おやぢの部屋2
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Baltic Runes
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Paul Hillier/
Estonian Philharmonic Chamber Choir
HARMONIA MUNDI/HMU 807485(hybrid SACD)




エストニア・フィルハーモニック室内合唱団の首席指揮者は、2008年にポール・ヒリヤーからダニエル・ロイスに替わってしまいましたが、ヒリヤーがまだ指揮者だった頃の2008年1月から2月にかけての録音が新譜としてリリースされました。彼が2001年にこの合唱団のシェフに就任してから手がけていた「Baltic Voices」というシリーズが、3集まで出たところで、なんだか尻つぼみになってしまったような感があったのですが、おそらくそれに関連した企画なのでしょう。しかし、今回はタイトルが「Baltic Voices」ではなく「Baltic Runes」、「声」ではなく「ルーン文字」になっていますね。「ルーン文字」というのは借金ではなく(それは「ローン」)、このジャケットや、ブックレットの中にも描かれている北欧の古代象形文字のことです。それは、あのワーグナーの「指環」に登場する神々の長ヴォータンが持つ槍に刻まれたものとして、ファンにはお馴染みのものです。話の中では登場しても、それがいったいどういうものなのかは誰にも分からない、というのが、その「ルーン文字」の実態でしたが、それは「指環」から連想されるようなおどろおどろしいものではなく、こんなかわいらしいものだったんですね。
そんな文字のように、北欧に昔から伝わる民族音楽などをモチーフにした合唱曲が、ここには集められています。メインの作曲家はエストニアのトルミスで3曲、そして、同じエストニアのクレークと、フィンランドからシベリウスとベリマンが、それぞれ1曲ずつ取り上げられています。
録音会場やスタッフは「Voices」と同じですが、あちらはCDだったものが、今回はSACDに変わっています。その違いは歴然たるもの、以前はちょっと硬い感じがしたものが、ここではなんともまろやかでふくよかな音に満ちています。全く何のストレスも感じることなく、最初から最後まで身を任せて聴いていられる無伴奏の混声合唱、こんな幸せな思いに浸れたのは、久しぶりのことです。
トルミスの作品は、素朴なモチーフをほとんどそのまま使っているにもかかわらず、作品としての「力」がみなぎっているということが、ここでも改めて確認できることでしょう。キングズ・シンガーズのために作られた「司祭と異教徒」という作品は、前にこちらでその合唱版を聴いたことがありました。その時は、繊細な演奏には感心しながらも、オリジナルのカウンター・テノールのパートの処理に、ちょっと苦労をしている印象を受けていましたが、今回は女声がそのパートを歌うことで、なんの無理もないクリアなサウンドが実現、この曲の透明な魅力がさらに増して、その「力」の存在感もより大きくなっています。
エリク・ベリマンの作品はBaltic Voices 3でも取り上げられていました。ここでも、そのとんがった作風は、この1975年に作られた「Lapponia」という曲によってまざまざと体験することが出来ます。4つの部分から成る24分にも及ぶ長大な作品ですが、そこにはテキストはおろか、メロディすらも現れないという、徹底した非西欧の世界が広がります。そこでは、ラップランドの自然と、伝承音楽の「ヨイク」(フィンランドの作曲家マンティヤルヴィに、「ヨイクもどき
Pseudo-Yoik」という作品がありましたね)が、表層的な描写ではなく、エネルギッシュな「表現」によって描かれています。そんな、「地声」と「クラスター」しか与えられない作品からも、この合唱団はなんという音楽性と、そして、「歌う」という行為の根源に迫るほどの「力」を見せつけていることでしょう。
それは、シベリウスの名曲「恋する人 Rakastava」で見られるリリシズムとは対極にある表現、彼らの懐の深さには驚かされます。ちなみに、ここで演奏されているのはオリジナルの男声版ではなく混声版、ジャケットには作曲年が「1893/1911」とありますが、後者は弦楽合奏に編曲された年で、合唱版にはなんのゆかりもない年号です。

SACD Artwork © Harmonia Mundi USA
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by jurassic_oyaji | 2010-08-30 20:44 | 合唱 | Comments(0)
ORFF/Carmina Burana
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Patricia Petibon(Sop), Hans-Werner Bunz(Ten)
Christian Gerhaher(Bar)
Daniel Harding/
Tölzer Knabenchor
Symphonieorchester und Chor des Bayerischen Rundfunks
DG/00289 477 8778




