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By the River in Spring
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Kenneth Smith(Fl)
Paul Rhodes(Pf)
DIVINE ART/dda25069




世の中にはたくさんのフルーティストがいますが、ケネス・スミスほどセンスの良い演奏を聴かせる人はいないのではないでしょうか。派手さこそないものの、確かなテクニックに裏付けられたパッセージは言いようのない説得力をもち、その音色は澄み切って、ロングトーンだけでも人を魅了する力を持っています。30年近く首席奏者を務めてきたフィルハーモニア管弦楽団の中での演奏は数多くのCDで聴くことが出来ますが、そこからは常に彼にしかなしえないハイレベルのフルートが味わえます。
ソリストとしても、ピアニストのポール・ローズとのコンビで多くのアルバムを出しています。1990年代にはASVから5枚、イギリスの作曲家を中心にした珠玉のようなアルバムを残してくれていましたが、最近になって、今度はDIVINE ARTから、同じ録音スタッフによるアルバムが出るようになりました。先日の「A Song without Words」がその最新のものだったのですが、そのライナーにあった録音リストの中には、まだ入手していないものが1枚ありました。それがこのCD、注文はしてみたものの、国内には在庫がなかったようで何度も何度も「もう入荷する見込みはないので、いい加減キャンセルしてくれ」というメールが送られてきます。そんな脅しにもめげず、根気よく待っていたら、ほら、晴れて手に入ったではありませんか。あなたにもきっといい人が見つかりますって(それは「婚期」)。
このアルバムでは、ASV時代からのスミスのライフワーク、ほとんど知られていない20世紀に活躍したイギリスの作曲家の作品が演奏されています。全部で8人の作曲家が登場しますが、そのうち馴染みがあるのはせいぜいハミルトン・ハーティぐらいのものでしょうか。しかし、曲そのものはいかにもイギリスらしいオーソドックスなスタイルの親しみやすいものばかりです。それらをていねいに歌い上げているスミスの演奏によって、全く知らない曲でも極上の一時を過ごせることは間違いありません。
そのハーティの「In Ireland」という曲では、アイルランドの雰囲気を伝えるメランコリックな部分と軽快な踊りの部分が交代で登場します。いかにリズミックな部分でも、決して羽目を外すことのない上品さは、まさにスミスならではの持ち味でしょう。アルバムのタイトルともなっている「By the River in Spring」という曲を作ったマイケル・ヘッドは、歌曲や合唱曲の作曲家として知られていますが、ここでも「うた」が満載、カデンツァが少し入る程度で、メカニカルな部分はほとんどありません。そこからは、豊かな自然の息吹が伝わってくるよう。
この中でちょっと異色なのが、ウィリアム・オルウィンのフルート・ソナタです。3つの部分が続けて演奏されますが、最初の部分は半音進行が多用される、ちょっと取っつきにくいテイストを持っています。中間部は、アダージョ・トランクイロの静かな音楽ですが、やはり入っていきづらい冷たさがあります。そして最後にはなんとフーガの登場です。まるでエチュードのような跳躍の多い不思議なテーマ、さすがのスミスもちょっと苦しそう、なんと言っても録音が行われたのは2007年で、そろそろ還暦に手が届こうという時ですからね。
ここには少し前の録音も入っています。元々はヴァイオリンのためのソナタだったケネス・レイトンのフルート・ソナタも、1996年に録音されています。さすがにこの頃はまだ勢いがあったことが良く分かります。ちょっとディーリアスっぽいこの曲の最後の楽章のタランテラ風のパッセージでの技術の冴えはさすがです。そして、曲の最後でのとてつもないディミヌエンドは、まるで神業。
しかし、2007年の録音でも、エドワード・ジャーマンの「Gypsy Dance」のような同じような難しい曲を軽くあしらっているのですから、まだまだ衰えてはいません。この先もまだまだ楽しませて欲しいものです。これで、彼のソロアルバムのディスコグラフィーも完成しました。

CD Artwork © Divine Art Record Company
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by jurassic_oyaji | 2011-06-30 20:18 | フルート | Comments(0)
MAHLER/Symphony No.2 'Resurrection'
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Adriana Kucerova(Sop)
Christianne Stotijn(MS)
Vladimir Jurowski/
London Philharmonic Orchestra and Choir
LPO/LPO-0054




