おやぢの部屋2
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カテゴリ:合唱( 644 )
Polska/Choral Works by Penderecki, Szymanowski, Górecki, Lutosławski, Haubenstock-Ramati
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Marcus Creed/
SWR Vokalensemble
SWR/19017CD



HÄNSSLERからNAXOSに移行したSWRレーベルは、最初のうちは以前と同じ品番をそのままつけていましたが、最近になって独自の番号の付け方に変わっていますね。パートナーが変われば、身も心もオトコの流儀に変わる女心、みたいなものなのでしょうね。
そんな環境の変化にもかかわらず、このクリードとSWRヴォーカルアンサンブルの国別対抗アルバムは好調にリリースを重ねています。その最新盤はポーランドです。とは言ってもショパンの合唱曲が紹介されているわけではなく(そんなのあったっけ?)登場する作曲家はシマノフスキ、ルトスワフスキ、ハウベンシュトック=ラマティ、ペンデレツキ、グレツキという、「現代」作曲家たちです。ハウベンシュトック=ラマティなんて名前、久しぶりに聞きました。
今、作曲家の名前を挙げた時には、おそらく有名な順番に従って並べたであろうタイトルには逆らって、あえて生年順にしました。ペンデレツキだけはまだご存命ですが、他の方は全てお亡くなりになっていますから「現代(modern)」作曲家ではあっても、もはや「同時代(contemporary)」作曲家ではないというところがミソ、ちょっと前の音楽を歴史的な視点で俯瞰する、といったスタンスのアルバムなのでしょう。
そういう意味で、シマノフスキあたりはまさにポーランドの「現代」音楽の始祖、的な存在になってきます。ここで演奏されているのは「6つのクルピエ地方の歌」。クルピエというのはポーランドの北東部に位置する独自の文化を持った地域ですが、そこに伝わる歌が書物として残っています。その歌詞の中から、結婚式の一連の流れを歌ったものを抜き出し、オリジナルのメロディを付けて出来上がったのがこの作品です。その音楽は、あくまで民族的な素材に忠実なものとなっていて、奇しくも同じ年(1882年)に生まれたハンガリーのコダーイとの類似点を見出すことは容易です。
これが、1933年生まれのグレツキになると、同じクルピエの歌を素材としていても、その音楽はガラリと様相を変えることになります。1999年に作られた彼の「5つのクルピエ地方の歌」では、題材も愛の歌(別れの歌も含む)から取られ、音楽はあくまで流れるようなこの頃のグレツキの作風に沿ったものになっています。メロディは洗練され、同じパターンが幾度となく波のように押し寄せる、という、いわば「ヒーリング」的な音楽ですね。
ペンデレツキの場合も、この中の「ケルブ賛歌」(1987年)や「Veni, creator spiritus」(1989年)を作ったころには、どっぷりとこの「ヒーリング」の作風に浸かっていました。「ケルブ」はロシア正教の聖歌、「Veni」では、かつての「Stabat mater」(1962)の厳しいイディオムが、なんとも軟弱に引用されています。
この作曲家がこのような「変節」を完了したのは1973年のことですが、彼の先輩のハウベンシュトック=ラマティの場合は、1970年に「Madrigal」を作った時点では、若き日のペンデレツキをもたじろがせるほどの尖がった音楽をやっていました。この、メロディもハーモニーもない、今聴くととても新鮮に感じられる曲の前後に、ペンデレツキの甘ったるい2つの作品が演奏されているというのは、ある意味快挙です。
最後に演奏されているのは、ルトスワフスキが1951年にポーランド軍からの委嘱によって作った「兵士のテーマによる民謡集」からの抜粋です。元々は男声合唱のための曲でしたが、それを1968年生まれの、まぎれもない「現代」作曲家、パヴェウ・ウカシェフスキが混声合唱用に編曲したバージョンで歌われています。
SWVヴォーカルアンサンブルの、それぞれの曲に応じた適応性には驚くべきものがあります。それだからこそ、同じ「ポーランド」とは言ってもさまざまな作曲家が登場していたことが如実に分かるのでしょう。というか、グレツキとハウベンシュトック=ラマティを、同時にこれだけの共感をもって歌えるなんて、すごすぎます。

CD Artwork © Naxos Deutschland Musik & Video Vertriebs-GmbH

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by jurassic_oyaji | 2017-02-02 20:16 | 合唱 | Comments(0)
HIMMELRAND
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Ingel-Lise Ulsrud(Org)
Elisabeth Holte/
Uranienborg Vokalensemble
2L/2L-126-SABD(hybrid SACD, BD-A)




