おやぢの部屋2
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KIND
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Nidaros String Quartet
Kjetil Almenning
Ensemble 96
2L/2L-076-SABD(hybrid SACD, BD)




録音が売り物の2Lレーベル、そのスペックは24bit/352.8kHzという、なんだかハンパですが、とてつもないサンプリング周波数を持ったものでした。もちろん、これをそのまま再生できる民生用のオーディオ・システムはありませんから、現状では上限の規格であるブルーレイ・ディスクの音声トラック(24bit/192kHz)にコンバートしたものと、DSDに変換したSACDの2枚組というパッケージです。
ここで演奏しているのは「アンサンブル96」という、以前2004年に録音されたニシュテッドのアルバムでお目にかかっていた合唱団ですが、あの時の録音スペックは24bit/48kHzという、DSDに相当するものにも及ばないものでした。それがいつの間にか、どんどんレゾリューションが上がっていて、ついにDSDを超えてしまっていたのですね。その時も今回も、録音された場所がウラニエンボリ教会という同じ場所なので聴き比べてみたら、その違いは歴然たるものでした。声の滑らかさと、立体感が全然違っているのですね。今回は、まさに眼前で演奏している合唱団の姿が等身大で見えるような、素晴らしい録音です。若々しいメンバーの澄んだア・カペラの声が、的確な残響をともなって、リスニングルームに広がります。
Kind」というタイトルは、ドイツ語の「子供」でしょう。このアルバムは、ノルウェーの伝承歌の中から「子供」にちなんだ子守唄を合唱に編曲したものの間に、現代の作曲家が作った「子供」という言葉が含まれるタイトルを持つ作品が演奏されているという、まるで「幕の内弁当」のような構成を持っています。素朴な子守唄は、お弁当の基本である「ごはん」、そして現代曲は「おかず」ですね。
それは、新鮮な食材に思いっきり手間をかけたとびきり上等の「おかず」、楽譜も簡単に入手でき、すでに日本の合唱団のレパートリーにもなっているフィンランドのマンティヤルヴィの「Die Stimme des Kindes(子供の声)」と、デンマークのネアゴーの「Wie ein Kind(子供のように)I-III」、そして、この録音のために委嘱されたノルウェーの若手作曲家(1979年生まれ)マルクス・パウスの「The Stolen Child(さらわれた子供)」の3品(3曲)です。
最年長(1932年生まれ)のネアゴーの作品は、言ってみれば「焼き魚」。「子守唄」、「春の歌」、「不幸な出来事を伴う葬送行進曲」という3つの部分から出来ていますが、それらを続けて演奏するのではなく、他の曲の間、正確にはトラック4、6、10にちりばめるという構成が憎いところです。両端の2曲ではアドルフ・ヴェルフリの前衛的な詩がテキストとなっていますが、それは殆ど擬態語のようなもの、音楽も合唱がきれいにハモっている中でソリストが突拍子もない叫び声を上げるという、ユニークさです。特に最後の曲でのテナーのソリストは、実に微妙なタイミングと表現力で、不気味さを的確に演出していました。
1963年生まれのマンティヤルヴィの作品は、そもそもは歌詞のない合唱曲だったものに、ニコラウス・レーナウの詩を当てはめたもので、とても柔らかい味わいを持つ佳曲です。「卵焼き」でしょうね。
パウスの新作には、弦楽四重奏が加わります。テキストはアイルランドのW.B.イェーツ、6/8に乗ったまるでグリーグのようなノルウェー風のテイスト満載のシンプルな曲調を、合唱と弦楽四重奏がそれぞれに「壊して」いくところがスリリングです。こういう「壊し」は、ニシュテッドなどの先達の伝統なのでしょうか。まさに地域限定の「ささかま」ですね。
そして、「ごはん」も有機農法で作られたササニシキ、フランク・ハヴロイという人が編曲した様々な地方の子守唄です。それぞれの持つ魅力的なメロディを大切にした美しいアレンジが、まるでかまどを使って薪で炊かれたようにふっくらと、この卓越した合唱によって味わうことが出来るかま。いただきま~す。

SACD Artwork © Lindberg Lyd AS
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by jurassic_oyaji | 2011-03-31 20:26 | 合唱 | Comments(0)
駅前その後
 自宅の電話機周辺も、地震の時にルーターやら電話機やらが床の上に落っこちて、その勢いで電話とネットを分配している二股モジュラーが壊れてしまいました。ケースが外れただけだったので、元に戻せば治ると思ったのですが、ちょっとした結線の具合でつながらなくなっていました。300円ぐらいで買えるものなのですが、電気屋が開いていなかったので手に入りません。仕方なく、モジュラーをネットだけにつないで復旧を待ちます。どうせ固定電話などにはほとんどかけてくる人はいないはずですから。4日目にはつながるようになったので、サイトの更新なども出来るようになりましたから、数日間そのままにしておきました。
