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RAVEL/Ma Mére l'Oye, MUSORGSKY/RAVEL/Pictures at an Exhibition
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Jos van Immerseel/
Anima Eterna Brugge
ZIGZAG/ZZT343




てっきり「展覧会の絵」から始まるものだと思ってCDをスタートさせたら、あのかっこいい「プロムナード」のファンファーレではなく、なんかイジイジした音楽が始まったので、一瞬CDを間違えたと思ってしまいましたよ。ジャケットをよく見たら、まずカップリングの「マ・メール・ロワ」から始まっていたのですね。そこでハタと気が付いたのは、このアルバムは「ムソルグスキー」ではなく、「ラヴェル」の音楽を集めたものだ、ということでした。まず、「マ・メール・ロワ」でたっぷりラヴェルのエッセンスを味わったあとで、そのラヴェルがロシアの音楽を編曲したものを聴いてもらおうという趣旨だったのだ、と、勝手に想像しておきましょう。
今回のアニマ・エテルナ・ブルージュの弦楽器の編成は、彼らとしては普通のサイズの8.8.7.6.5というものでした。これは、「マ・メール・ロワ」を演奏する分には、それほど少ないとは思えません。木管楽器のソリストたちが、いかにも鄙びた音色と、ちょっと野暮ったい奏法を駆使して、それぞれのキャラクターを際立たせ、まるで室内楽のようにフレンドリーな演奏を聴かせてくれています。
しかし、最後の「妖精の庭」になったら、まるでフル・オーケストラのような壮大なサウンドが聴こえてきたのは、録音会場の残響と、TRITONUSによる卓越した録音のせいなのでしょう。つまり、このような「魔法」によって、現在ではこの倍近くの弦楽器を備えたオーケストラによって演奏されることの多い「展覧会の絵」でも、おそらく初演当時のサイズでも充分にそのスケールの大きな響きを出せることを実証させたかったのかもしれません。
メインの「展覧会の絵」では、そのファンファーレはちっとも「かっこよく」ありませんでした。それは、今まで聴いたこともなかったような「表情豊か」なものだったのです。もちろん、この部分をクレッシェンドとディミヌエンドを駆使し、きちんとフレージングを施して、「表情豊か」に演奏したって、ちっとも面白くないのは明白です。はっきり言ってこれは「軟弱」の極み(なんじゃ、こりゃ)、ムソルグスキーがこのテーマに込めたであろうロシア的なテイストは、このやり方では全く失われてしまっているのです。
つまり、これはインマゼールによるまさに「確信犯」的なやり方、この作品を最初からラヴェルが作っていたらこんな風になるんだぞ、という、まさに「ラヴェル作曲:展覧会の絵」を具現化したものだ、とは言えないでしょうか。そう思って聴いてみると、これはなかなか興味深いものになってきます。たとえば、「グノームス」での木管の下降音のモティーフと同じものが、そのあと弦楽器のグリッサンドの中でチェレスタによって奏されるというほとんど冗談としか聴こえないような部分では、このオーケストレーションが見事に「おフランス風」に存在感を主張するのを確かめることが出来るのです。そのフレーズの最後を飾るハープの装飾音の、なんと優雅なことでしょう。余談ですが、先日耳にしたさるアマチュア・オーケストラの演奏で、この部分をまさに「ロシア的」に乱暴に扱っていたハーピストのセンスの、これはまさに対極に位置するものです。
もう1ヶ所の「おフランス」は、「サムエル・ゴルデンベルク」。特に、「お金持ち」の部分でのユニゾンが、なんとも優柔不断な独特のリズム感に支配されているのがたまりません。途中でポルタメントまで加わりますからね。「カタコンベ」あたりも、金管の粘っこいアンサンブルは、ちょっと得難い風情です。
とは言っても、最後の「キエフ」だけは、いくらなんでもガンガンに盛り上がらないわけにはいきません。総勢6人の打楽器奏者による目いっぱいの炸裂では、さっきの「マ・メール・ロワ」をしのぐほどの高揚感を味わえますよ。

