おやぢの部屋2
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ORFF/Carmina Burana
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Clair Rutter(Sop), Tom Randle(Ten)
Marcus Eiche(Bar)
Marin Alsop/
Bournemouth Symphony Orchestra and Chorus
NAXOS/8.570033



オルフの「カルミナ・ブラーナ」を聴く時には、やはり華々しくカッコいいサウンドのもののほうが気持ちがいいのではないでしょうか。ほとんどノーテンキ一歩手前の乱痴気騒ぎ、みたいなイメージが、この曲にはしっかりついて回っていますからね。オーディオファイル向けの華やかな録音のものも市場にはあふれていますし。しかし、そんな期待をもって、このオールソップの演奏に向き合うと、ちょっとした失望感がわいてくるのは間違いないはずです。とにかくモッサリとしたこの味わいは、たとえばコマーシャルなどで頻繁にテレビから流れてくるこの曲のスペクタクルな印象とは雲泥の差なのですから。
その最大の原因は、合唱のやる気のなさでしょうか。「O Fortuna」という、しょっぱなの一番カッコいいところからして、まずずっこけずにはいられないほどの、どん臭さ。声にキレはないし、何よりもその暗めの音程はこの曲から期待するものからは遠く隔たったものだったのです。例えば、ある音から下がって又元の音に戻るというメロディラインの場合、下がったままで決して「元の音」にはなっていないというもどかしさがあります。それに加えて、男声などはほとんど「叫び」に近いほどの、音程すらもなくなったような雑な歌い方に終始していますから、そこからカッコ良さを聴き取るのはかなり困難なことになってきます。
オーケストラにしても、何か一本芯が抜けているような気がしんてなりません。合唱の入らない「Tanz」での、変拍子のおもしろさは全く伝わってきませんし、中間部でのフルートソロに絡むティンパニのなんとかったるいことでしょう。
しかし、そんなある意味いい加減な演奏が、しばらく聴き続けていると何ともいえない味を醸し出すように感じられてくるのは、ちょっと不思議な体験でした。なにか、単に機能的な面だけでは説明できないような魅力が、このオールソップの演奏にはあったのです。それは、言ってみればこの作品の題材となった中世の修道院の雰囲気のようなものが直に伝わってくる感覚がここから得られた結果だったのかもしれません。現代の高層ビルの外観のようなつるつるに磨き上げられた滑らかさではなく、石を積み重ねたゴシック建築のような、素朴でざらざらした肌合いが、そこにはありました。もしかしたら彼女は、高性能の大編成オーケストラから、トゥルバドールが奏でるリュートやパイプの味わいを出そうと企んだのではないか、そんな気持ちにもさせられてしまいます。そう思い直して聴いてみると、これは実に和む演奏です。
そんな世界観の中にあって、バリトンのアイヒェはその中心的な役割を担っているように感じられます。第3部でのソロ「Dies, nox et omnia」では、装飾的な高音をファルセットで歌わなければなりませんが、その部分での怪しげな味わいにはゾクゾクさせられるものがあります。これは、本当ならその前のテノールの唯一のソロの部分で味わうべきものだったのでしょうが、それを歌うランドルにはそこまでの色気はありませんでした。
ソプラノのラッター(ジョン・ラッターと、何か関係がある人なのでしょうか)は、リズム感は抜群のものがあるにもかかわらず、音程に問題が多すぎて、有名な「In trutina」やエンディングへ向かって大見得を切るべき「Dulcissime」では、悲惨な結果に終わっています。
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by jurassic_oyaji | 2007-05-14 19:25 | 合唱 | Comments(0)
SCHUBERT/Piano Quintet "Trout"
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Jan Panenka(Pf)
