おやぢの部屋2
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カテゴリ:合唱( 626 )
DURUFLÉ/Complete Music for Choir and Organ
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Benjamin Sanders, Daniel Justin, Adriana Falcioni(Org)
Thomas Leech/
The Choir of Leeds Cathedral
Skipton Building Society Camerata
BRILLIANT/9264




今年、2016年は、モーリス・デュリュフレが亡くなって30年という記念の年です。それにしては世の中ではそれに関したイベントやコンサートが大々的に行われるような情報は伝わってこないような気がしますが、どうなのでしょう。レコーディングの方では、新しい、ピリオド・オーケストラによる録音がリリースされているそうなので、それはいずれご紹介できることでしょう。今回は、かなり前に録音された、彼の合唱曲とオルガン曲を「全て」収めた2枚組のアルバムですが、つい最近目についたものですからこれも聴いてみることにしました。
ご存知のように、デュリュフレが残した作品は非常に少なく、作品番号が付けられて出版されたものは14点しかありません。その中の10曲までが合唱とオルガンのための作品です。その内訳は合唱曲が4曲、オルガン曲が6曲です。今回のアルバムでは、遺作となった「Méditation」と、未出版の「Hommage à Jean Gallon」という、作品番号の付いていないオルガン曲も2曲演奏されています。この「8曲」入りのオルガン全集は、今までには2006年のフェアーズ盤や2012年のクロウセー盤などがありましたね。
ところで、この2つのジャンル以外の作品は4曲ありますが、そのうちの「作品3」が「前奏曲・レシタティーヴォと変奏」というフルートとヴィオラとピアノのための作品です。これは、ピアノをハープに替えればドビュッシーのソナタと同じ編成になりますが、まさにドビュッシー風の前奏曲に、フルートとヴィオラによるレシタティーヴォを挟んで、グレゴリオ聖歌風のテーマによる技巧的な変奏が続くという、なかなか魅力的な曲です。
このアルバムは、2012年の3月に、たった4日間のセッションで録音されたものです。なんたって、目玉は「レクイエム」でしょうね。こんなセッションですからてっきりオルガン版(第2稿)だと思って聴きはじめたら、小編成のオーケストラが入った第3稿による演奏でした。なんと贅沢な。やはり、金管楽器やティンパニがしっかり入っていた方がこの曲の味がきちんと出てきます。
その代わり、というわけでもないのでしょうが、ソリストのパートは合唱団員の担当です。「Pie Jesu」のメゾ・ソプラノはソロですが、「Domine, Jesu Christe」と「Libera me」のバリトンはパート全員で歌っています。
1曲目のテーマがテナーで出てきた時、普通の合唱の声ではなく、まるでオリジナルのグレゴリア聖歌のようなダミ声が聴こえてきたので、もしかしたらそのようなアプローチの演奏なのかな、と思ってしまいました。そんな演奏が一つぐらいあってもいいですよね。しかし、それは単に合唱団の声が揃っていないだけなのだということが、しばらくすると分かります。一応、トレブルは少年少女、男声パートは「セミプロ」が集まっているのだそうですが、どうも合唱としての訓練はあまり行われてはいないような気がします。トレブルはまあこんなものでしょうが、男声はおそらく個人的には良い声の持ち主なのでしょうが、それが全体の中に溶け合わないのが困ったところです。
それでも、デュリュフレの場合は結構聴けてしまうのが不思議です。確かに、フル・ヴォイスで歌うところでは破綻していますが、軽めの声で歌っている分には、ハーモニーもきれい、いや、ひょっとしたらされるような部分があるかもしれません。ですから、「4つのモテット」などはなかなかいい感じ、でも、さすがに男声合唱の「Cum jubilo」はこの男声には荷が重くなっています。ソロはとても立派ですが。
オルガン作品でのソロは、アドリアーノ・ファルチオーニというイタリアの方、アランにも師事していたそうですが、録音がちょっとおとなしいために、デュリュフレの魅力があまり伝わっては来ません。

CD Artwork © Brilliant Classics
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by jurassic_oyaji | 2016-09-13 21:12 | 合唱 | Comments(0)
Christmas Songbook
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The King's Singers
SIGNUM/SIGCD459




