おやぢの部屋2
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カテゴリ:合唱( 630 )
Cantate Domino
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Alf Linder(Org)
Marianne Mellnäs(Sop)
Torsten Nilsson/
Oscar's Motet Choir
2xHD-NAXOS/812864019605(128DSD)




先日こちらのハイレゾ音源を購入した時に、「e-Onkyo」ではDSDのフォーマットを扱っていなかったので、仕方なく24/192のFLACを買ったら、「DSD Native」ではちゃんと128DSDが売られていたので悔しい思いをしたのですが、その時に「Lacrimosa」だけを買ったら、次にアルバムを買う時に半額になるというクーポンコードまで付いてきました。「e-Onkyo」ではそんなサービスを受けたことは1回もなかったので、すっかりこのサイトのファンになってしまいましたよ。そこで、なにか買うものがないかと物色している時に目に入ったのがこのアルバムです。
これは、そのモーツァルトの「レクイエム」と同じく、スウェーデンのPROPRIUSレーベルによって1976年1月23~25日と4月29日にストックホルムのオスカル教会で録音されたもので、最初はもちろんLP(PROP 7762)でリリースされていました。
このLPは、あの長岡鉄男氏が絶賛したことによって、広く「録音の良い」アルバムとして知られるようになりました。現在でもこのオリジナルLPは作られ続けていますし、さらにそれをリマスターして高品質のヴァイナル盤としたものもリリースされています。もちろんかなり早い段階でCD化もされましたし、ハイブリッドSACDにもなっていて、そのような新しいフォーマットが出るたびに、その録音のデモンストレーションという役目を果たすために何度も何度もリリースされてきたものです。
そんな有名なものなのに、頻繁にそのジャケットは目にするものの、いまだかつて実際に音を聴いたことはありませんでした。それが、この、ハイレゾのリマスタリングに関してはとても信頼のおけるレーベルから128DSDというフォーマット、しかも半額で手に入るというのですから、これは聴いてみないわけにはいきません。
これは、実は「クリスマス・アルバム」。ストックホルムにあるオスカル教会のオルガニストでコーラス・マスターのトルシュテン・ニルソンが、その教会の合唱団を率いて録音しています。伴奏には、1983年に亡くなっているアルフ・リンデルという人のオルガンが加わり、時にはマリアンネ・メルネスというソプラノのソロもフィーチャーされます。そして、クレジットの表記はありませんが、金管楽器のアンサンブル(おそらく3本のトランペットと3本のトロンボーン)も、2曲の中で登場しています。
アルバムタイトルの「Cantate Domino」は、イタリアの作曲家エンリコ・ボッシが1920年に作った曲です(彼は1925年に没しています)。ここではまずオルガンの勇壮なイントロが響き渡ります。その音の生々しいこと。それこそ一本一本のパイプの音がきちんと聴こえてくれるような明晰さを持ちつつ、その絶妙のミクスチャーがオルガンの魅力を最大に引き出しています。そこに、金管のアンサンブルが入ってくると、その柔らかなアタックには魅了されます。いかにも人間が息を吹き込んで音を出している、という生命感が宿った響きです。そして、それらがいったん休んだところに、ア・カペラの合唱が入ってきます。正直、ピッチとかフレージングなどにはちょっと難があってそれほど上手な合唱ではないのですが、その、やはり一人一人の声までがくっきりと立体的に浮き上がってくる音には圧倒されます。確かに、これはオーディオ装置のチューニングには格好なソースです。
全く知らない曲が並ぶ中で、「きよしこの夜」などの有名なクリスマス・ソングが突然聴こえてくると、ほっとした気分になれます。最後に演奏されているのが定番のアービング・バーリンの「ホワイトクリスマス」ですが、そのオルガン伴奏がそれまでの堅苦しいものとはガラリと変わった4ビートのスイングだったのには驚きました。なんでも、このオルガニストはかつてはジャズ・ピアニストだったのだとか。そんな、様々な面で驚かせてくれるアルバムでした。おそらく、この128DSDは、サーフェス・ノイズがない分LPをしのぐ音を聴かせてくれているのではないでしょうか。

DSD Artwork © Proprius Music AB
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by jurassic_oyaji | 2016-07-30 21:12 | 合唱 | Comments(0)
KÕRVITS/Mirror
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Anja Lechner(Vc)
Kadri Voorand(Voice), Tõnu Kõrvits(Kannel)
Tõnu Kaljuste/
Tallinn Chamber Orchestra
Estonian Philharmonic Chamber Choir
ECM/4812303