あの震災以来、巷には「復旧」や「復興」という言葉が踊っています。被災地にとって、これらの言葉は一つの目標となるものなのでしょうが、その実現の前に立ちはだかる幾重ものハードルは、時として絶望的な気持ちを呼び起こすものでしかありません。私たちが迷いなくこれらの言葉にしたがっていけるような環境を整えることが、実はそれらの言葉を連呼する以前に必要だということに気が付いていない人たちが、あまりにも多すぎるような気がしませんか?
マーラーが「復活」交響曲を作った時には、まさかこのような事態を想定していたなどということは考えられません。しかし、そのタイトルだけに注目してこの曲を「復興」の意味を込めて演奏する、という場面には、これからはさぞ頻繁に出会えることでしょう。確かに、長々と「葬礼」やら「最後の審判」やらの描写が続いた後に、合唱によって歌われる「復活」のコラールは、なんと感動的なものでしょう。少なくともベートーヴェンの「第9」ほどノーテンキではないその深刻さには、もしかしたら涙さえ浮かべる人だっているかもしれません。
そのような「効用」を狙ってのことでは、もちろんないのでしょうが、このところ立て続けに「復活」のアルバムがリリースされています。今回のユロフスキ盤(2009年9月録音)と、OEHMSから出たシュテンツ盤(201010月録音)です。録音されたのはいずれも震災前ですから、これは全くの偶然に違いありませんが、どちらのレーベルも日本での販売元は同じ、そこには何らかの「意思(=思惑)」が働いているのでは、と考えるのもあながち見当外れではないはずです。
はたして、そんな目論見はあたっているのか、実際に聴いてみて検証です。
ユロフスキの「復活」は、なんともマーラーらしくない自信に満ちた表情で始まりました。冒頭の弦楽器のトレモロは、まるでワーグナーの「ワルキューレ」の前奏曲のように聞こえます。それは、確か「嵐」を表現したものだったはず、そのひたすら攻撃的な表現からは、マーラーならば必ず備わっているはずの「はかなさ」は全く感じ取ることは出来ませんでした。これは、あたかも力ずくで全てを奪い去ってしまった「津波」そのものではありませんか。そのあと、トゥッティで現れる「ドッ、シラッ、ソファッ、ミレッ、ド」という下降音型などは、瓦礫を撤去する勇ましい重機の描写のようには聞こえませんか?こんなものを被災者に聴かせるには、勇気が必要。
第2楽章は、うってかわって平穏なたたずまいが広がります。しかし、このユロフスキの仕上げはなんと作為的な滑らかさに満ちていることでしょう。これを聴いて、なぜかブルース・ウィリスが主演した映画「サロゲート」に出てくるとても美しいのだけれどのっぺりしていて味わいに乏しいロボットの顔を思い出していました。あまりの甘美さに少しうとうとしたりすれば、第3楽章のまさにサプライズでしかないティンパニの轟音で、目を覚まさざるを得なくなります。
そんな風に、音自体はとても明瞭で豊かな響きなのに、なにか不自然なところのある演奏は続きます。「原光」で聞こえてくるメゾ・ソプラノの深い声だけが、そんな中での唯一の救いでしょうか。そして、いよいよ「復活」たる所以の合唱が始まります。しかし、いたずらに弱音にこだわり、ピュアと言うにはほど遠い濁った響きの合唱からは、なんの緊張感も味わうことは出来ません。しかも、オルガンも加わって高らかに歌い上げられるはずの最後のクライマックスでは、CDの悲しさ、ピークが一目盛り下がってしまって、せっかくの高揚感が損なわれてしまいました。嘘でもいいから、ここだけは盛り上げて欲しかったのに。
残念ながら、このCDは到底「復興」の役には立ちそうにありません。

CD Artwork © London Philharmonic Orchestra Ltd
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by jurassic_oyaji | 2011-06-28 23:24 | オーケストラ | Comments(0)
Beauty of the Baroque
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Danielle de Niese(Sop)
Andreas Scholl(CT)
Harry Bicket/
The English Concert
DECCA/478 2260




