おやぢの部屋2
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Salomix-Max
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Salome Kammer(Voice)
Rudi Spring(Pf, Arr)
WERGO/WER 6709 2



サブタイトルが「Voice without limits」ですから、「限界のない声」でしょうか、確かにこのアルバムのリーダー、ザロメ・カンマーの「声」にはジャンルもカテゴリーも超えた多様なキャラクターが宿っていました。特に、現代作品での「声」の持つ可能性を極限まで追求したテクニックには驚きを隠せません。
このような「声」を売り物に現代音楽の分野で活躍した人には、キャシー・バーベリアンというまさに「ワン・アンド・オンリー」の才能の持ち主がいました。腕の力もありました(それは「バーベルマン」)。ザロメのアルバムは、この故バーベリアンに捧げられています。同じWERGOレーベルに、彼女が録音した「MagnifiCathy」というアルバムがありますが、それが、このザロメのアルバムのブックレットにも紹介されていることからも、両者の間の緊密な関係はうかがえます。
そのアルバム同士の曲を比べてみると、その中でこの二人は1曲だけ全く同じ曲を歌っていました。それは、クルト・ワイルのミュージカル「ハッピー・エンド」の中の「スラバヤ・ジョニー」というナンバーです。サビの部分がワイルの作品としては最も有名な「マック・ザ・ナイフ」と酷似したメロディを持っているこの曲を、バーベリアンはまるでロッテ・レーニャへのオマージュであるかのように細かいビブラートを付けて歌っていましたが、ザロメはもっと前を向いた歌い方を目指しているかのように見えます。バーベリアンにとってのワイルが「過去のもの」であったのに対し、ザロメのそれはあくまで「現在」としてのレパートリー、それは彼女が現にミュージカル女優であることと無関係ではないはずです(「マイ・フェア・レディ」のイライザ役を、もう150回以上も演じているのだとか)。バースの付いた「虹の彼方に」がとても魅力的なのは、当然のことです。
同じように、バーベリアンの「持ち歌」であったベリオの「セクエンツァ」も、ザロメが「演奏」すると、全く異なる趣が現れてきます。まさに1960年代の匂いのプンプンする、人間の声から全く意味を剥奪して「素材」に還元したという作品からは、しかし、人間が声を出すという行為にはどんな場合でも「意味」、あるいは「意志」がともなうのだ、という事実を再確認させられることでしょう。そんな意味で、これはとても「セクシー」な「セクエンツァ」です。
まるで現代の(そう、ベリオはもはや「現代」ではありません)「セクエンツァ」とも言うべき作品も、2人の作曲家のもので聴くことが出来ます。彼女が演奏すると「セクシー」どころか、まるで「セックス」そのもののようになってしまう、カローラ・バウクホルトの「エミール」というちょっとアブない曲はさておいて、ヘルムート・エーリンクの「2wei」という作品は、サンプリングの手法を取り入れて1人で2人の声を出すという今風の仕上がりを見せていて、楽しめます。
アルバン・ベルクの「4つの歌曲」では一転して、まるで「クラシック」のソプラノのような見事なベル・カントも披露してくれています。そんな直球勝負のひたむきさが、この曲には不思議にマッチ、確かな充実感が味わえます。もしかしたら、このあたりが彼女の素顔なのでしょうか。そういえば、ブックレットの中の写真ではなかなか可愛いルックスのようなのに、このジャケットはあまりにもかわいそう、演奏同様、彼女の素顔をぜひきちんと見てみたいものです。
ワイルなどのカバー曲では、バックにクラリネット、フルート、そしてアコーディオンなどが入って、かなりぶっ飛んだアレンジ(ピアニストで、作品も提供しているシュプリングの編曲)を楽しませてくれます。アルバムの冒頭では、コール・ポーターの曲でバス・クラリネットがいきなりキー・チョッパーで驚かせてくれましたが、リムスキー・コルサコフの「熊ん蜂」では、ソリストを差し置いて、アルト・フルートが大活躍でした。
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by jurassic_oyaji | 2008-09-29 20:07 | 歌曲 | Comments(0)
KILAR/Magnificat
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Izabella Klosinska(Sop)
Tomasz Krzysica(Ten), Piotr Nowacki(Bas)
Miroslaw Jacek Blaszczyk/
The Silesian Philharmonic Symphony Orchestra & Choir
DUX/DUX 0592



ワイダやポランスキなどの映画には欠かせない音楽を作ったことでつとに有名なポーランドの作曲家、ヴォイチェフ・キラールが2006年に作った最新の「純音楽」作品の世界初録音です。古くから多くの作曲家によって作られてきた「マニフィカート」のテキストを用いて、3人のソリストと合唱、そしてオーケストラという編成、全部で7つの楽章に分かれた50分ほどの作品です。
