おやぢの部屋2
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TCHAIKOVSKY/Piano Concerto No.2
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Boris Berezovsky(Pf)
Alexander Vedernikov/
Sinfonia Varsovia
MIRARE/MIR 200




チャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番などという「珍しい」曲の新譜が、こちらに続いてリリースされました。あちらは2013年の録音で、こちらは2012年、もう少しすると「第3番」の新しい録音も出るはずですから、これは「チャイコフスキーのマイナーなピアノ協奏曲」に光が当たる時代がついにやってきた、ということなのでしょうか。
ただ、この作品については、曲目解説などを読むと「改訂」だの「カット」だのといった言葉が頻繁に顔を出します。このあたりをきちんと押さえておかないと馬鹿にされそうですから、まずは基本的な出版の経緯を調べてみましょうか。
曲が完成したのは1880年で、1881年には初版が出版されています。しかし、チャイコフスキーのかつての生徒で、当時は彼の作品の校訂などを行っていたアレクサンドル・ジローティが、この曲の、特に第2楽章があまりに長すぎるとして、チャイコフスキーの死後の1897年に改訂版を同じ出版社から出版します。それ以来、この曲の演奏にはこの改訂版が使われることになりました(チャイコフスキー自身は、一部のカットは認めたものの、改訂そのものは認めてはいなかったそうです)。ジローティの弟子でモスクワ音楽院の院長も務めたアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルによって作曲家の自筆稿に基づくオリジナル版が出版されたのは、1955年になってからのことでした。
ジローティの改訂は、全ての楽章に及んでいました。第1楽章では、経過的な部分である319小節から342小節までをカットしています。そして、第2楽章では、332小節あるオリジナルのうちの191小節もカットするという大ナタを振るっています。そのうちの15小節はエンディング直前のちょっとした経過部ですが、残りの176小節は、この楽章のユニークなところであるピアノのほかにヴァイオリンとチェロがソリストとして大活躍する部分を丸ごとカットしています。カット開けは唐突にピアノ・トリオが始まってしまいますし、そもそもオープニングのヴァイオリン・ソロが、ピアノ・ソロに変えられています。
第3楽章では、尺は変わっていませんが、ところどころでピアノ・ソロの音型が少し変えられています。
そんなことを目安に、NMLあたりでポイントを聴き比べてみると、例えばエミール・ギレリスといった「大家」は、1959年の録音ではまだ改訂版を使っているのは仕方がないとして、1966年の録音でもしっかり改訂版を使っていることが分かります。一度覚えたものは、そうそう直すことはできないのでしょうね(指揮者はいずれも今度裸身、いやコンドラシン)。
しかし、最近の演奏家のものでは、ほぼみんなオリジナル版で演奏するようになっているようです。もちろん、作曲家が許したとされる第1楽章と第2楽章のエンディングのカットも行っていません。ところが、先日のマツーエフは、第2楽章のエンディングだけカットしているのですね。インフォには「原典版」とあるのに。そして、今回のベレゾフスキーも、第1楽章と第2楽章のエンディングの2か所でカットが入っています。これは、インフォでは正直に「オリジナル版だが、チャイコフスキーが認めたカットがある」とありますが、これはなんか変。カットが入った「オリジナル版」なんて、あるんでしょうか。
今回のCDは、オーケストラがちょっと小ぶりです。それもあってか、ピアニストは力任せにガンガン弾く、というようなことはやらずに、もっと爽やかなところで勝負を仕掛けているようです。特に、ピアノのソロとフルートなどの木管が絡むところでは、しっかりアンサンブルが出来ているように感じられます。ですから、ヴァイオリン、チェロ、ピアノの3者がソリストとなる、いわば「合奏協奏曲」の形を取った第2楽章では、得も言えぬ爽やかな風が吹きます。こんな素晴らしいところをカットしてしまったジローティの気がしれません。

CD Artwork © Mirare
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by jurassic_oyaji | 2014-02-27 20:44 | オーケストラ | Comments(0)
かいほうげんは来週発行
 きのうは久しぶりの旭ヶ丘でのきちんとした出番のある練習でした。いまだにその理由がはっきりしないのですが、合奏のローテーションが私が乗っている「展覧会の絵」が、メインプログラムでもあるにもかかわらず1回おきにしかやらないようなことになっているものですから。「中曲」のブラームスは毎回やっているというのに。
 そんなことを言っていても仕方がないので、練習の前にはしっかり腹ごしらえをしておくことにしましょう。というわけで、いつものショッピング・センターの中にある「すき家」にやってきました。練習の前には、毎回ここのモスバーガーに来ていたのですが、さすがに毎週通っていると飽きてきますから、新しいレパートリーを開拓しようと思ったのです。実は、私は生まれてこの方、すき家はおろか牛丼屋というものには入ったことがないのですよ。つまり、これは私の「初体験」ということになります。なんか緊張しますね。うまくいかなかったらどうしよう。
 入口を入る前に、支払い系統はどうなっているかを確認してみます。食券を買ったりするようなシステムだったら、きっちり対応しないと恥をかきますからね。それだけは避けたいものです。でも、入っていくとかわいいおねえさんが優しくうなずいて、空席に座るように眼で合図をしてくれたので、まずは一安心です。注文もきちんとテーブルまで取りに来るというシステムだったので、さっそく評判の「牛すき鍋定食」を頼みます。580円。牛丼屋的にはこれでも少し高いのだそうですが、モスの1食分よりははるかにお安いですね。

