おやぢの部屋2
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カテゴリ:合唱( 630 )
MYSLIVECEK/La Passione di Nostro Signore Gesu Cristo



Christoph Spering/
Chorus Musicus Köln
Das Neue Orchester
CAPRICCIO/71 025/26(hybrid SACD)



クリストフ・シュペリングという丸い形の揚げ物みたいな指揮者(それは「イカリング」、私は「オニオンリング」の方が好きですが)は、昔からちょっと目が離せないようなCDをたくさん作ってくれています。代表的なものとしては、まず、メンデルスゾーンがバッハの「マタイ受難曲」を蘇演した際のスコアを実際に音にしたというものでしょう。このCDによって、私たちはメンデルスゾーンが、現代のレベルでは考えられないような改竄を行っていたことを初めて知ったのでした。もう一つの成果はモーツァルトの「レクイエム」の「自筆稿」、つまり、未完成な楽譜をそのまま演奏して録音したというCDです。研究者はとっくに知っていたことでも、このように実際の「音」になったものを聴く衝撃には、かなりのものがありました。
そんなシュペリングが今回紹介してくれた「秘曲」は、モーツァルトの初期のオペラ(シピオーネの夢など)の台本なども手がけたことのある宮廷詩人、ピエトロ・メタスタージョのテキストによる「受難曲」です。私たちに馴染みのある「受難曲」といえば、新約聖書の福音書をそのままレシタティーヴォで歌わせて物語を進行させるというパターンでしょうが、それが18世紀を代表する台本作家の手にかかると、全く異なる次元が広がって来るという、なかなか興味のあるものになっています。「福音史家」などは登場せず、進行役はあのペテロ、そう、「私はキリストのことなんか知らない!」と、3回も言い切ってしまったイエスの弟子です。そんな事情ですから、彼はイエスの磔や埋葬に立ち会うことは出来ませんでした。そこで、実際にそこに居合わせたヨハネ、マグダラのマリア、アリマテアのヨセフの3人に話を聞くという設定で、物語が進んでいくのです。
このテキストに曲を付けたのは、ヨーゼフ・ミスリヴェチェクという、ボヘミア生まれの作曲家です。モーツァルトとほぼ同時代に活躍した人で(モーツァルト自身とも親交があったそうです)、20曲以上のオペラを始め、多くの作品を残しているということですが、もちろん私がその作品を聴くのは、これが始めてのこと、果たして大枚(2枚組で6290円)をはたいた見返りはあるのでしょうか。
しかし、そんな心配は杞憂でした。ここで聴かれる音楽は、まさにモーツァルトそのもののような屈託のなさにあふれていたのです(こういうものを聴くと、モーツァルトの音楽性というものは、彼個人に由来するものではなく、時代の中の必然ではなかったかという思いに駆られます)。まるでイタリアオペラのようなレシタティーヴォ・セッコ、そして、アリアはコロラトゥーラの粋を極めた技巧的なものが次から次へと登場してきます。特に、マグダラのマリアを歌うソプラノのためのアリアは、華麗そのもの、宗教的な趣など、これっぽっちもありません。ここで歌っているゾフィー・カルトイザーが、それを完璧に歌いきっているのが聴きものです。
ただ、そのほかの歌手がちょっと冴えないのが残念ですが、もっと残念なのは、たった3ヵ所しかない合唱が、あまりにお粗末なこと。声が全く溶け合わないで、合唱の体をなしていません。この合唱団、以前聴いたものはこれほどひどくはなかったのに。オーケストラ(もちろん、オリジナル楽器ですが)の、今時珍しい乾ききったサウンドにも、ちょっと引いてしまいます。
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by jurassic_oyaji | 2005-05-20 22:00 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Cantatas Vol.26
野々下由香里(Sop)
Timothy Kenworthy-Brown(CT)
櫻田亮(Ten)
Peter Kooij(Bas)
鈴木雅明/
Bach Collegium Japan
BIS/CD-1401