今や、世界中のオペラハウスから引っ張り凧となっているダニエル・デ・ニースの、3枚目となるDECCAからのソロアルバムです。これまではヘンデル、モーツァルトときていましたが、ここでは「バロックの美しさ」というタイトルで、ダウランドからバッハまでをカバーしている幅広い選曲となりました。バックを支えるのも、クリスティ、マッケラスのあとは、やはりこの時代の音楽のスペシャリスト、ハリー・ビケット率いるイングリッシュ・コンサートです。イギリスのティータイムには欠かせません(それは「ビスケット」)。
とは言っても、最初はバンドではなくリュート1本の伴奏で、ダウランドのリュート歌曲が始まります。有名な「Come again」など、カークビーあたりのしっとりとした歌い方に慣れてしまっていると、ちょっとした戸惑いを覚えるほど、それはエスプレッシーヴォに満ちたものでした。なによりも、彼女の最大の特徴である豊かな色彩感が、とてもインパクトを持って迫ってきます。歌われている英語も、なんとリアリティを持って届くことでしょう。これは、別に深刻ぶって歌うような曲ではなかったのですね。そう、これはまさに彼女ならではの、個性あふれるダウランド、なんだか目から鱗が落ちるような思いです。
続いて、ヘンデルの定番、「Ombra mai fu」が歌われます。キャスリーン・バトルによってべったりと手垢が付けられてしまったこの曲、デ・ニースは基本的にはそんな路線に沿っているかに見えますが、その歌の中にはもっと直接的に訴えるものが込められていると感じられるのはなぜなのでしょう。それは、おそらくヘンデルの様式感をしっかり踏まえた上での自由な表現がもたらすものなのかも知れません。このアルバムではヘンデルが5曲も歌われていますが、そのどれもがコロラトゥーラのスキルも含めて、しっかりとヘンデルらしさを、情感たっぷりに聴かせてくれるものでした。
パーセルの「ディドの死」なども、彼女が歌うとその悲しみが等身大のものに思えてくるから不思議です。息づかい一つとってみても、そこには間違いなく共感を呼ばずにはおかない心情が表現されています。
今回はゲストとして、カウンター・テノールのアンドレアス・ショルが加わっています。彼とのデュエットが聴かれるのは、まずモンテヴェルディの「ポッペアの戴冠」から「Pur ti miro」。ショルの芸風はそんなに堅苦しいものではないと思っていたのですが、こうしてデ・ニースと一緒に歌っていると、やはり弾け方が違うな、という気になってきます。もう1曲、ペルゴレージの「スターバト・マーテル」でも、その印象は変わりません。この二人は同じフィールドの歌い手としてとらえるべきなのでしょうが、デ・ニースが時折見せる肉感的な表情には、やはりショルとは違う世界が感じられてしまいます。
最後には、バッハが登場します。「結婚カンタータBWV202」と「狩りのカンタータBWV208」という有名な世俗カンタータから2曲のアリアです。ここで彼女が、同じバッハでも宗教曲や教会カンタータを選ばなかったのは、賢明なことでした。確かに彼女はバロックの様式はしっかり身につけているのですが、それは主にオペラにおける表現様式、オペラとは無縁のバッハの音楽では、ギリギリの所で逸脱しかねない危なさを秘めています。ですから、ここで演奏されているものあたりが、かろうじて彼女の資質で歌える限界のような気がします。ヘンデルとバッハは並んで語られることの多い作曲家同士ですが、実は根本は全く別のものを目指していたことが、デ・ニースの歌を聴くことによってはからずも明らかになっているのではないでしょうか。
SACDを聴き慣れていると、この録音はなにか平板なものに感じられてしまいます。ソプラノ・ソロや、特にトランペット・ソロなどは、SACDであればもっと浮き出して聴こえてくるはずです。

CD Artwork © Decca Music Group Limited
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by jurassic_oyaji | 2011-06-26 23:21 | オペラ | Comments(0)
BACH/Passio secundum Johannem
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Maria Keohane(Sop), Carlos Mena(Alt)
Hans-Jörg Mammel, Jan Kobow(Ten)
Matthias Vieweg, Stephan MacLeod(Bas)
Philippe Pierlot/
Ricercar Consort
MIRARE/MIR 136




以前「マニフィカート」でなかなか心地よい演奏を聴かせてくれたピエルロとリチェルカール・コンソートが、あの時とほとんど同じ歌手のチームで「ヨハネ」を録音してくれました。ジャケットの絵が、作者は違いますが同じようなタッチのものが選ばれているのも、共通のコンセプトを意識してのことなのでしょうか。「マニフィカート」では聖母マリアがトリミングされていましたが、実際はその眼差しの先には幼子イエスが無邪気に遊んでいたはずです。しかし、今回の「ヨハネ」では、同じ聖母マリアが、埋葬するために十字架から下ろされたイエスの遺体を膝の上に抱えているという「ピエタ」からのカットが使われています。
この曲の場合真っ先にチェックするのは「稿」に関しての情報です。まずライナーを読んでみると「ピエルロが行った1724年の第1稿の録音に、第2稿からの曲を2曲加えた」と書いてあったので、ちょっと期待してみました。なにしろ今まで「第1稿」で録音されたものはフェルトホーフェン盤しかありませんでしたからね。タイトルだって「バッハのヨハネ受難曲(1724/25)」ですよ。2つ目の「第1稿」でしょうか。
しかし、実際に聴いてみると、それは全くのデタラメでした。少し前にアレ盤でも似たようなことがありましたが(こちらは「第2稿」という「偽装」でした)、今回のライナーで「1724年の第1稿」と言われているものはただの新全集版(つまり、1739年の未完のスコアを元に校訂されたもの)でしかなかったのですよ。この両者は、確かに構成されている曲は全く同じですが、それぞれの曲は中身が微妙に異なっています。9番のアリアや38番のレシタティーヴォでは小節数まで違うのですからね(ご参考までに、9番の小節数は第1稿~第3稿:171小節、第4稿:172小節、1739年稿:164小節。それに対してピエルロ盤もアレ盤も演奏されているのは164小節)。こういう、「稿」の意味をはき違えている(というか、実態を知らない)いい加減なライナーは困ったものです。ですから、これを鵜呑みにして、「レコ芸」7月号にレビューを書いた「ジャーナリスト」は、赤っ恥をかいたことになりますね。楽譜も持たずに「稿」を語ろうとすると、こういう痛い目に遭ってしまいます。
なにしろ、最近ガーディナーブリュッヘンという2人の「巨匠」の録音を聴いたばかりですから、ピエルロのような「中堅」にはちょっと分が悪いのは仕方がありません。なによりも、エヴァンゲリストとイエスを担当しているマンメルとヴィーヴェークは明らかに力不足、マンメルは13番のアリアも歌っていますが、それもなんだか危なっかしいものでしたし。
合唱の部分は、各パート2人ずつで歌うというプランになっています。いわゆる「OVPP」の倍、という形なので、普通はこれでかなり厚みが出てくるものです。さっきのアレ盤なども同じ編成でしたが、迫力という点では圧倒されるものがありました。しかし、こちらは最初から迫力勝負は避けているような潔さがあります。あえてドラマティックな表現はスルーして、もっと音楽的な美しさを追求しようという姿勢なのでしょう。正直、この曲にその様なアプローチがふさわしいかどうかは分かりませんが、確かに「マニフィカート」からの流れだったら、それもありかな、という気にはなります。
その前作でも素晴らしかったアルトのメーナも30番のアリアでは、変に深刻ぶったりせずにとても美しい歌い方を披露してくれています。この曲のガンバのオブリガートは、なんとピエルロ自身が演奏しています。それも、ピュアな音色が美しい名演です。そして、出色はソプラノのケオハネでしょう。なんせ、彼女はフェルトホーフェンが来日してこの曲を演奏した時にも参加していましたから、「本物の」第1稿を歌ったことだってあるのですよ(キングインターが付けた表記が「キーオヘイン」ですって)。

