おやぢの部屋2
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カテゴリ:合唱( 630 )
SMOLKA/Poema de Balcones
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Marcus Creed/
SWR Vokalensemble Stuttgart
WERGO/WER 7332 2(hybrid SACD)




WERGOという名前を聞いただけで、なんだか難しそうな音楽ばかり扱っていて、聴く前からぐじゃぐじゃの音の攻撃に耐えなければいけないようなイメージが付きまとっているレーベル、という気にはならないでしょうか。
そのような大雑把なイメージのせいで、このアルバムもちょっと敷居が高いような先入観を持ってしまいますが、注意深くクレジットを見てみると、これはレーベルこそWERGOですが、実際に制作したのは、ここで歌っているマーカス・クリード指揮のSWRヴォーカルアンサンブルというおなじみの顔触れの演奏の録音をいつもリリースしているSWRそのものであることに気づくはずです。プロデューサーやエンジニアにはおなじみの名前が見られますしね。しかもSACDだというのですから、これはもうWERGOなんて余計な肩書を考えずに聴けば、さぞや素晴らしい体験ができることでしょう。それにしても、なぜWERGOだったのでしょう。親会社のSCHOTTから楽譜が出ているのでしょうか(おや、この作曲家の楽譜はすべてブライトコプフから出版されていますよ)。
このアルバムの作曲家、マルティン・スモルカは、1959年にチェコのプラハで生まれました。プラハ芸術アカデミー(Academy of Fine Arts)で作曲を学び、1980年代初めごろから、前衛音楽の旗手として作曲活動を開始します。彼が影響を受けたのはポスト・ウェーベルン、ミニマリズム、ケージのようなエクスペリメンタル・ミュージック、そしてペンデレツキなどのポーランド楽派だといいます。まさに当時の「前衛」の王道ですね。そして、1992年のドナウエッシンゲン音楽祭で演奏された「Rain, a window, roofs, chimneys, pigeons and so… and railway bridges, too」という18人のアンサンブルのための作品で、一躍国際的な舞台へと登場したのです。
これは彼が2000年以降に作った合唱のための作品集、最初に聴こえてくるのはフェデリコ・ガルシア・ロルカの詩集からの断片をテキストとして2008年に作られた「Poema de balcones(バルコニーの詩)」です。録音は2009年の3月17日と18日に行われていますが、彼らによって世界初演が行われたのが同じ年の3月21日ですから、初演に先立って録音されていたということになります。テキストはほとんど聞き取れないほどのヴォカリーズ的な声で歌われています。穏やかなクラスターが終始鳴り響くという、まるでリゲティの「Lux aeterna」を思わせるような曲想ですが、それよりはもっと具体的な情景を描写しているように感じられるやさしさが漂っています。それは、浜辺に打ち寄せる波の音とも、深い森の奥に吹き渡る風のざわめきとも思えるような、なにか心の深いところに直接イメージを送り込んでくる力を持ったサウンドです。ある時は口笛なども使って、それはより具体性を持つことになります。
2曲目の「Walden, the Distiller of Celestial Dews(ウォールデン、星の雫を蒸留する人)」は、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの著書「ウォールデン、森の生活」からテキストが採られています。こちらは、5つの曲から成っていて、それぞれに技法も印象もまるで異なっている、ヴァラエティに富んだ曲集です。その中の4曲目「Blackberry」がとても印象的でした。とても緩やかな優しいテイストの部分とリズミカルな部分が交互に現れるのは、人間の二面性の投影でしょうか。
これは、ドナウエッシンゲンで2000年に初演されたもので、その時の、やはりこの合唱団(指揮はルパート・フーバー)による録音と、もう一つ、ペーテル・エトヴェシュ指揮のバイエルン放送合唱団による録音(NEOS)がすでに出ています。
3曲目の「塩と悲しみ」はタデウシュ・ルジェヴィッチのポーランド語のテキストによって2006年に作られラトヴィア放送合唱団によって初演されていますが、録音はこれが初めてのもの。これも、幅広い情景描写が魅力的です。
そのような振幅の大きい表現を、この合唱団は的確に表現しています。それは、SACDならではの素晴らしい音で聴く者にはストレートに迫ってきます。

SACD Artwork © WERGO
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by jurassic_oyaji | 2016-05-14 20:03 | 合唱 | Comments(0)
L'ESTRANGE/On Eagles' Wings
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Nigel Short/
Tenebrae
SIGNUM/SIGCD454




