おやぢの部屋2
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七夕まつり
 この間「棟上げ」みたいなことをやって、一応の骨組みは出来上がった職場の鐘楼ですが、そのあと屋根から上の工程に入ったら、とたんに進行が遅くなってしまいました。まあ、それは当たり前の話で、下の方は出来てきた部材をくみ上げればそれで完了ですが、屋根はかなり細かい作業がありますから、そう簡単には終わらないのですね。そんな作業を逐一見てみたいのですが、あいにく現場は檻のような足場に囲まれてますし、雨を避けるためのビニールシートもかぶさっていますから、なかなか外からは見るのが難しくなっています。
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 きのうは、職場の会館でパート練習でした。そこで、一旦ご飯を食べに外に出て、また帰って来た時には、もう大工さんたちは帰っていましたから、こっそり足場の階段を上って写真を撮ってきました。
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 こんな感じで、まだ骨組みも完成していません。その上に板を張って、さらに本堂と同じ銅葺きにするのですから、まだしばらく時間がかかることでしょう。ですから、ギリギリお盆には間に合うかどうか、というタイミングですね。でも、実際に完成していて欲しいのは大みそかですから、それまでには間違いなく出来ていることでしょう。一応、鐘の本体は何の損傷もなかったようなのでそのまま吊るしてありますが、まだ実際に叩いて(いや、撞いて)はいないので、前の通りの音が出るかどうかは分かりません。
 お盆が近いということは、七夕も近いということです。もちろん、七夕と言えば8月初旬のお祭りであることは常識ですね。本来は旧暦の7月7日だったものを、明治政府が新暦に替えた時にそのまま同じ日を七夕にしてしまった一部の人たちは、なんと愚かなことだったのでしょう。そんな、お上の言うことを鵜呑みにしてしてしまうような国民だから、ちょっと前までは原発がこんなに危険なものであることや、使用済みの核燃料の処理すらも不可能なことを知らないでいたのでしょう。
 いや、そんなわけで、ニューフィルのSさんが、職場に飾るので小さめの竹が2本ほど欲しいと言ってきました。それで、きのうの練習が始まる前に取りに来るというので、それから切ったりするのは大変だろうと、前もって切っておくことにしました。頃合いの竹を探して、適当な長さに切り、下の方の枝を鉈で払っておきます。それを、乗用車(たぶん軽)に積んで持って行くというので、収納しやすいように、広がった枝をひもで縛って束ねておきましょう。これは、以前別の人がやはり車で運ぶ時に大変な思いをしていた時に思いついたやり方です。こうやって、年々フォーマットが固まって行くのですね。
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 それを、こんな感じで置いておきました。これはその時にFacebookに載せた写真ですが、持って行ったあとで、せっかく「禁断」に載せるのに、前のポリバケツはとても邪魔なことに気付き、消してみました。
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by jurassic_oyaji | 2013-07-31 21:38 | 禁断 | Comments(0)
TSCHAIKOWSKY/Symphonie Nr.3
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Dmitrij Kitajenko/
Gürzenich-Orchester Köln
OEHMS/OC 970(hybrid SACD)




チャイコフスキーの番号が付いた6つの交響曲の中では、前半の3曲は後半の3曲に比べて圧倒的に演奏頻度が少なくなっています。そんなマイナーな3曲の中でも、「3番」というのはひときわマイナー感が強いのではないでしょうか。そもそも、楽章が5つあるという点が問題。なんたって、4楽章形式の交響曲というものは、ずっと昔から慣れ親しんでいたこともあって、かなりバランスのとれたフォルムを持っています。第1楽章でまず心を掴まれ、第2楽章でいったん冷静さを取り戻すものの、第3楽章でまた掻き乱されてしまい、ついにはフィナーレで否応なしにホテルへ直行、みたいなパターンですね。
ところが、この「3番」の場合は、第2楽章としてなんだか余計なものが本来の第1楽章と第2楽章の間に挟まっているという気がしてならないのです。「ドイツ風に」というタイトルが付けられた3拍子の曲なのですが、そのテーマがなんとも陳腐なメロディなんですよね。チャイコフスキーという人は、信じられないぐらい美しいメロディを作ることもありますが、たまにこんなどうしようもなくつまらないメロディも作ってしまうんですね。「ミレシソ↑ド」(in C)という音型、たまらなくダサいとは思いませんか?
