おやぢの部屋2
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WAGNER/Lohengrin
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J. Botha(Lohengrin), A. Pieczonka(Elsa)
F. Struckmann(Telramund), P. Lang(Ortrudd)
Semyon Bychkov/
WDR Radio Choir Cologne etc.
WDR Symphony Orchestra
PROFIL/PH09004(hybrid SACD)



もしかしたら、もはや死に絶えたと思われていたスタジオでのオペラの録音に、最近復活の兆しがあるのかもしれません。それも、それらが隆盛を極めた以前の姿よりさらにクオリティの高いものとなって。
そんな幸福感に浸れたのは、この、演奏から録音まで、隅々に手間のかかった仕事のあとが感じられるSACDを聴いたお陰です。セミョン・ビシュコフが、彼のオーケストラを使い、彼のホームグラウンドであるケルンのフィルハーモニーで行った録音セッションは、それだけでも2週間という「長期」にわたっていましたが、実はそのはるか以前から周到な準備がなされていたものでした。プロダクション自体は数年前からスペインでのコンサートとウィーンでの上演で作り上げられていたものだということですし、その集大成というべきケルンでの2回のコンサートの直後に組まれたのが、このセッションだったのです。
それだけの時間をかけて練り上げられてきたビシュコフたちのローエングリンのベーシックなコンセプトは、おそらく薄暗いピットの中に埋もれていたオーケストラを、燦々と光の降り注ぐ場所へ引きずりだすことだったのではないでしょうか。3時間以上かかるオペラの全曲盤、それをなにもしないで集中して聴き通す自信などなかったので、仕事の片手間に聴き流そうと思ってSACDプレーヤーに放り込んだのですが、まず聞こえてきた前奏曲のあまりの繊細さと雄弁さにはまさに体中が凍り付く思いでした。とてもこれはなにか他のことをやりながら聴くようなものではない、と、改めてスピーカーと対峙、全神経を集中して聴き始めることになるのです。
そのオーケストラは、まさに「絹のような響き」、前奏曲の透明さは、ほとんど宗教的ですらあります。それは明らかに、この作品が、オペラというにはあまりにも「神聖」過ぎる後の作品、「パルジファル」の後日談であることを意識したビシュコフの視点のなせる業だったに違いありません。普通のオペラの上演では、ステージ上のバンダによってかなりいい加減に演奏される裁判開始のファンファーレまでが、なんと上品で音楽的に歌われていることでしょう。
そのシーンの最後に剣で盾を打ち鳴らすときに聞こえてきたショッキングな音、それは、映像などがなくても、眼前にそのシーンがまざまざと映し出されるものでした。ここから、一つの「予感」が脳裏をよぎります。もしかしたら・・・。
聴きすすむうちに、その予感は現実のものとなりました。第2幕第2場でのエルザとオルトルートの位置関係(エルザの声は高いところから聞こえてきます)、第3幕第1場、いわゆる「結婚行進曲」での遠近感、さらには第3場への場面転換の音楽のやはり遠くのラッパがしだいに近づいてくる音場設定など、これはまさにあのジョン・カルショーが試みた「ソニック・ステージ」そのものではありませんか。もちろん、その半世紀前のテクノロジーは、当時とは微妙に異なる意味合いを持っているはずです。オペラハウスの映像がいともたやすく手に入るようになってしまった現代では、どうしてもその奇抜な演出にばかり目が行きがち、真摯に音楽に耳を傾けつつ、自分なりのシーンをその中に描ける助けになれば。現代に蘇った「ソニック・ステージ」は、そんなものを目指しているのかもしれません。
1998年のバレンボイム盤と同様、ここでは慣例的なカットをすべて排した「完全版」を聴くことが出来ます。第3幕第3場の有名な「聖杯物語」も、本来の形で味わえますよ。しかし、それを歌っているボータからは、なぜか以前にはあった強靱な響きがすっかり消えています。この声で聴く「2番」のつまらないこと。せっかくの「完全版」の成果が、なぜ作曲家自身がカットしたかが納得できたことのみでしかなかっとのは、とても残念なことです。