Frantisek Posta(Cb)
Members of the Smetana Quartet
日本ビクター/JM-XR24205


CDの可能性を究極まで高めた「XRCD」については、例えばミュンシュの「幻想」や「オルガン」などでよく知られているはずです。日本ビクターが開発したこの高音質CDは、元々ビクター関連のRCAなどのオリジナルテープを使って作られていたのですが、最近ではレーベルを超えて過去の「名録音」と呼ばれていたものも登場するようになっています。少し前にはHARMONIA MUNDIのパニアグワなどが出ていましたね。このレーベルは、昔ビクターが発売していたこともあったので関連はなくはないのですが、今回はSUPRAPHONですから、全く無関係なレーベルということになります。本当によい録音のマスターテープの持つそのままの音質をCDで再現できるというこのフォーマット(もちろん、普通のCDプレーヤーで再生できます)は、いつのまにかそこまでの広がりを持つようになっていました。
名盤の誉れ高いこの「鱒」を、1960年に録音されたマスターテープからCDのためにアナログ-デジタル変換を行う「マスタリング」という作業は、ビクターの杉本一家さんという方が担当しています。それが行われたのが2007年の2月なのですが、そのほんの1ヶ月ほどあとに、実は別の録音での彼のマスタリングの現場に立ち会う機会がありました。その時に杉本さんの仕事ぶりを目の当たりにすることができたのですが、そこで見せつけられたものは、良い音に対する徹底したこだわりでした。たとえば、最初に行われるのが、接続してあるケーブルをいろいろなものに交換して聴きくらべるということを幾度となく繰り返し、最もその音楽に合ったものを選び出すという作業なのです。XRCDの説明を読むと、使われている機材のスペックなどが詳細に述べられていますが、こういう作業を見ていると、それだけではない、本当に細かいところまで神経を使っているということが、如実に分かったものでした。そして、最終的には、実際にマスタリングを行う人の「耳」がものを言うことも、はっきり分かりました。そこには、マスターテープの持っている味わいを、いかにしたらそのままCDに移すことが出来るのかという、元の録音に対するとてつもなく深い愛情がありました。
ピアノのヤン・パネンカと、スメタナ弦楽四重奏団のメンバーが中心になって演奏された「鱒」の録音は、かつてはほとんど一つのスタンダードとして広く知られているものでした。市販されていたレコードも、もはやオリジナルのSUPRAPHONだけではなく、得体の知れないレーベルからも廉価盤という形で出ていることもあったほどです。それらに接した限りでは、録音の面では特に印象に残るようなものではありませんでした。ところが、今回の新しいマスタリングによるCDからは、そんなレコードとはまったく違った音が聞こえてきたのです。実は、冒頭のピアノのアルペジオが終わった後は、ゲネラル・パウゼだとばかり思っていました。ですから、そこでなにやら音が残っていたのを聴いたときには、てっきり録音上の事故だと思ってしまったのです。しかし、それはコントラバスが延ばしていた音だったのですね。今まで数え切れないほど聞いてきたこの名曲ですが、スコアを見たことはなかったので、こんな風になっていたなんて、これで初めて知らされたことになります。そのポシュタのコントラバスは、なんとニュアンスに富んでいることでしょう。ボウイングの返しまでとらえていた録音が、このマスタリングによって見事に再現されています。
同じように、パネンカのピアノも、実に生々しく再現されています。それは、単にピアノの音だけはなく、そのまわりの雰囲気まで感じられるほどのものでした。まるで、1960年頃のちょっと垢抜けないチェコの録音スタジオの風景までが眼前に広がっているような錯覚さえ、この録音は引きだしてくれていたのです。
マスタリングだけでこれほどまでに情報量が増えたことで、ちょっと思いついたものがあったので確認してみたら、かつて、最新のマスタリングで音が全く変わっていたことをお伝えしたメシアンの「時の終わりのための四重奏曲」のタッシ盤も、杉本さんが手がけていたものだったのですね。この「鱒」も、ますに「杉本マジック」のなせる技です。
