おやぢの部屋2
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BACH/Brandenburg Concertos 1-6
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Giuliano Carmignola(Vn)
Claudio Abbado/
Orchestra Mozart
MEDICI ARTS/20 56738(DVD), 20 56734(BD)



クラウディオ・アバドによって集められた、イタリアのごく若い音楽家集団「オーケストラ・モーツァルト」が、2007年に行ったバッハの「ブランデンブルク協奏曲」の全曲演奏会の模様が、DVD(そしてブルーレイ)によってリリースされました。
このオーケストラの正規メンバーは若い人たちばかりですが、この「ブランデンブルク」の演奏に際しては、多くのベテランのゲストが参加しています。ソロ・ヴァイオリンとしてはジュリアーノ・カルミニューラ、そしてチェロにはマリオ・ブルネロが加わるという豪華版です。もともとはモダン・オーケストラの団体なのですが、アバドがこの2人を入れたのには、やはりオリジナル楽器のサウンドの追求という意味があったのでしょう。メンバーが弾いている楽器自体はモダンのようですが、弓と、おそらく弦はバロック時代のものを使っているようですし、聞こえてくる音も確かに柔らかなものとなっていました。
それに対して、管楽器は全てモダン楽器となっているのが、面白いところです。ですから、最初の「第1番」では、そんな弦楽器と管楽器の、時代様式を超えた対話を楽しむことになります。そう、ここでアバドが目指したものは、「ピリオド・アプローチ」でもなければ「ロマンティック」でもない、言ってみれば「アバド風」のごちゃ混ぜ様式だったのです。しかし、ホルンやオーボエの超絶テクニックと、弦楽器奏者のしなやかな音楽性によって、そこからは実に生命感あふれる音楽が発散されているのは、驚くべきことでした。これはひとえに、様式を超えたところで自発的な合奏を行っている、才能あふれるメンバーの功績と言えるでしょう。アバドといえば、ほんのキューを出す程度の「指揮」に徹しているのですからね。いや、もしかしたら、彼は単に合奏に合わせて体を動かしているに過ぎなかったのかもしれません。
そんな合奏の楽しげな様子は、「第3番」でよりはっきり見ることが出来ます。メンバーは、お互いににこやかに笑顔を交わしながら的確なアンサンブルを作り上げていきます。チェロ・パートが難しいパッセージを演奏しているときなどは、手を休めて実に暖かな眼差しで見守っていますしね。そして、おそらく彼らは指揮者のことなどは全く眼中にはないのでしょう。
そして、ヴィオラ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、低音という不思議な編成の「第6番」では、ついに指揮者がいなくなってしまいます。合奏を仕切るのはとてもキュートなヴィオラの女性二人、彼女らが造り出す絶妙のグルーヴは、もしかしたら指揮者がいたためにそれまでは前に出てくることがなかったのでは、と思えるほどの、素晴らしいものでした。
「第5番」では、フルートにジャック・ゾーンが登場します。彼の楽器は木管、一見トラヴェルソのようですが、もちろんモダンのベーム管です(彼はトラヴェルソを吹くこともありますが、お世辞にも上手だとは言えません)。ここでは、カルミニョーナとともに、それまで後ろの方で低音を弾いていたチェンバロのオッターヴィオ・ダントーネの流麗なソロが堪能出来ます。イタリアも、今年の冬は暖かいのでしょうか(暖冬ね)。
「4番」と「2番」には、リコーダーのミカラ・ペトリの姿がありました。彼女の楽器も、低音用のキーがついた、まさに「モダン」な楽器ですね。そして、最後に演奏された「2番」では、トランペットの名手ラインホルト・フリードリヒの熱演が光ります。アンコールでこの曲の終楽章が演奏されたときには、本番の時とはうってかわってのハイスピード、しかもペトリはソプラニーノ・リコーダーに持ち替えて1オクターブ上を演奏しているものですから、全く別の曲のように聞こえてしまいます。そんな盛り上がりの主人公はあくまで若い演奏家たち、最初から最後まで指揮者の存在感が恐ろしく薄かったのが妙に印象的なコンサートでした。

DVD Artwork © Medici Arts
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by jurassic_oyaji | 2009-01-31 22:47 | オーケストラ | Comments(2)
Serenade to the Dawn
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Andrea Lieberknecht(Fl)
Frank Bungarten(Guit)
MDG/905 1540-6(hybrid SACD)