まだまだ暑い日が続きますが、すでに「クリスマス商戦」は始まっていて、こんなクリスマスアルバムがリリースされました。その前から録音はされていて、それは今年の1月から始まっていたようです。ということは、クリスマスが終わったと思ったら、もう次の年のクリスマスの準備にかかっているということになりますね。でも、これはどんなお祭りでも見られることで、例えば仙台の七夕なども、8月にお祭りが終わると、次の年の飾り物のデザインなどを考え始めるのだそうです。青森の「ねぶた」なんかもそうですよね。
最近、この「キングズ・シンガーズ」は、急速にメンバーチェンジが進んでいるようです。本当につい最近、今年の9月初めには、26年間このグループに在籍して、これまでにアラステア・ヒューム(カウンターテナー)とサイモン・カーリントン(バリトン)が持っていた25年という記録を破ったカウンターテナーのデイヴィッド・ハーレイが、ついに引退したというニュースが伝わってきたばかりですが、これでメンバーはすべて21世紀になってから加入した人ばかりになってしまいました。しかも、2014年にはイギリス人と日本人のハーフであるジュリアン・グレゴリーがテナーのパートに新加入するという、基本的に純血主義を貫いてきたこのグループを見てきた人にとっては、うれしい反面ショッキングなメンバー交代があったばかりです。
しかし、今回引退したハーレイの後任者は、生粋のキングズカレッジ出身者、それこそ「キングズカレッジ合唱団」の最近のアルバムにも参加していたPatrick Dunachie(パトリック・ダナシー、でしょうか)というカウンターテナーなのですから、まだまだ伝統は生きていたということなのでしょう。
ということで、おそらくハーレイにとっては最後のアルバムとなったこのアルバムを楽しむことにしましょうか。グレゴリーくんのテナーがどんなものか、こういうレパートリーではソロの場面もたくさんありそうですから、きっちり聴き取ることが出来そうですし。
6人のメンバーは、左から順にカウンターテナー、テナー、バリトン、ベースと1列に並んでいるという音場でした。まず聴こえてきたとてもやわらかい声のソロは、一瞬テナーかと思うほどの明るさでしたが、やや右寄りに定位、どうやらこれはバリトンのソロのようでしたね。もう一人のバリトンの声もやはりソロで出てきますが、この二人はかなり音色が違うようです。テナーのソロは、きっちり左寄りのところから聴こえてきました。ちょっと想像していたのとは違っていて、なんとなくハスキーでそれほど張りのある声ではありません。個人的には2代目のビル・アイヴスが一番好きなのですが、ちょっとそこまでのレベルには達していない感じです。でも、まだ入りたてですから、そんなに出しゃばらないようにしているのかもしれませんね。実際、3代目のボブ・チルコットのような「邪魔になる」声ではなかったのには、一安心です。
カウンターテナーも、やはり二人の声はここでソロを並べて聴くとずいぶん違っています。しかし、どちらの人もとても立派な声なので、まだまだ引退するには惜しいような気がします。次のアルバムではダナシーくんの声が聴けるはず、どんな感じなのでしょうね。キンキンとした早口だったりして(それは「ふなっしー」)。
曲目は、それこそ「きよしこの夜」とか「ホワイト・クリスマス」さらには「サンタが街にやってくる」といったベタな曲が、何ともハイブロウな編曲で歌われているのが素敵です。さらには、「雪だるまのフロスティ」と「赤鼻のトナカイ」をマッシュアップした「リブート」などというしゃれたアレンジもありますよ。ホルストが作ったという「In the Bleak Midwinter」というのも、初めて聴きましたがいい曲ですね。
ブックレットのクレジットで「そりすべり」の作曲者がミッチェル・パリッシュというのは間違いでしょう。彼は作詞家、作曲はルロイ・アンダーソンです。

CD Artwork © Signum Records
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by jurassic_oyaji | 2016-09-06 23:23 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Messe en si mineur
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Anne Ramoni(Sop), Jean-Michel Humas(CT)
Frédéric Grindraux(Ten), Fabrice Hayoz(Bas)
Michel Jordan/
Chapelle vocale de Romainmôtier
Ensemble Musica Poetica
GALLO/CD-1453/54




スイス、ローザンヌの北西、フランス国境に近いジュラ山中に、ロマンモティエ=アンヴィーという村があります。そこには中世の街並みが広がり、11世紀に建てられたという教会が観光名所となっています。このCDには、その教会で演奏された、バッハの「ロ短調ミサ」のライブ録音が収められています。
ジャケットにあるのが、その教会の外観です。2つの尖塔がかわいいですね。石造りの建物の中では、祭壇付近がステージになっていて、合唱団がかなり急勾配の雛段に立っています。その前にはオーケストラ。お客さんは信者席だけでは入りきらず、祭壇の脇にも椅子を出して座っているようです。おそらく、この村中の人たちがみんな集まってきているのでしょう。
このオーケストラは、「アンサンブル・ムジカ・ポエティカ」という団体、1982年にチェリストのオーギュスト・オーギュスタンという人が設立したものです。ピリオド楽器を用いて、17世紀から18世紀にかけての音楽を演奏していますが、特にバッハの宗教曲などが主なレパートリーになっています。おそらく、基本的に室内楽のような小規模なものを演奏する団体で、曲目によって必要なメンバーを適宜追加する、というようなスタイルを取っているのでしょう。この「ロ短調」では、通奏低音がチェロとコントラバスの他はオルガンだけというシンプルなものでした。
オーケストラのレベルはかなりの高さ、時折トランペットに問題が発生していたりしますが、それはライブならではの「事故」でしょうから別に構いません。フルートのオブリガートもなかなか端正で、全く不満は感じられません。
ソリストは、本当は5人必要なのですがここでは4人しか用意されていませんでした。まあ、ソプラノ2のパートは代わりにアルトが歌えば済むことですからこれも別に問題になるようなことではありません。実は、この演奏では「Credo」の中の「Crucifixus」という合唱のナンバーだけが、ソリストだけによって歌われています。合唱のパート構成が複雑なこの曲ですが、「Credo」の場合は一応ソプラノが2声部に分かれていて5声部で歌うようになっています。ですから、それをソリストだけで歌うと1人足らなくなるはずです。ブックレットにもちゃんとこう(↓)とありますからね。

