険なのではないか、という印象も強く持ちました。
今回、2016年に録音されたNAXOS盤では、アメリカのポートランド州立室内合唱団という合唱団が歌っています。フーゾクではありません(それは「ソープランド」)。設立されたのは1975年、ポートランド州立大学の優秀な学生だけをピックアップして、このような名前のハイレベルな合唱団が結成されたのです。それ以来、ロバート・ショーやエリック・エリクソンなどの大指揮者との共演もあり、この合唱団のレベルには一層の磨きがかけられ、多くのコンクールに入賞したり、世界的なツアーを敢行したりするほどになりました。ポートランドで生まれた合唱作曲家、ローリゼンにも絶賛されています。レコーディングも数多く行っており、その中にはあのトルミス直々に指名されて録音したものも有るのだそうです。凄いですね。
とは言っても、基本的にアマチュアの合唱団ですから、エシェンヴァルズでは、果たしてこれまでの合唱団と対等に渡り合えるほどの演奏を聴くことはできるのでしょうか。なんせ、このアルバムでは収録されている4曲中の3曲までが、すでにさっきの2枚のCDに収められているのですから、ハードルはかなり高くなります。
それ以前に、この「The Doors of Heaven」というアルバム・タイトルに、ちょっと引っかかります。これは、ここで演奏されている作品のタイトルではないんですね。調べてみると、「Rivers of Light」という曲の歌詞の一部だと分かりました。「冬の夜には空一面が光の川であふれ、天国への扉が開く」とオーロラに彩られた北欧の夜空が歌われています。そんな美しい光景をイメージしたタイトルだったのでしょう。たしかに、そんなカラフルなイメージは、この中のどの曲からも受け取ることはできます。
ただ、それだけには終わらない、もっと強靭なメッセージが彼の音楽には込められています。それは、このアルバム・タイトルの元では決して伝わって来ることはありません。
そんな風に思ってしまったのは、この学生合唱団のレベルが、明らかにこれまでのCDの団体よりも数段劣っていたからです。どちらにも入っていた「A Drop in the Ocean」では、後半になるとぼろぼろになっているのがはっきり分かりますからね。ここで初めて聴くことが出来た先ほどの「Rivers of Light」も、前の2つの団体だったらもっと精緻なハーモニーが味わえるのに、と思ってしまいます。テナーに、とても目立つ悪声の人がいるんですよね。プロだったらありえないことです。
その程度のものでも構わないのでは、と思ってこのようなタイトルを付けたのであれば、それは作曲家に対する冒涜以外の何物でもありません。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-10-17 20:59 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Magnificat in E flat
c0039487_22590790.jpg



