おやぢの部屋2
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MOZART/Irrfahrten II, & III
c0039487_21422638.jpgAnn Murray, Malin Hartelius,
Silvia Moi ,Marisa Martins
Josef Wagner, Jeremy Ovenden
Matthias Klink, Miljenko Turk
Marianne Hamre(Narrator)
Graham Smith(Dancer)
Joachim Schlömer(Dir)
Michael Hofstetter/
Chor der Ludwigsburger Schlossfestspiele
Camerata Salzburg
DG/00440 073 4250(DVD)



Irrfahrten」の「第2部」と「第3部」は、このザルツブルクでの公演が世界初演となる、まさにシュレーマーのコンセプトが最大限に発揮された作品になっています。そもそも「第2部」にはモーツァルトのオペラすら登場しません。タイトルは「Abendempfindung」、「夕べの憩い」と訳されるそのモーツァルトのリートが歌手(マレー)によって歌われるのが始まりで、様々な曲の断片が演奏される中、歌手そっくりの衣装とヘアスタイルの女(ハムレ)と男のダンサーがモーツァルトの手紙を読み上げるという趣向です。プロジェクターで映し出されるキャストに合わせて本物のキャストが演じるという複雑な「振り」も、ダンサーはともかくマレーまでも実に良くこなしています。ここでは男のダンサーが白いブリーフ1枚のヌードでダンスを披露したかと思えば、ステージ奥に設けられたプールで泳ぎ出すという、不思議な世界が広がります。合唱も登場しますが、そのメンバーも全て歌手と同じ扮装というのがショッキングです。
いろいろな曲がなんの脈絡もなく続く中で、グラスハーモニカのための曲が集中的に演奏されているのが印象的です。ちょっとシュールなステージを彩る、それは見事なアクセントに聞こえます。
「第3部」ではオーケストラもステージに上がり、全体がダンスフロアといった趣、ハムレもここでは「MC」という役回り、ワイヤードマイクを片手にこれから演奏される未完のオペラ・ブッファのあらすじと配役をDJ風ににぎにぎしく紹介します。もちろん、キャストは殆ど「第1部」に出演した人たち、あのイケメン、トゥルクも、ここでは少しコミカルな役に挑戦です。
ちょうど「後宮」と「フィガロ」の間に作曲されたことになる「騙された花婿Lo Sposi Deluso」と、「カイロの鵞鳥L'oca del Cairo」というオペラ・ブッファは、もし完成されていたならばあのダ・ポンテ・オペラと同様の人気を博していたに違いないと思わせられるほど、その残されたナンバーは魅力に満ちたものでした。「鵞鳥」でそのトゥルクが歌うアリアなど、あのレポレッロの「カタログの歌」を彷彿とさせるものですし、フィナーレの華やかさといったら、まさに楽しさいっぱいのブッファの神髄です。
後半は大勢のダンサーが登場してダンスが繰り広げられます。「ダンス」といっても、これはストリート系のかなり激しい動きのもの、流れるモーツァルトの曲の断片とはビートも曲調もなんの関係もないような印象を与えられるのは、シュレーマーの目指したところなのでしょう。
そして、そんな喧噪が一段落、ダンスがすんだところで合唱によってしっとりと歌われるエンディングが、モーツァルトの絶筆、「レクイエム」です。それは、実際の「絶筆」つまり後のジュスマイヤーなどが管楽器のパートを書き込む前の、作曲者が実際に残した部分だけが演奏されたものでした。それは、以前シュペリングが一つのサンプルとして録音していたことはありますが、それ自体に意味を持たせてこのような形で演奏するのは、CDやDVDに記録された形でリリースされたものとしてはおそらく初めての試みなのではないでしょうか。弦楽器だけの伴奏による「Dies irae」、そして「Lacrimosa」も、「アーメン・フーガ」も途中で未完のまま終わっているものをあえてそのまま演奏する、それこそが、この「遍歴」の終着点にふさわしいというのが、シュレーマーのコンセプトなのでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2007-04-30 21:54 | オペラ | Comments(0)
MOZART/La Finta Semplice
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Malin Hartelius, Silvia Moi
Marisa Martins, Marina Comparato,
Josef Wagner, Jeremy Ovenden
Matthias Klink, Miljenko Turk
Marianne Hamre(Narrator)
Joachim Schlömer(Dir)
Michael Hofstetter/
Camerata Salzburg
DG/00440 073 4251(DVD)



