おやぢの部屋2
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Pipe Dreams
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Sharon Bezaly(Fl)
Richard Tognetti/
Australian Chamber Orchestra
BIS/CD-1789




シャロン・ベザリーの最新録音は、ラテンアメリカとオーストラリアという「南半球」の作曲家の作品集でした。録音が行われたのはオーストラリア、まさに世界をまさに(またに)かけて活躍しているベザリーです。とは言っても、リリースされたのは2012年ですが、録音は3年も前の2009年、しかもSACDではなくCDというあたりに、レーベルとしての扱いの軽さを感じるのは気のせいでしょうか。
そうは言っても、ベザリーが今までの数々のアルバムによってフルートのための新しい作品を紹介してくれた功績は、計り知れないものがあります。オーケストラとの協奏曲など、彼女のために献呈されたものは数えきれません。もちろん、なんでもベートーヴェンあたりが最初に始めた手法であるこの「献呈」という制度は、要はその見返りとして作曲家はなにがしかのお金がもらえるというものですから、逆に言えば献呈される演奏家はかなりのお金持ちだ、とも言えるでしょう。「献呈料」の相場がいくらなのかは知る由もありませんが、それによってフルーティストのレパートリーが増えるのですから、ありがたいことです。
ここでは、弦楽合奏とフルートのための協奏曲が4曲演奏されています。その中の1曲は彼女に献呈されているもの、そしてもう1曲は改訂版が彼女に献呈されています。その献呈曲は、1938年生まれ、指揮者としても知られているウルグアイ生まれ(両親はロシア人とポーランド人)の作曲家、ホセ・セレブリエールの「Flute Concerto with Tango」です。「タンゴ」と聞いて何か軽めの曲を連想するかもしれませんが、実際はタンゴらしきものが引用されている部分があるだけで、あのリズミックな音楽がベースになっているわけではありません。それよりは、もっぱらベザリーの華麗なテクニックをいかんなく披露するといった面に眼目が置かれているような印象を強く与えられる作品です。もちろん、彼女は循環呼吸をいたるところに使いつつ、目の覚めるような演奏を聴かせてくれます。
次のアディナ・イザラという、1959年生まれのヴェネズエラの女性作曲家の「Pitangus Sulphuratus」という曲のタイトルは、カラカスあたりに生息する鳥の学名なのだそうです。1987年にヴェネズエラのフルーティスト、ルイス・フリオ・トロに「献呈」されたものですが、1993年にはベザリーの「前任者(笑)」であるマニュエラ・ヴィースラーによってBISレーベルに録音されていました(CD-689)。
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鳥の名前がタイトルというと、あのオリヴィエ・メシアンを思い浮かべてしまいますが、この曲でもそんな鳥の声の模倣が最初から現れます。さらに、やはりメシアンっぽい大胆な変拍子もあちこちで使われています。ただ、弦楽器の薄い不思議な響きの中でフルートが物憂げに漂うシーンは、この作曲家独自の世界でしょう。この曲には、演奏者が自由に即興演奏を行うカデンツァの部分が用意されています。ヴィースラーは、そこでは現代奏法を駆使した見事なカデンツァを披露していましたが、今回のベザリーの録音にあたっては、そのカデンツァまでもしっかり作ってもらった「改訂版」を「献呈」してもらいました。これもやはり、彼女のテクニックを見せびらかすには格好の仕上がりです。
オーストラリアの作曲家カール・ヴァイン(1954年生まれ)が2003年に作ったアルバムのタイトル曲「Pipe Dreams」は、それこそピアソラの「タンゴ」のような、リズム感の中にも特徴的な和声を感じさせるものです。古典的な急-緩-急という3つの楽章で出来ていて、両端の楽章には同じテーマが使われています。
この中では唯一の物故者、1916年生まれのアルゼンチンの有名な作曲家、アルベルト・ヒナステラの「Impressiones de Puna」は、2分程度の短い曲が3つ集まったかわいい作品で、最後には聞き覚えのあるフォルクローレのメロディが現れます。

CD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2012-09-30 20:30 | フルート | Comments(0)
リヒターのモーツァルトの録音年代
 きのうの「おやぢ」に書いたことですが、カール・リヒターが指揮をしたモーツァルトの「レクイエム」という「歴史的名盤」では、その録音年代に関して様々な表記がなされているようなのですね。この録音はTELEFUNKENで行われたものなのですが、そのドイツのレコード会社は日本ではキングレコードが出来た時から提携関係にありました。そもそも、キングのマークはTELEFUKNENのマークをもとにして作られたものですし。