トルミスやペルトといったエストニアの作曲家たちの作品を幅広くこのレーベルで紹介してきたカリユステとエストニア・フィルハーモニック室内合唱団が、同じエストニアのもう少し若い世代の作曲家、トヌ・コルヴィッツの作品を取り上げたCDです。コルヴィッツというのは、ヒビの入った骨董品と言われたピアニスト(それは「ホロヴィッツ」)ではなく、1969年生まれの人気作曲家です。どのぐらいの人気かというと、さる音楽サイトで、こんな風に「期待の新星」と紹介されているほどです。余談ですが、この言葉をもっと意味の強いものにしようと思ってか、「期待の超新星」と書いてあるものをよく見かけますが、「超新星」というのは天文用語では星が爆発してなくなることですから、もはやなんの「期待」も持てなくなってしまった状態です。ですから、こういう使い方をするのはとても恥ずかしいことなのですね。なんにでも「超」を付ければいいというものではありません。
トヌ・コルヴィッツは、エストニアの現代音楽界の期待の新星である。彼の作品はエストニア国内と外国で何度も何度も繰り返し演奏され続けている。同じエストニアの作曲家であるトルミスの呪術的な魔力、トゥールのエネルギッシュな爆発力、そしてペルトの宗教的な瞑想の代わりに、コルヴィッツのサウンドの世界は高度に詩的で、視覚的なファンタジーにあふれていることで際立っている。彼の音楽は、自然の風景や民族的な伝統、人間的な魂と潜在意識によって、聴くものを麻酔にかけられたような旅に連れて行ってくれる。穏やかではあっても暗示の含まれた彼の作品の中のメロディは、豊かで洗練されたハーモニーのきらめきと音色の中に溶け込んでいる。

この紹介文では、ことさらコルヴィッツのことをそれまでの作曲家とは別物のように扱っていますが、そういうわけではなく、彼の中にはエストニアの先達たちの存在が大きな影を落としているのです。その中でも、特に彼が傾倒しているのが1930年生まれの合唱音楽界の重鎮トルミスです。実際に、このアルバムの中の6曲のうちの3曲までが、何らかの意味でトルミスの作品とのつながりを持っているのですからね。
「プレインランドの歌(Tasase maa laul)」では、作曲家自身が演奏するフィンランドの「カンテレ」に相当するエストニアの民族楽器「カンネル」のパルスに乗って、ストリングスがまるでプリズムのような色彩感あふれるハーモニーを醸し出している中で、エストニアのジャズ・シンガー、カトリ・ヴォーラントによってまるで囁くようにハスキーな声でトルミスの曲が歌われ(語られ?)ます。そのストリングスのきらめきはまるでペルトのよう、そして、作品全体はまるでライヒのようなテイストを持っています。
もう一つ、「最後の船(Viimane laev)」では、男声合唱にバス・ドラムとストリングスが絡むという構成、ここではトルミスの土臭い味がそのまま合唱に保たれている中を、やはりストリングスの刺激的なハーモニーが不思議な色合いを加えているといった趣です。
もう1曲のトルミスがらみの作品は、合唱とチェロの独奏による「プレインランドからの反映(Peegeldused tasasest maast)」です。これは、このCDが録音された時、2013年に初演されたものです。ここでは合唱は歌詞を消してヴォカリーズで歌う中、チェロが浮遊感溢れるフレーズを産み出しています。この曲の最後に、クレジットはありませんがやはり作曲家によるカンネルと、チェリストのグリッサンドが薄く演奏され、次の曲への橋渡しを務めています。
贅沢なことに、このアルバムではエストニア・フィルハーモニック室内合唱団だけではなく、やはりカリユステが指揮者を務めるタリン室内オーケストラと、先ほど登場したチェリストのアニア・レヒナーの演奏でも、この作曲家の器楽作品を味わうことが出来ます。それは、とても得難い上質の体験をもたらしてくれました。

CD Artwork © ECM Records GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-07-28 20:22 | 合唱 | Comments(0)
MOZART/Requiem
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Margareta Hallin(Sop), Anne-Marie Mühle(Alt)
Brian Burrows(Ten), Magnus Lindén(Bas)
Stefan Sköld/
The Choir of S:t Jacob
Musicians from Stockholm Concervatory
2xHD-NAXOS/No Number(FLAC/ 24/192)




前回の2xHDの音があまりに素晴らしかったので、今度はアナログ録音からハイレゾにトランスファーされたものを聴いてみたくなりました。なんでも、このレーベルがアナログ録音のリマスタリングを行う時には、同時に同じ音源のLPを聴いて、それに近づけるように音を仕上げるのだそうですね。公式サイトにはものすごいターンテーブルの写真が載っていました。