オスロにあるウラニエンボルグ教会には立派なオルガンもあり、定期的にコンサートが開催されています。大雪が降っても、お客さんはやってきます(それは「ウラニホン」)。
2002年にこの教会の音楽監督に就任した合唱指揮者のエリサベト・ホルテは、付属の合唱団「ウラニエンボルグ・ヴォーカルアンサンブル」を設立しました。この合唱団は、教会の行事やコンサートの他に単独のコンサートやツアーも行い、アルバムも今までに2枚リリースしています。3枚目となるアルバムが、この「HIMMELRAND」です。ここでは、この教会のカントール(オルガニスト)、インゲル=リーセ・ウルスルードも参加して、伴奏やソロの即興演奏を披露しています。
このアルバムのコンセプトは、ノルウェーに古くから伝わる聖歌や最近作られた聖歌、さらには、ここで委嘱されて新たに作られた聖歌という3つの成り立ちを持つものたちを、同じ地平に並べてそれぞれの魅力を伝える、ということなのではないでしょうか。聴いている者は、とてもシンプルな讃美歌にどっぷり浸かって癒されることと、現代作曲家のある意味挑戦的ともいえる尖がった音楽に真剣に立ち向かうことの双方を交互に体験する中から、「聖歌」の持つ意味を深いところで知ることができるようになるのです。
タイトルにある「HIMMELRAND」というのは、「地平線」という意味なのだそうです。それは、今回の委嘱作の中の一つ、1979年に生まれたオルヤン・マトレの「日の光が『地平線』に沿って広がるところ」という、5世紀のテキストに12世紀のメロディが付けられた聖歌を元にした作品に由来しています。その聖歌のメロディ・ラインは、まさにプレイン・チャントといった趣があるとても鄙びたものですが、音楽の方はクラスターを多用してとても聴きごたえのあるものに仕上がっています。
さらに、合唱団のソプラノのメンバーでもあるマリアンネ・ライダシュダッテル・エーリクセン(1971年生まれ)に委嘱したのは、「雨よ来い、平和よ来い、慰めよ来い」という作品、それぞれの歌い出しで始まる3つのテキストが使われています。曲は、フライリングハウゼンという18世紀の作曲家が作った12声部の合唱曲のモティーフの断片と、エーリクセン自身が作ったモティーフが絡み合って、とても刺激的な音楽となっています。ソプラノのソロは、作曲者自身が歌っています。
もう一人、こちらは有名な作曲家オーラ・ヤイロに委嘱したのは「日の出への賛美」という聖歌です。これは、他の2曲に比べるといともまっとうでシンプルな編曲ですから、安心して聴いていられます。この曲の前には、オルガンによって同じ聖歌のモティーフによる即興演奏が聴かれます。
もう一つ、マグナム・オールによってかなりぶっ飛んだ編曲が披露されているのが「おおイエスよ、あなたは溢れるほどに満たしてくれるお方」という、19世紀に作られた聖歌です。ここではソリストが2人登場します。少し低めの声で、オリジナルのメロディを歌っているのが、この合唱団のかつてのメンバーだったソプラノのマティルダ・ステルビュー。そして、それに絡み付くように、甲高い声でまるで無調のような全く融けあわないメロディを歌うのが、先ほどのエーリクセンです。面白いのは、3度繰り返されるオリジナルのメロディが、3回目になるとあのニューステットの「イモータル・バッハ」のように微妙に不思議な音程に変わってしまうことです。
ステルビューのソロはもう1曲あって、デンマークの作曲家カール・ニルセンが作った「イエスよ、私の心を受け止めてください」という聖歌が、別の「年の終わりは深まる」というノルウェー語のテキストで歌われています。このメロディは、ニルセンの木管五重奏曲の最後の変奏曲の楽章のテーマになっていますね。
録音は、いつものDXDで、それがSACDとBD-Aになっています。繊細なSACD、コクのあるBD-Aと、全く異なる音が聴けます。

SACD & BD Artwork © Lindberg Lyd AS
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by jurassic_oyaji | 2017-01-19 20:28 | 合唱 | Comments(0)
TYBERG/Messes
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Christopher Jacobson(Org)
Brian A. Schmidt/
South Dakota Chorale
PENTATONE/PTC 5186 584(hybrid SACD)