現代の作曲家の場合、このような大規模な作品はどこかからの委嘱があって初めて作られるものなのでしょうが、この曲の場合はそのような外部からの要因ではなく、純粋に「自分の心のままに」作られたということです(ちょっと異色)。その事だけで、なにか尊敬出来るような気にはなりませんか。
キラールの作曲技法の原点は、かなりシンプルなもののように思えます。私見ですが、おそらくそれは映画音楽に長く携わっていたことと無関係ではないでしょう。最初の音が出た瞬間にその場の状況を的確に表現するという、まさに少ない音に込めた熱い思いのようなものが、この曲にも満ちあふれています。
オーケストラの音色は、シーンによってはっきり異なった設定になっています。全ての楽器が一斉に演奏することは殆どなく、ある時は金管楽器によるコラール、ある時は弦楽器によるメディテーションといったように、そこに広がるのは渋いモノトーンの世界です。だからこそ、5曲目の「Fecit potentiam」でほんの一瞬木管が加わるだけのクライマックスが、とびっきりの華やかさを見せるのでしょう。
しかし、この作品での主役は、あくまで合唱とソリストです。1曲目の「Magnificat」で、その合唱の存在感はまざまざと見せつけられることになります。金管のファンファーレと、弦楽器のアジテーションに続いて現れるのは、まるでプレーン・チャントのような短いフレーズの繰り返し、ただそれだけのものから、なんという力強いメッセージが伝わってくることでしょう。ここで演奏している合唱団は、決して洗練された音色や響きを持っているわけではないのですが、その集中力の高さは相当なもの、音程も確かですから、ユニゾンからハーモニーに移ったときには、ハッとするほどの魅力を発することになります。
2曲目「Magnificat anima mea Dominum」の主役はソプラノのソロです。ここで歌っているクウォシンスカという人は、暗めの音色の太い声、最初の音をずり上げるという変なクセがありますが、声自体は力にあふれています。そんな彼女が、ハープと弦楽器による、まるでマーラーの交響曲の緩徐楽章のような陶酔感あふれるオーケストラの単純なパターンに煽られながら徐々に盛り上がりを重ねていくのは、確かな興奮を誘われる光景です。
4拍子単位の、シンプルなリズムで重々しく押し通される中にあって、最後から2番目の「Esurientes implevit bonis」では3拍子の軽やかなリズムが現れます。しかも、最後の部分では5拍子という変拍子まで登場、見事なアクセントとなってひとときの爽やかさを見せてくれます。続く最後の曲は最も長い楽章で、さまざまな場面が現れます。金管のコラールが見せるポリフォニーがひとしきり鳴り響いた後に訪れるのは、この作品の中で唯一不協和音に支配されたオーケストラのカオスです。今までの心地よい和声の中にあっては、これはまさにショッキング、しかし、最後は期待通りの美しい和音で終わります。
大編成の曲なのに、それぞれのパートをバランス良くミックスした録音は、とても素晴らしいものです。ホールの中に響き渡る力強いハーモニー、それは、なんの作為もなく心の中にしみこみ、勇気のようなものを与えてくれました。ふと、信じていた人に裏切られた時などには支えになってくれるのでは、などという思いが唐突によぎったのは、なぜでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2008-09-27 22:25 | 合唱 | Comments(0)
RUTTER/Distant Land
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Peter Rostal, Paul Schaefer(Pf)
John Rutter/
The Royal Philharmonic Orchestra
DECCA/B0001821-02



前回のコンピの中にあった「ビートルズ・コンチェルト」を、編曲者のラッター自身がカバーした演奏が入っているCDです。5年ぐらい前にリリースされたものですが、こんな「珍品」らったあら(だったら)取り上げてもかまわないでしょう。
合唱曲の作曲者、指揮者として知られているジョン・ラッター、オーケストラの入った曲でも、メインはやはり合唱でした。しかし、このアルバムは、合唱はおろか声楽のソロさえ一切登場しないというユニークなもの、おそらく彼のアルバムとしては唯一のインストものではないでしょうか。
しかし、やはり彼の本領は合唱の分野ですから、ここに収録されている5つの曲のうちの3曲までが、もともとは合唱曲に由来するものだ、というのは、ある意味当然のことでしょう。つまり、合唱作品をオーケストラ用に編曲したものを数曲集めて組曲のような形に仕上げた、というものです。彼の合唱音楽に親しんでいる人であれば、それらは良く聞き慣れたものですから、たとえ歌詞がなくとも楽しめるもの、もちろん、彼のキャッチーなメロディと、ハーモニーのセンスは、初めて聴いたとしても、それだけで十分な魅力を伝えてくれることでしょう。それに加えて、彼のオーケストレーションの巧みなこと。なにも特別なことはやっていないのに、それはメロディの美しさを最大限に引き出しています。少し甘めの録音も手伝って、極上のヒーリング・ミュージックが出来上がりました。
