おやぢの部屋2
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のだめグランドフィナーレ
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 「のだめ」の最新巻、第23巻が発売になりました。この最新巻は、同時に「最終巻」でもあるのですね。なんと8年も続いたという「のだめ」の連載も、とうとう終わってしまう日がやってきたのです(って、雑誌ではとっくに終わっていましたが)。
 毎回さまざまな楽器が単行本の表紙を飾ってきました。第1巻はもちろん主人公の楽器であるピアノでしたが、この最終巻もやはり同じピアノだったのは、ある意味当然のことでしょう。「ピアノに始まり、ピアノに終わる」でしょうか。この表紙絵、同時にさまざまな突っ込みを許すものでもありました。なにしろ、楽器のことなんかなにも知らない人が書いているのですから、その道のプロが見たらおかしなところだらけ、いや、中にはトライアングルのように「絵」を書くプロとはとても思えないような不思議なデッサンもありましたね。でも、そんなところも含めての「のだめ」の魅力だったのでしょう。
 それだけ楽しませて頂いた表紙絵、最後も存分に楽しませて頂きました。見て下さい。赤い丸で囲んだ鍵盤の低音部分、「シ」の部分から左に数えていくと、一番下の音がやはり「シ」になっていますね。普通のピアノだと「ラ」になるはずなのに。つまり、白鍵が1枚足らないのですよ。黒鍵はちゃんと足りていますから、どこかで黒鍵と白鍵の関係がおかしくなっているのでしょう。確かに、普通は2つの白鍵の間に黒鍵があるものなのに、1枚の白鍵のすぐ上に黒鍵があるところがありませんか?確か、昔マリンバを書いた時にも、同じようなことをやっていましたね。
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 私が「のだめ」を初めて知ったのはいつだったのか、「禁断」のバックナンバーを調べてみたら2003年の4月8日だったことが分かりました。その時点で出ていた単行本は5巻だけ、まだまだあのブレイクまでには時間があったころです。ですから、いわば私は「先駆者」として、あの社会現象にまでなった大騒ぎを冷静に見るだけのことが出来たわけです。あの時にこのマンガを教えてくれたHくんは、今はどうしていることでしょう。
 正直、この話は当初の構想を大幅に超えてしまったものになってしまっていたのでは、という思いはずっとありました。広げた風呂敷をどうやってたたむのか、最後のあたりはもっぱら興味の対象はそのあたりだったような気がします。ですから、このままグダグダと、それこそブームが去ってしまわないように続けられるのではないか、とさえ思っていました。言ってみれば外国のテレビドラマのようなものですよね。本当は1シーズンで終わるつもりだったものが、あまりの評判の良さについ次のシーズン、さらにはその先のシーズンとズルズル続けていくパターンです。最後のころには設定まで変わっていたりしているものですが、なによりもどのように「終わらせる」かが、とても難しくなってしまっています。そんな長寿ドラマが、納得のいく終わり方を見せた例を、私は知りません。
 「のだめ」の場合も全く同じ。この最終巻などは、どうやったらスマートなエンディングにもっていけるか、それだけを考えて書いているようにすら思えたものです。こんな終わり方をするくらいなら、もっともっと続けて欲しかったのに。そして、もっともっとおかしなところに突っ込む楽しみを与えて欲しかったのに。
 そう、いまだかつて、「クラシック」がマンガの世界でこれほどの広がりを見せたことはありませんが、それは同時に極めて高い次元での「突っ込み」の楽しみを与えてくれた現象でもあったのです。それがなくなってしまったなんて、残念でたまりません(あ、まだ映画が残っていたか。しかも2本も)。
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by jurassic_oyaji | 2009-11-30 21:34 | 禁断 | Comments(0)
BACH/ Flute Contertos
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Magali Mosnier(Fl)
Michael Hofstetter/
Stuttgarter Kammerorchester
SONY/88697527002




タイトルはとりあえず「フルート協奏曲集」としてみましたが、実際は「ヨハン・セバスティアン・バッハによる、フルートとオーケストラのための最も美しいオリジナル作品と、編曲」という長ったらしいものです。それが、ドイツ語とフランス語だけで書かれていて、ライナーノーツもこの2カ国語だけ、本文には英語は全くないという潔い仕様です。ドイツのソニーの制作、アーティストはフランス人なのでこんな感じ、おそらくインターナショナルなマーケット向けではなかったのでしょう。
フルートのマガリ・モスニエは、パリの高等音楽院を曲がりなりにも(いえいえ、「首席で」ですよ)1999年に卒業したといいますから、現在は30代半ばでしょうか、すでにお子さんが2人いるそうです。2001年のランパル・フルートコンクールや、2004年のミュンヘン国際音楽コンクールで優勝したという華麗な経歴の持ち主で、2003年からはフランス国立フィルの首席フルート奏者を務めています。