CD Artwork © Mirare
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by jurassic_oyaji | 2011-06-24 19:49 | 合唱 | Comments(0)
EŠENVALDS/Passion and Resurrection
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Carolyn Sampson(Sop)
Stephen Layton/
Polyphony
Britten Sinfonia
HYPERION/CDA 67796




スティーヴン・レイトンがこのレーベルで紹介してくれる合唱作曲家たちは、常に新鮮な感動を与えてくれていました。先日来日した、今をときめくエリック・ウィテカーにしても、最初に触れたのは彼らの演奏でした。今回は、すでに合唱界ではかなり有名になっていて楽譜も広く出回っている、1977年生まれの俊英、ラトビア出身のエリクス・エシェンヴァルズです。
ラトビアといえばサロンパス味の炭酸飲料(それは「ルートビア」)ではなく、「バルト三国」として、エストニアやリトアニアと一緒に語られることが多くなっています。ですから、エストニアを代表する作曲家、アルヴォ・ペルトの後継者のような言い方も、一部ではされているようですね。だったら、とりあえずそんな先入観を持って聴き始めたって、別に構わないはずです。
確かに、アルバムタイトルである、2005年の作品「受難と復活」では、そんなペルトのエピゴーネンのような面は感じられました。弦楽合奏で合唱を彩るというやり方も、多くのペルトの作品には見られること、そんな、少しモノフォニックなヒーリング・サウンドは、間違いなくペルトを意識したものなのでしょう。しかし、エシェンヴァルズの場合は、そこにちょっとした「ズレ」が加わっているのですね。合唱と弦楽器は、寄り添うようでいてそれぞれが全く別のことをやっています。リズム的にもズレていますし、調も全然関係のないものになっています。一見ヒーリングに見えて、そこにはポリリズムやポリコードが織りなす不思議な緊張感が漂っているのですね。これは間違いなく彼の個性なのでしょう。
ただ、ここでソロを歌っているサンプソンが、そんな緊張感を意識しないであまりにノーテンキな歌い方に終始しているために、全体のテイストがヒーリングっぽくなってしまっているのが残念です。
ですから、彼の魅力が満喫できるのは、その他の無伴奏の曲ということになります。「ポリフォニー」のメンバーは、ここでは、それぞれに興味あふれる手法を見事に表現してくれています。まず「Evening」と「Night Prayer」という2曲は、それこそウィテカーのようなデリケートな和声をふんだんに使った流れるような美しい曲です。たとえば、アマチュアの合唱団がコンクールの自由曲に選んでしっかり練習すれば、その合唱団のスキルが間違いなく向上するのでは、と思えるような、「歌いごたえ」のある曲なのではないでしょうか。もちろん、各声部のバランスといい、音色のまとめかたといい、かなり敷居は高いものですから、ある程度以上の実力のある合唱団でなければ結果は悲惨なものに終わることは目に見えています。
次の「A Drop in the Ocean」は、多くの要素が幾重にも集まったスリリングな曲です。口笛のSEにラテン語のほとんど「語り」のような単旋律が絡み、そこに詩篇や、マザー・テレサの言葉がテキストになった合唱が加わる、という入り組んだ構造を持っています。そこから生まれる混沌と、テキストの持つメッセージ性とが相まって、言いようのない感動を生んでいます。この中で歌われるメンバーによるソプラノ・ソロもとても美しいもの、この合唱団の層の厚さを感じさせます。
Legend of the Walled-in Woman」という曲は、アルバニアの伝説をテキストにして、音楽素材もアルバニアの民族音楽が使われているという、ちょっと他の曲とは異なったテイストを持っています。民族的な素材と、洗練された澄みきったハーモニーとの対比が聴き物でしょう。作曲家の幅広いバックグラウンドがうかがえます。そして、それをこともなげに歌い分けている合唱団のすごさにも、改めて感服です。
最後は2010年に作られた新作「Long Road」です。これもそれまでとはガラリと変わった曲想、まるでジョン・ラッターのようなシンプルでメロディアスな世界です。これだったら、並の合唱団でも手がつけられそう。