でも、安心してください。楽譜では、この曲だけソプラノ1がお休みなんですね。4人でも大丈夫。


このソリストたちの声は、なんだかずいぶんオフ気味に聴こえます。というか、エンジニアがソリスト用のマイクを用意していなかったような、バランスの悪さです。一発録りのライブだったとは言っても、リハーサルの段階で分かりそうなものなのですが。
どうやら、ここでの「主役」は、この教会の名前を自分たちの名前に入れている合唱団のような気がします。ここでの指揮者、ミシェル・ジョルダンによって1966年に創設されたという由緒ある団体です。メンバーは60人を超える人数ですし、男声の比率も高くてバランス的にも理想的なパートの編成になっています。
ところが、彼らが歌う声といったら、何ともハスキーで芯がないんですよね。それを各々が勝手な歌い方をしているものですから、パートとしてのまとまりが全くありません。ソプラノ1のパートなどは、高音を専門に担当するはずなのに、G(実際はG♭)あたりでもう出なくなっていますよ。そして最悪なのがポリフォニー。ほとんど練習なんかしなかったのでしょう、メリスマなどは音すら取れていませんし、テンポは全く収拾がつかない状態です。「ジョルダンさん、これはいったい何の冗談ですか?」と言いたくなるほど、親類縁者にタダで配るのならいざ知らず、こんなCDを4000円近くで販売するなんて、許されないことなのではないでしょうか。「暮らしの手帖」(いや、「あなたの暮らし」)の商品テストだったら、「決して買ってはいけないCD」という烙印を押されることは間違いありません。

CD Artwork © VIDE-GALLO
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by jurassic_oyaji | 2016-08-30 20:13 | 合唱 | Comments(0)
GRIGORJEVA/Nature Morte
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Conrad Steinmann(Rec)
YXUS Quartet
Paul Hillier/
Estonian Philharmonic Chamber Choir
Theatre of Voices
ONDINE/ODE 1245-2




エストニア・フィルハーモニック室内合唱団の新しいアルバムが出ました。指揮をしているのが、かつての首席指揮者のポール・ヒリアーです。彼がそのポストにあったのは前任者のカリユステから引き継いだ2001年から2007年まで、意外と短かったのですね。2008年からはダニエル・ロイスが後継者になったというところまでは知っていましたが、2014年からはラトヴィア人のカスパルス・プトニンシュという人に替わっているのだそうです。
今回のアルバムは、エストニアの作曲家ガリーナ・グリゴリエヴァという、初めて名前を聞く人の作品集です。6曲収録されているうちの5曲までが合唱曲、あとの1曲はリコーダーのソロのための作品です。1962年にウクライナに生まれ、1992年からエストニアに住んでいるというグリゴリエヴァは、写真で見ると名前に似ず(ガリグリゴリ)とてもソフトな感じの女性です。
それを聴く前に、このCDにはエンジニアとしてプレベン・イワンの名前がクレジットされていたのには驚いてしまいました。まさか、このレーベルで彼の名前にお目にかかれるとは。デンマークのDACAPOレーベルでの数々の名録音ですっかりファンになってしまったこのエンジニア、特に合唱にかけては裏切られたことはありませんから、とても楽しみです。そこで、まずCDで最初の曲を聴き始めたのですが、録音会場が教会だったために、ものすごい残響を伴った音でした。もちろん、それはイワンの狙ったことなのでしょうが、そんな残響の中でもくっきりと浮かび上がってくる合唱はとても魅力的でした。ただ、やはりCDの限界も見えてしまいます。なぜSACDにしなかったのでしょう。確かに、このレーベルでは最近のリリースを見ると以前SACDで出していたアーティストでもCDになっていたりしますから、もうSACDには見切りをつけたのかもしれませんね。なんともったいない、と思ってさるハイレゾ配信サイトを見てみたら、ちゃんと24/96のハイレゾ音源がリリースされているではありませんか。せっかくの録音なのですから、CDで聴くのは時間の無駄、即刻ハイレゾをダウンロードしてしまいました。ハイレゾ音源は、もちろんCDとは比べ物にならない、素晴らしいものでした。合唱の声の瑞々しいこと、残念ながら、これだけはCDで味わうことはまずできません。HARMONIA MUNDIのように、CDでリリースしたものでも、自社のサイトでハイレゾ音源を無料でダウンロードできるようなところもあるのですから、他のレーベルもそれを見習ってほしいものです。
そんな、最高のコンディションで聴くことが出来たグリゴリエヴァの作品には、写真で見る外観からは想像できないようなエネルギッシュな音楽が詰まっていました。最初の「Svjatki」という、ロシアの暦でクリスマスの時期を表わす言葉をタイトルにした6曲から成る曲集は、彼女の学生時代から追及していたテーマ、民族的な素材を、そのまま使うのではなく彼女の語法で再現するという手法が結実したものです。そこからは、大地に根付いた叫びと同時に、懐かしさのようなものがじわじわと感じられてきます。女声合唱だけで歌われる曲でも、とても暖かい情感が聴かれます。
次の「Salva Regina」という、弦楽四重奏と4人の重唱による作品は、うって変わってペルト風の作風が前面に押し出されたものです。最近の曲では、この路線が貫かれているようで、最後に収録された2012年の作品「In paradisum」などは、まるでバーバーの「Agnus Dei」(つまり、弦楽のためのアダージョ)のようなテイストです。男声だけによる2011年の「2部作」なども、静謐の極致。地を這うようなベースの凄いこと。しかし、2008年に作られた3曲から成る「Nature Morte」の1曲目では、まさに「現代音楽」という尖がった手法が見られるのが、興味深いところです。
さらに、ルネッサンス・リコーダーによる「Lament」では、信じられないような超絶技巧が満載、エンターテインメントとしての味さえ感じられます。