DGの「カルミナ・ブラーナ」と言えば、ヨッフムの2種類の録音、バイエルン放送交響楽団との1950年代のモノラル盤と、1967年のベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団とのステレオ盤が有名ですね。それ以来、このレーベルからは数々の「カルミナ」がリリースされて来ましたが、ごく最近のものは1998年のティーレマン盤ということになるのでしょう。これも、オーケストラはベルリン・ドイツ・オペラ管でしたね。今回は、それから10年以上経った2010年4月に、かつてのヨッフムの手兵バイエルン放送響を、ハーディングが指揮したという、ミュンヘンのガスタイク・ホールでのコンサートのライブ録音です。
しかし、今回特徴的なのは、これがDG独自のプロダクションではなく、「BR KLASSIK」との共同制作だということではないでしょうか。いや、実際に録音に携わったのは「BR」、つまりバイエルン放送局のスタッフですから、DGとしては単なる「名義貸し」といった趣でしょうね。これは、かつてのDGでは考えられなかったこと、いや、このレーベルに限らず、レーベルがそれぞれに独自ポリシーをその録音に込めていたという時代は、とっくに終わっていたことにいまさらながら気付かされます。この「カルミナ」だって、そこから「DGらしい」音を感じ取ることなどはもはや不可能です。
そんな、幾分おとなし目な、なんの誇張もない音の中から聴こえてきたのは、かなり丁寧に仕上げられた合唱とオーケストラの姿でした。このバイエルン放送合唱団、芸術監督はダイクストラのはずですが、なぜか「合唱指揮」のクレジットがロベルト・ブランクという人になっているのが気になります。それはともかく、時として羽目をはずして暴走することすら許されているこの曲で、この合唱団はいとも淡々と自分たちの仕事を誠実にこなしている、という印象を受けます。非常に美しい合唱ではあるのですが、どこか醒めていて熱いものがほとんどないというのは、いかにも「現代的」な姿に思えてしまいます。児童合唱のパートのテルツ少年合唱団も、なんとも大人びた声で「無垢」というよりは「とりすました」ふうに聴こえてくるのがちょっと不思議というかブキミ。この合唱団は、昔はこんな歌い方はしていなかったはずですが、こちらも合唱指揮者に今までのシュミット・ガーデンと一緒にラルフ・ルーデヴィヒという人の名前があるせいなのでしょうか。
オーケストラも、がむしゃらに突き進む、というありがちな様相は全く見せることはなく、ひたすら細部を磨き上げるというところに腐心しているように思えてしまいます。例えば、「Tanz」とか「Chume, chume geselle min」でフルートソロが全く同じフレーズを繰り返すときには、必ず2度目のダイナミックスをワンランク落とす、という、楽譜にはない配慮です。ここまでやられると、ただの「小細工」にしか聴こえないのは、この曲では他にもっとやることがあるのでは、という思いからでしょうか。
しかし、そこにバリトン・ソロのゲルハーエルが入ると、その場の空気がガラリと変わってしまいます。なんという弾けたパフォーマンスなのでしょう。彼は以前ラトル盤でも歌っていましたが、今回はその時以上のはしゃぎよう、その「芸」にはますます磨きがかかってきています。もちろん、それはそれで聴くものを惹きつける魅力は満載なのですが、それまでのハーディングの「芸風」とのあまりの落差には、戸惑ってしまう人もいることでしょう。もっとも、そんなミスマッチを作り出すのが、今回のハーディングの仕掛けだったのかもしれませんがね。
プティボンのソプラノは、かなりの期待はずれでした。始めの頃こそ清楚な味わいが出ているな、と思っていたのに、だんだん力が入ってきて、「Dulcissime」のハイDなどは悲惨そのもの、彼女がこの曲を歌う旬は、とっくに過ぎています(シュンとしないでね)。

