おやぢの部屋2
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TAKANO/LigAlien
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Nathan Nabb, 杉原真人(Sax)
池田昭子(Ob), Sharon Bezaly(Fl)
安田紀生子、木村まり(Vn)
Winston Choi(Pf),
南原和子(Hp), 丸田美紀(十七絃)
BIS/CD-1453




1960年生まれの作曲家、たかの舞俐さんの、BISレーベルからの2枚目のアルバムです。前作は彼女のポートレイトがジャケットを飾っていましたが、今回はブックレットの裏表紙に移っています。まるで別人のように見えるのは、髪型とメークのせいなのでしょう。
今回のアルバムタイトルは「LigAlien」という不思議な言葉です。彼女自身のライナーによれば、「Ligeti」と「Alien」を組み合わせた造語なのだとか、彼女の師である「リゲティ」の作曲技法の中に、自分の「エイリアン=外国人」としてのDNAをどのように組み入れていったらよいのか、といった、いわば彼女の根元的な問いかけを、作品に反映させたもの、というような感じでしょうか。ですから、発音は「リゲイリアン」となるのでしょうね。日本の代理店のインフォでは「リガリアン」となっていましたが、それはちょっとスルメが好きな甲殻類(ザリガニ)みたいで、馴染めません。
ただ、このアルバムに含まれる7つの作品の中で、最も長い、まるでメイン・プロのような扱いを受けている「フルート協奏曲」は、そのソリストのシャロン・ベザリーのSpellboundというアルバムのコンテンツとして、すでにリリースされていたものでした。せっかくのオリジナル・アルバムが、なんだかベスト・アルバムみたいになっていて、ちょっと嫌ですね。
師匠のリゲティは、彼女に自分の影響からは出来るだけ自由になって、彼女自身のスタイルを切り拓くように勧めていたのだそうです。それは、「今」の作曲家にとっては極めて重要なことなのではないのでしょうか。というより、彼らにとって、師の世代が築き上げてきた「現代音楽の伝統」などというものは、もはやなんの意味も持たないようになってしまっているはずです。先人が後生大事に伝えてきた「12音」やら「セリー」といった人工的な技法は、今となっては誰にも顧みられることのない「過去の遺物」と化しています。そんな中で、「クラシック音楽」を作って行くには、そんな先人の浅知恵など、なんの役にも立つはずはないのです。
今や、彼女はまさにそんな過去のしがらみからは「自由」になって、彼女自身の語法で音楽を発信し続けています。それは、決して小難しいものではない、おそらく多くの人に共感を与えられるような語り口です。思わず体が動き出してしまうような「ノリ」のよさ、それはもちろん「ジャズ」という概念と無関係ではないはずです。「クラシック」よりはもっぱら「ジャズ」での方が居心地が良い楽器、サクソフォンをフィーチャーした「LigAlien I」や「LigAlien IV」では、「ブギウギ」や「スウィング」といったジャズの語法が大活躍、堅苦しさとは無縁のインタープレイの魅力をふりまいています。
ピアノ・ソロのための「Jungibility」(これも、「Jungle」と「Ability」に由来する造語なのでしょう)などは、ほとんどフリー・ジャズの世界です。まるで山下洋輔の「グガン」でもを聴いているかのような爽快さにあふれた作品です。「ひじ打ち」のクラスターはでてきませんが。
アルバムの中で最も面白く聴けたのが、ヴァイオリンとエレクトロニクスのための「Full Moon」です。ソロ・ヴァイオリンを相手に、そのヴァイオリンの音源を加工した「電子音」などがからみます。もちろん、そこにはいにしえの「電子音楽」のような難解さは微塵もなく、リズミカルでカラフルな合成音の海を泳ぐ「生」ヴァイオリンの「かっこよさ」を存分に味わうことが出来ます。
そんな中で、「フルート協奏曲」を聴き直してみると、ベザリーのソロがたかのさんの世界とはちょっとズレているような気がしてしまいます。ベザリーの資質はかなり奔放なようでいて、それはあくまで「クラシック」の中にしか留まれていなかったことが、そんな違和感の原因なのかもしれません。

CD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2012-01-31 23:15 | 現代音楽 | Comments(0)
LLOID WEBBER/The Phantom of the Opera at the Royal Albert Hall
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Ramin Karimloo(Phantom)
Sierra Bogges(Christine)
Hadley Fraser(Raoul)
Anthony Inglis(Cond)
UNIVERSAL/GNXF-1418(BD)