John Eliot Gardiner/
Monteverdi Choir
English Baroque Soloists
SDG/SDG728


最近、以前に録音していたバッハの大作を次々に録音し直しているガーディナーですが、今回はちょっと小さめの曲、「マニフィカート」です。ご存知のように、この曲にも受難曲同様、改訂された楽譜が存在しています。現在最も頻繁に演奏されるのは、その改訂稿のほう、というか、ただ「マニフィカート」と言った場合は、間違いなくそちらのことを指し示します。それに対して、改訂前のものには「第1稿」、もしくは「変ホ長調版」という但し書きが必要になります。そう、この曲は改訂の時に調性(キー)まで変えられてしまったのですね。改訂稿は半音低いニ長調になっているのです。
別に半音ぐらい違ったってそんなに違いはないのでは、と思われるかもしれませんが、それは平均律にどっぷりつかってしまった現代だから言えることです。早い話が、この曲が作られたバロック時代の横笛のフルートはニ長調で吹く時に最もよい響きがするように出来ていました。この頃のフルートは穴の数が少ないので、そのニ長調で吹く時には単に穴を1個ずつ開けていけば自然に音階が出来るのですが、半音高い変ホ長調になると、空いた穴の隣の穴をふさぐといった特殊な指使いをしないと、音階が吹けません。それは指使いが難しいだけではなく、音色そのものも濁ってしまいます。
ということで、変ホ長調の第1稿には、フルートは使われてはいませんでした。1曲だけ、「フラウト・ドルチェ」という名前の「フルート(フラウトはイタリア語でフルートのこと)」が2本使われているのですが、これは縦笛のフルート、つまり「リコーダー」で、オーボエ奏者が持ち替えで演奏していました。
さらに、これはバッハがライプツィヒに赴任した年、1723年のクリスマスのために作られたので、本来の「マニフィカート」のテキストの他に、4曲のクリスマスの聖歌が挿入されていました。しかし、その後、1730年代に、クリスマス以外の用途にも使えるようにその聖歌を「排除」して改訂を行ったのが、ニ長調の改訂稿です。第1稿は、現在の楽譜では、このようにその聖歌はきちんと場所が決められて印刷されていますが、バッハの自筆稿ではそれらは最後にまとめて書かれてあり、どこに挿入するかという指示が付け加えられていました。そういうことですから、これらを外すことも最初から想定していたのでしょうね。
ガーディナーがこの曲をPHILIPSに録音したのは、1983年でした。その時には「普通の」改訂版を演奏していましたが、今回、2016年のクリスマス近くに、おそらく教会で行われたコンサートと前後して録音されたものは、「第1稿」によるものでした。ですから、当然聖歌が歌われています。ただ、フルートは他の曲では使われるので、この曲でのリコーダーはオーボエ奏者ではなくフルート奏者が演奏しています。
新旧の録音には30年以上の隔たりがありますから、合唱もオーケストラもほぼ全員が他の人に入れ替わっているはずです。ですから、最近聴いた「ヨハネ」「ロ短調」「マタイ」、と同様、かなりの点で変化は見られます。最も強く感じたのが、今回の合唱のおおらかさ、でしょうか。旧録音では、合唱はとても厳しい姿勢で音楽に立ち向かっていたという印象がありました。メリスマなどはそれこそ正確無比の完璧さを聴かせていましたが、そのあまりの潔癖さには、ちょっと息が詰まるほどの圧迫感がありました。しかし、今回は見事に肩の力が抜けた、聴いていて気持ちの良いものに変わっていましたね。
オーケストラも、最後の「Gloria Patri」のトゥッティで楽譜上は付点音符のところを、以前は当然この時代の習慣に従って厳格に複付点音符できっちり合わせていたものが、今回はかなりユルめのリズムに変わっています。
そして、彼らの演奏で初めて聴いた聖歌が、やはりとても気持ちの良いものでした。特に3曲目の「Gloria in exelsis Deo」の軽やかさは、今まで聴いてきたどの演奏にも見られないものでした。

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-10-14 23:01 | 合唱 | Comments(0)
DURUFLÉ/Requiem, RESPIGHI/Concerto gregoriano
c0039487_23380201.jpg

Henry Raudales(Vn)
Okka von der Damerau(MS), Ljubomir Puškaric(Bar)
Ivan Repušic/
Chor der Bayerischen Rundfunks(by Michael Glser)
Münchner Rundfunkorchester
BR/900320


