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FAURÉ/Requiem
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Sunhae Im(Sop)
Konrad Jarnot(Bar)
Peter Dijkstra/
Chor des Bayerischen Rundfunks
Münchener Kammerorchester
SONY/88697911082




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Philippe Jaroussky(CT)
Matthias Goerne(Bar)
Paavo Järvi/
Choeur de l'Orchestre de Paris
Orchestre de Paris
VIRGIN/0 88470 2




半世紀前のリイシュー盤に続いて、ともに2011年の2月に録音が行われたフォーレの「レクイエム」が、ほぼ同時にリリースされました。この前も新録音が出たばかり、ちょっとしたラッシュに、追いかける方も大変です。
ミュンヘンで録音されたダイクストラ盤は、本当にお久しぶりの「第2稿ラッター版」です。この楽譜による演奏、録音はしばらくなかったーものの、合唱団のコンサートではしっかり利用頻度が上がっているという印象が強くなっていませんか?まあ、オケの人数が少なくて済むという利点が買われているのでしょう。同じ第2稿でも、「ネクトゥー・ドラージュ版」は、あまりにも今までのものと違いすぎて、アマチュアには馴染めないのかもしれませんね。
ダイクストラの指揮するバイエルン放送合唱団は、もちろんアマチュアではなくプロの合唱団ですが、なにかひたむきさのようなものが決定的に不足しているように感じられるのはなぜでしょう。クリュイタンスを聴いたばかりなのでその様に感じるのかもしれませんが、一つ一つのフレーズがあまりに安直に流れてしまっているのが、とても残念な気がします。せっかく力のある人が集まっているのですから、もうちょっとアマチュアっぽい真摯さでていねいに仕上げて欲しかった、と。
そんな風に感じられるのは、ダイクストラがとったテンポがあまりに速すぎるからなのかもしれません。「In Paradisum」などは、ちょっと入っていけないほどの速さです。いかに身軽な版だとは言っても、これではやりすぎ。「Sanctus」でも、せっかくのヴァイオリン・ソロがとてもせわしない、チマチマしたものになってしまっていますし。
そんな中で、ソリストたちがちょっと大げさすぎる身振りなのも、全体のバランスを欠くものでした。ジャーノットはドラマティック過ぎますし、スンヘ・イムも、やはりオペラの人、この稿の求める「Pie Jesu」のキャラではありません。
カップリングは、プーランクの「悔悟節のための4つのモテット」、フランス風の粋なハーモニーがなにか決まらないのは、ドイツ人が歌っているからなのでしょうか。いや、長三和音すらきちんとハモれていないのですから、もう少し根は深いのかもしれません。

同じ頃にパリのサル・プレイエルでライブ録音を行ったヤルヴィは、パリ管を指揮しての「第3稿」です。つまり、クリュイタンスから半世紀経っての、(ほぼ)同じオーケストラによる録音ということになります。合唱は、オケ付属の合唱団。もしかしたらアマチュアなのでは、と思えるほど、技術的には拙いのですが、不思議とそこからは「フォーレ」が感じられるのですから面白いものです。おそらくフランス人の「血」のようなものが、この曲には必要なのかもしれません。
このCDでは、「Pie Jesu」がカウンター・テナーによって歌われています。ボーイ・ソプラノというのは今までにもありましたが、カウンター・テナーを聴くのは初めてです。ただ、ここで歌っているジャルスキーは、ちょっとクセのある声のようで、Gから下の音が全く別の響きになっていてちょっとブキミ。惜しいところです。
バリトンのゲルネは、それこそクリュイタンス盤のフィッシャー・ディースカウを思わせるような落ち着きのある、それでいてパッションも伝わってくる素晴らしい演奏です。なぜか、このソロだけはフランス風のなよなよとしたバリトンは似合いません。
こちらのカップリングは、フォーレのオーケストラ伴奏の合唱曲。定番の「ラシーヌ賛歌」などに混じって、これが世界初録音となる詩篇137をテキストにした「バビロン川のほとり」という珍しい曲が聴けます。バッハのコラール風に始まって、途中からはソロも加わり盛り上がるという、ちょっとしたオラトリオのような曲でした。

CD Artwork © Sony Music Entertainment, EMI Records Ltd
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by jurassic_oyaji | 2011-09-30 21:27 | 合唱 | Comments(0)
FAURÉ/Requiem
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Victoria De Los Angeles(Sop)
Dietrich Fischer-Dieskau(Bar)
André Cluytens/
Choeurs Elisabeth Brasseur
Orchestre de la Société des Concerts du Concervatoire
ESOTERIC/ESSE-90055(hybrid SACD)




