おやぢの部屋2
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BRUCKNER, DURUFLÉ/Requiem
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Benoît Mernier(Org)
Guy Janssens/
Laudantes Consort
CYPRES/CYP1654



デュリュフレの「レクイエム」の新譜はもれなくチェックしていたはずなのに、この、ベルギーのCYPRESというレーベルから出ていたものは気が付きませんでした。というのも、このレーベルは日本の代理店が「国内盤」という扱いで販売していたため、通常の輸入盤のチェックでは引っかからなかったのですね。
このアルバムは、実は「レクイエムと7つの世紀」という4枚から成るシリーズのうちの1枚です。1枚目は15世紀のオケゲムと16世紀のラッスス、2枚目は17世紀のカンプラと18世紀のミヒャエル・ハイドン、そして、この3枚目が19世紀のブルックナーと20世紀のデュリュフレということになります。これから出る予定の21世紀のピエール・バルトロメーの世界初録音と合わせて、7つの世紀からそれぞれ1曲ずつの「レクイエム」を集めたアンソロジーが完成するのだそうです。21世紀の新作はともかく、18世紀や19世紀には、もっとメジャーな「レクイエム」があるのでは、などとは突っ込まないで下さい。これが「ポリシー」というものなのでしょうから。石油を入れておくやつですね(それは「ポリタンク」)。
ブルックナーの「レクイエム」などいうレアな曲が、「国内盤」でリリースされるのは、おそらくこれが初めてのことなのではないでしょうか。もっとも、輸入盤では1987年に録音された名盤、マシュー・ベストとコリドン・シンガーズのHYPERION盤がありましたね。それに比べると、今回のラウダンテス・コンソートの合唱も、そしてソリストたちも、かなり見劣りしてしまいます。なにしろ、合唱の歌い方がいかにも幼稚なのですよね。そこになまじオリジナル楽器のオーケストラが加わっているものですから、変に荒っぽい印象しか伝わっては来ません。
ところが、そんな合唱がデュリュフレになったとたん、なんとも素敵な味を出すようになっているのですから、ちょっとびっくりしてしまいました。幼稚だと思っていた歌い方が、なぜかこの曲のちょっと昔風のセンスに非常に良くマッチしていたのです。本当に、このデュリュフレの「レクイエム」というのは、なんとも不思議な曲だと、今さらながら思わずにはいられません。いくら、上手な合唱団がきちんと歌ったところで、その魅力が完全に伝えられるわけではなく、逆にいくらか危なっかしいような演奏の方がえもいわれぬ味を出していることがあったりするのですからね。
ついそんな風に感じてしまうのは、おそらくデュリュフレ自身の指揮による初録音(ERATO)を最初に聴いていたからなのでしょう。決して上手とは言えないそのフランスの合唱団は、しかし、この曲の魅力を決定づけるなにかをもっていたのでした。その「なにか」の一つが、もしかしたらフランス風のラテン語の発音だったのかもしれません。今回のベルギーの団体に同じような感触を見たのも、その発音が与える印象が強かったせいなのでしょう。
これはオルガン伴奏の「第2稿」による演奏です。しかし、「オルガン版」とは言っても、「Pie Jesu」には普通はチェロのソロが加わるのですが、ここにはそれはありません。さらに、その、メゾ・ソプラノのソロで歌われる曲が、ここでは合唱によって歌われています。もう一つ、バリトンソロが入る部分でも、そこはやはり合唱で歌われています。同じことをロバート・ショー(TELARC)がやっていましたが、その時はちょっと違和感があったものが、今回はすんなり聴けてしまったのは、そんなあまり上手ではない合唱のもたらす独特の雰囲気のせいだったのでしょう。
正直、最後の「In paradisum」で、オルガンの間奏の間に次のフレーズ「Chorus Angelorum」がどんな風に始まるのか想像していたら、まさにそれと同じものが聞こえてきたときの心の昂ぶりは、ちょっと味わえないほどの体験でした。こういうのも、やはり「感動」というのでしょうね。

CD Artwork © Kastafior
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by jurassic_oyaji | 2009-03-30 19:33 | 合唱 | Comments(0)
MacMILLAN/St John Passion
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Christopher Maltman(Bar)
Colin Davis/
London Symphony Chorus
London Symphony Orchestra
LSO LIVE/LSO0671(hybrid SACD)