タイトルにある「オリジナル作品」は、この中には「組曲第2番」の「ポロネーズ」と「バディネリ」、そしてカンタータ209番のシンフォニアしかありません。あとはすべて編曲ものです。しかも、ちょっと他では見られないようなユニークな「編曲」ばかり、なにしろ最初に入っているのが、「イタリア協奏曲」なのですからね。もちろん、これはオリジナルはチェンバロ曲、ヘ長調だったものをト長調に直して、新たにソロとオーケストラのためにパートを作り上げた、というものです。確かにアイディアは素晴らしいもので、特に真ん中のゆっくりとした楽章はソロがたっぷりと歌い上げるなかなか美しい仕上がりになっています。
曲が始まるとすぐ気が付くことですが、ソロフルートは全くビブラートをかけないで演奏しています。もちろん、彼女が使っているのは金製のモダン楽器なのですが、あえてバロック時代のトラヴェルソに似せてノン・ビブラートにしているのでしょう。これは、実はフルート奏者にとってはかなり難しいことで、日頃ほとんど無意識に付いてしまっているビブラートを取ることは、逆に想像以上のテクニックを必要とするものです。それだけの努力を払っているにもかかわらず、彼女のフルートからは「バロック」の匂いが全然漂ってこないのは、いったいなぜなのでしょう。特に真ん中のラルゴでは、せっかくの美しい音色まで犠牲にするような無理に抑えた吹き方になっているために、伸びやかさが犠牲になってしまっています。
フルート協奏曲として演奏されることがほぼ定着しているBWV1056のチェンバロ協奏曲(オリジナルはヴァイオリン協奏曲?)でも、事情は同じです。こういう試みは、CDではおそらく1995年のペトリ・アランコ(NAXOS)あたりが最初に行ったのでしょうが、それ以来単にビブラートを取りさえすればオリジナル楽器のような演奏が出来るのだと勘違いしている人は後を絶ちません。彼女もそんな一人、まわりのオーケストラは普通にビブラートをかけてロマンティックなフレージングで演奏しているのですから、そもそもなんにもなりませんし。
最後に入っているマタイ受難曲からのナンバー「Erbarme dich」は、アルトソロのパートを1オクターブ上げてフルートで吹いているのですが、それにからむオブリガートのヴァイオリンはたっぷりのビブラートで朗々と歌っているので、その対比は際立ちます。
しかし、もう1曲、なんとイ長調のフルートソナタをハ長調の協奏曲に作り替えた、というものでは、編曲者が別の人になっていて、オリジナルのトリオ・ソナタ(チェンバロの右手が1声部)の形を生かしてコンチェルト・グロッソ風に仕上げているために、編曲自体はとても楽しめます。
とは言っても、モダン楽器でバッハを演奏することの難しさだけが痛感されるアルバムでした。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2009-11-29 22:41 | フルート | Comments(0)
Love Mode Ginger
 最近の常連さんにはあまり知られていないことかもしれませんが、私はこんなところの会員になっています。いや「会員」とはいっても、別にちゃんとした組織があるわけではない、ほんのサイト上のお遊びなのですがね。というか、このサイト自体が私が会員登録をしたすぐあとから全く更新されなくなってしまった、いわば「幽霊サイト」なのですが。それでも、コンテンツだけはしっかり残っていて、今でもその存在だけは知ることが出来るという不思議な「会」です。私のコメント(会員ナンバー39)もしっかり残っていますし。
 そんな私ですから、「ジンジャー」と名が付く飲みものが発売されると、とりあえず試してみないわけにはいきません。今日行った「ウジエスーパー」に、こんな妖しげなネーミングの「ジンジャー」があったのを見つけ、買ってきました(買ってきたのは1本です)。
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 およそ「ジンジャー」らしくない、ピンクの着色料、そして、まるでラブホの看板のような装飾のロゴは「LOVE MODE GINGER」ですよ。極めつけは、サイドに付けられたファスナー、「下げてちょうだぁ~い」みたいに煽っていますよ(あ、もちろん印刷ですが)。どんだけ「オトナ」の味がするんだか、期待しちゃいますね。
 でも、実際に飲んでみると、味はほとんどお子様向け、クリスマスの時に華々しく店頭に並ぶ「シャンメリー」みたいな甘ったるいものでした。「ゼロ」というだけあって、人工甘味料の味が、やたら舌に残ります。肝心のショウガ味はほんの申しわけ程度、これだったらカナダドライの方がまだ「オトナ」です。パッケージに騙されてはいけません。
 やはり、辛口のウィルキンソンを超える「ジンジャー」はないことを再確認、なんせ、これは常に買い置いていつでも飲めるように冷蔵庫で冷やしてありますからね。練習で夜遅く帰ってきたときに、お向かいの「セブン」で買ってきたパスタなどには、絶好の取り合わせです。そんなわけで、おとといのニューフィルも、後半は降り番だったので早く帰れるはずだったのに、急遽欠席者が出たためにピッコロを吹かなければならなくなり、最後までおつきあいでしたから「セブン」に行ったらパスタの棚はほとんど空っぽでした。「ウィンナー入りペペロンチーノ」しかなかったので、それが夕食です。
 開けてみたら、ウィンナーだと思っていたのは、なんと人間の親指ではありませんか。でも、気にしないで食べてみたら、なかなかの味でしたよ。
