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HOLST/The Planets, WILLIAMS/Star Wars Suite
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Zubin Mehta/
Los Angeles Master Chorale
Los Angeles Philharmonic Orchestra
DECCA/478 3358




「宇宙」をあらわす時にシュトラウスの「ツァラトゥストラ」のファンファーレを使うのはもうすっかり常套手段になっています。これはもちろんスタンリー・キューブリックの「2001年」のサントラ(だけ)がすっかり浸透したおかげなのでしょう。最近ではもう一人の「シュトラウス」のワルツ「青きドナウ」までも、やはりこの映画のせいでちゃっかり「宇宙」のイメージを持つ曲の仲間入りを果たしてしまったようですね。最初に映画でこのシーンの音楽を聴いた時には「なんとミスマッチ、どなうことか」と思ったものですが、月日を重ねた刷りこみというのは恐ろしいものです。クラシック音楽は、こんなところから「身近」に感じられるようになるものなのでしょう。
それから10年経って作られたジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ」の音楽は、「2001年」とは別の意味で「クラシック音楽」とのかかわりを示していました。ジョン・ウィリアムズがこの映画のために書き上げたスコアは、それまでの映画音楽とは全く異なる、まさに「クラシック音楽」風の「シンフォニック」な響きを持っていたのです。いや、正確には「それまで」以前、20世紀半ばごろまではハリウッドでは確かに鳴り響いていたはずの、エーリッヒ・コルンゴルトなどによってヨーロッパからもたらされたロマン派の薫り高い「クラシック音楽」風の映画音楽が、この映画によって再びサウンドトラックの第一線に躍り出た、と言うべきなのかもしれません。
そんな、クラシック度満載の映画音楽を、さらにグレードアップして本物の「クラシック音楽」にしてしまったのが、ズービン・メータの依頼によって、当時の彼の手兵LAフィルが演奏するために再構築されたこの「スター・ウォーズ組曲」です。それは、映画が公開されたのと同じ1977年に、DECCAのエンジニア、ジェームズ・ロックによって、まさに「デッカ・サウンド」そのものの「クラシック音楽」として録音されました。
CD時代に入ると、この組曲は、同じ「宇宙」を扱った正真正銘の「クラシック音楽」である、ホルストの「惑星」(これは「究極の名録音」を集めた本の中でも取り上げられた、やはりジェームズ・ロックが1971年に行った名録音です)とのカップリングでリリースされるようになりました。
そして、今回、一連のユニバーサルのバジェット・シリーズの一環として、このカップリングがリイシューされた時には、「スター・ウォーズ組曲」からは、メータたちのオーケストラの演奏ではなかったバンド・ナンバーがカットされていました。これにより、アルバム全体としてはより「クラシック度」が上がった結果、この2曲がまるでひと固まりの組曲として作られたかのように思えてしまうようになっていました。演奏されているのは「惑星」の方が先ですから、「海王星」の後半に登場する神秘的な合唱が見せる、まさに絶妙のフェイド・アウト(もちろん、これは録音エンジニアの功績です)は、「スター・ウォーズ」のファンファーレを呼びだす、まさに「必然」として感じられてしまうのですね。さらに注意深く聴けば、その「メイン・タイトル」の途中には「火星」のエンディングと全く同じ音楽が現れることに気づくはずですし、続く「レイア姫のテーマ」冒頭のホルン・ソロは、「金星」の冒頭の雰囲気に酷似していることにも、やはり気づくことでしょう。
もちろん、ここで言う「スター・ウォーズ」とは、今では「エピソード4」として知られている、このシリーズの第1作のことです。したがって、「帝国のテーマ」とも言われる「ダース・ベイダーのテーマ」は出ては来ません。これは非常に残念なことです。このテーマが入っていさえすれば、その、まさに「火星」の冒頭のような音楽によって、「惑星」との密着度はより上がったことでしょうに。

CD Artwork © Decca Music Group Limited
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by jurassic_oyaji | 2011-11-29 23:20 | オーケストラ | Comments(0)
指揮者の役割/ヨーロッパ三大オーケストラ物語
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中野雄著
新潮社刊(新潮選書)
ISBN978-4-10-603688-0