2008年の4月に行われたジェイムズ・マクミランの最新作、「ヨハネ受難曲」の初演のライブ録音です。2枚組、1時間半という長さの大作、現代の作品でこれだけの大きな「ヨハネ受難曲」といえば、2000年に作られたグバイドゥーリナの同名の曲以来なのではないでしょうか。ちなみにこのグバイドゥーリナの作品は、当初はロシア語のテキストに作曲されたものでしたが、2006年にドイツ語バージョンも作られ、2007年2月にはドレスデンで初演されました。同じ演奏家による、その1週間後のシュトゥットガルトでの再演の録音が出ています(HÄNSSLER/CD 98.289)。
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グバイドゥーリナに比べれば、マクミランの作品は福音書にそのまま沿って作られていますから、物語の進行はバッハの曲のように分かりやすいものになっています。ただし、ここではそのテキストが英語という点が、スコットランドの作曲家としてのアイデンティティなのでしょう。ドイツ語などで慣れ親しんでいたものが英語で語られると、日本人にとってはなにか親密感がわいてきます。そんな物語を語るのはエヴァンゲリストのようなソリストではなく、合唱でした。ここでは、そのための合唱が2つ用意されています。一つは「ナレーション・コーラス」という15人編成のアンサンブル、看護師さんもいます(それは、「ナースステーション・コーラス」)。もう一つは「ラージ・コーラス」という、文字通り100人以上の大きな合唱です。この合唱はイエス以外のキャラクターのセリフや、群衆の叫び声を主に担当しています。そして、イエスだけはバリトンのソリストが割り当てられています。
作品の構成は大きく2つのパートに分かれていて、さらに前半の「第1部」は「イエスの逮捕」、「アンナスとカヤパの前のイエス、ペテロの否認」、「ピラトの前のイエス」、「イエスは死刑宣告を受ける」の4つの部分、後半の「第2部」は「磔」、「キリストの着衣は引き裂かれ」、「イエスと母親」、「叱責」、「イエスの死」という5つの部分のあとに、オーケストラだけの「Sanctus immortalis, miserere nobis(聖なる不滅のもの、彼らを哀れみ給え)」という曲が続きます。
ここで見られるマクミランの作風は、まさに多岐にわたっています。オーケストラは、今の作曲家が用いているあらゆる技法を駆使して、多彩な技で迫ってきます。今となっては懐かしいクラスターや、クセナキスの得意技のグリッサンド、そして、煌めくような打楽器と金管楽器の火花。そんな中で、「ナレーション・コーラス」の語りだけは、ちょっとケルトっぽい旋法で歌われ、不思議な情緒を醸し出しています。
もう一つの「ラージ・コーラス」は、その大人数を最大限に生かして、マクミランの過酷な要求に応えているようです。それこそ騒音に近いシュプレッヒ・シュティンメから、ルネッサンス的な三和音の世界まで、合唱のあらゆる表現をここでは試されている感があります。各曲の最後には、そんな合唱が主役になった、ここだけはラテン語の歌詞によるかなり長いまとまった音楽が用意されています。多少荒々しい、殺風景な流れの中にあって、この部分だけは時間が止まったような体験が与えられます。バッハの曲でのコラールやアリアの役割を、おそらくここが担っているのでしょう。なかでも、「イエスと母親」の最後に置かれた「Stabat Mater」は非常に美しいものでした。同じようにこの曲が一つのハイライトとなっているペンデレツキの名曲「ルカ受難曲」との相似性も、そこからは感じることは出来ないでしょうか。
この年に80歳を迎えたコリン・デイヴィスは、自分に捧げられたこの曲を渾身の力を振り絞って演奏しているように思えます。正直、この老紳士のどこにこんなエネルギーが潜んでいたのかと驚かされる、それは力に満ちたものでした。

SACD Artwork © London Symphony Orchestra, Hänssler Verlag
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by jurassic_oyaji | 2009-03-28 19:56 | 合唱 | Comments(0)
The Art of Paula Robison
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Paula Robison(Fl)
VANGUARD/MC 123