1965年生まれ、「愛の奴隷」という素敵な意味のラストネームを持つドイツの美人フルーティスト、アンドレア・リーバークネヒトは、学生時代に早くもミュンヘン放送交響楽団の首席奏者に就任、さらに1991年にはケルン放送交響楽団の首席奏者となります。1993年から1996年の間は、バイロイトのピットにも入っていました。コンクールの入賞歴も輝かしいもので、1993年の第3回神戸国際フルートコンクールでは、1位なしの2位となります。その時の3位が、あのエミリー・バイノンなのですから、すごいですね(ちなみに、その4年前の第2回では、パユがアランコと1位を分け合っていました)。現在は、ハノーファー音楽大学の教授を務めていますが、このポストはかつてオーレル・ニコレが務めていたもの、先ほどのパユやアランコなど、数多くのフルーティストを輩出した名門スクールなのですね。
彼女がこのアルバムで共演しているのは、1958年生まれのギタリスト、フランク・ブンガルテンです。彼が1987年に最初にこのレーベルに登場したときに共演したのが、彼女の師、パウル・マイゼンだったというのも、なにかの縁なのでしょう。いや、この二人は、偶然出会ったときからお互いの音楽性の中に同質のものを認めていたということですから、運命的な赤い糸で結ばれていたのかもしれませんね。のぞみとめぐみみたいに(意味不明)。
そんな二人のこだわりによって作られたこのアルバムには、20世紀に作られたフルートとギターのための「あまり有名ではない」作品が収められています。ラインナップはウィリー・ブルクハルトの「セレナーデ」、ハンス・ホイクの「カプリッチョ」、マリオ・カステルヌオーヴォ・テデスコの「ソナチネ」、ウージェーヌ・ボザの「ポリディアフォニー」、ホアキン・ロドリーゴのアルバムタイトル曲、そしてエイトール・ヴィラ・ロボスの「花の分布」の6曲です。確かに、この中で広く知られているものは、カステルヌオーヴォ・テデスコの曲ぐらいのものでしょうか。
その中でも、二人が「新しい発見」と言っているのが、ボザの作品です。管楽器のための作品など多くのものが知られているボザですが、ギターのための曲というのは非常に珍しいのだそうです。しかも、この曲はちょっと難解なタイトルの通り、かなりアヴァン・ギャルドなテイストを持ったものでした。気取っている、とか(それは「キザ」)。2つの楽器がそれぞれ独立して主張し合っている、という趣、かなり高度なアンサンブルの能力が要求されそうな曲です。フルートではフラッタータンギングやグリッサンドなどの特殊な奏法も多用されていますし、音楽自体も調性からは離れた冒険がメインとなっています。おそらく、この二人はこういうものが性に合っているのでしょう(その分、C・テデスコやロドリーゴは、ちょっと物足りません)。
そして、その流れからなのでしょう、「花の分布」では、楽譜に指定されている通常のフルートではなく、1オクターブ下の音が出せる「バスフルート」が用いられています。普通の楽器で演奏してもなかなか神秘的な曲なのですが、それがバスフルートのなんともハスキーな低音で演奏されると、それはただごとではない神秘さに変わります。
最後に「Bonus」という作曲家の作品が3曲、のように見えたのですが、実はこれは「ボーナス・トラック」、そのうちの2曲は、ギターとバスフルートによる即興演奏だったのです。そして、最後の1曲は「Surround Walk」というタイトルが付いていますが、なんのことはない、先ほどの「花の分布」を、フルーティストが部屋の中を歩き回りながら演奏しているのですね。それは、言ってみればこのレーベルが採用している極めて特殊なサラウンド・システムのデモンストレーションなのでしょうか。もちろん、これは先ほどのものとは別テイク、装飾音のアーティキュレーションが微妙に異なっています。

CD Artwork © Musikproduktion Dabringhaus und Grimm (Germany)
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by jurassic_oyaji | 2009-01-29 19:44 | フルート | Comments(0)
Taverner & Tudor Music II
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Paul Hillier/
Ars Nova Copenhagen
ARS NOVA/8.226056



