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About Christmas
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Berlin Voices
HÄNSSLER/CD98.609




今年もまたクリスマスの季節がやってきましたね。そんな年中行事に合わせて、毎年CDでもクリスマス企画の夥しい数のアルバムが発売されているのでしょう。もっとも、それらはたいがいは一回聴いたら忘れてしまうようなお粗末なものばかり、後世まで名を残すアルバムは、決して多くはありません。
そんな中で、合唱に関しては、1972年にリリースされた「シンガーズ・アンリミテッド」の「Christmas」は、まぎれもない名盤として、40年近く経った現在でも多くの人に聴かれています。
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「シンガーズ」は、ジャズをベースにした女声1人、男声3人の4人のグループ、しかし、彼らは「オーバーダビング」によってさらに声部を増やし、圧倒的に豊かなハーモニーを聴かせてくれていました。このアルバムは、彼らがア・カペラで有名、無名のクリスマス・ソングを歌いあげた「宝物」です。
彼らと同じ4人編成ですが、構成が女声2人に男声2人と微妙に異なる、「ベルリン・ヴォイセズ」が作ったクリスマス・アルバムは、もしかしたら「Christmas」同様に長く愛されるものになるかもしれない、と思わせられるほどの完成度を持っていました。2000年にそれぞれソロやコーラスのキャリアを積んできた4人のドイツのジャズ・シンガーが結成したこのコーラスグループは、その先達に負けないほどのテクニックと、小気味良いグルーヴで私たちを魅了してくれていたのです。
このグループがすごいのは、コーラスとしてのアンサンブル能力と、ソリストとしての力を、エスター・カイザー、サラ・カイザー、マルク・セカラ、クリストファー・ベンというそれぞれのメンバーがしっかり備えている、というところです。たとえば「シンガーズ」だと、ボニー・ハーマン以外のメンバーはソロに関してはちょっともの足りませんし、「マンハッタン・トランスファー」ではコーラスにいまいちタイトさがないというように、とかくジャズ・コーラスというと、そのどちらかの要素が欠けていたりするものですが、この「ベルリン」は違います。ソロではちょっと区別が付かないほどよく似た4人のちょっとハスキー気味の声は、コーラスではその見事な均質さで、完璧に一体化しているのですからね。
彼らのスタイルは、ピアノ・トリオと一緒に演奏する、というものです。ここでは、曲によってさまざまなゲストが加わります。定番の「Joy to the World」(クレジットではしっかり「ヘンデル作曲」とありますね。たしかに、言われてみれば「メサイア」の17番「Glory to God」とそっくりです)では、まずアルト・サックスが入るというインスト面が強調されたアレンジ、コーラスはとことんシンコペーションのノリでジャジーに迫ります。かと思うと、「Stille Nacht(つまりSilent Night)」ではア・カペラ、ただし、基本は5拍子というこだわりのアレンジです。
初めて聴いた「It's Christmas Time All Over the World」という曲は、途中でいろいろな言葉で「Merry Christmas」が現れるという楽しいものです。その中には日本語もありますが「良いクリスマス」なんですって。「酔うクリスマス」じゃなくて良かったですね。この曲をアレンジしているのが、「ベルリン」の先輩格にあたる「ニューヨーク・ヴォイセズ」のダーモン・ミーダー、彼はサックス・ソロも聴かせてくれていますよ。これも初めて聴いた、バッハのコラールBWV469Ich Steh an Deiner Krippen Hier」は、ボーナス・トラックに全く別のアレンジが入っています。バッハといいヘンデルといい、しっかりドイツの伝統が反映されているのですから、素敵ですね。
ところどころに、先ほどの「シンガーズ・アンリミテッド」を明らかに意識したようなフレーズが見え隠れしていました。ふと、彼らの録音がSACDで聴けたら嬉しいなぁ、と思ったりもします。日本のユニバーサルだったら、それも可能なのでしょう。来年のクリスマスプレゼントに、待ってます。

