おやぢの部屋2
jurassic.exblog.jp
ブログトップ
<   2013年 06月 ( 28 )   > この月の画像一覧
ヴェルディ/オペラ変革者の素顔と作品
c0039487_21524768.jpg







加藤浩子著
平凡社刊(平凡社新書
683
ISBN978-4-582-85683-5



同じ「生誕200年」とは言っても、ワーグナーに比べたらヴェルディの扱いはかなり冷淡なこのサイトです。この傾向は、世間一般ではどうなのでしょうね。少なくとも、CDDVDBD)の世界では、「ワーグナー>ヴェルディ」という図式は厳然と存在しているような気がするのは、はたして錯覚なのでしょうか。ワーグナーの場合、初期の3作品はともかく、「オランダ人」以降の10作品についてはもれなく何十種類ものアイテムが簡単に入手できますが、ヴェルディでは26作品の中でそのような厚遇を受けているのはせいぜい11作品ぐらいのものではないでしょうか。その「11作品」というのは、あくまで私見ですが「マクベス」、「リゴレット」、「イル・トロヴァトーレ」、「ラ・トラヴィアータ」、「シチリアの晩鐘」、「仮面舞踏会」、「運命の力」、「ドン・カルロ」、「アイーダ」、「オテッロ」、「ファルスタッフ」です。宇宙飛行士の話はありません(それは「ライトスタッフ」)。例えば、序曲だけはたま~に演奏されることがある「ナブッコ」や「ルイーザ・ミラー」の「本体」を全部見たり聴いたりしたことがあるという人には、いまだかつて会ったことがありません。つまり、作品の有名度は、ワーグナーは7割6分9厘に対して、ヴェルディは4割2分3厘ということですから、ヴェルディの劣勢は明らかです。
そんな状況は、この本の出現によって必ずや是正されるはず。加藤浩子さんという方が書かれた最新のヴェルディ本、これはとてもバランスのとれた素晴らしいものでした。
構成は、ヴェルディの生涯と作品について語るという、何の変哲もないのですが、その視点が非常に新しいものであることが、最大の魅力です。最近では、その作曲家の作品の楽譜を徹底的に客観的な資料をもとに検証して、後の校訂や印刷の際に紛れ込んでしまった胡散臭い情報を取り除き、真に作曲家が楽譜に込めたものを明らかにしようという、いわゆる「批判校訂」の作業が、猛烈な勢いで進められています。オペラの世界でも、ロッシーニなどではその成果が見事に現れて、彼の作品に対する評価が劇的に変わってしまったのはご存じのことでしょう。ヴェルディの場合は、まだその作業は緒に就いたばかりですが、一部の批判校訂版はすでに出版されていますし、ヴェルディ作品での歌手の声についても、今までとは全く違ったアプローチが試みられるようになっているのだそうです。そのあたりの、今まさに「進行中」の最新情報が得られるのは、なににも代えがたいものです。
さらに、ヴェルディ本人の生涯や功績なども、従来の俗説ではなく、これもきっちり音楽学者によって「裏」の取れた「真実」のみが語られています。これも、今までは作曲家を「偉人」とあがめて、都合の悪いことはひたすら隠していた風潮がさっぱりと取り払われている現在の潮流に従ったものですね。ヴェルディの女性関係についての詳細な記述は、それだけでとてもドラマティックです。確かに、そのような真の人間像が分かった上で、初めてその作品に対する真の理解も得られることになるのでしょう。
そのような客観的で厳密な考証と並んで、著者自身の「主観」を前面に押し出している部分もあるというのが、この本の魅力を一層高めています。「今聴きたいヴェルディ歌手」という一章が、そんなところ、ここでは、著者の好みがもろ全開で、とても素直なコメントが楽しめます。
そして、最後に登場するのが、全作品の詳細なデータです。単なる「あらすじ」や「聴きどころ」だけではなく、その「背景と特徴」というのが絶妙な筆致、正直、これを読むだけで、ヴェルディのオペラの真の魅力が分かるほどです。これさえあれば、マイナーな作品も聴いてみようという意欲が、間違いなく湧いてくることでしょう。