 味は、いちおう「すき焼き」を期待していたのですが、まあ似て非なるもの、というか、ただ牛肉と野菜を入れただけではすき焼きにはならないな、というか、メニューを見るとカレーの種類が多かったので、この次からはカレーのローラー作戦だな、とかね。
 その日の練習で、必要な写真は撮り終ったので、いよいよ今日からは来週の発行に向けての「かいほうげんモード」です。今回も、様々な修羅場が待っていることでしょう。まずは、きっちりとフォーマットが決まっているものに、素材をはめ込むという作業から始めます。ところが、新入団員の紹介で、少し前に撮ってあった写真をチェックしてみたら、とんでもないことを発見してしまいました。撮った時には全く気が付かなかったのですが、一人、かなり大きな楽器の方の写真が、フラッシュを使って撮影したら、その楽器の反射光が見事に顔に入ってしまっているのですね。これは、カメラの小さなモニターではまずわかりません。というか、こんなことは初めてです。そのまま使うわけにはいかないので、なんとか、その光があたった部分を修正しなければいけません。

 まあ、こんな感じで、なにも知らなければまずわからないほどには修正できました。作業自体は、いつもやっていることですから、それほど難しくはありませんからね。
 今回は、「展覧会」がらみの記事がたくさん入っています。みんな、かつてブログに書いたものばかりで、なんと「おやぢの部屋」までも、「展覧会」という濃さですよ。毎回の演奏会で取り上げる曲についてのトークで成り立っているのが「かいほうげん」だと、久しぶりに思えるようなものになるはずです。ただ、今の段階でもまだ流動的なところがあって、全てのコンテンツが確定しているわけではない、というのが不安なところです。
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by jurassic_oyaji | 2014-02-26 21:10 | 禁断 | Comments(0)
The Magic Flute
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Tia Roper(Fl)
Mitchell Vines(Pf)
ALBANY/TROY 1437




The Magic Flute」などというタイトルだと、普通はモーツァルトの「魔笛」を連想してしまうものですが、このアルバムの内容はそれとはまってき関係ないよう
このアルバムのプロデューサーでもある、ティア・ローパーという初めて聞く名前のアメリカのフルーティストがここで目指しているのは、単に「魔法のようなサウンドの楽器」であるフルートの様々な時代、方向性の作品を集めたというコンセプトだったのでしょうが、図らずもここに登場している7人の作曲家には、いずれも自身がフルーティストである、という共通項がありました。もちろん、そんなことはブックレットのどこを見ても書いてはありませんが、これはフリードリヒ・クーラウだけはフルーティストではなかったことを考慮してのことなのでしょう。でも、そんなことはどうでもいいんです。たとえ、公式のバイオグラフィーで「フルーティスト」と書かれていなくても、これだけフルートのことを知り尽くしていて、この楽器のために膨大な作品を残してくれた作曲家なのですから、間違いなくフルートも上手に演奏できたにちがいありませんからね。
まずは、アメリカのフルーティスト、ランソム・ウィルソンの「カルメン幻想曲」です。ただ、彼は「作曲家」といわれるほどのものではなく、これは単なる「編曲者」という意味でのクレジットと考えるべきでしょう。実際、これは有名なフランソワ・ボルヌが作ったものに、彼なりのアイディアを少し付け加えただけというものです。ボルヌ版に馴染んでいる人は、その「違い」を探しながら聴くのも一興でしょう。
次は、やはりアメリカのフルーティスト・コンポーザーのゲイリー・ショッカーの「エアボーン」。彼ならではの超絶技巧が要求される曲ですが、後半にはピアソラ風のけだるいダンスが登場します。
そして、デンマークの作曲家、「ソナチネ・アルバム」でおなじみのクーラウです。「ファンタジー」は無伴奏フルートの大曲、後半のモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」に出てくるテーマによる変奏曲にたどり着くころには、スタミナを使い果たしているという超難曲です。
さらに時代をさかのぼって、プロイセンのフリードリヒ大王の先生でもあったヨーハン・ヨアヒム・クヴァンツのフルートソナタです。もちろん、もともとはバロック時代の楽器のために作られた曲ですね。
そして、ギルドホール音楽院の教授でもある、現代イギリスのプレイヤー/コンポーザーのイアン・クラークの「オレンジ・ドーン」は、アフリカの夜明けに触発されて作られたという、瞑想的なピースです。
続く、テオバルト・ベームは、フルーティスト、作曲家のみならず、現代フルートの原型を作った楽器製作者としても知られている才人です。ここでは彼の新しい楽器の性能のデモンストレーションにはうってつけの「グランド・ポロネーズ」が選ばれています。
最後は、坂本龍一などとのコラボも行っているというイギリスのマイク・マウアーの「オーパス・ディ・ジャズ」です。文字通り、全面ジャズのイディオムが満載の3つの楽章から成る作品です。
これだけ変化に富んだレパートリーを、それぞれのテイストを的確に見極めることを怠り、どの曲も全く同じアプローチでしか演奏できていない、というのが、フルーティストのローパーの最大の問題点です。というか、この人にはそもそもその時代の音楽に必要なものは何かという意識が、まるでないのかもしれません。ぶっきらぼうな語尾からは、クーラウのロマンティシズムは全く感じられませんし、楽譜通りの演奏に終始して、「グルーヴ」までには手が回らないマウアーからは、ジャズのエッセンスを味わうことはかないません。
録音も、生音がそのまま聴こえる幼稚なもの。さらに、クーラウの後半で盛大に聴こえてくる外部ノイズに気づかないエンジニアと、それを許したプロデューサー(もちろんローパー自身)にはプロとしての資格はありません。