バッハ・コレギウム・ジャパンによるバッハのカンタータ全集も、作曲年代順に録音するという形で着実に進行しているようですね。ちょっと油断してこの26巻を聴かないでいたら、もうすでに27巻が出てしまったぐらいですから、「コレキリヨ」と終わってしまうことなど、あり得ないでしょう。プロジェクトもいよいよ中盤にさしかかり、カンタータの宝庫、ライプチヒ時代2年目の1724年もそろそろ終わろうとしているところです。このアルバムにはその年の10月8日に演奏されたBWV96「主キリスト、神のひとり子」、1022日に演奏されたBWV180「装いせよ、おお、わが魂よ」そしてクリスマスの次の日曜日1231に演奏されたBWV122「新たに生まれし嬰児」の3曲が収録されています。
ここで、ちょっと楽器編成について気が付いたことを。例えば、BWV122では、管楽器はリコーダー3本とオーボエ3本(うち1本はオーボエ・ダ・カッチャ)というように、6人の奏者が必要とされるような指定になっています。実際、ここで演奏しているBCJも、それぞれの専門の演奏家を用意して録音に臨んでいるのですが、厳密なことをいえばこれはバッハ当時の「オリジナル」な姿ではないのです。と言うのも、この曲では6人の管楽器が同時に演奏するという場面は存在しておらず、必ず「リコーダーだけ3本」か、「オーボエ族だけ3本」という形になっています。つまり、トーマス教会のバルコニーにいたのは3人の管楽器奏者だけ、彼らはそれぞれリコーダーとオーボエを持ち替えて演奏していたのです。今で言えば、ジャズのマルチリードのようなものでしょうか、当時の管楽器奏者(実は、そんなたいしたものではなく、言ってみれば単なる楽士)は、一人で数多くの楽器がこなせないことには、生活していくことは出来なかったのでしょう。少し人員に余裕があるときには、バッハはBWV180のように、2本のリコーダーと2本のオーボエを同時に使って、華やかなサウンドを提供するときもありましたが、ここでも、テノールのアリアの時のオブリガートに用いられているフラウト・トラベルソは、さっきまでリコーダーを吹いていた人が演奏していたのです。
管楽器のオブリガートでひときわ耳を引くのは、BWV96でのソプラニーノ・リコーダーでしょう。演奏しているこの楽器のスペシャリスト向江昭雅は、見事なまでのテクニックで爽快感あふれるプレイを披露してくれています。しかし、これほど分業化が進んだ現代ではなく、18世紀のバッハの時代には、掛け持ちの楽士がほとんど初見でにこれだけの演奏を行うことが要求されていたのだと考えると、ちょっとすごいことだとは思えませんか?
声楽陣での最大の収穫は、テノールの櫻田亮でしょう。無理のない発声、魅力的な音色、完璧なテクニック、どれをとっても素晴らしいものです。以前はこんな強烈な印象はなかったのですが、いつの間にこれほどの成長を遂げたのでしょう。ただ、各パート3人ずつ(うち1人はソリスト)という合唱は、それぞれの生の声が聞こえてしまってちょっと感心できません。オリジナルに立ち返れば、人数的にはこれが妥当なところなのでしょうが、メンバーの主張が強すぎては、なんにもなりません。
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by jurassic_oyaji | 2005-05-05 19:25 | 合唱 | Comments(1)
MILHAUD/Choral Works