 実は、その二股は職場にもファックスとネットを切り替えるために付けてあったことに気付き、さっそく持ってきて自宅につなぎました。そうしたら、いきなり遠くの親戚や知り合いから電話がかかってくるようになりました。確かに、携帯の番号なんか知らない人はたくさんいるのですから、固定電話の復活をずっと待っていたのでしょうね。いくら電話をしても出ないものだから、焦っていたことでしょう。たかが300円の部品が、とんだ迷惑をかけてしまっていました。
 職場の方も、いちいちモジュラーを差し替えるのは面倒くさいので、その後の仙台駅周辺はどうなっているのか視察がてら、またヨドバシへ行ってみることにしました。すでに、21日には自由通路も通れるようになっているということでしたし。
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 仙台駅の駅舎は、一面シートに覆われていました。まだ建物が見えるところにも足場が組んでありますから、全部覆って、外壁を修復するのでしょう。大工事です。
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 ヨドバシへ通じる自由通路、エスパルの向かいのお土産屋さんはシャッターを下ろしています。トリアージ票も「危険」になっています。
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 駅のコンコースは立ち入り禁止、「はやぶさ」のポスターが虚しいですね。携帯をかけている女の子は、待ち合わせでしょうか「ステンドグラスの前に行けなくなっちゃってるよ」と話していました。
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 自由通路は、普通に通れました。このあたりはいつもと変わらない人通りです。ヨドバシもかなりの人出、この前来た時にはすっかり売り切れていた電気ポットや電気鍋は「売るほど」おいてありました。ただ、なんでも揃っているように見えて、単一の乾電池だけが全くないというのが、やはり異常ですね。
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 在来線の改札口。まだ、ほんの一部しか開通していないのでガラガラです。発着案内もほとんどが空白になってます。
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 1階部分では、エスカレーターが破損しているようでした。
 そのまま、本屋さんに行ってみたら、「震災以降発行された本は入っていません」という表示がありました。ですから、雑誌などはまだ先月号が並べてあります。そうなると、この間のツタヤの対応が、すごいことのように思われてきます。誰も手に入れられない「レコ芸」の4月号が手元にあるのですからね。ちなみに、これを見て注文したCDは、発送した翌日に届いていました。
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 ここまで来たので、次の地下鉄駅まで歩こうと中央通りへ入ったら、人通りは多いし、お店は開いてるし、もうすっかり「復興」しているように見えてしまいましたよ。この垂れ幕が、そんな元気さを物語っているようです。ほんと、負けてられません。
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by jurassic_oyaji | 2011-03-30 20:51 | 禁断 | Comments(0)
ROTA/Piano Concertos
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Janne Mertanen(Pf)
Hannu Lintu/
Tampere Philharmonic Orchestra
ALBA/ABCD 310(hybrid SACD)




イタリアの作曲家ニーノ・ロータは、1979年といいますから、もう30年以上も前に亡くなっていたんですね。まだ生きていたような気がしていたっす(それは「イーノ・ヘータ」・・・ご存じないでしょうが、「NISSANあ、安部礼司」のキャラっす)。
ロータといえば、なんたって「ゴッド・ファーザーの愛のテーマ」がすぐ頭に浮かぶほどですから(ついでに、「広い世界の片隅に やがて二人の朝が来る」という千家和也の訳詞で歌っている尾崎紀世彦のモミアゲ姿も、浮かんできませんか?)、映画音楽の作曲家として世界的に有名でした。しかし、彼は本来はクラシックの作曲家としての修業を続けていた人だったのですね。
彼が生まれたのは1911年、つまり、今年は「生誕100年」ということになります。音楽家一族の家に生まれたロータは、幼少の頃から作曲の才能を示し、12歳の時には「洗礼者ヨハネの幼時」というオラトリオまで作曲しているという、「天才」でした。その年にミラノ音楽院に入学、ピッツェッティの教えを受けることになります。その後、今度はローマの聖チェチーリア音楽院にも入学、そこではカセッラから作曲を学びます。その頃には、ストラヴィンスキーとも友人になっていますね。さらに、1929年には、トスカニーニの推薦でアメリカに渡り、カーティス音楽院に入学します。そこでは作曲をロザリオ・スカレロという人に学び、同時にフリッツ・ライナーからは指揮法を学びました。イタリアに帰ったロータは、イタリア南部、アドリア海に面したバーリという都市にあるバーリ音楽院の校長に迎えられ、30年以上その職にあったのです(ちなみに、指揮者のリッカルド・ムーティはこの学校の出身。ロータに、学生オケの代役を急遽任されたことが、指揮者になるきっかけだったのだとか)。
