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曲目解説
 この間からの懸案だった定期演奏会のための仕事が、やっと終わりました。それは、プログラムに載せる曲目解説の原稿書きです。シューマンの「ゲノフェーファ」序曲を、例によって他に書く人がいないと泣きつかれ、引き受けたものです。出来上がったのはこんな感じ。
 
 今年はヴェルディとワーグナーという「イタリアオペラ」と「ドイツオペラ」を代表する作曲家が揃って200歳を迎えることでオペラ界は盛り上がっています。彼らが生まれるほんの128年前には、バロックの2大巨星バッハとヘンデルがやはり同じ年に誕生する奇跡があったばかり、人類の歴史では時々こんなすごいことが起こります。
 しかし、ドイツ人であるヘンデルが作ったのが紛れもない「イタリアオペラ」だったように、かつては「オペラ」と言えば「イタリアオペラ」のことでした。名実ともに「イタリアオペラ」と肩を並べることのできる「ドイツオペラ」が完成するには、ウェーバーを経てワーグナーの登場を待たなければならなかったのです。
 確かに、ワーグナー以前のドイツ・ロマン派の巨匠、シューベルトもメンデルスゾーンも、そしてシューマンもオペラは作っていました。しかし、今日では彼らの作品はほとんど顧みられることはありません。シューマンが1849年に完成させた彼の唯一のオペラ「ゲノフェーファ」も、本日の指揮者山下一史氏によって日本初演が行われてはいますが、到底オペラハウスのレパートリーに入るようなものではありません。ただ、十字軍に出征したブラバントの領主が、彼の留守中に新妻が不義をはたらいたことに激怒して刺客を送るも、後に誤解に気づかされ、許しを乞うて幸せに暮らす、といういかにもロマンティックなシナリオを見事に音楽的に表現した序曲だけは、折に触れて演奏されることがあります。
 ソナタ形式によるこの序曲、非常にゆったりとした序奏の冒頭は、いかにも不安定な情緒をかきたてる「ソ・シ・レ・ファ・ラ♭」という「フラット・ナインス」の和音です。序奏の最後に現れる、「ラメント」と呼ばれる悲しげな下降音型の断片は、アップテンポに変わる主部では、提示部の第1主題となって切ないストーリーを語ります。そこに第2主題として聴こえてくるのが、ホルンによる勇壮なファンファーレ。これは、領主ジークフリートのモティーフでしょうか。その後には常に新妻ゲノフェーファの貞淑さを思わせるような優雅なモティーフが続きます。このセットは全部で4回登場しますが、2回目の展開部ではこの二つのモティーフの間を邪魔者が引き裂きます。それが、再現部とコーダではまた仲良く寄り添っているのですから、思わず「ゲノフェーファ、よかったね」とつぶやかずにはいられません。
 シューマンの隠れた逸品を、ぜひご堪能ください。

 頼まれたのは600字ですが、軽く1000字を超えてしまいました。それで、最初の2つの段落をカットした「ショートバージョン」も用意してあります。どちらが使われることでしょう。送ってしまってから、1ヶ所訂正したくなりました。赤字の部分がそうです。
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by jurassic_oyaji | 2013-03-19 23:23 | 禁断 | Comments(2)
TELEMANN/Ouvertures pittoresques
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Martin Gester/
Arte dei Suonatori
BIS/SACD-1979(hybrid SACD)




なんでもテレマンは、生涯に作曲したものが4000曲を超えるのだそうです。クラシックの作曲家でこれ以上たくさん作った人はいないのだとか。そんなテレマンの作品は、現在では声楽曲はヴェルナー・メンケによる「TVWV(Telemann-Vokalwerke-Verzeichnis)」、器楽曲はマルティン・ルーンケによる「TWV(Telemann-Werke-Verzeichnis)」という目録によって整理されています。それぞれカテゴリーごとに分類して番号を振るというやり方です。TVWVは「1」の「教会カンタータ」から始まって、「25」の「教育的作品」まで、TWVはそのあとの「30(鍵盤楽器のためのフーガ)」から「55(管弦楽組曲)」です。TWVの場合は、さらに調性によってひとまとめにされています。
声楽曲の場合は調性による分類はなく、単に番号だけが付けられています。そこで、TVWV 5の「受難オラトリオと受難曲」というカテゴリーを見てみると、1722年の「マタイ受難曲」(5:7)から、1767年の「マルコ受難曲」(5:52)まで46年間、つまり、ハンブルクに赴任してから亡くなるその年まで、毎年きちんと4つの福音書による受難曲を順番に作っていることが分かります。つまり「マタイ」、「マルコ」、「ルカ」、「ヨハネ」というツィクルスを11回半繰り返しているのですね。あいにく、半分以上は記録しか残っていなくて、楽譜そのものは紛失してしまっているそうですが、これだけでもバッハの10倍以上の仕事をしていることになりますね。
バッハが作った「管弦楽組曲」は4曲ぐらいですが、これもテレマンは100曲以上作っています。その中の3曲が、ここでは紹介されています。アルバムタイトルは「絵画的な組曲」、ここでは、その3曲が絵画的なキャラクターを持っている、ということなのでしょう。ジャケットに使われている絵画も、「ハーレクイン(道化)の画家」というタイトル、このモデルは、まさか自分がこんなみだらな姿に描かれているとは夢にも思っていないのでしょうね。ユーモア、と言うか、ブラックジョークにあふれた作品です。