CD Artwork © OUTHERE MUSIC FRANCE
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by jurassic_oyaji | 2014-04-30 19:50 | オーケストラ | Comments(0)
iPhone5cが半年でぶっ壊れました。
 iPhoneを使い始めてから半年以上経って、世の中が暖かくなってくると、今まではコートのポケットの中などに入れておいたものをどこに移そうか、悩むことになります。前の携帯だったらデニムパンツの後のポケットなどに入れていましたが、やはりこんな精密機器をそのような力がかかりやすいところにしまうのは、ちょっとためらわれます。しかし、Tシャツのようなポケットが付いていないものを上に着ている時には、どうしてもパンツのポケットに頼らざるを得ません。ですから、極力力が加わらないような前ポケットに、とりあえず入れておきました。
 この前の日曜日、そんな風にポケットに入れていたiPhoneを取り出して操作を始めると、なんだか様子が変です。ホームボタンをいくら押しても、全く作動しなくなっているのですよ。これは困ったことになりました。アプリを切り替えようと思っても、初期画面に戻らないんですからね。ちょうどそばにdocomoショップがあったのでそこでしばらく待っていると(最近のdocomoは、受付カードを発行してしばらく待っていないと、絶対に対応してくれないようになってます)、受付の前に様子を聞きに来ました。そこで、状況を説明すると、申し訳なさそうに、iPhoneに関しては修理に応じることは出来ないので、Appleストアへ行ってくれ、と言われました。確かに、機種変更した時にそんなことを言われたような気がしましたが、それは冗談ではなかったのですね。えらいことになりました。なんせ、Appleストアなんて市内に1軒しかありませんから、わざわざそこまで行かなければならないんですからね。調べてみたら、全国でも7軒しかありませんよ。まあ、私の場合はそんなに遠くはありませんが、ほんのちょっとそこから遠い殆どの地域の人たちは、一体どうしたらいいのでしょう。
 仕方がないので、その足でAppleストアに行きました。にこやかに迎えてくれたきれいなおねえさんは、これは修理をしてみて、治るものは治し、出来ないものは新品と交換する、と言っています。ただ、その修理の受け付けはすぐには出来なくて、その日だとあと4時間ぐらい待たなければいけないそうなのです。それは無理なので、次の日に予約しようとすると、それをiPhone上で出来るようにApple
Storeのアプリをインストールさせられ、そこから予約状況を見て予約させられました。月曜日の12時40分というのが最速なので、そこを予約しました。そのあと、新品と交換する時に備えてデータをバックアップしなければいけないので、その場でiCloudで「同期」という作業をやらされました。そうしておけば、月曜日には新品を受け取ってデータをもとに戻せば、すぐ使えるようになるんですって。
 実は、ホームボタンが作動しなくなっても、設定→一般→アクセシビリティ→AssistiveTouchをONにすると、画面上にホームボタンが現れて、全く同じように操作できるのですよ。まあ、こういうことが出来るのは知ってたのですが、具体的なやり方はネットを見ないと分からなかったので、そこでおねえさんに教えてもらい、何不自由なく使えることになりましたから、ひとまずそのまま持って帰ります。いや、このやり方ぐらいだったら、docomoショップで教えてくれてもよかったはずなのに。
 実は、だいぶ前から、iPhoneの画面が曲がっているような気がしていました。乱視が進んだからかな、もう年だし。で、こんなことになったので改めてよく見てみたら、

 確かに曲がってましたよ。ということは、やはりポケットに入れたせいで、曲がってしまったのでしょうね。やっぱり、5cは強度に問題があったんですね。
 そして、予約の時間に行ってみると、これから中身を開けてみないと修理か交換かは分からないので、2時間後にもう1度来てくれ、と言われましたよ。話が違うじゃないですか。何のための「予約」だったのでしょう。まあ、私は一旦帰って櫻家のランチを食べてきましたからそんなダメージはありませんが、それこそ大河原町あたりからわざわざやって来た人なんかは怒り狂うのではないでしょうか。
 結局、曲がってしまった原因は、別に力がかかったせいではなく、バッテリーに異常が生じて膨らんできたからなんですって。ですから、バッテリーを新品に交換しただけでした。なんで膨らんだんでしょうね。別に、そんないやらしい画像を保存してたわけではないのに。
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by jurassic_oyaji | 2014-04-29 20:34 | 禁断 | Comments(0)
BACH/Matthäus-Passion
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Julian Prégardien(Ev), Karl-Magnus
Fredriksson(Je)
Karina Gauvin(Sop), Gerhild Romberger(MS)
Maximilian Schmitt(Ten), Michael Nagy(Bas)
Peter Dijkstra/
Chor der Bayerischen Rundfunks
Regensburger Domspatzen(by Roland Büchner)
Concerto Köln
BR/900508(CD), 900509(DVD)