デュリュフレの「レクイエム」のフル・オーケストラ・バージョンの最新録音、2017年の3月にミュンヘンのヘルツ・イエス教会で行われたコンサートのライブ録音です。オーケストラはミュンヘン放送管弦楽団、指揮は、1978年にクロアチアに生まれ、今年の秋にこのオーケストラの首席指揮者に就任したばかりのイヴァン・レプシッチです。合唱も、昨年の秋にやはり首席指揮者がダイクストラからハワード・アーマンに替わったばかりの、バイエルン放送合唱団です。
この「レクイエム」は演奏時間が30分ほどしかありませんから、CDの場合にはこれ1曲だけということはまずありません。そこで、多くの場合、カップリングとして演奏されているのが、デュリュフレが形式の上で参考にしたというフォーレの「レクイエム」です。これだと、ちょうどCD1枚としては適当な尺になるので、世の中にはこの組み合わせがたくさん存在しています。
しかし、今回のCDの元となったコンサートでは、思ってもみなかったような組み合わせがとられていました。ご存知のように、この「レクイエム」ではグレゴリオ聖歌の旋律がすべての楽章でテーマとして使われています。そこで、このコンサート自体もこの後にレスピーギの「コンチェルト・グレゴリアーノ」という、やはりグレゴリオ聖歌がモティーフとなっている作品が演奏されていたのです。
デュリュフレでは、このオーケストラ・バージョンの特性を最大限に生かした、とても幅広い表現力を持った音楽が広がります。まずは、合唱がとても渋い歌い方で、そこからはよく練り上げられた、まさに「大人の」表現が伝わってきます。そしてオーケストラは、おそらくこの指揮者の資質なのでしょう、いかにも聴かせどころを押さえた巧みな設計で、計算されつくした盛り上がりを用意してくれています。
常々、このオーケストラ・バージョンはダイナミック・レンジの変化があまりに唐突に感じられる個所(たとえば「Domine, Jesu Christe」の途中の「libera eas」からの部分など)があちこちにあって、ちょっと不自然な感じを抱いてしまうことがあるのですが、今回の演奏では何の違和感もなくそのようなクライマックスに対応できるのですね。聴く人を驚かすことなく、自然に場面転換を見せる術を、この指揮者は会得しているのでしょう。
ソリストも堂々とした押し出しで、この曲に必要なある種のパワーを示してくれています。こういう演奏を聴いてしまうと、作曲家が自ら作ったオルガンだけによるリダクション・バージョンには、このオーケストラ・バージョンとは全く別のベクトルを与えていたのではないか、という気になってしまいます。デュリュフレは、これらにカラー写真と白黒写真、いや、もしかしたら3D-IMAXとサイレント映画ほどの違いを込めていたのではないでしょうか。もちろん、それによってそれぞれの価値の優劣が問われることは決してありません。
レスピーギの「グレゴリア聖歌風ヴァイオリン協奏曲」は、3楽章形式でヴァイオリンのソロが大活躍をするごく普通の協奏曲の形をとっています。第1楽章は、レスピーギお得意の「シチリアーノ」のリズムが全体を支配する穏やかな音楽で、そこには「グレゴリア」の姿はありません。それがはっきり表れるのは、その楽章の最後に置かれた長大なカデンツァから、アタッカで次の楽章に入った瞬間です。どこかで聴いたことのあるような、ほのかに中世の雰囲気を湛えたその旋律は、のどかな安らぎを与えてくれます。ところが、最後の楽章になって出てきたのは、ドヴォルジャークの弦楽四重奏曲「アメリカ」のテーマに酷似した、なんとも俗っぽい東洋的なメロディです。正直、「グレゴリア」とは全く住む世界の違うように思える要素が混在するこの作品(なに?これは)、それでも、このデュリュフレを聴いた後ではあまり違和感がないのは、なぜなのでしょう。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-10-12 23:40 | 合唱 | Comments(0)
Penderecki Conducts Penderecki Vol.2/Choral Music
c0039487_20512437.jpg




Krzysztof Penderecki/
Warsaw Philharmonic Choir(by Henryk Wojnarowski)
Warsaw Boy's Choir(by Krzyszkof Kusiel-Morez)
WARNER/01902 9 58195 5 2


