おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
<   2010年 01月 ( 20 )   > この月の画像一覧
POULENC/Concertos for Keyboard Instruments
c0039487_2239811.jpg
Hansjörg Albrecht(Org)
Yaara Tal, Andreas Groethuysen(Pf)
Peter Kofler(Cem)
Babette Haag(Perc)
Bach Collegium München
OEHMS/OC 637(hybrid SACD)




オルガニストであり、指揮者でもあるアルブレヒトのアルバムは、常になにか刺激的なものを与えてくれます。同じパターンのジャケットのデザインも的確なワンポイントが効いているしゃれたものになっていますし。今回は、「鍵盤楽器のための協奏曲」というタイトル自体が、ここではすでにひとひねりある二重の意味を持っています。オリジナルの形で演奏されるのは、「オルガン、弦楽器とティンパニのための協奏曲」だけ、あとの「2台のピアノとオーケストラのための協奏曲」と、「チェンバロとオーケストラのための田園協奏曲」は、その「オーケストラ」のパートがオルガンで演奏されているのです。つまりそこでは、「鍵盤楽器だけの協奏曲」という意味も持っているのですね。どこを探しても、このオルガンバージョンを作った人の名前が見当たらないのですが、おそらくアルブレヒト自身の編曲なのでしょう。
その、「鍵盤楽器だけ」(いや、正確には打楽器も加わります)が録音されたのは、ミュンヘン音楽大学のホールです。そこのオルガンは1999年に出来たばかりのごく新しいクーン・オルガン。とてもエッジのきいた、鋭い音が随所に聴ける、かなり活きの良い楽器です。フランス風のストップもたくさんあるようで、とても多彩な音色、「パイプオルガン」というよりは、「エレクトーン」みたいな音に聞こえてしまうのは、いけないことでしょうか。
そのような、言ってみれば「機能的」な楽器ですので、それがオーケストラの代役を果たすのにはなんの不足もありません。最初の「2台のピアノ」では、それに打楽器が加わった編成でまるでオルフの「カルミナ・ブラーナ」みたいなサウンド(実際に、エレクトーンと打楽器で演奏されたものを聴いたことがあります)が響き渡ります。
この曲の第2楽章は、ピアノのパートがまるでモーツァルトのパロディのように出来ています。それに対してオーケストラのパートはいかにもフランス風のしゃれた味付けなので、その対比がとても面白い効果を出しています。この編成では、それがさらに強調されたように感じられ、なんとも不思議な世界が広がります。
「田園協奏曲」は、プーランクがランドフスカのために作ったものですから、想定されていた楽器は当然プエイエルのモダンチェンバロでした。そこで、アルブレヒトがチェンバリストのコフラーに使わせたのは、やはりモダンチェンバロの名器、カール・リヒターがよく使っていたノイペルトの「バッハモデル」でした。この楽器、まだ製造されているのですね。1台39,000ユーロですって。
c0039487_22403040.jpg

このチェンバロの威力はすごいものです。プーランクがあの時代に求めた「繊細さ」というのがどういうものであったのか、とても良く分かるような気がします。やはり、この微妙に倒錯した味は、「本物」であるはずのヒストリカル・チェンバロでは出すことが出来ないことを再確認です。
「オルガン協奏曲」の録音では、ミュンヘンの「ガスタイク」という大きなホールが使われています(ベタですが、「ガスタンク」ではありません)。備え付けのクライス・オルガンは、4段鍵盤を持つ巨大な楽器、ここではアルブレヒトは指揮もしていますから、オルガンのコンソールをステージと客席の間に持ってきて、「弾き振り」をしています。これも、もろバッハのパロディであるイントロでの、フルオルガンの充実した響きには圧倒されます。そして、それにからみつく弦楽器の粒立ち。そう、常に彼のアルバムの録音を担当してきたマルティン・フィッシャーの腕の冴えは、ここでも満開です。続くアレグロのテーマは、なんともドイツ的でストイックな味付けが印象的です。その小気味よさの中から自ずと漂うプーランクの際立ったセンスの良さ、極上の録音と相まって、至福の時を過ごすことが出来ますよ。

