おやぢの部屋2
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MOZART/Symphonie Nr.40, Requiem
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Z. Kloubová(Sop), L. Smídová(Alt)
J. Brezin(Ten), R. Vocel(Bar)
福島章恭/
Legend of Mozart Choir
Czechoslovak Chamber Orchestra Prague
BLUE LIGHTS/BLCD-0909(CD-R)



以前「日本人によるモーツァルトのレクイエムの演奏」として、福島章恭さんのCDをご紹介したことがありましたが、なんと、最近になって福島さんご本人から、取り上げたことに対してのお礼のメールが届きました。これは、実は初めてのことではなく、前にもマリンバアンサンブルやロックグループのマネージャーからも、同様のメールを頂いたことがあります。そんなときには、あわてて元の「おやぢ」を読み直して、なにか失礼なことを書いてはいなかったかと冷や汗をかくことになるのですが。
福島さんの場合は、あのCDのあとにも同じモーツァルトのレクイエムを2回演奏する機会があり、そのプライヴェートCDがあるので聴いて欲しい、というものでした。そのうちの1枚は、ウィーンのムジークフェライン・ザールで、チェコのオーケストラと共演したものだとか、これはぜひ聴いてみたいものだと、早速送っていただくことにしました。
届いたものは、2006年の12月にウィーンで演奏されたものと、2007年の2月に倉敷で演奏されたものの、それぞれライブ録音でした。前の東京でのCDが2006年の10月のものですから、福島さんはモーツァルト・イヤーを挟んでの4ヶ月の間に、この曲を3回、別な場所で別な団体と演奏したことになるのですね。いくらあの年にはモーツァルトのインフレが進んでいたからといって、これだけの多彩なコンサートを実現させた指揮者は、そう多くはないことでしょう。
そのウィーンのコンサートでの合唱団は、日本から訪れたメンバーの他に、エキストラとして日本人留学生と、ウィーンの合唱団のメンバーが加わっています。総勢100人を超えるこの合唱団は、この響きの良いホールで、思う存分自らの力を出し切っているような伸びやかさが、最初から感じることが出来ます。そして、それを助けているのがここでのオーケストラ、1957年創設といいますから、半世紀の歴史を持つ名門団体です。彼らの奏でる柔らかい響きと、的確な音楽性は、まさに「ヨーロッパ」のテイストをこの演奏全体に与えています。それは、福島さんの誠実な音楽の作り方と見事に合致し、外連味のない正攻法のモーツァルトを生み出しました。
前のCDで特に感じたのは、この曲に寄せる熱い思いです。それが、このウィーンの地で、見事に一皮むけた姿に成長した様を、ここからはうかがい知ることは出来ないでしょうか。特に「Kyrie」から「Dies irae」あたりでの、たっぷりとしたテンポの上で繰り広げられる高揚感には、胸を打たれるものがあります。
Lacrimosa」でのオーケストラによる入魂のイントロに続く合唱の充実した響きにも、熱いものを感じることが出来ました。最後の二重フーガでは勢いあまって合唱とオーケストラが崩壊するという場面も見られましたが、これも有り余る情熱のなせる技と思えば、ほほえましい疵にすぎません。ただ、チェコ人によって占められたソリストたちが、この合唱やオーケストラのテンションにちょっとついていけないようなもどかしさがありました。
このCDには、同じコンサートで演奏されたト短調交響曲が収録されています。これも、演奏が始まったとたんから、オーケストラの明るすぎない響きに魅了されてしまいます。彼らは、福島さんの誠実さを見事に受け止めて、この曲を素晴らしいものに仕上げてくれました。
このCDは、オーケストラやソリストとの契約で、一般には発売出来ないことになっているそうですが、「会員用」としていくらか販売出来るそうですので、こちらからご連絡下さい(送料込みで1枚2500円だそうです)。ちなみに、録音は現地のエンジニアが行ったそうです。ホールの響きを生かしたとてもバランスの良い録音です。
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by jurassic_oyaji | 2007-11-30 22:08 | 合唱 | Comments(0)
Walking in the Air