WARNERからのペンデレツキ自作自演集の第2集は、なんと全て無伴奏の合唱曲の2枚組でした。おそらく、これは彼がこのジャンルで作ったすべてのものなのでしょう。その作曲年代は彼の生涯のすべてに渡っていて、1958年から2015年までという長大なスパンに及んでいます。それは、殆どが宗教的な作品で、単独のミサ曲やモテットの他に、オーケストラを伴う受難曲などのオラトリオの中で、合唱だけによって歌われていたパーツも含まれています。例えば、1965年に完成された「ルカ受難曲」からは、それ以前に単独で作られていた「Stabat Mater」を始めとした4曲の無伴奏合唱曲が歌われています。
ペンデレツキは、その作曲家としての経歴の中で、大きな技法上の変化を遂げたとされています。なんせ、彼自身が、その作風の変換点を明確に語っているのですからね。つまり、1973年に作った「交響曲第1番」をもって、それまでの「アヴァン・ギャルド」のスタイルを完全に封印した、と。
ですから、この、彼の合唱音楽の集大成となるこのアルバムを聴く時には、その半世紀以上のすべての作品に対峙することによって、そのようなスタイルの変化(「変節」とも言う)を、このジャンルでも実際に感じることができるのではないか、という期待が生まれるのは当然のことです。
ところが、そんな期待は見事に裏切られてしまいました。どの作品を聴いても、全く変わらない穏やかなテイストしか感じられないのですよ。
たとえば、最初のトラックに入っている、彼の最もよく知られた合唱曲、1962年に作られた「Stabat Mater」こそは、「アヴァン・ギャルド」として知られていた作品だったはずです。調性もハーモニーも存在しないまさに混沌とした不条理な風景が続く中で、最後にニ長調という紛れもない「古典的」なハーモニーで終止するというあたりに、ほとんどニヒリズムのようなものを感じてしまう、というのが、これまで抱いていた印象でした。
ところが、このCDから聴こえてきたものは、すべてがとても美しくまとめられて、何の不安感や恐怖感も抱くことのない、いたってのどかな音楽だったのです。冒頭のテーマは、まさにプレーン・チャントそのものです。途中で現れるシュプレッヒ・ゲザンクもクラスターも、単にその時代の流行の技法をつまみ食いしただけで、曲全体に軽いアクセントを与えるものとしか思えません。したがって、最後の長三和音は当然の帰結として何の疑問もなく受け入れられてしまいます。
そんなはずはない、と、初演直後の1966年に録音されたヘンリク・チシの指揮による歴史的な演奏を聴き直してみると、そこからは確かに致死量の毒が含まれた「アヴァン・ギャルド」が聴こえてきました。しかし、おそらく今聴いたばかりの自作自演が楽譜に忠実な演奏であったものだと信じると、それは本来単純だった譜面をあまりにもデフォルメしてしまったもののようにも聴こえます。作曲家の演奏は、言ってみれば昨今流行の「原典版」の思想、あくまで元の楽譜に忠実な演奏を目指したものなのでしょう。そこからは「あの曲は、『アヴァン・ギャルド』なんかじゃないんだよ」という作曲者の言葉が聴こえてはこないでしょうか。そういえば、最近の演奏家、例えばアントニ・ヴィットあたりは、とっくにそんなことは気が付いていたようですね。
そして、最後の最後、2枚目のCDの最後のトラックに入っていたのは、1963年に作られた「古い様式による3つの小品」の1曲目、「アリア」でした。オリジナルは弦楽合奏の曲ですね。それを合唱にヴォカリーズで歌わせたというものですが、これはもろチマローザの「オーボエ協奏曲」と言われている作品のパクリです。こんなものまで「全集」の中に入れて保存しておこうという作曲家の意思は、きっちりと受け止めるべきでしょう。ペンデレツキは、彼の生涯で「アヴァン・ギャルド」だったことなど、一度もなかったのです。

CD Artwork © Warner Music Poland

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-10-10 20:53 | 合唱 | Comments(0)
LIGETI/Requiem
c0039487_20351535.jpg


Gabriele Hierdeis(Sop), Rene()e Morloc(Alt)
Frieder Bernius/
Kammerchor Stuttgart
Danubia Orchestra Óbunda
CARUS/83.283


