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カテゴリ:合唱( 666 )
DURUFLÉ/Requiem, RESPIGHI/Concerto gregoriano
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Henry Raudales(Vn)
Okka von der Damerau(MS), Ljubomir Puškaric(Bar)
Ivan Repušic/
Chor der Bayerischen Rundfunks(by Michael Glser)
Münchner Rundfunkorchester
BR/900320


デュリュフレの「レクイエム」のフル・オーケストラ・バージョンの最新録音、2017年の3月にミュンヘンのヘルツ・イエス教会で行われたコンサートのライブ録音です。オーケストラはミュンヘン放送管弦楽団、指揮は、1978年にクロアチアに生まれ、今年の秋にこのオーケストラの首席指揮者に就任したばかりのイヴァン・レプシッチです。合唱も、昨年の秋にやはり首席指揮者がダイクストラからハワード・アーマンに替わったばかりの、バイエルン放送合唱団です。
この「レクイエム」は演奏時間が30分ほどしかありませんから、CDの場合にはこれ1曲だけということはまずありません。そこで、多くの場合、カップリングとして演奏されているのが、デュリュフレが形式の上で参考にしたというフォーレの「レクイエム」です。これだと、ちょうどCD1枚としては適当な尺になるので、世の中にはこの組み合わせがたくさん存在しています。
しかし、今回のCDの元となったコンサートでは、思ってもみなかったような組み合わせがとられていました。ご存知のように、この「レクイエム」ではグレゴリオ聖歌の旋律がすべての楽章でテーマとして使われています。そこで、このコンサート自体もこの後にレスピーギの「コンチェルト・グレゴリアーノ」という、やはりグレゴリオ聖歌がモティーフとなっている作品が演奏されていたのです。
デュリュフレでは、このオーケストラ・バージョンの特性を最大限に生かした、とても幅広い表現力を持った音楽が広がります。まずは、合唱がとても渋い歌い方で、そこからはよく練り上げられた、まさに「大人の」表現が伝わってきます。そしてオーケストラは、おそらくこの指揮者の資質なのでしょう、いかにも聴かせどころを押さえた巧みな設計で、計算されつくした盛り上がりを用意してくれています。
常々、このオーケストラ・バージョンはダイナミック・レンジの変化があまりに唐突に感じられる個所(たとえば「Domine, Jesu Christe」の途中の「libera eas」からの部分など)があちこちにあって、ちょっと不自然な感じを抱いてしまうことがあるのですが、今回の演奏では何の違和感もなくそのようなクライマックスに対応できるのですね。聴く人を驚かすことなく、自然に場面転換を見せる術を、この指揮者は会得しているのでしょう。
ソリストも堂々とした押し出しで、この曲に必要なある種のパワーを示してくれています。こういう演奏を聴いてしまうと、作曲家が自ら作ったオルガンだけによるリダクション・バージョンには、このオーケストラ・バージョンとは全く別のベクトルを与えていたのではないか、という気になってしまいます。デュリュフレは、これらにカラー写真と白黒写真、いや、もしかしたら3D-IMAXとサイレント映画ほどの違いを込めていたのではないでしょうか。もちろん、それによってそれぞれの価値の優劣が問われることは決してありません。
レスピーギの「グレゴリア聖歌風ヴァイオリン協奏曲」は、3楽章形式でヴァイオリンのソロが大活躍をするごく普通の協奏曲の形をとっています。第1楽章は、レスピーギお得意の「シチリアーノ」のリズムが全体を支配する穏やかな音楽で、そこには「グレゴリア」の姿はありません。それがはっきり表れるのは、その楽章の最後に置かれた長大なカデンツァから、アタッカで次の楽章に入った瞬間です。どこかで聴いたことのあるような、ほのかに中世の雰囲気を湛えたその旋律は、のどかな安らぎを与えてくれます。ところが、最後の楽章になって出てきたのは、ドヴォルジャークの弦楽四重奏曲「アメリカ」のテーマに酷似した、なんとも俗っぽい東洋的なメロディです。正直、「グレゴリア」とは全く住む世界の違うように思える要素が混在するこの作品(なに?これは)、それでも、このデュリュフレを聴いた後ではあまり違和感がないのは、なぜなのでしょう。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-10-12 23:40 | 合唱 | Comments(0)
Penderecki Conducts Penderecki Vol.2/Choral Music
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Krzysztof Penderecki/
Warsaw Philharmonic Choir(by Henryk Wojnarowski)
Warsaw Boy's Choir(by Krzyszkof Kusiel-Morez)
WARNER/01902 9 58195 5 2