かつて「ヒリヤード・アンサンブル」のメンバーだったことなどは、もはやおぼえている人もいなくなったポール・ヒリアー、現在ではもっぱら合唱指揮者として、その名声を誇っています。彼が指揮をした合唱団からは、極めて高いレベルの音楽を引き出していることが、多くのCDによって知られているのですからね。その大半は、エストニア・フィルハーモニック室内合唱団とのものなのでしょうが、最近になってこんな合唱団の首席指揮者を務めていることを知りました。それは、デンマークにある「アルス・ノヴァ・コペンハーゲン」という、20人にも満たないメンバーの合唱団です。ホットドッグの材料ですね(それは「コッペパン」)。ヒリアーとのコンビが始まったのは2003年からのことですが、彼らは自身のレーベル「ARS NOVA」から今までに2枚のアルバムを出していました。それは、ジョン・タヴァナーのミサ曲を中心にしたイギリス、チューダー王朝の作品を集めたものと、なんとテリー・ライリーの初期の傑作、というより、ミニマル・ミュージックを代表する名曲であるin Cを、合唱で演奏するというショッキングなものでした。つまり、彼らはルネッサンス期のポリフォニーのような「アーリー・ミュージック」と、「ニュー・ミュージック」、つまり現代の音楽とに全く等しい価値観をもって取り組んでいるという、ユニークなスタンスをとっている団体なのです。この「in C」のヴォーカル・バージョンなどは、最近の合唱の録音の中ではひときわ素晴らしい視点を持った快挙なのではないでしょうか。
今回は、「タヴァナーとチューダー王朝」の第2集です。前回は有名な定旋律ミサ「春風のミサ」がメインでしたが、ここでは同じくタヴァナーの代表作「ミサ・グロリア・ティビ・トリニタス」が取り上げられています。そこに、定旋律の元ネタであるプレイン・チャントや、タヴァナーの前後に活躍したイギリスの作曲家たちの曲が散りばめられている、という構成です。
このようなレパートリーは、かつてはイギリスの団体の独壇場でした。そのさきがけは「プロ・カンツィオーネ・アンティクヮ」や、それこそ「ヒリヤード・アンサンブル」のような、すべて男声、あるいは教会の聖歌隊(「キングズ・カレッジ合唱団」など)のように、少年がトレブル・パートを歌っているものでした。そのような流れに変化を与えたのが、女声、といっても、まるで少年のようなノン・ビブラートの声を自在に駆使できるシンガーが加わった「タリス・スコラーズ」です。彼らは、この時代の合唱曲が現代人にも共感を持って受け入れられるようなスタイルを確立し、そこからほぼ完璧な演奏を紡ぎ出していたのです。
この「アルス・ノヴァ・コペンハーゲン」は、そんなイギリス合唱界の一つの成果である「タリス」のスタイルを、継承したもののように思えます。しかし、「タリス」が1984年に録音した同じ曲のCD(GIMELL)と比較してみると、この「アルス・ノヴァ」の演奏には、精密なハーモニーと表現力はそのままに、そこに北欧ならではの豊かなソノリテが加わっていることが分かります。中でもソプラノ・パートの、完全にノン・ビブラートでありながら、その中に力強さとさらには「色気」のようなものを含んだ音色には、とてつもない力を感じることが出来るはずです。このアルバムのライナーノーツを、「タリス」のメンバーだったサリー・ダンクリーが執筆していることからも、彼らの志はうかがえます。
タヴァナーの織りなすポリフォニーの綾は、この卓越したメンバーによって極上の輝きを放っています。そんな中に突然、少し時代が進んだウィリアム・バードの「Christe qui lux es et dies」というホモフォニックなスタイルの音楽が現れると、とても新鮮な驚きが待っています。まさにプログラミングの妙、素晴らしい録音と相まって、このアルバムの魅力をさらに高めています。

CD Artwork © Naxos Global Logistics GmbH (Germany)
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by jurassic_oyaji | 2009-01-27 23:38 | 合唱 | Comments(0)
BACH/Messe in h-moll
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L. Crowe, J. Lunn, J. Lezhneva, B. Staskiewicz(Sop)
N. Stutzmann(Alt), T. Wey(CT), C. Balzer(Ten)
M. Brutscher(Ten), C. Immler(Bar), L. Tittoto(Bas)
Marc Minkowski/
Les Musiciens du Louvre
NAÏVE/V 5145



ミンコフスキの初めてのバッハへの挑戦、もちろん、オーケストラは彼の手兵、レ・ミュジシエン・ドゥ・ルーヴルです。ただ、バッハの作品、特にこの「ロ短調ミサ」を演奏するときに問題になるのが合唱のサイズなのですが、ミンコフスキはあのジョシュア・リフキン、そしてアンドリュー・パロットの流儀、「1パート1人」をとっているかに見えます。しかし、ここで集められた若手を中心にしたメンバーは全部で10人、つまり5声部のこの合唱は、それぞれ2人ずつで歌われることになります。しかし、実際に彼が行ったのは、以前フェルトホーフェンがとったような、場所によって「1人」と「2人」の部分を歌い分ける、という方法でした。さらに、ソロの曲ではその10人全員が、必ず1度は歌うようなローテーションが組まれています。これはかなり贅沢な布陣なのではないでしょうか。あ、もちろん男性もいます(「婦人」だけではない、と)。
しかし、そんな編成云々の議論などは、ここでミンコフスキが繰り広げてくれた、なんとも生命力に満ちあふれた世界の前ではとても些細なことのように思われてしまいます。彼は、オーケストラと、そしてソリストたちの力を全面的に信頼して、このミサ曲からまるでオペラのように起伏にあふれる情景を描き出していたのです。そこでは、淡々と歌われるはずのアリアでさえも、まるでダンスのように軽やかなフットワークを持つことになりました。例えば、ソプラノ・ソロにヴァイオリンのオブリガートがついた「Laudamus te」では、そのヴァイオリンの細かい音符が堅苦しいものではなく、すべて踊りまくっているのですから、その中で歌われるソロの足取りも、自然に浮かれてくるのも当然のことです。もう少し落ち着いたたたずまいのはずのテノール・ソロの「Benedictus」でさえ、フルートのオブリガートが三連符で微妙にシチリアーノ風のリズムを刻めば、体は揺れてくることでしょう。
そして、トゥッティになったときのエネルギッシュなこと。トランペットは吼えまくり、ティンパニの強打がいやが上にも迫力を演出します。なんせ、そのティンパニときたら、まるでポップスのドラム・セットの録音のように、左右いっぱいに広がった音場設定になっているのですからね。ティンパニがパンポットするバッハなんて、最高!
そんなお祭り騒ぎの中だからこそ、シュトゥッツマンが歌う「Agnus Dei」がしっとりと心にしみてきます。翳りに満ちたその声は、なんの作為を施さなくても、穏やかな世界を見せてくれています。
もう一人、素晴らしい声を聴かせてくれたのが、10年前まではウィーン少年合唱団で歌っていたという、カウンターテナーのテリー・ウェイです。彼のソロが聴けるのが「Qui sedes ad dextram patris」。オーボエ・ダモーレのもの悲しいオブリガートに乗って歌うその声は、カウンターテナーにありがちな弱々しいものではなく、力のこもった逞しいものでした。そう、彼はファルセットではなく、実声でアルトの音域をカバーしているのです。もう一つ、ソプラノとのデュエット「Et in unum Dominum」でも出番がありますが、こちらでは「男声」ならではの深い低音を聞かせてくれています。おそらく、これからのバロック・オペラのシーンにはなくてはならない存在になることでしょう。大活躍の予感、楽しみです。
ただ、バスのティトットだけは、その明るさがミンコフスキとはちょっと違うベクトルに向いているために、ホルンのオブリガートのついた「Quonian tu solus sanctus」は悲惨な結果に終わっています。しかし、そこにすかさず躍り込んでくる「Cum Sancto Spiritu」の勢いは、そんないやな思いなど忘れさせてくれるものでした。ミンコフスキが作り出す大きな流れは、それしきの些細な傷ごときはいともたやすく覆い隠してしまうのでしょう。