1986年に初演されたアンドリュー・ロイド・ウェッバーのミュージカル「オペラ座の怪人」は、昨年25周年を迎えました。それを記念して201110月1日と2日に開催されたのが、この「25周年記念公演」です。ただし、それは単に今まで世界中の劇場で延々と続けられていた公演とは一線を画す、とてつもないスケールを持ったものでした。まず、会場には、普通のミュージカル用の劇場ではなく、ロイヤル・アルバート・ホールという、あのBBCの「プロムス」でおなじみの巨大なコンサートホールが使われています。スタッフは学生ばかり(それは「アルバイト・ホール」)。収容人員7000人という比類のないキャパ、もともとコンサートのためのステージしかなかったものを逆手にとって、ホール全体を使っての演出が取り入れられ、出演者も通常の3倍に増やされています。さらに、すでにオペラの世界では日常的に用いられるようになった「ライブ・ビューイング」の手法によって、リアルタイムにヨーロッパやアメリカの劇場や映画館でスクリーン上に公演の模様を再現していたのです。
もちろん、この映像素材は、日本の映画館でも昨年末から大都市での上映が始まり、今でも地方都市での上演が続いています。その素材がついにBD化、この画期的なステージの模様が「お茶の間」で楽しめるようになりました。なんでも、映画館で使われたデータはコマ数を変換する時のトラブルで、音声に欠陥があったそうですが、BDではそんなことはありませんから、もしかしたら映画館よりも「良い音」で楽しめるようになっているのかもしれません。
とは言っても、やはり映像はいくら大画面モニターであっても、映画館のスクリーンとはスケールが違うのでしょうね。最初の頃は、ホール全体のアングルでは細かいところが分からず、いったい、そこで何が行われているのか的確には把握できない状態が、しばらく続いてしまいました。しかし、次第にカメラワークに慣れてくれば、その仕組みは次第にはっきりとしてきて、そこに注がれているエネルギーがいかにハンパではないことを思い知ることになるのです。
まずは、オーケストラ。このホールにはオーケストラ・ピットはありませんから、ステージの後の一段高くなったところに配置されています。出演者は、ステージの前にあるモニターで、指揮者を見ることになります。総勢45人ほどの小ぶりの編成(弦のプルト数は4-2.5-2-2-1.5)ですが、劇場のピットでのしょぼいオケに比べたら、格段に深い響きです。弦楽器はいかにもしっとりと聴こえてきますし、なによりも「序曲」などではこのホールに備え付けのオルガンが加わるのですから、そのサウンドはまさに「本物」の重厚さを持つものでした。
そして、コンサートホールを劇場に変えてしまうマジックをかなえたのが、ロック・コンサートなどでおなじみのLEDスクリーンでした。クリスティーヌがファントムに連れられてやってくる地下の湖のシーンでは、劇場と同じように床から燭台がせり出してくるのを、このスクリーンによって体験することが出来ます。背景を瞬時に変えられるのですから、場面転換も極めてスムーズに運んでいました。
そんなお膳立ての上での、劇場と同じ繊細さを持った演技や歌は、感動的でした。キャストたちはすべてハイレベルの人たちばかり、中でもファントム役のカリムルーの声の多彩さには、圧倒されてしまいます。
一応「お祭り」ですので、アンコールでは25年前のオリジナル・キャストが登場して歌うというオマケがついていました。なんとも皮肉なことですが、彼(彼女)らの「芸」によって、この作品は25年をかけてまさに「オペラ」を超えるほどのとてつもないクオリティを築き上げていたことが実証されていたのです。ほんと、OCCDを聴き直してみると、マイケル・クロフォードのファントムなどはまるでシロートです。

BD Artwork © Universal Studios
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by jurassic_oyaji | 2012-01-29 22:20 | オペラ | Comments(0)
ORFF/Carmina Burana
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S. Saturová(Sop), B. Bruns(Ten), D. Köninger(Bar)
Martin Grubinger & The Percussive Planet Ensemble
Fernan & Ferzan Önder(Pfs)
Rolf Beck/
Schleswig-Holstein Festival Chor Lübeck
SONY/88697 99511 2