著者の中野さんは、かつてはオーディオ・メーカーの「トリオ」(現ケンウッド)の社長をなさっていた方ですね。彼のお宅のハイレベルなオーディオ・システムも、よく雑誌などに取り上げられていたはずです。なんせ、オーディオ・メーカーのトップなのですから、当然のことなのかもしれませんが、中野さんはクラシック音楽についてもハイレベルのところで接していたような印象がありました。
そんな方の書かれた、世界屈指のオーケストラと指揮者、あるいは団員とのお話は、ただの「音楽評論家」や、ましてや「ライター」の手になる同じような書物とは、比較にならないほどのリアリティにあふれるものでした。登場する人物のインタビューにしても、それはよくあるおざなりなものではなく、まさに「友人」としての親密さで語られているものでした。何よりも、長く音楽を愛し、さらには音楽業界に身を置いたことで培われた著者の確かな審美眼には惹きつけられるものあります。
登場するオーケストラは、ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、そしてロイヤル・コンセルトヘボーの3つです。それぞれに1つの章があてがわれて、全く異なる切り口でそれぞれのオーケストラと指揮者の関係が語られます。
ウィーン・フィルの場合は、まず、そのオーケストラのメンバーによって作られた室内楽団を引き合いに出すことで、オーケストラ全体が一つの「室内楽」であることが強調されています。極論すれば、「指揮者を必要としないオーケストラ」という捉え方でしょうか。ですから、ここでは指揮者にとってはかなり「おっかない」エピソードが数多く登場します。「ある程度名のあるフランス人指揮者」の場合は、コンサートマスターの機嫌を損ねたために、「カルメン」を演奏している間中アンサンブルを微妙にずらすという「いじめ」を受けて、最後には指揮をしながら泣き出したのだそうですよ。某「小澤」に対しても、必ずしもこのオーケストラとの相性がよくないという雰囲気は、多くの団員の証言から分かるようになっています。例の「ニューイヤー」の舞台裏はさんざんだったようですね。初めて知ったのですが、フォルクス・オーパーにはトヨタがかなりの資金援助をしているのですね。「小澤のニューイヤー」がその見返りだったのかも、というような「風評」も、納得できてしまいます。
ベルリン・フィルの場合は、ほとんど「カラヤン論」に終始しているような印象を受けます。ここでの著者のスタンスは、カラヤンに対してあくまで客観的に接しているもののように見えます。「終身」だったはずのベルリン・フィル常任指揮者の地位を奪われる経緯には、もっぱら経営者としての厳しい視点が感じられます。ちなみに、このオーケストラがクリュタンスと最初に録音したベートーヴェン交響曲全集を「モノラル盤」としていますが、これは著者の勘違いでしょう。確かに一部モノラルのテイクものらるようですが、全集には全てステレオ録音のものが入っていたはずです。
コンセルトヘボーでは、今度はコンサートマスターが主役です。著者とは50年来の友人というヘルマン・クレッバースの話を中心に、このオーケストラの歴史がまるで見てきたようにいきいきと語られています。
最後に「よい指揮者」についての1章が加わります。そこで紹介される、著者が「たまたま」遭遇したという某美人女性指揮者(誰だかはすぐ分かります)のリハーサルの現場は、いとも生々しいものでした。稚拙な指揮ぶりの指揮者に対して、管楽器奏者が罵声を浴びせていたのですね。人気があっても実力のない指揮者を、オーケストラの団員はすぐ見破ってしまうのでしょう。本番は、誰も指揮者を見ないで、きちんと演奏したのだそうです。日本のオーケストラも「おっかない」ものですね。

Book Artwork © Shinchosha
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by jurassic_oyaji | 2011-11-27 19:44 | 書籍 | Comments(0)
WEINBERG/Requiem
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Elena Kelessidi(Sop)
Vladimir Fedoseyev/
Wiener Sängerknaben, Prague Philharmonic Choir
Wiener Symphoniker
NEOS/NEOS 11127(hybrid SACD)




この前協奏曲のSACDを聴いて、かなりの親近感をおぼえた作曲家、ワインベルクは、「レクイエム」も作っていたのですね。その最新の録音が出たというのですから、これは聴かないわけにはいきません。なんといっても、この作品が初演されたのはほんの2年前、2009年の11月ということですから、まだまだ新鮮です。
そんな最近の初演だからといって、ワインベルクがこの「レクイエム」を作ったのは彼の晩年ではなく、ずっと昔、1965年から1967年にかけてのことでした。彼の友人ショスタコーヴィチから、1962年に作られたブリテンの「戦争レクイエム」を聴くことを勧められ、この作品に対する「返事」となるようなものを作ろうとしたのがきっかけなのだそうです。しかし、なぜかその楽譜は彼のデスクの引き出しの奥に仕舞いこまれてしまい、死後13年も経ってから、やっと初演されたのだということです。
このSACDは、初演の翌年、ブレゲンツ音楽祭でのワインベルク作品の集中演奏の際に演奏されたもののうちの一つです。他の作品も、同じレーベルからシリーズでリリースされています。なによりも、すべてSACDであるのがとても大きなメリットですね。最近は、CDの音がとても貧しく感じられて仕方がありません。
初めて耳にしたワインベルクの「レクイエム」が、そんな、とても良い音だったのは、とても幸せなことでした。この曲の編成はオーケストラにソプラノ・ソロと児童合唱、混声合唱が入るという大きなものなのですが、それらが一斉に鳴り響くという場面は意外と少なく、ほんの少しの楽器だけで演奏される部分がかなりを占めています。そんな繊細さから、トゥッティによる大音量まで、なんのストレスもなく味わえるのですからね。特に、ふつうはあまり用いられることのないチェンバロ(モダン・チェンバロでしょうね)やマンドリンといったか細い音の楽器が、ライブ録音にもかかわらずしっかり聴こえてくるのは、ありがたいことです。
声楽パートのテキストには、ブリテンの作品のように、現代の詩人によるものが使われています。ただ、ブリテンにあった本来の「レクイエム」のラテン語の歌詞は全くありません。ロシア人の他に、スペイン人のフェデリコ・ガルシア・ロルカやアメリカ人のサラ・ティースデイル、そして日本人の深川宗俊といった各国の詩人(歌人)の詩が、全てロシア語(たぶん)に翻訳されて歌われています。なぜか、このパッケージにはそれらの原詩はおろか、対訳すらも掲載されていないので、その内容を知ることは、ロシア語(たぶん)が聴き取れる人に限られる、というのが、このSACDの最大の汚点でしょう。この作品でのテキストは、たとえ当時の「ソ連」の体制の中であっても、かなりの主張が込められているものですから、それんはぜひ知っておきたいものでした。
ただ、テキストの意味を剥奪された、かなり情緒的な印象しか受け取れないにもかかわらず、全体の三分の一を占める長さの4曲目、深川宗俊のテキストによる「広島の短歌」というタイトルの部分からは、なにかしっとりとしたメッセージを受け取れたような気がします。最初の部分はほのかなビブラフォンをバックにフルートやマンドリンのソロが奏でられるなかで、静かに合唱が歌うという情景、フルートは尺八、マンドリンは箏の模倣でしょうか。そのフルートが、一転バスドラムに乗って行進曲風のフレーズを吹き出すと、合唱は無調風の不安なものに変わります。クライマックスは、ア・カペラで朗々と歌い上げられた後に襲ってくる多くの打楽器による「惨事」の描写でしょうか。後半にまた静かな場面が戻ってくるのも印象的です。最後の、ちょっと拙い児童合唱には、癒される思いです。
全体で1時間ほどの長さ、ワインベルクのちょっとニヒルな魅力が満載の「レクイエム」です。