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 ですから、もちろんこのリヒターのレコードも日本ではキングレコードから発売されていました。それは、TELEFUKNENがDECCAと提携してTELDECと社名を変えても続きます。しかし、1990年にTELDECはWARNERの傘下に入ってしまったために、日本での提携先もワーナーミュージック・ジャパンに変わりました。「レクイエム」の録音年代の表記が変わったのはこの時です。LPについては資料がありませんが、CDになってからはキング時代の1988年にリリースされたものでは「1961年10月」となっています。それが、ワーナーに変わって1994年に「ドイツ・レクイエム」との2枚組でリリースされた時には「1960年頃」になっていたのですよ。その後、ワーナーからは1995年と2002年に単品でリリースされますが、それはどちらも「1960年」と表記されていました。もちろん、2012年のSACDでも「1960年」です。
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 なぜ、そんなに詳しく発売になった年が分かるかというと、我が家には「レコード芸術」の毎年年末のオマケ「レコード・イヤーブック」が、1981年から2012年までの33年分すべて揃っているのですよ。これがあれば、国内盤に関してはそのリリースがすべてわかるということになっています。まあ実際は必ずしもすべてが載っているわけではありませんし、そもそも国内盤のリリースのデータなどは、なんの役にも立ちませんから、こんなものは貴重でも何でもないのですが、たまにこんな風に役に立つこともあるので、殆ど惰性で集めているだけなのですけどね。
 それで、国内販売元が変わったことによって、録音データまでもが変わってしまったわけですが、これは別に珍しいことではありません。ERATOに録音されたデュリュフレの「レクイエム」の自演版も、RCAからWARNERに変わった時に、年代が変わっていましたからね。まあ、普通はあとで出た方が正しいと考えるべきなのでしょうね。リヒターの場合も、今回のSACDのマルPが1961年になっているので、このリリース年代が正しいとすれば、1961年の10月に録音されたものが1961年に製品になっているのは、ちょっと早すぎるような気はしますし。
 ところが、ちょっと前に出た野中裕さんの「カール・リヒター論」では、録音は「1961年11月」となっているのですね。これでは、とてもその年中にリリースするのは無理です。いったいどれが正しいのか、私にはとてもわかりません。
 この野中さんの本は、買って読むほどのものではないので、駅前の「丸善」で立ち読みをして得たデータです。読んでみると宇野功芳がリヒターの来日の際に書いた文章が載っていたりして、この評論家の愚かさが端的にうかがえる面白いものでした。でも、買いません。買ったのは「音楽作品名事典」(2009年第3版)。
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by jurassic_oyaji | 2012-09-29 21:02 | 禁断 | Comments(0)
MOZART/Requiem
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Maria Stader(Sop), Hertha Töpper(Alt)
John van Kesteren(Ten), Karl Christian Kohn(Bas)
Karl Richter/
Münchener Bach-Chor
Münchener Bach-Orchester
TELDEC/WPCS-12551(hybrid SACD)




今まで、ESOTERICにはSACDの音源を提供していたWARNERですが、このたびついに自社製品としてのSACDを発売することになりました。これで、晴れて「3大メジャー」と言われるところはすべてSACDを出したことになります。
その中から、かつてLPで持っていたこれを買ってみました。なんせ、生まれて初めて買ったこの曲のレコードだったものですから。
まずは、パッケージとしてのでき具合の点検です。国内盤というのは、こういうのがいい加減なものが多いので、このチェックはぜひとも必要です。ジャケットは、これがオリジナルなのでしょうね。だまし絵でしょうか。なつかしい「TELEFUNKEN」のマークには感激です。しかし、録音スタッフのクレジットが全くないのは、仕方がないとしても、今回のSACDのマスタリングに関しての正確な記載が一切ないことには、完全に失望させられました。これでは、このメーカー(ワーナー・ミュージック・ジャパン)が今回どんな意味を持ってSACDを出しかということが全く分からないではありませんか。CDとは比較にならない価格設定なのですから、少なくともどういうマスターが使われていて、どの段階でだれがSACDへのマスタリングを行ったかぐらいのことは明らかにしてもらいたかったものです。要は、出所だけはきちんと教えてほしいだけなのですよ。別にそれが日本向けのサブマスターでも、一向に構わない訳で、ライナーノーツにあるような「オリジナルマスター」というあいまいな言い方で逃げてしまうのが一番許せません。
さらに、録音年代も、今までのデータでは「196110月」となっていたものが、「1960年」になっていますが、これは新しく判明した年代なのでしょうかね。しかし、製造クレジットでマルCが「2002年」になっているぐらいですから、そんな数字も信用する気にはなれなくなってしまいます。これは、ライナーノーツの著作権表示ですから、本文の、今回の書き下ろしの原稿に記載してあるように「2012年」と書くべきものなのですからね。
