おやぢの部屋2
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カテゴリ:合唱( 643 )
BACH/St. John Passion
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Nicholas Phan(Ev), Jesse Blumberg(Jes), Jeffrey Strauss(Pil)
Amanda Forsythe(Sop), Terry Wey(CT), Christian Immler(Bar)
Jeannette Sorrell/
Apollo's Fire(The Cleveland Baroque Orchestra)
Apollo's Singers
AVIE/AV2369


1992年に創設されて、今年25周年を迎えたのが、アメリカのピリオド・アンサンブルが「アポロズ・ファイア」です。同時に「アポロズ・シンガーズ」という合唱団も結成され、バロックのレパートリーに限らずモーツァルトやベートーヴェン、シューベルトまでの演奏を行い、全世界で絶賛を博している団体なのだそうです。CDも、これまでにAVIEとKOCHから30枚近くリリースしています。
この団体を創ったのはジャネット・ソレルという1965年生まれの女性です。なんでも、彼女は指揮をレナード・バーンスタインとロジャー・ノリントン、チェンバロをグスタフ・レオンハルトに師事したのだそうです。1991年にはアトランタで開催された国際チェンバロ・コンクールで優勝しています。
この団体は、2016年の3月に、本拠地のクリーヴランドとニューヨークで7回「ヨハネ受難曲」のコンサートを行いました。その中で、3月7日から9日までのクリーヴランドのセント・ポール教会での演奏がこのCDには収録されています。このコンサートは映像でも撮影されていて、彼らのサイトでその一部を見ることが出来ます。それは、ちょっとほかでは見られないようなユニークな点がたくさんある、興味深いものでした。
まず、ここでは指揮者のソレルが、ポジティブ・オルガンを演奏しながら指揮をしています。それが、普通こういうキーボードを弾きながらの「弾き振り」だと座って演奏するものですが、彼女はオルガンを指揮台の上に乗せて、その前でずっと立ったまま指揮をしたりオルガンを演奏したりしているのです。彼女はパンタロンのような裾の広がったパンツを穿いているので、絵的にはなんとも華やかというか。
彼女の他にもオルガン奏者がもう一人アンサンブルの中にいて、そちらは指揮にはきちんと両手を使わなければいけない合唱の部分での演奏を担当しているようです。彼女は、ですからレシタティーヴォやアリアなどでの低音を担当しています。これがとてもいい感じ。エヴァンゲリストとの呼吸がぴったり合うんですね(阿吽の呼吸)。
合唱のメンバーは20人ほどですが、その中にはソリストも含まれています。彼らは普段は後の合唱団の中にいて、自分の出番になると前の方に設けられたステージのようなところに来て歌い始めます。唯一、エヴァンゲリストのニコラス・パーンだけは、常に前の方に立っています。そこに、イエスのジェシー・ブルームバーグやピラトのジェフリー・ストラウスが絡む時には、その二人は楽譜も持たずに登場して、ステージの上でちょっとしたしぐさを交えながら物語を進めていきます。後ろの壁にはプロジェクターで字幕が投影されていますから、英語圏の人にもその物語の内容ははっきり伝わることになります(確か、日本でも字幕付きでこの曲を演奏していたところがありましたね)。
パーンの声は、とても伸び伸びとした心地よいものでした。さらに、彼はテノールのアリアも歌います。それももちろん素晴らしかったのですが、やはりライブで両方とも全部歌うというのは大変なことですから、ちょっと苦しいところがあったのが残念です。そのほかのソリストも粒ぞろい、ソプラノのアマンダ・フォーサイスはとてもキュートですし、カウンターテナーのテリー・ウェイも深みのある声、そしてバリトンのクリスティアン・イムラーは完璧です。
合唱は、あえて感情を表に出さない、とてもクールな歌い方でした。それが、逆に恐ろしいほどの迫力を感じさせられるのですから、これはただ事ではありません。時折、指揮者の裁量でコラールがア・カペラで歌われるところなどは、背筋が凍りつくほどのインパクトがありましたよ。
常にオルガンのモーター音が聴こえているのと、CD2のトラック7の00:49から00:52にかけて録音機材に由来するノイズが聴こえるのが、ちょっとした瑕です。編集で気が付かなかったのでしょうか。

CD Artwork © Apollo's Fire/Jeannette Sorrell

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by jurassic_oyaji | 2017-05-13 20:32 | 合唱 | Comments(0)
BACH/St John Passion(sung in English)
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Sophie Bevan(Sop), Robin Blaze(CT),
Benjamin Hulett, Robert Murray(Ten)
Andrew Ashwin, Neal Davies, Ashley Riches(Bar)
David Temple/
Crouch End Festival Chorus, Bach Camerata
CHANDOS/CHSA 5183(2)(hybrid SACD)