1962年に録音された永遠の名盤、クリュイタンス指揮のフォーレの「レクイエム」がついにSACD化されました。しかも、望みうる最高のマスタリングで。
このアルバムは、LP時代から愛聴していたもので、確かに愛着のたっぷり詰まった録音でした。しかし、この曲を巡る状況は、現在ではその頃とは大きく変わってしまいました。クリュイタンスが録音した当時は、当然この曲の楽譜は「第3稿」と呼ばれるフルサイズのオーケストラ(実際は、木管楽器などは出番が1曲しかないという不思議なオーケストレーションなのですが)のものしかありませんでした。しかし、その後、これは出版社の要請で仕方なく作った編成、しかもフォーレ自身の手によるものではないことも分かってきて、本来の小さな編成の演奏の試みが広く行われるようになってくると、どうしてもその重っ苦しさが鬱陶しく感じられてしまい、次第に聴くこともなくなっていきました。
でも、やはり手元に置いておいて、なにかの時には聴くべきものだ、との意識は残っていたのでしょう、LPはとっくの昔に手放してしまったので、とりあえずCD化されたものを入手してみました。1998年の「ARTマスタリング」盤です。
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しかし、これで聴き直してみても、やはり古めかしい演奏にしか聴こえませんでした。合唱のレベルが、とても今の感覚では鑑賞に堪えられないのですね。
そして、今回のSACDの登場です。マスタリングはもちろん杉本さんです。ケースを開けると、薄っぺらな紙が入っていて、そこにはプロデューサーの大間知さんの、「オリジナルテープにあったヒスノイズは、あえて除去しませんでした」というようなコメントがありました。そもそも、杉本さんのマスタリングでは安直にヒスノイズをカットしてだらしのない音に変えてしまうようなことはしていなかったはずなので、何を今さら、という感じだったのですが、さっきの「ART」と聴き比べてみると、その意味が分かりました。「ART」では、ものの見事にヒスノイズがなくなっているのですね。そして、その代償として、オケも合唱も、なんとも薄っぺらな音になってしまっているのですよ。例えば、「In Paradisum」に現れる、第3稿の最大の特徴であるヴァイオリンの輝かしい煌めきが、このSACDでは神々しいほどに広がって聴こえてくるというのに、「ART」のCDではなんの高ぶりも感じることの出来ない平凡な音に変わってしまっているのです。
そんな、言ってみれば、録音された音の生命を保つためには、「邪魔」なノイズまできっちりと残すという「攻め」に徹したマスタリングの結果、このSACDでは、EMIによってCD化された時に失われてしまった「生命」が、見事に蘇っているのですよ。合唱などは、CDではただのヘタな合唱にしか聴こえなかったものが、ここでは、メンバー一人一人がそれぞれの思いで「祈り」を込めて歌っていることが良く分かるのです。そんな、てんでバラバラな歌い方で、方向が一つにまとまっていない合唱なんて、現代の合唱界ではまず顧みられることはない、アンサンブルとしては不完全なものなのかもしれませんが、現実にそんな「ヘテロ」としての訴えかけが持つとてつもない力を体験してしまうと、これは確かにものすごいもののように思えてきます。
録音の時にはまだ30代だったフィッシャー・ディースカウですが、このSACDではその完璧な声のコントロールぶりをまざまざと体験できます。音色やダイナミックスを、ものすごい精度で制御、しかも、そこには確かな情感も込めるというのですから、まさに神業、こんな凄さも、CDではまず味わえません。
ただ、ロス・アンヘレスは、逆に、そのマスタリングによって、現在では到底この曲のソプラノとしては受け入れられないものになっていることを再確認です。
録音会場の外を走る車の音までも、なんとリアルに聴こえることでしょう。

SACD Artwork © Esoteric Company
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by jurassic_oyaji | 2011-09-28 20:17 | 合唱 | Comments(0)
Hooked on Classics
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Louis Clark/
The Royal Philharmonic Orchestra
DELTA/60378