テレマンも、こういうことが大好きだった作曲家です。1曲目、3本のオーボエと弦+通奏低音という編成の組曲(55:D5)には、もろ「Harlequinade」という曲が入っていますよ。これは、なんともユーモラスな曲調ですし、この曲全体も、3本のオーボエがいとものどかな雰囲気を醸し出してくれています。
次の「民族の組曲」というサブタイトルの組曲(55:B5)では、「トルコ」、「スイス」、「モスクワ」、「ポルトガル」など、もろ「民族」丸出しの音楽が、オプションの打楽器と共に異国情緒を味わわせてくれますよ。これはかなりポップ、というか「モスクワ」などはほとんど「パンク」っぽい危なさが漂っていますから、要注意。もっと危ないのが、最後の「びっこ」です。確かに、不規則なビートが、そんな不自由な人を的確に描写していますが・・・。
さらに、最後の組曲(55:D22)のテーマときたら「痛風」などの病気と、その「治療法」ですって。どんな病気も、トランペットとティンパニが入った華やかな音楽で追っ払おう、みたいなコンセプトなのでしょうか。サブタイトルは「トラジ・コミック」、「悲喜劇」ですね。時代劇のマンガではありません(それは「ワラジ・コミック」)。
そんな痛快な組曲と、あと2曲、「ポーランド風コンチェルト」というタイトルの、分類上はTWV 43の「3つの楽器と通奏低音のための室内楽」が演奏されています。「43:G7」などは、とても素朴なメロディを使ったかわいらしい曲です。
マルタン・ジュステルに率いられたポーランドのピリオド・バンド、「アルテ・デイ・スオナトーリ」は、目の覚めるような音色でそんなテレマンの世界を生き生きと聴かせてくれます。驚くべきことに、オリジナルの録音フォーマットは44.1kHz/24bit、そんな「CDよりほんの少しまし」程度のスペックでも、SACDレイヤーではCDでは絶対に味わえない伸びのある音が楽しめます。

SACD Artwork © BIS Records AB
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by jurassic_oyaji | 2013-03-18 21:01 | オーケストラ | Comments(0)
多賀城での第9
 きのうと今日は、多賀城での「第9」のリハーサルと本番でした。きのうは、実質的なお彼岸の入り、ギリギリまで仕事をして、多賀城に向かいます。着いてみると、もうステージのセッティングは終わっていましたが、スペースの半分以上を占めるのが合唱団の席なのには驚きます。150人分以上の椅子が並んでいるでしょうか。壮観です。
 まずは、オケだけの練習ですが、この間の練習では殆ど通す程度で終わってしまったのをとり返すかのように、細かいところをていねいに繰り返し練習しています。やりたいことがあまりにたくさんあり過ぎるけれど、なんとか最良の成果を限られた時間で上げられるようにとの指揮者の熱意には、ついこちらも引きずり込まれてしまいます。結構、今までお座なりにしていたようなところがズバズバ指摘されますから、油断はできません。というか、こういう突っ込み方も新鮮です。
 そこで、長い休憩になりました。軽い食事が出たのですが、なぜそんなに長かったかと思ったら、その間にゲストのリハーサルがあったのですね。ホールでその秋川さんと、多賀城の小学生の合唱団が、「千の風」の練習です。しっかりPAを用意、伴奏はカラオケですが、ステージでの練習が終わっても、秋川さんは客席に小学生を集めて、歌のレッスンをしています。その時には生声で実際に歌って聴かせているのですが、その声はホール全体に響き渡っています。これだったら、PAなんか使わなくても充分なのに、と思ってしまいました。まあ、カラオケとのバランスもあるのでしょうね。小学生の歌もしっかりマイクで拾っていましたからね。
 そして、合唱が加わったリハーサル。誰のアイディアかは分かりませんが、ここではソリストが4楽章が始まってからステージに現れるという、少なくとも私は今までどんなコンサートでも経験したことのないような「演出」が取り入れられていました。確かに、3楽章が終わったところで仰々しく出てくると、音楽の流れが断ち切られてしまうことがありますから、これも一つのやり方でしょう。合唱は、なんだか男声に見慣れた顔がたくさんいたような気がします。男声全体がかなり少なめでしたから、多賀城の人たちだけでは足らなくて、仙台の合唱団からも応援に駆け付けていたのかもしれませんね。実は、楽屋のあたりを歩いていたら、急にマスクをかけた見知らぬ女性に声をかけられて、一体なんだろうと思ったら、マスクを取ると知り合いのピアニスト、最初は私もその合唱団から参加したのかと思っていたようでしたが、「オーケストラです」と言ったらびっくりされてしまいましたよ。しかし、4楽章を丸々2回通したのは、ちょっと尋常なやり方ではありません。
 そして、今日は9時前には多賀城に着いていなければいけないので、6時に起きていつもの「家事」をこなしてから、出発です。今日の練習も、ギリギリまで、あくまでオーケストラの可能性を最大に発揮させるための練習が続きます。殆ど本番の力が残っていないほどのリハーサル、こんなのは久しぶりです。
 昼食を頂き、ステージわきに集まるために、控室を出ると、すでに合唱団の人たちが、通路を埋め尽くしてスタンバイしています。その中を、我々が楽器を持って通ると、口々に「よろしくお願いします!」などと声をかけられるので、恥かしいったらありません。袖で待っていると、最初の出番の秋川さんが現れて、軽い体操をしたり歩きまわったり、さすが芸能人のオーラが漂っていましたね。女性たちは「足が細~い」とうっとりしてました。