CD Artwork © Ondyne Oy
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by jurassic_oyaji | 2016-08-20 20:36 | 合唱 | Comments(0)
VERDI/Requiem
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Herva Nelli(Sop), Fedora Barbieri(MS)
Giuseppe di Stefano(Ten), Cesare Siepi(Bas)
Arturo Toscanini/
The Robert Shaw Chorus(by Robert Shaw)
NBC Symphony Orchestra
MEMORIES/MR2482




ヴェルディの「レクイエム」では極めつけの名盤と言われてきた、1951年1月27日にカーネギーホールで行われたNBCの公開録音によるトスカニーニ指揮のNBC交響楽団の録音は、本来はラジオ放送のためのものでした。そこでNBCによって設置されたマイクから独自に録音を行ったRCAは、リハーサルと本番の演奏から編集をして、レコードとしてリリースします。それは、全世界でリリースされましたが、今ではもちろんCDによっても何種類かのものが発売されています。さらに、わざわざイギリスでプレスされたLPを使って板起こしを行い、CD化されたものも、日本で作られていたりします。それを、以前こちらで聴いていましたね。
トスカニーニの演奏は、最晩年の1954年ごろになると最初からステレオで録音されたものも出てきます。ただ、この「レクイエム」のころはまだそんなことはとても無理な時代でしたから、これは当然モノーラルで録音されたものです。
それが、突然こんなヒストリカルのレーベルから、この有名な録音の「World Premire Stereo Recording」というものがリリースされました。しかし、このCDから得られる情報は、そのクレジットが黄色い文字でレーベルのマークの前に横たわっているだけで、それ以外のことは何も書いてありません。

ところが、なぜかこのCDを販売している日本の代理店が作った「帯」には、「偶然にもマイクが二か所に同時に立っていたので、それを合成してステレオ録音が出来上がった」というようなことが書かれています。レーベルが公開していない情報を、この代理店がなぜ入手できたのか、という点で、まずこのコメントは信用する気にはなれませんが、それ以前に、全く別のマイクで、別のレコーダーに録音されたものを使って録音されたもので「ステレオ録音」を実現させるなんてことが、いかに技術が進歩したからといっても可能だとは到底思えないのですけどね。
逆に今の時代、かつてのモノーラルの録音をステレオに作り直すなんてことは、とても簡単なのではないでしょうか。いや、現実に、かなり昔からそういう技術はありましたからね。EMIの「ブライトクランク」などはかなり良くできた「疑似ステレオ」だったはず、それは、今のテクノロジーをもってすれば、さらに「本物らしい」「疑似ステレオ」を作ることなど、わけもないはずです。
そんな、最初から疑いの目をもって聴くというのは良くないことかもしれませんが、なにしろこの業界はこんなふうにあてにならないことばかりですからそうせざるを得ません。この「レクイエム」、オリジナルに比べるととても耳あたりが良くなっていて、確かに楽器群やソリストの定位もはっきりしていますから、リアル・ステレオのように聴こえますが、逆にその定位がはっきりしすぎているのが怪しいんですね。一番よく分かるのは、「Dies irae」のバスドラム。これが、はっきり右の端から聴こえてきます。こういう音場にするためには、ほとんどバスドラムだけで1本マイクを使う必要があるはずです。「偶然同時に立っていた」マイクが、バスドラの真ん前にあったなんてありえません。オリジナルでも、この楽器の音は際立っていますから、これだけを抽出して右チャンネルに振り分けるのはとても簡単だったのではないでしょうか。
それと、全体的に低音がオリジナルよりも大幅に減衰しています。これは、もしかしたら楽器を振り分ける際の位相がうまく合わなくて、低音が打ち消しあってしまった結果なのではないでしょうか。
いずれにしても、レーベルはこの録音の出自について、自ら説明を行う責任があるはずです。絶対に誰にも信用されないようなデマで飾るのは最悪です。
最後の拍手だけは、なぜかモノーラルになっています。これは、この前で、「もう一つのマイク」の音がなくなっていたと思わせたい小細工にしか聴こえません。モラルを疑います。

追記1:
実は、このCDは、別の音源の海賊盤のようでした。オリジナルのテクニカル・ノーツが見つかりましたが、それによるときちんとしたものであるようですね。


追記2:
この「修復」を行った方は、過去にこんなところで有名になっていたそうです。だからと言って、彼の仕事を鵜呑みにすることはできません。

CD Artwork © Memories Excellence
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by jurassic_oyaji | 2016-08-11 22:36 | 合唱 | Comments(0)
THOMPSON/Requiem
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David Hayes/
The Philadelphia Singers
NAXOS/8.559789