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 ・・・
 まさかね。でも、皮が破れているあたりが、爪そっくりですよね。
 あとで気が付いたのですが、ジンジャーのロゴは、「SATC」のパクリでしたね。どうりで。
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by jurassic_oyaji | 2009-11-28 19:16 | 禁断 | Comments(0)
ORFF/Carmina Burana
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Heidi Elizabeth Meier(Sop), Stefan Adam(Bar)
Jean-Sébastien Stengel(Ten)
大植英次/
Mädchenchor Hannover, Knabenchor Hannover
NDR Radiophilharmonie
RONDEAU/ROP6030




オルフの「カルミナ・ブラーナ」ほど、納得のいく演奏に出会える機会が少ないものもないのではないでしょうか。なにしろ、ソリストや合唱のハードルが異様に高すぎ。すべてに満足のいくメンバーを揃えるのは、至難の業です。まず、ソプラノ・ソロはハイ・ノートを軽々と出せるだけのスキルが求められます。しかし、それは朗々と歌い上げる、というものではなく、そこには清楚さが求められるのですから大変です。力は秘めているものの、あくまでも「清らかな女神」といったイメージでしょうか。そして、1箇所しか出番のないテノール・ソロほど、特異なキャラクターが要求されるものもありません。声の質はテノールというよりはカウンターテナー、さらにオーバーなほどの演技力も持ち合わせていなければなりません。最も出番の多いバリトン・ソロは、さまざまなキャラクターを歌い分けなければいけません。音域も、ファルセットでの高音から低音まで多岐にわたっていますし。そして、いかに芝居っ気を発揮しているときでも、他のパートに合わせるだけのリズム感も持っていなければなりません。
さらに、しっかりとしたグルーヴをもった大規模な混声合唱(特に、重厚な男声パート)と児童合唱、そして、それらを支える多くの打楽器を含むオーケストラと、必要なものは数知れず、そんなすべての要因を満たすような演奏などどこにもないのでは、とさえ思ってしまいます。個人的には、1973年に録音されたアイヒホルンの演奏が、そんな理想にかなり近いようにも思えます。これでソプラノのルチア・ポップがもう少し軽ければ、まさに完璧なのですがね。
大植英次が、1998年から首席指揮者を務めている、ハノーファーの北ドイツ放送フィル(ハンブルクにある「北ドイツ放送交響楽団」とは別の団体)と2008年の5月に行ったコンサートでのライブ録音では、果たして満足のいくものを聴くことは出来るのでしょうか。
まず、合唱のクレジットにちょっと?です。そこにあるのは「ハノーファー少女合唱団」と、「ハノーファー児童合唱団」という記載だけですから、男声パートはないように見えませんか?もしかしたら女声合唱バージョンなのか、と思ったのですが、ブックレットの裏表紙にある写真を見てみたら、ちゃんと大人の男声も演奏に加わっていたようなので、一安心です。しかし、この男声は、いったいどういう素性の人達だったのか、気になりますね。
演奏が始まると、いまどきの解像度の高い「ライブ」録音に比べると、いかにも一昔前のワンポイント録音に近いおおざっぱな録音であるのには、ちょっとがっかりさせられます。そう、さっきのリストからは抜けていましたが、「よい録音」という項目も、この曲には外せないポイントなのですよ。ここでは、バランスが悪いので、合唱が完全にオーケストラに隠れてしまっています。なにしろこの合唱団は、写真で見ると女声は人数だけはたくさんいるようなのですが、なんとも貧弱、なにもしなくても聞こえてくる、というわけにはいきません。男声の方はまずまず力は感じられますが、ライブのことですから最後までコンディションが維持できない、というのが辛いところです。
そんなライブのハンディがもろに演奏にあらわれてしまったのが、バリトンのアダムでしょうか。「酒場にて」あたりではそこそこいい味を出していたというのに、「愛の誘い」になるとなんとも苦しげな歌い方になってしまっていましたね。
大植の指揮は、適度にオーケストラを煽り立てて、高揚感を誘ってはいるのですが、あいにく合唱がそれについて来れなくて(あるいは先走って)空回りに終わっているところが多く見かけられます。そこまでを含めた統率力が、この「ライブ」ではあいにく発揮できなかったということなのでしょうか。怖いですね、奥さんは(それは「ワイフ」)。

CD Artwork © Rondeau Production
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by jurassic_oyaji | 2009-11-27 19:56 | 合唱 | Comments(0)
デューク・エイセス
 たいていのブログでは、エントリーに対する最新のコメントがすぐ表示されるようになっています。もっとも、色々セキュリティの問題もあって、コメントを書き込んだからといってそれがすぐブログに反映されることはまずありません。大抵は、管理者がログインして、公開しても差し支えのないものだけを承認して、他のイタズラっぽいものは削除するように設定されているはずです。