バッハの「ヨハネ受難曲」を録音する時には、どんな楽譜を使ったのかが最初に気になるものですが、この最新のSACDでの表記は「1724, revised 1725, 1732 and 1749」というものでした。
これは確かに「ヨハネ」が初演された年と、その後何度も改訂が施されて演奏されたとされる年が明記されていますね。今までこの曲の数多くの演奏に接してきましたが、こんな表記は初めてお目にかかりました。確かに、他の作曲家の曲でも、発表後に改訂されたものでは、このように最初に作られた年の後にスラッシュを入れて改訂の年を記すのは普通のことです。そして、そのように表記した時には、その演奏は例外なく「改訂後」の形で行われるものです。
しかし、今回のこの年号は、そのような意味は全く持っていないようでした。しかも、最初のあたりの曲は、ここに挙げられている4種類の年号以外の年、1739年に改訂されたものの、バッハの生前には演奏はされなかった楽譜による演奏なのですから、訳が分かりません。
しかも、この録音の場合はオリジナルのドイツ語のテキストではなく、それを英語に訳したものが使われています。その英訳を行った人の名前(ニール・ジェンキンス)だけは書いてありますが、当然これも楽譜が出版されているのでしょうから、バッハの改訂についてこれだけの年号を羅列するのであれば、その英訳の年号もきちんと表記するのが筋というものではないでしょうか。調べてみたら、それは1999年に翻訳されたもので、NOVELLOから出版されていましたね。ジェンキンスという人は歌手で音楽学者なのだそうです。
そんな、バッハの時代には存在していなかった20世紀に新たに作られた楽譜を使うのですから、当然オーケストラも20世紀のスタイルだと思ったら、そちらはピリオド・オーケストラだというのですから、ちょっとびっくりしますね。まあ、「マタイ」でも「Ex Cathedra」がこんな「英語版ピリオド」を演奏していましたけどね。
ところが、その「マタイ」では合唱の人数はリピエーノを除くと50人ほどと、様式的にはぎりぎりバッハの時代に即したものでしたが、今回の合唱団員はなんと110人なんですって。モダン楽器のオーケストラを使う時でも、いまどきこんな大人数の合唱が歌うのは、極めて稀なことなのではないでしょうか。
ここで演奏している「クラウチ・エンド・フェスティバル合唱団」というのは、1984年に合唱指揮者のデイヴィッド・テンプルによってロンドン北部の街クラウチ・エンドに創設されました。主にオーケストラ(もちろん、モダン・オーケストラ)との共演を目指していて、最近ではビシュコフ指揮のブリテンの「戦争レクイエム」とか、ロト指揮のベルリオーズの「レクイエム」といった大人数の合唱を必要とする作品のコンサートに参加しています。テンプル自身の指揮でも、マーラーの「交響曲第8番」を演奏しています。エンニオ・モリコーネやハンス・ジンマーなどの映画音楽作曲家ともつながりがあって、彼らのサウンドトラックを手掛けたり、さらにはロックのミュージシャンとの共演なども手掛けているのだそうです。
そんな、大人数を身上とする合唱団と、20人ほどのピリオド・アンサンブルという不自然なバランスは、まず録音の面での不都合となって現れていました。このレーベルでも最近とみにリリースが少なくなってきたSACDだというのに、なにか精彩に欠けています。オーケストラはともかく、合唱の音が完全に飽和しているのですね。
演奏も、合唱はとことんドラマティック、コラールは目いっぱい熱い思いを伝えようとしていますし、後半の群衆のポリフォニーなどもストレートに感情が現れています。それが英語で歌われていることで、その生々しさは極まります。ただ、それとピリオド楽器との齟齬は、最後まで解消されることはありませんでした。そごが、最大の問題です。

SACD Artwork © Chandos Records Ltd

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by jurassic_oyaji | 2017-05-09 23:18 | 合唱 | Comments(0)
HILARION/St Matthew Passion
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Soloists
Vladimir Fedoseyev/
The Moscow Synodao Choir(by Alexei Puzakov)
The Tchaikovsky Symphony Orchestra
MELODIYA/MEL CD 10 02366