SACD Artwork © Profil Medien GmbH
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by jurassic_oyaji | 2009-05-30 20:12 | オペラ | Comments(2)
パクり
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 この間の「偽造」騒ぎは、やはりメーカーサイドでも手を打ったようですね。私が買った先の通販サイトでは、レーベル検索ではそのアイテムがなくなっていましたし。でも、アカウントから昔の購入履歴をたどると、アイテムそのものへのリンクはまだ生きていましたよ。これではなんにもなりませんね。というか、こんな対応がメーカー(代理店)の本音なのでしょうね。「通常ご注文後4-7 日以内に入荷予定」などとありますから、未だに注文を受け付けているのでしょう。もうすっかりネタはバレているのに、この開き直りよう、「永田町」以上にみっともない、もっといえば醜い素顔が、こんな対応から垣間見えてしまいます。
 これは、フランスだかチェコだかのレーベルが、ドイツの名門レーベルの音源をパクった事例なのですが、ネットの世界ではそんな、他人が書いたものを丸ごとコピー&ペーストして自分のサイトに載せるなどということは日常茶飯事です。その際たる物は「ウィキペディア」なのでしょうが、その「ウィキペディア」をそのままコピーしているサイト、などもあったりしますから、これでは最初に情報をアップした人の立場などどうなってしまっているのだか。
 もちろん、私もウェブマスターの端くれ、今までさんざんそんな目に遭ってきました。まあ、それだけ私の情報がレアなものであり、価値が高いことのあらわれなのでしょうから、実はそんなに悪い気はしないのですがね。自分の書いたことがあちこちで使われているのを見て、人知れずほくそ笑んでいる、というのはかなりの快感です。
 しかし、なにも知らないでそのパクリの方を先に見てしまった人にとっては、逆に私の方がそちらをパクったのだと誤解をしてしまうかもしれませんよね。いや、実際にそういうことが最近あったのですよ。私のサイトの愛読者の方が、「デュリュフレに関して、ずいぶん似ていることが書いてあるブログがある」と教えてくれて、「あちらは日付が入っているけど、こちらにはないので、誤解する人がいたら残念だ」とも言ってくれました。
 確かに、こんなブログがあるのは前から知ってましたし、これほどまでにレビューの文章までさも自分が聴いたかのように書いている図々しさには、私の方が恥ずかしくなるほどだったような気になったことも思い出しました。今見直してみたら、CDの画像まで同じものを使っていたんですね。サイズも変えないで。こういうものは、せめて「早回し」ぐらいするのが掟というものです。
 ほんと、これでは私の方が真似をしたと思われても無理はありません。これは本当にサイトを立ち上げた直後のコンテンツで、今だったら必ず入れている日付も入っていませんでしたので、遅まきながら入れておきました。うん、これが、私の財産を守る最低限の保証なのでしょうね。
  ところで、デュリュフレって、クリス・ノース(ミスター・ビッグ)に似てません?
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by jurassic_oyaji | 2009-05-29 23:19 | 禁断 | Comments(1)
TCHAIKOVSKY/Symphony No.5, The Nutcracker Suite
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Roger Norrington/
Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR
HÄNSSLER/CD 93.254



ノリントンとシュトゥットガルト放送響のコンビによるチャイコフスキーは、以前2004年に録音された「悲愴」を聴いていましたが、正直それほどの感銘を受けるものではありませんでしたね。弦楽器のビブラートを排してきれいなハーモニーを作るという、彼らの目指している「ピュア・トーン」の効果が、チャイコフスキーのぎらぎらした音楽ではそれほど発揮されてはいなかったのが、そのように感じた最大の要因でした。そもそも、ノリントンとチャイコフスキーはあまり相性がよくないのでは、とも。
今回は、それから3年後の2007年に録音された「5番」と「くるみ割り人形」です。やはりノン・ビブラートの弦楽器から華やかな響きを求めるのは非常に困難だということは再確認しながらも、この3年の間にノリントンが付けたある種の「折り合い」のようなものは感じることが出来ました。そんな弦楽器の「しょぼさ」を逆手にとっての、ノリントンならではの表現が、そこには見られたのです。
それは、「5番」第2楽章の中程、その楽章の冒頭でホルンによって奏でられたいとも甘美なテーマがヴァイオリンによってあらわれる部分で顕著に見られます。この、ヴァイオリンらしからぬ低音によって歌われるテーマは、木管楽器のオブリガートによって飾られているのですが、それはなんとも不思議なテイストの、なにか行く先の定まらないような雰囲気を持っています。「飾る」というよりは「邪魔をする」といった木管たちのフレーズの断片、ノリントンは、おそらくそのオブリガートに注目したに違いありません。「しょぼい」ヴァイオリンと一緒になったその木管からは、なんともグロテスクな、まるでゾンビのような気配が漂っているのですからね。
そんな具合に、この演奏には至るところにノリントンのいたずらっぽい仕草が顔を現しています。フィナーレなどは、まさに彼の「好き勝手」といった印象が色濃く感じられます。次々と現れる新鮮な驚き、次はどんな「技」を繰り出してくるのか、といった期待が満載です。なんせ、終わり近くでの「ドラえもん」のイントロに良く似たテーマなどでは、度肝を抜くようなダイナミクスが付けられていますしね。これは、コンサートのライブ録音、終演後の拍手やブラヴォーの嵐には、そんなノリントン節に酔った聴衆の思いが強く感じられました。
「くるみ割り人形」の方は、SWRのスタジオでのセッション録音、当然ホールでのライブとは異なった音で聞こえてきます。もちろん、エンジニアも違いますし。しかし、ここで聴かれる弦楽器は、ライブの時に聞こえていたちょっときつめの、ノンビブラートの悪いところだけが目立ってしまっていた音とは全然別物でした。別にビブラートを付けないことをやめた(変な言い方ですが)わけではないのに、例えば「アラビアの踊り」で出てくる弱音器をつけたヴァイオリンのふんわりとした肌触りは、普通の奏法のオケと全く変わらないものだったのです。今までさんざん聴いてきた禁欲的な響きは影を潜め、それこそ「ピュア」な美しさがそこにはあふれていました。これを聴けば、もしかしたら、ノリントンが求めていた響きは、大ホールでの力任せの演奏では本当の姿を現してはいなかったのではないか、という思いに駆られてしまうことでしょう。
サウンド的には一皮むけたこの「くるみ割り人形」、しかし、ノリントンの「個性的」な表現は変わることはありません。「葦笛の踊り」の3本のフルートのフレーズの最後の音にテヌートが付いているにもかかわらず短く切っているのもその一つ。しかし、何回か繰り返すうちに、プレイヤーがだんだん「楽譜通り」になっていくのが、面白いところです。指揮者とメンバーが「折り合い」を付けるのは、何年経っても難しいものなんねん