CD Artwork © Hyperion Records Limited
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by jurassic_oyaji | 2011-06-22 19:48 | 合唱 | Comments(0)
REICH/The Dessert Music, Three Movements
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Kristjan Järvi/
Chorus Sine Nomine
Tonkünstler-Orchster Niederösterreich
CHANDOS/CHSA 5091(hybrid SACD)




「ミニマル」の立役者として、常に最前線で活動しているスティーヴ・ライヒの作品は、その名の通り「小さな」編成のものばかりだと思いがちですが、しっかりフル・オーケストラのための曲も作っています。それらは、1979年から1987年の間に集中して作られました。その中には、大人数の合唱が加わったいわば「カンタータ」とも言うべき作品もあるのですから、ちょっと意外な気がしませんか?どんなジャンルの作曲家でも、ある程度世の中に認められると、「委嘱」という形でオーケストラのための曲を作る機会も出てくるのですよね。そんな時のために、作曲家たるものはしっかりと「管弦楽法」の勉強もしておかなければいけないのですよ。
しかし、ライヒのことですから、そんなオーソドックスなオーケストレーションにこだわるようなことはしてはいません。1984年に作られた「砂漠の音楽」では、やはり際立って聞こえてくるのは、他の作品同様、ピアノや打楽器による規則的なパルスなのですからね。さらに、合唱や木管楽器には「amplified」という、普通のクラシックの楽譜にはあり得ないような指示がつけられています。つまり、マイクで拾った音をアンプで増幅してバランスをとるという、「PA」の思想ですね。もっとも、こういうことをやったのは別にライヒが初めてではなく、その20年ほど前にすでにルチアーノ・ベリオが「シンフォニア」の中でスウィングル・シンガーズに同じことをやらせていましたがね。
「砂漠の音楽」はケルンの放送局とアメリカの音楽団体との共同委嘱でしたから、まず1984年3月に、ペーテル・エトヴェシュの指揮によるケルン放送交響楽団によって世界初演されたあと(エトヴェシュは1985年7月のイギリス初演の録音も、BBCから出していました)、同じ年の10月にニューヨークでアメリカ初演が行われました。この時の指揮はマイケル・ティルソン・トーマス、打楽器のパートにはライヒ自身の仲間たち(「ネクサス」などのメンバーですね)が加わりました。その直後に同じメンバーでNONESUCHに録音されたものが、この曲のほとんど「定番」になっていましたね。その後、もう少し少人数でも演奏できるような「アンサンブル版」の楽譜も出版され、2001年にはそれによる録音も出ましたが、フルオケ・バージョンの新録音が出るまでには20年以上の歳月が必要でした。
5楽章から成るこの曲では、合唱が大きな役割を果たしています。その前の作品でもお馴染みだった、スキャットによるパルスがアンサンブルとして楽器のように使われる他に、ここではテキストを使ってしっかり具体的なメッセージを伝えるということも行っているのです。真ん中の長大な第3楽章では、まるでサイレンの音のような、ライヒにしては珍しい「連続した」音型まで披露していますからね。
今回の演奏、その合唱がなにか冴えません。そもそも、第1楽章の途中から合唱が入ってきたように聴こえたので、わざわざNONESUCH盤を引っ張り出して聴き直してみたのですが、そこでは確かに楽章の頭からはっきり合唱が聴こえてきました。バランスが全然違っていたのですね。この曲でのライヒの合唱に対する要求はかなり過酷です。NONESUCH盤でも、それに完全には応えられていなかったのですが、今回はそれに輪をかけての情けなさです。高音は出ないし、テンション・コードは決まらないし、アインザッツもざっつ(雑)です。
おそらく、ヤルヴィは、ライヒに対するアプローチが、MTTとは全く違っていたのではないでしょうか。それは、緊密なアンサンブルよりは、なにか暖かさのようなものを求める姿勢だったのかも知れません。それは「砂漠の音楽」ではあまりうまく行かなかったものが、カップリングの「3つの楽章」では見事な成果となって現れています。弦楽器の豊かな響きと表現力からは、ライヒに対する新たな可能性が間違いなく感じられます。

SACD Artwork © Chandos Records Ltd
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by jurassic_oyaji | 2011-06-20 20:45 | 現代音楽 | Comments(0)
Strid
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Håkon Daniel Nystedt/
Oslo Kammerkor
2L/2L-073-SACD(hybrid SACD)