 私の場合も、ログインしてコメントやトラックバックが来ていないかをチェックするのが日課、中にはとんでもないマニアックなものがあって、ちょっとタジタジとさせられるものがあったりします。
 きのうも、そんなチェックをしてみたら、3年ぐらい前のエントリーにコメントが入っているのが分かりました。そう、コメントの表示は、どんな昔のものでも、ブログに残っているものであれば必ず表示されるのですよ。私の場合、CDの新譜紹介がメインですから、アーティストなどで検索すれば、そんな古いものでも見つかって、コメントの対象となるのですね。そのコメントの内容は、「デューク・エイセスのメンバーの飯野さんが、お亡くなりになりました」というものです。当然、それは彼らのCD紹介へのコメントでした。
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 これには驚いてしまいました。飯野さんというのは、デューク・エイセスのトップテナー(向かって左端)の人ですが、実はこの方の前任者の谷口さんという方も、やはりお亡くなりになっていたのですよね。なにか、このパートには悪しき因縁でもあるのでしょうか。
 このエントリーにも書いた通り、私は谷口さんがメンバーだった頃のこのグループが大好きでした。ですから、飯野さんに替わった時には、確かに上手な人ではありましたがかなりの違和感があったものです。でも、次第に、これが彼らの新しいスタイルなのだ、と納得できるようにはなってきましたね。最近では他のメンバーも70歳を超えてきて、さすがにハーモニーもあぶなくなってきましたから、そのぐらいのユルい感じもいいかな、と。
 しかし、実際にそんな年になってもきちんとしたコーラスを続けているのは、殆ど奇跡です。このグループが創立されたのは1955年ですって。来年はなんと「55周年」を迎えるのだそうですよ。バリトンの谷さんなどは創立以来のメンバーですからね。トップテナーなどは、谷口さんでもすでに3代目、飯野さんの後釜は、実は彼が闘病生活に入ることが予想された時点ですでに大須賀さんという方に決まっていたそうです。ちょっと冷たいような気もしますが、これもショウビジネスの世界なのでしょうね。同じタイプのコーラスグループでも、慶應ワグネルの同期生という仲良し同士が作った「ダーク・ダックス」は、セカンドテナーが離脱しても、新しいメンバーを入れるということはせずに3人で頑張っていますが、やはり音楽的には「いくらなんでも」という気にはなってしまいます。
 飯野さんの訃報は新聞にも載りませんでした。こんなコメントでもなければ、気が付かないところでした。謹んでご冥福をお祈りいたします。
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by jurassic_oyaji | 2009-11-27 00:00 | 禁断 | Comments(2)
MUSORGSKY/Pictures at an Exhibition
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Mariss Jansons/
Royal Concertgebouw Orchestra
RCO LIVE/RCO 09004(hybrid SACD)




ムソルグスキーの「展覧会の絵」は、数ある編曲の中でも、ラヴェル版のオーケストラ編曲が最も有名で、演奏回数も群を抜いています。もちろん、オリジナルはピアノ独奏用の作品なのですが、ラヴェルがこの編曲を行ったときには、その楽譜はリムスキー・コルサコフによって校訂されたものしか出版されてはいませんでした。後にムソルグスキーの自筆稿に基づいた「原典版」が出版されるのですが、それはリムスキー・コルサコフ版とは多くの部分で異なっているものでした。さらに、ラヴェルはピアノ版を忠実に編曲したわけではなく、何ヶ所かカットを施したり、繰り返しの場所を変更したりしています。つまり、ラヴェル版というものは、ムソルグスキーの自筆稿からは何段階ものフィルターを通り、変更を加えられたものだ、ということは、常に念頭に置いておく必要があるのでしょう。というよりも、そもそもピアノ版とオーケストラ版とは全く別のものなのだ、という認識すらも、場合によっては必要になってくることでしょう。特に、「殻を付けたひよこの踊り」の最後の部分などは、オーケストラ版(→音源)に比べるとピアノ版(→音源)はなんとも不自然な終わり方になっています。もっとも、ピアニストに言わせるとラヴェル版の方が逆に奇異に感じられるのだ、と聞いたことがありますが。
そんな具合に、ムソルグスキーから不自然でゴツゴツした部分を削り取っていとも滑らかなタッチに変えてしまったものが、ラヴェルの編曲です。そのようなスコアを前にして、ヤンソンスはことさらこの曲が本来持っていた生々しいエネルギーを取り戻そうと考えたのではないでしょうか。最初の「プロムナード」でのトランペットソロや、それに続く金管のコラールの響かせ方などを聴くと、このオーケストラだったらもっと滑らかで艶のあるものに仕上がるのでは、といういぶかしさが湧いてきます。しかし、おそらくそれはヤンソンスの意志に基づくものだったのではないでしょうか。「こびと」での木管のアンサンブルの間に、普段はあまり聞こえてこないチューバの声部を強調してある種粗野なイメージをかき立てていたのも、その意志のあらわれなのでしょう。