CD Artwork © SWR Media Service GmbH
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by jurassic_oyaji | 2009-05-28 20:35 | オーケストラ | Comments(0)
DURUFLÉ/Complete Sacred Choral Works
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Dawid Kimberg(Bar)
Christopher Gray(Org)
Robert Sharpe/
Truro Cathedral Choir
LAMMAS/LAMM 174D



録音されたのは2004年7月ですし、リリースもかなり前のものなのですが、カタログを検索していてデュリュフレの「レクイエム」が見つかってしまったのでは手に入れないわけにはいきません。店頭や国内の通販サイトでは見当たらないので、直に注文、かなり時間がかかってしまいました(4ヶ月以上)。そのぐらいの執念がないことには、到底「デュリュフレ全種目制覇」の野望は達成することは出来ません。
手に入れただけで満足出来たようなものなのですが、演奏がとても素晴らしいものだったので思いがけず幸福な思いに浸っているところです。デュリュフレつながりで、こんな、全く聞いたことのない合唱団と出会えたりするのですから、世の中捨てたものではありません。
演奏しているのは、イングランド島の南西部に突き出ているコーンウォール半島にある州都、トルローの大聖堂の聖歌隊です。余談ですが、コーンウォールといえば、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」に登場する地名ですね。マルケ王の后にと、アイルランドの王女イゾルデを乗せた船が向かう先が、このコーンウォールでした。地図で見ると、この半島からは、アイルランドはすぐそばなんですね。
そんな由緒のあるケルト民族の地の大聖堂は、まさにあたりを睥睨する立派な建物です。そこの付属の聖歌隊は、トレブル・パートが少年、その他のパートは全て成人男性ですから、アルト・パートはカウンター・テナーが歌っています。
録音も、この高い天井を持つ広い石造りの空間の中で行われました。まず聞こえてくるのは、かなりの残響が伴うちょっとぼやけたオルガンの音像ですが、それは決してこのデュリュフレの世界を裏切るものではありません。なまじリアルな録音よりも、こんなアバウトさの方がこれらの曲にはマッチすることが再確認されます。合唱も、かなりの距離感をもって聞こえてきます。実際はオルガンとはかなりズレているのですが、この大聖堂全体が作り出す壮大な響きの中では、それすらも全く気にならなくなってくるのですから、不思議なものです。
その合唱の響きは、とてもふくよか、写真で見ると、トレブルの男の子はまだ年端もいかない感じなのですが、歌い出してみるとそんな幼さなどはまるでありません。それどころか、適切なフレージングと表情は、とても自然に暖かい音楽を醸しだしています。ただ、カウンター・テナーのアルト・パートだけがちょっと異質な音色で、そこだけ異様に飛び出してしまうのが難点といえば難点でしょうか。「レクイエム」の「Pie Jesu」は、ソロではなくトレブル・パート全員で歌っています。これが絶品。歌い出しの繊細さとともに、盛り上がりの力強さには圧倒されてしまいますよ。ですから、最後の「Chorus Angelorum」でも、決してただ心地よいだけのものではない、もっとアグレッシブな音楽が伝わってきます。終始、このトレブルの子供たちに、他の大人のパートがリードされている、というほほえましい情景がつきまといます。
「全曲集」ですから、「Messe cum jubilo」も入っています。男声のユニゾン(+バリトン・ソロ)に華麗なオルガンの伴奏が付いた、まさに現代に蘇ったグレゴリアン・チャントとも言うべき作品ですが、そんな魅力的なトレブルが抜けてしまった残りの男声パートは、いかにも危なげな歌い方になってしまっていることは否めません。しかし、なぜか、良くあるていねいに揃えられたユニゾンからは決して聴くことはできない、もっと絶妙の雰囲気が出ていると感じられるのは、なぜなのでしょう。超高速で歌われるそのメリスマには、確かに作曲者が求めた原初のチャントの「味」がちゃんと込められています。もしかしたら、この作品は普通の「合唱曲」と受け止めてはいけないものなのかもしれませんね。

CD Artwork © Lammas Records
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by jurassic_oyaji | 2009-05-26 23:57 | 合唱 | Comments(0)
Slåttar på tunga
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Berit Opheim Versto
2L/2L46SACD(hybrid SACD)