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by jurassic_oyaji | 2007-05-12 22:11 | 室内楽 | Comments(0)
MOZART/Così fan tutte
c0039487_20361674.jpgTopi Lehtipuu(Ferrando)
Luca Pisaroni(Guglielmo)
Nicolas Riveno(Don Alfonso)
Miah Persson(Fiordiligi)
Anke Vondung(Dorabella)
Ainhoa Garmendia(Despina)
Nicholas Hytner(Dir)
Ivan Fischer/
Orchestra of the Age of Enlightenment
OPUS ARTE/OA0970D(DVD)



このDVDは、昨年のグラインドボーン音楽祭での公演の映像です。球を拾ったりするんですね(それは「グラウンドボーイ」)。BBCが収録して放送したものがパッケージになったものですが、これと全く同じもの(エンドクレジットも同じ)がNHKのBSハイビジョンでも放送されています。つまり、これはBBCとNHKとの共同制作なので、当然日本でも放送されることになるわけです。DVDではすぐ演奏が始まるものが、放送では最初にきちんと「音楽評論家」が出てきて前説を述べてくれますし、キャストが登場するたびにきちんとテロップが出てその人が誰なのかを教えてくれますから、こんな親切なことはありません。
ただ、その「前説」の中で、オペラに関しては造詣の深いその評論家の先生が、「この上演の歌い手はあまり有名な人たちではないが、その分しっかりリハーサルをしているので、完成度の高いステージとなった」みたいなことをおっしゃっているのを聞いてしまうと、そんな親切も時には仇になってしまうことがあるのだと思わないわけにはいきません。フェランドのレーティプーや、フィオルディリージのパーションなどは、「バロック・オペラ」の世界ではなくてはならない人、その他の人だってCDでのソロは数知れません。ドラベッラのフォンドゥンクなどは、先日のリリンクの「ロ短調ミサ」で絶賛したばかりですし。
しかも、彼らは言われるようなヒマな体ではないことは、2006年の6月末から7月初めにかけて行われたこの公演の直後に、レーティプーは「ツァイーデ」、パーションは「ポントの王ミトリダーテ」のリハーサルのためにザルツブルクへ飛ばなければならなかったことからも分かるはずです。
というわけで、実は売れっ子のキャストが集まったこの公演では、演出のハイトナーは一見なんの衒いもないオーソドックスなステージを作り上げているかに見えます。時代や人物の設定は元のまま、奇抜な「読みかえ」などは皆無です。しかし、そこで演じられているものの密度の高さには驚かされます。ダ・ポンテとモーツァルトが仕掛けた「罠」を、とことんリアリティあふれる演技の中から自然と浮かび上がらせようという強い意志を、そこからは感じることはできないでしょうか。プロット自体は何とも嘘くさいものなのですが、そこで真剣に「ドラマ」を演じることによって、それ自体が雄弁な主張を持ってくるのです。場面転換が非常に手際が良く、全く緊張の糸が切れないことも、大きなファクターでしょう。
その結果、お話の結末はまるでかつてのポネルのもののようなとてつもなく救いようのないものになりました。それは、どのキャストもドラマの中の役割をきちんと実体としてとらえて演じたことにより、ごく自然に導かれる結末だったのです。
ソリストたちは、皆アンサンブルにかけては長けたものを持った人たちばかりですから、デュエットなどの精度の高さには素晴らしいものがあります。それに加えて、ソロも見事、特にレーティプーのちょっとクールな、それでいて感情のほとばしりには不足のない歌いっぷりには感服してしまいます。パーションの深みのある歌も素敵です。
オーケストラは、オリジナル楽器のエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団。この分野での老舗ですが、ここではいささか精彩を欠いているのが気になります。主として木管楽器が、なぜか音程もフレージングも決まっていません。序曲の段階ですでにトラヴェルソは指がもつれている有り様、せっかくのアリアの足を引っ張っている場面もしばしば見られてしまいました。フィッシャーの取ったかなりゆっくりめのテンポでは、このオケは間を持て余しているのではないか、という気がするのですが、どうでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2007-05-10 20:37 | オペラ | Comments(0)