1974年に生まれたイギリスの作曲家アレグザンダー・レストレンジの宗教的な合唱作品を集めたアルバムです。彼は合唱曲の作曲家、あるいは編曲家としては今や超売れっ子の存在、その編曲のクライアントとしては、「スウィングル・シンガーズ」、「ヴォーチェス8」そして「キングズ・シンガーズ」といった最強のア・カペラのグループが名を連ねています。
レストレンジ自身も、幼少のころからオクスフォードのニュー・カレッジの聖歌隊の一員としてエドワード・ヒギンボトムの指揮のもとでボーイ・ソプラノとしての演奏活動を行っていました。それと同時にジャズにも関心を示し、ピアノで即興演奏なども行っていたそうです。あるときなどは、聖歌隊でハーバート・ハウエルズの有名な聖歌「汚れなきバラ」を歌った時に、ホ長調の三和音で終わるその曲の最後に他の聖歌隊員と共謀して9音であるF♯の音をハミングで歌って、ジャズ風の「ナインス・コード」にしてしまうといういたずらをやったりしたのだそうです。
そんなレストレンジ少年は、幼少期の興味をそのままに伸ばして、それを職業とする幸せな生涯をたどっているところなのでしょう。現在では作曲家であると同時に、ジャズ・プレーヤーとしても、ピアノと、さらにはベースまで演奏するようになっているのだそうです。
このCDには、彼の、主に実際に礼拝に用いるために作られたもの以外にも、例えば結婚式のお祝いのために作られたものなど、最近の作品が収められています。最も古いものでは2001年、そして、最も新しいのが、2014年に、彼の古巣ニュー・カレッジの礼拝のために作られた2曲、「Magnificato」と「Nunc Dimittis」です。これらは英語の歌詞に直されていますが、その年にこのチャペルのオルガニストと指揮者のポストから引退することになっていたヒギンボトムのためのお祝いという意味が込められています。
それは、単に「お祝いの意味を込めた」という抽象的な「気持ち」ではなく、もっと具体的な技法として示されています。例えば、ホ長調で作られた1曲目の冒頭のオルガンのイントロが、最初に9度の跳躍が登場するというとてつもないテーマで始まり、それが続く合唱でのメインテーマとなるのですが、それは移動ドで読めば「ド・↑レ」、つまり「1度」と「9度」、そのあとに続く音が「シ・ラ」ですから、その4つの音で「1976」となります。これは、ヒギンボトムがこのチャペルのオルガニストに就任した年なのだそうです。さらに、もう一つのテーマがドイツ語読みで「E-H」(つまり「ド・ソ」)から始まるのですが、これはエドワード・ヒギンボトムのイニシャルですよね。2曲目でも、「レ・シ・ド・ファ」というテーマが使われていますが、それは「2014」(「シ」は「ド」の前なので「0」になります)という、まさにその引退の年になるわけです。
そして、そこにとっておきのジョークが加わります。この2曲目の最後のコードは、30年前にレストレンジ少年がヒギンボトムから大目玉をくらった「E9th」そのものだったのです。
オルガンの伴奏が付いたり、ア・カペラで歌われたりと続くレストレンジの作品は、やはり基本的にジャズのイディオムがあちこちに感じられるものです。アルバムタイトルとなっている「On Eagles' Wings」は、決して楽天イーグルスの応援歌ではなく聖書の中の「Eagle」がらみのフレーズを集めたものですが、オルガンと女声合唱で歌われるまさにジャズ・コーラスそのものです。最後のコードはメージャーセブンスから派生した高度なものですし。
そんな手の込んだ、しかしあくまで柔らかな肌触りを持つ曲を、「テネブレ」の、まさにかゆいところに届くような行き届いた演奏で聴いてきたら、最後になっていきなりピアノ伴奏のなんともシンプルな曲が現れました。この「An Irish Blessing」という曲は、実は彼の奥さんのジョアンナさんが作曲したものなんですって。

CD Artwork © Signum Records
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by jurassic_oyaji | 2016-05-12 20:22 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Johannes-Passion
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Julian Prégardien(Ev), Tareq Mazmi(Je)
Christina Landshamer(Sop), Ulrike Malotta(Alt)
Tilman Lichdi(Ten), Krešimir Stražanac(Bas)
Peter Diykstra/
Chor des Bayerischen Runfunks, Concerto Köln
BR/900909




ペーター・ダイクストラとバイエルン放送合唱団は、バッハの大規模な宗教曲のうちすでに「マタイ受難曲」と「クリスマス・オラトリオ」を録音しています。そして今回は「ヨハネ受難曲」の新しい録音ですから、これで「ロ短調ミサ」を録音してくれれば、今までのバッハの大家と言われていた偉大な指揮者たちと肩を並べることになります。しかし、そのような精神的にストレスの多い仕事を続けていると、やはり頭髪への影響も並々ならぬものとなっているのでしょうね。ほんとに、彼の額がひたいに(次第に)上に広がっていく早さには、驚くばかりです。彼の師であるエリクソンと同じ風貌になるのには、そんなに時間は要らないことでしょう。
この録音は、今までと同じミュンヘンのヘルクレスザールで2015年の3月に行われたコンサートでライブ収録されたものです。しかし、ブックレットを見てみると、そのホールではなく別の教会で演奏されている写真が載っています。それは、単に会場が異なるという以上に、オーケストラや合唱とソリスト、さらには指揮者の配置がとてもユニークになっていることに驚かされます。演奏家たちは指揮者を囲むように座っていて、指揮者はその真ん中に立っています。さらに、エヴァンゲリストが歌う場所が一段高くなった廊下のようになっていて、彼はその上を歩いて歌っているようなのですね。どのようなコンセプトでこんなパフォーマンスが行われていたのか、知りたいものです。今までだと、CDだけではなくDVDもリリースされていましたが、そちらの映像ではこの教会バージョンが使われていることを期待しましょう。
このような、いわば「メジャー」なリスナーをターゲットにしているアルバムだからでしょうか、この受難曲を演奏する時の一つの試金石となる「版」の選択も、特に目新しいことはやらずに一般的な新全集版が使われています。クレジットでも「出版社 ©ベーレンライター」という表記がありますし、一応その楽譜の素性についてのコメントもきちんとライナーノーツで述べられていますから、これは正しい姿勢です。少なくとも、先日のヤーコブス盤でのダウンロード・アイテムのような「偽装」とは無縁でしょう。
エヴァンゲリストは、このところすっかりこのロールが板についてきたプレガルディエン(もちろんユリアンの方)ですし、そのほかのソリストも若い人たちが揃っています。プレガルディエンの伸びのある軽めの声に合わせたように、それぞれが爽やか目の声でとてもすがすがしい歌を聴かせてくれています。特に、もう一人のテノール、アリア担当ティルマン・リヒディが、本当にリリカルな歌い方なのには癒されます。ただ、アルトのウルリケ・マロッタが同じように軽めなのは、さすがにやりすぎ。「Es ist vollbracht」では、やはりもっと深みのある声が欲しかったところです。
その、ヴィオラ・ダ・ガンバのオブリガートが付く30番のアリアでは、使われているベーレンライター版では中間部ではガンバはソリストとユニゾンになるはずなのに、ここでは通奏低音のパートが演奏されていました。実はこの部分は、なぜかこの版の元となった「1739/1749年版」の自筆稿「↓」とは違っていて、あえて1732年稿(第3稿)の形に変えられているのですね。