WARNERからのペンデレツキ自作自演集の第2集は、なんと全て無伴奏の合唱曲の2枚組でした。おそらく、これは彼がこのジャンルで作ったすべてのものなのでしょう。その作曲年代は彼の生涯のすべてに渡っていて、1958年から2015年までという長大なスパンに及んでいます。それは、殆どが宗教的な作品で、単独のミサ曲やモテットの他に、オーケストラを伴う受難曲などのオラトリオの中で、合唱だけによって歌われていたパーツも含まれています。例えば、1965年に完成された「ルカ受難曲」からは、それ以前に単独で作られていた「Stabat Mater」を始めとした4曲の無伴奏合唱曲が歌われています。
ペンデレツキは、その作曲家としての経歴の中で、大きな技法上の変化を遂げたとされています。なんせ、彼自身が、その作風の変換点を明確に語っているのですからね。つまり、1973年に作った「交響曲第1番」をもって、それまでの「アヴァン・ギャルド」のスタイルを完全に封印した、と。
ですから、この、彼の合唱音楽の集大成となるこのアルバムを聴く時には、その半世紀以上のすべての作品に対峙することによって、そのようなスタイルの変化(「変節」とも言う)を、このジャンルでも実際に感じることができるのではないか、という期待が生まれるのは当然のことです。
ところが、そんな期待は見事に裏切られてしまいました。どの作品を聴いても、全く変わらない穏やかなテイストしか感じられないのですよ。
たとえば、最初のトラックに入っている、彼の最もよく知られた合唱曲、1962年に作られた「Stabat Mater」こそは、「アヴァン・ギャルド」として知られていた作品だったはずです。調性もハーモニーも存在しないまさに混沌とした不条理な風景が続く中で、最後にニ長調という紛れもない「古典的」なハーモニーで終止するというあたりに、ほとんどニヒリズムのようなものを感じてしまう、というのが、これまで抱いていた印象でした。
ところが、このCDから聴こえてきたものは、すべてがとても美しくまとめられて、何の不安感や恐怖感も抱くことのない、いたってのどかな音楽だったのです。冒頭のテーマは、まさにプレーン・チャントそのものです。途中で現れるシュプレッヒ・ゲザンクもクラスターも、単にその時代の流行の技法をつまみ食いしただけで、曲全体に軽いアクセントを与えるものとしか思えません。したがって、最後の長三和音は当然の帰結として何の疑問もなく受け入れられてしまいます。
そんなはずはない、と、初演直後の1966年に録音されたヘンリク・チシの指揮による歴史的な演奏を聴き直してみると、そこからは確かに致死量の毒が含まれた「アヴァン・ギャルド」が聴こえてきました。しかし、おそらく今聴いたばかりの自作自演が楽譜に忠実な演奏であったものだと信じると、それは本来単純だった譜面をあまりにもデフォルメしてしまったもののようにも聴こえます。作曲家の演奏は、言ってみれば昨今流行の「原典版」の思想、あくまで元の楽譜に忠実な演奏を目指したものなのでしょう。そこからは「あの曲は、『アヴァン・ギャルド』なんかじゃないんだよ」という作曲者の言葉が聴こえてはこないでしょうか。そういえば、最近の演奏家、例えばアントニ・ヴィットあたりは、とっくにそんなことは気が付いていたようですね。
そして、最後の最後、2枚目のCDの最後のトラックに入っていたのは、1963年に作られた「古い様式による3つの小品」の1曲目、「アリア」でした。オリジナルは弦楽合奏の曲ですね。それを合唱にヴォカリーズで歌わせたというものですが、これはもろチマローザの「オーボエ協奏曲」と言われている作品のパクリです。こんなものまで「全集」の中に入れて保存しておこうという作曲家の意思は、きっちりと受け止めるべきでしょう。ペンデレツキは、彼の生涯で「アヴァン・ギャルド」だったことなど、一度もなかったのです。

CD Artwork © Warner Music Poland

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by jurassic_oyaji | 2017-10-10 20:53 | 合唱 | Comments(0)
LIGETI/Requiem
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Gabriele Hierdeis(Sop), Rene()e Morloc(Alt)
Frieder Bernius/
Kammerchor Stuttgart
Danubia Orchestra Óbunda
CARUS/83.283