ノルウェーのマイナーレーベル「2L」は、本当に手作りの「マイナー」さがまだ保たれているところなのでしょうね。品番が通し番号になっているようですが、今までにリリースされたアイテムはせいぜい60枚程度でしょうか。これの一つ前の番号は、確かグリーグの合唱曲集でしたね。
内容もなにも分からずに、ひたすらこのレーベルの音の確かさだけをあてにして買ってしまったSACD、もう一つの魅力は、このジャケットにありました。どうやら4人のメンバーによるア・カペラっぽい感じがしませんか?代理店のインフォにも、「楽器の音を口で再現」みたいなコメントがあったような気がしますし、それだったら「ボイパ」を駆使した小気味よい合唱が聴けるのでは、と楽しみに入荷を待ちます。
しかし、入荷予定日をはるかに過ぎた頃に手元に届いたこのアルバムには、どうもアーティストは1人しか居ないようなことが書いてありました。写真に写っている4人分の顔も、よ~く見てみると逆さづりになったり下を向いたりしているのは、なんだか同じ人のような気がしてきましたよ。そう、確かに、ここで歌っているのはベーリト・オプハイム・ヴェシュトという女性1人だけだったのです。ちょっとがっかり、こういうのも「偽装」と言うのでしょうかねぇ。まあ、でも、中には多重録音で2人、あるいは4人分の声が入っているトラックもあることですし、許してあげましょうか。「早回し」もしてないようですしね。
そんなことよりも、やはりこのレーベルの録音には期待を裏切られることはありませんでした。教会で行われた録音、たった1人で歌っているのに、そこには適度な残響が伴ったとてもリアルな「声」がありました。そう、これはまずヴェシュトさんの「声」のとびきり豊かな音色を楽しむアルバムだったのです。基本的に彼女のフィールドは「民族的」な音楽、発声もクラシックからはかなり離れたものですが、その「地」の声が持つ美しさには圧倒されてしまいます。低音はちょっとはかなさが伴った怪しいものがありますし、高音はそれとは全く対照的なクリアな明るさがあるのですからね。なんでも、彼女は2005年と2006年にノルウェーとスウェーデンで行われた「フォークオペラ版『魔笛』」(それがどういうものなのかは、ライナーの説明だけでは分かりませんが)のツアーで、夜の女王とパパゲーナを歌ったのだそうです。この二つのロールは同時に出てくるシーンはありませんから、一人二役だったのでしょうか。衣装も同じだったりしたら笑えますね。いや、確かにこれらの役を充分に歌えるだけの高音の美しさとテクニックは持っていますよ。
ここで彼女が歌っているのは、「スロッテル」というノルウェーの民族音楽です。車には関係ありません(それは「スロットル」)。本来は踊りの伴奏をするためにフィドルなどで演奏されるインスト・ナンバーなのですが、楽器を弾く人がいない場合にそれを「声」で代用するという伝統があるのだそうです。そんな、昔から伝わる「芸」の、さまざまな形のものがここでは堪能できます。とてもリズミカルで、まさに踊りの伴奏にふさわしいものの中には、ちょっとしっとりとした子守唄風のナンバーもあって、単調さからも免れていますし。
そんな、トラック11の「Bygdatråen」あたりを聴いていると、それこそグリーグの「ソルヴェーグの唄」とよく似たテイストが感じられます。面白いのが、ヴェシュトさんが取っている長調だか短調だか分からないような民族的な微妙な音程です。これは日本民謡にもよく見られる、「クラシック」の音階には当てはまらない音程なのですが、おそらく「ソルヴェーグ」のもとになった民謡も、そんな音程のものだったのではなかったか、という気がしては来ませんか?グリーグは、それを前半は短調、後半は長調にして、「クラシック」との折り合いをつけたのだ、と。

SACD Artwork © Lindberg Lyd AS
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by jurassic_oyaji | 2009-05-24 22:28 | 歌曲 | Comments(0)
Mahler/Das Lied von der Erde
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Klaus Florian Vogt(Ten)
Christian Gerhaher(Bar)
Kent Nagano/
Orchestre Symphonique de Montréal
SONY/88697508212



