おやぢの部屋2
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カテゴリ:合唱( 626 )
DURUFLÉ/Requiem & Messe cum Jubilo

Christianne Stotijn(MS)
Mattijs van de Woerd(Bar)
Erwin Wiersinga(Org)
Peter Dijkstra/
vocal ensemble THE GENTS
CHANNEL/CCS SA 22405(hybrid SACD)



珍しいことが続くときには続くものです。先日久しぶりにデュリュフレのレクイエムの新譜(録音は1999年と、少し前のものですが)をご紹介できたと思ったら、またまたこんな珍しい曲の新録音が出ました。今回はハイブリッドSACD、つまり、この曲の最初のDSD録音ということになります。ただ、値段が4000円以上、今時SACDでもこんなに高いのは無いのに、と思ってよく見たら、2枚組でした。カップリングがこの前のものとよく似ていて、レクイエムの他にはプーランクの「パドヴァの聖アントニオのラウダ」とメシアンの「おお聖餐」というところまでは全く一緒、そのほかの収録曲は、プーランクのもう一つの男声合唱曲「アッシジの聖フランチェスコの4つの小さな祈り」と、デュリュフレの「我らが父よ」と、ミサ「クム・ユビロ」です。ただ、これだけではトータルの時間は85分、せっかく2枚組にしたのなら、「4つのモテット」も入れて、デュリュフレの全合唱作品+αとしてくれたのであるふぁ良かったのに、という思いは残ります。
このラインナップを見てお気づきのように、レクイエム以外はほとんど男声だけの編成、そう、このアルバムのアーティストは、「ザ・ジェンツ」という、男声のアンサンブルなのです。1999年に、オランダの「ローデン少年合唱団」の団員だった人たちが結成したという、まだ出来て間もない団体ですが、すでに各方面で高い評価を獲得、4月下旬には来日公演も予定されているといいます。
カウンターテナーも含む16人編成のアンサンブル、それこそ「シャンティクリア」のようにそのままで混声合唱のレパートリーも演奏できなくは無いのでしょうが、ここで「レクイエム」を歌うときには、きちんと女声のメンバーを補充して演奏しています。その女声も、極力ビブラートを押さえた清楚な歌い方、しかもアルトのパートには男声が加わりますから、音色的には見事に均質化が図られています。ハーモニーも抜群、聴いていて不安になるところなど全くない美しい音楽が、そこからは流れてきます。しかし、その、まるで天上から聞こえてくるような安らかな響きにも、しばらく経つと少々不満が募ってきます。そこには「緊張感」といったものがほとんど感じられないのです。この曲に要求されるのは、「穏やかさ」とともに「力強さ」、その対比がまるで見えてこない弱々しいフォルテは、この団体の最大の欠点です。そのことに気づいた瞬間、今まであれほど魅力的だったハーモニーも何か色あせて聞こえてくるのですから不思議なものです。大詰め「In paradisum」の後半、「Chorus angelorum」という歌詞で始まる部分で聞こえて欲しい、この曲の最大の魅力であるふんわりとした色彩感を味わうことは、ついにありませんでした。消極的なサポートに終始して、音楽を作るための意欲がとことん欠如しているオルガンにも、責任の一端はあるはずです。
本来の編成である男声のためのミサ「クム・ユビロ」(「レクイエム」ではグレゴリオ聖歌を素材として曲が作られていましたが、その20年後に作られたこの曲では、男声パートは完全なユニゾン、つまり、現代におけるグレゴリオ聖歌の再創造の趣を持っています)では、そのユニゾンがいかにも頼りなげ、そしてプーランクの曲でも、このアンサンブルが持つ「ゆるさ」は、払拭されることはありません。どこか焦点の定まらない芯のない響きと表現、なまじハーモニーが美しいだけに、その拙さは際だっています。
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by jurassic_oyaji | 2005-04-11 19:31 | 合唱 | Comments(0)
LAURIDSEN/Lux aeterna