そんな「3番」ですが、前にキタエンコで「2番」を聴いたときにはちょっとびっくりするぐらい引き込まれる演奏だったので、もしかしたらそんな「つまらなさ」を払拭してくれるのではないか、という期待で、このSACDを聴いてみることにしました。
しかし、残念ながら、それは、この曲の印象を変えてくれるほどのものではありませんでした。あの「2番」の時のすがすがしさはいったいどこへ行ってしまったのか、と思えるほどの鈍重な演奏には、ちょっと困惑してしまいます。第4楽章のスケルツォでは、木管楽器の名人芸によるフレーズの重なり合いで、目の覚めるようなキラキラした風景を見せて欲しいのに、このもたつきはいったい何なのでしょう。それぞれの奏者がなんてことのない音符で変に引っかかっているために、流れが全く感じられなくなっています。
そんな印象を与えられたのは、もしかしたら録音のせいだったのかもしれません。なにか、高音の伸びが今一つ不足していて、開放感がまるで感じられない音なのですね。ただ、カップリングの「眠りの森の美女」組曲では、そんな窮屈な音ではなく、いかにもSACDならではの伸びやかな音が聴こえるのは、やはり録音時期の違いによるものなのでしょうか。「2番」のSACDの時と同様、今回も2010年と2011年という2つの時期が記載されているのですが、どちらの曲がどの時期に録音されたのかは明らかにされていません。ですから、2011年の少し前に機材の変更か何かがあったとすれば、交響曲は2010年、バレエは2011年の録音なのではないか、と思うのですがね。
ただ、音は見違えるように良くなっているのに、今度は演奏がずいぶん硬直したものになっていました。最後の「ワルツ」などは、優雅さのかけらもないどんくさい仕上がりなのには、がっかりでした。
余談ですが、この「ワルツ」の序奏の部分は、NHK-BSの深夜クラシック番組「プレミアム・シアター」のオープニングテーマになっています。しかし、おそらく30秒というテーマ音楽の制約からなのでしょう、ここではその21小節目から24小節目までの4小節がカットされています。確かに、この部分はその前の4小節と全く同じものですから、分からないだろうと担当者は思ったのでしょうが、そんなことはありません。この序奏は、4小節のモチーフを繰り返して8小節になった部分が4つ+エンディングの4小節という36小節で出来ています。その8小節の部分を1ヵ所4小節に縮めてしまったのですから、バランス的におかしいことは仮にこの曲を聴いたことが無い人でも気づくはずなのですからね。いくら鬘を付けても、ばれる時はばれるのです(それは「女装」)。

SACD Artwork © OehmsClassics Musikproduktion GmbH
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by jurassic_oyaji | 2013-07-30 22:53 | オーケストラ | Comments(0)
ヨハネ受難曲
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 きのうは、バッハの「ヨハネ受難曲」を聴いてきました。生でちゃんとした「ヨハネ」を聴くのはこれが2回目になるのでしょうか。その、最初にまともな「ヨハネ」を聴いたのは2008年、その時に演奏前の「プレトーク」で、この間お亡くなりになった川端純四郎さんがなさった「稿」に関するお話は、当時の私にとっては衝撃的なものでした。なんせ、その頃は「新全集版」の他に「第2稿」というものがあるぐらいのことしか知らなかったのですから、川端さんの多くの「稿」が作られることになった背景までも交えたお話は、まさに目からうろこが落ちる思いでした。それがきっかけで、こんなページまで作ることになってしまったのですがね。
 きのうの「ヨハネ」でも、パンフレットには詳細な「プログラムノート」が載っていて、その中で当然この「稿」に関する解説も述べられていました。しかし、どうもその解説は、書いている人が最新の情報に疎いのか、どこからか集めてきた情報を無批判に並べただけだからなのかは分かりませんが、かなりいい加減なものでした。まあ、こんな優に4000字はあろうかという解説をきちんと読む人などほとんどいないのかもしれませんが、中にはこれを読んで真に受ける人がいないとも限りません。あるいは、これをそのままネットに流したりもするかもしれません。そうやって間違った情報がいつの間にかさも本当のことであるかのように扱われてしまっていることは、WIKIなどでは日常茶飯事です。本当に困ったものです。一番まずいのは、「4度目の上演のときには、初稿の第1曲から第10曲までに少し手を入れただけで、結局これが最終稿になった」という部分です。実際、かなり高名な音楽学者と呼ばれている人でも、同じような過ちを犯しているのですから無理もないのかもしれませんが、「4度目の上演」の時に使われた、「第4稿」と呼ばれている楽譜は、「最終稿」とされている楽譜とは全く別物なのですよ。確かにバッハはこの上演よりだいぶ前に「最終稿」とすべく新たなスコアを作り始めますが、それはある事情で中断、そして、この「4度目の上演」のときに、コピイスト(今では名前もちゃんと分かっています)に残りの部分を第1稿から写譜させて、一応スコアは完成させます。しかし、実際に演奏に使われたパート譜はそのスコアから作られたものではなく、第1稿のパート譜に少し手を入れたものだったのです。それが「第4稿」なのですね。つまり、その「最終稿」は、バッハの生前には1度も「音」にはなっていないのです。というか、そのスコアが元になっている「新全集」でも、バッハ自身が「最終稿」と考えていたのは10曲目の途中まで、本当は残りもきちんと仕上げたかったのでしょうが、結局それをやり遂げる時間は、バッハには残ってはいなかったのです。この件の詳細はこちら
