おやぢの部屋2
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カテゴリ:合唱( 626 )
BACH/Missa BWV232(1733)
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Eugénie Warnier, Anna Reinhold(Sop)
Carlos Mena(CT), Emilliano Gonzalez Toro(Ten)
Konstantin Wolff(Bas)
Raphaël Pichon/
Pygmalion
ALPHA/Alpha 188




以前こちらで聴いたモーツァルトのアリア集の中で、とてもセンスの良いバックを務めていたラファエル・ピション指揮の「ピグマリオン」が、彼らの本来のフィールドでバッハを演奏していたアルバムが目に入ったので、聴いてみました。バッハの「ミサ・ブレヴィスBWV232」です。
カトリックの典礼で用いられる「ミサ」は、本来は「Kyrie」、「Gloria」、「Credo」、「Sanctus」、「Agnus Dei」の5つのパーツから出来ていますが、それの最初の2つだけから成るものは「ミサ・ブレヴィス(小さなミサ)」と呼ばれます。プロテスタントの場合も、ルター派ではこの形でのミサは認められているので「ルター派のミサ」とも呼ばれています。バッハが作ったこの形の作品は、一応4曲(BWV233-236)残されています。
しかしここでは、それらとは別の「BWV232」が演奏されていました。このシュミーダー番号をご覧になれば、有名な「ロ短調ミサ」であるとこはすぐに分かりますが、それは全パーツが揃った「フル・ミサ」ですから、「ミサ・ブレヴィス」ではないのでは、という疑問が浮かんでくるはずです。そのあたりは、この「ロ短調」の成立経緯を考えれば納得です。フル・ミサとして完成されたのは1749年頃ですが、バッハはその時点で以前に作られたものを集め、足らないものは新たに作って「ロ短調ミサ」という大曲に仕上げていたのです。「Kyrie」と「Gloria」がまさにそのような「在庫品」、1733年にドレスデン選帝侯に献呈するために作られていたものだったのです。つまり、ピションたちは1733年にタイムスリップして、その時には「ミサ・ブレヴィス」という形で存在していた作品をここで演奏している、ということになるのですね。
合唱は23人と、程よい人数、オーケストラも弦楽器は4.4.3.2.2という、少し大きめの編成です。ただ、見かけはそういう人数なのですが、ヴィオラ以下のパートにはそれぞれヴィオール系の楽器が1本ずつ含まれています。さらに、通奏低音にもオルガン、チェンバロ、そしてテオルボまでが加わっているというヴァラエティに富んだ編成がとられています。それによって弦楽器全体はとてもソフトな音色を楽しむことが出来ますし、テオルボが大々的にフィーチャーされた「Domine Deus」のデュエットなどでは、それがまるでハープのように聴こえてきて、とても典雅な思いになれます。
合唱もとことんまろやかな歌い方で迫ります。冒頭の「Kyrie」などは、良くある荘厳で重厚なものでは全然なくて、気抜けするほどの爽やかさです。トランペットとティンパニが活躍する場面でも、それはリズムを強調するのではなく、華やかな音色を加えるという方向に作用しているようです。
ご存知のように、献呈の際にバッハはスコアではなく、自ら写筆したパート譜を作って、それをドレスデンに送っています。その時にいくつかの部分で改訂を行っています。それはスコアには反映されていませんし、さらにスコア自体も後にパート譜で改訂した箇所とは別のところを書き換えたりしているので、この「ミサ・ブレヴィス」は厳密にいえば「ロ短調ミサ」の中の最初の2曲とは異なっているところがあります。その具体的な相違点は、こちらのCDに付いてきたパート譜のファクシミリや、こちらの、2014年に出版されたCARUSのスコアを見れば分かります。
しかし、その楽譜などと照らし合わせてみると、この演奏は1733に作られた「ミサ・ブレヴィス」とは別物であることに気づきます。特に「Et in terra pax」のフーガの歌い出しの「hominibus」のリズムは、全て付点音符になっているのはちょっと問題。これは、「ミサ・ブレヴィス」の時点では「♪+♪」の平たいリズムだったものが、「ロ短調ミサ」になった時に(おそらく)改訂された部分なのですからね。さらに、パート譜を作った時に改訂されたバスのアリア「Quoniam tu solus sanctus」では、両方のバージョンが混在してますし。こういういい加減なことは、金輪際やめてもらいたいものです。

CD Artwork © Alpha Productions
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by jurassic_oyaji | 2016-04-23 22:57 | 合唱 | Comments(0)
MOZART/Requiem
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坂本徹/
Mozart Academy Tokyo
Ensemble Bel Homme
NYA/NYA-1501