ペーター・ダイクストラは、バイエルン放送合唱団を率いてかつて2009年にBRレーベルから「マタイ」のCDを出していました。しかし、それは全曲をそのままCDにしたものではなく、おそらく元はラジオの番組だったものなのでしょう、メインはマタイ受難曲に関する解説の朗読で、その「参考音源」として、彼らが過去に演奏していたものが使われていた、というものなのでした。このCDを見つけたときには、「ダイクストラくんはもう『マタイ』の全曲を録音させてもらったのだ」と驚いたものですが、実態はそんなものだったのです。
とは言っても、ここで使われた音源の元となったコンサートは実際に行われていたわけですから、もちろんすでに彼のレパートリーにはなっていたのでしょう。ただ、ここでのオーケストラはバイエルン放送交響楽団というモダン・オーケストラでした。
その後、ダイクストラはしっかりとバッハの大規模な作品のライブ録音のCDDVDを出すようになります。その時には「クリスマス・オラトリオ」(2010年)ではベルリン古楽アカデミー、「マニフィカート」(2011年)ではコンチェルト・ケルンと、ピリオド楽器のオーケストラと共演するようになっていました。そして、まさに「リベンジ」たる今回2013年の「マタイ」のパートナーは、またいつものコンチェルト・ケルンです。
かつてはSACDを出していたこともあったこのレーベルも、最近はCDでのリリースしかなくなってしまいましたが、この録音に関しては同時にDVDも発売になっていました。BDであればもっと良かったのですが、まあ画面については目をつぶるとして、音声は確実にハイレゾになっているはずですので、CDと比較する意味でも聴き比べる価値はあると、両方入手してみました。
予想通り、DVDの音はCDとは比較にならないほどのすばらしいものでした。変なたとえですがDVDの音をBDの画面だとすると、CDの音はまるでDVDの画面のようなものですね。音の解像度の違いがはっきり聴いて分かるのですからね。おそらく、CDだけを聴いていたのでは演奏の印象まで全く別物のように感じられてしまうかもしれません。
オーケストラは弦楽器の人数がかなり多く、あまり「ピリオド」っぽいストイックなサウンドではありません。おそらく、ダイクストラは「モダン」とほとんど変わらないアプローチで、オーケストラに接しているのではないでしょうか。フレージングはたっぷりしてますし、極端なダイナミックスの変化もありませんから、何のストレスも感じることなく柔らかな響きに浸ることが出来るはずです。これは、ある意味「ロマンティック」なスタイルの演奏です。
おそらく、プレーヤーたちも、そんなスタイルを自発的に取り入れているのかもしれません。例えば、42番のバスのアリア「Gebt mir meinen Jesum wieder」では、第2コーラスの弦楽合奏にコンサートマスターの超絶技巧のソロが入るのですが、それを演奏している日本人の平崎真弓さんは、いとも表情豊かなヴァイオリンを聴かせてくれています。
歌のソリストたちも、かなり情熱的な歌い方、メゾの人はそれでちょっとリズムが重くなって自滅していますが、ソプラノのゴーヴァンはそのあたりの絶妙なバランスの中で、49番のアリア「Aus Liebe will mein Heiland sterben」を素晴らしく歌い上げています。そして、なんと言ってもこの曲をドラマティックに仕上げる役割を見事に果たしているのが、福音史家の若きテノール、ジュリアン・プレガルディエンでしょう。すでに「ヨハネ」の録音も行っている、まさに上り坂の成長株です。
合唱は、最初のうちはそんな「ロマンティック」な流れでおとなしかったものが、曲の終わりに近づくにつれてどんどん表現の幅が広がり、思わず引き込まれてしまうのは、ライブ録音のなせる業でしょう。ピアニシモで歌われる受難のコラール(62番)などは、背筋が凍るほどの凄さです。

CD & DVD Artwork © BRmedia Service GmbH
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by jurassic_oyaji | 2014-04-28 21:48 | 合唱 | Comments(2)
定期演奏会が終わりました。
 ニューフィルの定期演奏会が終わりました。とても楽しく終われた演奏会でした。なんたって、入場者数が久しぶりに1000人を超えたのですから。最初のステージから出番だったので出て行ったら3階席まで満席、1階の前の方がすこし空いているだけという状態ですから、一瞬目を疑ってしまいましたよ。

 これは休憩時間に撮ったものですが、ロビーに出ている人がいるので演奏中はこの空席部分がほぼ埋まっていたと思ってください。さらに、次の曲は降り番だったので2階席に写真を撮りに行ったのですが、その時に客席から撮ったのがこれです。

 後で公表された数字は1126人、これは、本当に久しぶりの「1000人超え」ということになります。調べてみたら5年前の橘さんの時の1210人以来でした。HPに数字が公開されるようになってからでは、1位が瀬尾さんの時の1238人、2位がさっきの橘さんと下野さんの2回目が同数で1210人となります。しかし、集計以前の1992年のTCCでは確か1400人台だったはず(トイレに行って帰ってきたら自分の席がなくなっていたという人が実際にいたという状態)ですから、今回は「歴代5位」か、もしかしたらそれ以下ということになりますね。
 とは言っても、今回の入りが殆ど予想を超えていたことは事実です。まあ、最近はちょっと伸び悩んでいたこともありましたから、今回がちょっと「信じられない」と思うのももっともですが、やはりニューフィルのポテンシャルはこのぐらいのものなのだ、と思っていてもいいのではないでしょうかね。ちょっとした要因が揃いさえすれば、間違いなく1000人以上のお客さんを集められるのが、ニューフィルの実力なのだ、ということを肝に銘じて、準備を進めたいものです。というのは、とても恥ずかしい話ですが、お客さんにお渡しするべきプログラムが足らなくなってしまったのですよ。これは絶対に言い訳のできないこちらのミス、これ以上このような事故が起きないように、私も含めて準備にあたりたいと思っています。演奏会でプログラムをもらえなかったお客さんに対しては、お詫びの言葉もありません。せめてもの償いとして、あしたあたりには公式サイトからPDFがダウンロードできるように準備を進めているところですから、お許しください。
 そうなんですよ。たとえ、プログラムが何百枚と余ったとしても、せっかく楽しみにして演奏会に行ったのにプログラムをもらえずにニューフィルに対して失望されることよりはずっとましだとは思いませんか?
 もう一つ、ニューフィルの場合、曲目解説も団員が書いていますが、これを読んでいただくことも、演奏を聴いて頂くことと同じぐらい大切なことではないかと私は思っています。少なくとも、今回解説を書くことを頼まれた私は、そのような気持ちで原稿を書かせていただきました。プログラムはデザインと文字情報とを合わせた一つの作品(デザイナーも団員です)、それと実際の演奏とが一緒になって初めてニューフィルの演奏会が完結する、そんな気持ちで、プログラム制作に携わっていた人間もいるという認識を、ぜひ持って頂きたいものです。

