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HOLST/Choral Works
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Graham Ross/
Choir of Clare College, Cambridge
The Dmitri Ensemble
HARMONIA MUNDI/HMU 907576




「ホルスト」の合唱曲集、です。しかし、この「ホルスト」は、あの「惑星」で有名なグスターヴ・ホルストではなく、その娘さんのイモジェン・ホルストのことです。以前からこの「イモジェンさん」の名前は、例えば「惑星」の2台ピアノのためのバージョンを出版した人というような、父親の作品の校訂や出版に尽力したという方としての認識はあったのですが、彼女は作曲家としても活躍していたのですね。今まで、室内楽などの録音はあったのだそうですが、今回はすべて世界初録音、つまり、ほとんどの人が初めて耳にすることになる合唱曲が集められているCDが出ました。
イモジェン・ホルストは、1907年に生まれて、1984年に亡くなっています。このアルバムにはかなり厚ぼったいブックレットが付いていますが、それには彼女の晩年の写真がたくさん掲載されています。かなり大きめの鼻が特徴ですが、これは父親譲りのようですね。それらの写真からは、音楽学者、指揮者、作曲家として生涯独身で過ごした女性の老後の穏やかさのようなものを感じることはできないでしょうか。ジャケットの丸い眼鏡はジョン・レノンみたい(それは「イマジン」)。そのほかに、彼女の自筆の楽譜の写真も載っていますが、とても読みやすい楽譜ですね。
そして、アルバム自体のプロデュースと、さらに録音までも手掛けているのが、あのジョン・ラッターだというのにも、注目です。ここで演奏している「ドミトリー・アンサンブル」のデビュー・アルバムで、プロデュースと録音を担当したのがこのラッターでしたし、クレア・カレッジの合唱団で自作を録音した時にも、やはりプロデュースだけではなく、録音も担当しています(NAXOSの「Mass of the Children」など)。作曲家でありながらエンジニアのような特殊な能力が要求される仕事のプロなのですから、ラッターという人はすごいものですね。
このイモジェンのアルバムでも、ラッターは選曲などにも関与しているのでしょうね。そのラインナップは、まず彼女の若いころ(20歳!)のものから始まって、年代順に作品が並べられているというものでした。さらに、最後には彼女の親友であったベンジャミン・ブリテン(彼女のお墓は、そのブリテンとピーター・ピアーズのお墓のすぐ後ろにあるそうです)に頼まれて、オルガン伴奏の合唱曲にオーケストレーションを施したものなども収録されていて、彼女の「編曲家」としての成果も紹介されています。
まず、1927年に作られた「Mass in A minor」という、初期の作品です。無伴奏の混声合唱のためのフル・ミサですが、ポリフォニーの技法を取り入れたり、中世風の旋法が聴こえたりと、きちんと過去の遺産を受け継いでいこうという姿勢が見て取れてほほえましくなるような曲です。その中には、彼女の一世代前のイギリスの作曲家が共通して持っているようなテイストも満載、聴いていてとても心が温かくなるような気がします。
それ以後の作品になると、そのような素朴な作風からは少し離れて、同じ時代の「新しさ」をしっかり取り入れ、過去の再生産ではない、彼女自身のアイデンティティを見つけようと模索しているような姿勢が感じられるようになってきます。確かに、それは素晴らしいことなのですが、その結果「現代」の人たちが聴いたときになんとなくつまらなく感じられてしまうのは、仕方のないことです。このころは、誰しもがそんな「新しさ」を追い求めることに汲々としていたのですからね。
ただ、そんな中でハープと女声合唱のための「Welcome Joy and Welcome Sorrow」は、素直な心情が表に現れていて気持ちよく聴けました。
ブリテンの作品の編曲も、なかなかいい感じではないですか。おそらく、原曲よりも数段親しみが増しているのではないでしょうか。
合唱は、何か声が散漫に聴こえてしまいます。グラハム・ロスは、合唱を指揮するのはあまり上手ではないのでしょうか。