モーツァルトの「レクイエム」だったら、新しい録音はすべて聴いてみようというぐらいの気持ちでいるものですから、このようなプライベート盤でも、入手可能であれば迷わずにゲットです。2014年の12月に行われたコンサートのライブ録音で、すでに昨年のうちにリリースはされていたようなのですが、これに参加していた知り合いがたまたまSNSで紹介してくれたおかげで、こんなユニークな録音を聴くことが出来ました。
演奏している「モーツァルト・アカデミー・トウキョウ」は、甘いものが食べられない人たちが作ったグループではなく(それは「モーツァルト・アカデミー・トウニョウ」)、インマゼールの「アニマ・エテルナ」やブリュッヘンの「18世紀オーケストラ」のメンバーでもあったピリオド・クラリネット奏者であり、合唱指揮者でもある坂本徹さんが2005年に結成した団体です。オーケストラと合唱を含めた組織のようで、それぞれの分野のプロフェッショナルな人たちが集まって活動しています。この「レクイエム」の場合は、使われている楽器はピリオド楽器、合唱の人数は6.4.4.4と少なめ、そしてソリストは合唱のメンバーが務めるという、世界中のピリオド志向の団体のスタンダードのようなやり方を取っています。
用いている楽譜がジュスマイヤー版だというのも、やはりある意味スタンダード。ただ、ここで「ユニーク」なのは、この演奏全体をあくまで「礼拝」ととらえて、モーツァルトは作曲していないけれど、実際の典礼では用いられたはずのテキストまできちんと演奏しているという点です。もちろん、そのテキストはただ朗読されるのではなく、「グレゴリオ聖歌」の「メロディ」で歌われることになります。
その聖歌は、この合唱団とは別の、日本語に訳すと「イケメン・アンサンブル」となる、「アンサンブル・ベロム」という男声だけの合唱団が歌っています。その、今まで聴きなれたちょっと渋さの伴う「グレゴリオ聖歌」とはだいぶテイストの異なる、かなり洗練されたユニゾンで最初に演奏されたのが、「Introitus」です。これはモーツァルトはきちんと作曲しているので、ちょっとした反則技になってしまうのでしょうが、指揮者によれば「この素晴らしくも穏やかな」聖歌はぜひ聴いていただきたかった、ということなのだそうです。確かに、これは別にグレゴリア聖歌に興味のない人でも、合唱ファンであればどこかでは聴いたことのあるはずの、あのモーリス・デュリュフレが作った「レクイエム」と全く同じメロディ(いや、正確には、デュリュフレがグレゴリオ聖歌を引用したものですが)の曲ですからね。モーツァルトだと思って聴きはじめたら、いきなりデュリュフレが始まって驚くかもしれませんね。
その後には、普通のモーツァルト版の「Introitus」が始まりますから、安心してください。しかし、さっきまでのア・カペラははっきり聴こえてきたのに、ここで初めてオーケストラが入ってくると合唱がほとんど聴こえないほどになってしまいました。録音の際には1対のメインマイクを客席の中に立てただけのようで、補助マイクなどは全く使われていませんから、こんな不自然なバランスの録音になってしまったのでしょう。
この会場で録音する時の難しさは、同じ曲をここで録音したこちらの歴史的な「失敗作」(もちろん録音面での、という意味で)によって広く知られるようになっていますから、エンジニアとしてもいろいろ考えた末のマイクアレンジだったのでしょうが、ここはやはり潔く合唱に補助マイクを使うべきだったのではないでしょうか。何しろ、ここでの合唱は響きとしてはかろうじて聴こえるものの、言葉が全く伝わってこないのですからね。おそらく、会場で聴いている人たちには視覚も手伝ってその辺はある程度補正されて聴こえていたはずですが、残念ながらそこまでを音として収録することは出来ていませんでした。
演奏自体も、この録音では生の情感を表に出すことは避けた穏健なもののように聴こえてしまいます。

CD Artwork © N.Y.A. Sounds
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by jurassic_oyaji | 2016-04-19 23:26 | 合唱 | Comments(0)
VENEZIANO/La Passione secondo Giovanni
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Raffaele Pe(CT), Luca Cervoni(Ten)
Marco Bussi(Bas)
Antonio Florio/
Ghislieri Choir(by Giulio Prandi)
Cappella Neapolitana
GLOSSA/GCD 922609