先日はバイエルン州立歌劇場のオーケストラとの共演盤をリリースしていたケント・ナガノですが、彼はもう一つ、カナダのモントリオール交響楽団の音楽監督というポストも持っとりおーる。今回は、そちらのパートナーとの仕事による、「大地の歌」の新録音です。
モントリオール響といえば、なんと言ってもシャルル・デュトワがDECCAに行った夥しい録音の印象が強烈ですから、おそらく今回の音を聴いて同じオケとはとても思えないような感想を抱く人はたくさんいることでしょう。録音場所も、デュトワ時代によく使われていたサン・テツィエンヌ教会ではありませんし。その録音場所に関するクレジットが、今回はなかなか細かく記載されています。それによると、2009年の1月に彼らの本拠地、モントリオールのサル・ウィルフレッド・ペレティエで2日間にわたって行われた演奏会を「ライブ」録音した後、プラス・デ・ザールという場所で1日「スタジオ」録音を行っています。さらに、2月に今度はミュンヘンのスタジオで「クラウス・フローリアン・フォークトとのオーバーダビング」のためにセッションが設けられているのです。これだけきちんと書いてあるデータも珍しいものですが、おそらく本番でのテノールの調子がイマイチだったので(2日とも)、録り直しをしたのでしょうね。ただ、彼は演奏会の次の日にはもう帰ってしまったため、オケだけを録音して、それを聴きながら後日ミュンヘンでその「カラオケ」を聴きながら一人でソロのパートを録音した、ということなのでしょう。
そういう場合、録り直した部分だけが全く別の音になってしまうというのは良くあることです。しかし、そのあたりはかなり上手に修正して、そんなに簡単にはバレないようにはなっているようです。そういう技術は、今ではおそらく想像以上に発達しているのでしょうね。ただ、よく聴いてみると、5曲目の「春に酔える者」が、同じテノールソロの1曲目と3曲目とは微妙にオケとソロとのバランスが異なっているような気がするのですが、どうでしょうか。フォークトの声にも、少し艶があるようにも聞こえませんか?
そんな風に、後の「修正」を意識したのかどうかは分かりませんが、これは全体に何か冒険を避けたおとなしめの録音のような印象があります。そのせいでもないのでしょうが、ここでのケントの作りだしたマーラーの世界は、とっても渋いもののように感じられます。言ってみれば水墨画の世界、でしょうか。例えば、デュトワ時代に数々の華麗なソロを聴かせてくれたフルートのハッチンス(ブックレットのメンバー表に、まだ名前がありました)の音色の渋さといったら。
もちろん、ソリストもそのような音楽の作り方にふさわしい人選になっているのでしょうね。しかし、先ほどのフォークトは今回初めて聴きましたが、ワーグナーのそれこそヘルデン・テノールのレパートリーでのキャリアを積み重ねてきた人にしては、なんとも情けない声なのには正直がっかりしてしまいます。ワーグナーとマーラーで全く異なる発声に挑戦しているのだとしたら、それはそれですごいことなのですが、それにしてもこのあまりの草食系の歌い方には馴染めません。
もう一人のソリストは、普通は「女声」のアルトが歌うことが多いのでしょうが、ここではバリトンのゲルハーエルと、「男声」になっています。実際、ピアノ版のスコアでは特に女声という指定はないのだそうですね。有名な1966年のバーンスタインとウィーン・フィルの、カルショーによるDECCA録音でも、フィッシャー・ディースカウが歌っていますし。
しかし、このゲルハーエルもここでの歌い方はまさに草食系、最後の「告別」などは、もっと深さがあってもいいのになあ、と、つい思ってしまいませんか?
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ところで、これは最近のCDに付いている「新生」ソニー・ミュージックのトレード・マーク。これは一体なにをあらわしているのか、ご存じの方はいらっしゃいますか?

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2009-05-22 19:45 | オーケストラ | Comments(0)
TAN DUN/The First Emperor
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Plácido Domingo(Emperor Qin)
Elizabeth Futral(Yueyang)
Paul Groves(Gao Jianli)
Wu Hsing-Kuo(Yin-Yang Master)
Mischelle DeYoung(Shaman)
Zhang Yimou(Dir)
Tan Dun/
Chorus & Orchestra of the Metropolitan Opera
EMI/TOBW-3607/8(DVD)



2006年にニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)の総支配人に就任したピーター・ゲルブが手がけた「ライヴビューイング」は、今では日本でもすっかりなじみ深いものになったようですね。その記念すべき最初のシーズンで上演されたタン・ドゥンの新作オペラ「始皇帝」が、「ライヴ」そのままの形でDVDとなりました。世界初演が行われたのは20061221日のことですが、ここに収録されているのは翌年の1月25日まで9回上演された中の7回目の公演、1月13日のマチネーの模様です。ちなみにこのプロダクションはさらに次のシーズンのレパートリーにも入り、2008年5月10日から17日まで3回上演されることになりました。
秦の始皇帝を主人公にしたお話、ということで、どんなに埃っぽく壮大な物語が繰り広げられるのか、ちょっとたじろいでしまいますが、ご安心下さい。タン・ドゥン自身も作成に参加している台本の骨子は、中国統一を果たした英雄の業績、といったような華々しいものではなく、基本的にはもっとオペラに馴染みやすいラブ・ストーリーなのですからね。
そのラブ・ストーリーの伏線として、おそらく秦の時代に演奏されていたであろう音楽が復元される、というシーンが、オープニングを飾ります。そこで大活躍を見せるのが、このオペラハウスの合唱団です。まるで宝塚のような大階段に並んだ黒ずくめの群衆は、一糸乱れぬ「振り」とともに、不規則なリズムの叫び声でそんな太古の音楽を奏でます。そして、それを支えるのが、やはり合唱団によって演奏される手に持った石で太鼓を叩いたり、その石を擦り合わせるという、これも一糸乱れぬ(いや、中には間違えている人もいたような)アンサンブルです。そこに、これは中国のミュージシャンでしょうか、たくさんの陶器を並べた打楽器が加わり、なんともインパクトの強い音楽が壮大に繰り広げられるのです。
しかし、そこに登場したドミンゴの始皇帝(彼が出てきただけで拍手が沸き起こります)は、「こんな音楽ではなく、もっと素晴らしい『賛歌』を作らなければ」と、まるで「第9」のような宣言を行います。その「賛歌」を作るべく用意されるのが、始皇帝の「影」とも言うべき人物カオ・ジャンリ。幼い頃は一緒に育ったものの、今は奴隷の身分の作曲家です。そして、彼と始皇帝の娘のユエヤンが愛し合ってしまうということで、話はロマンティックな方向へ向かいます。この2人が実際に愛し合う「濡れ場」は、「サロメ」そこのけのエロティックな雰囲気が漂う、まさに「サービス・カット」でした。結局その「賛歌」は完成するのですが、それがどんなものであったのかというのは見てのお楽しみ。
タン・ドゥンの音楽は、まさに折衷的、狂言回しとして登場する陰陽師は、京劇のアーティスト、京劇そのもののスタイル、もちろん中国語で彼だけの世界を演じています。本体は英語で歌われますが、その中にもメロディの節々に京劇的な引用が用いられます。アリアの旋律は中国風の五音階を用いたいかにも、というテイスト、そしてクライマックスは、まるでメシアンのような色彩的なハーモニーとリズムによって支配されています。作曲者自身の指揮からは、そんなごちゃ混ぜ様式を一つのエンタテインメントに昇華させようという強い意志が感じられます。間奏曲、でしょうか、オーケストラのメンバーまでが中国風の発声の合いの手を入れる中で華やかに打楽器が演奏されるシーンは、まさに東洋と西洋の幸せな融合のように聞こえてきて、感動すら呼ぶものです。
演出は、メータ指揮の「トゥーランドット」を手がけた映画監督のチャン・イーモウ。これを見ていたら、プッチーニが作り残したそのオペラの最後の部分をタン・ドゥンが作ったものを聴いてみたくはならないでしょうか。