アメリカの美人フルーティスト、ポーラ・ロビソンがかつて多くのレコードを録音していたVANGUARDレーベルから、2枚組のベストアルバムがリリースされました。もちろん、このレーベル自体は今ではどこかに身売りして実体のないものになっているのでしょうね。このアルバムも、リリースにあたっては彼女自身のレーベルであるPERGOLA RECORDINGSが関与しているようです。
そんな、マイナーなレーベルでの録音活動のせいでしょうか、最近はとんと名前を聞かなくなってしまったロビソンですが、このCDのライナーにあった彼女の公式サイトによれば、60歳代後半となった今でも相変わらずお美しく、元気で活躍しているようですね。
1941年生まれのロビソンが、バーンスタインに見いだされて、ニューヨーク・フィルとの共演を果たしたのは、彼女が20歳の時でした。バーンスタインが、若い演奏家をソリストに迎えて1962年に録音した「動物の謝肉祭」の中で、「大きな鳥籠」の華やかなソロを吹いているのが彼女です(そこでは、若きゲイリー・カーがコントラバスで「白鳥」を演奏しています)。その後、アメリカ人としては初めてジュネーヴ国際音楽コンクールで優勝、まさにアメリカを代表する若手のフルーティストとして華々しい活躍をすることになりました。
通常のレパートリー以外に、彼女は、現代の作曲家にフルートのための作品を数多く委嘱し、もちろん、彼女が世界初演を行っています。その中には、武満徹の「I Hear the Water Dreaming」や「巡り」といった曲も含まれています。今でも、オリヴァー・ナッセンに新しい協奏曲を委嘱しているのだとか。さらに、武満の「Voice」や「Air」をアメリカで初演したのも、実は彼女だったのですね。「現代音楽」のシーンでも、彼女は重要な役割を果たしていたのでした。
このベストアルバムには、VANGUARD時代にリリースされた6枚のアルバムからのナンバーが収められています。最も古いものが1974年に録音されたラヴェルのトリオ、そして、最も新しい録音は1990年の、なんとブラジルのミュージシャン(多分。なにしろ、このベストでは共演者のクレジットが全くありません)との共演で、ブラジル音楽を演奏しているものでした。いえ、ヴィラ・ロボスとか、そういうのではなく、ボサノバとかショーロとか、そっちの音楽ですね。花に水をやるやつ(それは「ジョーロ」)。実は、このベストアルバムのうちの半分ぐらいはすでに聴いたことがあるのですが、これは初めて聴くものでした。というより、彼女がこういう音楽も演奏することすら初めて知りました。それこそゴールウェイでもない限り、こういうノリの音楽を自然に演奏するのはクラシックのフルーティストにとってはかなり難しいことなのですが(パユなどは、かなり悲惨でしたね)、彼女はその技巧の冴えに物を言わせて実に見事にこれらの「ポップス」に命を与えていました。「ティコ・ティコ」などはピッコロでちょっとユーモラスな味を出すほどの余裕まで。バッハの「無伴奏パルティータ」のラテン風アレンジも、とてもクラシック奏者が演奏しているとは思えないようなノリの良さです。ここでは、あのアルマンドが超高速で吹かれているところに、ギター奏者でしょうか、スキャットでユニゾンを入れているのも素敵、そう言えばロビソンもジャズ風のムラ息の多い吹き方をしているような。
面白いことに、そんな曲の間に別のアルバムからの本物のバッハやヘンデルのソナタが入るという、粋な編集がされています。こちらは、モダン・チェンバロやモダン・チェロを使った元気の良い演奏、ヘンデルの早い楽章でチェンバロのリュート・ストップとそのチェロが生き生きとしたリズムを刻む中で吹かれるフルートは、まさに時代もジャンルも超えた颯爽たるものでした。

CD Artwork © Musical Concepts, USA
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by jurassic_oyaji | 2009-03-26 20:54 | フルート | Comments(0)
BACH, HOLLIGER/Works for Flute Solo
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Felix Renggli(Fl)
GENUIN/GEN 88129



スイス生まれ、ペーター・ルーカス・グラーフやオーレル・ニコレに師事をしたフルーティスト、フェリックス・レングリが「ソロ」、つまりフルート1本だけで演奏された曲ばかり(一部、アンサンブルもありますが)を集めたアルバムです。曲は、バッハ親子と、オーボエ奏者としても有名なハインツ・ホリガーという、「バロック」と「現代」のレパートリーなのが、ユニークなところでしょうか。もっとユニークなのは、ソリストのレングリは、現代曲では通常のフルートやアルトフルートを吹いているというのに、バロックではちゃんと当時の楽器であるトラヴェルソを吹いていることです。ソリストとして身を立てたモダンフルート奏者がトラヴェルソまできちんと吹けるのは極めて希なこと、彼の場合、果たして「二足のわらじ」は履きおおせているのでしょうか。
しかし、父バッハの「パルティータ」といい、息子バッハの「ソナタイ短調」といい、彼のトラヴェルソは完璧なバロックの音を聴かせてくれていました。それは、モダンフルート奏者の場合必ず付いてしまうビブラートが一切ない、実に素朴な音でした。ただ、表現のダイナミックスはちょっと「トラヴェルソ離れ」しているのは、感じないわけにはいきません。それと、例えば「パルティータ」の「サラバンド」などでは、繰り返しで律儀に装飾を施して演奏しているのですが、それはちょっとバロックの様式からは離れているような気がしてなりません。なにか、自然に出てきたのではない、頭の中でこねくり回したような作為的なものが感じられてしまいます。おそらく、それは「装飾」というよりは、現代風の「インプロヴィゼーション」に近いものなのかもしれません。
ホリガーの作品では、1曲「トリオ」がありました。ピッコロ、フルート、そしてアルトフルートのための曲です。なんでも、これはホリガーのバーゼル交響楽団での同僚だったピッコロ奏者の追悼のために2005年に作られたものなのだそうです。フルートとアルトフルートの伴奏に乗って、ピッコロが終始大活躍をする、というとても楽しい曲です、鳥のさえずりのような華やかなフレーズが、いかにもピッコロ奏者が喜びそうなものになっています(ここではレングリは、アルトフルートを担当)。
もう1曲、他の楽器が加わったものが、1984年の「Schlafgewölk(『眠りの雲』、でしょうか)」という作品です。レングリのアルトフルートと共演しているのが、なんと日本のお寺で使われていたり、ご家庭の仏壇には普通に備わっている「きん」という「打楽器」です。そんな、あたかも仏教の礼拝に参加しているような面持ちの中で、まるで「お経」のように瞑想的なアルトが流れるという、ホリガーにしてはちょっと意外な曲想です。
そう、彼の場合、いかにも「現代音楽」という、さまざまな特殊奏法を駆使した「難解な」というか、「勝手にやってたら」というような作品をすぐ連想してしまいがち、もちろん、そんな作品もこのアルバムには含まれていますが、実は彼の芸風はかなり幅広いものだったのですね。そして、そんな中には1996年に完成した「ソナタ」のように、ちょっとユーモラスなものまで含まれています。「アルマンド」とか「クーラント」といった舞曲のタイトルが付いた12曲の小さな曲から成っていますが、それぞれが例えばさっきのバッハの「パルティータ」などの、見事なパロディになっているのですよ。組曲第2番の「バディネリー」をパロったと思われる「Badines!...Ries!」などは、ホイッスル・トーンのはかなげな音であのテーマが演奏されるのですから、まさに抱腹絶倒です。
最後に収録されている「Petit Air」は、盟友オーレル・ニコレの75歳の誕生日を祝った曲、もちろん、その5年前に武満徹がやはりニコレのために作った彼の遺作「Air」へのオマージュでしょう。仏前に供えるという(それは「おまんじゅう」)。