 本番では、指揮者の石川さんは譜面台を置かずに暗譜で指揮をされていました。練習の時よりさらにエモーションたっぷりに指示を与えてくれますから、ついつい乗せられて演奏させられてしまいます。案の定、1楽章が堂々と終わった時点で、盛大な拍手が沸き起こりました。2楽章の終わりでも、拍手が入らないわけがありません。3楽章はアタッカで4楽章につながりましたが、これも予想通り、「vor Gott!」で盛大に盛り上がった後の終止で、拍手を頂けました。
 割と自由な時間がある打楽器パートの人たちにも手伝っていただいて、そんな写真をたくさん撮ってきました。その一部はFacebookにアップしてありますから、ここではそれ以外の写真をご紹介します。
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 きのうの「夕食」。
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 本番のロビーには、このコンサートのスポンサーの掲示がずらり。こういう趣旨のコンサートだったんですね。
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 プログラムには、しっかりニューフィル定期のチラシも挟み込まれていました。
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 今日の「昼食」です。ご飯は温かいまま、豪華です。
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 終演後の客席、ちょっと分かりずらいかもしれませんが、ほぼ満席です。
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 ステージで、秋川さんがテレビ局のインタビューを受けていました。これは遠くからの写真ですが、近くで撮ろうとした人は、手前のマネージャーから制止されていましたね。
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by jurassic_oyaji | 2013-03-17 21:19 | 禁断 | Comments(0)
SIBELIUS/Symphonies 1, 4, 7
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渡邉暁雄/
Helsinki Philharmonic Orchestra
TOKYO FM/TFMCSA-1007(single layer SACD)




以前、2003年にCDで出ていた、1982年のヘルシンキ・フィルによるシベリウス・ツィクルスの、シングル・レイヤーSACDでの再発です。5枚だったCDが、もっと長時間の収録が可能なSACDでは、3枚になってしまいました。こんな、CDではありえない時間表示です。
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今でこそ、シベリウスのツィクルスなどアマチュアのオーケストラでも成し遂げていますから、別に珍しいことではありませんが(さらに、まさにこの3月から4月にかけて、インキネンと日本フィルが東京と横浜で全曲演奏を行っています)この録音は、ヘルシンキ・フィルによって日本で初めてシベリウスの交響曲が全曲まとめて演奏されたという画期的な3つのコンサートのライブ録音です。それを企画したのが、民間のFM局だったというのも、今考えるとすごいことですよね。スポンサーはTDK、当時のFM放送を「エアチェック」するには欠かせないアイテム、「カセットテープ」のトップメーカーでした。1月22日、東京の厚生年金会館での3番、6番を皮切りに、1月28日福岡サンパレスでの1番、4番、7番、2月4日大阪フェスティバルホールでの2番、5番がそれぞれ録音され、「TDKオリジナルコンサート」として放送されたのですね。今回のSACD化によって、それぞれのコンサートが丸々1枚に収まることになりました。その代わり、CDでは余白に入っていた渡邉暁雄のインタビューとリハーサル風景はカットされています。
そう、このツィクルスでは、ヘルシンキ・フィルに同行した首席指揮者、オッコ・カムだけではなく、日本からも渡邉暁雄が参加、福岡での3つの交響曲の指揮をしていたのですね。今回のSACDは、その渡邉の指揮によるコンサートを、アンコールの「悲しきワルツ」まで含めて収録したものです。
実は、母親がフィンランド人である渡邉は1961年に、常任指揮者を務めていた日本フィルハーモニー交響楽団とともにシベリウスのステレオによる交響曲全集の録音を世界で最初に行っているのです。日本コロムビアによって録音(エンジニアは若林駿介)された音源は、当時提携関係にあったアメリカ・コロムビアからEPICレーベルで全世界へ向けてリリースされました。さらにこのコンビは、1981年にも、やはり日本コロムビアのDENONレーベルから、これも世界初となるデジタル録音によるシベリウス全集を出しているのですね。そして、その翌年にこのようなエポック・メイキングなコンサートの一翼を担うことになるのです。
そんな「偉業」を成し遂げた渡邉ですが、音楽を作る現場では非常に紳士的で穏やかな方だったそうですね。実際に、日本フィルのヴァイオリン奏者だった知人から直接聞いた話では、リハーサルの時は決して声を荒げることはなく、気に入らないところがあっても、穏やかな声で「ここはこうしてください」と諭すのが、最大限の怒りの表現だったということです。