SACD Artwork © NEOS Music GmbH
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by jurassic_oyaji | 2011-11-25 20:22 | 合唱 | Comments(2)
MOZART, SUESSMAYR/Concertos & Quintett for Basset Clarinet
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Luigi Magistrelli(B.Cl)
Italian Classical Consort
GALLO/CD-1353




モーツァルトの晩年の作品、「クラリネット五重奏曲」と「クラリネット協奏曲」は、友人のクラリネット奏者アントン・シュタードラーのために作られたものであることは良く知られています。さらに、最近ではそれらは「クラリネット」ではなく、シュタードラーが開発にかかわった楽器「バセット・クラリネット」で演奏するために作られたことも、ほぼ「常識」となっています。「バセット・クラリネット」というのは胸の谷間で支えて演奏する楽器(それは「バスト・クラリネット」)ではなく、A管のクラリネットの最低音より長三度低い音まで出せるように、管長を伸ばして新たにキーを加えた楽器です(記譜上は最低音が「ミ」だったものが、「ド」まで伸びたということです)。もちろん、モーツァルトはその音域いっぱい、「ド」までの音を使って作曲したのですが、それが出版された時には、そんな特殊な楽器ではなく、ふつうのクラリネットで吹けるようにという営業上の都合で、出版社によって「レ」から下の音が出てくるパッセージがすべて書き換えられてしまいました。そもそも、シュタードラーが使った楽器はそれっきりなくなってしまいましたし、この2曲の自筆稿も消失していたので、後世の演奏家は「クラリネットのために編曲された」協奏曲や五重奏曲をオリジナルだと信じて演奏し続けてきたのですね。
それが、最近の研究によって、この楽器の存在が知られるようになり、楽器も楽譜も復元されてやっと作曲家が書いたとおりの音符が聴けるようになったのは、ご存じの通りです。厳格なピリオド楽器だけではなく、ザビーネ・マイヤーのようなメジャーどころもモダン楽器に手を加えたもので演奏や録音を行っていますから、今ではマニアではなくてもこの楽器は広く知られるようになっているはずです。
このCDも、やはり「モダン」のクラリネット奏者ルイジ・マギステッリが、バセット・クラリネットで演奏したモーツァルトの2つの作品です。さらにもう一つ、ここにはなんと、あのジュスマイヤーが作った「バセット・クラリネット協奏曲」までもが、1楽章だけですが、演奏されていますよ。
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これは、このCDのライナーに載っている、1992年に発見されたという、この楽器の具体的な形状が記された貴重な文献、1794年にシュタードラーがラトヴィアのリガで開催したバセット・クラリネットによるコンサートの広告のコピーです。この中で、モーツァルトの作品と並んで「ジュスマイヤーのクラリネット協奏曲」が曲目となっているのですよ。言ってみれば、このCDはシュタードラーのコンサートを現代に蘇らせたものなのでしょう。
そのジュスマイヤーの協奏曲は、まさに溌剌とした音楽の喜びが満ち溢れたものでした。イントロで単純な三和音のアルペジオが堂々と響き渡るという恥かしさが、すべてを物語っています。時には華麗できらびやかな音形で飾り立て、時にはしっとりと歌い上げるという、どこまで行っても聴く人に楽しんでもらいたいという気持ちがみなぎっているのですね。さらに、途中ではいきなり短調に変わって、それまでと全く違った語り口でさらなる魅力をふりまいていますよ。なんたって、一部の人にはモーツァルトの「レクイエム」の中では最も美しいとさえ言われているあの「Benedictus」を「作曲」した人なのですから、彼の腕は保証付き。そのフレーズはこの楽器のすべての音域をカバーして、しっかりデモンストレーションとしての役割まで完璧に果たしています。
マギステッリの提案で、この協奏曲も、そしてモーツァルトの協奏曲も、オーケストラは各パート一人ずつというコンパクトな編成で演奏されています。たとえばモーツァルトの第1楽章の20小節目などに現れる下降音形に♭がつくという「ムジカ・フィクタ」も難なく処理、彼のバセット・クラリネットは自由な装飾を織り込みつつ、どこまでも軽やかな動きでこの楽器の魅力を存分に振りまいています。

