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DURUFLÉ/Complete Organ Music
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Henry Fairs(Org)
NAXOS/8.557924



デュリュフレという人は極端に作品の少ない作曲家でした。なんせ、生前に出版されたものに付けられた作品番号の最後のものは「14番」なのですからね。それは、1976年に作られた「われらが父Notre Père」という合唱曲ですが、実は彼の作曲活動は、その一つ前、「作品13」であるオルガン曲「顕現節の入祭唱への前奏曲Prélude sur l'Introit de l'Epiphanie」が作られた1961年頃で実質的には終わっていたのでした。
その中で、オルガンのための作品は、作品番号が付いているものが全部で6曲あります。作品2(1926)の「スケルツォScherzo」、作品4(1930)の「前奏曲、アダージョと、『来たれ創造主なる精霊』によるコラール変奏曲Prélude, Adagio et Choral varié
sur le thème du 'Veni Creator'
」、作品5(1933)の「組曲Suite」、作品7(1942)の「アランの名による前奏曲とフーガPrélude et Fugue sur le nom d'Alain」、作品121962)の「ソワソン大聖堂のカリヨン時計の主題によるフーガFugue sur le thème du Carillon des
Heures de la Cathédrale de Soissons
」、そして、先ほどの作品13です。
昨年、2006年はデュリュフレが没してから20年という記念の年に当たっていたため、世界各地で「レクイエム」(これは「作品9」にあたります)が演奏されていたということは、以前にご紹介しました。さらに、合唱曲と並んで彼のもう一つの主要な作品群であるオルガン曲についても、同じように盛り上がりを見せているのが、このところのCDのリリース状況からうかがい知ることができます。何しろ、2ヶ月連続して新譜として「オルガン曲全集」が発売されたのですからね。いかなる理由にせよ、これはファンにとっては嬉しいことに違いありません。
先に発売になったINTRADAのワルニエ盤の「全集」には、この6曲がすべて収録されています。さらに、今回のNAXOSにも、すでに1994年にエリック・ルブランによって録音された、「作品13」をのぞく5曲による「ほぼ全集」がありました(これは、「レクイエム」などの合唱曲も集めた、2枚組です)。こんなレアなものを2度も制作するなんて、このレーベルは、なんとも不思議なヴァイタリティにあふれたところのような気はしませんか?
今回のイギリス人オルガニスト、ヘンリー・フェアーズによる「全集」では、作品番号が付けられていないものがあと2曲収録されているというのが、まず嬉しいところです。1964年に作られた「瞑想曲Méditation」は、出版されたのが2002年ですから、当然ルブラン盤に収録するのは困難でした。もう1曲は、「ジャン・ガロンへのオマージュHommage à Jean Gallon」という、1953年に作られた和声課題をオルガンで演奏したものです。このガロンというのは、デュリュフレの和声の先生です。カイロではありません(それは「ホカロン」)。
その、珍しい「瞑想曲」が、とてもキャッチーなテーマで、瞬時に惹かれるものがあります。古くはフランクあたりから始まったようなフランス風の流れをしっかり受け継ぎ、そこにさらに古風なテイストが添えられているのが素敵です。そこには、メシアンとはまた違った意味での「瞑想」の形があります。
「レクイエム」のファンでしたら、「作品4」や「作品7」の「プレリュード」が「ツボ」なのではないでしょうか。独特の混沌とした雰囲気は、まさにあの名曲を彷彿とさせるものです。「作品5」の「トッカータ」のダイナミズムも、おなじみの世界です。
楽器のせいなのか、あるいはイギリス勢で固めた演奏家と録音チームのせいなのかは分かりませんが、幾分お上品な仕上がりになっているサウンドには、ちょっと物足りなさを感じます。デュリュフレには、ルブラン盤で聴かれたような原色が勝った音の方が似合います。
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by jurassic_oyaji | 2007-08-31 23:16 | オルガン | Comments(0)
VERDI/Messa da Requiem
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C.Gallardo-Domês(Sop), F.Brillembourg(MS)
M.Berti(Ten), I.Abdrazákov(Bas)