CD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH
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by jurassic_oyaji | 2010-08-27 20:21 | 合唱 | Comments(0)
いきものがかり
 最近はネット配信が増えたためにCDなどのフィジカルな媒体の売り上げが減ってきた、と言われていますが、そもそも音楽を聴くという行為自体の変化が、大きく影響をしているのではないか、という気がしてしょうがありません。かつては「趣味」の範疇にあった「音楽」というものが、今ではほとんど生活の一部となってしまっています。そこでは、何事も安易な方向に流れていくのは必至です。もちろん、その「音楽」というのは、私たちが主に聴いているであろう「クラシック」ではありません。というか、「クラシック」こそは、まだまだ「趣味」のもの、本当に好きな人以外は手を出さないという、いわば「聖域」がまだ厳然として存在している世界ですからね。
 ですから、今ふつうに「音楽」と言えば、「洋楽」とか「邦楽」という、かつての業界用語によって語られるジャンルのものになってきます。それでも、まだ「洋楽」の場合は幾分趣味性は残っているかもしれませんが、「邦楽」となると、もう、たとえばテレビを見るとか、新聞を読むのと同じ感覚で接するものとなってはいませんか?そして、それらは決してインストものではなく、「歌」ものであるのは必須の条件になってきます。だって、「歌詞」がないことには、それを聴いている人はその「楽曲」(これも業界用語)を理解することは出来ないんですからね。というか、「楽曲」について語るときには、ほとんど「歌詞」の内容しか話題に上らない、というのが、普通のレベルの会話の状況なのではないでしょうか。その「楽曲」に共感するかしないかは、「歌詞」のみによって決まってしまうのですよ。「邦楽」を聴く人が「音楽」について語るのは、彦根市民が「むすび丸」について語る以上にあり得ないことなのです。
 その歌詞の中身で、なんとも不思議なことが起こっているのをご存知ですか?女性歌手が主に異性に対する時に使う二人称代名詞には、「きみ」という言葉が使われているのですよ。「♪きみに会いたくて~」とか、「♪きみなしでは、いられない」とか、いまのはたち代のシンガーが歌っている「歌詞」の中では、ほぼ例外なく男性に向かって「きみ」と呼びかける事態が日常化しているのです。これが、とてつもなく異様な事態だと感じられるのは、もしかしたらある年齢以上の人なのかもしれませんが、少なくとも私にとってはこの「きみ」は、気持ち悪くてたまりません。私の中では、「きみ」というのは、あくまで男性が目下の男性、場合によっては女性に対して使う人称代名詞なのですからね。
 ただ、よくは分かりませんが、こういう曲を聴いている彼女たちは、実生活では果たしてこういう意味で「きみ」は使ってはいないのではないか、という気がするのですが、どうなのでしょうか。この不気味な言葉遣いは、あくまで「邦楽」の「歌詞」の中だけのものだ、と思いたいものです。
 「邦楽」の「歌詞」には、よくつかわれる単語、というのがあります。「巡り合えた奇跡」とか「出会えた奇跡」などというフレーズには、3日に1度はお目に書かれます。誰かが最初に使った頃は新鮮でインパクトがあったものも、こんなに使われると逆に気持ちを逆なでされるようで不快感ばかりが募ります。おそらく、「きみ」も、最初はそんなインパクトを狙って、たぶんユーミンとか宇多田ヒカルあたりが使ったものを、それこそ異口同音に(いや、同工異曲?)深い考えもなくみんながマネをしたから、こんな垂れ流し状態になってしまったのかもしれません。
 話は変わりますが、「ゲゲゲ」はなんと6週連続視聴率1位なのだとか。もう「竜馬」など問題外です。これほどのヒットの要因はいろいろ言われていますが、私はテーマ曲の新鮮さも、大きなファクターだと思っています。「♪ありがとうって伝えたくて あなたを見つめるけど」というサビの「歌詞」、これほど「あなた」という言葉が美しく響くのは、ひとえに、どこへ行っても「きみ」しか聞こえてこないという現実があるからなのです。
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by jurassic_oyaji | 2010-08-26 21:16 | 禁断 | Comments(0)
FAURÉ/Requiem
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Anne-Marie Blanzat(Sop)
Pierre Mollet(Bar)
Jean Guillou(Org)
R.P. Martin de l'Oratoire/
Les Chanteurs et l'Orchestre de Saint Eustache
CHARLIN/AMS 39




前回の続きです。最初に聴いたCHARLINCDの音は、本当に素晴らしいものでした。前半にはヴィヴァルディの4つのヴァイオリンのための協奏曲が入っていますが、それこそ、頭の周りをその4人が取り囲んでいるようなリアルな音場とともに、そのヴァイオリンの音のみずみずしいこと。それぞれの奏者の個性までもが、くっきりと伝わってくるものすごい録音、CDで、これだけの存在感を感じられるものはそうそうあるものではありません。周りを取り囲んでいるトゥッティのアンサンブルも、とても雰囲気のある包み込むような響きです。ソロとトゥッティとのバランスも絶妙で、それはどこにも不自然なところのない、まさに「自然なサウンド」と言うにふさわしいものでした。
後半は、ヴィヴァルディの原曲を、バッハが4台のチェンバロのために編曲したバージョンです。もちろん、この録音が行われた1963年ごろには「チェンバロ」と言えば「モダンチェンバロ」しかありませんでしたから、今ではまず聴くことのできない繊細さからは程遠い「力強い」チェンバロの響きも堪能できますよ。しかし、モダンチェンバロ4台の迫力というのは、すごいものです。これも、当時の「自然」な音楽のありようだったのでしょう。このチェンバロのソリストの中に、ブルーノ・カニーノやクラウディオ・アバド(!)の名前を見つけるのも、楽しい体験です。
さらに、その「自然」さは、録音会場の遮音の悪さをそのまま反映したものにもなっていました。かつてLPで聴いたときに耳ざわりだった低周波のノイズは、実は外を通る自動車の音だったのですね。そのあたりも、この優秀なマスタリングではっきり知ることが出来ます。巷間で熱く語られていたCHARLINのもつ「自然」な魅力、それを、このCDによって、いろいろな意味で初めて存分に体験することが出来ました。
次に聴いてみたのは、1965年ごろの録音で、フォーレの「レクイエム」です。これはまだLP時代にも聴いたことのなかったアイテム、期待が高まりますが、これもジャケットに記載された曲順がまるでデタラメなのには、一瞬たじろいでしまいます。もちろん、演奏は普通の曲順で行われています。
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この録音、「ヴィヴァルディ・バッハ」に比べると、なにかピントが定まらないような印象があります。ノイズもさらに盛大になったような感じ、ダミーヘッド(=ワンポイント)のレベル設定ではどうしてもちょっとした演奏ノイズまで拾ってしまうのでしょうか。それにしても、指揮台でも叩いているような、定期的に「バチン」と聞こえてくる音が非常に耳障りです。いや、もしかしたら
そう、まさかとは思うのですが、もしかしたらこのCDはマスターテープから作られたものではなく、LPを音源にしている、いわゆる「板起こし」なのかもしれません。浅草名物ではありませんよ(それは「雷おこし」)。指揮台を叩く音ではなく、あれはスクラッチ・ノイズだと考えると、その他の不可解なノイズも納得がいきます。合唱などは、フォルテシモでは常に音が歪んでしまっていますしね。なによりも、全体を覆っている解像度の悪さは、とても「名録音」とは言えないようなものです。
なんでも、CHARLINのマスターテープというものは、もはや存在してはいないのだそうです。「ヴィヴァルディ・バッハ」などは、たまたまコピーが残っていたのでしょうが、そうでない場合にはLPを使うしか方法はないわけですね。
そんな、なんとも不安定な音で聴いていると、演奏自体もかなり荒っぽいもののように思われてしまいます。何よりも、合唱がとてつもなくヘタ。メンバーがてんでにバラバラの歌い方をしていて、全体としての方向性が全く見えてきません。
Pie Jesu」のソプラノ・ソロは、とても可憐で思わずハッとさせられてしまいます。これがまともなマスタリングで聴けないのが、とても残念です。