2006年にロシアで作られた「マタイ受難曲」です。作曲者はジャケットでは「Metropolitan Hilarion Alefeyev」となっていますが、いったいどこが苗字なのでしょう。実は、この方は1966年に生まれたグリゴリー・アルフェエフという名前の人なのですが、作曲の勉強をした後聖職者となったという変わり種です。そこで、聖職者としての名前が「Hilarion(イラリオン)」、その役職が「Metropolitan(府主教)」なので、こんな英語表記になっています。日本語だと「イラリオン府主教(アルフェエフ)」となるのだそうです。「瀬戸内寂聴大僧正(俗名晴美)」みたいなものですね。
この「マタイ」は、2007年の初演の模様がライブ録音としてリリースされていますが、それを今回はスタジオ録音で再録したのでしょう。指揮者は初演の時と同じフェドセーエフです。
この不思議な人のイメージが全く湧かなかったので、まず、彼自身が指揮までやっているアルバム(PENTATONE)を聴いてみました。
そこでは、合唱曲だけでなく、器楽曲も聴くことが出来ました。それは「合奏協奏曲」という、まるでバロック時代の作品のようなタイトルの曲でしたが、それはまさにバロックの巨匠たちの作品の完璧なパクリでした。通奏低音にチェンバロまで加わっているのですから、すごいものです。
この「マタイ」は、やはりバッハあたりの同名曲を下敷きにしているのでしょう。テキストはもちろん新約聖書のマタイ福音書から取られていて、最後の晩餐から埋葬までが4つの部分に分かれています。とは言っても、それはロシア語に訳されたものです。ブックレットには対訳はありませんが、一応英語でそれぞれのナンバーのタイトルは書いてあるので、内容はなんとなく分かります。
やはり、福音史家は登場、それはバリトンが担当していますが、ほぼその歌手のソロで歌われます。それはほとんど抑揚のない、まるで「お経」のようなものでした。そして、合唱やアリアも歌われます。バックのオーケストラは弦楽器のみの編成です。先ほどのソロ・アルバムでは、管楽器や打楽器も入ったフル編成の曲もあったので、オーケストレーションが出来ないのではなく、この曲にふさわしい編成として弦楽合奏を選んだということなのでしょう。
確かに、このモノトーンのオーケストラは、いたずらに劇的な盛り上がりを作ることは決してなく、ひたすら深いところからの悲哀、慟哭といった情感を表現してくれているようです。ただ、サウンド的にはとても抑制されたものであるのに、それが奏でる音楽にはかなり俗っぽい和声が使われているのが気になります。あまりに見え透いたコード進行で、とても心地よく聴こえる半面、その先には意外性というものが全くありません。
ソプラノ、メゾ・ソプラノ、テノール、バスの4人のソリストが、この曲の4つの部分に分かれた中でそれぞれ1曲ずつ歌っている「アリア」が、まさにそんなスタイルを最大限に駆使したものでした。それらは、一度聴いただけで虜になってしまうようなシンプルな中にツボを押さえたメロディが、クリシェ・コードの上で歌われるという、それ自体はとても安らかな幸福感が味わえるものです。ですから、ソプラノが歌う第3部の中の「アリア」などは、こんな立派な声ではなく、もっとピュアな声で聴きたいものだと、贅沢な不満まで持ててしまいます。
合唱でも、ア・カペラで歌われるやはり第3部の中の「35番」などは、まさに完璧な美しさで迫ってくるものでした。
ところが、最後の「48番」で聴こえてきた合唱には、言葉を失いました。それはなんと、あの「カッチーニのアヴェ・マリア」ではありませんか。今では、この「迷作」はさるロシア人が20世紀に作曲したものであることは広く知られていますが、この、21世紀にやはりロシアの「自称作曲家」が作った2時間に及ぶ大曲は、それとまったく同じ精神を持っていたのでしょう。とんでもない駄作です。あんたは木でも切ってなさい(それは「与作」)。

CD Artwork © Metropolitan Hilarion (Alefeyev)

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by jurassic_oyaji | 2017-04-29 21:27 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Messe in h-Moll
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Chriatina Landshamer(Sop), Anke Vondung(MS)
Kenneth Tarver(Ten), Andreas Wolf(Bar)
Peter Dijkstra/
Chor des Bayerischen Rundfunks
Concerto Köln
BR/900910


ダイクストラの指揮によるバッハの宗教曲、これまでの「クリスマス・オラトリオ」(2010年)、マタイ受難曲(2013年)、ヨハネ受難曲(2015年)に続いてついに「ロ短調」の登場です。これで、一応「全集」が完成したことになります。というか、すでに昨年のうちにこれらが収められたボックスがリリースされていましたね。ボックスが単品より先に出るというのは、ちょっとビックリしますよね。
2005年にバイエルン放送合唱団の芸術監督に就任したダイクストラは、2007年にはスウェーデン放送合唱団の首席指揮者にも就任、その他のヨーロッパの多くの合唱団とも深い関係を持って、大活躍をしてきました。しかし、2016年には、バイエルン放送合唱団のポストはイギリスの合唱指揮者ハワード・アーマンに譲り、10年以上に渡ったこの合唱団との関係にピリオドを打ちました。この「ロ短調」は、2016年4月に行われたコンサートのライブ録音ですから、彼の芸術監督としてのほとんど最後の録音ということになるのでしょう。
共演は、おなじみコンチェルト・ケルンです。ダイクストラは、この合唱団との初期の録音ではモダン・オーケストラであるバイエルン放送交響楽団との共演で「マタイ」を録音していましたが、最近ではバッハはピリオド・オーケストラで、というスタンスに変わったのでしょうね。かといって、ありがちな少人数での合唱という形は取らず、あくまでフルサイズの合唱で少人数のピリオド・アンサンブルと対峙する、という姿勢は堅持しています。
この「ロ短調」の場合、写真で見る限り、合唱団はほぼフルメンバーの45人ほど、それに対して弦楽器は全部で14人というオーケストラですから、バランス的には合唱がかなり多いという感じです。ピリオド楽器は、それ自体音も小さいですし。ですから、おそらくダイクストラはそのような形での合唱の在り方には、かなりな慎重さをもって演奏に臨んでいたのではないでしょうか。そして、その結論めいたものが、この録音からはしっかり感じられるような気がします。
それは、極限まで磨き抜かれたホモジーニアスな響きとなって現れています。冒頭の「Kyrie」のアコードで聴こえてきたのは、そんなあくまで各パートが均質な塊となったまさに大人数の合唱団としては理想的なサウンドでした。そこからは、「個」としてのメンバーたちの声は全く感じられません。これは、例えば最近聴いたガーディナーのモンテヴェルディ合唱団の姿勢とは対極にあるものなのではないでしょうか。
正直、それはうっとりするような美しさを持ってはいますが、なにか訴えかける力には欠けているような気がしてなりません。おそらく、それはダイクストラがバッハに対して抱いているイメージの反映なのでしょう。これはこれで、一つのすばらしいバッハのあり方です。ですから、この合唱団が「Et resurrexit」でのベースの長大なパートソロをどのように歌うのかとても興味があったのですが、ダイクストラはそこをソリストのアンドレアス・ヴォルフに歌わせていましたね。
他のソリストでは、テノールがケネス・ターヴァーというのが目を引きました。彼はモーツァルトのオペラのロールでは、まさに理想的な声を聴かせてくれていましたから、バッハではどのような姿を見せてくれるのは、期待が高まります。しかし、彼の「Benedictus」は、そんな期待に必ずしも応えてくれたものではありませんでした。まず、フルートのイントロがあまりに雑、というか、そもそもテンポが速すぎて、ターヴァ―はちょっと歌いづらそう。彼自身の歌も、ちょっと甘さが勝っていてバッハには合っていないような気がします。
トランペットの3人は、これもダイクストラのコンテクストに従ってのとても爽やかなアクセントを提供しています。これも、そもそもこの曲にふさわしい振る舞いなのかは、なんとも言えません。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH.