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 コール青葉の今回のレパートリーには、「Walking in the Air」という曲が入っています。「北の空から」というコンセプトが決まった段階でメンバーから希望をとったことがあったのですが、その時にある人がケルティック・ウーマンが歌っているこのタイトルの曲をリクエストしたのです。その人は、そのバージョンしか知らなかったようなのですが、私には、これは昔からよく知っている曲にしか思えませんでした。彼の言うその曲の特徴などを聞いてみても、それに間違いないように思えました。結局、私が持っている音源を送って、まさにその曲だと分かったので、私も強力に推薦、見事演奏曲に選ばれたというわけなのです。
 この曲は、実はレイモンド・ブリッグスという人の作った「The Snowman」という有名な絵本をアニメ化したときの挿入歌でした。私がこの絵本、そしてアニメに出会ったのは、もうずいぶん前のことになります。仙台に「横田や」という、有名な絵本専門店があります。本店は北山の輪王寺の向かい、昔は味噌屋さんだったところをそのままお店にしたという、素敵なところです(店主の横田さんが、この味噌屋さんの息子さん)。確か、「ねずみくん」という名前の支店が、泉中央にあったはずです。
 その横田さんは、もともとはサラリーマンだった人ですが、絵本好きが昂じて、自分でお店を始めたという、マニアックな方でしたから、そのお店の絵本も、マニア心をくすぐるものがたくさんありました。いえ、最近はとんと足が遠のきましたが、今でもそのポリシーは貫いているはずです。
 そのお店が、別の場所を借りて大々的な絵本の即売会を行ったときに、このアニメ版「The Snowman」のビデオと、楽譜が山積みになっているコーナーがありました。そこで手に入れたのが、サントラの一部をフルートとピアノのためにアレンジした楽譜でした。もちろん「Walking in the Air」も入っていました。今でも悔やまれるのは、サントラのフルスコアもそこにあったのに買わなかったことです。そう、その頃はビデオデッキもなかったので、ビデオを買うことはありませんでした。
 そのアニメを見たのは、ですから映画館ででした。ブリッグスのもう一つの有名なアニメ、「風が吹くときWhen the Wind Blows」という核戦争をテーマにしたものとの二本立てでした。その時に初めて見たアニメ版「The Snowman」の素晴らしさは、今でも忘れられません。特に、今まで楽譜で親しんできたこの曲が実際にボーイソプラノの声で聞こえてきたときには、その感動的なシーンと相まって、涙をこらえることは出来ませんでした。
 ちなみに、アニメ全体の音楽も作っている、この曲の作曲者ハワード・ブレイクは1938年生まれ、映画音楽の世界では有名なイギリスの作曲家ですが、元々はクラシック畑の人で、クラシックの作品もたくさん作っています。私が聴いたことがあるのは、ケネス・スミスというイギリスのフルーティスト(フィルハーモニア管弦楽団の首席奏者)のソロアルバムの中にある「エレジー」という7分ほどの小品です。フランス印象派の流れをくむとても繊細な曲、ケックランあたりとよく似たテイストを持っています。
 実は、このスミスさんは、別のアルバムで「Walking in the Air」を手がけているのです。私が買った楽譜とは別の、彼の独自のアレンジで、これが絶品です。この人は高音がとてもきれいなフルーティストなのですが、2コーラス目でメロディがオクターブ高くなったときの美しさといったら。上のリンクからは、サンプル音源が聴けます。途中までですが。
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by jurassic_oyaji | 2007-11-29 21:02 | 禁断 | Comments(0)
RIMSKY-KORSALOV/Piano Duos/Scheherazade etc.
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Artur Pizarro(Pf)
Vita Panomariovaite(Pf)
LINN/CKD 293(hybrid SACD)



オーケストレーションの極致ともいうべき管弦楽曲、「シェエラザード」を作ったリムスキー=コルサコフが、それを自らピアノ2台のために編曲したバージョンが有るということにとても興味がわき、このSACDを買ってみました。あの色彩的なオーケストラの世界をピアノに移し替えるという大変な作業を、この職人的な編曲家はどのように処理しているのか、期待してみたっていいでしょう?