CD Artwork © Harmonia Mundi USA
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by jurassic_oyaji | 2012-08-31 10:19 | Comments(0)
新宿バルト9
 今度の日曜日に、末廣さんが指揮をするマーラーの「復活」を聴きに行くことになっているのですが、そんなところに、この間見てきた達郎のシアターライブが2日間延長される、というニュースが飛び込んできました。チケットの売れ具合が好評だったので、一部の映画館でそのような措置が取られることになったのだそうです。あいにく仙台はその対象にはなりませんでしたが、新宿の「バルト9」ではこの延長が行われます。そうなると、その最終日がちょうどこの日になるのですよね。上野でのコンサートは4時には終わりますから、それから新宿に行って映画を見ても、楽々帰って来れます。もう1度、今度はさらに音がよいはずの最新のシネコンで見てくるのもいいかな、と思いました。
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 問題はチケットの入手方法です。せっかく行ってもおそらく窓口で買う頃にはほとんど満席でろくな席は選べないでしょうし、最悪すでに満席になっているかもしれません。しかし、「バルト」の場合は、ネットで座席を指定して買うことが出来るので、それは問題ありません。ただ、一応会員登録をしないと買えないので、前もって会員だけにはなっておいて、実際に買う時には出来るだけ手間を省いておこうと思い、まず会員登録だけをやろうとしてみました。しかし、なぜか、途中で出来なくなってしまうのですね。一応「仮登録」というステージまで行くと、一旦相手からメールが送られ、さらにそれに従って残りの手続きを行う、という手順なのですが、そのメールが届かないのですよ。普通、そういうメールは瞬時に来ますよね。それが、次の日になっても来てないのですね。仕方がないので、別のアドレスを使ったり、郵便番号を入れるところには、もしかしたら都内の人しか受け付けられないのかもしれないと、三軒茶屋あたりの番号を入れたり、何度も何度も何度も・・・試してみたのですが、一向に「仮登録」から先には進めないのですよ。
 仕方がないので、電話をしてみました。そうしたら、確かに私のアドレスで登録は届いているというのですね。メールも送っているのだそうです。ということは、サーバーのフィルターにかかって迷惑メールとして削除されてしまっているのかもしれませんね。電話先では、このまま本登録してくれるというので、お願いすると、確かに数分後にはしっかりログインできるようになっていました。問題は、メールで送ってくることになっている、チケットを受け取る時に必要なパスワードなどですが、それもログイン先の「会員情報」でちゃんと分かるので、メールが届かなくても問題はないというので、一安心です。
 と、準備が整ったところで、きのうになってやっと上映時間が公開されました。それを見てみると、なんということでしょう、だいたい2時間おきに始まるものが、2時半の回の後は7時10分まで上映がないのですね。これだと、終わるのが8時50分、最終の「はやぶさ」が9時36分ですから、丸ノ内線で行ってもギリギリですね。せめて5時ごろに始まるのがあればよかったのに。
 でも、逆に、これで念願の「はやぶさ」に乗れるのだから、それもいいなと思い、一応チケットを取ってみることにしました。今回私が使うのは「大人の休日倶楽部パス」という、15000円で3日間乗り放題、指定券も6枚までは使えるというお得なチケットです。でも、「はやぶさ」はすぐ売り切れますから、もうないかもしれませんね。「みどりの窓口」に行ってみると、駅員さんはタッチパネルを操作しながら「空いてますよ」と言ってますから安心しましたが、いざ発券という時に、「ごめんなさい、これは『はやぶさ』にはつかえなかったんですよ」ですって。確かに、案内を見てみると「『はやぶさ』以外の指定券」と、しっかり書いてありましたね。でも、駅員さんも、最初は知らなかったんですよね。まけてくれてもいいようなものを。
 そうなると、あとは最終の「やまびこ」に乗るしかありません。そこまでして達郎を見てくるか、まだ結論は出ていません。映画のチケットは明日からネットで買えますから、その結果待ちですね。なかなかつながらなくて、つながった時には全部なくなっていた、なんてこともありますからね。
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by jurassic_oyaji | 2012-08-30 21:02 | 禁断 | Comments(0)
WEBER/Wind Concertos
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Maximiliano Martín(Cl)
Peter Whelan(Fg)
Alec Frank-Gemill(Hr)
Alexander Janiczek/
Scottich Chamber Orchestra
LINN/CKD 409(hybrid SACD)




