おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
<   2006年 12月 ( 23 )   > この月の画像一覧
DURUFLÉ/Requiem


Kaaren Erickson(Sop)
Nancianne Parrella(Org)
Kent Tritle/
Choir of St. Ignatius Loyola
MSR/MS 1141



他のものを注文しようと思って海外の通販サイトを検索していたら、偶然発見したデュリュフレのレクイエムです。これはまだ持っていなかったアイテム、さっそく入手しました。録音されたのは1994年の4月ですが、リリースは2005年、まだまだ新譜で通ります。1年ぐらいはもちますから(それは「新婦」)。どんな事情でこんなに長い間リリースされなかったのかは不明ですが、その間にソプラノのソリストが亡くなってしまったそうですね。ですから、このCDにはその人、カーレン・エリクソンに対する献辞が添えられています。
ここで演奏しているのは、聖イグナチウス・ロヨラという、あのイエズス会の創始者の名前を取ったニューヨークにある教会に所属している、20人ほどのプロの聖歌隊です。この教会には1993年に設置されたフランス風の大オルガンがあり、ここでもそれが使われています。従って、当然のことながら、このレクイエムはオルガン伴奏による第2稿です。
オルガン版による演奏では、そのオルガンはあまり目立たないものですが、ここではそれが非常に印象的に聞こえてきます。フランスオルガン独特のリード管やビブラートのかかるストップなどが駆使され、ちょっと他では聴けないような色彩的な音色、それは魅力的なものがあります。ここでオルガンを演奏しているこの教会のオルガニスト、パレラのストップの使い分けが独特で、今までのオルガン版では聴いたことのなかったようなフレーズがあちこちで現れるのが、とても新鮮な体験でした。このぐらいていねいにレジスタリングがなされると、ひょっとするとフル・オーケストラ版に負けないぐらいの迫力と色彩感が出せているのではないでしょうか。ここで足らないのはティンパニやパーカッションなどの「一発」だけです。
そんな立派なオルガンに支えられて、合唱もその人数からは想像できないほどの立派なものを聴かせてくれています。それぞれがソリストとして各方面で活躍している人がメンバーだということですが、それは確かに良く分かります。ただ、パートによってその立派さの程度が少しずつ異なっているのが、ちょっと問題。アルトなどはとてつもない力強さを持っているにもかかわらず、ソプラノがちょっと頼りなさげ、そこで合唱としてのバランスが微妙におかしくなっています。例えば、「Sanctus」の冒頭は女声だけですが、そこでのアルトのパートがあまりにも強すぎるので、肝心のソプラノのメロディーが霞んでしまっています。そんなソプラノですから、逆に「In Paradisum」の前半のパートソロでは、この世のものとも思えないような清楚な味を出すことに成功しています。この部分だけでしたら、かなり上位にランクできる演奏に違いありません。ところが、後半の全パートの合唱になると、それぞれのパートの個性が強すぎて、一つにまとまった響きが出てこないというのが、この合唱団の一番いけないところ、この絶妙のハーモニーが出せないことには、「名演」にはなり得ません。この、トゥッティでハモらないという欠点が、この曲の随所で見られます。それがちょっと残念。
ソプラノソロは、先ほどのエリクソンさんが強烈なビブラートで迫ります。これも、やはりもう少し節度のある歌い方の方が、私は好きです。バリトンソロの部分は、ソリストではなくパート全員で歌っています。これはこの合唱団ですから、ソリスティックな味がでて、おおむね成功しているのではないでしょうか。特に「Libera me」での迫真の表現には惹かれるものがあります。
余白に、オルガニストでもある指揮者のトリトルが演奏した同じ作曲家の「オルガンのための組曲」が収められています。これも、オルガンの音色を最大限に生かした素晴らしいものです。「シチリエンヌ」のえもいわれぬ変奏の妙からは、フランクの語法が垣間見られますし、「トッカータ」の色彩感はまさにメシアンの世界でしょうか。フランスのオルガン曲のレパートリーとして、デュリュフレの曲ももっと聴かれていいな、と思わせられるような演奏でした。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2006-12-05 23:06 | 合唱 | Comments(0)