ロータの「クラシック」の作品は、多くのオペラや交響曲、室内楽など、多岐にわたっています。その中で、ピアノ協奏曲は全部で4曲残されています。このアルバムには、1960年に完成したハ長調の協奏曲と、「Piccolo mondo antico(昔の小さな世界)」というタイトルを持つ1978年のホ短調の協奏曲が収められています。
彼の作風は、「新古典主義」といったような範疇に収められるものなのでしょう。いわゆる「現代音楽」といった趣の12音やセリー、ましてやクラスターなどが顔を出すことは決してありません。友人であったピアニスト、アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリに献呈されたハ長調の協奏曲の場合も、どこかショスタコーヴィチやプロコフィエフの作品を思わせるような、古典的な構成と響きを大事にした、聴きやすい曲です。しかも、第2楽章では、1972年に作られることになるさっきの「ゴッド・ファーザー」と非常によく似た旋律を聴くことができます。ですから、彼が映画音楽で披露した様々なキャッチーなメロディは、そもそも「クラシック」の中から生まれていたものなのですね。おそらく、彼が作曲する時には「クラシック」も「映画音楽」も、全く同じ姿勢で接していたに違いありません。逆に、この協奏曲を聴いていても、そのまま映画のシーンに使えそうな断片がいくらでも見つかることでしょう。
彼は、生涯そんなスタンスを貫いたのでしょうね。最後の作品となったホ短調の協奏曲の場合も、そんな「聴きやすさ」は健在でした。まるでラフマニノフのようなメランコリックな第1楽章、映画音楽で聴かれる「ロータ節」満載の第2楽章、そして、プロコフィエフ風の軽快さの中にも、まるでジョン・バリーのような壮大さも垣間見ることの出来る第3楽章と、聴きどころにあふれています。
フィンランドの期待の新星、ヤンネ・メルタネンが、そんなロータの魅力を、存分に伝えてくれています。熱いメロディの歌い上げは格別ですし、いきいきとしたパッセージのドライブ感は、爽快そのものです。

SACD Artwork © Alba Records Oy
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by jurassic_oyaji | 2011-03-29 20:25 | 現代音楽 | Comments(0)
救援物資
 ご近所のヨークベニマルの数量制限が、15品目から20品目に増えたそうです。その中にはお弁当やお総菜は含まれないといいますから、まずは必要なものや大体買うことは出来るレベルになったようですね。職場に歩いて通う途中に「自然野菜」を売っているお店があるのですが、この前は1個390円だったキャベツも240円に下がっていましたね。足元を見る商売も、きちんと見極めるようになっています。消費者は。かと思うと、北仙台駅前では、なんだか怪しげな一団が「投げ込みヒーター」を売ってました。浴槽に水を張って、これを入れて電気でお湯を沸かす、というものです。なんだかチャチな、実際にお風呂を沸かすのには何時間もかかりそうなガラクタを、なんと2万円近くで売ろうとしているのには、呆れてしまいます。もちろん、そんなもの、誰も買おうとはしていませんでしたね。
 そんな風に、確実に必要なもの(必要でないものも)が割と簡単に手に入るようになってきたのに、ガソリンだけはまだまだ楽に買えるような状態にはなっていません。朝の3時からスタンドの前に並んだとか、わざわざ高速に乗ってサービスエリアで給油してきたとか、相変わらず異常な話がまわりでささやかれています。私としては、もうあの4時間半待ちの給油などということは2度と体験したくないので、ひたすら歩いてガソリンを節約、待たなくても買えるようになるまで持たせようと思っています。
 交通機関も、東京まで行く新幹線は相変わらず使えませんが、どうやら4月下旬には全線開通する予定、という力強い見通しも発表されていましたね。つまり、連休前にはなんとしても復旧させるのだ、という意気込みなのでしょうか。あの「はやぶさ」はデビューから1週間もしないうちにお蔵入りになってしまいましたが、今はどこでどうしていることでしょう。錆ついて、最高速度が出なくなってたりして。でも、これで「ラ・フォル・ジュルネ」を聴きに行けるようになるかもしれませんね(笑)。
 そんな不自由ななか、わざわざ富山からたくさんの救援物資をかついで、妹夫婦がバスで仙台まで来てくれました。「必要なものは何でも持って行くよ」とは言われていたのですが、まさか電気鍋なんかを頼むわけにはいきませんから、とりあえずカセットボンベがたくさんあれば、というリクエストだけは送ってありました。それが実家に届いているので、取りに来て、という連絡があったので行ってみると、それは段ボール箱いっぱいの膨大なものでした。
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 これがうちの分、その他にも実家の分もありますから、いったいどんだけの荷物になっていたのでしょう。全く、感謝の言葉もありません。中でも、カセットボンベが9本もあったのには、本当にうれしくなってしまいました。これで、ほとんど普通と変わらない調理が出来るようになるのではないでしょうか。別に、私が作るわけではないのですが。なんせ、都市ガスの復旧状況が、当初期待したほどには早まらなかったので、これは助かります。