Book Artwork © Heibonsya Limited, Publishers
[PR]
by jurassic_oyaji | 2013-06-30 21:53 | 書籍 | Comments(2)
かいほうげん
 ニューフィルの公報スタッフとしての私の仕事の中心的な存在となっているのが「かいほうげん」の作成です。文字通り、団内の「会報」なのですが、実体は「会報」とは名ばかりの、私の趣味で飾り立てられた無駄に豪華な冊子です。いえ、最初の頃はこんなヤクザなものではなく、団内の連絡事項だけを載せていた慎ましいものだったのですがね。ですから、せいぜいA4の用紙に両面コピーぐらいの感じでした。それも、版下は手書きでした。ただ、私は手書きではとてもヘタな字しか書けないので、それこそ昔の「ガリ版」みたいに、思いっきり角ばった書体にしてごまかしていましたね。でも、その頃は「ワープロ」というものが普及していましたから、ほとんど「かいほうげん」を作るためだけにそれを買ってきて、誰でもきちんと読めるようなきれいな字で印刷できるようになりました。もちろん、それだけで使うのはもったいないので、そのうちに本来の仕事でも使うようになり、職場のIT化の先駆けとなったのです。
 ただ、そこで単なる事務連絡だけの会報ではなんだか物足りなくなってくるのが、私の悪い癖です。団内の行事などを、文字だけではなく写真を入れて伝えたい、などと思い始めました。その頃の印刷ツールはワープロとコピー機だけでしたが、当時のコピー機の性能では写真をそのままコピーすることは、ほぼ不可能でした。再現できるのは黒か白だけで、中間の階層が潔く切り捨てられた、まるで影絵のようなものしか出来ないのですよね。そこで、なんとか写真らしいものをコピーできないかと思って、スクリーントーンを写真の上に貼りつけてみたりしました。メッシュの大きさや色などをあれこれ変えて試してみて、なんとかそれらしいものは出来ましたね。今見ると全然写真ではありませんが、その当時は「とうとう写真が載りましたね」とびっくりされましたね。
 そのうちに、世の中では「デジタルコピー機」というものが開発されました。詳しいことは省きますが、これを使うと写真が何もしなくてもきれいに「写真」となってコピーできるのですね。メーカーの営業の人がとても熱心に、コピー機本体をわざわざ職場まで持ってきて、そこでいろいろ試させてくれたものですから、すっかりその機能に驚いて、今までのアナログコピー機を買い替えましたよ。
 そして、いよいよパソコンの導入です。最初に買ったのはWindows 95のマシン、写真は簡単に取り込めるし、レイアウトの自由度も増してきました。ただ、私の場合、基本的にそれまで手作業でやって来た、ワープロのテキストの中に生写真を貼り付ける、という作業を、パソコンを使って再現させることに務めました。「型」はもう出来ていたので、ツールが変わったからと言って特別な変更は加えたくなかったのですよね。
 それから15年、今ではプリンターもカラーになり、中身も大幅に拡大されて、毎号ほぼ16ページ分の内容が入るぐらいのものになってしまいました。その最新号の版下が、きのう完成したところです。今回からは、使っていたカメラを変えて、写真の美しさをワンランク上げてみました。やはり、常に少しでも先を目指したいですからね。ただ、あまりきれいになってくると、写真そのものから余計なものを消したくなってしまいます。今回も、「私とニューフィル」に使った写真では、後に写っていた人を一人消してあります。それは誰だったのか、火曜日に現物を見て考えてみてください。
 広報の仕事はそれだけではありません。ネットの世界でも、公式ウェブサイトのほかに、Facebookページの運営も、大事な仕事です。さっき見たら、その「いいね!」がついに100件を超えました。これが多いか少ないかは判断に苦しむところですが、一つのステップは越えたことだけは間違いないでしょうね。
c0039487_228193.jpg

[PR]
by jurassic_oyaji | 2013-06-29 22:08 | 禁断 | Comments(0)
レクィエムの歴史
c0039487_2143566.jpg






井上太郎著
河出書房新社刊(河出文庫い
30-1
ISBN978-4-309-41211-5



井上太郎さん渾身の名著が、今春文庫本でリイシューされました。1999年に平凡社から出ていた元本はすり減るほど読み返したものですが、もう絶版になって入手困難な状況だったとか、こういう「復刻」はとてもありがたいことです。
c0039487_2164733.jpg