CD Artwork © Editions André Charlin
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by jurassic_oyaji | 2010-08-25 21:35 | 合唱 | Comments(0)
VIVALDI, BACH/Concertos
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Alberto Zedda/
Angelicum de Milan
CHARLIN/SLC 2




CHARLIN」というレーベル(どこかで「チャーリン」と英語読みしていた人がいましたが、フランス語なので「シャルラン」と読みます)を知っている人は、ずいぶん少なくなりました。1960年代にアンドレ・シャルランというレコーディング・エンジニアが作ったレーベルです。シャルランという人は、それまではERATOのエンジニアとして活躍していました。フリッツ・ヴェルナーの「マタイ受難曲」など、初期のERATOの録音は、彼の手になるものです。独立して彼の名前のレコードを作り始めたときにセールスポイントにしたのが、「ダミー・ヘッド」によるワンポイント録音でした。それは、彼自身の設計による、ちょうど人間の頭ほどの大きさの、ラグビーボールのような形をしたマイクを1セットだけ使うという録音のやり方です。そのマイクには、左右の耳にあたる部分に小さなマイクが2つ埋め込んであり、まさに人間の耳で聴いたのと同じ音場で音をとらえることが出来るのですね。
実際に、その音は多くの人の耳をとらえ、「シャルラン・レコード」は、なにか特別の、あたかも工芸品のような慈しみを持って迎えられていました。日本でも簡単に輸入盤が手に入りましたが、そのLPの現物を手にしたときには、まず音を聴く前に確かに「特別」な感慨を抱いたものでした。このCDのジャケットからは想像も出来ませんが、そのジャケットは見るからに手間がかかっているもので、タイトルの部分だけ、別の紙が貼り付けられていましたね。そして、普通はそのジャケットの中にポリエチレンなどで出来た中袋に入ったLP本体が収められているのですが、ここではLPは「袋」ではなく、発泡ウレタンを貼り付けた厚紙によって挟まれていたのです。ちょっと怖いですね(いや、「発砲」ではありません)。つまり、LPの盤面は、その柔らかい樹脂によって、傷やホコリから守られている、という形をとられていたのですね。今から考えれば、ウレタンの経時変化で盤面にダメージを与える方が大きいはずですが(かつて、組み物CDの中に入っていたウレタンがどろどろになってしまったという「事故」がありましたね)、その当時はなんとも贅沢な仕様のように感じられたものでした。
ただ、盤質はそれほどよくなかったような気がします。かなり反っていたものもありましたし、何よりもサーフェス・ノイズが多くて、肝心の音がじっくり楽しめなかったような記憶の方が強く残っています。
それがCD化されたものは、以前からあったようなのですが、最近簡単に入手できるような体制が整って、そのカタログが一斉に出回りました。その中から、たぶん最初にLPを買ったはずの、このアイテムで、CD化の成果のあたりを付けてみましょう。
これは、ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲と、それをバッハが自分の勉強用と、後にはライプツィヒのコレギウム・ムジクムのためにチェンバロやオルガンに編曲したバージョンとを一緒に聴いてもらおうという、当時としてはなかなか斬新なコンセプトのアルバムでした。「4つのヴァイオリン(チェンバロ)のための協奏曲」などが入っているこれが「第1集」、そのあと「第2集」も出ていました。もちろん、どちらもCD化されています。
このCD、体裁はなんとも素っ気ないものでした。ライナーノーツは、オリジナルのLPに載っていたものをそのまま転載しただけ、詳細な録音データなどは全くありません。そして、なんということでしょう、CD面の印刷が見事に間違っています。これは、「第2集」、CDだと「SLC 24」という品番で出ているものの曲ではありませんか。とんでもないがさつな神経ですね。
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しかし、そんな扱いにもかかわらず、聞こえてきた音はとても素晴らしいものでした。まさかこれほどのものとは全く期待していなかっただけに、逆の意味で裏切られた思いです。あまりに素晴らしかったので、他のアイテムも買ってしまいましたよ。それも含めて、詳細は次回、ということで。