CD Artwork © SCM Hänssler
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by jurassic_oyaji | 2010-11-29 20:28 | 合唱 | Comments(4)
アーノンクールの「ロ短調ミサ」
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 先日、「最後の」来日を果たしたニコラウス・アーノンクールが、手兵ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスと、アルノルト・シェーンベルク合唱団を率いてバッハの「ロ短調」を演奏した模様が、きのうBSで放送されていましたね。なんでも、今年の「NHK音楽祭」の一環なのだとか、そのおかげでこんな「貴重な」コンサートが居ながらにして味わえるのは、ラッキーです。
 とりあえず録画だけしておこうと思っていても、最初を聴き始めるとつい最後まで聴き続けてしまいたくなるような、それは突っ込みどころ満載の演奏でした。まずは、今までのアーノンクールからは考えられないような、実に穏やかな世界が広がっていたのが、とても意外、というか、ある意味当然のような気にさせられるものでした。なんと言ってもこれが日本で披露できる最後の機会になるわけですから、せめて最後だけでも「巨匠」としての印象を植え付けておきたいな、と考えたのかどうかは分かりませんが、彼の得意技であった突拍子もない演奏は影を潜めて、なんとも悠揚迫らぬ、最大公約数的な一般受けする音楽を提供してくれていたのには、変な言い方ですが「失望」していまいました。それでも、ソリストのレシュマンあたりには、彼本来の鋭角的なアーティキュレーションが徹底されていましたから、この穏やかさは決して彼の本意ではなかったのかもしれませんね。
 しかし、別の意味でまだまだチャレンジを忘れていないところも披露されていて、それはそれでなかなか微笑ましいものがありました。それは、合唱パートの扱いです。「Kyrie」の冒頭のトゥッティは、もちろん「合唱団」が歌っていたのですが、そのあとのフーガのテーマを、なんと、「ソリスト」たちが歌い始めたのですよ。もちろん、これは、今やバッハの声楽曲を演奏する際の主流を占めてしまった感のある、「原則1パート1人、場合によっては、要所をリピエーノで補強する」という方式を、ついにこの「古楽の祖師」もとり始めたということを明確に示すものでした。ただ、ここで起用されているソリストたちが、そのようなコンセプトに必ずしも合致した人選であったのか、という疑問は残ります。ソリストとしては優れていても(それが、バッハの様式にふさわしいかは、また別の問題です。たとえば、シャーデの「Benedictus」などは、バロックの様式とは別なところで訴えかけているとしか思えません)アンサンブルとしてきちんとやれるか、というのはまた別のスキルが必要になってくるのですからね。ここでも、この5人が作り出したものは、アンサンブルを語る以前のところで終わってしまっていました。
 大幅に譲歩して、このソリストたちの「合唱」を認めたとしても、今度はリピエーノとしての「本職」の合唱団との役割分担がなんとも不可解なものになってしまいます。こんな大人数、しかも、その透明とは言い難いキャラでは、到底良い結果など得られるわけがありません。
 オーケストラでは、かなり高齢の方がまだ演奏しているのを見ると、相応の歴史が感じられます。おそらく、創設以来の「伝統」を彼らはしっかり守り続けているのでしょう。日々新しいことが発見されているこのジャンルでは、そのような姿勢は極めて珍しいものに違いありません。ここでも、彼らがかたくなに守り続けている折衷的な様式感は、到底現代では通用しないもののように思われてなりません。なんと言っても、コンサートマスターあたりは楽器の構え方から奏法まで、まさに「モダン」そのものなのですからね。
 つまり、これがアーノンクールが唱えている「現代におけるバッハ演奏」なのでしょう。細かいことにこだわっていたのでは、バッハの崇高な精神は決して表現できないのかもしれませんね。やはり、こういう「巨匠」は日本人には尊敬いや、崇拝されることになっています。というか、日本のクラシック・ファンというのは、常にこういう崇拝の対象を探し求めているのでしょう。彼の作り出す音楽が、いかにつまらなくとも。
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by jurassic_oyaji | 2010-11-28 23:03 | 禁断 | Comments(0)
VERDI/Messa da Requiem
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Barbara Frittoli(Sop), Olga Borodina(MS)
Mario Zeffiri(Ten), Ildar Abdrazakov(Bas)
Riccardo Muti/
Chicago Symphony Orchestra and Chorus
CSO・RESOUND/CSOR 901 1008(hybrid SACD)