 きのうの演奏では、楽譜は新全集版が使われていました。通奏低音にはポジティブオルガンが用いられており(演奏は今井奈緒子さん!)さらにコントラファゴットが加わっています。これも、最近のCDでは良く見られる使い方です。もちろん、ヴィオラ・ダ・ガンバはいまどきチェロで弾くところはまずありませんし、19番のアリオーソと20番のアリアのためにリュートが用意されているのも、嬉しい配慮です。
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 指揮者は、この前ヴェルディでご一緒したO先生、ヴェルディのときのことを思い出してハラハラしながら聴いていましたが、合唱の入りでちょっと怪しげな指示だったので合唱がつい飛び出したという「事故」を除けば、ほとんど「奇跡」とも言っていい演奏だったのではないでしょうか。そういう「魔力」を、O先生は持っているのでしょうね。
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by jurassic_oyaji | 2013-07-29 21:22 | 禁断 | Comments(0)
Sommernachts Konzert 2013
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Michael Schade(Ten)
Lorin Maazel/
Wiener Philharmoniker
SONY/88883 71214 9(BD)




このところ、「ニューイヤー・コンサート」と並んで、大々的に映像の露出が目立つようになってきた、ウィーン・フィルの「夏の夜のコンサート」が、今年もDVDBD、そしてCDでリリースされました。「夏」とは言ってますが、実際に行われたのは5月30日ですから、ほとんど「初夏」といった感じですね。
「ニューイヤー」は普通にホールの中でのインドア志向でしたが、「真夏」の方は目いっぱい「アウトドア」の趣、なんたって、あの(と言っても、実際に行ったことはありませんが)広大なシェーンブルン宮殿の庭園全体が会場なのですからね。まさに山あり谷あり、大きな池まであるという敷地の真ん中に大きなテントを張って、その中で演奏します。もちろん、会場全体に音が聴こえるようにPAにぬかりはありませんし、野外フェスさながらの巨大LEDモニターで指揮者の姿をアップで見せることも忘れてはいません。
さらに、おそらくこの模様はORFによって多くの地域に生放送されるのでしょう。そのために設置されるのが、本来はスポーツ中継などで使われていた「カムキャット」というシステムです。
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これは、会場の上空に長~いワイヤーを張って、その上に小型の無線カメラを走らせる、というシステムです。最近では、それこそ「ニューイヤー」でも、ホールの天井にワイヤーを張って、シャンデリアの間をカメラが動いている映像が見られますから、視覚的にはお馴染みのはずです。ただ、やはり本領を発揮するのは室内ではなく屋外ですから、この野外コンサートでのカムキャットの活躍ぶりには、最初に見た時には感動してしまいました。もっとも、そのからくりも分かってしまい、それが何年も同じ形で続いて行くと、逆に陳腐に思えてしまうのは仕方がありませんがね。ですから、今回も同じように、手間がかかっている割には、もはやありきたりのショットにしか思えなくなるようになっている映像が登場すると、「またか!」という感慨しか起こらなかったのは、ちょっと残念なことでした。
もっと残念だったのは、当日はかなりの雨が降っている中で、このイベントが敢行されたということです。ご自慢のカムキャットのレンズには雨粒が付着してとても見ずらい映像になっていますし、なによりも、見ている人たちが雨ざらしの中でカッパに身を包んで寒さに震えながらコンサートを見ているという様子があまりにも痛々しくて。なんたって、生中継の後には、このようにパッケージが世界中で発売されることが前々から決まっていますから、いくら天気が悪くても中止になんかは出来ない事情があるのでしょうが、これはとても異様な光景に見えてしょうがありません。「シェーンブルンの雨傘」なんて、シャレにもなりません(それは「シェルブール」)。
そんな中で、ひたすら淡々と演奏に没頭しているマゼールとウィーン・フィルは、いくらそれが仕事とはいえ、ことのほか異様に感じられます。この日のプログラムは、お約束のヴェルディとワーグナー、最初の「アイーダの入場行進曲」などは、こんな鬱陶しい雨空を吹き消すような晴れやかな音楽をやってくれるのかと思いきや、それは一層滅入ってしまいたくなるような鈍重で暗い「行進曲」だったのですからね。そもそも野外コンサートには最もふさわしくない「トリスタンの前奏曲と愛の死」を、こんな雨の中で本気で格調高く演奏されたりしたら、マジで死にたくなってしまうかもしれませんよ。
ただ、ゲストのシャーデが、彼にしてはとても珍しいこの二人の作曲家の歌を披露してくれたのは、ちょっとした収穫でした。「ローエングリンの名乗り」などは、別にヘルデンでなくてもこの歌が心を打つことを見事に証明してくれたのではないでしょうか。そして、それは人気のフォークトに何が足らなかったのか、はっきり分かる歌でもありました。

BD Artwork © Sony Music Entertainment Inc.