モーツァルトには、「Irrfahrten」、つまり「さまよい」とか「遍歴」といった意味を持つタイトルの作品などはありません。これは、以前シュトゥットガルト州立劇場の「ラインの黄金」のプロダクションで演出を担当していたヨアヒム・シュレーマーという振り付け師が、モーツァルトの作品を再構築して3夜にわたって上演される「三部作」の形にしたものなのです。本格的なオペラとしては最初のものとなる「ラ・フィンタ・センプリーチェ」から始まり、間に様々な曲を集めたパスティーシュを置いて、未完の「騙された花婿」と「カイロの鵞鳥」の断片を紹介したあと最後の作品である「レクイエム」で締めくくるという、言ってみればモーツァルトの劇場音楽に於ける「遍歴」をテーマにしたプロダクションに仕上がっています。
そんな、「旅」には欠かせない旅行鞄が、ここでは一つのモチーフとして、全体を通して登場します。中に入っているのはお札とピストル、これらがなんのメタファーなのか、それは見る人の解釈次第でしょう。
「第1部」では「ラ・フィンタ・センプリーチェ」がそのまま上演されます。とは言っても、そこにはシュレーマーのコンセプトがしっかり入り込み、物語の進行を務める原作にはないキャラ(ハムレ)が登場することになります。彼女は登場人物を紹介したりレシタティーヴォの一部を語ったり、時には他のキャストと絡んだりまします。ちなみにタイトルには「みてくれの馬鹿娘」というかなりぶっ飛んだ邦題が一般に用いられていますが、主人公のロジーナ(ハルテリウス)は別に「馬鹿」なのではなく、「うぶな娘のふり」をしているというだけですから、いずれはこんな邦題は使われなくなることでしょう。と言うより、今まではそういうものがあるということだけは知られていたのに、実際に上演される機会が殆どなかったために直しようがなかっただけなのでしょうから、こんなDVDできちんと中身が分かるようになれば、自然と是正されることになるはずです。
舞台装置は白一色、登場人物も真っ白なシンプルそのものの衣装で登場したものが、場面が進むにつれて次第に赤い靴を履いたり、赤いベルトを付けたり、赤い時計をしたり、赤いシャツを着たり、そして最後には全身を赤い絵の具で塗られたりという「変化」が見られるようになってきます。ある種の成長過程の、これまたメタファーになっているのでしょうか。
女嫌いの兄カサンドロ(ヴァーグナー)に許されないために、恋人フラカッソ(オヴェンデン)と結婚出来ない妹ジアチンタ(コンパラート)のために、フラカッソの妹ロジーナが「うぶな娘」のふりをしてカサンドロを誘惑する、というお話、そのロジーナの本心ともいうべきキャラが、ダンサーによって演じられているのも、もちろんシュレーマーのプランです。全く同じ仕草をしたり、アリアの間にダンスを踊ったり、そしてこんな風にまるで「貞子」のような髪ではだかを披露したりと、大活躍。でもこれは、いくらなんでも「リング」(もちろん、ヴァーグナー)を意識したものではないでしょうね。
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会場のレジデンツホーフは、ちょっとしたスタジオといった狭いところ、オーケストラも一応ピットに入っていますが、演奏している姿は観客からはよく見えます。通奏低音にフォルテピアノとリュートという組み合わせがちょっとユニークなところでしょうか。これはセッコの時だけではなく、普通のナンバーでも演奏に加わって、変わった味を出しています。
もう一組の恋人の片割れを演じているトゥルクというバリトンの、ひときわ伸び伸びとした素敵な声が印象的です。彼はマスクも涼しげなイケメン、きっとこれからファンが増えることでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2007-04-27 20:05 | オペラ | Comments(0)
Der Tausend
 「のだめ」のブームがすでに去っているのは、アニメ版の放映が仙台でも始まっていることを私が全く気が付かなかったことでも分かります。東京で放送が始まったときには何とかして見たいものだと八方手を尽くした(いえ、別に何もしないで、だれかビデオを送ってくれないかとただ待っていただけなのですが)時のようなテンションは、もはや戻ってはきません。たまたまオケの人と話をしていたとき、「夜中に『のだめ』のアニメやってますね」と、当然私が知っているかのように聞いてきたので、それで初めて知ったということですから、なんて間抜けな。どうやら4月の第1週から始まっていたようなのですね。そこで、さっそくおとといの深夜のその第4回目を録画して見てみました。
 一応地デジの方で見たのですが、しっかりハイビジョン仕様になっていましたね。アニメの場合はフィルムを使っているのでしょうから、これはそんなに難しいことではないのでしょう。そして、その「アニメ」は、まさに「アニメ」でした。まずはオープニング・テーマ、実写版のあのインパクトなど望むべくもない、ありきたりのつまらないオリジナル曲、ただタイアップだけのために流しているという、ほんとにどうでも良い曲です。ここでがっかりするのは、今のアニメを知らない人なのでしょうから、とりあえず我慢して先に進みましょう。もちろん、間のBGMもごく普通のBGM、「クラシック」などは全くかかりません。これも「アニメ」の掟なのでしょう。
 しばらくして峰くんがヴァイオリンを弾いているシーンが出てきました。いくらなんでもここではきちんとヴァイオリンの音がするだろうと思っていると、これは期待通りスケールかなんかが聞こえてきました。ところが、肝心の峰くんはヴァイオリンを構えただけで、全く動こうとはしません。どうやら、これもアニメの掟なのでしょう。