そこで目についたのがこのアイテム、ステファン・ショルド指揮の聖ヤコブ教会の合唱団によるモーツァルトの「レクイエム」です。これはNaxosではなくスウェーデンのPropriusレーベルによって1979年の1月に録音されたものです。もちろん、最初はLPでリリース(PROP7815)されました。一応2005年にCD化(Prophone 015)もされています。
実は、このLPは「クラシック名録音106究極ガイド」でも取り上げられていたのですね。この2xHDというところは、そんな「名録音」と定評のあるものを探し出してきて、それをリマスターしてリスナーに届けるというのがポリシーなのでしょう。
このアルバムは、前回のドヴィエンヌを入手した「e-Onkyo」で扱っていました。しかし、なぜか今回はDSDはリリースされていなくて、24/192のPCMしか入手できないようになっていたのですよ。どんなフォーマットで販売するかというようなことは、あくまでレーベルの方針で決まるのだと思っていましたから、ちょっと残念ではあったのですが、仕方がないのでこの192FLACで全曲ダウンロードしてしまいました。
ところが、他のサイトを調べてみると、アメリカの「DSD Native」という、名前の通りDSDに特化して「商品」を扱っているところで、なんとこのアルバムの128DSDをちゃんと扱っているではありませんか。レーベルからはちゃんとDSDは提供されていたのに、なぜかe-Onkyoは独断でそれを販売していなかったのですね。
悔しかったので、DSD Nativeで「Lacrimosa」だけを買ってみました。そうしたら、1曲しか買っていないのに、ブックレットのPDFが付いてきましたよ。これは、このレーベルが制作したもの。そこにはしっかりジャケット画像や、トランスファーの際に使ったテープレコーダーやコンバーターの機種などのデータが記載されていましたよ。e-Onkyoはここでも、レーベルがきちんと用意していたものを消費者に届けることを怠っていたのですね。本当に、このサイトにはあらゆる面でがっかりさせられることばかりです。これでは「イー・オンキョー」ではなく、「イーカゲン・オンキョー」。
肝心の「レクイエム」の音はどうなのでしょう。それはもう、録音された聖ヤコブ教会の豊かなアコースティックスを完全に手の内に収めた素晴らしい音場が眼前に広がります。特に、ティンパニとトランペットのリズム隊が左奥に潜んでいて、ここぞという時にその存在感を示すあたりが、とてもドラマティック。主役の合唱は、左からソプラノ、ベース、テノール、アルトという北欧スタイルの並び方ですが、その外声と内声同士が程よく重なり合ってうまくブレンドされている上に、ポリフォニーではそれぞれの声部がきっちりと立っているという、エキサイティングな音場設定です。時折男声にはちょっと頑張りすぎの声が混ざりますが、それが音楽を停滞させることにはなっていません。
そんなサウンドに支えられたショルドの指揮ぶりは、基本的にとても穏やかで安心して聴いていられるものでした。ただ、「Rex tremendae」で合唱にも複付点を要求しているあたりは、この頃にしては先進的なアプローチが見られます。さらに、「Recordare」では冒頭のチェロがソロで弾いているように聴こえますし、曲によって弦楽器のプルトを減らしているところもあるようでした。「Lacrimosa」では間違いなくヴァイオリンの人数が減っているのでしょう。それはさっきの唯一のDSDで、よりはっきり分かります。やはり、DSD128は、192PCMを明らかに上回っているのですね。返す返すも残念なことをしました。

FLAC Artwork © Proprius Music AB
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by jurassic_oyaji | 2016-07-12 23:23 | 合唱 | Comments(2)
CALDARA/Morte e sepoltura di Christo
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Maria Grazia Schiavo, Silvia Frigato(Sop)
Martina Belli(Alt), Ancio Zorzi(Ten)
Ugo Gualiardo(Bas)
Fabio Biondi/
Stavanger Symphony Orchestra
GLOSSA/GCD 923403




アントニオ・カルダーラというのは、イタリア人の作曲家の名前です。パスタの名前ではありません(それは「カルボナーラ」)。1670年にヴィネツィアで生まれ、1736年にウィーンで亡くなりました。その生涯の最後の20年間はウィーンの宮廷楽団の副楽長という地位にあり、数多くのオペラや宗教曲を残しています。この「キリストの死と埋葬」というオラトリオは、おそらく1724年の4月7日、聖金曜日の1週間前に演奏されたとされています。
1724年といえば、あのバッハが「ヨハネ受難曲」を作った年です。しかも、それが演奏されたのも同じ4月7日ですから、ものすごい偶然ですね。300年近く前の全く同じ日にライプツィヒとウィーンで初演されていた、キリストの受難をテーマにした作品が、ともに現在まで残っているのですからね。もっとも、バッハの作品は日本でも年に何回かはどこかで演奏されていますし、CDも何十種類もありますが、このカルダーラの方はおそらく生演奏を聴いたことのある人なんて日本には誰もいないのではないでしょうか。それが「歴史の篩」というものです。
しかし、同じテーマとは言っても、このカルダーラの場合はバッハとは全く別のベクトルからキリストの死を描いています。それは、ほとんど「オペラ」と同じ形式で物語を進めるというやり方、マグダラのマリア、聖母マリア、アリマタヤのヨセフ、ニコデモの4人に加え、キリストの行動の一部始終を見てきたローマ軍の百人隊長(百卒長)という5人の登場人物は、フランチェスコ・フォツィオの台本に従って、それぞれの立場からレシタティーヴォ・セッコとダ・カーポ・アリアを歌い上げます。
演奏しているのは、ファビオ・ビオンディの指揮によるスタヴァンゲル交響楽団です。このノルウェーの団体の現在の首席指揮者はクリスティアン・ヴァスケスですが、このオーケストラのユニークなところは、そのようなモダン・オーケストラである以外に、ピリオド・オーケストラという側面も持っていることです。とは言っても、楽器までピリオドにしているわけではなく、あくまで「ピリオド風」の演奏を目指す団体、というぐらいのスタンスなのでしょうが、そんな方向性を持ち始めた1990年から、常任指揮者と同時にピリオド(ここでは、バロックと古典派までをカバー)専門の指揮者を置くようになっています。その初代指揮者はフランス・ブリュッヘン、それをフィリップ・ヘレヴェッヘが引き継いで、2006年からはビオンディがその地位にあります。
この作品では、通奏低音にオルガンとチェンバロの他にテオルボも加えられているので、より「ピリオド感」は増しています。さらに、アリアのオブリガートに使われている「シャリュモー」という楽器(クラリネットの前身、現在は使われることは極めて稀)のために、ピリオド・クラリネット奏者のロレンツォ・コッポラが参加しています。
ビオンディは、この作品に少しバラエティを持たせるためでしょうか、原曲にはないソナタやシンフォニアなどを挿入しています。それは、カルダーラと同時代の別の作曲家のものも含まれていて、このシャリュモーが入るアリアの前には、この楽器を紹介する意味もあるのでしょう、シャリュモーとトロンボーンが活躍しているヨハン・ヨーゼフ・フックスのシンフォニアが演奏されています。
ソリストたちはかなりオペラティックな歌い方ですし、この時代にしてはかなり大人数の弦楽器はそれほどピリオド臭くない爽やかなサウンドですが、ビオンディ自身がソロを取っているアリアのオブリガートは、さすが、という感じですね。最後に演奏される合唱(ソリストたちによる重唱)では、トロンボーンも加わって言いようのない壮大な悲しみが伝わってきます。曲の終わりがピカルディ終止になっているあたりが、未来への希望を示唆するものなのでしょうか。