DVD Artwork © EMI Music Japan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2009-05-20 20:07 | オペラ | Comments(0)
疑似ステレオ
 きのうの「おやぢ」は、なかなか手応えのあるアイテムでした。単にあのSACDが「偽物」だったことを検証しただけではなく、そのまわりの色々な事柄のうちのなにが真実でなにが「嘘」なのか、ということがずいぶんはっきりしてきたように、私には感じられました。一番いけないのは、通販サイトなどに登場する、代理店の担当者が作ったコメントですね。そのCDを制作した人にもっとも近い位置にある人が書いたものなのだから、いい加減なことなど書くわけがない、と、おそらくこれを読む人は盲目的に信じているのかもしれませんね。たとえば、今回、このSACDのレビューを書いているブログなどをたくさん拝見させて頂きましたが、ほとんどの人がこのコメントの丸写しによって、そのブログを完成させているのですね。そんな危険なことは、とても私には出来ません。大体、「駐露フランス大使館員が、自分の装置で隠し録りをした」なんてことは、1度でもこの録音を聴いていれば書くことなど出来るわけがありませんよ。
 なにしろ、代理店が発売する新譜の数は夥しいものですから、それらをいちいち全部聴いているわけなどありませんからね。おそらく、1本を30分ぐらいで仕上げるという「雑」な仕事の成果が、あのコメントなのでしょうから、そんなところに真実など潜んでいるはずはないのですよ。レーベルがよこした資料があれば、それを丸写しするだけ、そこに作為が込められていたとしても、それを確かめるすべはありません。というか、そもそもそういうことをやっているレーベルに、「問い合わせ」をしたとしても本当のことを言うわけなど、あるわけがないじゃないですか。
 このアイテムの目玉は、「ステレオ録音」ということだったのですが、そもそも、これが「偽物」だと分かったきっかけは、その「ステレオ」で聴いたときに弦楽器の配置がおかしかったことに気づいたことでした。いっそ、モノで出しておけば、ばれることはなかったかもしれませんがね。皮肉なものです。
 DGで録音するときに、なぜ指揮者の意向に背いて対向型をとらなかったのかという点については、おそらく何らかの証言が世に出ているのでしょうね。あいにく私はそんなものを読んだことがないので、勝手に想像するだけなのですが、おそらくステレオ初期の時代では、左からは高音、右からは低音が聞こえてくる、というのが一つの「規格」だったのではないでしょうか。つまり、その程度の分かりやすさが、当時の「定位」の基準だったのですよ。幸い、ステレオが開発されたアメリカでは、オーケストラはそんな風に並ぶのが「一般的」でしたから、それが世界的な基準になっていたのではないでしょうか。そこに、へたに対向型のオーケストラなどを録音したりしたら、聞いている人からクレームが付けられるのでは、と、本気で考えていたのかもしれませんよ。
 当時は、モノラルの録音を人工的にステレオにした「疑似ステレオ」というものがありました。これは、バンドパス・フィルターを使って、左側に高音、右側に低音を集めて、ステレオらしい音場を作ったものです。そのような定位がステレオだという暗黙の了解があったからこそ、これは成り立ったものなのでしょうね。
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by jurassic_oyaji | 2009-05-19 23:17 | 禁断 | Comments(1)
Yevgeny Mravinsky in Moscow
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Yevgeny Mravinsky/
Leningrad Philharmonic Orchestra
PRAGA/PRD/DSD 350 053(hybrid SACD)