Stephen Layton/
Netherland Chamber Choir
GLOBE/GLO 5206



ダリウス・ミヨーという作曲家、「6人組のひとり」と言うな肩書きで括られてしまえばそれで片づいてしまい、実際の作品についてはいまいちイメージのわきにくい人なのではないでしょうか。ちょっと調べてみたら、作品の数は1000曲近くもあるのですから、かなり旺盛な創作活動を行ったということが出来るでしょう。なかでも、交響曲は、「室内交響曲」というのを合わせると全部で18曲、弦楽四重奏曲もやはり18曲も作っているという、この時代にしては「古典的」なジャンルも押さえた人です。その上で、映画音楽も含めた幅広い分野での作品を残しているのですが、その割には、頻繁に演奏されるものはごく限られたものにとどまっているため、なかなかメジャーにはなりきれないのでしょう。
このアルバムは、そんなミヨーの無伴奏合唱曲を集めたものです。彼の合唱曲は全部で83曲あるとされていますが、恥ずかしい話、私は1曲も聴いたことがありませんでした。したがって、このアルバムの中の曲も、全て私の中での「世界初演」ということになりますね。1930年代の「ローヌ川讃歌」、「2つの都市」、「裸の手の前で」と、1950年前後の「ヴィーナスの誕生」、「ダヴィデの3つの雅歌」、そして、最晩年1972年の「プロメセ・デ・ディエウ」という具合に、ある程度時代的な変遷を追うことも可能な選曲と曲順になっています。
ドビュッシーの亜流のようないかにもフランス風のハーモニーやシンコペーションを多用した初期の「ローヌ川~」あたりが、典型的なミヨーの作風になるのでしょうか。これが中期の「ダヴィデ~」になると、プレーン・チャントとハーモニーを交替させるというユニークな構成を取っていて、最も聴き応えのあるものに仕上がっています。しかし、晩年の「プロメセ~」は、いたずらに懲りすぎたハーモニーを多用しているため、はっきり言って退屈な曲調、これが「円熟」というものなのでしょうか。
ここで演奏しているのはオランダ室内合唱団、指揮は、最近この団体の首席指揮者に就任した、このサイトではおなじみのスティーヴン・レイトンです。レイトンといえば、今最も注目される合唱指揮者、この合唱団との初めてのCDになるこのアルバムでは、どのような音楽を届けてくれているのか、という大きな期待をもって聴き始めたのですが、どうも、何かが違います。かつて、私がこの合唱団を最初に聴いたときには、その、まるでいぶし銀のような渋い音色に魅了されたものでした。しかし、ここではそのような深い響きがほとんど聞こえてこないのです。やたら高音を多用するミヨーのスコアのせいもあるのかもしれませんが、ソプラノの余裕のないナマの声が、とても耳障りに聞こえてしまいます。ですから、ffの部分はまさに悲惨、ハーモニーなどどこかへ行ってしまったような「叫び声」しか聞こえてこないのは残念です。ppになれば持ち前の美しい響きは確保できているのですが、ハーモニーの変わり目がとても雑で、自然な流れが損なわれてしまっています。あの、緊張感を伴った濁りのないハーモニーを引き出すレイトン・マジック、この合唱団にその効き目が現れるのは、もう少し先になるのでしょうか。蛇足ですが、ライナーの歌詞対訳のトラックナンバーに間違いがあります。
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by jurassic_oyaji | 2005-04-29 19:38 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Matthäus-Passion



Christoph Prégardien(Ten)
René Jacobs(Alt)
Gustav Leonhardt, Sigiswald Kuijken/
La Petite Bande
DHM/82876 67402 2



Robert Luts(Ten)
Orlanda Velez Isidro(Sop)
Sytse Buwalda(CT)
Pieter Jan Leusink/
Holland Boys Choir, Netherlands Bach
Orchestra
AMSTERDAM CLASSICS/AC 20050



最近は「マタイのCD」の安売りがトレンドなのでしょうか。たまたまお店をのぞいてみたら、なんと、あの古楽界のカリスマ、アーノンクール御大の2000年録音の「マタイ」が、2090円という、信じられないような価格で並んでいるではありませんか。当初は確か6000円ぐらいはしたはずの豪華ブックレット仕様のあのアルバムがですよ(もっとも、これは販売元のワーナーがあんな風になってしまったので、投げ売りをしているということなのでしょうが)。
そのアーノンクールが移籍した先のBMGでは、定評のあるDHMレーベルのラ・プティット・バンドの「マタイ」と「ヨハネ」がセットになって、こちらは3690円というお買い得なお値段を提供していたので、まだ持っていなかった私は早速ゲットしてしまいましたよ。特にレオンハルトの「マタイ」は各方面で評価の高いものですから、いつかは聴いておきたかったものでした。しかし、このアルバム、残念ながらそれほど感銘を受けることはありませんでした。何よりも失望させられたのは、合唱の女声パートを歌っているテルツ少年合唱団のあまりのひどさ。音程は定まらないし、声は弱々しいし、児童合唱の悪い面ばかりが表に出てしまった悲惨なものでした。なぜか、ソロの女声もここの団員が歌っているのですから、それがどんな結果を生んでいるか、おわかりになることでしょう。もう一つ、レオンハルトの、コラールを演奏するときに各拍にアクセントを付けるという変な癖も、今聴いてみると著しく全体の流れを損なう、みっともないものでした。その点、同じセットのクイケンの「ヨハネ」は、すっきりした自然な流れがとても美しい名演です。
これらは、1989年と1987年の録音でしたが、2004年の「マタイ」の新録音が1990円で買えるというのが、このロイシンク盤です。この名前を聞いてピンと来た方もいらっしゃるかもしれませんが、この指揮者は例のBRILLIANT(今回のレーベルも、実体は同じもの)で、なんと2年間でバッハの教会カンタータ全曲を録音してしまったというものすごい人です。全曲がCD2枚に収録されていることから予想されるとおり、かなり早めのテンポを取っているすっきりした演奏ではあるのですが、なぜかもっさりした印象を持ってしまうのは、録音のせいでしょうか。そう、教会で録音されたということを考慮してみても、明らかに残響の多すぎるちょっと幼稚な録音のせいで、この「マタイ」は、本来の演奏の意図が少しゆがめられて伝わったかもしれない、残念な結果を生んでしまっています。その点が顕著に表れているのが、カンタータの時とは比べようもないほどの豊かな説得力を身につけた合唱。特にトレブルの自信に満ちた力強い歌い方、変に他のパートと融合しようとはしない独特の主張が、この甘ったるい録音のおかげで台無しになってしまっているのです。もし、もっとダイレクトな録音がなされていたならば、この合唱は特に後半のドラマティックな部分では、ハーモニーなどを超越した怒濤の説得力を、遺憾なく発揮していたことでしょう。
ただ、この録音が良い方に作用した部分もあるのは、救いです。それは、第2部の中程、トラヴェルソとオーボエ・ダ・カッチャのオブリガートを伴うソプラノのアリア「Aus Liebe will mein Heiland sterben」。ポルトガル出身のイシドロの細身の声がこの芳醇なエコーに包まれて、そこには真の「癒し」の世界が広がっていたんだっちゃ
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by jurassic_oyaji | 2005-04-25 19:37 | 合唱 | Comments(0)
DURUFLÉ/Requiem & Messe cum Jubilo