おそらく、「レクイエム」だけに特化したガイドブックなどというものは、日本ではこれが最初に出版されたものなのではないでしょうか。しかも、それは最初からとてつもない完成度を持ったものでした。まずは、「レクイエム」という音楽形態の定義から始まって、その歴史、テキストの意味、さらには個々の作品の詳細な解説と続きます。そこで取り上げられている作品の多さにも驚かされます。それは、古今東西の「レクイエム」という名前を持つ作品のみならず、タイトルは違ってもこの曲の本来の目的である「死者を悼む」という意味が込められている作品まで網羅されているのですからね。
これについては、著者は元本の「あとがき」(もちろん、今回の文庫本にも収録されています)の中で「海外でもこれほど広範囲にわたって触れた本はあるまい」と言い切っていますから、最初から壮大なビジョンをもって執筆にあたっていたことがうかがえます。
なんと言っても、ちょっと馴染みのない「レクイエム」のCDを見つけたときなどに、この本を見ると必ずその曲が触れられているのですから、これほど役に立ったものはありません。それに関しても、やはり「あとがき」によると、「執筆にあたりCDを集めることから始め、150曲ほど集めた」と言いますから、すごいですね。
修復にあたって多くの版が存在しているモーツァルトの作品では、そのあたりの成立の事情が手際よく解説されていますし、それぞれの版の特徴などは潔く省いて、その代わり巻末のCD一覧にあるものを聴いて実際に聴き比べてほしい、といったスタンスなのでしょう。しかし、稿そのものが違っているものが乱立しているフォーレの作品の場合は、一般に演奏されている第3稿ではなく、オリジナルの第2稿、しかも参照CDはネクトゥー・ドラージュ版を使っているガーディナー盤だというのも、見識の高さが現れているのではないでしょうか。
著者の高い志は、評価の定まった古典的な作品だけではなく、最近出来たばかりの「20世紀」(書かれた当時は、まさに20世紀が終わろうとしていた時でした)の作品についても、確かな価値を見出し、それを伝えるための労をいとわない、というあたりにも表れています。いや、むしろそのような新しいものの方が、生身の人間との思いがストレートに込められていて、「現代人」の心を打つのでは、という著者の主張のようなものを、受け取ることが出来ます。リゲティの作品に対しての「地獄を見た人でなくては書けない音楽」という言及は、感動的ですらあります。
最後の章で、日本人の作品について触れているのも、見逃すわけにはいきません。日本にとっての「原爆」はまさに「地獄」そのもの、それをモティーフにした「レクイエム」は、まさに日本人のアイデンティティであることが、まざまざと伝わってきます。その中にさりげなく込められたペンデレツキの欺瞞性にも、注目すべきでしょう。
文庫化にあたって、21世紀になって作られたものも新たに加筆されているのではないかと期待したのですが、それはありませんでした。したがって、元本と同様、「あとがき」で触れられている1998年に作られた三枝成彰の作品が、この本の中では最も新しい「レクイエム」です。こんな駄作でこの名著を終わらせるのではなく、さらに新しいものもぜひ書き加えて欲しかったと、切に思います。ただ、もしかしたら、著者にとってはそれ以降の作品はもはや紹介するに値しないものだったのかもしれませんね。それはそれで、納得できないことではありません。

Book Artwork © Kawade Shobo Shinsha, Publishers
[PR]
by jurassic_oyaji | 2013-06-28 21:07 | 書籍 | Comments(1)
燕の巣、その後
 前回、「燕の雛は2羽」などと書きましたが、次の日の朝に巣を覗いてみたら、なんだかもっとたくさんいるような感じでした。時折、頭をあげて口を開けたりしています。と、そこに親鳥が2羽、飛び込んできました。そうすると、雛たちは一斉に大口を開けて騒ぎ出しましたよ。親が来れば餌がもらえるのだと分かるのでしょうね。確かに、親鳥はなにかをくわえて雛の口元に持ってきているようでした。そこをちょうど撮った写真がこれです。
c0039487_21112038.jpg

 ここでは4羽の雛が口を開けていますね。ですから、この写真をFacebookにアップした時には「雛は4羽」とコメントを付けたのですが、よく見ると口を開けた4羽以外にも、なんだか下の方に白いくちばしが見えるような気がしてきました。
 そこで、今日帰宅する前に、また巣を見に行ってみようと、ゴミ置き場の建物に入って行くと、雛たちは一斉に鳴き声を上げ始めました。どうやら、確実に4羽以上いるみたいですね。それも、写真を撮りました。
c0039487_21113415.jpg

 確かに、口を開けているのが4羽、開けていないのが2羽いますね。右から2番目の横を向いたのがかわいいですね。でも、ひとしきり口を開けて大騒ぎすると、親鳥が来たのではないことが分かったのか、みんなダラーっとなってしまいました。
c0039487_21115218.jpg

 お疲れさん、とか言ってあげたくなりますね。
 ところで、今朝職場へ着くと、大きなモミジの木の枝の先に、赤い花が咲いているように見えました。
c0039487_2112612.jpg