Joshard Daus/EuropaChorAkademie
Plácido Domingo/
Youth Orchestra of the Americas
GLOR/162202



ジャケットのドミンゴの写真がえらく荒い画質ですが、これはビデオの映像を取り込んだものです。普通にスティル写真を使えばいいものを、わざわざこんなのにしたのには訳があります。そう、これは2006年8月6日にミュンヘンのガスタイク・ホールで行われたコンサートのライブ録音なのですが、CDと同時にDVDもリリースされているのです。CDだけを買った人でも、この写真を見ればビデオ映像があるのだなと分かるという、一つの戦略なのでしょうか。
どのような経緯で実現されたコンサートなのかは、ライナーノーツを読んだだけでは分かりかねますが、とにかく、アメリカのオーケストラ、ヨーロッパの合唱団、それぞれ大学生ぐらいの若いメンバーによる団体が共演したというイベントなのだそうです。
合唱の方はオイローパ・コア・アカデミー、以前も「マタイ受難曲」などのしっかりした演奏をご紹介したことがありますが、もちろん合唱指揮はダウスです。ここでは総勢200人ほどの編成で参加しています。対するオーケストラは、アメリカ全土から集まったという、100人ほどのメンバーです。両方合わせると300人、その時の一部の写真がありますが、ガスタイク・ホールのステージの上はびっしりと埋め尽くされていた様子がうかがえます。
指揮をしているドミンゴは、もちろんあのテノール歌手です。最近ではこのようにオーケストラや合唱の指揮をすることもありますし、オペラさえも振ってしまうというマルチタレントぶりを発揮しています。その指揮ぶりは彼の歌のスタイルと見事に合致、決して情におぼれることのないクレバーな歌い方は、どんなときにも彼の演奏の原点になっているのでしょう。ここでも、そのような基本的にインテンポの音楽は爽快に進んでいきます。さらに、若々しいメンバーに煽られて、その爽快感は最後まで生き生きとしたドライブ感も産むことになりました。
その結果、通常ではまず80分以下で終わることはなく、CDでは2枚組となるのが当たり前のこの大曲が、なんと78分、CD1枚に収まってしまいましたよ。
そんな、殆ど超特急と言っていいようなテンポにもかかわらず、この演奏からは性急さというものは全く感じることはできません。それは、歌うべきところではしっかり歌っているせいなのでしょう。何しろ、冒頭のオーケストラのピアニッシモはちょっと尋常では考えられないほどの「小さな」(決して「弱い」音ではありません)ものですから、その緊張感といったらたまりません。そこに入ってくる合唱も、ダウスに鍛えられただけあって、しっかりした存在感が主張されています。この合唱は、フォルテになっても決して崩れたりしないところが魅力、若々しい声は何よりの力になっています。
オーケストラは、繊細さよりはむしろ力強さをアピールしているのでしょう。金管のパワーといったら疲れを知らない若者の特権がそのまま発散したかのような潔さです。もちろん、若者に暴走はつきもの、何度も出てくる「Dies irae」では、ぜひピッコロのつんざくような高音を聴きたいと思っても、金管の咆哮は、それをも消し去ってしまっていましたね。
ソリストたちも、めいっぱいの熱演を聴かせてくれています。中でもソプラノのガラルド・ドマスの熱い表現は、全体のテンションをも引き上げていることでしょう。
これほどまでの熱演、写真ではスタンディング・オベーションとなっているにもかかわらず、終演時の拍手がカットされてしまったのは、ちょっと残念、しかし、これを入れたら確実にCDの容量を超えてしまっていたことでしょう。それを聴きたければDVDも買えという、要領のいい商魂のあらわれ?
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by jurassic_oyaji | 2007-08-29 21:30 | 合唱 | Comments(0)
Off Course
 たびたびお伝えしている、私が出た大学の「100周年」、きのうがその最大のイベントと言える「記念式典」の日でした。会場は川内にある国際センター、世界的な学会や国際会議などがよく開催されるVIPの集まるスポットです。そんな場所に私のような下々のものが立ち入ることなど、本当は出来ないのですが、この日は堂々と正面玄関からタクシーで乗り付けます。そう、私達は、その前の日に世界初演を行ったこの「100周年」のための新しい曲を、その式典の最後に歌うべく、この晴れがましい場所に集結したのです。
 この式典は、なんせ100年に1度のイベントですから、主催者としては力が入っていたことでしょう。進行に手落ちがあってはいけませんから、そういうことにかけては専門、数多くのイベントを手がけている業者に協力を仰ぐことに余念がありません。音声、映像とも、経験を積んだ業者ならではの最新の機材を駆使して、最高のものをお届けしようとする意気込みが、伝わってはきませんか?