と、まあ、いまさらながら国内のメーカーのやる気のなさには、呆れかえってもはや言葉もありませんが、出てきた音はそんないい加減な人たちが作ったとはとても思えないような素晴らしいものでした。大昔の記憶などはあてになりませんが、確かLPでは高音が変に強調された安っぽい音だったような印象だったものが、このSACDではとてもソフトで落ち着いた音に変わっていました。そして、解像度は確実にアップ、最初に聴こえるヒスノイズさえ、なにか生々しく感じられます。オーケストラの個々の楽器もくっきりと浮き上がって聴こえますから、バセットホルンではなくクラリネットが使われていることも分かってしまいます。この当時は、それが一般的だったのでしょう。
そして、なにより素晴らしいのが、合唱です。リヒターの合唱団はあまりうまくない、というのはよく言われていることですが、どうしてどうして、この伸びのある澄んだ声には正直びっくりしてしまいました。要するに、彼らは単に「プロではない」というところでレベルが低いように思われていたのでしょう。合唱の場合は、なまじ「ベル・カント」を身に付けた「プロ」など、邪魔なだけです。確認のために同じころ(1958年)に録音されたARCHIVの「マタイ」を聴いてみると、確かに合唱の録音はかなりひどくて、これだけ聴いたのでは「ヘタ」だと思ってしまうかもしれないようなものでした。このTELEFUNKENの録音ではまるで別の合唱団のようにクリアに聴こえてきます。
そんな合唱団が、例えば「Kyrie」あたりで聴かせてくれる、バッハで散々鍛えられたポリフォニーは、本当に重みのある素晴らしいものでした。そんな重さは曲全体に貫かれていて、とても厳粛な思いにさせられます。同じフーガで「quia pius es」と全曲が締めくくられると、その残響の中に、あのリヒターのまじめくさった顔が見えてくるようでした。

SACD Artwork © Teldec Classics International GmbH
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by jurassic_oyaji | 2012-09-28 20:09 | 合唱 | Comments(0)
ジョン・ケージ
 なんか最近、Facebookのフォントが変わって読みづらくなったような気がしませんか?ほんとにここは、何の予告もなく勝手に仕様を変えてきますから困ります。ニューフィルのFacebookページで「いいね!」をクリックしているのに、それが反映されないこともたびたびありますしね。今日クリックしていただいたOさんのもそう。もう2回目になるのに、2回とも「新規いいね!」に入れてもらえませんでした。めげずに、再度挑戦してくださいね。そういえば、そのOさんの前に「いいね!」してくれたのが、この間取材に見えた音楽雑誌のライターの方だったのに今気がつきました。名刺を頂いた時、どこかで見たことがある名前だったのですが、やっとわかりました。はたして、どんな記事に仕上がったのでしょう。
 Facebookは、そんな風に自分ではどうにもならないところがありますが、ブログだったら好きなように変えたりできます。私のブログはもちろん毎日見ているのですが、いつの間にかタイトルのバックグラウンドの画像がなくなっていることに気がつきました。たまにダウンロードが遅くて表示できないことがあるので、あまり気にしていなかったのですが、いつまで経っても出て来ないので、調べてみたら、サーバーに送った画像ファイルがなくなっていたのです。これでは、いつまで経っても現れるわけがありません。なぜなくなったのかは分かりませんが、再度送る時に、気分を変えて別の色のものを作ってアップしてみました。これがなかなかカッコ良くて、気に入ってます。前はタイトルの文字と同じ灰色系でまとめていたのですが、それを、画像だけ赤紫(#C96669)にしたのですよね。こうなってくると、本文のタイトルの赤(#FF0000)が完全な原色ですから、とても下品に見えてしまい、それも同じ色に変えてしまいました。それだけのことで、ブログの画面がとてもアダルトになったような気がします。ただ、そのタイトルはスタイルシートで指定しているのでスキンを直すだけで全部変わってしまうから問題はないのですが、演奏者や品番などはもともとのジュラシックからのコピペですので、本文の中のタグをいちいち直さなければいけません。まあ、最近のものは直しましたが、昔のはそのままですので、気にしないでください。
 「直す」と言えば、今週末から新幹線のダイヤが変わります。それで、愚妻が駅に行って時刻表をもらって来てくれました。
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 この前東京に行った帰りに、偶然「E5系」に乗れたのですが、この時刻表では、「はやぶさ」以外にその車両を使っている列車が分かるようになっています。これがあれば、最初からE5系を狙って乗ることが出来ますね。これを使って、たまには東京までコンサートでも聴きに行きたいものです。