この前ご紹介した「Kind」同様、意味深なタイトルが付けられた無伴奏合唱のアルバムです。いずれも2010年の1月に録音されたものなのですが、今回はさらにハイレゾで迫ります。水着グラビアじゃないですよ(それはハイレグ)。こちらは「32bit」ですって。「24bit」でもDSDの3倍のデータ量だったものが、こちらでは4倍なのだそうです。それでもまだ「アナログ」には及ばないというのですから、普通のCDで聴く「デジタル」なんてお話にならないことになりますね。
それにしても、この2Lというのは、今までに買った多くのアルバムの中には全く「ハズレ」がなかったという、恐ろしいレーベルです。事実上、制作の全てを1人の人間が行っているという、文字通りのマイナー・レーベルですが、だからこそ音にもとことんこだわれますし、企画も好き勝手なことが出来るのでしょう。それにひとたびハマってしまえば、その魅力に惹かれてつぎつぎと新しいアルバムを買い続けることになるのです。今回も、その透き通るような音を聴いただけですでに満足してしまえるほどでした。
タイトルに使われている「Strid」というノルウェー語の単語は、英語では「Struggle」に相当するのだそうですが、国内代理店のインフォのように「戦い」と訳すよりは「対決」といった方がこの内容にはマッチしているのではないでしょうか。なにが「対決」しているのかというと、一義的にはノルウェーの伝承聖歌と、クラシックの作曲家による「聖歌」ということになるのでしょう。ここでは、全く別の文化圏から生まれたこの二つのものを、同時に演奏するというとんでもないことを行っています。言ってみれば、作品同士の「対決」ですね。それだけにはとどまりません。ここにはソリストとして、いわゆる「フォーク・シンガー」、つまり、古くから伝わる伝承歌を専門に歌う人たちが参加しています。その人たちの歌と、クラシックの合唱団という、演奏家同士の「対決」も加わります。さらに、その合唱団も、自らの中でアカデミックな西洋音楽のスキルを発揮させると同時に、伝承歌にも対応できるような民族的な発声やハーモニー感に対するアプローチも見せるという「対決」が迫られているのです。
こんなに複雑に入り組んだ「対決」の諸相、これらを昇華させてさらに高い次元を目指そうと企てたのは、おそらくこのオスロ室内合唱団の音楽監督であるホーカン・ダニエル・ニューステットだったのでしょう。このラストネームを見てピンと来た人もいるでしょうが、彼はノルウェーの合唱界の重鎮である、あのクヌット・ニューステット(今までの「ニシュテッド」という表記を改めました)のお孫さんなのですね。1980年生まれですので、やっと30歳になったばかりですが、彼の指揮と、そして作曲の才能は、もしかしたらお祖父さんを超えるものがあるかも知れませんね。というか、お祖父さん譲りのチャレンジ精神が、ここで見事に開花した、という気もするのですが。
そんなわけで、編成的にとてもバラエティに富んだプログラミングになっていますが、やはりすごいのは「クラシック」の聖歌と伝承歌とのマッシュアップでしょう。そういうものが4曲あって、それぞれラフマニノフとチャイコフスキーの「クリソストム」の聖歌、グリーグの作品39-5の「若き花嫁の棺のそばで」という歌曲の合唱版、そしてブルックナーのモテット「Locus iste」が、様々の形で伝承歌とからみます。全く同時に、異なる歌が歌われたり、お互いの断片が時たま顔を出したりと、その「対決」の様相は一つとして同じものはなく、決して退屈させられることはありません。
素で出てくる「Locus iste」を聴くだけでも、この合唱団の力がハンパでないことは分かります。その上に「民族的」な発声も自在に操れるのですからね。さらに、例えば3曲目や最後の12曲目でのニューステッド自身の編曲の素晴らしいこと。全てに於いて「見事!」としか言いようがありません。

