おやぢの部屋2
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MOZART/Requiem
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Montserrat Figueras(Sop), Claudia Schubert(Alt)
Gerd Türk(Ten), Stephan Schreckenberger(Bas)
Jordi Savall/
La Capella Reial de Catalunya
Le Concert des Nations
ALIA VOX/AVSA 9880(hybrid SACD)



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Soloists
Victor Popov/
Boy's Chorus of the Sveshinikov Moscow Choral School
VENEZIA/CDVE 04396




前回、あんな素晴らしいモーツァルトの「レクイエム」を聴いたばかりですが、手元にはまだ最近出た他の録音も残っていました。ちょっと分が悪くなりますが、それぞれにユニークな主張が込められたものですから、まとめてご紹介をしてみましょう。
最初のサヴァール盤は、1991年に録音されたもので、以前はNAÏVEからCDが出ていました。それが、1998年にサヴァールたちが創設したこのALIA VOX(「演奏者の声」という意味なんですってね)レーベルからSACDとなって出直りました。自分たちの音源を、よそのレーベルではなく自分たちのレーベルで、よりよい音になったものを聴いてもらいたいという熱意の表れなのでしょうか。なかなか懐の深い、暖かな演奏を聴かせてくれています。それは、おそらく教会で録音した時の暖かな残響が、そのような印象を与えるのでしょう。ていねいなマスタリングによって、そのあたりがしっかり伝わるようなものになっているのは、嬉しいことです。
正直、フィゲーラスの声はこういう曲の中で聴くのは好きではないので、あまり心地よいとは言えないのですが、テノールのテュルクがそんな不満を解消してくれていました。
ただ、別の面で、このSACDには不満があります。豪華カラー印刷の分厚いブックレットには、この曲の自筆稿の写真が掲載されています。それは確かに、モーツァルトの「絶筆」の姿を伝えるものとして価値があるのでしょうが、何枚かあるその「自筆稿」の中には、モーツァルトが書いてはいないものも含まれているのですね。例えば「Confutatis」などは、弦楽器や管楽器の入ったきちんとしたフルスコアになっていますが、彼自身が書いた楽譜にはバスのパートと合唱しかなかったはずです。さらに、「Sanctus」や「Benedictus」はジュスマイヤーのオリジナルですから、モーツァルトが書いた楽譜が残っているはずがありません。それらを全部「モーツァルトによるオリジナルの自筆稿」と紹介している図太さは、このレーベルの良識を疑わざるを得ないものです。きちんと表記さえしてくれれば、ジュスマイヤーとの筆跡の違いなども楽しめてひっせき二鳥になったものを。

もう1枚は、そのほんの3年前、1988年にモスクワで録音されたものですが、そのあまりの録音の悪さにはたじろいでしまいます。それが崩壊直前の「ソ連」の実情だったのでしょうが、いくら「ヒストリカル」といっても、これではひどすぎます。なにしろ、響きが飽和していて、細かい音などはほとんど聞こえてこないのですからね。最大の被害者はティンパニ。キレの良いアクセントであるべきものが、単に全体の音を汚すものにしか聞こえません。
そんなオーケストラが、いったい何という名前のものなのかも、ジャケットやブックレットを見る限りでは分かりません。書いてあるのは指揮者とソリスト、そして合唱団の名前だけなのですからね。その合唱団は、「スヴェシニコフ記念モスクワ合唱学校」というところの少年合唱です。こんな学校、今でもあるのでしょうか。「少年合唱」とありますが、もちろんテナーやベースのパートは大人が歌っていて、「少年」は本来は女声のパートを歌います。しかし、その合唱の雑なこと。たっぷりとしたテンポに乗って、かなり大人数のオーケストラがバックで演奏しているせいなのでしょうか、めいっぱい声を張り上げて「頑張って」いる姿だけが痛々しく伝わってくるだけです。
そして、すごいのは、ソロも「少年」が歌っているということです。しかし、この2人の少年がとても素晴らしかったのには、なにか救われる思いでした。不安定なところがないわけではないのですが、声自体はとても立派なものですし、何よりも自発的な「表現」がしっかりしているのですね。「Ricordare」や「Benedictus」などは、とても楽しめました。

SACD and CD Artwork c Alia Vox, Venezia
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by jurassic_oyaji | 2011-05-31 23:02 | 合唱 | Comments(0)
MOZART/Requiem
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Simone Kermes(Sop), Stéphanie Houtzeel(Alt)
Markus Brutscher(Ten), Arnoud Richard(Bas)
Teodor Currentzis/
The New Siberian Singers
MusicAeterna
ALPHA/ALPHA 178