CD Artwork © Naïve
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by jurassic_oyaji | 2009-01-25 21:02 | 合唱 | Comments(0)
MENDELSSOHN/The Complete Masterpieces
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Various Artists
SONY MUSIC/88697 42072 2



いよいよ、メンデルスゾーンの生誕200年記念の年に突入しました。すでに数年前から、この年に向けて進行していたプロジェクトなどもあったわけですから、今年はさぞや盛り上がることでしょう。
そんな中で多くの記念アイテムもリリースされることになるのでしょうが、これはメジャー・レーベル「ソニー・ミュージック」から出た30枚組でありながら4000円程度という破格の値段のボックスセットです。「コンプリート」というタイトルですので、「全集」か?と思うかもしれませんが、そのあとに続くのが「マスターワークス」、日本語だと「全名曲集」という微妙な言い方がおかしいですね。事実、声楽関係にはあまり「名曲」がなかったようで、オペラは1曲も収められてはいません。
ところで、このボックスをリリースしたところは、以前プッチーニの全オペラボックスを出したところと同じ「会社」なのですが、その時とは微妙に名前が異なっているのには、お気づきでしょうか。その頃は確か「ソニーBMG」でしたよね。ロゴマークもト音記号を挟んで「SONY」と「BMG」が並んでいるというものでした。しかし、今回は、普通に「Sony Music」というレタリングです。
ご存じでしょうが、2004年8月に、元をたどれば「ヴィクター」と「コロムビア」という、世界で最も古い歴史を誇る2つの大きなレコード会社の末裔である「BMG」と「ソニー」が合併して「ソニーBMG」という会社になりました。これは、昔からのレコード・ファンにとっては、かなりショッキングな出来事だったのではないでしょうか。今まで競争し合ってきたものが合体してしまうというのは、昨今のグローバル化の進む企業の振る舞いからは別に驚くべきことではないのでしょうが、ことレコード会社という、ある種の「文化」を担ってきた企業が、それまで全く別の価値観での「文化」を築いてきた企業と同じものになってしまったのですからね。
その、いわば「対等合併」の末に出来た会社が、2008年8月に、「BMG」が「ソニー」に吸収されるという形で、「ソニー・ミュージック」と名前を変えました。その、商品への反映が、今回のボックスの表記なのです。余談ですが、それぞれの会社の日本法人は、今までは親会社の合併にもかかわらずそれぞれが別個の活動を展開していましたので、国内盤だけを購入している分には合併という実体は捉えにくいものだったはずです。しかし、親会社の「吸収」に伴い、200810月には、日本の「BMG」は日本の「ソニー」の完全子会社となりました。その影響は、いずれ目に見える形で現れてくることでしょう。その時にこそ、「レーベル」という一つの文化が資本主義経済の中で殺されてしまったことが実感として認識されることになるのです。
といったきな臭い話はともかく、「ソニー・クラシカル」、「ヴィヴァルテ」、「RCA」、「アルテ・ノヴァ」そして「オイロディスク」という艶っぽい(それは「オイロケディスク」)レーベルを一堂に会したボックスが、面白くないはずはありません。ブロムシュテットの「エリア」や、ダウスの「パウロ」といったレアな大曲が聴けるだけでも、元は取れてしまいます。さらに、「弦楽のための交響曲」ということで、「普通の」交響曲ほどは顧みられない初期の13の交響曲のオリジナル楽器による演奏(ハノーヴァー・バンド)も見逃せません。まだ3楽章形式だった最初期の6つの交響曲の、なんとチャーミングなことでしょう。真ん中の楽章の美しさなどはモーツァルトさんをも超えています。チェンバロやフォルテピアノの即興的な「おかず」も、素敵ですよ。「8番」では、管楽器の入ったバージョンを採用、こうなると「交響曲」の番号も考え直す時期に来ているのかもしれません。
オルガン作品だけで3枚も費やしているのも、なんとも贅沢な構成。これを聴くと、メンデルスゾーンとバッハとのつながりが再確認出来ることでしょう。そんなこんなで、今年は彼のさまざまな面がクローズアップされてくるはず、とても楽しみな1年です。