ガエタノ・ヴェネツィアーノという17世紀後半に活躍した作曲家は、別にヴェネツィアとは関係なく、ナポリで要職についていた人でした。日本語版のWIKIでも扱われていないほどのマイナーな作曲家ですが、最近になって研究も進み、多くの作品が紹介され始めているようです。
今回は、こちらはナポリに由来するピリオド・アンサンブル、「カペラ・ナポリターナ」の指揮者アントニオ・フローリアがナポリで保存されていたアーカイヴの中から写筆稿を発見して、自ら校訂と再構築を行った楽譜によって演奏された、「ヨハネ受難曲」です。もちろん、これが世界初録音となるのでしょう。イタリアの作曲家ですから、タイトルもイタリア語になっていて、「ヨハネ」は「ジョヴァンニ」と呼ばれています。ただ、テキストはイタリア語ではなく、あくまでカトリックの言葉であるラテン語が使われています。ですから、このタイトルは正式には「Passio Domini nostri Jesu Christi secundum Ioannem」となります。「ヨハネ」は「イオアン」でしょうか。スーパーみたいですね(それは「イオン」)。
新約聖書の4つの福音書をテキストにした「受難曲」としては、バッハの作品が最も有名ですし、その前の時代のシュッツの作品も最近では良く聴くことが出来ます。しかし、これらは同じキリスト教でもプロテスタントの教会のために作られたものですから、テキストはドイツ語に訳したものが使われていますね。おそらく、今のクラシック界では、「受難曲」といえばこのドイツ語版が主流を占めているのではないでしょうか。
そんな中で、ラテン語による「受難曲」は、現在ではほとんど聴くことはできません。いや、作品はたくさん作られてはいたのですが、それらがきちんと楽譜として出版されたり、それを用いて演奏されるという機会がほとんどなかったということなのでしょう。そう遠くない将来にはこのような作品も広く知られるようにはなるのか、あるいは昨今のレコード業界の沈滞ムードのせいで、このようなレアなものの録音を手掛けるところが少なくなって、結局学究的な対象のままで終わってしまい普通のリスナーのところまでは届かない状況に終わってしまうのかは、誰にもわかりません。
このヴェネツィア―ノの作品は1685年に作られたものなのだそうです。先ほどのシュッツの「ヨハネ受難曲」は1666年頃に作られていますから、時代的にはそれほどの隔たりはありません。さらに、基本的に、この2つは福音書のテキストだけを用いて作られた受難曲ですから、バッハの作品のような自由詩によるアリアなどは全く含まれてはいません。しかし、その音楽は全く異なった様相を見せています。
まずは楽器編成、というか、シュッツの場合はそもそも楽器は全く入らないア・カペラで歌われているのですが、ヴェネツィア―ノでは弦楽器の合奏に通奏低音が加わっています。次に、登場人物のパートも違います。シュッツやバッハなどは、エヴァンゲリストはテノール、イエスはバスというのが定番ですが、ここではエヴァンゲリストがカウンターテナーによって歌われています。作られた当時はカストラートだったのでしょうか。さらにイエスのパートはテノールです。これだけで、全体の音色がとても明るいものになっています。
そして、決定的な違いが音楽そのものの明るさ。エヴァンゲリストは、とても雄弁な楽器の伴奏に乗って、まるでオペラのアリアのような装飾的なメリスマを多用して聖書の言葉を歌い上げていきます。民衆の合唱も、ポリフォニックに迫ります。それらはまるでマドリガーレのような軽快さを持っています。「受難曲」がこんなに明るくていいのか、と思えるほどのその陽気な音楽は、やはりくそまじめなドイツ人では決して出すことのできない、イタリア人ならではのキャラクターなのでしょうか。
カウンターテナーのラファエレ・ペが、いい味を出しています。

CD Artwork © Note 1 Music GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-04-16 09:34 | 合唱 | Comments(0)
Pentatonix/On My Way Home
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Pentatonix
RCA/88875-19804-9(DVD)



かなり前から発売予告があったのに、実際のリリースは延期に延期を重ねて、やっとこのほど入手することが出来ました。しかも、届いたものがDVDだったのには、ちょっと驚きました。いや、たぶん最初からそのような告知だったのでしょうが、日本ではBDで出るのが当たり前ですから。アメリカでは、まだDVDの方が主流なのでしょうね。ハイレゾにしてもそうですが、日本の方が意外と進んでいる面もありますね。
しかし、確かにこれはDVDなのに、黙って見せられたらBDとほとんど変わらない画質だったことにも驚かされました。最後に流れるほんとうに小さなエンドロールの文字も、DVDでこんなにはっきり見ることができるなんて、まだまだ捨てたものではないと気づかされます。それこそ4Kだ、8Kだと煽り立てているのも、そんなに意味のないことのように思えてしまいます。
映像は、別にコンサートのライブではなく、昨年行われた彼らの北米ツアーのメイキングです。ただ、最初にそれぞれのメンバーの幼少のころに撮影されたホームビデオのようなものが流されることで、このDVD全体のテーマがくっきりと提示されています。そのツアーの最終地が、そんな彼らのルーツである彼らの故郷アーリントンだということで、こんなタイトルが付けられています。さらに、チャプターの構成も「Homeまであと〇日」という感じで、徐々にそこに近づいていくことを意味づけています。
そんな、ツアーの日々の彼らに密着して、最後は故郷での両親たちによる祝福、というありきたりの結末が描かれるのですから、このドキュメンタリー自身は特に魅力もない、陳腐なものでした。ま、下手に見え透いた感動を与えようという下心がない分、とても自然な感じは伝わってきますが、正直退屈な映像でした。
ただ、これを見ることによって、このメンバーのそれぞれのキャラクターがはっきり分かったというあたりは、一つの収穫です。やはり、CDだけを聴いていたのでは分からないことが、特にこのようなある種スタイリッシュな売り方をされているアーティストについては、かなり多いことがよく分かります。
まず、ボイパ担当で、なんとなくこの中では浮いていた存在のケヴィンが、かなりアカデミックな教育を受けていた、というのが意外でした。紹介されている昔のホームビデオではチェロを弾いていたりするんですからね。いや、それだけではなく、現在も「チェリスト」としてコンサートではしっかりソロのコーナーまで与えられているというのですから、これはかなりすごいことです。
それと、やはりこれまではあまり目立っていたという印象のなかったベース担当のアヴィが、グループの中ではかなりの発言権を持っているように見えたのも意外でしたね。
逆に、おそらくリーダー的な存在だと思っていたミッチが、それほど主導権は発揮していないな、と感じられたのも意外でした。というか、あのヘアスタイルは絶対に似合ってませんって。
その点、まとめ役的なスコットと、はしゃぎキャラのカースティンは予想通り、みんなそれぞれに個性を発揮しているのですね。
そして、もう一人の重要な人物であるベン・ブラムの姿を見ることが出来たのも、大収穫でした。デビューからプロデューサーとして彼らとともに音楽を作ってきた人ですが、この中ではメンバーと一緒にア・カペラを歌っているシーンも紹介されています。
ミッチ、スコット、カースティンの3人で始まったこのグループが、ベンと出会い、アヴィとケヴィンを加えてグラミー・ウィナーとなるまでの軌跡もこの「6人」によって語られています。しかし、そのあたりの細かい情報を字幕なしの映像から得ることは、かなり困難でした。日本語は無理だとしても、せめて英語の字幕でもあれば、もう少し助かったものを。最近は、日本語の映像でさえ、字幕がないと言葉が分からなくなっているぐらいですから、つい卑屈に(それは「自虐」)。