後半の2曲は、最初からインスト曲として作られたものです。「古代組曲Suite Antique」という曲は、バッハの「ブランデンブルク協奏曲第5番」と一緒に演奏するために、という委嘱を受けて作られました。つまり、バッハの曲と同じ編成で、というリクエストだったのでしょう。なぜか、バッハにはあったヴァイオリン・ソロが削られて、フルートとチェンバロのソロに弦楽合奏という編成になっています。というより、これは殆どフルート・ソロのための作品のように聞こえます。ライナーの作曲家の言葉によれば、バッハ時代の音楽と、現代のジャズっぽい音楽の両面を併せ持つものだということです。確かに、6つの曲から成るこの組曲には、3曲目の「アリア」のように、いかにもバロックのパロディ(というか、アルビノーニの「アダージョ」そのもの)から、変拍子を駆使した最後の「ロンド」まで、多様な音楽形態の模倣が満載です。2曲目の「オスティナート」は、ラテン・リズムの「ウアパンゴ」、つまり、バーンスタインの「アメリカ」で使われているヘミオレの交錯するダンサブルなナンバーですし、4曲目の「ワルツ」は、まさにジャズ・ワルツそのものです。フルートを吹いているのはロイヤル・フィルの首席奏者アンドルー・ニコルソン、その「ワルツ」でふんだんに盛り込まれているアドリブ・ソロ(記譜してあるのでしょうが)では、まるで水を得た魚のような軽やかなプレイを披露してくれています。
そして、最後が「ビートルズ・コンチェルト」です。やはりライナーでは、作曲(編曲)者がこの曲の成り立ちを述べてくれていますが、オファーがあったときには「最も彼らしくない」仕事のように思われたということです。しかも、第1楽章に使われているうちの3曲は、もともとピアノ・デュオのロスタルとシェーファーが作っていた編曲をそのまま使っていたのだそうです。「今だから言える」ということなのでしょう。しかし、この曲の場合、オーケストラを統率するという面でのラッターのスキルには、ちょっと問題があることも露呈されてしまっています。それまでのヒーリングっぽい音作りもそのままのため、EMIのロイヤル・リヴァプール・フィルの演奏に比べるといかにもユルめ、最初にあちらを聴いておいて本当に良かったことが痛感されます。
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by jurassic_oyaji | 2008-09-25 23:18 | オーケストラ | Comments(0)
川内萩ホール2
 この間「萩ホール」に行った時にもらってきたチラシを貼り付けてみます。
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 なかなか素晴らしいデザインのチラシなのですが、上の方にはめ込んである文字がちょっと気になっていました。上から「バーガンディ」、「チェリー」、「シュー・ボックス」と書いてあるような気がしませんか?おそらく、これはこのホールのキャラクターをストレートにあらわした単語を並べたものなのでしょう。 
 「シュー・ボックス」はすぐ分かります。これはもちろん、このホールの形をあらわす言葉でしょう。ホールの形には色々あります。この萩ホールは、かつては多目的ホールでしたから、それは「プロセニアム」という呼ばれ方をする形をしていました。これはオペラハウスなどによく見られるように、ステージと客席との間に仕切があって、その一部が窓のように開いているホールのことです。ステージの上は舞台装置などをつり下げるために吹き抜けになっていますから、オーケストラなどが演奏する時には、ここを反響板でふさいで音が逃げないようにする必要があります。今回音楽ホールとして改修する時に採用したのが、「シュー・ボックス」タイプのホールです。その名の通り靴を入れる箱のように直方体、つまり、どの面も長方形になっている箱のような形をしているホールです。それは、「客席」ではなく「ホール全体」がそのような形になるということで、ステージも当然その直方体の中に入り、客席とステージを隔てていたプロセニアムが存在しなくなります。それによって、音は自然にホール全体へ広がり、美しい響きが生まれる、とされています。東京オペラシティのコンサートホールが、その見本。同じようにステージがむき出しになったものでも、サントリーホールやミューザ川崎のようにステージのまわりを階段状に客席が囲んでいるものは、「ワインヤード」と呼ばれていますね。
 「シュー・ボックス」のコンサートホールは別に珍しいものではなく、仙台市内でも青年文化センターのコンサートホールや、「けやきホール」はこのタイプ、毎年「第9」を演奏している「えずこホール」もそうですね。
 チラシの他の2つの単語は、このホールの内部の色をあらわしているのでしょう。「バーガンディ」というのは、実は初めて聞いた言葉なのですが、調べてみるとブルゴーニュワインの色だとか、←こんな色だそうですから、まさにホールの壁面の色ですね。「味噌樽」ではなく「ワイン樽」でした。そうなると、「チェリー」というのは、多分ステージの色なのでしょう。
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 このように、このステージはかなり派手な色遣いになっています。明るい「チェリー」と、渋い「バーガンディ」の対比が、このホールの特色だということなのでしょうか。