そこで、今確認してみたら、ここには「あるいは、通奏低音と同じように」という注釈がありました。

ダイクストラは、きちんと自筆稿まで参照していたのですね。
彼は、やはり合唱に関してはとても緻密なアプローチに徹しているようです。特に第2部になってからの群衆の合唱の劇的な振る舞いには、思わず興奮させられてしまいます。24番のバスのアリア「Eilt,
ihr angefochtnen Seelen」での合唱の合いの手の「wohin?」でも、途中のフェルマータをやめて「急ぐ」気持ちを抑えられないでいますし。
「おまけ」のCDに収められているレクチャーは、対訳がない限り全く何の意味もなしません。

CD Artwork © BRmedia Service GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-04-30 21:14 | 合唱 | Comments(0)
Rheinmädchen
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Raphaël Pichon/
Pygmalion
HARMONIA MUNDI/HMC 902239




最近のこのレーベルのCDには、ハイレゾ音源がダウンロードできるようなヴァウチャーが入っています。どうやらもうごく限られたアイテム以外はSACDではなくCDに移行しようという意向が固まったかのように、このところSACDでのリリースが激減していることと関係しているのでしょうね。パッケージはCDだけど、ご希望のお客様にはハイレゾもご提供できますよ、という「暖かい」配慮なのでしょう。確かに、スタート当初は44.1/24という中途半端なフォーマットだったものが、今ではしっかり96/24というSACD並みのクオリティが確保できるものになっていますから、これはありがたいものです。なにしろ、今のハイレゾ音源の販売体制と言ったら、音源のデータだけ送ればそれでいいだろうという杜撰極まりないものですから、しっかり従来のパッケージがそのまま保障されたうえで、音だけはハイレゾが入手できるというこのシステムは大歓迎です。
入手方法もいたって簡単、ヴァウチャーに示されたサイトに行って、カードに書かれたパスコードを入れるだけでOK、会員登録などの面倒くさい手続きは一切要りません。もちろん無料です。オリジナルのCDがリリースされてから2年間はダウンロードが可能ですし、同じパスコードが3回までは使えますからね。
「ラインの乙女」というタイトルのこのアルバムは、最近何かと気になるラファエル・ピション率いる「ピグマリオン」の演奏ですが、ここでは合唱は女声だけが歌っています。「乙女」ですからね。伴奏も、ピアノは使われずホルン4本、コントラバス2本、そしてハープが用意されています。このフル編成で最初に聴こえてきたのが、ワーグナーの「ラインの黄金」というよりは4部作「ニーベルンクの指環」全体の前奏曲でした。編曲者のクレジットはありませんが、原曲の混沌感を見事に表現したものになっています。特に、ハープの低音が不気味さを演出しています。もちろん、オリジナルには合唱は入っていませんが、最初に聴こえるか聴こえないかという感じでうっすらと歌われているものが、次第に盛り上がってくるのは圧巻です。
ワーグナーの「指輪」はそのあとも登場します。「ジークフリート」からは、第2幕第2場でジークフリートが角笛を吹くシーンで演奏されるホルンのソロ、もちろん、それはホルン1本だけで、合唱は加わりません。さらに「神々の黄昏」では、第3幕の第2場と第3場をつなぐ、いわゆる「葬送行進曲」がホルン4本だけで演奏されます。これらのホルンは、全部で6種類の19世紀から20世紀初頭にかけて作られた楽器が用いられています。合唱のアルバムだと思っていたら、楽器でもしっかり「ピリオド」にこだわっていたのですね。そして、ワーグナーの「指環」からはもう1曲、同じ「神々の黄昏」の第3幕冒頭の前奏曲まで遡ります。ジークフリートのホルンに続いてラインの乙女の合唱がホルン2本とハープに伴われた編曲で演奏され、その最後に、またホルンのソロでその曲が終わったかと思うと、それがなんと次のブラームスの「4つの歌」のホルンによるイントロにそのまま続くという、憎すぎる演出が施されています。
そんな手の込んだ骨組みの中で、メインであるシューベルト、シューマン、そしてブラームスの女声合唱が歌われます。中にはリートを合唱に編曲したものも含まれていて、興味は尽きません。そんな中で、ブラームスの「女声合唱のためのカノンによる民謡集」(ふつうは「13のカノン」と呼ばれていますが、このCDでの表記はこうなってます)の最後の曲「Einförmig ist der Liebe Gram」は、シューベルトの「冬の旅」の最後の曲「Der Leiermann」と全く同じ曲なんですね。あの曲はずっとシューベルトのオリジナルだと思っていましたが、本当は「民謡」だったのでしょうか。あるいは、ブラームスがシューベルトの曲を「民謡」と解釈して引用したとか。
女声合唱のまろやかさと、他の楽器の肌触り、それらがきちんと聴こえてくるのは、やはりCDではなくハイレゾの方でした。