CD Arterok © Albany Records
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by jurassic_oyaji | 2014-02-25 23:38 | フルート | Comments(0)
MOZART/Le Nozze di Figaro
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Andrei Bondarenko(Conte), Simone Kermes(Contessa)
Fanie Antenelou(Susanna), Christian Van Horn(Figaro)
Mary-Ellen Nesi(Cherubino), Maria Forsström(Marcellina)
Teodor Currentzis/
Musicaeterna
SONY/88843014172(BA)




こちらでとても素晴らしい「レクイエム」を聴かせてくれたギリシャ出身の指揮者クレンツィスが、今度はレーベルをSONYに変えて「フィガロ」全曲を録音してくれました。「レクイエム」のときと同じ、ロシアの歌劇場付きのオーケストラ「ムジカ・エテルナ」が演奏しているので、あの時(2010年)と同じシベリアのノヴォシビルスクの歌劇場での録音かな、と思っていたら、こちらはなんとウラル山脈の麓の都市、ペルミの国立歌劇場ではありませんか。実は、クレンツィスは2011年にノヴォシビルスクを去って、こちらの歌劇場の音楽監督に就任していたのですね。言っといて下さいよ(テルミー!)。しかも、その時にオーケストラも一緒に連れていくことを要求、それがかなって前任地と同じハイレベルの仕事が出来ているのだそうです。
そんな、まさにクレンツィスの「手兵」であるムジカ・エテルナと、彼が選んだソリストたちは、ライブ録音ではなく、なんと11日間にわたってほぼフルタイムでのセッション録音に臨み、この録音を成し遂げたのだそうです。今時、SONYのようなメジャー・レーベルがそんな贅沢なことを許すだけの価値を、この若い指揮者に見出したというのがすごいところですが、彼は見事にその期待にこたえていました。ここには、彼の求める究極の「フィガロ」の姿が、見事に記録されています。
彼らが使っている楽器はピリオド楽器ですが、クレンツィスはオーセンティックなアプローチを試みるというよりは、このスタイルの方がよりモーツァルトの音楽を的確に表現できると考えていたようですね。実際、ここではモダン楽器のお上品な表現は姿を消し、ピリオド楽器ならではの幅広い表現力を最大限に引き出して、モーツァルトとダ・ポンテが作り上げたエネルギッシュなドラマを、信じられないほどの迫力で具現化しているさまを体験することが出来ます。ピッチがA=430Hzという、バロック・ピッチよりもはるかに高いものであることも、彼らの目指すところが単なる懐古趣味でないことの表れなのでしょう。
まず、序曲からして、度肝を抜かれるような衝撃的なものでした。そこでは、陰に回るべき声部までも、はっきりと自己を主張しているのがはっきり分かります。さらに、表現に必要とあらば、楽譜を改変する事も厭いません。たとえば、再現部で第2主題のモチーフが2回繰り返される時に、その2度目の前にこんな上向スケール(赤い音符)がフルートによって加えられています(T228/03:01付近)。