アメリカの名門オーケストラ、シカゴ交響楽団の歴代音楽監督は、それぞれレーベルとの間に、密接な関係がありました。1953年から1962年までその任にあって、レコード界に最初の黄金時代を築いたフリッツ・ライナーの時はRCA、さらに、1969年から1991年まで、20年以上音楽監督を務めたゲオルク・ショルティの時代には、DECCAに多くの録音を行い、さらなる黄金時代を迎えました。そして、1991年にそのあとを継いだダニエル・バレンボイムはWARNER系と、それぞれにメジャー・レーベルとの良好な関係を維持していたように見えます。しかし、2006年にバレンボイムがその地位を去る頃には、世の中のレコーディング事情は大きな変化を迎えることになりました。そんな、かつては市場を賑わしていたメジャーたちは、こぞってクラシックの録音からは手を引いていったのです。特に、コストのかかるオーケストラなどは、真っ先に「仕分け」の対象になってしまいます。
大手レーベルを通じてレコード(CD or SACD)を市場に送り出すすべを失ったオーケストラは、自らの手でレコードを製作する道をとることになります。そこで誕生したのが、オーケストラの自主レーベルです。ほかのオーケストラにおくれをとったシカゴ交響楽団も、2007年に「CSO・RESOUND」という自主レーベルを発足させ、当時の指揮者(音楽監督ではありません)であったベルナルド・ハイティンクによるライブ録音を皮切りに、CDSACDのリリースを始めました(なぜか、ハイブリッドSACDだけではなく、少し安めの価格設定でCDも出しています)。
そして、2010年のシーズンから新たに音楽監督への就任が決まったリッカルド・ムーティが、この自主レーベルに初登場です。就任前の1月に行われたヴェルディの「レクイエム」のコンサートの、もちろんライブ録音です。
オケの自主レーベルの多くは録音の良さを売り物にしていますが、こちらもその例にもれず、かつてのPHILIPSのエンジニアなどをスタッフに迎えて、良質の録音を届けてくれています。たぶん、現場では最初からDSDでの録音を行っているのでしょう。ただ、今回のように大人数の合唱(メンバー表には200人近くの名前が)が入った時には、やはり全体の響きをきっちり収めるのはなかなか難しかったような気がします。オケだけの場合はとても繊細な音が再現出来ているのですが、合唱が入るととたんに音が濁ってくるのですね。ですから、ソリストも加わり全体がフルスロットルの音を出しているところでは、とてもSACDならではの余裕のある音の中に浸るということは出来ずに、なんともストレスの募る体験を強いられることになってしまいます。このあたりが、「ライブ録音」の難しいところなのでしょうね。女には任せられません(それは、「ワイフ録音」)。
ただ、もしきちんとした録音が行われていたとしても、この合唱の演奏自体が、とても精度の低い大味なものであるため、やはりストレスが解消されることはなかったのではないでしょうか。なにしろ、ピアニシモの弦楽器に乗って、とてつもない緊張感をもって歌って欲しい冒頭の「Requiem aeternam」が、なんの抑制もされていないノーテンキなおおざっぱさで聞こえてきたものですから、その時点でこの合唱団のことは完全に見限ってしまいましたからね。
ソリストも、万全のコンディションではなかったのでしょう、特にソプラノのフリットリの深すぎるビブラートは、かなり耳障りなものでした。「Agnus Dei」での、メゾのボロディナとのオクターブ・ユニゾンなどは、したがって、悲惨極まりないものになってしまいました。
ムーティの、なんとも巨匠然としたたたずまいは、なにかとてもよそよそしいものに感じられてしまいます。やはり、彼とアメリカのオーケストラは、あまり相性がよくないのかもしれませんね。

SACD Artwork © Chicago Symphony Orchestra
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by jurassic_oyaji | 2010-11-27 19:59 | 合唱 | Comments(0)
Blue Hour(Blaue Stunde)
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Andreas Blau(Fl)
Hendrik Heilmann(Pf)
MDG/308 1659-2




ベルリン・フィルの首席フルート奏者のポストを長年にわたって務めているアンドレアス・ブラウのソロアルバムです。どのぐらいの「長年」なのかというと、彼が20歳という若さでベルリン・フィルに入団したのが彼の師であるカールハインツ・ツェラーが退団した1969年ですから、もう40年以上も首席の座にあるということですね。ベルリン・フィルという、「世界最高のオーケストラ」で、これだけ長くトップを吹いている人は、他にはいません。
なにしろ、彼が入団したときにはまだあのカラヤンが指揮者でしたからね。さらに、首席奏者を2人置いているベルリン・フィルでは、もう一人の首席も替わっています。彼と同じ年に入ったのがジェームズ・ゴールウェイ、そのあとが「出戻り」のツェラー、そして現在はエマニュエル・パユですね。
ブラウは、もちろんオーケストラ・プレーヤーとしてだけではなく、ソリストとしての活動も行っています。しかし、彼の「相棒」たちに比べたらそのディスコグラフィーはとても慎ましいものでした。というか、若い頃に録音したモーツァルトのト長調の協奏曲(EMI)や、フルート四重奏曲(DG)以外のディスクは、今まで聴いたことがありませんでした。それが、もう還暦を過ぎた頃にこんなアルバムを出してくれたのは、ちょっとしたサプライズですね。
「青い時」という、まるでフラダンスの上手な女優(それは「蒼井優」)のようなタイトルですが、これは「blue」のドイツ語「blau」と、彼の名前を引っかけたものなのでしょうね。これを見た時には、いつも、まるで堅物そのもののような形相でくそ真面目にオケでのソロを吹いているブラウですから、その「ブルー」にジャズっぽい意味を持たせ、暗~いジャズのナンバーでも演奏しているのかな、と思ったのですが、それはどうやら考え過ぎだったようです。確かにここに集められた曲はクラシックだけではなく、ポップスもありますが、そこにはジャズの要素は全くありませんでした。
まず、最初に聞こえてきたのがラテンの名曲「ティコ・ティコ」でした。いかにもダンサブルなこの明るい曲を、ブラウはめいっぱい軽やかに吹いてくれています。アクロバティックな細かい音符一つ一つをていねいに、しかも決してリズムを崩さずに演奏している姿は、やはりオケの中でどんな難しいパッセージでも的確にこなしている日常が反映されたものなのでしょう。この年になってもメカニカルな面での衰えが全くないというのは、ある意味驚異的です。
次の曲は、ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」の第2楽章。こちらでは、全く対照的にしっとりと歌う側面が強調されます。それが、ありがちな甘ったるさではなく、あくまで節度を保った中での情感の吐露という、いかにもブラウらしいものであることに、安心させられます。
ここで取り上げられた曲の中では、「タンゴ」がかなりの数を占めているあたりが、ブラウの趣味を感じさせてくれるところです。もちろん、それはピアソラのような現代的なものではなく、「ラ・クンパルシータ」や「オレ・ガッパ」、そして「ジェラシー」といった古典的なタンゴです。ドイツにはコンチネンタル・タンゴの土壌がありますから、もしかしたらブラウは小さい頃からこれらの曲に慣れ親しんで来たのかもしれませんね。クラシックからほどよい距離を保っている「タンゴ」は、確かに彼にとっては全く違和感のないレパートリーなのでしょう。
派手さはないものの、堅実な日頃の積み重ねがそのまま反映されたような、じんわりと良さがしみ出してくるアルバムでした。このような姿勢の方が、第一線で活躍できる演奏家としての寿命が長いのではないか、などと思ってしまいます。そんな意味で勇気を与えられるアルバムでもあります。