オルフの「カルミナ・ブラーナ」の2台ピアノと打楽器バージョンは、ほんの数ヶ月前に出たばかりでした。こんな珍品は一つあれば充分、なにも無理して新しいのを買うこともないな、と思うのが、庶民の感情でしょう。しかし、変わったバージョン好きとしては、とても見過ごすことは出来ません。たとえ無駄でもとりあえず手に入れる、それが好事家というものです。
ところが、聴いてみてびっくり、演奏は素晴らしいし、録音は良いし、こんなに手放しで嬉しくなってしまうCDなんて久しぶりでした。
このバージョン、今までに4種類ぐらいのものに接してきましたが、今回もそれらと同じ、オルフの弟子のキルマイヤーが編曲した楽譜が使われています。しかし、冒頭の「O Fortuna」が聴こえてきた瞬間、もしかしたら他の人がアレンジしたものなのではないか、という気になってしまいました。それほどまでに、同じ楽譜でも聴こえかたが違っていたのですよね。まず、ピアノの高音がとてもはっきりしているので、コードさえ違って感じられます。そして、なんといっても打楽器の存在感がハンパではありません。このあたりは楽譜を見ると他のものとなにも変わっていないのに、この、マルティン・グルービンガーをリーダーとする打楽器のチームは、その楽譜からとことん「熱い」インパクトを産み出しているのですね。それは、「クラシック」のオーケストラに取り込まれてお上品に収まっている「楽器」ではなく、それらの楽器が元々持っていたそれぞれの民族の「力」までをも一緒に抱え込んで発散させている、むき出しの「パーカッション」そのものだったのです。
さらに、彼らは必要とあらば楽譜には書かれていないことまでも実行しています。オリジナルでは2本のフルートが美しいオブリガートを奏でるソプラノ・ソロのナンバー「In trutina」では、最後にタムタムが入ってその余韻を楽しませてくれますし、最後の最後、「O Fortuna」のリプリーズのエンディングでは、グラン・カッサは楽譜のように頭に一発叩くのではなく、ティンパニと同じようにロールで打ち続け、とてつもないクレッシェンドをかけています(もちろん、1曲目ではそんなことはやっていません)。グラン・カッサ一つで作りだしたふつうのオーケストラ以上の高揚感。これには、文句なしに打ちのめされてしまいます。
ピアノ・パートのエンダー姉妹も負けず劣らずアグレッシブ、至るところでハッとさせられるようなフレーズに気づかせてくれます。かと思うと、とてもソフトな音色で(録音のせいもあるのでしょう)味わい深く迫ってくるのですから、たまりません。バリトン・ソロが甘くレシタティーヴォを歌う「Omnia sol temperat」では、歌い出しに続くアコードを、やはり意識的にアルペジオにしています。これが、まるで「シェエラザード」のヴァイオリン・ソロに寄り添うハープのように聴こえてきますよ。
そのバリトンのケニンガーは、まさに出色の出来、声はあくまで滑らかでまるでビロードのよう、これを聴いて心がとろとろにならないオナゴなどはいないのではないでしょうか。テノールのブルーンスも、良く響くテノール声域と、伸びのあるカウンター・テナー声域を使い分けて、ただ1曲の持ち歌を完璧に歌い上げています。ソプラノのシャトゥロヴァーは、ちょっと不安定な所はありますが、強靱な声は魅力的です。
合唱は、何も言うことはありません。今まで数多くの「カルミナ・ブラーナ」を聴いてきましたが、その中で間違いなく上位にランキングさせるものだと言うだけで、その素晴らしさは伝わることでしょう。久しぶりに巡り会えた全ての面で満足のいく「カルミナ」、ただ一つの不満は、大人たちに負けずにこの名演の一翼を担っている児童合唱団の名前がクレジットされていないことだけです。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2012-01-27 20:23 | 合唱 | Comments(0)
Duets II
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Tony Bennett
COLUMBIA/88697 66253 2




巷で大評判のトニー・ベネットの最新アルバムを聴いてみました。去年85歳というとんでもない年になって作られたこのアルバムは、なんとBILLBOARDのアルバム・チャートで初登場1位を獲得したというのですから、すごいものです。芸歴の長いベネット自身にとっても、これが初めての「1位」だというのですから、感慨もひとしおでしょう。
実は、この5年前、2006年に彼が80歳になった時に、記念に作られたアルバムが「Duets/An American Classic」でした。タイトルの通り、彼がこれまでに歌ってきたスタンダード・ナンバーを、今をときめく人気アーティストと一緒に「デュエット」した、というもので、これもかなりの評判になったものです。せっかくだからと、こちらもついでに聴いてみたのですが、確かに素晴らしいアルバムでした。何より、ベネット本人の声がとても80歳とは思えないような力強いものでした。リズムやピッチには寸分の乱れもありませんし、高音で張った声も堂々たるものです。ですから、それにからむ歌手たちは、自分の個性を出す前に、まずこの声に圧倒されて、ほとんど「先生と生徒」みたいな歌い方になっているのですから、すごいです。ポール・マッカートニーやエルトン・ジョンといったロック畑の人が、そんな感じでかしこまって歌っているのがおかしくて。かと思うと、スティービー・ワンダーなどとは、まさに「真剣勝負」といった緊張感あふれるやりとりが聴かれたりしますから、とことん中身の濃いアルバムでしたね。
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それから5年、彼の歌は全く衰えてはいませんでした。いや、声の張りなどは、前作以上かもしれませんよ。さらに、サウンド的にも格段にパワーアップしたものが聴かれます。前作ではあまり使われていなかったビッグ・バンドのアレンジが、前面に押し出されているのですね。そんなキレのいいサウンドに乗って、まず登場したのがレディー・ガガです。うすうす気づいてはいたのですが、彼女は本当に歌が上手なんですね(いや、「歌手」なんだから歌がうまいのは当たり前なのかもしれませんが、なんせ○任谷由美が、歌が歌えなくても歌手になれることを証明してしまったものですから)。声が素晴らしいのはもちろんですが、ここではベネットと対等に渡り合えるほどのジャズ的なセンスも披露してくれています。年の差60歳の軽妙なデュエット、これは素敵です。
別の意味で素敵な味を出していたのが、こちらは80歳に手が届こうかというウィリー・ネルソンです。カントリーのフィールドでありながら、ベネットとはなんの違和感もなく溶け合っている彼のだみ声は、まさに「重ねた年輪」が感じられるものでした。おまけに、とことん渋いギター・ソロまで聴かせてもらえますよ。
ベネットは、どんな人が相手でも、常にリラックスしながら楽しんで歌っているようでした。豪華ですね(それは「デラックス」)。おそらく、あまりリハーサルなどは行わないで、その場の「ノリ」を重視したような作られ方なのでしょう。間に「今度は、君の番だよ」みたいなセリフまでが、極めて「音楽的」に入っているのですから、たまりませんね。
ただ、中には「なんでこんな人が」というのがいないわけではありません。その筆頭がアンドレア・ボチェッリ。まさに「水と油」を絵に描いたような唐突さには、笑ってしまいます。同じクラシック指向でも、ジョシュ・グローバンはなんなく馴染んでいるというのに。
前作のプロデューサー、大御所のフィル・ラモーンとともに、ここではベネットの息子、ディー・ベネットが、エンジニア兼任でプロデュースも行っています。彼の手によって、ほぼフルサイズのオーケストラによるストリングスのサウンドが、とても華麗で上品に仕上がっています。それは、前回のベルリン・フィルの弦楽器など比較にならないほどの美しさです。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2012-01-25 20:36 | ポップス | Comments(0)
Tchaikovsky/Symphonies Nos. 4,5 & 6
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Herbert von Karajan/
Berlin Philharmonic Orchestra
EMI/TOGE-12050-52(hybrid SACD)