CD Artwork © Sony Music entertainment
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by jurassic_oyaji | 2009-01-23 20:06 | オーケストラ | Comments(0)
男と女 Two Hearts Two Voices
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稲垣潤一
ユニバーサル・ミュージック
/UICZ-4187


先日のエリック・マーティンのところで少し触れた、稲垣潤一のカバー集です。なんとも刺激的でうらやましいジャケットですが、もちろんこれは、このアルバムが単なるカバー集ではなく、全てのトラックが女性ヴォーカリストとのデュエットとなっている、というコンセプトのあらわれです。しかも、収録されている11曲全ての相方が異なるという、超うらやましいラインナップ、稲垣さんって、そんなにモテたんですね。あの顔で。
その11人が、松浦亜弥をのぞいては、いずれも今のシーンからはちょっと距離を置いたところにいる人ばかり、というあたりに、なんとも微妙なものを感じないわけにはいきません。いや、そんなことを言えば、稲垣さんだって今ではクリスマス以外で注目されることなど、殆どないようなアーティストなのかもしれませんが。
正直、稲垣さんの歌自体には、それほどの魅力があるわけではありません。ソロとしての声に、惹きつけられるものが殆どないのですよ。同じような感じの声である小田和正にはあって稲垣さんにはないもの、それは声自体が放つ存在感ではないでしょうか。
ところが、そんな存在感の希薄な声が、他の人の声と混じり合ったときには、なんとも言えぬ美しい響きをもたらすのですね。単体で存在しているときにはあるのかないのか分からない窒素ガスが、酸素や炭素と結び付いたときにとてつもない破壊力を持つダイナマイトに変貌するようなものでしょうか。
そんな素材の良さを最大限に発揮しているアレンジのコンセプトは、「男」と「女」が、全く対等にパートを分担している、というものでしょう。お互いがそれぞれソロを歌い、ハモリに入ったときにもメロディとハーモニーは同じ長さの分担、そのハーモニーも上に付けたり下に付けたりと、さまざまなパターンが1曲の中に用意されているという、幅広いヴァラエティ、さまざまな面から二人の声を楽しめるような工夫がなされています。時にはシンガーの声に合わせて、パートが変わる部分で大胆な転調を行うこともいといません。ほんと、2小節ごとにメロディパートが入れ替わるなどという大胆なこともやっている、すごいアレンジもあるのですからね。
シングルカットもされている小柳ゆきとの「悲しみがとまらない」が、まず期待通りの素晴らしさでした。ノリの良いオケと相まって、小柳ゆきの歌のうまさが光るとともに、ハモリになった時の滑らかさも素敵です。小柳のソウルフルなカウンター・メロディも、花を添えています。
白鳥英美子(+娘のマイカ)との共演は、なんとほとんど「新曲」と言っても良い、竹内まりやの「人生の扉」です。オリジナルのカントリーっぽいテイストを生かしたアレンジに乗って、まりやのように深刻ぶらない、もっと爽やかな「加齢ソング」が、華麗に繰り広げられています。
意表をつかれたのは、「木綿のハンカチーフ」です。最初聴いた時には、まさか太田裕美本人が歌っているとは思えなかったのは、キーが違うのか、「♪ぼくは旅立つ」の「つ」の音がファルセットではなかったからなのかもしれません。最近の懐メロ番組で歌う時には大幅に、それこそ演歌のようなルバートが付けられていたものが、まさに原点に返ったかのようなイン・テンポ、曲と歌詞の素晴らしさが再確認出来ます。「男」と「女」の対話という松本隆の仕掛けにあえて背いた、ジェンダーを超えた歌詞と歌い手の世界が感動的に広がります。
そして、最後に控えているのが、稲垣さん自身のヒット曲というわけです。「ドラマティック・レイン」で相手を務めるのが中森明菜。彼女がこんな素晴らしいシンガーだったなんて、予想もしなかった驚きです。そう、稲垣さんの窒素原子は、相手の中にもニトロ基を生成させていたのですよ。