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by jurassic_oyaji | 2013-07-28 21:13 | オーケストラ | Comments(0)
チケット、チラシ
 ほんとに、最近のお天気はどうなってしまったのでしょう。7月の末なんて1年中で一番暑い時のはずなのに、この雨と寒さときたら。この前書いたように、水曜日にチラシやポスターが手に入ったので、いつもだとその週のうちに市民センターなどをまわるのですが、なんせこの雨模様のお天気ですので、つい出かけるのが億劫になってしまいます。いや、雨が降るとせっかくのチラシやポスターが濡れてしまって、汚くなってしまう、という大義名分があるのですがね。
 ただ、プレイガイドだけは、お天気に関わらず早目に行った方が良いだろうと、今日の午前中に行ってきました。プレイガイドは全部で5ヶ所に置いてもらうことになっているのですが、私の担当は県民会館だけです。ここは、この会場で演奏会をする時しかチケットは置いてもらえませんから、この前の萩ホールの時はなし、1年ぶりに私の仕事が回ってきました。でも、プレイガイドにチケットを置いてもらう手順については、前の担当者から引き継ぐ時に詳細なマニュアルをまとめてありますので、仕事自体は簡単です。ですから、必要な書類を揃えて、チケットを渡せばそれで手続きは終わるはずです。ただ、ここの場合、別に委託販売の契約書みたいなものを作らなければならないので、団長のハンコなども持って行かなければなりません。それも、きちんとマニュアルに入っています。
 その契約書の用紙は、県民会館に用意してあります。そこで、まずそれに記入するために用紙をもらおうとすると、なんだかアルバイトみたいな頼りのない事務のおねえさんは、それがどこにあるのか分からないようなのですね。そばにいた上司などに聞いて回って、あらゆる引き出しを探しているのですが、どこにもありません。実は、私の手元には前回使った時のコピーが残っていたので、それを出して「これで構わないですか?」と聞いてみると、おねえさんはホッとした様子で、「ええ、大丈夫です」と言ってました。ほんとに大丈夫なんでしょうかね。私はたまたま持っていたからいいものを、今ここに他の団体がやはりチケットを置きに来たら、一体どうするつもりなのでしょう。というか、普段ここを使っているようなプロモーターさんには、別にそんな契約を交わさなくても、チケットを引き受けてくれるのかもしれませんね。ま、チケットさえ引き受けてもらえばこちらは別に構わないのですが、お役所の外郭団体にしてはずいぶんいい加減な対応だな、と思ってしまいます。
 チラシなどは、せめてお天気が良くなってからまとめてまわろうと思っていたのですが、他の用事で出かけるついでに行ってくるのはその限りではありません。今日は愚妻が旭ヶ丘の市民センターで練習だというので、そこに送って行ったついでに、付近の施設に置いてきましたよ。その市民センターと、すぐそばの、こんなところです。
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 やっぱり、こんなややこしいことになってしまったのですね。例えばコンサートホールは「日立システムズホール仙台コンサートホール」ですよ。「ホール」がこんなに近くに続くなんて、これほどみっともない名前もないのではないでしょうか。つまり、登記上の正式名称は「青年文化センター」なのですから、どうして「日立システムズセンター仙台」としなかったのか、とても不思議です。企業の名前さえ入っていればこんな醜い呼び名でも堂々と通用させることを認めてしまった仙台市には、呼称の美しさを判断できる職員はいなかったのでしょうか。「楽都」なんて言っているくせに。
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by jurassic_oyaji | 2013-07-27 22:33 | 禁断 | Comments(0)
MOZART/Requiem
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Lucy Hall(Sop), Angélique Noldus(MS)
Hui Jin(Ten), Josef Wagner(Bas)
Benjamin Dieltjens(B.Cl)
Leonardo Grasía Alarcón/
New Century Baroque, Choeur de Chambre de Namur
AMBRONAY/AMY038




モーツァルトが亡くなった年、1791年に作られた2つの名曲、「クラリネット協奏曲」と「レクイエム」がカップリングされたという、ありそうでなかったアルバムです。と言うのも、普通に演奏するとこの2曲を1枚のCDに収録するのはちょっと難しいのですが、ここでアルゼンチン出身の指揮者、レオナルド・グラシア・アラルコンが選んだ「レクイエム」の楽譜があまり演奏時間が長くないバージョンだったものですから。