1893年にポーランド系のヴァイオリニストの父親とピアニストの母親との間にウィーンで生まれたマルセル・ティーベルグ(これが、ブックレットにある表記、日本の代理店による表記とは微妙に違います)は、簡単にお茶が飲めるようにした(それは「ティーバッグ」)のではなく、作曲家、指揮者、ピアニストとして活躍し、多くの作品を残しました。1927年に作られた彼の「交響曲第2番」は、友人だったラファエル・クーベリック指揮のチェコ・フィルによって1930年代に初演されています。
しかし、彼の4代前の高祖父がユダヤ人だったということから、第二次世界大戦が勃発して身の危険を感じたティーベルグは、親しい友人だったイタリア人医師のミラン・ミークに、全ての作品の自筆稿を託します。案の定、ティーベルグはナチスによってアウシュヴィッツに送られ、1944年に処刑されてしまいます。ミラン・ミークは1948年に亡くなりますが、彼が預かった楽譜は息子でやはり医師となったエンリコ・ミーク(彼は、ティーベルグその人に和声学を学びました)に受け継がれ、1957年に彼がバッファローの癌研究所の所長となって渡米した際にも、一緒にかの地へ運ばれていったのです。
エンリコ・ミークは、1980年代になって、アメリカでティーベルグの作品を演奏してもらおうと、活動を始めます。1990年代の中ごろには、ヨーロッパに戻ってラファエル・クーベリックの元を訪れ、ティーベルグの楽譜が無事に残っていることを伝え、演奏を打診しています。しかし、クーベリックは楽譜がきちんと保管されていたことを非常に喜んだものの、しばらくして亡くなってしまったので、彼が演奏する機会はありませんでした。
最近になって、そのプロジェクトはやっと実を結びました。現在のバッファロー・フィルの音楽監督、ジョアン・ファレッタが、ティーベルグの作品を演奏して録音する価値を見出し、その成果が、NAXOSから2枚のアルバム(8.5722368.572822)となってリリースされたのです。
2008年5月に行われたそのアルバムのための最初のセッションでは「交響曲第3番」が録音されましたが、その時のレコーディング・プロデューサーが、サウスダコタ・コラールのこれまでのアルバムを手掛けてきたブラントン・アルスポーでした。そこで、アルスポーはミークの保存していた楽譜の中から、ティーベルグが残した(残せた)すべての宗教曲である2曲のミサ曲を、この合唱団によって録音したのです。
それは、1934年に作られたト長調のミサ曲と、1941年に作られた「簡単なミサ」という表記のあるヘ長調のミサ曲で、いずれもオルガンと混声合唱のための作品です。一部でソリストが出てくるところがありますが、それはこの合唱団のメンバーによって歌われています。作品はどちらもフル・ミサの6つの楽章から出来ていて、「ト長調」は演奏時間が40分ほどの大曲ですが、「へ長調」は25分しかかかりません。それが「簡単な」といわれる所以なのでしょう。実際、「ト長調」はフーガなども出てくる複雑な形をとっていますが、「へ長調」はすべてホモフォニーで作られていて、とてもシンプルです。いずれからも、ブルックナーの宗教曲にとてもよく似たメロディとハーモニーが聴こえてきます。例えば、「へ長調」の最初の「Kyrie」のテーマは、へ長調→変ホ長調→変ニ長調という全音ずつ下がるコード進行ののち、さらに半音下のハ長調となって解決するという、まさにブルックナーそのものの和声ですからね。とはいえ、この「へ長調」に漂う何とも言えない安らぎ感には、なにか安心して身を任せられる空気が漂っています。「Agnus Dei」での、涙が出そうになる美しさには、胸が締め付けられます。
この合唱団、今までのアルバムほどの精度はありませんが、初めて音となる作品の魅力を伝えられるだけのしっかりとしたスキルは確かに持っていました。さらに、スウェルを多用して表現力を最大限に発揮しているオルガンも、とても素敵です。

SACD Artwork © Pentatone Music B.V.
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by jurassic_oyaji | 2017-01-14 22:47 | 合唱 | Comments(0)
DURUFLÉ, TAVENER, ELGAR etc/Remembrance
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Jennifer Johnston(MS), Neal Davies(Bar)
Guy Johnston(Vc), Matthew Jorysz(Org)
Graham Ross/
Choir of Clare College, Cambridge
HARMONIA MUNDI/HMU 907654




以前こちらでやはり「Remembrance」というタイトルのアルバムをご紹介したことがありました。その時とまったく同じコンセプトによって作られたのが、今回のアルバムです。
指揮者のグラハム・ロスは、ライナーノーツの中でこの「Remembrance」というタイトルに込められた意味をまず語っています。「Remembrance Day」と言えば、ヨーロッパ諸国では第一次世界大戦を終結させる調印が行われた1918年11月11日(+午前11時)を記念して、現在では第二次世界大戦までも含めた戦争での犠牲者を偲む日のことを指します。そこで、ロスは、さらに普遍的な意味をこの言葉に込めて、音楽によって死者や犠牲者に対する気持ちを表現しようとしていました。そのために、世紀を超えて歌われている、追悼の意味を込めた英語の歌詞の作品を導入部として、第二次世界大戦の最中に作られたデュリュフレの「レクイエム」を演奏しているのです。
ただ、このアルバムのタイトルはあくまで「Remembrance」ですから、その記念日に特定しているわけではなく、例えば最初に歌われる16世紀の聖歌「Call to remembrance」のように、大戦とは無関係な詩編のテキストの作品も含まれているのです。
その記念日は、なぜか日本語では「英霊記念日」という、靖国神社的な世界観に立った言葉に置き換わっています。それで、日本の代理店はこのアルバムに「英霊記念日のための音楽」という「邦題」を付けました。これは、このアルバムのコンセプトを全く理解していない愚かな誤訳としか言いようがないのでは(そんなこと、どうでもいいよう)。
まず、無伴奏で歌われるのが、16世紀ごろに作られたものから現代の作曲家のものまで、すべて英語の歌詞による聖歌です。この合唱団は少年ではなく大人の女声が入っていますが、それぞれの歌詞に込められた深い情感が、とてもよく分かるような歌い方がされています。たとえば、「When David Heard」というトマス・トムキンスの曲で「O my son」と歌う時の女声は、まさに死んだ我が子に対する胸が張り裂けるほどの思いがこもったものでした。
これらの曲の中では最も新しく作られたジョン・タヴナーの「Song for Athene」では、中世を思わせるような平穏なたたずまいの中にふと現れるちょっと刺激的な和声への対応が、とても的確に感じられます。エドワード・エルガーが作った「They are at rest」という曲は初めて聴きましたが、あの「威風堂々」や「愛のあいさつ」のようなノーテンキなところは全く見られない、ほとんど凍りつくような情感は、もしかしたらこの合唱団だからしっかり伝わってきたのかもしれません。
そして、メインの「レクイエム」は第2稿のオルガン版、「Pie Jesu」にはチェロのソロが入るバージョンです。よくあるような、バリトンとメゾ・ソプラノ独唱のパートを団員が一人、あるいはパート全体で歌うことはなく、それぞれにとてもキャラの立ったソリストが起用されています。「Pie Jesu」のジェニファー・ジョンストンは強靭な声で最高音のF♯を朗々と歌い、この作品全体がただの追悼ではないもっと「力」のこもったものであることを強く印象付けてくれます。「Domine Jesu Christe」と「Libera me」でのニール・デイヴィースは、別な意味での雄弁さ、つまり、表情の豊かさを最大限に発揮して、ほとんど「世俗的」ともいえる身近さを感じさせてくれます。
もちろん、最大の功労者は合唱でしょう。それぞれのパートは深みのあるテクスチャーで曲全体を立体的なものに仕上げ、やはり安住しがちな優しさよりは、もっと意志の勝った厳しさを伝えてくれています。時折見せる、パートの人数を減らしてより厳しい表現を持たせているやり方も効果的、「Agnus Dei」の途中でソプラノとアルトが半数ずつ現れるところでは、さらに距離的な演出も含めて驚かせてくれました。だからこそ、最後の最後、「Requiem」というテキストの超ピアニシモが、信じられないほどのインパクトを与えてくれるのです。