CD Artwork © Harmonia Mundi Musique S.A.S.
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by jurassic_oyaji | 2016-04-26 21:01 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Missa BWV232(1733)
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Eugénie Warnier, Anna Reinhold(Sop)
Carlos Mena(CT), Emilliano Gonzalez Toro(Ten)
Konstantin Wolff(Bas)
Raphaël Pichon/
Pygmalion
ALPHA/Alpha 188




以前こちらで聴いたモーツァルトのアリア集の中で、とてもセンスの良いバックを務めていたラファエル・ピション指揮の「ピグマリオン」が、彼らの本来のフィールドでバッハを演奏していたアルバムが目に入ったので、聴いてみました。バッハの「ミサ・ブレヴィスBWV232」です。
カトリックの典礼で用いられる「ミサ」は、本来は「Kyrie」、「Gloria」、「Credo」、「Sanctus」、「Agnus Dei」の5つのパーツから出来ていますが、それの最初の2つだけから成るものは「ミサ・ブレヴィス(小さなミサ)」と呼ばれます。プロテスタントの場合も、ルター派ではこの形でのミサは認められているので「ルター派のミサ」とも呼ばれています。バッハが作ったこの形の作品は、一応4曲(BWV233-236)残されています。
しかしここでは、それらとは別の「BWV232」が演奏されていました。このシュミーダー番号をご覧になれば、有名な「ロ短調ミサ」であるとこはすぐに分かりますが、それは全パーツが揃った「フル・ミサ」ですから、「ミサ・ブレヴィス」ではないのでは、という疑問が浮かんでくるはずです。そのあたりは、この「ロ短調」の成立経緯を考えれば納得です。フル・ミサとして完成されたのは1749年頃ですが、バッハはその時点で以前に作られたものを集め、足らないものは新たに作って「ロ短調ミサ」という大曲に仕上げていたのです。「Kyrie」と「Gloria」がまさにそのような「在庫品」、1733年にドレスデン選帝侯に献呈するために作られていたものだったのです。つまり、ピションたちは1733年にタイムスリップして、その時には「ミサ・ブレヴィス」という形で存在していた作品をここで演奏している、ということになるのですね。
合唱は23人と、程よい人数、オーケストラも弦楽器は4.4.3.2.2という、少し大きめの編成です。ただ、見かけはそういう人数なのですが、ヴィオラ以下のパートにはそれぞれヴィオール系の楽器が1本ずつ含まれています。さらに、通奏低音にもオルガン、チェンバロ、そしてテオルボまでが加わっているというヴァラエティに富んだ編成がとられています。それによって弦楽器全体はとてもソフトな音色を楽しむことが出来ますし、テオルボが大々的にフィーチャーされた「Domine Deus」のデュエットなどでは、それがまるでハープのように聴こえてきて、とても典雅な思いになれます。
合唱もとことんまろやかな歌い方で迫ります。冒頭の「Kyrie」などは、良くある荘厳で重厚なものでは全然なくて、気抜けするほどの爽やかさです。トランペットとティンパニが活躍する場面でも、それはリズムを強調するのではなく、華やかな音色を加えるという方向に作用しているようです。
ご存知のように、献呈の際にバッハはスコアではなく、自ら写筆したパート譜を作って、それをドレスデンに送っています。その時にいくつかの部分で改訂を行っています。それはスコアには反映されていませんし、さらにスコア自体も後にパート譜で改訂した箇所とは別のところを書き換えたりしているので、この「ミサ・ブレヴィス」は厳密にいえば「ロ短調ミサ」の中の最初の2曲とは異なっているところがあります。その具体的な相違点は、こちらのCDに付いてきたパート譜のファクシミリや、こちらの、2014年に出版されたCARUSのスコアを見れば分かります。
しかし、その楽譜などと照らし合わせてみると、この演奏は1733に作られた「ミサ・ブレヴィス」とは別物であることに気づきます。特に「Et in terra pax」のフーガの歌い出しの「hominibus」のリズムは、全て付点音符になっているのはちょっと問題。これは、「ミサ・ブレヴィス」の時点では「♪+♪」の平たいリズムだったものが、「ロ短調ミサ」になった時に(おそらく)改訂された部分なのですからね。さらに、パート譜を作った時に改訂されたバスのアリア「Quoniam tu solus sanctus」では、両方のバージョンが混在してますし。こういういい加減なことは、金輪際やめてもらいたいものです。