CD Artwork © VDE-Gallo
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by jurassic_oyaji | 2011-11-24 10:29 | 室内楽 | Comments(0)
欠陥サーバー「忍者ツールズ」
 きのうの朝のこと、ニューフィルの本番前の予定が確定したので、公式サイトの日程表を更新しようと思いました。最近は、そんな風になにか変ったことがある時に更新することにしているので、かれこれ3週間ぶりぐらいの更新になります。私が昔からサイト作りに使っているのが「ホームページビルダー」というソフトです。昔IBMのノートパソコンを買った時に付いて来たものを、ずっと使っていますから、バージョンはかなり前のものです。そもそも、今では製造元がIBMではなくジャストシステムズに変わっていますし。もちろん、すべてをHPB任せにしていたのでは、私のサイトは作れませんから、適宜別の画像ソフトや、直接HTMLを書き込むような作業も交えつつ、日々の更新を行っているのですね。中でも、転送は、その日に更新したものを自動的に検出してFTPで転送するという機能が充実していますので、これはとても重宝しています。
 そんなツールで、いつものように日程表を更新、まとめて転送しようとすると、エラーが出て途中で止まってしまいました。これは変ですね。たまに、転送先のサーバーに不具合があって、こんな感じで転送を受け付けない状態になることがありますので、チェックしてみたら、やはりニューフィルと同じフリー・サーバーを使っている「萩」なども、同じように転送が出来なくなっていました。その他のサーバー、たとえばこれがアップされている2つのプロバイダのサーバーや、さらに別のサイトに使っている2つのレンタル・サーバーも何の問題もなかったので、この「忍者ツールズ」というフリー・サーバーだけが何らかの異常を起こしているのは間違いのないことは分かりました。
 そこで、「忍者ツールズ」のサイトで確認してみると、特に障害は起こってはいないようでしたが、ちょっと気になる告知がありました。これは、以前メールで届いていた内容と同じものなのですが、ここが行っているホームページのサービスで、「インフラの変更」がある、というのですよ。要は、サーバーを引っ越すということなのですね。それが、ちょうど今の時期に順次行われていて、私のサイトは既に変更が完了していました。もしかしたら、変更直後のゴタゴタで何かが起こっているのかもしれないと思い、しばらく様子を見ていたのですが、状況は一向に変わりません。FTPがつながらないのですよね。これでは更新は不可能なので、とりあえず、ニューフィルの日程だけは公式掲示板に書き込んでおきました。その時に、ニューフィルのサイトにアクセスしようと思ったら、今度は「Not Found」のエラーが出ています。良く調べてみると、トップページだけがなくなっているみたいなのですね。その下の日程表などはURLを入れてやればちゃんと表示されますから。
 いったい何が起こったのか、「忍者ツールズ」のヘルプのフォームがあったので、聞いてみることにしました。その返事は半日ほどして届きました。それによると、私と同じ「ホームページビルダー」を使っている人から、やはり同じような報告があったというのです。そちらは、転送しようとすると、サーバーにあるそのファイルが削除されてしまうというのですね。これだったんですね。最初の転送の時に、トップページが削除されてしまっていたのでした。そして、「私どもでは手に負えないので、HPBのサポートセンターに問い合わせてください」ですって。これにはあきれましたね。今まで何の問題がなかったし、今でも他のサーバーではきちんと対応できているものが、「インフラの変更」を行ったために問題が生じてしまったのですから、それは100%「忍者ツールズ」の責任なのではないですか。そんな報告があったのであれば、それこそ自分で「サポートセンター」に連絡をとって、自分のところの欠陥を是正しようと務めるのが、まっとうなサーバー管理者の在り方なのではないでしょうかね。
 そもそも、ここは以前から札付きの問題サーバーでした。だいぶ前には「FTP」ではパスワードが盗まれるということで「FTPS」しか対応できないようにしたら、あちこちでトラブルが続発して、結局元に戻していますし、1年ほど前には、勝手に「htaccess.」ファイルを送りこんで、ニューフィルのサイトも一時アクセス不能にさせられてしまったこともあります。とにかく、現実にはわざわざ別のFTPソフトをインストールして、手作業で一つ一つのファイルを転送しなければいけない状態になっていますので、面倒くさくてしょうがありません。この状況を改善するつもりは全くないような感じなので、別のサーバーにサイトを移すことも考えています。ほんと、「忍者ツールズ」は、もう使えません。
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by jurassic_oyaji | 2011-11-22 23:35 | 禁断 | Comments(0)
IM HERBST/Choral Works by Brahms & Schubert
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Grete Pedersen/
Det Norske Solistkor
BIS/SACD-1869(hybrid SACD)