1980年代初頭に一世を風靡した「フックト・オン・クラシックス」のシリーズが、なんだか得体の知れないイギリスのレーベルから3枚組のボックスとしてリリースされました。ジャケットはオリジナルとは似ても似つかないデザインですが、3枚まとめてたったの1000円というので、買ってみましたよ。実は、かつてこれらの曲をまともに聴いたことはなかったものですから。
それにしても、このジャケット、例の、ト音記号の先が釣り針(フック!)になっているという印象的なイラストが再現されていないのは残念ですし、なんだか「五線」ではなく「六線」になっているのが、非常に気になります。ま、その程度の志なのでしょう。そもそも、肝心の指揮者の名前すら、ここにはありませんからね。
そんなかわいそうな扱いを受けている1947年生まれの指揮者、アレンジャーのルイス・クラークは、ジェフ・リンの「ELO」のストリングス・アレンジャーとして1974年にこの業界にデビュー、後には、ELOのツアーにもキーボードのメンバーとして参加しています。1981年に、クラシックの名曲をディスコ・ビートに乗せてエンドレスで演奏する、というアイディアで、彼自身がロイヤル・フィルを指揮して録音した「Hooked on Classics」というアルバム(LP)は、たちまちUKのヒット・チャートを躍り上がり、クラシックにはあるまじきセールスを記録することになりました。まあ、正確には「クラシック」は単なる素材だったので、「クラシックのアルバム」とは言えないのですが、「クラシック」がらみでそんなに売れてしまったのは、一つの「事件」だったわけですね。それに味を占めて、同じメンバーによって1982年には「Hooked on Classics 2」(後に「Can't Stop the Classics」)、そして1983年には「Hooked on Classics 3」(後に「Journey through the Classics」)という、全く同じコンセプトのアルバムがリリースされ、いずれも大ヒットとなりました。
クラークが関わったのはその3枚だけですが、そのあとは、よくあるような他のアーティストによる「便乗」アルバムが続出することになりますね。そんなわけで、この「フックト・オン」シリーズは、いったいどのぐらいのエピゴーネンを生んだのか、その実態を正確に把握するのは困難です。
この「フックト・オン」という言葉は、「引っかける」ということで、次々と色々な曲を連続して演奏するという意味を持たせているのでしょうが、最近になって、もうちょっと別な意味もあるのではないか、と思うようになりました。ポップスでは、例えば山口百恵の「♪ああ~、日本のどこかに」(いい日旅立ち)のように、曲の中で最も盛り上がる部分のことを「サビ」といいますが、「フック」には、この「サビ」と全く同じ意味があるのですね。つまり、このタイトルは、単に曲をつなぐだけではなく、その曲のまさに一番の聴かせどころがつながれている、という意味までが、込められているのではないでしょうか。
ジャケットはちょっとヘンですが、とりあえずここでは3枚のアルバムがきちんと3枚のCDに再現されています。それによって、リリースされてから30年も経って、初めてクラークの仕事に対峙することになりました。高音を強調した、いかにもポップス寄りのサウンドには、ちょっと引いてしまいますが、この、全く脈絡のない曲をつなぐというやり方には、とても潔い爽快感を味わうことが出来ました。というより、これを聴いて、思わずピーター・シックリーの「P.D.Q.バッハ」を思い浮かべてしまったのは、なぜなのでしょう。「本家」よりもアレンジはかっこいいし、演奏もしっかりしている分、「笑い」もより充実したものに感じられてしまいましたよ。
「曲名あてクイズ」として遊ぶのにも、これはもってこい。でも、難易度はかなり低いですね。このサイトを見ているような人だったら、簡単に全部分かってしまうはずですよ。

CD Artwork © Delta Leisure Group Plc.
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by jurassic_oyaji | 2011-09-26 19:51 | ポップス | Comments(0)
石巻市民交響楽団
 WOWOWが10月からフルハイビジョンによる3波放送を開始することは、新聞などでも大々的に宣伝されていますね。私のように契約している人に対しては、毎月番組表が送られてきますから、その実態をさらに詳しく知ることが出来るようになります。それによると、放送開始の10月1日には、METから「生中継」が行われるのだそうです。すごいですね。民放でオペラの生中継なんて。もっとも、これはMETがずっと行っている「ライブ・ビューイング」をそのまま使って、いかにもWOWOWが「生放送」しているように見せるだけのものなのでしょうがね。それでも、日本では映画館や、たまにはNHKの放送で「生の録画」しか見られなかったのですから、これは画期的なことです。もちろん、それが何回も続くということではないのでしょうね。「生」は、おそらくこれ1回きり、でも、そのあともなんだか毎週「オペラ」を放送する予定が組まれていますよ。これはなかなか楽しみです。
 しかし、こんなクラシックをWOWOWが放送することに関しては、過去に苦い思いを味わされていますから、油断はできません。そもそも、私がWOWOWと契約しようと思ったのは、その頃は確か月1回ベルリン・フィルの定期演奏会のライブを放送していたからなのですよ。これはかなりおいしい話でした。しかし、それは長続きすることはなく、いつしか「ベルリン・フィル」は番組表から姿を消してしまっていました。やはり、そういうマニアックなことを続けるには、民放としてはいろいろ苦しいことがあったのでしょう、というのは、かなり良心的な解釈で、これははっきり言って「騙された」こと以外のなにものでもありません。
 ですから、今回の改変でオペラがプログラムに加わったからと言って、それでこの放送局が過去に行った「詐欺」を赦せる気にはなりません。どうせ、いずれは、オペラなんか全く扱わなくなってしまうのは間違いのないことなのですからね。まあ、とりあえずMETの「リング」だけでも全部録画し終わるまでは、この路線を貫いていてほしいものです。
 合唱コンクール東北大会に続いての怒涛の音楽漬け3連休の後半は、末廣さんとのニューフィルのリハーサルです。そこでは、たびたびその「ベルリン・フィル」が登場していましたね。つまり、音楽は指揮者ではなく、あくまで演奏家自身が作るものだ、というのですね。ベルリン・フィルなどは、そういうことが出来ているのだ、ということを、こともあろうにブラームスのフィナーレの変奏の、フルートの大ソロが出てくるところを「教材」にしてやり始めたのですから、大変です。ここは、「ソロ・フルート」と、「オケ全体」とのやり取りなのだそうです。すべての(と言っても、編成は少なめですが)オケは、フルート1本を相手にして、お互いを聴きあってアンサンブルしなさい、ということで、本当に指揮をしないで、我々だけで演奏させられたりしましたよ。これはものすごいプレッシャーですよね。オケには「いい音で」と要求しています。当然、私にもそれに見合うだけの「いい音」が要求されるのですからね。もしかしたら、末廣さんは本番でもここでは指揮をしなかったりするかもしれませんよ。なんせ、彼は「カルメン」の「間奏曲」で、ハープの前奏が終わって私のソロが始まったら、指揮をやめてしまったという「前科」があるのですからね。
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 そこで、オーボエのIさんから、トラでオーボエ・ダモーレを吹く東京のアマオケの演奏会のチラシをもらいました。なんでも、被災地の石巻市民交響楽団からもトラが参加、その中にニューフィルの団員もいるのですね。さらに、石巻のメンバーによる室内楽が、開演前にロビーで演奏されるのだそうです。実は、そんな話を前に聞いていて、そのメンバーの中に、知り合いのフルートのKさんもいたのですね。なんだか、聴きに行きたくなってしまいましたよ。東京まで。
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by jurassic_oyaji | 2011-09-25 20:35 | 禁断 | Comments(0)
Sing Freedom
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Craig Hella Johnson/
Conspirare
HARMONIA MUNDI/HMU 807525(hybrid SACD)