 アニメ、アニメと言ってきましたが、もちろんそれはごく狭い世界でしか通用しないある一つのアニメのジャンルだと思いたいものです。ピクサーが作れば、ヴァイオリンを弾いているときには確実にヴァイオリニストの細かい動きを再現しているでしょうし、手書きでもジブリあたりだったらもう少しそれらしい動きを入れるはずです。このような、ほとんど紙芝居と変わらない、静止画にセリフや音が入ったものは、本当は「アニメ」と言ってはいけないのではないか、と思うのですが、こんな手抜きのメディアを一つの表現としてありがたがっている情けない人たちが実際に存在する、というのも、現実です。
 ですから、もうあきらめて「紙芝居」に徹して鑑賞することにすれば、これはなかなか原作に忠実な作られ方をしているのが分かります。今回はシュトレーゼマンが初登場するエピソード、原作を読んだのは大昔で細かいところなどほとんど忘れていたのですが、あとで読みかえしてみたらみんなしっかり書いてあったので、驚いてしまったぐらいです。例えば、ビエラ先生と最初におもちゃ屋で会ったときのエピソードも、確かに原作にありました。となると、ビエラがシュトレーゼマンのことを「行く先々のオケでセクハラや不倫をしている」と言っているのも原作のセリフ、もしかして、二ノ宮先生のまわりに実際にそんな人がいたのかもしれませんね。
 マーラーの8番が聞こえてきたように、原作に出てくる「音」だったらきちんと入るのかもしれません。真澄ちゃんの「ジョリヴェ」がもし聞こえてきたら、ひどい手抜きも少しは許せるかも。
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by jurassic_oyaji | 2007-04-26 20:38 | 禁断 | Comments(0)
宮城なつかしCM大全集
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宮城なつかCM保存会
ISBN4-9903231-2-2 CO876


全国(全世界?)ネットの「おやぢの部屋」でこんなローカルなCDをご紹介するのはちょっと気が引けるのですが、個人的に心の琴線に触れたものということでご理解ください。あ、もちろん制作者から金銭を受け取っているというようなこともありませんから。
仙台市の中心部、「一番町」や「中央通り」(最近は別な呼び方になっていますが)を歩いていると、何とも古色蒼然としたCMソングが流れているのに気づかされます。「♪キンコンカンコン金港堂」とか、「♪鈴喜が一番、一番丁の鈴喜陶器店」といった、お店の名前を連呼するだけというまさにCMソングの王道を行く、と言うことは、今のCM界では絶えて聴くことのなくなった歌が、一日中鳴り響いているのです。最近では東京から進出したおしゃれなファッションビルが建ち並ぶようになった仙台の商店街、その中に何ともミスマッチ気味に流れているこれらのCMソングたちは、まるで仙台商人の意地を見せるかのように、頑なに昔のままの姿でその存在を主張しています。
そう、この移り変わりの激しいマーケティングの世界で、この場所の街頭PAだけは、なぜか昭和30年、40年代のまま、昔からここで暮らしている人にとっては何ともノスタルジックな感傷に浸れるものになっているのです。その事に気づいた人たちが、その頃の時代に作られたCMソングを集めて、こんなCDを作ってしまいました。まるでセピア色に変わった昔の写真を見ているような、これは、その時代をこの土地で過ごした人にとってはかけがえのない「音のアルバム」になっているはずです。
最初に聞こえてくるのが、仙台駅前の丸光デパート(その後「ビブレ」→「ダック・シティ」と名前を変え、現在は「さくら野百貨店」)の屋上にあったミュージックサイレンから流れてくる「荒城の月」の録音です。もちろん、これは屋外で鳴っているものですから、まわりを走る車の音などもしっかり録音されています。そして、昭和47年に作られた、その「丸光」のCMソングが続きます。「おもちゃのチャチャチャ」などを作った越部信義というヒットメーカーの曲を、当時人気を博していたNHKの番組「ステージ101」でのレギュラーメンバー伊藤三礼子と藤島新が歌っているというものです。今でこそ頭が禿げ上がって見る影もない藤島ですが、その頃は今のキムタクのような甘いマスクと、爽やかな声が大人気、この歌の発表会のために来仙したときにはファンが押し寄せたといいます(風邪をひいていて、肝心の歌は歌わずサインだけして帰ったそうですが)。
このCDには分かる限りの作家や演奏家、そして制作年のクレジットが記載されているのも嬉しいところです。そこで、これらのCMソングは、大多数がその道の大御所の手になるものであることが分かります。「♪お茶お茶チャッチャカチャッチャ、井ヶ田チャッチャカチャ」という「お茶の井ヶ田」の歌は、「丸光」の越部信義が作っていたのですね。作られたのは「おもちゃ~」とほぼ同時期、この二曲の間に同じテイストを感じるのも当然のことでしょう。
もちろん、いずみたくというようなまさにCMソング界の王者の作品も目白押し、その中で、「♪あの街、この街、仙都が走る」という「仙都タクシー」の歌を歌っているのが、デューク・エイセスです。常々街でこの歌を聴く度に、これを歌っている男声コーラスのことが気になっていたのですが、まさかデュークだったとは。というのも、録音年代からしてこれを歌っていた頃はオリジナルメンバーの和田昭治が在籍していたために、後の「にほんのうた」で聴ける谷口安正を中心としたタイトなサウンドとは全く別物のユルいハーモニーだったからです。しっかりしたデータのお陰で、そんな細かいことまで分かってしまいます。