CD Artwork © Edition André Charlin
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by jurassic_oyaji | 2010-08-23 23:15 | オーケストラ | Comments(0)
バイロイト音楽祭
 きのうの深夜、ですか、「バイロイトからの生中継」というのを、やっていましたね。なんでも、これは「テレビでは世界初」のことなのだそうです。確かに、今時ではウィーン・フィルのコンサートを「生中継」するなどということはごく当たり前のことになっていますから、そんな外国からの「生中継」なんて、なにも珍しいことではなくなっていますが、やはりバイロイトは特別なのですね。たとえば、映像を作るときでも、お客さんが入ったときの公演を収録するのではなく、客のいない空っぽの劇場で、客席にしっかり足場などを組んで、「セッション」録画をしていたものですね。あの1980年のシェロー/ブーレーズの「指環」などはそんな風にして作られていましたね。本当の「生」を見たいのなら、劇場まで足を運べ、という高飛車な態度が、バイロイトの基本的な姿勢だったのでしょう。
 それが、長く続いたヴォルフガングの治世がやっと終わり、その次の世代に「当主」が変わったとたんに、こんなおいしいことをやってくれました。もう、「伝統」をかさに、排他的な姿勢を貫ける時代ではないのでしょう。
 「テレビでは初の生中継」という言い方が、面白いですね。すでに、ネットでの「生中継」は行われていますから、わざわざこんな言い方をしなければいけないのでしょう。しかし、「テレビでの生中継」が、実は今回が「世界初」のことではなかったことを、知っている人もいるのではないでしょうか。それは、1967年6月25日のこと、BBCが中心になって企画された「Our World」という、それこそ「世界初」の、衛星で全世界をむすんで、世界各地から「生」の映像を送りあおう、という番組が放送されたのですよ。日本からは、確か生まれたばかりの赤ちゃんの足形をとる瞬間、などというしょうもない映像が送られていたはずです。もちろん、これが歴史に残っているのは、その番組の中で「ザ・ビートルズ」が新曲を録音している現場を紹介したからです。「All You Need Is Love」という、今でもよく知られている大ヒット曲を彼らが録音しているところを、ロンドンのアビー・ロード・スタジオ(もちろん、第2スタジオ)から「生中継」したものです。この映像は、事あるごとに紹介されていますよね。あれのオリジナルが、この放送の映像なのです。
 そして、その同じ番組の中で、ドイツから放送されたのが、バイロイトからの「生中継」だったのですよ。それは「ローエングリン」からの1場面が、ほんの数分だけ流れただけのものでした。しかし、その時にバイロイトの劇場の内部が、初めて日本の「お茶の間」のテレビに映ったことになるわけで、私などはそれを見てとても興奮したものでした。もちろん、当時クラスにワーグナー好きなどがいるはずもなく、翌日の教室はビートルズの話題だけで盛り上がっていましたがね。
 ですから、そんな大昔に「世界初」があったことなどは、忘れたふりをして、ひたすらこの快挙をセンセーショナルにあおるNHKでした。まあ、6時間に及ぶ公演を、そのまま放送してくれる太っ腹さは、ありがたいことですが。
 そう、そんなに時間がかかるのは、それぞれの幕間がたっぷり1時間ずつ取られているからなのです。その間に、お客さんは全員劇場の外に追い出されてしまって、その間に中では場面転換とか、ライティングのテストとかをやっているのですね。そういうレアな映像を、そのまま流せばいいものを、NHKがやったことは、それをスタジオ内のモニターで流すだけで、その間は例によって愚にもつかないゲストとのおしゃべりを繰り広げていたのですね。まあ、それ以外にも貴重な現地の映像は紹介されていましたが、あのピアニストの見当外れのコメントには、むかつきました。
 でも、「生」なのに、完璧に日本語字幕を付けていたのには、感服です。あまりに完璧すぎて、本当に生なの?と思ってしまうぐらい。
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by jurassic_oyaji | 2010-08-22 23:17 | 禁断 | Comments(0)
クラシック侍
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杉ちゃん & 鉄平
FOXTROT/AVCA-29821