Stephen Layton/
Britten Sinfonia
Polyphony
HYPERION/CDA67449



先日ご紹介した「テンプルのヴェール」では、会場となったテンプル・チャーチで音楽監督を務めるスティーヴン・レイトンが、あのタヴナーの途方もない作品の音楽面での責任を一手に引き受けて八面六臂の活躍をしていたのは、まだ記憶に新しいところです。揚げ物までは手が回らなかったようでしたが(それは「テンプラ・チャーチ」)。このレイトンという合唱指揮者は、ひところのトヌ・カリユステのように、現在の合唱界に於いては最も忙しい指揮者の一人なのではないでしょうか。そのテンプル・チャーチでの演奏にも参加していた「ホルスト・シンガーズ」だけではなく、「オランダ室内合唱団」や、「デンマーク国立合唱団」といった実力も実績も飛び抜けている名門団体で首席指揮者などのポストを努めているのですから。そこにさらに、本命として、彼自身が創設した「ポリフォニー」が加わります。ちょっと頭の薄いおどけた容貌とは完璧に相容れない、透明で精緻な高水準の音楽を、その全ての団体から引き出しているレイトン、彼によって活性化された合唱シーンからは、ひとときも目を離すことは出来ません。
その「ポリフォニー」を率いてのアルバムは、1943年生まれのアメリカの作曲家、モートン・ローリドセン(「ラウリドセン」という表記もあります)の作品集です。この作曲家の名前は、かつて前任者が紹介してくれたクリスマスアルバムの中の「O magnum mysterium」の作者として、記憶の片隅にはあったものですが、このようなフルアルバムを聴くのは初めて、写真で実際の髭もじゃの顔を見たのも初めてです。
タイトルの「Lux aeterna」という、切れ目なく演奏される5つの部分からなる作品は、テキストの構成といい、母親が亡くなったことが作曲の動機になっていることといい、実質的には「レクイエム」と変わらないものです。室内オーケストラの伴奏が入った30分ほどの、何となくフォーレあたりと似通ったテイストを持つ曲ではありますが、最後の最後に「Alleluia」などという歌詞を入れて明るく終わるというあたりが、やはりアメリカ人の感性なのでしょうか。3曲目の「O nata lux」というテキストの、無伴奏で歌われる部分が魅力的です。というより、元のスコアのせいなのか、ここでの演奏者のせいなのかは分かりませんが、オーケストラのパートがなぜか生彩を欠いていて、せっかくの合唱の足を引っ張っているように感じられてしまうのです。オーボエソロのセンスのないこと。
ですから、本当に楽しめるのは、そのあとに入っている無伴奏の曲。「6つのマドリガル」という、イタリア・ルネッサンスの詩に曲を付けたものは、あえてルネッサンスの模倣の道を取らない印象派風の響きが素敵です。そして、最もこの合唱団の「すごさ」が分かるのが、最後に演奏されている3つのラテン語によるモテットです。「Ave Maria」、「Ubi caritas et amor」、そして、最初に述べた「O magnum mysterium」、いずれの曲でも、各パートがそれぞれにとんでもないメッセージを発信しているのに、それと同時に全体の響きが完璧に均質化されているという、理想的な合唱の姿を見ることが出来ます。そして曲の最後、ドミナント→トニカという解決のなんと美しいことでしょう。思い入れたっぷりに伸ばされたドミナントに続く、「音」と言うよりは「気配」と呼ぶにふさわしい、ほとんど静寂に近い極上のピアニシモのトニカ、「感動」とは、こういうものを聴いたときに用意されている言葉に他なりません。
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by jurassic_oyaji | 2005-04-06 20:37 | 合唱 | Comments(2)
RUTTER/Gloria



Stephen Cleobury/
Choir of King's College, Cambridge
City of Birmingham Symphony Orchestra
EMI/557952 2