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by jurassic_oyaji | 2017-04-20 20:18 | 合唱 | Comments(0)
LUTHER Collage
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Calmus Ensemble
CARUS/83.478


ドイツの5人組コーラス・グループ、「カルムス・アンサンブル」のニューアルバムです。同じ人数のグループと言えばイギリスの「キングズ・シンガーズ」が有名ですが、こちらはドイツのグループ、かつてバッハが勤務していたライプツィヒの聖トマス教会聖歌隊のOBが集まって1999年に作られました。
デビュー当時は男声5人だけだったのですが、そこに女声が一人加わって6人編成となります。その後、男声が一人減って、現在では女声1、男声4という5人編成になりました。女声が一人いることでサウンド的には無理なく高音まで音域が広がって、とてもソフトな音色が得られるようになっています。このあたりが、「キングズ・シンガーズ」との違いでしょうか。
今回のアルバムのジャケット写真を見て、いつの間にかみんな年を取ったな、という思いに駆られました。最初に買った、まだQUERSTANDからリリースされていたアルバムの写真(左)と比べると、ほとんど別人のようになっている人もいますね。昔は左端、今は真ん中のカウンターテナーのクラウゼとか(昔は頭が黒いぜ)。
さらに、本当に「別人」になってしまったパートもあります。ベースのパートが、2015年にレスラーからヘルメケという人に替わっています。どちらも右から2番目、今は一番背の高いメガネの人ですね。
ただ、他の4人も、創設メンバーはクラウゼとバリトンのベーメ(右端)の2人だけ、テナーのペッヒェは2006年に加入しています。彼はソプラノのアニャ・リプフェルトと「団内結婚」(どちらの写真も並んでいます)、2010年と2016年にはお子さんも生まれています。その間彼女は産休を取り、別のソプラノがメンバーとなってアンサンブルの活動は続けていました。どんなグループでも、いろいろと出入りがあるものですね。
毎回、ユニークな企画で楽しませてくれているカルムス・アンサンブルですが、今回は「ルター・コラージュ」というタイトルのアルバムです。「ルター」というのは、宗教改革でおなじみのマルティン・ルターのことですが、今年はその宗教改革から500年という記念の年なのだそうです。音楽史の上では、彼は多くのコラールを作ったことで知られています。そのコラールは、プロテスタントの作曲家の素材として用いられ、「ルター」という名前は知らなくてもそのコラール自体のメロディは多くの人に親しまれています。バッハのオルガン曲や、教会カンタータ、受難曲には頻繁に登場していますね。
このアルバムのコンセプトは、そのようなルターの元のコラール、あるいはもっとさかのぼってルターが引用したグレゴリア聖歌から始まり、その後の作曲家がそれを用いて作った曲を一緒に演奏するという、まさに「コラージュ」の手法によって、その時代を超えた広がりを体験する、というものなのでしょう。
1曲目は、まさに宗教改革のシンボルともいえる、有名な「Ein feste Burg ist unser Gott」が、ルターが出版したそのメロディだけがソロで歌われます。そのオープニングのソロを任されたのが新加入のバス、ヘルメケだというのも、なんか思いやりのようなものが感じられませんか?コーラスではなかなか聴くことのできないこのパート、彼の声はとてもやわらかですね。それに続いて、同じ時代のハプスブルク家に仕えていたカトリックの作曲家ステファン・マフの合唱バージョンが歌われます。
そんな正攻法ではなく、それ以降の選曲には、それぞれユニークな工夫が加えられています。次の「Nun komm, der Heiden Heiland」では、まずルターの200年後に生まれたバッハのオルガンのためのコラール前奏曲が、ヴォカリーズで歌われます。それが、別のコラール前奏曲では、まるでスゥイングル・シンガーズのように、軽快なベースラインに乗ってスキャットでコラールの変奏が歌われます。このコーナーにはまだご存命のグンナー・エリクソンという人の、ちょっとニューステッドの「Immortal Bach」のようなテイストの曲も入っています。
そんな感じで、どのコーナーも驚きの連続、最後にはペルトなども登場しますから、油断はできませんよ。