この前のアルバムを聴いた時から、その録音と演奏の素晴らしさを気づかされたペデーシェン指揮のノルウェー・ソリスト合唱団ですが、今回は「秋に」というかつてのアイドル歌手のような(それは「秋な」)タイトルの、同名曲を含むブラームスの合唱曲と、シューベルトの合唱曲を集めたアルバムです。まだギリギリ秋ですから、この、とびきり音のよいSACDで、ちょっと渋めのロマン派の合唱を満喫して頂きましょう。もちろん、演奏も最高のはずです。
音の良さでは定評のあるこのレーベル、クレジットにはエンジニアの名前だけではなく常に録音機材が記載されています。それをチェックしてみると、エンジニアが変わってもマイクからモニター・スピーカーまでほぼ同じ機材を使っていることが分かります。このあたりが、マイナー・レーベルとしてのサウンド・ポリシーを主張できる源なのでしょう。今回は前のアルバムとは全く別の録音スタッフですが、録音会場は同じ教会、機材もDAWが「セコイア」から「プロツールズ」に変わっただけです。それでも、期待通りのとても澄み切った声が聴こえてきましたよ。
裏表紙にあった指揮者のペデーシェンの写真も、少し変わっていました。前作では合唱団の前で指揮をしているところ、ショートカットのヘアスタイルでなにかボーイッシュで若々しいイメージがあったのですが、今回は正面からもろアップのポートレイト、髪は長くなっていますし、どう見てもおばさん顔だったのには、かなりがっかりです。
そんな、ちょっとショッキングな体験のせいでしょうか、最初のブラームスの「ジプシー(ピー!)の歌Op.103」では、ソプラノがなんだかすごく力の入ったきつい声に聴こえてしまって、一瞬別の合唱団なのでは、とさえ思ってしまいましたよ。ピアノ伴奏が入る元気のよい曲ですから、ついコントロールがきかなくなってしまったのでしょうか。
しかし、次の「5つの歌Op.104」になったら、いつものよく溶け合った音色の合唱が戻ってきたので一安心です。この合唱団は無伴奏の方が性に合っているのかもしれませんね。さっきのソプラノはいったい何だったのかと思えるほどの変わりよう、ほんのちょっとしたことで、バランスが崩れてしまうような脆ささえも、チャーミングです。
続いて、シューベルトの作品が歌われます。最初は女声だけで、ピアノ伴奏による「詩篇23」です。これが本来の形なのですが、この曲は男声合唱として歌われることもあります。というか、実際に歌ったことがあるのですが、その際に1年近くかけて積み上げて完成に近づいたと思われたこの曲の姿が、実は完成には程遠いものであったことが、この演奏によって明らかにされてしまいました。ハーモニーやフレージング、そして言葉のニュアンスなど、どれをとってもはるかに魅力的であるだけでなく、それはなんと、男声合唱よりも重みや迫力の点で勝っていたのです。この合唱団の女声は、まさに「男勝り」。
かと思うと、次に、今度は男声だけ、それにヴィオラ、チェロ、コントラバスという低い音域の弦楽器のアンサンブルが加わった、それこそブラームスが好みそうな音色が期待される「水上の精霊たちの歌」では、なんとも明るい響きに仕上がっているではありませんか。テナーの爽やかさといったら、まるで女声のようです。男勝りの女声と、男にしておくのはもったいない男声、もしかしたら、このあたりがこの合唱団のサウンドの秘密なのかもしれませんね。
後半にはまたブラームスが演奏されます。「何ゆえ悩む者に光がOp.74-1」の1曲目で何度も現れる「Warum」という歌詞の繰り返しで見られる極上のディミヌエンド、それが、出てくるたびに全く表情が変わっているというあたりが、今度は彼らの表現力の秘密なのでしょう。やっぱり、この合唱団はうますぎます。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2011-11-21 21:00 | 合唱 | Comments(0)
MOZART/Flötenkonzerte
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Gaby Pas-Van Riet(Fl)
Cristina Bianchi(Hp)
Ruben Gazarian/
Württembergisches Kammerorchester Heilbronn
BAYER/BR 100 374