SACD Artwork © OehmsClassics Musikproduktion GmbH
[PR]
by jurassic_oyaji | 2010-01-31 22:40 | オルガン | Comments(0)
リリンク/OEK、仙台宗教音楽合唱団
 東北大学の講堂だった建物を改修して、新しく「萩ホール」という名前のコンサート専用ホールが誕生したのは、1年ちょっと前のことでした。まだオープンする前から中に入って練習したり、こけら落としのようなコンサートに出演したり、つい最近ではやはりこのホールの主催コンサートの練習をしたりと、自分でステージに乗る機会はたくさんありましたが、実際にちゃんとしたコンサートを聴いた、というようなことはまだありませんでした。ほんのお披露目程度の小さな演奏は何度か聴いたのですが、一晩丸ごと、オーケストラや合唱のトータルのコンサート、というのはまだ未体験だったのです。
 そんな、私がこのホールで体験する初めてのコンサートが、今日ありました。オーケストラはプロの団体、合唱は150人規模の大編成、そして、指揮があのヘルムート・リリンクという、どこをとっても妥協のない「本物」ばかりです。さらに、演奏されるのがバッハの「ロ短調ミサ」なのですから、これ以上のお膳立てはありません。
 このホールの一番のネックが、交通の便の悪さであることは、各方面から指摘されていました。ただ、一応駐車場らしいものはあるので、早めに行きさえすればそこに車を置くことは出来るはずです。ですから、少し早いとは思いながらも開演1時間前に着くように出発です。ホールが近くなると、タクシーなどが目に付くようになりますし、途中の坂道を歩いている人も見かけられます。意外と出足は速いよう、駐車場に着いたら、もう殆ど駐車スペースはなくなっているようでした。間一髪セーフです。しかし、見ていると、整理の係員たちは、その駐車場がいっぱいになっても、ホールの前にある通路の方にまで誘導していますよ。正規の駐車場でないところも、めいっぱい使おうというのでしょうね。これは、あとでロビーから見てみたら、前庭の中にはかなりの数の車が停めてありました。これだったら、車で来た人は殆ど停めらたのではないでしょうか。今回のように、ホールが気をきかせて中庭に置かせてくれれば、の話でしょうが。
 つまり、開演前から、かなりのお客さんがすでにホールの前にいた、ということです。しばらくして開場となりましたが、入ってすぐのスペースで、まずは首席チェリストがバッハの「無伴奏」の第5番全曲を、「ロビーコンサート」として、演奏してくれました。
c0039487_0185297.jpg

 正直、これだけマジメな曲を、こんなザワザワしたところで演奏するなんて、演奏する方も、そしてそれを聴く方も、ちょっとしんどいな、という気はしましたね。そんなに短い曲ではありませんから、立ちっぱなしで疲れたような話し声も聞かれましたしね。気持ちは分かりますが、これはちょっとハズレ。
 しかし、「ロ短調」の演奏は、素晴らしいものでした。詳細は、専門家であるヒレカツ先生のレポートにおまかせしますが、やはりリリンクの流れるような音楽作りが、とっても心に響きました。それに充分に応えた合唱団と、そしてオーケストラに感謝です。
 余談ですが、リリンクの指揮棒の持ち方は普通のオーケストラ指揮者とはちょっと違っていて、ちょうどお箸を持つように腕の線から90度曲がっています。どこかでこれに似た持ち方をしている指揮者を見たことがあると思ったら、それは、前にニューフィルに来た茂木大輔さんでした。彼はかつてリリンクの許で「修行」したのですから、「師匠」の影響がこんなところに出ていたのでしょうか。
c0039487_0182316.jpg

 終わってから、指揮者に花束が渡されるのはお約束ですが、その時に花束を渡した合唱団員とリリンクとの間でなんだか打ち合わせのようなものがありました。それは、リリンク自身が、一緒に渡された小さな花束をソリストたちに手渡す、というものだったのですね。
c0039487_01826.jpg

 とてもかくしゃくとしたリリンク、とは言っても、年を考えたら実物に接することが出来るのはこれが最後でしょう。とても幸せな体験を、ありがとうございました。
 肝心のホールの音、これも、とても満足のいくものでした。なによりも、必要な音が全て充分な響きを持ってクッキリと聞こえてくる、というのがすごいところです。これは、おそらく演奏する側にとっては、かなりおっかないことなのでしょうね。これから最低2回、ニューフィルでもここを使うんですよね。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2010-01-31 00:19 | 禁断 | Comments(0)
JANEQUIN/Le Chant des Oyseaulx
c0039487_19474619.jpg




Ensemble Clement Janequin
JVC/JM-XR24500(XRCD)




1978年にカウンター・テノールのドミニク・ヴィスが中心になって作られた「アンサンブル・クレマン・ジャヌカン」が1982年に録音した、彼らの多分3枚目のアルバム「鳥の歌」が、装いも新たにXRCDとなって登場しました。北島三郎ではありません(それは「トリの歌」)。
このアンサンブルは、ヴィス以外のメンバーは適宜入れ替わって、現在でも活動を続けていますね。デビュー当時のヴィスは、まるで妖精、というか小悪魔のような風貌でしたが、それがそのまんま大きくなって、今ではほとんど老婆といった趣になってしまいましたね。それでも、彼の特徴的な声はいつまで経っても変わらず、その突き抜けるような音色は常にインパクトを与え続けています。
このアルバムは、国内盤としては彼らのデビューとなったものでした。1985年にLPで、翌1986年にはCDで、今回と同じ「ビクター」からリリースされています(会社の名前は「ビクター音楽産業」から「ビクター・クリエイティブメディア」に変わっていましたね)。その頃はビクターがHARMONIA MUNDIの国内盤を出していたのですね。このアルバム自体はそれ以前に輸入盤では出回っていて、当時のオーディオ界のオピニオン・リーダー、故長岡鉄男さんが大々的に録音の良さを紹介していたものですから、LPのリリースにあたっても「重量盤」を採用するなど、オーディオ的な側面を強調したものになっていました。長岡さんの「口の開け方まで分かる」というコメントも、宣伝コピーとして使われていましたね。ちなみに、その頃はこのグループの「邦題」は「ジャヌカン古楽アンサンブル」などという、とてもヴォーカルのアンサンブルとは思えないようなものでした。
ビクターが過去に扱っていたからなのでしょうか、だいぶ前にも同じレーベルのパニアグワの「タランテラ」など、やはり長岡さんご推薦のアイテムがXRCDになったことがありますが、今回ついに「ジャヌカン」が杉本さんのリマスタリングで聴けるようになりました。長年愛聴してきたアルバムが、最高の音質で聴けるのですから、まるで夢のようです。
実は、これは今までにLPで聴いたことはありませんでした。聴いていたのは輸入盤のCDです。国内盤とはジャケットが微妙に違っていますね。
c0039487_19485412.jpg