CD Artwork © Carus-Verlag
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by jurassic_oyaji | 2017-04-18 23:19 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Johannes-Passion
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Lothar Odinius(Ev)
Christian Immler(Je)
Marc Minkowski/
Les Musiciens du Louvre
ERATO/0190295854058


ミンコフスキのオーケストラである「レ・ミュジシアン・デュ・ルーヴル」は、グルノーブル市からの援助を受けられなくなって、解散の危機に瀕していましたね。
この「ヨハネ」のCDも、最初はNAÏVEからリリース(↓)されていたものが、その販売権がWARNERに移って、こんな形でやっとERATOからリリースされるようになりました。
NAÏVEの方は、完全に倒産したという報道がありましたが、一部のカタログは手放したのちに細々と制作は行っているようです。どうなることでしょう。こんな欠陥商品を出していながら何の対応もしなかった時点で、このレーベルはすでに終わっていたのでしょう。
そんなわけで、このCDに関しては、それぞれのタイミングで発表された2種類の代理店のインフォが出回ることになりました。そのいずれにも「1724年版」という表記があるのですが、ジャケットにはそんなことは全く書かれていません。特に、NAÏVEの方のインフォはあのキングインターナショナルが作っていますから、またいい加減なことを、と思ったのですが、ブックレットを読んでみると「For the recording itself he has chosen to adhere strictly to the original text of 1724...(そもそも彼はしっかりオリジナルの1724年のテキストにこだわって録音を行った)」と書いてあるのですね。この文脈では「テキスト」というのは「楽譜」という広い意味を持つこともありますから、この文章から「インフォ・ライター」は「1724年版」と判断したのでしょうか。しかし、最後のクレジットで「使用楽譜:ベーレンライターの新バッハ全集」とあるので、普通だったら「1739/1749年版」だと思いますよね。でも、この楽譜には最後に「おまけ」として、すべての稿のヴァリアントが印刷されていますから、そこから「1724年版」を持ってきたと考えられないこともありません。
などとごちゃごちゃ言う前に現物を聴いてみればはっきりするのでしょうが、インフォを書く時点では「音」を聴くことが出来ないこともありますから、つい憶測でこのようなことを書いてしまうのでしょう。そして、ほとんどの場合、その憶測は間違っているものですが、今回も見事に「ハズレ」でしたね。ミンコフスキがここで演奏していたのは、まぎれもない「1739/1749年版」だったのですから。ただ、このCDのためのセッション録音はその楽譜の通りなのですが、それに先立ってコンサートで演奏した時に歌われていた、1725年に再演された時に書き加えられた2つのアリアのライブ録音が1枚目のCDのボーナス・トラックとして収録されています。先ほどのブックレットの文章は、そのことに関するコメントの前半だったのです。ですから、「the original text of 1724」というのは、単に「初演の時と同じ構成の楽譜」程度の意味だったのでしょう。
そもそも、ミンコフスキはそんなチマチマとした楽譜の違いなどにはあまりこだわってはいなかったことは、1749年の演奏のための楽譜(第4稿)で加えられたとされるコントラ・ファゴットが使われていることからも分かります(その時バッハは「今度は加えよう」と思ったのでしょう)。
彼は、この作品には何が必要だったのか、ということだけを真剣に考えているのでしょう。事実、このコントラ・ファゴットが加わった効果は絶大で、冒頭の合唱で聴こえてくる低音の迫力からは、真の悲しみが伝わってくるようです。
そして、歌手は全部で9人、全員がソリストとしてアリアを歌い、エヴァンゲリストのオディニウス以外の8人で合唱の部分を演奏しています。各パート2人ずつとなっているので、コーラスとしての質感は十分、時折ソリになったりして立体的な表情が付けられています。エヴァンゲリストとイエス(イムラー)はとてもドラマティックな歌い方、そして、合唱が、とてつもなく速いテンポで一糸乱れずポリフォニーを歌うさまは痛快そのものです。
最後のコラールでは、始まった時には低音だけのほとんどア・カペラだったものが、次第に楽器が増えて盛り上がっていくというアイディア、これは、とても心に残ります。

CD Artwork © Parlophone records Ltd.

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by jurassic_oyaji | 2017-04-09 21:04 | 合唱 | Comments(2)
BACH/St Matthew Passion
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James Gilchrist(Ev)
Stephan Loges(Je)
John Eliot Gardiner/
English Baroque Soloists
Monteverdi Choir, Trinity Boys Choir
SDG/SDG725