 もはや、このガス局のサイトを覗くことは、毎日の日課になっています。進捗状況のテーブルなど、しだいに項目が増えて行ったりして、確実になにかを伝えようという気持ちが伝わってきます。毎日毎日「開栓」の地域が広がってくるにつれて、早くその中に自宅の地名が出て来ないかと期待しているのですが、今日あたりやっと「北中山」あたりが入ってきましたから、あと3、4日、という感じでしょうか。なんか、プレゼントを指折り数えて待っている少年のような気分です。休日返上で作業にあたっている2000人近くの人たちは、サンタさんでしょうか。
 でも、過度の期待は禁物。「すぐガソリンが入ってきます」と言っていた時の県知事はまさにサンタさんでしたが、そんな約束が空手形だったことが分かってしまうと、ただのほら吹きにしか見えてきません。いや、もっと凄い「ほら吹き」が、いっぱいいましたね。
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by jurassic_oyaji | 2011-03-28 22:27 | 禁断 | Comments(0)
WEISS/Requiem "Schwarz vor Augen und es ward Licht"
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Dorothee Mields(Sop)
Andreas Karasiak(Ten)
Jörg Breiding/
Knabenchor Hannover
NDR Radiophilharmonie
RONDEAU/ROP 7008-09




このサイトは「レクイエム」に関しては異常な関心を示していることにお気づきの方は多いことでしょう。それは単にフォーレやモーツァルトの「レクイエム」についてコアなリサーチを行った結果、「レクイエム」そのものに対しても視界が広がった、というだけの話なのですが、そのおかげでさまざまな時代の、さまざまな様式の作品に接して来れました。いま、このような「未曾有」の惨劇の前に、死者を悼むための曲である「レクイエム」の最新作を聴く時には、どうしても「聴く」という行為自体に意味を見出したくなるものです。
ということで、ハラルド・ヴァイスという、1949年生まれのドイツの作曲家が作った「レクイエム」です。ここで演奏しているハノーファー少年合唱団の委嘱によって2009年に初演されたもので、すでにSchottから出版もされているそうです。
ヴァイスという人は、なかなかユニークな経歴の持ち主だそうで、基本的にクラシックの教育を受けてはいますが、その対象はジャズやロックにも及び、さらに音楽だけでなく映画や演劇の分野でも活躍しているという、まさに「クロスオーバー」のアーティストなのです。
「レクイエム」の場合は、まず「目の前は闇、そして、それは光となる」というサブタイトルが目を引きます。そんなコンセプトが込められているのでしょう。全体はそれぞれ45分ほどの2つのパートに別れているのですが、前半が「目の前は闇」、そして後半が「そして、それは光となる」というタイトルになっています。それぞれのパートは最初と最後に同じ曲を持ってくるという構成で、一つのまとまった概念を形作っているようです。テキストは通常の「レクイエム」に用いられているものの他に、詩篇のドイツ語訳やヘッセやリルケの詩までも動員、それらが自由に並びかえられています。
音楽としては、非常に聴きやすい仕上がりとなっています。それは、もっぱら「聴き慣れた」手法をいろいろなところから集めてきて、まさに「クロスオーバー」させているからなのでしょう。モーツァルトのような優雅な音楽があるかと思うと、ヴァイオリン・ソロが、まるでバッハの「無伴奏」のようなフレーズを延々と弾き続けるシーンもあるといった具合。それはもっぱら、作曲家の自らの音楽体験を披露しているだけのように感じられてしまいます。そこには、表現に対する切実な思いのようなものは、何一つ感じることはできません。
後半になってくると、今度はひたすらオルフのようなやたらオスティナートに頼っただけの音楽が頻発してきます。ダイナミックに盛り上げることで、「光」を暗示させるという、いかにも見え透いた手法です。そういえば、ヴァイスという人は打楽器奏者としても活躍しているそうですから、ここで用いられている打楽器の書法は、これ以上効果的なものは望めないほどの完成度を示しています。しかし、それが効果的であればあるほど、聴いているものは「何かが違う」と、醒めていくのです。
もしかしたら、作品そのものにはそれなりの「思い」が込められてはいたのかもしれません。しかし、ここでのメインの演奏者である合唱団が、あまりにも無気力で拙い演奏に終始しているために、そんな可能性が聴き手に伝わることは決してありませんでした。本当にこの合唱団、特にトレブル・パートの悲惨さは目を覆うばかりです。これは初演の時のライブ録音ですが、最後の方になってくると、明らかに集中力がなくなってくるのが手に取るように分かります。委嘱するのなら、もっと自分たちの身の丈にあったものにしておいたら、と言いたくなりますね。
カスのような駄作のしょうもなく貧しい演奏、こんな時にこんなものを聴いてしまったことを、心底後悔しています。偶然とはいえ、そんな人間の前に新しい「レクイエム」を届けてきた作曲家は、不運としか言いようがありません(ふーん?)