その頃使っていた再生装置では、ヴィスの特徴的な声はそれなりに再生されていて、後に彼の参加した殆どすべてのCDを集めてしまうほど、その魅力にとりつかれることになるのです。しかし、今回同じCDを、今使っているかなり解像度が高いと自負している装置で聴いてみると、そのヴィスの声が完全に歪んでしまっているのです。そもそもオリジナルの録音が、アナログのギリギリのレベル設定だったのでしょうか、初期の、殆どマスタリングなどは考慮されていないCDでは、それがまざまざと「歪み」となって出てきてしまっていたのですね。
しかし、さすがはXRCDCDで「歪み」と感じられた同じ場所が、なんともきわどい、まさに崩壊する一歩手前という感じの豊穣さとして、聞こえてきたのです。アナログ録音の最後の輝きをテープに収めていたエンジニアの心意気のようなものまで、ここからは感じることが出来たという、これは、なんともスリリングな体験でした。もしかしたら、LPだったら生半可なレコードプレーヤーではトレース出来なかったのかもしれませんね。
もちろん、メンバーひとりひとりの声が、しっかりとした存在感を持って聞こえてくるという、いつもながらの杉本さんの仕事ぶりは健在でした。そこで、長岡さんの言った「口の開け方」も、余裕を持って体験できることになります。タイトル曲の途中のたくさんの鳥の声の模倣の部分では、テノールのラプレニーの「巻き舌」は、「舌」ではなく「のど」を震わせて出していることまではっきり分かるのですからね。

XRCD Artwork © Victor Cerative Media Co. Ltd.
[PR]
by jurassic_oyaji | 2010-01-29 19:49 | 合唱 | Comments(6)
デューク・エイセス
 先日、デューク・エイセスの新しいアルバムの「おやぢ」をアップしたところ、同好の士からコメントが寄せられたりして、コアなファンの存在を知ることになりました。あのレビューをアップしたときに一番強調したかったのは、収録してある曲の録音データが一切掲載されていない、という点でした。このアルバムはデュークの55年の歴史を振り返ろう、というコンセプトで作られたはずなのに、その「歴史」を裏付けるためのデータが全くないというのが、非常に手抜きに思われたのですね。このグループの場合、最も重要な役割を持っているトップテナーのメンバーが何度か代わっています。曲によっては、別のメンバーによって再録されているものもありますから、その見極めも必要になってくるのですね。
 コメントを寄せられた方も同じようなことを書き込んでおられましたが、同時に、独自でデータを調べたブログも紹介してくれました。そこは、確かにそれぞれの曲の録音されたと思われる年は書いてはあるのですが、それはあくまでその曲が収録されたアルバムが発売された年で、実際に録音が行われた日時などはそれでは分からないのですね。しかも、実際には再録と思われる曲もあったりして、どちらのバージョンか分からないものもあったりしていました。そのぐらいのファンになれば、トップテナーの声を聞き分けることによっておおよその年代を推測することは出来るはずなのですが、それでも確実なことは分からない、ということなのですよね。
 デュークの場合、デビューから現在まで所属しているレコード会社は全く変わっていません。自分のところで録音したものを編集してアルバムを出したのですから、その気になれば録音データなどはいとも簡単に掲載できるのではないか、と、私たちは考えてしまいますが、どうやら実情はそんな簡単なものではないのかもしれませんね。なにしろ、この会社は一度はつぶれかけたようなところですから、実際の担当者などもずっと同じ部署、あるいは、そもそも同じ会社に居続けるとは限りません。クラシック部門では丸ごと下請けに出しているような状態なのですからね。もしかしたら、そんなデータなどは散逸してしまっているのかもしれませんよ。
 同じレコード会社から出ていた「クレージー・キャッツ」の場合は、大滝詠一というマニアがデータをかき集めて素晴らしいアンソロジーを作ってくれましたが、デュークの場合も、そういう人がいない限り、完璧なデータが公表されることはないのかもしれませんね。
 そんなデューク、最近相次いで新旧のメンバーがテレビに出演していました。
c0039487_2042329.jpg