 ところが、反対側から見てみると、どうやら紅葉しているようですね。
c0039487_21122530.jpg

 他の人に聞いてみると、毎年こんな風になっているのだそうです。私も毎年見ていたはずなのに、今頃気が付くなんて。
 もう一つ、ついでに竹藪を覗いて気付いたものがありました。2週間前に写真に撮ってあった、今年生えた竹(矢印)が、
c0039487_21124125.jpg

 今日見てみると、なんと、全然成長しないで、先の方が腐り始めているではありませんか。
c0039487_21125723.jpg

 角度を変えてみてみると、よく分かります。
c0039487_21131026.jpg

 今年の筍は、不作どころか、生えた筍も成長しないなんて、かなりひどい状態だったんですね。ここまでひどいのは初めてのような気がします。かといって、あわてて原因を推測するようなことはしたくはありません。あくまで自然の気まぐれなのだ、と思いたいものです。梅雨の時期なのに、ものすごく暑い日があったりしましたからね。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2013-06-27 21:13 | 禁断 | Comments(0)
WHITACRE/Choral Music
c0039487_1946217.jpg



Klaus-Jürgen Etzold/
Junges Vokalensemble Hannover
RONDEAU/ROP6064




人気作曲家エリック・ウィテカーの合唱作品は、もはや日本の合唱団でも定番のレパートリーになっているようですね。コンクールやコンサートで彼の曲を取り上げる団体は、年を追うごとに増えていっているような気がします。CDも、自演盤も含めて何枚か出ています。ただ、今までは英語圏の合唱団によるものしか聴いたことがありませんでしたが、ついにドイツの合唱団がフル・アルバムを作ってくれました。これで、文字通りウィテカーも「国際的」。
ここで歌っているのは、ハノーファーにある「ユンゲス・ヴォーカルアンサンブル」という団体です。みんな黄帝液を飲んでいるわけではなく(それは「ユンケル」)「若い声楽アンサンブル」という意味のネーミングです。でも、ブックレットに載っている写真を見てみるととても「若い」とは言えないようなおじさん、おばさんが並んでいますね。なんでも、この合唱団が創られたのが1981年のことだそうですから、もしかしたら当時のメンバーがそのまま残っているのかもしれませんね。始めたときは「若」かったものの、30年以上経ってしまえばおじさんになるのはあたりまえ、まさか、こんなに長く続くとは思わずに安易につけた名前だったのでしょうか。
この録音は、おそらくウィテカーの立会いの下に行われたのでしょう。同じブックレットには、ウィテカーがリハーサルでメンバーに囲まれている写真や、コンサートでカーテンコールを受けている写真もありますから、録音に先立ってまずコンサートが行われていたのかもしれませんね。かなり時間をかけて、曲を練り上げて録音に臨もうというスタンスだったのでしょう。
確かにここでは、そんな、しっかりウィテカーにリスペクトをささげている様子が目に浮かぶような、共感に満ちた演奏を味わうことが出来ます。まず、合唱団のメンバーが60人ほど、というサイズが、とても深みのあるサウンドを作っています。例えば自演盤などでは、せいぜい30人程度で歌われていて、それはそれで緊張感のあるタイトな響きを聴くことが出来るのですが、それがもう少し増えたことによって、そこからはもっと暖かみのあるものが感じられるようになっています。例えば、両方に含まれている「Sleep」という2000年に作られた曲を比べてみると、ウィテカー特有の不協和音が、自演盤ではストレートに「雑音」っぽく聴こえるのに、このCDではもっと意味のある和音のように聴こえてきます。
逆に、この中では最も初期の作品である1993年の「Cloudburst」では、始まりのあたりのちょっと「前衛的」な部分が、そのまま「難解なもの」として聴こえてくるあたりは、かつてそういうものを実体験として持っていたドイツ人の感性の表れなのかもしれません。おそらく、そんな、作曲家自身でも気が付かなかったようなアプローチまで、ともに楽しみながら録音が進められていったのではないか、という思いになるほど、これは楽しめるアルバムでした。
なによりも、個々のメンバーのレベルがかなり高いうえに(プロではないそうです)、それこそ歴史の重みさえ感じられるような、合唱団としての熟達度があります。言ってみれば、長年樽で寝かせたお酒、みたいなものでしょうか。優しく溶けあったハーモニーが、とても素敵な味を醸し出しています。
1996年にソプラノ・ソロのために作られたものを、2001年に混声合唱に改訂した「Five Hebrew Love Songs」では、自演盤では伴奏も改訂された形の弦楽四重奏に変わっていましたが、ここではオリジナルのヴァイオリンとピアノのバージョンのままなのも、嬉しいところです。こちらの方が、より素朴な味があります。ただ、ライナーノーツに「改訂の際に、伴奏はそのままにした」とあるのは、自演盤にあるウィテカー自身のコメントとは食い違っています。おそらくこちらは事実誤認でしょう。