CD Artwork © Musikproduktion Dabringhaus und Grimm
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by jurassic_oyaji | 2010-11-25 23:36 | フルート | Comments(0)
Norwegian Wood
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1966 Quartet
松浦梨沙, 花井悠希(Vn)
林はるか(Vc), 長篠央子(Pf)
DENON/COCQ-84856




ビートルズナンバーをクラシック風にアレンジしたという、ありきたりのアルバムなのですが、雑誌の広告でこのCDのジャケットを見たとき、猛烈に「これは手に入れたい!」と思ってしまいました。いや、ここに写っている、眉の形をすべて今の流行に揃えている、見事に個性をなくした主体性のないファッションの女性の写真に惹かれたわけでは決してありません。それは、このジャケット全体のデザインに、ただならぬこだわりを見いだしたからに他なりません。誰でもすぐ分かるように、これはあの「ザ・ビートルズ」が1963年に発表したセカンドアルバム、「With the Beatles」をもとに、とてもていねいにパロディに仕上げたものだったからです。これがオリジナル。
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4人のメンバーの顔の右側から光を当てたモノクロ写真、というこのジャケットのインパクトを生んでいる要素が、まずきっちり押さえられているのが、うれしいところです。なにしろ、4人の顔の位置関係、大きさなどまで、きっちりとオリジナル通りのプロポーションになっているのですから、感動すら覚えます。さらに、涙が出るほどうれしいのが、レーベルのマークですよ。もちろん、マークもロゴも全く別物なのですが、四角い枠に付けられたグラデーションのおかげで、オリジナルの雰囲気がそっくりそのまま表現されています。秀逸、というよりほかはありません。
このアルバムのプロデューサーが高嶋弘之だと聞けば、そんなところまでしっかりこだわったジャケットが出来上がったのは納得できます。「自称」ヴァイオリニストの高嶋ちさ子の父親としてつとに有名ですが、彼はそもそもはビートルズのアルバムを日本で販売していた「東芝音楽工業(現EMIミュージックジャパン)」でのビートルズ担当のディレクターだったのですね。彼の仕事の一つは、国内盤を発売する際の邦題の作成。たとえばこのアルバムのタイトルとなっている「Norwegian Wood」を「ノルウェーの森」などという、元の歌詞を全く顧みないとんでもないものに変えてしまった邦題などが、彼の「作品」になるわけです。困ったことに、これは小説のタイトルなどにもなって世に広まってしまいましたから、もはや取り返しのつかない事態となっています。ここには収録されてはいない、「Ticket to Ride」の邦題「涙の乗車券」が今ではまず使われることはなくなっているのが、せめてもの救いでしょうか。
そんな、ビートルズに最も近い位置にいながら、微妙にピントのずれたことをやっていた人の作ったアルバムは、ジャケットこそは高い完成度を示したものの、音楽としてはなんとも中途半端な出来にしか仕上がってはいませんでした。いや、中には、なかなかいい仕事をしているものもありますよ。「I Want to Hold Your Hand」(これも、高嶋にかかると「抱きしめたい」ですからね)などは、とてもクラシックのアーティストの片手間仕事とは思えないほどのグルーヴが醸し出されていますしね。「While My Guitar Gently Weeps」のイントロのピアノも、最初のうちはオリジナルと同じ思想を感じられるものでした。しかし、硬質な打鍵の後で、ペダルを使ったアルペジオが出てきたとたん、それは見事に消え去り、お決まりの勘違いの世界が広がってしまうのですがね。
最大の勘違いは、「Eleanor Rigby」。もともと、弦楽器だけといういかにも「クラシック風」のオケを持った曲なのですが、同じ楽器でそのまま演奏すれば「クラシック」になるのだと、安易に考えたところに落とし穴がありました。編曲者の加藤真一郎が用意した譜面からは、なぜかジョージ・マーティンのセンスが漂ってくることはなかったのです。
ジャケットで見せたパロディの精神を忘れ、ひたすら出来の悪いコピーに走ってしまったことが、敗因だったのでしょう。ロックを甘く見てはいけません。