そして、幕開きのデュエットに続いてレシタティーヴォ・セッコが始まると、そこでの低音を演奏しているフォルテピアノの見事さに耳を奪われてしまいます。ありきたりの数字付きの低音ではなく、なんとイマジネーションが豊かなのでしょう。そんな伴奏に乗って、歌手たちも、存分にそこで「ドラマ」を演じています。なんせ、ドモリの裁判官のドン・クルツィオが登場する前では、フォルテピアノまでどもっているんですからね。パーソネルを見ると、低音にはその他にリュートとハーディ・ガーディのクレジットがあります。リュートはケルビーノの「Voi che sapete」のバックで聴こえましたが、ハーディ・ガーディは一体どこで・・・
最後の「Contessa, perdono!」という伯爵の「歌」が、およそ「オペラ的」ではない弱々しさで、リアルに究極の情けなさを表現していたことが、このオペラ全体のコンセプトを象徴しています。これほど生々しく物語が感じられる「フィガロ」は、今まで聴いたことがありません。
すでに、「コジ」は録音が終わっていて、今年の秋にはリリース、さらに「ドン・ジョヴァンニ」も来年の秋にはリリースになるそうです。それがどんなものになるのか、今から楽しみです。唯一の気懸りは、今回同様24bit/192kHzという最上位のハイレゾによるBAも出るのか、ということです。これを聴いてしまうと、もはや普通のCDのしょぼい音など、聴く気にもなれませんから。

BA Artwork © Sony Music Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2014-02-23 20:16 | オペラ | Comments(0)
MENDELSSOHN/Symphonie No.3 "Scottische"
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Gustavo Dudamel/
Wiener Philharmoniker
DG/479 0083(LP)




LPの再生にはいろいろと手間がかかりますが、調整が完璧であればSACDBA、さらには配信のハイレゾ・データをしのぐほどの音を楽しむことが出来ます。実際、最近山下達郎のLPを聴いていて、ボーカルが少し歪みっぽいな、と思ってチェックしてみたら、針圧がかなり高めだったことに気づき、それを適正なものに直すことによって見違えるように安定感のある、艶やかな音に変えることができました。そこで、今持っているLPをもう一度聴き直しているところです。
そんなものの一つが、このドゥダメルの「スコットランド」です。これは、今の時代にあってLPでしかリリースされなかったという、とても珍しいアイテムでした。なんでも、これは売り上げのすべてがドゥダメルを育てた「エル・システマ」に寄付されるというチャリティ商品なのだそうで、その趣旨に沿って、あえてまだレコードの方が普及している(のでしょうね)ベネズエラの人たちにも聴いてもらえるように、こんな形でのリリースになったのかもしれませんね。
いずれにしても、貴重な「LPの新譜」ですから、これを聴かないわけにはいきません。こんな、今の新譜ではちょっと見られない古典的な黄色いマークのDGのデザインのジャケットというだけで、欲しくなってしまいますよ。しかし、2年前の4月にこのLPを手に入れた時には、まずその盤質に失望させられました。一応「180gの重量盤」と謳っていますが、まず、中央の穴が、おそらく樹脂のはみ出しのせいでしょうか、少し小さくなっていて、押し込まないことにはターンテーブルに密着しません。さらに、端の部分が目で見て分かるほど波打っています。聴いてみても、その音にも演奏にも、特にどうということのない平凡さしか感じることはありませんでした。一応、「そんなはずはない」という気持ちでもう1度聴き直してもその印象は変わらず、したがってレビューを書くほどの気にもなれず、そのまま放っておいてあったのです。
それを、今回聴き直してみたら、以前とは全然印象が変わっていたではありませんか。そんな、たかが針圧ごときのことで、LP自体の感じ方が全く違ってしまうのですから、なんともシビアで辛辣なものです。
これは、レーベルはDGですが、ムジークフェライン・ザールでのウィーン・フィルとの演奏会のライブをオーストリア放送協会が録音したものです。したがって、トーンマイスターもDGの下請けのエンジニアではなく、放送局のスタッフなのでしょう。「商業」録音にありがちな誇張された音ではなく、なんともナチュラルなサウンドが、おそらく最初に聴いたときにはインパクト不足と感じられたのでしょうね。これは、本当にウィーン・フィルとこのホールの醸し出す柔らかな響きを、過不足なく収めた素晴らしいものだと、今回きちんとしたコンディションの下でのLPを聴いて、感じることが出来ました。
ドゥダメルの指揮ぶりも、それほどオケをコントロールしようという強い意志は感じられず、どちらかというとこの名門オーケストラのなすがままに任せて、その中から自ずとにじみ出てくるものを掬い上げてみよう、みたいな、言ってみれば「胸を借りる」姿勢のように聴こえてきます。おそらく、シモン・ボリバルだったら第2楽章はもっときびきびと演奏していたに違いありませんし、第3楽章でももう少し手綱を締めていたのではないか、という気がします。
ところが、第4楽章になったら、いきなりドゥダメルはこのオーケストラに鞭を入れてきましたよ。今まで相手の手の内をうかがっているうちに、「これならできる」という感触をつかんだのでしょうか、なんか攻撃的な指揮ぶりを見せてきたのです。ところが、オーケストラの方はこれに戸惑って、一瞬アンサンブルが乱れてしまいます。それを見て、結局ドゥダメルは元の穏やかな指揮ぶりに戻ってしまうのですね。ライブ録音ならではの、スリリングな出来事でした。