CD Artwork © Rondeau Production
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by jurassic_oyaji | 2011-03-27 19:55 | 合唱 | Comments(0)
土曜大工
 ライフラインの中では最後まで復興していなかった都市ガスが、急ピッチで再開されようとしています。今回初めて知ったのですが、新潟からのLNGのパイプラインというものが白石を経由して仙台まで伸びていて、それから直にガスを引くことが出来るそうなのですね。ただ、それは今まで使っていたガスに比べると、多少熱量が不足しているそうなので、その分は料金を下げることでカバーするそうなのです。そんなことはどうでもよく、ガスさえ通ればこちらは満足なのですから、なんの問題もありません。
 ただ、各戸に引く際には、きちんとガス管の補修をしなければいけませんから、その工事を行ったうえで晴れて開栓ということになります。そのために、全国のガス事業所から、なんと1000人以上の応援隊がやってきたということです。ありがたいですね。その工事の進捗状況は、ガス局のHPで逐一公開されていますから、ここを毎日チェックしていれば、そろそろうちの番かな、などということが分かるのですね。我が家のブロックは、始めたのは一番早かったのですが、なんせ、スタート地点から最も遠いところなので、まだしばらくかかりそう、とかね。
 我が家の中でも、補修工事が始まっています。いや、別に業者を呼ぶわけではなく、自分で出来そうなものを自分で治す、ということなのですがね。すぐ隣にあるホームセンターが通常通りの営業を始めているので、そこに行って足らない工具や部品、接着剤などを買ってきて、こまごまとしたものを修理しています。食器棚などは、倒れた時に扉の蝶番が見事に折れてしまったので、到底修復は無理だと思っていたのですが、ホームセンターに行ってみると、もしかしたら合うのではないか、という蝶番が見つかったので、ダメモトでそれを買ってきて付けてみたら、ご覧のようにぴったりでした。右が本来の蝶番、左が買ってきた蝶番、ネジ穴がちょっとずれているだけです。たった700円かそこらで、捨てるしかないと思っていたものが元通りになったのですから、これは感激です。
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 この前ツタヤに行った時には、もちろん新しい雑誌はありませんでした。私が一応(ほんとに仕方なく)毎月購読している「レコ芸」は、毎月そのお店で取りおきしてもらっています。ですから、こういう時にはどういう扱いになるのか、そこにいた店員さんに聞いてみたら、おそらく3月20日に発売になった4月号はもう入ってこなくて、落ち着いた時点で取り寄せになるのでは、という話でした。まあ、いずれそういうことになった時のためにと、念のため名前と連絡先を教えて、帰ってきました。そうしたら、翌日電話があって、「4月号、1部だけなんとか確保しました」と言うではありませんか。さっそくお店に行ってみると、確かに「4月号」を渡してもらえましたよ。いったい、どういうルートで入手したのでしょうね。ツタヤも捨てたものではありません。
 その「レコ芸」を読んでみたら、欲しいCDと、読んでみたい本が見つかりました。さっそくそれぞれいつものネット通販で注文したところ、CDはなんということなく受け付けてくれたのに、本の方は「配達不能なので、カートから削除しろ」という メッセージが出て、それ以上進めなくなってしまいましたよ。なんという冷たい対応なのでしょう。別に、今すぐ送ってくれというわけではなく、配送が正常化したら送ってもらえればそれでいいのですから、せめて注文だけでも受けてくれればいいのに、と思うのですが、この書店サイトは「被災地」に対してそこまでの配慮は出来ないのですね。これが「復興支援」の実態だとしたら、こんな悲しいことはありません。
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by jurassic_oyaji | 2011-03-26 20:06 | 禁断 | Comments(0)
BACH/St John Passion
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Mark Padmore(Ten), Hanno Müller-Brachmann(Bas)
Peter Harvey(Bas), Bernarda Fink(Alt)
Katharine Fuge, Joanne Lunn(Sop)
John Eliot Gardiner/
Monteverdi Choir, English Baroque Soloists
SDG/SDG 712




「再開」後の2つのアイテムは、実は震災前に準備していたストックに、多少手を入れたものだったので、音や映像は当然以前に体験していたものでした。自分で言うのもなんですが、なんだか他人が書いたもののような気がしてなりません。「あの日」を境に社会を見る目がガラリと変わってしまったように、おそらく音楽を聴く時にも感受性が微妙なところで変化しているのでしょうね。
今回は、正真正銘「震災後」、やっと、なんとかじっくりCDを聴く時間も取れるようになって、最初にきちんと聴いてみようと思ったのがバッハの「ヨハネ」だったなんて、確実になにかに導かれてのこととしか思えません。