CD Artwork © Nippon Columbia Co., Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2010-11-23 21:05 | ポップス | Comments(0)
PENDERECKI/Credo, Cantata
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Soloists
Antoni Wit/
Warsaw Boy's Choir
Warsaw Philharmonic Choir and Orchestra
NAXOS/8.572032




ペンデレツキの「クレド」は、ヘルムート・リリンクの委嘱によって作られました。世界初演はもちろん、リリンクの指揮により、1998年7月11日にオレゴン州で行われています。そのときの録音がこれ(HÄNSSLER/CD 98.311)。
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その1年後、ヴラティスラヴィア・カンタンス音楽祭でのポーランド初演の際の録音も、CDになっていました(CD ACCORD/DICA 34002)。
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この時の指揮者はカジミエシュ・コルトでしたが、今回のNAXOSによる2008年の録音は、指揮がヴィットになった他は合唱および合唱指揮、そしてオーケストラも全く同じという陣容です。ソリストはみんな別の人ですがね。これだけ規模の大きい「現代曲」を、10年も経っていないのに再録音をするというのは、ポーランドでのペンデレツキの人気は計り知れないものがあることの証なのでしょうか。世界的な規模ではもはやほとんど顧みられなくなってしまった作曲家でも、母国ではいまだにスーパースターとしてあがめられているに違いありません。
5人のソリストに児童合唱と混声合唱、そして打楽器などがてんこ盛りの大編成のオーケストラという大盤振る舞いに加えて、作品の「尺」も「クレド」だけで50分弱というのですから、これは異様な長さです。なんたって、あの長大なバッハの「ロ短調ミサ」でさえ、その部分は30分ぐらいしかないのですからね。実は、これにはわけがあります。ペンデレツキは、通常のミサのテキストの他に、8箇所にわたって詩篇などからのテキストを加えていたのですね。いえ、別に「水増し」とか「抱き合わせ」などというつもりはありませんよ。きっと、通常文だけでは語り尽くせない強い思いが、この作曲家にはあったのでしょう。
もう一つ、長くなってしまった理由には、声楽の入らないオーケストラだけの部分にかなりの時間を割いていることが挙げられます。そこでは、例えばオーボエやトロンボーンが、切々と歌い上げる哀愁に満ちたフレーズに、人は涙することでしょう。
全体は5つの部分に分かれていますが、その4番目、「Et resurrexit tertia die 主は三日目によみがえり給うた」という復活の場面からは、音楽はさらに輝きを増してきます。まるでヴェルディの「レクイエム」を思わせるような派手なオーケストレーションと合唱の叫び、これには誰しも心地よい高揚感を抱かずにはいられないはずです。次の部分、「Et in Spiritum Sanctum 我は精霊を信ずる」では、中程に、この前の作品「イェルサレムの7つの門」でも使われていた、作曲家自身の考案になる新しい楽器「チューバフォン」が大々的にフィーチャーされていますから、いやが上にもテンションは上がります。束ねた太い塩ビ管の断面をスリッパで叩いて音を出すというだけの「楽器」ですが、その野性的な響きは確かなインパクトを与えてくれます。最後に、彼の大好きなニ長調の美しい和音が鳴り響けば、その余韻に浸れる幸福感を噛みしめることでしょう。
ヴィットが着々と進めているこのレーベルでのペンデレツキ全集では、カップリングの味わいを楽しむことが出来ます。イチゴ味とか(それは「カッププリン」)。異なる作曲年代、つまり、作曲様式を並べることによって、この作曲家の本質を明らかにしようという試みですね。このアルバムでは、1964年に作られた「カンタータ」が収録されています。ラテン語によるフルタイトルは「母校ヤゲロニカ大学を讃えるカンタータ」というもの、その大学の創立600周年(!)を祝って作られたものです。今まで聴いたことのなかった珍しい作品ですが、この時代ですからとことん攻撃的な仕上がりを見せています。正直、お祝いの曲としては引いてしまうような「おっかない」手法が満載、作品の持つ高い志は「クレド」の及ぶところではない、と思わせるのが、おそらくヴィットの魂胆だったのでしょう。
ちなみに、ライナーではこの曲はオーケストラだけのような表記になっていますが、もちろん合唱は入っていますよ。

CD Artwork ©c Naxos Rights International Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2010-11-21 23:18 | 現代音楽 | Comments(0)
MISKINIS/Choral Music
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Rupert Gough/
The Choir of Royal Holloway
HYPERION/CDA 67818