 今年は、ジョン・ケージの生誕100年ですから、それに関連した催し物もあったのでしょう。とは言っても、同じケージを、私がケージその人の演奏で聴いた1970年代と今とでは、ケージの聴き方は全く変わっているのでしょうね。もちろん、ケージ自身はそこまできちんと予想していたに違いありません。この間も、BSでケージ関係のドキュメンタリー・フィルムと、スタジオライブが放送されていました。ドキュメンタリーは、彼の出版社であったペータースとの関係が、興味深いものでした。プリペアド・ピアノの楽譜には、最初のうちはプリペア用のネジやゴムがワンセット付いていたんですってね。
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 スタジオライブで、一柳慧さんが出てきたのには驚きました。もう80歳近くのお歳のはずですが、外観は昔と殆ど変っていませんね。彼より若い高橋悠治がまぎれもない「爺さん」になってしまったのとは対照的です。さすがに、しゃべり方はいくらか不自由でしたが、プリペアド・ピアノの演奏は矍鑠たるものでした。それに比べると、次のコーナーで出てきた若い演奏家は、逆にケージの音楽に身構えているのが、ちょっとみっともなかったですね。ケージ自身は、もっと楽しんで演奏していましたよ。
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by jurassic_oyaji | 2012-09-27 20:41 | 禁断 | Comments(0)
OPUS/All Time Best 1975-2012
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山下達郎
MOON/WPCL-11201/4



山下達郎のベストアルバムが発売になりました。何しろ、彼がデビューしてから37年にわたるアーティスト生活の中から生まれた20枚近くのアルバムの中からのベストですから、大変です。結局CD3枚組、それぞれ70分以上ぎりぎりまでカットして全49曲というラインナップになりました。もちろん、シュガーベイブ時代のものから、レーベルを超えて年代順にまんべんなく選曲されています。
タイトルの「Opus(オーパス)」は、湿布薬ではなく(それは「サロンパス」)おなじみ、「作品」という意味のラテン語ですが、それがこのように集まると複数形で「Opera(オペラ)」になるって、知ってました?
発売日は26日なのに、ネットで注文したら25日には手元に届いてしまいましたよ。とり・みきのジャケットがかわいいですね。これはコンサートのグッズとして売られていた「せんべい」とおなじです。
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このアルバムのプロモーションでは、かなりエグいことまでやっていましたね。彼は毎週日曜日にFMで自分がDJを務める番組を持っているのですが、発売日直前の23日の放送では、このアルバムの「全曲」をオンエアしてましたよ。ほんとに全曲ですよ。もっとも、1曲それぞれ数十秒という「早聴き」でしたけど。さらに、達郎本人が、同じ日の数時間後に放送される連続ドラマ(笑)「あ、安部礼司」にも出演していたのですよ。その回自体が、達郎の曲だけをかけるという見え見えのプロモーション仕様だったのですが、そこに「ヒムセルフ」として、「刈谷勇」から届いたリクエスト葉書を読むという設定です。待望の葉書を読まれて舞い上がる刈谷でしたが、達郎には「きったねえ字だなあ、社会人として恥ずかしいですよ」とか散々バカにされるので、凹んでしまう、という話だったような(車で聴いていたので、あいにく最後までは聴けませんでした)。そんなお遊びにまじめに付き合っていた達郎が、なんか愛おしかったですね。
まあ、そんな商売上のしがらみはいろいろあるのでしょうが、アルバム自体はしっかり手がかけられていて聴きごたえがあります。特に1枚目の、アナログ録音時代のものが、今回の新たなマスタリングで、1997年に出た「Greatest Hits」とは全然違う素晴らしい音になっていたのには、感激です。この中でアメリカで録音された「Windy Lady」は、LPでもさんざん聴いていた曲なので、今回さらに質感が高まって、よりLPに近づいているのがよく分かります。
「クリスマス・イブ」も、間奏のア・カペラ(パッヘルベルそのもの)が、今まではアナログのダビングなので音が濁っていてもしょうがないと思っていましたが、それが見事にクリアになっていたのにも、驚かされました。
そして、達郎の声も、そんな精緻なマスタリングによって、より、当時のままのリアルさが再現されているのでしょう。ほんと、デビュー当時の若々しい声からは、今の伸びやかな声は全く想像できません。まさに、30余年をかけて磨き上げられた声の軌跡が、このベストには刻まれているのです。
注文して買ったぐらいですから「初回限定」のボーナスCDも当然ついてきました。「これから先、決してCD化されないソース」というだけあって、珍品ぞろいですが、その最後には「希望という名の光」のアコースティック・バージョンが入っていました。これは、さっきの達郎の番組が、たまたま今年の3月11日の、ちょうど震災が起こった時間に放送されるということで、特別な構成になっていた中で流されたものです。この番組自体が、まさにかけがえのないものだったのですが、そこで、彼にとっては思い入れのあるこの曲が、余計なものをすべてそぎ落として曲の持つメッセージのみをストレートに伝えていたのには、心を動かされました。それと同じものが、ここでは聴くことができます。その番組、あるいは、震災にまつわる様々なものにリンクされて、このトラックは軽々しく「ボーナス」とは呼べないほどの感動を与えてくれます。

