おやぢの部屋2
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It Don't Mean a Thing
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Marin Alsop/
String Fever
NAXOS/8.572834




マリン・オールソップと言えば、このレーベルでもおなじみ、世界中のオーケストラを相手に活躍している女性指揮者です。いや、別に「女性」などと特別扱いする必要など全くないほどに、他の音楽家同様、今では指揮者が女性であることに何の違和感もない時代になっています。
彼女は、1989年にクーセヴィツキー賞を取って指揮者としてのキャリアをスタートさせる前は、ヴァイオリニストだったということは知っていました。しかし、スティーヴン・ソンドハイムのミュージカル「スウィニー・トッド」のオリジナル・キャスト盤を入手した時に、劇場のオーケストラのメンバーの中に名前を見つけた時には、驚きました。彼女は、ブロードウェイの劇場のピットで演奏するという、まさに「ショービズ」の世界にどっぷりつかっていたことがあったのですね。ここではトップではなく、トゥッティのヴァイオリン奏者のようでした。
それは、1979年に録音されたものですが、1981年に、彼女がコンサートマスター(リーダー)となって結成したのが、この「ストリング・フィーヴァー」というユニットです。小編成の弦楽合奏団ですが、コントラバスは完全にリズム・セクション、そしてドラムスも加わっています。管楽器を全く使わない編成で「ジャズ」を演奏しようというコンセプトだったのでしょうね。それは、そんな彼女のキャリアからは十分に納得のいく活動です。
このCDには、1983年と、1997年に録音されたものが一緒になっています。最初からこういう形だったのか、あるいはコンピレーションなのかは、ここでは全くわかりませんが、1983年の時のプロデューサーが、ウディ・ハーマン楽団のサックス奏者だったゲイリー・アンダーソンなのが、目を引きます。彼はその時だけでなく、1997年の録音でも多くの編曲を担当していますから、このユニットのサウンドに関しては大きな貢献を果たした地位にいたのでしょう。その編曲のプランは、基本的には管楽器によるビッグ・バンドのサウンドを、弦楽器によって再現する、というものだったような気がします。
こういう「置き換え」を聴いていると、別の分野でも同じようなことをやっていることが思い出されます。それは、「吹奏楽」の世界。そこでは、逆に弦楽器のサウンドを管楽器によって再現しようと頑張っていたのですね。シンフォニー・オーケストラのヴァイオリンのパートをクラリネットに置き換えようというのが、彼らの基本的なプラン、それに真剣に取り組んでいる方には申し訳ないのですが、なぜ、わざわざそんなことをするのか、という素朴な疑問が、オリジナルを聴きなれている時には常に湧いてきてしまいます。
同様の違和感が、この、弦楽器だけによる「ビッグ・バンド」でも湧き起ってきます。確かにそれらしい音にはなっているのですが、なぜこれを弦楽器でやらなければいけないのか、という必然性がまるで感じられないのですね。しかも、有名な「In the Mood」などは、サックス・セクションはそれなりのものになっても、金管セクションのインパクトが出ないことには、なんとも「まがい物」にしか聴こえてきません。厳然と存在している「ジャンルの壁」を力ずくで壊そうとすると、こんな悲惨なことになってしまうのかもしれませんね。
ただ、「Liberated Brother」のような、わりと新しめでラテン色の濃いものは、リズム・セクションが「本物」ですからきちんとしたグルーヴが感じられて楽しめます。ブルーベックの「Blue Rondo a la Turk」なども、オリジナルは小さなコンボですし、ここでの変拍子はそもそも「ジャズ」とは一線を画すものでしたから、曲の生命が損なわれることはありません。まあ、だからと言ってわざわざこんなものを買って聴くことに、意味を見出すことはできませんが。
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それより意味不明なのが、国内盤の「帯」にある「カニも食べたい」というコピーです。これはいったいなんなのかに

CD Artwork © Naxos Rights International Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2012-05-31 20:40 | ポップス | Comments(0)
TÜÜR/Awakening
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Daniel Reuss/
Estonian Philharmonic Chamber Choir
Sinfonietta Riga
ONDINE/ODE 1183-2