とりあえず、聴くにあたっての準備として、ガーディナーがどんなアプローチをとっているかの確認です。楽譜については「ベーレンライター」とあるので、新全集を用いているのでしょう。今の段階(録音は2003年)では、彼は「稿」に関しては保守的な姿勢をとっているようですね。そして、声楽陣も、20人程度の「大きな」合唱と、専門のソリストという、こちらも「保守的」な編成です。エヴァンゲリストのパドモアは、レシタティーヴォだけではなく、すべてのテノールのソロのナンバーも歌っています。ミューラー・ブラッハマンだけが、イエスのレシタティーヴォの専任です。
第1曲目の合唱、「Herr, unser Herrscher, dessen Ruhm」のイントロが始まった瞬間、そこにはなんとも荒涼たる世界が広がっているのを感じないではいられませんでした。オーケストラのダイナミックスは、極端なまでにフォルテとピアノの間をひっきりなしに行き来しています。その振幅が、パートごとにそれぞれ微妙に異なっているものですから、そこからはまるで大きな波や小さな波が、それぞれの周期で寄せては返す、といった、とてもこの世のものとは思えない恐ろしい風景が眼前に広がっていたのです。それはまさに、ほんの数日前にテレビの画面を埋め尽くしたあの惨状ではありませんか。いや、それはあまりにも現実的過ぎる比喩なのかもしれません。もう少し音楽的な言い方をすれば、ジェルジ・リゲティが「レクイエム」の中でトーン・クラスターを使って描いてみせたような阿鼻叫喚の世界が、なぜかバッハの音楽によって感じられてしまったのです。合唱が入ってくると、それはさらにリアリティを持って迫ってきます。この合唱は、まるで「美しく」歌うことを最初から否定しているような、もっと根源的な「叫び」でなにかを表現しているようにすら思えてしまいます。「ヨハネ」って、こんな音楽だったの?という思い、そう、これは、今まで聴いたこともなかったような、とてつもなく過激な表現に支えられた演奏だと、感じられてしまったのです。あ、オペラではありませんよ(それは「歌劇」)。
そのような流れの中では、作品はもっぱら物語を緊迫感あふれる描写で進行させることに重きが置かれてきます。特に、第2部に入ってからの「Nicht diesen, sondern Barrabam!(その男ではなく、バラバを!)」、「Kreuzige, Kreuzige !(十字架につけろ!)」、「Wir haben ein Gesetz(私たちには律法がある)」といったような民衆の合唱などは、まるで背筋が凍るほどのあざけりのように聴こえます。それに対してのイエス(ミューラー・ブラッハマン)の包容力あふれる答えは、なんという慈愛に満ちたものなのでしょう。
ここでは、コラールさえも、攻撃的なメッセージとして歌われています。したがって、必然的に抒情的なアリアは、まるで居場所がなくなってしまったかのような肩身の狭さを味わっていることでしょう。正直、そんなものはここでは必要ないから、さっさと終わってほしい、そんな気持ちに駆られることの方が多かったのではないでしょうか。
ガーディナーが示した一つの音楽の形、それは、「今」の心情にとっては、あまりに重すぎるものでした。

CD Artwork © Monteverdi Productions Ltd
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by jurassic_oyaji | 2011-03-25 19:52 | 合唱 | Comments(0)
買い出し
 ニューフィルの定期演奏会が中止と決定したので、それに伴う事務処理を行っているところです。というのも、いつもの通り、演奏会の企画書を作って各メディアに発送したり、刷り上がったばかりのポスターとチラシをホールや市民センターにすでに配ってあったものですから、そういうところに「中止になりました」という連絡をする必要があったのですね。チラシ配りなどは地震の前の日、10日の午後にまとめて行ってしまってありましたから。あと1日遅かったら、そんな手間はかからなかったのに、と思うと同時に、もしかしたら配っている間にあの地震に遭っていたかもしれないので、難を逃れたのかもしれない、など、気持ちは複雑です。
 ただ、実際に電話をかけたりしていると、そんな必要もなかったのかも、というようなケースもありました。メディアにしてもホールにしても、やはり被害に遭っていてそれどころではないのですね。送ったものもどこに行ってしまったのか分からない、というようなところもありましたしね。ですから、最終的にはとりあえずFAXを送って、伝えることだけは伝える、ということにしました。自宅にはFAXはないので、きのう職場に行ってそんな作業を行います。もちろん、歩いていったので、ついでに北仙台駅前に行ってみて、まず「ツタヤ」で雑誌の入荷状況を見てみます。店員さんにきいてみると、新しいものはもちろん入っていなくて、おそらく入荷が復旧した時点での最新のものしか入ってこないのでは、ということでした。週刊誌だったら、2号か3号分ぐらいは、結局読めなくなってしまうのでしょうね。
 それから「ミスド」の前に行ってみたら、なんだかお店は開いていて、その前に軽く列が出来ていましたね。どうやら、きのうからの3日間だけ11品目だけですが一人10個までは買えるということのようなので、買って帰りましょう。こんなところまで通常に近い営業が始まっているのはうれしいことですね。