「ホフヌング音楽祭」とか「P.D.Q.バッハ」、あるいは、それらをパクッた「山本直純」など、昔からクラシック音楽をネタにして楽しく遊ぼう、という試みはたくさんありました。アイディアとしてはかなり陳腐な、例えば似たようなメロディをクラシック以外のところから持ってきて、元のクラシックの中に挿入するといったような他愛のないものなのですが、それが見事にハマると思いがけないほどの「笑い」が生まれます。正直「P.D.Q.」のネタなどは殆どワンパターンなのにもかかわらず、それがあまりに突拍子のない組み合わせだったりするものですから、無防備に聴いていると思わず爆笑しかねません。もし電車の中でヘッドフォンで聴いていたときにそんな姿をさらけ出すと、車内の全員から奇異の視線を浴びることになってしまいますよ。
そんなばからしいことは、直純で終わっていたのかと思っていたら、思いがけないところでその精神が脈々と生き延びていたのを知りました。それは、さるラジオでのトーク番組を聴いているときでした。いつもなら、新しいアルバムをリリースしたアーティストがやって来て、出来たばかりのCDを作るときにどんな気持ちだったのか、などという、どうでもいいようなことをしゃべっていくコーナーなのですが、そこで、そんな場には似つかわしくない「ヴァイオリン」の演奏などが聞こえてきたのですよ。やはり、同じようにニューアルバムのプロモーションなのですが、そこに、クラシックっぽいメロディが登場していたので、なんともびっくりしてしまいました。しばらく聴いていると、それは、かなり高度な仕掛けを施した、そんな「お笑いクラシック」だったのですね。
それは、岡田鉄平という、桐朋の大学院まで出て、コンクールの入賞歴もあるというヴァイオリニストと、杉浦哲郎という、小さい頃からピアノを学び、さまざまなバンドで編曲の「修行」を積んできたという経歴を持つピアニスト兼アレンジャーの二人から成るユニット「杉ちゃん & 鉄平」でした。2004年に、「お笑い」に特化したクラシックを演奏するために結成されたもので、今までにすでに数枚のアルバムを出していたのですが、あいにくそれには気づかずに、やっと、この最新アルバムできちんとご対面です。
今回のコンセプトは、タイトルからも分かるように、「江戸時代にクラシック音楽が伝わってきたら、こんなものになったのでは」というようなものだそうです。確かに、江戸時代といえばまさに「クラシック」の時代そのもの、バロックからロマン派までをカバーしていますからね。でも、「ロマンポルノ」じゃないですよ(それは「エロ時代」)。
そして、その「仕掛け」は、というと、元のクラシックのメロディを日本風の音階(あるいは旋法)に置き換えて遊ぶ、というものでした。バッハのコラール「主よ、人の望みの喜びよ」のオブリガートを、なんともなよなよとした「小唄」風に変えてしまい、タイトルも「仏よ、人の望みの喜びよ」と変えるというセンスは、なかなかですね。まあ、それは「そんなものか」とあしらえるほどの出来だったのですが、同じような手法で作られた「タイプライター侍」では、思わずのけぞってしまいましたよ。お察しの通り、これはルロイ・アンダーソンの「タイプライター」が元ネタ。あの忙しいメロディを「日本風」にすると、チャンバラ映画のBGMそっくりになってしまうのですね。原曲の「チン・シャッ」という音が、刀を鳴らす音に見事にシンクロするのですから、たまりません。もう一つ、ラヴェルの「ボレロ」が元ネタの「墓礼路」では、エンディングの「ラ♭・ソ・ファ・ミ♭・レ♭・ド」が、これほど「日本風」にハマるなんて、と、大爆笑でした。
でも、岡田さんのヴァイオリンはうま過ぎ。バッハの無伴奏パルティータでは、あまり演奏が素晴らしいので、どこで遊んでいるのか、殆ど分からないほどでしたよ。

CD Artwork © FOXTROT・jEo・J&K
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by jurassic_oyaji | 2010-08-21 20:15 | ポップス | Comments(0)
HISAISHI/"LAPUTA"Castle in the Sky
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時任康文/
フィルハーモニック・ウィンズ 大阪
PRIVATE/YGMO-1009



「おやぢ」始まって以来の吹奏楽です。今や吹奏楽は教育現場では合唱を押しのけて普及が進んでいて、小学校あたりでも合唱団はなくともブラスバンドはちゃんとしたものが存在する、という、かつては考えられなかったような状況になっているのだそうです。
ですから、吹奏楽をやる人が増えれば、当然吹奏楽を聴く人も増えて来るはずで、今ではレコードやさんの店頭では「吹奏楽コーナー」が設けられるほど、多くのCDが出ています。にもかかわらず、これまでに2000点近くのアイテムをご紹介してきた「おやぢ」では、金管アンサンブルを除いては、この木管楽器と金管楽器(と、打楽器)だけによるアンサンブルを取り上げることはありませんでした。それは、ひとえに担当者が吹奏楽に対してあまりよいイメージを持っていないからなのです。特に、吹奏楽のオリジナル曲ではなく、普通のオーケストラ曲を吹奏楽に編曲したときの違和感には、耐えられないものがあります。吹奏楽には弦楽器がありませんから、そのパートをクラリネットやサックスといった管楽器で置き換えて演奏しているのが、そんな違和感の最大の原因です。なぜ、オリジナルの瑞々しい弦楽器の響きを、わざわざそんな代用品で聴かなければならなのでしょうか。
そんな吹奏楽をなぜ聴く気になったのかというと、それはここで指揮をしているのが時任康文さんだったからです。近々、個人的にこの時任さんの指揮で演奏する機会があるものですから、いったいどのような方なのか、興味がありまして。実際、ネットを探してもちゃんとしたプロフィール用の写真すらないものですから、そもそもどんなお顔をしている方か、というあたりから分からないものでして。
お顔に関しては、ブックレットに何点かの鮮明な写真がありましたので、リアルなイメージがわくようになりました。そこで、肝心の「吹奏楽」を聴いてみることになるわけです。
これは、2010年の4月に行われた、大阪にあるプロの吹奏楽団の演奏会のライブ録音です。前半にはレハールやシュトラウスの有名なオペレッタをモチーフにした作品、そして、後半には久石譲の「ジブリ」のテーマ音楽というラインナップです。覚醒剤ではありません(それは「アブリ」)。
オペレッタを編曲しているのは、鈴木英史さんという、この世界では有名な方(だそう)です。ここでは、オリジナルをそのまま吹奏楽に移すというのではなく、自由に「吹奏楽」のサウンドが最も生きるような形に直しているところに好感が持てます。ですから、クラリネットが朗々と弦楽器のメロディを演奏するというような場面が殆どないのには、安心させられます。さらに、重要なところで打楽器の活躍が目立つのも、新鮮な驚きです。マリンバあたりを大胆にフィーチャーしたそのサウンドは、とてもユニークに感じられます。でも、「メリー・ウィドウ」で「ワルツ」が登場しなかったり(アンコールでは出てはきますが)、「こうもり」とは本来無関係のはずの「雷鳴と電光」が半分近くを占めるといった、ちょっと不思議なセンスには、たじろいでしまいますが。
ここでの時任さんの指揮ぶりが、聴いていてとても気持ちの良いものでした。オペラでのキャリアがあるということは知っていましたが、アリアの歌わせ方とか、エンディングの盛り上げ方がとても堂に入っているのですね。おそらく、これは実際に指揮をされると、さらに気持ちのよいものなのではないでしょうか。楽しみになってきました。「チャイ4」の最後など、かなり盛り上がることでしょう。
ただ、「ジブリ」の方は、素材のつまらなさがもろに出てしまって、あまり楽しめませんでした。なぜ「もののけ姫」に、米良さんが歌ったあの歌が入っていないのでしょう。「ポニョ」って、「トトロ」とおんなじメロディなんですね。