CD Artwork © Rondeau Production GmbH
[PR]
by jurassic_oyaji | 2013-06-26 19:49 | 合唱 | Comments(0)
燕の巣
 うちのマンションのごみ置き場に、燕が巣を作り始めたのは5月の末でした。管理人さんが、天井に付いている蛍光灯のカバーの上に、泥やわらくずを集めて巣のようなものが出来ているのを発見したのです。それは入口からは陰になって見えないので、注意するようにわざわざ張り紙などをしてくれていました。確かに、その頃は何羽もの燕が、ゴミ置き場を出入りしていましたね。
 これが5月31日の写真。巣はすっかり完成したようでした。
c0039487_23584373.jpg

 6月3日に撮った写真では、親鳥の姿が写っていました。卵を抱き始めたのでしょうか。
c0039487_23585520.jpg

 6月9日の写真では、親鳥は向きが変わっています。
c0039487_2359154.jpg

 そしてとうとう今朝見てみたら、雛鳥が2羽いるではありませんか。フラッシュにびっくりしているみたい、かわいいですね。
c0039487_23593233.jpg

 アップです。
c0039487_00054.jpg

 こんな風に、一発で狙い通りの写真が撮れるなんて、前のカメラではとてもできないことでした。もう、普通のコンデジなんかは使う気にもなりません。ですから、今日のニューフィルの練習でも、使うのはこのカメラです。というのも、今日の話し合いで来年春の定期演奏会の曲目が決まりそうな気配だったので、来週には新しい「かいほうげん」を出すことにしたものですから。そこで、まずは今日中に新入団員に承認された人の写真を撮らなければなりません。該当者は2人いるのですが、もし休んだりしたら穴が開いてしまいます。でも、一人はだいぶ早く来たので、まず楽勝。ところが、もう一人のヴァイオリンの方が合奏が始まっても現れません。一瞬不安がよぎりますが、今のヴァイオリンパートはそうそう休んだりしないことは分かっていますから、ひたすら信頼して待っていると、すぐやってきましたね。これで大丈夫、休憩中に撮影完了です。
 その時に、フラッシュを使って撮影したら、全ての写真で、前と同じようになんか「処理」が始まって、人物だけがトリミングされた画像が勝手に出来てしまいました。やはり、これは顔認証の機能だったのですね。それにしても、そのトリミングのやり方はかなりいい加減、しかも、処理が終わるまで次の撮影ができませんからこれはかえって不便ですね。あとで、カメラをいじくりまわしていたら、やはり顔認証の設定がONになっていたので、OFFにしておきました。
 さっきの燕の雛は、まだ「顔」として認証できなかったのでしょう、普通の写真しか撮れませんでしたね。
 そうそう、来春の曲目は、「魔弾の射手」序曲、ブラームスの3番、そして「展覧会の絵」に決まりました。私は全部やったことがある曲です。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2013-06-26 00:00 | 禁断 | Comments(0)
BEETHOVEN/Symphonies 5 & 7
c0039487_20384233.jpg





Carlos Kleiber/
Wiener Philharmoniker
DG/00289 479 1106(BD)