 こちらは去年の暮れの番組。新しいメンバーの大須賀さんの姿を初めて見ることが出来ました。他のメンバーより二回りほど若いはずなのに、年取って見えるのはヘアスタイルのせいでしょうか。
c0039487_20421432.jpg

 そして、これは1994年に放送されたというアーカイブです。トップは飯野さん、これが16年も前とは、ちょっと信じられませんね。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2010-01-28 20:42 | 禁断 | Comments(2)
Believe
c0039487_19483314.jpg




Orianthi
GEFFEN/B001350202




昨年大きな話題を呼んだ映画、「This Is It」はご覧になりました?マイケル・ジャクソンが亡くなるほんの少し前まで行っていたロンドン公演のためのリハーサルの模様を記録したドキュメンタリーでしたね。なにかとスキャンダルが多かった中で、ともすればミュージシャンとしてのマイケルが忘れられがちになっていた時に、この映画では彼の本来の音楽家としての姿が見事に描かれていました。
そんな、彼の音楽作りの現場で、ひときわ印象的なギタリストがいたことも、ご覧になった方は覚えていることでしょう。マイケルのサウンドを担っている居並ぶいかつい男どもに臆することもなく、堂々とソロを弾きまくっていた長い金髪の女性ギタリスト、彼女の名前はオリアンティ・パナガリス、ギリシャとオーストラリアのハーフなのだそうです。ウェーバーとは関係ありません(それは「オイリアンテ」)。1985年1月22日生まれといいますから、先週25歳になったばかりという、ピチピチのギャル(死語)なんですね。映画の中では、マイケルと向かい合ってギターソロのフレーズを何度も何度もやり直しているシーンが、強烈に記憶に残っています。マイケルが一生懸命「こんな風に」と歌って聴かせても、オリアンティはなかなかその通りには出来ないのですが、最後にはマイケルの望んだとおりのフレーズが出てくる、という、スリリングなまでに感動的なシーンでした。その時の、金髪を振り乱しての彼女のパフォーマンスに、思わずファンになってしまった人は多いのではないでしょうか。
そんな、「シンデレラ・ガール」のソロアルバムが、昨年秋にリリース、国内盤も確か今日発売になったはずです。とは言っても、これは別に彼女の最初のアルバムではなく(国内盤は、これがデビューになります)、すでに何年か前にファーストアルバムは出ていますし、マイケルのバンドに加わったのも、それなりのキャリアがあったからです。しかし、映画によって火がついた彼女の人気、これは前作とは比べものにならないほどのセールスとなることでしょう。
ボディにスワロフスキーを貼りつめた彼女の愛器PRSを抱えて佇むジャケット写真は、濃いアイラインのいかにも「ヤンキー」といった感じ、それこそメタルなどにふさわしいいでたちですが、聞こえてきた音楽はそんなにヘビーなものではありませんでした。ここでは、彼女はギタリストであるとともに、ヴォーカリストでもあったのです。その歌声は、ほのかにはかなさを漂わせた、とてもかわいらしいものでした。ギターソロから連想されるような、喉を振り絞っての絶叫、みたいなものは全くありません。ブックレットの中のポートレイトには、1枚だけ楽器を抱えていないものがあります。それはメークも控えめで、ごく普通の服装をした、その辺にいるような女の子、といった素朴な写真です。そんな素顔が、ヴォーカルからは見え隠れしてきます。しかし、もちろんそれだけではなく、いかにも「ロックンロール」というハードな歌い方に徹したものもあります。間口は、充分に広いのですね。
ギターの方も、お得意のディストーションを効かせたソロだけではなく、「Untogether」のように、まるで彼女の「師匠」であるカルロス・サンタナのようなキャッチーななサウンドを聴かせてくれるものもありますから、キャパシティはかなりのものです。そして、1曲だけヴォーカルの入らないインスト曲が「Highly Strung」。ここでは、もう一人の「師匠」のスティーヴ・ヴァイとの息のあったバトルが堪能できますよ。2度目のバトルでとんでもないフレーズが出てくるのは、まさに余裕ですね。
そして、最後に収録されているのが、亡きマイケルのために書いたという「God Only Knows」です。「まだ、あなたが必要なんです」という歌詞が聞こえてきたとき、不覚にも涙が出てきたのはなぜでしょう。ロックを聴いて泣いたなんて、初めての体験です。

CD Artwork © Geffen Records
[PR]
by jurassic_oyaji | 2010-01-27 19:49 | ポップス | Comments(0)
The Chick Corea Songbook
c0039487_19304662.jpg