CD Artwork © harmonia mundi usa
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by jurassic_oyaji | 2016-12-27 23:20 | 合唱 | Comments(0)
ORFF/Carmina Burana
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安井陽子(Sop), 松原友(Ten), 小森輝彦(Bar)
山田和樹/
仙台フィル「カルミナ・ブラーナ」合唱団(by 佐々木正利)
NHK仙台少年少女合唱隊(by 原田博之)
Onebitious Records/0008206935.200(2.8MHz DSD)




仙台フィルが「ミュージック・パートナー」の山田和樹を迎えて行った一連のコンサートの中の、今年の10月13日の「カルミナ・ブラーナ」の演奏が、ハイレゾによって配信されていました。「ハイレゾ」とは言っても、使われているレコーダーは民生用のポータブルタイプで、最高位のフォーマットはPCMで24bit/192kHz、DSDで2.8MHzですから、プロ用の機材に比べれば大したことはありません。そこに、ステージ上方の三点吊りにセットした2本のマイクからの信号を入力しています。使用マイクは、おそらくDPAでしょう。
ミキシング用の機材などは全く使わず、レコーダーからヘッドフォンを通してモニターを行うだけで、それを、DSD2.8で録音した(ということになっています)ものをそのままと、PCM24/96に変換したものの2種類がリリースされています。いちおうDSDネイティブの再生ができる環境にあるので、もちろんDSDバージョンを購入です。
そんな、ほとんどアマチュアの「生録」のようなノリで製作が行われている一連の仙台フィルのハイレゾ音源は、今までに昨年の「第9」と、今年の春の第300回定期演奏会のものを聴いたことがありました。それらは、やはりマイクが2本しか使われていないということで、とてもシンプルというか、素人っぽい仕上がりのものだ、という印象が強くありました。何よりも、録音レベルがかなり低く抑えられているので、なんかしょぼい音になっていたんですよね。実は、同じレコーダーを使って、同じ会場で同じようなマイクアレンジでのオーケストラの録音を実際に何度かやったことがあるのですが、やはり一番の問題は録音レベルの設定でした。生のオーケストラのダイナミックレンジはとてつもなく広いものですから、最も強い音の場面でも飽和させないように設定すると、どうしても低めのレベルにせざるを得ません。それも、PCMで録音する場合なら、非常に精度のよいリミッターを作動させて、飽和した部分だけ低めのレベルで録音していたデータに差し替えるということができるのですが、DSDではそのような機能は使えませんから、より低いレベル設定が必須となるはずです。
しかし、今回の「カルミナ」では、そのレベルが格段に高いものとなっていました。何か、録音に際してのノウハウが見つかったのか、あるいは、商業録音ではよくやられているように、DSDを一旦高解像度のPCM(DXD)に変換してさまざまな編集を行った後に、再度DSDに変換したのでしょうか(あるいは、最初から24/192のPCMで録音していたのかも)。いずれにしても、これでようやく「プロが録音した商品」というグレードのものが聴けるようになったのは、うれしいことです。
コンサートの時には、混声合唱はオーケストラの後ろに並んでいますが、このホールはステージが狭く、これだけの人数だとそれ以上の人数が入る場所がないので、児童合唱は下手の花道に配置されています。ソリストは指揮者の脇で歌います。それをワンポイントのマイクで録っているのですが、児童合唱は何の問題もなく聴こえてくるのに、ソリスト、特にバリトンがやけにオフになっています。ソリストだけでもサブ・マイクを使っていれば、さぶ(さぞ)「プロっぽい」録音になっていたことでしょう。
「カルミナ」の演奏は、どの曲にも何かしら新しい発見があるというとても新鮮な息吹が感じられるものでした。特に、既存の合唱団だけではなく、このコンサートのためにオーディション(歌曲をピアノ伴奏つきで1曲歌わされるのだそうです)を勝ち抜いた人までが加わった高スキルのメンバーによる合唱は、単なるテクニックを超越したところでの勝負が見られて、感動的でした。後半になって配置換えを行ったのでしょう、それまでは上手に集まっていた男声パートが、ステージの端から端まで広がって押し寄せてくるさまは、圧巻でしたね。