Wir setzen uns mit Tränen nieder
 R☆Sオケはもうおしまいですか。これが言ってみればクライマックスのはずなのですから、もっと時間をかけてていねいに描いて欲しかったという思いは残ります。結論を急ぎすぎ、なぜのだめがあれほどの涙を流さなければならないのか、その伏線が十分ではありませんでした。まあ、こんな風に「結論」をいきなり持ってきて「感動」をもぎ取る、というのはテレビドラマ、いや、ハリウッドの映画でも常套手段ではありますが。そうなってくると、少なくともこのシーンでは、マンガの方が表現手段として勝っている、ということになるのではないでしょうか。
 このドラマ、実際に音楽を演奏するというシーンが非常に重要な要素になっていますから、当然その時の音楽はその場では主人公になっているわけです。そこで、難しくなってくるのがBGMの使い方です。それ専用の曲が用意されている場合には問題にならないものが、ここでのウリである「クラシック音楽のBGM」というところで、ヘタをするとBGMがBGMではなくなってしまい、あたかも主人公のように振る舞ってしまうことがあるからです。今回の、コンサートが始まる前に流れていた「ボレロ」が、まさにそんな大失敗の実例に他なりません。本物のオーケストラが画面に現れている所でオーケストラの曲を流したときには、もはやそれはBGMとしてとらえてもらうことは不可能になってきます。このシーンで、緊張感を盛り上げるという効果をねらってこの曲を選んだスタッフは、その時点でクラシックファンの心をまるで分かっていないことを露呈したのです。
 ミシェル・ルグランの「シェルブールの雨傘」は、その逆の意味での失敗作です。あの場合は、「主人公」として聞こえてこなければならない音楽が、単なるBGMにしか聞こえなかったのですから。
 そんな前半の失態も、後半、催眠術の場面に出てきた「マタイ」の終曲と、バーバーの「アダージョ」で、すっかり帳消しになりました。「マタイ」は、その少し前にイントロだけ出てきて、ついにバッハか、と喜んだら(あ、「小フーガ」がありましたね)ここでしっかり合唱までやってくれたのですから、感激です。そして、それに続けてバーバーとは。こういう、人間の心の深い所を描写しているシーンでのこういう曲は、まさにうってつけ、というか、こういう言葉や映像では表せない情感を表現するためにこそ、クラシック音楽はその資質を高めてきたわけですからね。さらに、これが既存の音源であったことも、その深みを誇れた要因でしょう。その前に「ブラ1」のとことんいい加減なドラマのためのセッション音源を聴いてしまったあとだから、その違いは際立ちます。冒頭のティンパニのかったるいこと、最後のあたりも弦のアンサンブルはめちゃめちゃ、それでいてわざとらしい「決め」だけはしっかり付けているというあざとさだけが目立つ、つまらない演奏でした。
 そういえば、だいぶ前に「ブラ1」のアンコールでバーバーを聴いたことがありました。その時のバーバーも素晴らしいものでしたが、今回の方がより素晴らしく聞こえたのは、「メイン」があまりにお粗末だったせいで対比が際立ったからなのでしょうね。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2006-12-04 23:02 | 禁断 | Comments(3)
WAGNER/Das Rheingold



John Bröcheler(Wotan), Henk Smit(Alberich)
Graham Clark(Mime), Reinhild Runkel(Fricka)
Chris Merrit(Loge), Anne Gjevang(Erda)
Pierre Audi(Dir)
Hartmut Haenchen/
Residentie Orchestra
OPUS ARTE/OA 0946 D(DVD)