SACD Artwork © Lindberg Lyd AS
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by jurassic_oyaji | 2011-06-18 21:02 | 合唱 | Comments(0)
佐渡裕の武満
 佐渡裕とベルリン・フィルのコンサートの模様は、NHK-BSで全曲放送されていました。なかなか時間が取れなかったのですが、きのうやっとまとめて見ることが出来ました。もちろん、HDモード(=DRモード=BDモード)です。ショスタコの方はコマ切れですがメイキングでさんざん見ていたので、まずはその前のプログラムの武満徹の「From Me Flows What You Call Time」が楽しみでした。まだこの曲は聴いたことがなかったのですよね。というか、以前篠崎靖男さんが2003年12月にLAフィルの定期演奏会を指揮した時に、やはりこれを演奏してたのですよ。その時に、「素晴らしい曲ですから、機会があったらぜひ聴いてみてください」とおっしゃっていたのですが、やっとその「機会」が巡ってきました。
 リハーサルの映像ではショスタコの時にもこの曲のための打楽器などがセットされていて、それが指揮台のまわりなどにもあったのですごいな、と思っていたのですが、本番ではさらに、なんだか「地鎮祭」の時に飾るような長~いリボンが天井からぶら下がっていましたね。それが5色のリボンが上手と下手に2組あるものですから、このコンサートホールには完全にミスマッチでしたね。実は、それは単なる装飾ではなく、そのリボンの先にウィンド・チャイムのようなものがつながっていて、ステージからそれを引っ張って音を出すという、りっぱな「楽器」だったのですけどね。
 パユのフルート・ソロで曲が始まると、なんと、客席の後ろから、5色のジャケットを着た打楽器奏者が、サンバル・アンティークを叩きながらの登場です。「シアター・ピース」という、これもこのホールには似つかわしくない仕掛けだったんですね。それぞれの奏者が定位置について、様々な打楽器を演奏するのは、なかなかスリリングなものでした。スティール・パンが大活躍してましたね。結構、即興的に奏者に任されたような部分もあったようですが、このソリストたちは、初演からずっと(篠崎さんの時も)カナダの「ネクサス」というグループが担当していたそうです。昔、武満がプロデュースしていた「MUSIC TODAY」で彼らの演奏を生で見たことがありますが、ボブ・ベッカーとかラッセル・ハーテンバーガーなどというメンバーは、あのスティーヴ・ライヒとも縁が深いんですよね。でも、今回は全然別の人たちでした。どういうところからきている人たちなのかな、と思っていたら、後半のショスタコでは、その人たちが全員燕尾服を着て座っているではありませんか。つまり、彼らはベルリン・フィルの団員だったのですね。これはちょっとすごいことですよ。しかも、ソロの出番の後もオケの中で演奏しているなんて、プロではなかなかないことです。
 あとで調べてみたら、佐渡が西宮でこの曲を演奏した時には、ちゃんと「ネクサス」が来たそうなのですね。このあたり、ベルリン・フィルとコンサートの打ち合わせをする時にどのような交渉がなされたのか、興味がわいては来ませんか?佐渡はぜひ「ネクサス」とやりたかったのに、ベルリン・フィルの事務局に「うちの団員で十分だ」と言われて、渋々引きさがったとか。というか、実際「ネクサス」を呼ぶよりは、だいぶ経費が少なくてすんだことでしょう。演奏の質はどうだったのか、私には、比較する材料がないので、分かりません。正直なところは「ネクサス」で聴いてみたかったですが。佐渡も、おそらく「ネクサス」とやりたかったのではないか、と思うのですがね。つまり、この件では、佐渡よりも篠崎さんの方が優遇されていたような気がするのですが、どうでしょう。まあ、ベルリン・フィルのメンバーの打楽器も、技術的には遜色はなかったのでしょうが、あくまで「気持ち」の問題で。
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by jurassic_oyaji | 2011-06-17 21:47 | 禁断 | Comments(0)
メトロポリタン・オペラのすべて/名門歌劇場の世界戦略
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池原麻里子著
音楽之友社刊
ISBN978-4-276-21056-1



つい先日、映画館でMET(メット:ニューヨークのメトロポリタン歌劇場)のオペラが見られるという「ライブビューイング」についてある種の体験(いや、近くのシネコンで見ようと思ったら、地震の影響で打ちきりになっていた、というめったにないネガティブな体験ですが)があったばかりだというのに、なんともタイミング良くこんな本が出版されました。本当は、そんなことには関係なく、この時期にこのオペラハウスの引っ越し公演が日本で行われるのを見込んでのタイミングだったのですがね。しかし、もちろんこの本の中では、その引っ越し公演では誰しもが最も見たがったであろうネトレプコやカウフマンは、地震による原発事故の放射能を恐れて日本には来なかったなどという「最新の」情報が盛り込まれているわけはありません。ここで取り上げられているメインのテーマは、なんたって、2006年にこのオペラハウスの総裁に就任したピーター・ゲルブと、彼が行った「戦略」といった、「ほんのちょっと前」の情報なのですからね。
この本のサブタイトルを見た時に、それは予想されたことでした。まさに、著者が最も力を入れて語っているのは、その「戦略」についてでした。ゲルブという有能なビジネスマンがオペラハウスの「経営」を任された時に最初に行ったのが、この「ライブビューイング」(これが、日本側のネーミングで、正式には「MET Live in HD」だということを、初めて知りました)という、映画館でリアルタイムにオペラを上映するという試みでした。日本では時差もあって同時刻に上映するのは無理なので、タイムラグはできますが、中身は全く同じものが提供されています。ただ、日本での配給先が松竹だったものですから、最初は「魔笛を歌舞伎座で見よう」みたいなコピーで宣伝していたのがおかしかったですね。さすがに、今は普通の映画館での上映になっていますが。
その、記念すべき最初の「ライブ」の演目が、悪名高いジュリー・テイモアの「魔笛」だったにもかかわらず、この試みは着実に支持者を増やしていったというのですから、面白いものです。年を追うごとに上映館も世界中に広がり、今シーズンは12もの演目が取り上げられるようになりました。ゲルブの「戦略」は、見事に成功したのでしょう。そのおかげで、今ではかなり田舎のシネコンにもかかります。途中打ち切りにはなりましたが。
これは、丸ごとのパッケージでテレビで放映されたりDVDになったりしていますから、別に映画館に行かなくても見ることはできます。今までのオペラのライブビデオと明らかに異なるのが、まさに「生」ならではのその場の臨場感を大切にした幕間のインタビューなどです。その制作現場に立ち会った著者のレポートが、その舞台裏を生々しく伝えています。インタビューにはきちんとリハーサルが設けられていて、そこにはしっかり台本なども用意されているのですね。確かに、これだけ周到に準備されているのですから、今歌ってきたばかりの歌手から興奮気味のコメントを紹介する場面などは、時にはオペラ本体よりも面白いものに仕上がっているのもうなずけます。
その他に、このオペラハウスの基本的な情報を的確にまとめているのも、なかなかのものです。歴史的には、それぞれの総裁の時代のプロダクションのリストなど、とても貴重なものですし、スタッフの年収まで分かるのですから、すごいものです。
巻末には、ここに出演した歌手たちのプロフィールが列挙されています。これも、ちょっと気の利いたコメントが、ひと味違います。「気難しいソプラノとして有名」などとこき下ろされている人もいますし。でも、デボラ・ヴォイトが「トリスタン」を歌ったというのは、単なる勘違いでしょうね。なんたって、著者は年季の入ったオペラファンなのだそうですから。