アメリカのプロの合唱団「コンスピラーレ」の最新アルバムです。サブタイトルには「African American Spirituals」とありますが、これは、かつては「Negro Spirituals」と呼ばれていたカテゴリーのことです。「ニグロ」というのは、もはや使ってはいけない言葉なのでしょうね。サンマもダメですか?(それは「メグロ」)。ということは、日本語の「黒人霊歌」という訳語も、今では「アフリカ系アメリカ人霊歌」みたいに変わってしまっているのでしょうか。しかし、この「黒人霊歌」という言葉は日本人の中にはしっかり定着していて、この字面を見ただけでその音楽が表現している「アフリカ系アメリカ人」の祖先たちの悲惨な思いをイメージできてしまうほどのものになっているはずです。言葉とは、そういうものです。嬉しいことに、「アフリカ系アメリカ人霊歌」でネット検索してみても、この言葉自体は全く引っかかりませんでしたから、まだこんな変な日本語は広まってはいないようですね。まずは一安心、この美しい言葉が、むりやり「ロマ音楽」に変えられてしまった「ジプシー音楽」の二の舞にならないことを祈るのみです。
2、3のオリジナル曲も入っていますが、ここに集められたものは、そんな「黒人霊歌」の定番とも言える懐かしいものが多くなっています。しかも、ウィリアム・ドーソンやロバート・ショーのような、まさに「古典」と言っても構わない編曲がそのまま歌われているのには、さらに懐かしさも募ります。もちろん、それだけではなく、指揮者のクレイグ・ヘラ・ジョンソンや、最近の作曲家による編曲もあって、これが単なる回顧趣味には終わっていないことも明らかです。
さらに、「昔」の編曲でも、大胆な解釈で全く違う顔を見せているのですから、驚かされます。それは、ドーソンが編曲した「Soon Ah Will Be Done」。Aメロである「もうすぐ、世の中の辛いことは終わる」という歌詞の部分は、たとえば古のロジェ・ワーグナー合唱団の「模範的」な演奏では(ちなみに、1992年にリイシューされた国内盤では、タイトルは堂々と「黒人霊歌集」となっていました)、極めて緊張感のあるリズミカルな歌い方(ドーソンの編曲に手を入れて、さらにリズムを強調しています)で、あたかも「勇気」が与えられるかのようなメッセージを伝えていたものでした。ところが、このアルバムでのコンスピラーレときたら、同じ部分がなんとも悲しげで弱々しい歌い方になっています。それは、あたかも「辛いことが終わるなんて、未来永劫あり得ない」というやりきれなさのように聴こえてきます。ですから、Bメロの「私のイエスに会いたい!」という叫びは、とてつもない現実感(捨て鉢とも言う)を持つことになります。
そんな、ある意味「醒めた」表現は、例えばデイヴィッド・ラングが編曲した、まるで点描画のような「Oh Graveyard」や、タリク・オレガンが編曲したクラスターずくめの「Swing Low, Sweet Chariot」のような、いかにもミニマル風の仕上がりを持った作品で威力を発揮することになります。
ところが、そんな、ちょっと「ひねった」扱いは、どうも彼らの本来の姿ではなかったようですね。大半の曲では、昔ながらの朗々と思いの丈を歌い上げるといった「正統的」な演奏に終始しているのは、予想されたこととは言えあまりにもベタで、好きになれません。まあ、それが彼らの「地」なのだ、と言われればそれまでなのですが。
そんな、過剰な思い入れをさらに鬱陶しいものにしているのが、ここでの録音です。確か、前のアルバムでもSACDにもかかわらず、その雑な録音にはちょっと嫌悪感を持ったものですが、今回は別のエンジニアなのに全く同じ傾向の録音になっています。プロデューサーは同じなので、おそらく彼の趣味が反映しているのでしょうね。

SACD Artwork © Harmonia Mundi USA
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by jurassic_oyaji | 2011-09-24 21:22 | 合唱 | Comments(0)
A CAPELLA
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The Singers Unlimited
MPS/UCCU-6087