EMIジャパン(いずれはこの社名も変わっていくのでしょうね)が、日本国内だけに向けて制作している「名盤」のSACDは、最初のリリース分を聴いた時には本当に感激したものでした。さすがは、自社で保有しているおおもとのマスターテープまでさかのぼってマスタリングを行っただけのことはある、と思わせられるだけの、それはとてつもないクオリティを持っていたのですからね。
そして、次のリリースの予定に、このカラヤンのチャイコフスキーを見つけた時には、これはなんとしても聴いてみなければ、と思ったものです。カラヤンはこれらの曲をたびたび録音していましたが、これは1971年にDGではなくEMIに録音したものです。かつてFMでこのレコードの中の「悲愴」を聴いた時に、その圧倒的なドライブ感に圧倒された思いがあったのと、3曲中2曲でゴールウェイが録音に参加していることが分かっていたので、それをじっくり「マスターテープの音」で聴いてみたかったのですね。
ゴールウェイが乗っているのは4番と5番だというのは、幸せなことでした。それは、このチャイコフスキーの後期の3曲の交響曲では、4番がもっともフルートが活躍しているからです。それに比べたら、5番や6番は全然つまらないものです。いや、音楽的に、ということではなく、あくまでもフルートパートに限って、ということですが。
その4番では、まさにゴールウェイのフルートが堪能できました。彼が入ってくると、木管パート全体の輝きが、ワンランク上がるのが良く分かります。そして、ソロではカラヤンをも差し置いて、とても自由に吹いていることも。例えば、クラリネットが付点音符で奏でるメランコリックなテーマで始まる、第1楽章の第2主題、そのフレーズの最後のスケールの音型を模倣する時に、ゴールウェイはそれまでの流れを断ち切るように「早め」に入ってくるのですね。まるで、それまでのソロがあまりにもったりしているのにしびれを切らして、「もっと早く!」と言っているように思えてしまいます。
いや、考えてみれば、こういう風に合いの手を「早めに」入れる、というのは、カラヤンの常套手段だったはず、ですからここでは、ゴールウェイはカラヤンに向かって「あんたはいつもこうやっていたんじゃないのかい?」と言っていたのかもしれませんね。
しかし、肝心の音は、今まで聴いてきた他のSACDと比べたら全くの期待はずれでした。SACDらしい生々しさが、全く感じられないのですね。と言うか、マスターテープの段階で音がすっかり飽和してしまっていて、それはいくら他のメディアに移してもどうしようもない録音のように感じられてしまうのですよ。ちょっと見、とても華やかで輝かしい響きなのですが、ある程度の音圧を越えるとそれがとても醜く感じられてしまうのですね。そう、まさに「醜女の厚化粧」そのものの許し難い音だったのです(「酋長の厚化粧」なら許せますが)。こういう音は、FM放送などではとても強いインパクトをもたらすはず、もしかしたら、昔はそれに圧倒されていただけなのかもしれません。
これは、常々EMIでのカラヤンの録音を聴いた時に感じていたことでした。1970年代の前半に、カラヤンとベルリン・フィルは、それまでの「専属」だったDGだけではなく、EMIでも録音を始めます。その時のプロデューサーが悪名高いミシェル・グロッツです。グロッツとエレクトローラ(ドイツのEMI)のエンジニア、ヴォルフガング・ギューリッヒというチームは、この安っぽい音でカラヤンを大いに満足させるのです。カラヤンのお気に入りのグロッツは後にDGの録音でもディレクターに収まったため、彼の趣味で1980年代以降のカラヤンの録音は、全て薄っぺらな音になってしまいました。
グロッツはすでに2年前に他界しています。SACDによってよりはっきりした彼の「罪」は、もはや誰にも糾弾されることはありません。