CD Artwork © Alpha Productions
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by jurassic_oyaji | 2016-04-23 22:57 | 合唱 | Comments(0)
MOZART/Requiem
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坂本徹/
Mozart Academy Tokyo
Ensemble Bel Homme
NYA/NYA-1501




モーツァルトの「レクイエム」だったら、新しい録音はすべて聴いてみようというぐらいの気持ちでいるものですから、このようなプライベート盤でも、入手可能であれば迷わずにゲットです。2014年の12月に行われたコンサートのライブ録音で、すでに昨年のうちにリリースはされていたようなのですが、これに参加していた知り合いがたまたまSNSで紹介してくれたおかげで、こんなユニークな録音を聴くことが出来ました。
演奏している「モーツァルト・アカデミー・トウキョウ」は、甘いものが食べられない人たちが作ったグループではなく(それは「モーツァルト・アカデミー・トウニョウ」)、インマゼールの「アニマ・エテルナ」やブリュッヘンの「18世紀オーケストラ」のメンバーでもあったピリオド・クラリネット奏者であり、合唱指揮者でもある坂本徹さんが2005年に結成した団体です。オーケストラと合唱を含めた組織のようで、それぞれの分野のプロフェッショナルな人たちが集まって活動しています。この「レクイエム」の場合は、使われている楽器はピリオド楽器、合唱の人数は6.4.4.4と少なめ、そしてソリストは合唱のメンバーが務めるという、世界中のピリオド志向の団体のスタンダードのようなやり方を取っています。
用いている楽譜がジュスマイヤー版だというのも、やはりある意味スタンダード。ただ、ここで「ユニーク」なのは、この演奏全体をあくまで「礼拝」ととらえて、モーツァルトは作曲していないけれど、実際の典礼では用いられたはずのテキストまできちんと演奏しているという点です。もちろん、そのテキストはただ朗読されるのではなく、「グレゴリオ聖歌」の「メロディ」で歌われることになります。
その聖歌は、この合唱団とは別の、日本語に訳すと「イケメン・アンサンブル」となる、「アンサンブル・ベロム」という男声だけの合唱団が歌っています。その、今まで聴きなれたちょっと渋さの伴う「グレゴリオ聖歌」とはだいぶテイストの異なる、かなり洗練されたユニゾンで最初に演奏されたのが、「Introitus」です。これはモーツァルトはきちんと作曲しているので、ちょっとした反則技になってしまうのでしょうが、指揮者によれば「この素晴らしくも穏やかな」聖歌はぜひ聴いていただきたかった、ということなのだそうです。確かに、これは別にグレゴリア聖歌に興味のない人でも、合唱ファンであればどこかでは聴いたことのあるはずの、あのモーリス・デュリュフレが作った「レクイエム」と全く同じメロディ(いや、正確には、デュリュフレがグレゴリオ聖歌を引用したものですが)の曲ですからね。モーツァルトだと思って聴きはじめたら、いきなりデュリュフレが始まって驚くかもしれませんね。
その後には、普通のモーツァルト版の「Introitus」が始まりますから、安心してください。しかし、さっきまでのア・カペラははっきり聴こえてきたのに、ここで初めてオーケストラが入ってくると合唱がほとんど聴こえないほどになってしまいました。録音の際には1対のメインマイクを客席の中に立てただけのようで、補助マイクなどは全く使われていませんから、こんな不自然なバランスの録音になってしまったのでしょう。
この会場で録音する時の難しさは、同じ曲をここで録音したこちらの歴史的な「失敗作」(もちろん録音面での、という意味で)によって広く知られるようになっていますから、エンジニアとしてもいろいろ考えた末のマイクアレンジだったのでしょうが、ここはやはり潔く合唱に補助マイクを使うべきだったのではないでしょうか。何しろ、ここでの合唱は響きとしてはかろうじて聴こえるものの、言葉が全く伝わってこないのですからね。おそらく、会場で聴いている人たちには視覚も手伝ってその辺はある程度補正されて聴こえていたはずですが、残念ながらそこまでを音として収録することは出来ていませんでした。
演奏自体も、この録音では生の情感を表に出すことは避けた穏健なもののように聴こえてしまいます。

CD Artwork © N.Y.A. Sounds
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by jurassic_oyaji | 2016-04-19 23:26 | 合唱 | Comments(0)
VENEZIANO/La Passione secondo Giovanni
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Raffaele Pe(CT), Luca Cervoni(Ten)
Marco Bussi(Bas)
Antonio Florio/
Ghislieri Choir(by Giulio Prandi)
Cappella Neapolitana
GLOSSA/GCD 922609