 そんなたくさんのお客さんの前で演奏するのは、本当に充実した体験でした。私の場合、おととしの秋のブルックナーの時には、吹き方にちょっとした迷いがあって、なかなかベストのコンディションを見つけられないままに本番を迎えてしまいました。それ以来、その「ベスト」を求めて試行錯誤を繰り返し、やっと前回のシベリウスで私にとってのあるべき姿を垣間見られるようになり、今回はかなりはっきりした意志でそこまでのコントロールを出来るようになったのではないか、と思っています。その成果を、こんなにたくさんのお客さんの前で披露出来たのが、とてもうれしいことでした。いや、これは、あくまで私自身の感触ですから、お客さんにはどう伝わったかは分かりません。これこそは、自分自身が客席で自分の音を聴かなければ決して分かることではないのでしょうね。でも、演奏後の打ち上げで、団員のNくんが、「『キエフ』で、ベルリン・フィルのパユみたいな音が聴こえてきました」と言ってくれたことは、なににも代えがたい喜びです。こうなったら、自分の中だけでもゴールウェイを目指してやろうじゃないですか(笑)

 と、これを書いている時に、Hさんから「今、届ました」というメールが来ました。郵便受けに入っていたDVDを見て一通り昨日の体験を反芻したところ。そう、これこそが本当の意味での演奏会の「完結」です。
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by jurassic_oyaji | 2014-04-27 22:29 | 禁断 | Comments(0)
The Ultimate Classic Best
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Tower Records Selection
Various Artists
TOWER RECORDS/TNCL-1009-18




今年もまた、「ラ・フォル・ジュルネ」の季節がやってきました。毎年様々なテーマを設けて、いろいろな側面からクラシック音楽を多くの人に聴いてもらおう、という東京のイベントですが、今回晴れて10回目を迎えるということで、今までにこのイベントを飾った10人の有名作曲家を一堂に集めよう、ということになっているのだそうです。ヴィヴァルディから始まってガーシュウィンまで、それは確かに「クラシック」の王道たる文句のつけようのないラインナップです。
そこで、それに便乗しようとタワーレコードがナクソスの音源を集めてこんなコンピレーション・ボックスを作りました。10人の作曲家にそれぞれ1枚ずつCDを割り振って、全部で10枚、その名も「永遠のクラシック・ベスト」ですって。ただ、なぜかCDでの作曲家が「フォル・ジュルネ」の面子とは微妙に異なっているのが気になります。1枚目はヴィヴァルディになるはずのものが、バッハになってたりしますからね。10枚目だって、ガーシュウィンとの抱き合わせでラフマニノフが入っていますし。ただ、こちらは「特別収録」という言い訳が付いているので許せますが、1枚目がなぜバッハなのかという説明は一切ありません。そんなんでいいわけ
実は、タワーがこういうボックスを作ったのは、これが初めてではなく、初期のフォル・ジュルネでは毎回マメに作っていたのですが、2008年のシューベルトを最後に、ぱったりその消息が途絶えてしまっていたのです。もうそんなことから足を洗ってしまったのかな、と思っていたら、それから6年経ってまた世間に登場してきました。
再会したボックスは、なんか様子がずいぶん変わっていました。6年前までは山尾敦史さんが選曲から解説の執筆まで担当していたものが、ここでは選曲は「タワーレコードの専門スタッフ」というだけで、個人の名前は明らかにされてはいません。そして、解説の執筆者が、最近ナクソスの国内盤のライナーノーツなどでよく目にする篠田綾瀬さんに変わっています。このあたりの制作上の変化が、しばらくリリースされなかった原因なのかもしれませんね。とは言え、密かにファンを気取っている篠田さんの解説文が読めるのはうれしいことです。
確かに、その解説は、通り一遍のものとはかなり肌触りが違うものでした。まず、あちこちに登場するのが、昔からこういうものによく使われていた逸話のようなものを、しっかり真実かどうか見極めている潔さです。「ベートーヴェンの交響曲第5番の冒頭のテーマは、運命が扉を叩いているものだ」、とか、「シューベルトの『魔王』は、『作品1』なので彼の最初の作品だ」といった、もしかしたらこういうアイテムの購入層にとってはすでにどこかで刷り込まれてしまった「俗説」に対して、「それは間違いなのよ」ときっぱり否定してくれているあたりが、さすがです。
このような俗説排除の姿勢は、ネット記事の弾劾にもつながります。ラヴェルの「ボレロ」の解説では、最後の部分に使われているオーケストラ内の楽器を全て挙げていますが、これをネット辞書「Wikipedia」と比べてみるとやはり微妙に違っていることが分かります。手軽にコピペ出来て何かと重宝する「Wiki」には、実はこんなに間違いがあるんですよ、と、暗に警告しているに違いありません。
選曲はもちろんごくオーソドックスなものですが、演奏者にはかつてのナクソスのような貧乏臭さは全くありません。この中で唯一全曲が収録されている交響曲であるドヴォルジャークの「新世界」(シューベルトの「未完成」は2楽章までですから、「全曲」ではありません)は、まさに新生ナクソスを象徴するようなこちらのオールソップ盤が使われているぐらいですからね。
なによりも、1枚目1曲目の「トッカータとフーガ」の最初の音のモルデントで、あなたは衝撃を受けるはずです。