つまり、ここでアラルコンは、ジュスマイヤーが「作曲」した(つまり、モーツァルトが作っていない)とされる「Sanctus」、「Benedictus」、「Agnus Dei」は演奏していません。ライナーノーツの中で彼は、「誰が、ミロのヴィーナスに腕を付けたいと思うでしょう」と書いていますが、確かにそれは絶妙の比喩ですね。結局、それは、同じようなコンセプトで作られたモーンダー版には含まれていた「Agnus Dei」までをも切り捨ててしまうという、徹底したものになりました。しかし、モーンダー版で新たに加えられた「アーメン・フーガ」はそのまま使っています。ただ、残りの曲では、オーケストレーションはモーンダー版ではなく、バイヤー版のものを採用しています。さらに、そこに指揮者の裁量で、トランペットなどのパートを「自由に」改変しています。確かに、「Dies irae」のトランペットは、弦楽器と同じシンコペーションのリズムを刻むという、どの修復稿にも見られないユニークな形に変わっていましたね。
そんなトランペットの扱いにも見られるように、アラルコンの演奏はとことん「自由」なものでした。特に、思いきりぶっ飛んだダイナミクスの選択には、いたるところでハッとさせられます。それはまさにラテン系のひらめきといった感じ、そんな斬新な表現によって、この曲の音楽の幅が格段に広がっています。つまり、これは決して「典礼」のための音楽ではなく作品そのものの持つ魅力を目いっぱい味わってもらいたいという指揮者の意向なのでしょう。それは、「典礼」には欠かすことのできない楽章を無理やりでっち上げたジュスマイヤーの仕事を否定したことと、見事に呼応しています。
そんな指揮者の思いに応えて、とても柔軟な音楽を聴かせてくれている合唱には、感服しました。合唱団は今回初めて聴いたベルギーのナミュールを本拠地とした団体です。韓国が本拠地ではありません(それは「ナムル」)。それぞれのパートが若々しい音色で、常に表現のベクトルがはっきり見えてくる、とても素晴らしいものです。オーケストラはもちろんピリオド楽器、こちらは2009年に出来たばかりの、本当に若い団体ですが、しなやかな表現力は魅力的です。
この「レクイエム」では、録音の時にちょっと面白い並び方をしています。指揮者のすぐ目の前にバセットホルンとファゴット、それを囲むように弦楽器とソリスト、その外周に金管楽器とオルガン、一番後ろが合唱です。メインマイクはちょうど合唱とオケの間あたりにあるので、録音のバランスとしては別に木管が目立つということはないのですが、指揮者の細やかな指示はその木管チームにすぐに伝わって、弦と一緒になったアンサンブルはとても緊密になるのではないでしょうか。
クラリネット協奏曲では、ソリストのディールティエンスはもちろん「バセット・クラリネット」を吹いています。こちらも、決してソロを目立たせるのではなく、ソロとオケとの対話を存分に楽しみつつ、そんな「悦び」を伝えようとしているような姿勢が感じられます。低音は普通のクラリネットより下まで出せるので、「楽譜通り」に演奏できますが、そんな「超低音」をことさら力まずに爽やかに吹いているのがとても気持ちよく聴こえます。もちろん、上向音型で付いたシャープは、下降するときにはなくなるという「ピリオド」の基本もしっかり押さえられています。

CD Artwork © Centre culturel de recontre d'Ambronay
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by jurassic_oyaji | 2013-07-26 22:00 | 合唱 | Comments(1)
定期演奏会のチケット
 今度の定期演奏会は10月の20日、この日は指揮者の新田さんのお誕生日だということは、何回も言っておきましょう。つまり、本番までにはまだ3ヶ月近く残されている、ということになりますね。これを「まだまだ先の話」ととるか、「もうこれしかないのか」ととるかは、それぞれの人の事情に関わってくる問題です。早い話、私の場合はシンフォニーの第3楽章の「E」の部分で、なんとか替え指を使ってかなりの速さにも対応できる見通しは立ちましたが、それが3ヶ月で実戦で100%使えるようになるかは、非常に微妙なところです。
 しかし、3ヶ月前にチラシやチケットが出来上がって来たとなれば、これは間違いなく「早い!」と言わなければいけないでしょう。そうなんですよ。前回から少しずつ印刷のタイミングが早まっていましたが、ついにこんなことが実現しました。今まではまず2か月前、ひどい時にはもっと本番に近くなってからしか出来上がらないこともありましたから、これはまさに快挙です。
 ということで、きのうは夜にチケット係の人たちが集まって、そんなチケットやチラシの袋詰めの作業が行われました。私も、オブザーバーとして参加ですが、実際はしっかりお手伝いをしてきましたよ。