2010年の2月に録音されたという最新のモーツァルトの「レクイエム」です。使っている楽譜はジュスマイヤー版ですが、おそらく指揮者の裁量なのでしょう、1ヶ所楽譜にはないことをやっています。その詳細は後ほど。最良のアイディアですよ。
その「指揮者」は、1973年生まれのギリシャ人、テオドール・クレンツィスです。昨年このレーベルからリリースされたショスタコーヴィチの交響曲第14番がえらい評判だったそうで、とうとう某「レコードアカデミー賞」なんかを取ってしまいましたね。彼の現在のポストは、シベリアの都市ノヴォシビルスクの国立歌劇場の指揮者、ここで演奏している合唱団もオーケストラも、母体はこの歌劇場の専属の団体です。ちょっと不思議なのは、ショスタコでは普通にモダン楽器を演奏していたはずなのに、ここではピリオド楽器を使っていることです。音色も奏法もピッチも間違いなくピリオド、彼らはどちらの楽器も弾ける人たちなのでしょうか。
しかし、そんな楽器やらピッチやらの問題はなんとも些細なことに感じられるほど、彼らが作り出したモーツァルトの世界は衝撃的なものでした。つまり、今まで様々な「変わった」演奏を聴いてきて、そんなものに対する免疫は充分に出来ていたにもかかわらず、ここには思わず耳をそばだてずにはいられないほどの「ヘンな」表現が満載だったのです。そして、これが重要なことなのですが、その「ヘンな」ものは、確かな説得力を持って迫って来ているのですよ。誰とは言いませんが、過去にはただ人を驚かせたいだけのために奇抜なアイディアをこれ見よがしに盛り込んだ人がいましたね。しかし今回のクレンツィスはそんな輩とは別物、だから、彼が作り出す刺激的なフレーズは、しっかり心の中に突き刺さり、言いようのない感情の揺らぎを引き起こすのです。こんな現象のことを、もしかしたら「感動」と呼ぶのかもしれませんね。
曲の中で見られるのが、各パートの見事なまでのキャラクターの使い分けです。金管とティンパニは「荒々しさ」をことさら強調して、ただならぬ不安感を誘います。それを慰めるのが、バセット・ホルンを中心にした木管セクション。その穏やかさは、真の「癒し」を伴うものでした。弦楽器は幅広くそれぞれの曲に合わせた表現を行っています。バックでリズムを刻む時さえも、豊かな表情がつけられていますし、表に出て主役を張る時には、圧倒的な迫力を見せてくれます。「Dies irae」などではまるでバルトーク・ピチカートのような「ノイズ」まで出しての熱演です。
ソリストたちも、それぞれ個性を主張しながら、アンサンブルでは見事に溶け合うという「賢さ」を見せています。ただ、これだけほかのパートが強い主張を持った中では、ソプラノの人だけがあまりにも弱々しく感じられてしまいます。それでも、アンサンブルになった時のトレブルとしての透明感は素敵です。
そして、合唱のなんと雄弁なことでしょう。それは、囁くようなピアニシモから、力強いフォルテシモまで、恐ろしいまでに変幻自在の表情を見せてくれます。さらに、同じフレーズの繰り返しで前と同じことをやるのだな、と思っていると、見事に裏をかいて予想外のさらに素晴らしい表現を披露してくれるのですからね。「Lacrimosa」は、そんな意味で完璧な演奏と言えるのではないでしょうか。そして、そのあとがサプライズです。最後のアコードが終わらないうちに「カラカラ」という鈴の音が鳴り始めたと思ったら、それをバックにモーンダー版やドゥルース版、そしてレヴィン版で取り入れられている「アーメン・フーガ」が、とてつもなく透き通った声で響いてきました。そこには、モーツァルトが残した部分でスッパリ終わった後で、さっきの鈴の音がしばらく鳴り続くという粋な演出も加わります。
こんなに素晴らしい演奏が、「レコード芸術」の「特選盤」だなんて、許せません(笑)。

CD Artwork © Alpha Productions
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by jurassic_oyaji | 2011-05-29 22:23 | 合唱 | Comments(0)
BEETHOVEN/Symphonies nos 3 & 4
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Herbert von Karajan/
Berliner Philharmoniker
DG/UCGG-9012(single layer SACD)