さらに、そんな「意志」を貫くために、ヤンソンスはラヴェルのスコアに手を入れることすらも厭いませんでした。「サミュエル・ゴールデンベルクとシミュイレ」の後半、トランペットと低弦の対話のバックには、バスドラムと吊りシンバルの盛大なロールを挿入して、ラヴェルの作った軟弱なバランスを崩しにかかります。さらに、「カタコンブ」の冒頭には銅鑼の一撃が。これで、この曲のイメージはガラリと変わります。ラヴェルの西欧的な響きは、一瞬にしてロシアすらも飛び越え、東洋の世界に変わってしまうのですからね。この「銅鑼攻撃」は、その後の曲にも執拗にあらわれます。時には吊りシンバルも伴ったそのインパクトは、決してストコフスキー流のこけおどしではなかったはずです。
そして、最後の仕上げに登場するのが、バスドラムが作り出すポリリズムです。以前ゲルギエフ盤を聴いたときに初めて体験したそのリズムの冒険は、ラヴェルのオーケストレーションを逆手に取った見事なものでした。ここでのヤンソンスの処理にはその時ほどのショックを感じなかったのは、そこに行くまでの彼のやり方から、ある程度それが予想されたからなのかもしれません。
「展覧会の絵」全曲だけで33分、それがこのSACDのコンテンツの全てですが、その分価格が2割ほど安くなっています。この措置は、余計なカップリングを付けられるよりはるかに嬉しいものです。前回のブルックナーでは2枚組なのに1枚分の価格、そういう点では、このレーベルはとても良心的です。

SACD Artwork © Koninklijk Concertgebouworkest
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by jurassic_oyaji | 2009-11-25 20:00 | オーケストラ | Comments(0)
COLORaturaS
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Diana Damrau(Sop)
Dan Ettinger/
Münchner Rundfunkorchester
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ダムラウのソロアルバムには、毎回いろいろな面で楽しませてもらっています。今回はタイトルが「コロラトゥーラ」という、彼女が主に歌っている声のキャラクターを表す言葉ですが、その文字を色分け(+大文字)することによって、「COLORS」という言葉を浮き出す、という仕掛けになっています。もちろん、それによって「コロラトゥーラ」の語源が「カラー」だったことを認識させる、という意味も持っているのでしょうね。それに合わせたのでしょう、ジャケットを彩る彼女のドレスのなんとカラフルなことでしょう。こんな派手なパッチワークを楽々と着こなす彼女は、なんだかそんなニューヨーカーである「SATC」のヒロイン、キャリー・ブラッドショーに似てません?
そんなカラフルな歌声を、今回も彼女は存分に聴かせてくれています。前2作では、モーツァルトやサリエリを歌っていたので、バックのオーケストラも小編成の地味なものでしたが、今回は、ベル・カントやヴェリスモ、さらにはミュージカルまで含まれているという選曲ですから、オケもフル編成、しかも日頃オペレッタなどをやり慣れているミュンヘン放送交響楽団というのも、嬉しいところです。
ダン・エティンガーの指揮するそのオーケストラは、そんな期待通りの役割を演じてくれています。1曲目、グノーの「ロメオとジュリエット」からの「Ah, je veux,vivre 私は生きたいの」で、まずカラフルなサウンドを印象づけてくれますよ。続く「リゴレット」の「Caro nome 慕わしい人の名は」のフルートの前奏も粋ですねぇ。とにかく、このオケが前奏で歌を導くのがうまいのには舌を巻きます。ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」のロジーナのアリア、「Una voce poco fa 今の歌声は」などでの、ワクワクするようなイントロの扱いはどうでしょう。そして、そこに入ってくるダムラウの絶妙のタイミング。それから先の、ダムラウの計算され尽くした奔放さにピッタリ寄り添うオケは、まさに絶品です。というか、そんなオケに乗せられれば、彼女に怖いものなどありません。常々感じていた彼女のクレバーさは全開となります。
そんな「賢さ」が端的に感じられるのが、プッチーニの「ジャンニ・スキッキ」の有名なアリア「O mio babbino caro 私のお父さん」ではないでしょうか。この人気アリアは、「ソプラノ歌手」(それがどんなランクのものであっても)のソロアルバムには必ずと言っていいほど登場する「名曲」、とても甘いメロディを持っていますから、そんな「ソプラノ」たちはめいっぱい甘ったるく歌うことを心がけているようです。2番目のフレーズに出てくるオクターブ跳躍などはその聴かせどころ、限りないポルタメントをかけてとろけるように歌ってくれているものです。でも、一度でもこのオペラを「見た」ことがあれば、この歌がそんなベタベタに甘いものではないことはすぐ分かるはず、なんたってこの曲は「財産がもらえなかったら、死んでやるんだから(かなり強引な意訳)」という、いわば「脅し」の歌なのですから、このダムラウの演奏を聴けば、そんな「ソプラノ」たちの勘違いがいっぺんに分かってしまいます。