ムラヴィンスキーとレニングラード・フィル(当時)が、1959年にモスクワ音楽院大ホールで行ったコンサートの「ステレオ」の、未発表録音があったそうなのです。そのアナログ録音のテープをDSDでデジタル変換、SACDでリリースしたというのは、そんな貴重な記録を最高のコンディションでリスナーに届けたい、という、レーベルの熱い思いのあらわれなのでしょうか。
ここに収録されているのは、「コンサート」の最初に演奏されたウェーバーの「オイリアンテ」序曲を除く、シューベルトの交響曲「第8番」(もちろん、演奏当時の表記を尊重しているのでしょう)「未完成」と、チャイコフスキーの「交響曲第4番」です。
ロシアでステレオのレコードが発売されたのは1962年のことですから、この1959年のステレオ録音というのがどの程度のものなのか、興味津々で聴き始めることになります。しかし、「未完成」はやはりその当時の音、という感じは隠せません。冒頭のオーボエとクラリネットのユニゾンによるテーマが、いかにも時代がかった野暮ったい音であったのには、予想されたこととはいえ軽い失望感が残ります。
しかし、「4番」になったとたん、まるで別物のようにすっきりした音に変わっていたではありませんか。これはちょっとした驚き、なにしろ、アナログ録音特有のヒスノイズさえも聞こえないのですからね。あるいは、マスタリングに際してノイズ除去のようなことを行っているのでしょうか。
しかし、しばらく聴いていると不思議なことに気づきました。この「4番」でのオーケストラの弦楽器の配置は、ムラヴィンスキーが必ず取っていた、ファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンを左右に振り分ける「対向型」ではなく、下手からスコアの上の段からの順番に並ぶという一般的な配置のようなのです。「未完成」は間違いなく「対向型」であるのは、1楽章が始まってすぐのヴァイオリンの3度平行が左右から聞こえてくることから分かります。コンサートの途中で配置を入れ替えるなんてことがあるのでしょうか。
実は、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルの「4番」といえば、1960年にロンドンで録音されたDG盤を愛聴していたものでした。フィナーレの常軌を逸したテンポ設定にもかかわらず、決して崩れることのないレニングラード・フィルのアンサンブル能力には、舌を巻いた覚えがあります。このDG盤は彼らが初めて西側のレーベルにステレオ録音したといういわく付きのものなのですが、ここでおそらくエンジニアからの要求だったのでしょう、ムラヴィンスキーは渋々「一般の配置」を取って(取らされて)録音しているのです。
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ここで、ある疑惑が持ち上がりました。そんなことがあるはずはない、と思いつつも、「もしや」という気持ちには逆らえずこのPRAGA盤をDG盤(00289 477 5911)と比較してみたら・・・なんと、それは全く同じものだったのです。まず、演奏時間の比較から。これは、ジャケットに記載されている時間ではなく、実際に楽章の頭の音が出てから最後の音が消えるまでの時間です。

  • 第1楽章:PRAGA/1090秒 DG/1114秒 ∴D/P=1.022
  • 第2楽章:PRAGA/540秒 DG/552秒 ∴D/P=1.022
  • 第3楽章:PRAGA/339秒 DG/346秒 ∴D/P=1.021
  • 第4楽章:PRAGA/460秒 DG/470秒 ∴D/P=1.022

秒単位の比較ですから、有効数字は小数点以下2桁ぐらいで十分でしょう。ですから、DG盤はすべての楽章で正確にPRAGA盤の「1.02倍」の演奏時間になっていることになります。つまり、DG盤をアナログテープで2%速く再生したものがPRAGA盤であることになります。そうなると当然ピッチが高くなることが予想されますが、実際にチューナーで測ってみるとDGではa=442Hzだったものが、PRAGAでは見事にa=446Hzになっていました。これは、続けて聴けば普通の人でもはっきり分かるほどの違いです。
もう少し「情緒的」な比較もしてみました。まず、第2楽章の冒頭のオーボエ・ソロです。両方ともかなり聴きづらいチリメン状のビブラートがかかっていますが、表現は淡々としたイン・テンポが基本のものです。そして、明らかに特徴的な5つのポイントが、ことごとく一致しています。丸1では軽いアッチェレランド、丸2と4では拍を無視したブレス、丸3と5では音を長目に吹いています(丸5はかなり極端)。
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もう1箇所は、第3楽章の中間部、ピッコロの超絶技巧が終わった197小節目のAsの音。このパターンは2回繰り返されるのですが、この2回目の最後の音だけ出し損なっています。DG盤では2分58秒、そしてPRAGA盤では2分53秒付近で確認出来るはずです。
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もう全く疑問の余地はありません。この「4番」は、ジャケットに明記されているような「1959年4月24日にモスクワで録音」されたものなどでは決してなく、1960年の9月14日から15日にかけてDGの手によってロンドンで録音されたものに、ほんの少し手を加えたものだったのです。これがアウト・テイクだったりすれば少しは救われるのかもしれませんが、おそらくDG盤のCDからの板起こしなのでしょうね。こんなお粗末な「偽装」が、ついにレコード業界にも波及してきたなんて。いや、もしかしたらすでにそんな「汚染」が蔓延しているのが、この業界なのかもしれませんね。ちなみに、この「偽物」を国内で販売しているのは「キングインターナショナル」という会社です。もうジタバタしないで、納めるものを納めてしまった方がよいのでは(それは「ネングインターナショナル」)。