あの大震災からちょうど6年経った先週の土曜日には、マスメディアの世界は異様なことになっていますた。テレビでは普段は絶対に放送されないような地味なドキュメンタリー番組がのべつ放送されていましたし、ラジオではいつもならパーソナリティの男性アーティストは終始おちゃらけているものが、オープニングではくそまじめな口調で「被災地」からの手紙を朗読していたりします。そういう日なので、何か特別なことをやりたい、という気持ちは分かりますが、それが「その日だけ」に終わっているのが、とても情けないな、と思ってしまいます。その男性アーティストの場合は、曲が1曲かかった後には、何事もなかったようにいつもの調子に戻っていましたからね。大震災を「ネタ」にするのは、もうやめてほしいものです。
とか言って、実はその6年前にはガーディナーの「ヨハネ」を聴いて、大きな衝撃を受けていたと書いていたのでした。その時は、よもやそのちょうど6年後に今度は「マタイ」で同じような衝撃を受けるなんて思ってもみませんでした。
ガーディナーが手兵のモンテヴェルディ合唱団と、イングリッシュ・バロック・ソロイスツで「マタイ」を最初に録音したのは1988年のことでした。その頃はDGのサブレーベルARCHIVで進められていた、それまであったカール・リヒターによるモダン楽器、アナログ録音のバッハの宗教曲全集(選集)を、ピリオド楽器とデジタル録音で新たに作り直すというプロジェクトに邁進していたガーディナーでした。
それからレーベルも替わり、2016年にほぼ30年ぶりに録音されたのが、このCDです。この年には、ガーディナーたちは3月から9月までの間にヨーロッパの各都市を巡って「マタイ」のコンサートを16回行うというツアーを敢行していました。その途中ではもちろんバッハゆかりのライプツィヒのトマス教会でもコンサートは行われ、その2日後にはオールドバラ音楽祭で、DGのためにこの曲を録音した場所、「スネイプ・モルティングス」でのコンサートもありました。そして、そのツアーの最後を飾ったピサの斜塔で有名なピサ大聖堂での録音がここには収録されています。
衝撃は、やはり合唱によってもたらされました。今回の合唱は、DGの時の36人から28人に減っています。もちろん、30年前に歌っていた人は誰もいません。そういうことで演奏の質が変わることはあり得ますが、これはあまりにも変わり過ぎ、最初は、かつての端正さがほとんど失われていたことにちょっとした失望感があったのですが、聴きすすむうちにそれはガーディナーの表現が根本から変わっていたことによるものだとの確信に変わります。彼は、合唱には欠かせないパート内のまとまりやハーモニーの美しさを磨き上げる、ということにはもはや興味はなく、もっとそれぞれのメンバーの「心」を大切にして、それを表に出させようとしているのではないでしょうか。
その結果、まずはエヴァンゲリストのレシタティーヴォに挟まれた合唱が、その歌詞の歌い方のあまりのリアルさに、ほとんど「歌」ではなく「語り」に近いものに聴こえてきます。それは、コラールでも同じこと、こんなシンプルなメロディのどこにこれだけの情感を盛ることができるのかという切迫感、そこには驚愕以外のなにものもありません。
ここで聴ける「マタイ」は、まさに濃密な「ドラマ」、それが端的に表れているのが、イエスがこと切れた直後からのシーンです。最後のコラールとなる62番の「Wenn ich einmal soll scheiden」が、これ以上の緊張感はないというピアニシモで歌われ、あたりは静謐さに支配されます。そして突然の天変地異を受けての「Wahlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen」という真に迫った合唱のあとは、再び平静が訪れ、アリアを経ての最後の大合唱「Wir setzen uns mit Tränen nieder」からは、すすり泣きさえ聴こえては来ないでしょうか。その曲のエンディングで現れる奇跡には、聴く者は言葉さえ失います。

CD Artwork © Monteverdi Productions Ltd

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by jurassic_oyaji | 2017-03-18 20:41 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Johannes-Passion
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Verokika Winter(Sop), Franz Vitzhum(CT)
Andreas Post(Ten), Christoph Schweizer, Thomas Laske(Bar)
Rainer Johannes Homburg/
Stuttgarter Hymnus-Chorknaben
Handel's Company
MDG/902 1985-6(hybrid SACD)