Christianne Stotijn(MS)
Mattijs van de Woerd(Bar)
Erwin Wiersinga(Org)
Peter Dijkstra/
vocal ensemble THE GENTS
CHANNEL/CCS SA 22405(hybrid SACD)



珍しいことが続くときには続くものです。先日久しぶりにデュリュフレのレクイエムの新譜(録音は1999年と、少し前のものですが)をご紹介できたと思ったら、またまたこんな珍しい曲の新録音が出ました。今回はハイブリッドSACD、つまり、この曲の最初のDSD録音ということになります。ただ、値段が4000円以上、今時SACDでもこんなに高いのは無いのに、と思ってよく見たら、2枚組でした。カップリングがこの前のものとよく似ていて、レクイエムの他にはプーランクの「パドヴァの聖アントニオのラウダ」とメシアンの「おお聖餐」というところまでは全く一緒、そのほかの収録曲は、プーランクのもう一つの男声合唱曲「アッシジの聖フランチェスコの4つの小さな祈り」と、デュリュフレの「我らが父よ」と、ミサ「クム・ユビロ」です。ただ、これだけではトータルの時間は85分、せっかく2枚組にしたのなら、「4つのモテット」も入れて、デュリュフレの全合唱作品+αとしてくれたのであるふぁ良かったのに、という思いは残ります。
このラインナップを見てお気づきのように、レクイエム以外はほとんど男声だけの編成、そう、このアルバムのアーティストは、「ザ・ジェンツ」という、男声のアンサンブルなのです。1999年に、オランダの「ローデン少年合唱団」の団員だった人たちが結成したという、まだ出来て間もない団体ですが、すでに各方面で高い評価を獲得、4月下旬には来日公演も予定されているといいます。
カウンターテナーも含む16人編成のアンサンブル、それこそ「シャンティクリア」のようにそのままで混声合唱のレパートリーも演奏できなくは無いのでしょうが、ここで「レクイエム」を歌うときには、きちんと女声のメンバーを補充して演奏しています。その女声も、極力ビブラートを押さえた清楚な歌い方、しかもアルトのパートには男声が加わりますから、音色的には見事に均質化が図られています。ハーモニーも抜群、聴いていて不安になるところなど全くない美しい音楽が、そこからは流れてきます。しかし、その、まるで天上から聞こえてくるような安らかな響きにも、しばらく経つと少々不満が募ってきます。そこには「緊張感」といったものがほとんど感じられないのです。この曲に要求されるのは、「穏やかさ」とともに「力強さ」、その対比がまるで見えてこない弱々しいフォルテは、この団体の最大の欠点です。そのことに気づいた瞬間、今まであれほど魅力的だったハーモニーも何か色あせて聞こえてくるのですから不思議なものです。大詰め「In paradisum」の後半、「Chorus angelorum」という歌詞で始まる部分で聞こえて欲しい、この曲の最大の魅力であるふんわりとした色彩感を味わうことは、ついにありませんでした。消極的なサポートに終始して、音楽を作るための意欲がとことん欠如しているオルガンにも、責任の一端はあるはずです。
本来の編成である男声のためのミサ「クム・ユビロ」(「レクイエム」ではグレゴリオ聖歌を素材として曲が作られていましたが、その20年後に作られたこの曲では、男声パートは完全なユニゾン、つまり、現代におけるグレゴリオ聖歌の再創造の趣を持っています)では、そのユニゾンがいかにも頼りなげ、そしてプーランクの曲でも、このアンサンブルが持つ「ゆるさ」は、払拭されることはありません。どこか焦点の定まらない芯のない響きと表現、なまじハーモニーが美しいだけに、その拙さは際だっています。
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by jurassic_oyaji | 2005-04-11 19:31 | 合唱 | Comments(0)
LAURIDSEN/Lux aeterna