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 国内のみならず、外国からもこの式典のために数多くの重要人物が参加しています。そんな人たちを前にしての演奏ですから、落ち度は許されません。出入り1つにしても、入念なリハーサルが用意されていました。それを仕切っていたのが、この人物です。
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 ○×(まるばつ)エンタープライズとかいう、そのイベント会社の、ディレクターか何かなんでしょうね。まるでテレビの世界から抜け出してきたような、口ひげを生やし、髪をオールバックに決めたこの男は、業界用語を駆使して、その場にいた全ての人たちを、自分の意のままに操ろうとしていました。この男にとって誤算だったのは、ここに集まっている人たちは、決してその様な「業界」には馴染むことのない、ごく普通の市民だったということです。彼が流暢な口調で、まるで自己暗示にかかっているように「スマートな」言葉を発しても、それがそこにいる人たちに伝わることは、決してなかったのです。私達合唱団員が一様に抱いたのは、「この男、一体なにを言ってるんだ?」という、疑惑の念です。しかし、自分の発する言葉にすっかり酔いきっているこの男には、そんな思いなど伝わるはずもありません。ほとんどその男の言うことは無視して、今まで何度もトレーニングを行ったことを実行した結果、場面転換として用意された場つなぎの映像の尺「8分」に十分収まる、「6分」で、私達は見事に「式典」のステージを「コンサート」のステージに作り替えてしまったのです。
 リハーサルが終わって、長い長い時間、私達は控室で待機させられました。あれ程周到な準備をしていたにもかかわらず、式典の開始が30分も遅れてしまったというのです。いちどきに殺到した来賓を、受付がさばききれなかったのだと。実は、その受け付け、始まる前にちょっと目にしていたのですが、ちょっとこれでは混乱は避けられないと、感じていました。この配置ではとても大人数には対応できないことは、長年同じような受付を経験してきたものには、即座に分かってしまいます。この辺の段取りを仕切ったのも、もしかしたら「まるばつ」エンタープライズだったのかもしれませんね。
 式典も最後に近づいたので、ステージ裏に移動です。ここには楽屋があるのですが、そこにはその日に「表彰」を受ける各分野の「功労者」の「文化・芸術」部門での受賞者、小田和正の部屋がありました。もしかしたら本人がここに帰ってくるのではないかとカメラを用意していたのですが、結局撮れたのはこの名札だけでしたが。
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 私達の出番は、「祝典曲」のあと、「青葉もゆる」で締めくくられました。しかし、そのあとで「まるばつ」が用意した段取りの、ダサいこと。ステージも客席も真っ暗にして、ビートのきいた音楽が聞こえてきたかと思うと、そこにはまるで場末のキャバレーのような下品な照明が舞っていたのでした。このイベント屋さんは、絶対なにか勘違いをしています。少なくとも私には、これが世界の叡智を集めた大学の100周年を祝う式典の最後を飾るのにふさわしいものであるとは、全く思えませんでしたよ。100年後にはこんな失態を演じないように、今回のことを教訓として生かして欲しいものだと、真面目に考えてしまった自分が笑えます。
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by jurassic_oyaji | 2007-08-28 22:31 | 禁断 | Comments(0)
KORNGOLD/The Sea Hawk
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Irina Romishevskaya(Sop)
William Stromberg/
Moscow Symphony Orchestra
NAXOS/8.570110-11



NAXOSの「Film Music Classics」というシリーズは、古典的な映画のサントラを最新の録音で蘇らせるというなかなか力の入った企画です。今回のコルンゴルトの「シー・ホーク」にはさらにものすごい力が込められていて、もはやオリジナルのスコアやパート譜は残っていないこの映画の音楽を、丸ごと「修復」するという荒技を披露してくれています。しかも、上映の際にはカットされたものとか、予告編のために作られた音楽なども合わせた「完全版」、トータルで115分もの長さのものに仕上がりました。当然CD1枚には収まらずに2枚組となっています。もちろん、こんなものは世界初録音に決まってます。しかも、余白の30分にはコルンゴルトが音楽を付けた最後のハリウッド映画、「Deception(邦題:愛憎の曲)」のためのすべての音楽が収録されています。こちらも世界初録音です。
ここで、スコアの「修復」を担当したのは、ハリウッドでも活躍している作曲家、ジョン・モーガンです。実際に彼が行った仕事の結果を聴くと、まるで今作られたばかりのような、そう、例えばジョン・ウィリアムズのスコアが作り出す絢爛豪華なサウンドが響き渡るさまを体験できますこあ。もちろん、事実は全く逆なわけで、ジョン・ウィリアムズこそが、コルンゴルトのサウンドを模倣して現代のスクリーンに蘇らせた張本人なのですがね。