しかし、ポルトガルのピアニスト、アルトゥール・ピツァーロと、リトアニア生まれの彼の弟子、ヴィタ・パノマリオヴァイテによって奏でられた「シェエラザード」は、オーケストラ版の華やかさを知っている者にとっては、かなり拍子抜けのするものでした。この2人の演奏は、音の良さでは定評のあるこのレーベルのSACDによって、とてもクリアに響きます。それを意識したのかどうかは分かりませんが、彼らはとことん響きの美しさを追求しているかのように、ひとつひとつのアコードを丁寧この上なく演奏してくれます。2人のタイミングは完璧なまでに揃えられ、人間業とは思えないほどの精度を見せつけてくれているのです。
そんな澄みきった響きに慣れてきた頃には、彼らはこの編曲から、決してオーケストラの華やかさを引き出そうとはしていないことに気づくはずです。そもそも、リムスキー=コルサコフ自身は、オーケストレーションのスキルほどにはピアノ演奏には通じてはいなかったそうです。したがって、彼の編曲自体が、最初からあった音をそのままピアノに置き換えただけという素っ気ないもので、特別にピアノで演奏するための効果をねらった細工のようなものは何一つ加えていないという事情もあります。ハープの伴奏に乗って、シェエラザードのテーマがソロ・ヴァイオリンで披露されるという印象的な導入でのそのヴァイオリンの滑らかな音型はピアノのパルスだけで演奏されるとなんともゴツゴツとしたものに変わってしまいます。弦楽器によって演奏される蕩々とたゆとう波のような音型の上を、木管楽器が代わる代わる美しい歌を奏でるという場面でも、それぞれのパートを描き分けるだけの楽譜上の工夫がないことには、ピアニストにとっては手の施しようがなかったのかもしれません。
そんなわけで、彼らがひたすら淡々と音を連ねていった結果、元の曲とは似てもにつかない、殆どヒーリング・ピースのような「シェエラザード」が姿をあらわすことになりました。おそらくこれは、作曲家自身も気づくことの無かった、この曲の裸の姿だったに違いありません。逆にショッキングなほどに見えてくるのが、オーケストレーションの力の偉大さではないでしょうか。この間の抜けた音楽が、あれ程の輝かしいものに変貌するということ、そしてそれを成し遂げたリムスキー=コルサコフの偉大さこそを、ここでは思い知るべきなのでしょう。
同じ手法によったものでも、「スペイン奇想曲」の場合はとても素直にオーケストラと同じ感興が、2台ピアノからだけでも味わうことが出来ました。この曲の場合、みなぎるリズム感や、沸き立つようなグルーヴは、スケッチの段階からしっかり内包されていたことの証です。こちらの方は、余計な手を加えないほうが、よっぽど軽やかに聞こえるほどですし。
このアルバムにはもう1曲、リムスキー=コルサコフの奥さん、ナデージダ・ニコラエフナ・リムスカヤ=コルサコワ(ロシア語の場合、女性の名前は名字まで語尾が変化するというのが面白いですね)が編曲した「サトコ」が収録されています。ピアニストとしてはご主人より数段上回る腕を持っていた彼女の編曲は、元の曲の姿が殆ど分からないほど、ピアノの文法に満ちたものでした。もし彼女が「シェエラザード」を編曲していたならば、おそらくここで演奏されていたものとは全く別の姿を持つ音楽に仕上がっていたことでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2007-11-28 20:28 | ピアノ | Comments(0)
RHEINBERGER/Sacred Choral Works
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Charles Bruffy/
Phoenix Bach Choir
Kansas City Chorale
CHANDOS/CHSA 5055(hybrid SACD)



アメリカのフェニックス・バッハ合唱団のアルバムは以前ご紹介しましたが、今回は同じ指揮者が芸術監督を務めているカンザスシティ合唱団との合同演奏でラインベルガーの作品集です。この2つの合唱団は、大人数が必要な曲を演奏するときには、このような形での共演を日常的に行っているようで、このレーベルへの録音もこれで3枚目となります。指揮者のブラフィーは、最初はテノール歌手だったものが、ロバート・ショウに認められて指揮者になったという方だそうです。今では世界中を駆けめぐる売れっ子指揮者、なんせ、今年シドニーでヴェルディのレクイエムを演奏したかと思うと、来年にはプラハでデュリュフレのレクイエムが予定されているというのですから。
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左が、前のアルバムにあった写真。ほんの3年の間にずいぶん変わってしまいましたが、苦労も多かったのでしょうか。将来はどんなディスコグラフィーが生まれることでしょう。
彼に率いられた総勢50人のプロのシンガーから成るこの2つの合唱団は、大人数にもかかわらずとても精緻なアンサンブルを聴かせてくれています。その上に、この人数ならではの深い響きが加わって、この後期ロマン派の重厚な合唱作品をほぼ理想的な形に仕上げてくれました。