このページでは初登場、ヴィタウタス・ミシュキニスという、一見ギリシャ人のような名前ですが、実はリトアニアの作曲家の合唱曲のアルバムです。エストニア、ラトビア、リトアニアという、いわゆる「バルト三国」は「合唱王国」として知られています。この方も、合唱界では非常に有名な人なのですが、普通のクラシック・ファンにとってはまずなじみのない作曲家、こういう人を丁寧に紹介してくれているこのレーベルには、いつも頭が下がります。
ミシュキニスは1954年生まれ、合唱団員として歌ったり、合唱の指揮者として多くの合唱団を育てたりといった、演奏家としての実績が輝かしい上に、合唱曲の作曲家として夥しい数の作品を産み出しているという、すごい人です。さらに、それほどのお年ではないのですが、現在は「エストニア合唱連盟(?)」の会長という要職を務めておられるのだとか、おそらく人望も厚いのでしょう。低い棒の下をくぐるのも、うまいかも(それは「リンボー」)。
ただ、えてしてそんな「偉い」人の場合、出来た作品はそれほど面白くない、ということがあるものです。誰とはいいませんが、まわりにそんな人、いませんか?
しかし、ご安心下さい。ミシュキニスが創りだした音楽は、確かなオリジナリティと、人を惹きつけずにはおかない魅力を持ったものだったのです。また一人、好きな作曲家が増えました。
このアルバムに収録されているのは、すべてア・カペラの作品です。そこでは、人の声だけの集団が作りうる格別の魅力が満載です。まずはその色彩的なハーモニー。おそらくメシアンあたりによって頂点が極められた手法であろう、密集した房状の音符が醸し出す、まるで万華鏡のようなキラキラした音のかたまりは、それだけで豊穣な世界を見せてくれます。7つの小さな曲で出来ている、この中で最も長い作品「Seven O Antiphons」では、そんな色彩の7通りの様相を楽しむことが出来ますよ。
この人の作風は、多岐にわたっています。そんな中で、小さなモチーフをオスティナート(あるいは「リフ」といった方が適当なのかもしれません)風に扱って、その上で息の長いフレーズを展開させる、というのがお気に入りのようですね。ミニマル・ミュージックを思わせるこの手法は、そのミニマルが持っていたはずの原初的なリズムを感じさせてくれるもの、そこからは新しいけれども、なにか懐かしい思いを抱かせられるものが、確かに感じられます。この中では、「Pater noster」や「O magnum mysterium」、「Salva regina」あたりに、そんな要素が含まれているでしょうか。現代的なポリフォニーとも言えるこの手法では、クラスターでさえしっかりと意味のある暖かみを感じられるものになっています。
さらに、リトアニアの民族性に根ざしたモチーフも、見逃すわけにはいきません。パンパイプの一種、「スクドゥチャイ」というリトアニアの民族楽器をフィーチャーした「Neiseik, saulala」などでは、ソプラノ・ソロによる哀愁に満ちた素朴な歌が心の琴線をくすぐります。
そんなさまざまな様相を見せるミシュキニスの作品ですが、そのベースにあるのはやはりとことん合唱に浸りきっていた彼自身の体験なのでしょう。合唱でどれだけの表現が可能なのかを、そして、実際に歌う立場になったときにどれだけの「喜び」を味わえるかと知り尽くしている人が作った曲が、面白くないわけがありません。
「ロイヤル・ホロウェイ」という、ここで歌っている合唱団は、CDで聴くのはおそらくこれが3回目、そのたびに印象が異なって聞こえるという、ちょっとつかみ所のない団体です。おそらく、作曲家への対応が非常に敏感なのでしょう。ここでも、ミシュキニスの特質が、最良の形で伝わってきていました。特に、ハーモニーに対する感覚は、ちょっと過剰すぎる残響とも相まって、とても繊細に聞こえます。

CD Artwork © Hyperion Records Limited
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by jurassic_oyaji | 2010-11-19 20:42 | 合唱 | Comments(0)
Flute Fantasies・Flute Trios
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János Bálint, Imre Kovács(Fl)
Budapest Strings
Eckart Haupt(Fl)
Arkadi Zenziper(Pf), Götz Teutsch(Vc)
CAPRICCIO/C7052