ここで聴くことのできる「1番」が、まさにそんな人柄がよく反映された演奏なのではないでしょうか。どちらかというとドラマティックに演奏されがちなこの曲ですが、そのような華やかさは敢えて表面には出さず、もっと節度のある、行ってみれば「素」のシベリウスとしてのテイストを重要視しているように聴こえます。
ライナーに、かつてはラハティ響、現在はミネソタ管の音楽監督であるオスモ・ヴァンスカが、このコンサートにはクラリネット奏者として参加しているという記述がありました。ヴァンスカのお弟子さんの新田ユリさんのお話では、ここでは2番奏者として演奏しているそうですね。確かに、インレイの写真にはそれらしい人が写っています。
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なんでも、ヴァンスカは今でもクラリネット奏者としてアンサンブルなどを行っており、来日の際にも暇を見つけては楽器をさらっていた、というのも、新田さんからの情報です。夏休みにも、そうなのでしょう(それは「ヴァカンス」)。

SACD Artwork © Tokyo FM
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by jurassic_oyaji | 2013-03-16 22:25 | オーケストラ | Comments(0)
BACH/St John Passion
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Ian Bostridge, Nicholas Mulroy(Ten)
Neal Davies, Roderick Williams(Bass)
Carolyn Sampson(Sop), Iestyn Davies(CT)
Stephen Layton/
Polyphony, Orchestra of the Age of Enlightenment
HYPERION/CDA 67901/2




レイトンとポリフォニーによるバッハのCDなんて、たぶん初めて聴くことになるはずです。ディスコグラフィー的には、新しい作曲家の作品をどんどん紹介する、というイメージが強いので、古典やバロックのレパートリーとは何か違和感がありました。でも、ヘンデルの「メサイア」などでは、まさにアッと驚くほどの快演を聴かせてくれましたから、もちろん期待はしていました。
しかしブックレットを見ると、なんとあのバッハの権威、クリストフ・ヴォルフがライナーノーツを執筆しているではありませんか。レイトンたちは、しっかりとバッハ研究の最前線とのコンタクトを取っていたのですね。さらに、彼らはこの「ヨハネ」を毎年ずっと演奏していたことも分かります。CDこそありませんでしたが、実は彼らとバッハとはかなり深い関係を持ち続けていたのですね。
ただ、ヴォルフがライナーの中で詳細に「ヨハネ」の改訂に関する史実を述べているのとは裏腹に、彼らはあくまで一つの「伝統」である、新バッハ全集による演奏というスタンスをとっているのだそうです。その上で、いくつかのコラールでは「部分的」にコラ・パルテのオーケストラをなくしてア・カペラで歌っています。それも、彼らの一つの表現のあり方なのでしょう。さらに、わざわざ普通にオーケストラが入った別テイクも、「付録」として最後に収録するというのも、彼らなりの「原典」に対する姿勢なのでしょうね。
余談ですが、「新バッハ全集」であるベーレンライター版そのものが、1974年の刊行ということもあって、そろそろ見直しが必要とされているのでしょうか、これまでに「ヨハネ」の1725年稿(第2稿)と1749年稿(第4稿)を出版してきたCarus Verlagが、ついにこの「伝統稿」を出版してくれました。今のところはヴォーカルスコアしか入手出来ませんが、これでベーレンライターの寡占状況は変わっていくのかもしれません。
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レイトンたちの「ヨハネ」は、期待通りのすばらしさでした。オーケストラはピリオド楽器のエンライトゥンメント管ですが、レイトンはこれをきっちり掌握して、1曲目の導入から普段合唱で見せているあのハイテンションぶりを見事に聴かせてくれます。そして合唱がそのままのテンションで、メリスマのすべての音にしっかり意味を持たせて歌い出した時には、ほとんど信じられないものに出会ったような気分でしたよ。まるで楽器のような正確なピッチとアーティキュレーション、その上に言葉による感情が加わるのですから、もうそれだけで圧倒されてしまいます。
例のコラールの処理が最初に現れるのが11番の「Wer hat dich so geschlagen」です。1回目は楽譜通りに合唱とオーケストラが一緒に演奏しているものが、2回目に同じ音楽が全く異なる表情で現れたときには、一瞬、いったい何が起こったのかわからないほどでした。ア・カペラになっただけでこんなインパクトがあるなんて。歌詞を見てみると、なぜレイトンがこのような措置を取ったのかが分かります。1回目は「誰があなたをこんなに打ったのか」という問いかけ、2回目はそれに対する「私です」という答えになっているのですね。付録のオケ付きテイクと比べてみると、その的確さがよくわかります。声だけで歌われることによって、こんなにも感情がストレートに伝わってくるなんて。合唱に関してはこの「ヨハネ」は完璧、こんなのを聴いてしまうと、世の合唱団はやる気をなくしてしまうことでしょう(それは「弱音(よわね)」)。