にも書きましたが、ジャケットの絵が風に流される難破船を描いているからと言って、このアルバムには「風の協奏曲」が入っているわけではありません。そもそも、風の協奏曲って、いったい・・・。
もちろん、「Wind」というのは「管楽器」のことですね。正確には「Wind Instrument」。いや、そんなことは、ジャケットのデザイナーもご存じだったのでしょう。ですから、この絵はもっと、例えば作品の内面を端的に表しているものとして使っているのかもしれませんね。いかにもドイツ・ロマン派の深刻な情感みたいなものを表現している、とか。
しかし、そんなイメージをもってこのアルバムを聴いたとしたら、おそらく「ちょっと違うな」と感じられるかもしれません。ウェーバーが作った管楽器のための協奏曲には、もっと明るく伸び伸びとしたテイストが漂っているのですからね。それを知ったのは、こちらのジャック・ランスロやポール・オンニュといったフランスの名手たちが、ドイツのバンベルク交響楽団のバッキングで演奏している大昔のERATOのレコードでした。
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ここに入っているクラリネット、ファゴット、そしてホルンのための協奏曲(コンチェルト)あるいは小協奏曲(コンチェルティーノ)は、どの曲もとてもキャッチーなメロディであふれていました。特に、クラリネット協奏曲の最後のロンドのテーマは、一度聴いたら忘れられない魅力を持ったものとして、長い間心の奥底にしまわれていました。
今はもうそのLPは手元にはなくなっていますが、こんな最新録音を見つけて、懐かしくなってしまいました。LINNの最高の音質で、かつての思い出は蘇ってくれるでしょうか。
クラリネット協奏曲でソロを吹いているのは、スコットランド室内管の首席奏者、マクシミリアン・マルティーンです。スペイン出身の彼の音は、もしかしたら「クラリネット」に普通持たれているイメージをかなり変えてしまうものなのではないでしょうか。ビブラートこそかかっていませんが、その音色はあくまでソフト、そして、この楽器特有のレジスターの切り替えによる音色の変化に殆ど気付かされないという驚くべきものです。こんな上品な音のするクラリネットの低音なんて、聴いたことがありませんよ。もちろん、テクニックも完璧です。難しいフレーズを軽くクリアするのは当たり前のことですが、この人の場合、そこに天性の華やかさが加わります。それは、一歩間違えればアンサンブルの破綻を導きかねないほどの危うさをも秘めていますが、だからこそ、まさに「腐る直前」の熟れに熟れた果実のような豊穣さを味わえるのでしょう。
長い年月を経て出会ったクラリネット協奏曲は、とても新鮮で、ウェーバーという作曲家の魅力を改めて伝えてくれるものでした。そして、第3楽章のロンドは、さらに美しいものとして思い出に上書きをしてくれました。
ファゴット協奏曲を吹いているピーター・ウェランは、マルティーンとは対照的に堅実な音楽を聴かせてくれました。それは、1楽章あたりではちょっと作為的な面も感じられてしまいますが、全曲を聴き終れば、やはり軽快な爽やかさが残る素敵な演奏でした。
ホルンは、若手のアレック・フランク=ゲミル、この人も、完璧なテクニックと音楽性で、聴きどころ満載です。変奏曲である第2楽章での目の覚めるような吹きっぷりには、感服します。最後にあるちょっとしたカデンツで、「重音」のようなものを出していたのは、彼のアイディアなのでしょうか。
オーケストラはコンサートマスターが中心になって、自発的な合奏を繰り広げています。かつてのバンベルクのような重苦しさのない、とても風通しの良い演奏が生まれています。それがもしかしたら「風」?
こんな素敵な管楽器の協奏曲を作ったウェーバーが、フルートのための協奏曲を残してくれなかったなんて。

SACD Artwork © Linn Records
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by jurassic_oyaji | 2012-08-29 21:13 | オーケストラ | Comments(0)
LIGETI/String Quartet No.2 etc.
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JACK Quartet
WIGMORE HALL/WHLive1153




「ジャック・クァルテット」というアメリカの若いアンサンブルが、ロンドンのウィグモア・ホールで行ったコンサートのライブです。ジェルジ・リゲティ、マティアス・ピンチャー、ジョン・ケージ、ヤニス・クセナキスという4人の「現代」作曲家の作品ばかりを演奏したという、このホールには珍しい「前衛的」なプログラムに、惹かれます。普段はお笑い専門ですからね(それは「ユーモア・ホール」)。
ところで、この弦楽四重奏団の名前である「ジャック」というのは、いったい何なのでしょう。普通、こういう団体のネーミングとしては有名な作曲家の名前(スメタナ)や地名(東京)、あるいは、メンバーのうちの誰かの名前(アルディッティ)などに由来するものが多いような気がします。そうなると、「ジャック」というのは、メンバーの名前なのでしょうか。しかし、4人の名前は、クリストファー・オットー、アリ・ストレイスフェルド(Vn)、ジョン・ピックフォード・リチャーズ(Va)、ケヴィン・マクファーランド(Vc)と、その中にはジャック・なんとかさんは見当たりません。あるいは、みんながジャック・スパロウ船長のファンだとか。
ただ、「JACK」と、すべて大文字なのが気になります。そこで、メンバーのファーストネームの頭文字を見てみると、クリストファーの「C」、アリの「A」、ジョンの「J」、そしてケヴィンに「K」と、見事に「JACK」のパーツが揃っていましたね。実は、ブックレットにはこんな「体文字」の写真がありました。これを見ていればすぐ気が付いていたのに。
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ただ、こんな名前を付けてしまうと、もうメンバー・チェンジが出来なくなってしまいますね。チェロのケヴィンが脱退したら、その後釜にはケントさんとかキングさんに入ってもらうしかないのでしょうか。あるいは、誰かが辞めるときは、このアンサンブルも解散するとか。それもまた潔い生き方ですね。
このライブCDには拍手もきちんと入っていますから、おそらくこのコンサート当日の模様が、順番にそのまま収録されているのでしょう。そこで、まずはすっかり「現代音楽の古典」として定着した感のあるリゲティの「弦楽四重奏曲第2番」です。この作品から彼らはまるで作られたばかりの曲のような新鮮さで、新たな魅力を引き出してくれています。非常に静かな第2楽章などは、楽器を演奏するのではなく、まるで人の声で歌っているようなちょっと不思議な感触を聴かせてくれます。そうすると、そこからはまるであの合唱曲の「ルクス・エテルナ」のようなテイストが漂ってくるのですよ。次の楽章のピチカートの精度も、おそらくリゲティが考えていたのとは全く別の次元の高さを持っているのではないでしょうか。これは、21世紀になって、人間の行動様式が全く変わってしまったからこそ可能になった恐るべき演奏です。
次の「Study IV for Treatise on the Veil」という2009年の作品は、4人の中で唯一ご存命の(いや、まだ40歳という若手)マティアス・ピンチャーの新作です。この人の名前は以前ラトルの「惑星」が出たときに抱き合わせで入っていた天体がらみの現代作品の一つを担当していた人として、記憶に残っていました。そのオーケストラ曲はまるで武満のような静謐さと、ダイナミックさが同居していたような印象ですが、こちらのクァルテットの曲には、その静謐さをさらに凝縮したような味がありました。もう、ほとんど何の楽器かもわからないような音色は、確かに武満の系譜を継ぐものだと確信させられるものです。
そのあとに、ジョン・ケージの「String Quartet in Four Parts」のような脱力感満載の作品を持ってこられると、いきなり会場の空気が変わります。そして最後に、まさにこのメンバーならではの圧倒的な音塊でクセナキスの「Tetras」が演奏されると、これはもしかしたら4コママンガのような「起承転結」を狙ったプログラミングなのか、などと思ってしまいます。完璧です。