 ところで、この「バーガンディ」のスペルは、いくら調べても「burgundy」以外にはありませんでした。このチラシにある「burgandy」という単語自体が、英和辞典には載っていないのですよ。うすうす気にはなっていたのですが、どうやらこれはミスプリントのようですね。こんなチラシやポスターが出回ってしまったら、ちょっと恥ずかしいのでは。

萩ホール | 萩ホール3 | 萩ホール4 | 萩ホール5 | 萩ホール6 | 萩ホール7


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by jurassic_oyaji | 2008-09-24 22:02 | 禁断 | Comments(1)
Classical Beatles
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Various Artists
EMI/2 16784 2



最近出た「ザ・ビートルズ」の「最新」アルバムLoveと非常に良く似たジャケットですね。2枚組のこのコンピレーション、タイトルの通りクラシックのアーティストがカバーしているビートルズ・ナンバーを集めたものです。そんなものは別に何も珍しいわけではないのですが、この中に収録されている「The Beatles Concerto」というタイトルにちょっと興味を惹かれてしまいまして。確かこれは、1979年にリリースされたアルバムのタイトル、なんと懐かしい。
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ご覧のように、その頃のプログレ系ロック、ピンク・フロイドなどのアルバムのジャケット思わせるような、超クールなジャケットですね。ジョージ・マーティンがプロデュース、彼のスタジオで録音された、ピアノ協奏曲仕立てのビートルズのカバーは、なかなか新鮮な印象を与えられた思い出があります。その時には、編曲をしたのもマーティンだったような気がしていたのですが、今回のコンピのクレジットを見てみたら、編曲者はなんとジョン・ラッター、これはちょっとした驚きでした。
ピーター・ロスタルとポール・シェーファーというピアノ・デュオがソロ、ビートルズゆかりの地のオーケストラ、ロイヤル・リヴァプール・フィルを、ロン・グッロマンが指揮をしている、というものですが、ラッターのプランはビートルズの曲をもろラフマニノフ風に仕上げる、というものでした。それは、例えば故宮川泰や、故山本直純を思わせるような職人的な「アレンジャー」の仕事です。ラッターにそのような一面があることはうすうす感じてはいましたが、まさかここまでどっぷりなりきっていたとは。知られざるラッターの一面、こんなものは本人にとっては「なかったことにしたい」ものなのでは、と思ったら、なんとラッター自身も2003年に、同じソリストたちを起用して、自分自身で指揮をしたものをDECCAからりリースしていました。彼自身もこの曲にはしっかり愛着があったのですね。なんかほほえましいような気がしませんか。念のため、「ラッター」というのは、巷では「ラター」というネバネバした乳製品のような表記(それは「バター」)で通っている作曲家です。
これは2枚目の最後のナンバーでしたが、1枚目の最後には、もっと驚くようなものが入っていましたよ。それは、1966年に録音された、アーサー・ウィルキンソンという人が作った(彼自身が指揮)「Beatle Cracker Suite」という曲です。このタイトルの意味は、聴き始めるとすぐに分かります。これはチャイコフスキーの「くるみ割り人形組曲Nutscracker Suite」を下敷きにしたビートルズ・ナンバーのカバーだったのです。いやその巧妙なことといったら。「花のワルツ」、「金平糖の踊り」、「葦笛の踊り」、「小さな序曲」、「アラビアの踊り」、「中国の踊り」と言った組曲の中のナンバーと、最後はパ・ド・ドゥの「金平糖の精の踊り」というラインナップなのですが、ほとんどオリジナルそっくり、その中にいつの間にかビートルズが混じってるというとんでもないものです。「金平糖の踊り」のあのチェレスタがしっかり「Can't Buy Me Love」に聞こえるのですから、これはもう涙ものです。そして、これが作られた年を考えてみて下さい。ここで使われている「Help」や「Ticket to Ride」などは、初めて世に出てから1年も経っていないんですよ。そんな時点でもうこんなパロディが成立していたなんて、いかにビートルズの曲が短期間で浸透、ほとんど愛唱歌と化していたか、ということになりますね。
もっとも、「アラビアの踊り」でパロられている「It's For You」という曲は、今では全く知られていません。ビートルズの曲といえども、40年も経てば忘れ去られてしまうものもあるのだ、ということも、こんな貴重な録音で分かろうというものです。そういえば、編曲者のウィルキンソンは1968年に亡くなってしまいましたから、そんなことを確かめることも出来なかったことでしょう。
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by jurassic_oyaji | 2008-09-23 19:52 | ポップス | Comments(0)
SAINT-SAËNS/Symphony No.3