そうは言ってみても、やはりこの「新しさ」は、あまりにも「現代的」過ぎるような気にはならないでしょうか。この曲に関しては、このページでも今までにプレヴィンゲルハルトによる2種類の録音を取り上げています。それらがどのようなソースを用いて演奏されていたのかはわかりませんが(プレヴィン盤には、いちおう編曲者の名前が明記されていました)、今回聞き比べてみると、明らかにオーケストレーションが異なっている部分が見うけられるのです。それは、例えば「メイン・テーマ」の中間部、甘美なストリングスのメロディをフルートの細かい音型が彩るという、まさにジョン・ウィリアムズそのものっぽい部分なのですが、このフルートのオブリガートが、今回のモーガンのオーケストレーションでは、とても目立って聞こえてきます。良く聴いてみると、ここではフルートにグロッケン(あるいはチェレスタ)が重ねられていることがわかります。これは、前の2種類の録音では聴くことの出来なかった特徴です。
そんな具合に、おそらくモーガンはオリジナルのスコアにはなかったような小技を駆使して、コルンゴルトのサウンドをさらに輝かしいものに「修復」したのではないか、と思われてしょうがありません。ジョン・ウィリアムズが「ハリー・ポッター」で頻繁に用いたチェレスタの音色が、ここではとても目立って聞こえてくるあたりが、もしかしたらモーガンの隠し味の正体なのかもしれません。これは、コルンゴルトの原点であるR・シュトラウスが「薔薇の騎士」の中で見せてくれたこの楽器の使い方とは、かなり方向性が違うように思えるのですが、いったい事実はどうだったのでしょうね。
いずれにしても、それほど機能的とは思えないこのロシアのオーケストラ(最初のテーマの金管のもたつきぶりったら)が、サウンド的にはとてもスペクタクルなものを聴かせてくれているのですから、これはなかなかすごいスコア、そして録音です。
もう1曲の「愛憎の曲」では、うってかわって甘美な世界が広がります。この映画のストーリーは、音楽家の三角関係だとか、ひょっとしたら画面が音楽に負けてしまっていたのかもしれませんね。映画の中で演奏される「チェロ協奏曲」(後に、「本物の」協奏曲となります)には、千住明の「宿命協奏曲」(リメーク版「砂の器」ですね)などとは次元の違う本物の才能の煌めきが感じられます。
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by jurassic_oyaji | 2007-08-28 00:21 | オペラ | Comments(0)
BACH/Messe h-Moll
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U. Selbig, S. Krumbiegel(Sop),E. Wilke(Alt)
Martin Petzold(Ten),Gotthold Schwarz(Bas)
Georg Christoph Biller/
Thomanerchor Leipzig
Leipziger Barockorchester
RONDEAU/ROP4009/10



モーツァルトのレクイエム(バイヤー版)バッハのマタイ受難曲(初期稿)と、それぞれに素晴らしい演奏を披露してくれていた、ライプツィヒ聖トマス教会のカントール、ビラーとその合唱団による、「ロ短調ミサ」です。もっとも、こちらの方が「マタイ」より先に入手していたものなのですが。
先の2曲ではモダンオーケストラであるゲヴァントハウス管弦楽団との共演でしたが、ここではオリジナル楽器の団体、ライプツィヒ・バロック・オーケストラがバックというのが、変わっているところです。しかし、この合唱団のオリジナル楽器との相性の良さと言ったらどうでしょう。ちょっと意外な組み合わせによって、とても素晴らしい演奏が生まれました。
最近では、ピッチの違いさえなければモダン楽器かと思わせられるような団体も見受けられる中にあって、このオーケストラはオリジナル楽器の特性に逆らわない、無理のない表現を大切にしているように見受けられます。いかにも力まずに楽器の「鳴り」がそのままフレージングになっているようなすがすがしいサウンドからは、とても風通しのよい音楽が広がってきています。
そして、合唱が見事にそのオーケストラとのサウンドと合致しています。幾分頼りなげなトレブルパートですが、こういう弦楽器と一緒になるとそのピュアなキャラクターが見事に際立って、確かな存在感となって現れてくるのです。大人の男声パートも、特にテナーのみずみずしさは光ります。「Kyrie」や「Cum Sancto Spiritu」、「Et resurrexit」で現れるパートソロの難所も楽々とこなすフットワークの良さが、さらにそれに磨きをかけています。
ソリスト陣が、そんなオーケストラと合唱の求めているものにしっかり寄り添っているのも、心地よいものです。2人のソプラノで歌われる「Christe eleison」では、それぞれの透明な声が見事に溶け合って、この世のものとも思えない美しい世界を描き出しています。後のソロを聴いていくと、第2ソプラノのクルムビーゲルのほうがよりクリアな音色であることがわかります。テノールのペツォルトは、前述の「マタイ」で大活躍をしていた人ですが、ここでは一転して抑えた歌い方に終始、見事に他のパートとのバランスをとっています。アルトのヴィルケは、この曲で要求される「深さ」を、さして力まず、さりげなく表現しているのが素敵、バスのシュヴァルツもやはり軽めの声を心がけているかに見えます。