バスのニール・デイヴィスが、とてもソフトな声で慈愛あふれるイエスを演じているなど、ソリストたちも、それぞれに魅力を放っていますが、曲によっては合唱ほどの緊張感が保てないところもあるのが少し残念、それと、やはりCDではこの合唱の本当のすごさは伝わってはこないような気がします。

CD Artwork © Hyperion Records Limited
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by jurassic_oyaji | 2013-03-14 19:41 | 合唱 | Comments(0)
MOZART/Sinfonia Concertante, STRAUSS/Also spracha Zarathustra
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Lother Koch(Ob), Karl Leister(Cl)
Gerd Seifert(Hr), Günter Piesk(Fg)
Herbert von Karajan/
Berliner Philharmoniker
TESTAMENT/SBT 1474




1970年8月12日に、ザルツブルクの祝祭大劇場で行われたカラヤンとベルリン・フィルとのコンサートの模様をすべて収録したCDです。いや、別にそんなヒストリカルなものには興味はないのですが、なんせGalway in Orchestraのアイテムなものですからね。あのリストによれば、今までは別のカップリングの海賊盤しかありませんでしたから、やっと本来のライブ録音の形での正規品が入手できたことになります。おそらく、TESTAMENTのことですから、音もかなり改善されていることでしょう。
この年のカラヤンは、5月にベルリン・フィルと来日して、大阪と東京で12回のコンサートを行っていましたね。そして、夏のザルツブルク音楽祭では、ウィーン・フィルとはオペラ、ベルリン・フィルとはコンサートという「両手に花」の大活躍ぶりです。今回CD化されたコンサートは、ここに入っているモーツァルトとシュトラウスの2曲だけという、1時間ちょっとで終わってしまうプログラムでした。その前の日には「ドン・ジョヴァンニ」、次の日には「オテロ」というスケジュールですから、息抜きみたいなものだったのでしょうか。
最初の曲は、モーツァルトの管楽器のための協奏交響曲です。もちろん、ロバート・レヴィンによってフルート・オーボエ・ホルン・ファゴットというソロ楽器群のための楽譜が「修復」されるのは1983年の事ですから、この曲ではゴールウェイの出番はありません。ここでは、当時知られていたこの曲の唯一の楽器編成のために、オーボエのコッホ、クラリネットのライスター、ホルンのザイフェルト、そしてファゴットのピースクという、当時のベルリン・フィルの花形奏者たちがソリストを務めています。
ここでは、カラヤンらしいたっぷりとした響きがあまり感じられないのは、オーケストラの弦楽器のメンバーが大幅に縮小されているのと、オーストリア放送による録音のせいなのでしょう。「これがベルリン・フィル?」と思えるような貧弱な音には、ちょっとがっかりさせられてしまいます。オーケストラの精度も、ちょっといい加減なのも気になります。第2楽章の頭のアインザッツがボロボロなのも、ライブ演奏ならではのご愛嬌でしょうか。その分、ソリストたちのアンサンブルはまさに隙のない完璧なものでした。こちらは、別な意味でのライブでなければ出せないような自由な味が満載、時として、カラヤンがその流れを邪魔しているのでは、とさえ感じられるほどでした。
そして、お目当ての「ツァラトゥストラ」です。ただ、この曲の場合、フルートはそんなに目立つような働きはしていません。おいしいソロなどは何一つないという、はっきり言ってフルーティストには「報われない」曲なのでは、という気がしてなりません。ですから、別にゴールウェイが吹いているからと言っても、特に聴きどころはないのでは、と思っていました。ところが、有名なファンファーレが終わって「後の世の人々について(Von den Hinterweltlern)」の静かな部分に入ってすぐに、まぎれもないゴールウェイの音がくっきりと聴こえてきたではありませんか。それは、バス・クラリネットとユニゾンで演奏されている「ド-ド♯-レ」という音型なのですが、実際はほかの楽器の陰になってまず聴こえてこない低音です。というか、今まで何度となくこの曲を聴いてきましたが、フルートがそんな音を出しているなんて気づいたこともありませんでしたよ。念のため、同じカラヤンがウィーン・フィルを指揮している1959年のDECCA盤のSACDを聴きなおしてみましたが、そんな音は全く聴こえてきません。
聴きすすんでいくと、最後近くの「舞踏の歌(Das Tanzlied)」では、ほんの少しですがちゃんとしたゴールウェイのソロが聴けました。はっきり言って、こんな2か所だけの「出番」で、すっかり満足しているのが、ゴールウェイ・マニアなのですから、ほっといて下さい(ゴーイング・マイウェイ)。

CD Artwork © Testament
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by jurassic_oyaji | 2013-03-12 23:30 | オーケストラ | Comments(0)
3月11日