CD Artwork © Note 1 Music GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-06-25 21:01 | 合唱 | Comments(0)
Sun, Moon, Sea, and Stars/Songs and Arrangements by Bob Chilcott
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Nigel Short/
Tenebrae Consort
BENE ARTE/SIGCD903




ナイジェル・ショートが指揮をしている合唱団「テネブレ」は、2014年に自らのレーベル「Tenebrae Records」を創設しました。そのレーベル名が「BENE ARTE」、こっそりお教えしますが(それは「ネタバレ」)「よい芸術」という意味のイタリア語です。ただ、ディストリビューターは今まで所属していたSIGNUMなので、品番はそれと同じ「SIGCD」で始まるものになっています。おそらく900番台が彼らに与えられた番号でしょうから、これは彼らのレーベルの3番目のアイテムということになるのでしょう。
今現在、彼らはこのレーベルから4枚のアルバムをリリースしています。そのうちの2枚は今までおなじみだった「テネブレ」という合唱団のものですが、あとの2枚は「テネブレ・コンソート」という団体名になっています。「テネブレ」には20人ぐらいのメンバーがいましたが、「コンソート」の方はそのピックアップ・メンバーによって編成されていて、人数も各パート2人ぐらいの小さなもののようです。
「コンソート」が2014年にリリースしたデビュー・アルバムは、中世のプレイン・チャントやタリスの「エレミア哀歌」などを収めた渋いものでしたが、今回はぐっとくだけた、ボブ・チルコットの作品と、彼の編曲したものを集めたアルバムでした。チルコットといえば、指揮者のショートとともにあの「キングズ・シンガーズ」に在籍していたことで有名ですが、この二人はまさに1994年から1997年までは同時にこのグループのメンバーだったんですね。チルコットはテナー、ショートは第2カウンターテナーでした。それが、今や大人気の合唱作曲家と、卓越した合唱指揮者という立場でこのようなアルバムに参加しているのですから、面白いものです。
本体の「テネブレ」も素晴らしい合唱団ですが、それが「コンソート」になると、ガラッと変わった顔を見せることになりました。最初のトラック、ラテン感覚満載のリズミカルな「En La Macarenita」では、ほとんどキングズ・シンガーズのノリでそれぞれのメンバーがお互いに楽しみながら演奏しています。そこでは「ヴォイパ」まで披露されていますから、なんという芸風の広さ、と驚かないわけにはいきません。もちろん、こちらは女声も入っていますから、さらに華やかな味が加わります。それは、たとえば「ヴォーチェス8」とか「カルムス・アンサンブル」のような今最も旬なグループと同じような新鮮な味です。
全部で22曲もの小品がここでは演奏されていますが、正直ほとんどは(もちろん、チルコットの自作も含めて)知らない曲なのに、それぞれになにか懐かしさというか、どこかで聴いたことがあるような思いになれるのは、こういうアンサンブルのツボを押さえたチルコットの編曲の妙のおかげでしょう。多くの曲でソロを立てているのも、ここでは名手揃いですからさらに効果的です。中でもソプラノのソロは、ピュアな上に表情が豊かなので、とても引き込まれます。ただ、バリトンあたりのソロになると、ちょっと「教養が邪魔をしている」ような歌い方になっていて、ほんの少し違和感がありますが(これは、キングズ・シンガーズのバリトンにも感じたことです)。
チルコットのアレンジには、独特の和声感がありますが、それが最もハマっていると感じられたのが、ガーシュウィンの「Fascinating Rythm」です。これはもうジャズ・コーラスの原点とも言うべきテンション・コードの展開が見事で、まるでマンハッタン・トランスファーみたいなノリの良さがありました。
それと、こちらで別の曲が聴けた「Furusato」という日本の歌を集めた曲集からも3曲紹介されているのもうれしいことです。ここではしっかり「日本語」で歌っていますから、なおさらです。
最後の3曲だけ、別な日に別な会場で、さらにメンバーも少し変えて録音されています。これは、録音もすこしオフ気味ですし、人数が増えた分演奏も大味になっているように思えました。