例えば、「Gloria」の中の第1ソプラノとテノールのデュエット「Domine Deus」を聴いてみると、そんなメンバーが作り出す音楽のテクスチュアが透けて見えてくる思いです。ソロもオーケストラも、それぞれのパートが見事に浮き出して、絶妙のバランスで聞こえてきます。オブリガートのフラウト・トラヴェルソはもちろんですが、バックのヴァイオリンまでがこれほどまでに表情豊かに歌っているのを完璧に聴き取れる演奏など、ほとんど初めて味わったような気がします。それは、優秀な録音も一役買っているはずです。コンテゥヌオは同じ人が曲によってチェンバロとオルガン(ポジティーフ)を弾き分けているのですが、その違いまでがはっきり聴き取ることが出来るのですから。
歴代カントールの業績を受け継ぎながらもひと味違った新しさを追求しているかに見えるビラー、これからも見逃せません。スプーンを曲げたりするかもしれませんし(それは「ゲラー」)。
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by jurassic_oyaji | 2007-08-25 20:41 | 合唱 | Comments(0)
MESSIAEN/Complete Organ Works
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Willem Tanke(Org)
BRILLIANT/8639



1908年に生まれ1992年に亡くなったオリヴィエ・メシアンは、パリの聖トリニテ教会のオルガニストでもあり、生涯にわたってオルガンのための作品を書き続けた作曲家でした。何しろ、彼の最初に出版された曲というのが、1928年に作られた「天上の宴Le Banquet céleste」なのですからね。続いて1930年には「二枚折りの絵Diptyque」、そして有名な「永遠の教会の出現Apparition de l'Église éternelle」(1932)、「キリストの昇天L'Ascension」(1934)、「主の降誕La Ntivité du Seigneur」(1935)、「栄光に輝く体Les Corps glorieux」(1939)などが1930年代に作られ、いったんオルガンのための創作からは遠のくことになります。ここまでが、言ってみれば彼のオルガン作品における「第1期」でしょうか。
第二次世界大戦後の1950年になると、「精霊降誕祭のミサMesse de la Pentecôte」で、再びオルガン曲が作られるようになります。翌1951年の「オルガンの書Livre d'orgue」、1960年の「献堂式のためのヴェルセVerset pour la fète de la Dédicace」とともに、「第2期」を形作っています。
「第3期」には、9曲から成る「聖なる三位一体の神秘への瞑想Méditations sur le mystère
de la Sainte Trinité
」(1969)とCD2枚分、18曲から成る最後のオルガン曲「聖体の秘蹟の書Liver du Saint Sacrement」(1984)という2つの大作が含まれます。
実は、これ以外にも出版されていないものなど数曲あることはありますが、とりあえずこれだけのものを収録した8枚組の「全集」が、買い方によっては4000円以下で入手できるという破格の値段でリリースされました。このレーベルは、かつては出所不明の得体の知れない音源でさまざまな「全集」を出していたものですが、最近では録音データなども明記したれっきとした自前の録音で、なかなか渋いレパートリーを出すようになっていますので、侮るわけにはいきません。これは、オランダのオルガニスト、ウィレム・タンケが1994年にハールレムの教会で録音したものです。セッションは10日ちょっとしかありませんでした。せっかちだったんですね(それは「タンキ」)。4段鍵盤のフランス風の大オルガンは、メシアンの曲に欠かせない多彩なリード管や澄み切った倍音管を備えており、優秀な録音(2007年に新たにリマスターされています)と相まって起伏に富んだ音色を楽しめます。そもそもメシアンのオルガン曲全集で現在入手できるものは殆どありませんから、これはファンであれば絶対に買っておいて損はないもののはずですよ。
この全集の特徴は、ほぼ作曲順に収録されているということ、1枚目から聴いて行けば自ずとメシアンの作曲技法や様式の変遷がうかがえるようになっています。ただ、いちおう彼の場合「第1期」と「第2期」の間では大きな変化があったとされていますが、実際にこの8枚を連続して聴いていく時には、そんな変化はごく些細なものに過ぎないことにも気づかされてしまいます。おおざっぱな言い方をすれば、彼が描き出した世界というものは生涯変わることはなかったのだという印象が、ここからははっきり浮かび上がってきます。敢えてその「世界」を1つだけ挙げるとすれば、あたかも「憧れ」が込められたかのように聞こえてくる和声でしょうか。それは、最初からはっきりした形で示されることもありますし、もっと複雑で混沌とした響きの中から、まるでうめくように顔を出すこともあります。それは、もしかしたら「神」の言葉をオルガンで代弁しようとした作曲家の心の内のあらわれなのかもしれません。