ダムラウはドイツ人ですが、彼女の歌う英語の歌詞には、ドイツ訛りは全く感じられません。バーンスタインのミュージカル「キャンディード」の、とてもミュージカルとは思えない技巧的(まさに「コロラトゥーラ」)なクネゴンデのナンバー「Glitter and be gay 着飾って浮かれましょ」では、ハイノート(C♯?)も楽々とこなし、まさにネイティブそのもののきれいなことばを披露してくれています。「♪笑って~、笑って~/笑ってキャンディード」って(それは「キャンディキャンディ」)。
彼女は、すでにここで歌っているツェルビネッタもレパートリーになっているのだそうです。芝居も上手な彼女ですから、「ナクソス島のアリアドネ」での映像も、ぜひ見てみたいものです。

CD Artwork © EMI Records Ltd/Virgin Classics
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by jurassic_oyaji | 2009-11-23 19:49 | オペラ | Comments(0)
The Catalogue
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Kraftwerk
KLINGKLANG/KLANGBOX 002 50999 9 67506 2 9




ビートルズの全アルバムのデジタルリマスターに続いて、「クラフトヴェルク」(いわゆる「クラフトワーク」)の1974年から2003年までの間にリリースされた8枚のアルバムのリマスター盤が、ジャケットデザインも一新されて発売になりました。それらを一括してお求めになると大幅な値引きになるものですから(国内盤は除外とさせて頂きます)、ついボックスセットで買ってしまいましたよ。
荷物が届いたときにはびっくりしました。そのボックスは、まさにヴァイナル盤と同じ大きさと重さだったのですからね。確かに、今回のリマスターではヴァイナル盤も同時に発売になっていますが、一応CDだと思って注文したはずなのに・・・。
しかし、その、まるでお歳暮の調味料セットのような豪華な箱を開けてみると、ヴァイナル盤の大きさだったのは厚いブックレットだけでしたので、一安心、8枚分のブックレットが、さらに箱に入っていましたよ。肝心のCDは、一番底の穴の中に、2枚ずつ紙ジャケに入って収められています。その紙ジャケには中袋があって、それにはオリジナルジャケットに近いものが印刷されていました。
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ご存じのように、「クラフトヴェルク」というのは、ビートルズが解散した年である1970年にラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーという二人のドイツ人の音楽家が結成したユニットです。彼らが演奏するシンセサイザーやヴォコーダーのほかに、さらに2人のパーカッションのメンバーを加えて、現在もまだ現役で活躍しています。しかし、つい最近創立メンバーの一人のフローリアンが脱退したというニュースが伝えられていますので、この先はどうなることでしょう。なんせ、これまでのアルバムは、すべてこの二人の共同プロデュースですからね。
8枚の内訳は、「Autobahn (1974)」、「Radio-Activity (1975)」、「Trans-Europe Express (1977)」、「The Man Machine (1978)」、「Computer World (1981)」、「Techno Pop」(Electric Cafe (1986)を改題)、「The Mix (1991)」、「Tour de France (2003)」という、いずれも一つの時代を作ったと言える作品ばかりです。なんと言っても「テクノ」のパイオニア、彼らが音楽シーンに与えた影響ははかりしれません。ビートルズの13アイテムのアルバム以上に、これらの8枚(そのうちの1枚、「The Mix」は、事実上のベスト盤ですが)はかけがえのないものです。
ということで、今まで買おうと思いながらなかなか機会がなかった彼らのアルバムをほぼ全部手に入れられただけでとても満足しているところですが、やはり「デジタルリマスター」というのが売り物のようですから、どれほどのものなのかは確かめてみる必要はあるでしょう。さいわい、手元には「TEE」のヴァイナル盤(CAPITOL国内盤)がありますので、比較してみましょうか。
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しかし、残念なことに、というか、予想通りですが、ここでも、いかに最新のリマスターの結果であっても、到底ヴァイナル盤をしのぐ音になることはありませんでした。いくら「テクノ」とはいえ、録音自体はアナログですし、中には「生」楽器も使われています。タイトル曲の後半で、アルバム用に付け加えられた「Metal on Metal」という曲が切れ目なく続きますが、そこで出てくる文字通り金属を叩いている音などは、ヴァイナル盤の音のリアルさはCDの比ではありません。シンセのパルス音にしても、なにか暖かみのようなものが感じられるのですから、不思議です。
最後の「Tour de France 」には、かなり前にリリースされた同じタイトルのシングル曲が収められています。それがヒットしていた頃、そのテーマ(→音源)がヒンデミットのフルートソナタの第1楽章のテーマ(→音源)とそっくりだったのに驚いたことを思い出しました。今聴いてみるとキーまで同じ、フローリアンはフルーティストだったそうですから、無意識に聴きなれたメロディを使ったのか、もしかしたらそんなマイナーな曲は誰も知らないだろうとパクったのか、どちらかなのでしょうね。それは、ちょっと下品でみっともないことです。