SACD Artwork © EMI Music Japan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2012-01-23 20:42 | オーケストラ | Comments(0)
FAVRE/Requiem
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Bénédicte Tauran(Sop), Kismara Pessatti(MS)
Michael Laurenz Müller(Ten), Lisandro Abadie(Bar)
Facundo Agudin/
Ensemble Vocal d'Erguël, Lyrica Neuchâtel,
Opus Choeur de Chambre, OSJ Symphonic.net
DORON/DRC 2008




ピアニストとしても知られている1955年生まれのスイスの作曲家、クリスティアン・ファヴルの「レクイエム」です。2010年3月に行われた初演の模様のライブ録音なのでしょう。ライナーには「1010年」とありますが、そんな昔にステレオ録音が出来たはずはありませんから、それはもちろん単なるミスプリントなのでしょうね。
「スイスの現代の作曲家」というシリーズのCD、指揮者はなぜかアルゼンチンのファクンド・アグディンですが、オーケストラや合唱はスイスの団体です。全く初めて聴くところばかりですが、このオーケストラの名前がちょっと気になります。「OSJ Symphonic.net」という、まるでウェブサイトのドメイン名みたいな「ドット・ネット」が最後に付いているのが、なんだかユニーク、確かに、このオーケストラのURLは「http://www.osjsymphonic.net」なのですが。そもそも「OSJ」というのは大阪のテーマパーク(それは「USJ」)ではなく「Orchestre Symphonique du Jura」の略称なのだそうで、そうなると「Symphonic」がダブってますね。いや、そんなことよりも「Jura」という「Jurassic」にも通じるお馴染みの単語にびっくりです。「ジュラシック交響楽団」ですよ。とても他人とは思えません。
もちろん、こちらは太古の恐竜の化石がたくさん発見された「ジュラ山脈」という、スイスとフランスの国境にそびえている連峰から取った名前なのですがね。このオーケストラは、バーゼルや、合唱団の名前にもあるヌシャテルといった、ジュラ山脈の麓の都市を中心に活躍している団体だったのです。
病気のために亡くなった作曲家の兄のために作られたという、この最新の「レクイエム」のテキストは、モーツァルトのような伝統的なテキストから「Offertorium」が省かれています。「Sequenz」は全部使われていますが、モーツァルトとは曲の切れ目が異なっているので、ちょっとまごつくかもしれません。ソリスト4人に混声合唱というのはモーツァルトと同じですが、オーケストラの管楽器はもっと増えていますし、ハープやピアノも入っています。その分、オルガンはありません。
というような比較は、200年以上もの隔たりがある音楽には、なんの意味もありません。こちらは、モーツァルトの時代には存在していなかった「無調音楽」というなんとも中途半端なものを経験してしまった作曲家が、未だにその呪縛から逃れられずにいるのに、あえて、今の時代ではほとんど復権を果たした「ロマンティック」な音楽をめざそうとしている姿勢を明らかにしたかった、という、えらく屈折した音楽なのですからね。
おそらく、作曲家はリズムに特徴を持たせることで、「ロマンティック」な味付けを達成させようとしたのでしょう、「Requiem aeternam」では、かなり複雑なリズムで迫ってきます。それが、もしかしたら指揮者のキャラなのかもしれませんが、あたかもラテン音楽のようなノリの良さをもっているものですから、なんとも居心地の悪い「無調」のフレーズが飛び交っても、さほど気にはならなくなっています。続く「Kyrie」などは、まるで「スケルツォ」といったおもむき、同じように「無調」にエンタテインメント性を持たせることに成功したあのレナード・バーンスタインのようなテイストさえ感じられるものでした。
そんな風に、概して変拍子やポリリズムを駆使してダイナミックにたたみかける部分では、それほどの違和感はないのですが、次第に「無調」が正体をあらわしてくると、もういけません。なんの意味も見いだせない旋律線からは、重苦しい閉塞感が募るばかりです。3つの団体が集まった合唱も、かなり精度の低い演奏ですし。
この「レクイエム」は、この作曲技法が、もはや「現代」ではなんの意味も持っていないことを明らかにした、いわば「無調」を悼むための「レクイエム」だったのかもしれません。

CD Artwork © Doron Music
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by jurassic_oyaji | 2012-01-21 20:09 | 合唱 | Comments(0)
Besides Feldman
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Patrick Pulsinger(Syn)
Pamelia Kurstin(Theremin)
Hilary Jeffery(Tb)
Rozemarie Heggen(Cb)
COL LEGNO/WWE 1CD 20298