私の一番のお気に入りは、「栄光に輝く体」の中の4曲目、「死と生の戦いCombat de la Mort et de la Vie」。前半に出てくるどす黒いイメージの「死」と、後半のまさに「癒し」の極地とも言うべき「生」との対比は、20世紀のオルガンの語法が到達した最高の世界です。
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by jurassic_oyaji | 2007-08-23 22:17 | オルガン | Comments(0)
Magic Flute Remixed
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Members of the Nationaltheater Mannheim
GENUIN/GEN 86078



昨年の「モーツァルト・イヤー」の残渣は、まだまだそこら辺に散らばっていたざんす。タイトルでもお分かりのように、これはモーツァルトの「魔笛」によるリミックス・アルバムです。「リミックス」という概念をクラシック的にどのように捉えるかは大問題ですが、ここでは、とりあえず現在の作曲家が、モーツァルトの「魔笛」をモチーフにしてその腕をふるった作品を集めたもの、と言うぐらいに受け取っておきましょうか。
集められている曲は、マンハイムの国立劇場がそんなコンセプトで「今」の作曲家に委嘱したものですが、実はそれは今から50年前の「生誕200年」の時に行われたものが前例となっています。その時に「『魔笛』を使って、なにか曲を作ってくれないか」という委嘱を行ったのは、当時の「現代音楽」の一つの中心であった「ドナウエッシンゲン音楽祭」でした。その委嘱に対して多くの作曲家は快い返事はよこさなかったといいます。あのピエール・ブーレーズあたりは、「俺とモーツァルトとの共通点といったら、名前に『z』という文字が1個ある(MozartBoulez)ということだけだろう」と、むげに断ったということです。
それから50年経った2006年にはこうして8人もの「現代作曲家」が曲を寄せるようになったのは、それだけ、モーツァルトとの距離感が変わってきたということなのでしょうか。ただ、いったいどこが「魔笛」なのか、という、注文の趣旨を完全にはき違えているものが殆どというのが、いつの世でも自意識の強い「作曲家」という人種の有り様を浮き出したものになっています。
そんな中で、ディーター・シュネーベル(1930-)の「Ein Mädchen oder」や、トーマス・ヴィッツマン(1958-)の「Pamina-Projection」などは、それぞれ「元ネタ」がはっきり提示された上でのコラージュという形をとった、いわば「古典的」な手法で、楽しむことができます。ヴィッツマンの曲はCDエクストラで映像バージョンも収録されているのですが、その映像の方がよほど難解に感じられてしまいます。
カローラ・バウクホルト(1959-)の「P.S.」という曲は、フルート1本のソロ・ピースです。前半は息音などをそのままSEのように使った「前衛的」な作風が刺激的。これを聴いて大量の水が流れている情景を思い浮かべてしまったのは、最近見た映画版「魔笛」のせいなのかもしれません。そこでは、タミーノが「水の試練」を受ける時に、濁流の中を流される、というシーンがありましたっけ。後半は短い音型を、キーの音と一緒に繰り返すというもの。吹きながら演奏者がマイクから遠ざかっていって、フェイド・アウトするという演出です。まるで試練を乗り越えることができなかったタミーノがすごすごと去っていくような気にさせられてしまいます。もちろん、この中には「魔笛」のアリアの断片などは一切現れることはありません。
もう1曲、ウケたのは、ペーター・アプリンガー(1959-)という人の「Weiß ist schön」という、サンプリングが用いられている曲です。1970年代に黒人の権利を主張したアンジェラ・デイヴィスという女性の演説をそのまま流すのと同時に、まるでメシアンのようにその語りのリズムとメロディを模倣してそれにハーモニーを付けてピアノで演奏するという手の込んだものです。これは物語の中に差別されるものとして登場するモノスタトスからの連想なのでしょうか。それでタイトルが「白は美しい」ですからね。
このアルバムを聴けば、まだまだ世の中にはとんがった作曲家が健在なことを知り、ひとまずの安心感は得られることでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2007-08-21 23:52 | 現代音楽 | Comments(0)
東北大学祝典曲
 週末は、土日ともに来週のコンサートのためのリハーサルでした。本番の会場の県民会館で、オーケストラと一緒に合わせることになります。「第9」のソリストが揃うのは本番前日ですが、「祝典曲」に関しては、きのうの日曜日にソプラノソロの菅英三子さんと、オルガニストの今井奈緒子さんが参加されて、フルメンバーによる演奏となりました。なんせ「世界初演」ですから、準備に抜かりはありません。これで、オーケストラのメンバーが、トップの人選にもう少し配慮があれば、言うことはなかったのですが、まあアマチュアですから、仕方がないのでしょうね。