ガエタノ・ヴェネツィアーノという17世紀後半に活躍した作曲家は、別にヴェネツィアとは関係なく、ナポリで要職についていた人でした。日本語版のWIKIでも扱われていないほどのマイナーな作曲家ですが、最近になって研究も進み、多くの作品が紹介され始めているようです。
今回は、こちらはナポリに由来するピリオド・アンサンブル、「カペラ・ナポリターナ」の指揮者アントニオ・フローリアがナポリで保存されていたアーカイヴの中から写筆稿を発見して、自ら校訂と再構築を行った楽譜によって演奏された、「ヨハネ受難曲」です。もちろん、これが世界初録音となるのでしょう。イタリアの作曲家ですから、タイトルもイタリア語になっていて、「ヨハネ」は「ジョヴァンニ」と呼ばれています。ただ、テキストはイタリア語ではなく、あくまでカトリックの言葉であるラテン語が使われています。ですから、このタイトルは正式には「Passio Domini nostri Jesu Christi secundum Ioannem」となります。「ヨハネ」は「イオアン」でしょうか。スーパーみたいですね(それは「イオン」)。
新約聖書の4つの福音書をテキストにした「受難曲」としては、バッハの作品が最も有名ですし、その前の時代のシュッツの作品も最近では良く聴くことが出来ます。しかし、これらは同じキリスト教でもプロテスタントの教会のために作られたものですから、テキストはドイツ語に訳したものが使われていますね。おそらく、今のクラシック界では、「受難曲」といえばこのドイツ語版が主流を占めているのではないでしょうか。
そんな中で、ラテン語による「受難曲」は、現在ではほとんど聴くことはできません。いや、作品はたくさん作られてはいたのですが、それらがきちんと楽譜として出版されたり、それを用いて演奏されるという機会がほとんどなかったということなのでしょう。そう遠くない将来にはこのような作品も広く知られるようにはなるのか、あるいは昨今のレコード業界の沈滞ムードのせいで、このようなレアなものの録音を手掛けるところが少なくなって、結局学究的な対象のままで終わってしまい普通のリスナーのところまでは届かない状況に終わってしまうのかは、誰にもわかりません。
このヴェネツィア―ノの作品は1685年に作られたものなのだそうです。先ほどのシュッツの「ヨハネ受難曲」は1666年頃に作られていますから、時代的にはそれほどの隔たりはありません。さらに、基本的に、この2つは福音書のテキストだけを用いて作られた受難曲ですから、バッハの作品のような自由詩によるアリアなどは全く含まれてはいません。しかし、その音楽は全く異なった様相を見せています。
まずは楽器編成、というか、シュッツの場合はそもそも楽器は全く入らないア・カペラで歌われているのですが、ヴェネツィア―ノでは弦楽器の合奏に通奏低音が加わっています。次に、登場人物のパートも違います。シュッツやバッハなどは、エヴァンゲリストはテノール、イエスはバスというのが定番ですが、ここではエヴァンゲリストがカウンターテナーによって歌われています。作られた当時はカストラートだったのでしょうか。さらにイエスのパートはテノールです。これだけで、全体の音色がとても明るいものになっています。
そして、決定的な違いが音楽そのものの明るさ。エヴァンゲリストは、とても雄弁な楽器の伴奏に乗って、まるでオペラのアリアのような装飾的なメリスマを多用して聖書の言葉を歌い上げていきます。民衆の合唱も、ポリフォニックに迫ります。それらはまるでマドリガーレのような軽快さを持っています。「受難曲」がこんなに明るくていいのか、と思えるほどのその陽気な音楽は、やはりくそまじめなドイツ人では決して出すことのできない、イタリア人ならではのキャラクターなのでしょうか。
カウンターテナーのラファエレ・ペが、いい味を出しています。

CD Artwork © Note 1 Music GmbH
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by jurassic_oyaji | 2016-04-16 09:34 | 合唱 | Comments(0)
Pentatonix/On My Way Home
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Pentatonix
RCA/88875-19804-9(DVD)



かなり前から発売予告があったのに、実際のリリースは延期に延期を重ねて、やっとこのほど入手することが出来ました。しかも、届いたものがDVDだったのには、ちょっと驚きました。いや、たぶん最初からそのような告知だったのでしょうが、日本ではBDで出るのが当たり前ですから。アメリカでは、まだDVDの方が主流なのでしょうね。ハイレゾにしてもそうですが、日本の方が意外と進んでいる面もありますね。
しかし、確かにこれはDVDなのに、黙って見せられたらBDとほとんど変わらない画質だったことにも驚かされました。最後に流れるほんとうに小さなエンドロールの文字も、DVDでこんなにはっきり見ることができるなんて、まだまだ捨てたものではないと気づかされます。それこそ4Kだ、8Kだと煽り立てているのも、そんなに意味のないことのように思えてしまいます。
映像は、別にコンサートのライブではなく、昨年行われた彼らの北米ツアーのメイキングです。ただ、最初にそれぞれのメンバーの幼少のころに撮影されたホームビデオのようなものが流されることで、このDVD全体のテーマがくっきりと提示されています。そのツアーの最終地が、そんな彼らのルーツである彼らの故郷アーリントンだということで、こんなタイトルが付けられています。さらに、チャプターの構成も「Homeまであと〇日」という感じで、徐々にそこに近づいていくことを意味づけています。
そんな、ツアーの日々の彼らに密着して、最後は故郷での両親たちによる祝福、というありきたりの結末が描かれるのですから、このドキュメンタリー自身は特に魅力もない、陳腐なものでした。ま、下手に見え透いた感動を与えようという下心がない分、とても自然な感じは伝わってきますが、正直退屈な映像でした。
ただ、これを見ることによって、このメンバーのそれぞれのキャラクターがはっきり分かったというあたりは、一つの収穫です。やはり、CDだけを聴いていたのでは分からないことが、特にこのようなある種スタイリッシュな売り方をされているアーティストについては、かなり多いことがよく分かります。
まず、ボイパ担当で、なんとなくこの中では浮いていた存在のケヴィンが、かなりアカデミックな教育を受けていた、というのが意外でした。紹介されている昔のホームビデオではチェロを弾いていたりするんですからね。いや、それだけではなく、現在も「チェリスト」としてコンサートではしっかりソロのコーナーまで与えられているというのですから、これはかなりすごいことです。
それと、やはりこれまではあまり目立っていたという印象のなかったベース担当のアヴィが、グループの中ではかなりの発言権を持っているように見えたのも意外でしたね。
逆に、おそらくリーダー的な存在だと思っていたミッチが、それほど主導権は発揮していないな、と感じられたのも意外でした。というか、あのヘアスタイルは絶対に似合ってませんって。
その点、まとめ役的なスコットと、はしゃぎキャラのカースティンは予想通り、みんなそれぞれに個性を発揮しているのですね。
そして、もう一人の重要な人物であるベン・ブラムの姿を見ることが出来たのも、大収穫でした。デビューからプロデューサーとして彼らとともに音楽を作ってきた人ですが、この中ではメンバーと一緒にア・カペラを歌っているシーンも紹介されています。
ミッチ、スコット、カースティンの3人で始まったこのグループが、ベンと出会い、アヴィとケヴィンを加えてグラミー・ウィナーとなるまでの軌跡もこの「6人」によって語られています。しかし、そのあたりの細かい情報を字幕なしの映像から得ることは、かなり困難でした。日本語は無理だとしても、せめて英語の字幕でもあれば、もう少し助かったものを。最近は、日本語の映像でさえ、字幕がないと言葉が分からなくなっているぐらいですから、つい卑屈に(それは「自虐」)。