CD Artwork © Philharmonic Winds Osakan
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by jurassic_oyaji | 2010-08-19 19:46 | オーケストラ | Comments(0)
PURCELL/Dido and Aeneas
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Malena Ernman(Dido), Judith van Wanroij(Belinda)
Christopher Maltman(Aeneas), Hilary
Summers(Sorceress)
Deborah Warner(Dir)
William Christie/
Les Arts Florissants
FRA MUSICA/EDV 1610(DVD)




こちらで予言していたように、パーセルの記念年であった昨年に、こんな素晴らしいDVDがリリースされていました。2006年5月にウィーンで初演されたオペラ・コミークとネーデルランド・オペラとの共同プロダクションが、200812月にオペラ・コミークで上演された時に収録されたものです。
そもそも、この作品では作曲家の自筆稿というものは紛失、正確な楽器編成も分からないし、あったはずの「プロローグ」も消滅しています。ですから、上演、あるいはレコーディングに際しては、演奏者なり演出家が何らかの手を加える必要が出てきます。ここでの指揮者、クリスティも、今までにこの作品を何度となく手がけていますが、そのたびに新しいアイディアを盛り込んできています。今回は、演出家のデボラ・ワーナーとともに、斬新なプロローグを付け加えていましたね。それは、歌手ではなく俳優(かなり立派な胸を持つ女優)が、ジーンズに胸の大きく開いたT-シャツという「現代」の衣装でテッド・ヒューズ、T.S.エリオットやイェーツの「現代」の詩を朗読する、というものでした。
音楽が始まると、主人公であるカルタゴの女王や、その恋人のトロイの王子たちは、それらしい時代の衣装で登場、それに対して、現代の制服を着た小学生ぐらいの女の子が群衆として参加したり、4人のマッチョな芸人が、なんとサーカスもどきのロープ芸を披露するといったあたりが、やはりそのような「現代」と「古代」という多層世界の混在を意図したものなのでしょう。確かに、ある意味荒唐無稽なプロットを隠すのには、それは見事な効果を上げています。
そう、前回のCDの時も触れましたが、「自らの誇りを守るためには、死をもいとわない」というこの物語のモチーフが、どうにもリアリティに欠けるものですから、そのあたりを映像ではどのように扱っているのか確かめたい、というのが、このDVDを購入した最大の理由だったのですよ。「音」だけで聴いていると、その「死」に至るプロセスが、いかにも唐突、いつの間にかディドは死の床にいるといった印象がぬぐえなかったものですから。
さすがに映像では、そのあたりは充分な説得力をもっていました。こちらで見られるように、かつては美しすぎたエルンマンのディドが、寄る年波には勝てず、首のあたりに浮き出る「筋」が、年相応の醜さを見せつけていたり、ジュード・ロー似の精悍なマスクのモルトマンのエネアスが、頭髪だけは大幅に後退していたとしても、遠目には話の進行を妨げるようなことはありません。ピクニックのシーンでの二人の恥かしくなるほどのいちゃつきぶりなどは、後の破局には欠かせない伏線として設定されているのでしょう。そして、問題の諍いのシーン。一度はディドと別れて故郷に帰る決心をしたエネアスが、「やっぱり、残るよ」と言っても、ディドは「行ってしまえ!」と、頑として聞き入れません。その時のエルンマンの表情の厳しいこと。これだけの拒絶にあってしまえば、いかにオトコがなだめすかしてもその怒りが収まるわけはありません。それは、誇りとかプライドを傷つけられたための怒り、といったかっこいいものではなく、ほとんど「あてつけ」に近いヒステリックなもののように見えてしまいます。これは怖いですよ。あまりの剣幕にエネオスはすごすごと退場してしまいますが、その直後にディドは、こんな時のために肌身離さず持っていた毒薬をあおって、ほんとに死んでしまうのですからね。
一度でも裏切ったものには、たとえ死を賭しても制裁を加えたいというオンナの「あてつけ」、色香の衰えたエルンマンだからこそ、そんな恐ろしさが、見事に伝わってきたのでしょう。
「ジョモ」と「エネオス」は、めでたく統合を果たしたというのに。