CM創生期のパイオニア、三木鶏郎が作った「♪朝の一服永楽園の、お茶に茶柱立ちました」を歌っていたのは、「パイナップルプリンセス」の田代みどりだったんですね。そう言えば最後の「た」を「たぁ↑」とグリッサンドするのを聴けば、確かに彼女だと分かります。
最後のトラックは、再び丸光のミュージックサイレンで「この道」です。ここではなんとバックにSLの汽笛が。曲が終わる頃には「シュッシュポッポ」というピストンの音も聞こえてきます。これを聴かされて感傷にむせび泣かない人など、いるでしょうか。
流通はCDではなく書籍の扱い、仙台市内の大きな本屋さんで買うことが出来ます。宝文堂に電話をすれば通販も出来るみたいですよ。ただ、これは1000枚しかプレスしていないそうですから、お早めに。
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by jurassic_oyaji | 2007-04-25 19:51 | Comments(2)
The Art of the Flute
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Wolfgang Schulz(Fl)
Matthias Schulz(Fl)
Peter Schmidle(Cl)
乾まどか(Pf)
NAXOS/8.570309



「フィルハーモニック・ソロイスツ」という、このレーベルとオーストリア放送協会の共同制作によるシリーズは、ウィーン・フィルの各パートの首席奏者にスポットを当てて室内楽のアルバムを作るという企画です。今までにクラリネット、ホルン、ヴィオラ、チェロがリリースされていましたが、第5弾としてフルートの登場です。
アーティストは、今や押しも押されぬウィーン・フィルの首席奏者として大活躍のヴォルフガング・シュルツ、そして2005年からウィーン国立歌劇場のオーケストラのメンバーとなった、彼の息子マティアスです。1曲だけこのシリーズにも登場したウィーン・フィルの首席クラリネット奏者のペーター・シュミードルが参加、ピアノ伴奏はシリーズに共通している日本人、乾まどかです。
プログラムは、最初に2本のフルートの持ち味を堪能できるものが並びます。1曲目は、なんと、あの「のだめ」ですっかり有名になったモーツァルトの「2台のピアノのためのソナタ」を、フルート2本とピアノのために編曲したものです。のだめと千秋の息詰まるようなバトルを、シュルツ親子が再現しようという趣向です(いや、彼らにはそんな意識はないはず・・・)。エリーザベト・ヴァインツィールとエドムント・ヴェヒターという2人のフルーティストによって編曲されたこのバージョンは、原曲の煌びやかなテイストをそのままこの編成に置き換えたものですから、フルートにとってはまさに超絶技巧を要求されるものですが、シュルツ親子は見事にその華やかさを再現してくれました。そして、第2楽章ではたっぷり歌い込んだ味わい深いものも聴かせてくれます。リードをとっているのは左から聞こえてくるお父さん、右側の息子の方はテクニックにはなんの遜色もありませんが、ちょっと音が素直すぎるでしょうか。
2曲目は、同じ編成のクーラウの「グランド・トリオ」です。フルート愛好家にとってはかけがえのないこの作曲家も、「クラシック」界ではいまだにマイナーな存在に甘んじていますが、この曲あたりを聴けばおそらく今までこの作曲家を聴いてこなかったことを後悔するかもしれません。それほどに心の琴線に触れる旋律と溌剌とした生命力にあふれた魅力的な曲、この親子のようなしっかりしたテクニックでかっちり演奏されると、それはかけがえのないものにすら聞こえてくるはずです。
3曲目はフルートとアルトフルートの二重奏で、ジャン・フランセの「オウムの対話」という、小粋な作品です。とてつもない技巧をさりげなく聴かせることによってエスプリを浮かび上がらせるという、フランセならではの難しい面を持つ曲ですが、もちろんこの親子にとっては難なく料理できるものです。ここではマティアスくんがフルート、お父さんはアルトフルートでサポートに徹するというシフトですが、そうなってくるといかに父親の存在感が大きいかが如実に分かってしまうという、ちょっと辛い面も露呈されてしまいます。
4曲目は、ゲストのシュミードルとお父さんでサン・サーンスの「タランテラ」、これはまさに円熟の極みです。
そして、最後にプーランクのソナタがお父さんによって演奏されます。これはなんという隙のない演奏なのでしょう。とても60歳とは思えない技巧の冴え、表現も年寄り臭いところの全くないストレートなものです。「若さ」さえ感じられるこの怪演、このお父さんを超えることは、マティアスくんにとっては殆ど不可能なことではないでしょうか(頭だけは越えてますが。彼に必要なのは音楽性と増毛手術)。
室内楽を中心にウィーンで活躍されている乾さんのピアノも、フルートと対等に渡り合っているにもかかわらず、決して出しゃばることのない素晴らしいものです。それは、もしかしたらベーゼンドルファーの音色がもたらしたものなのかもしれません。
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by jurassic_oyaji | 2007-04-23 20:39 | フルート | Comments(0)