クロウベリーとキングス・カレッジ聖歌隊によるラッター作品集、「レクイエム」などを収録した前作に続いての第2集となります。曲目は、1970年代の「グローリア」、90年代の「マニフィカート」、そして、2002年に作られたばかりの「詩編150」の3曲です。
「グローリア」に関しては、前任者がレイトン/ポリフォニーのアルバム(HYPERIONを紹介していましたね。実は、今回の演奏は、レイトンのものとは版が違っています。彼らが録音していたのは、バックがブラスバンド(もちろん、木管の入っていない、イギリス流のブラスバンドのことです)とオルガンのバージョンですが、今回録音されたのはフルオーケストラバージョン、弦楽器と、そしてハープまで入った、まさにフル編成のゴージャスな響きを聴くことが出来ます。したがって、同じ曲であっても、今回は以前のものとはかなり印象が異なって聞こえます。特に、2曲目は、ほとんどオルガンだけで演奏されるモノクロームの世界だったものが、木管の輝かしい響きに彩られて、かなりカラフルなものに変わっています。しかも、演奏自体がレイトンのアグレッシブなものに比べて、クローベリーはいかにもおっとりした感じ、その結果、まるで全く別な曲のように聞こえてしまいます。楽器編成が変わることによって求められる表現までも変わってくるというのはよくあることですから、これはあるいは別の曲と考えて、それぞれの魅力を味わうべきものなのかもしれません。このフルオーケストラバージョンの持ち味は、ヒーリングにもつながろうかというゆったり感。あるいはこちらの方が、ラッター本来のテイストなのでしょう。ここでは、もう一つの聖歌隊(Gonville & Caius College Choir)が加わって、合唱の方も厚みを増し、ふくよかさは一層際だっています。
「マニフィカート」で、合唱がキングス・カレッジだけになると、ちょっと「いつもの」心細さが顔を見せてしまいます。さらに、この曲の随所に現れるソロパートは、ちょっと耳を覆いたくなるようなお粗末さ、作曲者の自演盤(COLLEGIUM)にはちょっと及ばないレベルに甘んじてしまっています。
最後の「詩編150」は、エリザベス女王の「ゴールデン・ジュビリー」にあたって作られたもの、ここでも補強された聖歌隊は、金管とオルガンだけの編成のオーケストラをバックに、華々しい響きを出しています。歌詞は英語ですが、一部にラテン語で「Laudate Dominum」と歌う箇所では、トレブル3人のソリが、ここで求められている無垢な響きを見事に形にしています。
合唱パートには多少の難がありますが、バーミンガム市交響楽団の演奏は隙のない見事なもの。特に、艶のある木管の響きは、心にしみるものがあります。それにしてもこの録音、なんと残響の長いことでしょう。ざんきょう(参考)までに、録音が行われたのは、キングス・カレッジのチャペルです。
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by jurassic_oyaji | 2005-04-01 19:09 | 合唱 | Comments(0)
TAVENER/ The Veil of the Temple


Patricia Rozario(Sop)
Steven Layton/
The Choir of thr Temple Church
The Holst Singers
RCA/82876 66154 2(hybrid SACD)