いかにも「現代音楽」といった面白いアルバムを出してくれるので、この「コル・レーニョ」というレーベルには楽しませてもらっています。このレーベル名は、松島の名産(それは「こうれん」)ではなく、弓をひっくり返して木の部分で演奏するという、あの特別な弦楽器の奏法に由来しているのだそうです。ベルリオーズの「幻想交響曲」の最後の楽章で、気持ちの悪い音を出すために使われるのが有名ですね。その様に、かつて誰かが発想を転換させて弦楽器のサウンドの幅を広げたのと同じように、このレーベルも既成概念にこだわらないクリエーターによって作られた、よりパワフルな音楽を提供していきたいのだそうです。
そういう意味では、このアルバムなどはまさに「パワフル」そのものなのではないでしょうか。ドイツの「前衛」作曲家、パトリック・プルジンガーが、他の3人の音楽家と一緒に行った2010年の「ウィーン・モデルン」での演奏のライブ録音、なんでもこのレーベルのプロデューサーがこの演奏を聴いて、即座にCDを作ることを決めたという強いインパクトを持ったものです。
かつての「前衛」が頼ったのが、エレクトロニクスです。今ではシンセサイザーという便利なものがありますから、ここでプルジンガーもそれを縦横に駆使しています。そこで安直なプリセットものは使わず、あえて手のかかるモジュラー・タイプを選んだあたりが、「前衛」の誇り、でしょうか。そこに、もう1台、「テルミン」が加わります、しかし、これを操るパメリア・カースティンは、クララ・ロックモアが拓いたこの電子楽器のリリカルな地平からは遙か遠くの場所に立っているように思えます。正直、最初のうちはどれがテルミンの音なのか分からないほど、それは「テルミンらしくない」姿をさらしていました。
さらに、ヒラリー・ジェフリーのトロンボーンと、ロゼマリー・ヘッゲンのコントラバスという生楽器が加わります。もちろん、こんな仲間とやり合うのですから、楽器本来のまともな奏法などはなんの役にも立ちません。管楽器はミュートを付けたりマウスピースだけで演奏したり、弦楽器もハーモニクスで囁くような音を出したりと、こちらも聴いただけではなんの楽器だか分からないような響きが、適度な緊張感を誘います。
そんな4人のセッションで出来上がった作品、タイトルでは「フェルドマン以外の」といっていることとは裏腹に、そのアメリカの作曲家の音楽がもたらすのと同質の浮遊感が全体を支配しているようです。7つのパートが連続して「演奏」されていますが、それぞれには「Timeless Floating Music」とか「Patterns Not Loops」といった、即物的なタイトルが付けられているのが面白いところ、お陰で、下手な先入観を与えられることはなく、その、まさに漂う様な音楽に身を任すことが出来ます。
さまざまなアイディアが登場しますが、中でも存在感を誇っているのが、先ほどのテルミンです。実は以前、この楽器の現代における名工、ロバート・モーグのドキュメンタリーの中で、テルミンからまるでベースのピチカートのような音を出して驚かせてくれた女性が登場していたのですが、それがこのカースティンその人だったのですね。作品の前半では、彼女が作り出す重低音のパルスに全体が支配されているような印象すらありました。その低音の音圧はものすごいもので、まるでスピーカーが壊れそうな迫力です。マスタリングまでプルジンガーが手がけているようですから、そんな破壊的な音場までが計算されているのでしょうね。
かと思うと、後半にはアコースティック・ベースに導かれて、まるでジャズのセッションのようなまったりとした風景が登場します。もちろん、ソロを取るのはトロンボーンですが、今度はテルミンがそれを模倣してフレーズのやりとりを始めましたよ。
とても懐の深い音楽を味わったな、という満足感に包まれたアルバムでした。

CD Artwork © col legno Produktions
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by jurassic_oyaji | 2012-01-19 20:19 | 現代音楽 | Comments(0)
Brilliant Flute
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Walter Auer(Fl)
長尾洋史(Pf)
LIVE NOTES/WWCC-7665