DVD Artwork © RCA Records
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by jurassic_oyaji | 2016-04-12 22:58 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Johannes-Passion
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Werner Güra(Ev), Sunhae Im(Sop), Benno Schachtner(CT)
Sebastian Kohlhepp(Ten), Johannes Weisser(Bas)
René Jacobs/
RIAS Kammerchor, Staat- und Domchor Berlin
Akademie für Alte Musik berlin
HARMONIA MUNDI/HMC 802236-37(hybrid SACD)




前回の「マタイ受難曲」でユニークな視点を披露してくれていたヤーコブスが、今度は「ヨハネ」をおなじような斬新さで録音してくれました。さらに、リリースされたのはSACDですし、録音風景やコンサート、そしてヤーコブスたちのインタビューをまとめたDVDも同梱されている、というのも共通しています(どう?今度のアルバムは?)。
今回は、それに加えてハイレゾ音源を無料でダウンロードできる「クーポン・コード」というものまで入っていました。SACDですから別にハイレゾ音源などはなくてもいいのですが、このアルバムに限っては、これはそれだけにはとどまらない特別な意味を持っているのでは、と、最初にそれを見た時には思いました。ジャケットにも、

としっかり書いてありますしね。
つまり、ヤーコブスはこのSACDではごく一般的な「1739/1749年バージョン」を演奏しているのですが、「1725年バージョン(いわゆる第2稿)」の音楽も捨てがたいと考えていて、そこで替えられている5曲もボーナス・トラックとして収録しています。さらに、この英語を読むと彼は「1725年バージョン」も「完全に」録音していて、ハイレゾ音源をダウンロードすればそれを「全曲」聴くことができる、と、この英文では知らせているのです。
そこで、指示されたサイトにクーポン・コードを入れると、こんな画面が現れました。

確かに「2種類」のバージョンをダウンロードできるようになっています。しかし「1725」は分かりますが「1750」っていったいなんなんでしょう。どんな「ヨハネ」の文献を見ても「1750年稿」なんてないんですけど。このあたりから、なんだか様子がおかしいのでは、という気になってきます。それでも、それぞれのボタンをクリックすると、どちらも「全曲」分のFLACファイル、さらに「1750」ではそれに加えて同じ音源のMP3ファイルもダウンロードすることが出来ました。
ところが、まさかとは思いつつもそれぞれの曲のファイルのサイズを比較してみると、SACDのボーナス・トラック以外の曲は、全く同じサイズになっているではありませんか。そんなことはあり得ません。今まで何度もご紹介しているこちらのページで分かる通り、この二つの稿は単にその5曲を差し替えただけではなく、他の曲でも細かいところが異なっているのです。特に最初の10曲は、バッハが1739年に新たにスコアを作った時には、メロディラインや和声、さらには曲の長さまで変えているのですから、それを演奏していれば当然ファイルのサイズも変わってくるはずです。にもかかわらず、それらが全く同じということは、それが全く同じ音源なのだからなのでしょう。実際に聴いてみると、予想通りそれらは全く同じものでした。2曲目のレシタティーヴォの音型も同じ、3曲目のコラールも、1725年バージョンは短調のまま終わるはずなのに、ここでは両方ともピカルディ終止になっています。もちろん、エンディングが1739年に大幅にカットされた9曲目のソプラノのアリアも、1725年の時点ではありえないカットが施されていましたよ。
要するに、ヤーコブスたちは1725年バージョンの「全曲録音」なんかやっていなかったのですよ。録音したのはその中の5曲だけ、それを、こちらは普通に「全曲」録音した1739/1749年バージョンの中に挿入しただけのものが、ハイレゾ音源の「1725年バージョン」なのです。もちろん、それは単なる折衷バージョンであって、「1725年バージョン」とは似て非なるもの、はっきり言えばこのタイトルは紛れもない「偽装」なのですよ。
この「偽装工作」にはヤーコブス自身はかかわってはいなかったのだと思いたいものです。単なる営業サイドの小賢しさのせいだ、と。しかし、そのために、せっかく、合唱を3つの編成に分けて、シーンに応じて適宜使い分けるというアイディアが台無しになっているのが、とても残念です。

SACD Artwork © Harmonia Mundi Musique s.a.s.
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by jurassic_oyaji | 2016-04-05 23:43 | 合唱 | Comments(0)
Carnet de bord
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Daniel Hill(Pf)
Sofi Jeannin/
Maîtrise de Radio France
RADIO Franc/FRF 036