CD Artwork © Warner Music Japan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2012-09-26 19:41 | ポップス | Comments(0)
タツローくん
 山下達郎のニューアルバムが発売になりましたね。いや、本当の発売日は明日の26日なのですが、ネットで予約しておいたら、もう昨日発送して今日現物が届いてしまいましたよ。普通のレコード屋さんでも発売の前の日には店頭に並ぶそうですから、ネットで買っても店頭と同じタイミングで手に入れられることになります。ここまで便宜をはかってくれるのですから、もう、わざわざお店まで出かけてCDを買ったりする人はいなくなってしまうのではないでしょうか。なんにしても、さっそく聴いて、あしたの「おやぢ」にはアップ出来るはずですので、詳細はそちらをご覧になってください。
 そこではあまり書かなかったことですが、今回のアルバムはベスト盤ということで、ジャケットがいつもと違ってこんなイラストになってます。
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 これは、達郎おかかえ(?)のマンガ家、とり・みきが書いたものです。どこかで見たことがある、とおっしゃる方もいるでしょうが、おととし達郎のコンサートに行った時に買ってきた「せんべい」に、これと同じイラストが描かれていたのですよね(その写真は「おやぢ」で)。せんべいが入っているケースに印刷されていたのと、せんべい本体にも「焼印」になって、これが押してありました。なんでも、これは達郎のファンクラブで出している会報で登場するキャラクターなんだそうですね。これは、愛用のテレキャスターを弾いているところですが、このCDのブックレットには、いたるところにこのキャラが登場して、色んなことをやってます。
 いや、正直、このベスト盤が出るという話を聴いた時にも、買ってまで聴こうとは全然思いませんでした。最近はコンサートに行ったり、そのコンサートを撮った映画を見たりしていますから、一応「ファン」ではあるのですが、別にアルバムを全部集めてる、といったようなコアなファンではありません。それに、「ベスト」というのは、言ってみれば二番煎じですから、そんなに重要には思えなかったのですよね。でも、最近になってこのジャケットが発表されたら、なんだか無性に欲しくなってしまったのです。まさに「ジャケ買い」そのものですね。
 そう、そんな風に、ジャケットを見ただけで買いたくなるようなものがあるという事実こそが、「フィジカル」としてのCDの魅力なのでしょうね。音だけだったら配信でいくらでも入手できるような時代にあって、敢えて「物」としてのCDを買うという意味が、そこにはあるのです。達郎も言っていたように、世の中は間違いなく「物」を通さずに直接「音源」を手に入れる方向に進んでいます。業界のだれもが口をそろえて「もはやCDの時代ではない」と言いきっています。確かに利便性を追求していけば、もはやCDの存在価値はなくなっているのは明らかです。だからと言って、このような「物」を切り捨てて、すべてをネット配信のようなものに切り替えてしまうのは、なにか間違っているような気がしてなりません。そこには、経済性だけを追求していくうちに、発電を原発に依存して行った愚か者の姿を見ることは出来ないでしょうか。
 なんてね。ちょっと飛躍しすぎましたが、コンピューターに頼り切っていると、今に取り返しのつかないことになるのでは、というのは、すでに鉛筆では難しい漢字を書くことが出来なくなってしまった私自身の体験からの警鐘です。
 さっきのブックレットの中のイラストは、見ていてほんとに楽しいですよ。冬はサンタクロースの格好、夏は日に焼けてサーフィンをやってたりします。一番気に入ったのは、ダッフルコートを着ているやつです。
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by jurassic_oyaji | 2012-09-25 23:54 | 禁断 | Comments(2)
BEETHOVEN/The Symphonies
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Frans Brüggen/
Orchestra of the Eighteenth Century
GLOSSA/GCDSA 921116(hybrid SACD)




ブリュッヘンと18世紀オーケストラとの最新のベートーヴェン交響曲全集が登場しました。以前PHILIPSに録音したのが20年以上前のことですから、久しぶりゅっへんの再録音です。この間、彼らは、定期的にツアーを行っており、もちろんベートーヴェンも日常的に演奏していたわけですが、このあたりで一区切り、ということなのでしょう。ここでは、2011年の10月に、ロッテルダムのコンサートホール、「デ・ドゥーレン」で行われたベートーヴェンの交響曲の連続演奏会がまとめて収録されています。
録音スタッフ自体は、レーベルが変わってもほとんど同じメンバーのようですし、前回もライブ録音だったのですが、今回の音はPHILIPS盤とはかなり違ったものになっています。それは、残響が多く、音の重心が低くなって、とても広がりが感じられるような音でした。そんな中では、ティンパニの音がとても強調されて聴こえてきます。いや、ほとんどティンパニが音楽づくりを支配しているのでは、と思われるほどの迫力です。