エストニア・フィルハーモニック室内合唱団は、1981年にトヌ・カリユステによって創立されましたが、それから20年間、彼は芸術監督、首席指揮者として多くのコンサートやレコーディングを行っていました。メンバーにデブはいません(それは、「エステ・・合唱団」)。アルバムはECMCARUSなどのレーベルから数多くリリースされていますが、初期のビロード革命以前、まだ「ソ連」時代にはMELODIYAに録音を行っていました。
2001年にポール・ヒリアーが彼の後継者になってからは、レーベルはHARMONIA MUNDI USAに変わりました。合唱団ではなく、指揮者がレーベルを選ぶというのは、オーケストラと同じ力関係なのでしょう。この、現代合唱界のスーパースターを迎えて、この合唱団によるアルバムのリリースは、より活発なものとなったのです。
2008年にそのあとを継いだのは、やはり世界的な合唱指揮者であるダニエル・ロイスでしたが、ヒリアーほどの活発なレコーディング活動は見られないような気がします。最新のアルバムは、フィンランドのONDINE、最近NAXOSの傘下に入ってしまうなど、弱小感は否めないレーベルです。
しかし、このアルバムは、何か未来が見えてくるような手ごたえのあるものでした。取り上げられた作曲家は、エストニアの中堅、エリッキ=スヴェン・トゥールです。1959年生まれ、今ではエストニアを代表する作曲家ですが、彼のキャリアのスタートはクラシックではなく、「In Spe」というエストニアの「プログレ」バンドのリーダーという、ロック・ミュージシャンとしてのものでした。しかし、彼が影響を受けたELPやイエスのような多くの「プログレ」のように、その作品はクラシックにベースを求めたものでしたから、すでにその時点で「現代作曲家」ではあったわけです。彼の場合、バンド在籍中から正規の音楽教育を受け始めることになります。ちなみに、このバンドの1982年のファースト・アルバムはMELODIYAからのLPですし、「作曲家」としてエストニア・フィルハーモニック室内合唱団と共演した1988年のLPも、やはりMELODIYAでした。
今回の収録曲は全部で3曲。まずは、この合唱団によって委嘱された、19分の間中ア・カペラの合唱が休みなく続くという「The Wanderer's Evening Song」です。最初にいかにも「前衛的」なハーモニーで度肝を抜く、というのが、この作曲家の趣味なのでしょう。それはまさに、半世紀ほど前の「前衛」の名残を「現代」に昇華したもののように響きます。そして、まるでトルミスのような、民族的な素材を用いた息の長いフレーズの音楽が現れます。それを彩る和声の美しいこと、もちろん、そこにはまともな長三和音などは現れるわけもなく、色彩的なテンション・コードやクラスターが満載なのは、やはり「元ロッカー」の意地なのかもしれません。しばらくすると、今度はビートが前面に出てくる音楽に変わります。このあたりの扱いも、ただの「クラシック」とは一味違う「本物」のビートが感じられるものです。
唯一のインスト物は、弦楽合奏のための「Insula deserta(砂の島)」です。これも、ミニマル風のリズミカルな部分と、クラスターなどがべったり塗り込められた和声的な部分が交互に現れる中で、印象的な同じテーマが見え隠れするという、適度にとがった聴きやすい曲です。
そして、合唱とフル・オーケストラのための30分以上の大作が、タイトル曲の「Awakening(覚醒)」です。これが初録音の2011年の作品、やはり、オーケストラのチューニングのようなある種「偶然性」を装ったイントロで刺激を与えてくれたあとは、リズミカルな部分と包み込むようなソフトなサウンドが、円熟の書法を見せてくれます。ここでの合唱も、ベースは民族的なテイストです。
もしかしたら、ヘタな「クラシック」の作曲家よりも、「元ロッカー」の方が、音楽の持つ力を信じられるのではないか、このたくましい、それでいてキャッチーな作品を聴いていると、そんな思いに駆られてしまいます。

CD Artwork © Ondine Oy
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by jurassic_oyaji | 2012-05-29 23:13 | 合唱 | Comments(0)
PÄRT/Creator Spiritus
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Christopher Bowers-Broadbent(Org)
NYYD Quartet
Paul Hillier/
Theatre of Voices
Ars Nova Copenhagen
HARMONIA MUNDI/HMU 807553(hybrid SACD)