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Charles Munch/
Boston Symphony Orchestra
ビクタークリエティブメディア/JMCXR-0002S


1999年に日本ビクター(当時)が開発した新しいCD、とことんマスタリングに手間をかけたという「XRCD」のフラッグシップとしてリリースされた1959年録音のミュンシュのサン・サーンスは、品番も「0002」と、まさにこのシリーズの劈頭を飾るものでした。その音の良さが、アメリカで作られたSACDと比較しても再確認されたことは、こちらで述べてあります。そこからは、まさにフォーマットのスペックを超えた、真にマスターテープに迫るほどの生々しい音が聞こえてきていたのです。
その同じマスターを使用して、本体の材質を「超高品質素材」に替えただけというものが、このほど発売されました。品番もほぼ同じ、最後に付いている「S」というのが、その「SHM-CD」をあらわしているのでしょう。ジャケットの作り方やライナーノーツも、ほとんど同じものです。表ジャケットの「XRCD」のロゴの横に「SHM-CD」のロゴが並んでいる、というのが唯一の違いでしょうか。
もっとも、裏面やレーベルのクレジットでは、制作、発売の会社名が若干変わっていたり、同じように、原盤所有者の名前が「BMG Entertainment」から「Sony BMG Music Entertainment」と変わっているのが、時代の流れをあらわすものでしょう。ただ、その社名もいずれは「Sony Music Entertainment」とさらに別なものに変わってしまうはずでしょうが。
それはともかく、この新旧のXRCDを聴き比べて、そこにははっきりとした違いがあることはすぐ分かりました。実は、旧品の音の良さには驚きつつも、その中にはやや「力あまった」感がなくはない、という気がずっとしていました。それが、例えばSUPRAPHONレーベルのものなどには顔を出していて、ちょっと粗野に聞こえてしまうことが少し残念だったのです。しかし、この新品では、そのようなものが完璧にぬぐい去られているのです。あまりに力がありすぎて、ちょっとはみ出してしまった部分を、ていねいに磨き上げて滑らかにした、そんな感じでしょうか。ほんの2点だけ、その違いがはっきり分かる部分を指摘してみましょう。まず、トラック2、第1楽章の後半にあたるゆっくりとした部分の4分7秒あたりから始まるファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンの掛け合いの部分です。旧品では、この部分はいかにもモヤモヤした感じで、失望してしまったものですが、新品では見違えるように輪郭のはっきりしたものになっています。もう1箇所は、トラック4、盛大にフル・オルガンで始まる部分です。始まってから1分13秒ぐらいのところ、4手ピアノの細かい音型に乗って、ヴァイオリンが美しく歌った後、オルガンと弦楽器のトゥッティに続いて金管楽器が吹き鳴らすファンファーレの後半に入るピッコロの音の存在感が、新旧ではまるで違っています。新品では、まさにピッコロ奏者の姿が見えるほどのリアリティあふれるものになっています。
先日、「SHM-CD」のことを扱ったエントリーをアップしたところ、その翌日に発売された「レコード芸術」の10月号では、この新素材を使用したCDのことを大々的に取り上げていましたね。やはり、これはかなりメジャーな動きとなっていることが分かりますね。もちろん、この雑誌のことですから業界サイドの提灯持ちの記事であることは間違いないものの、そんなおべんちゃらを差し引いて(そしたら、なにも残らないだろう、という「本音」はひとまず置いといて)読んでみても、このCDは明らかに今までのものとはひと味違う、ということは誰しもが認めていることがうかがえます。しかし、実際にここまで音が違うことが確認されてしまっては、もはや従来の「欠陥商品」を出し続けることは、メーカーとしての良心が問われることにはならないでしょうか。この雑誌こそが、そういう主張を行わなければなりません(「リコール芸術」)。
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by jurassic_oyaji | 2008-09-21 20:35 | オーケストラ | Comments(0)
SHM-CD Compilation
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Various Artists
ユニバーサル・ミュージック/UCCG-9869/70



CD(コンパクト・ディスク)が誕生してからはや四半世紀、音質的には必ずしも従来のLPレコードを凌ぐものではありませんが、文字通りの「コンパクト」さと、手軽な操作性とで、音楽ソフトの主流となるのには、そんなに時間はかかりませんでした。そんな決して短くはないCDの歴史の中で、なんとか新たな可能性を探ろうという新タイプのCDも登場してきましたね。CCCDXRCDSACDSHM-CDHQCDABCD。まっ、最後のはウソですし、その一つ前も今月になって登場したばかりですが、それぞれが一体どんな特徴を持つCDなのかを的確に述べられる人などいるでしょうか。とりあえず「CCCD」だけは、「もうなかったことにしたい」ものであることは確かなのですが。