ジョン・タヴナーの最新作は、彼にしてはちょっと珍しいRCAというレーベルからのリリースです。余談ですが、RCAは「BMG」というグループの一つのレーベルであったわけですが、このCDのジャケットには「SONY BMG」というロゴがみられます。そう、だいぶ前から騒がれていたことなのですが、「BMG」と「SONY」という世界の音楽業界を牛耳ってきた二大音楽ソフトグループが、ついに一つのものになってしまったのですよ。チョコとバニラの二色(それは、「ソフトクリーム」)。元をたどれば「BMG」は「ビクター」そして「SONY」は「コロムビア」、LP時代にはともにライバルとして君臨していた2大勢力が「結婚」してしまうのですから、もはやこの業界では何が起こっても驚くことはありません。
ここで演奏されているタヴナーの作品も、規模という点からしたらメジャーレーベルほどのものを持っています。いや、「作品」と言うよりは、夜を徹して遂行される「徹夜祷」という、実際には7時間を要するという宗教行事(ラフマニノフニに「晩祷」という合唱曲がありますが、これが、本来はこの「徹夜祷」と呼ばれるべきものなのです)そのもの、その中で演奏される音楽の部分だけを集めても、この2枚組のアルバムぐらいの長尺ものになってしまうということです。その音楽は、まさにバラエティに富んだもの、ギリシャ正教、ロシア正教、そしてチベットあたりの仏教の臭いがする様々なパーツが、ほとんど脈絡なく次から次へと現れてくる様は、壮観です。ここでは、「結婚」などという生やさしいものではなく、ほとんど「後宮」あるいは「ハーレム」の様相を呈しています。ただ、注意深く聴いてみると、その果てしない流れの中にある秩序を見いだすのは容易なことです。それは、この「徹夜祷」が行われたロンドンのテンプル・チャーチの聖歌隊と、有名な「ホルスト・シンガーズ」という大人の合唱団が、別々に歌うセット、「Kyrie Eleison」あるいは「Lord Jesus Christ」という歌詞を持つ部分です。この歌詞が、最初はホルスト・シンガーズによって、まるで中世のトゥルバドールの歌のような不思議なテイストで歌われたあと、聖歌隊によって移動ドだと「ミファミソ~、ミファミラ~、ソラソド~」という単調なメロディーが、見事な純正調のハーモニーに乗って歌い上げられるのです(ライナーには、この演奏者が逆に表記されていますが、作曲者と指揮者の写真を裏焼きのまま印刷するような校正のレベルですから、これはおそらく間違いでしょう)。しかもそれが、最初は「ニ長調」だったものが、曲、というか、式典が進むにしたがって、「ホ長調」、「ヘ長調」・・・と全音階的にキーが上昇してゆき、最後の部分では「ハ長調」になってフィナーレを迎えるという仕組みになっています(その最後の部分だけは、このメロディーが合唱ではなくソプラノソロによって朗々と歌われます)。この骨組みにさえ気づいてしまえば、その前後に繰り広げられる呪文のような東洋的な朗唱から、それこそラフマニノフのような大地の響きを持つ堂々たる合唱まで、存分に味わうことが出来ることでしょう。そして、全てを聴き終わったとき、高揚を続けてきた音楽とは裏腹に、体の中のどこかがいつの間にか浄化されているように感じるはずです。それこそが、タヴナーの音楽の目指したものなのかもしれません。
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by jurassic_oyaji | 2005-03-25 19:54 | 合唱 | Comments(0)
DURUFLÉ/Requiem


Patricia Fernandez(MS)
Michel Bouvard(Org)
Joël Suhubiette/
Ensemble Vocal les Éléments
HORTUS/018



このサイトのマスターの自慢はデュリュフレのレクイエムの録音のコレクション。花粉症はちょっと辛いでしょうが(それは「ハクション」)。したがって、私佐久間としても、新譜が出たのなら、チェックしないわけにはいきません。しかし、このアイテムはCD店の新譜コーナーではなく、普通のところにあったので、危うく見逃すところでした。おまけに指揮者も合唱団も、全く聞いたことのない人たち、指揮者に至っては読み方すら分かりません。ジャケットもなんだか投げやりなデザイン、これでちゃんとした演奏が聴けるのかと不安になりましたが、マニアにとってはたとえどんなものであっても価値があるのだろうと、とりあえずゲットです。
かなりおどろおどろしいオルガンの響き(これは、第2稿オルガンバージョンです)の中から聞こえてきた合唱は、しかし、独特の美しさを持ったものでした。パートのまとまりやきちんとしたハーモニーといった、基本的な能力を全て満たした上で、さらに何か猥雑な雰囲気を漂わせるという、かなり高度な嗜好を満たしてくれるような魅力が、そこにはあったのです。そして、しばらく聴いているうちに、このような肌触りは、この曲にはもっともふさわしいものではないだろうか、という気になってきました。デュリュフレのレクイエムは、よくフォーレの同名曲と並べて語られることが多く、この2曲がカップリングされているアルバムも数多く存在しています。しかし、構成的には似ている部分があったとしても、そこで繰り広げられている音楽のテイストは、かなり異なっていることに、気づくべきでしょう。そんな、デュリュフレにはふんだんに含まれていても、フォーレにはちょっと似つかわしくはないような雰囲気、それが、この演奏からは止めどもなく発散されていたのです。
それに気づいてしまうと、ちょっとうるさく感じられたオルガンも、そんなある種の猥雑さを確かに助長しているものだと分かります。そう、このオルガンバージョンのオルガンの役割は、イギリスの団体によくあるような、取り澄ました合唱をただサポートするものではなく、オーケストラ版のエキスとも言うべきものを提供することだったのです。
実は、レクイエムの中ではバリトンソロのパートを合唱が歌っているのですが、これがまた凡庸なソロよりずっと素晴らしいのです。ですから、余白に入っているプーランクの「パドヴァの聖アントニオのラウダ」という男声合唱のための曲での、この合唱団の男声パートの伸びやかと軽やかさに、またびっくりさせられてしまうことになるのです。ただ、残念なことに、「Pie Jesu」でのメゾソプラノソロが、このようなアプローチとは完璧に相容れない重苦しいものであるために、このトラックだけが全く別の世界のものとなってしまっています。なぜこんなソロを使ったのか、理解に苦しむところです。
このCD、しかし、どうやらそのお店にあったのはこの1枚だけだったようで、それ以後補充される様子はありません。一つ間違えば、こんな素晴らしいものを見逃してしまって入手できなかったかもしれないと思うと、幸運さを喜ばずにはいられません。
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by jurassic_oyaji | 2005-03-22 19:33 | 合唱 | Comments(0)
WAGNER/Opera Choruses