ブリュッヘンは、そんな響きを十分に考慮したうえで、まさに円熟の境地ともいえる「巨大な」音楽を作り上げています。手元には「6番」と「8番」のPHILIPS盤があったので比べてみると、「8番」の第1楽章などはまるで別な人が演奏しているように感じられてしまいます。基本のテンポはそんなに変わらないのに、途中での「伸び縮み」がとても大きいのですね。
全体の印象としては、普通はあっさり演奏されることの多い偶数番号の曲が、とても重さを秘めたものになっている半面、奇数番号の曲があっさりしているようでした。「3番」などは、肩の力がすっかり抜けたような感じがしてしまいます。しかし、逆にそんな中から、じわじわと迫ってくる力があるのですから、油断はできません。
「9番」の場合は、特別です。これはもう第1楽章からとてつもない力がみなぎっていて、楽章の最後に向けての求心力には異様なほどのエネルギーが感じられます。もうこれだけでおなかがいっぱいになってしまいそう、ただ、第3楽章はあまりベタベタしない、ノン・ビブラートだからこその細やかな表情づけなのがありがたいところです。終楽章の頭などは、ほとんど混沌の世界、そんな中から現れる低弦のレシタティーヴォは、なんとも不気味な歌い方なのは、同じ形で後にバリトン・ソロが合唱を呼び出すための伏線でしょうか。なんと、その合唱の「Freude!」という歌い出しは、全く音程のない「叫び」だったのですからね。こんな演奏は、初めて聴きました(旧録音ではどうだったのでしょう)。
おまけとして、日本向けのドキュメンタリーDVDが入っていました。きちんと日本語の字幕まで入っていて(ものすごい誤訳がありました)、この演奏会のリハーサルや本番などの模様と、ブリュッヘンへのインタビューを見ることができます。そこでブリュッヘンが使っている楽譜を見たら、それはブライトコプフの旧版でした。どうやら、彼はエディションに関してはそれほどこだわってはいないようですね。確かに、ベーレンライター版などで劇的に変わってしまった箇所は、ほとんど直してはいませんでした。ただ、本当に重要な変更(例えばこちら)は、適宜直して使っているようでした。
このDVDでは、「6番」の第2楽章の最後の木管楽器によるカデンツァで、フルート奏者がしごかれているリハーサルの場面が登場します。129小節と130小節をまたぐ「ファソファ」という音型の「ソ」の音を、ブリュッヘンはたっぷりと歌ってほしいのに、リサ・ベズノシウクはいとも素っ気なく吹いているのですね。一旦は直るのですが、本番はうまくいかなかったため、結局あとでその部分だけ「録り直し」になっていました。彼女はクリストファー・ホグウッドと一緒に演奏をしていた人ですから、このブリュッヘンの大きな音楽には戸惑いを感じてしまったのかもしれませんね。

SACD Artwork © note I music GmbH
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by jurassic_oyaji | 2012-09-24 19:55 | オーケストラ | Comments(0)
MOZART/Don Giovanni
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Ildebrando D'Arcangelo(DG), Diana Damrau(D. Anna)
Rolando Villazón(D. Ottavio), Joice DiDonato(D. Elvira)
Luca Pisaroni(Leporello), Mojca Erdmann(Zerlina)
Yannick Nézet-Séguin/
Mahler Chamber Orchestra
DG/00289 477 9878




一瞬、高田純次がやっている宝くじ(高田くじ)のCMを思い浮かべてしまいましたよ。こちらも、目のまわりに「D」と「G」なんかを縫い付けたら面白かったのに。
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このアルバムの分厚いブックレットでは、この「ドン・ジョヴァンニ」の新録音を始めることになった経緯が述べられています。そこではとても正直なメーカーの本音が綴られていて、ちょっと感動すらおぼえるものでした。かつては、レコード会社がカタログをそろえるために多くのオペラの録音を行ったり、あるいは指揮者が自分の演奏を後世に残したいと思うものを録音したりしていたものですが、もうそんな時代は終わった、と言い切っているのですね。オペラを録音するには膨大な経費がかかるため、今ではもっぱら実際の公演を記録した映像の販売が主流になっています。そんな中で、DGは、かつて1960年代から1970年代にかけてカール・ベームの指揮で制作したモーツァルトのオペラのツィクルスを、別のやり方で新たに作り上げようとする企画を立てたのだそうです。全作品は無理ですから、ベームの時と同じく有名な7つの作品(言えますか?)に限っての制作になるのですが、1作ずつキャストやオーケストラ、そして指揮者を厳選して、バーデン・バーデンの祝祭劇場で何回か上演(コンサート形式)したものをすべて録音し、それを編集して製品に仕上げる、というものなのだそうです。確かに、ベームのツィクルスでも色んなオーケストラが使われていましたね。