 実は、ニューフィルのメンバーは、最近はずっと70人台に落ち込んでしまっていました。特に、ヴァイオリンあたりが一斉に卒業や転勤でいなくなってしまったもので、本番でもたくさんのエキストラをお呼びするのがもう普通の状態になっていました。しかし、前回の演奏会が終わった頃から、なんだかジワジワと入団希望者がやってくるようになったのです。そのほとんどがヴァイオリン奏者なのですから、これはとてもうれしいことでした。いや、実は団員増加についてはなんとか手を打たなければ、という意見はたくさんあっても、具体的にどういうことをやったらいいのかは誰も分からない状態だったのですね。さる団員なんかは、「もう、ヴァイオリンが増える要因はありません」とまで言い切っていましたから、事態は深刻でした。でも、なぜかは分かりませんが、こんな風に集まってきてしまうこともあったんですね。
 その大半は、最初にニューフィルの公式サイト経由で連絡を頂いた、というのは、私にとってはうれしいことです。地道に必要と思われるコンテンツを作り続けてきたことが、もしかしたら人の目に触れる機会を増やして、入団希望につながったのだとすれば、これほどウェブマスター冥利に尽きることはありません。
 ですから、今の時点では、団員総数はついに81人となっています。ついに80人を超えたのですね。というか、戻ったのですね。かつては「トラなしで16型が出来るなんてすごい」とまで言われたこともありました。そうなるには90人のメンバーが必要になります。早くそうなりたいものですね。
 つまり、きのうの仕事のメインは、80人分のノルマ分のチケットを数えて、袋に入れることでした。それと並んで、チラシを50枚ずつ袋に入れるという作業もありました。これが、来週中には団員にわたりますし、今週末にはプレイガイドにも置かれるはずです。ぜひ、お近くの団員からお求めになって、演奏会を聴きにいらしてくださいね。
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 私の仕事は、チラシとポスターを各方面に届けるのと、企画書の作成です。ただ、これはあまり早すぎても効果がありませんから、いつも通りの2か月前ぐらいの感じでやって行くつもりです。
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by jurassic_oyaji | 2013-07-25 20:47 | 禁断 | Comments(0)
BRAHMS/Symphony No.1
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Karl Böhm/
Berlin Philharmonic Orchestra
DG/UCJG-90002(LP)




最近は、かつての音楽再生ツールであった「LP」、つまり「アナログ・レコード」が見直されているのはご存知のことでしょう。これは単なるノスタルジアなどではなく、間違いなくCDよりもLPの方が音が良いことに、多くの人が気が付いてしまったからです。そんな波の最先端の動きが、日本のユニバーサル・ミュージックによる「100% Pure LP」とかいうものの開発でしょう。ただ、現物は1か月以上前に発売されましたが、価格が1枚5800円というベラボーなものでしたから、おいそれとは手は出せないな、と思っていたところに、そんなファンの心理を見透かしたように「レコード芸術」の月評でまとめて紹介されていましたね。もちろん、この雑誌に掲載されている記事の大半は、レコード会社からの物的、金銭的供与の見返りに、真実からは程遠いおべんちゃらを並べ立てるものであることなどははなから承知の上で、とりあえず1枚買ってみることにしました。
クラシックのアイテムは5点ほどリリースされましたが、その中ですでに2種類のSACDが手元にあって、音の比較には事欠かないベームのブラームスを選んでみました。
まずは外観から。輸入盤のLPなどはシュリンク・フィルムなどでシールされていますが、これはかなり厚手の軟質PVCの袋に入っています。
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ところが、なんと、このLPは「ジャケット」には入っていないのです。LPをまず高密度PVCの袋に入れたものを、無地の薄い、レーベルの部分に穴の開いた紙袋に入れて、本来ならそれをボール紙で作った頑丈な袋(ジャケット)の中に入れるものなのですが、その代わりにジャケットの表裏を印刷したちょっと厚手の紙に挟まれているだけなのですよ。
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なんというお粗末なパッケージなのでしょう。しかも、裏面のライナーノーツは、国内盤LP初出時、故渡辺護氏が執筆したものがそのまま使われています。これが、現物のライナーをそのまま復刻したものであればそれなりの価値はあるのかもしれないなーと思うかもしれませんが、テキストだけを現代のデザインで印刷したら、単に新たな原稿を発注する経費を惜しんだだけとしか受け取られません。実際、この半世紀前の原稿には、「シューベルトの第9(7)交響曲」などという、今では全く顧みられることのない表記も見られますからね。
そして、LP本体は透明の樹脂で作られています。かつて「ピクチャー・レコード」という、プレスの際にやはり透明の樹脂で印刷した紙を挟んで作られたレコードがありましたが、なんかそれを思い出してしまう、チープな見た目です。