タイトルといいアーティストといい、フランス語尽くしのアルバムです。「カルネ・ド・ボール」は「航海日誌」、「メトリーズ・ド・ラジオ・フランス」は、「フランス国立放送児童合唱団」というのが日本語訳だ、というのが代理店による一つの提案です。ここでちょっと問題なのが、「児童合唱団」という訳し方。確かに辞書を引くと「聖歌隊」のような訳語が出ていますから間違いではないのかもしれませんが、フランスの合唱に詳しい方に言わせれば、これは「児童」とは言っても「女声」だけに限られた団体を指す言葉なのだそうです。「少女合唱団」ですね。
そんなことを知ったのは、大昔に「メトリーズ・ガブリエル・フォーレ」という合唱団が歌ったアンリ・トマジの「コルシカの12の歌」というLPが出た時に、音楽雑誌でそのようなことを書いていた人がいたからです。余談ですが、このアルバムはいまだにCD化されず、「幻の名盤」になっています(その後、再録音されたCDが出ましたが、それは同じ人たちが歌ったとは思えないお粗末な演奏でした)。確かに、この合唱団は高校生ぐらいの少女だけがメンバーでした。さらに余談を重ねると、この団体のウェブサイトが見つかったので覗いてみたら、そこにあった写真には絶対に「少女」ではありえないおばはん、というか老婆たちが写っていました。この「少女合唱団」には年齢制限がなかったのでしょうね。かつての少女たちは、年を重ねても居座っていたために、こんな団体名とは背くような現実が待っていたのでした。
この、1946年に創設されたラジオ・フランスの少女合唱団では、そんなことはなくきっちりとまだ「少女」である内に「卒業」してくれるのでしょう。なんでも、オーディションによってフランス全土から集められた少女たちは、奨学金をもらって小学校レベルから大学卒業レベルまでの教育を受けつつ、音楽関係の多彩なカリキュラムによって日々訓練されているのだそうです。現在、そのような「生徒」は170人ほどいるそうですから、コンサートやレコーディングではその中から選抜されたメンバーが歌うのでしょうね。厳しい世界です。
ですから、その音楽的なレベルはかなり高く、昔からメシアンなどはその演奏を気に入っていて、自作にも起用していました。ピアノやオンド・マルトノが加わったオーケストラと女声合唱による「神の現存のための3つの小典礼」という彼の作品が、1959年に彼女たちによって演奏されたこともありました。さらに、合唱団からの作曲家に対する委嘱も積極的に行われたようで、クセナキスが作ったいくつかの児童合唱を含む作品はその結果生まれたものです。
初代の指揮者はマルセル・クーローが務めました。そして、7代目となる現在の指揮者が、2008年に就任したスウェーデン生まれのソフィ・イェアニンです。
最初に歌われているのはアンリ・デュティユーの「航海の歌」という、船乗りの歌などの伝承歌を無伴奏女声合唱のために編曲した多くの曲集から、第1巻と第2巻からの抜粋です。我々にはなじみのない歌ばかりですが、きっとフランス人だったら誰でも知っている歌ばかりなのでしょう。それを、この合唱団はとても訓練の行き届いた声で楽しそうに歌っています。確かに、日々の訓練が実っているな、という感じがしますし、それでいて適度にアバウトなところも残しているあたりが好感が持てます。というか、この年頃の女声でなければ絶対に出せない雰囲気を、見事にくみ取って音楽に生かしているという感じです。このあたりのテイストが本物の「メトリーズ」なのでしょう。男の子では消臭が必要(それは「ファブリーズ」)。
次のダニエル=ルシュールの「3声の有名な歌」は、各地の民謡などの、やはりよく知られた曲を編曲したものです。スイス民謡の「ホル・ディ・リ・ディ」だけ知ってました。
そして、最後がベンジャミン・ブリテンがウィーン少年合唱団のために作ったオペラ(作曲家は「ボードヴィル」と呼んでいたそうです)「ゴールデン・ヴァニティ号」です。「少年」のために英語で書いたものが、ここでは「少女」が「フランス語」で歌っているというあたりが、なかなかなところでしょう。ピアノ伴奏がかなりヘンタイ。

CD Artwork © Radio France
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by jurassic_oyaji | 2016-03-23 21:15 | 合唱 | Comments(2)
HOMILIUS/Der Messias
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Meike Leluschko, Friederike Beykirch(Sop)
Annekathrin Laabs(MS), Patrick Grahl(Ten)
Tobias Berndt, Sebastian Wartig(Bas)
Matthia Jung/
Sächsisches Vocalensemble, Batzdorfer Hofkaoelle
CPO/777 947-2