Stephen Layton/
Britten Sinfonia
Polyphony
HYPERION/CDA67449



先日ご紹介した「テンプルのヴェール」では、会場となったテンプル・チャーチで音楽監督を務めるスティーヴン・レイトンが、あのタヴナーの途方もない作品の音楽面での責任を一手に引き受けて八面六臂の活躍をしていたのは、まだ記憶に新しいところです。揚げ物までは手が回らなかったようでしたが(それは「テンプラ・チャーチ」)。このレイトンという合唱指揮者は、ひところのトヌ・カリユステのように、現在の合唱界に於いては最も忙しい指揮者の一人なのではないでしょうか。そのテンプル・チャーチでの演奏にも参加していた「ホルスト・シンガーズ」だけではなく、「オランダ室内合唱団」や、「デンマーク国立合唱団」といった実力も実績も飛び抜けている名門団体で首席指揮者などのポストを努めているのですから。そこにさらに、本命として、彼自身が創設した「ポリフォニー」が加わります。ちょっと頭の薄いおどけた容貌とは完璧に相容れない、透明で精緻な高水準の音楽を、その全ての団体から引き出しているレイトン、彼によって活性化された合唱シーンからは、ひとときも目を離すことは出来ません。
その「ポリフォニー」を率いてのアルバムは、1943年生まれのアメリカの作曲家、モートン・ローリドセン(「ラウリドセン」という表記もあります)の作品集です。この作曲家の名前は、かつて前任者が紹介してくれたクリスマスアルバムの中の「O magnum mysterium」の作者として、記憶の片隅にはあったものですが、このようなフルアルバムを聴くのは初めて、写真で実際の髭もじゃの顔を見たのも初めてです。
タイトルの「Lux aeterna」という、切れ目なく演奏される5つの部分からなる作品は、テキストの構成といい、母親が亡くなったことが作曲の動機になっていることといい、実質的には「レクイエム」と変わらないものです。室内オーケストラの伴奏が入った30分ほどの、何となくフォーレあたりと似通ったテイストを持つ曲ではありますが、最後の最後に「Alleluia」などという歌詞を入れて明るく終わるというあたりが、やはりアメリカ人の感性なのでしょうか。3曲目の「O nata lux」というテキストの、無伴奏で歌われる部分が魅力的です。というより、元のスコアのせいなのか、ここでの演奏者のせいなのかは分かりませんが、オーケストラのパートがなぜか生彩を欠いていて、せっかくの合唱の足を引っ張っているように感じられてしまうのです。オーボエソロのセンスのないこと。
ですから、本当に楽しめるのは、そのあとに入っている無伴奏の曲。「6つのマドリガル」という、イタリア・ルネッサンスの詩に曲を付けたものは、あえてルネッサンスの模倣の道を取らない印象派風の響きが素敵です。そして、最もこの合唱団の「すごさ」が分かるのが、最後に演奏されている3つのラテン語によるモテットです。「Ave Maria」、「Ubi caritas et amor」、そして、最初に述べた「O magnum mysterium」、いずれの曲でも、各パートがそれぞれにとんでもないメッセージを発信しているのに、それと同時に全体の響きが完璧に均質化されているという、理想的な合唱の姿を見ることが出来ます。そして曲の最後、ドミナント→トニカという解決のなんと美しいことでしょう。思い入れたっぷりに伸ばされたドミナントに続く、「音」と言うよりは「気配」と呼ぶにふさわしい、ほとんど静寂に近い極上のピアニシモのトニカ、「感動」とは、こういうものを聴いたときに用意されている言葉に他なりません。
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by jurassic_oyaji | 2005-04-06 20:37 | 合唱 | Comments(2)
RUTTER/Gloria