MAHLER/Symphony No.2
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Juliane Banse(Sop), Anna Larsson(Alt)
David Zinman/
Schweizer Kammerchor
Tonhalle Orchestra Zurich
RCA/82876 87157 2
(輸入盤 hybrid SACD)
BMG
ジャパン/BVCC-38471/2(国内盤 hybrid SACD


2枚組のCD、国内盤はどうなのかは知りませんが、輸入盤では以前にも苦言を呈したような、とんでもないパッケージになっています。CD2枚を重ねて差してあるという、本当にCDをいとおしく思う人だったら絶対出来ないような収納の仕方を平気でやっている人たちには、この商品を通じて「音楽」を届けているという意識は全くないのでしょうね。
もちろん、それは製造から出荷に携わる人の問題、演奏や録音を担当していた人の責任ではありません。というより、これだけいい仕事をしているだけに、その後のあまりに雑な扱いがやりきれなく思えてしまいます。
いつの間にかBMGの廉価レーベルのARTE NOVAから、大御所RCAに移っていたジンマン、もちろん、今のレコード業界ではそんな老舗レーベルに行ったからといって格段に評価が上がったとは考えにくいものですが、価格面でのランクは確実に上がってしまっていました。
そもそも、このCDから聞こえてきた音が、かつてRCAと言われて連想されるようなサウンドではなかったことが、もはやレーベルの個別のサウンドというものが存在していないという今の状況を反映しているものなのでしょう。ここで聴かれるしっとりとした弦や木管、炸裂する生々しい金管の肌触り、そして腹の底に響くような重たい打楽器の存在感は、在りし日のイギリスDECCAのサウンドそのものではないでっか。改めてエンジニアを確かめてみるとそれはサイモン・イードンというまさにDECCAサウンドの立役者、納得です。
そんなゴージャスなサウンドに助けられて、ジンマンの軽やかなマーラーはとても心地よく耳に届いてきます。オケ全体でひとかたまりになって迫ってくるというよりは、各パートの独立した細かい表情を集約して一つの表現に持っていく、というのが、マーラーに於けるジンマンの手法なのでしょうか。その結果、もしかしたらあまりマーラーらしくない音楽に仕上がっているのかもしれませんが、とても風通しの良い爽やかなものを体験することが出来ました。例えば、終楽章の後半に出てくるピッコロのソロは、おそらく本来マーラーはちょっと不思議なサウンドをもたらしたいためにこの楽器を選んだのでしょうが、トーンハレ管弦楽団のピッコロ奏者があまりにうますぎるために、逆になんの引っかかりも感じられないという皮肉な結果をもたらしてしまいました。
声楽陣では、アルトのラーションが、それほど深刻ぶらないでこのジンマンの世界に良く馴染んでいます。バンゼがこういうところで歌っているというのはちょっと意外でしたが、こちらは逆に少し張り切りすぎでしょうか。というのも、合唱で参加している、ベートーヴェンの「第9」などでお馴染みのスイス室内合唱団(「室内」といいながら、100人ものメンバーがクレジットされています)が、とことん冷静な歌い方に終始しているために、一緒に歌うソプラノがちょっと浮いて聞こえてしまうからです。ほんと、ベートーヴェンでは分からなかったことですが、フリッツ・ネフに率いられたこの合唱団の精緻なソノリテには、感動すらおぼえます。初めて合唱が登場する場面でのピュアな響きといったら、どうでしょう。特に男声パートがいかにも「大人」の音楽を提供、全体で盛り上がるところでも、決してコントロールが失われることはありませんでした。
そんな、ある意味醒めたパートの集まりから、ジャケットにある「魚に説教する聖アントニウス」のような、ちょっとユーモラスな世界すらも感じることが出来たというのも、ちょっと不思議なことなのかもしれません。