形としては、今では普通に行われているスタイルですから別に珍しいものではありませんが、出来合いの公演を録音するのではなく、あくまでDG(というか、UNIVERSAL)がイニシアティブをとったプロダクションというのが、「レコード会社」としての最後の意地なのでしょうか。
そんな体制でスタートしたDGの新モーツァルト・ツィクルスの皮切りが、2011年7月に録音された「ドン・ジョヴァンニ」です。指揮はネゼ=セガン、オーケストラはマーラー室内管という注目の組み合わせ、ソリストも今が旬のスターたちが集められています。
タイトル・ロールを歌うのはダルカンジェロ、この人は、こちらの映像のように、ずっとレポレッロだと思っていたのですが、いつの間にかすっかり貫禄がついて、もはや押しも押されもせぬこの役の第一人者になったのだな、というのが、今回の演奏でもよくわかります。横暴さを伴う威厳とともに、ちょっと引いた感じの歌い方で落差を付けるという技も身につけていましたね。「セレナーデ」での繊細さには、ちょっと驚いてしまいました。
しかし、一番驚いたのが、ドンナ・アンナのダムラウと、ドンナ・エルヴィラのディドナートです。どちらも、とてつもない存在感で迫ってきます。特に、ディドナートの方は、そもそもはエリーナ・ガランチャの代役だったというのに、ここでは完全に主役以上の働きを務めています。力のある低音と豊かな表現力、彼女からは目を離せなくなってしまいました。
ただ、ドン・オッターヴィオのヴィリャゾンはあまりにも投げやり、ツェルリーナのエルトマンも、こちらの段階から何の進歩もないおおらかな歌い方でした。
オーケストラは、極力ノン・ビブラートで、爽やかなモーツァルトを聴かせてくれています。こちらも名手揃い、第2幕フィナーレのバンダでは、装飾たっぷりの「ハルモニー」まで披露してくれますよ。もちろん、ネゼ=セガンの表現は完璧です。
そして、「TRITONUS」のノイブロンナーが手がけた録音も完璧でした。例えばサンフランシスコ交響楽団のマーラーで聴かせてくれたような楽器の質感まで伝えられる力は、CDであるにもかかわらず、ここでも存分に発揮されていました。聴衆の笑い声なども聴かれて、ライブ感満載、しかし、アリアの後の拍手などは全く聴こえません。

CD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH
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by jurassic_oyaji | 2012-09-22 22:34 | オペラ | Comments(0)
ブルックナーの交響曲第8番/ハース版とノヴァーク版との違い追記
 今週は月曜日が祝日だったので、ニューフィルの練習はきのうの木曜日でした。やはり、最初は人数は少なめでしたが、終わりごろにはまずまず揃ってきたでしょうか。いつもの通り、ブルックナーの8番で汗を流します。いや、今までずっと暑かったものが、突然涼しくなってしまったものですから、冷房が効き過ぎになってしまったホールでは汗も出ず、ブルブル震えている始末でしたがね。
 休憩時間に、トロンボーンのKさんが私のところにやってきました。今度の演奏会のパンフレットの原稿の相談です。ブルックナーの「楽曲解説」(この言葉は、最近大嫌いになりました)だったら引き受けてやろうじゃないか、と思ったら、そうではなく、30周年記念のデータを作ってくれというのですね。面倒くさそうですけど、まあいいでしょう。おそらく私にしか出来ない仕事でしょうから。その話が終わったら、さも「ついでに」という感じで、「ハース版とノヴァーク版の違い、見つけたぜぇ」と言ってきました。こちらと同じものが「かいほうげん」にも載っているので、それを見た上で、そこには書かれていなかった別の「違い」を見つけた、というのですよ。なんたってKさんは自他共に許すブルックナー・マニアですから、もう得意になって教えてくれましたよ。気持ちはよくわかります。
 それは、第1楽章の101小節目のホルンの音形です。こちらがノヴァーク版。
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 それに対して、ハース版はこんな感じ。
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 この楽器でこの違いですから、これは聴けばすぐ分かる違いですね。Kさんは「始まって4分で、どっちの版かだれでもわかるぜぇ」と言ってました。言われてみれば、ノヴァーク版では手書きで直したような跡がありますね。こういう埋もれた場所でしたから、楽譜を比べていただけでは分かりませんでした。おそらくKさんは、両方の版の演奏を耳にタコが出来るほど聴いていたので、分かったのでしょうね。
 なぜ、こんな違いが出ているのか、というのは、やはり同じシリーズのこちらを読めば分かります。ハースはブルックナーが改訂した「第2稿」には、外圧によって意に染まないところがあったのでは、と考えていたようで、改訂する前の「第1稿」から、多くの部分を差し替えています。ここも、そのようなところ、「第1稿」では、確かにハース版と同じ音形になっていました。