Stephen Cleobury/
Choir of King's College, Cambridge
City of Birmingham Symphony Orchestra
EMI/557952 2



クロウベリーとキングス・カレッジ聖歌隊によるラッター作品集、「レクイエム」などを収録した前作に続いての第2集となります。曲目は、1970年代の「グローリア」、90年代の「マニフィカート」、そして、2002年に作られたばかりの「詩編150」の3曲です。
「グローリア」に関しては、前任者がレイトン/ポリフォニーのアルバム(HYPERIONを紹介していましたね。実は、今回の演奏は、レイトンのものとは版が違っています。彼らが録音していたのは、バックがブラスバンド(もちろん、木管の入っていない、イギリス流のブラスバンドのことです)とオルガンのバージョンですが、今回録音されたのはフルオーケストラバージョン、弦楽器と、そしてハープまで入った、まさにフル編成のゴージャスな響きを聴くことが出来ます。したがって、同じ曲であっても、今回は以前のものとはかなり印象が異なって聞こえます。特に、2曲目は、ほとんどオルガンだけで演奏されるモノクロームの世界だったものが、木管の輝かしい響きに彩られて、かなりカラフルなものに変わっています。しかも、演奏自体がレイトンのアグレッシブなものに比べて、クローベリーはいかにもおっとりした感じ、その結果、まるで全く別な曲のように聞こえてしまいます。楽器編成が変わることによって求められる表現までも変わってくるというのはよくあることですから、これはあるいは別の曲と考えて、それぞれの魅力を味わうべきものなのかもしれません。このフルオーケストラバージョンの持ち味は、ヒーリングにもつながろうかというゆったり感。あるいはこちらの方が、ラッター本来のテイストなのでしょう。ここでは、もう一つの聖歌隊(Gonville & Caius College Choir)が加わって、合唱の方も厚みを増し、ふくよかさは一層際だっています。
「マニフィカート」で、合唱がキングス・カレッジだけになると、ちょっと「いつもの」心細さが顔を見せてしまいます。さらに、この曲の随所に現れるソロパートは、ちょっと耳を覆いたくなるようなお粗末さ、作曲者の自演盤(COLLEGIUM)にはちょっと及ばないレベルに甘んじてしまっています。
最後の「詩編150」は、エリザベス女王の「ゴールデン・ジュビリー」にあたって作られたもの、ここでも補強された聖歌隊は、金管とオルガンだけの編成のオーケストラをバックに、華々しい響きを出しています。歌詞は英語ですが、一部にラテン語で「Laudate Dominum」と歌う箇所では、トレブル3人のソリが、ここで求められている無垢な響きを見事に形にしています。
合唱パートには多少の難がありますが、バーミンガム市交響楽団の演奏は隙のない見事なもの。特に、艶のある木管の響きは、心にしみるものがあります。それにしてもこの録音、なんと残響の長いことでしょう。ざんきょう(参考)までに、録音が行われたのは、キングス・カレッジのチャペルです。
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by jurassic_oyaji | 2005-04-01 19:09 | 合唱 | Comments(0)
TAVENER/ The Veil of the Temple


Patricia Rozario(Sop)
Steven Layton/
The Choir of thr Temple Church
The Holst Singers
RCA/82876 66154 2(hybrid SACD)