CD Artwork c Naxos Japan Inc.
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by jurassic_oyaji | 2014-04-27 00:34 | Comments(0)
青葉神社の鳥居建設
 とりあえず、単なる記録として、この「禁断」を転載している私のブログが、音楽部門のランキングでついに一ケタ、7位となった証拠だけ。

 確かに、このところこの前の長木誠司ネタのエントリーに異常に多くのPVがあったものですから、その影響なのでしょう。こういうネタでランキングが上がるというのは、痛しかゆし。
 さて、もう明日はニューフィル定期の本番ですが、なんとその前日に、あの青葉神社で震災で崩壊した石造りの大鳥居の新設工事が始まりました。だいぶ前から土台の工事は始っていて、「柱」を入れるためのこんな穴が2つ出来ていました。

 そして、きのうの朝、こんな「柱」が運び込まれ、いよいよ組み上げが始まります。

 これは、前と同じ、石で出来た柱ですね。あんな被害があったので、てっきり新しい鳥居は木製になるのでは、と思っていたのですが、予想は見事に外れてしまいました。あの時は幸い誰も下にいませんでしたが、また同じ規模の地震があったらそんな運のいいことばかりではないはず、ちょっと思慮が足らないのでは、と思ってしまいます。

 ちょっと目を離しているうちに、もうすでに1本の柱が立っていました。

 2本目も、危うく立てる瞬間を見逃すところでした。クレーンで吊って、穴の中に入れるんですね。

 これで柱は完成です。

 次に、柱の間の「貫(ぬき)」と呼ばれる横棒を入れます。穴は貫通していないので、まず真ん中の部分をはめ込みます。

 そのままでは入らないので、右の柱の先をクレーンで引っ張って間隔を広げます。

 入りました。

 柱の間にロープを渡して、ラチェットで締め固定します。これが昨日までの作業。

 すぐ、一番上に「笠木」を乗せるのだと思っていたら、まず土台を固定するようです。このコンクリートが固まってから、次の作業なのでしょう。

 ということで、クレーンや高所作業車もいなくなりました。あとは連休明けにでもその先の工事を行うのでしょう。

 ニューフィルの方は、あしたになれば本番です。今までなかった楽器が登場して、初めて楽譜通りの音が聴けるようになりました。降り番の時に、このアングルから写真を撮ってみようと、シミュレーションです。たくさんの人に聴きに来てもらえるとうれしいですね。
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by jurassic_oyaji | 2014-04-25 23:43 | 禁断 | Comments(0)
The Rite of Spring
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The 5 Browns
STEINWAY & SONS/30031