今回鳴り物入りで登場したユニバーサルのBDオーディオは、この前聴いたDECCAカウフマンがあまりに素晴らしかったので、DGではどうなのかな、と入手してみたのがこれです。このアルバムでは幸運なことにCDだけではなく、しっかり最初期の段階のハイブリッドSACDと、最近の国内盤のシングルレイヤーSACDが出ていますから、かなり高次元での比較が可能になるはずですが、あいにく手元には2003年のハイブリッド盤しかありませんでした。
予想通り、このBDは、あらゆる面でハイブリッドSACDをしのぐものでした。まずは何の不安もなくたっぷりと伸びている豊かな低音、そして、弦楽器の瑞々しさと管楽器の滑らかさ、さらにはそれぞれの楽器の立体感でしょうか。
BDのクレジットでは、マスタリングに関しての記述は全く見られませんが、ディスプレイでの表示は前回のDECCA盤と同じく24bit/96kHzの2チャンネル音源がPCMDOLBYDTSの3種の中から選べるようになっています。もちろん、聴いたのは非圧縮のPCMです。クラシックには非圧縮
これが、ハイブリッドSACDでは、確かにマスタリングを行った年(2003年)と、エンジニアの名前が表記されています。ただ、その肩書が「New surround mix and new stereo mix」となっているのが、ちょっと気になります。というのも、2003年当時のSACDに対する認識は、今のような「ハイレゾ」の音源というよりは、もっぱら「サラウンド」再生が可能なメディアというものだったような気がするからです。このクライバーの音源は当然2チャンネルステレオなのに、わざわざサラウンドの成分をでっちあげて、そちらの方をメインのセールス・ポイントにしていたのではないでしょうか。2010年にシングルレイヤーSACDとして出た時には、もちろんオリジナルの2チャンネルだけになっていたのは、SACDに本当に求められているものにメーカーが気付いた結果なのでしょう。ただ、そのシングルレイヤーSACDには、確か「2003年のDSDマスター」のような表記があったはずですから、そこで使われたのは2003年の「stereo mix」ということになるのでは。
DSDでは「mix」は不可能ですから、当然最初のデジタル・データはPCMだったはず、それをそのまま提供しているBDと、一旦DSDに変換したSACDとの勝負というのは、すでにショルティの「リング」で違いを見せつけられていました。しかも、SACDは読み取りエラーも考えられるハイブリッドタイプでしたから、この結果は至極当然のことだったのかもしれません。
なんでも、近々ブリテンの「戦争レクイエム」自作自演盤が、BDオーディオでリリースされるそうです。「リング」と同時期のDECCAのスタッフによって録音されたものですから、これも間違いなく素晴らしい音が聴けるはずです。とても楽しみ。
実は、このアルバムを全曲きちんと聴いたのは、これが初めてです。そんないい音で聴いたせいでしょうか、「5番」と「7番」とでは全く音が違っていることがはっきり分かってしまいます。録音会場こそ同じですが、それぞれ年代も録音スタッフも別なのですからそれは当たり前のことです。「5番」でのゴリゴリとした弦楽器の響きは、まるでかつての東ドイツのオケのようですが、「7番」になるとすっかりソフトな落ちついた音に変わって、とても同じオーケストラとは思えません。そんな音の違いが、演奏の印象の違いとなって感じられるのも面白いところです。全くの私見ですが、「5番」ではどこをとってみてもクライバーならではのしなやかなフレージングが徹底されているのに、「7番」では、なにか詰めが甘くて、指揮者とオケの間に「隙間」のようなものを感じてしまうのです。
最近、BSでクライバーのドキュメンタリーを立て続けに見せられましたが、そこでは彼の気まぐれな一面が強調されていました。おそらく、そんな振幅が、この2つのセッションにも投影されていたのでは、というのも、もちろん「私見」です。

BD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH
[PR]
by jurassic_oyaji | 2013-06-24 20:39 | オーケストラ | Comments(0)
わさびジンジャーエール
 我が家のそばにあるスーパーは、「ヨークベニマル新荒巻店」という名前です。なんだか、新巻鮭でも売っているような店名ですが、そうではありません。以前は、近くの大型ショッピングセンターの中にあってただの「荒巻店」だったのですが、2010年の10月にそこを引き払って、一戸建ての新しいお店をオープンしたのですね。防音室は付いていませんが。そうしたら、翌年の3月の震災で、そのショッピングセンターは「全壊」状態になってしまったのですから、偶然とはいえ運が良かったのでしょうね。我々も、震災の後には何かとお世話になりましたし。
 そのお店が、先日、丸1日休業して店内のリニューアルを行っていました。朝、その前を通ると、買い物客用の駐車場が業者の車でいっぱいでしたから、店員だけではなく各方面に応援を頼んで、「一夜にして(@タモリ)」リニューアルを完了させたのでしょうね。
 それで、きのう、どんだけ新しくなったのかを確かめるために、お店に行ってみました。入って右サイドの野菜や鮮魚、精肉のコーナーは以前と全く変わっていないようでしたが、反対側のお惣菜売り場のあたりが、劇的に変わっていましたね。要は、1ブロック棚が増えて、品数が大幅に増えていたのですよ。コンビニに並んでいるお弁当やパスタ類のようなのがたくさんあったような感じ、その中には、セブンでいくら探しても見当たらなくなってしまったツナの和風パスタがあったのはうれしかったですね。同じ系列ですが、こうやってコンビニの客ももぎ取ろうという戦法なのでしょう。
 そこで、ふと、向かい側のジュース類の棚をみると、「サイダー大集合」というコーナーが出来ていました。これも、リニューアル記念のイベントなのでしょうか。見ると、全国のご当地サイダーみたいなのが勢ぞろいしています。「すいかサイダー」なんかは飲んでみたいですね。地元からのエントリーは「牛タンサイダー」ですって。いったい何を考えているのでしょう。サイダーに限らず炭酸系ならなんでも、ということで並んでいたのが、静岡で作られた「わさびジンジャーエール」です。辛い物同士を組み合わせたらどうなるのか、という、開拓精神に富んだ商品であることはよく分かりましたし、確かに目の付けどころはいいのではないか、という気はしました。2つの辛みのコラボレーションは、しかし、一歩間違えばとんでもないことになる恐れもありますがね。いずれにしても、それは実際に飲んでみないことには分かりませんから、「1本だけ」買って帰りました。
c0039487_21444696.jpg