MOZART/Requiem
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福島章恭/
東京ジングフェライン
ヴェリタス室内オーケストラ
BLUE LIGHTS/AFCD 0002


2006年の10月録音という、まさに「最新」のモーツァルトのレクイエムです。この年、おそらく世界中でこの曲が繰り返し演奏されたことでしょうが、もちろんそれは日本でも例外ではありません。正確は数字など知りようもありませんが、生誕250年というこの機会にこの名曲を演奏しようとした団体はプロ・アマを含めて数限りなくあったことでしょう。そんな中の一つが、商業用のCDとなって「商品」としてリリースされました。この曲の録音についてはかなりのものを網羅したと思えるこちらのリストを見てみても、日本人の演奏によるものは1965年の若杉弘以外には見当たりませんから、これはある意味「快挙」と言ってもいいのかもしれません。
ここで指揮をされている福島章恭さんという方は、あるいは音楽評論家としてすでに名声を博しているのではないでしょうか。今までに何冊かの著書が出版されていますが、その情熱的な筆致は読むものをとらえて離さない魅力を持っています。それは、あの宇野功芳氏に私淑しているというところから生まれる、とことん自らの感覚に正直な語り口によるものでしょう。
その福島さんは、実は桐朋学園大学で声楽を専攻されたプロの音楽家でもあるのです。現在では合唱を中心に幅広く指揮活動も行っているという、まさに師匠譲りの二足のわらじで大活躍をなさっています。なんでも2005年にはプラハのスメタナホールでドヴォルジャークのミサ曲、2006年にはウィーンのムジークフェラインザールでモーツァルトのレクイエムを指揮したということです。まさにその曲がかつて演奏された「本場」で、耳の肥えた聴衆を前にしても一歩もひけをとらない演奏を披露した、ということになるのでしょうね。
ここで歌っているのは、そんな福島さんを慕い、彼のもとでの練習と本番の演奏会を通じてクラシック音楽の心髄に触れたいという人たちが集まって、2005年に結成された「東京ジングフェライン」というアマチュアの合唱団です。90人ほどの大人数、確かに一つの目的を持って集まったというエネルギーには、言いようのない力を感じるはずです。
その力を信じた福島さんは、この曲に真っ正面から立ち向かい、とてもパワフルな魅力を引き出しています。それは、小細工を弄して表面的な効果を追うのとは全く異なる、言ってみれば直球勝負の魅力でしょうか。結成から日が浅いということもあって、必ずしも細部でのまとまりには十分とは言えない面のあるこの合唱団は、その弱点を骨太な音楽でカバーして圧倒的な感動を伝えてくれています。
ただ、おそらくそれは実際に会場で生の演奏に接した時ほどには、このCDでは伝わってはいないのかもしれません。かなりデッドなホールでの録音ですから、マイクを通した時にはよっぽどエンジニアの耳が良くない限り暖かみのある音で収録するのは難しいはずです。特にオーケストラの音が、妙にざらついているのは気になります。そして、おそらく会場ではそれほど気にはならなかったことなのでしょうが、こうして客観的に聴いてしまうと、悠然と流れている合唱の前で、このプロのオーケストラが何とも余裕のない走り気味の醜態をさらしているのが分かってしまいます。
カップリングとして、2003年に録音された弦楽合奏版の「アヴェ・ヴェルム・コルプス」と、2005年に録音された「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が収録されています。これを並べて聴くと、2003年には持て余し気味だった主観のたぎりが、2005年には見事に整った形になっているのが良く分かります。「円熟」とは、きっとこういうことを言うのでしょう。都庁だってありますし(それは「新宿」)。
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by jurassic_oyaji | 2007-04-20 23:14 | 合唱 | Comments(0)
MOZART/Apollo et Hyacinthus
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Singers
John Dew(Dir)
Josef Wallnig/
Sinfonieorchester der Universität Mozarteum
DG/00440 073 4253(DVD)



2006年のザルツブルク音楽祭では、モーツァルトが11歳の時に作った最初のオペラ「アポロとヒアキントゥス」と、その2ヶ月前に作られた宗教劇「第一戒律の責務」がカップリングされて上演されました。会場は以前ご紹介した「牧場の王」で使われたザルツブルク大学の講堂です。この二つの作品はいずれも「学校劇」として当時の学生たちによって上演されたものですから、まさに初演ゆかりの地ということになります。オーケストラがモーツァルテウムの学生オケというのも、初演の精神にちなんだものなのでしょう。それにしてもこのオーケストラ、ホルンとファゴット以外はほぼ全員女性というのは、すごいものがあります。