LP Artwork © Deutsche Grammophon GmbH
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by jurassic_oyaji | 2014-02-21 20:22 | オーケストラ | Comments(0)
雪かきは果てしなく
 鐘楼も出来上がり、職場の震災被害からの復旧はほぼ終わったかに見えますが、まだ手つかずのところは残っています。そんなものの一つが、石段を登りきったところにある山門です。いや、山門自体は別に問題はないのですが、その両脇にある塀が、度重なる余震で見事に倒れてしまったのですね。

 これが震災直後。ちょっと傾いていて、まだ、かろうじて立っていますが、しばらくすると倒壊してしまいます。
 それを元通りにする工事が、やっと始まることになりました。

 これが、きのうの様子。左の方が丸ごとなくなっています。今残っているところも、土台の上の木がもう腐っているので、交換するために腰板をはがしてあります。その土台には、大きな石が埋めてありました。それをまず掘り起こしてそこに砂利を敷いて新たに埋める、というのが、最初の工程のようです。


 そんな力仕事をするためにやってきたのが、この小型重機です。実は、私がこのあたりのもう凍りついていた道路の雪を、ツルハシを使って割っているところを、トラックに乗ったこの重機が通っていきました。それを見かねたのでしょう、まだ工事現場では出番がなかったようなので、こっちまで来てその雪をすっかりかいてくれましたよ。いやあ、スコップを使ってやっているうちはなんとかなりますが、ツルハシ広之進(毎年使っているギャグです)まで出動しなければならなくなると、かなり体力的に辛いものがありますから、これは助かりました。

 ご存じの方もいるかもしれませんが、右側に立っているのが国の天然記念物の大木です。これの陰になって、この部分は全く日が当たりませんから、放っておくとすぐ凍ってしまいます。それがこんな風に、見事に普通の道路に戻りましたよ。もうこれで、私もスコップ作業から解放されます。

 これもご存じの方がいるはずですが、坂道の途中には2段になった駐車場があります。その、上の方は全くの手つかずで、バージンスノーがそのまま残っています。もう、これは自然に融けるのを待つしかありません。さっきの重機のおにいさんにたのんでみる、という手もありますがね。
 ただ、この下の方の駐車場は、結構使う人もいるので、部分的に数台分ぐらいのスペースは雪かきがしてあります。今日は来客が多いということなので、私の車をこちらに移すことにして、まだ雪が残っているスペースを車で踏み固めて、少し駐車しやすくしてみようと思いました。それはなかなかうまい具合に進んでいるな、と思って、調子に乗って全くの新雪のところに入ってみたら、突然前にも後ろにも動けなくなってしまいました。まだ柔らかいと思っていた雪は、実は表面が融けたり凍ったりしていて、かなり固くなっていたのですね。ちょうどそこにはまり込んだ感じ、あわててスコップを持ってきて、車を掘り出しましたよ。もうこんなことはやらないつもりだったのに。
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by jurassic_oyaji | 2014-02-20 20:57 | 禁断 | Comments(0)
Mythes Étoilés
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Kaspars Putnins/
Latvian Radio Choir
AURORA/ACD 5083