リヒテンシュタインに1839年に生まれたヨーゼフ・ガブリエル・ラインベルガーは、オルガン曲の作曲家として広く知られていますが、宗教曲でも魅力的な作品を数多く残しています。これらは多くの合唱団のレパートリーとして、演奏会に取り上げられることも多くなっています。実は、地元でも近々変ホ長調のミサ曲を生で聴けることになっているのですが、タイミング良くこのアルバムでもメインはそのミサ曲でした。
これは二重合唱のために作られた無伴奏のフル・ミサですが、そのしっとりとした味わいは、まるでブルックナーのモテットを思わせるものがあります。その上に、しっかりとした構成とさりげない転調がちりばめられ、とても親しみやすいものになっています。特に、各々の曲のテーマが非常にキャラの立つもの、それが幾度となく再現されますから、聴き手は安心して曲に浸ることが出来るはずです。「Credo」の跳躍の多いテーマなどは、一度聴いたら忘れることはないことでしょう(この曲の中での磔の場面から復活に変わる瞬間の音楽の素敵なこと)。「Sanctus」の終わり、「Hosanna in exelsis」などは、モーツァルトのレクイエムからの引用になっていますしね。
流れるような8分の6拍子(たぶん)に乗った、明るい「Benedictus」では、「Hosanna」がアーメン終止によって閉じられるという粋な扱いがなされています。それは、まるで次に現れる「Agnus Dei」での言いようのない暗さを導き出すためであるかのように聞こえます。この曲からにじみ出てくる哀しみには、深く胸を打つものがあります。そして、それに続く「Dona nobis pacem」こそが、このミサ曲全体のハイライトなのでしょう。このテキストを何度も何度も繰り返すうちに訪れるクライマックス、それは一瞬のうちにまた静かなものに変わります。
しかし、この部分の究極のピアニシモが、この合唱団のソプラノにはほんの少しのためらいが見られるのが非常に残念です。実は、その前の盛り上げる部分でも、このソプラノには主体的に先に進もうという意気込みがあまり感じられず、せっかくの緊迫感がそがれてしまうような場面が見られたのですが、そのあたりが「ほぼ」理想的と言った理由です。例えば「ポリフォニー」のソプラノだったらもっと自発的な音楽を産み出すことが出来るのだろうな、といった物足りなさを、つい感じてしまったのです。でも、それはテノールなどがあまりにも軽々と自分の仕事を完璧にこなしているために、つい高望みをしてしまったせいなのかもしれません。
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by jurassic_oyaji | 2007-11-26 20:37 | 合唱 | Comments(0)
コール青葉那須合宿
 このところの毎年の恒例行事に参加してきました。いつもは、2日目に場所を変えてホールに行くのですが、今回はそこが取れなかったので、少し昼休みがありました。その間に、この場所の写真を撮ってみました。
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 「シャトー・エスポワール」という名前、「希望の城」ですね。丘の上にぽつんと建っています。
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 石畳には、ご当地の名産「那須の余一」です。
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 広大な敷地内の芝生には、たくさんの石の彫刻が展示されています。
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 いちばんウケたのがこれ。手つきがいやらしいですね。
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 なにやら重いテーマの作品です。銃弾を受けて倒れたのでしょうか。
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 この看板には、彫刻以上に強いメッセージが感じられます。どこへ行っても、ペットを飼う人の身勝手な行動は良識ある人々の顰蹙を買うものです。
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by jurassic_oyaji | 2007-11-25 20:59 | 禁断 | Comments(0)
SALIERI/Music for Wind Ensemble
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Ensemble Italiano di Fiati
BRILLIANT/93360



ボックスものが多いBRILLIANTにしては珍しく、1枚もののアルバムです。ですから、特別に割安という気はしません(ディズニーリゾートは浦安)。しかし、何しろ、曲目がサリエリの聴いたことのない曲という珍しいものでしたから、買ってみる気になりました。例によって外部のレーベルからライセンスを得てリリースしているもの、そのライセンス元がTACTUSという、今までの印象ではあまり音の良くないイタリアのレーベルのものでしたが、聞こえてきた音は至極まっとうなもの、というより、かなりクオリティの高いものでしたから、一安心でした。演奏もとても自発的な素晴らしいものです。