最初に演奏されたのは「3幕のラテン語による学校喜劇」というサブタイトルの、ラテン語の歌詞で歌われる「アポロ~」です。男役もスカート姿というギンギンのロココ調の衣装に身を包んで、徹底的に様式化された演技が繰り広げられるのを見ていると、演出のジョン・デューは、まさに「学校劇」というよりは殆ど「学芸会」のノリの陳腐さを装うことを目指したのではないかと思えてきます。エバルス王(Maximilian Kiener)の娘である王女メリア(Christiane Karg)が、客人のアポロ(Anja Schlosser)と愛し合ってしまったことを妬んだモトカレのゼフィルス(Astrid Monika Hofer)は、腹いせに王子のヒアキントゥス(Jekaterina Tretjakova)を殺し、その罪をアポロになすりつけるのですが、アポロによって王子はヒアシンスの花に生まれ変わる、という崇高な話をラテン語で歌わせるためには、このぐらいの設定が必要だったのでしょう。
音楽の方も多少型通りのものが続く中で、最後近くで歌われる8番の王と王女の嘆きのデュエット「Natus cadit, atque Deus」は、ファースト・ヴァイオリンのピチカートに乗って歌われる「モーツァルトらしさ」が現れた美しいものです。ここで歌っているメリア役のカルクは、第2幕で歌われるとてつもなく技巧的な4番のアリア「Laetari, iocari」ともども、キャストの中で抜きんでた存在感を示していました。
後半の「責務」では、そのカルクだけが続投、他のキャストは全員入れ替えです。こちらは「宗教的ジンクシュピール」というだけあって、言葉はドイツ語、音楽も見違えるように溌剌としたものとなっています。それに合わせるかのように、デューの演出も一転して田舎芝居のようなテイストに変わります。
「第一戒律~」などという重苦しいタイトル(出典はマルコ福音書)ですが、内容は擬人化された「正義」(渡辺美智子)や「慈愛」(Cordula Schuster)の命を受けた「キリストの霊」(Bernhard Berchtold)が、「世俗」(カルク)の影響で何かと楽な方へ流れようとする「キリスト教徒」(Peter Sonn)を正しく導こうとする、というものです。ここでのカルクは前半のお姫様ファッションとはうってかわって、全身を真っ赤にペインティングした「赤鬼」スタイルで登場、こんな極端に違う役を軽く演じ分けているのには驚いてしまいます。もちろん、歌の方も申し分ありません。いや、その他の人たちも、とことんこのドタバタ劇を楽しんでいるようで、見ている方も心が和みます。
5番のキリスト教徒のアリア「Jener Donnnerworte Kraft」には、トロンボーンのオブリガートが付きます。モーツァルトの最後の作品でもソリスティックに用いられたこの楽器、こんな早い時期から使われていたのですね。素晴らしい演奏を聴かせてくれるソリストが、天使の衣装とメークで客席の中からステージまで演奏しながら歩いてくるという演出は見物です。そう言えば、指揮者のヴァルニッヒも最後には「世俗」に連れ去られてしまうのですね。
おそらく「M22」での唯一の日本人、というよりは東洋人のキャストである渡辺さんは、歌はともかくドイツ語のディクションは到底西洋人には及ばないものでした。なにしろ最初に登場した途端、その違和感だらけの発音には戸惑いを感じないではいられませんでしたから。ついでに苦言を呈せば、このシリーズ、ブックレットが間違いだらけなのは困ります。19ページの写真のキャプションはともかく、この曲のサブタイトルが「Singspiels」ではなく「Festspiels」になっているなんて、信じられないほどお粗末。
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by jurassic_oyaji | 2007-04-18 20:19 | オペラ | Comments(0)
Swider/Te Deum
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Jan Lukaszewski/
Polski Chór Kameralny
CARUS/83.176



ヨゼフ・スヴィデルという、1930年生まれのポーランドの作曲家の合唱作品を集めたアルバムです。腰のラインがセクシーですね(それは「くびれる」)。スヴィデルという名前は初めて聞きましたが、ポーランドではかなり有名な作曲家なのだそうです。オペラやピアノ協奏曲、宗教曲に室内楽、独奏曲、さらに映画音楽まで幅広い分野で活躍していますが、1980年代以降はもっぱら合唱曲を中心に作曲を行っているということです。現在までに作られたア・カペラの合唱曲は250曲を超えるといいますから、ちょっとすごいものがあります。おそらく、日本のアマチュア合唱団でも、スヴィデルの作品を取り上げて演奏しているところはあるのではないでしょうか。
この年代のポーランドの作曲家と言えば、1933年生まれのあのペンデレツキを思い浮かべることでしょう。かつて「現代音楽」の一つの潮流であったポーランド、しかし、スヴィデルはメシアンに共感を寄せることはあっても、当時吹き荒れた「12音」や「セリエル」といったある種の「トレンド」には断固抵抗の姿勢を示したといいます。確かに、このアルバムの曲たちには、素直にツボを刺激されるロマンティシズムが脈々と流れているように感じられます。