ひところの「ニセ作曲家」事件は、はた目にはなかなか興味深い事実を提供してくれるものでした。宮川彬良さんのことじゃないですよ(それは「二世作曲家」)。世間的にはSさんに全ての罪をなすりつけて一件落着ということになりそうですが、これはそんな単純なものではないような気がしてなりません。誰も知ることがなく隠蔽されてしまう事実の方が、実はよっぽど恐ろしいことに気づくべきでしょう。
一連の情報の中で一つ確実に明らかになったのは、彼がこれまでに世に問うた(とされる)作品は、まぎれもなく今のこの時代に作られたクラシックの作品でありながら、決して「現代音楽」とは受け取られていない、ということです。例えば、「交響曲第1番」の「レコード芸術」誌でのカテゴリーは「現代音楽」ではなく「交響曲」ですし、Sさんの代わりに実際にこれらを作った(とされる)Nさんの、「Sの依頼は現代音楽ではなく調性音楽でしたから、私の仕事の本流ではありません」(週刊文春)という言葉により、それはさらに裏付けられます。つまり、「調性音楽」は断じて「現代音楽」ではない、という認識ですね。これがとんでもない事実誤認であることは明白です。現在、世界的に広く評価されている「現代音楽」の作曲家であるクシシトフ・ペンデレツキやアルヴォ・ペルトの作品は、まぎれもない「調性音楽」ですし、日本を代表する作曲家で、Sさんの作品を絶賛したとされる三枝成彰の作るものも、「調性音楽」に他なりません。というか、音楽史に精通し「現代」、正確には「今の同時代」の「音楽」がその歴史の中でどのような位置を占めているかを的確に把握している人にとっては、このNさんのコメントは「いわゆる現代音楽」という、もうとっくの昔に死に絶えた概念の亡霊を追い求めている偏屈な作曲家の勘違いとしか思えないはずです。この方のお仲間がブログで「『予定調和』をなぞるほど恥ずかしく、非創造的なものはない」などと書いていますが、こんなことを言う人の作ったものなどは、人の心を打つことは決してありません。
「調性」を持つか否かといったような些細なことにはこだわらず、真に「現代」における音楽の姿を追及している作曲家たちとの共同作業で、多くの「現代音楽」を生み出してきたラトヴィア放送合唱団の新しいアルバムを聴けば、例えば「合唱」というフィールドではどんなものが作られているかが分かるはずです。
タイトル曲である、ノルウェーの作曲家ラッセ・トゥーレセンが2010年に作った「星の神話」では、西洋音楽以外のイディオムまで貪欲に取り入れて、逞しい世界を作り上げています。物を作るというのは、その人の内面をさらけ出すこと、それが見事に芸術として昇華したものを見る思いです。
ジョン・ケージなどという、まさに「現代音楽」の一時代を築いた人の合唱曲は初めて聴きましたが、その「Four2」というのは、おそらくきちんと音を指定したものではなく、演奏者が自由に一定のガイドに従って作り上げていくようなものだったのではないでしょうか。その結果聴こえてきたのは、見事な「調性音楽」ではありませんか。いや、それは「『調性音楽』を素材にした新しい音楽」とでもいうべきものでしょうか。そのぐらいの懐の深さがないことには、「現代」の作曲家は務まりません。
この中で最も衝撃的だったのが、スウェーデンの作曲家アンデシュ・ヒルボリが1983年に作った「Mouyayoum」です。意味不明のタイトルは、全曲母音唱によって歌われるものだからでしょう。技法的にはライヒのミニマルの手法を取り入れたものですが、そこから肉感的ですらある世界を見せているのですから、すごいものです。これは混声バージョンですが、男声バージョンも用意されていて、すでに多くの合唱団のレパートリーになっているのだとか。そうなんですよ。多くの人に聴いてもらえてこその「現代音楽」なのだ、とは思いませんか?

CD Artwork © Nowegian Society of Composers
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by jurassic_oyaji | 2014-02-19 20:56 | 合唱 | Comments(0)
マスターテープの劣化
 仙台では87年と1週間ぶりの大雪は、昨日あたりはお天気が良かったので割と早く除雪が進んでいるようでした。ところが、夕べは気温が低かったもので、融けた雪は朝になったら凍っていましたね。職場の石段が道路とつながる部分を、きのうはきれいに雪をどかして、融けた水がきちんと排水溝に流れるようにしておいたのですが、今朝その前を車で通ったら、その水が全部凍っていました。
 お昼過ぎに見に来たら、こんな感じ。

 まだ表面は凍っていますが、下の方は水が流れているみたいですね。
 上の方も、もちろん残った雪がカチカチに凍っていますから、スノーダンプで軽く運ぶ、なんてことは出来なくて、スコップでしっかり掘り出さなければいけません。それでも、日陰で完全に凍ってしまったところはもうどうしようもないので、放っておくしかありませんね。でも、ちょっとでも日が当たるところだと、午後あたりには少し融けだして、上手にスコップを入れてやると、かなり広い範囲が1枚のまままとまってはがれることがあります。