「リング」全曲のDVDが、まとめて買うとなんと8000円程度で手に入るというものすごいことが起こっています。CDではありませんよ(CDでしたら、もっと安いものもありますが)。れっきとしたサラウンドチャンネル付きのDVD、しかも、このレーベルにしては本当に珍しい日本語字幕付きというのですから、これはもう買うしかないでしょう。
1999年、ネーデルランド・オペラのプロダクション、グレアム・クラークやクリス・メリット以外には、それほど有名な人が歌っているわけでもありませんが、演出はとても手のかかった、それでいて非常に分かりやすいものですから、存分に楽しめます。衣装が日本人の石岡瑛子さんというのも、親近感のあるもの、事実、彼女の衣装プランは我々にとって非常に親しみやすいものとなっていますから、それを味わうのも楽しいことです。なにしろ、神々族はまるで仏像のようなヒダの入った衣を着ているのですからね。それで、頭は螺髪ときてますから、フリッカなどはほとんど鎌倉の大仏様です。フライアは、まさに興福寺の阿修羅像。ただ、ローゲ(クリス・メリットが演じています)だけはスキンヘッドというのは、彼が正規の神々ではないことの分かりやすい現れなのでしょう。そうなると、○ンタマ丸出しの巨人族は、まるで木彫りの仁王様のように見えてくるから不思議です(そ、「メンタマ」を剥いてます)。
ピエール・アウディの演出プランそのものは、非常に素直なものです。エクストラ・フィーチャーのインタビューでは、「もう『リング』の演出は出尽くしたので、いっそ、何もやらないことも考えた」と言っているぐらいですから、基本的にはヴァーグナーのト書きに忠実に、ということを考えたのでしょう。しかし、それと共に、お客さんに楽しんでもらおうというサービス精神も旺盛だったようで、出来上がったその舞台は何とも大仕掛けでスペクタクルなものになりました。
このカンパニーは、座付きのオーケストラは持ってはいませんから、演目ごとに別のオーケストラが演奏するという変則的なことを行っています。「リング」では3つのオーケストラが参加、この「ライン」ではハーグ・レジデンティ管弦楽団が担当しています。特徴的なのは、そのオーケストラが殆どステージの上ぐらいの高い所まで上がってきているという点です。一応ピットの中なのですが、その床がかなり高くなっていて、指揮者の腰のあたりがステージ面となっているのです。そして、ステージはそのオーケストラと客席の間にも設けられていて、場合によっては歌手はオーケストラを背中にして歌うこともあります。
その様な配置では、オーケストラのパートが実に鮮明に聞こえてきますから、指揮者のヘンヒェンもそれを意識してか、とても繊細な、場合によってはちょっとヴァーグナーらしくない緻密な音楽を聴かせてくれています。それこそバイロイトではありませんが、穴蔵の中から不気味に響いてくるようなサウンドとは全く無縁の、隅々まで見渡せられるような、かなり新鮮な響きです。例えば、ヴォータンとローゲがニーベルハイムへ降りていく場面で演奏される間奏曲では、普通は「鍛冶屋のテーマ」が本物の金床などを使ってにぎにぎしく鳴り渡るものですが、ヘンヒェンはいくつかの異なる打楽器で別々のリズムを叩かせるというクレバーなことを披露してくれています。このステージでは、指揮者とオーケストラが常に観客の視界の中にあります。まず、音楽としての「リング」をきちんと聴いて欲しい、そんな演出家と指揮者の願いが伝わってくるようなステージ配置、そして、音楽の作り方です。
そんなオーケストラのまわりで、物語はまるでサーカスのような派手な装置と動きの中で進んでいきます。第1場では、格子が組まれた上の巨大なアクリル板が斜めに立てかけられているのが水の中、実際の「ツルツル感」を味わわせてくれながら、乙女達とアルベリッヒがじゃれ合います。その乙女、ぴったりとボディラインを見せる衣装が、まさに「魚」そのものです。フロスヒルデはかなり○ブ、そんな体型もしっかり見えてしまいます。
後半では、本物の火を使って、ニーベルハイムの喧噪が描かれます。その炎は照明と共に完璧にコントロールされていて、「隠れずきん」のシーンなど圧倒されてしまいます。最後にドンナーがハンマーを振り下ろす所も、見事に火花の爆音とシンクロさせていました。
あれこれ深読みしなくても、素直に楽しめる演出、この先も楽しみです。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2006-12-01 20:10 | オペラ | Comments(0)