先日、さる合唱団のコンサートでブラームスの「ドイツ・レクイエム」を2台ピアノによるバージョンで聴きました。それは本当に素晴らしい合唱だったのですが、その時のピアノのアインザッツが非常におおらかだったのには参ってしまいました。実は、だいぶ前ですが、マルタ・アルゲリッチとネルソン・フレイレによるデュオをテレビで見たことがあったのですが、その時には、このブラームスよりもっとひどいアンサンブルでしたから、そもそもこういう編成でピッタリ合わせることなどは至難の業なのだな、と思っていました。
ですから、もう10年近く前に騒がれた、なんと「5人」のピアニストのユニット「ザ・ファイブ・ブラウンズ」などは、最初から聴く気にもなれませんでした。そもそも、彼らが日本で紹介された時には、いわゆる「ライト・クラシック」という忌むべきカテゴリーでの売り込みでしたからね。
この5人のピアニストは、ブラウン家の女3人、男2人の5人の子供たちです。最年長はジャケ写右から2人目の1979年生まれの長女、末っ子は右端、1986年生まれの次男ですね。全員がジュリアード音楽院を卒業、2002年にチームを組んで初めてのコンサートを開き、大成功をおさめます。アルバム・デビューは2005年、RCAからの「The 5 Browns」という、バーンスタインの「ウェストサイド・ストーリー」などが収められたCDでした。それはビルボードのクラシック・チャートの1位を占め、2008年までに全部で4枚のアルバムをRCA/SONYからリリースします。2010年には、E1 Entertainmentという、以前はカナダのKochだったレーベルに移籍しての映画音楽集、そして昨年10月、彼らがアーティスト契約を結んでいるスタインウェイのレーベルからこんなタイトルのアルバムがリリースされました。
これは、2013年5月に行われたコンサートのライブ録音です。ですから、メンバーも全員「アラサー」を迎えていたことになりますね。それにしてはみんな若い!真ん中の次女などは、ほとんどヤンキーですね。
タイトルは「春の祭典」ですが、演奏はまずホルストの「惑星」から始まります。その1曲目、「火星」が始まった時、その5台のピアノの音がまるで一人で弾いているように完全に「合って」いたのには驚いてしまいました。もうこれだけでほとんど信じられないものを聴いていしまった思い、圧倒されてしまいます。2人でも合わないものが、5人でこれほどまでに揃っているとは。やればできるものなんですね。というか、陳腐な言い方ですが、これが「血の絆」ってやつなのでしょう。
もちろん、それは単にきれいに合っているというだけのものではありませんでした。原曲をかなり自由にアレンジして、聴いたことのないようなフレーズがあちこちで絡み付いてきますが、そのどれもがとても生き生きしていて、本当に楽しんで演奏していることが伝わってきます。
そのあと、曲は切れ目なく最後の「海王星」に続きます。と、なんだかピアノとは思えないような音が聴こえてきましたよ。なんかキンキンした、プリペアされた音、瞬時に弦になにかを乗せたのか、手で触っているのか、こんな小技もきかしているんですね。いや、それだけではなく、最後に出てくる女声合唱まで、誰かが歌っていますよ。曲はそのあとに「木星」に続くという仕掛け、やはり聴かせるツボは押さえています。
そして、サン・サーンスの「死の舞踏」を挟んで、いよいよ「春の祭典」です。2台ピアノのバージョンは何度か聴いたことがありますが、これは「5台」という条件を目いっぱい生かした、とてもいかした編曲が素敵です。全員でガンガン弾く時にはオーケストラをもしのぐほどの大音響、そして、多くのパートが絡み付くところでは煌めくばかりの色彩感、弾き終わった時の会場のやんやの喝采も納得です。いや、すでに第1部の終わり近くで、待ちきれず歓声を上げていた人もいましたね。

CD Artwork © ArkivMusic LLC
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by jurassic_oyaji | 2014-04-24 20:20 | ピアノ | Comments(0)
D100の威力
 今朝、職場に車で向かっていると、信号で止まったところで交差点の一方通行の表示がスルスルと変わっていきました。ちょうど9時になったので、堤通りと仙石線と並行している狭い道の規制が逆方向に変わったのですね。

 普通は、白い矢印が進む方向を示すのだ、と思うのでしょうが、こういうものを見るとつい「青い矢印」を見てしまうのは、安野光雅ファンであれば仕方のないことです。
 職場では、庭の池の中でカエルの卵が順調に成長しています。もはやみんなすっかりオタマジャクシになって、いきいきと泳いでいました。こうやってアップするとかわいいものですが、実際はこれで池がまっ黒になっているのですから気持ち悪いですね。これの動画をFacebookにアップしておきました。こっちはマジで気持ち悪いですよ。

 そんな春の訪れとともに、ニューフィルの定期演奏会も近付いてきました。この前の指揮者練習の2日目には、まさに「春」そのもののサプライズが待っていましたね。

 なんと、同じオケの同じパート同士のカップルが誕生していたのです。その日の朝一で区役所に行って入籍してきたのだとか。おめでとうございます。さっそく私は、次の「かいほうげん」の表紙を飾るべく、写真を撮りまくることに余念がありません。
 それは、確かに前に出てそのことを告げた団長あたりには文字通りのサプライズだったようで、「いきなり話を聴いて動揺している」というモードでしたが、私はだいぶ前からFacebookでミエミエの書き込みを行っていたのを見ていましたから、全然驚きませんでした。それこそ「長い春」だったんですね。重ねて、お幸せに。
 その練習の時には、前の日に続いてD100でのテスト録音をやっていました。今までM10で録ったのとは全く別物の音だったものですから、ここはひとつ同じ条件で比較してみようと、その2台を並べて同じレベル設定で24/96で録音してみたのです。それと、それぞれの曲で通しをするというので、それも重点的に録音してみなければ。
 しかし、24/96で録音していると、1時間で2GBにもなってしまいます。そうなると、なぜか自動的に新しいファイルに切り替わってしまいます。別に音自体はつながっているので問題はないのですが、これでは何かと面倒なので、休憩時間にはマメにストップさせて、強制的に新しいファイルを作るようにしていました。そうしたら、最後、最も肝心な「展覧会」の通しの前の休憩で、うっかりしてスタートさせるのを忘れてしまいました。チューニングが始まった時、さっきの新郎が客席にレコーダーをセットしに行ったのを見て、それに気が付いたのですね。あわてて席を立って、客席の真ん中まで行ってスタートさせてきましたよ。座るなり、トランペットのソロが始まりましたね。
 そして、帰って来てからモニターです。やはり、D100を聴いてしまうと、M10の音はいかにハイレゾとは言っても全く比較になりません。要は、マイクの違いなんですよね。当たり前の話ですが。