 その結果は、Facebookに書いたとおりです。結局、半分だけ飲んで、あとは捨ててしまいました。
 そんな、新しいものに対する挑戦には、リスクは付き物です。今日は愚妻が夕方まで練習だったので、迎えに行った帰りに嘔吐屋で晩ご飯を食べることになり、こんな新しいメニューが目に入りました。さっそく愚妻はそれを注文します。
c0039487_2145582.jpg

 夏野菜の和風ビビンパですね。確かに、色んな野菜が入ってます。と、半分ぐらい食べ終わったところで、愚妻は「ゴーヤが入ってない」と言い出しました。確かに、メニューの写真(↑)には載っているゴーヤが、そこにはなかったようですね。ゴーヤだけ食べてしまって、私をからかっている、という線もありますが、どうもそうではなさそうです。まあ、私にとってはどうでもいいことですが、そこにちょうど店員さんがお水を注ぎに来たので、軽い気持ちで空になったお皿を指差して「これって、ゴーヤが入ってるんですよね。ありませんでしたよ」と言ってみたら、彼は真っ青になって「大変申し訳ありません」と平謝りです。結局、アイスクリームを2人分サービスしてくれました。言ってみるもんですね。いや、本当にゴーヤはありませんでしたよ。きっとリニューアルしたメニューに、調理場の人が慣れていなかっただけだったのでしょう。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2013-06-23 21:45 | 禁断 | Comments(0)
XENAKIS/Synaphaï
c0039487_20555611.jpg

Geoffrey Douglas Madge(Pf)
Elgae Howarth/New Philharmonia Orchestra
Roger Woodward(Pf)
Claudio Abbado/Gustav Mahler Jugendorchester
DECCA/478 5430




この「20C」というシリーズは、文字通り20世紀に作られた作品を網羅しようという企画、1900年から2000年まで(ちょっとはみ出していますが)のすべての年に必ずなにかが入っているという徹底したものです。アルバムとしては作曲家別にリリースされていますが、ブックレットには年ごとのリストがあって、なかなか楽しめます。それぞれの年には、1曲しかないものも有りますが、最高では4曲採用されている年もありますね。例えば1905年はドビュッシーの「海」、シェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」、R.シュトラウスの「サロメ」、そしてレハールの「メリー・ウィドウ」というのですから、面白いですね。リストでは、すでにリリースされているものがイタリック体になっていて、普通のフォントのものはもはや数少なくなっています。もうしばらくすると、すでに「20世紀」は「古典」となってしまったことがはっきり認識できるアンソロジーが完成します。
今回はクセナキスが初めて登場です。この、ペンローズ・トライアングルを応用した立体の画像がちょっとかわいいもので、つい買ってしまいました。こういうM.C.エッシャー、あるいは安野光雅の世界がクセナキスと通じていると感じたデザイナーに、拍手。
そして、ジャケットの裏側を見ると、こんな痛々しい写真が。第二次世界大戦中に受けた傷跡がこれほど生々しく写っている写真なんて、初めて見ました。彼のポートレイトといえば、右側から撮ったものか左側が陰になっているものがほとんどですからね。これは、ある意味貴重な写真です。
c0039487_20573849.jpg