CD Artwork © Universal Strategic Marketing Japan
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by jurassic_oyaji | 2009-01-21 20:02 | ポップス | Comments(0)
BLAKE/Music for Piano and Strings
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Madeleine Mitchell(Vn)
Howard Blake(Pf)
Jack Rothstein(Vn)
Kenneth Essex(Va)
Peter Willison(Vc)
NAXOS/8.572083



1938年生まれのイギリスの作曲家ハワード・ブレイクの名前は、あの名作アニメ映画「スノーマン」のサントラを作ったことで、広く知られているはずです。中でも、ボーイ・ソプラノによって歌われる「Walking in the Air」というナンバーは、単なる主題歌の範疇を超えて、多くのアーティストによってカバーされ、一つの「ヒット曲」としてブレイクしたのです。ケルティック・ウーマンのように、完全に独自の世界を持った作品にも変貌していますし、フルーティストのケネス・スミスのインスト・バージョンは、リサイタル用のコンサート・ピースとして使われても、なんの遜色もないものです。
ブレイクは、多くの映画音楽の作曲家のように、しっかりとしたクラシックの教育を受けた音楽家です。自身もピアニスト、あるいは指揮者としてコンサートに登場する機会もありました。故ダイアナ妃の30歳の誕生日のために委嘱されたピアノ協奏曲では、フィルハーモニア管弦楽団をバックに自らピアノ・ソロを演奏したそうです。
そのような、「二足のわらじ」を履く作曲家にありがちなのは、映画音楽と「純音楽」との間で、極端なほどスタンスを変える、というスタイルです。日本人だと池辺晋一郎あたりが分かりやすいでしょうが、映画やドラマであれ程平明な分かりやすい音楽を書いている人が、「交響曲」になったとたん、なんとも深刻で、眉間にしわを寄せなければ聴いていられないようなものを作るのですから、その落差には驚かされます。そこからは、いかに本人が否定しようが「クラシックこそが、自分の本当の姿」みたいな鼻持ちならない姿勢がまざまざと見えてくるのです。
しかし、このCDを聴くと、ブレイクの中にはそんな「垣根」などは全く存在していないことに、気づかされます。ヴァイオリン・ソナタやピアノ四重奏といった、もろ「クラシック」というステージで彼が作り上げた音楽からは、まさに「スノーマン」そのもののテイストが感じられるのですから。
それが端的に感じられるのが、ヴァイオリン・ソナタでしょう。第1楽章のテーマは、低音が半音ずつ下がっていくという「クリシェ」の手法や、シンコペーションがポップな味を出しています。第2楽章では、マイナー・キーで「泣き」を誘い、第3楽章ではまさに「スノーマン」の中での「スノーマンのダンス」と同じ種類の音楽が鳴り響きます。
同様に、1974年に作曲した当時に録音したメンバーが、今回のセッションに全員集合したというピアノ四重奏曲は、とても「現代」に生きる作曲家とは思えないほどの、誰しもが共鳴出来る素敵なメロディと、浮き立つようなリズムを持った素晴らしい作品です。アレグロ、スケルツォ、レント、アレグロという古典的な4楽章構成となっていますが、それはまさに「名曲」と同義語の「古典」の響きに支配されたものでした。ピアノがメロディを歌う時のトリルなどは、まるでシューベルトの「鱒」のように聞こえてはこないでしょうか。スケルツォの間に挟まるトリオの流麗なこと。レントには、とても穏やかな「癒し」に近いものも現れますし、終楽章にはメンバーそれぞれを立てようという対位法までが登場するというほほえましさです。
ただ、いかにもポップス寄りのように思えてしまう「ジャズ・ダンス」というヴァイオリンとピアノのための組曲は、逆に変なこだわりのため、タイトルとは裏腹に頭でっかちの作品のように思えてしまいます。特に前半に多用される変拍子が、とても居心地の悪いものでした。ブレイクだったら、もっと親しみやすい曲が作れるはずのこういうスタイルの方が窮屈なものになっているというのが、ちょっと面白いところです。そんなあたりを、こちらで確かめてみては。

CD Artwork © Naxos Rights International Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2009-01-19 20:38 | 現代音楽 | Comments(0)
MAHLER/Symphony No.2
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Elena Mosuc(Sop)
Zlata Bulycheva(MS)
Valery Gergiev/
London Symphony Chorus & Orchestra
LSO LIVE/LSO0666(hybrid SACD)