毎年お正月にウィーンからの生中継で放送されるウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートは、もはや日本のお茶の間には欠かせない催しとなっているようです。以前はちょっとマニアックなBSで放送されていたものが、最近は地デジ、しかも時間帯はゴールデン・タイムですから、普段「クラシック」などには無関心の人でも、これだけは「年に一度のぜいたく」として見ているのかも知れません。
そんな晴れがましいコンサートで、今年フルートのトップを吹いていたのが、ウィーン・フィルのフルートパートの中ではもっとも若いこのワルター・アウアーでした(その次に若かったギュンター・フォーグルマイヤーは、1月11日に亡くなってしまいました。ご冥福をお祈りします)。ついに重鎮のヴォルフガング・シュルツも引退しましたから、これからは彼の時代になっていくでしょうか。確かに、オケの中で聴くともう一人の「首席」ディーター・フルーリーよりはずっと輝かしい音のようでした。
そんな、オーケストラの中では着実に実績を上げているアウアーの、これはソリストとしてのデビュー・アルバムとなります。制作したのは日本のレーベルというあたりが、最近の録音事情を物語っているようですが、さらに今回の場合は、実際にプロデュースを行ったのは彼が使っている楽器のメーカー、そんな「付加価値」でもないことには、こんな「大物」でもCDを作るのが難しいような時代なのでしょうか。録音されたのは2008年、なぜリリースまでにこんなに時間がかかったのかも、それなりの「事情」があったのでしょうね。
曲目は、モダン・フルーティストとしての意気込みを前面に出したものでした。それは、フルートの技巧を極限まで駆使して、まさに「ブリリアント」な世界を築き上げるという、正直「音楽」よりは「テクニック」を、もっぱらフルートを学ぶ人たちに対してアピールする、といったようなものばかりのように感じられます。ただ、最初と最後に、それぞれワーグナーとビゼーのオペラをモチーフにした作品を持ってきたあたりが、オペラハウスでの演奏が本業のオーケストラのメンバーとしての彼の「こだわり」だったのかもしれません。
冒頭を飾る、そのワーグナーの「ローエングリン」を、ブリッチャルディが華麗な「ファンタジー」に仕立てたものは、初めて聴きました。ヴェルディなどではこの手のものは良くありますが、まさかワーグナーでもこんなパラフレーズが出来るとは、思ってもみませんでしたよ。確かに「結婚行進曲」や「エルザの夢」などは、当時はキャッチーに思えたのでしょう。そのテーマをグロテスクなまでにフルートの細かい音符で飾り立てたという、ただそれだけの曲です。
彼の曲ではもう一つ、「ヴェニスの謝肉祭」も聴くことが出来ます。なんといってもゴールウェイのイメージが拭いきれないものにとっては、技巧はともかく高音のほんのちょっとした「逃げ」が物足りなく感じられてしまいます。それは、あるいは、残響が少し邪魔をしている鈍い録音のせいなのかもしれませんが。
クーラウの「ファンタジー」という無伴奏の曲は、フルートを吹く人の間だけでは有名な割には、録音はほとんどありませんでしたから、「参考演奏」として何よりの贈り物です。いや、技巧の影からさりげなく顔を出すちょっと小粋なフレージングなどは、ただ「参考」にするだけでは惜しいものがあります。
最後のボルヌの「カルメン幻想曲」まで嬉々として聴き通せたとしたら、それはとてもフルートが好きなことの証しになることでしょう。でも、ふつうの「クラシック」ファンにとっては、ちょっと退屈してしまうアルバムなのかもしれません。

CD Artwork © Nami Records Co., Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2012-01-17 23:36 | フルート | Comments(0)
ジェフ・エメリックの本
 きのう「おやぢ」でご紹介した本は、本当に内容が豊富で(なんたって、エメリックが担当したほとんどすべての曲の制作過程がかかれているのですから)、とても1500字ぐらいで語り切れるものではありませんでした。ですから、こちらでも「追加」ということでもう少し書いてみることにします。
 ビートルズと言えば、そのプロデューサーであるジョージ・マーティンは、彼らに様々の影響を与えた人物として知られています。中には、彼らの音楽的な部分まで、ジョージに負うところが大きかった、というような言い方がされているような場合もあります。しかし、この本ではそんな大雑把な捉え方ではなく、もっと具体的に、彼が実際にどういうことをやったのか、ということが書かれています。そして、最も興味深いのは、初期の頃こそ作曲上のアドバイスなどを行っていたものの、次第にバンドの方がどんどん成長して、プロデューサーのはるか上を行くようになった、ということです。後期では、バンドが思いついたアイディアを実際の音にするために、クラシックの素養もあるジョージが力を貸した、という程度の役割になっていたようですね。
 昔から思っていたのは、彼らはコーラスがとても素晴らしいということでした。それがどの程度プロデューサーの手が入ったものなのかは、はっきりは分かりませんが、アイディアが豊富でそれだけで楽しめます。そして、それを歌う時の「合唱」としてのセンスが、すごくいいのですよね。エメリックもそのあたりはしきりと感心していますが、ジョンとポールはお互いに完全にハモるツボを分かりあっていたように思える、と言っています。そこにジョージ(ハリスン)が加わって、さらにハーモニーは厚みを増します。その最高の成果が、「Abbey Road」の中の「Because」になるわけですね。これが録音された時のことを、エメリックはひときわ克明に語っています。コーラス・パートはジョージ・マーティンが9声部のハーモニーで作ったもの、それを、3人が一緒に3声部歌うことを3回繰り返して、音を重ねたのだそうです。「音程が外れることはなかったので、フレージングを徹底的に合わせた」と書いていますね。
 その結果は、もうご存じのとおりの、まさに完璧な「合唱」が出来上がりました。ほんと、これは普通の「合唱団」がいくら頑張っても到達できないような、高みに達したものです。最近、ジョージ・マーティンの息子のジャイルズ・マーティンが、マスターテープの素材をリミックスして作ったアルバム「LOVE」の冒頭では、このコーラス部分だけを抜き出したものを聴くことが出来ます。完全なア・カペラの状態で聴けるこの「9人」のハーモニーは、ほんの少しリバーブを加えられて、さらに深みを増して感じられます。
 もちろん、彼らはロックバンドですから、演奏の方も押さえなければいけません。やはり「Abbey Road」の一応最後の曲「The End」では、途中で3人によるギター・バトルが繰り広げられています。それは、「ポール、ジョージ、ジョンの順でソロを演奏している」という言い方をされていますが、私のようなギターのシロートにはなんだかよくわからないような感じでした。それが、この本ではきちんと「一人2小節ずつ」と書いてありますから、それを頼りに聴いてみると、正確にどこからどこまでが誰のパートなのかは、私でもはっきり分かるようになりました。このソロは全部で6小節にわたっています。まず、1拍半のアウフタクトを入れた後、ポールが2小節、最後に少しクロスしてジョージが2小節、同じようにちょっとダブってジョンが2小節、そのパターンを正確に3回繰り返しているのですね。3回目のジョージのソロが、素晴らしいですね。こちらに、その部分だけを抜き出してみました。聴きとってみてください。
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by jurassic_oyaji | 2012-01-16 21:55 | 禁断 | Comments(0)
ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実<新装版>
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ジェフ・エメリック著
奥田祐士訳
白夜書房刊
ISBN978-4-86191-556-7