「シンガーズ・アンリミテッド」1971年のセカンド・アルバム「ア・カペラ」は、ことあるごとにCD化されていますが、その最新盤が、素材にこだわったSHM-CD、さらにルビジウム・クロック・カッティングという最新技術が駆使されているという謳い文句でリリースされました。最近のマスタリングはまさに日進月歩ですから、昔買ったCDと比べるとどの程度「進歩」しているのか確かめるために、これは聴いてみなければ。なんたって、このアルバムはLPで出たものは耳にタコが出来るほど聴いているという、ある意味「標準サンプル」ですから、聴き比べにはもってこいです。
昔の話ですが、CDが最初に発売された1982年に、たしかポリグラムからの輸入盤の第1回目のラインナップに入っていたのが、このアルバムだったはずです。それだけ、オーディオ的に評価されていたのですね。というか、その頃はまだCDが広まるかどうかなど全く分からない状態だったのですが、このアルバムがCDになるのなら、将来は明るいな、と思った記憶があります。そこで、まだまわりでは誰も持っていなかったCDプレーヤーを、いち早く「のだや」で買ったのだ。その足で「ヤマハ」に行って、最初に買ったCDがこれでした。確か、値段は3800円だったような気がします。同じ輸入盤でも、クラシックは4200円だったんですよね。
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(815 671-2)

ジャケットも、CD独自のデザインを模索していたのでしょう、LPのジャケットを忠実に縮小した今回のユニバーサル盤とは微妙に異なっていますね。
実はその後、1997年に、オリジナル・アルバムのプロデューサー、ハンス・ゲオルク・ブルンナー・シュヴェアのマスタリングによって、「クリスマス」というタイトルを除く彼らのアルバム全14枚を7枚のCDに収めたボックスがリリースされています。
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(539 130-2)

豪華ブックレットには、LPのジャケットが全て掲載されています。
そして、今回のユニバーサル盤となるわけです。ただ、ここにはマスタリングに関するクレジットはなにもありません。いくらなんでも、最初のポリグラムのマスターと同じものではなく、ある時期にそれなりのテクノロジーを使って新しくマスタリングされたものなのでしょう。
というわけで、お待ちかね、この3種類のCDの聴き比べです。予想通り、これらは全く異なる音でした。ポリグラム盤は、まずレベル(「音圧」ですね)がかなり低めなのは、まだ創生期でマスタリングのノウハウが確立されていない時期だったせいなのでしょう。とにかく単にA/D変換を行っただけという感じで、かなり鋭い音、本当は溶け合っていて欲しい実際の声と残響成分が完全に分離して聴こえてしまいます。買った当時は「さすがCD」という気がしたものですが、今聴き直すとかなり雑な音に感じられます。
ボックスは、今のCDと同じ程度のレベルなのですが、悪い意味でのマスタリングの弊害がもろに出ています。おそらくリミッターをかけているのでしょう、1曲目「Both Sides Now」の途中で編成が大きくなるところで、急にレベルが下がっています。音も全体的に平板で、なんとも「守り」に走ってしまっているという感じがしてなりません(言ってみれば、杉本一家さんあたりのマスタリングが「攻め」なのでしょう)。
結果的には、今回のユニバーサル盤が、3つの中では最も成功したマスタリングなのではないでしょうか。かなりLPに近い瑞々しさが再現されていますし、何よりもメンバー一人一人が立体的に浮き上がって聴こえてくるのは見事です。5曲目の「Michelle」は、LPではA面の最後だったので、後半に出てくるドン・シェルトンのソロが内周歪みでひどい音だった記憶があるのですが、このCDを聴いて初めて彼の声の素晴らしさを体験できました。
とは言っても、やはりLPの最外周の音に比べると、まだまだ不満は残ります。それはCDの限界、全15枚のアルバムがSACD化される日を、首を長くして待ちたいところです。ESOTERICあたりで、やりませんか?

CD Artwork © Universal Classics & Jazz Germany
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by jurassic_oyaji | 2011-09-22 22:40 | 合唱 | Comments(2)
MOZART/Requiem
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Elizabeth Watts(Sop), Phyllis Pancella(MS)
Andrew Kennedy(Ten), Eric Owens(Bas)
Harry Christophers/
Handel and Haydn Society
CORO/COR16093