カラヤンの指揮するベートーヴェンなどというベタなアイテムは、ここでは今までに「田園」があっただけです。でも、それはあくまでもゴールウェイの演奏を聴きたいがためのものでしたから、カラヤンなんかどうでもよかったのでしたし。
とか言ってマニアを気取っていますが、音楽を聴き始めたころはなにしろレコードといったらカラヤンという評判でしたから、1962年に録音されたDGでの最初のベートーヴェンの交響曲全集を持っていました。でも、再生装置はかなりの安物でしたから、出てきた音は、それなりの勢いはあるものの、なにか薄っぺらに感じられたものです。
今回、日本のユニバーサルの注目企画、シングル・レイヤーSACDのシリーズとして、その全集の中から「3番」と「4番」という、ハイブリッドSACDではあり得ないようなカップリングのアルバムが登場しました。なんせ、トータルの演奏時間は8137秒ですから、普通のCDの限界をはるかに超えています。これだけでもお買い得感は満載ですね。
聴こえてきた音は、すごすぎました。昔聴いていた安っぽいオーディオ環境を差し引いても、当時のDGの録音技術は、ここまですごいものだったとは。弦楽器の音はあくまで伸びやか、そしてその艶やかなこと。まるで熟した果実のようなみずみずしさがありました。フォルテシモではまるでシャワーのように、音の粒が部屋中に飛び散っています。そして、ピアニシモになると、これはもうSACDでなければ絶対に味わえない、絶妙の肌触りです。コントラバスのエネルギーもものすごいものですね。
さらに、木管楽器がそんな分厚い弦楽器に決して埋もれることなく、しっかりと存在感を主張しているのも、驚異的です。フルートはおそらくツェラーでしょうが、彼の音はまさに立体的に、まるで手を伸ばせば届いてしまうほどのきっちりとした音像を届けてくれています。普通はまず隠れて聴こえて来ない低音も、しっかりと存在が確認できるという、恐るべき精度です。
そんな、とてつもない情報量を持った再生音ですから、LPでは気づかないほどの編集の時のテープのつなぎ目なども、いとも簡単に分かってしまいます。「3番」の第2楽章でオーボエ・ソロがテーマを吹きだす直前などは、どんな人でもテープが貼り合わされていることに気づくことでしょう。この編集を行ったギュンター・ヘルマンスは、まさか半世紀後にこれほどの解像度を持ったアマチュア用の再生ツールが出てくることなどは、予想もしていなかったことでしょうね。
ところが、「4番」になると、なんだか音がずいぶんおとなしくなってしまいましたよ。弦の艶やかさが全くなくなってしまったのです。木管にしてもなんだか一歩後ろに下がってしまい、音像も平板になっています。同じツェラーなのでしょうが、フルートは明らかに芯のない音に変わっています。これは一体どうしたことか、と聴き続けていると、3楽章に入ったとたん、そこにはさっきの「3番」での音が戻っていたのです。つまり、この曲の前半と後半では、全く別の音で録音されているのですね。
そのわけは、すぐ分かりました。このジャケットには、録音された日は「196211月」としか記載されていないのですが、詳細なディスコグラフィーのデータを見ると、「3番」は「1962111115日」、「4番」は「1962年3月14日、11月9日」に録音が行われていたことが分かります。つまり、「4番」の場合は、セッションが半年の間を空けて2回あったのですね。おそらく、前半は3月、後半は11月に録音されたのでしょう。その間には、当然マイクの場所も変わるでしょうしね。
こんなことは、SACDだから分かるのでしょう。いっそ、残りも同じスペックで出してもらって、聴き比べてみたいものです。2チャンネルステレオだったら109分まで収録できるのがSACDですから、あと3枚で全集が完成してしまいますし。

SACD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH
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by jurassic_oyaji | 2011-05-27 20:20 | オーケストラ | Comments(0)
合唱団「萩」
 まさかこんな大ごとになるなんて、誰も予想していなかったのではないでしょうか。おそらく、当の出演者たちは、いとも淡々と演奏会をこなそうと準備をしていたはずです。しかし、蓋を開けてみれば会場は5階席まで満員だとか、最後の曲が終わる前に、すでに半数の人はスタンディングだったとか、なによりも日本からのマスコミがわざわざ会場まで乗り込んできていたというのですから、みんなびっくりしたでしょうね。
 私も、こんな事態ですからある程度の露出はあるのではないか、という予想はありました。しかしそれは例えばローカルニュースで軽く触れられる程度のものなのでは、と思っていたのです。ですから、日本時間では早朝にあった演奏会の模様が、その夜のNHKの全国ニュースで大々的に報道されたのには、本当に驚いてしまいました。かなり長い間演奏の映像を流した後には、団長のSさんのインタビューもしっかり放送していましたからね。スタンディング・オベーションの模様も、その映像からしっかり確かめることもできましたし。
 ただ、新聞には、私がとっている朝日に関してはなんの記事も載ってはいませんでした。しかし、それはやはり夕刊は配達されない地方版レベルの話ではなかったのですね。あとで知ったのですが、やはりその日の夕刊に、大々的に紹介されてたというのです。そして、これも後で知ったのですが、私はとっていない河北新報では、なんと夕刊と、そして全く同じ記事と写真が次の日の朝刊にも共同通信からの配信として載っていたのですね。
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 これは、YouTubeに投稿された映像からのキャプチャー、元はTBSのニュースです。つまり、この演奏会は、間違いなく全国レベルのニュースとして、かなり多くの人たちの目に留まることになったのでしょうね。「快挙」と言ってきた人もいましたね。
 そもそもの発端は、合唱界の重鎮O先生が、それまでに係わりのあった人たちを集めて行った「百貨店」という演奏会でした。その時の打ち上げで、NY在住のとあるメンバーが「このメンバーで、NYでのコンサートが開けたらいいね」という、いわば「酒の上での」提案をしたそうなのです。それからしばらくしてその話が具体化したものが、今回の「合唱団『萩』」という、O先生ゆかりの人たちが集まって作った合唱団が、NYのカーネギー・ホールで演奏会を開く、というプロジェクトです。実際は、「萩」の単独コンサートではなく、「日米合唱祭」みたいな、現地の合唱団との合同コンサートなんですけどね。開催日は2011年5月20日、その約1年前から月2回のペースで練習を始めて、3ステージ分の曲を仕上げようという計画でした。
 そのまま計画通りに事が運べば、それは、よくある「ウィーンのムジークフェライン・ザールで歌ってきました」みたいな、ある意味物見湯山的な海外ツアーとなっていたかもしれません。しかし、「3・11」によって、その辺の事情がガラリと変わってしまいました。いや、変わらざるを得なかったのです。NYへ行くためには。かくして、ほんの思い付きから始まった企画は、「『被災地』からやってきた合唱団のコンサート」という位置づけで、一躍、おおげさにいえば「全世界」からの注目を集めることになってしまったのです。ですから、今回の報道も、なるべくしてなったものだとも言えるのでしょう。
 私はといえば、当初からかかわらざるを得ない立場にはあったものの、実際にNYへ行くことなどは全く考えていませんでした。とてもそんな時間はとれそうにありませんでしたし、実際震災が起こってみると、別の意味で日本を離れることは出来なくなっていましたからね。ですから、もっぱら公式サイトの作成という立場でのみ、協力をしてきました。ご覧になっていただければ分かりますが、トップページではS団長のNYへの思いが語られています。なんでも、現地ではこのレジメのコピーを持って報道関係者が訪れたのだとか、そんなパブリシティの役割も、知らないうちに引き受けていたようですね。
 なにはともあれ、お疲れ様でした!
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by jurassic_oyaji | 2011-05-27 08:09 | 禁断 | Comments(0)
Kuniko Plays Reich
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加藤訓子(Per)
LINN/CKD 385(hybrid SACD)