CD Artwork © The Wigmore Hall Trust
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by jurassic_oyaji | 2012-08-27 20:00 | 現代音楽 | Comments(0)
山下達郎シアターライブ
 この間「先売り券」を買っておいた山下達郎のライブを見るために、長町のMALLに行ってきました。
 開演に遅れるのはいやなので余裕を持って少し早めに行っておきます。駐車場が混んでると大変ですからね。でも、車はすんなり入れられたので、少し時間が空いてしまいました。そこで、MALLの中の本屋さんとかで時間をつぶします。その通り道の西友のテナント部分を通った時に、なんだかえらくアナクロなポスターが目に着きました。昔の外国映画のポスターのようですが、洋服売り場にはちょっと場違いな、と思ったら、はたと気づきました。去年もトニー谷のそっくりさんを登場させたりした、あの一連の手の込んだパロディだったんですね。
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 いやあ、これは秀逸です。一瞬、自分の身にこんなことが起こったように感じるほどのインパクトがありましたね(もちろん、終わるのはセールです)。
 気を取り直して、達郎のライブ会場、MOVIX仙台に向かいます。MOVIXって、・・・そう、映画館ですよね。もちろん、達郎本人がこんなところでライブをするわけがありません。これはライブの映像を映画館のスクリーンに映して、なかなかチケットが手に入らないファンにも手軽に見てもらおう、という企画だったのですよ。使うのは、ここで最大のキャパのシアター5、開場前なのに、そのあたりにはものすごい人が集まっています。ちょっと異様な雰囲気。10分前に開場すると、座席はみるみる間に埋まって行って、ほぼ満員、前の方に少し空席があるだけです。やはり前もって買っておいたのは正解ですね。こんなぎゅうぎゅう詰めの映画館なんて、久しぶりに入ったような気がします。
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 その映像は、、一つのライブではなく、なんと1984年から今年までのさまざまなライブの中からチョイスして編集したものでした。まずは昔の映像が、画面のサイズも3×4というスタンダードで、達郎もメンバーも若いですね。コーラスのお姉さんのまゆ毛の太いこと。なにより、達郎の髪がサラサラして、風になびいているのがカッコイイですね。ただ、音はちょっとひどかったですね。この「シアター・ライブ」で一番楽しみにしていたのはその「音」でした。なんせ、達郎自らマスタリングを行ったという「最高の音質」が売り物でしたからね。ですから、私もこのシネコンで最高の音が聴けるはずのこのシアター5のチケットを買ったのでした。明日からはシアター6に移ってしまうので、かなりしょぼい音になってしまうはずですからね。
 そこまで気合を入れていたのに、この、ただやかましいだけの音には、ちょっとがっかりしてしまいました。なにか、PAの音に対する考えが根本から違っているのではないか、とかね。ところが、画面も9×16に変わり、最近収録したものに変わると、その音がガラッと変わってしまいました。もう全然次元の違う、生で聴いた会場のPAよりもはるかに自然で潤いのある音が聴こえてきたのですよ。実は、それまではあまりのやかましさに、ちょっと眠気も催していたのですが、こんな音を聴かされればもう眠気なんか吹っ飛んでしまいますよ。録音機材の進歩の賜物ですね。
 そこで歌われたのが、2012年のツアーでの映像で「希望という名の光」でした(イントロの難波さんのピアノが素晴らしい音でした)。この曲には達郎はとても深い思い入れがあるはずです。震災があった後でこれを歌うことの意味がストレートに伝わってくる映像を見ていると、不覚にも涙が出てきました。万感の思いを込めたそのライブ・バージョンは、それ1曲だけでもわざわざ見に来た価値があると思えるほどの素晴らしいものでした。
 1曲だけ、竹内まりやがコーラスに加わっているように見えたのも、エンド・ロールで確認できました。それと、私が聴きに行った2010年のツアーまではずっと参加していたサックスの土岐さんは、2012年のツアーでは宮里さんという方に代わっていたのですね。土岐さんの音は、正直やかましすぎて、ライブの時は唯一不満があったパートでしたが、この人はずっとバランスの良い音、この人が聴けるなら、もう1回生のライブも聴いてみたくなりました。そういえば、ドラム小笠原さんとギターの佐橋さんという新しいメンバーも、前の人より力よりは繊細さが感じられるような気がします。そのあたりも、この「最高の音質」でうかがい知ることが出来ましたよ。達郎本人のカッティングに、ちょっと破綻が見えたのは、気のせいでしょうか。
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by jurassic_oyaji | 2012-08-26 22:06 | 禁断 | Comments(0)
MAHLER/Complete Symphonies
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Leonard Bernstein/
New York Philharmonic
London Symphony Orchestra
SONY/88697943332