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 そこで、このところニューフィルの合奏ではハース版の音ばかり聴いていたので、この部分も含めてノヴァーク版であるスクロバチェフスキのCDを聴いてみることにしました。ところが、始まってから「4分」後に聴こえてきたのは、なんとハース版のホルンだったではありませんか。驚いて第4楽章を聴いてみると、それは間違いなくフルートのトリオがカットされたノヴァーク版でした。ということは、スクロバチェフスキは、ノヴァーク版と言いながらも、部分的にハース版のアイディアを盛り込んで演奏していたのですね。こういうことはよくあることです。決して、「始まって4分」だけでは判断はできませんから、気を付けてくださいね。
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by jurassic_oyaji | 2012-09-21 22:04 | 禁断 | Comments(0)
ORFF/Carmina Burana
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Kiera Duffy(Sop), Marco Panuccio(Ten)
Daniel Schmutzhard(Bar)
Kristjan Järvi/
MDR Rundfunkchor & Kinderchor
MDR Sinfonieorchester
SONY/88725446212




ちょっと見るとLPレコードの盤面かな、と思えるほどのなかなか素敵なジャケットですね。しかし、よく見るとこれは道路のロータリーのようでした。この曲の2台ピアノバージョンのスコアの表紙には運命の女神フォルトゥナが操る「車輪」が描かれていますが、それに絡んだ「ロータリー」というのはあまり賢くありませんね(ノータリン)。
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このジャケットでもう一つ気づくのが、どこにもレーベルの表示がない、ということです。インレイには、確かにSONYのロゴがありますが、それと並んで、ドイツ中央放送(MDR)が最近発足させた「MDR KLASSIK」という新しいレーベルのロゴもあります。ということは、これはSONYMDRとの共同制作ということになるのでしょう。確かに、クレジットにはフリーランスのプロデューサーやエンジニアとともに、MDRの関係者の名前もありますね。
もはやSONY自体は、ほかのメジャーレーベル同様、クラシック部門では制作は「下請け」によって行われるようになってしまいました。ですから、もはやかつての「MASTERWORKS」の音を聴くことは不可能です。その代わり、今回のMDR交響楽団の音は、まるでかつての「東独」の録音のような渋く落ち着きのあるものになっていました。合唱も、同様に渋い音色を聴かせてくれるのもうれしいところです。児童合唱も含めて、この合唱のレベルはかなり高く、指揮者の求めている音楽に的確に反応していることが見て取れますから、それがこの録音でさらによく伝わってきています。
かつては「ライプツィヒ放送交響楽団」と呼ばれていたこのオーケストラ、ファビオ・ルイージが首席指揮者だったと思っていたら、いつの間にか(2007年から)準・メルクルに代わっていて、さらに今年のシーズン開けですから、ほんのちょっと前に、このクリスティアン・ヤルヴィがその後任として就任していました。相変わらず変化の激しい世界のオーケストラ人事ですが、この「カルミナ・ブラーナ」の録音は今年の7月に行われたものですから、まさに「婚前共演」となるのですね。
クリスティアンの指揮は、目まぐるしく場面が変わっていくアクション映画のような、スリリングなものでした。ちょっと目を離している隙にガラリとシーンが変わってしまうという息詰まる爽快感にあふれています。最初の「O Fortuna」では、序奏が思いきり足を引きずるような重苦しいビートに支配されていたものが、「semper crescis」に入ったとたんにいとも軽やかな音楽に変わってしまう、といった具合ですね。
さらに、この曲で特徴的なオルフの作曲様式が、まぎれもない「ミニマル」であることにも、この演奏からは気づかされます。もちろん、オルフ自身は「ミニマル」などという名前も概念も知っているわけはありませんが(ふつうは「オスティナート」とか言われていますね)、実際に「ミニマル」を体験してしまった世代のクリスティアンの手にかかると、これは、そんな、歴史を先取りした作品であることがはっきりと感じられるようになるのです。
ただ、ソプラノのダフィーだけが、この流れに乗っていけないために、常にもたついているのがやたら気になります。可憐でいい声なんですけどね。その点、バリトンのシュムッツハルトは、完璧にその「ミニマル」のリズムを実現してくれています。過剰に「芝居っ気」を出していないのも、そんな印象を強めているのでしょう。「Olim lacus colueram」でのテノールのパヌッチオも、同じような路線で淡々と歌っていますし。もっとも、この曲だけは全体の流れとは関係なく、ハイテンションで臨んでほしい気はしますが。もちろん、この前のヴァント盤みたいな小細工(というか、楽譜通りの演奏)はやってはいません。
合唱は、最近はなかなか良い演奏のものに巡り合えていますが、これもとても見事です。男声だけのアンサンブルなどは、完璧です。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2012-09-20 23:38 | 合唱 | Comments(0)