CD Artwork © Tenebrae Records Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2016-06-18 21:24 | 合唱 | Comments(0)
Urgency of Now
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Rythm Art Duo
(Daniel Berg, Fredrik Duvling)
Jan Yngwe/
Vocal Art Ensemble of Sweden
FOOTPRINT/FRCD 080




以前ご紹介した同じレーベルのこんなアルバムと、とてもよく似たジャケットですね。いずれもほとんど聞いたことのない名前の合唱団のアルバムですが、ジャケットだけではなく、取り上げている作品の傾向も、そして歌っている合唱団の資質までもとてもよく似ていることに驚かされます。
このアルバムの合唱団の名前は「ヴォーカル・アート・アンサンブル・オブ・スウェーデン」ですが、指揮をしているヤン・ユングヴェによって1978年に作られた時には「プロ・ムジカ室内合唱団」という名前でした。それが2013年に創立35周年(なんだか半端ですが)を迎えたことを記念して、新しい名前に変えたのだそうです。そして、2014年の3月と5月に録音されたこのアルバムが、新しい名前による最初のものとなりました。
このタイトルは「今の緊急事態」とでもいうような意味なのでしょうか、そもそもは、作曲家でもある指揮者のユングヴェが委嘱を受けてこのアルバムのために書き下ろした、マルティン・ルーサー・キングの有名な演説をテキストにした作品の最後に現れる言葉なのですが、それはアルバム全体のコンセプトとしても使われているのです。それは、「音楽を通してのマニフェスト」だと、指揮者はライナーノーツで語っています。
そんな、とても「重い」テーマを背負っての演奏は、このところあちこちで評判のエシェンヴァルズの2012年の新作「The New Moon」で始まります。最近はずいぶん丸くなってしまったような印象を受けるこの作曲家ですが、この曲はまだまだ芯の強さが感じられる、まさにこのアルバムの冒頭を飾るにふさわしい「力」を持ったものでした。
しかし、次の、やはり同じ作曲家による2009年の作品「O salutaris hostia」では、それとは正反対のもっと穏やかな情感が広がります。ここでは女声のソリストが2人、とてものびやかな声でまるでポップス・チューンのようなキャッチーなデュエットを披露してくれますし、それを取り巻く合唱もあくまで穏やかです。どうやら、ここでは先ほどの「マニフェスト」というのはかなり幅広い内容を持っているのでしょう。ちょっと身構えて聴き始めた人は、そんな必要はさらさらなかったことに気づくはずです。ここで、ア・カペラの合唱のバックに鳴り響いているのは水を入れたワイングラスの縁をこすって出される音。いわゆる「グラス・ハーモニカ」ですね。そのあくまで無垢で透明なハーモニーは、心底癒しを生むものです。ちなみに、そのグラスはメンバーの自前です(「わいのグラス」)。続くサンドストレムの「To See a World」もとことん穏やかな音楽ですし。
しかし、ラヴェルの「マ・メール・ロワ」の最後の曲「妖精の園」がティエリー・マシュエルによって合唱に編曲されたヴァージョンを聴くころには、そんな穏やかさは単に選曲に由来しているものではなく、この合唱団のキャラクターそのものが反映されたものなのではないか、という思いに駆られてきます。それほどに、この曲での歌い方はなんともだらしなく聴こえてきます。さっきのソリストたちの声は、どうやらこの合唱団の中ではきわめて特殊なものだったのだということを、軽い失望とともに知ることになったのです。録音会場が非常に残響の多い教会ですから、ハーモニーなどはいかにもきっちり決まっているようには聴こえるのですが。
そうなってくると、メインの曲である「Urgency of Now」での前衛的な手法も、2人のシンガー・ソングライターの曲を合唱にアレンジした「Hymn of Acxiom」と「Hide and Seek」のシンプルさも、なにか空々しく感じられてしまいますし、キューバの作曲家アルバレスの「Lacrimosa」や、フィリピンの作曲家パミントゥアンの「De Profundis」の持つ逞しさも影が薄くなってしまいます。
結局、かろうじて彼らの手におえるのはバーバーの「Agnus Dei」や、やはりグラス・ハーモニカの心地よいナインス・コードに助けられたエシェンヴァルズの「Stars」程度のヒーリング・ピースなのでしょうか。

CD Artwork © Footprint Records AB
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by jurassic_oyaji | 2016-06-11 21:02 | 合唱 | Comments(0)
Clossing Over
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Matthew Guard/
The Skylark Vocal Ensemble
SONO LUMINUS/DSL-92200(CD, BD-A)