バーンスタインが1960年代に米COLUMBIAで行ったマーラー全集の録音は、まさにマーラーの録音史上の一つの画期的な出来事でした。なにしろ、まだ、マーラーそのものがそれほど有名ではなかった(小澤征爾などは、渡米して初めて知ったとか)時代に、録音面でも演奏面でも現代でも十分通用するレベルのものを作ってしまったのですからね。
その当時は、このマーラー全集のLPを所有していることは、間違いなく一つのステイタスでした。名取バイパス沿いのラブホではありませんよ(それは「ステイモア」)。全曲を揃えてしまった同僚のOくんなどは、その先進性と経済力によって、周りの人間から畏敬の念をもって迎えられていたことを思い出します。1番から9番までのレコードは分売で全部揃えると16枚、当時のLPは1枚2000円ですから全部買えば32000円(全集では14枚で25200円でした)、当時の貨幣価値は今の7倍ぐらいでしょうから、換算すれば20万円前後の買い物です。もはや「宝物」といった感じですね。
それと同じものが、たったの2000円ほどで手に入る時代になってしまいました。1/100ですよ。ちょっとサイズは小さくなっていますが、初出LPを復刻した紙ジャケットに収められているうえに、CD本体にはそのLPのレーベルまでがやはり忠実に再現されているのですから、これほどマニアの心をくすぐるものも有りません。
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60年代と70年代では、レーベルのデザインも違っているのですよね。
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でも、ダブルジャケットの場合は、中身が真っ白になっているのですから、ちょっと笑えます。
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さらに、この価格で、録音データなどはLPのマトリックス番号まで含めて詳細に記載されているのですから驚きます。ただ、当時のCOLUMBIAのポリシーで、レコーディング・エンジニアの名前はごく限られたものでしか明らかになっていないのは、仕方がありません。もちろん、プロデューサーはすべてジョン・マクルーアです(「1番」のみトーマス・シェパードが連名)。
この録音プロジェクトは、1960年の「4番」から始まっています。同じマクルーアが手がけたあのブルーノ・ワルターとのLAでのセッションでは、1961年に「1番」と「9番」が録音されていますので、彼はNYLAでほとんど並行して別の指揮者とマーラーを録音していたことになりますね。だからまずは、ワルターとはやらなかった「4番」からだったのでしょうか。
クレジットには、もう一人の名前がありました。それはDSDマスタリング・エンジニアのアンドレアス・マイヤーです。彼の名前はカラヤンの「カルメン」SACDで発売された時のマスタリング・エンジニアとして、記憶にありました。2007年に、バーンスタインのマーラーがSACD化(これは、なぜか日本国内でしかリリースされませんでした)されたときに、マイヤーがマスタリングを担当したのですね。その後、2009年に、CDBOXが出たときにも、この2007年のDSDマスターが使われています。その時は確か7000円程度の価格でしたが、今回は入らなかったイスラエル・フィルとの「大地の歌」が入っていましたね。
実は、CDが出たばかりのころにこのバーンスタインのマーラーを聴いて、その音の悪さに閉口したことがありました。ですから、今回のBOXはとりあえず資料として手元に置いておくだけのつもりで、音に関しては全く期待していませんでした。ところが、確かに「8番」あたりではやはり元の録音がかなり無理をしている印象がありますが、「1番」などを聴いたらそのあまりのすごさに驚いてしまいました。これだったら、SACDと肩を並べられますよ。CDのマスタリングは、ここまで進歩していたのですね。
バーンスタインの演奏も、後のDGでの録音とはまるで別人のようなスマートさです。これを聴くと、あまり「巨匠」になってしまうのも考え物だな、などと思ってしまいます。
これが、同じ価格でSACDになったりすれば、今でも十分「宝物」になりうるのに。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2012-08-25 19:58 | オーケストラ | Comments(3)
BIZET/Carmen
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Magdalena Kozená(Carmen)
Jonas Kaufmann(Don José)
Simon Rattle/
Chor & Kinderchor der Deutschen Staatsoper Berlin
Berliner Philharmoniker
EMI/TOGE-11094・95(hybrid SACD)