愛知県豊橋市生まれ、桐朋学園を卒業後ロッテルダム音楽院でも学び、現在は世界中で活躍されている打楽器奏者、加藤訓子さんが、「1人で」ライヒの作品に挑戦したアルバムです。彼女とライヒとのつながりは、10年ほど前、ベルギーでICTUSというアンサンブルに参加していた頃からのものだそうで、今回のアルバムもライヒ自身からの多くのサジェスチョンに助けられて完成したということです。
ブックレットでは、マリンバを演奏する彼女のタンクトップ姿を見ることが出来ますが、マレットを振り上げたその腕は筋肉隆々、なんともマッチョな印象を与えられるものでした。ライヒが彼女に初めて会った時の印象が「パワフル!」だったそうですが、確かに頷けます。
最初の曲は、1987年にパット・メセニーによって初演された、「エレクトリック・カウンターポイント」です。1982年の「ヴァーモント・カウンターポイント」(これも、今回のアルバムに収録されています)に始まった、特定の楽器を想定しての「カウンターポイント(対位法)」シリーズの第3作目で、本来はエレクトリック・ギターのために作られたものです。これを加藤さんは、スティールパンとビブラフォンとマリンバで演奏しています。「スティールパン」というのは大泥棒ではなく(それは「怪盗ルパン」)、「スティール・ドラム」とも呼ばれるトリニダード・トバゴ出身の民族楽器のことです。そもそもは、要らなくなったドラム缶を切ったものに凹凸をつけ、叩く場所によって異なる音程を出すようにしたプリミティブな楽器でしたが、現在では最初から大きな鍋(パン)のような形に成形された、様々の大きさのものが作られていて、民族音楽に限らず、このような「現代音楽」のシーンでも使われるようになっています。
3つの部分から成るこの曲では、最初の部分でこのスティールパンがソリスティックに扱われています。ラテン楽器特有のおおらかな明るさが、果たしてライヒのストイックな音楽の中で浮いてはこないのかという危惧は、実際に演奏を聴くと杞憂に終わりました。そんなキャラクターが、逆に、ともすれば無表情になりがちなライヒの作品に、「表情」を与えているのですね。したがって、第2部ではビブラフォン、第3部ではマリンバと「普通の」鍵盤打楽器がイニシアティブをとるようになると、なんだか物足りない気持ちになってしまうかも知れません。
次の曲は、「シックス・マリンバ・カウンターポイント」。これも、元々は「シックス・ピアノ」というタイトルの6台のピアノのための1973年の作品を、1986年に6台のマリンバで演奏するように改訂した「シックス・マリンバ」を、今回のレコーディングのためにソロ・マリンバと、残りのパートのマリンバが録音されているテープ(実際は、デジタル・メディアでしょうが)で演奏するために、加藤さん自身が編曲したバージョンです。ライヒ自身が、このバージョンに対して「カウンターポイント」シリーズへの仲間として命名してくれたそうです。オリジナルには見られない非常に豊かな「表情」が加わっているのは、全て1人で演奏しているからでしょうか。
そして、最後は1982年に作られた元祖「カウンターポイント」、フルート、ピッコロ、アルトフルートのための「ヴァーモント・カウンターポイント」を、ビブラフォンで演奏したバージョンです。元々の3つの楽器は、同じフルート属でも全くキャラクターが異なっています。そのあたりをビブラフォンに置き換えた時の配慮が、結果的にやはり豊かな表情を産んでいるのが聴きものでしょう。
192kHz/24bitというハイレゾで録音されていますが、この前のパニアグアのアナログほどのすごさが感じられないのは、スタジオでの多重録音のせいなのでしょうか。人工的なリバーブでは得られない自然な空気感があったなら、より暖かい肌触りを感じられたことでしょう。