 これは、とても気持ちのいいものです。ほんの少し力を入れるだけで、面白いようにはがれてくるのですからね。ただ、こんなにうまくはがすためには、いろいろ条件が揃わなければいけません。そんな条件がすべて整った場所を探し当てて、うまくはがすことが出来たときには、まるで宝物を掘り当てたような気になってしまいますよ。ただ、あまり面白がってつい力を入れてしまうと、あとで腕や腰にダメージが残りますから、それは覚悟しなければいけません。
 そんなグッタリした状態で、留守録をしておいた日曜日のFMを聴いてみます。自宅では、ラジオを録音する設備がありませんし、職場の方がずっと音が良いですからね。いつもは月曜日に聴くのですが、今週はもう朝から雪かきでそんな余裕はありませんでした。
 それは、山下達郎の「サンソン」です。雪が降った時には、家でぼんやりするしかない、という話の流れで、そこで最初にかかった達郎の曲が、ベスト盤などには入っていない「ひととき」という曲でした。実は、これが入っている「メロディーズ」というアルバムのLPを買っていたのですが、「クリスマス・イブ」だけ聴いて、あとはほったらかしてありました。そこで、せっかくなので、FMの音と聴き比べてみましたよ。そうしたら、スピーカーやアンプは同じなのに、もう全然違う音で(当たり前ですが)びっくりしてしまいました。ボーカルなどは、LPではちょっとした歪みまで、はっきりわかりますし。
 そこで、ついでにこの中の別の曲で、ベスト盤のCDに入っているものを比べてみようと思いました。そうしたら、「悲しみのJODY」などは、サックス・ソロ(ブルコメの井上大輔さんが吹いていたんですね)の音がものすごく歪んでいました。LPは、その歪みがもろに聴こえてくるのですが、それがCDになると、歪んだ状態はそのままなのに、全体が平べったい音になっていて歪み自体があんまり目立たないんですね。そこで、もしやと思って「クリスマス・イブ」のア・カペラの部分を聴いてみたら、やっぱりものすごく歪んでいます。これも、LPでそのことを確認してからCDを聴くと、それがはっきりわかります。こういうことが分かってしまうと、もうCDなんて聴きたくなくなってしまいます。
 それにしても、こういう歪みは録音の時に生じたのであれば、その場でチェックできたはずです。そうではなくて、こういうのがアナログ・テープの「劣化」というものなのでは、という気がするのですが、どうでしょう。CDのマスタリングでは、それを上手に隠すことが出来ますが、LPではそのまま表れてしまったのでは、という疑惑は、ありえないことなのでしょうか。そんな聴き方で、「リング」のブルーレイ・オーディオを聴いてみると、歌手の声が全部歪んで聴こえますから、困ったものです。
 練習が終わって帰ってきたら、さんざん使ってボロボロになったスノーダンプが捨ててありました。こういうのも「劣化」というのでしょうね。

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by jurassic_oyaji | 2014-02-18 23:09 | 禁断 | Comments(0)
VERDI/Messa da Requiem
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Juriana DiGiacomo(Sop)
Michelle DeYoung(MS)
Vittorio Grigolo(Ten)
Ildebrandl D'arcangelo(Bas)
Gustavo Dudamel/
Los Angeles Master Chorale(by Grant Gershon)
The Los Angeles Philharmonic
C MAJOR/714804(BD)




ハリウッドの山の中にある巨大な野外コンサートホール、ハリウッド・ボウルでは、毎年クラシックだけではなくジャズやロックのコンサートが開かれています。あの歴史的な「ザ・ビートルズ」のコンサートなどもここで行われました。確か「刑事コロンボ」にも登場したことがありましたね。
ここでLAフィルは、毎年夏のシーズンオフには定期的にコンサートを行っています。暑いです(それは「ハリウッド・ボイル」)。確かに、2002年には、当時このオーケストラの副指揮者だった日本人指揮者、篠崎靖男さんが指揮をしていました。

そして、昨年2013年には、音楽監督のドゥダメルの指揮によって、「当たり年」の作曲家ヴェルディの「レクイエム」が演奏されました。実は、この会場での映像を実際に見たのはこれが初めてです。なんでも、この会場はいろいろ問題があってなかなかライブ映像を撮ることができないのだそうで、これはかなり貴重なものとなります。
初めて見た「動く」ハリウッド・ボウル、しかし、最初に出てきた、この会場を象徴する「シェル」と呼ばれるステージの形が、さっきの篠崎さんの時の画像とはちょっと違っていることに気づきました。

実は、このシェルは2003年に今の新しいものに改築されたのだそうです。しかも、改築はそれが初めてではなく、1922年に建てられた時にはこんなシンプルな形をしていました。つまり、今のシェルは「3代目」となるのですね。

確かに、今のものはPAや照明も改良、さらに外側には大きな映像モニターも設置されていて、しっかり「今の」野外コンサートに対応出来るものになっているようです。

ただ、おそらく、会場用のPAは、録音用のものとは全く別系統になっているのではないか、という気がします。レコーディング・プロデューサーとしてクレジットされているのが、TELDEX STUDIOのフリーデマン・エンゲルブレヒトで、彼のマイクアレンジであるデッカ・ツリー(+アウトリッガス)をはっきり見ることが出来ますから、これが録音用のメインマイクなのではないでしょうか。実際、BDから聴こえてきた音は、まさにこのマイクアレンジならではの密度の高い、瑞々しいものでした。それと、屋外録音にしてはかなり豊かな残響が聴けますが、おそらくこの巨大なシェル自体が、オーケストラを包み込んで響きを作っているのでしょう。
ドゥダメルは、珍しいことに指揮棒を持っていませんでした。さらに、譜面台も置かないで全曲暗譜です。そんな、まさにストレートに演奏家たちとコンタクトを取っているような迫真の指揮ぶりで、とても熱い音楽を作りだそうとしていることが、よく見て取れます。ただ、必要以上に感情におぼれることはなく、その思いをあくまでインテンポの中で語ろうとしていることも、同時に読みとれるのではないでしょうか。それは、まさにオペラ作曲家であるヴェルディが作った「宗教曲」に対する、理想的なアプローチのように思えます。
そんな流れの中で、時としてソリストたちが過剰に思い入れを込めて歌うために、指揮者の意向とかみ合っていないように感じられる場面が見られます。特に気になるのがメゾ・ソプラノのデヤング。彼女の場合、以前から気になっていた高すぎるピッチとともに、何か常に全体から浮き上がっている感じがしてなりません。
テノールのグリゴーロも、あまりにナヨナヨした歌い方には、抵抗を感じる人は多いのではないでしょうか。その点、バスのダルカンジェロは、一本芯の通った素晴らしい歌を聴かせてくれています。ソプラノのディジャコモも、しっかり地に足の着いた音楽が感じられます。合唱も、水準は並ですが、決して全体の流れを壊すものではありません。
オーケストラのパワーはすごいものでした。ファゴット奏者が、「Dies irae」の直前にあわてて耳栓を装着しているシーンが、それを物語っています。