このページでは初登場、ゴットフリート・アウグスト・ホミリウスというドイツの作曲家の作品です。彼は1714年にザクセン州のローゼンタールに生まれ、その後ドレスデンで学んだ後ライプツィヒでも法律を学びます。そのかたわら、あのバッハにオルガンを学び、1742年からはドレスデンで教会のオルガニストやカントルに就任してこの街の中心的な音楽家として一生を送ります。亡くなったのは1785年です。
彼はその職務の中で、多くの宗教曲を残しました。その中には、11曲のオラトリオ、181曲のカンタータ、64曲のモテットなどが現存することが分かっています。これからの研究次第では、さらに多くの作品が見つかるかもしれません。
その「オラトリオ」というカテゴリーの中には、聖金曜日に演奏された、いわゆる「受難曲」が含まれます。これは、バッハが作ったような福音書をテキストにしたものが、こちらは4つすべて揃っています。さらに、特定の福音書に依らない、自由なテキストに基づく「受難オラトリオ」という呼ばれるものの中の1曲が、この「メシア」です。ヘンデルの「メサイア」と同じようなカテゴリーですが、こちらはスタート地点がだいぶ後の「最後の晩餐」のあたりになっています。
編成は6人のソリストと合唱、オーケストラは弦楽器にフルート、オーボエ、ファゴット、ティンパニと、通奏低音が加わっています。ソリストのうちのテノールとソプラノ1、バス1はレシタティーヴォを担当し、物語を進めます。ただ、そのレシタティーヴォは通奏低音だけのシンプルなものだけではなく、「アッコンパニャート」という弦楽器の伴奏が入ってドラマティックに歌い上げる部分も多く含まれています。
その前後に合唱によるコラール、そしてソリストによるアリアや重唱が入ります。そのアリアの様式は、もはやバッハの時代のものとは一線を画した、古典派の始まりを感じさせるもの、たとえばバッハの息子のカール・フィリップ・エマニュエルあたりの音楽のような様式感とテイストが漂っています。
コラールはバッハあたりでも使われているようなものが歌われます。それ以外に、ソリストがコラールを歌うというシーンもあり、その時にはオーケストラが一ひねりした伴奏を付けているのが聴きものです。
全曲演奏すると1時間半以上かかる大曲で、全体は2部に分かれています。後半に入るとイエスの死の場面になるのですが、そこでバッハの「ヨハネ受難曲」でもアリアが歌われるイエスの最後の言葉「Es
ist vollbracht!」を用いた2人のソプラノのデュエットが始まります。これが、とても軽やかで明るい歌なんですよね。歌詞を見ると「イエスが亡くなったことでの苦しみは終わり、私たちの心には喜びがあふれる」というような感じですから、それも当然のことなのですが、そのあまりに前向きの姿勢には、「受難曲」に馴染んでいる人はちょっとたじろいでしまうかもしれません。しかし、これが「メシア」たる所以なのでしょう。それ以後の音楽はさらに盛り上がり、ヘンデルの曲と同じような派手なエンディングを迎えることになるのです。こういうのもなかなか楽しいものです。
ソリストの中で注目したいのは、バス1でレシタティーヴォにもアリアにも登場するトビアス・ベルントという人です。「バス」というよりは「バリトン」ですが、そのなめらかな声や歌いまわしが、フィッシャー=ディースカウそっくりなんですね。確かに彼はこの偉大なバリトンにも師事しているようですが、ここまで似ているのには驚かされます。
合唱は、なんかきれいにまとめようという意識が強く感じられてしまいます。このユングという指揮者は他の合唱団でも聴いたことがありますが、いまいちスケールが小さいような。
ブックレットの対訳で、トラック6の最初に歌われるバス2のアリアの歌詞が、誤って最後になっているという瑕疵があります。

CD Artwork © Classid Produktion Osnabrück
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by jurassic_oyaji | 2016-03-19 22:24 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Messe in h-moll
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Maria Stader(Sop), Hertha Töpper(Alt)
Ernst Haefliger(Ten), D. Fischer-Dieskau, Kieth Engen(Bas)
Karl Richter/
Münchener Bach-Chor
Münchener Bach-Orchester
ARCHIEV/UCGA-9007/8(single layer SACD)