ランドール・トンプソンという名前の作曲家など、初めて聞いたのでは、と思っていたら、実はこちらですでに彼の作品を聴いていました。そこで取り上げられていたのは「Alleluia」という無伴奏の合唱曲でしたが、それを初めて聴いた時には、言いようのない新鮮な感じを持ったことを憶えています。とても深いところで心に訴えるものを持った、「本物」の音楽です。
もう一つ、彼はあのバーンスタインの先生だった、ということで知られています。ただ、巷間(たとえばWikipediaとか、それをコピペしたと思われるこのCDのインフォ)、「レナード・バーンスタインはハーバード大学での生徒の1人であった」とされている情報は誤りです。バーンスタインはハーバードを卒業した後、カーティス音楽院のオーケストレーションのクラスでトンプソンに師事していたのですから。
そんな、他人に「管弦楽法」を教えるほどのスキルがあり、自身の交響曲もいくつか作っているトンプソンですが、彼は主に合唱作品の作曲家としてアメリカでは広く知られています。とは言っても、実際にその作品を聴く機会はほとんどなく、この1958年に作られた「レクイエム」も、これまでに部分的に録音されたものはありましたが、全曲録音としてはこのCD(録音されたのは2014年)が世界で初めてのものとなります。
20世紀以降に作られた「レクイエム」では、もちろん伝統的なテキストによる作品もたくさん作られてはいますが、それにはあまりこだわらないもっと自由な形式のものもあります。例えば1962年のブリテンの「戦争レクイエム」では、オリジナルのラテン語の典礼文の他に、別の現代詩人の詩が用いられています。もっと時代が近い1985年のジョン・ラッターの作品でも、やはりそのような自由詩が挿入されています。しかし、このトンプソンの「レクイエム」では、そのタイトルの由来ともいえる「Requiem aeternam」というテキストすらもどこにも見られなくなっていました。彼が用いたテキストは、すべて英訳された聖書からの引用だったのです。
これはなかなかユニークな発想ですが、過去にそんな例がなかったわけではありません。それは、これより1世紀近く前、1868年に作られたブラームスの「ドイツ・レクイエム」です。したがって、このトンプソンの「レクイエム」は、誤解を招かないように「アメリカ・レクイエム」とでも言った方がいいのかもしれませんね。
もちろん、トンプソンが選んだ聖書のテキストは、ブラームスのものとは何の関係もありません。彼は、彼自身のインスピレーションに基づいて言葉を選び、再構築しているように見えます。そして、それらのテキストを、2つの無伴奏の混声合唱に振り分けたのです。そこで彼は、「第1コーラス」を、愛する人を失って悲しみにくれる「嘆きの合唱」、「第2コーラス」を、その人たちに死者の永遠の安息(これが「Requiem aeternam」)を信じさせて慰めを与える「信仰の合唱」と位置づけ、それぞれの合唱の「対話」という形で音楽、あるいはそこで描かれる「ドラマ」を進行させているのです。
そのような作曲家の意図を最大限に表現するために、演奏家と録音スタッフはそれぞれの合唱の性格を際立たせるように細心の注意を払っています。特に、録音面では、2つの合唱をそのまま録るのではなく、「第2コーラス」にはリバーブを深めにかけて、「第1コーラス」との距離感がはっきり分かるようにしています。
それだけの準備に応えられるだけのとてつもない力を、この、デイヴィッド・ヘイズが指揮をしているフィラデルフィア・シンガーズは持っていました。その芯がある音色と、完璧なハーモニー、そしてポリフォニーにおける目の覚めるようなメリスマ、それらが一体となって、この「レクイエム」は確かな命を吹き込まれ、言いようのない感動を引き起こすことになったのです。録音も超一流、機会があればぜひ24/96のハイレゾ音源で聴いてみて下さい。

CD Artwork © Naxos Rights US, Inc.
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by jurassic_oyaji | 2016-08-06 21:54 | 合唱 | Comments(0)
Cantate Domino
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Alf Linder(Org)
Marianne Mellnäs(Sop)
Torsten Nilsson/
Oscar's Motet Choir
2xHD-NAXOS/812864019605(128DSD)