SACD Artwork © Linn Records
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by jurassic_oyaji | 2011-05-25 20:03 | 現代音楽 | Comments(0)
La Spagna/A Tune through Three Centuries
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Gregorio Paniagua/
Atrivm Mvsicae de Madrid
BIS/SACD-1963(hybrid SACD)




「パニアグア」というのは、営みの衰えを隠すクスリ(それは「バイアグラ」)ではなく、ちょっと前の「古楽」シーンではかなり有名だった人の名前です。もちろん、彼は今まで誰も聴いたことのないような古い時代の曲の楽譜(というか、場合によってはタブラチュア)を探し出してきて、それを実際に「音」にして演奏するという、学術的な意味での「古楽」のリーダー的な存在ではありました。もっとも、それこそ「ギリシャ時代の音楽」などいったいどんなものだったのかなんてことは誰も知らないわけですから、もう「やったもん勝ち」とばかりに、ほとんど「でっち上げ」と変わらないことを堂々とやっていた、と言えなくもありませんが。ただ、その結果、聴いていて楽しいものが出来上がったのであれば、誰もそんなことをいちいち突っ込んだりはしないものです。物珍しさも手伝って、彼のアルバムはよく売れたはずです。
さらに、もう一つの面で、彼のアルバムは注目されました。それは、あまたのオーディオ・ファンをうならせるほど、録音が素晴らしかったのです。さる高名なオーディオ評論家(物故者)が絶賛したことによって、これらのアルバム(まだLPの時代です)はオーディオ・チェックになくてはならないアイテムとなったのです。有名なものは、HARMONIA MUNDIからりリースされた、先ほどの「ギリシャ音楽」などの一連のアルバムです。これらは最近になって、「XRCD」としてリイシューされましたから、その音のすごさを実際に体験された方もいらっしゃることでしょう。
実は、パニアグアはHMだけではなく、BISでもアルバムを作っていました。それが、今回新装なったこのSACDです。1980年に、BISの総裁フォン・バールが自らプロデュースと録音を手がけたもので、2枚組のLPでした。これも、オーディオ的には非常に高い評価を受けたものです。程なくしてCD化もされましたが、とても2枚分は収まらないので、8曲はカットされ、7140秒という当時のスタンダードな収録時間でのCD化でした。
そして、今回のSACD化です。ハイブリッド盤だけを考えると気づかないことですが、SACDレイヤーの収録時間は、CDレイヤーよりはるかに長くなっています。しかも、2チャンネルのステレオ信号だけでマルチチャンネルの信号が入っていなければ、それはさらに長くなります。ですから、今回は1枚のSACDLP2枚分、8722秒が、まるまる収まってしまったのです。さらに、CDレイヤーも、技術の進歩の賜物でしょうか、たった1曲カットしただけの、なんと8226秒という長時間収録が可能になっていたのですね。これって、もしかしたら世界記録?
このアルバムは、「ラ・スパーニャ」という古くから伝わる旋律を素材にした曲を、3世紀のスパンで探し出して並べたものです。有名無名の作曲家の作品、いや、中には「作曲者不詳」のものだってあります。レスピーギが作った「リュートのための古代舞曲とアリア」の中に出てくる「シチリアーナ」という有名な曲も、これと同じ流れをくむものなのでしょう。トラックにして48、それらが様々な「古楽器」によるアンサンブルによって演奏されています。もちろん、それはパニアグアならではの派手なレアリゼーションで、とてもいきいきしたものに仕上がっています。特に打楽器の、ほとんど切れかかったグルーヴが素晴らしいですね。一番気に入ったのは、最後の最後、CDレイヤーからはカットされた「Spaniol Kochesberger」という曲です。銅鑼やグロッケン、さらにはハーディー・ガーディーまで動員しての「中国風」スパニオル(意味不明)には、世間の憂さを忘れさせてくれるたくましさがありました。
録音は文句なし、アナログが最後に到達したものすごい音です。それは、到底CDのスペックには収まりきらないことは、同じトラックをSACDレイヤーとCDレイヤーとで比較してみれば、一目瞭然です。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2011-05-23 20:17 | 室内楽 | Comments(2)
KEISER/Markus-Passion
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Bernhard Hirtreiter(Ev)
Hartmut Elbert(Jes)
Christian Brembeck/
Parthenia Vocal, Parthenia Baroque
CHRISTOPHORUS/CHR 77323




ご存じのように、バッハが1731年に作ったとされる「マルコ受難曲BWV247」の楽譜は現在ではまること(丸ごと)失われてしまっていて、そのテキストしか残ってはいません。ただ、アリアなどは他の教会カンタータから流用されたものであることは分かっているので、今ではなんとかそれらしいものに修復されて実際に聴くことは出来るようになっています。しかし、レシタティーヴォは全くのオリジナルのはずですから、それを「修復」するためには、次のいずれかの方法に頼る必要があります。