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これで音が悪かったら「金返せ!」と言いたくなるところですが、さすが、腐ってもLP、聴こえてきた音は、SACDとは次元の違うものでした。イメージ的な表現では、「きわめて音楽的」な音なんですね。何の無理もなく心に届くなめらかな音が、そこにはありました。もう少し具体的に言うと、SACDでは、楽器の輪郭がとても鋭角的なのですね。特定の楽器が見事に浮き出して聴こえては来るのですが、それが全体からは突出しているというイメージ、それがLPでは角が滑らかになって、見事に周囲に溶け込んでいるのです。例えば低弦のピチカートでは、SACDでは単に楽器の低音がはっきり聴こえるのに対して、LPでは、その周りの空気の振動まできちんと伝わってくるのですね。第4楽章の序奏の最後近くで現れる金管とフォゴットによるコラールは、LPからはまざまざと「神々しさ」が感じられますが、いずれのSACDからも、それは単なる音響としか聴こえません。
ただ、材料やカッティングにはものすごくこだわったようなことを言ってますが、このLPの材質はひどいものです。ちょっと静かなところになるとスクラッチ・ノイズの嵐、せっかく素晴らしい音が聴けるというのに、これでは何にもなりません。現実に、「2L」や「TESTAMENT」のLPではほとんどスクラッチ・ノイズが聴こえないことを体験できるのですから、これは到底価格には見合わない粗悪品以外の何物でもありません。非常に残念です。

LP Artwork © Universal Music LLC
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by jurassic_oyaji | 2013-07-24 21:53 | オーケストラ | Comments(3)
鐘楼工事
 昨日のことです。鐘楼の建築のための下準備を、細々とやっていたのは知っていましたが、いきなり大量の足場の部材が運び込まれました。
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 その前に行っていた作業は、こんな風に土台の石を加工することでした。長いネジが伸びています。
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 完成した足場です。
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 そして今日になったら、大型クレーン車や、鐘楼の部品を積んだ車がたくさんやってきました。
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 もうすでに全ての部品が別のところで作られていました。あとは、これを組み立てるだけです。
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 でも、実際に土台の寸法などを測ったあと、微調整が行われているみたいでした。
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 ちょっと目を離している隙に、もう、こんな柱の部分が組み上がっていました。足場の中で組み立てるのではなく、このように外で組み立てておいて、
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 それをクレーンで持ち上げて、足場の中まで運び、
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 本来の位置に固定します。
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 棟梁が、それぞれの柱の中に手を入れて何やら行っています。
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 これが、土台から伸びていたネジの端っこ。このように、柱の中でしっかりナットで固定されていますから、これだったら今度地震が来ても大丈夫でしょう。
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 そのあとは、柱と屋根の間に装飾の部品が入れられます。
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 職人さんが「上がって写真を撮らいん」と言うので、足場を昇って上から撮ってみました。ほんとにピッタリ穴の中に収まるのですね。
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 そして、いよいよ本体の鐘を吊るす作業が始まります。ところが、この写真を撮った後、カメラが全く反応しなくなりました。そのうちに「バッテリー切れ」の表示が出てしまいましたよ。確かに、いくらか少なめだとは思っていたのですが、調子に乗って撮りまくるには少し足らなかったようですね。