CD Artwork © GENUIN Musikproduktion, Leipzig
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by jurassic_oyaji | 2009-03-24 23:54 | フルート | Comments(0)
名曲探偵アマデウス
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 NHKのBSでやっている「名曲探偵アマデウス」という番組、なかなか面白いですね。とは言っても、私の場合、最初にこの番組が始まったときには全く期待はしていませんでした。というか、経験上、この手のもので面白かったためしがありませんから「絶対に見るものか」というぐらいの決意すら持っていたものです。
 そうなんですよ。こういう、クラシックを扱ったバラエティでは何度失望感を味わわされたことか。いや、バラエティではなく、純粋に演奏を見せるだけの番組でも、その前に出てきて「解説」をしたり「対談」をしたりする内容がことごとく「なんか違うな」という気持ちにさせられるものばかりですので、そういうものはまず録画して、その部分だけは飛ばしてみる、ということをしているぐらいですからね。ついこの間「生放送」をしていたコンセルトヘボウのコンサートもそんな感じ、番組表には詳しい時間が書いてなかったので、とりあえず最初から最後まで録画しておいたのですが、それを再生しようと思って時間を見たら、全部で3時間以上もありました。コンサート自体は2時間もなかったのになぜ?と思ったら、残りは全てそんなどうでもいいような話だったのですからね。ほんと、○本さんの話は全てどこかで聞いたことのあるものばかりですし、□田先生は完璧に老害を披露しているだけのことですから。
 ただ、そのなかで、現地で事前に取材している部分だけは面白いものでした。コンセルトヘボウを改修するときの話で、音響学者がこのホールの特性について話していたのですが、「美しい音のするコンサートホールは、視覚と両立させるのは不可能」だと言っていました。つまり、床に傾斜があるとそこに座った人間に音が吸収されてしまって響きが悪くなってしまうのだそうです。確かに、この間行ったばかりのオペラシティでも、床の段差は少ないものでした。
 ですから、日本の、特にNHKの作ったクラシック関係の番組のお粗末さは身にしみて感じていたところ、しかし、なんかのはずみでまさに「怖いもの見たさ」のような心境で、「動物の謝肉祭」の回を見てみたら、それが想像以上に良かったのですよ。つまり、音楽に関しての「解説」が、まさに正攻法で進められているのです。なまじ、「初心者のためにやさしく」などということは全く考えず、かなり専門的なことまでしっかり織り込んで、ほんと、ヘタをしたら現役の音大生でも知らないようなことまできっちり盛り込まれているのですからね。
 基本は、かなり高度なアナリーゼ、しっかり楽譜を見せながら、「空虚5度」とか「遠隔転調」とか言う言葉を、平気で使いながら解説しているのですから、これはちょっとすごいな、と思ってしまいました。バッハの「無伴奏チェロ組曲」の回などは、「スパッラ」まで登場してましたからね。私は、動く「スパッラ」を見るのはその時が初めてでした。
 そんな高度な解説と一緒にやっているのが、とことん下らないドラマもどきというのが、逆に勝因になっています。こじつけもここまで行けば、それだけで立派な芸になっていて、ひたすら笑うことが出来ますからね。ただ、一番最後にそれまでの「おさらい」みたいな感じで、その日にやったお勉強をもう一度曲に乗せて繰り返すのはちょっと邪魔。その部分だけはいつもカットしています。
 初めの頃の「フィンランディア」の回で、なんと新田ユリさんが出演されていたのですね。もちろん、捜査を依頼に来た過保護な母親を演じていたわけではなく、きちんと指揮者として登場したのでしょうが、ヘンな意地を張らないで初回から見ておけば、と後悔しているところです。
 しかし、「天出臼夫」とは・・・・。
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by jurassic_oyaji | 2009-03-23 22:54 | 禁断 | Comments(2)
LUKASZEWSKI/Via Crucis
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IestynDavies(CT), Allan Clayton(Ten)
A. Foster-Williams(Bar), Roger Allam(Nar)
Stephen Layton/
Polyphony
Britten Sinfonia
HYPERION/CDA67724