The Manhattan Transfer
4Q/FQT-CD-1819




40年近くという長い歴史を誇るジャズコーラスグループ、マンハッタン・トランスファーの最新アルバムです。所属レーベルも、かつてのATLANTICSONY、そして最近のRHINOとあちこち転々とした末に、今回は「Four Quarters」というワールド・ミュージックなどを主に扱っているレーベルからの登場です。
裏ジャケット(「ライナー」っていうんでしたっけ?)やブックレットには、最近のメンバーの写真が載っています。ティム・ハウザーあたりは元々老け顔でしたからあまり変わってはいないように見えますが、ジャニス・シーゲルなどは、集合写真を見てみるとほんとに「おばさん」というか、「老婆」っぽい顔になってしまったのは、時の流れのなせる業でしょうか。ブックレットの最初のページにある網タイツ姿のスナップなどは、顔がよく見えないせいかとてもセクシーだというのに。アラン・ポールも、髪には白いものが混じっていますね。シェリル・ベンティンだけは、いつまで経っても若さが弾けています。いったい彼女は何歳なのでしょう。
このアルバムでは、タイトルにある通りすべてチック・コリアの曲をカバーしたものが集められています。このジャケットを見ると、なんだかチック・コリアのかつてのアルバムを飾っていたさまざまなモチーフが登場しているようで、面白いですね。さらに、カバーだけではなく、このアルバムのためにチックは「Free Samba」という曲まで書き下ろしていますし、その中では彼自身が演奏にも参加しています。なんと豪華な。
その「Free Samba」、ブラジルのジャングルを思わせるような叫び声から始まる、まさにブラジル色満載の曲です。彼らのATLANTIC時代、1987年のアルバムに「Brasil」というのがありましたが、それを思い出させるようなちょっと哀愁が漂う曲、確かにチックは彼らの特質をよくつかんだ曲作りをしています。
おそらく、この中では最も有名なナンバーである「Spain」は、オリジナルのようにロドリーゴの「アランフェス協奏曲」のテーマが、最初に挿入されます。ガットギターのソロ(とても素敵な音色!)に乗って、まるで「スウィングル・シンガーズ」のようなコーラスが響きます。そして、いよいよ本編、あのスリリングなユニゾンを彼らはどのように料理しているのか、期待を込めて聴き進みます。と、それは、いともゆったりとしたビートに乗った、なんともユルい音楽でした。今風の重心の低い独特のノリのあるリズムには違いないのですが、こんなテンポではオリジナルの持つ息詰まるような緊張感など、出るわけがありません。まるで鼻歌のように、あのサビの複雑なリズムをスローモーションでこなしている彼ら、もはや彼らには、かつてのような一糸乱れぬアンサンブルなどは期待できないのでしょうか(一糸まとわぬ姿なら・・・)。正直、ここではかなりの失望感を味わってしまいました。
そうなってくると、かなりハードルを下げたところでの彼らとの対峙となるのもやむを得ません。残る期待は「Children's Song」でしょうか。お馴染み、チック自身も録音していましたし、クラシックのピアニストも取り上げることもあるというちょっと不思議な、(たとえば「現代曲」っぽいといったような)肌触りのソロ・ピースから、15番と1番が、ここではあまり厚くしないアレンジで、声も楽器のように扱われて録音されています。これは期待通りの面白さでした。15番はマリンバとフルート、1番ではピアノだけという編成で、メンバーがいかにも唐突なメロディを楽しみながら紡いでいる姿が、素敵です。
もはや、それほど高度なことは期待できなくなった彼らですが、音楽そのものを楽しませる力はまだまだ健在です。あえて「コーラス」にはこだわらないで接すれば、まだまだ応分の喜びは与えてもらえることでしょう。

CD Artwork © Four Quarters Entertainments, Inc.
[PR]
by jurassic_oyaji | 2010-01-25 19:32 | 合唱 | Comments(0)
ピアニストという蛮族がいる
c0039487_19512990.jpg