 こうして並べてみると、マイクの大きさは最高位機種(もう販売終了ですが)のD1に匹敵します。

 やはり、M10のこのマイクでは、太刀打ちは出来ないのでしょう。
 その、もちろんD100で録った通しをmp3に落として、ネットに上げてみました。元が良いと、こんな圧縮音源でも結構きれいに聴こえるものですね。
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by jurassic_oyaji | 2014-04-23 21:55 | 禁断 | Comments(0)
BRUNEAU/Requiem
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Mireille Delunsch(Sop), Nora Gubisch(MS)
Edgaras Montvidas(Ten), Jérôme Vanier(Bas)
Ludovic Morlet/
Children Chorus of La Monnaie, Vlaams Radio Koor
Symphony Orchestra and Chorus of La Monnaie
CYPRES/CYP7615




現在では全く忘れ去られていますが、アルフレッド・ブリュノー(1857-1934)という女子の体操着みたいな名前(それは「ブルマー」)のフランスの作曲家は、エミール・ゾラと親交のあった人で、彼の台本などを用いた多くのオペラを作っています。そして彼は、「レクイエム」も作っていることから、このサイトでも取り上げられるようになるのです。
実は、この曲は2001年の1月に、すでにこちらで紹介されていました。つまり、「レクイエム」に関しては今までに録音されたものはほとんど網羅されているというこちらの井上太郎さんの本で最初の録音のものとして紹介されていたのを頼りに、たまたま再発されたものを聴いてみたのですね。このレビューを読んでいただければ分かる通り、その時の印象は決して芳しいものではありませんでした。井上さんの本でも、おそらくこの録音を聴いた上でのことでしょう、「音楽の骨格そのものの脆弱さは覆うべくもなく、旋律も陳腐」と、まさにぼろくそに言われてましたね。
何しろ、その録音での指揮者のメルシエは、初めて聴いた人にあたかも作品そのものが悪いかのように感じさせる演奏をすることでは定評のある人でしたから、もしかしたら他の指揮者で聴けばそんなにひどい曲だとは思えなくなるような可能性は充分あり得ます。今回、2012年にブリュッセルでライブ録音されたこの新しいCDでは、そんな悪い印象を拭い去ることはできるのでしょうか。
Requiem & Kyrie」の最初に示されるテーマは、なかなかキャッチーなものでした。いかにもオペラ作曲家らしく、そこでは情景が的確に表現されていることがすぐに感じられます。しかし、続いて現れる合唱の無気力さには、一瞬たじろいでしまいます。そのあとのソリストたちによるポリフォニックなパッセージも、何かピリッとしたところがなく前途には暗雲が立ち込めます。しかし、音楽全体の持つまさにオペラティックな運びには、何か引き込まれるものも有ります。
次の「Dies Irae & Tuba Mirum」になると、そのダイナミックな音楽には文句なしに惹かれます。お約束のグレゴリアン・チャントの「Dies irae」がハープとトランペットによって登場しますが、それが児童合唱によって繰り返されると、思わずその敬虔な響きに聴き入らずにはいられなくなってしまいます。そんな、起伏の激しい音楽がまさにドラマティックに展開されていると感じられるようになってくるのは、そろそろこの作品の魅力に気づいてきたからなのかもしれません。この児童合唱の出番はこの後も控えていますが、それはまさにこの作品のポイントとなっています。
そうなのです。確かにあざといところもありますし、構成に弱さが感じられなくもありませんが、これはそういう音楽、言ってみればあふれるばかりの情感を、多少無秩序に語っているだけのことで、それによって音楽そのものの価値が損なわれるものではなかったのです。やはり、ヘタをしたら、メルシエの演奏だけでこのままこの作品がつまらないものだと評価されて終わってしまうところでしたね。
Sanctus」のテーマはマーラーの交響曲第1番の終楽章にそっくりですが、作られたのはこちらの方が先ですし、「Agnus Dei」ではなんとロイド・ウェッバーの「オペラ座の怪人」の中のナンバーのようなものが現れます。ある意味そんな「先駆性」さえも備えた、なかなか隅に置けない作品とは言えないでしょうか。最後の「Et Lux Perpetua」で第1曲目のテーマが再現されるあたりも、しっかりとツボを押さえている感じがしませんか?
これだけだと40分しかないので、カップリングとしてマリウス・コンスタンが編曲したドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」が、別の会場で演奏された時のライブ録音が入っています。これが前の曲とは全然違って素晴らしい音、「レクイエム」がこの音で聴けていたら、その魅力はさらに増していたことでしょう。