話題の、ラトルの「カルメン」は、輸入盤は普通のCDなのに、なぜか国内盤だけSACDで発売されています。輸入盤でSACDが出る見込みはまずないようなので、べらぼうな価格設定ですが国内盤を買うしかありません。まあ特典映像のDVDがおまけについていますから、許すとしましょうか。
現物を手にしてみると、「特典」はもう一つありました。もはや国内盤CDは、こんなことをしないと売れないようになってしまったようですね。総選挙の投票券とかね。それは、商品についているシールを送ると、抽選で今年のベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサートのチケットが当たる、というものでした。でも、どこを読んでも「チケット」とだけしか書いてありませんから、ベルリンまでの旅費と宿泊費は当たった人が負担しろ、ということなのでしょう。ありがたくもなんともありませんね。もっと不可解なのは、シールにはもう1枚、ブルックナーの「第9」も買わないと応募はできないようなことが書いてあるのに、帯の裏の要綱ではそんなことは何も書いてありません。要するに、やる気がないのですね。もしかしたら、これは当たった本人にしか結果はわからないので、誰にも当たることはないのかもしれません。ほんとに、今のCD業界はひどいことになっているようです。
この「カルメン」のプロダクションは、今年のザルツブルク・イースター音楽祭で上演されたものです。それをベルリンでコンサート形式で上演したものが、今回のSACDに収められています。しかし、ブックレットにはザルツブルクでのステージの写真がたくさん載っていたので、てっきりこの映像が見られるのだな、と期待に胸を膨らませてDVDをスタートさせてみると、そこに映っていたのはベルリンでのコンサートの映像ではありませんか。これはベルリン・フィルがネット配信しているものと同じですから、別に「特典」でも何でもありません。
その映像を見てみると、なんだかコンサート・マスターが全然知らない人になっていました。いつの間にか新しい人が入ったのでしょうか。と思っていると、セカンド・ヴァイオリンのトップサイドに、樫本さんがかしこまって座っているではありませんか。なんでコンマスなのにセカンドに、と思ってよく見てみると、このコンサートではファーストとセカンドの位置が入れ替わっていたのですよ。つまり、下手の一番客席寄りがセカンド、その後ろがファーストという、不思議な配置になっていたのです。
これは、実はピットでよく用いられる並び方です。ウィーンのシュターツオーパーなどでは、常にこの形で並んでいます。ファーストが前にいると、ピットの壁で音が遮断されてしまうために、少し壁から離れたところにいて音をきちんと届けよう、という配慮なのですね。しかし、ベルリンのフィルハーモニーのステージにはそんな「壁」なんてありませんから、この並び方はちょっと意味不明、単にピットでの並び方を変えたくなかっただけなのかもしれませんね。
そんな、がっかりさせられるようなことばかりでしたが、SACDの音は素晴らしいものがありました。CDで聴いただけでは分からなかったことですが、最近のEMIの録音もかなりのクオリティに達していたのですね。そんないい音で聴くときには、耳はほとんどオーケストラの方に行ってしまいます。オペラにはあるまじき隅々まで配慮の行き届いた演奏です。
これだけの立派なオーケストラをバックに歌手たちものびのびと歌っています。ザルツブルクでのコジェナーは、ほとんどスキャンダルと言えるほどのひどさだったようですが、コンサートとして聴く分にはなかなか味があります。ただ、カウフマンが熱く歌っているのに比べると、彼女の周りの空気だけは明らかに温度が低くなっているのがわかります。やはりステージでこれをやられてしまっては、ブーイングが飛び交うのは当たり前でしょう。

SACD Artwork © EMI Records Ltd.
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by jurassic_oyaji | 2012-08-23 20:51 | オペラ | Comments(0)
聴かなくても語れるクラシック
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中川右介著
日本経済新聞出版社刊(日経プレミアシリーズ167)
ISBN978-4-532-26167-2