DSD Artwork © Label Gate Co.,Ltd
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by jurassic_oyaji | 2016-12-24 20:28 | 合唱 | Comments(0)
MOZART/Missa in c
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Sarah Wegener(Sop), Sophie Harmsen(MS)
Colin Balzer(Ten), Felix Rathgeber(Bas)
Frieder Bernius/
Kammerchor Stuttgart
Hofkapelle Stuttgart
CARUS/83.284




12月の初めごろに、ドイツのCARUS出版からモーツァルトの「ハ短調ミサ」の新しい楽譜が刊行されました。それと同時に、その出版社の系列のレーベルから、その楽譜の校訂にもかかわっていたフリーダー・ベルニウスの指揮による録音も発売されています。この出版社は、以前バッハの「ロ短調ミサ」の新しい校訂譜を出版した時にも、同じようなタイアップを行っていましたね。
このCDは、ですからまだ国内で販売されてはいませんし、今のところ発売予定すら伝わっては来ていませんから、楽譜を買うついでにセットで注文してみました。それが、例によって最低ランクの運賃なのにたった1週間でドイツからさっと届いてしまうのですからありがたいものです。
モーツァルトの「ハ短調」は、ご存知のように途中で作曲家が作るのをやめてしまっていますから、フル・ミサの中の「Credo」の後半の「Crucifixus」以降と、最後の「Agnus Dei」は全く作られていません。そして、「Credo」の前半も、合唱による「Credo」とソプラノ・ソロによる「Et incarnatus est」の2曲として声楽パートや低音はほぼ完成されているのですが、その他のオーケストラのパートはまだ書きかけのまま残されてしまっていました(「Sanctus」にも一部欠落があります)。1882年に刊行された旧モーツァルト全集ではそんなスカスカのままの楽譜が出版されていましたが、1983年の新モーツァルト全集では、ヘルムート・エーダーが適宜まだ書かれていないパートを補筆しています。
ただ、当時の慣習では「Credo」では「Gloria」と対になってフル編成を取ることが多いのに、このエーダーの補筆によるオーケストレーションには、「Gloria」で使われていたトランペット、ティンパニ、トロンボーンが欠けていました。ですから、その後の修復版であるモーンダー版やレヴィン版(これは、モーツァルトが作っていない部分も他の作品を流用してフル・ミサを再構築させています)、ケンメ版などでは、それらの楽器がしっかり補われています。

今回の新しい楽譜の校訂には、ベルニウスの他にもう一人、新バッハ全集で「ロ短調」の校訂にあたっていたウーヴェ・ヴォルフも加わっています。ここでも、修復のプランは自筆稿には書かれていない楽器も加える、というものでした。もちろん、その他のパートだけ指定されていて音符が書かれていない部分も埋めることになるのですが、それは全くの「創作」になりますから、今までの修復稿とは全然異なるフレーズが記入されていたりします。
そんなことを総合的に踏まえて今回の楽譜を見てみると、当たり前のことですが、これが「決定的」なものと言うことはできません。どんなに頑張ったとしても、モーツァルトが書いていなかったものを再現するのは不可能なのですからね。あとは、センスの問題になるのでしょうが、「Et incarnatus est」では、ソプラノのソロのバックでヴァイオリンが同じメロディをなぞっているところが随所に見られるというのは、ちょっとダサい気がします。今までのもののようにシンプルに和音の補充だけをしていた方がすっきりするのにな、というのは、もちろん個人的な感想ですが。
このCDでは、最後にボーナス・トラックとして「Credo」の自筆稿の形態がそのまま演奏されています。かつて、「レクイエム」でも同様のことをやっていた人がいましたが、「ハ短調」でそれをやったのはもしかしたらこれが初めてだったのではないでしょうか。実際に元の形を「音」として聴けるというのには、かなりのインパクトがありました。ですから、本編の演奏でも、「Gloria」の最後の「Cum Sancto Spiritu」の壮大な二重フーガが終わった後に、盛大にトランペットとティンパニのリズム隊が聴こえてくると、やはりこれがあるべき姿なのでは、と思ってしまいます。
ベルニウスの手兵である合唱もオーケストラも、極力感情は込めず、この楽譜の目指すところを端正に表現しているのではないでしょうか。

CD Artwork © Carus-Verlag
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by jurassic_oyaji | 2016-12-22 20:21 | 合唱 | Comments(0)
RUTTER/Requiem, Visions
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Alice Halstead(Sop)
Kerson Leong(Vn)
John Rutter/
The Cambridge Singers, The Temple Church Boy's Choir
Aurora Orchestra
COLLEGIUM/COLCD 139