つぶれたとかつぶれないとかいろいろあったようですが、このレーベルはまたコンスタントに新譜を出せるようになったようですね。その案内を見てみたら、新録音に混じって、なんだかちょっと前のアイテムが2枚組になって、1枚の価格で出ているものを見つけたので、フルートのものを買ってみました。確か、どちらも持ってなかったはずなので、無駄になることはありません。
現物を手にしてみると、確かに外箱は新しく印刷されたものですが、CD自体はリイシューではなく、おそらく倉庫に眠っていた売れ残り品をそのままそのケースに入れただけ、という、いわば在庫一掃の抱き合わせでした。まあいいんです。こんなことでもしないことには、産業廃棄物として処分されてしまいますから、かわいそう。つまり、こんな過剰在庫を抱えることもない、というのが、ネット配信の強みなのでしょうがね。ファイルを1個用意するだけで済むのですから、商売的にはパッケージに勝ち目はありません。
中に入っていたのは、1991年に録音され、1993年にリリースされた、ドレスデン・シュターツカペレの首席奏者エッカルト・ハウプトが中心になったトリオ(10 398)と、1996年に録音され1999年にリリースされた、ハンガリーの中堅ヤーノシュ・バーリントのソロアルバム(10 831)です。
まず、バーリントの方。伴奏はピアノではなく、弦楽合奏に編曲されたものです。この方の演奏は、以前ドヴォルジャークなどを聴いていました。その時にはピアノ伴奏のコチシュの個性があまりにも強すぎて(録音も、ピアノばかりが強調されていました)なんとも地味なフルーティストだな、という印象があったものですから、ボルヌの「カルメン幻想曲」や、ブリチャルディの「ヴェニスの謝肉祭」といった、それこそあのゴールウェイが胸のすくような輝かしい録音をのこしているレパートリーを取り上げているのを見て「大丈夫かな?」と思ってしまいました。
確かに、その「カルメン幻想曲」は、かつてのイメージを裏切らないものでした。細かい音符もていねいに吹いていて、演奏上の破綻は全くないものの、ビブラートがおとなしいせいか、なにか「華」に欠けるものがあるのですね。その代わり、バックのストリングスは高音がどぎつくいかにも派手、これは良くあるBGM向けの音源なのではないかと思ってしまいました。あまりアトラクティブな演奏だと、真面目に聴こうとする人が出てきたりしますから、そういう用途には向かないだろうな、と。
しかし、そんなコンセプトだろうと納得しかけて、残りの曲は流しにかかった頃、聞こえてきた「ヴェニスの謝肉祭」が、BGMにはあるまじきインパクトを持った演奏だったのには、それこそ「期待」を裏切られた思いでした。それは、いったい何が起こったのかと思いたくなるようなアグレッシブさを持つものだったのです。フレージングの潔さなどは、まるで見違えるよう。さらに、この難曲にはメロディと伴奏を一人で吹き分けるという技法があちこちに出てくるのですが、その伴奏部分で音色を瞬時に切り替えるのはまさに神業、ここだけとってみればゴールウェイを超えているかも。新たにコヴァーチュという人が加わったドップラーの2本のフルートのための作品も、素晴らしい出来でした。過去の印象による憶測や、一部を聴いただけの評価は大変危険なこと、丸ごと味わってこその掘り出し物でした。
一方のハウプトは、フンメル、ハイドン、ジロヴェツ、ウェーバーというフルート、チェロ、ピアノのための三重奏の定番、いずれもハイテンションのアプローチで、これらの作品の良さを再確認です。もちろん、ハウプトの渋い音色も、存分に堪能できました。まだ買ってない人にとっては、かつてないほどのお買い得。

CD Artwork © Capriccio GmbH
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by jurassic_oyaji | 2010-11-17 19:59 | フルート | Comments(0)
旭ヶ丘市民センター
 ニューフィルの練習は、毎週火曜日に旭ヶ丘の市民センターで行っています。もちろん、今日もそこでやってきたところです。この時間、この場所というのは、私がニューフィルに入った20何年前からずっと変わっていません。いや、時間は変わったでしょうか。今は7時音出しになっていますが、かつては6時半から始まっていました。段々定時に集まれる人が少なくなったので、とうとうスタート時間を遅らしたのですね。会場の方は、なにしろこの建物が出来た時からずっと使っているそうですから、もはや「主」のようなものですね。
 ただ、いくら昔から使っているからといって、こっちが毎週火曜日に使いたいと思っても、ほかにも使いたい団体がいた場合には、必ずしもうちが優先されるわけではありませんでした。ですから、今のようにネットで会場の予約をおこなうようになる前には、申し込みの日の朝一番に会場に行って、そこで抽選をして当たったらここが使える、ということを毎月やっていたようです。係の人がどうしても行けない時もあって、代わりに私が頼まれていったこともありましたね。さいわい、抽選などをしなくても、どの曜日のどの時間にはどの団体が使うという暗黙の了解のようなものがあったのでしょう、この火曜日の夜の時間帯がとれなかったことはまずなかったような気がします。
 それが、ある時からネットによって機械的に抽選を行う、というシステムが導入された時には、かなりの危機感を抱いたものです。今までのような「暗黙の了解」が全く通じなくなって、今まで使っていなかった団体と競争になったりしたら、うちで使えないような事態も起こりうるのではないか、という懸念です。しかし、ふたを開けてみれば、結局エントリーの時点でずっと使っていた人がいるのを見て一見のところは辞退するような動きが働いたのか、心配するようなことはほとんどありませんでした。まあ、それでも数回はとれないこともありましたが、それは仕方のないこととして、日にちをずらすとか、ほかの会場を探すとかして対応してきましたね。
 この予約システムは、2ヵ月半前からエントリー受け付けて、2か月前に抽選結果を発表するようになっています。ですから、ちょうど今は来年の2月の会場のエントリーが始まったところです。ところが、係の人がそれを行おうとしたら、なんと、火曜日の夜の時間帯が、まだ抽選も何も行われていないというのに、すでにふさがってしまっていた、というのです。話を聞いてみると、なんでも、同じ火曜日にほかの会場を使っていた団体が、その会場が2月には使えなくなったのか、こちらの会場を使おうとして、こんなことになってしまったそうなのです。つまり、その団体というのは仙台市の管轄下にある団体なものですから、そんな風に抽選前に手をまわして押さえてしまうことが出来たのだ、と。
 これって、ひどいことだと思いませんか。市民センターというのは、文字通り市民が使うための施設のはずです。そこを使う権利は市民に平等に与えられているはず、もし仮に別のだれかが同じ時間に使いたいということになったら、そこは平等に抽選などの方法でどちらが使うのか決める、というのが、正しい使い方のはずです。そんなルールを破って、仙台市の施設だから、仙台市が優先的に使うことが出来ると考えているとしたら、これは市民センターのあり方を履き違えた、とんでもない勘違いなのではないでしょうか。
 実は、私もだいぶ前に、さる催しもののためにどうしても使いたい場所があったので、申し込みの朝早く行ったら、すでに仙台市によって押さえられていた、という苦い経験を持っています。そんな体質は、何年たっても決して変わることはなかったのですね。こんな恥ずかしいことが横行しているのに、「楽都」とか言っていることこそ、極めつけの勘違いです。
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by jurassic_oyaji | 2010-11-17 00:02 | 禁断 | Comments(0)
RIES/Works for Flute and Piano
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Uwe Grodd(Fl)
Matteo Napoli(Pf)
NAXOS/8.572038