  1. 無いものはどうしようもないので、そのままテキスト(つまり、聖書の福音書)を朗読する(シュライアー盤ヴィレンス盤)。
  2. 「バッハならこうするだろう」と想像して、自分で作る、というか、でっちあげる(コープマン盤)。
  3. 同じ時代に作られた他の「マルコ受難曲」から流用する。

サイモン・ヘイズという人がとったのが、「3.」の選択肢でした。そこで彼が「流用した」とされるのが、このラインハルト・カイザーが作った「マルコ」なのです。
カイザーという人は1674年生まれ、11歳になった1685年(バッハの生年!)にライプツィヒの聖トマス教会付属学校に入学します。後に彼はオペラ作曲家として100曲以上のオペラを作り、ハンブルクのオペラハウスの指揮者を長年にわたって務めることになるのですが、晩年はハンブルク大聖堂のカントールとして、もっぱら宗教音楽を作り続けたということです。「マルコ」は1717年頃に作られました。
この曲に1993年に録音されたものがあるということで網を張っていたら、つい最近リイシューになったので、さっそく入手してみました。期せずして「ヘイズ版」の録音(Roy Goodman/EU Baroque Orchestra)も再発されましたし。
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BRILLIANT/94146

そんな、単なる「元ネタ」探しだけのために入手したCDでしたが、これがとても素晴らしい曲だったのには、正直驚いてしまいました。全体は2部に分かれていて、バッハまでの時代によく作られた「オラトリオ風受難曲」という様式にのっとったものなのですが、演奏時間は1時間、2時間や3時間は平気でかかってしまうバッハの受難曲に比べればずいぶんコンパクトな仕上がりです。その秘密は、アリアのコンパクトさ、最も長いものでも3分しかかかりませんから、特にアリアだといって身構えて聴く必要はなく、全体の流れの中でさりげなく味わえる、という趣です。
何よりも特徴的なのは、曲全体を覆っているイタリア的な明るさです。冒頭の合唱からして、軽やかなヴァイオリンに乗ったいとも開放的なテイストが印象的、重苦しさとは無縁な世界が広がっています。コラールも、かっちりと歌い上げるのではなく、細かい音符を使ったオブリガートの上に軽く合唱が乗っているというある意味スマートな扱いですし、極め付きはアリアのキャッチーさです。ペテロの否認のあとに歌われるテノールのアリアが、その代表、ペテロの切ない気持ちをストレートに、言い換えれば「ロマンティック」に歌い上げています。この1曲を聴くだけでも、この作品に出会えて良かった、と思えるほどのアリアです。作られたのはバッハより前(バッハがこの受難曲を実際にライプツィヒで演奏したことは確実なのだそうです)なのに、音楽的にははるかに「新しく」聴こえるのはなぜでしょう。
肝心の聞き比べの結果ですが、そもそも、この曲はバッハが目指したものとはかなりの隔たり(良い意味で)がありますから、そのまま「流用」することはできなかったのでしょう。確かにエヴァンゲリストのレシタティーヴォは全く同じものでしたが、群衆の叫びを合唱で表現しているところは大半は別物です。「バラバ」のくだりで「十字架にかけろ!」と叫んで間髪を入れずコラールを歌い出すというような軽いフットワーク(ある意味オペラティックな扱い)は、明らかにバッハとは無縁の世界です。

CD Artwork © MusiContact GmbH
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by jurassic_oyaji | 2011-05-21 21:10 | 合唱 | Comments(0)
貧困社会から生まれた奇跡の指揮者 グスターヴォ・ドゥダメルとベネズエラの挑戦
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山田真一著
ヤマハミュージックメディア刊
ISBN978-4-636-86424-3