サリエリといえば、20年以上前に作られた映画の影響で、未だに「モーツァルトの才能をねたんだ凡庸な作曲家」というイメージがついて回っています。恐ろしいのは、こういうイメージは音楽のことを何も知らない人たちの間に、ちょっとハイブロウな知識として、実体のないまましっかり浸透してしまっているということです。先日アメリカの刑事物テレビドラマを見ていたら、殺された天才型のテニスプレーヤーと、その容疑者である努力型のプレーヤーを比較して、ある刑事が「モーツァルトとあれ、みたいなもんだろう?」と言ってましたっけ。「あれ」というのはもちろんサリエリのこと、名前すら忘れられても、映画で作り上げられた図式は殺人現場に於いてまで比喩として使われるという、情けない現実があったのです。
ここで演奏されているのは、サリエリの管楽器アンサンブルのための作品です。今まで彼のオペラや宗教曲は聴いたことがありますが、こういう分野のものは初めて、新鮮な思いで聴き進んでいくうちに、こんな曲を作った人が、どうしてこんな目に遭わなければならないのだろうという疑問と、さらには怒りが湧いてきました。おそらく王侯貴族のまえで演奏されるための機会音楽なのでしょうが、その軽やかなテイストと、センスの良いアレンジの妙は、現代の私たちの耳にも非常に魅力的に響きます。どの曲からも、心底美しいもので聴き手を安らかな思いに誘おうという、作曲家の温かい心が伝わってきます。
もっとも小さな編成であるオーボエ2本とファゴット1本という「トリオ」が何曲か演奏されていますが、そこに凝縮されているアンサンブルの愉悦感には、とても惹かれるものがあります。中でも、ファゴットパートがただのベースラインに終わらない、実にアイディア豊かなフレーズを繰り出しているのが魅力的、次々と現れる新鮮なからみが、曲全体にヴァラエティを与えています。
Armonia per tempio della notte(「夜の寺院のための合奏曲」、でしょうか)」という、クラリネットも加わった編成の長大な曲では、ゆったりと流れるような音楽の中で、そのクラリネットがソリスティックに大活躍してくれます。時折カデンツァのような所での終わり方が、たっぷりとした余韻を含んでとても美しいものです。
最後に収録されている6つの楽章から出来ている「カッサシオン」では、構成の見事さも見られます。次々に現れる豊かな楽想には、自ずと先の楽章への期待も高まります。と、4つ目の早い楽章でホルンが繰り出すリズムには、そんな期待を良い意味で裏切るような驚きも。
こうして聴いてみると、これらの曲から与えられる歓びというものは、今までモーツァルトの曲を聴いたときに得られるものと全く同質のものであることに気づきます。いや、下手をしたら、モーツァルトその人の作品でも、このアルバムの中のものより数段つまらないものもあるはずです。例えば、同じような編成による名曲とされる「グラン・パルティータ」の中のある曲などには(特に名を秘す)、明らかにサリエリほどのミューズは宿ってはいません。
これほどの作曲家を「凡庸」と決めつけることによって、モーツァルトの凡庸さを隠そうとしたのが、「アマデウス」の最大の罪なのです。
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by jurassic_oyaji | 2007-11-24 22:07 | 室内楽 | Comments(1)
MacMILLAN/Tenebrae
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Alan Tavener/
Cappella Nova
LINN/CKD 301(hybrid SACD)



1959年生まれ、スコットランド出身のジェームズ・マクミランは、現在最も旺盛に活躍している人気作曲家です。ちょっと酸っぱいですが(それは「ナツミカン」)。「人気」の尺度は、演奏される頻度と、出版の多寡、彼の場合、作品はすべてブージー&ホークス社から出版されていますが、そのリストを見てみると多岐にわたるジャンルでおびただしい数の作品が出版されていることが分かります。遠藤周作の「沈黙」に題材を得た「交響曲第3番」は2003年にデュトア指揮のNHK交響楽団によって初演されましたし、最近ではウェールズ国立歌劇場のために「サクリファイス」というオペラも作っているようです。
今回の新しいSACDには、輸入元による日本語の帯に「合唱のための新しい音楽」とあります。そんな風に言われると、合唱を使ってなにか特別に「新しい」ことに挑戦しているように思えては来ませんか?ヴォイス・パーカッションとラップだけで演奏しているとか。しかし、元々のタイトルは「New Choral Music by James MacMillan」ですから、これは単に「J・マクミランの新作合唱曲」ぐらいでいいのではないかと思うのですが、どうでしょう。
そんな英語のサブタイトルのように、このSACDにはマクミランのごく最近の合唱曲が集められています。しかも、それらは、ことさらジャケットに表記はありませんが、すべて世界初録音となっているものばかりなのです。おそらく、そういう意味を「New」という言葉に込めたのでしょうが、日本の代理店の「帯」作成担当者は、見事にそのことを見逃してしまいました。