CD Artwork © Kling Klang Produkt
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by jurassic_oyaji | 2009-11-21 15:37 | ポップス | Comments(0)
BACH/Mass in B Minor
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Judith Nelson, Julianne Baird(Sop), Jeffrey Dooley(CT)
Frank Hoffmeister(Ten), Jan Oplach(Bas)
Joshua Rifkin/
The Bach Ensemble
TOWER RECORDS/WQCC-184/5




「バッハの『ロ短調ミサ』では、合唱のパートはそれぞれ一人ずつで歌うべきだ!」という「奇論」を発表しただけでなく、それを実際に自ら演奏して世に問うた、という、ジョシュア・リフキンの歴史的な録音は、長いこと廃盤になっていて入手できませんでしたが、このたびタワーレコードによる「復刻」という形でリイシューされました。もちろん、現在ではこの主張はバッハ業界には広く受け入れられるところとなっているのはご存じの通りです。この数年の間に録音されたクイケンミンコフスキの演奏を聴けば、合唱はアリアなどを歌っていたソリストが一人(もしくは二人)で一パートを歌うということが、ごく自然なものに感じられるはずです。
さらに最近では、「OVPP」などというプラスティックスの新品種(LPレコードの素材である「PVDC(ポリ塩化ビニリデン)」とか、ペットボトルの「PETE(ポリエチレンテレフタレート)」と似てません?)みたいな呼び名で、この概念をあらわすことも、マニアの間ではブームとなっています。しかし、この「One Voice per Part」の略語が、決してリフキン自身の造語ではないことは知っておく必要があるでしょう。
リフキンが、単なる「音楽学者」ではなかったことは、先日のビートルズのカバー(?)アルバムを聴けば良く分かるはずです。そもそも、彼の名前が知られるようになったのは、スコット・ジョプリンの「ラグタイム」を、彼自身のピアノ演奏で広く世に知らしめたからなのですからね。したがって、彼はこの「説」を発表したのちも、単なる机上の空論に終わらせることはせず、実際に演奏してその「音」を世間に知らせるために、軽やかなフットワークを発揮することになります。学会で発表したのが198111月ですが、なんとその年の1231日には、このレコーディングを開始しているのですから、なんという素早さでしょう。そして、発売されたレコードは、彼の思惑通り大きなセンセーションを巻き起こすことになるのです。
そんな、ある時代を記録した貴重なアイテムではありますが、その演奏を改めて全曲きちんと聴いてみると、なんとも主張に乏しいものであることに驚いてしまいます。いや、なんと言っても「一パート一人」というとんでもない「主張」があるのですからそれで満足すればよいのでしょうが、それだけで終わってしまっているのがとても残念です。ただ楽譜通りの音をきちんと並べただけで、そこには「表現」という創造的な作業が見事に欠落しているのですね。
その「楽譜」に関しても、ちょっとちぐはぐな点を見つけてしまって、いささか戸惑っているところです。リフキンほどの「音楽学者」であれば、演奏にあたっては当然きちんと校訂の手が入っている「原典版」を使っているはずだ、と思っていたのですが、ここで使われているのはなんと「旧バッハ全集」を底本にした楽譜なのですよ。聴いてすぐ分かる両者の違いは、「Gloria」の冒頭の合唱の後半、「Et in terra pax hominibus bonae voluntatis」で始まる5声のフーガで、赤字の部分のテキストに付けられた音符。「旧全集」は八分音符+八分音符(→音源)と均等ですが、「原典版」では付点八分音符+十六分音符(→音源)と「はずんで」います。「原典版」がベーレンライターから出版されたのは1954年のことですから、知らなかったはずはありません。現に、1960年代にはすでにマウエルスベルガーとドレスデン・クロイツコールによって、この楽譜による演奏が録音されてますし。「バッハの時代の演奏を忠実に再現」しようとしたのがリフキンの仕事だったはずなのに、明らかに忠実さに欠ける楽譜を使っていたなんて、なんだか間抜けじゃないですか。
ちなみに、この録音が公になった直後、1984年に彼の「説」に賛同して同じ曲を同じスタイルで録音したアンドルー・パロットも、なぜか「原典版」を使うことはありませんでした。もしかしたら、「新全集」に対する反感、というのも、リフキンの思想だったのかも。でもそれは、あまりに理不尽

CD Artwork © Nonesuch Records
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by jurassic_oyaji | 2009-11-19 19:30 | 合唱 | Comments(2)
基礎から学ぶみんなのリコーダー 楽しくウェルネス!