ジョン・タヴナーの最新作は、彼にしてはちょっと珍しいRCAというレーベルからのリリースです。余談ですが、RCAは「BMG」というグループの一つのレーベルであったわけですが、このCDのジャケットには「SONY BMG」というロゴがみられます。そう、だいぶ前から騒がれていたことなのですが、「BMG」と「SONY」という世界の音楽業界を牛耳ってきた二大音楽ソフトグループが、ついに一つのものになってしまったのですよ。チョコとバニラの二色(それは、「ソフトクリーム」)。元をたどれば「BMG」は「ビクター」そして「SONY」は「コロムビア」、LP時代にはともにライバルとして君臨していた2大勢力が「結婚」してしまうのですから、もはやこの業界では何が起こっても驚くことはありません。
ここで演奏されているタヴナーの作品も、規模という点からしたらメジャーレーベルほどのものを持っています。いや、「作品」と言うよりは、夜を徹して遂行される「徹夜祷」という、実際には7時間を要するという宗教行事(ラフマニノフニに「晩祷」という合唱曲がありますが、これが、本来はこの「徹夜祷」と呼ばれるべきものなのです)そのもの、その中で演奏される音楽の部分だけを集めても、この2枚組のアルバムぐらいの長尺ものになってしまうということです。その音楽は、まさにバラエティに富んだもの、ギリシャ正教、ロシア正教、そしてチベットあたりの仏教の臭いがする様々なパーツが、ほとんど脈絡なく次から次へと現れてくる様は、壮観です。ここでは、「結婚」などという生やさしいものではなく、ほとんど「後宮」あるいは「ハーレム」の様相を呈しています。ただ、注意深く聴いてみると、その果てしない流れの中にある秩序を見いだすのは容易なことです。それは、この「徹夜祷」が行われたロンドンのテンプル・チャーチの聖歌隊と、有名な「ホルスト・シンガーズ」という大人の合唱団が、別々に歌うセット、「Kyrie Eleison」あるいは「Lord Jesus Christ」という歌詞を持つ部分です。この歌詞が、最初はホルスト・シンガーズによって、まるで中世のトゥルバドールの歌のような不思議なテイストで歌われたあと、聖歌隊によって移動ドだと「ミファミソ~、ミファミラ~、ソラソド~」という単調なメロディーが、見事な純正調のハーモニーに乗って歌い上げられるのです(ライナーには、この演奏者が逆に表記されていますが、作曲者と指揮者の写真を裏焼きのまま印刷するような校正のレベルですから、これはおそらく間違いでしょう)。しかもそれが、最初は「ニ長調」だったものが、曲、というか、式典が進むにしたがって、「ホ長調」、「ヘ長調」・・・と全音階的にキーが上昇してゆき、最後の部分では「ハ長調」になってフィナーレを迎えるという仕組みになっています(その最後の部分だけは、このメロディーが合唱ではなくソプラノソロによって朗々と歌われます)。この骨組みにさえ気づいてしまえば、その前後に繰り広げられる呪文のような東洋的な朗唱から、それこそラフマニノフのような大地の響きを持つ堂々たる合唱まで、存分に味わうことが出来ることでしょう。そして、全てを聴き終わったとき、高揚を続けてきた音楽とは裏腹に、体の中のどこかがいつの間にか浄化されているように感じるはずです。それこそが、タヴナーの音楽の目指したものなのかもしれません。
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by jurassic_oyaji | 2005-03-25 19:54 | 合唱 | Comments(0)
DURUFLÉ/Requiem


Patricia Fernandez(MS)
Michel Bouvard(Org)
Joël Suhubiette/
Ensemble Vocal les Éléments
HORTUS/018



このサイトのマスターの自慢はデュリュフレのレクイエムの録音のコレクション。花粉症はちょっと辛いでしょうが(それは「ハクション」)。したがって、私佐久間としても、新譜が出たのなら、チェックしないわけにはいきません。しかし、このアイテムはCD店の新譜コーナーではなく、普通のところにあったので、危うく見逃すところでした。おまけに指揮者も合唱団も、全く聞いたことのない人たち、指揮者に至っては読み方すら分かりません。ジャケットもなんだか投げやりなデザイン、これでちゃんとした演奏が聴けるのかと不安になりましたが、マニアにとってはたとえどんなものであっても価値があるのだろうと、とりあえずゲットです。
かなりおどろおどろしいオルガンの響き(これは、第2稿オルガンバージョンです)の中から聞こえてきた合唱は、しかし、独特の美しさを持ったものでした。パートのまとまりやきちんとしたハーモニーといった、基本的な能力を全て満たした上で、さらに何か猥雑な雰囲気を漂わせるという、かなり高度な嗜好を満たしてくれるような魅力が、そこにはあったのです。そして、しばらく聴いているうちに、このような肌触りは、この曲にはもっともふさわしいものではないだろうか、という気になってきました。デュリュフレのレクイエムは、よくフォーレの同名曲と並べて語られることが多く、この2曲がカップリングされているアルバムも数多く存在しています。しかし、構成的には似ている部分があったとしても、そこで繰り広げられている音楽のテイストは、かなり異なっていることに、気づくべきでしょう。そんな、デュリュフレにはふんだんに含まれていても、フォーレにはちょっと似つかわしくはないような雰囲気、それが、この演奏からは止めどもなく発散されていたのです。
それに気づいてしまうと、ちょっとうるさく感じられたオルガンも、そんなある種の猥雑さを確かに助長しているものだと分かります。そう、このオルガンバージョンのオルガンの役割は、イギリスの団体によくあるような、取り澄ました合唱をただサポートするものではなく、オーケストラ版のエキスとも言うべきものを提供することだったのです。
実は、レクイエムの中ではバリトンソロのパートを合唱が歌っているのですが、これがまた凡庸なソロよりずっと素晴らしいのです。ですから、余白に入っているプーランクの「パドヴァの聖アントニオのラウダ」という男声合唱のための曲での、この合唱団の男声パートの伸びやかと軽やかさに、またびっくりさせられてしまうことになるのです。ただ、残念なことに、「Pie Jesu」でのメゾソプラノソロが、このようなアプローチとは完璧に相容れない重苦しいものであるために、このトラックだけが全く別の世界のものとなってしまっています。なぜこんなソロを使ったのか、理解に苦しむところです。
このCD、しかし、どうやらそのお店にあったのはこの1枚だけだったようで、それ以後補充される様子はありません。一つ間違えば、こんな素晴らしいものを見逃してしまって入手できなかったかもしれないと思うと、幸運さを喜ばずにはいられません。
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by jurassic_oyaji | 2005-03-22 19:33 | 合唱 | Comments(0)
WAGNER/Opera Choruses