 もちろん、このホールにオルガンなんかあるわけがありませんから、楽器は今井さんの東京のご自宅から運んだ「マイ・オルガン」、ポジティフという運搬可能な小さなオルガンです。こんなコンテンツを作っておきながら、実物を間近で見るのは初めてですから、ちょっと興奮します。
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 こんな感じの、鍵盤が1段、ストップも4つぐらいしかない可愛い楽器です。電源コードが椅子の部分につながれていますから、そこに送風ファンが入っているのでしょう。
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 調律をする時には、こんな風に中を開けて、パイプを1本1本調節していきます。
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 今井さんと言えば、バッハ・コレギウム・ジャパンなどとの共演で有名な方です。なんでそんな方が仙台のコンサートに?と思ったのですが、実は彼女は東北学院大学の教授だったのですね。そんなこと、今まで知りませんでした。そういえば、少し前にこの大学のキャンパスでBCJが「メサイア」を演奏していましたね(当日券があるというので油断をしていたら、早々に売り切れていて行けませんでしたが)。
 オルガンのパートはほとんど他の楽器と重なっているので、合唱の位置からはこのオルガンの音はほとんど聞こえませんでした。でも、客席ではきっと聞こえていたはず、それは、あとでDVDでチェックすれば分かることでしょう。
 会場にはなにやらテレビ局のカメラが来ていて撮影しているようでした。そういえば、仙台放送で取り上げるようなことをいっていましたね。放送はいつになるのでしょう。と思いつつ、家へ帰ってきたら、知り合いから私がテレビに出ていたのを見たというメールが届いていました。リハーサルの模様が、夕方のニュースでさっそく流れたのだそうです。全くノーチェックだったので録画もしていませんでしたが、そんなすぐ分かるほどはっきり映っていたのでは、気になりますから、なんとか見てみたいものだと思って、気が付いたのが放送局のサイトです。確かに、こんなふうに最初のカットでど真ん中に映っていましたね。
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by jurassic_oyaji | 2007-08-20 22:48 | 禁断 | Comments(0)
TAKEMITSU/Piano Music
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福間洸太朗(Pf)
NAXOS/8.570261J



山根銀二という音楽評論家は、1950年に武満徹のデビュー作「2つのレント」を「音楽以前である」と評したことによってのみ、音楽評論史(そんなものがあるの?)に名を残すこととなりました。これは、吉田秀和翁がホロヴィッツの日本での演奏に対して発した「ひびの入った骨董品」というフレーズともに、彼らの本来の評論が忘れ去られることがあっても必ず後世に残るものとなるでしょう。もちろん、山根氏のコメントは、半世紀以上も前の日本の「現代音楽」の状況を的確に反映したものとして捉えるべきもの、それによって彼の評論家としての洞察力が貶められることは決してありません。
武満のピアノ曲は、「2つのレント」の前年に作られた「ロマンス」を皮切りに、1989年の「リタニ」まで、十数曲のものが残されています。今回の最も新しい録音による作品集には、そのうちのほぼ全曲が収録されています。「ほぼ」と言ったのは、1962年の作品「コロナ」が含まれていないからです。今でこそ、武満と言えば押しも押されもせぬ大作曲家として多くの人の支持を受けていますが、この頃はかなり「実験的」な作品も手がけており、「コロナ」はその代表とも言えるものでした。通常の五線紙は用いられることはなく、5枚の色紙に描かれた円周にそった曲線や点を、演奏家が各々の解釈で音にするという「不確定性」の音楽です。初演者である高橋悠治(左:WAVE/C25G-00032は入手不可、小学館の「武満徹全集」で聴くことが出来ます)と、ロジャー・ウッドワード(右:EXPLORE/EXP0016)のCDでその演奏は聴けますが、もちろんそれぞれのやり方で「図形」を「音」に変換していますから、全く別の音楽としてしか私達の耳には届かないはずです。

この曲が作られたときにも、そして、録音されたとき(いずれも1973年)にすらも生まれてはいなかった福間洸太朗にとっては、図形楽譜などというものは完璧に楽譜の概念からは遠くにあるものに違いありません。「コロナ」と同時期の、こちらは普通の記譜法で書かれた「ピアノ・ディスタンス」でさえも、先ほどの武満と同時代を生きた2人のピアニストに比べると、全く別の背景から生まれてきた曲のように聞こえてはこないでしょうか。福間の演奏からは70年代にはまだ存在していたはずのある種ひたむきなムーヴメントの残り香のようなものは見事に消え去り、過去の偉大なマスターピースとしての洗練された顔のみが現れていると感じられるのは、もしかしたらその時代の思い出を体のどこかに残している者の特権なのかもしれません。