そんな、「新しいタイプのCD」の中で、今年の初め頃から話題になっていたのが「SHM-CD」です。これは、「超高品質素材CD」という意味の「Super High Material CD」の略号なのだそざい
CD本体を作る作業というのは、ポリバケツを作るのと同じ「射出成形」という方法によっています。そこで肝心なのは、金型である「スタンパー」の凹凸が、忠実に再現されることです。なにしろ、そこに刻まれた「ピット」こそが、デジタル信号を伝える要なのですからね。そこで、素材の樹脂であるポリカーボネートの成形上の特性が問題になります。タイ焼きのタネみたいに、溶けた樹脂が、きちんと金型の隅々まで行き渡るという「流動性」が必要になってくるのですね。「SHM-CD」に使われる素材は、その点が従来のものよりも改良されているということです。さらに、樹脂自体の透明性もアップされています。CDのデータを読み取るレーザーは、ピットに反射する前と後で本体のポリカーボネートの中を通りますので、その透明性が良いに越したことはありません。
ということで、素材を変えたことでどれだけの音質向上がはかられたか、というデモンストレーションのために作られたのが、このコンピです。全く同じスタンパーを使って、中に流し込む樹脂だけを変えた、という2枚のCDが入っていますので、それを聞き比べることによって、純粋に素材の違いだけでどれだけ音が違うのかが分かるということになりますね。
その試聴サンプルは、ユニバーサル系のレーベルのものが、新旧取り混ぜて集められています。古くは1958年のリヒターの「マタイ」から、最新のものでは2002年の小澤の「ニューイヤー」まで、もちろんアナログ録音もデジタル録音も両方含まれます。確かに、両者の間には歴然とした違いを聴き取ることが出来ました。特に弦楽器の細かいニュアンスの違いは驚くほどのもの、クライバーの「ベト7」で、それははっきり確認出来ます。ショルティの「ワルキューレの騎行」では、金管楽器の音場感がまるで違います。アルゲリッチのリストのコンチェルトも、ピアノの輪郭が別物のようにはっきり感じられます。素材を変えたことによる音質向上は紛れもない事実でした。
しかし、これだけの違いがあるということは、逆に考えれば今までのものにそれだけの欠陥があったのだということにはならないでしょうか。成形の前の段階、マスタリングに於いては、その技術の進歩は著しいものがあります。というか、今ではその最新の技術を用いることがごく当たり前のことになっています。今回の素材の改善も、こんな大騒ぎをして特別なものとして扱われるのではなく、それが標準の品質となるのが当然のことなのではないでしょうか。
いえ、もっと言えば、本当に良い音質の製品を提供したいという気持ちがあるのなら、このメーカーが最近ではスッパリと縁を切ったかのように見えるSACDを出すことの方が、本筋なのではないかと思ってしまうのですが、どうでしょう。「業界」の思惑がどこにあるのかは知るよしもありませんが、それが、「一般人」である消費者の切なる望みだと思うのですが。事故米騒動ではありませんが、「業界」の目が「消費者」に向けられることは決してありません。
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by jurassic_oyaji | 2008-09-19 20:16 | オーケストラ | Comments(1)
P.D.Q.BACH/The Jekyll & Hyde Tour
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Prof. Peter Schikekle
Michèle Eaton(Sop)
David Düsing(Ten)
Amadillo Quartet
TELARC/CD-80666



なんとも迂闊な話ですが、このレーベルでのピーター・シックリーによる「P・D・Qバッハ」プロジェクトというものは、1995年の「The Short-Tempered Clavier」というアルバムで終了してしまっていたのだと思いこんでいました。ですから、そのスピン・オフである「ピーター(いや、スニーキー・ピート)と狼」(1993がリイシューになったとき、勇んで紹介したのでした。
ところが、なんと今年に入ってから「新作」が発表されていたではありませんか。CDの新譜については入念なチェックを怠らないつもりでいたのに、こんな重大なものを見落としてしまっていたなんて。慌てて注文、発売からはちょっと日が経ってしまいましたが、12年ぶりのニューアルバムを紹介できる運びとなりました。
「ジキルとハイド」というタイトル、そして、2人の人物が写った意味ありげなジャケ写からは、その2人の人物、ヒラヒラのドレスに鬘をかぶったP・D・Qバッハ氏と、コーデュロイのジャケットを着たピーター・シックリー氏とが実は同じ人物であることが暗示されているようです。にもかかわらず、シックリーのライナーノーツでは、この2人を「PS」と「PDQ」という数式に置き換えて、「PSPDQ」という仮定を立てると、いつの間にか「PSPDQ」になってしまうという「証明」が大まじめに論じられているのです。そんな、ばかばかしい議論を真剣にやっているという、いつもながらのシックリーの態度には、いつに変わらないオバカさが満載のようです。