BD Artwork © C Major Entertainment
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by jurassic_oyaji | 2014-02-17 21:02 | 合唱 | Comments(0)
街なかのポスター
 結局、大雪の予報は当たってしまいましたね。いや、正確には「外れた」というべきなのでしょうか。かなりの雪が降ることは予想していたものの、それをはるかに上回る被害が出ることになってしまったのですからね。難しいものです。
 今朝になったら、雪はやんでますし、青空も広がってきましたから、まだみんなが除雪を始める前に私の車のまわりだけはかたずけてしまおうと、朝食が終わったらすぐに駐車場に降りて行って、誰もいないところで雪かきです。ゆうべは雨に変わったみたいで、かなり仕事は楽、車のまわりはきれいになりました。しかし、通路などは殆どアイスバーンになっていますから、そのままにしておきます。このぐらいだったらかえって走るのは楽ですからね。
 お昼前に、買い物に出かけようと思ったら、いつの間にか駐車場の雪がかなり溶けてシャーベット状になっていました。こういう方がちょっと苦手、一瞬進めなくなってしまいましたが、落ち着いて少しバック、ロー発進でやり直したら、なんとか進めましたよ。それよりも怖かったのが、バス通りに出るまでの裏道です。ほとんど新雪で車が1回通ったぐらいの感じですから、その轍の上を走るしかありません。対向車が来たりしたらどうにもならないところでしたよ。
 ただ、通行量の多い道路に出ると、先週とは全然違って、殆ど路面の雪は溶けていました。その代わり、歩道などには大量の雪が積み上がったままです。さらに、雪が溶けて盛大に水たまりが出来ているところもあって、油断はできません。
 実は、出かけたのは、愚妻を車に置きざりにして、チラシとポスターを届けるためでした。メディアテークなどでは、よくその前で駐車違反の摘発をやっていたりするのですが、誰かが乗っていれば少しは時間が稼げますからね。わざわざ駐車場に入れるほどのものでもないし。まあ、今日みたいな道路事情ではそれどころではないでしょうが、用心は必要です。ところが、目的の7階まで行くのにはエレベーターに乗ればすぐなのに、そのエレベーターに乗ることが出来ない状態になっていました。なんか、6階あたりに行く人がたくさん押し寄せていて、みんながエレベーターを待っているのですが、ここのエレベーターは数だけはたくさんあるのに、決して待っているところにはすぐには停まってくれないという不思議なシステムなんですよ。これも、この建物の数多い欠陥のひとつです。普通に大きめのエレベーターを1ヶ所に作ればいいものを、なんでこんな面倒くさいことにしてしまったのでしょう。こんな不便な建物がなんか賞をもらったりするのは、絶対に間違っています。
 やっとの思いでチラシを届けると、そのあとはきちんと車は駐車場に入れて一番町に。さすがにあれだけの雪ですから、定禅寺通りから広瀬通りの間は道路の真ん中には雪がうずたかく積み上げられていましたね。中には、かまくらみたいに横に穴を掘ったものもあったりしましたが、なぜかその穴の天井部分がなくなってそのまま穴になっていました。きっと、こんなものを作ったのは初めてだった商店街の人が、調子に乗って穴を広げていったら、天井が薄くなってしまって、そこが崩落してしまったのでしょうね。
 その途中にカワイのお店があったので、入ってみたら、見事に、入口のすぐそばにニューフィルの演奏会のポスターを発見しました。いつもはあまりスペースがないので、間際にならないと貼ってくれないのですが、今回はすぐ貼ってくれました。ここだと、お店に入らなくても外からだって見えますから、効果は絶大ですよ。

 帰りに近所のスーパーに行ったら、お惣菜売り場のケースがガラガラでした。

 確かに、各地で道路が通れなくなって、たくさんのトラックが立ち往生している映像が、ずっと流れていましたからね。なんでも、避難所に泊まった人もいたのだとか、「自然の猛威」は侮れません。
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by jurassic_oyaji | 2014-02-16 21:06 | 禁断 | Comments(0)