タイトルにある「クラシック」というのは、もちろん「クラシック音楽」のことです。「音楽」なのに聴かなくても語れるというのは、いったいどういうことなのか、などというような疑問を抱いたら、それはまんまと著者の術中にはまってしまったことになります。
そんなタイトルとともに、裏表紙のリードでは「本書はクラシック音楽を好きになるための本ではなく、社会人として知っておきたい常識を身につけるための本です」と、高らかに宣言しています。ですから、それを真に受けてすでにクラシック音楽を「好きになっている」クラシック・ファンがこの本を手に取らなかったとしたら、これほど残念なことはありません。これは、あたかも、実際に音楽を聴かなくてもクラシックの知識が身につくビジネス本であるかのような隠れ蓑をまとっていますが、本当はすでにべっとりとクラシック音楽に浸りきっている人ほど読んで楽しめるという、実に怪しげな本なのですからね。
まず、ビジネス書としての体裁を保つために、著者は、もし商談などの相手がクラシック・ファンだった時のために、「これだけ知っていれば相手に気に入られる」知識を伝授しようとしています。しょうだんです(そうなんです)。これはあくまで、企業で高い地位にある人はクラシックに関する素養があるものなのだ、という決めつけの上に成り立っているロジックなのですね。ハイソの人がクラシックを好むのは、著者にとっては既成事実なのですよ。ですから、もはや社会常識と化している「会社の偉い人はクラシックなんか聴かず、もっぱら演歌が大好き」という概念は、あきらかに間違っていることにだれしもが気づかされるのです。。
そこで伝えられる「極意」は、確かに納得できるものでした。要は、知ったふりをするのが一番いけないのですね。なまじ断片的な知識を披露すると、墓穴を掘ることになるのです。そこで、著者はそんな小手先の知識ではなく、例えば世界史にリンクしたクラシック、みたいな、より「クライアント受け」するような「小ネタ」を提供してくれます。ところが、例えば第3章の「これさえ知れば、あなたも『教養人』!」あたりを丸暗記して「クラシック好きのクライアント」におべっかを使ったりしたら、逆にそのクライアントは引いてしまうこと間違いなしなのですよ。それは、安岡信郎が、義父の下村建造に気に入ってもらいたいために付け焼刃で新聞を読んで社会問題を論じるようなものなのです。「オーストリア」と「オーストラリア」と言い間違いしてしまうのが関の山ですよ(「梅ちゃん」ね)。
ですから、そんな難しいことはしようとはせず、ここはまず著者ならではの発想の豊かさを味わってはみませんか?たとえば、「『古楽器』とは、中古の楽器のことではない」という一節を読んで、本当にそのおかしさがわかるのは、かなりのクラシック・ファンに限られてしまうはずです。この本にはそういう意味でのきわめて上質の「笑い」が至る所に込められています。
とは言っても、最後になって「音楽のすばらしさは聴かなければわからない」などと言われれば、タイトルにつられてこの本を買ってしまった人は怒り狂うことでしょう。でもこれは、そこまで計算された、見事な「オチ」なのです。
ただ、著者が、「クラシックは『楽譜』と使った音楽」と言い切っているのは、実は他の人の著作からの引用です。この件も含めて、おそらくまだパブリック・ドメインにはなっていないような事柄があちこちにちりばめられており、もちろんそれが「小ネタ」としての価値を高めているのですが、普通の本であればそれを「参考文献」として明示しないことには、著者の品格が疑われかねません。「ビジネス書」の体裁をまとったのは、それを避けるための、これも計算なのでしょう。

Book Artwork © Nikkei Publishing Inc.
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by jurassic_oyaji | 2012-08-21 22:32 | 書籍 | Comments(0)
BRUCKNER/Symphony No.8(1887 version)
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Franz Welser-Möst/
The Cleveland Orchestra
ARTHAUS/108 069(BD)




SACDを聴いてしまうともはやCDは聴きたくなくなってしまうのと同じように、一度BD(ブルーレイ・ディスク)を体験してしまうと、二度とDVDの世界には戻れなくなってしまうのではないでしょうか。実は、これは昨年DVDで出ていたものなのですが、その時には食指はしゅこしも(少しも)動きませんでしたから。
しかし、今回BDによってリリースされたことと、演奏されているのがおそらく映像では初めてとなる「第1稿」だということで、つい入手してしまいました。最近では通常の「第2稿」(ハース版とノヴァーク版の2種類があるのは、ご存じの通り)以外に、生前には演奏も出版もされなかった「第1稿」の演奏によるCDはだいぶ出るようにはなってきましたが、やはり「変わり者」という感じはぬぐえません。まして、映像でこんな珍しいものが見られるのは、かなりレアな体験になるはずですよ。
別に映像だからと言って、「第1稿」の違いが分かるというものではありませんが、例えば第3楽章のクライマックスでトライアングルとシンバルが華々しく炸裂されるところでは、シンバルは「ジャーン」ではなく「ジャン、ジャン、ジャン」と3回鳴らされます。ここでは、シンバル奏者の姿がアップになりますから、「なんか違う」と気づくかもしれません。
実は「第1稿」は楽器編成も少し違っています。「第2稿」は木管楽器はそれぞれ3人の奏者が必要な「3管編成」なのですが、「第1稿」の場合、不思議なことに最後の楽章だけが「3管編成」で、それまでの3つの楽章は「2管編成」で書かれているのですよ(ピッコロだけは、3楽章の最後に入っています)。おそらく、作曲している間にだんだん編成を大きくしようという構想が募って来て、最後だけ「3管」にしてしまったのでしょうね。ですから、これを実際にステージで演奏する時には、木管楽器の3番奏者は、まるでベートーヴェンの「第9」の合唱団のように、自分の出番が来るまでひたすら待っていなければならないのですが、それがこの映像からははっきり分かるのですね。ファゴットだけは3番の人もアシストを吹いていましたが、フルート、オーボエ、クラリネットの3番は、何もしないでただ座っているだけでした。さる指揮者が言っていたことですが、ブルックナーという人は、それぞれの楽器の特性についてとんと無頓着だったのですね。およそ、その楽器にふさわしくないような音を使ったりしているというのですよ。ですから、彼は楽器だけではなく、それを演奏する人のことなんかも、全く考慮するという発想がなかったのだ、というのが、この律儀に自分たちの役割を全うしている3番奏者たちの姿を見ていると、如実に分かってくるのですね。ヘルマン・レヴィが演奏を拒否したのも、もしかしたらこんなところに問題があったのかもしれませんね。
映像は、クレーン・カメラを駆使して、最近リニューアルされた黄金に輝くアールデコ、あるいは古代エジプトの様式を取り入れた豪華絢爛なセヴェランス・ホールの模様を伝えてくれます。それだけでなく、音声関係のクレジットを見てみると、録音を担当しているのは元TELARCのエンジニアが作った「5/4」のメンバーではありませんか。ここでは、まさにいにしえのTELARCサウンドそのものの、楽器の存在感と煌めきが存分に味わえるオーケストラの響きを堪能できます。特に、金管楽器のゴージャスな音には、しびれます。しかし、この映像からオーボエ奏者が「耳栓」をつかっているのを見てしまうと、それはすぐ前に座っている同僚にはあまりに強烈すぎることも同時に分かってしまいます。
ウェルザー・メストの指揮は、そんな華麗な映像と音に見事にマッチした、まるで室内楽のように精緻に磨き抜かれたブルックナーを聴かせてくれています。今は、こういうスマートなブルックナーが受け入れられるような時代なのでしょうね。
ただ、ブックレットの「稿」に関する説明は、全くのデタラメですので、信用しないでください。