以前、珍しいロマン派のフルート協奏曲の録音で楽しませてくれたベルギー出身のベテランフルーティスト、ギャビー・パ=ヴァン・リエトの、今回はモーツァルトの協奏曲集です。ソロ・フルートのためのト長調(第1番)とニ長調(第2番)の協奏曲、そして、フルートとハープのための協奏曲が収められています。
とは言っても、同じ時期に全部録音されたのではなく、2008年と2009年に全く別のホールで行われたコンサートのSWRによるライブ録音を集めたものです。お客さんの拍手も入っていますが、それを聴く感じではそれほど広くない、「サロン」程度の大きさの会場のような気がします。オーケストラのメンバーが曲によって異なっているので、ニ長調とフルート&ハープが同じコンサートで演奏されていたことが分かります。ト長調だけ、別の日、別の会場のテイクですね。ただ、この曲の第2楽章だけに出てくるフルート奏者の名前がメンバー表から抜けているのは、単なる手違いでしょう。
そのハイルブロン・ヴュルテンベルク室内管弦楽団というオーケストラは、ゴールウェイのバックで演奏しているCDがたくさんあったので、馴染みがあります。その頃は創立者のイェルク・フェルバーという人が指揮をしていましたが、ここでは2002年から首席指揮者に就任したルーベン・ガザリアンという、まるで池に住む甲殻類(それは「ザリガニマン」)のような名前の若手が指揮にあたっています。
名前のようにまるで怪獣のような顔をした(いいかげん、ザリガニからは離れましょうね)この指揮者は、ちょっと地味目の前任者とは違って、かなり熱い音楽を作る人のようですね。最初のニ長調の協奏曲では、思い切り早めのテンポでまず煽ってきます。これはソリストの納得した速さなのでしょう、彼女はなんなくとても流麗にパッセージを歌っています。最近はモーツァルトをこういう楽器で聴く機会が減っていますが、やはり機能性に長けた、そして華やかな音色のモダン楽器もいいものですね。ただ、ザリガニ男はそんなソロをおとなしく支えるのではなく、なにか対抗意識を持ってやたらとオーケストラを目立たそうとしているように聴こえます。正直、これだけやかましいオーケストラは邪魔ですね。録音的には、ソリストがかなりオンマイクではっきり聴こえるのでそんなに問題はないのですが、演奏している当人はいやがっていたのでは、というのは、あくまで憶測です。
次のフルート&ハープになると、バランスが全く変わってフルートが目立たなくなってしまいました。やはり、若くてかわいいハーピストの方を、エンジニアとしては大事にしたかったのでしょうか。これはこれで、全体がまとまった演奏に聴こえます。この日のカデンツァは、ニ長調の第3楽章だけがドンジョン、その他は自作でしょうか、全く初めて聴いたものばかりでした。
別の日(たぶん)のト長調では、ソリストのバランスはニ長調の時と同じ感じになっていました。別の会場のはずですが全体の響きもほとんど変わっていません。演奏は、ニ長調よりもだいぶ落ち着いたものに仕上がっています。そう感じるのは、この曲で頻繁に登場するフルートの低音を、彼女はそんなに力を入れずにいともあっさり吹いているからなのかもしれません。さらに、カデンツァ(これも自作でしょうか)になったら、今度は低音を意識的に抜いた音色で吹いています。こういう吹き方は、バリバリ吹くのよりもはるかに印象的に聴こえますから、演奏全体もちょっと粋なものに感じられてしまいます。こういう、まるでトラヴェルソのような音色は、もしかしたら録音当時に彼女が首席奏者を務めているオーケストラの指揮者だったノリントンからインスピレーションを与えられたものなのかもしれませんね。もちろん、これも憶測ですが。

CD Artwork © Bayer Records
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by jurassic_oyaji | 2011-11-19 21:09 | フルート | Comments(0)
J.C.BACH/Missa da Reqviem
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Lenneke Ruiten(Sop), Ruth Sandhoff(Alt)
Colin Balzer(Ten), Thomas Bauer(Bas)
Hans-Christoph Rademann/
RIAS Kammerchor
Akademie für Alte Musik Berlin
HARMONIA MUNDI/HMC 902098




大バッハの末子(つまり、P.D.Q.バッハのお兄さん?)ヨハン・クリスティアンのイタリア時代の宗教曲は以前にもご紹介しましたが、それに続いて「レクイエム」の登場です。タイトルの綴りが「Reqviem」などとなっていますが、これは別にミスタッチではありません。そもそも、ラテン語系の言葉には「u」とか「w」といった文字はなかったのですよね。
前回の「晩課詩篇」のライナーでは、作品番号として「Warb」というものが付けられていました。これはアーネスト・ウォーバートンというイギリスの音楽学者によって1985年にまとめられた、ジャンル別の作品番号のことです。「Warb」または「W」のあとに、鍵盤楽器の曲は「A」、室内楽は「B」という風にジャンルを表す記号が付きます。宗教曲は「E」、ですから「WE」のあとに、個別の番号が付くことになります。前回の晩課詩篇は「WE 14」から「WE 22」にあたる作品の中から取り上げられていました。今回の「レクイエム」とカップリングの「ミゼレーレ」は、「WE 11-12」と「WE 10」ということになります。
しかし、今回他のレーベルになってみると、作品番号は「W」ではなく「T」というものに変わっていました。これは困りますね。「WE 10」が「T 207/5」なんてことになっていますよ。これはウォーバートン以前にあった番号で、チャールズ・サンフォード・テリーという人が書いた「John Christian Bach」(1967年第2版)という本のページ数と、そのページの中の項目の番号によって、作品を特定するという、ちょっと変わった番号です。今ではほとんど使われていないようですが、こんなところでお目にかかるとは。出来ればウォーバートンに一本化してもらうよう、六本木あたりで話し合ってもらいたいものです。
作品番号が2つありますが、この「レクイエム」はそれこそ父バッハの「ロ短調ミサ」のように、別の機会に作られた2つの作品をまとめたものです。しかも、それは1757年にミラノで初演された「Dies irae」というタイトルの「Sequenz」(T 202/4=WE 12)と、その翌年の「Introitus & Kyrie」(T208/5=WE 11)だけで、「レクイエム」全体の最初の部分しかありません。結果的に最後の曲が「Lacrimosa」だったなんて、まるでモーツァルトみたいですね。でも、クリスティアンはそこで亡くなったわけではなく、この後はイギリスに渡ってオペラ作曲家としての華々しいキャリアが待っているのですから、未完なのは単に作る必要がなかっただけのことなのでしょう。
この「レクイエム」には、彼がイタリアで学んだイタリア音楽の様式が満載です。「Introitus」は、最初にプレーン・チャントから始まるというのがユニーク、そのあとには、多声部の合唱が、ちょっと昔風のまるでガブリエリのような華やかな音楽を聴かせてくれます。続く「Kyrie」は、軽やかなフーガが魅力的、あくまで明るい音楽なのは、ヘ長調という調性のためなのでしょう。
それが、「Dies irae」になると曲はハ短調に変わり、雰囲気は一変します。そこからは、なんとも表情豊かな、ドラマティックな音楽が展開されることになります。合唱に4人のソリストが加わり、アリアや重唱など、バラエティに富んだまるでオラトリオ、いや、オペラといっても構わないほどの劇的な音楽です。ほとんどのアリアには終わりにカデンツァが付くのも、まさにイタリア・オペラ。「ミゼレーレ」ともども、あまり抹香臭くない、キャッチーな「宗教曲」を堪能できます。
ソリストも合唱も、変に力まない自然体の爽やかさが心地よく感じられます。RIAS室内合唱団は、ほんのり包み込むような暖かい音色で、決して押しつけがましくない音楽を届けてくれています。それに対して、バックの「古楽アカデミー」がかなり鋭角的に、ちょっと突き放したような態度を取っているのも、昨今あちこちで見られる偽善的な「寄り添い」とは一線を画していて、すがすがしく感じられます。