ただ、正確には、「新作」とは言えないものも、この中には含まれています。それは、1977年と言いますから、作曲家がまだ18才の時に作られた「ミサ・ブレヴィス」です。しかし、この曲は今まで演奏されたことはなく、すべての楽章が完全な形で、このSACDのアーティスト、アラン・タヴナー指揮のカペラ・ノヴァによってエディンバラで演奏されるのは、なんと本日、20071122日のことなのです。このコンサートでは、もう1ステージ、全部で7曲から成る「ストラスクライドのモテット集」も、やはり世界初演されることになっています。こちらは全曲が完成したのが2007年ですから、正真正銘の「新作」ということになります。このSACDが録音されたのは2007年の4月、と言うことは、その初演コンサートに先立って、「前録り」されたものになります。おそらく、コンサートの会場ではこのSACDが山積みになって即売されていることでしょう。まるで、アルバムを作ってからツアーを行うようなロック・グループのノリですね。ちなみに、このグループ(いや、合唱団)も、今日を皮切りにスコットランドの各地で4日間の「ツアー」を行うことになっているそうです。
さらに、このアルバムには、録音の直前にやはり彼らによって初演が行われた2006年の作品「テネブレの応唱」も収められています。つまり、これはマクミランの30年前の作品と、今出来たばかりの作品を初めて録音したという、まさに画期的なものになるわけです。
その、30年前に作られたという「ミサ・ブレヴィス」は、確かに若さ故の意欲にあふれた作品です。ことさらポリフォニーを多用して、「ミサ」ぶってはいますが、「Sanctus」で見られるような無機的な音列によるテーマには、確かな挑戦が感じられます。それから時を経た現在の作品にも、そのような挑戦的な意欲は十分に感じ取ることが出来ますが、それは若者のあがきではない、高い次元での訴えかけを持っているものです。そこに多く含まれているものは、ケルト文化に由来する要素でしょうか。最後のトラック、「テネブレ」の3曲目がそんなケルトのテイストをたたえてフェイド・アウトしていくときには、この30年の軌跡の確かさを誰しもが認めることでしょう。もちろんそれは、このような曲を歌うときのこのスコットランドの合唱団の共感に満ちた演奏があってこそのものであることも、忘れるわけにはいきません。
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by jurassic_oyaji | 2007-11-22 20:29 | 合唱 | Comments(0)
VERDI/La Traviata
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Teresa Stratas(Sop/Violetta)
Plácido Domingo(Ten/Alfredo)
Cornell MacNeil(Bar/Germont)
James Levine/
Metropolitan Opera Orchestra and Chorus
Franco Zeffirelli(Dir)
DG/00440 073 4364(DVD)



この有名な映画版「椿姫」、一度DVDにはなったそうなのですが、しばらく入手できない状態となっていました。このたび、待望久しい1982年に作られたこのゴージャスな映像が、やっとお手頃な価格で買えるようになりました。
もちろん、この映画は普通に映画館で公開されたものですし、その後も何度かテレビで放送されたこともありました。だいぶ前に見た、そのテレビでの映像では、主役ヴィオレッタを演じたストラータスがとても美しく撮られていたことに、強い衝撃を受けたものです。例えば「カサブランカ」の中のイングリット・バーグマンのように、なんの意味もなく、ただ彼女の美しさだけを見せるためのカットといったものが、数多く用いられていたような印象があったのです。ゼッフィレッリは、ストラータスの美しさを知らしめるためだけに、この映画を作ったのではないか、と。
しばらくぶりに再会したこの映画を、思い出しながら見ていくと、最初になかなか凝った設定が与えられていることに気づきます。前奏曲の間に描かれるのは、大きなお屋敷の中で、家具や調度品を梱包して運び出そうとしている場面です。その作業に当たっている好奇心旺盛な少年が、別の部屋の様子を見に行ってみると、その部屋の壁にストラータスが演じたヴィオレッタの肖像画がかけられているというところで、ここがヴィオレッタのお屋敷であることが分かるという仕掛けです。その肖像画の中のストラータスの、なんと美しいことでしょう。これこそが、かつて見た時の印象の源だったのでしょう。続いてネグリジェ姿でソファーに寝ぐりじぇるストラータスが登場すると、そこでこの部屋は第3幕でヴィオレッタが病に伏せっている場所であることが分かります。普通の演出での薄汚い小部屋とのなんという違い、しかし、屋敷中の他の部屋は、財産の差し押さえでしょうか、見るも無惨な姿になっているのに、この部屋だけが豪華なまま、そして、作業員の薄汚い少年でさえ入ってこられる状態になっているというところに、より一層の惨めさを感じてはしまわないでしょうか。