ゲルギエフとロンドン交響楽団のマーラー・ツィクルスも、順調にリリースが進んでいるようですね。ところで、この一連のSACDのジャケットを彩る雷のような画像は、なかなか印象的なものではないでしょうか。コンピューターで作ったのか、あるいは実際の放電を撮影したのかは分かりませんが、このコンビの刺激的な演奏を、まさに象徴するようなインパクトを与えてくれるものです。最初、この「雷」はアイテムごとに別なものを使っているのだと思っていました。それぞれの「数字」との絡まり具合が微妙に異なっていて、独特の個性を出していますからね。しかし、結構たまってきたこれらのジャケットを眺めていると、その「雷」はすべて同じものであることが分かってしまいましたよ。向きを変えたり、あるいは裏焼きにしたりと、変化は付けてはいますが、元になった画像は全く一緒なのですね。だからどうだと言われそうですが、「発見」したことはみんなに教えたくなるという性分なものですから。
そんな、今までに聴いてきた彼らの録音は、なにか引っかかるものがあって、全面的にその演奏にのめり込むことが出来なかったような気がします。しかし、今回の「2番」では、かなり素直に彼らの音楽を受け入れることが出来ました。それは、演奏する側と聴く側双方が、次第にゲルギエフのやり方に「慣れて」来たからなのでしょうか。聴き終わったときの充実感は、今までのものではあまり感じられないものでした。
第1楽章では、提示部の第2主題、ヴァイオリンで上昇する夢見るようなテーマが、それまでの「熱い」流れとは一線を画して、極めて寒々しい面持ちとなっていたことに、ちょっとしたショックを与えられたものです。ブーレーズを気取って、クールに決めたのかな、と。しかし、その同じテーマが展開部で現れたときには、どうでしょう、もちろん調も変わっていますが、そのたっぷりした歌い方は最初に出会ったときにつれなかった分、とびきりの喜びを与えてくれるものでした。マーラーがこのあたりには執拗にグリッサンドを指示したことが頷けるような、心憎い演出です。
第2楽章は、やはりグリッサンドが粋に感じられる、たっぷりとした「ダンス」が楽しめます。ソロ奏者たちにも伸び伸びと演奏させているのも、良く分かります。中でもフルート・ソロはとても素晴らしい音色と、まさに「粋」なフレージングが、とても魅力的です。
第3楽章では、一転して引き締まったテンポで緊張感あふれる音楽になります。一見のどかなテーマが、実はかなりのアイロニーを含んだ恐ろしいものであることも、そんなテンポの中では容易に感じ取ることが出来るはずです。
メゾ・ソプラノのソロが入った第4楽章では、ゲルギエフの手兵、マリンスキー劇場のブルィチェワが、スケールの大きな歌を聴かせてくれています。ゲルギエフは、その歌を暖かく包み込むような優しさを見せてはいないでしょうか。
そして、さまざまなシーンが交錯する第5楽章こそは、ゲルギエフの本領発揮の場です。まるで映画監督のように、それぞれの場面を手際よく届けてくれる姿は、見ていて(聴いていて)胸がすくような思いです。オーケストラもそれに応えて、見事に的確な演奏を披露してくれています。ただ、ソプラノのモシュクに今ひとつの精度が欠けているのが、惜しまれます。それと、決して悪くはないのですが、合唱にこのようなシーンにふさわしい緊張感のようなものがもう少し備わって入れば、さらに素晴らしいものになったことでしょう。
2枚組のSACDで、余白に10番のアダージョが収録されているのが、お買い得。木を切ってますね(それは「与作」)。あまり粘らないあっさり感が素敵です。しかし、この演奏から「トリスタン」の第3幕が連想されてしまったのは、なぜなのでしょうか。

CD Artwork © LSO Live (UK)
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by jurassic_oyaji | 2009-01-17 19:09 | オーケストラ | Comments(0)
アウディ
 きのうの「おやぢ」で扱ったCDでは、本文でも書いたようにジャケットに東京オペラシティのステージで演奏しているアーティストの写真が使われていましたね。もちろん、ジャケットにはなんのコメントもなかったので最初はまさかと思ったのですが、なにしろここのステージは実際に何度も乗ったことがありますので、よくよく見ているとあそこだけにあるような特徴などが自然に目に入ってきます。実は写真はリーフレットだけではなく、ケースの中のラベルにも印刷されていたので、それがよりはっきり分かります。
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 これだと、ミニスカート姿の指揮者の正面の顔も分かりますしね。それで、ステージの後ろの照明の具合や、その上にあるバルコニーの形などから、オペラシティに間違いないことが、確実になるわけです。
 ところが、確かにオペラシティのステージには違いないのですが、そのバルコニーのあたりが、なんだか変じゃありませんか?
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 これは実際のステージの写真、私たちの合唱団が本番前に山台を組み立てているところなのですが(無許可でこんな写真を公開したらホール関係者からクレームがつくらしいのですが、本当なのでしょうか)確かにバルコニーの上の部分がちょっと違っていますね。CDの写真には、このアングルだったら確実に見えるはずの手すりや客席がありませんよ。
 でも、しばらくこの写真を見ていたら、それが一体何であるのかが分かってきました。どうやら、使った写真はバルコニーの上の縁までしか写っていなかったので、そのままでは隙間が出来てしまうと、その下の部分を反転して貼り付けたのでしょうね。それも、鏡面にしたのではなく、おそらく180°回転させて、ちょうど指揮者の写真で隠れている部分を上に持ってきたのではないでしょうか。こういうのを「デザイン上の都合」とか言うのでしょうね。こんなことはごく普通に行われていることなのでしょうから、それを得意げに吹聴したりすると、逆に反感をかってしまうのかもしれませんね。しゃれも分からないというのは、いやな世の中です。
 しかし、車で走っている時に偶然目に入ったこんな大きな看板を見た時には、思わず目を疑ってしまいましたよ。普通は小さなマークしか見ていないので気づかなかったのですが、これって安野さんなどがよく使っている「あり得ない絵」じゃないですか。こんな遊び心がいっぱいな素敵なマークをデザインした人とは、お友達になれそうな気がします・・・なんてね。
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 そういえば、安野さんと共にこういう分野で大好きな作品を生み出していた福田繁雄さんがお亡くなりになりました。
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by jurassic_oyaji | 2009-01-16 22:51 | 禁断 | Comments(0)
TORMIS/Works for Men's Voices
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Sofia Söderberg Eberhard/
Svanholm Singers
TOCCATA/TOCC 0073