なんだかんだ言っても、他のレーベルではまず取り上げることのないマイナーな作曲家のマイナーな作品をこまめにリリースしてくれるのですから、このNAXOSというレーベルは捨てがたいものがあります。なんたって、毎月コンスタントに何十枚と新譜が出るのですからねぇ。でも、CD屋さんは大変でしょうね。今時のクラシックのスペースが少ないお店なんかだったら、これだけでクラシックの棚がいっぱいになってしまいますね。
フェルディナント・リースという超マイナーな作曲家のフルートがらみのアルバムも、ここで取り上げるのは2枚目となりました。前回はアンサンブルでしたが、これはピアノ伴奏の独奏曲、演奏しているのは、このレーベルの常連、以前シューベルトをご紹介したグロットとナポリのチームです。
演奏曲目は、ソナタが2つ、それに「序奏とポロネーズ」という小品と「ポルトガルの聖歌による変奏曲」という、全4曲のラインナップです。ソナタは、それぞれ3楽章形式、「ソナタ・センチメンタル」というタイトルが付いた作品169では、アレグロ、アダージョ、ロンド・アレグロという表記になっています。ベートーヴェンの同時代の作曲としての様式感を持ったものですが、曲想自体はもっと軽やかなサロン風のテイストを持っています。構えることなく、すんなり入って行ける愉悦感がありますから、楽しめます。中でも、真ん中の楽章の抒情性は心を惹かれます。ピアノはフルートの伴奏というよりは、同等、あるいはより高い比重を担っているように感じられます。やはり、ピアニストとしてのリースの面目躍如、といったところなのでしょう。
もう一つの作品87のソナタは、アレグロ、ラルゲット(これは「楽章」というよりは、「つなぎ」といった感じの短いもの)、そして最後の楽章は変奏曲になっています。恥かしくなるほど平易な(というか、拙い)変奏曲のテーマを、技巧をこらして様々な形に仕上げるという、この時代の一つのファッションの典型です。そういえば、「ポロネーズ」というのも、当時はよく使われたモチーフでした。
最後に入っている変奏曲のテーマは「ポルトガルの聖歌」というものですが、これは聴けばすぐ「あの曲か」と分かる、非常に有名なものでした。それは、「♪神の御子は~」という歌い出しで始まる、あのクリスマス用の賛美歌だったのです。思いがけず、間近に迫った(?)クリスマスの気分に浸れた、幸せな時間でした。意図せぬクリスマス・アルバム、おそらく、この時期に発売を決めた担当者も、こんなことには気付かなかったことでしょう。玄関にでもぶら下げておきましょうね(それは「クリスマス・リース」)。
「ポロネーズ」にしても、「聖歌」にしても、変奏は至極型どおりのもので、それほど高度の技巧が要求されるものではありません。その分、フルートのグロットはいとも伸びやかな、というよりは「ユルい」演奏で和ませてくれています。もちろん、先日のシューベルトを聴いた時点ですでに分かっていたことですが、普通に「難しい」ところはもはやコントロールがままならなくなっているのが、ちょっとかわいそう。音はとても美しいのですが、まあ、年相応の崩れ方を、この人も体験しているところなのでしょう。
それをカバーして余りあるのが、ピアノのナポリです。いつもながらの柔らかい音色で、きっちりこのフルートを支えています。もともと「ソナタ」などは「フルートのオブリガートが付いたピアノソナタ」といった趣のあるものですから、充分にこの作曲家の魅力が伝わるものに仕上がっています。特に作品169のアダージョ楽章などでは、ピアノにこそ高い技術と音楽性が要求されていますから、たとえフルートが甘美に歌っていたとしても、ついピアノ・パートの方に耳が行ってしまいます。もちろん、ピアノがソロをとったりすれば、その胸のすくようなフレーズには虜になってしまうことでしょう。

CD Artwork © Naxos Rights International Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2010-11-15 20:40 | フルート | Comments(0)