このアルバムは、ホールで行われた「コンサート」のライブ録音です。そもそも40年以上前に始まったこのプロジェクトの最初のものがやはりライブ録音でしたから、まさに原点回帰ということになるのでしょうか。ですから、ここではお客さんを前にしてのシックリーの「前説」をきちんと味わうという、至福の時を味わうことになります。いや、正確にはそれに対するそのお客さんのリアクションの面白さを味わう、でしょうか。次から次へと繰り出すしょうもない駄洒落(そっ、おやぢギャグ)の嵐に、見事にハマっているお客さんの笑い声を聴くだけで、幸せな気持ちにはなれないでしょうか。その名も「Four Next-To-Last Songs」という、シュトラウスの「Four Last Songs」をもじったタイトルの曲は、実はシューベルトのパロディ。そこでの前説で、「シューベルトはゲーテの詩に曲を付けましたが、ワーグナーはゲーテが嫌いでした。そこで彼は『ゲーテの黄昏』というオペラを書いたのです」って言われても何のことだか分からないでしょうが、「Goethe」と「Götterdämmerung」をくっつけたという、くっだらない「おやぢ」なのですよ。
ところが、シックリー自身のピアノ伴奏で、その曲が始まると、それを歌っているテノール歌手には、思わずのけぞってしまいます。冗談ではなく、とんでもない音程、殆ど「音痴」ではありませんか。これは別にそういう歌い方を狙っていたというわけではなく、単にその人が「ヘタ」だというだけのこと、こういうものは、くそまじめに「正しく」歌わなければ決して本当の笑いは生まれてこないというのに、これはなんという醜態なのでしょう。会場のお客さんはそれでも雰囲気にのまれて笑いこけていますが、それを音だけで冷静に聴かされるものにとっては、笑うどころではありません。
そんなものを最初に聴いてしまったせいでしょうか、このアルバムには、今までのもののように素直に楽しめることがありません。その次の「弦楽四重奏曲」も、いまいちギャグが決まりません。さらに後半は殆どシックリー自身の弾き語り、なんだか勝手に一人で盛り上がっているような気さえしてきます。
せっかくの新譜だというのに、心から楽しめなかったのがとても残念です。もしかしたら、もはや彼とは同じ価値観を共有出来ないようになってしまっていたのでしょうか。メロンパンは嫌いだとか(それは「菓子パン」)。
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by jurassic_oyaji | 2008-09-17 19:59 | 室内楽 | Comments(0)
MOZART/Requiem
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Agnès Giebel(Sop), Vera Soukoupova(Alt)
Georg Jelden(Ten), Heinz Rehfuss(Bas)
Karel Ancerl/
Czech Chorus
Prague Philharmonic Orchestra
TAHRA/TAH 660



チェコの名指揮者カレル・アンチェルは、今年生誕100年を迎えます(「アンチエージ」の甲斐なく、もう亡くなっています)。とは言っても、同じ年に生まれたかの「大指揮者」とはまるでかけ離れた質素な扱い、記念に何百枚ものCDが再発されるなどということはあり得ません。それでもこんな珍しい録音が日の目を見ることになるのですから、ありがたいものです。
アンチェルの演奏するモーツァルトの「レクイエム」としては、今回初めて公式にリリースされたことになるこのCDには、スイス・ロマンド放送局によって1966年9月14日にスイスのモントルー音楽祭で録音された放送音源が収録されています。録音会場は記載されてはいませんが、残響時間がかなり長いことから、コンサートホールではなく教会のようなところで録音されたのではないかというような気がします。アンチェルにしては珍しいステレオ録音は、そんな会場の空間の気配まで、見事にとらえていました。オーケストラはちょっと少なめの弦楽器、それに対して合唱はかなり大人数であることも分かります。ソリストたちの声も、くっきりとらえられていますし、もちろん生のコンサートならではのノイズも、恐ろしくリアルに収録されています。
ここでのオーケストラ、プラハ・フィルは、モーツァルトが指定した木管楽器であるバセットホルンではなく、おそらくクラリネットを使っているのではないでしょうか。しかも、そのクラリネットは、当時のチェコの演奏家のお家芸であった、たっぷりビブラートをかける奏法によって演奏されています。これは、今聴いてみるとかなり異様な感じを受けるのではないでしょうか。バセットホルンとファゴットの醸し出す木管楽器の響きは、本来ならばしっとりと落ち着いた雰囲気を与えてくれるものなのですが、ここでのビブラート丸出しのクラリネットが入ったアンサンブルは、まるでジャズのビッグ・バンドでのサックス・セクションのような締まりのない(というか、下品な)ものになってしまっています。言ってみればナイトクラブ風のレクイエム、それはそれでなかなか得難いサウンドではありますが。