最近の他の「武満のピアノ曲のアルバム」と同様に、「コロナ」と入れ替わりに近年多くの人に聴かれるようになった「うた」のテイストを色濃く秘めた「微風」と「雲」という、NHK教育テレビの「ピアノのおけいこ」のために作られた曲が加えられたことによって、このアルバムも晩年に丸みを帯びてしまった作曲家の姿が的確に反映されたものに仕上がりました。この中では最後に作られた曲「リタニ」が、「2つのレント」を楽譜を見ないでそのまま「再作曲」したものであることが、彼の創作遍歴の象徴であると思われるのは、あるいは作曲家にとっては不本意なことだったのかもしれませんが。
日本で企画されたこのナクソス・レーベルの日本作曲家シリーズは、これまでのところ順調にリリースを続けているように見えます。ただ、日本の代理店のサイトを見てみると、「9月いっぱいで解散します」みたいなことが書いてあるので、ちょっと不安になってしまいます。同じところに「録音が完了したものについては販売します」とありますが、これはそれ以上の録音はもうなくそすとしている、と受け取るべきなのでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2007-08-19 22:14 | 現代音楽 | Comments(1)
MOZART/Requiem, ORFF/Carmina Burana
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Sáinz Alfaro/
Orfeón Donostiarra
Orquesta Filarmónica de Andalucía
Orquesta Filarmónica de Málaga
RTVE/65273



最初はどうなることかと思いました。何しろ、このスペイン放送局のレーベルの2枚組CD、どんなことをしてもトレイからとれいないのです。普通のCDのトレイは、ボタンのような突起の真ん中を押してやると、そこが緩んで外れるようになっているものなのですが、これはそのような構造にはなっていなくて、力ずくでCDを「引っぱがす」しかないのです。下手をしたらCDが割れてしまうのではないかと心配していたら、その前にツメが欠けてしまって、それでやっと外すこと出来ましたよ。
1997年のジルヴェスター・コンサートで、アバド指揮のベルリン・フィルとも共演したこともあるという合唱団「OD」は、1897年に創設されたという由緒のある団体です。もっとも、同じ「OD」でも、スウェーデンの方は「オルフェオのしもべ」という意味ですが、こちら、スペイン版ODは、「サン・セバスティアンのオルフェオ」という意味なんですって。そんな、スペイン北部バスク地方の都市サン・セバスティアン(バスク語では「ドノスティア」)の合唱団が、南部アンダルシア地方で行ったコンサートのライブ録音が、ここには収められています。モーツァルトの「レクイエム」は、アンダルシア・フィルとの共演によるハエンでのコンサート、オルフの「カルミナ・ブラーナ」は、マラガ・フィルとの共演によるヘレス・デ・ラ・フロンテラでのコンサートです。
1枚目は、2006年の1021日に行われたモーツァルトです。全く聴いたことのないオーケストラですが、冒頭のファゴットとバセット・ホルンのアンサンブルでは、ビブラートたっぷりのかなり「濃い」歌い口が印象的、やはりラテンっぽいモーツァルトに仕上がっているのでしょうか。ところが、合唱が入ってくると、いくらライブとはいっても、その録音バランスがとてもひどいことに気づかされてしまいます。何しろ、オーケストラの、特に弦楽器に消されてしまって、合唱が殆ど聞こえてこないのですから。ジャケットには最初に合唱団の名前が書いてあることからも分かるように、これは合唱団がメインのアルバムのはず、これはいったいどうしたことでしょう。音の響き方を聴いてみると、どうやらこの会場はかなり広いところのよう、そんな響きを捉えきれずに、オケもソリストも合唱もてんでバラバラなことをやっているという感じしか伝わってきません。先ほどのCDのツメといい、このメーカーはこんな粗悪品を、よくも「商品」として販売できたものです。
ところが、2枚目のオルフでは、全く事情が違ってきたのですから、世の中は何が起こるか分かりません。こちらは1013日のコンサートですが、普通のホールを使っているようで、バランス的にはなんの問題もありません。そして、このバランスで聴くと、合唱団はとっても幅広いダイナミック・レンジを駆使していることがよく分かります。そんな小技は、モーツァルトの時の録音ではなんの意味も持たなかったのですね。そして、何よりもすごいのが、オーケストラと合唱団が一体となって作り上げているとんでもないテンションの高さなのですよ。例えば、最初と最後の「O Fortuna」での打楽器チームの張り切りようといったらどうでしょう。盛り上がったところでバスドラムが「タタタ、タン」と入れる前打音のかっこいいこと。張り切りすぎて「タタタタ、タン」なんてなっているのもご愛敬。アンサンブルはずれまくってかなりひどいのですが、それを超えた気迫には圧倒されます。ソリストも乗りまくっています。バリトンの「Ego sum abbas」で、客席から笑いがとれるなんて。
こんなにハチャメチャで楽しめる「カルミナ」なんて、久しぶりに聴きました。ほんと、世の中なんて最後まで分かりません。
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by jurassic_oyaji | 2007-08-17 20:28 | 合唱 | Comments(0)