リゲティの「レクイエム」の新しいCDがリリースされました。とは言っても、録音されたのは10年以上前、2006年3月のコンサートでのことでした。リゲティが亡くなったのはこの年の6月ですから、別に彼のための「レクイエム」ではなかったはずです。
そもそも、これは放送用に録音されたものでしたから、CDにするつもりはなかったのでしょうが、どういう事情が働いたのか、その音源と、過去にこのレーベルに録音されていた同じリゲティの「ルクル・エテルナ」、さらに、16声部の無伴奏混声合唱のために作られたその「ルクス・エテルナ」をお手本にして、数々のクラシックの作品を多声部の合唱曲に編曲したことで有名なクリトゥス・ゴットヴァルトの編曲作品をまとめて1枚のCDが今頃作られたということのようです。確かに、「レクイエム」は編成こそ巨大ですが、全曲を演奏しても30分もかからないで終わってしまいますから、それだけではアルバムは作れませんからね。
ただ、そんなに短いのには訳があって、この作品では、「レクイエム」の典礼文の前半、セクエンツィアの部分までしか作曲されていないのです。つまり、モーツァルトの同名曲で言うと「Lacrimosa」の部分で終わっているのですね。しかも、そこでテキストの最後に登場する「Amen」という言葉が削除されています。その意味、そして、残りの「Domine Jesu Christe」から「Agnus Dei」までを作曲しなかった理由は、作曲者は語ってはいません。
ここで演奏しているのが、ベルニウス指揮のシュトゥットガルト室内合唱団です。ベルニウスはブックレットの中で、彼とリゲティの作品との出会いについて語っていますが、その中にちょっと興味深いことがありました。この曲は、1965年に完成されていますが、その楽譜を見たベルニウスは、その譜面のあまりに巨大で複雑なのに驚いて、とてもこんなのを見て演奏することなどできない、と思ってしまったそうなのです。たしかに、それが、このCDが出ると知った時に感じた疑問点でした。今まで数多くのアルバムを作ってきたベルニウスですが、彼の本領はあまり人数の多くない「室内」合唱団を使ってのきめ細かい音楽づくりだったはずです。それが、こんなばかでかい編成の作品に取り組むなんて、なんと無謀な、と思いましたね。
しかし、彼の話によると、最初にこの作品のスコアを見た時にはそうだったものが、最近はそれを小さな編成に直した「改訂版」が作られていて、それは50人ほどの彼の合唱団でも演奏できるようになっているというのです。
確かに、調べてみたらペータースから出版されているスコアには「1997年改訂」という表記がありました。ただ、断片的にネットで見つかる情報では、改訂の前後ではそれほど大きな違いはないような気がするのですが。この後、2008年に録音されたエトヴェシュ盤でも、2002年に録音されていたノット盤でもこの「改訂版」が使われていたはずですが、いずれの録音も音を聴く限りではそれほど少ない人数の合唱ではないように感じられます。なによりも、1960年代に録音されたミヒャエル・ギーレンやフランシス・トラヴィス(映画「2001年」のサントラ)による演奏と基本的に変わらないドロドロとした情念が、これらの合唱からは確かに聴こえてくるのです。
ところが、今回のベルニウスの演奏からは、それが全く感じられません。特に「Kyrie」での複雑なポリフォニーからは、おそらくこの作品には絶対に欠かすことができないメッセージが、まるで聴こえてこないのです。こんなものは「リゲティのレクイエム」ではありません。そもそもリゲティ自身が「100人以上の合唱が必要」と言っていることが確認できていますからね。ベルニウスの演奏は、明らかな勘違いの産物です。
カップリングの「ルクス・エテルナ」などは、すでにCDとして出ているものです。マスタリングのせいでしょうか、オリジナルのCDよりも精彩に欠ける音になっていました。

CD Artwork © Carus-Verlag

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-10-05 20:37 | 合唱 | Comments(0)
MANCUSI/Passion Domini secundum Joannem
c0039487_19330215.jpg

Theresa Krügl(Sop), Anna-Katharina Tonauer(MS)
David Sitka, Lorin Wey(Ten)
Matthias Liener, Michael Nagl(Bas)
Guido Mancusi/
Chorus Duplex Vienna, Louie's Cage Percussion
PALADINO/PMR 0082