200年近くの歴史を誇るアメリカの演奏団体「ヘンデル・ハイドン協会」は、その名の通り、バロックや古典派の宗教作品のアメリカ初演を数多く手がけてきたそうです。「メサイア」や「天地創造」、そしてバッハの「ロ短調」や「マタイ」はもとより、なんとヴェルディの「レクイエム」でさえここが初演しているというのですから、その由緒の正しさといったらハンパではありません。おそらく、200年の間には、その時々に「オーセンティック」と考えられていた演奏法を採用していたのでしょうから、そんな演奏様式に関しても一つの団体でありながら多くの変遷を経てきた歴史があるのでしょうね。
そして、「現代」に於いては、当然「HIP」が追求されていることでしょう。いや、別に「おしり」を追いかけるといったような怪しい行動ではありませんし、決して「ヒップ・ホップ」でもあり得ません。これは「Historically Informed Performance」を略したもの、最近の「オーセンティック」業界の合い言葉です。つまり、歴史的な情報の裏付けのある演奏、そのためには楽器も楽譜も、そして演奏法も「歴史」から学ばなければなりません。
そう思って、このCDのブックレットにある写真を見てみると、チェロにはエンドピンがありますし、ヴァイオリンの指板も「歴史的」に見たらずいぶん長目の楽器を使っているようですが、まあ、その辺は色々と事情があるのでしょう。とりあえずピッチは「歴史的」ですし、フレージングなども「歴史的」っぽいので、いいんじゃないですか。ただ、声楽陣は、どうも「歴史的」にはほど遠い、ちょっと頑張りすぎた歌い方なのは、気に入りません。ま、趣味の問題でしょうが。
「頑張る」といえば、この演奏がボストンのシンフォニー・ホールで行われたのが2011年の4月29日と5月1日というのが、ちょっと気になるところです。もちろんまだおぼえているでしょうが、この1ヶ月半ほど前に、日本では多くの人がとんでもない惨事に巻き込まれていました。おそらく、国内ではまともなコンサートなどはほとんど開かれてはいなかったのではないでしょうか。開かれたとしても、それは「復興支援」とか「チャリティ」といった「枕詞」が必ずついたものだったはずです。
これはもう、世界中の人にショックを与えた出来事だったような記憶があります。とりあえず「支援」を表明したり、力強い言葉で「励まし」てくれた人も多かったことでしょう。しばらくすると、今度は放射能汚染を嫌がって日本には来たがらなくなった人が現れたりもしましたが(特にオペラ関係)、良きにつけ悪しきにつけ、人間の心は正直なことを実感することになるのです。
そんな「正直」な人のたくさんいるアメリカのことですから、そこで「レクイエム」を演奏したとしたら、当然何らかの思いが込められるのだろう、と、だれしもが思うはずです。そんなことは、このCDでは一言も触れられてはいませんが、この「頑張った」歌い方は、間違いなくそんな熱い思いを演奏に込めたものだという気がしてたまりません。あなたたちが立ち直るために、私たちも、せめて音楽を通して、頑張ることを伝えたい、そんなメッセージがやかましいほど伝わってくるのですね。「Lacrimosa」あたりが、その極致でしょうか、ひっそりと穏やかに始まるかに見せて、最後にはこれでもかという「絶叫」で思いの丈を届けた気になっているのですから、たまりません。そういう「真心」は、「偽善」と紙一重と思われても仕方がありません。
そのあとに演奏されているのが、モーツァルトのコントラバスのオブリガート付きという珍しいバスのアリアです。決してヘタな奏者ではないのでしょうが、楽器の限界を超えたところへの挑戦は、笑いを誘うものでしかありません。あれだけ熱く「鎮魂」を語ったあとでの、この落差、やはり、彼らは「ニホンの震災」のことなどは、なにも考えていなかったのかもしれません。

CD Artwork © The Sixteen Productions
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by jurassic_oyaji | 2011-09-20 23:06 | 合唱 | Comments(0)
Works for Pedal Piano
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Olivier Latry(Pedal Piano)
NAÏVE/V 5278




「ペダル・ピアノ」という楽器をご存じでしょうか。1位になった時にもらえるピアノじゃないですよ(それは「メダル・ピアノ」)。その名の通り、「足鍵盤(ペダル)」がついたピアノのことです。オルガンと同じように、右手と左手、そして足によってそれぞれ鍵盤を操作して音楽を奏でるという楽器ですね。バッハの時代あたりでも「ペダル・チェンバロ」とか「ペダル・クラヴィコード」という、やはりペダルを付け足した鍵盤楽器はあったそうです。さらに、モーツァルトの時代でも、ピアノのアクションを用いた同じような「ペダル付き」は存在していたそうなのです。ただ、これらの楽器は、あくまでオルガンの練習用としての用途がメインだったようですね。確かに、教会にしかない大きなオルガンはそうそう練習に使うわけにはいきませんから、その様な「代用品」は必要だったのでしょう。
しかし、19世紀の中頃に、この楽器を特定して作曲を行った作曲家が現れます。同時に、ピアノ制作者も、きちんとした楽器を製造するようになりました。しかし、そんな「ブーム」は長続きすることはなく、いつしかこの楽器は忘れ去られて博物館の棚の中に眠ってしまうことになります。そんなペダル・ピアノの一つ、1853年にエラールによって作られ、作曲家のアルカンが愛用したシリアル・ナンバーが24598という楽器が2009年に修復されて、この録音に使われました。
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ご覧のように、ペダル専用の弦が入ったユニットが取りつけられた楽器ですが、オルガンのペダルのように手鍵盤の1オクターブ下の音が出せるわけではなく、最低音は普通のピアノの最低音と同じです。そこから2オクターブ半の音域をカバーしています。
この楽器のための曲を、積極的に作ろうとした最初の人が、アレクサンドル・ピエール・フランソワ・ボエリという、フランスの作曲家です。全く聞いたことのない作曲家ですが、ここで演奏されている5曲の中では、「ファンタジーとフーガ」が、まさにこの楽器ならではの対位法の扱いで、新鮮な驚きを与えてくれます。ただ、その他の曲は、曲そのものが凡庸で、特に魅力は感じられません。
ブラームスの若いころの作品、ト短調の「プレリュードとフーガ」は、この作曲家のバッハへの思いがまざまざと感じられる、とてもロマン派とは思えないような曲です。というか、もはや殆どバッハのパクリにしか聴こえません。フーガの最後もピカルディ終止になってますし。ただ、そのフーガのテーマが、途中で「2音3連」になっているあたりが、いかにもブラームスらしい個性の表れでしょうか。
シューマンの「4つのスケッチ」という曲も、ペダル・ピアノのためのオリジナルの作品です。特にペダルを強調したという使い方ではなく、同時に広い音域を使うという、いわば「連弾」を一人でやっているようなメリットが感じられます。
この楽器の持ち主だったアルカンの曲は、もっとペダルの効果を派手に見せつけるものでした。カプラーのようなものが付いているのか、手鍵盤の左手の音域とのユニゾンが、とてつもない迫力で、まさにこの楽器のアイデンティティを主張しているものでした。
リストの2つの作品は、それぞれ対照的なアプローチで、この楽器の魅力を引き出しています。「システィナ礼拝堂の祈り」というしっとりとした曲では、この場所にゆかりのアレグリの「ミセレレ」がサンプリングされているそうなのですが、それは言われなければ分からないほどの使い方でした。もう1曲の引用、この場所でその曲を「聴音」してしまったというモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」は、恥かしいほどそのまんまですが。そして、オルガン曲としてはさんざん聴いたことのある「B-A-C-Hによるプレリュードとフーガ」は、ピアノならではの激しいアタックで、決してオルガンでは表現できないような世界を見せてくれています。きっと、リストがラトリーに憑依して、この曲の本来の魅力を伝えてくれたのでしょう。