カール・リヒターが1960年前後にARCHIVへ録音したバッハの4つの宗教曲がシングル・レイヤーSACDになってリリースされました。その中から1961年録音の「ロ短調」だけ買ってみました。2枚組で税込6,912円という超高額商品ですが、演奏時間が197分47秒の「マタイ」などは2枚のSACDなら218分まで入るものを3枚組にして税込10,368円ですから、もはやぼったくりです。
ネットでこのジャケットを見た時には、感激ものでした。しかし、届いてみたら、SACDのボックスが横長なので、正方形のジャケットをそのままおさめるために左右の余白が帯と同じ色に彩色されてました。これをデザインした人はアホです。せめて、ブックレット(これは正方形)でもきちんとこのボックスのミニチュアにでもなっていれば許せますが、これはなんとモノクロの印刷で曲名が書いてあるだけです。さらに、その中のライナーノーツが例によって大昔のCDに使われていた原稿の使いまわしですから、ひどいものです。この価格で、こんな貧乏くさいブックレットはないでしょう。しかも、その原稿には、とんでもないミスプリントがありました。こんなお粗末な間違いは誰かが気が付いているはずなのに、この業界は絶対直そうとはしないんですね。それは10ページの左の段の下から6行目の「1968年」という年号です。それが新バッハ全集としてこの曲が出版された年とされていますが、これは間違い、本当は「1955年」です。
なぜ、そんなことにこだわるかというと、その年号が、このジャケットに関係があるからなのです。1955年に出版された楽譜によって校訂者が示したのは、「ロ短調ミサは統一的な作品とみなすべきではない」(ライナーより引用)という見解でした。したがって、曲名も作られた時期が同じものだけをまとめて、「Missa」、「Symbolum Nicenum」、「Sanctus」、「Osanna, Benedictus, Agnus Dei et Dona nobis pacem」という4つの部分に分けるべきだ、と主張したのです。それを真に受けてARCHIVがデザインしたのが、このジャケットのロゴなのです。この、当時は「学究的」だと思われていたレーベルは、ここぞとばかりに「新説」をジャケットに反映させたのですね。親切心の表れでしょうか。
つまり、このLPがリリースされたのが1962年ですから、「1968年」に出版されたのでは、こんなジャケットが出来るわけがないのですよ。ですから、このミスプリントをこれまで訂正しなかったユニバーサルミュージックは、レーベルに対しても、そして執筆者の磯山雅さんに対しても謝罪が必要です。
ただ、そんなレーベルの思惑とは裏腹に、リヒターがこの録音のために使った楽譜はその新バッハ全集ではなかったのは、なんとも間抜けな話です。さらに、その「新説」も、今では完全に否定されていて、このようなタイトルは全く意味をなさなくなっているのですから、その間抜けさはさらに募り、このジャケットはそういう意味で「歴史的」な価値を持つことになりました。
音は、そもそもマスターテープの段階でかなりの歪みが入っていて、クオリティはかなり低いものです。冒頭の「Kyrie」などは聴くも無残なことになっています。それでも、弦楽器の音などはCDとは全然違って、肌触りまでがきっちり感じられます。合唱も、本当に静かな、「Qui tollis peccata mundi」などでは、びっくりするようなピュアな響きが味わえます。SACDによって、ワンランク上がった音を体験出来るのは間違いありません。それが価格に見合ったものなのかは微妙ですが。
リヒターの演奏様式は、そもそも旧バッハ全集を使っていたという点で現在の主流とはかけ離れたものですが、そんな外見上の些事を超えたとても熱い思いを感じることが出来ます。低速で丁寧に歌い上げられた合唱のメリスマからは、それが単なる記号ではなく、一つ一つの全ての音に意味があることを教えられます。そして、ヘルタ・テッパーの歌う「Agnus Dei」に涙しない人など、いないのではないでしょうか。

SACD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-03-01 23:51 | 合唱 | Comments(0)
1615 Gabrieli in Venice
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His Majestys Sagbutts & Cornetts
Stephen Cleobury/
The Choir of King's College, Cambridge
CKC/KGS0012(hybrid SACD, BD-A)




ケンブジッジ・キングズ・カレッジ聖歌隊の自主レーベルは、スタート時はSACDでのリリースでしたが、最近ではノーマルCDのものも混ざるようになっていたので、やはりそれほどハイレゾにはこだわっていないのかな、と思っていたら、いきなりSACDとBD-Aのカップリングという、まるで2Lのようなことをやってくれました。そのBD-Aでは、おそらく史上初めてとなるのでしょうがこれまでの2チャンネルステレオ、5.1サラウンドに加えて、「ドルビーアトモス」のフォーマットも選択できるようになっています。「ドルビーアトモス」というのは映画館でのさらなる音響再生のために開発されたもので、なんでも音場を垂直方向に拡大したもののようですが、しかるべき再生装置を用いればそれがご家庭のお茶の間でも実現できるようになったのですね。どうでもいいことですが。
さらに、「mShuttle」によって、各種の音源ファイルをダウンロード出来るようにもなっています。その最上位フォーマットは、録音時に用いられた24bit/96kHz or 192kHzのFLACです。なぜ2種類のサンプリングレートなのかは、録音の時期によってフォーマットが変わっているからです。いまいち意味が分かりませんが、2015年の1月のセッションでは192kHzだったものが、同じ年の6月のセッションでは96kHzになっています。ただ、BD-Aでは全てのトラックが96kHzになっているようです。
そんな「大盤振る舞い」になったのは、このアルバムタイトルの「1615」に関係があるはずです。もちろんこれは年号ですが、なんでも録音時からちょうど500年さかのぼったこの年には、ここで演奏している聖歌隊のホームグラウンドであるキングズ・カレッジのチャペルが出来たのだそうです。そして、同じ年に、ヴェネツィアで大活躍した作曲家ジョヴァンニ・ガブリエリの楽譜が出版されたそうで、その楽譜の中に入っている作品がここで演奏されているのです。作曲家自身はその3年前に亡くなっていますから、この楽譜は死後に出版されています。
その楽譜は2種類ありました。一つは「シンフォニエ・サクレ」というタイトルの、宗教曲を集めたもの、もう一つは「カンツォーネとソナタ」という、器楽アンサンブルの曲集です。ガブリエリはその両方の分野で膨大な作品を残していたのでした。琴奨菊は、これで膨大な白星を重ねました(それは「がぶり寄り」)。
そのどちらの作品にも、ちょっとなじみのない名前の楽器が使われています。それは、コルネット、サックバット、そしてドゥルツィアンという楽器です。「コルネットなら知ってるぞ!」という方もいらっしゃるかもしれませんが、これは、その、トランペットをちょっとかわいくしたような形の楽器とは全くの別物で、マウスピースは金管楽器のものですが、胴体は多くの穴が開いた「縦笛」のような形をしている、この時代にしか使われなかった楽器のことです。そして、サックバットはトロンボーンの、ドゥルツィアンはファゴットのそれぞれ前身となる楽器です。
とても広々としたチャペルの中で行われた録音では、そんな珍しい楽器、特にコルネットの鄙びた音色と歌いまわしが手に取るように味わうことが出来ます。サックバットの重厚な和音も魅力的、ドゥルツィアンはたった2曲にしか登場しませんが、その独特の低音はすぐに分かります。
それに対して合唱は、録音が良すぎるせいか、かなりアラが目立ちます。特にソリストたちの声が全然統一されていないのがとても聴きづらいものですというのも、多くの曲でバリトンのソロを担当している人が全然周りに溶け込まないダミ声なんですね。ビブラートも強烈ですし。なんでこんな人がソロを、と思ってしまいます。これを聴いて思い出したのが、同じ聖歌隊出身でキングズ・シンガーズのメンバーでもあったボブ・チルコットでした。彼の声もグループの中ではこんな感じ、こういうのもキングズ・カレッジの「伝統」なのでしょうか。