ペルト、というか、エストニアという国そのものに強いシンパシーを注いできたポール・ヒリアーは、エストニアの合唱団とのつながりこそなくなってしまったものの、コペンハーゲンに本拠地を移した今も、ペルトのスペシャリストであり続けています。今回の新録音は、2010年にコペンハーゲンで行われたもの、現在の彼の合唱団、「アルス・ノヴァ・コペンハーゲン」を中心とした小規模な合唱曲あるいはソロ・ピースと、弦楽四重奏による室内楽という、バラエティに富んだレパートリーが用意されていました。
合唱のクレジットはもう一つ、「シアター・オブ・ヴォイセズ」という、ヒリアー自身もメンバーとして名を連ねている団体もあります。その2つの「団体」は、曲ごとにそれぞれに単独で歌ったり、「合同演奏」をしたりという、まるで「ジョイント・コンサート」のような様相を呈しているかのように見えます。一応、今回のメンバー表によれば「ToV」の歌手は5人、「ANC」は16人ですから、「合同演奏」の時には「21人」になるのだ、とか。ただ、ここでは「ToV」のメンバーのうちの3人が「ANC」も掛け持ちしていますから、本当は「18人」しかいないんですよね。というか、1998年にやはりペルトの曲を録音した時には、「ToV」のメンバーは24人もいたのですからね。そもそも、この団体は「合唱団」という固定的なものではなく、ヒリアーを中心にしたある種のプロジェクトなのでしょう。
ここでは、「Veni creator」、「The Deer's Cry」、「Morning Star」といった、ペルトの最新作が聴けるのが一つの魅力なのでしょう。しかし、もはやどっぷりと「後ろ」を向いてしまった作風が定着したかに見えるペルトの、いかにも「合唱曲」然としたノーテンキな曲には、ほとんどなんの価値も見いだせなくなってしまっているのは、悲しいことです。こんなものは、別にペルトでなくても構わないのでは、という思いですね。
そんな中で、何曲か「改訂」が行われている作品に、興味がわきました。まずは、「Solfeggio」という、文字通り「ソルフェージュ」をテーマにした1963年の作品です。チーズじゃないですよ(それは「フロマージュ」)。2005年にリリースされた「70歳記念アルバム」(HMU 907407)で、「大人数」だった頃の「ToV」による演奏で、その改訂前の「合唱曲」が聴けますが、それは「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド」という7つの音を、そういう歌詞で歌うというだけの曲でした。4つのパートがどこかの音で伸ばしている間に、ほかのパートが続けて歌う中で生まれる不思議なクラスターが、なかなかの味を出していたものです。それを、2008年に弦楽四重奏のために書き直したものが、ここでは演奏されています。歌詞が無くなっただけで、その「前衛的」な響きがただの「ヒーリング」に変わるのを見るのは、ある意味スリリングです。「Psalom」は1985年に作られた時から、弦楽四重奏と弦楽合奏の2つのバージョンがありましたが、ECM449 810-2)の弦楽合奏版と聴き比べると、まるで別の曲のようです。
このアルバムのメイン、1985年の「Stabat Mater」にしても、2008年にもっと大きな編成に書き直されたものをすでに聴いていれば、どちらがよりペルトらしいかを味わうこともできるはずです。
2000年の「My heart's in the highlands」という曲は、「ヒーリング」にしておくにはもったいないユニークなフォルムを持っていました。それは、バッハの「パッサカリア」風のオルガンに乗って、ソプラノ・ソロが「ワン・ノート・サンバ」みたいに「単音」のメロディを延々と歌う、というものです。実際は、FA♭→CA♭→Fという、「ヘ短調」の3つの音の中で、上昇と下降を行うため、「5つの単音」が歌われています。まさに、メロディの原点ですね。ヒリアー自身のライナーノーツでは「ヘ短調」が「ヘ長調」となっているのは、単なる勘違いだと思いたいものです。

SACD Artwork © Harmonia Mundi USA
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by jurassic_oyaji | 2012-05-27 20:41 | 合唱 | Comments(0)
風評被害
 私の父は愛媛県の八幡浜市の出身、今でも生家はちゃんと残っていて、妹さんが守っています。もちろん、私も何度か八幡浜には行ったことがあります。実は新婚旅行も八幡浜を中心にして四国を巡る、というものでした。当然、近くの松山市にも行ったことはあります。市電が走るのどかな街でしたね。四国とか愛媛県というのは、私にとっては心のふるさとです。
 そんな松山市の山間部にある日浦小学校というところが、父兄の反対にあって北九州市への修学旅行を取りやめた、という事件は、ですから、私自身が裏切られたみたいで、もう恥かしくてたまりません。「ふるさと」の人たちがこんな愚かなことをしでかすなんて、もう土下座してでも石巻の人たちに謝りたい思いです。
 そう、先日から伝えられているように、北九州市では石巻の震災瓦礫の処理を受け入れるために、今試験的に焼却を行っているところなのですね。それに対して、なんだか異常なテンションで反対運動が起こっているということを知って、ものすごい違和感がありました。石巻の瓦礫が放射能に汚染されているということは全く聞いたことがありませんし、実際に瓦礫の現物や焼却灰、まわりの空気などを測定しても、何の異常も認められなかったというのは、もはや「当たり前」のこと、そんな、全く何の危険もないことに対して、あの人たちはなんでこんなに大騒ぎしているのだろう、という思いですね。まさに何の根拠もない「風評被害」の最たるものではありませんか。困ったものだ、と思っていました。
 そうしたら、その「風評」がこんなところに飛び火してしまったのですね。人間って、いったいどこまで愚かになれるものなのでしょう。何でも、修学旅行に行く予定だった児童の父兄全員が、「あんな危険なところに行かすことはできない」と主張したというのですね。確かに、「子供のことが心配」という気持ちは分かりますが、そんないわれのない主張の結果、多くの人が傷ついていることに、その父兄たちは気付かないのでしょうか。言ってみれば、これは「名誉棄損」とか「誹謗中傷」と呼ばれる、最も薄汚い「犯罪」なのですよ。もしかしたら、私の遠~い親戚かもしれない人たちが、こんな「犯罪者」だったなんて、本当にやりきれません。
 母親が子供に教えるべきものは「思いやり」の心のはずです。それを、ありもしない恐怖を真に受けてこんなヒステリックな行動に走るなんて、子供からも軽蔑されてしまうのではないでしょうか。あなた方は、親として最も大切なことを、「風評」によって見失ってしまったのですよ。
 だいぶ前のことですが、東北の地から四国に行った時に一番驚いたのは、話している言葉が全く分からないことでした。私自身は四国で育ったわけではないのですが、父親の言葉からある程度のものは分かっていたと思っていたので、これはかなりショッキングでした。言葉、というか、そのまわりの文化や、社会に対する考え方までも、実際にその土地に行ってみると「東北」とはかなり違っていることが身をもって体験できます。ですから、逆に四国や九州の人たちには「東北」の思いが完全には理解できないのかもしれません。よく、東北の人は粘り強いとか言われますが、それは決して打たれ強いということではなく、人知れず耐えてしまうためにその「弱さ」が相手に分からないだけの話なのです。今回のような仕打ちに遭っても、その怒りをおおっぴらには表わせられない、そんな「東北」の人たちの心を踏みにじるような残念なことだけはして欲しくありませんでした。
 でも、私はそんな愚かな行動に走ってしまった松山市の人たちは、きっと改心して「真人間」になってくれることを信じています。なんと言っても、私の「ふるさと」の人たちなのですからね。
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by jurassic_oyaji | 2012-05-26 20:09 | 禁断 | Comments(3)
HAWES/Lazarus Requiem
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Thomas Walker(Ten)
Elin Manahan Thomas(Sop), Rachael Lloid(MS)
Patric Hawes/
Exeter Philharmonic & Cathedral Chorus
Royal Scottish National Orchestra
SIGNUM/SIGCD282