中村紘子著
中央公論新社刊(中公文庫)
ISBN978-4-12-205242-0



中村紘子さんが20年近く前に文藝春秋社から出版したこの単行本は、そのすぐ後には同じ出版社から文庫となって登場、中村さんの他の著作同様、音楽関係者だけではない広い読者層を獲得している書物となっています。昨年デビュー50周年を迎えたという記念の年に便乗したのでしょうか、今回別の出版社から新たに文庫本として再登場しました。
さまざまなピアニストの、ほとんど評伝と言っていい詳細な描写によって埋め尽くされているこの本は、中村さんの「物書き」としての卓越した技量を余すところなく世に知らしめるものです。ほんと、天は彼女にピアノを演奏する能力と文章を書く能力の両方を最大限にお与えになったのですね。おっと、もう一つ、まさに城を傾けるほどの美貌までお与えになっているのは、ご存じの通りです。いやあ、もはやとっくに還暦などは過ぎているというのに、あの美しさはどうでしょう。さらに大家としての貫禄まで。
ここで取り上げられているピアニスト、最初のうちはホロヴィッツとかラフマニノフといった、まさに大ピアニストたちですから、特にここで読まなくても、他にいくらでも資料がありそうな気がします。もちろん、そんな資料を駆使した、まさにピアニストならではの鋭い視線は、ここでしか味わえないものなのでしょう。
しかし、そのあとの、明治時代、まさに日本が西洋音楽を初めて取り入れた時の先駆者となった2人の女性について描かれた部分は、なんとも言えない迫力を伴うものでした。まず、名前だけは知っていても、その素顔にはなかなか接することの出来なかった幸田延については、演奏家、指導者としての華やかな経歴とともに、あまりに日本的な理由での失脚にいたるまでの経緯が、詳細に描かれています。そこには、まさに、同じ女性としてトップを極めた中村さんならではの視線が感じられます。
そして、名前も知らなかった久野久の生涯が語られるときには、その、事実のみが持ちうる重みによって、ドラマティックな感動を味わうことになります。日本にいるときこそ、最大の讃辞を浴びた彼女のベートーヴェンの演奏が、ヨーロッパではなんの価値もない、ほとんど初心者と変わらない拙いものであることを悟ったという、とてつもなく残酷な現実、これを、中村さんはご自身の体験とも重ねることによって、痛々しいほどに描ききっています。
それにしても、邦楽しか学んだことのなかった少女が、音楽大学に入るために西洋のクラシック音楽をいきなり勉強して、それがそこそこ(もちろん、ただならぬ努力があってのことですが)通用してしまう当時の日本のクラシック事情というのは、なんともものすごいものだったのですね。その力が「本場」では全く通用しないことを悟って自ら命を絶ってしまうほどの犠牲が、今の「クラシック」の隆盛を、もしかしたら支えているのかもしれません。
しかし、同じように幼少の頃は何一つ「クラシック」の素養のなかった少女が、初めてピアノに触れた時にいきなりその才能を開花させるという、オーストリアのタスマニア島出身のアイリーン・ジョイスの評伝に立ち会うとき、そこに久野とは根本的に異なるなにかを感じるのは、もしかしたら中村さんの巧妙なトリックのせいなのでしょうか。同じく、未知なものとしての「クラシック」に対して、ジョイスは久野に比べたらいともたやすく成功を勝ち取ることが出来ました。そこには、西洋人が作り上げてきた「クラシック」という文化の、本質的な特性が隠されているのでは、とは感じられないでしょうか。あたかも世界共通、グローバルであるかに見える「クラシック」、しかし、実際にはそれは東洋の島国の人間の持つ「文化」あるいは「精神構造」、もっと言えばDNAを真っ向から拒んだ上に成り立っているものなのかもしれませんね。

Book Artwork © Chuokoron-Shinsha, Inc.
[PR]
by jurassic_oyaji | 2010-01-23 19:52 | 書籍 | Comments(0)
デューク・エイセス55周年記念盤
c0039487_1947651.jpg




デューク・エイセス
EMIミュージック・ジャパン/TOCT-26955・56



今年2010年は、1955年に結成されたコーラスグループ、「デューク・エイセス」がなんと55周年を迎えるという記念の年です。その間、バリトンの谷さんはずっと「勤務」されていたのですから、すごいものですね。谷さんだけでなく、セカンドテナーの吉田さんやベースの槇野さんも、ほんの2~3年目に「入社」していますから、殆ど同じ職歴です。ただ、トップテナーだけは、和田さん、小保方さん、谷口さん、飯野さん、そして現在の大須賀さんと、5人もの人が今までに「務めて」いたことになります。
これは、そんな55年の歴史を、その間に作られた日本語の歌を通して振り返ろうという壮大なコンセプトのベストアルバムです。収録時間は2枚合わせて15831秒、CDの規格いっぱいです。すごい企画ですね。谷さんのライナーノーツに「五代にわたるトップテナーの声」とあるように、なつかしい初期のお二人の声もしっかり味わえますよ。
ただ、そんなメンバーの変遷をあらわす貴重な写真はあるものの、肝心の曲が録音された年代が全く記載されていないのは、とても残念なことです。5人のトップテナーたちのそれぞれに個性的な声を聴き分ける裏付けとしての録音データは、ぜひとも必要なものでした。デューク・エイセス歴は長いと自負していても、和田さんが歌っているのは「寿限無の嘆き」1曲だけなのか、あるいは飯野さんが参加している曲も「死んだ男の残したものは」1曲だけなのかというのは、いまいち自信が持てないものですから。
興味深いのは、彼らの最初のヒット曲「おさななじみ」が、それぞれの時代に応じて新たに2つのバージョンが加えられていることです。オリジナルはもちろん1962年の、「夢であいましょう」の中で生まれた曲、トップテナーは小保方さんでしょうね。「続・おさななじみ」になると、歌詞の内容から1970年代の初頭に作られたことがうかがえます。トップはもちろん、デュークの全盛期を支えた谷口さんです。そして、「おさななじみ・・その後」というのがこのアルバムのための新録音、トップは昨年新しく加入したばかりの大須賀さんですね。歌詞はともかく、アレンジなどがそれぞれに時代を反映していてまさに日本のポップスの歴史を見る思いです。そして、コーラスですが、確かにトップの違いによる変化はかなり大きいものの、まわりの3人の力が、そのトップをしっかりと支えているということが良く分かります。これが、彼らの力なのでしょう。たとえメンバーが替わったとしても、底に流れるものは決して変わらないという確固たる彼らの信念を見る思いです。
とは言っても、全45曲中35曲にまで参加している谷口さんの声は、やはりデュークが最も輝いていた時代を反映しているものでしょう。谷さんのバリトンとの2声部がしっかり基礎になった鋼のように強固なハーモニーは、おそらく日本のコーラスグループが到達した最高の成果として、これからも語り継がれていくことでしょう。さらに、谷口さんのソロの味わい深いこと、今回初めて聴いた、1987年の石川優子のペンになる「星の旅人たち」での彼のソロは、涙が出るほどの素晴らしさです。もちろん、それは彼のまわりを包み込むタイトなハーモニーがあればこそ成し遂げられたものであることは、言うまでもありません。
LPでさんざん聴きまくった、「DUKE'20」シリーズの中の「虞美人草」(1975年のアルバム「望郷抄」収録曲)も、谷口さんのソロとともに、さまざまな想い出が蘇ってくるものでした。デュークは録音にもこだわっていて、この頃はたぶん行方洋一さんという卓越したエンジニアが担当していたはずです。LPでは度肝を抜かれたその素晴らしい録音、これも、アナログ時代の一つの成果として伝えてもらいたいものですが、あいにくCDではそれが叶わないのが、とても残念です。