あるいは「男声合唱」と言われて連想するものによって、その人の音楽的なバックグラウンドや、感受性の「ツボ」などが分かってしまうのかもしれません。ある人は、ロシアの広大な大地を思い起こさせるような力強いベースの響きと、叫びまくるテナーの咆哮といった、まさに「体育会系」のイメージを抱くことでしょうし、またある人は、男声だけで編成されていることによって生まれる、えも言われぬピュアなサウンド、まるで大聖堂の中で響き渡るような豊かな倍音の世界を思い浮かべることでしょう。逆に言えば、それほどまでに、「逞しさ」から「繊細さ」までの幅広い嗜好をカバーしているのが、男声合唱というものなのです。
もちろん、一つの団体でそれだけの幅広い属性をそなえることなどは、不可能であるに違いありません。「逞しさ」は、時として「粗野」につながるもので、「繊細」からはまさに対極に位置するものなのですからね。しかし、まれにそんな奇跡のような表現力を持っている男声合唱団に出会えないとも限りません。例えば、スウェーデンの名門、「オルフェイ・ドレンガー」などは、ほとんどその条件を満たした合唱団のように思えます。彼らが日本公演で披露してくれた武満の「小さな空」は、まさに男声合唱にはあるまじき繊細さを持っていました。ただ、一方で間宮芳生の「コンポジション」で見せてくれた「粗野さ」も、かなりのものではあったものの、もうひとふんばりの弾けぐあいが欲しかったのは、事実です。
同じスウェーデンの男声合唱団「スヴァンホルム・シンガーズ」は、もしかしたらそんな「奇跡」を現実のものにしている希有な団体なのかもしれません。1998年、往年の名テノール、セット・スヴァンホルムの娘エヴァ・スヴァンホルム・ブーリーンによって創設された20人ほどの若いメンバーから成るこの合唱団は、2001年から指揮を引き継いだソフィア・ソダーベルク・エバーハルトの下で、殆ど理想的と言って良いほどの男声合唱団に成長したことが、このCDから分かるはずです。
このアルバムは、エストニアの雄、ヴェリヨ・トルミスの作品を集めたものです。確かに鳥の巣のようなヒゲですね。合唱曲の分野で幅広い曲を作っているトルミスですが、ここではなんとトルミス自身がシャーマン・ドラムの演奏で参加しています。それが、元々は混声合唱のための作品だった「鉄を呪え」の、男声バージョン(これが、世界初録音)です。その、まるで原始宗教の典礼のような重々しい響きのドラムに導かれて、深遠な世界を持つ歌詞(「鉄」は「武器」のメタファー)が、あたかも呪文のように歌われるさまの、なんと「粗野」なことでしょう。オルフ風のオスティナートに乗ったその合唱は、時には囁き、時には叫びとなって、確かな「力」を放っているのです。そして、その対極のテイストを存分に味わえるのが、そもそもキングズ・シンガーズという洗練されたグループのために作られた「司祭と異教徒」です。まさに、中世の教会で響いていたであろうサウンドの模倣、ここで聴くことの出来るパートの違いを感じさせない均質な音色は驚異的です。
このジャケット写真(ミニスカート姿の指揮者のかわいいこと)が東京オペラシティのステージであることからも分かるとおり、彼らは何度となく日本を訪れてきました。その演奏に接する機会のあった人たちはすでに彼らの魅力に気づいていたのでしょうが、あいにく録音として世に出ていたものはごく狭い販路での流通にとどまっていたために、それが広く知られることは殆どありませんでした。しかし、2007年にリリースされたこのCDは、注文さえすれば確実に入手出来るレーベルのものですので、実際にこの「奇跡」を体験することは造作もないことです。もっとも、聴くだけでしたらこちらでもOKですが。

CD Artwork © Toccata Classics, London
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by jurassic_oyaji | 2009-01-15 23:15 | 合唱 | Comments(0)