CD Artwork c Naïve
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by jurassic_oyaji | 2011-09-18 22:58 | ピアノ | Comments(0)
ROTA/Opere per flauto
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Roberto Fabbriciani, Luisella Botteon(Fl)
Massimiliano Damerini(Pf)
TACTUS/TC 911801




映画音楽で知られるイタリアの作曲家ニーノ・ロータについては、最近では「20世紀のクラシック作曲者」という言い方が定着しつつあります。それまで彼の本業のように思われていた「映画音楽」は、あくまでサイド・ビジネスだった、というようなスタンスですね。ロータ自身がそう言っているのですから実際にそうなのでしょうが、彼の場合は、そもそも「クラシック」と「映画音楽」を分けて考えることには、なんの意味もないような気がします。
以前の「ピアノ協奏曲」と同じように、このフルート・アルバムでも、そんな、至ってキャッチーな音楽が聴かれます。「5つのやさしい小品」は、まさにタイトルのまんま、まるで民謡のような素朴なメロディが紡がれています。フルート2本のための「3つの小品」も、素朴さという点では負けてはいません。「古いカリヨン」、「古いロマンス」、「古い糸車」という、それぞれに1分足らずの曲が、2本のフルートの掛け合いで楽しめます。
唯一「大きな」曲である「ソナタ」は、3楽章形式の、それこそ18世紀のイタリアの協奏曲のようなテイストを持っています。それは、とても20世紀に作られたとは思えないほどの、懐かしさを持ったものです。
そして、最後には彼の「ヒット曲」が7曲も。「ゴッドファーザーの愛のテーマ」、「山猫」、「8 1/2」と、これこそは映画を通して耳に親しんだメロディのオンパレードです。
ジャケットの表示によれば、これらの曲は全て「世界初録音」なのだそうです。確かに、ここで演奏されているフルートとピアノのための「ソナタ」というのは、初めて聴きました。同じ「ソナタ」でも、フルートとハープのためのものは録音もいくらかありますが、これは間違いなく「世界初録音」でしょう。なんせ、この曲は元々はヴァイオリンとピアノのためのソナタ、それを、作曲家自身が、ここで演奏しているフルーティスト、ロベルト・ファブリッチアーニのために編曲を許した、というものなのですからね。彼が録音しなければ、そもそも音にはならないものでした。
その他にも、やはりファブリッチアーニに託された自筆稿しか存在せず、まだ出版はされていない「Allegro veloce」も、他の人が演奏するのは不可能だったでしょうから、同じく「初録音」のはずです。
もっとも、最後に収録されている「映画音楽集」などは、「初録音」というのはちょっと無理があるような気がしますがね。ただ、特に変わった編曲ではありませんが、もしかしたらこの楽譜できちんと録音されたのはこれが初めてだったのかも。
いずれにしても、これらの曲はファブリッチアーニだからこそ録音できたものなのでしょう。それだけ、作曲家からの信頼も得ていた、ということになりますね。しかし、ここで聴かれる彼のフルートの音は、なんともひどいものでした。以前チアルディの協奏曲を聴いた時には、録音のせいなのかな、と思っていたのですが、今回もその時と全く同じ、低音はそこそこ鳴っているのに、中音や高音がとても無理をして出しているのがありありとうかがえて、聴いていて辛くなってしまうほどなのですよ。こんな「プロ」の演奏家に対してあまりにも不遜なのは重々承知の上で言わせてもらえば、彼のフルートは「基本が全く出来ていない」のですね。それは、まるでこの楽器を習い始めたばかりの初心者のようにしか聞こえません。これでは「クラシック」を演奏することは出来ません。
「現代音楽」のスペシャリストとして有名な、ハンガリーのイシュトヴァン・マトゥスも、こんな音だったことを思い出しました。ロータの音楽は「クラシック」ではあっても決して「現代音楽」ではないことが、こんなことからも分かります。
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もしかしたら、ファブリッチアーニは、こんな曲がった楽器を使っているから、ヘンな音なのかも。修正なんかしてませんよ。消臭はしてますが(それは「ファブリーズ」)。