CD Artwork © EMI Music Japan Inc.
[PR]
by jurassic_oyaji | 2010-01-21 19:48 | 合唱 | Comments(4)
ただたけだけコンサート
c0039487_2135783.jpg



伊東恵司/
なにわコラリアーズ
GIOVANNI/GVCS 10910



岐阜市にある「ジョヴァンニ」という通販サイトは、合唱関係のCDや楽譜を手広く扱っていて、その方面のファンには得難い存在です。参考音源を入手するなど、練習の序盤には、何かとお世話になることでしょう。各地のアマチュア合唱団のコンサートのライブ録音などを数多くプライヴェート盤としてリリースしているのも、見逃せません。
今回の新譜は、大阪の男声合唱団「なにわコラリアーズ」のコンサートの録音です。この合唱団は、何年か連続して合唱コンクールの全国大会で金賞を獲得していたという、いわば「日本一の男声合唱団」です。技術的なレベルの高さはもちろん折り紙付きですが、常に新しいレパートリーに挑戦して、ついマイナーになりがちな男声合唱の世界に新鮮な息吹を送り込んでいるのは、特筆すべきことです。エストニアの作曲家トルミスなどが、最近多くの合唱団で取り上げられるようになったのも、彼らの功績でしょう。
そんな彼らが、最近、いわば日本の男声合唱曲の「古典」である多田武彦の作品ばかりで構成されたコンサートをシリーズで開催する、という企画を立てました。指揮者の伊東さんという方は、いかにも大阪人らしいユーモアのセンスの持ち主のようで、そのコンサートのシリーズに「ただたけだけコンサート」という、まるで早口言葉のようなタイトルを付けましたよ。それは、自身の合唱団の名前を「なにこら」などと略しているのと同じ発想なのでしょうね。昨年の1月に京都の長岡京記念会館で行われたその第1回目のコンサートが、この「Vol.1」です。
多田武彦というのは、1930年生まれ(まだご存命です)の、ほとんど合唱曲しか作品がない作曲家です。というのも、彼は「専業」の作曲家ではなく、かつてはさる大手銀行に勤務していたというビジネスマンでした。仕事のかたわら、主に学生時代に身をおいた男声合唱の曲を数多く作ることになるのです。その作品には、男声合唱の響きを知り尽くした、「歌って心地よい」ツボが満載なのは、そんなご自身の体験が遺憾なく盛り込まれているからでしょう。さらに、「現代」ではちょっと恥ずかしくなってしまうようないかにも青臭い、しかし、それだからこそ心の深いところでつい共感出来てしまうような情感は、独特の持ち味となっています。
ここで「なにこら」が歌っているのは、1954年のデビュー作「柳河風俗詩」、1958年の「中勘助の詩から」、そして、後期の作品である1977年の「わがふるき日のうた」の3曲です。1曲目と2曲目は、まさに男声合唱団のスタンダードナンバー、おそらく、実際に男声合唱を体験されたことのある方でしたら、必ずこの中の曲の1つや2つは、歌ったことがあることでしょう。もちろん、そんな体験などなくともクラシック・ファンとして生きていくことは出来るのですから、そんな人にとってはもしかしたらこれは「初めて」聞く作曲家と、作品なのかもしれません。そして、実際に音を聴いてみても、たいしたものではないと見向きもしないかもしれませんね。
それはそれで良いんです。おそらく、多田武彦の作品は、そもそもマーラーやベートーヴェンなどと肩を並べようなどという大それたことははなっから考えていない、いともさりげないたたずまいの中にあるものなのですからね。あえて広い世界に出ようとはしない、あくまで限られた社会の中での、言ってみればマニアックな音楽なのです。
もちろん、それは彼の作品の魅力であるとともに、ある意味閉鎖的な聴き手の中だけでの自己満足に終わってしまう側面にもなり得ます。ここでの「なにこら」の演奏も、そんな弱気な「ただたけ」の世界で完結しています。それで良いんです。アンコールの「雨」で見せてくれたようなとてつもない深さが、全部の曲を覆っていたりしたら、さぞやうっとうしかったことでしょう。