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by jurassic_oyaji | 2007-05-07 19:47 | オーケストラ | Comments(0)
Music and Lyrics
 ゴールデン・ウィークには映画館に映画を見に行くものだというのは、日本人の常識です。ていうか、そもそも「GW」というのは映画業界の人が作った言葉ですからね。チョコレート業界が「バレンタイン・デー」を作ったように。そんなわけで、もう終わりかけている「ラブソングができるまで」を見てきました。
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 80年代に大ヒットをとばしたグループのメンバーだった男ヒュー・グラントが、今では落ちぶれて「懐メロ」路線の営業専門の歌手になっているという設定。オープニングが、いかにも「80年代」という感じのビデオクリップで始まるというので、まずツボを刺激されてしまいます。このクリップがまさにあのころのもののパロディで、演奏だけでなくドラマ仕立てになっているあたりが妙なリアリティを持っています。もちろん、曲ももろ「80年代」。そんな彼が、小さい頃彼の歌を聴いて励まされたというアイドル歌手から新曲を依頼されます。と言っても、ある種のコンペだったのですが、彼は久しぶりに張り切って曲を作り始めます。ただ、彼はメロディは作れても詞は書けませんから、別の作詞家との共同作業になります。そんな相棒がすぐ出てくるのがちょっと、ですが、そこにたまたま代理で植物の世話に来たドリュー・バリモアが何気なく歌詞をつぶやいたのを聞いて、彼女とチームを組むことになる、というのが物語の始まりとなります。
 落ちぶれている割りには、管理人付きの立派なアパートに住み、部屋にはグランドピアノや、デモテープ作りのためのDTMシステム一式が完備しているというのが、ちょっとすごいところ、これは昔の曲の印税のお陰なのでしょうか。とにかく、このチームは色々あった末に曲を作り上げてしまいます。それをきちんとデモテープ(CDですが)にする課程が、なかなか興味深いものでしたよ。ヒューが一人でキーボードからベース、ギターと重ねていって、最後にボーカルをドリューと2人で入れるところまで、おそらく最近のソングライターが実際に取っているはずのやり方が紹介されています。ここでは「楽譜」が使われることはなく、曲のそれぞれのパーツはデータとしてパソコンに打ち込まれていきます。
 完成したCDをアイドル歌手に聞かせると、「こんな曲が欲しかった」と一発でOKとなって、まずは一安心となるのですが、それを実際にレコーディングするためにもろヒップホップのアレンジに変えてしまったことで、ドリューが激怒します。そのシーンでの「流行に媚びて、曲の命を殺してしまっている」という彼女の訴えは、今の音楽シーンに対する制作者からの抵抗のメッセージのように聞こえます。ですから、最後のコンサートのシーンで、彼女の訴えを聞き入れたアイドル歌手がオリジナルの形で歌うときには、言いようのない熱いものがこみ上げてくることになるのです。
 そのコンサートは、マジソン・スクエア・ガーデンというものすごいところで撮影されていました。これは実際に劇場の大画面と大音響で体験してこそ初めて感動に繋がるものでしょう。字幕は相変わらずいい加減ですが、あきらめて英語を聞いていると、あちこち小技が効いていて楽しめます。最初の作詞家と曲を作っているときに、作詞家が「minor third chord」と言っているのを字幕では「短三度」などと難しく訳していましたが、これは別に「マイナーコード」で構わないのですがね。実際、そう言われてピアノで弾き始めたのは、それまでのメージャーコードではなく、マイナーコードでしたから。そんな突っ込みも含めて、最初から最後までとても楽しめた、私にとって久々のヒット作でした。もうそろそろ終わってしまいますから、ぜひお早めに。
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by jurassic_oyaji | 2007-05-05 21:16 | 禁断 | Comments(0)