ところが、そこで初めて登場するストラータスは、なんだかそんなに美しくはありません。それに、やけにくたびれて見えます。もちろん、これは瀕死の状態を演じているのですから当然なのでしょうが、それにしても若さというものが全く感じられないのはどうしたことでしょう。もっとも、よく考えてみれば撮影の時点では彼女はすでに44才になっていたのですから、それはある意味当然のことなのかもしれませんが、昔見たときには、まるで20代のような初々しさがあったような・・・。ちょっとショックです。
気を取り直して映画に戻りましょう。前奏曲が終わると、今まで薄汚れた所だったものが一瞬にして絢爛豪華なサロンに変わるという、まるで「オペラ座の怪人」のような、映画ならではの場面転換となります。そこからは、ゼッフィレッリの本領発揮、贅沢この上ないセットの中で、リアリティあふれるパーティーが繰り広げられます。
第2幕になると、今度は広大な敷地の中にある別荘地のロケとなります。庭の中にある大きな池でボートを漕いだりと、信じられないほどの広さの私有地なのでしょうね。先ほどのお屋敷といい、これほどの財産を若くして手に入れられるなんて、「高級娼婦」というのはいったいどれほどの援助を「顧客」から得ているものなのでしょう。逆に、それだけの財産が得られる「職業」を捨ててまでアルフレードと暮らし始めたというところに、この愛の強さを見るべきなのでしょうか。
ストラータスには、さらに失望させられます。第2幕の幕切れ、アルフレードに札束を叩きつけられてよろよろと立ち去る姿は、まるで老婆のような足取りではありませんか。これは、遠景だと油断した監督の痛恨のミスショットです。
その分、まだまだ若々しいドミンゴの姿と、そして声には存分に満足させられました。ジェルモンのマクニールも、なかなか渋い田舎ものの味を出していましたし。
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by jurassic_oyaji | 2007-11-20 23:01 | オペラ | Comments(0)
ローマの謝肉祭
 夕べ、時間があったのでたまったビデオを見てしまおうと選んだのが、つい最近放送されたパリ管です。曲目が「火の鳥」とかラヴェルとか面白そうでしたし。ところが、演奏よりもなによりも、まずその団員の服装にびっくりしてしまいました。遠目には燕尾ではなかったので、マチネーでタキシードかな、と思ったら、ボウタイみたいのをしてます。しかし、襟のあたりはなんだか詰め襟みたいになっています。
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 どうやら、これはパリ管の制服のようですね。サイトなどで最近の写真を見てみてもきちんと燕尾を着ていますから、これは最近着るようになったものなのでしょうか。うん、さすがはフランスのオーケストラです。とは言っても、実はこのオーケストラ、創設(というか、改組)されたときにすでに「制服」を作っていたのですよね。アンドレ・マルローの肝いりで、「パリ音楽院管弦楽団」を母体にして新しいオーケストラが出来たときに、ピエール・カルダンがそれまでのオケとはひと味違う味を出そうとデザインしたものでした。しかし、実際にはこの制服はそれまでの燕尾と大して変わったところはなく、ネクタイやカマーバンドにちょっと凝ってみた、ぐらいの違いしかなかったような気がしますがね。
 いつの間にか、このカルダン・スーツは着ないようになっていたのでしょうか。最近ではごく普通の白いネクタイの燕尾という、どこのオケでも採用している「制服」に変わっていたようです。確かに、オーケストラの団員というのは(もちろん男性だけですが)どこでも同じ服装をしていますが、これにはエキストラで行き来するのに都合が良いという事情もあるようですね。ウィーン・フィルの団員がベルリン・フィルにトラで乗る(そういうことは良くあります)時に、同じ制服でしたら自分の服をそのまま使えますから。
 パリ管がこんな、かなりユニークなデザインの制服を決めたのには、どんな事情があったのかは分かりませんが、まずはかなりの英断であったことは間違いないでしょう。とりあえず、似合う人はいいかもしれませんが、こういうものを着ると必ずしも風貌と一致しない人が出てくるのは覚悟しなければいけません。
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 打楽器の人などは、なんだか牧師さんのように見えません?桜井センリが「寅さん」にこんな格好で牧師さんの役で出てきたことがありましたよね。ホルンの向かって左の人などは、完璧に顔が衣装に負けていますし。
 この映像には、もう一つおまけがありました。「マ・メール・ロワ」で楽譜通りキーボード・グロッケンシュピールを使っていたのです。これをテレビで見たのは初めてのことでした。
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 演奏は、最後の「ボレロ」で、指揮のエッシェンバッハが直立不動で指揮をしていたのが、印象的でした。人をアゴで使っていた、という感じでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2007-11-19 21:14 | 禁断 | Comments(0)
JAZZDAGA?,JAZZDAJA!