毎年元旦に行われるウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート」は、その映像が世界中に生中継され、もちろん日本でもリアルタイムで見ることができるという、まさにクラシック界を代表する大イベントですね。そこに登場する指揮者は、したがって世界中からクラシック・ファンに限らず注目を浴びることになります。小澤征爾が指揮をした時などは、ほとんどパニック状態、CDは空前の売り上げを記録しましたね。
ウィーン・フィルのライバル、ベルリン・フィルも、負けじとその前日の大晦日には「ジルヴェスター・コンサート」で盛り上がります。こちらは最近は生中継というわけにはいかないようで、「ニューイヤー」に比べたらやや地味な露出ですが、やはり全世界から注目されていることに変わりはありません。ただ、指揮者に関しては、毎年ラトルに決まっているような感じだったので新鮮味はないな、と思っていたら、なんと今回指揮台に登ったのはグスターヴォ・ドゥダメルだったではありませんか。これは、毎年ベルリン・フィルの芸術監督の役目だったはず、確かに彼はイエテボリとLAという2つのオケのシェフというポストは獲得していましたが、さらにベルリン・フィルの次期芸術監督か、と思わせられるほどのこの扱いには、ちょっと驚いてしまいました。
この本では、今やベルリン・フィルからもそれほどの格別な待遇で迎えられるようになってしまったドゥダメルについて、ほとんど彼の「追っかけ」と化している著者によって、プロの指揮者としてのデビューから今日までの彼の動向が、事細かに語られています。その中で、実際に彼のリハーサルなどにも立ち会っているという著者のドゥダメルの評価は、うなずかされることばかりです。特に、彼には、海千山千のオーケストラのプレーヤーを納得させるだけのオーラが、確かに存在していることを知ることによって、決して、ただのアイドルではない、間違いなく大指揮者に成りうるだけの才能を持ち合わせていることを確認です。
それにしても、彼を産んだベネズエラという国と、そこでおこなわれている「システマ」という音楽教育システムに関する著者の指摘には、考えさせられることだらけです。そもそも、最初にドゥダメルに出会ったCDに掲載されていたコメントによって、この教育システムはあくまですさんだ子供たちを救うための更正プログラムであって、プロの音楽家を育てるものではない、という印象を植え付けられてしまっていたものですから、そこから「シモン・ボリバル」のような素晴らしいオーケストラや、ドゥダメルのような指揮者が出てきたのが、不思議でしょうがなかったのですよ。著者は、その件について「誤解や曲解」だと言い切っています。そして、このシステムの真の姿、音楽家を目指す子供たちが、小さい頃からしっかりしたレッスンを受け、その結果が「シモン・ボリバル」なのだ、と熱く語っています。ある意味、この部分が、この著書で最も重要な訴えなのではなかったのでしょうか。なにしろ、彼らが来日した時の記者会見では、マスコミ関係者は一様にそんな「誤解」をもっていたそうですからね。「たいやきくん」とのつながりとかね(それは「シモン・マサト」)。
後半では、ドゥダメルのことからは離れて、もっぱらこのシステムの別の成果が語られています。例えば、史上最年少でベルリン・フィルへの入団を果たしたコントラバス奏者エディクソン・ルイースのことなども、そのような「真の姿」を知ったからこそ、納得が出来るものとなるのです。それにしても、世界的な音楽家を産み出すのと同時に、しっかり音楽を通しての「更正」活動も行っているというのですから、このシステムの裾野の広さには、驚かされることばかりです。

Book Artwork © Yamaha Music Media Corporation
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by jurassic_oyaji | 2011-05-19 19:42 | 書籍 | Comments(0)
A Song without Words/The Legacy of Paul Taffanel
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Kenneth Smith(Fl)
Paul Rhodes(Pf)
DIVINE ART/dda 21371




この前ランパルの「フルートとハープのための協奏曲」を聴いていたら、無性にケネス・スミスがシノポリをバックに同じ曲を演奏しているあの爽やかなCDを聴きたくなりました。しかし、いくら探してみても見つかりません。もしかして持っていなかったのかも。いや、このCD昔のリストでも紹介していますから、そんなはずはありません。買ってなかったものを取り上げるなんて、いまだかつてなかったことですからね。きっと誰かに貸して、それが返ってこないだけのことなのでしょう。
そのモーツァルトでももちろん共演していたフィルハーモニア管弦楽団の首席フルート奏者を30年近く務めていたスミスですが、このたびついに定年を迎えたようで、サイトを見てみるともはやこのオーケストラのメンバー表に彼の名前はありません。ゴールウェイが在籍していた頃のベルリン・フィルのように、フルーティストの魅力だけでどんなものでも聴きたくなるほどの気持ちにさせられたオーケストラは、これでなくなってしまいました。
それほどまでに、ほとんど無条件で酔いしれることのできるスミスの演奏は、ソロアルバムでも聴くことは出来ます。ただ、最近DIVINE ARTから出ていたものは、かなり以前に録音されたものがほとんどだったので、ちょっと物足りないところがあったのですが、そこに、なんと2008年から2009年にかけて録音されたアルバムが登場しました。しかも、3枚組で。これは、なににも代えがたい贈り物です。
その、総勢21人の作曲家によるフルート独奏曲が集められた、トータルで4時間近くにもなろうという膨大なアンソロジーは、サブタイトルに「ポール・タファネルの遺産」とあるように、この偉大な作曲家/フルーティスト/教育者が、自らのリサイタルで取り上げた作品や、彼のために委嘱された作品などのオンパレードです(ちなみに、メインタイトルはタファネルの編曲によるメンデルスゾーンの「無言歌」のことです)。そこには、かなりの数が、これが初めて録音されたものであるというコメントはあるものの、それはどの曲がそうなのかといったような些細なことまでは踏み込まない慎ましさを持ったものでした。
聴き慣れた曲、例えばライネッケの「ウンディーヌ」やフォーレの「ファンタジー」、あるいはドップラーの「ハンガリー田園幻想曲」などは、いかにもスミスらしい節度にあふれた、それでいて他のフルーティストからは味わえない「隠し味」を秘めたものでした。何よりも、その澄みきった音色は、とことん魅力的です。
そして、アルバムの大半を占める全く初体験の作品との出会いです。クレマンス・ド・グランヴァルとかシャルル・ルフェーブルとか、そもそも名前すら聴いたこともない作曲家の作品は、まさにこの時代のこの分野に、まだまだ知らない名作の沃野が広がっていることを教えてくれています。「カルメン幻想曲」1曲だけで有名になってしまい、他の作品は全く顧みられることのないフランソワ・ボルヌにも、こんなチャーミングな曲があったなんて。ヴァレーズの「デンシティ21.5」を献呈されたことでのみ知られているフルーティストのジョルジュ・バレールは、実は作曲家でもあったんですね。
そんな、すべての作品が慈しみをもって味わえたのは、間違いなくここでスミスが演奏してくれたおかげでしょう。彼が曲に込めた愛情がそのまま聴き手に伝わるという卓越した音楽性を備えていたからこそ、一歩間違えばフルート仲間にしか通用しない退屈なリサイタル・ピースとしか受け取られかねない(誰とは言いませんが、つい最近そんなCDを聴いたばかりです)これらの曲たちが、確かな「音楽」としての豊穣を見せてくれたのです。
写真を見ると、スミスは相棒のピアニスト、ポール・ローズともども、すっかり「おじいさん」になってしまいましたが、まだまだその味わいは衰えてはいません。