ジョン・ラッターの「レクイエム」は、特定の団体などから委嘱を受けて作られたものではなく、亡くなった彼の父のために、自発的に作曲したものです。1985年に作られた曲のうち1,2,4,7曲目は3月14日にサクラメントで、全7曲は10月13日にダラスで、アメリカのそれぞれの街の教会の演奏家と作曲家の指揮によって初演されました。ただ、6曲目の「The Lord is my shepherd」は1976年に作ってあった独立した詩編を、そのまま流用したものです。ですから、こちらで彼の「Psalmfest」を取り上げた時に「『詩編23(The Lord is my shepherd)』は、1985年に作られた彼の「レクイエム」のための曲です」と書いたのは、正確さに欠けていました。「Psalmfest」は2度目の「使いまわし」だったのですね。
それが最初に録音されたのは、翌1986年、やはりラッター自身の指揮でケンブリッジ・シンガーズの演奏です。そして、こちらにあるように、その後4種類の演奏によるCDがリリースされることになるのですが、初録音から30年経った2016年の7月に、ラッターは同じ合唱団と新たな録音を行いました。それに関して、彼はブックレットでこう書いています。
確かに、最初の録音はその時点では新しい作品の価値を広く知ってもらうためには役に立っていた。しかし、本当のことを言わせてもらえば、それはそろそろ古臭くなり始めている。この30年間のデジタル技術の進歩によって、新しいハイレゾのフォーマットによる録音が求められているのだ。それと、最初の録音のころにはまだほとんどの人が生まれてもいなかった今のケンブリッジ・シンガーズのメンバーに、今ではすっかり知られるようになったこの合唱作品に対してどのように接することが出来るかを確かめる機会を与えることにも、興味がある。

1つ目の理由は、レコーディング・エンジニアとしても活躍しているラッターの切実な思いなのかもしれませんね。そんなところも含めて、その2つの録音を聴き比べてみました。まず、確かに音が劇的に変わっています。別に新しいから良い録音になる、というものでは決してないのですが、最初に録音が行われた1986年あたりは、まだデジタル録音に切り替わりはじめていた頃ですから、当然フォーマットは16bit/44.1kHzぐらいのものでしょう。そうなると、最終的にはそのCDのフォーマットになってしまうとしても、やはり今のハイレゾ録音に比べると明らかに見劣りしてしまうものになっていました。特に弦楽器の音がとても安っぽくて、それだけでラッターのオーケストレーションまで安っぽいものに聴こえてしまっています。それが、この新録音では見違えるほどに柔らかくふくらみのある音が聴けますから、音楽そのものまでが全然別の、もっと格調のあるものに感じられてくるのですよ。
そして、演奏も全然違います。前回はかなり淡々と譜面を音にしている感じだったものが、ここではより深い表現で確かな訴えかけが感じられます。ラッターは、30年かけて積み上げられてきたこの作品の演奏史を、見事にこの録音に盛り込んでいて、まるで次元の違う世界を見せてくれていたのです。1つの作品が、長い時間をかけて録音と演奏の両面で成長している様を、ここではまざまざと見せつけられた思いです。
もう1点、ソプラノ・ソロのアリス・ハルステッドのすばらしいこと。聖歌隊出身で、「レ・ミゼラブル」や「イントゥー・ザ・ウッド」などのミュージカルにも出演していたこともある彼女のピュアな歌声は、完璧です。
カップリングは、この録音の3ヶ月前に世界初演が行われた「ヴィジョンズ」を、初演のメンバーによって録音したもの。ハープの入った弦楽オーケストラをバックに、ヴァイオリンのソロと聖歌隊の少年合唱が活躍する曲ですが、これも30年後にはもっと完成度の高いものになっていることでしょう。
ちょっとうれしいのは、日本語の帯がこうなっていること。

やっぱり、この方がなじみます。やったー
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by jurassic_oyaji | 2016-11-26 22:05 | 合唱 | Comments(0)
FEMINA MODERNA
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Maria Goundorina/
Allmännna Sången
BIS/SACD-2224(hybrid SACD)