ポーランドの作曲家、ウカシェフスキについては、以前やはりレイトン指揮の合唱曲をご紹介したことがありました。今回は、2000年に作られた、4人のソリスト(そのうちの1人はナレーター)と合唱、そしてオーケストラのための「Via Crucis(十字架への道)」です。そんなタイトルの曲では、リストのものが有名ですが、これも基本的には同じ構成を持っています。ただし、リストの曲の場合はキリストが十字架につけられて亡くなるまでの14の情景を描いていたのに対し、この作品はそのあとの「復活」の場面を加えて、全部で15の「ステージ」が用意されています。
その15のステージと、最初に置かれたイントロ、そして最後のエンディングが、この曲の全ての構成要因、それらは非常に分かりやすい形で独立した情景をあらわすとともに、相互に有機的な(ライナーには「数学的」という言葉も見られます)結びつきを見せています。
まず、金管楽器や打楽器が多用された、華々しいオーケストラの響きによる「Via Crucis」というイントロが、圧倒的なインパクトを与えてくれます。それに続くそれぞれのステージは、いわば「額縁」のように、決まったパターンで囲まれています。まず最初には、力強いオーケストラ・ヒットが、ステージのタイトル数だけ(つまり、第5ステージだと5回)打ち鳴らされ、それがいわば「開始の合図」となって、そのシーンが始まるという、最初の枠組みが示されます。その後は、まず男声だけの荒々しいステージのタイトルの「叫び」、そして、対照的に柔らかな「Adoramus te」という女声の美しいハーモニーが鳴り響きます。その後がそれぞれのステージの自由な部分、朗読やレシタティーヴォ、そして合唱で、さまざまなシーンが描かれます。この部分、テキストには受難曲でお馴染みの福音書なども使われていて、まさに受難曲そのもののようなリアルで劇的な音楽が繰り広げられます。その部分の締めくくりが、混声合唱による「Qui passus est pro nobis」、そして、最後にオーケストラだけで演奏されるのが、イントロの後半部分で提示されていた、おそらくイエスの歩みをあらわすのでしょう、ゆったりとした行進の音楽です。
そんな、ある意味パターン化されたユニットが15回繰り返されることになるのですが、その内部のそれぞれに異なるパーツだけではなく、それらの「額縁」自体も微妙に変化していくのがエキサイティングなところです。最後の行進の音楽は、テーマ自体は同じなのに、次第にオーケストレーションが変わって(更新されて)、徐々に重苦しい様相を呈してきます。さらに、第12ステージはイエスが十字架上で息絶えるシーン、ヨハネ福音書の、まさにバッハの受難曲では「Es ist vollbracht」に相当する部分が繰り広げられるのですが、その後の第13ステージ以降では、最初にステージ数をあらわす音がそれまでの暴力的なパルスではなく、安息感に満ちたレガートなものに変わるのが、印象的です。
最後の、まさに希望に満ちた「復活」のシーンの後のエンディングは、想像通りイントロと全く同じものでした。こうして、作品全体にも「額縁」が用意されていたことを、聴き手は知るのです。
ウカシェフスキの音楽は、難解な和声も自然に聞かせるとても美しいもの、オーケストラも声楽も、とてもヴァラエティに富んだ大きな振幅を持っています。ハイテンションがウリの「ポリフォニー」は、ここでもその幅広い表現力を存分に発揮して、その美しくも厳しい音楽に確かな造形を施しています。
おそらく、この曲には単なる宗教的な典礼音楽を超えた、普遍的なメッセージが込めらているはずです。アウシュヴィッツの囚人服まで描かれているこのジャケットの絵が、それを端的に語っています。

CD Artwork © Hyperion Records Limited
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by jurassic_oyaji | 2009-03-22 21:04 | 合唱 | Comments(0)
PUCCINI/Madama Butterfly
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Angela Gheorghiu(Butterfly)
Jonas Kaufmann(Pinkerton)
Antonio Pappano/
Orchestra e Coro dell'Accademia Nazionale
 di Santa Cecilia
EMI/2 64187 2