全く聞いたことのない指揮者と合唱団、アンサンブルが演奏している「ヨハネ」ですが、どんなサプライズが潜んでいるかわかりませんから一応聴いてみました。とりあえず、ソプラノのヴェロニカ・ヴィンターだけは、例えばシューマン版の「ヨハネ」で知っていましたから。でも、よく見たらアンサンブルの中にヒレ・パールがヴィオラ・ダ・ガンバで参加していましたね。これはもうけもの、さらに、彼女のパートナーのリー・サンタナまで、リュートで加わっていました。ヒレの方はちゃんと写真入りのプロフィールが紹介されているのに、リーはその中にちょっと登場するだけ、というのがかわいそう。
そのほかに、なにか珍しい楽器がないかと録音の時の写真を見てみると、そこには「コントラ・ファゴット」の姿がありました。バロック時代の楽器ですから、長さが3メートル近くもあるので、すぐに分かります。ということは、もしかしたらこのあたりの楽器が補強されている「第4稿」を使って演奏しているのでしょうか。
その件に関しては、指揮者のホムブルク自身が書いたライナーノーツに、明確な説明がありました。
1749年に、バッハはこの曲の4度目の演奏を行った。そこで彼は、それまでの演奏の中で行った改訂をすべて捨て去って、25年前のオリジナル・バージョンに立ち戻った。ただ、楽器編成だけは少し大きくした。特に、通奏低音はコントラ・ファゴットまで加えて拡大されている。ここで録音されているのは、そのバージョンだ。
これだけ読むとその「1749年」に演奏された「第4稿」がここでは使われている、と普通は思いますよね。でも、この演奏で使われている楽譜はごく一般的な「新バッハ全集」であることがすぐ分かります。もちろん、それは1749年に使われた楽譜ではありません。先ほどの指揮者のコメントで楽器編成のことが述べられていましたが、それに関してはただコントラ・ファゴットを加えただけで、「第4稿」で行われたその他のもっと重要な楽器の変更(たとえば20番、35番などのアリアのオブリガート)は全くありませんでした(このあたりの詳細はこちらで)。
そんなわけで、ここではまた一つ「1749年に使われた楽譜」についての誤解が生んだ悲劇が誕生していました。
でも、確かに実際にコントラ・ファゴットを加えた演奏は非常に珍しいものですから、そのサウンドにはインパクトがあります。ポジティーフ・オルガンでは出せない低音が、ビンビン聴こえてきますからね。
さらに、合唱が「少年合唱」というのも、ちょっとユニーク。本当はこれがバッハ時代のサウンドなのでしょうが、最近ではなかなか聴く機会がありません。というか、このアルバムはこの少年合唱をメインとしたものなのでしょう。「シュトゥットガルト少年聖歌隊」というこの団体は、なんでも1900年までその起源が遡れる長い歴史を持っているのだそうです。そこの6代目の指揮者に2010年に就任したのが、ここでの指揮者ホムベルクです。そして、彼が1999年に設立した「ヘンデルズ・カンパニー」というピリオド楽器のアンサンブルが共演しています。
この合唱、もちろんテナーとベースのパートは「青年」が担当していますが、それもかなり「若い」音色なので、少年たちともよく調和して、全体としてはとてもまろやかなサウンドを聴かせてくれます。その、あまり芯のないフワフワとした感じがなんとも言えない「癒し感」を与えてくれますし、そんな声とはちょっとミスマッチに思える、群衆の合唱のポリフォニーもなかなかのもので、不思議な充足感を味わえます。
同じような軽い声でアリアも歌っているエヴァンゲリストのポストも、そんな流れとはぴったり合っています。とても心地よい「ヨハネ」を聴くことが出来ました。こんなデタラメな楽譜ではなく、ちゃんとした「第4稿」だっタラレバ

SACD Artwork © Musikproduktion Dabringhaus und Grimm

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by jurassic_oyaji | 2017-03-02 19:53 | 合唱 | Comments(0)
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Eva Holm Foosnæs/
Kammerkoret Aurum(hybrid SACD)
2L/2L-129-SACD(hybrid SACD)



今年も、「グラミー賞」の発表が行われ、受賞作を巡って悲喜こもごもの報道が世間をにぎわせていますね。あの賞は基本的にポップスのアルバムに対するものなのでしょうが、一応クラシックにも義理立てをして、最後の方に申し訳程度にクラシック関係の部門が設けられています。そんな「付け足し」に対して、業界はことさら大袈裟に騒ぎ立てていますが、それはなんとも無益なことのように思えてしまいます。
とは言っても、実際に自分で買って聴いたアルバムがそんな賞は取らないまでも、ノミネートでもされていたりすれば、なんか得をしたような気分にはなりますね。
この2Lレーベルなどは、そんな賞とは全く無縁なところでコアなファンを相手に勝負をしているように思っていたのですが、昨年リリースされた3枚のそれぞれソロ・ボーカル、合唱、室内楽のアルバムがノミネートされていたことに気づきました。録音関係の部門がほとんどですが、そのうちのこちらの合唱のアルバムは「Best Choral Performance」という演奏部門でのノミネートです。
今回のアルバムは、来年ノミネートされることはあるのでしょうか。タイトルの「ur」とは、ノルウェー語で「ウル」と発音します。意味は「時間」とか「起源」とか「野生」といった様々な内容が含まれているようです。ジャケットに使われている北欧の針葉樹林の写真が、それをイメージとして伝えているのでしょう。勝手な想像ですが、原初のころからの自然の持つ野生のエネルギーが、時間を超えて現代の音楽家の創造の源となり、その結果出来上がった作品がこのアルバムには収められている、といったほどの意味合いなのではないでしょうか。
ここでこのアルバムのために新しい作品を提供しているのは、現代ノルウェーの5人の作曲家です。それらは、ここで演奏している2006年に創設されたというアウルム室内合唱団の指揮者を2012年から務めているエヴァ・ホルム・フースネスを始め、オイヴィン・ヨハン・アイクスン、マッティン・アイケセット・コーレン、ガイル・ドーレ・イェルショーといったほぼ30代の若手の作曲家たちと、彼らの一世代上のオッド・ヨハン・オーヴェロイという、完璧に知名度の低い人たちです。
ラテン語で「金」をあらわす言葉を名前に持つこの合唱団は、24人編成の室内混声合唱団、との説明がありますが、ブックレットのメンバー表を見ると30人以上の名前がありました。実はこのアルバムのための録音セッションは、2015年の2月と2016年の3月との2回に分けて行われています。それぞれのセッションでメンバーが各パートで2~3人別の人に替わっているのですね。1年の間にメンバーが辞めて別の人が加わったのか、あるいは常時30人以上のメンバーがプールされていて、コンサートやレコーディングはその時に適宜ピックアップされたメンバーで行っているのか、いずれにしてもこの国の合唱人の底辺はたいへん広いことが分かります。どの曲がどのメンバーで歌われているかはちゃんと分かるようになっていますが、もちろんそこで違いを見出すことなどできません。いずれも、「金」というよりは「いぶし銀」に近い、深みのある輝きを持った音色の合唱が、いつもながらの卓越した録音で圧倒的に迫ってきます。
作品は、古典的な和声を逸脱しない程度の、ほんの少しの「現代的」な響きが混じった中で、民族的なイディオムも垣間見られる、という心地よいものばかりです。中でも、野生動物をテーマにした、最年長のオーヴェロイの3つの作品がかなりのインパクトを与えてくれます。「マッコウクジラ」では、クジラの鳴き声の合成音、「アンコウ」では低音のドラムが加わります。それまでずっとア・カペラだったものが、最後のトラックでそのドラムの音が聴こえてきた時には、心底びっくりしてしまいました。それは恐ろしいほどのリアリティをもって、一瞬でまわりの風景を変えてしまいました。