Book Artwork © Ongakunotomo-sha
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by jurassic_oyaji | 2011-06-16 19:48 | 書籍 | Comments(0)
ROSSINI/Arias
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Julia Lezhneva(Sop)
Marc Minkowski/
Sinfonia Varsovia
NAÏVE/V 5221




ユリア・レージネヴァという、ロシア出身のソプラノのデビュー・ソロアルバムです。一瞬「デビュー?!こんなおばさんが!」と思ってしまうぐらい、見方によってはとんでもない高齢者にも思えてしまうようなジャケットの写真ですね。でも、本当は彼女は1989年の生まれ。ですから、この録音が行われた2010年の1月には、おそらくまだ20歳になったばかりだったのでしょう。まぎれもなく「デビュー」にふさわしい年齢ですね。もっとも、彼女が「プロ」としてデビューしたのは16歳の時にモーツァルトの「レクイエム」のソロを歌ったコンサートだといいますから、それでも遅すぎたのかもしれません。
ただ、リーダー・アルバムこそ今回が初めてですが、すでにこのレーベルでは2枚のアルバムに参加していました。そのうちの1枚が、今回の指揮者ミンコフスキが振った「ロ短調ミサ」だったのです。ここでは、ソリストがそのまま合唱のパートも歌うというプランだったので、アンサンブルとしての合唱の役目がメインでしたが、「Gloria」の中の「Laudamus te」ではソロを担当していました。今回改めて聴き直してみると、この時のヴァイオリン・ソロのとことん弾けたオブリガートに見事に乗って、小気味よく装飾音をコロコロ転がしていましたね。
そんな人が、ロッシーニに合わないはずがありません。バッハの時にはあまり分かりませんでしたが、今回のアルバムを聴くと彼女の声はかなり低め、「メゾ」というよりは「アルト」に近い質のようです。そんな声でロッシーニのコロラトゥーラ(「アジリタ」というべきなのでしょうか)を軽々とさばく人、と言えば、バルトリとかカサロヴァが有名でしたが、その業界にこんな若い人が「参入」です。
レージネヴァの場合、そのアジリタはとても自然なものに感じられました。他の二人はいかにも「すごいなぁ」という、まるでフィギュア・スケートの3回転とか4回転といった超絶技巧を味わっている気にさせられるものが、彼女の場合は回転数などは関係なく、「回っている」ということ自体に美しさがある、といった感じでしょうか。
それだけではなく、彼女は伸ばした声自体にとてつもない力があります。この前のエルトマンとはまさに正反対、ただのロングトーンを聴いただけで、そこにはまぎれもない「主張」を感じられるのですね。そういえば、彼女、なんだかアメリカ先住民のリーダーみたいな雰囲気がありませんか(それは「酋長」)?いや、その落ち着いた声はとても貫禄のあるものです。
これだけのものを持っていれば、もう怖いものなしです。しかし、彼女はさらに、ハッとさせられるような細やかな表情を見せたりできるのですね。そんな、彼女のすべての魅力を味わえるのが「チェネレントーラ」からの有名なレシタティーヴォとアリア「Della fortuna istabile...Nacqui all'affanno」です。
かと思うと、「ギョーム・テル」の中の「Ils s'éloignent enfin」や「コリントの包囲」の「L'ora fatal s'apressa」といったしっとりと歌い上げるスローバラードも心にしみる、というのですから、もう脱帽です。「L'ora fatal ...」のエンディングのピアニシモなど、ゾクゾクしてしまいますよ。ここでは、バックのオケも実に見事なサポートを展開しています。おそらく、このアルバムを作るにあたっては、ミンコフスキのバックアップが大きく働いていたのでしょう。そんな、温かい思いやりのようなものも加わって、極上のCDが出来上がりました。オーケストラだけで演奏される「チェネレントーラ」の序曲なども、軽やかな仕上がりは絶品です。
何曲かの中で加わっているワルシャワの少人数の合唱団が、全く合唱の体をなしていないお粗末な出来であるのと、時たま彼女のピッチが上ずって聴こえてくることなどは、ほんの些細な傷に過ぎません。

CD Artwork c Naïve
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by jurassic_oyaji | 2011-06-14 22:58 | オペラ | Comments(0)