「受難曲」というと、なんか大昔の音楽のように思ってしまいますが、この現代でもそういうタイトルの作品に挑戦している作曲家はたくさんいます。このサイトで取り上げたものだけでもペンデレツキリームグバイドゥーリナタン・ドゥンゴリホフマクミランペルトチルコット、果てはイラリオン・アルフェエフ府主教と、枚挙に遑がありません。今回、そこに1966年にイタリア人の父親とオーストリア人の母親との間に生まれたグイド・マンクーシという人が加わりました。蛇とケンカはしません(それは「マングース」。
ナポリで生まれたマンクーシは、小さいころ父親とその友人のあのニーノ・ロータからピアノの手ほどきを受け、ウィーンに移住するとウィーン少年合唱団に入団、ソリストとしても活躍します。さらに、ウィーンの大学でファゴットと声楽と指揮法を学びます。指揮者としてデビューした後は、スカラ座やバイロイトで副指揮者を務めるなど、数多くのオペラハウスで研鑽をつみ、現在ではウィーンのフォルクスオーパーのレジデント・コンダクターのポストにあります。
作曲家としても多くの作品を世に送り、そのオーケストラのための数々の作品は、このレーベルからも2枚組のCDとしてリリースされています。それを聴いてみると、彼の作曲のスキルはまさに職人芸の域に達していることが分かります。いずれの作品も分かりやすいメロディを卓越したオーケストレーションで飾りたてるという華やかさにあふれたものでした。中でも、今では多くのオーケストラでも演奏されているというワルツやポルカでは、まるでヨハン・シュトラウスが現代に蘇ったかのような素敵な世界が広がります。ただ、ヨハンとヨーゼフの共作になるあの「ピチカート・ポルカ」そっくりの曲が聴こえてきた時にはびっくりしましたね。タイトルを見ると「全く新しいピチカート・ポルカ」、もう「全く」開き直っているという感じです。
そんな人が作った、ヨハネ福音書をテキストにした受難曲は、そのような曲から与えられる先入観とは「全く」異なっていました。まずは、演奏者の編成がとてもユニークです。例によってエヴァンゲリストをはじめとする人物のセリフを担当するソリストの他に、アリアを歌う「天使」とか「雄鶏」役のソリストも加わっています。そこに20人ほどの合唱が入るという声楽陣に対して、伴奏するのは5人ほどのメンバーによる打楽器だけというのですからね。
2011年に作られたこの受難曲は、2016年に初演されたのですが、それのライブ録音がこのCDです。その一部はこちらで見ることが出来ます。CDではどこにも指揮者の名前が見当たらないのですが、この映像を見ると作曲者自身が指揮をしていることが分かります。
曲全体の構成は、バッハあたりの受難曲と同じように、レシタティーヴォ、アリア、コラールなどから出来ています。ただ、レシタティーヴォはほとんど「朗読」のようですし、時には笑い声なども入っています。アリアでは、旋律楽器であるビブラフォンが主な伴奏を担当、メロディアスとは言えないまでも、ある意味瞑想的な「歌」を、そこには聴くことができることでしょう。そしてさらにメロディアスなのが、コラールです。これは、ほとんどバッハあたりのものと同じ旋律が使われていますが、ハーモニーはより複雑なものに変わっています。そして、注目すべきはその演奏面からのアプローチ。作曲者が作ったこの「コルス・デュプレクス・ヴィエナ」という合唱団は、このコンサートでもメンバーがソリストを務めるほどのハイレベルの団体なのですが、このコラールを歌う時にはおそらく意図的にアンサンブルを雑にして歌っているのです。それは、聴いていてとても居心地の悪いもので、安らぎを与えるはずのコラールがとてつもなく邪悪なものに聴こえます。この作曲家はそのような形で「苦悩」を表現しているのでしょう。

CD Artwork © Paladino Media GmbH

[PR]
by jurassic_oyaji | 2017-10-03 19:34 | 合唱 | Comments(0)