イギリスのレコーディング・エンジニア、ジェフ・エメリックが、ライターのハワード・マッセイの協力のもとに2005年に出版した「Here, There and Everywhere-My Life Recording the Music of THE BEATLES」という彼の自伝は、邦題がこんな陳腐になった日本語版が2006年に出版されています。その後、2009年に、この本の中で主に語られているアーティストのデジタル・リマスターCDの発売に合わせてこの<新装版>が出版されました。
この本が出た時には、全く何の興味もありませんでした。それこそ、ジョージ・マーティンが1979年に「All You Need Is Ears」という自伝を書いて以来幾度となく繰り返された同じような「内幕本」の出版となんら変わるものではないのだ、と。
しかし、つい最近、さる大型書店にあったこの本を手にとって、少し立ち読みを始めた途端、これが出た時に読まなかったことを心底後悔してしまいました。これは、伝聞ではなく、すべて著者自身の体験したことを書きとどめたもの、いわば、もはやほとんど「歴史」と化した「ザ・ビートルズ」に関する、まさに膨大な「一次資料」ではありませんか。さっそくその場で購入、遅まきながらのご紹介です。
ジェフ・エメリックというカレーの好きな(それは「ターメリック」)人は、子供のころからレコーディング・エンジニアになりたいという夢を持っていて、それを実現するために15歳の時にEMIに入社、その後、「ザ・ビートルズ」の中期から後期のレコーディングにエンジニアとして参加することになります。その最大の功績は、名盤とだれしもが認める「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」での革命的な音づくりでしょう。彼は、バンドのメンバーのわがままな要請にこたえるべく、あらゆる手段を使って今までになかったような録音のテクニックを編み出します。それぞれの曲について、こまごましたレコーディングの模様を逐一、まさに見てきたかのように克明に教えてくれるのですから、たまりません。実は、このあたりのことはさっきのジョージ・マーティンの本にも書かれてはいました。しかし、それはなんともお座なりな書き方で、実際に現場で苦労していた様子などはほとんど感じられないだけでなく、中にはエメリックがやったことをさも自分が考え出したような書き方をしているところもあり、今となっては「資料」としての価値すらないものです。
ここで初めて知ったのですが、イギリスで最初に発売されたレコードでは、最後の「A Day in the Life」のコーダで、オーケストラのクラスターに続いてピアノ数台のアコードが鳴らされ、それが減衰していって、完全に無音になったあとで唐突に始まる人の声を、LPの溝の最もレーベル寄りの針が止まる部分にカッティングしたのだそうですね。そうすれば、これは完全にループとなって針を上げるまで延々と続くことになります。でも、国内盤のLPでは、ごく普通に最後に1回だけ「声」が入っているだけでした。とても、そんな面倒くさいカッティングなど、やってられなかったのでしょう。それが、CDでは同じことを何度も繰り返して最後はフェイド・アウトになっています。彼らの「ジョーク」が、CD時代になってやっと誰でも聴けるようになったのですね。
ここで語られる、バンドのメンバーに対する彼の評価も、興味があります。最初のころは全くのダメ人間だったジョージ・ハリスンが、「Abbey Road」の頃には見違えるように成長したと感じるあたりは、とても説得力にあふれています。そのアルバムの有名なジャケット写真は、様々なショットの中から「スタジオから逃げ出している」方向のものを選んだのだそうです。このアルバムの成功を受けて、1970年代にそれまでの「EMI Recording Studios」から「Abbey Road Studios」と名前を変え、観光名所にまでなったこのスタジオを、本当は彼らは毛嫌いしていたのですね。それがなぜかは、この本を読むと容易に分かります。

Book Artwork © Byakuya-Shobo Co., Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2012-01-15 19:49 | 書籍 | Comments(0)