CD Artwork © Harmonia Mundi s.a.
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by jurassic_oyaji | 2011-11-17 19:58 | 合唱 | Comments(0)
MILHAUD/MESSIAEN/La Création, la Fin
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Jean-Pierre Armengaud(Pf)
Jan Creutz(Cl)
Paul Klee 4tet
BLUE SERGE/BLS-020




ミヨーの「世界の創造」と、メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」を並べて、「創造、そして終わり」という、いかにもジャズのレーベルらしい粋なタイトルを付けたCDです。たった69分で世界の始まりから終わりまでを体験できるのですから、なんとお手軽な。
ダリウス・ミヨーの「世界の創造」は、「天地創造」をジャズで仕立てたバレエ音楽でした。それを、ピアノ五重奏に作り直したものが、ここで聴けるバージョンです。オリジナルはなにやら意味深なタイトルが付いた6つの部分に分かれていましたが、この編成ではいとも即物的に「前奏曲、フーガ、ロマンス、スケルツォ、終曲」という5つの組曲風のタイトルが与えられています。
「ジャズ」を象徴的に表していたサックスなどが使われていないせいでしょうか、「前奏曲」はいともまっとうな、それこそハイドンの作品を思わせるようなシリアスな情感をたたえています。しかし、「フーガ」でブルーノートのテーマが出現しさえすれば、あとはもうまごうことなき「ジャズ」の世界が拡がります。クラシックの作曲家が本気で「ジャズ」を作品のモチーフとして取り入れようとしていた(あ、ショスタコーヴィチの「ジャズ組曲」とは別の次元で、ですが)時代のほほえましい名残なのでしょうが、それがあまりに楽天的な姿をさらけ出しているのは、おそらく、ここで演奏しているメンバーの明るい資質に拠るものなのでしょう。
その様な人たちがメシアンを演奏すると、やはりそこには見事に明るい世界が拡がります。ここで新たに加わったクラリネットが、とてもエーラー管とは思えないような明るい音色で、一層盛り上げます。「鳥たちの深淵」での彼のソロは、音色とともに、とてもおおらかな音楽性に支配されているものでした。録音会場がとても豊かな残響を持っているのを考慮したのか、かなり遅めのテンポ設定で、細かい音符の部分でも極力音が濁らないような「安全運転」に終始していることも、切迫性のかけらもない滑らかな音楽を生む要因だったのでしょう。もっと厳しいものを望む向きには物足りないかもしれませんが、これはこれで新鮮な体験です。
ただ、4つの楽器が常にユニゾンという、とても緊張感を要求されるはずの「7つのらっぱのための狂乱の踊り」までもが、いとも隙だらけのユルさで演奏されていると、ちょっとこれは違うのでは、という思いを抱かざるをえません。まあ、全員が同じ方向を向いて強烈なメッセージを放つとまではいかなくても、せめてアインザッツぐらいは合わせてよ、という思いでしょうか。
この曲では、イタリアのピアノ職人、ルイジ・ボルガートが1人で作っているという、他に類似品が見あたらないピアノ、「ボルガート」が使われています。まさに手作りの味わいで最近評判を呼んでいる楽器です。これを弾いているピアニストは、そのピアノの特性を良く知っているのでしょう、とても繊細なメシアンの和声を、思いっきり柔らかい音で届けてくれています。それをバックにチェロとヴァイオリンが息の長いメロディを歌い上げる2つの「頌歌」では、とても贅沢な響きに癒される思いです。チェロが担当する「イエズスの永遠性に対する頌歌」こそ、ちょっとゴツゴツしたチェロの歌い方で余計な力を感じてしまいますが、ヴァイオリンが歌う「イエズスの不死性に対する頌歌」は文句なしの安らぎ感を堪能できます。まるでアナログ録音のような湿り気を帯びた音が、一層のゴージャス感を与えています。
どこまで行っても厳しさには無縁のメシアンでしたが、あのミヨーの流れだったら、こんなのもありなのでしょう。これほどまでに楽しい「世界」に暮らし、なんの天災も受けずに一生を全う出来る人はしあわせです。