2008年に初演された非常に新しい「レクイエム」の、初録音です。作曲したのはパトリック・ホーズという1958年生まれのイギリスの作曲家、すでにこのレーベルからも何枚かのアルバムを出していて、合唱関係ではかなり名前が知られている人です。ここでは、これまでの作品でも協力してきた兄のアンドルー・ホーズ(詩人にして聖職者)のアイディアに従って、通常の「レクイエム」の間に、新約聖書のヨハネによる福音書の中にある「ラザロ」のエピソードを挟み込むことにしました。マグダラのマリアの弟であるラザロは、病気にかかって亡くなってしまいますが、4日後にやってきたイエスが死体を収めた洞穴をふさいでいた石をどけさせると、そこからは蘇ったラザロが現れた、というお話ですね。
これを、福音書の記述にほぼ忠実に、イエス、マリア、そしてマリアの姉のマルタの言葉をそれぞれソリストが歌い、地の文を合唱が歌うという、「受難曲」ではおなじみの手法で進行させました。つまり、1曲で「レクイエム」と「受難曲」を同時に味わえる、という、なんともお得な曲が出来上がったことになります。
構造が非常に分かりやすいうえに、音楽もとことん伝統的な書法に徹していて、安心して聴いていられます。まずは序曲代わりに「ラザロへのエレジー」というインスト曲が演奏されますが、フルートの長大なソロで始まるそのテーマは、とても懐かしい情感をたたえた美しいものでした。「スノーマン」でおなじみのやはりイギリスの作曲家、ハワード・ブレイクの持っているテイストとよく似た和声感も、とても上品で心地よいものです。
そして、まず「ラザロ」が始まります。全部で6つの「タブロー」(ハセガワさんじゃないですよ・・・それは「サブロー」)が、文字通り「絵」のように「レクイエム」の間を飾ることになるのですが、それぞれ、最初にその「額縁」に相当するイントロが奏されます。まるで、グレゴリア聖歌のような単旋律がハープに乗って聴こえてくるのですが、それを担当する楽器がバリトン・サックスなのが、軽いショックを与えてくれます。前の曲でのフルートの上品さに比べると、この楽器の無神経さには殆ど耐えられないものがあります。それに続く合唱のテンション・コードや、弱音器を付けた弦楽器の思慮深さとは対極にあるこの乱暴な楽器をここで用いた作曲家のセンスが、理解できません。
もう一つ理解できないのは、そのあとの曲、いよいよ「本編」である「レクイエム」の登場だと思って身構えていると、そこにはあのデュリュフレの曲が流れてきたではありませんか。いや、正確には、この名作で使われているグレゴリオ聖歌を、ホーズも同じようにテーマとして使っているだけなのですが、なぜかそれが「パクリ」に聴こえてしまうのですね。ただ、ほかの楽章ではオリジナルのテーマしか使われてはいません。
「ラザロ」では、テノールによるイエスの言葉に、思い切り高音を使ったハイテンションのメロディが与えられていますし、オーケストラにもホルンが加わって盛り上げられています。それを歌うウォーカーの声はそれに見事にハマったもので、見事なインパクトを与えてくれます。最後の「タブロー」でのクライマックスなどは、まさに圧倒されてしまいます。
「レクイエム」の方も、かなりベタなオーケストレーションで盛り上がります。ほとんど合唱だけで歌われていますが、「Benedictus」ではソプラノ・ソロが加わっています。おそらく、E.M.トーマスを想定して作ったのでしょうが、高音での音程の怪しさは致命的、彼女は、もはやそのような期待に応えられる資質をなくしてしまったのでしょうか。合唱の、やはり怪しげな音程とも相まって、最初の「エレジー」にみられた上品さが最後まで続かなかったのが、残念です。