しかし、そんな場違いな響きに彩られているにもかかわらず、ここでアンチェルが作り出している音楽には、一本芯の通った毅然としたものが感じられます。それは、一点一画もおろそかにしない彼の生真面目な一面を反映したものなのでしょう。その立役者が、ここで歌っているチェコ合唱団という団体です。正直、ソプラノ・パートの薄っぺらな歌い方はかなり悲惨なものがありますが、それを補ってあまりあるこの曲に対する真摯な取り組みには、強く惹き付けられるものがあります。アンチェルの意向を受けてのことでしょう、どんな細かいところもおろそかにせずにきちんと歌い上げている姿勢は立派です。
ソリストたちも、そんな熱心な合唱に呼応するかのように、全力を出し切ったいさぎよい歌い方が魅力を放っています。中でもソプラノのギーベルの密度の高さと、アルトのソウクポヴァー(なんとも懐かしい名前!)の深みあふれる音色は格別です。「Tuba mirum」では、ちょっと情けないトロンボーン・ソロなどは置き去りにして、確固たる歌を始めるバスのレーフスも立派な声、それを受けるテノールのイェルデンも、素直な声が素敵です。
ライブならではの、アンチェルの燃え方にも、ちょっと驚かされます。ショッキングなまでのゲネラル・パウゼや、陶酔感なしには起こりえない長~いフェルマータなどは、まさに同じ年生まれの「大指揮者」を彷彿とさせるものでした。このCDには「レクイエム」1曲しか入っていませんから余白は充分、演奏終了後の拍手やどよめきもほとんどノーカットで聴くことが出来ます。
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by jurassic_oyaji | 2008-09-15 20:46 | 合唱 | Comments(0)
川内萩ホール
 仙台に新しく誕生した「川内萩ホール」に行ってきました。おそらく、中に入って実際に合唱の練習をしたなどというのは、私たちが最初のことでしょう。さらに、その中で撮った写真をwebで公開するのも、これが最初になるはずです。
 実は、半年前にこのホールの改修工事中の写真を撮っていました。それと、ごく最近のものとを比較してみて下さい。
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 2階部分の窓のうち、両サイドの外側のものがふさがれていることが分かりますね。この階は、ホールの中では1階席の後部にあたります。なぜこうなったのか、それが、このホールの全面改修の鍵となっています。
 ホールに入ったとたん、有機溶剤の匂いが鼻を突きました。いかにも塗装が終わったばかりという、感じです。最近の主流である木材の生地を生かしたものではなく、塗料を厚ぼったく塗ったという、ちょっと趣味の悪い内装です。仲間の1人が「プラモデルみたい」と言っていましたね。
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 ステージはかつての面影は全くありませんが、客席を見てみると2階席などは昔の姿とほとんど変わっていません。変わったのは1階席。かなり横幅が狭くなって、その分がバルコニー席となっています。実は、ロビーからホールの中に入る扉の部分が、異様なほどのスペースがありました。つまり、その分の壁面がまるまる中に寄ってきたのですね。その結果、窓がなくなってしまいました。このあたりが、おそらく音響的に大きな影響を持っているのでしょう。 
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 ステージも、奥行きがおそらく今までの3倍近くになっています。これだけあれば大人数の合唱付きのオーケストラでも軽々乗ってしまいます。それでも余った部分には、オルガンを入れていただきましょう。
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 椅子にはテーブルが付いています。会議などにも利用しようということなのでしょう。荷物が多い時など、便利かもしれません。前の席との間隔も充分取ってありますから、遅く来た人も楽々入れます。
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 ステージを見てみたところ、いたるところにゴムの緩衝材が入っていました。上の写真はステージの前面と床の間、下の写真はステージの縁、この黒いゴムがまわりに全て入っています。これも、音響的な意味があるのでしょう。
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 みんなが歌っている間に2階席からその音を聴いてみました。これは、ちょっと驚くほどの、とても豊かな響き。特に低音がとても伸びやかに届いてきます。残響はたっぷり付いていますが、悪名高いさるホールのような締まりのないものではなく、音を豊かに聴かせるもの、とても美しい響きです。ついに仙台にも、まともな音楽ホールが誕生したのでは、という予感のようなものが、確かに感じられました。
 もう少しすると、ここでさまざまなコンサートが開かれることでしょう。仙台の音楽事情も、これで少しはマシなものになればよいのですが。

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by jurassic_oyaji | 2008-09-14 21:23 | 禁断 | Comments(0)