BD-A Artwork © The Choir of King's College, Cambridge
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by jurassic_oyaji | 2016-02-26 20:37 | 合唱 | Comments(0)
VERDI/Missa da Requiem
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Margaret Price(Sop), Jessye Norman(MS)
José Carreras(Ten), Ruggero Raimondi(Bas)
Claudio Abbado/
Edinburgh Festival Chorus(by John Currie)
London Symphony Orchestra
ARTHAUS/109178(BD)




前にも聴いたARTHAUSの「ハイレゾ・オーディオBD」は、そのパッケージもちょっとユニークな仕上がりです。どうです、この重厚な、まるでハードカバーのような装丁は。しかも、あたかも古書であるかのような汚し方が、なかなか素敵ですね。これで背クロスが本物の布だったら感激ものなのですが、あいにく印刷ぬのでした。

これは、ディスクの収納の仕方も変わっています。このようにボール紙を重ねて隙間を作り、その間にBDをスライドして入れるようになっています。

ですから、信号を読み取る面を直接滑らせる、ということになるので、そこで傷が付いたりしないか、神経質な人だと気になるかもしれませんね。でも、安心してください。その、ディスクに直接接触する面は、紙の上にポリエチレンがコーティングされているのです。そうなると表面は平滑ですし、ポリエチレン自体は柔らかい樹脂ですから、傷がつくことは決してありません。試しに何回も出し入れしてみましたが、全然傷なんかつきませんでしたよ。このパッケージは薄いので、プラスティックスのものより収納スペースが少なくて済みます。この形が標準になってくれるとうれしいのですが。
今回のアイテムは、1982年に収録されたヴェルディの「レクイエム」です。前回のモーツァルトのレクイエムは音がいまいちでせっかくのハイレゾでもあまりメリットは感じられなかったのですが、これはどうなのでしょう。一応映像ディレクターが、あのバーンスタインの多くの映像を手掛けたハンフリー・バートンなのですから、期待はできます。もっとも、一番期待をしていたのは、メゾソプラノのジェシー・ノーマンですけどね。彼女がこの曲を歌っているのを聴くのは、これが初めてです。
オープニングでステージの全景が映った時には、その合唱の人数の多さに驚かされます。会場は1914年に完成したという由緒ある「アッシャー・ホール」というところですが、客席は2,900人収容という巨大な建物で、ステージにも大きなオルガンが設置されています。その前の階段状の客席を埋め尽くしたのは総勢300人はいるのではないかという合唱団です。オーケストラのサイズは16型、管楽器も楽譜通りで特に補強はされてはいません。
その合唱が、大人数にありがちな大味のところは全くなく、とても繊細で表情が豊かです。ですから、冒頭の「Requiem」というソット・ヴォーチェには鳥肌が立つほどの緊張感が漂っていました。もちろん、「Dies irae」のような大音量のところはもう怒涛の迫力、そのダイナミック・レンジの広さには驚かされます。さすがに「Sacntus」あたりではアンサンブルが乱れてしまいましたが、それは仕方がないでしょう。「Libera me」のフーガなどは、見事に立ち直っていましたからね。一応楽譜は持っていますが、しっかり指揮者は見ているようでした。その楽譜が、使い古してボロボロになっている人もいて、さすがに歌いこんでいるのでしょう。
ソリストでは、やはりジェシー・ノーマンは圧倒的な素晴らしさでした。そして彼女とともに素晴らしかったのが、ソプラノのマーガレット・プライスです。この二人の掛け合いで始まる「Recordare」では、一人ずつで歌う時にはお互いが全く異なる方向性を見せて、まるで二人が牽制し合っているようなスリリングなことになっているのですが、一緒に歌っている時には本当に見事な、まるで奇跡のようなアンサンブルが実現していました。この曲のソリストはそれぞれ声を張り上げてばかりだと常々思っていたのに、こんなこともできるんですね。もちろん、「Agnus Dei」のオクターブ・ユニゾンは完璧です。余談ですが、プライスという人はマツコそっくりですね。

録音は、これだけの大人数の合唱がほとんど歪みもなく聴こえるというかなりのクオリティでした。ただ、オーケストラに関してはちょっと雑な音になっていましたね。

BD Artwork © Arthaus Musik GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-02-24 21:59 | 合唱 | Comments(0)