CD Artwork © Divine Art Record Company
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by jurassic_oyaji | 2011-05-17 23:44 | フルート | Comments(0)
MOZART/Concerto pour Flûte & Harpe, Concerto pour Clarinette
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Jean-Pierre Rampal(Fl)
Lily Laskine(Hp)
Jacques Lancelot(Cl)
Jean-François Paillard/
Orchestre de Chambre Jean-François Paillard
ESOTERIC/ESSW-90052(hybrid SACD)




レーベルの枠を超えて、素晴らしいSACDを提供し続けているエソテリックが、ついにERATOの音源に挑戦してくれました。1953年にミシェル・ガルサンをプロデューサーに迎えて創設され、LP時代にはマニアックなレパートリーと優秀な録音でひときわ輝いていたこの由緒あるレーベルが、マスターテープそのものの音で味わえることの意義は、計り知れないほど大きなものです。なんと言っても、レーベル自体は、後にRCAWARNERとたらいまわしにされた末に、現在は消滅してしまっているのですからね。
今回、世界で初めてSACD化されたERATOのアルバムは、ランパル、ラスキーヌ、ランスロという往年の名演奏家によるモーツァルトの協奏曲集です。録音されたのは1963年ですが、実は、これと全く同じ曲目で、同じ演奏家による録音というものが、1958年にもすでにステレオで行われていました。そして、なぜかそのLPのライナーノーツのコピーがここには同梱されています。確かに、この企画には今までもオリジナルのジャケットのコピーが添付されてはいましたが、こんな風に「旧録音」のものが付いてくるというのは初めてのことなのではないでしょうか。ちょっと意味が分かりません。しかも、これはカセットテープの品番が入っていたり、ロゴマークやオケの名前が新しかったりという、1970年代のリイシュー盤のジャケット、ますます意味不明です。
実は、たまたま「フルートとハープ」だけは別のカップリングのLPが手元にあったので聴いてみたのですが(演奏者が、「ジャン・マリー・ルクレール室内管弦楽団」と正しく表記されています)、それはそんなステレオの黎明期のものとは思えないほどの完成された録音でした。しかし、演奏家やエンジニアにたった5年後にもかかわらず再録音しようと思わせたのは、やはりその頃のまさに日進月歩の録音技術の進歩だったのでしょう。確かにこの「新録音」では、独奏楽器も、そしてオーケストラの中の楽器も、それぞれがくっきりと浮かび上がって聴こえてくるようになっています。ランパルのフルートも、すでに70歳を超えていたラスキーヌのハープも、旧録音とは全く違った生々しさで、迫ってきているのです。もっとも、演奏自体は、旧録音の若々しさの方がより好ましく感じられますが。ほんと、これを聴き比べると、たった5年でランパルの芸風はガラリと変わってしまっていることにも気づかされます。
ジャック・ランスロがソロを吹いたクラリネット協奏曲は、実は今回初めて聴きました。この演奏には、これまでに、例えば今回新たにライナーを寄稿している諸石幸生さんのように「紛れもないフランスの色、センス、エスプリ」が堪能できるといったような賛辞が与えられていたものです。しかし、聴こえてきたクラリネットの音には、ちょっと失望させられてしまいました。なんとも薄っぺらな音色なのですね。クラリネットって、もっと深い味わいのある楽器ではなかったでしょうか。しかも、この演奏にはいたるところでビブラートがかかっています。いや、最初はマスターテープの回転ムラなのでは、と思ってしまったぐらい、それは不愉快なビブラートでした。しかし、いやしくもあの杉本さんがマスタリングを行っているのですから、そんな音源を使うわけはありません。それは、よく聴いてみると、いわゆる「縮緬ビブラート」、略して「チリビブ」という、声楽やフルートの世界では忌み嫌われている奏法なのですね。女性にも嫌われますし(それは「チビデブ」)。そんなものを「フランスのエスプリ」などと言われても・・・。
おそらく、LP時代にはプレーヤーの回転ムラであまりよくわからなかった欠点が、SACDによって明らかになってしまった、という、悲しい現実なのかもしれません。「良すぎる音」というのも、ちょっと考えものです。

SACD Artwork © Esoteric Company
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by jurassic_oyaji | 2011-05-15 22:17 | フルート | Comments(0)