リゲティの「レクイエム」の新しいCDがリリースされました。とは言っても、録音されたのは10年以上前、2006年3月のコンサートでのことでした。リゲティが亡くなったのはこの年の6月ですから、別に彼のための「レクイエム」ではなかったはずです。
そもそも、これは放送用に録音されたものでしたから、CDにするつもりはなかったのでしょうが、どういう事情が働いたのか、その音源と、過去にこのレーベルに録音されていた同じリゲティの「ルクル・エテルナ」、さらに、16声部の無伴奏混声合唱のために作られたその「ルクス・エテルナ」をお手本にして、数々のクラシックの作品を多声部の合唱曲に編曲したことで有名なクリトゥス・ゴットヴァルトの編曲作品をまとめて1枚のCDが今頃作られたということのようです。確かに、「レクイエム」は編成こそ巨大ですが、全曲を演奏しても30分もかからないで終わってしまいますから、それだけではアルバムは作れませんからね。
ただ、そんなに短いのには訳があって、この作品では、「レクイエム」の典礼文の前半、セクエンツィアの部分までしか作曲されていないのです。つまり、モーツァルトの同名曲で言うと「Lacrimosa」の部分で終わっているのですね。しかも、そこでテキストの最後に登場する「Amen」という言葉が削除されています。その意味、そして、残りの「Domine Jesu Christe」から「Agnus Dei」までを作曲しなかった理由は、作曲者は語ってはいません。
ここで演奏しているのが、ベルニウス指揮のシュトゥットガルト室内合唱団です。ベルニウスはブックレットの中で、彼とリゲティの作品との出会いについて語っていますが、その中にちょっと興味深いことがありました。この曲は、1965年に完成されていますが、その楽譜を見たベルニウスは、その譜面のあまりに巨大で複雑なのに驚いて、とてもこんなのを見て演奏することなどできない、と思ってしまったそうなのです。たしかに、それが、このCDが出ると知った時に感じた疑問点でした。今まで数多くのアルバムを作ってきたベルニウスですが、彼の本領はあまり人数の多くない「室内」合唱団を使ってのきめ細かい音楽づくりだったはずです。それが、こんなばかでかい編成の作品に取り組むなんて、なんと無謀な、と思いましたね。
しかし、彼の話によると、最初にこの作品のスコアを見た時にはそうだったものが、最近はそれを小さな編成に直した「改訂版」が作られていて、それは50人ほどの彼の合唱団でも演奏できるようになっているというのです。
確かに、調べてみたらペータースから出版されているスコアには「1997年改訂」という表記がありました。ただ、断片的にネットで見つかる情報では、改訂の前後ではそれほど大きな違いはないような気がするのですが。この後、2008年に録音されたエトヴェシュ盤でも、2002年に録音されていたノット盤でもこの「改訂版」が使われていたはずですが、いずれの録音も音を聴く限りではそれほど少ない人数の合唱ではないように感じられます。なによりも、1960年代に録音されたミヒャエル・ギーレンやフランシス・トラヴィス(映画「2001年」のサントラ)による演奏と基本的に変わらないドロドロとした情念が、これらの合唱からは確かに聴こえてくるのです。
ところが、今回のベルニウスの演奏からは、それが全く感じられません。特に「Kyrie」での複雑なポリフォニーからは、おそらくこの作品には絶対に欠かすことができないメッセージが、まるで聴こえてこないのです。こんなものは「リゲティのレクイエム」ではありません。そもそもリゲティ自身が「100人以上の合唱が必要」と言っていることが確認できていますからね。ベルニウスの演奏は、明らかな勘違いの産物です。
カップリングの「ルクス・エテルナ」などは、すでにCDとして出ているものです。マスタリングのせいでしょうか、オリジナルのCDよりも精彩に欠ける音になっていました。

CD Artwork © Carus-Verlag

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by jurassic_oyaji | 2017-10-05 20:37 | 合唱 | Comments(0)
MANCUSI/Passion Domini secundum Joannem
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Theresa Krügl(Sop), Anna-Katharina Tonauer(MS)
David Sitka, Lorin Wey(Ten)
Matthias Liener, Michael Nagl(Bas)
Guido Mancusi/
Chorus Duplex Vienna, Louie's Cage Percussion
PALADINO/PMR 0082


「受難曲」というと、なんか大昔の音楽のように思ってしまいますが、この現代でもそういうタイトルの作品に挑戦している作曲家はたくさんいます。このサイトで取り上げたものだけでもペンデレツキリームグバイドゥーリナタン・ドゥンゴリホフマクミランペルトチルコット、果てはイラリオン・アルフェエフ府主教と、枚挙に遑がありません。今回、そこに1966年にイタリア人の父親とオーストリア人の母親との間に生まれたグイド・マンクーシという人が加わりました。蛇とケンカはしません(それは「マングース」。
ナポリで生まれたマンクーシは、小さいころ父親とその友人のあのニーノ・ロータからピアノの手ほどきを受け、ウィーンに移住するとウィーン少年合唱団に入団、ソリストとしても活躍します。さらに、ウィーンの大学でファゴットと声楽と指揮法を学びます。指揮者としてデビューした後は、スカラ座やバイロイトで副指揮者を務めるなど、数多くのオペラハウスで研鑽をつみ、現在ではウィーンのフォルクスオーパーのレジデント・コンダクターのポストにあります。
作曲家としても多くの作品を世に送り、そのオーケストラのための数々の作品は、このレーベルからも2枚組のCDとしてリリースされています。それを聴いてみると、彼の作曲のスキルはまさに職人芸の域に達していることが分かります。いずれの作品も分かりやすいメロディを卓越したオーケストレーションで飾りたてるという華やかさにあふれたものでした。中でも、今では多くのオーケストラでも演奏されているというワルツやポルカでは、まるでヨハン・シュトラウスが現代に蘇ったかのような素敵な世界が広がります。ただ、ヨハンとヨーゼフの共作になるあの「ピチカート・ポルカ」そっくりの曲が聴こえてきた時にはびっくりしましたね。タイトルを見ると「全く新しいピチカート・ポルカ」、もう「全く」開き直っているという感じです。
そんな人が作った、ヨハネ福音書をテキストにした受難曲は、そのような曲から与えられる先入観とは「全く」異なっていました。まずは、演奏者の編成がとてもユニークです。例によってエヴァンゲリストをはじめとする人物のセリフを担当するソリストの他に、アリアを歌う「天使」とか「雄鶏」役のソリストも加わっています。そこに20人ほどの合唱が入るという声楽陣に対して、伴奏するのは5人ほどのメンバーによる打楽器だけというのですからね。
2011年に作られたこの受難曲は、2016年に初演されたのですが、それのライブ録音がこのCDです。その一部はこちらで見ることが出来ます。CDではどこにも指揮者の名前が見当たらないのですが、この映像を見ると作曲者自身が指揮をしていることが分かります。
曲全体の構成は、バッハあたりの受難曲と同じように、レシタティーヴォ、アリア、コラールなどから出来ています。ただ、レシタティーヴォはほとんど「朗読」のようですし、時には笑い声なども入っています。アリアでは、旋律楽器であるビブラフォンが主な伴奏を担当、メロディアスとは言えないまでも、ある意味瞑想的な「歌」を、そこには聴くことができることでしょう。そしてさらにメロディアスなのが、コラールです。これは、ほとんどバッハあたりのものと同じ旋律が使われていますが、ハーモニーはより複雑なものに変わっています。そして、注目すべきはその演奏面からのアプローチ。作曲者が作ったこの「コルス・デュプレクス・ヴィエナ」という合唱団は、このコンサートでもメンバーがソリストを務めるほどのハイレベルの団体なのですが、このコラールを歌う時にはおそらく意図的にアンサンブルを雑にして歌っているのです。それは、聴いていてとても居心地の悪いもので、安らぎを与えるはずのコラールがとてつもなく邪悪なものに聴こえます。この作曲家はそのような形で「苦悩」を表現しているのでしょう。