BD Artwork © Arthaus Musik GmbH
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by jurassic_oyaji | 2012-08-19 21:32 | オーケストラ | Comments(0)
VIVALDI/Le Quattro Stagioni
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Federico Guglielmo/
L'Arte dell'Arco
CPO/777 759-1(LP)




最近は、CD以前の音楽再生ツールであったLP(レコード)が、結構出回っているような気がしませんか?このサイトでも、DECCAMERCURYといったレーベルが過去のLPを復刻したものや、EMIの音源を全く別のところがリリースしたものなどをご紹介してきましたね。
これらは殆どかなり前のアナログ録音がソースになっているものですが、ここにきて最新のハイレゾ・デジタル録音を「新譜」としてLPでリリースする、という動きが出てきています。ハイレゾのデータをそのまま再生しようというPCオーディオがもてはやされている一方で、このような半世紀以上前のテクノロジーを本気で見なおしてみようという試みが行われているのは、なんとも興味深いことです。
そんな、「あくまで最高の音質を追求する」という姿勢を前面に押し出してLPを出したのは、CPOという、確かに録音にはこだわりを見せてはいたものの、それほどマニアックなオーディオファイル向けという印象はなかったレーベルでした。しかし、この2001年に録音された「四季」を、まずは当時開発されたばかりの商品であるSACDとしてリリースしていた、というあたりに、CDでは物足らないユーザーのために新たな可能性を提供していた、という姿勢を見ることは可能です。そして、今回は同じソースによるLPの登場です。このレーベルが創設されたのはもはやCDの時代となった1986年ですから、これは文字通りCPOにとって初めてのLPということになります。おそらく、なまじ過去の実績がない分、逆に「新しい」メディアとして取り組むことができたのでしょう。
確かに、このLPのクオリティは、かなりのものでした。以前本当にびっくりしたこちらのLPに比べても盤質は遜色のないものです。若干スクラッチ・ノイズは聴こえますが、それほど気にはなりません。何よりも、表裏で「四季」1曲しか入っていませんから、余裕のあるカッティングが実現できていて、内周ひずみもほとんど感じられないほどです(SACDでは、もう1曲カップリングが入っていました)。
そんな、とても生き生きとした息吹きの感じられる再生音によって聴こえてきたのは、CDのような生ぬるいメディアでは絶対に味わうことのできない精緻な音でした。今回の「四季」のジャケットには、「Dresden Version with Winds」とありますが、普通は弦楽器と通奏低音だけで演奏されるこの曲に、リコーダー、オーボエ、ホルンなどを加えて、目の覚めるような音色を体験できるような「仕掛け」が施されています。例によって、代理店によるインフォには「ドレスデン版どえす(京都弁)」と、あたかもそのような楽譜が存在しているかのような案内がありますが、これはそういうことではなく、当時の立派なオーケストラ(もちろん管楽器付き)があったドレスデンあたりの慣習を取り入れた演奏、ぐらいの意味なのでしょう。ですから、ここで使われている管楽器のアイディアは、もっぱら演奏しているグリエルモとラルテ・デラルコによるものだと考えていいのではないでしょうか。
その楽器のチョイスは、とてもショッキングなものでした。それらは、バックのオーケストラの中に加わっているだけではなく、堂々とソロのパートにもからんでいたのですからね。「春」では、ソプラノ・リコーダーがソロの合いの手を入れれば、それはまさに小鳥の声、「秋」では、トゥッティの音型が堂々とホルン2本で演奏されれば、もろ「狩り」の描写が眼前に広がります。
もちろん、肝心なのはそんな「小技」ではなく、演奏全体にみなぎる生命感です。「冬」の真ん中の楽章では、元のソネットにある「火のそばでのんびり過ごす」ではなく「外は雨」の方を強調したちょっとアグレッシブな解釈なども取り入れつつ、昨今のヴァイオリン以外の楽器が使われたあまたのつまらない「バージョン」とは格の違う、隅々まで研ぎ澄まされた「四季」が繰り広げられています。

LP Artwork © Classic Produktion Osnabrück
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by jurassic_oyaji | 2012-08-17 20:53 | オーケストラ | Comments(0)