CD Artwork © ARLMIC Company, Limited
[PR]
by jurassic_oyaji | 2010-01-18 21:05 | 合唱 | Comments(0)
XENAKIS/Pléiades
c0039487_22592851.jpg




Les Percussiones de Strasbourg
DENON/COCO-73059




お馴染み「クレスト」シリーズの最新リリース分の中にあった、1988年録音のクセナキスです。ストラスブール・パーカッション・アンサンブルが来日したときに、浦安文化会館でセッション録音されたものですね。その翌年にCDがリリースされましたが、それから20年経ってやっと再発となりました。ただ、89年に出た時には、その時に世界初演された石井真木の「マリンバと6人の打楽器奏者のためのコンチェルタンテ」という、安部圭子のマリンバがフィーチャーされた作品がカップリングされていたのですが、今回はそれがなくなっています。なにか、契約上の問題でもあったのでしょうか。お陰で、たった43分で1枚のCDが終わってしまいますから、退屈することはありません(もちろん、イヤミです)。
1979年に、このグループのために作られた「プレイヤード」(「プレアデス」という表記もあるのです)は、金属片による打楽器、ヴィブラフォンなどの鍵盤打楽器、そしていわゆる太鼓という、3つの音色の異なる打楽器のみによって演奏される3つの部分と、それに先だって、その全ての楽器が登場する「混合」という部分の、全部で4つのパートから出来ています。
その、いわば「お披露目」的な意味合いを持つ最初の「混合」で、いきなり銅鑼のような金属片の音が聞こえてきたときには、そのリアリティにちょっと驚かされてしまいます。なんという生々しい録音なのでしょう。当時のDENONの録音技術のクオリティの高さを、改めて再確認です。
実は、この録音が行われた浦安のホールには、最近実際に中に入ったことがあります。
c0039487_231728.jpg

こんな、かなり横幅のあるだだっ広いワンフロアの客席で、後ろの天井にはなにやら反響板のようなものが設置されていますが、基本的には多目的用のかなりデッドなホールのような印象でした。ですから、おそらくこのステージで録音されたのでしょうが、余計な残響はほとんど付かないために、これだけクリアな音で録音することが出来たのでしょうね。
クセナキスの作品では、音のかたまりのコントロールにどうしても耳が行ってしまいがちですが、この曲の場合は音色に対する関心がかなり重要なファクターになっていることに気づかされます。特に、「金属」については、クセナキス自身が楽器制作にまで関与したということですから、そのあたりに注目です。優秀な録音と相まって、多彩な音色の打楽器の海の中に漂うという体験、これは、オーディオ的にもなかなかのものです。
「鍵盤」になってくると、そこには前から気になっていた、まるで沖縄あたりのペンタトニックっぽいメロディが登場します。タマヨのクセナキス全集に入っていた「Jonchaies」という1977年のオーケストラ曲にも、やはり「沖縄民謡」が顔を出していましたが、この時期のクセナキスはこんな旋法にハマっていたのでしょうか。
最後の「太鼓」は、それまでのテイストとは異なる、ストイックなモノトーンの世界です。まるで「鬼太鼓座」や「鼓童」といった和太鼓のアンサンブルのように、ひたすら神経を集中して他の奏者と一体化するという、まるで精神修養にも似た厳しさすら感じられないでしょうか。「合う」はずのないクセナキスの音楽で、「合って」しまっているのを聴くのは、なにか不思議な体験です。
そんな「厳しさ」のなかから、なにかカラフルな印象が与えられるというのも、興味深いところです。それは、おそらく微妙なダイナミック・レンジのコントロールによって生み出されているものなのでしょう。瞬時に大迫力の世界から、いとも繊細な世界へと変わることが出来る柔軟さ、あるいは、息の長いディミヌエンド、そんなしなやかなテイストも、クセナキスの中にはあったのです。これは、以前アメリカの団体の演奏を聴いたときには感じられなかったものです。演奏も、そして録音も、今回の方が数段勝っています。

CD Artwork © Columbia Music Entertainment, Inc.
[PR]
by jurassic_oyaji | 2010-01-16 23:01 | 現代音楽 | Comments(0)