前回は「女性作曲家によるフルート音楽」でしたが、今回は「女性作曲家による合唱作品」というアルバムです。タイトルが「フェミナ・モデルナ」という気取ったラテン語ですが、意味は「現代の女性」というシンプルなものです。別に犬に追いかけられていたら、前に犬の糞があったわけではありません(それは「踏むな、戻るな」)。さらに、「現代の女性」とは言っても、男性顔負けのワーカホリックで、たとえばデートの誘いも断るぐらい、何もかも犠牲にしてひたすら仕事だけに邁進する、という可愛いげのない女性のことでもありません。
つまり、このタイトルでは肝心の「作曲家」という言葉が抜けているのですよ。ということはCDを装丁したレーベルのせいにして、ここでは制作国のスウェーデンのみならず、アメリカ、イギリス、ロシアなど、世界中から集まった13人の「女性作曲家」の手になる無伴奏合唱曲を楽しむことにしましょう。
演奏しているのは、スウェーデンのウプサラ大学を母体にした合唱団「アルメンナ・ソンゲン」です。この合唱団のBISへの最初の録音は2008年、そのCDはすでにこちらで聴いていました。その時に書いていたように、その録音のすぐ後でそれまでの指揮者だったセシリア・ライディンガー・アリンが同じ大学を起源とする男声合唱団「オルフェイ・ドレンガル」に行ってしまったので、2010年からはロシア出身のマリア・グンドーリナが芸術監督に就任しています。どちらも「女性」ですね。
指揮者がずっと女性だったから、というわけではないのでしょうが、この合唱団は女性の作曲家の活動にも熱心に支援の手をさしのばしているのだそうです。そんなところから出来上がったのが、今回のアルバムです。ここで演奏されている作品で最も「古い」ものは1985年のもの、そして最も「新しい」のは、2015年に出来たばかりですから、まさに「現代の音楽」が集められていることになります。それらは、もちろん作曲家の個性が反映されて様々な形を見せてはいますが、いずれも、基本は古典的なハーモニーを大切にした中に、かつて「前衛音楽」と言われていたものが持っていた様々な表現様式をスパイス程度に加える、といったような、「古いのだけれど、新しい」という手法が採られていて、まさに最近の「現代音楽」の潮流が見事に反映されているように感じられます。
そんな中から、個人的に確かなインパクトを与えられた作品をいくつか。まずは、最年少、1991年生まれのクララ・リンドショーの「The Find」。彼女はかつてこの合唱団のメンバーだった人で、トラディショナル・シンガー・ソングライターとしても活躍しています。彼女自身がソロを歌っているこの曲は、まさにそんなフォーク・ポップといった、ヒット・チューンにでもなりそうなキャッチーなメロディを持ったものです。彼女のちょっとハスキーな声に、バックとしてとても分厚い合唱のハーモニーが加わっているのが、素敵です。
その次に若いアンドレア・タロディの「Lume」は、「光」という意味のこの単語だけが静かに流れてクラスターを作り上げるという、まるで「21世紀の『Lux aeterna』」といった趣の作品です。「本家」のリゲティよりもずっとカラフルな仕上がりなのは、やはり「女性」が作ったからなのでしょうか。
もう一つ、こちらはウクライナ出身のガリーナ・グリゴリエヴァが作った、男声だけで歌われる「In paradisum」が、意外性のある発想で気に入りました。フォーレやデュリュフレなど、繊細な女声のイメージのあるこのテキストを、まるでロシア民謡のような逞しいものに仕上げたのですからね。
おそらく、この合唱団はこういう作品に向いているのでしょう。ちょっとロマンティックなもの(たとえばリビー・ラーセンの「Songs of Youth and Pleasure」)では表現の浅さがみられるものの、大多数の「現代」のテイスト満載の曲では、とても積極的な音楽を楽しみながら作っているのがよく分かります。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2016-11-24 20:55 | 合唱 | Comments(0)
MERCADANTE/Messa, Requiem breve
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Annarita Di Giovine Ardito(Sop), Angela Bonfitto(MS)
Vincenzo Di Donato(Ten), Matto d'Apolito(Bas)
Agostino Ruscillo/
Orchestra & Coro Cappella Musicale Iconavetere
BONGIOVANNI/GB 2471-2




協奏曲だけが異常に有名なイタリアの作曲家サヴェリオ・メルカダンテの「ミサ曲」と「レクイエム」の2曲が収録されたCDです。
何かと問題の多いこのレーベル、今回はまずインレイにとんでもない間違いがありました。作曲家の没年が「1860年」になっているのですね。なぜそんな細かいところに気が付いたかというと、ブックレットの解説の中に、ちょっと面白いことが書かれてあったものですから。メルカダンテという人は、一応オペラの世界ではロッシーニとヴェルディの間にあって、その両者を結び付けるような役割を果たした作曲家、というような位置づけがされています(かなり乱暴な言い方)。ですから、ロッシーニが1868年に亡くなった時に、ヴェルディがイタリアの作曲家に呼びかけてその追悼の「レクイエム」を作ろうとした際に、最初に名前を挙げたのがメルカダンテその人だったのだそうです。ただ、この頃はもう彼は目も見えなくなっていて、結局そのオファーを受けることはありませんでしたが、その時点ではまだご存命だったのですよ。他の資料を見てみたら、没年は「1870年」でした。やっぱりな、と思ってしまいますよね。
「First World Recording」という意味不明の肩書の付いた「ミサ曲」は、1828年8月15日の聖母被昇天祭のにイタリアのフォッジャで演奏されたという記録が残っている作品で、何点か存在していた写筆稿を元に、ここでの指揮者アゴスティーノ・ルシッロが楽譜を復元して演奏しているのだそうです。2管編成のオーケストラと4人のソリストに合唱が加わるという大規模なものですが、「ミサ曲」とは言っても最初の2つの部分、「Kyrie」と「Gloria」のテキストしか用いられていない「ミサ・ブレヴィス」の形です。
その演奏が始まった時には、とてもこのレーベルとは思えない澄み切った響きがオーケストラから聴こえてきたことが、ちょっと意外でした。こんなまともな録音もできたんですね。オーケストラの水準もかなり高いもので、安心して聴いていられます。3曲目、ソプラノ・ソロのための「Gratias agimus tibi」の技巧的なオブリガート・ホルンは完璧です。ただ、合唱は、ギリギリ最低限の水準は維持しているものの、音楽を通して何かを訴えたいという意思が全く感じられない無気力な歌い方だったので、妙に納得してしまいます。これがこのレーベルの本来の姿でしょう。
初めて聴いた「ミサ曲」は、まさにロッシーニの作風をそのまま引き継いだような、明るく軽やかなものでした。あちこちに現れるキャッチーなメロディにはとても和みます。できれば、これをもっと上手な合唱と、素直な声のソリスト(ここでのソプラノはあまりにクセが強すぎます)で聴きたいものだ、と切に感じましたね。
「レクイエム」に関しては、ブックレットでは何の説明もありません。「ミサ曲」のことだけで精一杯だったのでしょうか。ただ、メルカダンテのバイオの中で「1831年から7年間、ノヴァーラの教会の楽長としておびただしい数の宗教曲を作った」とありますから、その中の1曲なのでしょうか。これも正式なタイトルは「Requiem breve(小規模なレクイエム)」で、その名の通り無伴奏の合唱だけで演奏するために作られています。テキストに関しては決して「breve」ではなく、長大な「Sequentia」もすべて含まれたフルサイズが使われています。それが、たった25分ほどで全曲が終わってしまうのは、それぞれの曲があまり繰り返しを行わないシンプルなものなのと、合唱ではなくグレゴリオ聖歌をそのまま歌う部分がかなりあるためです。「Sequentia」では、20節あるテキストを、合唱とグレゴリオ聖歌で交互に1節ずつ歌うという構成です。その合唱の部分は、まさにシンプルの極み、「Quid sum miser tunc dicturus?」や「Recordare Jesu pie」などは、とても美しい曲です。
残念ながら、その美しさは、ア・カペラで馬脚を現わしたこの合唱団の演奏からは十分に伝わってくることはありません。