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伊藤君子(Vo)
大石学(Arr,Pf)
坂井紅介(Bass)
海老沢一博(Drums)
PM Music/VACP-0001



タイトルは、「ジャズだがぁ? ジャズだじゃ!」と読みます。隠れタイトルが「津軽弁ジャズ」、そう、これはジャズ・シンガーの伊藤君子さんが、スタンダードナンバーの歌詞を津軽弁に直して歌っているというものなのです。あの津軽弁タレント伊那かっぺいさんのリクエストで実現した企画だとか、かっぺいさんも最後の曲で参加しています。6曲しか入っていないミニアルバムですが、それだけでもう十分、お腹いっぱいにごちそうを食べた気分になれました。
最初に入っているのが、名曲中の名曲、「サウンド・オブ・ミュージック」の中の「My Favorite Things」です。例えば「Raindrops on roses」という最初の歌詞は、津軽弁だと「バラに もたずがる 雨コの雫」となるというわけです。その調子で、後半の歌詞の「Snowflakes that stay on my nose and eyelashes/Silver white winters that melt into springs」が「まつげサど鼻っこに ねぱる雪(ゆぎ)コ 春に融けでく 銀色の冬コ」と歌われた瞬間、オーストリアの豪邸の子ども部屋の風景は、北国の寒村に変わりました。そこから見えててきたものは、赤いほっぺたの女の子が、やがて来る春に思いを寄せて、降り積もる雪を眺めている、そんな情景だったでしょうか。そんな素朴な思いに駆られたのも、その時の伊藤さんの歌い方が、まるであの矢野顕子のようなほんのりとしたものだったせいなのかもしれません。そういえば、矢野顕子の故郷も青森だったはず。
そんな思いが、大石学のスマートなピアノソロで断ち切られ、そこは歯切れの良いジャズトリオの世界となります。この切り替えの落差もとてもたまらない魅力です。そして、最後にもとの英語の歌詞で歌わる頃には、伊藤さんの歌い方も都会的なものに変わり、オリジナルのロジャース/ハマースタインのブロードウェイ・ミュージカルの世界が戻ってくるという仕掛けです。こんなめくるめく多層世界が、まずこのアルバムの中にはありました。
それが、ガーシュインの「Summertime」になると、さらに衝撃的な体験が待っていました。津軽弁で歌われることによって、元の歌詞に込められた意味が、思いがけないほどリアルに迫って来るという、ちょっとびっくりするようなことが起こったのです。
オペラ「ポーギーとベス」の幕開けに歌われるこの子守歌、美しいブルースのメロディに乗って、「仕事は楽だし、作物も実る。父親は金持ちで、母親は美人だ」という、なんとも屈託のない歌詞が歌われます。まるでおとぎ話の中のような世界、つらい黒人社会の中にあって、せめて赤ん坊だけには素敵な夢を見てもらいたい、という楽天的な歌だと、ずっと思っていました。
しかし、これが津軽弁によって「とっちゃは稼(かえ)ぐす かっちゃは綺麗(きれ)だだ したはで 寝ろじゃ もううずげな」と、伊藤さんによってまるでつぶやくように歌われたとたん、そこからはもっと痛切な、まるで「叫び」のようなものが聞こえてきたのです。これは、黒人たちの精一杯のやせ我慢の叫びではありませんか。そこにあったものは、そんな幸せは未来永劫手に入るわけはないと分かっていても、赤ん坊に語りかけるという形を借りてせめてもの見栄を張ってみえたいという、悲しいまでの思いの丈だったのです。
オリジナルのオペラでのこの曲でのオーケストラ伴奏が、半音進行の不気味なものであることの意味も、これで分かったような気がします。すでにガーシュインは、この歌にそこまでの意味を込めていたのですね。子守歌に名を借りつつ、これはとてつもないメッセージが込められたナンバーだったのです。その事に気づいた瞬間、あふれ出す涙をこらえることが出来なくなってしまいました。ジャズを聴いて涙が出たなんて初めてのこと、それだけの確かな訴えかけが、このアルバムにはありました。
なんでも、伊藤さんご自身は四国のお生まれだとか、これだけの津軽弁をマスターされているのは、まさに奇跡です。
ちなみに、このアルバムは通常のレコード店では入手できません。詳細はこちら
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by jurassic_oyaji | 2007-11-18 20:51 | ポップス | Comments(4)