CD Artwork © Signum Records
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by jurassic_oyaji | 2012-05-25 20:27 | 合唱 | Comments(0)
MOZART/Flute Quartets, Kraus/Flute Quintett
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Matthias Ziegler(Fl)
Casal Quartett
NOVALIS/CD 150 96-2




モーツァルトの「フルート四重奏曲」などを収録したCDですが、あの有名な4曲の四重奏曲は入っていません。ここで演奏されているのは、モーツァルトの別のジャンルの作品、「4手のピアノのためのソナタ」K 497と、ピアノ、クラリネット、ヴィオラのための「ケーゲルシュタット・トリオ」K 498をフルート四重奏に編曲したものと、モーツァルトの同時代(生年は同じで、没年もモーツァルトの1年後)の作曲家、ヨーゼフ・マルティン・クラウスが作った「フルート五重奏曲」の3曲という、非常に珍しい作品たちです。これらは、果たして「フルート四重奏曲第5番」や「第6番」となりうるのでしょうか。
モーツァルトの曲は、あのプレイエルが編曲したものです。なんでも、ここでフルートを演奏しているスイスのフルーティスト、マティアス・ツィーグラーが先生から譲り受けた楽譜の中に、そんなものがあったそうなのですね。その先生は、北イタリアの古本屋で見つけたのだとか。もちろん、プレイエルは彼の会社で出版するために自らこの編曲を行いました。その際には、やはり彼のビジネスマンとしてのセンスから、「演奏して楽しい」ように原曲を少しいじっています。要するに、「売れる」編曲を目指したのですね。こういうことは、この時代の編曲にはよくあることです。あのベートーヴェンでさえ、自作を木管合奏に編曲したときには、今の感覚では考えられないようなカットを、かつては行っていたのですからね。
しかし、これを見たツィーグラーは、そのような「改作」は許せなかったのでしょうね。なんと、そのカットされた小節を、今度はとある作曲家との共同作業ののちに「修復」してしまったのだそうです。でも、これはちょっと違うのではないか、という気がするのですが、どうでしょう。いくらカットが施されているとは言っても、それはその時代のプレイエルの考えが反映された編曲なのですから、それはそれでそのまま演奏した方が、より「オーセンティック」な態度なのでは、と思うのですがね。というか、そんな「修復」を加えてしまっては、そもそも「プレイエル編曲」というクレジットが意味のないものになってしまうのに。
かくして、モーツァルトの同時代の有名な作曲家が、彼の作品をどのように考えていたかを知ることができるはずの貴重な編曲が、ツィーグラーたちの「おせっかい」で、別物に変わってしまいました。そう、これは「修復」などという立派なものではなく、悪意に満ちた「改竄」にほかなりません。いっそ、「ツィーグラー編曲」としてくれれば、何の問題もなかったのでしょうが、名前を使われたプレイエルこそ、いい迷惑です。
そのような「あたりまえ」の編曲を施されたフルート四重奏曲は、なんだかあんまり楽しそうではありませんでした。何よりも、ソロ楽器としてのフルートが全然前に出てこないのです。
それに比べると、スウェーデンのグスタフ三世の宮廷楽長を務めたことから「スウェーデンのモーツァルト」と呼ばれることもあるクラウスの五重奏曲は、まさにフルートの魅力をふんだんに味わえるとことん楽しい曲です。まず、ちょっとした工夫があって、曲が始まっても弦楽四重奏が長いイントロを演奏する間は、フルートは全く聴こえてきません。いい加減じれてきたところで、やおらフルートの登場、あとはもういかにもフルートならではの軽やかなソロのパッセージを聴かせてくれる、という作り方です。こんな「憎い」演出はモーツァルトだってやっていませんよ。
ただ、次のゆっくりした楽章が、モーツァルトほどの深みがないのは、まあ仕方のないことでしょう。その代わり、無難な変奏で楽しませてくれています。最後の楽章は、やはり屈託のない明るい音楽で終わります。

CD Artwork © Audio Video Communications AG
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by jurassic_oyaji | 2012-05-23 20:11 | フルート | Comments(0)
VERDI/Requiem
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Galina Vishinevskaya(Sop), Nina Isakova(MS)
Vladimir Ivanovsky(Ten), Ivan Petrov(Bas)
Igor Markevitch/
State Academy Chorus
Moscow Philharmonic Orchestra
ICA/ ICAC 5068