CD Artwork © Francesco Bongiovanni s.n.c.
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by jurassic_oyaji | 2016-11-19 20:34 | 合唱 | Comments(0)
MOZART/Great Mass in C Minor
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Carolyn Sampson(Sop), Olivia Vermeulen(MS)
櫻田亮(Ten), Christian Immler(Bar)
鈴木雅明/
Bach Collegium Japan
BIS/SACD-2171(hybrid SACD)




ほぼ2年前にモーツァルトの「レクイエム」をリリースした鈴木雅明の指揮によるバッハ・コレギウム・ジャパンが、今回は「ハ短調ミサ」を録音してくれました。「レクイエム」では鈴木優人さんの独自のエディションを用いて演奏していましたから、今回も同じようなことをやってくれるのか、と思ったのですが、ブックレットには「フランツ・バイヤー版」と明記されていました。前回の「鈴木版」はいろいろ問題の多い楽譜でしたから、やはりこれは専門家に任せた方が良いという判断なのでしょうか。
実は、「レクイエム」同様に未完に終わったこの作品では、やはり何種類かの楽譜が出版されているのですが、このバイヤー版は楽譜を入手していないので、他の楽譜との違いが把握しきれていません。というか、録音すらもきちんと聴いたこともありません。逆に、最も初期の修復稿である「アロイス・シュミット版」は、楽譜は持っているのにまだ「音」として聴いたことがありません。つまり、これが録音されていたのはかなり昔のことで、それは今ではほとんど手に入らないんですよね。やはり、原典志向がしっかり行き届いた今の世の中では、シュミット版のような悪趣味と言われそうな「でっち上げ」はもはや需要はないのでしょう、現在ではこれを使って演奏する人なんかまずいないようです。
巷では「パウムガルトナーのORFEO盤がシュミット版」と言われているので聴いてみたら、「Et incarnatus est」が終わって聴こえてきた「Crucifixus」は楽譜とは全く別の音楽でしたし。ついでに、やはり巷間「シュミット版は旧モーツァルト全集」と言われていますが、これも正しくはありません。旧モーツァルト全集に入っているこの曲の楽譜はDOVERから出版されていますが、それはシュミット版とは別物、モーツァルトが作った部分しかありませんし、「Sanctus」は8声部の二重合唱ではなく、5声部の合唱になっています。

↑シュミット版

↑DOVER版

シュミット版と同じような趣旨でモーツァルトが作っていない曲を「でっちあげ」た、「レヴィン版」だって、初演者のリリンク以外の演奏にはお目にかかったことはありませんからね。なんでも、出版元のCARUSでさえ、もうこれは見放したのか、フリーダー・ベルニウスとウーヴェ・ヴォルフの校訂による新しい楽譜をもうすぐ刊行する予定なんだそうですから。
「バイヤー版」も、もちろんモーツァルトが作った曲しか含まれていない「原典志向」の楽譜のはずですが、その曲の中にはまだモーツァルトが書き込んではいなかったパートも残っているので、それは適宜補填しているのでしょう。そこで問題になるのが、こちらで取り上げた、「Sanctus」の7小節目の合唱パートです。この部分、最初の「原典志向」の楽譜であるランドン版では、小さな音符で合唱パートが書かれていますから、ここから合唱が始まるのは何かしらの根拠があるのでしょうが、リンク先の新モーツァルト全集では合唱は歌わないことになっています。ですから、「バイヤー版」でも、とりあえずこの版で演奏されているとされているバーンスタインとアーノンクールの録音を聴いてみても、合唱は歌っていません。

↑ランドン版

↑ランドン版の「Sanctus」

それで、今回のSACDなのですが、ここではそこに合唱が入っているのですね。同じ楽譜で異なった演奏形態になっているということは、ランドン版同様、「ossia」ということで2通りの演奏が示唆されているのでしょう。きっと。
合唱はいつもながらのストイックな歌い方、なぜか録音がオーケストラに焦点を当てているので、合唱がほとんど聴こえなくなってしまう場面がたくさんあります。ですから、ここではソプラノ・ソロのキャロリン・サンプソンの華麗な歌を楽しむべきでしょう。なんと、オーボエの代わりにフルートが入っている別バージョンまで紹介されているソプラノ・ソロのためのモテット「Exsultate, jubilate」がカップリングですから。もちろん、彼女の声がより繊細に聴こえるSACDで。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2016-11-12 20:34 | 合唱 | Comments(0)