CD Artwork © Paladino Media GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-10-03 19:34 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Mass in B Minor
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Christina Landshamer (Sop), Elisabeth Kulman (Alt)
Wolfram Lattke (Ten), Luca Pisaroni (Bas)
Dresdner Kammerchor(by Michael Alber)
Herbert Blomstedt/
Gewandhausorchester Leipzig
ACCENTUS/ACC10415BD(BD)


毎年ドイツのライプツィヒで開催されている「ライプツィヒ・バッハ音楽祭」は、今年も6月9日から18日までの日程で行われました。期間中はコンサートなど120のイベントが繰り広げられましたが、その最後を飾ったのが、バッハゆかりの聖トマス教会にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を迎えて行われた「ロ短調ミサ」のコンサートです。今年は、現在90歳とおそらく現役の指揮者としては世界最高齢のヘルベルト・ブロムシュテットが指揮をしています。
その模様を収録した映像は11月にはBDでリリースされるのですが、共同企画がNHKだったため、おそらくBDと同じであろう映像がすでにNHK-BSで放送されてしまいました。せっかくですので、正式なリリースを待たずにそのレビューを書いてしまいましょう。映像は同じグレードですが、音声に関してはBSはAACですがBDではハイレゾのPCMではるかにクオリティは高いはずですから、音にこだわる方はBDもしくはDVDをご購入下さい。
教会でのコンサートですから、演奏家たちは祭壇の向かい側のバルコニーにあるオルガンの前に座っています。つまり、お客さんの大半は演奏家に背を向けて座っている、ということになるのですね。当然、普通のコンサートとはかなり異なった環境での鑑賞となります。ごく一部、周りを取り囲むバルコニーからだったら、ホールのような視野が開けるのでしょう。
そこで、映像ではあくまでお客さんの視点ということで、はるかかなたの演奏家を見上げる、というアングルからスタートします。もうすでに演奏家はスタンバイしていて、何の前触れもなくまさに指揮者がタクトを振り上げる(いや、ブロムシュテットは指揮棒は持っていませんでした)瞬間からいきなり始まってしまいます。コンサートの映像としては、ちょっと余裕のない編集ですね。
編集ということでは、これはそのコンサートのライブ録音ということですから本番をそのまま収録したもののように思ってしまいますが、実は全く別の機会に収録されたと思われるカットが1ヵ所混じっています。それは「Christe eleison」の途中。そこではコンサートマスターの横の譜面台に本来はあるはずの楽譜がなく、さらにバルコニーのお客さんまで別の人になっていますよ。ということは、おそらく本番の前に公開のGPがあって、その時の映像を差し替えて編集していたのでしょう。


モダン・オーケストラが演奏するバッハですが、編成はとても小さく、弦楽器は6.6.4.3.2でしょうか。ただ、これはコーラスなどの場合だけで、アリアのオブリガートではプルトが少なくなっています。音色もとてもまろやかなので、ガット弦が使われているのでしょうか。管楽器も必要な人数だけで、通奏低音はポジティーフ・オルガンのみです。ピリオド・オーケストラでありがちなチェンバロやリュートなどは使われていません。ホルン奏者などは、休憩なしで全曲が演奏されていたため、出番が終わってからもずっと座っていましたね。
合唱はラーデマンが作ったドレスデン室内合唱団。40人程度の人数で、とてもピュアな声が魅力的でした。演奏も完璧、メリスマは楽々とこなしますし、「Et resurrexit tertia die」に出てくるベースのパート・ソロも信じられないほどの軽やかさです。ソリストたちも、それぞれにいい味を出していました。特にアルトのクールマンが、全く力まずに深い情感を伝えていたのは感動ものです。ブロムシュテットの独特の「タメ」が気になるものの、とても気持ち良く聴ける演奏でした。
ただ、BSで使われていた磯山雅さんの字幕では「Et incarnatus est de Spiritu sancto ex Maria virgine, et homo factus est. 」の「incarnatus」を、普通は「御からだを受け」とか、「肉体を受け」と訳すところを「肉に入られました」ですって。宗教的にそのような表現があるのかもしれませんが、一般の人が見る映像としては受け入れにくい字幕です。製品のBDでは別の字幕が使われることを、切に望みます。