DVD Artwork © RCA Records
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by jurassic_oyaji | 2016-04-12 22:58 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Johannes-Passion
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Werner Güra(Ev), Sunhae Im(Sop), Benno Schachtner(CT)
Sebastian Kohlhepp(Ten), Johannes Weisser(Bas)
René Jacobs/
RIAS Kammerchor, Staat- und Domchor Berlin
Akademie für Alte Musik berlin
HARMONIA MUNDI/HMC 802236-37(hybrid SACD)




前回の「マタイ受難曲」でユニークな視点を披露してくれていたヤーコブスが、今度は「ヨハネ」をおなじような斬新さで録音してくれました。さらに、リリースされたのはSACDですし、録音風景やコンサート、そしてヤーコブスたちのインタビューをまとめたDVDも同梱されている、というのも共通しています(どう?今度のアルバムは?)。
今回は、それに加えてハイレゾ音源を無料でダウンロードできる「クーポン・コード」というものまで入っていました。SACDですから別にハイレゾ音源などはなくてもいいのですが、このアルバムに限っては、これはそれだけにはとどまらない特別な意味を持っているのでは、と、最初にそれを見た時には思いました。ジャケットにも、

としっかり書いてありますしね。
つまり、ヤーコブスはこのSACDではごく一般的な「1739/1749年バージョン」を演奏しているのですが、「1725年バージョン(いわゆる第2稿)」の音楽も捨てがたいと考えていて、そこで替えられている5曲もボーナス・トラックとして収録しています。さらに、この英語を読むと彼は「1725年バージョン」も「完全に」録音していて、ハイレゾ音源をダウンロードすればそれを「全曲」聴くことができる、と、この英文では知らせているのです。
そこで、指示されたサイトにクーポン・コードを入れると、こんな画面が現れました。

確かに「2種類」のバージョンをダウンロードできるようになっています。しかし「1725」は分かりますが「1750」っていったいなんなんでしょう。どんな「ヨハネ」の文献を見ても「1750年稿」なんてないんですけど。このあたりから、なんだか様子がおかしいのでは、という気になってきます。それでも、それぞれのボタンをクリックすると、どちらも「全曲」分のFLACファイル、さらに「1750」ではそれに加えて同じ音源のMP3ファイルもダウンロードすることが出来ました。
ところが、まさかとは思いつつもそれぞれの曲のファイルのサイズを比較してみると、SACDのボーナス・トラック以外の曲は、全く同じサイズになっているではありませんか。そんなことはあり得ません。今まで何度もご紹介しているこちらのページで分かる通り、この二つの稿は単にその5曲を差し替えただけではなく、他の曲でも細かいところが異なっているのです。特に最初の10曲は、バッハが1739年に新たにスコアを作った時には、メロディラインや和声、さらには曲の長さまで変えているのですから、それを演奏していれば当然ファイルのサイズも変わってくるはずです。にもかかわらず、それらが全く同じということは、それが全く同じ音源なのだからなのでしょう。実際に聴いてみると、予想通りそれらは全く同じものでした。2曲目のレシタティーヴォの音型も同じ、3曲目のコラールも、1725年バージョンは短調のまま終わるはずなのに、ここでは両方ともピカルディ終止になっています。もちろん、エンディングが1739年に大幅にカットされた9曲目のソプラノのアリアも、1725年の時点ではありえないカットが施されていましたよ。
要するに、ヤーコブスたちは1725年バージョンの「全曲録音」なんかやっていなかったのですよ。録音したのはその中の5曲だけ、それを、こちらは普通に「全曲」録音した1739/1749年バージョンの中に挿入しただけのものが、ハイレゾ音源の「1725年バージョン」なのです。もちろん、それは単なる折衷バージョンであって、「1725年バージョン」とは似て非なるもの、はっきり言えばこのタイトルは紛れもない「偽装」なのですよ。
この「偽装工作」にはヤーコブス自身はかかわってはいなかったのだと思いたいものです。単なる営業サイドの小賢しさのせいだ、と。しかし、そのために、せっかく、合唱を3つの編成に分けて、シーンに応じて適宜使い分けるというアイディアが台無しになっているのが、とても残念です。