 いつものように事務室で仕事をしていると、どこか遠くから梵鐘の音が聴こえてきました。時計を見ると3時少し前、そうだったんだな、と思って一人で黙祷をしてみます。低い周波数がはるか遠くまで伝わって聴こえるのが、日本の梵鐘の特徴です。風景の中を這うように伝わってきた音が、「音」ではなく「気配」として感じられる時、まるで静寂の中に身を置いているような不思議な錯覚にとらわれます。たぶん、こんな静寂の中だからこそ、私の思いも遠くまで伝わるのではないか、と、勝手に想像してみたりします。
 2年前のこの日も、やはり同じこの部屋にいました。いつまで経っても激しい揺れが一向に収まらないのに、言いようのない不安感が募ったことは鮮明に憶えています。ひとしきりの揺れが収まって外に出てみたら、鐘楼の屋根が完全に崩れ落ちていました。いまだに、復旧工事は始っていませんが、たぶん今年中には再建出来ることでしょう。来年のこの日には、今度はこちらから静かな低周波を送れたらいいな、と思っています。
 この日に合わせて、世の中では様々な行事が目白押しです。合唱仲間が参加して、モーツァルトの「レクイエム」を演奏するコンサートなども催されているそうです。たぶん、フォーレやデュリュフレなどの作品だったら、心から犠牲者を悼む気持ちにはなれるのでしょう。ただ、激しい曲調の「セクエンツィア」のテキストが含まれるモーツァルトはまた別の機会に聴いてみたいような気がします。同じように、ヴェルディの作品なども、当日からは少し離れた時期に聴きたいですね。いや、出来れば実際に歌ってみたいですね。
 実は、私はデュリュフレ、フォーレ、モーツァルトの作品は実際に歌ったことがあります。モーツァルトはほんの1年前にやったばかりですが、他の2曲ははるか昔、学生時代のことでした。もちろん、混声の曲ですから、歌ったのは所属していた大学の男声合唱団ではなく、エキストラで参加してそのまま居ついてしまった市民合唱団です。デュリュフレなどは仙台初演、その合唱団の指揮者の魅力にも惹かれて、とても素晴らしいレクイエム体験だったような気がします。フォーレも同じ合唱団で歌いました。
 最近は、一度再開した合唱もちょっと行き詰って来たので、しばらく休もうと思っていたところに、その指揮者(まだご存命です)がオーケストラと一緒にヴェルディの「レクイエム」を演奏するというニュースが、どこからともなく伝わってきました。ただ、どんな団体が歌うのかはいまいちよくわかりません。それが、この間の三善のワンナイト・スタンドの時に会った仲間からかなり詳しいことを教えてもらえました。そして、これだったらこの前の某○リーン合唱団のように、賛助出演枠で、ちゃんとした手続きを踏んで参加したのに、心ない一団員から「団員の社交辞令を真に受けてのさばり始めている。迷惑な話だ。」と罵られて辞めざるを得なくなるようなことはないだろうと、即刻ネットで参加を申し込みました。そう、この団体は、そういうことにもかなり熱心な事務局が仕切っているのでした。申し込んだ時点でメルマガにも登録され、翌日には連絡事項が届いていましたからね。
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 初めて行ったのがこの間の土曜日、行ったことのない場所だったので入口が分からずに、それらしいところから入ったら、目の前にこちらを向いて団員が座っていました。知っている顔がたくさんいて、口々に「なんで今頃来たの」とか、「もうそろそろ来る頃だと思ってたよ」とか、微妙な挨拶を寄こしてくれます。どうやら、これで私のヴェルディを歌いたいという願いはかなえられそうです。
 出席をチェックしようと思って受付に行ったら、すでに私の名前も印刷されていました。さすがです。
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by jurassic_oyaji | 2013-03-11 21:50 | 禁断 | Comments(0)
A CAPELLA
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Jacky Locks/
Novo Genere
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「アカペラ」と言えばキツツキの仲間ではなく(それは「アカゲラ」)、あのシンガーズ・アンリミテッド1971年に発表した、コーラスの歴史に残る名盤のタイトルではないですか。恐れを知らないというのは、きっとこのようなことを指すのでしょう。
そんな2006年にフランスで結成されたという新しいグループ「ノヴォ・ジェネレ」が歌うア・カペラのアルバム、サブタイトルは「時空を超えて(意訳)」というものでした。確かに、16世紀のマドリガルから現代のビートルズまでをカバーするラインナップからは、そのような幅広いレパートリーを持つこのグループのキャラクターも感じることは出来ます。そんな両極端だけではなく、間を埋めるレーガーやブラームスといったドイツ・ロマン派の流れもしっかり押さえられていますし。
メンバーは全部で16人、女声10人、男声6人というちょっと見には変なバランス、SopMSAltTenBarBasという6つのパートのメンバー表記になっていて、男声パートはそれぞれ2人だけ、そのテナー・パートの中に指揮者のロックスの名前もありますから、彼は指揮をしながら歌っているのでしょうか。それにしても、写真で見るとメンバーには恥かしげもなく太鼓腹を露出させている、はっきり言って「美しくない」外観の人がたくさんいるのにはちょっと興ざめです。