BD Artwork © ACCENTUS Music GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-09-28 20:58 | 合唱 | Comments(0)
ROLLE/Matthäuspassion
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Ana-Marija Brkic(Sop), Sophie Harmsen(Alt)
Georg Poplutz, Joachim Streckfuß(Ten)
Thilo Dahlmann, Raimonds Spogis(Bas)
Michael Alexander Willens/
Kölner Akademie
CPO/555 046-2


ヨハン・ハインリッヒ・ローレという、バロック後期に活躍したドイツの作曲家が作った「マタイ受難曲」の世界初録音です。ローレという人は1716年に生まれて1785年に亡くなっていますから、あの大バッハ(最近は、そういう呼び方はしないんだい)の息子のカール・フィリップ・エマニュエル・バッハの生涯(1714年~1788年)と見事に重なっていますね。それどころか、ローレはその生涯で何度かエマニュエル・バッハとは実際に関わっていますし、さらに父親の大バッハとも少なからぬ関係があったのでは、とも言われています。
というのも、音楽家の家系に生まれたローレは、小さいころから父親による音楽教育を受けていて、教会のオルガニストを務めるまでになっていましたが、10代後半の3年間はライプツィヒで法律学を学んでいるのです。その頃は大バッハがその街の教会のカントルでしたから、彼が主催していた「コレギウム・ムジクム」や、教会の楽団に参加して演奏していた可能性は否定できないとされています。
その後、ローレはベルリンで法律の仕事に携わるようになるのですが、縁があって24歳の時(1741年)にフリードリヒ大王の宮廷楽団のメンバーとなり、そこで、エマニュエル・バッハの同僚として6年間を過ごします。当時の宮廷にはエマニュエルの他にもクヴァンツ、ベンダ、グラウンといったそうそうたるメンバーがいましたから、ローレは彼らから多くのことを学んだことでしょう。
その後は父親が住むマグデブルクで教会のオルガニストとして、さらに父親が亡くなると、その後を継いで1752年からはアルトシュタット・ギムナジウム(中学校)の音楽監督を晩年まで務めます。その間、1767年にハンブルクでテレマンが亡くなってその後任者を選ぶ選挙があった時には、エマニュエル・バッハとローレが候補者になったのですが、ローレは1票差で負けてしまいました。
ローレは数多くのカンタータやオラトリオを作りましたが、受難節で演奏される受難曲は、全部で8曲作っています。今回録音された「マタイ受難曲」は1748年に作られ、彼の父親によって演奏されました。これは、バッハが作ったのと同じ様式の「オラトリオ風受難曲」で、その形でもう3曲作られていますが、残りの4曲は当時の主流であった聖書のテキストを使わない「受難オラトリオ」の様式で作られたものでした。
この作品は、演奏時間に100分ほどを要する大曲です。とは言っても、大バッハの「マタイ」に比べたら半分程度の長さしかありません。たしかに、テキストはオリーブ山のシーンから始まりますからバッハより少し短くなっているのですが、それだけではなく全体の構成がかなり異なっています。最も顕著な違いは、ソリストによるアリアの比率です。オリーブ山以降で歌われるアリアは、バッハでは11曲ですが、ローレの場合は5曲しかありません。
そして、エヴァンゲリストの語りやイエス、ピラトといった登場人物のセリフで綴られる聖書からのテキストは、バッハと同じようなレシタティーヴォ・セッコの形を取っていますが、それが時折「アリオーソ」という形に変わってメロディアスな歌ときちんとした伴奏による音楽に変わる、という場面はバッハには見られないものです。これは、現代のミュージカルで普通にセリフをしゃべっていた役者さんがいきなり歌い出す、というようなシーンが連想されて、なかなか楽しめます。音楽全体も、やはりバロックというよりはクラシックの様式がそろそろ世の中に広がって来たな、と感じられるような、滑らかな進行のメロディや和声を聴くことが出来ます。合唱などにはロマンティックのテイストさえ漂っていますよ。
それでも、最後近くにおなじみの「O Haupt, voll Blut und Wunden」のコラールが聴こえてくると、なにかホッとします。これこそは、まさに受難曲の地下水脈のようなものなのですね。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück

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by jurassic_oyaji | 2017-09-26 00:00 | 合唱 | Comments(0)
The Sound of the King's Singers
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The King's Singers
WARNER/0910295764012