CD Artwork © Tactus s.a.s. di Serafino Rossi & C.
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by jurassic_oyaji | 2011-09-16 19:53 | フルート | Comments(0)
MOZART/Sämtliche Messen
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Soloists
Christoph Lehmann(Org)
Peter Neumann/
Kölner Kammerchor
Collegium Cartusianum
EMI/0 28458 2




今や、CD業界はBOXセットの叩き売り状態がおおはやり。以前は専門の廉価レーベルの得意技だったものが、メジャー・レーベルの世界にまで押し寄せてしまっています。いや、本当はメジャー・レーベルだから、というべきなのでしょうか。なにしろもはやクラシックの新録音などはほとんど手を付けなくなってしまったこれらの大レーベルは、減価償却の終わった膨大なカタログをまとめて安売りする以外に、利益を上げる方策をなくしてしまったのですからね。あるいは、これはCDというパッケージ・メディアがなくなってしまう前兆なのかもしれませんよ。実際にそうなる前に、売れるものならなんでも安く売ってしまおうというのが、実はメジャー・レーベルの本音だったりしますからね。もはや船は沈みかけています。それを察知して逃げ出すネズミたちが、このBOXたちなのですよ。ですから「消費者」としては、いくら安いからといって、有頂天になっていてはいけません。
と言いつつも、前から欲しかったものが安く手にはいるとあれば、これは買ってしまおうと思ってしまうのが、「消費者」の弱いところです。こんな、ペーター・ノイマンのドイツEMI(かつてのElectrolaですね)での録音がまとめて出てしまえば、つい手が伸びてしまいます。
これは、「没後200年」に向けて、1988年から1991年にかけて録音された、モーツァルトが作った「ミサ曲」が全部+アルファという全集です。オーケストラはピリオド楽器による団体ですね。「アルファ」の中には、もちろん「レクイエム」も含まれますし、「Exsultate, jubilate」や「Ave verum corpus」といったモテットも入っています。さらに嬉しいのは、オーケストラとオルガンのための「教会ソナタ」が、ミサの間に演奏されていることです。これは全く予想していなかっただけに、喜びもひとしお。ノイマンという人は、指揮者であると同時にオルガニストですから(ガストン・リテーズに師事しています)、こういうアイディアが自然に出てきたのでしょう。
まさに、実際の礼拝を再現したかのように、「Gloria」と「Credo」の間で演奏される「教会ソナタ」、ここでのオルガンはごくごく控えめに演奏されています。というより、楽器自体が教会備え付けの「大オルガン」ではなく、ポジティーフのような小さなものなのでしょう、かわいらしいストップによって、この曲は今まで抱いていたイメージとはちょっと違った姿を見せています。こちらの方が、「大オルガン」より数段魅力的。
お目当ての「レクイエム」は、ジュスマイヤー版で演奏されていますが、「ところどころに、ノイマンによる訂正がある」という注釈がついています。同じように、「ハ短調ミサ」では、「ランドン版に、ところどころノイマンによる訂正」ですから、彼には確固たるこだわりがあったのでしょう。もっとも、聴いただけではどこを「訂正」したのかは分かりませんでしたが。そういえばバッハの「ヨハネ受難曲」の第2稿を、最初に全曲録音したのはノイマンでしたね。
ノイマンはチェリビダッケに私淑していたといいますが、確かにそれも頷けるような、遅めのテンポから繰り出す雄大な音楽は、なにか深いところで共感を呼ぶようなしっかりとした主張を持ったものでした。合唱は特別うまいというわけではないのですが、あくまで音楽に奉仕するという謙虚な姿勢が、心地よく感じられます。
ソリストたちは、有名、無名のそれぞれ力のある人ばかりです。中でも声自体にインパクトがあって思わず惹かれてしまったのは、「ハ短調」の「Laudamus te」や「Exsultate~」を歌っていたモニカ・フリンマーです。ちょっと暗めの声がとても存在感があり、それでメリスマを軽々と決めるのですから、見事としか言いようがありません。身持ちの悪さは、勘弁してやりましょう(「不倫っ!まあ!」)。

CD Artwork © EMI Music Germany GmbH & Co. KG
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by jurassic_oyaji | 2011-09-14 19:59 | 合唱 | Comments(0)