声の感じは、初期の「スウィングル・シンガーズ」、つまり、フランスで旗揚げされた当時のグループに似ているような気がします。あちらの女声はかなりハスキーでしたが、こちらも、人数の割には軽い感じです。男声もかなり個性的、というか、パートでまとまるというよりは個人のキャラを前面に出しているような歌い方です。音楽の作り方も、あまり掘り下げずにサッパリと歌う、というところでしょうか。
オープニングは、なんとゴスペル・ナンバーの「イライジャ・ロック」でした。フランスのグループがアルバムをゴスペルで始めるというのもやはり「恐れを知らぬ」行いです。案の定、シンコペーションのリズムがことごとく前のめりになってとても不安定、その辺の「ゴスペル・フェスティバル」でシロートが歌っているようなユルさで、とてもプロとは思えません。というか、こういうきっちりしたリズムをキープするのが、この国の人はそもそも苦手なのかも。
彼らは、なぜか、ゴスペルと似たような、二グロ(ピー!)・スピリチュアルズも、ここでは数多く取り上げています。これも、ソリストとコーラスのテンポ感が全く異なっているので落ち着いて聴こうという気にはなれません。女声パートの音色に深みがないのも、こういう曲にとっては致命的。
そして、ビートルズ・ナンバーも登場です。「Yesterday」は、ボブ・チルコットがキングズ・シンガーズ時代に編曲したものが使われていますが、その作家クレジットが「ポール・マッカートニー」となっているのが不思議です。同じように、「You've Got to Hide Your Love Away」では「ジョン・レノン作曲」となっているのも、あり得ない書き方。彼らのビートルズ時代の作品は、たとえどちらかが一人で作ったものでも、つねに「Back in the USSR」(これだって、ポールの作品)のように「レノン&マッカートニー」と表記されるはずですからね。いずれにしても、ロックには程遠いノリの悪さには、聴いている方が恥ずかしくなってしまいます。
お国もののパスローのシャンソン「Il est bel et bon」あたりになると、軽妙さがプラスに働いてやっと楽しく聴くことが出来るようになります。ただ、細かいところでのユルさには、目をつぶるしかありません。
残響の多い教会で録音されたため、そんなユルさはさらに強調されてしまいます。こういうグループの場合には、もっと人工的な処理で音を作った方が良い結果が出るのではないかと思うのですが。

CD Artwork © K617
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by jurassic_oyaji | 2013-03-10 14:13 | 合唱 | Comments(0)
Vogt/Wagner
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Klaus Florian Vogt(Ten)
Camilla Nylund(Sop)
Jonathan Nott/
Bamberger Symphoniker
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まるでカウフマンに対抗するかのように、フォークトがこんなアルバムをリリースしました。あちらはまさにワーグナー・テノールの「正統」というか「王道」を行くものだったのに対して、こちらは「異端」もしくは「邪道」、もっと言えば「勘違い」ですから、最初から勝負の結果は見えているのですが。
しかしまあ、これほどまでに似たようなアルバムをぶつけるというのは、どういう神経をしているのか、ちょっと恐ろしくなってしまいます。「ワルキューレ」では、やはりその前のアルバムとの重複を避けるために「剣のモノローグ」を持ってきていますし、なんとも珍しい「リエンツィ」からのアリアもしっかりかぶさっていますよ。
その、「リエンツィ」の最後近く、第5幕で歌われる「Allmächt'ger Vater, Blick Herab!」というアリアは、それ自体はまず聴く機会はなくても、そのテーマは、こちらは良く演奏されている序曲の中にしっかり登場していますから、初めて聴いてもすぐに入って行けるものです。これを、カウフマンが歌ったものと比べてみれば、その違いは明らかです。
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これが、序曲と同じメロディの部分、赤丸の記号は「転回ターン」という装飾音符で、この場合だとここに三十二分音符で「ラシドシ」という音が入ります。ワーグナーの場合では初期の作品にしか顔を出さない、ちょっと「古い」表現なのですが、いかにも「ロマン派」という感じを醸し出してくれる装飾です。「全能の父よ」で始まるこのアリアは、この大詰めまでに友人や民衆に裏切られてしまったタイトル・ロールが、「あなたは私に力を与えてくれた。それを奪わないでください」と訴える悲痛な歌です。そこで、カウフマンは、この装飾を単なる飾りとは考えず、しっかり意味を持たせた歌い方をしています。ですから、こんな装飾音だけで、見事に訴えかける力が聴く者に伝わってくるのですね。ところが、フォークトの場合はこれが文字通り単なる「飾り」にしか聴こえてこないのです。そこからは、いかにもヒラヒラした軽やかさしか感じることはできません。