内容はこちら1975年に録音されたDECCA音源によるアルバムに、ボーナス・トラックとしてこちらの中に収録されていたORF/DG原盤の「Keqrops」が加わっているというものです。結果的に、クセナキスの3つのピアノ協奏曲の最初と最後のものがカップリングされることになりました。
もちろん、クセナキス自身は「ピアノ協奏曲第1番」のような言い方は決してしない人ですから、その3つには単にタイトルが付いているだけです。「1番」に相当するのがテレビのワイドショーでも紹介されて有名になった「ピアノと86人の演奏家のためのSynaphaï」。1969年に作られて、1971年に初演されていますが、ここに収録されている、マッジとハワースのものが初録音でした。ワイドショーの大井盤は2番目の録音になります。「2番」である「ピアノと88人の演奏家によるErikhthon」は1974年に作られ、同じ年に初演されていますが、録音は大井さんのものしかありません。そして「3番」は1986年にニューヨーク・フィルの委嘱で作られた「ピアノと92人の演奏家のためのKeqrops」です。同じ年にロジャー・ウッドワードと、メータ指揮のNYフィルによって初演されましたが、ここには1992年の第5回ウィーン・モデルンでのアバドとウッドワードによるライブ録音が収録されています。もちろん、これが唯一の録音でしょう(この現代音楽祭は、現在まで毎年欠かさず開催されていることを初めて知りました)。
この2つの協奏曲を並べて聴くことによって、その間に横たわる17年の歳月がクセナキスの作風にも大きな変化を与えていることが如実に分かるはずです。「3番」でピアノ・ソロが一定のビートでアコードを叩きつけるのを聴くと、ついに彼にも人の感情に寄り添った音楽を作ることへの関心が芽生えたことを感じないわけにはいきません。時折五音階の「メロディ」が顔を出す時もありますし。そこまでの境地に達した時、彼のそれまでのグリッサンドやクラスターがどんな意味を持っていたのかを多くの人が理解できるようになるのでしょう。これこそが、作曲家の「成長」に他なりません。もちろん、今の世の中には歳を重ねるとともに「退化」する作曲家の方が圧倒的に多いのは、ご存じのとおりです。そういう人たちは、文字通り「大家」と呼ばれたりします。

CD Artwork © Decca Music Group Limited
[PR]
by jurassic_oyaji | 2013-06-22 20:58 | 現代音楽 | Comments(0)
木綿のハンカチーフ
 大吉さんの「都会の絵の具に染まってしまった!」というセリフは、夏バッパが「涙拭く木綿の手ぬぐい」をアキに渡すというシーンと呼応しているのでしょうね。相変わらずの、見事な台本です。ついでに、この歌のフルコーラスを思い出して、その松本隆の詞の、やはり高い完成度に、一人涙ぐんでいるところです。ただ、改めて歌詞を見直して、1ヶ所間違って覚えていたことを発見しました。2番で、「都会で流行りの指環を送るよ」というカレに対して、カノジョはそれを断り、「星のダイヤも 海に眠る真珠も あなたのキスほどはきらめかない」と、その理由を述べます。しかし、私はその「星の」をずっと「欲しいの」だと思っていたのですよね。もちろん、「欲しい」ものは「あなたのキス」なのだと、何の疑いもなく納得していたのです。太田裕美は、確かにそこを「♪ほしいの~」と歌っていましたからね。40年近く経って、やっと間違いに気が付いた私でした。
 と、唐突に前回の続きになるのですが、ニューフィルの新田さんとのリハーサルの日が、新田さんが来週本番を迎えるオーケストラの仙台でのジョイント・コンサートの日と見事に重なっていた、という、あり得ないような話について書いたところ、それを転載したブログにリンクを張ったFacebookのタイムラインに、新田さんその人からコメントが寄せられてしまったのですよ。これにはびっくりです。なんか、失礼なことを書いてはいなかったかと、冷や汗もので。
 その日は、日にちだけではなく、会場もすぐそば、なんせ同じ建物の中ですから、30秒あれば行って来れます。ですから、ニューフィルのリハーサルの時間を調整すれば、新田さんがそちらの本番なりリハーサルを覗きに行くことは充分可能なことなのですね。しかも、出演者の中にはニューフィルの団員もいますから、詳細な進行予定なども分かるはずなので、さらにこの「作戦」は精度が上がるはずです。きっと、ニューフィルのリハーサルも目いっぱいやっていただいて、それでいて新田さんが「教え子」たちの演奏に立ち会えるだけの時間が確保できるような完璧なスケジュールが、実現できることでしょう。実は、私は交響曲しか出番がありませんから、その日は午後は完全にオフ、楽々そのコンサートを聴きに行けますので、何の心配もいらないのですがね。京大オケの「4つの気質」、楽しみです。
 先の話はさておいて、肘の骨を折ってものすごい手術をした母親は、人並み以上の回復力で殆ど普通と変わりない生活を送れるほどになりました。火曜日に抜糸した傷口も、こんなにきれいになりました。
c0039487_21552294.jpg

 本当に、人間の治癒力というものは大したものだと感心しているところです。手術直後には、担当医から「お年寄りだから、傷口がきちんと治るか心配だ」と言われてしまい、マジで、中から金属のバーが飛び出してくることを心配していたのですからね。
[PR]
by jurassic_oyaji | 2013-06-21 21:56 | 禁断 | Comments(0)