 それから自宅まで、バス通りをひたすら歩きます。途中にある八百屋さんや肉屋さんにも、なんだか普通に商品が並ぶようになっていましたね。と、いきなり「○○さん!」と私のことを呼ぶ声が聴こえました。一瞬耳を疑ってしまいまいましたが、それは、自転車に乗ってやってきた合唱関係の仲間、Sさんでした。そういえば、ご近所の人以外の知り合い、オケや合唱関係者には、メールや電話などで連絡はとっていましたが、実際に顔を合わせるのは初めてのことでした。なんか、とっても懐かしい感じでしたね。練習会場で彼らと一緒になれる日はいつのことなのでしょう。ニューフィルは、しばらくは会場も使えないので練習もありません。正直、練習どころではありませんがね。
 午後には、すぐ近くにあるヨークベニマルに行ってみました。朝の開店前は長蛇の列だったのに、この時間はすぐ入れるようになっていましたね。中に入ってみると、なんとお米が山積みになっています。水も6本入りの箱が潤沢に並べてあります。鮮魚や肉類も、普通にショーケースに並んでいました。野菜だってなんでもありました。ですから、早朝から並ばなければ手に入らないのは、それこそカセットボンベぐらいのものなのではないでしょうか。そのガスにしても、具体的に作業日程が示されてきましたから、見通しが立つようになっていますしね。
 そういえば、このあたりではガソリンスタンドの前に列が出来ることもなくなりました。これも、いずれ確実に入手できるといいう情報が伝わってきたために、みんな冷静になれているからなのでしょう。実際、すぐそばのスタンドには、タンクローリーがやってきていましたし。
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 でも、いまだにかなり強い余震が続いているのは不気味ですね。それよりも、震度4を超えるとエレベーターが止まってしまうのには困ってしまいます。もし、乗っているときに余震が来たら、と思うと、ちょっと怖くて使えません。
 記録のつもりで、しばらく「禁断」のバックナンバーをしまわないでおきましたが、元に戻しました。でも、最近の「禁断」はほとんどブログにもコピーしてますので、必要な方はそちらまで。
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by jurassic_oyaji | 2011-03-24 21:07 | 禁断 | Comments(0)
BIZET/Carmen
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Elina Garanca(Carmen)
Roberto Alagna(Don José)
Barbara Frittoli(Micaëla)
Teddy Tahu Rhodes(Escamillo)
Richard Eyre(Dir)
Yannick Nézet-Séguin/
The Metropolitan Opera Orchestra & Chorus
DG/073 4581(DVD)




昨年のベルリン・フィルの「ジルヴェスター・コンサート」では、指揮者のドゥダメルとともに、ソリストとして登場したエリーナ・ガランチャの魅力にも圧倒されたことでしょう。なんたって、ルックスが最高です。単に「美しい」というだけではなく、なにか親しみのある、すぐにでもお友達になれてしまえそうな包容力までも備えているのですからね。その時には、「カルメン」からのナンバーも歌っていましたが、それは今まで「カルメン歌い」として名を残している人たちのような、ある種「いやらしさ」のようなものが全く感じられないものでした。第2幕で歌われる「ジプシーの歌」などは、あるいはドゥダメルの趣味だったのかもしれませんが、恐ろしくゆっくりしたテンポで、この曲のイメージを全く変えてしまうようなものでしたし。
これは、「ジルヴェスター」のほぼ1年前、2010年1月にMETで行われた公演の映像で、そのガランチャがタイトルロールを歌っています。例の「ライブ・ビューイング」として、ハイビジョン映像を映画館で、アメリカでは生中継、日本でも数カ月遅れで上映されたソースですね。ドン・ホセを歌っているのがアラーニャ、当初は彼のパートナー、ゲオルギューがカルメンを歌う予定だったそうですが、直前になってなんとこの二人は離婚してしまったそうなのです。相思相愛だとばかり思っていたのですが、男と女の関係なんて分からないものですね。まさに「カルメン」を地で行ったようなお話です。その結果、代役にガランチャが登場してくれ、それが晴れて映像収録されたということです。ちなみに、ゲオルギューが出演した日もあったのですが、その時のドン・ホセはカウフマンだったそうです。こちらの方も見てみたいものですね。
指揮は、これがMETデビューとなるネゼ・セガン、とても若々しい溌剌とした指揮ぶりで、第1幕の前奏曲などはまさに疾走するような爽快さです。もっとも、その調子で突っ走るのかと思っていたら、幕が開いた後はごく普通の無難な音楽に戻っていましたがね。「ジプシーの歌」もありきたりのテンポ、なんと言ってもオペラの中では、まず全体のバランスを重視するのが必要なことなのでしょう。