そんなことに気づいてしまうと、フォークトの歌がなぜつまらないのかがはっきりしてきます。彼は、何よりも甘く美しい声を出すことを最大の課題と考えているのでしょう。ドイツ語のゴツゴツした子音などは、その美しさを妨げるものでしかありませんから、いとも安直にその子音を目立たせないようにして、あくまでソフトな音を出すことのみに腐心しています。その結果、彼の歌からは子音によってもたらされるはずの「ことば」の力が完璧に消えてしまいました。オペラで感情を表現するために最も必要な「ことば」がないのですから、その歌は死んだも同然のただの音の羅列でしかなくなってしまいます。さらに彼の声は、どんな時にも同じようなビブラートに彩られている明るさだけが取り柄のものでしかありません。「ことば」を放棄した分、何らかの方法で感情を表現しようと思っても、そんなことはそもそも出来ないのです。実際、彼の歌を聴いて悲しみや苦しみを感じる人など、いないのではないでしょうか。
このアルバムでは、「トリスタン」と「ワルキューレ」で、ソプラノのカミラ・ニュルンドが共演しています。そんな木偶の坊が、このようなしっかり歌で感情表現が出来るまともな歌手と一緒に歌っていれば、おのずとその無能さが露呈されてしまいます。それよりも、ここでは「ワルキューレ」の第1幕のエンディングまでがたっぷり演奏されていますが、そんな毒気に当てられたジョナサン・ノットの指揮するオーケストラまでが、全くワーグナーらしくない覇気のない軟弱な演奏に終始していることの方が問題です。「悪貨は良貨を駆逐する」とは、まさにこのようなことを指すのでしょう。フォークトには、ワーグナーなどは歌わずに、おとなしく重い荷物でも運んでいて欲しいもの(それは「フォークリフト」)。

CD Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2013-03-08 19:11 | オペラ | Comments(5)
福井文彦
 オリンピックを東京に招致しようという運動が行われているのだそうです。私は全く関心がありませんし、東京ではもうすでに1回やっているのですからなんでもう1回やろうとするのかが分からないので、ずいぶん無駄なことをやっているような気がします。それと、このタイミングでオリンピックではないだろう、という思いもありますね。そんなことにお金を使うのなら、もっと別のことに使った方が絶対いいのではないか、という思いです。そんなことは誰でも分かりそうなものなのですがね。でも、いくらこちらでやりたいと思っても、決めるのは東京都ではありませんから、どうせこの間みたいにダメになるからいいのですがね。
 しかし、その招致運動の激しさは、なんだか常軌を逸しているような気がしませんか?この間東京に行った時には、本当に街中に「オリンピックを東京に!」みたいな旗がはためいていましたよ。まさか、東京の人たちが全員そんなバカではないはずですから、やはりご近所に気を使ってしぶしぶ飾っている人もいたのでしょうね。
 そして、この間まで、そんな決定に重要な要因となるはずの、主催者のお偉方の視察がありましたね。なんだかずいぶん手の込んだ「おもてなし」を行ったそうで、見ていても涙ぐましいほどの真剣さが伝わってきます。なにしろ、一国の総理大臣までも、幼少の頃の思い出を交えて、記憶のかなたにある「オリンピックの歌」を披露してくれているのですからね。
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 メロディが全く別物だったのに、しっかりこの「海を越えて友よ来たれ」という曲を見つけ出して、すぐテレビで流した放送局の勘の良さには感心しましたが、もちろん私はあの活舌の悪いデタラメなメロディの歌からも、すぐにこの歌だと分かりました。同時に、これは確か仙台市在住の作曲家が作った曲だったのではないか、という思いにも駆られました。
 そこで、すぐ調べてみると、その人が作ったのはこれではなく、こちらの方だったことが分かりました。なんせ小さい頃の記憶ですから、ごっちゃになっていたのですね。これは間違いなく「この日のために」という、当時仙台で指導的な立場の作曲家、福井文彦さんが作った曲です。さっきの、総理大臣が歌った曲よりも、なにか垢ぬけてスマートだったな、という気がしたことも思い出しました。
 今になってこの曲を聴いてみると、もう福井さんの作風丸出しであるのが分かります。「悔いなく競う」という部分のコード進行などは、そんな一例、そして、もっと特徴的なのが、独特のリズム感です。この曲をカウントしながら歌ってみると、なんだか途中から小節の頭がずれているようには思えませんか?実は、4拍子で始まったこの曲は、途中で2拍子の小節が1つ入って、まるでプッチーニの「ネッスン・ドルマ」みたいになっているのですよ。ただ、そのあとでもう1小節2拍子があるので、最終的には全部4拍子のようになるのですが、その途中の部分はなんだかビートが合わなくて居心地が悪くなっていますね。
 福井さんは、合唱曲なども作っていましたが、校歌などもたくさん作っていました。実は、私が卒業した中学校の校歌も福井さんが作曲しています。それがこちら。MIDIがリンクされていますから、聴いてみてください(ブラウザによってはMIDIファイルがダウンロードされてしまうかもしれません)。これも、やはりカウントしながら聴いていると、途中で合わなくなってしまうはずです。こちらは、なんと4拍子の曲の中に、1小節だけ3拍子が入っているのですよ。まさに福井さんならでは、です。なんでこんなことを覚えているかというと、私は、全校生徒の前でこの校歌の指揮をさせられたことがあって、その時に音楽の先生から、この3拍子の部分の振り方を特訓されたからなのですよ。
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by jurassic_oyaji | 2013-03-07 21:04 | 禁断 | Comments(0)