オーケストラをオルガンにリダクションした伴奏で最初の「Jubilate Deo」の演奏が始まった時、その確かにメシアンを思わせるような和声に乗って聞こえてきたポーランド室内合唱団の声は、ちょっとしたとまどいを感じさせられるものでした。パートの人数が少ないのでしょうか生の声が聞こえてしまって、あまり心地よいものではなかったのです。しかも、歌い出しに音程をずり上げるというかなりみっともないクセが、特に女声に見られます。いかにも洗練とはほど遠い合唱団だったのですが、なぜか聴き進んでいくうちにこれがスヴィデルの音楽に妙に馴染んで来るのですから、不思議です。おそらく、これがポーランド流のある種の感性なのでしょう。
そんな声に乗って、スヴィデル・ワールドに踏み行っていくと、彼の作風の幅の広さにも気づかされます。2曲目、ア・カペラで歌われる「Pater noster」などは、おしまいあたりにはまるでペンデレツキの「Stabat mater」を思い起こさせられるようなシュプレッヒ・シュティンメのようなものが聞こえてきますが、背を向けたはずの「現代技法」をさりげなく取り入れるあたりにある種の貪欲さを感じてしまいます。収録曲の大半はラテン語によるモテットなのですが、中にはポーランド語による宗教曲もあります。3曲目が、そんな、ラテン語の「Credo」を意味するポーランド語のタイトルによる曲ですが、これがまるでロシア正教の聖歌のような趣だったのにも、彼の幅広い嗜好がうかがえます。そして、5曲目の「Czego chcesz od nas Panie」というポーランド語のテキストによる曲のキャッチーなこと。殆どポップ・ミュージックと変わらない軽やかなコード進行には、思わずハモりを入れたくなってしまうほどです。女声だけで歌われる「Vocalisa "pax"」も、曲自体の澄んだテイストのお陰で、合唱団の変なクセも殆ど気になりません。
Missa minima」という曲が、なかなか味のあるものでした。ほんの4分半程の短い曲なのですが、その中でミサ通常文のうちの「Kyrie」「Sanctus」「Agnus Dei」が全て歌われているという、名前の通りの「小さなミサ」、これ1曲で長ったらしいミサ曲をコンパクトに味わえます。「Requiem aeternam」も、いわゆる「レクイエム」の最初の曲ですが、分かりやすい形で死者を悼む情感を表現した素晴らしい曲です。
10曲から成る大曲「Te Deum」は、オルガンと打楽器による伴奏(本来はオーケストラ)とソプラノとバリトンのソロが入った分、大味になってしまったという印象が残ります。このアルバムを聴く限り、ア・カペラの合唱にこそスヴィデルの魅力が集約されているような気がするのですが、どうでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2007-04-16 20:16 | 合唱 | Comments(0)
How to Steal a Million
 この間、若林で練習があった時に、昼休みに同じ館内の図書館へ行ってみました。音楽関係の棚を眺めていると、クラシックのところにジョン・ウィリアムスの映画音楽の本が置いてあります。職員が中身が良く分からないので適当に入れてしまったのでしょう。逆に映画音楽の本を探しに来た人は、この本が見つけられなくなってしまうかもしれませんね。私は、前々から彼についてはきちんと知りたいことが沢山あったので、とりあえず近くの椅子に腰掛けて立ち読みです。昼休みと言ってもそんなに時間はありませんから、斜め読みです。
 その本は、ジョン・ウィリアムスの全ての映画音楽について述べているという、かなりマニアックなものでした。最初の頃の作品などは知らないことばかりで、なかなか興味がありました。というか、その頃のものは殆ど知識の外だったのですがね。そこで、意外な映画が彼の音楽だということが分かります。それは、1966年に公開された「おしゃれ泥棒」という作品です。そもそも、そんな昔からウィリアムスが仕事をしていたなんて初めて知ったわけでして。これは映画館(仙台東宝)で何回となく見た覚えのあるお気に入り、もちろんその頃はその映画が誰だったかなんて、全く興味がありませんでしたが。
 機会があったらもう1回見てみて、音楽を良く聴いてみたいな、と思っていた矢先、なんという偶然でしょう、BSで放送されるというではありませんか。さっそく録画をして、さっき見終わったところです。
 音楽は、今のジョン・ウィリアムスを知っている人だったら、これを聴いて彼の作品だとはとても思わないだろうというものでした。さっきの本によると、彼は「スター・ウォーズ」を境にガラリと作風が変わったといいます。確かにそれが納得できるものでしたよ。それは、まるでヘンリー・マンシーニのようなタッチを持っているもの、実際、「子象の行進」と良く似た音楽も出てきましたしね。実は、クレジットも「ジョニー・ウィリアムス」、本当は別の人だったりして。
 久しぶりに見た「おしゃれ泥棒」は、全く色あせたところのない素晴らしい映画でした。何と言っても、脚本のハッピーさは今のハリウッドには絶対にないものです。贋作の彫刻の保険のために鑑定を受けざるを得なくなった男の娘(オードリー・ヘップバーン)が、自宅に入った泥棒(ピーター・オトゥール)と協力してその彫刻を「盗み出す」というのがそもそもぶっ飛んだ設定ですが、その泥棒は実は犯罪研究家だった、というオチも付いている気の利いたものです。