そんな中で、やはりガランチャは期待通りの素晴らしさでした。別に大向こうをうならせるような強烈な個性を発揮させる、といったわけではなく、むしろ、歌も演技もごく自然なのですが、気が付いてみるといつの間にかその存在感をジワリと受け止めていた、みたいな感じでしょうか。それと、彼女はダンスのセンスがすごくいいのですね。特に、大勢で踊っている時の他のダンサーとのアンサンブルは、見事としか言いようがありません。彼女もまた、現代のオペラでは武器となる「歌って踊れる」資質を存分に備えた人だったのですね。
アラーニャも、さすが、悲しいほどにひたむきなオトコをしっかり演じていましたし、急な代役だったテディ・タフ・ローズのエスカミリオも、伸びのある低音を堪能できました。ただ、フリットリのミカエラは、ちょっと異質でしたね。
間奏曲の時に象徴的なダンスを取り入れたり、大詰めでは回り舞台でかっこよすぎるエンディングを決めたりと、リチャード・エアの演出も冴えあたっていました。
このオペラではフルートが大活躍するのですが、時たま聴こえてくるそのフルートが、とても印象的な音色であることに気が付きました。映像でたまに登場するピットの中を見てみると、フルートのトップの席にはデニス・ブリアコフが座っているではありませんか。METのオーケストラにはもう一人の首席フルート奏者がいますが、この日はブリアコフが乗り番だったのですね。これはラッキー。有名な「間奏曲」なども、彼の強靭な音色とたっぷりとした歌心で、とても素晴らしいものを味わうことが出来ますよ。
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DVD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH
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by jurassic_oyaji | 2011-03-23 20:12 | オペラ | Comments(0)
復旧作業
 ニューフィルの春の定期演奏会が、正式に中止となることが決定しました。物理的に無理なのは分かっていましたが、それがついに現実になってしまったのですね。もちろん、こんなことはニューフィル始まって以来のことです。今年はニューフィルが生まれて30年目、それだけ長生きしているといろんなことがあるのだな、ということでしょう。
 東京あたりでは、地震直後こそは交通状態などの影響でしょうか、「中止」になるコンサートも多かったようですが、今ではフツーに開催されることもあるみたいですね。中には「チャリティ」という「大義名分」を立てて、「堂々と」開催されることもあるのでしょうね。まあ、それが被災地を「励ます」ことになるのだと信じて疑わない人たちにとっては、なんとも誇らしい行動に違いありません。せいぜい「がんばって」くださいね。
 中止の最大の、というか、決定的な要因は、会場の宮城県民会館が損傷が激しくて使えない、というものでした。最悪、他のホールが使えれば、という一縷の望みもあったのでしょうが、「川内萩ホール」までもが使えない状況になっていたのでは、どうしようもありません。それにしても、県民会館の被害はかなりのものだったようで、おそらく秋の定期演奏会でも使えないのでは、ということのようですね。そんなに時間がかかるのなら、いっそのこと建て替えたらいいのでは、とは思いませんか。なんせ、築50年の「物件」ですからね。それこそ、神戸の震災のように、復興の象徴となるような立派なホールでも作れるようになれば、それはそれで素晴らしいことなのでは、と思います。
 ですから、私あたりも、震災によって被った被害を、務めて良い意味に受け取るようにしています。足の踏み場もなくなった家を片づけるのは、もう殆ど大掃除のノリで取り組むしかありません。この機会に、長いことしまいこんであって到底使うことのないものはすべて潔く捨ててしまいましょう。私の場合は、ビデオテープがそれにあたります。BSの音楽番組を手当たり次第に録画していたら、VHSが何百本という単位で集まってしまいました。そんなもの、これから何年経っても絶対見るわけはありませんから、それを捨ててしまうにはいい機会です。仙台市の「中」のごみ袋で、10袋ぐらいにはなったでしょうか、これで少しは収納スペースが広がります。
 もう一つ、絶対に使わないものが、アナログのBSチューナーです。地デジ化と同時に、BSもデジタルだけになってしまいますから、こんなものはただのゴミにすぎません。もちろん、今ではアナログチューナー付きのレコーダーがそもそもありませんからね。それを処分して、今までいろんな機材を接続しては取り替えてきたAV関係の配線を見なおしてみたら、使わなくなっていたケーブルが山ほど出てきましたよ。このあたりも、地震でもなかったらずっとしまいこんでいたものです。しかも、VHSのデッキの配線がどうなっていたのか分からなくなっていたものも、きちんとつないですぐ見れるようになりましたよ。本当に厳選したVHS(「ステージ101再結成コンサート」とか)を、これで楽しむことが出来ます。
 そんなことをやっていたら、私の部屋の復旧作業はしだいにはかどります。こちらが、9日前、13日の様子です。
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 これが今日までの成果、あと一息です。なんだか、時間がかかりそうだった都市ガスの復旧も、かなり早まりそうですし。
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by jurassic_oyaji | 2011-03-22 21:03 | 禁断 | Comments(0)