先日こちらのハイレゾ音源を購入した時に、「e-Onkyo」ではDSDのフォーマットを扱っていなかったので、仕方なく24/192のFLACを買ったら、「DSD Native」ではちゃんと128DSDが売られていたので悔しい思いをしたのですが、その時に「Lacrimosa」だけを買ったら、次にアルバムを買う時に半額になるというクーポンコードまで付いてきました。「e-Onkyo」ではそんなサービスを受けたことは1回もなかったので、すっかりこのサイトのファンになってしまいましたよ。そこで、なにか買うものがないかと物色している時に目に入ったのがこのアルバムです。
これは、そのモーツァルトの「レクイエム」と同じく、スウェーデンのPROPRIUSレーベルによって1976年1月23~25日と4月29日にストックホルムのオスカル教会で録音されたもので、最初はもちろんLP(PROP 7762)でリリースされていました。
このLPは、あの長岡鉄男氏が絶賛したことによって、広く「録音の良い」アルバムとして知られるようになりました。現在でもこのオリジナルLPは作られ続けていますし、さらにそれをリマスターして高品質のヴァイナル盤としたものもリリースされています。もちろんかなり早い段階でCD化もされましたし、ハイブリッドSACDにもなっていて、そのような新しいフォーマットが出るたびに、その録音のデモンストレーションという役目を果たすために何度も何度もリリースされてきたものです。
そんな有名なものなのに、頻繁にそのジャケットは目にするものの、いまだかつて実際に音を聴いたことはありませんでした。それが、この、ハイレゾのリマスタリングに関してはとても信頼のおけるレーベルから128DSDというフォーマット、しかも半額で手に入るというのですから、これは聴いてみないわけにはいきません。
これは、実は「クリスマス・アルバム」。ストックホルムにあるオスカル教会のオルガニストでコーラス・マスターのトルシュテン・ニルソンが、その教会の合唱団を率いて録音しています。伴奏には、1983年に亡くなっているアルフ・リンデルという人のオルガンが加わり、時にはマリアンネ・メルネスというソプラノのソロもフィーチャーされます。そして、クレジットの表記はありませんが、金管楽器のアンサンブル(おそらく3本のトランペットと3本のトロンボーン)も、2曲の中で登場しています。
アルバムタイトルの「Cantate Domino」は、イタリアの作曲家エンリコ・ボッシが1920年に作った曲です(彼は1925年に没しています)。ここではまずオルガンの勇壮なイントロが響き渡ります。その音の生々しいこと。それこそ一本一本のパイプの音がきちんと聴こえてくれるような明晰さを持ちつつ、その絶妙のミクスチャーがオルガンの魅力を最大に引き出しています。そこに、金管のアンサンブルが入ってくると、その柔らかなアタックには魅了されます。いかにも人間が息を吹き込んで音を出している、という生命感が宿った響きです。そして、それらがいったん休んだところに、ア・カペラの合唱が入ってきます。正直、ピッチとかフレージングなどにはちょっと難があってそれほど上手な合唱ではないのですが、その、やはり一人一人の声までがくっきりと立体的に浮き上がってくる音には圧倒されます。確かに、これはオーディオ装置のチューニングには格好なソースです。
全く知らない曲が並ぶ中で、「きよしこの夜」などの有名なクリスマス・ソングが突然聴こえてくると、ほっとした気分になれます。最後に演奏されているのが定番のアービング・バーリンの「ホワイトクリスマス」ですが、そのオルガン伴奏がそれまでの堅苦しいものとはガラリと変わった4ビートのスイングだったのには驚きました。なんでも、このオルガニストはかつてはジャズ・ピアニストだったのだとか。そんな、様々な面で驚かせてくれるアルバムでした。おそらく、この128DSDは、サーフェス・ノイズがない分LPをしのぐ音を聴かせてくれているのではないでしょうか。

DSD Artwork © Proprius Music AB
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by jurassic_oyaji | 2016-07-30 21:12 | 合唱 | Comments(0)
KÕRVITS/Mirror
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Anja Lechner(Vc)
Kadri Voorand(Voice), Tõnu Kõrvits(Kannel)
Tõnu Kaljuste/
Tallinn Chamber Orchestra
Estonian Philharmonic Chamber Choir
ECM/4812303




トルミスやペルトといったエストニアの作曲家たちの作品を幅広くこのレーベルで紹介してきたカリユステとエストニア・フィルハーモニック室内合唱団が、同じエストニアのもう少し若い世代の作曲家、トヌ・コルヴィッツの作品を取り上げたCDです。コルヴィッツというのは、ヒビの入った骨董品と言われたピアニスト(それは「ホロヴィッツ」)ではなく、1969年生まれの人気作曲家です。どのぐらいの人気かというと、さる音楽サイトで、こんな風に「期待の新星」と紹介されているほどです。余談ですが、この言葉をもっと意味の強いものにしようと思ってか、「期待の超新星」と書いてあるものをよく見かけますが、「超新星」というのは天文用語では星が爆発してなくなることですから、もはやなんの「期待」も持てなくなってしまった状態です。ですから、こういう使い方をするのはとても恥ずかしいことなのですね。なんにでも「超」を付ければいいというものではありません。
トヌ・コルヴィッツは、エストニアの現代音楽界の期待の新星である。彼の作品はエストニア国内と外国で何度も何度も繰り返し演奏され続けている。同じエストニアの作曲家であるトルミスの呪術的な魔力、トゥールのエネルギッシュな爆発力、そしてペルトの宗教的な瞑想の代わりに、コルヴィッツのサウンドの世界は高度に詩的で、視覚的なファンタジーにあふれていることで際立っている。彼の音楽は、自然の風景や民族的な伝統、人間的な魂と潜在意識によって、聴くものを麻酔にかけられたような旅に連れて行ってくれる。穏やかではあっても暗示の含まれた彼の作品の中のメロディは、豊かで洗練されたハーモニーのきらめきと音色の中に溶け込んでいる。