Chorus Workshop in Sendai
 いま仙台では「コーラスワークショップ」というものが開かれています。青年文化センターを会場にして、3日間にわたって合唱の講習会などが行われるものです。毎年いろいろなところで開催されるのが、今年は仙台の番だったというわけです。このために合唱界の大物、作曲者や指揮者が大挙して仙台にやってきています。参加者はいろいろなテーマごとにレクチャーを聴いたり、実際に歌ったりするというものです。
 いくら合唱を始めたからといって、そこに参加するほどの熱意はありませんから、せめて雰囲気でも味わおうと、そのイベントの中にあるコンサートに行ってきました。それは、コンクールで全国大会に行っている常連の高校が東北各県からやってきて、それぞれがお得意の曲を披露するというものです。東北地方の高校の合唱のレベルはかなり高いということですから、これは楽しみです。
 会場のコンサートホールはほぼ満席、これだけを目当てにやってきた人がたくさんいたようです。最初は空調は入っていなかったのですがこれだけ入れば温度はどんどん上がってきて、後半には冷房が入るほどでした。
 最初に歌った岩手県の不来方(こずかた)高校を聴いただけで、このコンサートがとてつもなく楽しめるものであることがすぐ分かりました。一応混声ですが、男声はかなり少なめ、しかし、女声だけで始まった「さとうきび畑」の、なんとピュアな響きだったことでしょう。ほとんどヒーリングに近い肌合いで淡々と進んでいきますが、このまま女声だけで終わってしまうのかと思っていると、最後近くで男声が入ってきました。それは、それまでの女声とピッタリ溶け合う、とことんソフトなもの、まさに「天上の響き」でしたよ。次の曲はガラリと変わって、高校生が演奏会で良くやる振りを付けて歌うナンバー、きちんと歌える下地がある上でこういうことをやるのですから、これは本当に楽しいものでした。それだけではありません。曲の途中で指揮者が、会場に聴きにきていた講師たちにステージに上がって一緒に歌うように促しているのです。楽譜も用意して。そこで、こんな風にとんでもない男声合唱団が歌い出すことになりました。松下耕とか鈴木輝昭といった今をときめく人気作曲家がメンバーなのですから。合唱連盟会長の浅井さんも歌っていますよ。
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 一番印象に残ったのは、秋田北高の女声合唱でした。最初は15人ぐらいの少人数が指揮者も立てないで(合図を送る人はいましたが)アグネスティヒという人のミサ曲を歌ったのですが、その声はとても伸びやかで確かな主張を持っているものでした。クラスターが頻出するアンサンブルも、全く乱れはありません。例えばフランスの○○サンテュスあたりよりは遙かに上質な音楽が、この高校生たちから感じることができたといえば、その凄さが分かるはずです。
 一番最後には、出場者全員のステージです。
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 こんな400人以上の大人数であるにもかかわらず、女声パートは全く濁りのない響きだったのは、驚くべきことです。本当に高いレベルというのは、こういうことなのでしょうね。ただ、男声は人数も少なく、ちょっと情けないものでした。出演した7つの高校のうち混声は2校だけ、かつての「福島女子高」が共学化した「橘高」では、男子が女声パートを歌っていましたし。高いレベルというのは、あくまで「女声」の世界でのことのようです。
 ホールのロビーでは、合唱の楽譜やCDのショップがオープンしていました。これだけのアイテムが揃っているところなど、仙台には他にはありません。嬉しくなって、武満徹の「うた」の楽譜を買ってしまいました。
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by jurassic_oyaji | 2007-05-04 21:15 | 禁断 | Comments(0)
MOZART/22 Operas
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DG,DECCA,TDK/00440 073 4221