2011年に設立され、多くの「初出」音源をリリースしてきたICA、この、マルケヴィッチが1960年にロシアを訪問した際にライブ録音したヴェルディの「レクイエム」も、ライナーを読む限りでは明らかに「初出音源」であるように思われてしまうものです。インレイには「FIRST CD RELEASE」の文字もありますしね。
実は、以前からマルケヴィッチがロシアで録音したとされるレコードはPHILIPSレーベルから出ていました。ただ、それは録音が「1961年」となっていましたし、オーケストラも「ソヴィエト国立交響楽団」というクレジットだったので、その1年前にモスクワ・フィルと録音されたものが見つかった時には、間違いなく「初出」と思ってしまったのでしょうね。ソリストが全員同じ人だったという「偶然」には目をつぶったのでしょう。
ただ、2006年に、日本国内だけでそのPHILIPS盤を原盤にしたCDが、日本のユニバーサルから限定発売で出ていたことがありました。そこには、このICA盤と同じように「モスクワ・フィル」、もしくは1960年録音」と表記されていて、LPでのミスは正されていたのですね。つまり、このCDのライナーノーツを執筆しているDavid Patmoreが言うような「このライブ録音の1年後に行われた、PHILIPSレーベルで最初にリリースされた商業録音」などというものは、はじめから存在していなかったのですよ。Patmoreさんは、この日本盤CDのことはまったく知らなかったのでしょう。
おそらく、このライナーノーツを鵜呑みにしてしまったのでしょう。国内で発売されるときには、日本の代理店の担当者は「初出音源」であることを目玉にして販売店に情報を流したのでしょうね。実はこれが初出でもなんでもないことが分かった時には、その男は真っ青になったことでしょう。間違った情報を訂正すべく、各方面に頭を下げまわったのでしょうね。その痕跡が、こちらの通販サイトに、何とも奇妙な言い回しで残っています。「CDにはこの演奏を初出音源と勘違いした英文解説が付されているものと思われますが、もしお買い求めの場合は、その点をご了承くださるようお願いいたします」という不思議な文章は、おそらく業界の人にしか理解できないような自分勝手な言い方です。すでに現物は出回っているのに、なぜ「英文解説が付されているものと思われます」なのでしょう。要は、「自分は悪くない」という明らかな責任回避なのですが、こんな文章は逆に販売店の誠意のなさを明らかにするだけのものであることが、「業界」の人にはわからないのでしょうか。というか、「思われます」なんて言って済ましているインフォなんて、何の役にも立たないものです。こんな文章を書いた人は、滝に打たれてください。
代理店が作った「帯」では、そんな不手際は見られません。おそらく、初出ではないことが分かった時点で差し替えたのでしょう。ただ、この「帯」には、合唱団の名前が「ロシア国立交響合唱団」と表記されています。英文は「State Academy Chorus」ですが、いったいどこからこんな「交響合唱団」なんて訳語をでっち上げたのでしょう。しかし、これはさっきのユニバーサルの国内盤CDを見れば、あの有名な「ソヴィエト国立アカデミー合唱団」であることがわかります。こちらにはちゃんと合唱指揮者も「アレクサンドル・スヴェシニコフ」と明記されていますしね。やはり、代理店の人も滝に打たれてください。
それにしても、こんなひどい録音を「商業録音」だと言いきるPatmoreさんも、すごい神経の持ち主です。カップリングの1957年録音のフランス国立放送管弦楽団とのロッシーニ序曲集は、LPからの板起こしだというのに、ノイズが全く聴こえない素晴らしい音です。こういうものを「商業録音」というのではないでしょうか。
業界人が寄ってたかってボロボロにしてしまったCD、彼らは、本当に「音楽」を聴く耳を持っているのでしょうか。

CD Artwork © International Classical Artists Ltd
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by jurassic_oyaji | 2012-05-21 20:46 | 合唱 | Comments(0)
GRAUPNER/Passionskantaten
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Hans Michael Beuerle/
Anton-Webern-Chor
aensemble Concerto Grosso
CARUS/83.457