CD Artwork © Blue Serge
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by jurassic_oyaji | 2011-11-15 23:09 | 室内楽 | Comments(0)
BERLIOZ/Grand Messe des Morts
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Robert Murray(ten)
Paul McCreesh/
Gabrieli Consort, Gabrieli Players
Chetham's School of Misic Symphonic Brass Ensemble
Wroclaw Philharmonic Orchestra & Choir
SIGNUM/SIGCD 280




「マクリーシュがシグナムに移籍!」などと大げさに日本語の帯に書かれていましたが、たしかにこの大物アーティストが、今まで「専属」だったメジャー・レーベルのARCHIVつまりDGから、マイナー・レーベルのSIGNUMに移ったというのは、一つの事件ではあります。ただ、今の世の中ではもはやこのような人をメジャーでは必要としていないというのが「流行」ですから、実はそんなに騒ぎたてるほどのものではないのですね。
ポーランドの南西部の都市ヴロツワフでは、毎年9月ごろに「ヴラティスラヴィア・カンタンス」という音楽祭が開催されています。なんでも、その音楽祭の芸術監督をマクリーシュが務めていて、昨年からこの街で、マクリーシュが自分の仲間である「ガブリエリ」のメンバーと、ご当地の音楽家を共演させて、大規模な宗教曲を演奏するという、いわばマクリーシュとヴロツワフとのコラボレーションをスタートさせたのだそうです。そこで、この2つの名前の頭文字「M」と「W」を、ひっくり返せば同じものになると考えて合体させた、こんなけったいなロゴまで作ってしまいました。
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昨年2010年の9月の第1回目のコンサートでは、イギリスのブラスバンドまで呼びよせて、ベルリオーズの「死者のための大ミサ曲(レクイエム)」を演奏、その時のライブ録音が、このCDです。このコンセプトに合わせて、ブックレットまで真ん中で上下逆になっているのですから、笑えます。ちなみに、2011年にはメンデルスゾーンの「エリア」が演奏されていますから、そのうちこれと同じようなCDが出てくることでしょう。
ただ、この立派なブックレットには、その音楽祭関係のクレジットはあるものの、レーベルの表記は、品番も含めて一切ありません。バーコードが「背表紙」についているだけ、ま、それは別になくてもかまわない情報ですが、CDのトラックリストがどこを探しても見当たらない、というのは大問題です。というか、そんなものは「欠陥商品」以外の何物でもありません。しっかり、載せておかねば(それは「ブラックリスト」)。奇抜なアイディアの陰にこんなとんでもないミスがあるのは、デザイナーの奢りでしょうね。
その分、メンバー表だけは思い切り充実しています。なんせ、400人を超えるという演奏メンバーがすべて掲載されているのですからね。写真を見ると、合唱などは10段になって並んでいます。それと、これはベルリオーズの指定だったのでしょうか、弦楽器が、ヴァイオリンとヴィオラの後にチェロが横に広がって並んでいて、さらにその後ろにコントラバス(全部で18人)が左右に別れて配置されているのですね。さらに、別のところには4群の金管バンダと、夥しい数のティンパニが並びます。「マタイ」ではたった36人のメンバーで演奏していたのと同じ人がこんな大編成なんて不思議な気もしますが、「実際に演奏された当時と同じもの」というコンセプトでは、しっかり共通しています。彼の信念がブレていることはありません。金管楽器の中にはしっかり「オフィクレイド」奏者が4人も入っていますし。
こんな巨大な音源が残響の多い石造りのゴシック教会の中で演奏するのですから、そもそも音響的にはまともな録音など期待できません。SIGNUMレーベルではお馴染みの「クラシック・サウンド」のスタッフも、最初から腰が引けているのがミエミエ、音がすっかり団子状態になってしまっています。最大音量の「Tuba mirum」の部分では、ティンパニの猛打にかき消されて、他のパートが何をやっているのかは全然分かりませんよ。ですから、そんな中で時折聞こえてくるア・カペラの合唱が、いかにも爽やかな安堵感を与えてくれます。この合唱、とてもこんな人数とは思えないようなピュアな響きを出しているのは、驚異的です。喧噪も一段落した2枚目からは、テノールのマーレイともども、美しい瞬間が何度も訪れます。

CD Artwork © Wratislavia Cantans
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by jurassic_oyaji | 2011-11-13 22:40 | 合唱 | Comments(0)