「光り輝く音」みたいな意味の名前を持つレーベルですから、そもそも音に関しては自信を持っているのでしょう、中でもCDと一緒にBD-Aもパックされているものには、裏切られたことはありません。ただ、それはあくまで「音」についてのことであって、一応合唱曲ということでこちらなんかも聴いてみたのですが、本当に音だけは素晴らしいのに演奏がひどいものだった、などという残念なものにも出会ってしまうこともあります。
このアルバムも、やはりBD-A同梱、音に関してはとても期待できそうな感じがしたので、とりあえず買ってみました。しかし、現物を手にしてジャケットを見たとたん、軽い戸惑いが。2行にわたって並んでいる文字がいったい何を意味するのかが理解できませんでした。インレイを見てみても、そこには演奏されている曲のタイトルと作曲家の名前はあるものの、肝心の合唱団とその指揮者の名前がどこにもないのですよ。ある意味スタイリッシュな作り方なのでしょうが、腹が立ちますね。
まあ、ブックレットを見れば、「スカイラーク」というのが合唱団の名前で(正確には「ザ・スカイラーク・ヴォーカル・アンサンブル」)、指揮者がマシュー・ガードという人だ、ということは分かります。なんでも2011年に出来たばかりの団体のようですね。ファミレスではありません(それは「すかいらーく」)。
そして、「Clossing Over」というのが、アルバムのコンセプトなのでしょう。ブックレットの最初のページには、「これは、私たちが最後の時間を迎える時にはいったいどんなことが感じられるのかを音楽で語らせた、様々なイメージをのぞき見ることができる窓だ」みたいなことが書かれていますからね。そして、それに続くページでは、それぞれの曲に関する情報を、間接的に語っているテキストが掲載されています。まさに「イメージ」としてそれぞれの曲を味わってほしい、という願いが込められているのでしょう。
それはもう、とろけるように素晴らしい録音(もちろん、BD-Aで聴いたときは、です)によって聴こえてくるこの合唱団は、とても素晴らしい演奏でそれを的確に表現してくれていますから、そういった「聴かされ方」であっても何の不安もなく最後まで聴き続けてしまえるほどの魅力があります。いや、本心で、このアルバムのトータルなコンセプトには感服させられてしまいました。「最後の時間」というのは、もちろん死を迎える時でしょう。そこへ向かっての不安感、その時に思い出されるさまざまな体験、そして、おそらく「あちら側」にたどり着いた時に感じるであろう平安な感情、そういったものが、何の抵抗もなく体中にしみこんでくるのですからね。
それはそれで、このアルバムの一つの聴き方ではあるのでしょう。でも、やはりもう少し「知的」な聴き方もしないことには、ただの「洗脳」になってしまいますから、ブックレットには決して書かれることのなかったデータも調べたくなりました。そんな時に役に立つのが代理店が作ったインフォなのでしょうが、そこには何と「20世紀の合唱作品集」などといういい加減なサブタイトルが付けられていましたよ。確かに、この中にはウィリアム・シューマンとか、ヨウン・レイフスといった、間違いなく「20世紀」にしか作品がない人もいますが、それ以外の全く初めて聞くアメリカのダニエル・エルダーやロバート・ヴィチャード、そしてアイスランドのアンナ・ソルヴァルドスドッティルなどの作品は、この作曲家たちの生年を見る限り「21世紀」になってから作られたもののはずです。ソルヴァルドスドッティルなどは「自作の録音に立ち会った」そうですし。
少なくとも、この中で唯一聴いたことのあるジョン・タヴナーの「Butterfly Dreams」は、2003年に作られています。それを聴いたのは、こちらの世界初録音盤。今回のアメリカでの初録音からは。イギリスの合唱団とは根本的に異なるタヴナーへのアプローチが、はっきり感じられます。

CD & BD Artwork © Sono Luminus, LLC.
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by jurassic_oyaji | 2016-06-07 23:03 | 合唱 | Comments(0)
EŠENVALDS/St Luke Passion
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Ieva Parša(MS), Jānis Kurševs(Ten)
Daumants Kalniņš(Bar)
Sigvards Kļava/
Latvian Radio Choir
Sinfonietta Rīga
ONDINE/ODE 1247-2