あのバッハより2年前、1683年に生まれ、10年後、1760年に亡くなったという、まさにバッハの生涯を完全に包み込んでその一生を終えたドイツの作曲家クリストフ・グラウプナーは、ほとんどの時期をダルムシュタットの宮廷楽長として過ごしました。とは言っても、彼はかつてはバッハ以上に忘れ去られた作曲家、彼が唯一音楽史に登場したのは、そのバッハとともに同じポストを争った人物としてなのですからね。1722年にヨハン・クーナウが亡くなったために空席となったライプツィヒの聖トマス教会のカントルに、その翌年にバッハは就任したのですが、その選考の際の候補者がテレマンと、このグラウプナーだったのですね。
そもそもは、そのトマス教会でクーナウに音楽の才能を認められ、親しく教えを授けられたのがキャリアのスタートだったグラウプナーは、後にハンブルクのオペラハウスからダルムシュタットの宮廷楽団とその活動の場を移し、生涯に膨大な量の作品を残します。ところが、作曲家の没後は、それらの作品はすべて遺族ではなく、雇い主の所有物となってしまうのです。自筆稿はダルムシュタットの城の中にしまいこまれ、出版されることもなく300年近くもの間人目につかない状態にあったのです。当然、彼の作った音楽は世の中からは忘れ去られてしまいました。
しかし、もしかしたら、作曲家にとってはこれはかなり幸福な状況だったのかもしれません。なにしろ、すべての作品が散逸されることなく、見事に保存されていたのですからね。しかも、これらが「発見」されたのは、昔の作品は作られた当時のままに出来る限り近づける演奏を心がけるべく、楽器や奏法に関する研究が進んでいた時代でしたから、バッハのように全く見当はずれな演奏様式にさらされることもありませんでした。さらに、一次資料も揃っているのですから、作品目録を作る作業も、おそらくそんなに困難は伴わなかったのではないでしょうか。2005年には、Carus出版から、オスヴァルト・ビルとクリストフ・グロースピーチュの編纂に寄る「グラウプナー作品目録(GWV)」も出版されています。
その目録によれば、グラウプナーの作品は全部で2000曲という膨大な数に上っていることが分かります。ジャンルは多岐にわたり、オペラからシンフォニア、協奏曲、室内楽、独奏曲、そして多くの宗教曲が作られています。その中でも、教会の礼拝に用いられる「カンタータ」は、1400曲以上あるのですから、バッハの比ではありません。「GWV」では、カンタータを、それが演奏された教会暦と、上演年を組み合わせて、番号を付けています。たとえば、すべてが世界初録音のこのCDの最後に入っている「Mein Gott! Mein Gott! Warum hast Du mich verlassen?」は「GWV1127/31」という番号が与えられていますが、「1127」は「聖金曜日」を、そして「31」はそれが上演された1731年をあらわしています。
このカンタータは、合唱、バスのレシタティーヴォ、バスのアリア、コラール、テノールのレシタティーヴォ、アルトとテノールのデュエット・アリア、バスのレシタティーヴォ、コラールの8曲から出来ています。2つのコラールは、どちらもバッハの「マタイ」で何度も使われているお馴染みの「あの曲」なのですが、その飾り方がバッハとはずいぶん違っています。さらに、デュエット(カンタータだけでなくすべての自筆稿が、このようにネットで簡単に見られるようになっています)のイントロでは、3小節目から4小節目にかけて「副Vの和音」を用いた斬新なコード進行に驚かされます。これは、中島みゆきが「時代」のサビ「♪今日は分かれた恋人たちも」という部分で使ったコード進行と同じですね。もちろん、バッハでこんなものにお目にかかったことはありません。
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なんたって、カンタータだけでも、まだ聴いたことのない「名曲」が1400曲もあるのですよ。それらが、順次録音されて行くのだと思うと、あまりのうれしさで気が遠くなりそう。

CD Artwork © Carus-Verlag
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by jurassic_oyaji | 2012-05-19 20:31 | 合唱 | Comments(0)
DVORAK/Symphony No. 9, TCHAIKOVSKY/Symphony No. 4
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Constantin Silvestri/
NHK Symphony Orchestra, Tokyo
KING INTERNATIONAL/KKC 2049/50




昨年で創立85周年を迎えたNHK交響楽団の記念CDの中に、「コンスタンティン・シルヴェストリ」などという懐かしい名前がありました。
彼がN響を指揮するために来日したのは、1964年でした。その演奏会の様子が、なぜかコンスタントにテレビで紹介されていたので、それを見てすっかり「シルヴェストリさん」のファンになってしまったのですよ。もともと全く無名の指揮者でしたし、来日した5年後には亡くなってしまいますから、いまだに「知る人ぞ知る」マニアックな指揮者の名前が、そんなテレビの放送だけですっかり刷り込まれてしまったのですから、幼少期の体験というのは恐ろしいものです。その指揮姿は、それまで見ていた指揮者のものとはずいぶん違っていて、髪を振り乱しながら、とってもワイルドに迫っていたような気がするのですが。
これを買ったのは、そんな思い出の追体験、という意味もあったのですが、現物を手にしてこのジャケットの写真を見たら、もうがっかりしてしまいましたよ。この、なんだか新聞に載った写真でも使ったのではないかと思えるようなひどい写真はいったい何なのでしょう。それと、これと全く同じ時期に同じNHKによって録音されたクリュイタンスの「幻想」がしっかりステレオになっているというのに、こちらはモノというのも、なんだか情けない感じです。
さらにこの2枚組CDには全部で3日分、6曲収録されているのですが、録音会場はすべて「東京文化会館」となっています。しかし、ブックレットに掲載されている、実際にそのうちのどれかを聴いていた方のレポートによると、6曲のうちの4曲は、「旧NHKホール」でのものだというのですね。確かに、実際に聴いてみると響きが全く違います。これは明らかな、ジャケットの表記ミスでしょう。
ドヴォルジャークの「新世界」は、間違いなく東京文化会館での録音ですが、当時の放送局の録音の悪いところだけが目立ってしまう、やたらとストイックな響きに仕上がっていますから、オーケストラがとてもヘタに聴こえてしまいます。始まってすぐ聴こえてくる木管のコラールでのフルートときたら、チリメン・ビブラート丸出しのとても安っぽい音なので思わず力が抜けてしまいます。これが半世紀前のプロオケの実力だったのでしょうか。いや、このフルートは、それだけではなく、おそらく指揮者やまわりの団員のことなど全く聴いていないで、ひたすら自分の世界を追求しているようには聴こえないでしょうか。ちょっと平板な感じのする1959年にフランス国立放送管弦楽団と録音したEMIのスタジオ録音とは違って、ここではかなり大げさな身振りをオーケストラに要求しているようなのですが、フルートだけは全く知らんぷりなのですね。おそらく、この人は後にN響を聴いた時に必ず不快感を与えてくれた、あの男に違いありません。
どうやら、もっと膨らみのある音で、旧NHKホールでの録音と思われるチャイコフスキーの4番でも、この男がトップを吹いていたようですね。こちらの方は、まさに「爆演」そのもののものすごい演奏でした。シルヴェストリという人は、おそらく見せかけのバランスの良さなどを徹底的に嫌う人だったのかもしれません。第1楽章冒頭のファンファーレや、フィナーレのイントロなど、誰でも一直線にスマートに演奏したがるものを、彼はとことん流れに逆らって、至るところをせき止めて鈍重なまでの力強さを出そうとしています。それは、かなりの部分で指揮者の思いがオーケストラに伝わっているようでしたが、フィナーレも最後の方になってくると、ついいつものやり方が出てしまうのは仕方のないことでしょう。なんせ、このオーケストラは、最初にノリントンが来た時にも、完全に彼の意図を実現できたとはとても思えないような演奏ぶりでしたからね。