SACD Artwork © Harmonia Mundi Musique s.a.s.
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by jurassic_oyaji | 2016-04-05 23:43 | 合唱 | Comments(0)
Carnet de bord
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Daniel Hill(Pf)
Sofi Jeannin/
Maîtrise de Radio France
RADIO Franc/FRF 036




タイトルといいアーティストといい、フランス語尽くしのアルバムです。「カルネ・ド・ボール」は「航海日誌」、「メトリーズ・ド・ラジオ・フランス」は、「フランス国立放送児童合唱団」というのが日本語訳だ、というのが代理店による一つの提案です。ここでちょっと問題なのが、「児童合唱団」という訳し方。確かに辞書を引くと「聖歌隊」のような訳語が出ていますから間違いではないのかもしれませんが、フランスの合唱に詳しい方に言わせれば、これは「児童」とは言っても「女声」だけに限られた団体を指す言葉なのだそうです。「少女合唱団」ですね。
そんなことを知ったのは、大昔に「メトリーズ・ガブリエル・フォーレ」という合唱団が歌ったアンリ・トマジの「コルシカの12の歌」というLPが出た時に、音楽雑誌でそのようなことを書いていた人がいたからです。余談ですが、このアルバムはいまだにCD化されず、「幻の名盤」になっています(その後、再録音されたCDが出ましたが、それは同じ人たちが歌ったとは思えないお粗末な演奏でした)。確かに、この合唱団は高校生ぐらいの少女だけがメンバーでした。さらに余談を重ねると、この団体のウェブサイトが見つかったので覗いてみたら、そこにあった写真には絶対に「少女」ではありえないおばはん、というか老婆たちが写っていました。この「少女合唱団」には年齢制限がなかったのでしょうね。かつての少女たちは、年を重ねても居座っていたために、こんな団体名とは背くような現実が待っていたのでした。
この、1946年に創設されたラジオ・フランスの少女合唱団では、そんなことはなくきっちりとまだ「少女」である内に「卒業」してくれるのでしょう。なんでも、オーディションによってフランス全土から集められた少女たちは、奨学金をもらって小学校レベルから大学卒業レベルまでの教育を受けつつ、音楽関係の多彩なカリキュラムによって日々訓練されているのだそうです。現在、そのような「生徒」は170人ほどいるそうですから、コンサートやレコーディングではその中から選抜されたメンバーが歌うのでしょうね。厳しい世界です。
ですから、その音楽的なレベルはかなり高く、昔からメシアンなどはその演奏を気に入っていて、自作にも起用していました。ピアノやオンド・マルトノが加わったオーケストラと女声合唱による「神の現存のための3つの小典礼」という彼の作品が、1959年に彼女たちによって演奏されたこともありました。さらに、合唱団からの作曲家に対する委嘱も積極的に行われたようで、クセナキスが作ったいくつかの児童合唱を含む作品はその結果生まれたものです。
初代の指揮者はマルセル・クーローが務めました。そして、7代目となる現在の指揮者が、2008年に就任したスウェーデン生まれのソフィ・イェアニンです。
最初に歌われているのはアンリ・デュティユーの「航海の歌」という、船乗りの歌などの伝承歌を無伴奏女声合唱のために編曲した多くの曲集から、第1巻と第2巻からの抜粋です。我々にはなじみのない歌ばかりですが、きっとフランス人だったら誰でも知っている歌ばかりなのでしょう。それを、この合唱団はとても訓練の行き届いた声で楽しそうに歌っています。確かに、日々の訓練が実っているな、という感じがしますし、それでいて適度にアバウトなところも残しているあたりが好感が持てます。というか、この年頃の女声でなければ絶対に出せない雰囲気を、見事にくみ取って音楽に生かしているという感じです。このあたりのテイストが本物の「メトリーズ」なのでしょう。男の子では消臭が必要(それは「ファブリーズ」)。
次のダニエル=ルシュールの「3声の有名な歌」は、各地の民謡などの、やはりよく知られた曲を編曲したものです。スイス民謡の「ホル・ディ・リ・ディ」だけ知ってました。
そして、最後がベンジャミン・ブリテンがウィーン少年合唱団のために作ったオペラ(作曲家は「ボードヴィル」と呼んでいたそうです)「ゴールデン・ヴァニティ号」です。「少年」のために英語で書いたものが、ここでは「少女」が「フランス語」で歌っているというあたりが、なかなかなところでしょう。ピアノ伴奏がかなりヘンタイ。

CD Artwork © Radio France
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by jurassic_oyaji | 2016-03-23 21:15 | 合唱 | Comments(2)