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吉澤実・市江雅芳編著
音楽之友社刊
ISBN978-4-276-64503-5



今まで、「音楽でウェルネスを手に入れる」2007年秋)、「声楽家と医学博士が贈る歌の処方箋」2008年秋)と、ほぼ1年ごとに新作を発表していた市江雅芳さんが、やはり1年のインターバルを経て3冊目の書籍を刊行されました。今回はリコーダー奏者の吉澤実さんとの共著で、リコーダーの入門書です。
リコーダーという楽器、もちろんバロック時代あたりに大流行した管楽器(当時は横笛のフルートより人気がありました)ですが、この国ではもっぱら小学生が最初に手にする楽器、として知られていましたね。最近でこそきちんと「リコーダー」と呼ばれるようになりましたが、かつては「たて笛」、あるいはもっと昔には商品名をそのまま使って「スペリオパイプ」と呼ばれていたものです。世界的なフルーティストの工藤重典さんが、小学校の時に地元の放送局のジュニアオーケストラのオーディションに、この楽器で応募したというのは有名な話です。なんとユニークな。彼は決して紋切り型(それは「ステレオタイプ」)ではなかったのですね。
そんな教育的な楽器としてではなく、きちんとしたピリオド楽器として認知されるようになったのはごく最近のこと、若きフランス・ブリュッヘンあたりが華々しくシーンに登場したあたりでしょうか。その時に初めて、この楽器が小学校の「鼓笛隊」とは次元の違う豊かな音楽性を持っていることに気づいた人は多かったはずです。
吉澤さんたちは、そんな、かつて音楽の授業時間にこの楽器に親しんだ人たちに、改めて「趣味」の対象としてリコーダーを演奏してもらおうと考えたのでしょう。現在放送中(11月いっぱい)のNHK教育テレビの大人向け習い事番組「趣味悠々」では、「リコーダーで奏でる懐かしのオールディーズ」と題して、そのような人たちが親しんだ曲を教材に用いた基礎的なレッスンを行っています。
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それは、かつてプラスティックス製の「たて笛」に慣れ親しんだ中高年の人たちに、新たにきちんとした木製の楽器を購入してもらい、この楽器の本格的な魅力に触れてもらおうとする楽器店との思惑とも合致して、ある種の「ブーム」が巻き起こる予感すら感じられるものです。現に、さる楽器店では、この講座のテキストとリコーダーを大々的にディスプレイ、手ぐすねを引いてお客さんを待ち受けていますよ。
そして、そのテキストに、市江さんは前作と同様に、医者として、あるいは演奏家としての立場からエッセイを寄せていました。今回の書籍は、そのテキストの延長のような位置づけでしょうか。本編ではリコーダーの基礎的な知識から、全く初めての人でも始められるような奏法の基本がていねいに述べられています。そのための練習曲も、全部で31曲も用意されていますよ。その中にはアンサンブルの楽譜もたくさん収録されているのが嬉しいところです。
そこに、市江さんのエッセイ、「ドクター市江のウェルネス・コラム」の登場です。専門用語を交えながら、まず、リコーダーの要求する適度の息の量は、呼吸機能を活性化させること、さらに、この楽器のための2種類の運指(リコーダーの場合、ホルンやクラリネットのように調の異なる同族楽器のために「移調」した楽譜を使うことはなく、F管であるアルトリコーダーやバスリコーダーでは、4度下の運指を使って実音を出します)では指に指令を与えるために脳が活性化、そして、なんと言っても、アンサンブルでお互いに聴きあってハーモニーを作るというのは「聴覚フィードバック」という高度な作業になるわけで、さらなる脳の活性化につながることなどが、平易に語られます。
それで分かるとおり、リコーダーの演奏は、特に中高年にとっては「ウェルネス」の格好のツール、ここはひとつ、業者に踊らされたフリをして挑戦してみてはいかがでしょうか。

Book Artwork © Ongakunotomo-sha
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by jurassic_oyaji | 2009-11-17 22:31 | 書籍 | Comments(0)