詳しく調べたわけではありませんが、最近作られているオペラのCDと言えば、ほぼ100パーセント実際の公演の模様を収録した「ライブ録音」になっているのではないでしょうか。しかも、「音だけ」のCDではなく、映像も付いたDVD(もしくはブルーレイ)の方が、はるかに多くリリースされているはずです。スタジオに歌手とオーケストラを集めてのセッションを組もうとすれば、とてつもない経費がかかります。それよりはすでに出来上がっているものをそのまま収録する方がはるかに安上がりでしょうし、「生」につきものの事故やノイズも、何種類かのテイクを巧みに編集する技術が進んだことによって解消出来るようになっていますしね。
ですから、今時映像も付かないスタジオ録音が行われているなどとは、ちょっと信じがたいことでした。まだまだ、良いものを作ろうとする人たちは健在なのだ、と思いたいものです。ここでの主役たち、ゲオルギウとカウフマンが実際にオペラハウスで蝶々さんやピンカートンを演じるのは、まだまだ先のことでしょうから。そんな、とても実現しそうにない顔ぶれでオペラを録音するという「ドリームキャスト」が実現出来るのも、まさにスタジオ録音ならではのことなのですよね。それにしても、EMIがこの「蝶々夫人」を最後にスタジオで録音したのが、43年前だというのには驚いてしまいます。
そんな力の入った企画、出来上がった製品もなかなか力の入った立派なボックスとなっています。厚さが2.5センチもあるボール紙の箱ですからね。ただ、ブックレットの厚さが6ミリですから、箱の中は1センチ近くの空間が出来てしまい、振るとカタカタと音がして、最初はCDが外れてしまったのかと思ってしまいましたよ。この箱に見合うぐらいの分厚いブックレットだと良かったのですがね。それよりも、その箱を飾るこのゲオルギウの写真が、見事に「左前」の打ち合わせの和服を着ているものですから、「やっぱりな」と思ってしまいます。西洋人に和服の正しい着方を教えるのは、朝青龍にガッツポーズをやめさせるよりもはるかに困難なことなのでしょう。
いや、そもそもこのオペラでの「日本」の扱いは、まさにそんな着付けと同じ次元のものなのでしょう。なんといっても、「日本人」がそれを聴くときには必ず起立することを強要される「君が代」という極めて特別な歌が、なんとも安直に引用されているのには、心配にさえなってきます。「教育関係者」は、こういうものは取り締まったりはしないのでしょうかね。登場人物も、おかしいですよね。「ボンゾ」ってなんなのでしょう。おそらく「坊主」なのでしょうが・・・。「ゴロー」の職業は「il nakodo」、それを対訳で見るとドイツ語は「der Nakodo」フランス語は「le Nakodo」ですから、なんのことなのか(さいわい英語だと「the marriage broker」)。それから、指揮者の末廣誠さんが雑誌のエッセイにお書きになっていましたが、蝶々さんが肌身離さず持っているのが「Ottokè」という「人形」、これは「仏」なんですってね。ですから「仏像持ち歩いている日本人なんて、どこにいるんだあ!」と、末廣さんに突っ込まれることになるのです。そんな些細なことはほっとけって?ごもっとも。何と言っても、プッチーニにとってはここは単なる「未知の異国」なのですからね。
いや、演奏は堪能させて頂きましたよ。スタジオ録音ならではの、細かい音場設定、アメリカ鑑の大砲の音もリアルでしたね。そして、ゲオルギウの蝶々さん、実に自然体で等身大の女性という感じがひしひしと伝わってきます。お目当てのカウフマンは、第1幕などはちょっとこの役にはもったいないような立派な声だったので、これはミスキャストかな、と思ってしまいました。ピンカートンって、本当に男の風上にも置けないようなダメな奴ですからね。しかし、最後の最後で「Butterfly!」という、とことん情けない声、これで不満はすっかり消え去りました。素晴らしい!

CD Artwork © EMI Records Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2009-03-20 19:39 | オペラ | Comments(0)
Aki Takahashi Piano Space
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高橋アキ(Pf)
TOWER RECORDS/QIAG-50035-37