「キングズ・シンガーズ」が公式に誕生したのは1968年5月1日ですから、来年には彼らは50周年を迎えることになります。もちろん、創設時から解散までの63年もの間、同じメンバーが半分は居続けたという「デューク・エイセス」のようなコーラスとは違って、長い人で26年、短い人だとほんの数年で後進に道を譲ってきたこのグループでは、この時のメンバー(スタート時は6人編成でした)はもはや誰も残ってはいません。つまり、全てのパートが現在は4代目か5代目に替わっているのですね。こんな感じで、彼らはこれから先も適宜メンバーチェンジを重ねつつ、活動を続けていくのでしょう。ですから、「デューク」の63年というギネスものの記録も、いずれは簡単に破られることでしょう。余談ですが、「デューク」の場合は、交替メンバーの人選を誤りさえしなければ、もっと「長生き」出来たのでは、という気がします。現在のトップテナーは最悪でした。
「キングズ」の場合も、明らかな人選ミスがあったため、その人が在籍した10年ほどの間は、明らかにグループのクオリティが落ちていたな、というのは、あくまで個人的な感想です。
そんな「50周年」がらみなのでしょうか。このグループが最初に所属していたEMIを買収したWARNERから、こんな3枚組のアルバムが出ました。10年近く前のEMI時代にこんなコンピレーションが出ていましたが、今回はオリジナル・アルバムをそのまま復刻したものになっています。ブックレットには最初にEMIに録音した時のメンバーの写真が載っていますし、デジパックではそれぞれのアルバムのオリジナル・ジャケットを見ることが出来ます。
1枚目は「マドリガル・ヒストリー・ツアー」、1984年に2枚組のLPでリリースされたものを1枚のCDに収めたものです。こちらでご紹介したように、同じ年のテレビ番組と連携して録音されたものです。これは、実は初出のCD(1989年)をすでに持っていました。今回はその時のリマスタリング・データをそのまま使っているようでしたね。これはなんたって彼らの魅力がもっとも味わえるレパートリーですから、何も言うことはありません。彼らの歌うマドリガルは、常に現代人にも共感できるエンターテインメントが込められています。それは、彼らが歌っていた曲をさる合唱団が偉い指揮者のもとで演奏している時に、なんてつまらない曲なんだろうと感じてしまうほどでしたからね。
2枚目は、「コメディアン・ハルモニスツへのトリビュート」という1985年のアルバム、先ほどのコンピに何曲かは入っていましたが、アルバム全部を聴くのはこれが初めてです。そもそも「コメディアン・ハルモニスツ」というのも初めて知りました。これは、ドイツの放送局との共同制作で、ドイツで1920年代から1930年代まで活躍したそういう名前の男声コーラスグループが歌っていたものを再現しています(彼らの演奏はSPレコードで残されています)。ドイツの民謡から、アメリカのスタンダード・ナンバーまでをレパートリーにしていたそうですが、キングズ・シンガーズが素晴らしいドイツ語のディクションで聴かせる早口言葉は最高です。
3枚目は、それに対してアメリカのヒットソングを集めた1989年のアルバムです。ここから、デジタル録音に変わっていますし、テナーがビル・アイヴスからボブ・チルコットに変わっているのが、最大の違い。そして、ここではアンドリュー・ロイド=ウェッバーのオーケストレーターとして知られるデイヴィッド・カレンがオーケストラのための編曲を行っています。これは、それこそ「ジーザス・クライスト・スーパースター」を思わせるような可憐、というよりはゴージャスな編曲が聴かせどころなのでしょうが、その分合唱の比重が少なくなっていて、シンガーズのファンには物足りない出来になっています。ですから、ここではチルコットの悪声はそれほど目立ちません。

CD Artwork © Warner Music Group Germany Holding GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-09-19 18:23 | 合唱 | Comments(0)
MARTINI/Requiem pour Louis XVI. et Marie Antoinette
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Corinna Schreiter(Sop), Martin Platz(Ten), Markusu Simon(Bas)
Wolfgang Riedelbauch/
Festivalchor Musica Franconia
La Banda
CHRISTOPHORUS/CHR 77413


マルティーニが作った「ルイ16世とマリー・アントワネットのための」というサブタイトルが付けられた「レクイエム」の、世界初録音です。
「マルティーニ」のいう名前の作曲家は、音楽史には2人ほど登場しますが、こちらはモーツァルトの先生として有名なジョヴァンニ・バッティスタ・マルティーニではなく、ジャン・ポール・エジード・マルティーニという、あのエルヴィス・プレスリーが「好きにならずにいられない」(Can't Help Falling In Love )というタイトルでカバーした「愛の喜び」(Plaisir d'Amour)の作曲家としてのみ知られている人です。
フランス革命でブルボン朝のルイ16世が処刑されたのは1793年1月21日、その妻、マリー・アントワネットも10月16日に、やはりギロチンによって処刑されました。これは「罪人」としての処刑ですから、お葬式などが執り行われることはありませんでした。
しかし、1816年になって、王政復古で即位していたルイ18世によって、ルイ16世の命日にあたる1月21日に、この二人の葬儀が行われました。その時に演奏されたのが、この、マルティーニの「レクイエム」でした。この作曲家は1741年ドイツ生まれ、フランスで活躍したために、フランス風の呼び名に改名しています。1788年にはブルボン朝の宮廷楽長にもなりました。コンクールのために、楽団を鍛えたんですね(それは「ブラバン」)。革命でその職を失いますが、王政復古で「再雇用」されていたのでした。とは言っても、この「レクイエム」を作ったのは彼が74歳の時、この曲が演奏された直後、2月14日には亡くなってしまいますから、これは彼自身のための「レクイエム」でもあったのですね。
そんな「遺作」は、そのような注文があったのか、あるいは、まるで作曲家が生涯の締めくくりとして目いっぱいそれまでの技法をつぎ込んだのかはわかりませんが、なんとも力の入った、死者を悼むにはいささか大げさすぎるような作品になっていました。なんたって、最初の「Requiem aeternam」の冒頭は、ドラの強打で始まるのですからね。まあ、仏教のお葬式では太鼓やシンバルを鳴らしたりする宗派もありますから、そんな意味もあったのかもしれませんが、例えばモーツァルトの作品のような敬虔な趣は全く感じられません。
続く「Sequentia」では、この長大なテキストをモーツァルトとは別のところで区切って、5つの曲が作られています。それぞれの曲の作り方も、テキストに順次曲を付けるのではなく、興に乗って自由に順番を入れ替えたりするという作られ方になっています。ですから、最初の曲の「Dies irae」では4節目(「Mors stupebit」)まで使われていますが、「Tuba mirum」で出てくるとても陽気なトランペットのファンファーレが何度も登場することになります。なぜか、1節目の最後の行、「teste David cum Sibylla」が削除されていますし。
残りの4曲では、ソロ、デュエット、合唱と、ヴァラエティに富んだ編成で、とても雄弁な音楽が聴こえてきます。それらは、まさにこの作曲家が長く携わっていたオペラのスタイルで作られています。そう、マルティーニは、半世紀後にさらにオペラ的な「レクイエム」を作ったジュゼッペ・ヴェルディの、まさに先駆け的な存在だったのです。最後におかれた「Amen」では、ドラに加えてティンパニまで炸裂しますから。
演奏するのに1時間以上かかるこの大作は、そんな、とても中身の濃いものでした。ところが、ここで演奏している合唱団(と、オーケストラ)は、そんな作品のドラマティックな表現を試みているのでしょうが、それを「表現」と感じられるだけのスキルが完全に欠如しているために、なんともおぞましく悲惨な結果を引き起こしています。これがライブ録音だということを差し引いても、そのお粗末さには耳を塞ぎたくなります。出番の多いソプラノのソリストはかなり健闘しているのですが。
一緒に演奏されていたのは、こちらも作曲家のお葬式で演奏されたグルックの「深き淵より」です。