DVD Artwork © François Roussillon et Associés
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by jurassic_oyaji | 2010-08-17 23:48 | オペラ | Comments(0)
MAHLER/Symphony No.2(Version for two pianos)
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Christiane Behn, Mathias Weber(Pf)
Daniela Bechly(Sop), Iris Vermillion(Alt)
Claus Bantzer/
Harvestehuder Kammerchor
MUSICAPHONE/M 56915




マーラーの交響曲第2番の「2台ピアノ版」というものの、なんと、世界初録音なのだそうです。もちろん、この原曲には第4楽章にアルトのソロ、そして最後の第5楽章にはそれに加えてソプラノソロと混声合唱が入りますが、それはオリジナル通りに用いられています。ですから、正確には「2台ピアノ、ソプラノソロ、アルトソロ、合唱版」ということになりますね。これは、実際のコンサートのライブ録音ですが、当然、合唱には指揮者が必要、そうなると、ソリストや合唱、そして指揮者がどのタイミングで入場しているのか、気になりませんか?
ところで、この指揮者、クラウス・バンツァーという名前が記憶の片隅にあったので調べてみたら、8年も前の「おやぢの部屋」でこんなCDを紹介していたのですね。ただの指揮者ではなく、作曲家でもあったのですよ。窃盗犯ではありませんが(それは「ピンク・パンサー」)。そして、その「ジャズ・ミサ」の演奏メンバーとして、ここでも演奏しているピアニスト、クリスティアーネ・ベーンの名前もありました。世の中、狭いですね。
実は、このベーンという方が、今回の「初録音」には大きく寄与されています。コンスタンティン・フロレスという人の書いたライナーノーツによると、この方のひいおじいさんのヘルマン・ベーンという人は、ハンブルク時代のマーラーの親友で、パトロンでもあった法律家でしたが、同時に彼はピアニストでもあり、さらにブルックナーやラインベルガーにも師事した作曲家でもあったのです。彼は、マーラーの楽譜の出版にも助力を惜しみませんでしたし、交響曲第2番のベルリンでの全曲初演にあたっても、多大の援助をしています。マーラーも、彼の作曲家としての能力を高く評価していたそうです。そして、出来たばかりの「2番」のスコアを、「もっとも安全だから」と、ベーンに託して、旅に出かけます。マーラーがいないときに、ベーンはこっそりそのスコアを2台ピアノ用に編曲していました。旅から帰ったマーラーにそれを見せると、彼は「すばらしい!」と狂喜乱舞、ベーンの家で3楽章までを一緒にピアノで弾いたのだそうです。
この楽譜は1895年、初演に先立ってフリードリヒ・ホフマイスターから出版、1910年にはウニヴェルザールからそのリプリントが出版されています。ただ、自筆稿は長い間ベーンの遺族のもとにあったものを、最近クリスティアーネが「発見」して、その「ハンブルク初演」を試みようとしたことから、この20081117日のコンサートとその録音のCD化が実現したのです。
と、なかなかドラマティックな背景を持つ版ではありますが、これを聴いたところで感じられるのは、現代とは全く異なる当時の音楽の聴かれ方でした。新しく作られた曲をフルオーケストラで演奏する機会などはそうそうありませんから、その曲を知るためにはこのような「代用品」は欠かせなかったのですね。「サラウンド録音」などで、かなり本物に近い体験を得られるようになるには、まだ1世紀ほどの時間が必要でした。
まあ、ふつうのオーケストラ曲であれば、それなりの補正をきかせて聴くことも可能なのでしょうが、この曲のように合唱が入ってくるとなると、それはちょっと困難になってきます。我々は、マーラーの指定した18型のオーケストラと拮抗出来るほどの大人数による合唱の深い響きをすでに知ってしまっています。そこに、こんな40人にも満たない薄っぺらな合唱を聞かされても、「しょぼい」と感じるだけなのですよ。しかし、2人の女声ソリストたちだけは、そんな大オーケストラがバックにいるつもりでがなりたてているものですから、フィナーレのバランスと言ったら、ほとんど収拾がつかないほどになってしまっています。
図らずも、マーラーの卓越したオーケストレーションの妙味を再認識した、というのが、今回の最大の収穫だったのではないでしょうか。

CD Artwork © Klassik Center
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by jurassic_oyaji | 2010-08-15 23:17 | オーケストラ | Comments(2)