昨年、ザルルツブルク音楽祭で上演されたモーツァルトの全てのオペラのDVDセットは、まさにモーツァルト・イヤー最大の贈り物でした。厳密なことを言えば「花作り女」は音楽祭の期間中ではなく1月から2月の上演でしたし、「ティート」もここに収録されているのは3年前のものではあるのですが、そんなことはてぃーとも(ちっとも)問題ではありません。この全19セット、33枚のDVDから成るセットには、確かにこの年の熱狂ぶりまでも含めた、モーツァルトのオペラの最前線の記録が残されているのですから。
この「おやぢの部屋」では、その全てのセットのレビューを公開し終わったところです。ただし、それらのクレジットには、国内盤が出ているにもかかわらず品番は輸入盤のものしか表記されてはいません。つまり、これらはあくまで日本語字幕の入っていない輸入盤を見てのレビューだということを示す意味を込めて、その様な表記にしてみたのです。国内盤と輸入盤との最大の違いは日本語字幕があるかないかということですが、ただそれだけのために例えばこのボックスセットの場合では価格に3倍近い隔たりが生じています。常々ここで述べているように、国内盤DVDの価格設定は信じられないほど理不尽なもの、字幕だけのためにその様な暴挙を受け入れることは出来ないという、これは抵抗の姿勢のあらわれと受け取って下さい。事実、ことさら語学に堪能であるわけではないにもかかわらず、英語の字幕だけでなんの不自由もなくレビューを仕上げることが出来てしまったのですからね。
モーツァルトの音楽ほど、近年その演奏のスタイルが大きく変化したものもありません。19世紀のロマンティックな流れを汲むものは殆ど影を潜め、モーツァルトと同時代の様式に限りなく近づこうとするいわゆる「ピリオド・アプローチ」が主流を占めています。それぞれの演奏家の立場によってその取り入れ方は異なるとしても、今やこのムーヴメントは避けて通ることは出来ないものにまでなっています。今回のボックスでは、しかしそんなアプローチの差違よりは、やはり演奏者の個性の方がより印象に残っていたというのは、ある意味当然のことなのかもしれません。いかにこのムーヴメントの火付け役が指揮をしたところで、音楽そのものがつまらなければそれは退屈なものにしかなり得ないことは、「フィガロ」や「ティート」を聴けば誰でも分かるはずです。
DVDで映像として接するときには、やはり演出面に目がいくことになります。現在のオペラシーンでは、才能ある演出家であれば、かつて宮廷などで上演されたものを現代の聴衆の前で見せることにどのような意味を持つかということについて真剣に考えない人はいないはずです。その結果、退屈極まりないと思われていた「オペラ・セリア」が、見事に現代の観客にアピールするように変貌してしまうという「バロック・オペラ」の一大ブームが訪れることになったのですが、それはモーツァルトの場合も例外ではなかったことが、やはりこのボックスで確認することが出来ました。特に初期のほとんど知られることのなかったオペラ・セリアに於いて、見事な再創造がなされていたことは、個々のレビューでも述べてある通りです。
もちろん、その意欲は認めつつもアイディアが空回りして的確なメッセージが伝えられなかったものもかなり見受けられます。「後宮」でのプロットの崩壊はちょっとやりすぎでしょうし、「ツァイーデ」で「アダマ」という新作と合体させた措置も、到底成功していたとは思えません。「さまよい」の特に第2部と第3部も、あまりにもダンスの要素が勝ちすぎていて、モーツァルト・ファンを失望させていたことは明らかです。しかし、一方では、どんなに乱暴に扱われても、モーツァルトの音楽自体はびくともしないでその存在を主張していたことも、また確認できたのではないでしょうか。その様な意味でのモーツァルトの「強さ」が、図らずもアピールされたのであれば、それもまた一つの成果であったはずです。
個人的に最も面白かったのは、「バスティアンとバスティエンヌ」と「劇場支配人」を合体させたプロダクションです。オーディションという概念でこの2つの作品を無理なくつなげ、しかも「バスティアン」は人形劇というユニークさ、人間以上の演技を見せたくれたパペットたちに拍手です。
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by jurassic_oyaji | 2007-05-03 20:57 | オペラ | Comments(0)