CD Artwork © Note 1 Music GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-09-02 20:42 | 合唱 | Comments(0)
KLEINBERG/Mass for Modern Man
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Mari Eriksmoen(Sop)
Johannes Weisser(Bar)
Eivind Gullberg Jensen/
Trondheim Symphony Orchestra and Choir
2L/2L-136-SABD(hybrid SACD, BD-A)


1958年生まれ、現代ノルウェーを代表する作曲家ストーレ・クライベルグの最新作、「現代人のためのミサ」というタイトルの「ミサ曲」のアルバムがリリースされました。
この作品は、ミュンヘン大聖堂からの委嘱によって作曲されたもので、世界初演は2015年の7月28日に、ノルウェーのトロンハイムでの「聖オーラヴ音楽祭」のオープニングコンサート(会場はニーダロス大聖堂)で行われました。さらに、同じ年の11月15日には、委嘱元のミュンヘン大聖堂でドイツ初演が行われました。世界初演はノルウェーの演奏家たちによるものでしたが、この時は、ソリストも合唱団もオーケストラも別の演奏家でした。
そして、2016年の8月に、トロンハイムのオーラヴホール(先ほどの音楽祭のメイン会場)で、世界初演のメンバーも参加しての2Lへの録音セッションで製作されたのが、このアルバムです。もちろん、これが世界初録音となります。それはこのレーベルのお家芸であるDXDで録音され、それが2.8DSDのSACDと、24/192PCMのBD-Aの2枚のパッケージになっています。今までの経験から、BD-Aの方がSACDよりも元の録音に近いものが体験できていたので、今回も聴いたのはBD-Aのディスクです。
世界初演と同じメンバーなのは指揮者とソリストだけ、初演での合唱はBISの一連の録音でおなじみの「ノルウェー・ソリスト合唱団」でしたし、オーケストラは「トロンハイム・シンフォニエッタ」でした。これは想像ですが、この合唱団が今回の録音で使えなかったのはレーベル間の契約の問題があったからなのかもしれません。さらに、もしかしたら、メンバーはかなりの人が両方の合唱団を兼任しているのではないでしょうか。
このミサ曲は、「現代人のための」という注釈がある通り、伝統的なミサのテキストだけではなく、この作品のために作られた「現代」のテキストも使われています。それは、この作曲家と以前共同作業を行ったことのあるイギリスの作家、ジェシカ・ゴードンによって書かれた、英語のテキストです。ノルウェー語ではなく英語を用いたというところで、この作品がインターナショナルな視点(あるいはマーケット)を目指したものであることがうかがえます。
この「現代」のテキストによる音楽は3曲用意されています。「Kyrie」と「Gloria」の間には、バリトン・ソロによる「祖国の喪失-難民」、「Gloria」と「Credo」の間には、ソプラノとバリトンの二重唱による「子供の喪失」、そして、「Credo」と「Sanctus」の間にはソプラノ・ソロによる「未来への信頼と希望の喪失」という、それぞれ「喪失」をテーマとした内容のテキストが歌われます。それらは、もうこのタイトルのまんま、現代社会が抱える深刻な問題が、やはり深刻な語り口によって演奏されます。
そして、その周りをミサ通常文によるお馴染みのタイトルの曲が、こちらは合唱だけによって歌われます。この対比がこの曲の魅力の一つでしょう。合唱はあくまでピュアな響きで「理想」を歌い上げているのに対して、ソリストのうちでも特にバリトンは深刻極まりない歌い方で「現実」を嘆きます。ただ、もう一人のソプラノのソリストは、とても可憐な歌い方なので、この暗い詩の世界を歌ってもなにか救いが感じられます。それは、全体の終わり、「Dona nobis pacem」のあまりに美しい合唱の響きの中へと終息していくはずのものだったのでしょう。
オーケストラは7.7.5.4.2という弦楽器とフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンがそれぞれ1本ずつにハープというシンプルな編成、それが、サラウンドに対応した11本のマイク・アレイを囲むように2列の同心円状に並んだ間に、16人の合唱が挟まれる、という特殊な並び方をしています。そのためなのか、合唱はア・カペラでは澄んだ響きが聴こえるのに、楽器が入ると途端に音が濁ってしまいます。このレーベルの録音としては、ちょっと期待外れ。もっとクリアな音で聴きたいな。