これも、この間のゴールウェイ同様タワーレコードによって初めてCD化された貴重なアイテムです。オリジナルは1973年にLP3枚組、立派なボックスに入ったセットで発売されました。「芸術祭参加作品」という、企画の段階からとても力の入ったレコードで、3枚の内容は、日本人の作曲家が2枚、外国の作曲家が1枚、日本人の作品の中にはこのレコードのために新たに委嘱された曲が入っている、というのがすごいところです。付属のブックレットも分厚いものだったような記憶があります(すでに中古屋行きになっていて、手元にはありません)。これは70年代、いわば「現代音楽バブル」の時代の、一つの産物ととらえるべきものでしょう。もちろん「バブル」とは言ってもごく狭~い世界の中の出来事ではありましたが。
「完全復刻」されたこのCDも、LPと全く同じコンテンツが3枚組になっています。まず、その3枚目、当時の現代音楽シーンの寵児たち、メシアン、ブーレーズ、シュトックハウゼン、ベリオ、そしてクセナキスたちの作品は、現在ではすでに「古典」としての重みを持ち得ているものばかりです。そんな中にあって、ブソッティの、全編ピアノの内部奏法だけ、という画期的な作品「Piano pieces for David Tudor 3」は、今でもそのアイディアの斬新性は失われてはいません。
日本人の作品では、「カリグラフィー」やら「アルロトロピー」といった、なんとも頭でっかちなタイトルが、恥ずかしいほどのインパクトを与えてくれます。中でも、三枝成彰(当時は「成章」)の、作品などは、なんと、そもそも文字としてタイプしたり、発音することすら出来ないというものすごいものでした。
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仕方がないので、画像で表示です。「元プリンス」みたいな、読む人を完全にあざ笑うようなタイトル、付けたご本人は、さぞ気持ちが良かったことでしょう。
LP時代に聴いたときには、タイトル同様その音楽もまさに刺激的なものでした。ピアノ、プリペアド・ピアノ、エレクトリック・ピアノ、コンボオルガンという、実に微妙な楽器選定がまず「時代」を感じさせるものですが(シンセサイザーはすでに実用化されていましたが、なぜか「クラシック」の音楽家はそれを敬遠していたものです)、それを差し引いても、多重録音でそれらの楽器を同時に演奏することによって開かれた音響空間には、確かな「新しさ」を感じたものです。
30年以上の時を経て同じ作品を聴いたときには、そこからはそんな先進性などはきれいさっぱり消え去っていました。精一杯新しい音響を追求していたはずのものは、今となっては実に心地よい「ヒーリング・ミュージック」のように聞こえてきます。曲の前半、エレピで演奏されるプレーンチャントのような音型が、そんな雰囲気を醸し出して心を和ませるよう。現在まさにそのような音楽を量産している三枝の資質は、「尖っている」と思われたあの頃と、本質的には何も変わっていなかったことに気づかされます。最後のあたりに出てくるピアノによる細かい音符のパターンも、メシアンの鳥の声そのものですし。いや、これは現代の「サンプリング」というテクノロジーのさきがけだったのでしょうか。
当時「前衛音楽」のリーダー的存在だった一柳慧の「ピアノ・メディア」も、その頃の最先端の流行を取り入れた、まさにスティーヴ・ライヒそのものの様な「ミニマル・ミュージック」でした。そんな変わり身の早い作曲家の末路は、今では誰でも知っています。
そんな、今となっては顧みられることのない多くの作品が産まれたのが「バブル」の時代なのでしょう。今や還暦を過ぎてなんともロマンティックにサティを弾くようになった高橋アキは、まだ20代だった頃の彼女の晴れがましいファーストアルバムを、さてぃ、どのように聴くことでしょうか。

CD Artwork © EMI Music Japan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2009-03-18 20:04 | 現代音楽 | Comments(0)
歓喜の歌
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 「歓喜の歌」をWOWOWで見ました。ちょっと粋な計らいで、原作と並べて放送するという企画です。ご存じでしょうが、この映画の「原作」は立川志の輔の新作落語です。彼が毎年ホールで行っている独演会は毎回チケットが入手出来ないほどの人気なのだそうですが、それの何年か前の出し物が、この「歓喜の歌」だったのですね。二つのお母さんコーラス(志の輔は未だに「ママさんコーラス」という今ではどこでも使われることのない名称にこだわっていますが)のコンサートをダブルブッキングしてしまった「文化会館」の物語、とてもあり得ない設定ですが、それを一級の人情噺に仕立て上げた志の輔の「原作」は、確かになかなか感動的なものでした。
 映画では、この「原作」の骨組みにかなりの肉を付け加えていました。噺では抽象的な存在であった二つの「合唱団」を、きちんと実体のある物として描くのが、まずその第一歩。実は、この映画が公開されていた頃に「コール青葉」の練習で新大久保にある辻音のスタジオに行ったことがあるのですが、そこにポスターが貼ってあったのにはちょっと驚きました。一応「合唱」がらみで宣伝に一役買っているのかな、と、その時は思っていたのですが、実際はこの辻音が、かなりのところまで関与していたのですね。「合唱指導」とか。
 確かに、その「合唱」の出来は、かなりのものでした。おそらく、クレジットにあった何とかという本物の合唱団がきちんと演奏していたからなのでしょうね。少なくとも、「この演奏会に向けて、一生懸命練習をしてきた合唱団」という感じは良く出ていました。こういう最低限の「仕込み」さえきちんとやってもらえれば、後はどんなでたらめをやっても大概のことは許せます。どこにもオーケストラと、そして男声の姿は見えないのに、聞こえてきた「第9」はオリジナル(いや、とんでもないカットがありましたが)の編成だった、なんてのは、笑って済ませられることです。正直、「ダニー・ボーイ」などは鳥肌が立つほどの素晴らしさでしたよ。
 そしてストーリーも、多くの脇役を登場させてキャラクターの設定をより現実的なものにしようとしています。ただ、原作でもそうでしたが、あのダメ主任がなぜこんなにも簡単に改心出来てしまったのか、それはもちろん「餃子」のおかげなのでしょうが、今ひとつ説得力に欠けるのが気になります。それでも噺の方でしたら、志の輔がまさにここをクライマックスに熱く演じているのでそれなりに納得は出来るのですが、映画ではなまじこの主任のキャラクターがリアルだったために、そこまでの境地にはならなかったというか。ほんと、この主任の設定はちょっとくどすぎましたね。あんな、ロシア人のホステスに簡単に入れあげてしまうような人が、どうしてここまで一途な使命感を発揮出来るのか、ちょっと乱暴すぎるプロットではありました。
 というより、彼を演じた小林薫を見ていると、絶対に「第9」を「指揮」している姿しか浮かんでこないのが、困ったものです。似てるでしょ?末廣さんに。
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by jurassic_oyaji | 2009-03-17 23:39 | 映画 | Comments(2)
MOZART/Requiem
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Ute Selbig(Sop), Bernada Fink(Alt)
Steve Davislim(Ten), Alastair Miles(Bas)
Colin Davis/
Chor und Orchester der
Sächsische Staatsoper Dresden
DREAMLIFE/DLVC 8106(DVD)