この紹介文では、ことさらコルヴィッツのことをそれまでの作曲家とは別物のように扱っていますが、そういうわけではなく、彼の中にはエストニアの先達たちの存在が大きな影を落としているのです。その中でも、特に彼が傾倒しているのが1930年生まれの合唱音楽界の重鎮トルミスです。実際に、このアルバムの中の6曲のうちの3曲までが、何らかの意味でトルミスの作品とのつながりを持っているのですからね。
「プレインランドの歌(Tasase maa laul)」では、作曲家自身が演奏するフィンランドの「カンテレ」に相当するエストニアの民族楽器「カンネル」のパルスに乗って、ストリングスがまるでプリズムのような色彩感あふれるハーモニーを醸し出している中で、エストニアのジャズ・シンガー、カトリ・ヴォーラントによってまるで囁くようにハスキーな声でトルミスの曲が歌われ(語られ?)ます。そのストリングスのきらめきはまるでペルトのよう、そして、作品全体はまるでライヒのようなテイストを持っています。
もう一つ、「最後の船(Viimane laev)」では、男声合唱にバス・ドラムとストリングスが絡むという構成、ここではトルミスの土臭い味がそのまま合唱に保たれている中を、やはりストリングスの刺激的なハーモニーが不思議な色合いを加えているといった趣です。
もう1曲のトルミスがらみの作品は、合唱とチェロの独奏による「プレインランドからの反映(Peegeldused tasasest maast)」です。これは、このCDが録音された時、2013年に初演されたものです。ここでは合唱は歌詞を消してヴォカリーズで歌う中、チェロが浮遊感溢れるフレーズを産み出しています。この曲の最後に、クレジットはありませんがやはり作曲家によるカンネルと、チェリストのグリッサンドが薄く演奏され、次の曲への橋渡しを務めています。
贅沢なことに、このアルバムではエストニア・フィルハーモニック室内合唱団だけではなく、やはりカリユステが指揮者を務めるタリン室内オーケストラと、先ほど登場したチェリストのアニア・レヒナーの演奏でも、この作曲家の器楽作品を味わうことが出来ます。それは、とても得難い上質の体験をもたらしてくれました。

CD Artwork © ECM Records GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-07-28 20:22 | 合唱 | Comments(0)
MOZART/Requiem
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Margareta Hallin(Sop), Anne-Marie Mühle(Alt)
Brian Burrows(Ten), Magnus Lindén(Bas)
Stefan Sköld/
The Choir of S:t Jacob
Musicians from Stockholm Concervatory
2xHD-NAXOS/No Number(FLAC/ 24/192)




前回の2xHDの音があまりに素晴らしかったので、今度はアナログ録音からハイレゾにトランスファーされたものを聴いてみたくなりました。なんでも、このレーベルがアナログ録音のリマスタリングを行う時には、同時に同じ音源のLPを聴いて、それに近づけるように音を仕上げるのだそうですね。公式サイトにはものすごいターンテーブルの写真が載っていました。

そこで目についたのがこのアイテム、ステファン・ショルド指揮の聖ヤコブ教会の合唱団によるモーツァルトの「レクイエム」です。これはNaxosではなくスウェーデンのPropriusレーベルによって1979年の1月に録音されたものです。もちろん、最初はLPでリリース(PROP7815)されました。一応2005年にCD化(Prophone 015)もされています。
実は、このLPは「クラシック名録音106究極ガイド」でも取り上げられていたのですね。この2xHDというところは、そんな「名録音」と定評のあるものを探し出してきて、それをリマスターしてリスナーに届けるというのがポリシーなのでしょう。
このアルバムは、前回のドヴィエンヌを入手した「e-Onkyo」で扱っていました。しかし、なぜか今回はDSDはリリースされていなくて、24/192のPCMしか入手できないようになっていたのですよ。どんなフォーマットで販売するかというようなことは、あくまでレーベルの方針で決まるのだと思っていましたから、ちょっと残念ではあったのですが、仕方がないのでこの192FLACで全曲ダウンロードしてしまいました。
ところが、他のサイトを調べてみると、アメリカの「DSD Native」という、名前の通りDSDに特化して「商品」を扱っているところで、なんとこのアルバムの128DSDをちゃんと扱っているではありませんか。レーベルからはちゃんとDSDは提供されていたのに、なぜかe-Onkyoは独断でそれを販売していなかったのですね。
悔しかったので、DSD Nativeで「Lacrimosa」だけを買ってみました。そうしたら、1曲しか買っていないのに、ブックレットのPDFが付いてきましたよ。これは、このレーベルが制作したもの。そこにはしっかりジャケット画像や、トランスファーの際に使ったテープレコーダーやコンバーターの機種などのデータが記載されていましたよ。e-Onkyoはここでも、レーベルがきちんと用意していたものを消費者に届けることを怠っていたのですね。本当に、このサイトにはあらゆる面でがっかりさせられることばかりです。これでは「イー・オンキョー」ではなく、「イーカゲン・オンキョー」。
肝心の「レクイエム」の音はどうなのでしょう。それはもう、録音された聖ヤコブ教会の豊かなアコースティックスを完全に手の内に収めた素晴らしい音場が眼前に広がります。特に、ティンパニとトランペットのリズム隊が左奥に潜んでいて、ここぞという時にその存在感を示すあたりが、とてもドラマティック。主役の合唱は、左からソプラノ、ベース、テノール、アルトという北欧スタイルの並び方ですが、その外声と内声同士が程よく重なり合ってうまくブレンドされている上に、ポリフォニーではそれぞれの声部がきっちりと立っているという、エキサイティングな音場設定です。時折男声にはちょっと頑張りすぎの声が混ざりますが、それが音楽を停滞させることにはなっていません。
そんなサウンドに支えられたショルドの指揮ぶりは、基本的にとても穏やかで安心して聴いていられるものでした。ただ、「Rex tremendae」で合唱にも複付点を要求しているあたりは、この頃にしては先進的なアプローチが見られます。さらに、「Recordare」では冒頭のチェロがソロで弾いているように聴こえますし、曲によって弦楽器のプルトを減らしているところもあるようでした。「Lacrimosa」では間違いなくヴァイオリンの人数が減っているのでしょう。それはさっきの唯一のDSDで、よりはっきり分かります。やはり、DSD128は、192PCMを明らかに上回っているのですね。返す返すも残念なことをしました。