 そして、とことん楽しめるのがヘップバーンとオトゥールのおしゃれな会話です。クローゼットの中で「もう1度説明して」とヘップバーンがキスをねだるところなど、良くもここまで、と思うほど。確かに、今ではこんなクサいセリフを喋らせる映画なんてありませんからね。ヘップバーンが「私、泥棒したの初めてよ」と言ったのに対して「僕も」と答えた時のオトゥールの悪戯っぽい目つきといったら。
 そんな、粋でスマートだったオトゥールも、今では見る影もない醜い老人に変わってしまっています。この人の場合、とうとう美しく年をとるチャンスを逃してしまったのかもしれません。
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by jurassic_oyaji | 2007-04-15 08:23 | 禁断 | Comments(2)
MOZART/Betulia Liberata
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Jeremy Ovenden(Ozía)
Marijana Mijanovic(Giuditta)
Julia Kleiter(Amital)
Franz-Josef Selig(Achior)
Ireana Bespalovaite(Cabri)
Jennifer Johnston(Carmi)
Christoph Poppen/
Konzertvereinigung Wiener Staatsoper
Münchner Kammerorchester
DG/00440 073 4248(DVD)



「新モーツァルト全集」のカテゴリーによると、「オペラ」に分類されている作品は未完のものを含めても20曲しかありません。しかし、2006年のザルツブルク音楽祭での全「オペラ」上演プロジェクトのタイトルは「M22」、つまり「22曲」のオペラを一挙上演するという内容が込められているものでした。実はこの22曲のうちの2曲は、そもそもの「全集」では「宗教的声楽曲」として分類されているものなのです。しかし、それらは内容的には「オペラ」と見なしても差し支えないと判断され、ここに含まれるようになったのでしょう。
そのうちの一つ、「2部から成る宗教劇」というサブタイトルの付いた「救われたベトゥーリア」は、旧約聖書に描かれた物語をメタスタージョがイタリア語の台本として「脚色」したものです。6人のソロがきちんと役柄を演じながら、レシタティーヴォとアリアを交互に歌い合うというもので、演奏時間は2時間、形の上では間違いなく「オペラ」です。ただ、終曲で合唱が典礼風のナンバーを歌うというあたりが、「宗教劇」としてのアイデンティティなのでしょう。もちろんネイティヴ・アメリカンは出てきません(それは「酋長劇」)。
ストーリーは、アッシリアの軍によって包囲されたユダヤ人の町ベトゥーリアが、そこに住む美しい未亡人ジュディッタの働き(色仕掛けで敵の将軍の首をはねてしまいます。なんと恐ろしい)によって、救われるというもの、もちろんそれを可能にしたエホバの神を賛美することも忘れてはいません。そんな「ドラマティック」なお話ですから、もちろん才能のある演出家の手によって、まさに「オペラ」として上演することも可能だったのでしょう。しかし、今回は敢えてコンサート形式で、この非常に珍しい曲の上演をとりあえず人々に知らしめる、といった考えだったのでしょうか。確かに、陳腐な「読みかえ」で音楽が台無しになってしまうよりは、こうして珍しい曲を淡々と味わえる方が、幸せなことなのかもしれません。
会場はお馴染みフェルゼンライトシューレです。ジャケットにあるのがなんのセットも組まれていない、元々の岩肌のステージです。この演奏会が行われたのが8月の18日だったのですが、その頃はこの会場では例の「ティートの慈悲」が上演されていました。アーノンクールが途中でコケてしまったため、「M22」のDVDには別の年のものが収録されてしまったという、いわく付きのものです。ですから、この演奏会はその「ティート」のセットが組まれているままのステージで行われています。この映像ではステージ全体を収めたアングルというのが殆ど登場しないので良く分からないのですが、「ティート」の映像を見た人ならば、このオーケストラと合唱は巨大な櫓が組まれた真ん中の狭い空間に収まっているということが分かるはずです。
映像ならではの楽しみは、オケの楽器編成です。木管はオーボエとファゴットしかいないのが分かりますが、なぜかフルートがホルンの前に遠慮がちに座っているのが気になります。このフルート、出番は第1部の中の5番のジュディッタの最初のアリアだけ、彼女の気高さを現すような柔らかいオブリガートが印象的です。しかし、第2部にはもはや出番はありませんから、休憩後にはいなくなっています。もちろん、このアリアでオーボエの出番がないことから分かる通り、モーツァルトの時代にはオーボエ奏者が楽器を持ち替えて演奏していたはずです。
ポッペンによって見事に日の目を見た、作曲者が15歳の時のこの堂々たる作品ですが、肝心のジュディッタ役のミヤノヴィッチが、彼女の芸風なのでしょうか、あまりにも役に埋没してしまったために、その音楽的なメッセージが素直には伝わってこない、という重大な欠陥を抱えることになってしまいました。それによってこの曲が嫌いになる人がいなければいいのですが。
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by jurassic_oyaji | 2007-04-13 20:26 | オペラ | Comments(0)