Soloists and Chorus of the Royal Swedish
Opera
Leif Segerstam/
Royal Swedish Orchestra
NAXOS/8.557714



ヴァーグナーの「オペラ合唱曲集」という、どこにでもありそうなタイトルですが、これがなかなか渋い選曲、しかもかなり手の込んだものなのですから、やはりNAXOSをコレクションの対象からなくそすことは出来ません。フィンランドの巨匠セーゲルスタムが、スウェーデンの王立歌劇場の合唱団とオーケストラを指揮したもの、ちょっとマニアックですが、確かな訴えかけを持ったアルバムです。ただ、添付されている日本語のタスキには明らかな間違いがあります。「ローエングリン」の中の合唱のタイトが「真心こめてご先導いたします」となっていますが、これは第3幕のいわゆる「結婚行進曲」という超有名な曲のタイトル。しかし、ここで演奏しているのはそれではなく第2幕第4場の全く別な曲なのです。同じタスキの中で、「別の曲です」と書いているにもかかわらず、タイトルだけは間違ったままなのが笑えます。
そんな、担当者が勘違いするほど、有名曲をさけた選曲、特に、「マイスタージンガー」と「パルジファル」では、一つの場面を適宜抜粋して、合唱が中心の部分を聞かせるという粋なことをやってくれています。それでもソロ歌手が入る部分は残っていますから、そこにはこのオペラハウスの歌手が参加するという、贅沢な面も。こういう形で演奏してくれると、オペラの全体の流れの中での合唱というものの姿が、きちんと見えてきます。特に「パルジファル」では騎士たち、若者たち、そして天上からの少年合唱(歌っているのは大人ですが)というそれぞれのキャラクターが、見事な対比を示しています。セーゲルスタムの演奏は、感情の起伏が大きい割には、流れはスマート、どんどん先に進む場面をさわやかに駆け抜けていきます。そして、合唱は信じられないほどの水準の高さ、一本芯の通った涼しい音色が魅力です。
「オランダ人」でも、「水夫の合唱」はきちんと最後、つまりノルウェー船の脳天気な合唱から(この男声の張りのある声も素敵)オランダ船の不気味な合唱まで全て収録されていて、やはり、一つの場面の中での合唱の持つ多様な表現をしっかり味わえるようになっています。そんな中で、もっとも珍しいものは序曲以外は、演奏される機会などほとんどない「幻」の作品「リエンツィ」からの、第2幕の平和の使者の合唱です。もちろん、私は初めて聴いた曲ですが、女声合唱によって歌われる無垢な世界は、心にしみるものがあります。この合唱が2回繰り返され、それに挟まれる形でドラマが進行するのですが、後のヴァーグナーからは想像できないような「伝統的」なスタイル、6時間はかかるという全曲を聴かなくても、その片鱗だけはしっかり味わうことが出来きるという、心憎い仕掛けが込められています。
もちろん、「タンホイザー」の「入場行進曲」のような「有名」な曲もしっかり押さえているのはさすがです。こんな耳慣れた曲も、このアルバムの中にあると、単なる「名曲」ではなく、ドラマの中での役割がしっかり見えてくるというのが、すごいところです。
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by jurassic_oyaji | 2005-03-17 20:35 | 合唱 | Comments(1)