SACD Artwork © Praga Digitals

(2013/11/7追記)
iPhoneのアプリで「Shazam」という、実存の音源と照合して、その音源を特定する機能を持つものがあるので、それで照合させてみました。
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使ったのは、このPRAGA盤、シングルレイヤーSACD、ノーマルCD、ハイブリッドSACDです。
その結果、全てのものについて、各楽章が同じものとマッチしていました。
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第4楽章だけがちょっと意味不明ですが、もしかしたらこのコンピにDG音源が紛れ込んでいたのかもしれませんね。
いずれにしても、これでPRAGA盤とDG盤は、全く同じであることが証明されました。
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by jurassic_oyaji | 2009-05-18 22:04 | オーケストラ | Comments(2)
TAVENER/Requiem
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Elin Manahan Thomas(Sop)
Andrew Kennedy(Ten)
Joephine Knight(Vc)
Vasily Petrenko/
Royal Liverpool Philharmonic Choir & Orchestra
EMI/2 35134 2



ヒーリング業界では圧倒的な人気を誇っているジョン・タヴナーの最新作「レクイエム」が、2008年2月28日にリヴァプールで初演されました。これはその時のライブ録音です。演奏された場所は、リヴァプールのメトロポリタン・カテドラルという「大聖堂」、ブックレットの裏表紙にその時の写真がありますが、それは大きな丸天井を持つ巨大な空間です。真ん中に祭壇があって、それを囲むように2300人分の椅子が配置されています。
この「レクイエム」は、ソプラノとテノールのソリスト、それにチェロ独奏とオーケストラという編成で作られています。ただ、オーケストラは弦楽器と金管楽器と打楽器だけで、木管楽器は入っていません。さらに、そのメンバーの配置が非常にユニークであることが、その写真からも分かります。まず、チェロ独奏がど真ん中に控えていて、そのまわりを十字架状に他のメンバーが囲みます。チェロの正面には弦楽器、指揮者はその前にいます。指揮者の後ろにはソプラノとテノールのソリスト、チェロの後ろには金管楽器と合唱団、そしてチェロの左右のバルコニーには打楽器がいます。つまり、お客さんはそれらの演奏者に間に座ることになり、まさに「サラウンド」の体験を味わうことになるのですね。
そのような音場は、どのような形で録音されていたのかは分かりませんが、これはごく普通の2チャンネルのステレオですから、CDの音は全て真っ正面からの平面的なものにしか聞こえません。本当は後ろから聞こえてくるはずのソリストは真ん中に定位していますし、独奏チェロと打楽器もかなりの距離があるはずのものが、ごく近くにあるようにしか聞こえません。ただ、そんな距離感は、演奏上の「事故」という別の形でリスナーには伝わることになります。それは、全部で7つの楽章から成るこの曲の中心に位置し、音楽的にも最大の昂揚感が味わえる4つ目の楽章でのことです。普通のカトリックの「レクイエム」では「Dies irae」以降に相当するドラマティックなこの楽章では、全てのパートがフォルテシモで叫びまくるのですが、金管、弦楽器、そして合唱が、そこで見事にズレてしまっているのですよ。お互いの距離が離れすぎているのと、この会場のとてつもない残響で、とても他のパートを聴いて合わせることなどは出来なかったのでしょうね。いや、あるいはこんな「ズレ」すらも、タヴナーによって計算され尽くされたものだったのかもしれませんが。あの長い髪のように(それは「ズラ」)。
実際、タヴナーは綿密なプランを練っていました。彼の言葉によると、その楽章を中心に、全体の音楽がシンメトリカルに作られているのだそうです。確かに、演奏時間などを見るとそれはその通りのものでした。曲全体も、最初にチェロのソロで始まったものが、最後もやはりチェロのソロで終わるというものです。さらに、テキストの面でも、これは単なるカトリックの宗教音楽を超えた、全世界の宗教を包括した内容を持つという壮大な設計に基づいているのだそうです。最後の楽章では、ソリストと合唱の4つのパートのそれぞれが、全く異なる宗教に由来するテキストを同時に歌う、というシーンが登場します。同じパターンが執拗に繰り返されるうちに達成される息の長いクレッシェンドとディクレッシェンド、そのプランのあまりの周到さの中には、ちょっとした押しつけがましさも感じてしまうほどです。
「レクイエム」の演奏時間は35分と短め。余白には2004年に作られたソロ・ヴァイオリンと銅鑼と弦楽合奏のための「マハーシャクティ」という、まさに「ヒーリング」の王道を行く曲と、1991年の「エターナル・メモリー」という、チャイコフスキーの「1812年」に出てくるロシア正教のコラールそっくりのテーマによるチェロと弦楽合奏のための曲が収められています。

CD Artwork © EMI Records Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2009-05-16 19:45 | 合唱 | Comments(0)