Soloists and Chorus of the Royal Swedish
Opera
Leif Segerstam/
Royal Swedish Orchestra
NAXOS/8.557714



ヴァーグナーの「オペラ合唱曲集」という、どこにでもありそうなタイトルですが、これがなかなか渋い選曲、しかもかなり手の込んだものなのですから、やはりNAXOSをコレクションの対象からなくそすことは出来ません。フィンランドの巨匠セーゲルスタムが、スウェーデンの王立歌劇場の合唱団とオーケストラを指揮したもの、ちょっとマニアックですが、確かな訴えかけを持ったアルバムです。ただ、添付されている日本語のタスキには明らかな間違いがあります。「ローエングリン」の中の合唱のタイトが「真心こめてご先導いたします」となっていますが、これは第3幕のいわゆる「結婚行進曲」という超有名な曲のタイトル。しかし、ここで演奏しているのはそれではなく第2幕第4場の全く別な曲なのです。同じタスキの中で、「別の曲です」と書いているにもかかわらず、タイトルだけは間違ったままなのが笑えます。
そんな、担当者が勘違いするほど、有名曲をさけた選曲、特に、「マイスタージンガー」と「パルジファル」では、一つの場面を適宜抜粋して、合唱が中心の部分を聞かせるという粋なことをやってくれています。それでもソロ歌手が入る部分は残っていますから、そこにはこのオペラハウスの歌手が参加するという、贅沢な面も。こういう形で演奏してくれると、オペラの全体の流れの中での合唱というものの姿が、きちんと見えてきます。特に「パルジファル」では騎士たち、若者たち、そして天上からの少年合唱(歌っているのは大人ですが)というそれぞれのキャラクターが、見事な対比を示しています。セーゲルスタムの演奏は、感情の起伏が大きい割には、流れはスマート、どんどん先に進む場面をさわやかに駆け抜けていきます。そして、合唱は信じられないほどの水準の高さ、一本芯の通った涼しい音色が魅力です。
「オランダ人」でも、「水夫の合唱」はきちんと最後、つまりノルウェー船の脳天気な合唱から(この男声の張りのある声も素敵)オランダ船の不気味な合唱まで全て収録されていて、やはり、一つの場面の中での合唱の持つ多様な表現をしっかり味わえるようになっています。そんな中で、もっとも珍しいものは序曲以外は、演奏される機会などほとんどない「幻」の作品「リエンツィ」からの、第2幕の平和の使者の合唱です。もちろん、私は初めて聴いた曲ですが、女声合唱によって歌われる無垢な世界は、心にしみるものがあります。この合唱が2回繰り返され、それに挟まれる形でドラマが進行するのですが、後のヴァーグナーからは想像できないような「伝統的」なスタイル、6時間はかかるという全曲を聴かなくても、その片鱗だけはしっかり味わうことが出来きるという、心憎い仕掛けが込められています。
もちろん、「タンホイザー」の「入場行進曲」のような「有名」な曲もしっかり押さえているのはさすがです。こんな耳慣れた曲も、このアルバムの中にあると、単なる「名曲」ではなく、ドラマの中での役割がしっかり見えてくるというのが、すごいところです。
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by jurassic_oyaji | 2005-03-17 20:35 | 合唱 | Comments(1)