BSでも放送され、だいぶ前にDVDで発売された2004年のドレスデン州立歌劇場での映像が、なにげに安く再発されました。CDより安いDVDですから、当然「買い」でしょう。あるいは、すでにDVDは見限られて、ブルーレイの時代に入ったのかも。もはやブルマーの時代は戻っては来ませんが。
この演奏会は、1945年2月13日のドレスデン大空襲を悼むための催しだということです。その時には、このゼンパー歌劇場も含めて都市全体が破壊されてしまったわけですが、再興なったその歌劇場での「祈念」コンサートは、その日の前後、2月11日から15日にかけて行われました。画面には、闇の中に明るく浮かび上がる歌劇場の全景に続いて、客席とステージが映し出されます。通常はオーケストラ・ピットになっている部分の床がステージと同じ高さまで上げられて、そこにオーケストラが並んでいます。ステージの部分にはプロセニアムの柱と同じデザインの反響版が設置され、その前に100人ほどの大人数の合唱が並んでいます。そこにソリストと指揮者が入場してきても、満員の客席からは拍手が起こることはありません。このコンサートがどのような意味を持っているのか、それぞれの聴衆が心の中に期するものがあるのでしょう。
そんな、異様な緊張感の中で、この「レクイエム」が始まります。オーケストラの前奏で最初に出てくるカットは木管セクションのバセットホルンのアップです。クラリネットとは全く異なる哀愁を帯びた音色、それは、この楽器の特異に折れ曲がった外観というインパクトのある映像によって、視覚的にも伝わってきます。いくらモダンオーケストラといっても、このパートだけはこの楽器でなければ「レクイエム」の味は出てきません。
指揮者の真っ正面に置かれた無人カメラは、デイヴィスの全身像を執拗に追いかけます。彼の指揮は確信に満ちた明確なもの、時折「タメ」を作るようなときには、下半身までも使って大きな身振りで指示をする彼の指揮ぶりが、このアングルからは良く分かります。そして、その動きが求めているものは常にかなりの「重み」を持つものであることも良く伝わってきます。合唱はそれに応え、まさに「慟哭」と言ってもいいような悲痛な歌を一丸となって聴かせてくれています。実は、以前ご紹介した2007年のロンドン交響楽団との録音では、ジュスマイヤー版の楽譜にデイヴィス独自の手が加えられていましたが、ここでもそれと同じものを聴くことが出来ます。この時点で、すでに「デイヴィス版」は完成していたのですね。ですから、「Dies irae」のトランペットとティンパニの合いの手が、他のどの版にもないような躍動感あふれるリズムになっているのです。ロンドン交響楽団の場合は、それがまさに一つの盛り上がりとなっていたわけですが、ここでは同じリズムでもなにか突き刺さるような別の意味として感じられたのは、そんな合唱の「深さ」のせいでしょうか。普段はオペラを歌っているこの合唱団、確かに「ドラマ」を演じることにかけては年季が入っています。
ソリストたちも、そのルックスからしてドラマティックな人がいることが分かるというのが、映像の利点です。中でも、ソプラノのゼルビックの神秘的なマスクは、そのクールな歌い方と相まって静かな魅力をたたえています。しかし、テノールのデイヴィスリムの顔は、インパクトがあり過ぎ。まるでマンガのキャラクターのような豊かな表情は、なにか別の種類の訴えかけにあふれていて、ちょっと馴染めません。声は良いのですが。それと対照的な風貌のバスのマイルズにも、笑えます。このあたりだけにでも拍手があってもいいのに、と思っても、もちろん終演後に拍手が起こることはありませんでした。

DVD Artwork © Nihonmonitor Co.,Ltd
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by jurassic_oyaji | 2009-03-16 19:32 | 合唱 | Comments(1)