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 充電を終えて、少しは取れるようになった時には、もう鐘は固定された後でした。
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 ブルーシートをかけて、ひとまず今日の作業は終わりです。たくさんの人手と、機械の力で、たった1日でここまで出来てしまいましたよ。久しぶりに、興奮してしまいました。いくつになっても、こういう風に物を実際に作る現場と言うのは、刺激的なものですね。
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by jurassic_oyaji | 2013-07-24 00:00 | 禁断 | Comments(0)
今のピアノでショパンは弾けない
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高木裕著
日本経済新聞出版社刊(日経プレミアシリーズ
190
ISBN978-4-532-26190-0



3年ほど前に刊行された高木さんというピアノ調律師の方がお書きになったの、言ってみれば「続編」とでも言うべき新刊が出ました。前の本ではピアノの調律について、今まで全く知らなかったことを教えていただきましたから、今回もエキサイティングな語り口を期待しましょうか。なにしろ、こんなショッキングなタイトルですから、さぞや刺激的な内容なのでしょうから。
正直、そのタイトルに関しては期待したほどのものではなく、単なるこけおどしだったのには、ちょっとがっかりしてしまいました。ショパンの時代と現代とでは同じピアノといっても全く違うものだということぐらいは、そういうCDがいくらでも出ているので知っていましたから、「今のピアノは、ショパンが弾いたピアノとは別物」という意味でこういうタイトルを付けたのだとすれば、なんとも底の浅い発想のように思えてしまいます。
ところが、タイトルだけではなく、本文でも前の本に書かれていたこととなんら変わりのない主張が羅列されるのを見てしまうと、ちょっと疑問がわいてきます。いや、確かにここで(というか、前作で)述べられている「良心的な調律をしたければ、ホールに備え付けの楽器を使うのではなく、自ら納得のいくまで調律した楽器を運びこむべきだ」という主張は、間違いなく正論なのですが、それを、こんなに短いスパンで繰り返すことによって、逆に真実味が薄れてしまうことが、他人事ながら心配になってしまいます。
おまけに、このあたりでは例えば「ラプソディ・イン・ブルーでは、100人を超えるオーケストラが使われた」とか、「チェンバロは大きな音は出せても小さい音は出せない」といった、なんだかなぁというような記述がみられて、さらにがっかりさせられてしまいます。
前作の冒頭を飾っていた、ホロヴィッツが来日した時に、たまたまホテルに置いてあったので弾いてみたらとても気に入ったという古いスタインウェイのエピソードも、やはり今回も同じような興奮気味の筆致で語られています。そのピアノを筆者が手に入れ、それならばその楽器を、かつて演奏されていたカーネギー・ホールに持ち込んで自ら調律し、それを録音しようということになって、実際にCDも制作されたという話ですね。ただ、その時にいったい誰が演奏を行ったのかは、前作には書かれていなかったので、今回こそはそのあたりの具体的な演奏者や曲目などもきちんと知ることができるのでは、と思ったのですが、やはり「カーネギーで録音」としかありませんでした。確かに、このCDが出たときにはかなり話題になったはずですから、筆者としてはことさら述べる必要はないと思っていたのかもしれませんが、この新書の読者層を考えれば、それはかなり不親切な扱いのような気がします。あるいは、ご自分では、ちゃんと書いていたと思い込んでいたとか。確かに、別のところに唐突にそのピアニストは登場していますがね。
と、何か肝心のことが抜けているようで焦点が定まらない本なのですが、最後のあたりでホロヴィッツが自分の楽器として世界中のコンサートで使っていたピアノを筆者が手に入れる、という、ごく最近のエピソードになったとたん、今まで読んできたものはいったいなんだったのか、と思ってしまうほどの、息もつかせぬほどの迫力が出てきたのですから、驚いてしまいました。それはまるで上質のミステリーを読んでいる時のような興奮を誘うものでした。ここには、まさにそのスタインウェイ自身が波乱の「生涯」をたどった挙句に、幸せなエンディングを迎えるという、涙さえ誘いかねない感動的な物語がありました(主人公はスタイルいい)。おそらく筆者は、これを書きたいがために、前作の二番煎じをだらだらとやっていたのでしょう。

Book Artwork © Nikkei Publishing Inc.
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by jurassic_oyaji | 2013-07-22 20:32 | 書籍 | Comments(0)