CD Artwork © King International Inc.
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by jurassic_oyaji | 2012-05-17 20:36 | オーケストラ | Comments(0)
MOZART/Apollo et Hyacinthus
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Andrew Kennedy(Oebalus), Klara Ek(Melia)
Sophie Bevan(Hyacinthus), Lawrecne Zazzo(Apollo)
Christopher Ainslie(Zephyrus)
Ian Page/
The Orchestra of Classical Opera
LINN/CKD 398(hybrid SACD)




スコットランドにある「Linn Products」と言えば、昔から超高級オーディオ・メーカーとしてマニアの間では知られていました。とても手が出そうもない価格の製品を見ながら、「いつかはLinnを」と自虐的に呟いている人はたくさんいることでしょう。最近では、パソコンやインターネットを駆使した「ネット・オーディオ」という新しい分野でも、このメーカーは指導的な立場に立って、次々と魅力的な製品を出しています。彼らが提唱している「DS」(ゲーム機じゃないですよ。「Digital Stream」の略語です)という概念は、いずれはオーディオ界の主流となっていくのでしょうか。
このメーカーの強みは、「Linn Records」というソフト部門を持っていることでしょう。ここで録音された音源は、まさに最高のオーディオ・システムで再生されることを前提としているのですから、その音が素晴らしいのは当たり前の話です。同じようなソフトとハードを両方とも手がけているメーカーは、例えばPHILIPSとかSONYのようなところがありましたが、その両者が手掛けたSACDは、もうこのレーベルから発売されることはありません。その点、Linnの場合は、大メーカーが多くのしがらみの中で必ずしもなしえなかった、「最高」のものを目指して、妥協のないアプローチで臨んでいけるのでしょう。
ネット・オーディオに関しては、まだ何とも言えませんが、パッケージ・オーディオではほとんどすべてのアイテムをSACDで出してくれているのが、そんな「最高」を目指す証でしょうか。今回は、このレーベルにとって2枚目となるオペラ、モーツァルトの「アポロとヒュアキントス」です。
M22」に従えば、モーツァルトにとっては2番目のオペラとなるこの作品は、彼が11歳の時の1767年に、ザルツブルク大学付属のギムナジウムで上演するために委嘱されたものです。この学校では、教育のためにラテン語による演劇やオペラを上演する伝統がありました。この作品の台本は、そこの教師で司祭だったルフィヌス・ヴィドルによって書かれています。ヴィドルは、ギリシャ神話に題材をとって、アポロ、ヒュアキントス、そしてゼフィルスの「三角関係」を描こうとしたのですが、オリジナルのままではあまりにも露骨なホモセクシャルの内容になってしまうので、「教育」にはふさわしくないと、新たに女性のキャラを加え、あくまでストレートの世界であるように改変しています。
その、最もノーマルなキャラのメリア姫を歌っているエクが、とても伸びのある可憐な声で楽しませてくれます。それに対して、3人の「神」は、本来は男性の役なのでしょうが指定は女声パート、アポロはソプラノ、あとの二人はカウンターテノールで歌われています。一番の「悪者」であるゼフィルス役のエインズリーが、とても個性的な声で見事な表現力を見せてくれています。
これはもちろんセッション録音ですが、キャストはこのために集められたものではありません。彼らはすでに1997年から「クラシカル・オペラ」という、指揮者のペイジを中心としたカンパニーを結成していて、様々なオペラハウス(その中には、コヴェント・ガーデンのような高ランクのところも含まれます)で、モーツァルトとその同時代の作曲家たちの多くのオペラを上演してきているのですね。もうすでに完成された形になったものが、LINNのスタッフによって録音されるのですから、悪いものが出来上がるはずがありません。さらに、ここでは録音ならではの工夫も見られます。オペラの中には「雷」や「風」が登場するのですが、それは、まるであのジョン・カルショーのような、効果音にもきちんと出演者としての魂を込めるのだ、といったとした意気込みがビンビン感じられるような、リアリティあふれるものでした。
これからも、彼らの録音からは目が離せません。

SACD Artwork © Linn Records
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by jurassic_oyaji | 2012-05-15 20:33 | オペラ | Comments(0)