SACD, BD Artwork © Lindberg Lyd AS

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by jurassic_oyaji | 2017-08-22 22:56 | 合唱 | Comments(0)
ELGAR/The Dream of Gerontius
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Catherine Wyn-Rogers(Sop)
Andrew Staples(Ten), Thomas Hampson(Bar)
Daniel Barenboim/
Staatsopernchor Berlin, RIAS Kammerchor
Staatskapelle Berlin
DECCA/483 1585


最近、DECCAからダニエル・バレンボイムが指揮をしたエルガーの作品が継続してリリースされています。オーケストラは彼の現在の手兵、ベルリン・シュターツカペレです。ちょっと意外なレパートリーのような気がしますが、実はバレンボイムは、過去には集中的にエルガーの作品を録音していた時期がありました。
それは1970年代のこと、CBSのために、主だったオーケストラの作品をLPで8枚分ほど録音していたのです。この時代、イギリス人の指揮者以外がこれほど熱心にエルガーに取り込んだのは、極めて異例のことだったのではないでしょうか。彼はかねてよりの筋金入りのエルガー・ファンだったのです。
これらの録音はほとんどロンドン・フィルを指揮してのものですが、一部はイギリス室内管弦楽団、そして、ジャクリーヌ・デュプレとの共演での「チェロ協奏曲」は、フィラデルフィア管弦楽団とのアメリカでのライブ録音でした。これらの録音は、その「チェロ協奏曲」以外はおそらくCD化もされずに入手困難な状態でした。
それが、ごく最近、SONYからバレンボイムのこのレーベルへの全録音がボックスでリリースされた際に、エルガーの選集もオリジナル紙ジャケットでCD化され、容易に入手できるようになりました。
それを予言していたかのように、バレンボイムはまず2012年に、アリサ・ワイラースタインのソロで「チェロ協奏曲」を録音、2013年には「交響曲第2番」、2015年には「交響曲第1番」も録音しました。そして、それに続いて今回初めて録音したのが、この「ゲロンティアスの夢」です。ただ、CDとしては初めてですが、ライブ映像としては、2012年にベルリン・フィルと演奏したものがDCHのアーカイヴには収められています。これは、オーケストラだけでなく、ソリストや合唱団も全て今回のCDとは異なっています。
「ゲロンティアスの夢」は、それまではアマチュアの作曲家程度の扱いしか受けていなかったエルガーが、1899年に発表した「エニグマ変奏曲」によって一躍一流作曲家として認められることになった直後の1900年に、バーミンガム音楽祭で初演され、その初演こそ不評だったものの、やがて各地での再演では大好評を博してその名声を確固たるものにしたという、いわばエルガーを「ブレイク」させることになった作品です。
そもそもは、1898年にこの音楽祭から、大規模のオラトリオを作ってほしいという委嘱を受けて作ることになったものです。そこでエルガーが選んだテキストが、1865年にカトリックの枢機卿、ジョン・ヘンリー・ニューマンによって作られた長編宗教詩「ゲロンティアスの夢」です。エルガーは若いころにこの詩に出会い、長いことこれに音楽を付けるための構想を練っていたのでした。
その詩は、ゲロンティアスという男が今まさに死に瀕している場面から始まり、やがて死が訪れるとその魂だけが天上でさまよい、様々な試練を受けた末に救済される、といったような、「死後の世界」が描かれています。なんちゃって(それは「死語の世界」)。
ソリストは、ゲロンティアス役のテノール、天使役のソプラノ、そして、司祭と苦悩の天使役のバリトンの3人、そこに、様々な設定(天使から悪魔まで)を演じる混声合唱が加わります。まるで、ワーグナーの「パルジファル」を思い浮かべるような前奏曲から、最後の感動的な天使の合唱までの1時間半、何も身構えなくても心の中から共感できるような音楽が続きます。特に、ベルリン州立歌劇場の合唱団とRIAS室内合唱団の混成チームが、バレンボイムの重みのある指揮に応えて、とても豊かな表現力で、物語を雄弁に伝えてくれています。
それに対して、テノール・ソロの声が軽すぎるのが、ちょっとした瑕でしょうか。ソプラノ・ソロももう少し可憐さがあってもよかったかもしれません。合唱団の席で歌っているバリトンのハンプソンは、さすがの貫録です。

CD Artwork © Decca Music Group Limited

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by jurassic_oyaji | 2017-08-19 20:27 | 合唱 | Comments(3)