FLAC Artwork © Proprius Music AB
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by jurassic_oyaji | 2016-07-12 23:23 | 合唱 | Comments(2)
CALDARA/Morte e sepoltura di Christo
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Maria Grazia Schiavo, Silvia Frigato(Sop)
Martina Belli(Alt), Ancio Zorzi(Ten)
Ugo Gualiardo(Bas)
Fabio Biondi/
Stavanger Symphony Orchestra
GLOSSA/GCD 923403




アントニオ・カルダーラというのは、イタリア人の作曲家の名前です。パスタの名前ではありません(それは「カルボナーラ」)。1670年にヴィネツィアで生まれ、1736年にウィーンで亡くなりました。その生涯の最後の20年間はウィーンの宮廷楽団の副楽長という地位にあり、数多くのオペラや宗教曲を残しています。この「キリストの死と埋葬」というオラトリオは、おそらく1724年の4月7日、聖金曜日の1週間前に演奏されたとされています。
1724年といえば、あのバッハが「ヨハネ受難曲」を作った年です。しかも、それが演奏されたのも同じ4月7日ですから、ものすごい偶然ですね。300年近く前の全く同じ日にライプツィヒとウィーンで初演されていた、キリストの受難をテーマにした作品が、ともに現在まで残っているのですからね。もっとも、バッハの作品は日本でも年に何回かはどこかで演奏されていますし、CDも何十種類もありますが、このカルダーラの方はおそらく生演奏を聴いたことのある人なんて日本には誰もいないのではないでしょうか。それが「歴史の篩」というものです。
しかし、同じテーマとは言っても、このカルダーラの場合はバッハとは全く別のベクトルからキリストの死を描いています。それは、ほとんど「オペラ」と同じ形式で物語を進めるというやり方、マグダラのマリア、聖母マリア、アリマタヤのヨセフ、ニコデモの4人に加え、キリストの行動の一部始終を見てきたローマ軍の百人隊長(百卒長)という5人の登場人物は、フランチェスコ・フォツィオの台本に従って、それぞれの立場からレシタティーヴォ・セッコとダ・カーポ・アリアを歌い上げます。
演奏しているのは、ファビオ・ビオンディの指揮によるスタヴァンゲル交響楽団です。このノルウェーの団体の現在の首席指揮者はクリスティアン・ヴァスケスですが、このオーケストラのユニークなところは、そのようなモダン・オーケストラである以外に、ピリオド・オーケストラという側面も持っていることです。とは言っても、楽器までピリオドにしているわけではなく、あくまで「ピリオド風」の演奏を目指す団体、というぐらいのスタンスなのでしょうが、そんな方向性を持ち始めた1990年から、常任指揮者と同時にピリオド(ここでは、バロックと古典派までをカバー)専門の指揮者を置くようになっています。その初代指揮者はフランス・ブリュッヘン、それをフィリップ・ヘレヴェッヘが引き継いで、2006年からはビオンディがその地位にあります。
この作品では、通奏低音にオルガンとチェンバロの他にテオルボも加えられているので、より「ピリオド感」は増しています。さらに、アリアのオブリガートに使われている「シャリュモー」という楽器(クラリネットの前身、現在は使われることは極めて稀)のために、ピリオド・クラリネット奏者のロレンツォ・コッポラが参加しています。
ビオンディは、この作品に少しバラエティを持たせるためでしょうか、原曲にはないソナタやシンフォニアなどを挿入しています。それは、カルダーラと同時代の別の作曲家のものも含まれていて、このシャリュモーが入るアリアの前には、この楽器を紹介する意味もあるのでしょう、シャリュモーとトロンボーンが活躍しているヨハン・ヨーゼフ・フックスのシンフォニアが演奏されています。
ソリストたちはかなりオペラティックな歌い方ですし、この時代にしてはかなり大人数の弦楽器はそれほどピリオド臭くない爽やかなサウンドですが、ビオンディ自身がソロを取っているアリアのオブリガートは、さすが、という感じですね。最後に演奏される合唱(ソリストたちによる重唱)では、トロンボーンも加わって言いようのない壮大な悲しみが伝わってきます。曲の終わりがピカルディ終止になっているあたりが、未来への希望を示唆するものなのでしょうか。

CD Artwork © Note 1 Music GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-06-25 21:01 | 合唱 | Comments(0)