ラトヴィアの作曲家、エリクス・エシェンヴァルズの最新の合唱作品を集めたアルバムです。この人の名前は例によって北欧系のヘンテコな読み方が必要とされるのですが、その日本語表記はやはり混乱を極めています。「S」の上には「ˇ(ハーチェク)」が付いているので「ス」ではなく「シュ」と発音されますから、「エシェンヴァルズ」がより本来の発音に近い表記のはずなのですが、どうやらそれは「エセンヴァルズ」という似非表記によって駆逐されてしまっているようです。
このジャケット、なんだか見覚えがあると思ったら、同じ演奏家が同じレーベルから出したシルヴェストロフのアルバムととてもよく似た写真が使われていたのでした。教会のガラス窓越しに差し込む光、という、なんともベタなコンセプトですが、確かにこれは両方のアルバムに共通しているモードを的確に表現しているのではないでしょうか。ただ、そのアルバムと決定的に違うのは、今回はSACDではないということです。このレーベルのSACDは毎回とてもハイレベルの音を聴かせてくれていたのですが、そんな最大の楽しみを奪われてしまった感じです。
エシェンヴァルズの合唱曲は、こちらのレイトンとポリフォニーとの演奏でも聴いたことがありました。そこでも演奏されていた「A Drop in the Ocean」という、無伴奏の合唱のための作品がここにも収録されていたので、まずはそれからチェックです。この作品の出だしは、「Pater noster」のラテン語の歌詞がほとんど語りに近い歌い方で歌われる中で、同時にアッシジの聖フランシスの言葉の英語訳がきれいなハーモニーの合唱で歌われる、というものなのですが、レイトンの演奏ではその二者は相対する要素として扱われているようでした。それが、このクリャーヴァ指揮のラトヴィア放送合唱団では、いとも自然にお互いが馴染み合っている、という印象を受けます。やはり、このあたりは「現代音楽」ととらえるか、あるいはもっとシンパシーを伴った「仲間の音楽」ととらえるかの違いなのかもしれません。
このトラック、ジャケットやブックレットのクレジットではオーケストラが加わることになっていますが、もちろんこの作品には合唱以外のものは参加していません。これはかなりみっともないミスプリント、例えば、唯一この作曲家の名前を「正しく」表記していた権威あるさるショップのサイトでさえ、これを真に受けて誤った情報を掲載しているのですから、困ったものです。
もっとも、「The First Tears」という、イヌイットの民話をテキストにして2014年に作られた、基本的に合唱だけで歌われる曲に参加しているミュージシャンが演奏している楽器を「リコーダーとハープ」としているのは、レーベルの落ち度ではありません。ジャケットには「ジョー・ハープ」と書いてあるものを、代理店が単に「ハープ」と思い込んだだけなのでしょう。そういう珍しい楽器を知らなかったのでしょうね。ただ、「リコーダー」というのはちょっと違うような気がします。ここで聴こえてくるのは、ほとんど「尺八」に近い音を出す楽器なのですから。
そんな珍しい楽器だけではなく、なんと「テープ」が使われている作品が、2011年に作られた「Litany of the Heavens」です。そこには、実際に教会で唱えられた古い聖歌が録音されていて、その音を流しながら合唱が演奏する、というスタイルがとられます。ということは、この曲を演奏する時にはその「テープ」(たぶん「CD」でしょうが)が必要になってくるのでしょう。スコアやパート譜はレンタルのようですから、そこに一緒に付いてくるのでしょうね。
タイトル曲の「ルカ受難曲」は、8つの部分に分かれた30分という大曲です。オーケストラは雄弁にダイナミックな情景を描き、ソリストは地声で情感を込めて歌うという、まるでミュージカルのようなエンターテインメントの世界です。

CD Artwork © Ondine Oy
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by jurassic_oyaji | 2016-05-26 20:43 | 合唱 | Comments(0)
HEROLDT/Matthäuspassion, CLINIO/Passio Secundum Joannem
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Michael Paumgarten/
Ensemble Triagonale
CPO/555 025-2




16世紀の末に、オーストリアとイタリアで作られた2つの受難曲です。ヨハネス・ヘロルトの「マタイ」が1594年、テオドーロ・クリニオの「ヨハネ」が1595年に作られています。あのシュッツの「マタイ」が作られたのが1665年ですから、それより70年前の受難曲には、こんなのがありました、というようなサンプルです。
ヘロルトにしてもクリニオにしても、全く知らない名前の作曲家でした。「流氷の天使」とは違うし(それは「クリオネ」)。おそらく、当人同士も全く面識はなかったのでしょうね。聴いてみればわかりますが、この2つの受難曲は使われている言葉も、作曲の様式も全く違っていますからお互いの関連性は皆無。ほぼ同じ時期に作られた受難曲でも、「カトリック」と「プロテスタント」というだけでこんなにも違ったものが出来てしまう、ということを示したかった、というのがこのアルバムのコンセプトなのでしょうか。
オーストリアの作曲家ヘロルトが作った曲のタイトルは、正確には「我らが主であり救い主であるイエス・キリストの苦難と死の物語」ですが、歌い出しの歌詞に「聖マタイによって語られた」とありますから、マタイによる福音書がテキストであることが分かります。これはドイツ語の訳、シュッツとかバッハでおなじみの言葉が聴こえてきます。ですから、内容自体はそのバッハの、演奏時間が3時間近くかかる「マタイ受難曲」とそれほど変わらないというのに、こちらはたった15分で終わってしまいます。ちゃんとコラールまで入っているというのに。
つまり、ここでは福音書の受難の部分のテキストが、ポリフォニックなマドリガルという当時イタリアで隆盛を誇っていた形にギュッと押し込んで歌われているのです。それは6声による無伴奏の合唱だけで歌われます。まるで早回しの映像を見ているようなせわしなさですが、セリフの部分にはシンコペーションが埋め込まれていたりと、それぞれに印象的な手法が使われていて、あっという間に「物語」が終わってしまいます。全部で3つの部分に分かれていますが、最後のキリストの死を扱ったパートでは、それまでの明るさが消えて暗い情感も漂っていますし。
そして、その間に2曲、全く同じメロディのコラールが、別の歌詞で歌われます。それがユニゾンだというのも、何か重苦しい感じを秘めています。
一方の、イタリアの作曲家クリニオの受難曲は、当時のカトリックの伝統であった「応唱受難曲」という形で作られています。ここでは、テノールの殆ど語りに近い詠唱によって福音書の地の文が朗読され、登場人物が語る部分は多声部の合唱で歌われています。そして、その人物によってパートの数が異なっているというのが特徴になっています。つまり、イエスの言葉は3声、それ以外の登場人物は4声、そして群衆は6声で作られているのですね。ソプラノのパートは群衆の部分だけに登場しますから、音色的にも華やかなサウンドになっています。
文献には登場してもまず実際に音を聴くことは出来なかったこの2つの受難曲は、おそらくこれが初録音なのでしょう。演奏しているのはオーストリアのテノール、ミヒャエル・パウムガルテンが2001年に結成した「アンサンブル・トリアゴナーレ」という6人編成の声楽アンサンブルです。意図されたものなのかどうかは分かりませんが、メンバーの中で2人のテノールのうちの一人(おそらくパウムガルテン自身)の声だけが歌い方も音色も全く異質なのが、とても気になります。ヘロルトでは、その人の声だけがとても目立ちますし、同じ人がクリニオではエヴァンゲリスト。それは、プレーン・チャントとしての歌い方のようにも思えますが、アンサンブルになっても同じ歌い方なので、とても耳障り。かつてキングズ・シンガーズの中で歌っていたボブ・チルコットが、まさにこんな感じでした。