SACD Artwork © Lindberg Lyd AS

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by jurassic_oyaji | 2017-02-18 20:31 | 合唱 | Comments(0)
Polska/Choral Works by Penderecki, Szymanowski, Górecki, Lutosławski, Haubenstock-Ramati
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Marcus Creed/
SWR Vokalensemble
SWR/19017CD



HÄNSSLERからNAXOSに移行したSWRレーベルは、最初のうちは以前と同じ品番をそのままつけていましたが、最近になって独自の番号の付け方に変わっていますね。パートナーが変われば、身も心もオトコの流儀に変わる女心、みたいなものなのでしょうね。
そんな環境の変化にもかかわらず、このクリードとSWRヴォーカルアンサンブルの国別対抗アルバムは好調にリリースを重ねています。その最新盤はポーランドです。とは言ってもショパンの合唱曲が紹介されているわけではなく(そんなのあったっけ?)登場する作曲家はシマノフスキ、ルトスワフスキ、ハウベンシュトック=ラマティ、ペンデレツキ、グレツキという、「現代」作曲家たちです。ハウベンシュトック=ラマティなんて名前、久しぶりに聞きました。
今、作曲家の名前を挙げた時には、おそらく有名な順番に従って並べたであろうタイトルには逆らって、あえて生年順にしました。ペンデレツキだけはまだご存命ですが、他の方は全てお亡くなりになっていますから「現代(modern)」作曲家ではあっても、もはや「同時代(contemporary)」作曲家ではないというところがミソ、ちょっと前の音楽を歴史的な視点で俯瞰する、といったスタンスのアルバムなのでしょう。
そういう意味で、シマノフスキあたりはまさにポーランドの「現代」音楽の始祖、的な存在になってきます。ここで演奏されているのは「6つのクルピエ地方の歌」。クルピエというのはポーランドの北東部に位置する独自の文化を持った地域ですが、そこに伝わる歌が書物として残っています。その歌詞の中から、結婚式の一連の流れを歌ったものを抜き出し、オリジナルのメロディを付けて出来上がったのがこの作品です。その音楽は、あくまで民族的な素材に忠実なものとなっていて、奇しくも同じ年(1882年)に生まれたハンガリーのコダーイとの類似点を見出すことは容易です。
これが、1933年生まれのグレツキになると、同じクルピエの歌を素材としていても、その音楽はガラリと様相を変えることになります。1999年に作られた彼の「5つのクルピエ地方の歌」では、題材も愛の歌(別れの歌も含む)から取られ、音楽はあくまで流れるようなこの頃のグレツキの作風に沿ったものになっています。メロディは洗練され、同じパターンが幾度となく波のように押し寄せる、という、いわば「ヒーリング」的な音楽ですね。
ペンデレツキの場合も、この中の「ケルブ賛歌」(1987年)や「Veni, creator spiritus」(1989年)を作ったころには、どっぷりとこの「ヒーリング」の作風に浸かっていました。「ケルブ」はロシア正教の聖歌、「Veni」では、かつての「Stabat mater」(1962)の厳しいイディオムが、なんとも軟弱に引用されています。
この作曲家がこのような「変節」を完了したのは1973年のことですが、彼の先輩のハウベンシュトック=ラマティの場合は、1970年に「Madrigal」を作った時点では、若き日のペンデレツキをもたじろがせるほどの尖がった音楽をやっていました。この、メロディもハーモニーもない、今聴くととても新鮮に感じられる曲の前後に、ペンデレツキの甘ったるい2つの作品が演奏されているというのは、ある意味快挙です。
最後に演奏されているのは、ルトスワフスキが1951年にポーランド軍からの委嘱によって作った「兵士のテーマによる民謡集」からの抜粋です。元々は男声合唱のための曲でしたが、それを1968年生まれの、まぎれもない「現代」作曲家、パヴェウ・ウカシェフスキが混声合唱用に編曲したバージョンで歌われています。
SWVヴォーカルアンサンブルの、それぞれの曲に応じた適応性には驚くべきものがあります。それだからこそ、同じ「ポーランド」とは言ってもさまざまな作曲家が登場していたことが如実に分かるのでしょう。というか、グレツキとハウベンシュトック=ラマティを、同時にこれだけの共感をもって歌えるなんて、すごすぎます。

CD Artwork © Naxos Deutschland Musik & Video Vertriebs-GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-02-02 20:16 | 合唱 | Comments(0)