CD Artwork © Cypres Records
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by jurassic_oyaji | 2014-04-22 23:13 | 合唱 | Comments(0)
恥知らずな「音楽評論家」

 「レコード芸術」の5月号が発売になりました。相も変らぬ「名曲名盤500」などという愚にもつかないトップ記事でげんなりさせられてしばらく行ったところに、今はもう廃盤処分になっているはずの佐村河内守の「HIROSHIMA」のジャケットが目についた時には、目を疑ってしまいました。


 それは、この雑誌に連載されている長木誠司氏のコラムだったのですが、そこでは読むに堪えないほどの醜悪な文章にお目にかかってしまったのです。ご存じのように、長木氏はこのアルバムにライナーノーツを寄せています。言ってみれば「現代音楽」のオーソリティである氏がライナーを書くということは、このアルバムに「現代音楽」的な側面からの箔付けをして、販売促進に加担することを意味します。以前、「禁断」に書いたように、佐村河内守があんなことになってしまっては、その「犯罪」に加担した長木氏は、たとえそれが純粋に音楽的な意味の行為だったとしても、これは相当恥かしいことだったはずです。普通に考えれば、氏の現在の職を追われても仕方な無いほどの、いわば「風評被害」にさらされても当然のことです。しかし、この文章は、別に「世間」に対してお詫びをしているものではなく、徹頭徹尾、自らが書いたライナーを、詭弁を多用してひたすら擁護しているものに過ぎませんでした。つまり、氏が御神輿を担いだ張本人が記者会見で見せた「逆切れ」と全く同じ種類の、およそ程度の低い、もっと言えば恥知らずの自己弁護でしかなかったのです。
 その骨子は、今の「現代音楽」のシーンでは、この作品のような「パスティッシュ」の手法は広く用いられているのだから、この作品の価値は誰が作ったとしてもしっかり認められる、というものです。それは、この事件の後に巻き起こった、「曲自体は『感動』を与えてくれるものなのだから、抹殺されるのはしのびない」という、無垢なクラシック・ファンの声を、「専門家」の立場から「理論武装」しているもののようにも見えます。しかし、そんなお粗末なロジックは、公開されたあの落書きみたいな「指示書」を見れば、もろくも崩れ去ってしまうはずです。佐村河内守には、氏が期待したような「現代音楽」のセンスなどは全くありませんでした。もちろん、新垣隆にしても、その「指示」に忠実に仕事をしただけで、そこからはたとえ「パスティッシュ」だとしても、まっとうな作品には必ず存在するはずの「オリジナリティ」などは微塵も認めることはできません。そもそも、かつて、まさに「パスティッシュ」に堕してしまったペンデレツキを「もう終わった作曲家」と評していた氏が、それ以下の出来でしかないこの作品を、なぜこれほど持ち上げるのか、到底理解不能です。
 まあ、そのあたりは単なる整合性のなさ(「ボケ」とも言う)で片づけられる罪のないものですが、このコラムの最後で、あの事件の発端の一つとなった野口剛夫氏(実名は出していませんが、間違いなく野口氏のことです)の文章に対して「マイノリティに対するこれほどの不作法はない」と言いきっているのを見ると、情けなくなってしまいます。これは、自己弁護のためなら、自説に不利なものはなんとしても貶めようという、それこそ「不作法」そのものの論法であることに、氏は気付いていないのでしょう。この野口氏の文章を読みなおしてみましたが、これのどこが「マイノリティに対する不作法」なのか、私には全く分かりませんでした。長木氏こそ、評論家としてはすでに「終わって」いるのですよ。
   「レコード芸術」は、先月号でもほとんど「言い訳」でしかない告知を出していましたね。以前から感じていたこの雑誌の正体は、ここにきてはっきりしました。実際、毎月買ってはみるものの、まともに読める記事などほとんどなくなってしまっていますから、もはやこの雑誌は資料としての価値すらなくなってしまっています。そこにきて、こんなしょうもない文章を5ページにもわたって堂々と掲載するなんて、この雑誌は長木氏と心中でもするつもりなのでしょうか。いずれにしても、この雑誌が、ジャーナリズムの道から外れてどんどん堕ちて行ってしまうのに付き合うほど、無神経ではありませんから、けさTSUTAYAに行って、定期購読の契約を解除してきました。もう、書店で見かけても立ち読みしようという気にすらならないでしょうね。そう、この雑誌もまた、音楽情報誌としてはすでに「終わって」いるのです。
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by jurassic_oyaji | 2014-04-21 19:53 | 禁断 | Comments(5)