CD Artwork © Classic Produktion Osnabrück

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by jurassic_oyaji | 2016-05-24 23:07 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Matthäus-Passion
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Hannah Morrison(Sop), Sophie Harmsen(Alt)
Tilman Lichidi(Ten)
Peter Harvey, Christian Immler(Bas)
Frieder Bernius/
Kammerchor Stuttgart, Barockorchester Stuttgart
CARUS/83.285




フリーダー・ベルニウスの演奏をCDで初めて聴いたのは、もう20年近く前のことです。その時には、定職に就かないで指揮をしているのか(フリーター・ベルニウス)とか、ペット関係のお仕事なのか(ブリーダー・ベルニウス)と思いましたね。
彼が生まれたのは1947年。自分の合唱団「シュトゥットガルト室内合唱団」を作ったのが1968年のはずですから、その時はまだ21歳の若造だということになりますからね。実際、これは彼がシュトゥットガルトの音楽大学の1年生の時だったそうです。さらに、このCDのブックレットの中で彼は「この録音についての個人的な意見」というエッセイを書いていますが、それによると1970年代の初頭には、あのヘルムート・リリンクの合唱団「ゲヒンガー・カントライ」のメンバーとしてアメリカ・ツアーに参加したそうですから、他の合唱団で修行中の身でもあったということも分かります。
さらに彼は、1985年にはピリオド楽器の団体「シュトゥットガルト・バロックオーケストラ」も設立します。そこでぶち当たったのが、例の「バッハでは合唱は1パート1人で演奏すべき」という「都市伝説」です。しかし、ベルニウスはこの方式の可能性自体は認めつつも、やはりその人数での物足りなさも感じていたようですね。このエッセイの中でもそれを暗に批判しています。
そのあたりが、彼がバッハを演奏するにあたっての基本的な姿勢なのでしょう。いたずらにバッハの時代の慣習をなぞるのではなく、作品を通して作曲家が伝えたかったことこそを演奏で生かしたい、と。
そんなベルニウスの思いが、この、彼にとっては初めてとなる「マタイ」の録音には込められているのでしょう。もちろん、それを後押ししたのが、このレーベルの母体である出版社が2012年に出版した新しいクリティカル・エディションであることは間違いありません。なんせ、新バッハ全集(Bärenreiter)が出版されたのがその40年近くも前の1974年ですから、長年ゲッテインゲンのバッハ研究所に籍を置き、新バッハ全集の編纂にも関与していたクラウス・ホフマンによって校訂されたこの楽譜はまさに待望のものです。もちろん、これは初稿ではなく改訂稿の方です。
まさに「満を持して」録音されたことがよく分かるこのCDは、ライブ録音のようなお手軽なものではなく、しっかり教会で5日間のセッションを設けて録音されています。マイクアレンジも、「コルス・セクンドゥス」の方を合唱もオーケストラも少しオフ気味に右奥から聴こえるように設定してあります。ただ、ソリストは常に中央に定位しています。つまり、アリアを歌うソリストはソプラノ、アルト、テノール、バスがそれぞれ一人ずつしかいません。さらに、テノールのソリストはエヴァンゲリストも歌っていますから、こんなこともセッション録音だから可能になっているのでしょう。
その、テノールのリヒディこそが、この演奏の落ち着いたたたずまいを支配している立役者ではないでしょうか。あくまで伸びやかなその声には、ことさら個性を発揮するというのではなく、歌っている中に自然と表現したいことが込められているという賢さが秘められています。他のソリストたちも、それぞれに同じような方向を目指しているように思えます。その中で、ソプラノのモリソンの澄み切った声は、まさに至福のアリアを届けてくれています。
合唱も、大げさな身振りをせずに音楽そのものにすべてを語らせるという、やはり賢さの極みを見せています。「バラバを!」という群衆の叫びも、減七の和音だけでなんの力みもなくすべてを語らせていますし、最後の長大な合唱のエンディングもいともあっさりとしたものです。
長年「マタイ」を様々なシーンで体験してきたベルニウスがたどり着いたのが、こんなに風通しが良くて爽やかなものだったことが、とてもうれしく感じられます。

CD Artwork © Carus-Verlag
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by jurassic_oyaji | 2016-05-19 20:17 | 合唱 | Comments(0)